今日は、とりあえずの目標地点を、錦帯橋にして走った。
頭のアンテナを伸ばして。
どこか、面白そうな所が見つかれば、そっちの方がいい。
「月輪寺」の案内が、大きくあった。 左の道に入った。 場所は、ここ。
薬師堂があり、山口県内で、一番古い木造建築とあった。 平安時代の終わりの建物。
面白い話があるか探したが、特になかった。
寺の読み方は、「がちりんじ」。 「がつりんじ」が、変化したのかな。
国道までの、数百㍍の道。 曲がっている所がいい。
何気ない風景の、その魅力を引き出した写真に撮りたいが、むずかしい。
温泉も見つかっていない。
笠戸島(かさどじま)にあることが分かっているので、遠回りになるが行くことに。
釣りして、今晩は、この島でもいいと思っていた。
国民宿舎大城(おおじょう)の駐車場から撮影。 場所はここ。
温泉は故障していて、お風呂だった。 だから、200円。
島を走ったが、誰も釣りをしていない。 風情のある港町はなかったので、岩国に向かった。
せっかくだから、少し遠回りになったが、光市を通った。
あの、母子殺害事件のあった町だ。 残されたお父さんは戦った。 心の中だが、ずっと応援していた。
日本の国には、弁護士制度があるから、加害者は守られる。
しかし、被害者は、力を貸してくれる制度はない。
人を殺しても、簡単には死刑にならない。
※ 冤罪での死刑を防ぐには、死刑制度をなくすしか、他に方法はないかなとも思う。
難しい問題だ。
その父さんが、すごかった。
今日のブログは、錦帯橋なので、このことについては、これを読んでください。
いい内容です。 エムズの片割れ、光市母子殺人事件について。
少しだけ紹介。 こういう文がある。
「記者会見場に姿を現した本村の怒りは凄まじかった。・・・「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。
早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」
記者会見という公の場で「報復殺人の予告」とも言えるべき発言を行った。」
※ 実際に仇討をした男がいた。 明治時代。 日本最後の仇討。
臼井六郎は、父・母・妹を、殺される。 殺されたのは寝室。 六郎は、隣の部屋から、それを見た。
13年後の明治13年に、復讐する。 服役するが、社会は彼に温かかった。
その話は、ここに。
錦帯橋のある岩国市は、山口県の東の端だった。
駐車場は河川敷。 広い。 無料。
これが、錦帯橋。 木造。 5つに分かれてる。 場所はここ。
車の板バネに似ている。 端の方が、板の枚数が多い。
石橋を、木で作った感じ。
全長、193.3㍍。 幅、5.0㍍。
中国の杭州の西湖にある「錦帯橋」をモデルにして、1673年に架橋された。 これが最初。
中国、西湖の錦帯橋。 (お借りした)
楽しそうだ。
三名橋の一つだそう。 ※ 誰が決めたか知らないが。
他の2つは、かずら橋(徳島県)と、猿橋(山梨県)だそう。 ※ 関連ブログ 雪のかずら橋
下から見ると、単純な作りではなさそうだ。
橋の円みは円の一部だと思われていた。 最近、そうでないのでは、という考えが出てきた。
下の写真で、黄緑は円の一部。
私も、橋は円とは違うように思う。
円のふくらみなら、両側は、少し急で、上りにくい感じがする。
では、橋の形は何なのかと言うと、カテナリー曲線(懸垂線)でないかと言われている。(研究者から)
※ カテナリー曲線って、何なのかを調べてみたら、こうだった。
例えば、1㍍程の長さの紐の、両端を手で持つ。
一旦、ピーンと張る。 その後、少し緩める。 そうしたら、曲線になる。
形(曲線)の特徴として、紐の重さのため、真ん中辺りのカーブが大きく(急に)なる。
橋の形は、それを、逆さまにした形。 下の写真を見てると、それでいいように思うかな。
歩いている人が、消えたり、急に現れたりする。
この場所は、橋を渡って、すぐ左にあった。
佐々木小次郎は、ここで「つばめ返し」の術を身に付けた、と説明にあった。
場所は他にも説があるが、吉川英治の小説の中では、ここだった。
橋の下は、遊歩道。 渡った側は、広く一帯が、公園になっている。
川に波がなく、このように。
公園に佐々木小次郎の像が。 巌流島で、宮本武蔵に負ける。
関ヶ原の戦いを挟んで、生きている。 そういう時代の人。
戦国時代、この場所に住んでいた吉川経家という人は、鳥取城の城主に迎えられた。
城は攻められている最中だった。 この人は、城兵全員を助けるのを条件に、切腹した。
子孫は、この岩国で活躍した。 それで、この碑があった。
いっぱい咲いていた。
橋を渡って戻っている。
今日は、逆光で撮った写真が、全体的にきれいに写った。 どうしてか分からない。
観光客でない人も、歩いている。
橋は、人が渡るために作ったから、人がいないと、写真がつまらない。
橋脚の部分は石垣で、渡る所は木造。 それがいいのかな。
京都の、鴨川や桂川に架かっていても、似合いそうに感じた。
上り下りの変化があり、歩いて楽しい、評判通りの橋だった。
【停泊場所】 錦帯橋の駐車場。 河川敷にある。
【明日の予定】 宮島です。
【今日の歌】 Diem-Xua(YouTube) 日本名は、美しい昔。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で8位です。
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頭のアンテナを伸ばして。
どこか、面白そうな所が見つかれば、そっちの方がいい。
「月輪寺」の案内が、大きくあった。 左の道に入った。 場所は、ここ。
薬師堂があり、山口県内で、一番古い木造建築とあった。 平安時代の終わりの建物。
面白い話があるか探したが、特になかった。
寺の読み方は、「がちりんじ」。 「がつりんじ」が、変化したのかな。

