下関に、夕方渡りました。 お世話になった九州を出ました。
今は、道の駅きくがわ、にいます。 ここです。
途中で、床屋に寄った。 新聞を見た。 毎日新聞にいい記事があった。
鶴姫が言ったことと、まったく同じことを、広島市長が言っていた。
新聞を買った。
最後に、門司港に寄ることに。 レトロ建築があるという。
こんな建物だった。 旧門司税関。
こんなのも。 国際友好記念図書館。
ここは、北九州市の門司区。 昔は、門司市。 九州の最北部。
昔は、九州の玄関口だった。 ※ 今は、関門橋や関門トンネルが出来て、人や物は素通り。
また、九州の大陸貿易の拠点でもあった。
この建物は、友好都市である大連市にある建物を復元。
2階の様子。
高速を使うと、橋を渡る。
この建物は、最上階が、門司港レトロ展望室になっている。
レトロについてだけど、意味はこうですね。(WikiPediaより)
レトロ(Retro)とはretrospective(回顧)の略語。懐古趣味のこと。
ということは、レトロは、もてはやされたり、飽きられることもあるのか。
高田市に昭和の町があったが、あれもレトロですね。
展望室から。 門司駅が、真ん中辺りに見える。
海は、関門海峡。 左に下関が。
円い建物は、関門海峡ミュージアム。 昔の町の復元などがあある。
拡大。 私の車も見える。 右下に。
市街地。
旧門司三井クラブ。 アインシュタインが、ここに宿泊したという。
上にもあった、旧門司税関。 この建物の案内所で、なぜ、このような建物が残ったかは聞いていた。
それは、煉瓦造りだったため、建物が持ちこたえた。
また、戦争での空襲が少なかった。
他の理由は、門司港付近は、経済発展から取り残されたため、この地区に、大きなビルが建たなかった。 そう思う。
関門橋。 黄色の○が、壇ノ浦。 一番見たかったのは、これ。
写真の、向こうの海岸辺りが、壇ノ浦。
壇ノ浦は陸地だが、その辺りの海で戦ったので、壇ノ浦の戦いというようだ。
この戦いで、義経は活躍する。
また、安徳天皇は海に沈む。
その母であり、清盛の娘である建礼門院は、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔う。 ※ 関連ブログ 大原寂光院
散歩道。 少し、レトロっぽいか。
焼きカレーの看板が目に付いた。
時々、このようにいい風景が現れる。
門司港駅。 重要文化財。 1914年に建てられてる。 ※ 第一次世界大戦が始まった年。
商店街の雰囲気を見に行ったが、退屈なので、小さな小路に入った。 不動坂。
左に、小さな酒店。 中をのぞくと、4~5人の人が立って酒を飲んでいた。
小さなカウンターもあった。
昔は、酒屋でこうやって飲む姿が見られたが、今は少ない。
道で会った人に聞いたんだが、食べ物は自分で持ち込むそう。 テレビ局の取材もあったとか。
※ もし、港に車を置くことが出来たら、私もここで飲んだ。
少し登るとこう。 風情がある。 右に、不動像があった。 ずっと向こうに、猫。
右に小さな旅館があり、話した人は、そこの女将さん。
こんなお不動さん。
「おまえの居場所は、そこかい」と話しかけたら、「 ウンニャ~」と言った。
さらに行くと、こんな家が。 細い道を通って戻った。 迷路だから、道を教えてもらいながら。
三井クラブが、夕陽に輝いていた。
関門トンネルを抜けて、次の道の駅に向かった。
上に書いた新聞が、これ。
同じ内容の手紙を、他の新聞社にも送ったと思われる。
どちらも中身がいい。 思いつきで書いた文ではなく、練りに練った文に感じる。
こういう文があった。 広島市長の文に。
「憎しみと暴力の連鎖を断ち~~~」というのが。
鶴姫の言葉と、同じだった。
※ 核兵器を中心とした、大きな武器を持つことが、戦争の抑止力になるという考えがある。
持たないで、やられてしまったら、どうするのよ。責任とってくれるのかってね。
でも、この考えで一番喜ぶのは誰か。 それは、死の商人と言われる、武器製造にかかわる人間。
このような考えの発信源は、そこか、それに近い人間。
また、独裁者も、武器を持ちたがる。
大変でも、理想に近づこうとする考えが、いいと思います。
優れた内容と思うので、全文載せますね。 ※ 関連ブログ 鶴姫伝説 ~瀬戸内のジャンヌダルク~
【道の駅】 きくがわ
【明日の予定】 この近くのどこか。 日本海側に、ちょっとだけとも。
【今日の歌】 鶴姫伝説の中に、動画があります。 その中の歌がいい。
いつか 平和になり 剣の錆びる日がきたら
太鼓をうちならして 祝おう
いつか 平和になり、弓矢を折る日がきたら
鎧に白い花を 飾ろう
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で6位です。
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今は、道の駅きくがわ、にいます。 ここです。
途中で、床屋に寄った。 新聞を見た。 毎日新聞にいい記事があった。
鶴姫が言ったことと、まったく同じことを、広島市長が言っていた。
新聞を買った。
最後に、門司港に寄ることに。 レトロ建築があるという。
こんな建物だった。 旧門司税関。

こんなのも。 国際友好記念図書館。
ここは、北九州市の門司区。 昔は、門司市。 九州の最北部。
昔は、九州の玄関口だった。 ※ 今は、関門橋や関門トンネルが出来て、人や物は素通り。
また、九州の大陸貿易の拠点でもあった。
この建物は、友好都市である大連市にある建物を復元。

2階の様子。

高速を使うと、橋を渡る。

この建物は、最上階が、門司港レトロ展望室になっている。

レトロについてだけど、意味はこうですね。(WikiPediaより)
レトロ(Retro)とはretrospective(回顧)の略語。懐古趣味のこと。
ということは、レトロは、もてはやされたり、飽きられることもあるのか。
高田市に昭和の町があったが、あれもレトロですね。
展望室から。 門司駅が、真ん中辺りに見える。

海は、関門海峡。 左に下関が。
円い建物は、関門海峡ミュージアム。 昔の町の復元などがあある。

拡大。 私の車も見える。 右下に。

市街地。

旧門司三井クラブ。 アインシュタインが、ここに宿泊したという。

上にもあった、旧門司税関。 この建物の案内所で、なぜ、このような建物が残ったかは聞いていた。
それは、煉瓦造りだったため、建物が持ちこたえた。
また、戦争での空襲が少なかった。
他の理由は、門司港付近は、経済発展から取り残されたため、この地区に、大きなビルが建たなかった。 そう思う。

関門橋。 黄色の○が、壇ノ浦。 一番見たかったのは、これ。

写真の、向こうの海岸辺りが、壇ノ浦。
壇ノ浦は陸地だが、その辺りの海で戦ったので、壇ノ浦の戦いというようだ。

この戦いで、義経は活躍する。
また、安徳天皇は海に沈む。
その母であり、清盛の娘である建礼門院は、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔う。 ※ 関連ブログ 大原寂光院
散歩道。 少し、レトロっぽいか。


焼きカレーの看板が目に付いた。

時々、このようにいい風景が現れる。

門司港駅。 重要文化財。 1914年に建てられてる。 ※ 第一次世界大戦が始まった年。


商店街の雰囲気を見に行ったが、退屈なので、小さな小路に入った。 不動坂。
左に、小さな酒店。 中をのぞくと、4~5人の人が立って酒を飲んでいた。
小さなカウンターもあった。
昔は、酒屋でこうやって飲む姿が見られたが、今は少ない。
道で会った人に聞いたんだが、食べ物は自分で持ち込むそう。 テレビ局の取材もあったとか。
※ もし、港に車を置くことが出来たら、私もここで飲んだ。

