魅力的な所が見つかるし、人との出会いがあって、今までいてしまった。
今日は、大分県最後です。 ※ その予定。
※ 今日は、うれしいことがありましたよ。
ずっと前の記事、ムツばあちゃんの記事、そこにコメントが入ってきました。
~~八幡という神社は、よく聞く。 全国に、4万社以上あるという。
その中心が、ここ。 宇佐八幡。 場所はここ。
本殿は、石段を登る。 少し、遠い。

創建は、奈良時代。 古い。
道の広さだけで、規模の大きさを感じる。

主祭神は、応神天皇とか、古い時代の天皇。 天皇家と関わりの深い神社だ。
池があって、ツツジが咲き誇っていた。

国東半島の仏教文化の原点も、ここ。 昨日いた田染荘は、宇佐神宮の荘園だった。
藤が咲き始めていた。 つぼみが、下にぶら下がっているが、1㍍くらいの長さになる。
管理している人が、教えてくれた。

花の世話して、綺麗に咲いてくれたら、嬉しいですねとか話しているうちに、管理人と親しくなった。
この神社の歴史についても、教えてくれた。
燃えるように咲いている。 何があって、こんなに赤くなるのか。

管理人さんは、お昼休みだったのか、ある所に連れて行ってくれた。

ずっと昔は、神社の参道をはさんで、右側には、弥勒寺があったという。
伽藍(建物)の配置は、奈良の薬師寺と同じで、金堂・講堂・東塔・西塔があった。
宇佐神宮は、その寺を守るためにあった。
再建の予定はないのかい、と聞いたら、莫大なお金がかかると言った。
ここが、その跡。 柱をのせる大きな石が並んでいた。

この参道を通って行くと、上の写真の所に着く。 狛犬(こまいぬ)が見える。
珍しいと、教えてくれた。

これは、うずくまっている。 普通か。

これが面白い。 逆立ちだ。 初めて見る。

寺はなくなったが、狛犬だけが残っていた。 先日行った、旧千燈寺跡の仁王さんと同じだ。
守る物は何もないが、昔と同じ姿でいる。
本堂に向かう。 少しの石段。

小雨が降り続いている。
日差しが強いより、写真は撮りやすい。 適当に撮っても、緑は綺麗になる。

上から撮影。 人が小さく見える。

見えてきた。

左の建物が、本殿。

本殿の真ん中。 本殿は国宝だが、その根拠が分からない。
※ 調べたら、1500年代の建物だった。 八幡社の中心だからだな。

左の方。 ここも本殿。

お札や、お土産が売っている。

祈祷殿とあった。 ここで、お祓いをやってくれるのかな。

別の角度から、本殿。

戻る途中。 右は、来た道。 左は、下社。

ここが、下社。 ここでも、お参りした方がいいとあった。
私の目的は、写真だったから、お参りは全くしていない。

途中に、いつだか問題を起こした、田母○とか言う人間の講演の案内が、境内に貼ってあった。
主催は神社ではないが、神社には、ああいう人間を大事にする体質があるように思うかな。

横道に入った。 屋根の付いている橋があった。 呉橋(くれはし)とあった。 皇族が通る。

この後、車に戻る。 この駐車場に来た時、看板を見た。
鬼のミイラのある寺が、あった。
本当かどうかなんて、どうでもいい。
一目偽物と分かっても、そこの住職が、間違いなく鬼のミイラと主張してくれたら、それ以上に楽しいことはない。
実は、宇佐神宮より、こっちが楽しみになっていた。
10分ほどで、ここに着いた。 大乗院というお寺。 場所は、ここ。

石段の下に、説明があった。

昭和の初めに、この寺に来たと。 詳しくは下に。

民家のようなお寺。 誰もいない。 自由に見ていいとある。 ※ 100円を入れる箱があった。

写真の撮影はダメとあった。 それでも、写真は、ネットに大量に出回っていた。
案内のパンフレットとかにも、載ってるそうだ。
下の写真は、ネットにあったのを、トリミングして、見やすく加工した。
実際のには、花が飾ってあった。
これが、鬼のミイラと言ってる物。