国道までの、数百㍍の道。 曲がっている所がいい。
何気ない風景の、その魅力を引き出した写真に撮りたいが、むずかしい。

温泉も見つかっていない。
笠戸島(かさどじま)にあることが分かっているので、遠回りになるが行くことに。
釣りして、今晩は、この島でもいいと思っていた。
国民宿舎大城(おおじょう)の駐車場から撮影。 場所はここ。

温泉は故障していて、お風呂だった。 だから、200円。
島を走ったが、誰も釣りをしていない。 風情のある港町はなかったので、岩国に向かった。
せっかくだから、少し遠回りになったが、光市を通った。
あの、母子殺害事件のあった町だ。 残されたお父さんは戦った。 心の中だが、ずっと応援していた。

日本の国には、弁護士制度があるから、加害者は守られる。
しかし、被害者は、力を貸してくれる制度はない。
人を殺しても、簡単には死刑にならない。
※ 冤罪での死刑を防ぐには、死刑制度をなくすしか、他に方法はないかなとも思う。
難しい問題だ。
その父さんが、すごかった。
今日のブログは、錦帯橋なので、このことについては、これを読んでください。
いい内容です。 エムズの片割れ、光市母子殺人事件について。
少しだけ紹介。 こういう文がある。
「記者会見場に姿を現した本村の怒りは凄まじかった。・・・「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。
早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」
記者会見という公の場で「報復殺人の予告」とも言えるべき発言を行った。」
※ 実際に仇討をした男がいた。 明治時代。 日本最後の仇討。
臼井六郎は、父・母・妹を、殺される。 殺されたのは寝室。 六郎は、隣の部屋から、それを見た。
13年後の明治13年に、復讐する。 服役するが、社会は彼に温かかった。
その話は、ここに。
錦帯橋のある岩国市は、山口県の東の端だった。
駐車場は河川敷。 広い。 無料。
これが、錦帯橋。 木造。 5つに分かれてる。 場所はここ。

車の板バネに似ている。 端の方が、板の枚数が多い。

石橋を、木で作った感じ。

全長、193.3㍍。 幅、5.0㍍。

中国の杭州の西湖にある「錦帯橋」をモデルにして、1673年に架橋された。 これが最初。

中国、西湖の錦帯橋。 (お借りした)

楽しそうだ。

三名橋の一つだそう。 ※ 誰が決めたか知らないが。
他の2つは、かずら橋(徳島県)と、猿橋(山梨県)だそう。 ※ 関連ブログ 雪のかずら橋
下から見ると、単純な作りではなさそうだ。

橋の円みは円の一部だと思われていた。 最近、そうでないのでは、という考えが出てきた。
下の写真で、黄緑は円の一部。
私も、橋は円とは違うように思う。
円のふくらみなら、両側は、少し急で、上りにくい感じがする。
では、橋の形は何なのかと言うと、カテナリー曲線(懸垂線)でないかと言われている。(研究者から)
※ カテナリー曲線って、何なのかを調べてみたら、こうだった。
例えば、1㍍程の長さの紐の、両端を手で持つ。
一旦、ピーンと張る。 その後、少し緩める。 そうしたら、曲線になる。
形(曲線)の特徴として、紐の重さのため、真ん中辺りのカーブが大きく(急に)なる。
橋の形は、それを、逆さまにした形。 下の写真を見てると、それでいいように思うかな。

歩いている人が、消えたり、急に現れたりする。

この場所は、橋を渡って、すぐ左にあった。
佐々木小次郎は、ここで「つばめ返し」の術を身に付けた、と説明にあった。
場所は他にも説があるが、吉川英治の小説の中では、ここだった。

橋の下は、遊歩道。 渡った側は、広く一帯が、公園になっている。

川に波がなく、このように。

公園に佐々木小次郎の像が。 巌流島で、宮本武蔵に負ける。
関ヶ原の戦いを挟んで、生きている。 そういう時代の人。

戦国時代、この場所に住んでいた吉川経家という人は、鳥取城の城主に迎えられた。
城は攻められている最中だった。 この人は、城兵全員を助けるのを条件に、切腹した。
子孫は、この岩国で活躍した。 それで、この碑があった。