少し登るとこう。 風情がある。 右に、不動像があった。 ずっと向こうに、猫。
右に小さな旅館があり、話した人は、そこの女将さん。

こんなお不動さん。

「おまえの居場所は、そこかい」と話しかけたら、「 ウンニャ~」と言った。

さらに行くと、こんな家が。 細い道を通って戻った。 迷路だから、道を教えてもらいながら。

三井クラブが、夕陽に輝いていた。

関門トンネルを抜けて、次の道の駅に向かった。
上に書いた新聞が、これ。

同じ内容の手紙を、他の新聞社にも送ったと思われる。
どちらも中身がいい。 思いつきで書いた文ではなく、練りに練った文に感じる。
こういう文があった。 広島市長の文に。
「憎しみと暴力の連鎖を断ち~~~」というのが。
鶴姫の言葉と、同じだった。
※ 核兵器を中心とした、大きな武器を持つことが、戦争の抑止力になるという考えがある。
持たないで、やられてしまったら、どうするのよ。責任とってくれるのかってね。
でも、この考えで一番喜ぶのは誰か。 それは、死の商人と言われる、武器製造にかかわる人間。
このような考えの発信源は、そこか、それに近い人間。
また、独裁者も、武器を持ちたがる。
大変でも、理想に近づこうとする考えが、いいと思います。
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今日は、動けなかった。
昨日のブログを書き終わった時は、午後2時を過ぎていた。
夜中、焼酎を飲みすぎたため、夕方まで、食事はできなかった。
そんなことで、今日は、123日間の九州を、振り返ってみます。
それで、勘弁してください。
写真は、32枚です。
九州の指宿が暖かいという。 駐車場も、温泉もある。
情報がそうなので、指宿で年を越すことにした。
12月24日に、四国から、大分市に近い佐賀関に、船で渡った。
臼杵に向かった。 国宝の石仏があった。
この後、たくさん見るが、その始まりだった。
12月25日。 クルスの海。 ekさんが情報をくれたのかな。 この日は、雨。
12月26日。 日南海岸。 道の駅フェニックス。 ブーゲンビリアを見た。 好きになった。
12月27日。 霧島酒造を見た。 黒霧島を知ってしまった。 昨夜は、これを飲みすぎ。
28日。 指宿の町に入った。
12月29日。 指宿市内。 菜の花が咲いていた。 暖かい時は、セーターで歩けた。
パソコンが調子悪くなり、困った。
12月30日。 長崎鼻。 薩摩半島最南端の岬。 江口章子の香々地にもあった。
12月31日。 一人で、御馳走を食べて年越し。 暖かい料理がないことに、後で気づいた。
1月 1日。 開聞岳、登山。 暗いうちに着いた。 雪が降って寒かった。 忘れられない登山になった。
1月 2日。 フラワーパークで花を見た。 獅子舞も。
3日。 指宿で、ラーメンを食べた。 美味しいが、ぬるいと文句を書いた。
4日。 山川砂むし温泉。
5日。 池田湖で、オオウナギ。
6日。 知覧特攻平和会館。 考え方に、不満を持つ。
7日。 知覧の武家屋敷。
8日。 ホタル館富屋食堂。
9日。 喜入で一休み。 風邪を引いたんだったかな。
10日。 喜入の町を歩く。
11日。 この日も、喜入を歩く。 この日だったか、地域の人が案内してくれた。
12日。 パソコン調子悪い。
13日。 雪で動けない。
14日。 喜入の山の中で、小さな滝と、磨崖仏を見た。
15日。 鹿児島ののぼる屋で、ラーメン。 美味しかった。
1月16日。 霧島神宮。 神宮の近くで焼き芋を売っているHさんと食事。奥様も一緒。 年末にもあった。
1月17日。 霧島の隼人の辺りで、龍馬とおりょうの道を歩く。
18日。 上に同じ。
19日。 上に同じ。
20日。 肥薩線の真幸(まさき)駅に行く。
21日。 肥薩線に乗る。 人吉市まで。
22日。 人吉の近くで、ひなまつり人形展を見る。
23日。 剣豪、丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ)を調べた。 錦町。 人吉の近く。
24日。 球泉洞を見る。
1月25日。 熊本城。 新しい建物も出来て、多くの人がいた。
1月26日。 道の駅不知火で散歩。
27日。 御坂遊歩道という、3333段の石段を上った。 調子に乗って急いだら、足を痛くした。
1月28日。 霊台橋。 美里町。 美しい。
1月29日。 東陽石匠館を見た。 八代市東陽。 昔、石工はこの町に集まっていた。
30日。 白壁の町、松合を歩いた。
31日。 この日、天草に入った。 この日から、長くいることになる。
2月 1日。 天草松島。 向こうから、天草五橋を渡ってくる。
2月 2日。 上島の竜ヶ岳に登った。
3日。 天草最高峰倉岳に登った。 車で。
2月 4日。 天草切支丹館。 鶴田一郎という人が描いた。 天草四郎を追ってみた。
2月 5日。 天草コレジヨ館。
2月 6日。 津天主堂。 美しい町。
2月 7日。 富岡城を見る。 苓北町。
8日。 林芙美子文学碑を見る。 富岡城の近く。 港で、ある夫婦と話す。 楽しかった。
9日。 鬼の城公園。 キリシタン墓碑公園。
2月10日。 ハイヤ大橋。 牛深町にある。
2月11日。 長島町に入る。 この町で、ある人にたくさん世話になる。 タイヤのことなど。
2月12日。 出水平野に1万羽の鶴。
2月13日。 出水麓武家屋敷群を見る。
14日。 出水駅まで歩く。
15日。 薩摩川内で、戦国村を見る。
16日。 薩摩川内の山の中に。 滝を見る。 散歩。
17日。 山の中を、峠越えをする。 八重山。
18日。 藺牟田池を1周する。 ベッコウトンボのいる池
19日。 音楽仕込の薩摩焼酎を見る。 山の中を散歩。 お爺ちゃんと話す。
20日。 冠岳歴史自然の里。
2月21日。 冠岳とかに登った時、ある寺にあった。 人の顔。
2月22日。 吹上浜。 万世特攻平和祈念館。
23日。 枕崎でカツオを食べる。 セリの見学。
24日。 金峰山からの風景。 キム・ヨナ、ショートプログラム成功。
25日。 薩摩金山蔵見学。
2月26日。 キム・ヨナ、バンクーバーオリンピックで優勝。 薩摩川内でテレビを見る。 あの日から、ずっと機嫌がいい。
2月27日。 藤川天神臥竜梅を見る。
2月28日。 真幸に泊まる。 駅で仕事。 お酒も。 人吉梅まつり。
3月 1日。 人吉クラフトパーク。
2日。 五木村の山で、福寿草を見た。
3日。 白滝公園と、大滝。
3月 4日。 孔雀。 熊本市動植物園。
3月 5日。 山鹿灯籠民芸館など。
6日。 立花町兼松で、五木寛之の青春の俤を追う。
7日。 宙太さんに、水郷柳川を案内してもらう。
8日。 肥前浜宿を歩く。 伝建地区。
3月 9日。 祐徳稲荷神社。 建物に圧倒された。
3月10日。 諫早市の街を歩く。 長崎市に入る。
11日。 グラバー邸などを見る。 茂木の港に停泊。
3月12日。 長崎原爆資料館を見る。 平和公園に行く。
3月13日。 ペンギン水族館。
14日。 福江島に行く。
15日。 長崎亜熱帯植物園。
16日。 井戸に住みつくオオサンショウウオ。
3月17日。 軍艦島に上陸。
3月18日。 高島を歩く。 ある人のお母さんの故郷。
19日。 神代小路の町並み。
20日。 玉名市で、五重塔を見る。
21日。 菊池市に入る。 しうさん親子にお世話になる。
3月22日。 しうさんのお父さんの山小屋。 ※ 少し前に完成した。
3月23日。 阿蘇神社火振り神事。 しうさんも、オリャ~とか言いながら、振り回した。
3月24日。 一心行の大桜。
25日。 竹田市を散歩。 荒城の月。 城跡。
26日。 原尻の滝。
27日。 稲積水中鍾乳洞。
28日。 左右知のイチイガシ。
29日。 長湯温泉。
30日。 長湯温泉。
31日。 長湯温泉。 放浪の旅は、この日で1年。
4月 1日。 黒川温泉。 ここはいい。
4月 2日。 九重夢大吊り橋。
3日。 石畳の湯平温泉。
4月 4日。 御嶽流神楽大会。 近くに住む、Tさんにお世話になった。 お米を頂いた。 他も。
4月 5日。 今市宿場町の石畳。 山を登る人と、知り合った。
6日。 由布院温泉を歩く。
4月 7日。 由布院岳登山。 頂上少し前で、引き返す。 樹氷を見た。
4月 8日。 別府温泉で地獄めぐり。
4月 9日。 坂道の城下町杵築を歩く。 いい所でした。
4月10日。 黒津崎を歩く。
4月11日。 両子寺の仁王。
4月12日。 仙燈寺跡の、五輪塔群。
13日。 仙燈寺跡の、仁王像。
4月14日。 姫島に黒曜石の断崖があった。
4月15日。 香々地で江口章子を追う。
4月16日。 霊場中山仙境を歩く。 命がけ。
4月17日。 荘園の里、田染荘。 あるお家で、夕食を御馳走になる。
18日。 豊後高田昭和の町。
19日。 宇佐神宮。
20日。 秋月を歩く。
21日。 カルスト高原平尾台。
22日。 香春町を歩く。 山頭火。
23日。 香春町。 高座右寺。
24日。 香春町。 万葉の里、歌碑巡り。
4月25日。 糸田町を歩く。 山頭火と緑平と陽水。
4月26日。 九州最後の日。 一休み。
九州はいい。 人に会っても疲れない。 人情味があるというか、ほっとする。
多くの人に出会って、助けられて、楽しく旅が出来た。
いつの間にか、4月が終わりそう。
私の放浪の旅は全国なので、九州を出ることにした。
12月に、また戻ってきます。
多くの方に、ありがとう、です。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 門司港によって、本州に。
【今日の歌】 ショスタコービッチのセカンドワルツ(YouTube)
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昨日のブログを書き終わった時は、午後2時を過ぎていた。
夜中、焼酎を飲みすぎたため、夕方まで、食事はできなかった。
そんなことで、今日は、123日間の九州を、振り返ってみます。
それで、勘弁してください。
写真は、32枚です。
九州の指宿が暖かいという。 駐車場も、温泉もある。
情報がそうなので、指宿で年を越すことにした。
12月24日に、四国から、大分市に近い佐賀関に、船で渡った。
臼杵に向かった。 国宝の石仏があった。
この後、たくさん見るが、その始まりだった。