調べたら、鑑定は受けていない。 当然でしょうね。
鑑定を受けて、偽物と言われたら、お終いですから。
何で出来ているかですが、基本は、木ですね。 ※ 歯や口周りは、木とすぐに分かった。
それに、動物の何かをくっつけた。
足と手の指に特徴がある。 鳥の爪のようで、太い指。 3本。
持主は、何かを知っていますね。
下からのぞいたら、何が見えるとか。 鬼でないということは、知っている。
だから、鑑定は受けない。
ただ、金儲けをしてないので、文句は、あまりないかな。
階段は、ここから下りる。

宇佐神宮は、歴史を感じる所だった。
ただ、建物自体に、圧倒される美しさは、感じなかったでしょうか。
最近見たので、建物で良かったのは、祐徳稲荷神社かな。 このブログの、後半に。
※ 清水寺、室生寺、羽黒山、山寺、金刀比羅宮、中尊寺、日光などは、勿論いい。
【道の駅】 しんよしとみ 福岡県に入ったのかな。 ここです。
【明日の予定】 雨が止まなかったら、どうしよう。 今、中津のそばにいる。 福沢諭吉の町。
【今日の歌】 春雷(YouTube)
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豊後高田の昭和の町で、自分にとっての懐かしい昭和を探してみた。
最近、昭和の町が、時々ある。 豊後大野市の、稲積鍾乳洞にもあった。
ただ昔の物を並べても、退屈な感じがした。
広い、無料の駐車場があった。 適当な所から、見始めた。 この地図の真ん中辺り、全体。
最初はこうだ。 古い家が、並んでるだけだ。

それらしい感じが、少しはするけど。

看板が、昔の雰囲気だ。 店の中から、ギターの生演奏が流れてきた。 古い演歌だ。

昔のおもちゃが売っていた。 肉屋さんなど、普通のお店もある。

こういう展示館が、時々ある。
ここまで見て感じたのは、通りの中の、3分の1位が、はっきり昭和の雰囲気になっていた。
その他は、看板だけが、昭和。
つまり、通り全体が、昭和にコーディネートされているのでは、なかった。
写真を撮る場所は、探さないと見つからなかった。
由布院は、全てが、昔の雰囲気。 今風のセンスを取り入れて。
大きく違っていた。

全体を楽しむのは諦めて、自分にとって懐かしい物を探すのに、専念した。
展示館には、ポスターがよくあった。

※ 美空ひばりの、伊豆の踊子(YouTube) 動画は見つからない。 画像です。
※ 山口百恵の伊豆の踊子(YouTube) 山口百恵はいい。
※ 関連ブログ 天城峠~旧天城トンネル・伊豆の踊子の歩いた道~
昔銀行だった所に入った。 昔のお金が展示。 100円で、両替してくれるとあった。

国東半島の、どこかの寺の仏像。 こんな表情の写真が撮りたい。
トリミングも(切り取り)の仕方が、私が考えるのと、まったく同じ。
※ 他の人の写真を見て、いつもそうはならない。

ここは、良かった。 出会いの里。
昭和の町を、どういう考えで作るかだけど、こう思うんですね。
題材を昭和にして、自分たちで、一つの作品を作る。
だから、古いものをただ並べてもダメ。

ここなら、歩きたくなる。

昆虫のお店。

この大きなカブトムシが、本物かどうかが分からない。 他のお客さんと見た。
そーっと、一人が触った。 動いた。 本物だった。 角の先までなら、10㌢以上ある。

この店も、いいな~って、しばらく眺めていた。

日曜日なので、人はいた。

ここでは、給食がメニューにあった。
※ 給食は、市町村によって、差が大きい。 給食費を払わない人がいると、その分、質が落ちる。

昭和ロマン蔵と言って、有料の展示館があった。 3カ所回って、800円。 高い。
建物の外に、古い車があった。

懐かしい車だ。 私は、昭和48年に、この車を買った。 初代のサニー。 色も同じ。
大学の4年の夏に、アルバイトをして、中古のを買った。
昨年、道を走っているのを見た。

お腹が空いたので、だんご汁定食を食べた。 野菜が多いので、これに。
だんごは、太い太いうどん。 幅、4㌢くらいあった。

おもちゃなどの展示。
作った人間が考えるほど、見る人間は、感動しない。

レコードをクリックしたら、歌が流れます。



展示数は、6万点とあった。

このポスターが好き。 これは、YouTubeから消えた。 相合傘のに、浅丘ルリ子が。

今の子供たちと、どこか違う。 何だろう。
この写真は、昭和30年代となっていた。 私もその頃、小学生。 貧しいけど、楽しかったな。

昔の家の中。

私の家にも、円いテーブルがあった。 もぐって遊んだ記憶がある。(私の記憶は、4歳から)