いっぱい咲いていた。

橋を渡って戻っている。

今日は、逆光で撮った写真が、全体的にきれいに写った。 どうしてか分からない。

観光客でない人も、歩いている。

橋は、人が渡るために作ったから、人がいないと、写真がつまらない。

橋脚の部分は石垣で、渡る所は木造。 それがいいのかな。
京都の、鴨川や桂川に架かっていても、似合いそうに感じた。
上り下りの変化があり、歩いて楽しい、評判通りの橋だった。
【停泊場所】 錦帯橋の駐車場。 河川敷にある。
【明日の予定】 宮島です。
【今日の歌】 Diem-Xua(YouTube) 日本名は、美しい昔。
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「長州は、いい塔をもっている」と、司馬遼太郎は言った。
今日は、一日雨だった。 美しい、五重塔だった。
山口を長く治めていたのは、大内氏。
大内文化の最高傑作が、瑠璃光寺五重塔だった。
ここが、瑠璃光寺。 場所はここ。
上の写真の風景を見ながら、五重塔はどこだろうって、さがした。
左に首を振った時だった。 それは見えた。
瞬間、その美しさに、声が出た。
瑠璃光寺五重塔。 国宝。 新緑に包まれていた。
高さ、31.2㍍。 室町時代、嘉吉2年(1442年)頃の建立。
形がいいのか、バランスがいいのか。 何だろうと思った。
右にまわって、低い所から撮影。
新緑の緑が、塔の美しさを引き立たせていた。
日本三名塔の一つだという。 他は、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺。
※ 法隆寺の五重塔は、遠くから上の部分を見ると美しいが、近くで見たら普通だった。
醍醐寺のは、見ていない。
500年以上経っている。
複雑に、組み合わされている。
○ 左が、瑠璃光寺五重塔。
二層にのみ回縁(まわりえん)がついている。 それが特徴。 大きくしたら、分かります。
この形に似合っており、塔をすっきり見せている。
○ 真ん中は、羽黒山五重塔。
○ 右の二つは、室生寺五重塔。 色だけでなく、形にも優雅さがある。
瑠璃光寺五重塔は、このように作ったら美しくなるという、塔の見本。
室生寺五重塔の美しさは、別格。 十二単を着た女性が、そこに座っている感じさえする。
この二つの塔は、比べなくていい。 どっちもいい。
若山牧水の歌碑があった。
はつ夏は、今ですね。 初夏のこと。
※ 今年の立夏は、5月5日だった。 八十八夜は、5月2日。
※ 先日スズランを見た。 スズラン香る初夏の候かなって感じた。
古塔の下の字ですが、能の略字で「の」と読むんですね。 調べてやっと分かった。
明治40年6月に来ている。 故郷宮崎に帰る途中に寄ったそう。 21歳。
瑠璃光寺。 山口を代表する観光名所だそう。 この辺り一帯が、香山公園。
大内弘世という人の像。 1300年代の人。
この人の時に、山口は整備された。 ただの小京都でなく、西の京と呼ばれている。
京都に似せて、町をつくった。
一の坂川が鴨川で、その東には、八坂神社もある。
※ ちなみに、鶴姫をいじめた(?)大内義隆は、この人の5代後。
境内を散歩していたら、こんな所に来た。
女の人が、手を、パンパンとたたいていた。 その音は、大きく美しく反響した。
説明があった。 ここは、うぐいす張りの石畳となっていた。
私もやった。
上の方とは、昨日、長門峡でも会っていた。 関西から来ていた。
中原中也を中心に、列車などを使って。
時々、メモを取っていた。 ※ デッサンもしていたのかな。
私もメモはするが、このような人に出会ったのは、ずっとずっと、久しぶり。
上に書いた、一の坂川を歩いた。
この町と、湯田温泉の地図を、上の方に頂いていた。 それを見ながら歩いた。 この辺り。
車で、湯田温泉に移動。 山口市の町外れにある感じ。
どこが温泉街という訳ではなく、温泉旅館が散らばっている。
中原中也記念館。 今日は休館日。
高田公園に行った。 いろんな碑が、集まっている。
足湯。 この町には、いたるところに白狐。 ずっと昔、温泉を見つけてくれたそうだ。
傷を治しているのを、土地の人が見た。 伝説は、みんな似ている。
中原中也の詩碑。
詩人の詩を読むと、多くの物を人に例えている。 何でも生きているように。
山頭火は、昭和13年の11月の終わりに、この町にやってきた。
10か月余り住んだ。 住んだのは、龍泉寺の隣。 4畳半の民家の離れ。 ここです。
山頭火が亡くなるのは、15年の10月。 もう、2年を切っている。
「ほろほろ酔うて この葉ふる」 知られた句だ。
美しい五重塔を見た。
期待して、期待通りということは、そんなになかった。
今日の、瑠璃光寺五重塔は、見た瞬間に感動した。 ※ 「うわ~」って本当に声が出た。
こんなの、久しぶり。
【道の駅】 仁保の郷 ※ 昨日に同じ。
【明日の予定】 特別なければ、岩国の錦帯橋。
【今日の歌】 若葉のささやき(YouTube) こういう時もあった。 どこでくるったのか。
どんな緑も、新緑の緑には、かなわないんでないかな。
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今日は、一日雨だった。 美しい、五重塔だった。
山口を長く治めていたのは、大内氏。
大内文化の最高傑作が、瑠璃光寺五重塔だった。
ここが、瑠璃光寺。 場所はここ。

上の写真の風景を見ながら、五重塔はどこだろうって、さがした。
左に首を振った時だった。 それは見えた。
瞬間、その美しさに、声が出た。
瑠璃光寺五重塔。 国宝。 新緑に包まれていた。

高さ、31.2㍍。 室町時代、嘉吉2年(1442年)頃の建立。
形がいいのか、バランスがいいのか。 何だろうと思った。
右にまわって、低い所から撮影。
新緑の緑が、塔の美しさを引き立たせていた。

日本三名塔の一つだという。 他は、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺。
※ 法隆寺の五重塔は、遠くから上の部分を見ると美しいが、近くで見たら普通だった。
醍醐寺のは、見ていない。

500年以上経っている。

複雑に、組み合わされている。

○ 左が、瑠璃光寺五重塔。
二層にのみ回縁(まわりえん)がついている。 それが特徴。 大きくしたら、分かります。
この形に似合っており、塔をすっきり見せている。
○ 真ん中は、羽黒山五重塔。
○ 右の二つは、室生寺五重塔。 色だけでなく、形にも優雅さがある。




瑠璃光寺五重塔は、このように作ったら美しくなるという、塔の見本。
室生寺五重塔の美しさは、別格。 十二単を着た女性が、そこに座っている感じさえする。
この二つの塔は、比べなくていい。 どっちもいい。
若山牧水の歌碑があった。

はつ夏は、今ですね。 初夏のこと。
※ 今年の立夏は、5月5日だった。 八十八夜は、5月2日。
※ 先日スズランを見た。 スズラン香る初夏の候かなって感じた。
古塔の下の字ですが、能の略字で「の」と読むんですね。 調べてやっと分かった。
明治40年6月に来ている。 故郷宮崎に帰る途中に寄ったそう。 21歳。
瑠璃光寺。 山口を代表する観光名所だそう。 この辺り一帯が、香山公園。

大内弘世という人の像。 1300年代の人。
この人の時に、山口は整備された。 ただの小京都でなく、西の京と呼ばれている。
京都に似せて、町をつくった。
一の坂川が鴨川で、その東には、八坂神社もある。
※ ちなみに、鶴姫をいじめた(?)大内義隆は、この人の5代後。