12月25日。 クルスの海。 ekさんが情報をくれたのかな。 この日は、雨。

12月26日。 日南海岸。 道の駅フェニックス。 ブーゲンビリアを見た。 好きになった。

12月27日。 霧島酒造を見た。 黒霧島を知ってしまった。 昨夜は、これを飲みすぎ。
28日。 指宿の町に入った。
12月29日。 指宿市内。 菜の花が咲いていた。 暖かい時は、セーターで歩けた。
パソコンが調子悪くなり、困った。

12月30日。 長崎鼻。 薩摩半島最南端の岬。 江口章子の香々地にもあった。

12月31日。 一人で、御馳走を食べて年越し。 暖かい料理がないことに、後で気づいた。
1月 1日。 開聞岳、登山。 暗いうちに着いた。 雪が降って寒かった。 忘れられない登山になった。

1月 2日。 フラワーパークで花を見た。 獅子舞も。
3日。 指宿で、ラーメンを食べた。 美味しいが、ぬるいと文句を書いた。
4日。 山川砂むし温泉。
5日。 池田湖で、オオウナギ。
6日。 知覧特攻平和会館。 考え方に、不満を持つ。
7日。 知覧の武家屋敷。
8日。 ホタル館富屋食堂。
9日。 喜入で一休み。 風邪を引いたんだったかな。
10日。 喜入の町を歩く。
11日。 この日も、喜入を歩く。 この日だったか、地域の人が案内してくれた。
12日。 パソコン調子悪い。
13日。 雪で動けない。
14日。 喜入の山の中で、小さな滝と、磨崖仏を見た。
15日。 鹿児島ののぼる屋で、ラーメン。 美味しかった。
1月16日。 霧島神宮。 神宮の近くで焼き芋を売っているHさんと食事。奥様も一緒。 年末にもあった。

1月17日。 霧島の隼人の辺りで、龍馬とおりょうの道を歩く。
18日。 上に同じ。
19日。 上に同じ。
20日。 肥薩線の真幸(まさき)駅に行く。
21日。 肥薩線に乗る。 人吉市まで。
22日。 人吉の近くで、ひなまつり人形展を見る。
23日。 剣豪、丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ)を調べた。 錦町。 人吉の近く。
24日。 球泉洞を見る。
1月25日。 熊本城。 新しい建物も出来て、多くの人がいた。

1月26日。 道の駅不知火で散歩。
27日。 御坂遊歩道という、3333段の石段を上った。 調子に乗って急いだら、足を痛くした。
1月28日。 霊台橋。 美里町。 美しい。

1月29日。 東陽石匠館を見た。 八代市東陽。 昔、石工はこの町に集まっていた。
30日。 白壁の町、松合を歩いた。
31日。 この日、天草に入った。 この日から、長くいることになる。
2月 1日。 天草松島。 向こうから、天草五橋を渡ってくる。

2月 2日。 上島の竜ヶ岳に登った。
3日。 天草最高峰倉岳に登った。 車で。
2月 4日。 天草切支丹館。 鶴田一郎という人が描いた。 天草四郎を追ってみた。

2月 5日。 天草コレジヨ館。
2月 6日。 津天主堂。 美しい町。

2月 7日。 富岡城を見る。 苓北町。
8日。 林芙美子文学碑を見る。 富岡城の近く。 港で、ある夫婦と話す。 楽しかった。
9日。 鬼の城公園。 キリシタン墓碑公園。
2月10日。 ハイヤ大橋。 牛深町にある。

2月11日。 長島町に入る。 この町で、ある人にたくさん世話になる。 タイヤのことなど。
2月12日。 出水平野に1万羽の鶴。

2月13日。 出水麓武家屋敷群を見る。
14日。 出水駅まで歩く。
15日。 薩摩川内で、戦国村を見る。
16日。 薩摩川内の山の中に。 滝を見る。 散歩。
17日。 山の中を、峠越えをする。 八重山。
18日。 藺牟田池を1周する。 ベッコウトンボのいる池
19日。 音楽仕込の薩摩焼酎を見る。 山の中を散歩。 お爺ちゃんと話す。
20日。 冠岳歴史自然の里。
2月21日。 冠岳とかに登った時、ある寺にあった。 人の顔。

2月22日。 吹上浜。 万世特攻平和祈念館。
23日。 枕崎でカツオを食べる。 セリの見学。
24日。 金峰山からの風景。 キム・ヨナ、ショートプログラム成功。
25日。 薩摩金山蔵見学。
2月26日。 キム・ヨナ、バンクーバーオリンピックで優勝。 薩摩川内でテレビを見る。 あの日から、ずっと機嫌がいい。

2月27日。 藤川天神臥竜梅を見る。
2月28日。 真幸に泊まる。 駅で仕事。 お酒も。 人吉梅まつり。

3月 1日。 人吉クラフトパーク。
2日。 五木村の山で、福寿草を見た。
3日。 白滝公園と、大滝。
3月 4日。 孔雀。 熊本市動植物園。

3月 5日。 山鹿灯籠民芸館など。
6日。 立花町兼松で、五木寛之の青春の俤を追う。
7日。 宙太さんに、水郷柳川を案内してもらう。
8日。 肥前浜宿を歩く。 伝建地区。
3月 9日。 祐徳稲荷神社。 建物に圧倒された。

3月10日。 諫早市の街を歩く。 長崎市に入る。
11日。 グラバー邸などを見る。 茂木の港に停泊。
3月12日。 長崎原爆資料館を見る。 平和公園に行く。

3月13日。 ペンギン水族館。
14日。 福江島に行く。
15日。 長崎亜熱帯植物園。
16日。 井戸に住みつくオオサンショウウオ。
3月17日。 軍艦島に上陸。

