ぶつかったら、最初につぶれる。 また、そんなことを考えた。
長旅だ。 道新スポーツを買って読んだ。 日ハムが勝ったことを知った。

大沼公園駅。 紅葉がきれい。

駒ヶ岳。 (名前は、伝説に由来している)

サケ釣りをしている人がいた。
カーブの多い路線だ。 振り子特急と言うのかな。
曲がるときは、すごく斜めになる。 スピードを落とさない。
トンネルだらけだ。
トンネルに入るとき、「ピー」って汽笛を鳴らす。 少し後に、自分の耳も「ピー」って鳴った。

ただ写しただけ。 普通列車は1両編成なんだろうな。
この車両には、4人くらいの親子と、あと数人しか乗っていなかった。
ローカル線の旅って、面白いのかな。 金がかかるな。

カボチャアイスと「ホリ」のヨーグルト。 メロンのシロップをかけて食べた。

おしゃまんべ。 これも、ただ写しただけ。 ただ、名前が何と言っても・・・。

室蘭を過ぎたら、混み始めた。 10人ほどが立っている。 ここは、自由席の車両。
登別駅で、少し人が降りた。 斜め前の席が、2人分空いた。
そばに立っていた若い男の人が、近くにいた若い女の人に席を譲った。
女の人は、すみませんと、頭を下げて窓側に座った。
そうすると、その人の彼氏なのか、女の人に続いてのそのそと座った。 一言の言葉もなく。
それは、まるで金魚の糞のような動きだった。
私は、「ばかやろう」と心の中で叫んだ。
登別を過ぎたら、山は海から離れ、土地は広がりを見せた。
札幌で、旭川行きに乗り換えた。 13時20分に旭川。
バスのキップを買ってから、蜂屋に向かった。
蜂屋は、この中通りにある。 5条7丁目。