境内を散歩していたら、こんな所に来た。

女の人が、手を、パンパンとたたいていた。 その音は、大きく美しく反響した。
説明があった。 ここは、うぐいす張りの石畳となっていた。
私もやった。

上の方とは、昨日、長門峡でも会っていた。 関西から来ていた。
中原中也を中心に、列車などを使って。
時々、メモを取っていた。 ※ デッサンもしていたのかな。
私もメモはするが、このような人に出会ったのは、ずっとずっと、久しぶり。
上に書いた、一の坂川を歩いた。
この町と、湯田温泉の地図を、上の方に頂いていた。 それを見ながら歩いた。 この辺り。

車で、湯田温泉に移動。 山口市の町外れにある感じ。
どこが温泉街という訳ではなく、温泉旅館が散らばっている。

中原中也記念館。 今日は休館日。

高田公園に行った。 いろんな碑が、集まっている。

足湯。 この町には、いたるところに白狐。 ずっと昔、温泉を見つけてくれたそうだ。
傷を治しているのを、土地の人が見た。 伝説は、みんな似ている。

中原中也の詩碑。

詩人の詩を読むと、多くの物を人に例えている。 何でも生きているように。

山頭火は、昭和13年の11月の終わりに、この町にやってきた。
10か月余り住んだ。 住んだのは、龍泉寺の隣。 4畳半の民家の離れ。 ここです。
山頭火が亡くなるのは、15年の10月。 もう、2年を切っている。
「ほろほろ酔うて この葉ふる」 知られた句だ。

美しい五重塔を見た。
期待して、期待通りということは、そんなになかった。
今日の、瑠璃光寺五重塔は、見た瞬間に感動した。 ※ 「うわ~」って本当に声が出た。
こんなの、久しぶり。
【道の駅】 仁保の郷 ※ 昨日に同じ。
【明日の予定】 特別なければ、岩国の錦帯橋。
【今日の歌】 若葉のささやき(YouTube) こういう時もあった。 どこでくるったのか。
どんな緑も、新緑の緑には、かなわないんでないかな。
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広島に向かうはずが、方向が違ってきた。
山口市に、国宝の五重塔があると分かって、そうなってしまった。
途中に、長門峡(ちょうもんきょう)があったので、歩いてみた。
峡谷の終点まで、5.55㌔。 遠かった。
スタートは、道の駅「長門峡」。
ここは、道の駅のすぐ裏。 川底が全部、岩盤。 場所は、ここ。
終点の竜宮淵まで、道はずっと、川の左。
この細い道が、県道だった。 山口県道293号萩長門峡線。
萩から、ここの道の駅までの県道。 最後の5.55㌔が、ここの歩道。
こういうのは全国にも少なく、その一つが、青森の階段国道。 関連ブログ 竜飛岬 階段国道 他
こんな道が、少し続いた。
峡谷の雰囲気になってきた。 左に道が見える。 幅50㌢だけど、県道。
岩が目立つ。
川は、小さな滝の連続になった。
この川は、阿武川の上流で、萩市で海に出る。 家族連れが来ていた。
このような淵(ふち)が、時々ある。 主の魚が、住んでいそう。
向こうから来た。 道が見える。
細い道が続く。 これも、ここの魅力。
ツツジの季節。 楽しませてくれた。
左側は、ずっと崖。 涼しい風が出てくる、風穴もあった。
水の色がいいのかな。 見応えのある峡谷が、ずっと続く。
ツツジの花は、水にも岩にも、似合った。
鈴ヶ茶屋が見えた。 ここまで、4.2㌔。 大分来た。 ここで引き返す人も多い。
向こうから来た。 小さなトンネルを潜った。
峡谷が、険しくなってきた。
紅葉橋が見えてきた。
橋から、下流を撮影。 ここからゴールまで、600㍍。 あと少し。
橋の下。
川に沿って、ず~っと下ってきた。 帰りは、上りになる。
この川では、アユが捕れる。 名物になっている。
年間60万人来ると言う。 結構知られた所。 私は知らなかったが。
上流方向。
着いた。 竜宮淵。 流れも穏やかになった。
この道を上がってきた。 2時間ほどかかった。 こっちにも、駐車場がある。
少し休んで、戻った。
こんな道を。
ゴールまで、あと少しの所に、中原中也の詩碑があった。
この人の詩は読んだことがないが、いい詩のように思うかな。
中原中也は、山口市の近くの湯田温泉で生まれている。
山頭火や金子みすゞと、同じ時代に生きている。 中原中也(Wikipedia)
作品を読んでみたら、難しい。 一つだけ紹介。
~蜻蛉に寄す~
あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでゐる
淡い夕日を 浴びながら
僕は野原に 立つてゐる
遠くに工場の 煙突が
夕日にかすんで みえてゐる
大きな溜息 一つついて
僕は蹲んで(しやがんで) 石を拾う
その石くれの 冷たさが
漸く手中で ぬくもると
僕は放して 今度は草を
夕日を浴びてる 草を抜く
抜かれた草は 土の上で
ほのかにほのかに 萎えてゆく
遠くに工場の 煙突は
夕日に霞んで みえてゐる
長門峡は、歩かなければ見られない。
少し大変だけど、それがいい。
見応えのある峡谷を、一つ知りました。
【道の駅】 仁保の郷
【明日の予定】 山口市です。
【今日の歌】 サントリー・オールドのCM(YouTube) 田中裕子です。
石川鷹彦の演奏(YouTube) 懐かしい歌のアレンジをしていた。
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山口市に、国宝の五重塔があると分かって、そうなってしまった。
途中に、長門峡(ちょうもんきょう)があったので、歩いてみた。
峡谷の終点まで、5.55㌔。 遠かった。