3月18日。 高島を歩く。 ある人のお母さんの故郷。
19日。 神代小路の町並み。
20日。 玉名市で、五重塔を見る。
21日。 菊池市に入る。 しうさん親子にお世話になる。
3月22日。 しうさんのお父さんの山小屋。 ※ 少し前に完成した。

3月23日。 阿蘇神社火振り神事。 しうさんも、オリャ~とか言いながら、振り回した。

3月24日。 一心行の大桜。
25日。 竹田市を散歩。 荒城の月。 城跡。
26日。 原尻の滝。
27日。 稲積水中鍾乳洞。
28日。 左右知のイチイガシ。
29日。 長湯温泉。
30日。 長湯温泉。
31日。 長湯温泉。 放浪の旅は、この日で1年。
4月 1日。 黒川温泉。 ここはいい。

4月 2日。 九重夢大吊り橋。
3日。 石畳の湯平温泉。
4月 4日。 御嶽流神楽大会。 近くに住む、Tさんにお世話になった。 お米を頂いた。 他も。

4月 5日。 今市宿場町の石畳。 山を登る人と、知り合った。
6日。 由布院温泉を歩く。
4月 7日。 由布院岳登山。 頂上少し前で、引き返す。 樹氷を見た。

4月 8日。 別府温泉で地獄めぐり。
4月 9日。 坂道の城下町杵築を歩く。 いい所でした。

4月10日。 黒津崎を歩く。
4月11日。 両子寺の仁王。

4月12日。 仙燈寺跡の、五輪塔群。
13日。 仙燈寺跡の、仁王像。
4月14日。 姫島に黒曜石の断崖があった。

4月15日。 香々地で江口章子を追う。

4月16日。 霊場中山仙境を歩く。 命がけ。

4月17日。 荘園の里、田染荘。 あるお家で、夕食を御馳走になる。
18日。 豊後高田昭和の町。
19日。 宇佐神宮。
20日。 秋月を歩く。
21日。 カルスト高原平尾台。
22日。 香春町を歩く。 山頭火。
23日。 香春町。 高座右寺。
24日。 香春町。 万葉の里、歌碑巡り。
4月25日。 糸田町を歩く。 山頭火と緑平と陽水。

4月26日。 九州最後の日。 一休み。
九州はいい。 人に会っても疲れない。 人情味があるというか、ほっとする。
多くの人に出会って、助けられて、楽しく旅が出来た。
いつの間にか、4月が終わりそう。
私の放浪の旅は全国なので、九州を出ることにした。
12月に、また戻ってきます。
多くの方に、ありがとう、です。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 門司港によって、本州に。
【今日の歌】 ショスタコービッチのセカンドワルツ(YouTube)
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もし木村緑平さんがいなかったら、山頭火はどうなっていたんだろう。
今の山頭火は、無かったかも知れない。
そんなことを考えながら、糸田の町を歩いた。
また、井上陽水は、この町で音楽に対する感性を磨いた。
陽水の家は、歯科医だった。
昔、そこで働いていた人に、たまたま出会った。 話を聞くことができた。
※ 写真の掲載は、12時頃には終わる。
最近は、その後、ネットで調べ物をしている。 それが面白い。
早ければ、1時頃まで。 遅ければ、4時頃まで。
昨夜は、陽水の音楽を聞いたり、山頭火について調べた。
2時頃から酒を飲みながら。 3時過ぎに寝た。
いつもは、何時に寝ても7時頃起きるが、今日は気づいたら9時半。
今日は、午後から、門司に向かう。 九州最後かな。 九州に4カ月いた。
私の知らない魅力がありそう。 夜景も綺麗という。 (この部分、削除の予定だったが、そのまま)
糸田町は、田川市の北西にある、小さな町。 香春から、10分ほどで着いた。
車は、皆添橋の近くの空き地に停めた。
ここが、皆添橋。 欄干に、レリーフがあった。 地図。 ※ 皆添橋は、かいぞえばし、と読む。
こんな句が。 この町での代表作でないかな。
この町には、生涯の恩人である、木村緑平がいた。 句で、緑平に逢いたいとは表現できない。
下の地図を歩く。
橋を渡らないで、線路を渡って、貴船神社に向かった。 木村緑平旧居がある。
石垣に、ツツジが。
貴船神社が見えてきた。 神社の向こうは高台で、炭坑の管理職が住んだ職員住宅があった。
緑平は、炭坑の医者だから、ここに住んだ。
神社の右に、坑長坂があった。 坑長は、炭坑長の意味。 上は、管理職の住宅だから。
この道の上に、句碑がある。 後でこの坂を下りてくる。
神社の右を行った。 ゆるい坂。 写真の真ん中辺りに、句碑が見えてきた。
「聴診器 耳からはづし 風の音きいてゐる」 緑平。
反対側に、「逢うて別れて さくらのつぼみ」。 これは、山頭火。
好きなように、読み取ってくださいという感じかな。
今年も逢えたとか、あと何回逢えるだろうとか、いい季節がくるとか。
上の句碑は、旧居の下にあった。 登り口にこんなのが。
これが、木村緑平旧居。 昭和2年から13年まで住んだ。
山頭火の、昭和4、5年の九州の旅も、この期間に入る。
ここから見える、南の風景。 「逢いたいボタ山」と詠んだボタ山があった。
山頭火は、頼れる人もなく、放浪の果てに、ここに来た。
二人の関係や、山頭火の気持ちは、下の文で読み取れる。
※ 皆添橋のたもとにあった。 写真を撮った時、全部は読まなかった。
別の方から。
坑長坂を下りている。 句碑が見えた。
上の文で、枝は緑平の手だって、山頭火自身が言っている。
この坂を下りてきた。 この坂を山頭火が歩いたことは、きっと分かっていますね。
戻って、橋を渡って、小学校に行った。 そばに、句碑があった。
これは、緑平。
最後の所は、ふりしきる、ですね。
緑平さんがいなかったら、山頭火の旅は、どうなったんだろう。
放浪の旅は、無理だったでしょうね。
山頭火の才能も、表に出ないで、埋もれた可能性があった。
考えてみたら、埋もれてしまった人って、いっぱいいるんでしょうね。
私も埋もれてる。 いや、埋もれるものが無いか。 何言ってんだってね。
次は、陽水だ。 そっちに向かった。
いい道だ。
伯林寺境内。 ここにも、句碑があった。 ※ なぜここにあるかは、分からない。
橋にあったのと、同じ句だ。
この空き地に、昔、糸田町の役場があった。
道を少し行った所に、陽水の家はあった。 歯科医院だった。
上の写真の、左手前に、小さな公園があった。 (昔の公民館の跡地)
陽水の歌碑があった。
夏祭りの、自筆の歌碑。 夏まつり(YouTube)
上の歌碑を見ようとした時、二人の女性の方に会った。 私より年上。
一人は、若い時、陽水の家で働いていたという。 昔のことを教えてくれた。
○ 陽水は、「あきみ」と読む。 だから、みんな、あきみちゃんと呼んでいた。
○ 高校卒業まで、ここで暮らす。 高校は田川市で、通う。
○ 高校生になると、ギターを抱えていることがあった。 家には、ピアノが。
○ お父さんは、歌の上手な人だった。
○ 陽水は、子供のころから、優しい子だった。 少し、てれ屋さん。 3人兄弟。 男は、陽水だけ。
○ 去年60歳になった。 12月に福岡でコンサートがあった。 行って来たという。
○ 昭和30年過ぎには、陽水の家にはテレビがあった。
他に家にはないので、いつも誰かが、陽水の家にはいた。 ※ 台所で、食べ物を作る人もいたそう。
陽水の家は、このような雰囲気だった。
○ 陽水の父は、子供会などの世話もし、地域のためにも動いた。 悪く言う人は、いなかった。
○ 糸田町は、夕方5時になったら、スピーカーから、「少年時代」が流れる。 少年時代(YouTube)
他にも、たくさん、話してくれた。
陽水は、温かい家庭・地域に恵まれ、そこで育った。
そのことが、音楽に対する優れた感性を作りだすのに、大きく影響したと思う。
煉瓦(れんが)の家の所に、陽水の家はあった。
もう一か所句碑があるので、行ってみた。
「ボタ山ならんでゐる 陽がぬくい 」
歩いていたら、店から出てきた。 遊んでほしいって、鳴いた。
山頭火については、最近、こう思っている。
この人の評価は、100年後、芭蕉と並んでいるかもしれない、と。
陽水という人は、年をとっても、歌が上手。
タモリとのおしゃべりが、YouTubeにあったが、じつに面白い。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 門司
【今日の歌】 リバーサイドホテル(YouTube)
能古島の片思い(YouTube)
心もよう(YouTube)
井上陽水・タモリ、ギター漫才、コーヒールンバ(YouTube)
八月の濡れた砂(YouTybe) 石川セリ(奥様) 出だしが好き。 忘れられない歌。
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今の山頭火は、無かったかも知れない。
そんなことを考えながら、糸田の町を歩いた。
また、井上陽水は、この町で音楽に対する感性を磨いた。
陽水の家は、歯科医だった。
昔、そこで働いていた人に、たまたま出会った。 話を聞くことができた。
※ 写真の掲載は、12時頃には終わる。
最近は、その後、ネットで調べ物をしている。 それが面白い。
早ければ、1時頃まで。 遅ければ、4時頃まで。
昨夜は、陽水の音楽を聞いたり、山頭火について調べた。
2時頃から酒を飲みながら。 3時過ぎに寝た。
いつもは、何時に寝ても7時頃起きるが、今日は気づいたら9時半。
今日は、午後から、門司に向かう。 九州最後かな。 九州に4カ月いた。
私の知らない魅力がありそう。 夜景も綺麗という。 (この部分、削除の予定だったが、そのまま)
糸田町は、田川市の北西にある、小さな町。 香春から、10分ほどで着いた。
車は、皆添橋の近くの空き地に停めた。
ここが、皆添橋。 欄干に、レリーフがあった。 地図。 ※ 皆添橋は、かいぞえばし、と読む。