買わなかったが、懐かしいものが売っていた。 ポンポン船と、火薬がパチパチ鳴る鉄砲。

情報誌に大きく載っていたので、行ってみた。
まあまあかな、って言う感じ。
見せてお金を払ってもらうのがメインになっている。 そこが、問題。
京都三年坂、由布院温泉、黒川温泉、大内宿に続く所は、どこなんだろう。
情報があったら、教えてほしいです。
【停泊場所】 宇佐神宮まで、あと3㌔くらいかな。 空き地。 ここです。
【明日の予定】 宇佐神宮に行ってみます。 建物をきれいに撮りたい。
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夷谷温泉の近くの、見晴らし台。 真っ赤なツツジ。
何かがあって、この花を染めたとか、そんな伝説があってもいいほど、赤い。
ツツジの季節がやってきた。

無動寺。 石仏公園があるので、寄った。 場所はここ。

十六羅漢像だった。

表情は、みんな個性的。 笑っているのか、泣いているのか。

福真(ふくま)磨崖仏。 南北朝時代の物。 石の覆堂は、江戸時代。 無動寺の近くにあった。

数㌔走ったら、磨崖仏の案内がある。

富貴寺の駐車場の近くで。

ここが、富貴寺。 国宝の阿弥陀堂がある。 場所はここ。

大堂と言い、日本3阿弥陀堂の一つだそう。 他は、中尊寺金色堂。 平等院鳳凰堂。
中に、入ることができた。 平安時代後期の建物。 この世に、極楽浄土を作ろうとしたのか。

ネコとお話し。

仁王像。

座っているおばあちゃんと、いい天気だねって、しばらく話した。

目的地の近くに、元宮磨崖仏。 室町時代とあった。

ここが、荘園の里。
場所は、豊後高田市田染小崎(たしのぶ おさき)。 ここです。 地図の中央部分。 印は、駐車場。

上の写真の、右側。

江戸時代の初めの頃の絵地図。 田んぼ、道、川、家の位置など、今も、絵地図と同じだという。
保存に関わっての何かを申請していると聞いたので、重要文化的景観の認定と思う。
※ これに、認定されているのが、骨寺村。

写真を撮っていたら、私より年配の方に会った。 畑仕事をしていた。
ここについて、詳しかった。 しばらく話した。
※ 詳しいのには理由があった。 後で分かるが、豊後高田市の市役所に勤めていた方で、観光課にもいたことがあった。
山に上ったら、いい写真が撮れると、教えてくれた。 山には、修行のための道がある。
上からの写真。 緩い傾斜の棚田になっている。
黄色い花は、菜の花。 田染荘と読める所がある。 上に書いた方が作った。
田植えの時期になったら、もっと綺麗だ。

山を下りて、上の写真の、奥まで歩いた。 そこから撮影。

こんな道を歩いた。

先ほどの方は、Tさん。 夕食を何度も誘われ、行ってしまった。
家の前の庭の一部。 瓦屋根の立派なお家だった。 20年前に、山の木を伐って、建てたという。

観光課にいたことがあるため、国東半島全体について、詳しかった。
私の行った所は、すべて仕事で行っていた。
奥さんと3人で、夜中まで話した。 楽しかった。
※ 冬、北海道に来ており、紋別でガリンコ号に乗ったという。
お酒も料理も、たくさん御馳走になった
次の日の朝も、朝食を頂いた。 ワラビなどの入った味噌汁だった。 美味しかった。
小さな花に、朝露が付いていた。

ツツジ。 いい天気だ。 朝陽がまぶしい。

Tさんの家の居間からの風景。 向こうの山まで、庭のようだ。 岩山の上から写真を撮った。(頂上よりは下)