スタートは、道の駅「長門峡」。
ここは、道の駅のすぐ裏。 川底が全部、岩盤。 場所は、ここ。

終点の竜宮淵まで、道はずっと、川の左。
この細い道が、県道だった。 山口県道293号萩長門峡線。
萩から、ここの道の駅までの県道。 最後の5.55㌔が、ここの歩道。
こういうのは全国にも少なく、その一つが、青森の階段国道。 関連ブログ 竜飛岬 階段国道 他

こんな道が、少し続いた。

峡谷の雰囲気になってきた。 左に道が見える。 幅50㌢だけど、県道。

岩が目立つ。

川は、小さな滝の連続になった。

この川は、阿武川の上流で、萩市で海に出る。 家族連れが来ていた。

このような淵(ふち)が、時々ある。 主の魚が、住んでいそう。

向こうから来た。 道が見える。

細い道が続く。 これも、ここの魅力。

ツツジの季節。 楽しませてくれた。

左側は、ずっと崖。 涼しい風が出てくる、風穴もあった。

水の色がいいのかな。 見応えのある峡谷が、ずっと続く。

ツツジの花は、水にも岩にも、似合った。

鈴ヶ茶屋が見えた。 ここまで、4.2㌔。 大分来た。 ここで引き返す人も多い。

向こうから来た。 小さなトンネルを潜った。

峡谷が、険しくなってきた。

紅葉橋が見えてきた。

橋から、下流を撮影。 ここからゴールまで、600㍍。 あと少し。

橋の下。

川に沿って、ず~っと下ってきた。 帰りは、上りになる。

この川では、アユが捕れる。 名物になっている。

年間60万人来ると言う。 結構知られた所。 私は知らなかったが。

上流方向。

着いた。 竜宮淵。 流れも穏やかになった。

この道を上がってきた。 2時間ほどかかった。 こっちにも、駐車場がある。

少し休んで、戻った。

こんな道を。

ゴールまで、あと少しの所に、中原中也の詩碑があった。

この人の詩は読んだことがないが、いい詩のように思うかな。

中原中也は、山口市の近くの湯田温泉で生まれている。
山頭火や金子みすゞと、同じ時代に生きている。 中原中也(Wikipedia)
作品を読んでみたら、難しい。 一つだけ紹介。
~蜻蛉に寄す~
あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでゐる
淡い夕日を 浴びながら
僕は野原に 立つてゐる
遠くに工場の 煙突が
夕日にかすんで みえてゐる
大きな溜息 一つついて
僕は蹲んで(しやがんで) 石を拾う
その石くれの 冷たさが
漸く手中で ぬくもると
僕は放して 今度は草を
夕日を浴びてる 草を抜く
抜かれた草は 土の上で
ほのかにほのかに 萎えてゆく
遠くに工場の 煙突は
夕日に霞んで みえてゐる
長門峡は、歩かなければ見られない。
少し大変だけど、それがいい。
見応えのある峡谷を、一つ知りました。
【道の駅】 仁保の郷
【明日の予定】 山口市です。
【今日の歌】 サントリー・オールドのCM(YouTube) 田中裕子です。
石川鷹彦の演奏(YouTube) 懐かしい歌のアレンジをしていた。
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静御前の墓所と言われる所が、あった。
伝説によるものだが、ほんの少しでも、可能性があるのか。
それが知りたい。
平栃の滝には、滝が5つあった。
このように、滝をいくつかまとめて、名前を付けるときがある。
※ 津軽の暗門の滝が、そうだった。
道の駅は、今日もお祭り。 神楽を踊っていた。
石見神楽とあった。 軽快に踊るのが特徴のよう。 石見神楽(Wikipedia)
大きくはないが、滝があるので見ることに。 どこも人でいっぱいなので、山に入った。
滝も楽しみだが、歩くだけでもいい。 メインの、大魚切りの滝をめざした。 ※おおうおぎり、と読む。
後で気づいたが、この写真に、ヘビの尻尾が写っていた。 歩きだして直ぐ。 ○の中。
拡大したら、こう。 立てに見える。
3歩あるいて発見。 びっくりして、1歩後退。 シマヘビ。 おとなしい。
200㍍ほどで着いた。 高さ、22㍍。 シャッターを、0.6秒開けて撮った。
滝の美しさは、周りの風景とのセットで決まる。 そう思う。
滝の下の空気は違う。 マイナスイオン。
ある家族が来ていた。 滝を見ると言うより、何かを探しているのかな。
次の滝に向かったら、トカゲがいた。 頭の左を怪我していた。
トカゲは、怪我を災難と考えているかもしれない。
でも、助かって良かったと前向きに考え、今を生きていたら、試練だったことになる。
こんな道を。 左手に滝がある。
水飲み滝。 支流にある、小さな滝。
今日は、あるものを準備していた。 熊の撃退スプレー。 昨日、熊の看板を見ていたので。
次の滝が見えた。
私には見たい滝があるが、まだ見ていない。
それは、裏見の滝。 恨みの滝ではない。 滝を、滝の内側から見るやつ。 どこにあるんだろう。
いろは滝。 折れ曲がっている。
滝を見る前に、看板が目に入った。
着いたそうそう、帰れと言うのか、と言いたくなる。
でも、それは細かいこと。
こういうのって、いいですね。 字だ上手かどうかなんて、どうでもいくなる。
どんな人達が、この滝の世話をしているのでしょう。
柿木村の人達の、こころに、出会った。
これが、源兵衛滝。
昔、平家に坂田源兵衛という人がいた。 戦いに負けて、母親と一緒に、この滝のさらに上に逃げてきた。
こんな話が、この地域に伝わっている。
大魚切りの滝の上から撮影。 先ほど会った、家族が見える。
少し前まで、滝の下で、お弁当を食べていた。
この家族の親は、子供たちを観光地やお祭りではなく、自然豊かな、ここに連れてきた。
苔が光っていたので。
駐車場に戻って、先ほどの家族と少しお話し。
静御前の墓に向かった。
※ 道の駅「願成就温泉」の近く。
この道の駅は、柿木村の南の近くと思っていたら、違った。
津和野に近い、山口県だった。 戻った。
山に突き当たって、左に少し行く。
静御前は、こんな人ですね。
途中の「ちがいない」は、いらないですね。 閉じたで、切る。
最後も、こういうことを書きたかったら、「言える」で終わればいい。
自分の想いを強く出すと、説明板は、おかしくなる。
少し行った右側に。 ちょっと見える。
ここ。 林の中に石垣があり、昔建物があったことが分かる。 ここです。
右が静御前。 真ん中は子供。 左は、母親(磯禅師)。
どれも、宝篋印塔。 ※ 石塔の一種で、中に何かを入れることが出来る。
この地に、昔、小さなお寺があったという。 ※ 庵寺(あんじ) 笊笥庵(そうけあん、と読み、竹で作ったのかな)
信ぴょう性については、後で。
リンゴの花。 間違いないと思う。
つぼみに囲まれて、花が少し。 これからという感じがする。
風景を切りながら、通り過ぎた。 むこうは、山口。
道の駅 願成就温泉。 場所は、ここ。
こんなのが。 顔に表情がない。
静御前の像があった。
こんな表情です。 どうでしょう。 静御前の心の中が、表現できているかどうかですね。
遠く、平泉を見ている。
説明は、こうです。
静御前の伝説は、どこにでもある。
何があって、静御前の墓としたのか、それが知りたい所です。
図書館に行かないと、分からないかと思っていたら、載ってるサイトが一つだけあった。(私のお気に入り、というサイト)
まとめると。
① 静御前の墓について、奥阿武郡宰判風土注進案という資料に載っている。
※ これは、天保14年(1843年) (12代将軍・徳川家慶の時代)に書かれている。
土地(田畑・溜池・水路など)の調査を行った村史編纂資料として貴重な文献。
山口県文書館に保管されている。
その中に、そうけ(笊笥)庵の名前がでてくる。
※ 静御前の名前が出てくるのかは、分からない。 出てこないよう。
② 片山集落には、昔ここに、そうけ(笊笥)庵があって、静御前が住んでいた。
そして、宝篋印塔が墓であると、いい伝えられてきた。
何が分かったかと言うと。
①では、そうけ(笊笥)庵が、昔からあったということ。
②では、伝説があること。
合わせたら、伝説の中の建物は、昔、実際にあった。
であれば、その建物にまつわる、静御前の話も、きっとあった。
そういう流れだった。
静御前の晩年は、ほとんど分からない。
言えるのは、ここの可能性が、ゼロではないということでしょうか。
この地に可能性があると考えるのは、まだ、ここの人達だけ。
小野小町が、秋田県の雄勝である可能性に比べたら、ずっと低い可能性。
昔の人は、住む土地に、素敵な伝説が欲しかった。
そんなとこでしょうか。
十分ではありませんが、ここまでです。
※ 追記 静御前の表情は、どれがいいのか、むずかしい。
ネットに、こんなのがあったので、お借りして、載せます。
いいのはない。 (1)に少し表情がある。 それだけ。