こんな句が。 この町での代表作でないかな。
この町には、生涯の恩人である、木村緑平がいた。 句で、緑平に逢いたいとは表現できない。

下の地図を歩く。

橋を渡らないで、線路を渡って、貴船神社に向かった。 木村緑平旧居がある。
石垣に、ツツジが。

貴船神社が見えてきた。 神社の向こうは高台で、炭坑の管理職が住んだ職員住宅があった。
緑平は、炭坑の医者だから、ここに住んだ。

神社の右に、坑長坂があった。 坑長は、炭坑長の意味。 上は、管理職の住宅だから。
この道の上に、句碑がある。 後でこの坂を下りてくる。

神社の右を行った。 ゆるい坂。 写真の真ん中辺りに、句碑が見えてきた。

「聴診器 耳からはづし 風の音きいてゐる」 緑平。

反対側に、「逢うて別れて さくらのつぼみ」。 これは、山頭火。
好きなように、読み取ってくださいという感じかな。
今年も逢えたとか、あと何回逢えるだろうとか、いい季節がくるとか。

上の句碑は、旧居の下にあった。 登り口にこんなのが。

これが、木村緑平旧居。 昭和2年から13年まで住んだ。
山頭火の、昭和4、5年の九州の旅も、この期間に入る。

ここから見える、南の風景。 「逢いたいボタ山」と詠んだボタ山があった。

山頭火は、頼れる人もなく、放浪の果てに、ここに来た。
二人の関係や、山頭火の気持ちは、下の文で読み取れる。
※ 皆添橋のたもとにあった。 写真を撮った時、全部は読まなかった。


別の方から。

坑長坂を下りている。 句碑が見えた。

上の文で、枝は緑平の手だって、山頭火自身が言っている。

この坂を下りてきた。 この坂を山頭火が歩いたことは、きっと分かっていますね。

戻って、橋を渡って、小学校に行った。 そばに、句碑があった。

これは、緑平。

最後の所は、ふりしきる、ですね。

緑平さんがいなかったら、山頭火の旅は、どうなったんだろう。
放浪の旅は、無理だったでしょうね。
山頭火の才能も、表に出ないで、埋もれた可能性があった。
考えてみたら、埋もれてしまった人って、いっぱいいるんでしょうね。
私も埋もれてる。 いや、埋もれるものが無いか。 何言ってんだってね。
次は、陽水だ。 そっちに向かった。

いい道だ。

伯林寺境内。 ここにも、句碑があった。 ※ なぜここにあるかは、分からない。

橋にあったのと、同じ句だ。

この空き地に、昔、糸田町の役場があった。
道を少し行った所に、陽水の家はあった。 歯科医院だった。

上の写真の、左手前に、小さな公園があった。 (昔の公民館の跡地)
陽水の歌碑があった。

夏祭りの、自筆の歌碑。 夏まつり(YouTube)

上の歌碑を見ようとした時、二人の女性の方に会った。 私より年上。
一人は、若い時、陽水の家で働いていたという。 昔のことを教えてくれた。
○ 陽水は、「あきみ」と読む。 だから、みんな、あきみちゃんと呼んでいた。
○ 高校卒業まで、ここで暮らす。 高校は田川市で、通う。
○ 高校生になると、ギターを抱えていることがあった。 家には、ピアノが。
○ お父さんは、歌の上手な人だった。
○ 陽水は、子供のころから、優しい子だった。 少し、てれ屋さん。 3人兄弟。 男は、陽水だけ。
○ 去年60歳になった。 12月に福岡でコンサートがあった。 行って来たという。
○ 昭和30年過ぎには、陽水の家にはテレビがあった。
他に家にはないので、いつも誰かが、陽水の家にはいた。 ※ 台所で、食べ物を作る人もいたそう。
陽水の家は、このような雰囲気だった。
○ 陽水の父は、子供会などの世話もし、地域のためにも動いた。 悪く言う人は、いなかった。
○ 糸田町は、夕方5時になったら、スピーカーから、「少年時代」が流れる。 少年時代(YouTube)
他にも、たくさん、話してくれた。
陽水は、温かい家庭・地域に恵まれ、そこで育った。
そのことが、音楽に対する優れた感性を作りだすのに、大きく影響したと思う。
煉瓦(れんが)の家の所に、陽水の家はあった。

もう一か所句碑があるので、行ってみた。

「ボタ山ならんでゐる 陽がぬくい 」

歩いていたら、店から出てきた。 遊んでほしいって、鳴いた。

山頭火については、最近、こう思っている。
この人の評価は、100年後、芭蕉と並んでいるかもしれない、と。
陽水という人は、年をとっても、歌が上手。
タモリとのおしゃべりが、YouTubeにあったが、じつに面白い。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 門司
【今日の歌】 リバーサイドホテル(YouTube)
能古島の片思い(YouTube)
心もよう(YouTube)
井上陽水・タモリ、ギター漫才、コーヒールンバ(YouTube)
八月の濡れた砂(YouTybe) 石川セリ(奥様) 出だしが好き。 忘れられない歌。
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久しぶりの天気。 うれしい。
鏡山の里と言われる、道の駅の前の、大きな谷を歩いた。
そこは、古代太宰府道で、田河道と呼ばれていた。 1400年も前からある道だ。
万葉集は、読んだこともないし、関心を持ったこともない。
今日は、その世界に、少しだけ入ってみた。
国道201。 行橋(ゆくはし)市で海に出る。 行く時は、ここを通った。
この道は、昔は秋月街道。 秋月藩の存在は、大きなものだったことが分かる。
秋月の殿様も、江戸に行く時、ここを通った。 今は、交通量がはげしい。
谷が細くなり、国道がトンネルに入る所に、石橋があった。 その袂(たもと)に、万葉の歌碑も。
呉川(くれかわ)眼鏡橋。 秋月で見た石橋と、この石橋は、花崗岩で出来ている。 珍しいそう。
場所はここ。 ※ 花崗岩・・・御影石とも呼ばれ、火山の活動で出来た石。
「斯(か)くのみし 戀(こ)いし渡れば たまきはる 命もわれは 惜しけくもなし」
作者は、抜気大首(ぬきけのおほひと) 詳しい情報は、分からない。 役人だったよう。
これだけ恋しく思い続けているので、苦しくてならない。 こんな苦しい想いをするくらいなら、私は命も惜しいことはない。
※ 解釈は、香春町で作った資料より。(先日いただいた)
前半、どうして、そういう意味になるのかが、難しい。
九州には、朝鮮からの渡来人が多かったというが、その人達の発想の匂いを感じるかな。
後半の表現は、今の時代も、日本人より朝鮮の人の方が、よく使う。
畑の中に、昔の道はあった。 戻っている。