経済成長が激しかった時は、誰もが、前しか向いていなかった。
時代が落ち着いて、やっと、昔を大事にすることに、気が付いた。
ここの荘園の里も、もう大丈夫ですね。
10年後には、景観は、もっと良くなると思う。
【停泊場所】 荘園の里の駐車場
【明日の予定】 高田市の昭和の町かな。
【今日の歌】 朧月夜(YouTube) 菜の花をたくさん見たので。
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一歩足を踏み外すと谷底、という所が、ふつうにあった。
子供を連れていくことは、決してできない、そんな場所だった。
私は、昨日・今日と、ここにいた。 ちゃんとした、名前があった。
夷耶馬農村公園駐車場。 ※ 夷耶馬(えびすやば)は、ここの地名。 香々地の一部。
出発地点は、ここで、向こうの山に入って行く。

ここは、中山仙境と呼ばれていた。
国東半島で、もっとも険しい山が、続いていた。 とにかく、崖が多い。

午後1時半、せせらぎの音と、ウグイスに鳴き声を聞きながら、出発。
15分ほどで、山の尾根に着いた。 この後、ずっと、高い所を歩く。

ここは、修験の道だから、少し歩いたら、お地蔵さんがあった。
大正3年と書いてあった。 江口章子は、この年27歳。 2年後、北原白秋に出会う。

山の上に川はない。 でも、小さな水たまりがあった。 イノシシの水飲み場だそう。

こういう所を、鎖(くさり)場と呼ぶ。 少し歩いたら、必ずあった。

1時間ほどしたら、無名橋に着いた。 幅40㌢。 長さ、3㍍。
こちら側に落ちたら助かるが、向こうに落ちたら、助からない。 数十㍍、真っ直ぐに切れ落ちている。

2枚に岩が、このように合わさっている。 上に少し膨らんでいるから、落ちない。 それだけ。

右側が、崖。 渡るのは、やめた。(朝方少ししか寝てなくて、体がボ~っとしてたこともあって)

10分ほど歩いたら、一番高い所が見えてきた。 高城。

拡大したらこう。 鎖が見える。

駐車場より、上流の方。

こんな所も。 ちゃんとした道ではない。 鎖があると、怖くはない。

これを上ったら、頂上。 もうすぐだ。

着いた。 3時を過ぎた。 1時間半かかった。 海が見える。 周防灘だ。

白っぽい所を歩いてきた。

駐車場とは、反対側の谷。

少しの賽銭を置いて、お参りした。 これを読んでくれてる人のことも。(忘れることは、ないんですよ)

316㍍。 ここは、高城だが、夷耶馬の表示もあった。

香々地の市街地が少しだけ見えた。

休憩。 少しの水とバナナを。 いつもしょってる、リュック。

隣の山に移った。 さっきまでいた所が見える。

右の上の方に、道は続いている。 馬の背と呼んでる。 この山は、山を楽しむための所ではなかった。

高所恐怖症だったら、絶対に通れない。 歩いていて、転ぶことはできない。 左の崖は、90度に近いか。
情報誌に、修験の道には、命にかかわる場所があると書いてあったが、本当だった。
※ 調べてみたら、数年前(2007年ころ)、この写真か、この後の下山道で、転落死亡事故が起きていた。 30㍍落ちたそう。

下の風景は、どこから見ても良かった。 楽しむ余裕はないが。

崖の中腹を通って、下山。 右に落ちたら、どこまでも落ちる。

洞窟が見えてきた。 地蔵さんがあった。

道に出たのは、4時40分。 3時間以上歩いた。

駐車場に着いたら、5時近かった。

夷谷温泉。 江口章子に温泉が出てくる詩がある。 ここの温泉か確かめたが、違った。 ここは、新しかった。
確認はしてないが、数日前に入った、赤根温泉かなと思っている。 ここから、近い。