【道の駅】 願成就温泉
【明日の予定】 山口に向かうか。 決断力と時間がないので、迷う。
【今日の歌】 悲恋の歌にします。 静御前は、北海道に渡ったかもしれない。 だから、この歌。
立待岬(YouTube) 関連ブログは、ここに。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で7位です。
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伝説によるものだが、ほんの少しでも、可能性があるのか。
それが知りたい。
平栃の滝には、滝が5つあった。
このように、滝をいくつかまとめて、名前を付けるときがある。
※ 津軽の暗門の滝が、そうだった。
道の駅は、今日もお祭り。 神楽を踊っていた。

石見神楽とあった。 軽快に踊るのが特徴のよう。 石見神楽(Wikipedia)

大きくはないが、滝があるので見ることに。 どこも人でいっぱいなので、山に入った。

滝も楽しみだが、歩くだけでもいい。 メインの、大魚切りの滝をめざした。 ※おおうおぎり、と読む。
後で気づいたが、この写真に、ヘビの尻尾が写っていた。 歩きだして直ぐ。 ○の中。

拡大したら、こう。 立てに見える。

3歩あるいて発見。 びっくりして、1歩後退。 シマヘビ。 おとなしい。

200㍍ほどで着いた。 高さ、22㍍。 シャッターを、0.6秒開けて撮った。

滝の美しさは、周りの風景とのセットで決まる。 そう思う。

滝の下の空気は違う。 マイナスイオン。

ある家族が来ていた。 滝を見ると言うより、何かを探しているのかな。

次の滝に向かったら、トカゲがいた。 頭の左を怪我していた。
トカゲは、怪我を災難と考えているかもしれない。
でも、助かって良かったと前向きに考え、今を生きていたら、試練だったことになる。

こんな道を。 左手に滝がある。

水飲み滝。 支流にある、小さな滝。

今日は、あるものを準備していた。 熊の撃退スプレー。 昨日、熊の看板を見ていたので。
次の滝が見えた。

私には見たい滝があるが、まだ見ていない。
それは、裏見の滝。 恨みの滝ではない。 滝を、滝の内側から見るやつ。 どこにあるんだろう。
いろは滝。 折れ曲がっている。

滝を見る前に、看板が目に入った。
着いたそうそう、帰れと言うのか、と言いたくなる。
でも、それは細かいこと。
こういうのって、いいですね。 字だ上手かどうかなんて、どうでもいくなる。
どんな人達が、この滝の世話をしているのでしょう。
柿木村の人達の、こころに、出会った。
これが、源兵衛滝。
昔、平家に坂田源兵衛という人がいた。 戦いに負けて、母親と一緒に、この滝のさらに上に逃げてきた。
こんな話が、この地域に伝わっている。

大魚切りの滝の上から撮影。 先ほど会った、家族が見える。
少し前まで、滝の下で、お弁当を食べていた。
この家族の親は、子供たちを観光地やお祭りではなく、自然豊かな、ここに連れてきた。