北海道は、カッコウが鳴いたら種まきだ、とか言う。 九州は、そういう季節感って、どうなっているのかな。
香春岳(かわらだけ)が見える。 左が一ノ岳。 真ん中、二ノ岳。 右、三ノ岳。
道は、左に曲がって行くが、正面の山に鏡石があるというので、細い道を行ってみた。
山の入り口に、歌碑が。
「石上布留の 早稲田の穂には いでず 心のうちに 戀ふる この頃」
(いそのかみふるの わせだのほには いでず こころのうちに こうる このころ)
あなたへの想いは 顔色には表わさないが 心のうちで 恋しく想っている この頃である。
これも、作者は、抜気大首(ぬきけのおほひと)
この人は、出張でここに来たようだ。 (この人の歌は、もう一つあって、その歌から)
万葉集の歌は、松尾芭蕉や山頭火ではない。
こんな道を行った時、人に会った。 山への道は今は無いと聞いて、戻った。
呉川が流れており、魚がいた。 ただ、排水を流していることもあり、水の状態はよくない。
だから、魚は、イワナとかヤマメではない。
※ この辺りの山奥の渓流には、オオサンショウウオが棲むという。 一日いっぱい、探してみたい。
道で会った人に、この辺にいるかいと聞いたが、首を横に振った。
歌碑が、見えてきた。
「豊国の 鏡の山の石戸(いわと)立て 隠(こも)りにけらし 待てど来まさず」 ※ 昨日の歌を、間違ってこれにした。(申し訳ない。 直しました)
作者は、手持女王(てもちの ひめみこ)
※ ネットで、この人は稗田阿礼でないかと言ってる人がいる。 稗田阿礼は女性という説があるようだ。
河内王は、豊国の鏡山のお墓に石戸を立てて、こもってしまわれたらしい。
いくら待っても、もう帰っては来られない。
恋の歌ばっかりですね。 他に考えることがないのか、と言いたくなるが、それは言い過ぎか。
今、葉を広げたばかり。 まさに、新緑。
石の庭があった。 個人で作っている。
池は、正面の家の庭に。
これは、別府でも見た。 ランだと思っているが、それでいいのかな。
ここのお家に。

ここが、鏡ヶ池。
ここが、池だと思ったけど、間違ったかもしれない。 上の写真で、手前の、竹の簾がある所のようだ。
説明は、こう。

1000年以上前から、ずっとあったら、すごい。
※ こういう可能性もある。
後世になって、上の歌があることを、この土地の人が知った(知らされた)。
その歌に合うように、伝説の池を作った。
こういうことは、日本中どこにでもある。 小町伝説もそう。
木と花に囲まれて、小さな寺があった。 道で会った人の話では、今は寺をやめたと言った。
この碑に、豊前國風土記に、鏡山のことが載ってるとあった。 奈良時代に書かれたものだ。
遠くに、工場。 右の小さな山に、昨日の鏡山大神社がある。 歌碑も見えた。
「王(おほきみ)の 親魄(むつたま)逢へや豊国の 鏡の山を宮と定むる」
これも、手持女王。 意味は、
なつかしいあなたへの御心に、よほど叶ったのだろうか。 あの遠い豊国の鏡の山を墓所と定めなさったのは。
シラサギだが、目の下がブルーなことは、初めて知った。 いつも忍び足。
この谷の、奥へ行ってきた。
万葉集でない歌もあった。
昨日は山の上に行かなかったが、鏡山大神社。
話しかけたら、寄って来た。
この花も咲きだした。 最後の最後まで、咲いていてくれる。
万葉集って、こういう物なんだって、少しだけ分かったように思うかな。
また、はるか昔に作られた、その歌の風景を歩くのは、ただ本を読むより面白い。
恋の歌ばかりなので、少し退屈。 すべての歌が、内容が深いとは限らない。
そんなことも感じたでしょうか。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 迷ってる。
【今日の歌】 大連の街から(YouTube)
北の岬(YouTube)
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鏡山の里と言われる、道の駅の前の、大きな谷を歩いた。
そこは、古代太宰府道で、田河道と呼ばれていた。 1400年も前からある道だ。
万葉集は、読んだこともないし、関心を持ったこともない。
今日は、その世界に、少しだけ入ってみた。
国道201。 行橋(ゆくはし)市で海に出る。 行く時は、ここを通った。
この道は、昔は秋月街道。 秋月藩の存在は、大きなものだったことが分かる。
秋月の殿様も、江戸に行く時、ここを通った。 今は、交通量がはげしい。

谷が細くなり、国道がトンネルに入る所に、石橋があった。 その袂(たもと)に、万葉の歌碑も。
呉川(くれかわ)眼鏡橋。 秋月で見た石橋と、この石橋は、花崗岩で出来ている。 珍しいそう。
場所はここ。 ※ 花崗岩・・・御影石とも呼ばれ、火山の活動で出来た石。

「斯(か)くのみし 戀(こ)いし渡れば たまきはる 命もわれは 惜しけくもなし」
作者は、抜気大首(ぬきけのおほひと) 詳しい情報は、分からない。 役人だったよう。
これだけ恋しく思い続けているので、苦しくてならない。 こんな苦しい想いをするくらいなら、私は命も惜しいことはない。
※ 解釈は、香春町で作った資料より。(先日いただいた)
前半、どうして、そういう意味になるのかが、難しい。
九州には、朝鮮からの渡来人が多かったというが、その人達の発想の匂いを感じるかな。
後半の表現は、今の時代も、日本人より朝鮮の人の方が、よく使う。

畑の中に、昔の道はあった。 戻っている。

北海道は、カッコウが鳴いたら種まきだ、とか言う。 九州は、そういう季節感って、どうなっているのかな。

香春岳(かわらだけ)が見える。 左が一ノ岳。 真ん中、二ノ岳。 右、三ノ岳。

道は、左に曲がって行くが、正面の山に鏡石があるというので、細い道を行ってみた。

山の入り口に、歌碑が。

「石上布留の 早稲田の穂には いでず 心のうちに 戀ふる この頃」
(いそのかみふるの わせだのほには いでず こころのうちに こうる このころ)
あなたへの想いは 顔色には表わさないが 心のうちで 恋しく想っている この頃である。
これも、作者は、抜気大首(ぬきけのおほひと)
この人は、出張でここに来たようだ。 (この人の歌は、もう一つあって、その歌から)
万葉集の歌は、松尾芭蕉や山頭火ではない。

こんな道を行った時、人に会った。 山への道は今は無いと聞いて、戻った。

呉川が流れており、魚がいた。 ただ、排水を流していることもあり、水の状態はよくない。
だから、魚は、イワナとかヤマメではない。
※ この辺りの山奥の渓流には、オオサンショウウオが棲むという。 一日いっぱい、探してみたい。
道で会った人に、この辺にいるかいと聞いたが、首を横に振った。

歌碑が、見えてきた。

「豊国の 鏡の山の石戸(いわと)立て 隠(こも)りにけらし 待てど来まさず」 ※ 昨日の歌を、間違ってこれにした。(申し訳ない。 直しました)
作者は、手持女王(てもちの ひめみこ)
※ ネットで、この人は稗田阿礼でないかと言ってる人がいる。 稗田阿礼は女性という説があるようだ。
河内王は、豊国の鏡山のお墓に石戸を立てて、こもってしまわれたらしい。
いくら待っても、もう帰っては来られない。
恋の歌ばっかりですね。 他に考えることがないのか、と言いたくなるが、それは言い過ぎか。

