野麦峠への道は、深い谷の、急な斜面に続いていた。
また、みねが見た風景は、昔のままあった。
古川にいたので、町並みを見た。
白壁の土蔵。 伝建地区に指定されていないが、いいですよ。
瀬戸川が流れている。
郡上八幡がそうだったけど、水があると、潤いがある。 当たり前か。
祭りに使う、起し太鼓が展示されていた。
この町には、古川祭りがある。 日本三大裸祭りの一つだそう。 4月19,20日に行われる。
※ 古川祭り 起し太鼓(YouTube)
飛騨の匠がいるためか、造りが繊細。 出窓も独特かな。
水がいいからか、酒屋さんが多かった。
三嶋和ろうそく店。
私は分からないが、連続テレビ小説「さくら」沼田家のモデルだという。
手を休めず、いつまでも楽しそうに説明してくれた。 話しかける隙間がなかった。
野麦峠に向かった。 高山を過ぎて、しばらく走ったら、山の中に入った。
国道361を走ってきたが、ここから県道39に入る。 場所はここ。
ここは、街道だったから、宿場があった。 時々このように、集落がある。
カーナビを見たら、目の前に、乗鞍岳があった。 3026の数字で分かった。
今日は見えないが。 ここから、10㌔くらいか。
昔の野麦街道があった。 車のタイヤの跡がなければ、もっといい。
クマに注意とあったので、深くは入らなかった。
野麦峠の説明があった。 分かりやすい。
谷は深くなってきた。 左の斜面に野麦街道はあった。 でも、下を見てもない。
後で知ったが、道は川の向こうの斜面に移っていた。
向こうの斜面も急なため、何人もの女工さんが落ちて死んだ。
下に落ちた子を、みんなの帯をつないで助けたこともあったという。
私は先日、熊野古道を歩いたが、女工さんたちが冬に歩くのに比べたら、散歩のようなもんだ。
ここが、野麦峠。 場所はここ。
新しいお助け小屋。 左に像が。
みねと辰次郎の像。 ※ 残念ながら、いい像ではない。
お助け小屋に入った。 お土産、食堂、宿泊の3つ。
少しだけ物を買って、展示してある写真などを、撮らせてもらった。
原作者が書いたもの。
こんな感じだったのかな。
天気がよかったら、乗鞍岳がこんな風に見える。
鮮明な写真があった。 こんな人たちが登場しているのだが、全員この写真にいるのかな。
大竹しのぶ 原田美枝子 友里千賀子 古手川祐子
野麦峠の館に行った。 映画に関する物は、少しだけだった。
女工さんたちは、こんな姿だった。
こんな絵が。
表情がいいなと、思った。
特に、左から2番目。 家族が待っていると思うからかな。
山本茂実という人は、女工さんだった人に聞いたとありますね。
聞き歩く中で、河合町角川にも行ったということですね。
館長さんが出てきて、あっちこっち連れて行って、説明してくれた。 ありがたかった。
野麦峠の碑。
写真の真ん中辺りに、昔の街道がある。 ここを下りていくと、岡谷の方に。
峠からは、ここを通って、高山に行った。
こんな感じ。
上の道の、左手の山の上に、展望台があった。 みねの碑。 書いてあるのは読めない。
向こうに行ったら、岡谷。
下の写真で、線の所に、野麦街道はあった。 下に来て、さっき歩いた道につながる。
また、昔のお助け小屋は、○の所に。 峠の頂上でなく、風の弱い、少し低い所にあった。
下の写真の、撮影場所を下りて行ったら、お助け小屋があった。
野麦峠の頂上について、みねが見た、飛騨の風景は、この風景。
映画のイメージとは少し違うが、これで間違いない。 このことは、館長さんも話した。
頂上に着いたら、そこは飛騨だ。 見えるもの全てが、みねにとっては、飛騨だった。
心の中にある、なつかしい故郷の風景も見えたかもしれない。
みねは、飛騨に帰れたと思って安心した。 そして、静かに息を引き取った。
岡谷の方に谷を下ると、こんな風景になる。
ダムから下を撮影。 道の駅 風穴の里は、右上に。 場所はここ。
いつかは来たいと思っていた野麦峠に、やっと来れた。
※ 江戸幕府が倒れて、時代は明治になっても、人々の生活は楽にならない。
こんどは、地主制度が出来上がってしまった。
どうしても、搾取しようとする人間があらわれる。
今の時代も、昔に似てきた。
安い賃金で人を働かせる仕組みが、広がってきた。
明日の動きが、むずかしいです。
乗鞍岳か、上高地。 どちらかです。
女工さんたちが、野麦峠から眺めた乗鞍岳に、本当は行きたい。
無理すると、危険。
明日の朝の天気で決めます。
【道の駅】 風穴の里
【明日の予定】 上に書いた通り。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
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また、みねが見た風景は、昔のままあった。
古川にいたので、町並みを見た。