苔が光っていたので。

駐車場に戻って、先ほどの家族と少しお話し。
静御前の墓に向かった。
※ 道の駅「願成就温泉」の近く。
この道の駅は、柿木村の南の近くと思っていたら、違った。
津和野に近い、山口県だった。 戻った。
山に突き当たって、左に少し行く。

静御前は、こんな人ですね。
途中の「ちがいない」は、いらないですね。 閉じたで、切る。
最後も、こういうことを書きたかったら、「言える」で終わればいい。
自分の想いを強く出すと、説明板は、おかしくなる。

少し行った右側に。 ちょっと見える。

ここ。 林の中に石垣があり、昔建物があったことが分かる。 ここです。

右が静御前。 真ん中は子供。 左は、母親(磯禅師)。
どれも、宝篋印塔。 ※ 石塔の一種で、中に何かを入れることが出来る。

この地に、昔、小さなお寺があったという。 ※ 庵寺(あんじ) 笊笥庵(そうけあん、と読み、竹で作ったのかな)
信ぴょう性については、後で。
リンゴの花。 間違いないと思う。

つぼみに囲まれて、花が少し。 これからという感じがする。

風景を切りながら、通り過ぎた。 むこうは、山口。

道の駅 願成就温泉。 場所は、ここ。

こんなのが。 顔に表情がない。

静御前の像があった。

こんな表情です。 どうでしょう。 静御前の心の中が、表現できているかどうかですね。
遠く、平泉を見ている。

説明は、こうです。

静御前の伝説は、どこにでもある。
何があって、静御前の墓としたのか、それが知りたい所です。
図書館に行かないと、分からないかと思っていたら、載ってるサイトが一つだけあった。(私のお気に入り、というサイト)
まとめると。
① 静御前の墓について、奥阿武郡宰判風土注進案という資料に載っている。
※ これは、天保14年(1843年) (12代将軍・徳川家慶の時代)に書かれている。
土地(田畑・溜池・水路など)の調査を行った村史編纂資料として貴重な文献。
山口県文書館に保管されている。
その中に、そうけ(笊笥)庵の名前がでてくる。
※ 静御前の名前が出てくるのかは、分からない。 出てこないよう。
② 片山集落には、昔ここに、そうけ(笊笥)庵があって、静御前が住んでいた。
そして、宝篋印塔が墓であると、いい伝えられてきた。
何が分かったかと言うと。
①では、そうけ(笊笥)庵が、昔からあったということ。
②では、伝説があること。
合わせたら、伝説の中の建物は、昔、実際にあった。
であれば、その建物にまつわる、静御前の話も、きっとあった。
そういう流れだった。
静御前の晩年は、ほとんど分からない。
言えるのは、ここの可能性が、ゼロではないということでしょうか。
この地に可能性があると考えるのは、まだ、ここの人達だけ。
小野小町が、秋田県の雄勝である可能性に比べたら、ずっと低い可能性。
昔の人は、住む土地に、素敵な伝説が欲しかった。
そんなとこでしょうか。
十分ではありませんが、ここまでです。
※ 追記 静御前の表情は、どれがいいのか、むずかしい。
ネットに、こんなのがあったので、お借りして、載せます。
いいのはない。 (1)に少し表情がある。 それだけ。