今、葉を広げたばかり。 まさに、新緑。

石の庭があった。 個人で作っている。

池は、正面の家の庭に。

これは、別府でも見た。 ランだと思っているが、それでいいのかな。

ここのお家に。

ここが、鏡ヶ池。

ここが、池だと思ったけど、間違ったかもしれない。 上の写真で、手前の、竹の簾がある所のようだ。

説明は、こう。

1000年以上前から、ずっとあったら、すごい。
※ こういう可能性もある。
後世になって、上の歌があることを、この土地の人が知った(知らされた)。
その歌に合うように、伝説の池を作った。
こういうことは、日本中どこにでもある。 小町伝説もそう。
木と花に囲まれて、小さな寺があった。 道で会った人の話では、今は寺をやめたと言った。

この碑に、豊前國風土記に、鏡山のことが載ってるとあった。 奈良時代に書かれたものだ。

遠くに、工場。 右の小さな山に、昨日の鏡山大神社がある。 歌碑も見えた。

「王(おほきみ)の 親魄(むつたま)逢へや豊国の 鏡の山を宮と定むる」
これも、手持女王。 意味は、
なつかしいあなたへの御心に、よほど叶ったのだろうか。 あの遠い豊国の鏡の山を墓所と定めなさったのは。

シラサギだが、目の下がブルーなことは、初めて知った。 いつも忍び足。

この谷の、奥へ行ってきた。

万葉集でない歌もあった。

昨日は山の上に行かなかったが、鏡山大神社。

話しかけたら、寄って来た。

この花も咲きだした。 最後の最後まで、咲いていてくれる。

万葉集って、こういう物なんだって、少しだけ分かったように思うかな。
また、はるか昔に作られた、その歌の風景を歩くのは、ただ本を読むより面白い。
恋の歌ばかりなので、少し退屈。 すべての歌が、内容が深いとは限らない。
そんなことも感じたでしょうか。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 迷ってる。
【今日の歌】 大連の街から(YouTube)
北の岬(YouTube)
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毎日雨が降るが、不思議と午後のどこかで止む。 今日は、3時過ぎだった。
空の雨の量にも、限りがあるということか。
昔、香春町では銅が採掘されていた。 その掘った穴である「間歩(まぶ)」が近くにある。
道の駅の地図に載っていたので、探した。 ※ 壁にある、大きな地図だが、大ざっぱ。
結局、見つけることは出来なかった。
地図がない状態で、この町にいてもダメだなと、思った。
※ 香春町のホームページも見たが、十分な物はない。
宙太さんが情報をくれた高座右寺(こうぞうじ)を探した。 ここは、偶然に見つかった。
山頭火の句碑があった。 「そこも こゝも 岩の上には 仏さま」。
山頭火が来た時も、こうだったんだ。
山頭火の高座右寺については、こんな資料が。
※ この寺の後、役場に行った。 詳しい地図と、たくさんの資料をいただいた。
昭和5年2月10日。 木村緑平らと共に湯山温泉へ向かう。
一浴のあと、鯉コクで一杯やって河内王陵を拝し、高座右寺の梅を見て夕月のある道を帰る。
※ 長湯温泉、由布院温泉は、この年の11月。
※ 湯山温泉・・今は、湯山荘がある。 場所はここ。 河内王陵は、上の方にある鏡山大神社のそば。 高座右寺は、その左上の神宮院の右となり。
※ 河内王陵・・今日最後に見たところ。
ここが、高座右寺。
山の斜面の大きな庭の中に、寺はある。 静かに歴史を感じる。 空気も、違う。
小さなお堂。
お地蔵さん。
お地蔵さんの顔と違う。 寺の住職さんのよう。
宙太さんは、猿がいるかも知れないと言っていたが、いなかった。
私は、実は、猿はちょっと・・・、なんだな。 噛みつかれそう。 だから、それで良かった。
少し上に、神宮院があるので、行ってみた。
こんなのが。 こんなの、どこかで見た。 瀬戸内海が見えた山の中。 巨石があった。 思い出した。 前島だ。
ここのお寺は、ここが良かったかな。 他は、ふつう。
この鬼さんも、左右の歯が違う。 これが、普通なのかな。 意味があるのか。
どうして、この寺が、「文殊の知恵」なんだろう。 サルが3匹で、3人寄れば、だからかな。
※ 文殊の知恵の発祥は、国東半島にあった、文殊仙寺だと、情報誌にはあったが。
800年の大銀杏(おおいちょう)。
こんな像が。 普通の表情。 いい。
この後、役場に行った。
観光課だったのかな。 対応してくれた人は、親切だった。 詳しい地図をくれた。
そして、私がいくつか質問したので、図書館の学芸員の方を紹介してくれた。
① どうして、香春を「かわら」と読むのか。
② 五木寛之が、「青春の門」を書く時、何を知っていたのか。
例えば、あの小説の中で、歴史的な事実は、何なのか。
この2つを聞いた。 このことについては、最後に。
対応してくれた人から、最後に、たくさんの資料を頂いた。 田川市を含めた、この辺り全体の物も。
ありがたかった。
山頭火遊歩道を歩いた。 昨日見たのは、一番端のだった。
みすぼらしい 影とおもふに 木の葉ふる
※ 昭和5年11月28日。 長湯温泉は、11月11日。
谺谺(こだまこだま)する ほがらか ※ 上と同じ日に。
香春をまともに 乞い歩く ※ 同じ年の、2月。
香春へ日が出る 雀の子 みんな東に向く ※ 木村緑平 作。
香春見上げては 虱とつている ※ 11月29日。
鳴きかわしては寄りそう 家鴨(あひる) ※ 11月28日。
ふりかへれば 香春があった ※11月30日。 他の町で、ふりかへれば ○○があった と作ったことはないのか。
あるけばきんぽうげ すわればきんぽうげ ※ 昭和7年、5月1日。
一つの町で、こんなに見たのは、初めて。
道の駅の近くに、鏡山大神社が。 万葉の歌の、歌碑を見に行った。
出だしは、あずさゆみひき、と読む。 この鏡山も、久しく見ないでいたら、恋しくなるだろう、という内容。
河内王の墓が、向こうにあった。
そばに、こんな歌が。 作者は、手持女王。
石戸破る 手力もがも 手弱き 女にしあれば 術の知らなく
(いわとわる たぢからもがも たよわき をみなにしあれば すべのしらなく)
み墓の石の戸を破り 河内王を呼び戻したいが か弱い女であるので、その術がない。
※ 河内王陵(WikiPedia) 手持女王はここに。
河内王の墓。 奈良時代のずっと前の話しだ。
ここの神社の狛犬も、逆立ちしていた。
今日は、役場に行って良かった。
今後も、困った時は、役場と連絡を取るのがいいかな。
有難かった。 感謝です。
今日は、歌碑や句碑をどう撮るか、後で写真を見て考えた。
ただ句碑だけの写真を見ても、つまらない。 周りをどう撮るか、それが難しそうで、面白そう。
最後に、上の問題について。(学芸員さんの話から)
① どうして、香春を「かわら」と読むのか。
・この辺りは、昔から、「カハル」とか「カワラ」とか、言われていた。 これは、朝鮮語だそう。
・表記は、「鹿春」や「香春」があった。
・いつ頃からか、読みは「カワラ」、表記は「香春」が使われるようになった。
※ この辺りは、朝鮮からの帰化人が多かったそう。
※ ネットに、こんな記事があった。
歴史文献上、カワラは「鹿春」「加波流」「革流」などの文字が当てられ、「カハル」と読まれていた。
「カワラ」と読み始めたのは鎌倉時代からである。
もともと「カハル」の名は、新羅から渡来した神を祭る山の名として始まったと言われている。
それは、朝鮮語の「カパル」=「けわしい所」を意味している。
(隠れにけらし待てど来まさず、より)
② 五木寛之が、「青春の門」を書く時、何を知っていたのか。
例えば、あの小説の中で、歴史的な事実は、何なのか。
・これにつては、五木寛之は、八女の人なので、この地方のことについては詳しかった。
だから、書くことはできたと思われる。
・このことについては、これ以上のことは分からなかった。
※ 関連ブログ 五木寛之の青春の俤を追って 他
※ 私は、五木寛之が、三浦綾子のような取材をしたのかを、知りたかった。
※ 三浦綾子は、「銃口」を書く前、綿密な取材をした。
その取材の中心は、元校長だった人。
その校長の最後の勤務地は、私がいた学校の隣。
※ 三浦綾子の小説は、歴史的に何が事実だったかが、だいたい分かっている。 だから、なお面白い。
※ 関連ブログ 銃口が生まれる瞬間 他 本当に面白いか、泥流地帯。
【道の駅】 香春 昨日に同じ。
【明日の予定】 地図をいただいたので、この町を。
【今日の歌】 りんごのひとりごと(YouTube) 香春町の隣に、福智町がある。 河村光陽という作曲家は、ここの町の人。
うれしいひなまつり、かもめの水兵さん、などを作曲。
この歌は、長女の順子さんが歌っている。
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空の雨の量にも、限りがあるということか。
昔、香春町では銅が採掘されていた。 その掘った穴である「間歩(まぶ)」が近くにある。
道の駅の地図に載っていたので、探した。 ※ 壁にある、大きな地図だが、大ざっぱ。
結局、見つけることは出来なかった。
地図がない状態で、この町にいてもダメだなと、思った。
※ 香春町のホームページも見たが、十分な物はない。
宙太さんが情報をくれた高座右寺(こうぞうじ)を探した。 ここは、偶然に見つかった。