テーブルの数は15。 満席だった。 午後2時過ぎ。
これだけ混む店は、ちょっとない。 相席ですわった。

チャーシュー麺、脂っこく。 それと、小ライス。
古くからいる人が、今日はいなかった。
ちゃんと作れるのか、少し心配した。 だが、麺の固さとか、大丈夫だった。

いつ食べても、旨いなあ。
この後、15時5分のバスに乗った。 着いたのは、5時半ころか。 真っ暗。
「今日の歌」は、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」 動画もいい。 一つの作品になっている。
ラーメン好きが集まって、札幌のラーメンを話したとき、富公が登場しないことはない。
もう、16年も前に閉店しているのに。
富公のレベルは、今有名な純連や五丈源は、足下にも及ばない。
ラーメンは好みの問題だと言うけど、富公を食べて、それを口にする者はいない。
昭和44年の秋の終わり頃、初めて私は食べた。
札幌の予備校に通っていた年だ。 本で調べていった記憶がある。
当時の場所は、丸井のススキノ側に道路がある、その、もう1本ススキノ寄りの中通り。
その店で食べたのは、1回だけ。(この店は、昭和35年開店)
(※ その年は、最初のラーメン横町が取り壊された年で、まだ、龍鳳という店が残っていた。そこで、初めて、味噌ラーメンを食べた。 感動の味でした。 次の年の冬札幌オリンピック。道路拡張のため取り壊す)
店は、その後、狸小路7丁目に移転する。 アーケードがなくなる辺り。
店主は、「菅原富雄」さん。
ラーメンの修行は、三平。 味噌ラーメンを発明した創業者の大宮守人さんから学んだ。
(※ これは、本当の話かどうかは分からないが、富公は三平を越えた。それがあって、三平は、店で修行した者に、新しく店を出させることは、その後なかった。)
私は、狸小路に店が移ってから、何回くらい食べたでしょう。 7、8回か。
札幌に行って、食べなかったことは、一度もない。
店の作りは、角にあるため、入り口が二つあった。
L字型のカウンター。 8人くらい座れた。 後ろに、待つ人のための、長いすがあった。
店は、いつでも混んでいた。 午後3時頃でも。
真っ直ぐカウンターに座れた記憶はない。
外に並んでいる時もあった。
開店は、午前11時。 10時45分くらいになったら、どこからともなく人が集まる。
店の中に、会話はなかった。
話してダメなわけではないが、おしゃべりする雰囲気ではなかった。
うるさかったら、怒るんでないかと、だれもが、菅原さんを見て思った。
本当は、やさしい人。
二人連れで行った時、まず空いた席に座ることになる。 別々になることもある。
そのことを、おやじさんは、ちゃんと覚えていて、「おい、空いたぞ。こっちに座れ」と、二人を隣同士にさせていた。 照れくさくて、優しくは話せない感じの人だった。
もし、お客が戸をちゃんと閉めなかった、「こら、戸を閉めれ」って、言われた。
客は、話しをしないで何していたか。 ずっと、おやじさんのラーメンを作るのを見ていた。
退屈しない。 誰が見ても。
作るときに、山場が2つあった。
一つ目は、鉄のフライパンに油を入れ高温にし、そこに、モヤシとタマネギを入れる。すぐに、ボワッと1㍍ほどの炎があがる。 それに、みんな驚かされる。
二つ目は、茹でた麺の湯を切る動き。 網に入れたメンを高く放り上げ、それを網で受けて、「バシッ」て、思いっきり湯を切っていた。 麺をドンブリに入れた後、網に付いた湯を釜の縁に打ち付けて、落としていた。
初めての客は、みんなびっくり。 緊張感が漂う。
常連の客は、それが楽しみ。
みんな黙って食べる。 恋人同士だって、話しはしない。
誰もが行儀良く食べる。 残す人は、滅多にいない。
ライスは、皿で来る。 ライスが、皿の中でだらしなくならず、儀式かのように、端からきれいに食べてる客を何人も見た。 私もそうした。
店の中には、おやじさん一人。 奥に女の人がいた。(多分女の人。奥さんか)
顔を見たことはない。 奥(隣)では、洗い物と、ご飯の盛りつけをしていた。
片付けも、一人でしていた。
出来たラーメンを客に配るとき、片手で持っていた。 だから、いっぺんに二つ。
どう持つか。 親指をドンブリに、引っかけて持っていた。
親指が、スープの中に入るのは、しょっちゅう。
それに文句を言う客もいないし、きたないと感じ、いやな顔をする者もいない。
熱いはずなのに、その素振りは見せない。
食べ終わって、店を出るとき、「ごちそうさま」と言ったら、いつも「おっ」って一言。
それから、いつも、高下駄を履いていた。
また、雑誌などの取材は、絶対に受けなかった。
だから、店内の写真とかはほとんどない。 インターネットで見つけることの出来るのは1枚だけ。
唯一の写真はここに。
こんなことがあった。
あるとき、観光客風の人が、店の戸を開けて、こう言った。
「ここは、札幌ラーメンですか」と。 おやじさんは、こう言った。
「ただの、ラーメンだ」って。 店にいた客は、黙っていなかった。
「絶対に美味しい。食べてみな」って言って、無理矢理誘い込んだ。
味の特徴について。
全く水っぽくなく、ほんのりと、焦げた味がした。 それも、ニンニクの。
野菜といっしょに、ニンニクも入れていた。
野菜を炒めて、鉄のフライパンが目一杯高温になったときに、スープを流し込んでいた。
そのことで、油は、一瞬にして、乳化していた。(このことは、後で知った)
乳化した油は、さらっとしており、口にべたつかない。
だから、富公のラーメンに、油のまくはない。 絶品は、醤油味。
この味は、どこの店にも真似の出来ないものだった。
富公に、少しでも近づくことの出来た店はなかった。
ここだけの味だった。
もし、もう一度食べることが出来るのなら、100倍の値段を払ってもいい。
そこまで思う味だった。
後で知ったが、平成4年に店を閉める。
菅原さんは、食道がんで亡くなった。
私は、札幌に行くたびに、店を見に行ったが、閉まったままだった。
ある時、出張で札幌に行った。 晩、富公があった近くの焼鳥屋に入った。
店はどうなったかを聞くために。
そこで、菅原さんが亡くなったことを知った。
今は、富公の店の建物で、一徹という店がやっている。
ドンブリなど、富公から譲り受けた。 富公の味を追っている。
食べに行ってきた。 少しだけ、似た味がした。 60点くらいか。
見た目からして、違った。 野菜の載せ方など、雑だった。
形だけなら、すぐ真似が出来るのに。 研究が足りないと思った。
他に西区で、紫雲亭という店が、富公の味を追っている。 まだ、食べたことはない。
この店には、富公の暖簾が保管されている。
どちらの店でもいいから、富公の味に、近づいてほしい。
ラーメンで、こんなに感動できるなんて、考えても見なかった。
今日は、ここまでにします。
何か、思い出したら、追記します。
ブログが、長くなりました。
今、思い出して書いておかなければと思い、自分のためにも書きました。
今日は、留辺蘂の叔父が亡くなったので、この後、北見での通夜に行きます。
それで、ブログを急ぎました。
私をはじめて車に乗せてくれたのが、この叔父さん。 4歳の時。
「今日の歌」は、歌でなく、アコースティックギター。昨晩の演奏家。
曲名は、「The Most Evolved」(YouTube) いいですよ。
滅多に行きませんが、醤油が、まあまあ好き。
特徴は、どんぶりが平べったくて大きい。 スープが一杯入っている。
麺は、水分の多い多加水麺で、食感は「ぷるん ぷるん」 の感じ。
昔風を注文した。 塩ラーメンに近い。
味は、少し塩っ辛い感じ。 醤油の方が旨いかな。
昔のラーメンは、こんな麺ではなく、白っぽい低加水麺。
スープが多いから、汁が飛びにくい。 値段は、700円。 高くなってきた。
ところで、ここの店は、野菜を炒めない。 味の時計台に勝つのは大変かな。
気になることが一つ。 麺が茹で上がったら、空のどんぶりに移します。
そこに、スープが入るまで、1~2分以上時間があった。 たまに、こういうのがある。
製造の段階で、延びにくい麺にしているのかなと、思ってしまいます。
「スープがないんだから、延びようないだろうが」と、店は考えているのか。
他の客で、海苔を抜いている人がいた。 海苔は、なくてもいいな。

※ 2週間ほど前、風香(ふうが)で食べた。 ここも、700円。
最近は、普通のが、700円。
醤油ですが、スープが以前より、ずいぶんいいですよ。 サンパチより、上。
このチャーシューは、脂っこくて食べられない。


昔からある食堂が、少しずつ減っていきます。
ここは、出前とかで、流行っているので、店はなくなりません。
どのラーメンにも、少しだけ、フカヒレが入っています。
昔風のラーメン。 たまに、食べたくなる。
少し、ラードが強い。 昔の方がもっと美味しかったという人が多い。
個人的には、五十番食堂の方が少し好きかな。 ※五十番食堂の醤油ラーメン