【道の駅】 願成就温泉
【明日の予定】 山口に向かうか。 決断力と時間がないので、迷う。
【今日の歌】 悲恋の歌にします。 静御前は、北海道に渡ったかもしれない。 だから、この歌。
立待岬(YouTube) 関連ブログは、ここに。
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萩のまちは、二つの顔を持っていた。
一つは、昔の家並みが広く残っていること。
もう一つは、江戸時代の終わり、このまちの松下村塾が、日本を動かしていたこと。
また、萩市は、この街を訪れる人に、とても優しいまちだった。
駐車場は、市が管理しており、1回300円。 何カ所かある。 これがいい。
※ 昨日、仙崎で、海岸を見る時、駐車料金400円を取られた。 個人の駐車場。 驚いた。
九州では、ほんわりした気持ちで過ごしていた。
これからは、したたかにならなければと、反省していた。
古い町並みの入り口は、ここ。 道は、四方に。
※ 地図は、ここに。 萩城跡にかけて全体が、昔の町並み。 右の方に、松陰神社が見える。
高杉晋作誕生地とあった。
この人のことは、Wikipediaでは、こう書いている。
幕末の長州藩の尊王倒幕志士として活躍。 奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕に方向付けた。
倒幕(大政奉還)は、1867年11月。
でも、その前の5月に、27歳で亡くなった。 結核。
いい雰囲気の所を、さがしながら歩いている。
石垣、白壁、垣根、通りは色んな顔を見せた。
この辺は、武家屋敷かなって感じる。 城跡に向かっている。
今日は、天気がいい。
この川を過ぎたら、城跡に入って行く。 城は、海と川に、囲まれていた。
茶室があった。 大きな茶会があるのか、この辺り一帯で、準備していた。
こういう所や、ツツジが咲いてる池もあった。 指月公園。(萩城は指月城とも呼ばれたので)
神社も。
城跡。 明治に入っての廃城令により、破壊された。
萩市は、天守閣を復元したい。 でも、すごい予算がいるそうだ。
別の道を歩いて戻っている。
長屋門が、左に見えた。
長屋門の中を初めて見た。
旧安田家の物見矢倉。 萩藩の家老。 禁門の変の責任をとって、切腹させられたとあった。
※ 禁門の変は、蛤御門(はまぐりごもん)の変とも呼ばれる。
倒幕の3年前の1864年、京都の御所の辺りで、長州藩士の一部が戦っている。 負けた。
蛤御門は、京都御所にある門。 去年の秋、御所の中を歩いた。
道が、真っ直ぐでない。
昔の町並みの中心辺りに、戻ってきた。 右に夏ミカンが。 このように、どこにでもなってた。
梅でいいのかな。 こんなに大きい。
木戸孝允旧宅に入った。 こういう人。
桂小五郎(かつら こごろう)として知られていた、尊王攘夷派の中心人物。
薩摩の西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」として並び称せられる。(Wikipedia)
妻の錦絵とあった。 ※ 複写
部屋の中。 この人の生きた時代は、仲間であっても、権力闘争がはげしかったから、大変だったようだ。
明治に入って、庶民の暮らしは、どのくらい変わったのでしょうね。
農民は、小作というのがあったから、直ぐには楽にならなかった。
良くなるのは、農地解放の後なのか。
神社と寺が、一緒にあった。 伊藤博文と高杉晋作が、子供の頃ここで学んだと。
格子戸も、いいものです。
車で移動した。 松下村塾に向かった。
駐車場は混んでて、入れなかった。 ヤマダ電機の駐車場から、10分ほど歩いた。
ここが、松下村塾。
この部屋で学んだ。
これだけの人が、学んでいた。 そうそうたるメンバーですね。
松陰神社。 連休中、みなさん事故がないようにと、目の前のことをお願いした。
松陰の旧居。 この建物の一部屋に、幽閉されたこともある。
吉田松陰。
この人は、一般的に、明治維新の精神的指導者・理論者とされている。
萩は萩。 小京都と言わなくても、十分な存在感。
駐車場やお店の人達も、感じがよかった。
萩のまちは、観光客をどのように迎えるかの、基本的な考え方が、整理されてるように感じた。
一度訪れても、そんはないですね。
よかったです。
【道の駅】 津和野温泉なごみの里 ここです。
【明日の予定】 津和野です。
【今日の歌】 案山子(YouTube) この歌の舞台は、津和野です。
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一つは、昔の家並みが広く残っていること。
もう一つは、江戸時代の終わり、このまちの松下村塾が、日本を動かしていたこと。
また、萩市は、この街を訪れる人に、とても優しいまちだった。
駐車場は、市が管理しており、1回300円。 何カ所かある。 これがいい。
※ 昨日、仙崎で、海岸を見る時、駐車料金400円を取られた。 個人の駐車場。 驚いた。
九州では、ほんわりした気持ちで過ごしていた。
これからは、したたかにならなければと、反省していた。
古い町並みの入り口は、ここ。 道は、四方に。
※ 地図は、ここに。 萩城跡にかけて全体が、昔の町並み。 右の方に、松陰神社が見える。

高杉晋作誕生地とあった。
この人のことは、Wikipediaでは、こう書いている。
幕末の長州藩の尊王倒幕志士として活躍。 奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕に方向付けた。
倒幕(大政奉還)は、1867年11月。
でも、その前の5月に、27歳で亡くなった。 結核。

いい雰囲気の所を、さがしながら歩いている。

石垣、白壁、垣根、通りは色んな顔を見せた。

この辺は、武家屋敷かなって感じる。 城跡に向かっている。

今日は、天気がいい。

この川を過ぎたら、城跡に入って行く。 城は、海と川に、囲まれていた。

茶室があった。 大きな茶会があるのか、この辺り一帯で、準備していた。

こういう所や、ツツジが咲いてる池もあった。 指月公園。(萩城は指月城とも呼ばれたので)

神社も。

城跡。 明治に入っての廃城令により、破壊された。
萩市は、天守閣を復元したい。 でも、すごい予算がいるそうだ。

別の道を歩いて戻っている。

長屋門が、左に見えた。

長屋門の中を初めて見た。

旧安田家の物見矢倉。 萩藩の家老。 禁門の変の責任をとって、切腹させられたとあった。
※ 禁門の変は、蛤御門(はまぐりごもん)の変とも呼ばれる。
倒幕の3年前の1864年、京都の御所の辺りで、長州藩士の一部が戦っている。 負けた。
蛤御門は、京都御所にある門。 去年の秋、御所の中を歩いた。

道が、真っ直ぐでない。

昔の町並みの中心辺りに、戻ってきた。 右に夏ミカンが。 このように、どこにでもなってた。

梅でいいのかな。 こんなに大きい。

木戸孝允旧宅に入った。 こういう人。
桂小五郎(かつら こごろう)として知られていた、尊王攘夷派の中心人物。
薩摩の西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」として並び称せられる。(Wikipedia)

妻の錦絵とあった。 ※ 複写

部屋の中。 この人の生きた時代は、仲間であっても、権力闘争がはげしかったから、大変だったようだ。

明治に入って、庶民の暮らしは、どのくらい変わったのでしょうね。
農民は、小作というのがあったから、直ぐには楽にならなかった。
良くなるのは、農地解放の後なのか。
神社と寺が、一緒にあった。 伊藤博文と高杉晋作が、子供の頃ここで学んだと。

格子戸も、いいものです。

車で移動した。 松下村塾に向かった。
駐車場は混んでて、入れなかった。 ヤマダ電機の駐車場から、10分ほど歩いた。

ここが、松下村塾。

この部屋で学んだ。

これだけの人が、学んでいた。 そうそうたるメンバーですね。

松陰神社。 連休中、みなさん事故がないようにと、目の前のことをお願いした。

松陰の旧居。 この建物の一部屋に、幽閉されたこともある。

吉田松陰。
この人は、一般的に、明治維新の精神的指導者・理論者とされている。

萩は萩。 小京都と言わなくても、十分な存在感。
駐車場やお店の人達も、感じがよかった。
萩のまちは、観光客をどのように迎えるかの、基本的な考え方が、整理されてるように感じた。
一度訪れても、そんはないですね。
よかったです。
【道の駅】 津和野温泉なごみの里 ここです。
【明日の予定】 津和野です。
【今日の歌】 案山子(YouTube) この歌の舞台は、津和野です。
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