山頭火の句碑があった。 「そこも こゝも 岩の上には 仏さま」。

山頭火が来た時も、こうだったんだ。

山頭火の高座右寺については、こんな資料が。
※ この寺の後、役場に行った。 詳しい地図と、たくさんの資料をいただいた。
昭和5年2月10日。 木村緑平らと共に湯山温泉へ向かう。
一浴のあと、鯉コクで一杯やって河内王陵を拝し、高座右寺の梅を見て夕月のある道を帰る。
※ 長湯温泉、由布院温泉は、この年の11月。
※ 湯山温泉・・今は、湯山荘がある。 場所はここ。 河内王陵は、上の方にある鏡山大神社のそば。 高座右寺は、その左上の神宮院の右となり。
※ 河内王陵・・今日最後に見たところ。
ここが、高座右寺。

山の斜面の大きな庭の中に、寺はある。 静かに歴史を感じる。 空気も、違う。

小さなお堂。

お地蔵さん。

お地蔵さんの顔と違う。 寺の住職さんのよう。

宙太さんは、猿がいるかも知れないと言っていたが、いなかった。
私は、実は、猿はちょっと・・・、なんだな。 噛みつかれそう。 だから、それで良かった。
少し上に、神宮院があるので、行ってみた。
こんなのが。 こんなの、どこかで見た。 瀬戸内海が見えた山の中。 巨石があった。 思い出した。 前島だ。

ここのお寺は、ここが良かったかな。 他は、ふつう。

この鬼さんも、左右の歯が違う。 これが、普通なのかな。 意味があるのか。

どうして、この寺が、「文殊の知恵」なんだろう。 サルが3匹で、3人寄れば、だからかな。
※ 文殊の知恵の発祥は、国東半島にあった、文殊仙寺だと、情報誌にはあったが。

800年の大銀杏(おおいちょう)。

こんな像が。 普通の表情。 いい。

この後、役場に行った。
観光課だったのかな。 対応してくれた人は、親切だった。 詳しい地図をくれた。
そして、私がいくつか質問したので、図書館の学芸員の方を紹介してくれた。
① どうして、香春を「かわら」と読むのか。
② 五木寛之が、「青春の門」を書く時、何を知っていたのか。
例えば、あの小説の中で、歴史的な事実は、何なのか。
この2つを聞いた。 このことについては、最後に。
対応してくれた人から、最後に、たくさんの資料を頂いた。 田川市を含めた、この辺り全体の物も。
ありがたかった。
山頭火遊歩道を歩いた。 昨日見たのは、一番端のだった。


みすぼらしい 影とおもふに 木の葉ふる
※ 昭和5年11月28日。 長湯温泉は、11月11日。

谺谺(こだまこだま)する ほがらか ※ 上と同じ日に。

香春をまともに 乞い歩く ※ 同じ年の、2月。

香春へ日が出る 雀の子 みんな東に向く ※ 木村緑平 作。

香春見上げては 虱とつている ※ 11月29日。

鳴きかわしては寄りそう 家鴨(あひる) ※ 11月28日。

ふりかへれば 香春があった ※11月30日。 他の町で、ふりかへれば ○○があった と作ったことはないのか。

あるけばきんぽうげ すわればきんぽうげ ※ 昭和7年、5月1日。

一つの町で、こんなに見たのは、初めて。
道の駅の近くに、鏡山大神社が。 万葉の歌の、歌碑を見に行った。

出だしは、あずさゆみひき、と読む。 この鏡山も、久しく見ないでいたら、恋しくなるだろう、という内容。

河内王の墓が、向こうにあった。

そばに、こんな歌が。 作者は、手持女王。
石戸破る 手力もがも 手弱き 女にしあれば 術の知らなく
(いわとわる たぢからもがも たよわき をみなにしあれば すべのしらなく)
み墓の石の戸を破り 河内王を呼び戻したいが か弱い女であるので、その術がない。
※ 河内王陵(WikiPedia) 手持女王はここに。

河内王の墓。 奈良時代のずっと前の話しだ。

ここの神社の狛犬も、逆立ちしていた。

今日は、役場に行って良かった。
今後も、困った時は、役場と連絡を取るのがいいかな。
有難かった。 感謝です。
今日は、歌碑や句碑をどう撮るか、後で写真を見て考えた。
ただ句碑だけの写真を見ても、つまらない。 周りをどう撮るか、それが難しそうで、面白そう。
最後に、上の問題について。(学芸員さんの話から)
① どうして、香春を「かわら」と読むのか。
・この辺りは、昔から、「カハル」とか「カワラ」とか、言われていた。 これは、朝鮮語だそう。
・表記は、「鹿春」や「香春」があった。
・いつ頃からか、読みは「カワラ」、表記は「香春」が使われるようになった。
※ この辺りは、朝鮮からの帰化人が多かったそう。
※ ネットに、こんな記事があった。
歴史文献上、カワラは「鹿春」「加波流」「革流」などの文字が当てられ、「カハル」と読まれていた。
「カワラ」と読み始めたのは鎌倉時代からである。
もともと「カハル」の名は、新羅から渡来した神を祭る山の名として始まったと言われている。
それは、朝鮮語の「カパル」=「けわしい所」を意味している。
(隠れにけらし待てど来まさず、より)
② 五木寛之が、「青春の門」を書く時、何を知っていたのか。
例えば、あの小説の中で、歴史的な事実は、何なのか。
・これにつては、五木寛之は、八女の人なので、この地方のことについては詳しかった。
だから、書くことはできたと思われる。
・このことについては、これ以上のことは分からなかった。
※ 関連ブログ 五木寛之の青春の俤を追って 他
※ 私は、五木寛之が、三浦綾子のような取材をしたのかを、知りたかった。
※ 三浦綾子は、「銃口」を書く前、綿密な取材をした。
その取材の中心は、元校長だった人。
その校長の最後の勤務地は、私がいた学校の隣。
※ 三浦綾子の小説は、歴史的に何が事実だったかが、だいたい分かっている。 だから、なお面白い。
※ 関連ブログ 銃口が生まれる瞬間 他 本当に面白いか、泥流地帯。
【道の駅】 香春 昨日に同じ。
【明日の予定】 地図をいただいたので、この町を。
【今日の歌】 りんごのひとりごと(YouTube) 香春町の隣に、福智町がある。 河村光陽という作曲家は、ここの町の人。
うれしいひなまつり、かもめの水兵さん、などを作曲。
この歌は、長女の順子さんが歌っている。
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