今年も、蛍の季節がやってくる。 練習に、星を撮影してみた。 シャッターは、1分解放。 ISO3200。

修験者は、今日のような道を、スタコラと、小走りに移動する。
鎖があっても、きっと、全ては使わない。 危険な修行だ。
ここまでとは、思わなかった。 山を楽しむ余裕はなかった。
1度経験してよかったかなとは、思うが。
※ 寺での修業は、出来る寺が見つからなかった。
1か所可能性があったが、撮影は十分にできないので、やめた。
私の旅そのものを、修行にすることにした。(?)
【停泊場所】 夷谷温泉の近くの駐車場。 この辺り。
【明日の予定】 南西に。 農村風景が、平安時代のままという所がある。
【今日の歌】 イメージの歌(YouTube) 吉田拓郎です。
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江口章子(あやこ)と言う名前は、国東半島に来て知った。
柳川の、宙太さんが、情報をくれた。
半島の北にある小さな町、香々地(かかぢ)出身の人だった。
少し調べてみたら、知りたいことが、整理できた。
① 若き日の北原白秋を支えたと言われるが、何でそれが分かるのか。 客観的に、そう見て大丈夫なのか。
② 彼女は、恋多き人生を歩む。 女性として、どんな魅力を兼ね備えていたのか。
③ 彼女は多くの作品を残したが、それは、どのレベルにあるのか。
この3つだが、どれも大変だ。
長崎鼻に、彼女の歌碑があった。
その後、香々地の公民館に行った。 係りの人に資料をいただき、説明していただいた。
不十分だが、分かった部分、まとめてみたいと思う。
※ 結論を少しだけ書くと、江口章子と言う詩人は、今後大きく評価される可能性を、秘めているように感じた。
少なくとも、金子みゞよりは、上に。
香々地は、道の駅くにみから、10㌔ほどだった。
真っ直ぐ、長崎鼻に向かった。
※ 長崎鼻は、指宿にもある。 そこに行った時、国東半島にもあることを知った。 その時のブログ。
長崎鼻が見えてきた。
ここは、リゾートキャンプ場となっていた。
江口章子の歌碑があるので、ここに来た。 駐車場のそばにあった。
彼女は、白秋の2番目の妻。 白秋の「帰去来」詩碑と、同じような形の石。
遠くで香々地を想い、作った。(長野県蓼科にいて)
生まれ育った海岸の砂に顔をつけて、思い切り泣いてみたいと、歌った。 それが許されるなら。
詳しくは、ここに。
小さな半島の、東側。 海水浴場。
昨日行った、姫島が見えた。
※「追分の心」という詩集に、「姫島」と「姫島のやど」という詩が載っていた。(この後行く、図書館で)
岬の先端、長崎鼻。 ※ 実際は、この小さな岬全体を、長崎鼻と呼んでいるよう。
左に、石橋のようなのが見えるが、危険なので渡らなかった。
行者洞窟。
国東半島の岩は、凝灰礫岩と言われる。 石と火山灰が固まった感じ。 崩れやすいから、洞窟が出来る。
こんな所に、地蔵さんが。
目がこうなので、撮っただけ。 口紅もしてるか。
奥は、こう。
香々地の市街地。 今は、豊後高田市香々地。 2005年3月までは、単独で香々地町。
こんなお話しが伝わっている。
※ お話は、子供に質問されて、矛盾なく、分かりやすく、答えることが出来る内容がいい。
お年寄りに聞いて、完成させたらいいと思う。
長崎鼻から、香々地の公民館に行った。 ここでは、お世話になった。
係りの人に、来た理由を話すと、本や資料を、机の上に並べてくれた。
香々地町で作製した、江口章子の資料集の本は、全文コピーしてくれた。 他にも、色々。
この人が、江口章子。 大まかには、こんな人。
1888年、大分県国東半島・香々地町の酒造業を営む家に生まれる。
大分高女で学び、卒業後上京、平塚雷鳥の紹介で北原白秋と知り合い結婚する。 2番目の妻。
下積み時代の白秋を支えるが、数年後離婚。 その後再婚するが、離婚。
放浪に近い生活を送る。
最後は、心も体も病んで、生家の土蔵で一人死んでいく。 1946年。
「追分の心」「女人山居」の作品集がある。
大正2年か3年。 26歳頃。 この頃は、安藤と言う人と、結婚している。 1~2年後離婚。
※ 上の写真と、この写真には、林芙美子のような雰囲気を感じる。 意志の強さと言うか、そんなの。
大正5年、南葛飾群小岩村。 貧しくとも幸せな時代。 白秋は、まだ売れていない。