白壁の土蔵。 伝建地区に指定されていないが、いいですよ。

瀬戸川が流れている。
郡上八幡がそうだったけど、水があると、潤いがある。 当たり前か。

祭りに使う、起し太鼓が展示されていた。
この町には、古川祭りがある。 日本三大裸祭りの一つだそう。 4月19,20日に行われる。
※ 古川祭り 起し太鼓(YouTube)

飛騨の匠がいるためか、造りが繊細。 出窓も独特かな。

水がいいからか、酒屋さんが多かった。

三嶋和ろうそく店。
私は分からないが、連続テレビ小説「さくら」沼田家のモデルだという。
手を休めず、いつまでも楽しそうに説明してくれた。 話しかける隙間がなかった。

野麦峠に向かった。 高山を過ぎて、しばらく走ったら、山の中に入った。

国道361を走ってきたが、ここから県道39に入る。 場所はここ。

ここは、街道だったから、宿場があった。 時々このように、集落がある。

カーナビを見たら、目の前に、乗鞍岳があった。 3026の数字で分かった。
今日は見えないが。 ここから、10㌔くらいか。

昔の野麦街道があった。 車のタイヤの跡がなければ、もっといい。

クマに注意とあったので、深くは入らなかった。

野麦峠の説明があった。 分かりやすい。

谷は深くなってきた。 左の斜面に野麦街道はあった。 でも、下を見てもない。
後で知ったが、道は川の向こうの斜面に移っていた。
向こうの斜面も急なため、何人もの女工さんが落ちて死んだ。
下に落ちた子を、みんなの帯をつないで助けたこともあったという。

私は先日、熊野古道を歩いたが、女工さんたちが冬に歩くのに比べたら、散歩のようなもんだ。
ここが、野麦峠。 場所はここ。

新しいお助け小屋。 左に像が。

みねと辰次郎の像。 ※ 残念ながら、いい像ではない。

お助け小屋に入った。 お土産、食堂、宿泊の3つ。
少しだけ物を買って、展示してある写真などを、撮らせてもらった。
原作者が書いたもの。

こんな感じだったのかな。

天気がよかったら、乗鞍岳がこんな風に見える。

鮮明な写真があった。 こんな人たちが登場しているのだが、全員この写真にいるのかな。
大竹しのぶ 原田美枝子 友里千賀子 古手川祐子

野麦峠の館に行った。 映画に関する物は、少しだけだった。
女工さんたちは、こんな姿だった。

こんな絵が。

表情がいいなと、思った。
特に、左から2番目。 家族が待っていると思うからかな。

山本茂実という人は、女工さんだった人に聞いたとありますね。
聞き歩く中で、河合町角川にも行ったということですね。

館長さんが出てきて、あっちこっち連れて行って、説明してくれた。 ありがたかった。
野麦峠の碑。

写真の真ん中辺りに、昔の街道がある。 ここを下りていくと、岡谷の方に。

峠からは、ここを通って、高山に行った。

こんな感じ。

上の道の、左手の山の上に、展望台があった。 みねの碑。 書いてあるのは読めない。

向こうに行ったら、岡谷。

下の写真で、線の所に、野麦街道はあった。 下に来て、さっき歩いた道につながる。
また、昔のお助け小屋は、○の所に。 峠の頂上でなく、風の弱い、少し低い所にあった。

下の写真の、撮影場所を下りて行ったら、お助け小屋があった。
野麦峠の頂上について、みねが見た、飛騨の風景は、この風景。
映画のイメージとは少し違うが、これで間違いない。 このことは、館長さんも話した。
頂上に着いたら、そこは飛騨だ。 見えるもの全てが、みねにとっては、飛騨だった。
心の中にある、なつかしい故郷の風景も見えたかもしれない。
みねは、飛騨に帰れたと思って安心した。 そして、静かに息を引き取った。

岡谷の方に谷を下ると、こんな風景になる。

ダムから下を撮影。 道の駅 風穴の里は、右上に。 場所はここ。

いつかは来たいと思っていた野麦峠に、やっと来れた。
※ 江戸幕府が倒れて、時代は明治になっても、人々の生活は楽にならない。
こんどは、地主制度が出来上がってしまった。
どうしても、搾取しようとする人間があらわれる。
今の時代も、昔に似てきた。
安い賃金で人を働かせる仕組みが、広がってきた。
明日の動きが、むずかしいです。
乗鞍岳か、上高地。 どちらかです。
女工さんたちが、野麦峠から眺めた乗鞍岳に、本当は行きたい。
無理すると、危険。
明日の朝の天気で決めます。
【道の駅】 風穴の里
【明日の予定】 上に書いた通り。
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