小田原にいる時。 大正7年。 中央が、章子。 31歳。 右が白秋。 左は、鈴木三重吉。
※ 鈴木三重吉は、新美南吉の「ごんぎつね」を、今の形に直した人。 そのブログに、登場。
この時期、白秋は、「みち」などの童謡を書く。 これについては、後で。
この写真の時は、体は丈夫でない。 この写真以降、頭が右に少し傾く。(写真では、向かって左に)
36歳の頃。 京都にいる。 この人の、女性としての魅力が、よく表れている写真。
昭和12年夏。 50歳。 この年脳溢血で倒れ、半身不随となる。 数年前から、心を病んでいる。
これは、上にあった写真と、直筆の文を合わせたものですね。 直筆の文は、ハガキに書いてあったもの。
これは、詩集「追分の心」。 序の文は、生田春月とある。
私のブログに、この人の名前は、1度だけ登場している。
小豆島で、坪井栄の墓に行った。 その時、生田春月の詩碑が、すぐ近くにあった。 そのブログ。
どうしてそこに詩碑があるかというと、生田春月は、小豆島沖で船から飛び降りて自殺した。
遺体は、小豆島の坂手の浜に上がった。 それで、坂手港の丘の上にある墓地に、碑を作った。 場所はここ。
江口章子は、剃髪して悲しむ。 遺体に会っている。
なぜ、今この人を登場させてるかと言うと、
冒頭の②③の江口章子の魅力と作品については、生田春月が深く理解している。 そう感じるから。
その中の文を、紹介する。
○ 江口章子さんをおもうと、私は不思議に、平安朝の才媛を想起する。
○ 初めて会った時の、ろうたけき若姿を、忘れることはできない。
※ろうたけき~洗練された美しさと気品があるということ。
○ 章子さんは、趣味と情熱の詩人であった。
○ 昔の京の美となまめきを、そっくり持っている人。 (章子は、自分の祖先は京都だと思っている)
○ 平安朝の宮廷の貴夫人であったなら、その才とかたちとは、いかに多くの公達の心を奪ったであろう。
○ 和泉式部などが、もっとも近いように思われる。
○ 章子は、散文より詩の人である。
○ 「白魚のなげき」は、特に高く評価している。
嘆きの海の底ふかく
われは沈める白魚の
嘆きの海におぼれ死ぬ
われははかなき白魚の
人なき磯の秋ふけて
夕もやけぶる紫の
渚によせん吾がうれひ
玉藻よつつめ吾がいのち
掬はば掬くへなさけ知る
君がましろき双掌より
その白魚の指先きに
したたり落つるわが涙
最後に、①の白秋を支えたかについて。
江口章子に、こんな詩がある。
【丘の春】
こゝはふるさと 丘の春
玉虫とびて わかき日の
夢青々と 光るなり
吾が父母の 眠ります
丘もつづくに 玉虫の
虹の色して とび去るを
草笛さみし 春の丘
この詩も、その上の詩も、流れるように読める。 つまり、童謡だ。
江口章子は、童謡も書くことが出来た。
白秋が、童謡を書き始める時に、一緒にいたのが、江口章子。
白秋の童謡をつくる才能を開花させたのは、きっと彼女だと思う。
白秋は、彼女への信頼が分かる手紙を、人に送っている。
そのことから、彼女が、白秋の生活や精神面を支えていたことは、まず分かる。
でも、白秋を支え大成させた、最も大きな部分は、彼女の詩(童謡)を書く才能だった。
白秋は、彼女の詩を読み、彼女の感性を学んだ。
そのことで、白秋は、多くの作品を書きあげることが出来た。
そして、世に出て行った。
今日のブログでは、江口章子については、ここまでにします。
彼女の作品を、もっと、読んでみたいと思います。
図書館の方に、夷谷温泉を教えてもらった。 近い。
そっちに向かったら、山の中に、立派なお寺。
少ない檀家で支えていると思うが。
仁王様は、もちろん石像。
両脇が、普通の大きさ。
こういう所も。
岩に、大きなくぼみ。
磨崖仏。
山の上に道がある。 修行でも使う道。 ※ 望遠で撮影。
石の橋がある。 危険そう。 橋まで、1時間とあった。
【停泊場所】 香々地(かかぢ)の山の中。(トイレ付、駐車場) 直ぐ近くに、夷谷(えびすたに)温泉。
ここに1週間いたくなるような、場所。
【明日の予定】 動かない。 戻るまで2時間コースの、山に上るか。
【今日の歌】 愛しのナポリタン(YouTube) 森田が、ネットのニュースに。 彼女がいるとかで。
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