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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

8時30分発の、スーパー北斗3号に乗った。 先頭車両。
ぶつかったら、最初につぶれる。 また、そんなことを考えた。
長旅だ。 道新スポーツを買って読んだ。 日ハムが勝ったことを知った。
帰り1

大沼公園駅。 紅葉がきれい。
帰り2

駒ヶ岳。 (名前は、伝説に由来している)
帰り3

サケ釣りをしている人がいた。
カーブの多い路線だ。 振り子特急と言うのかな。
曲がるときは、すごく斜めになる。 スピードを落とさない。

トンネルだらけだ。 
トンネルに入るとき、「ピー」って汽笛を鳴らす。 少し後に、自分の耳も「ピー」って鳴った。
帰り4

ただ写しただけ。 普通列車は1両編成なんだろうな。
この車両には、4人くらいの親子と、あと数人しか乗っていなかった。

ローカル線の旅って、面白いのかな。 金がかかるな。
帰り5

カボチャアイスと「ホリ」のヨーグルト。 メロンのシロップをかけて食べた。
帰り6

おしゃまんべ。 これも、ただ写しただけ。 ただ、名前が何と言っても・・・。
帰り7

室蘭を過ぎたら、混み始めた。 10人ほどが立っている。 ここは、自由席の車両。

登別駅で、少し人が降りた。 斜め前の席が、2人分空いた。
そばに立っていた若い男の人が、近くにいた若い女の人に席を譲った。

女の人は、すみませんと、頭を下げて窓側に座った。
そうすると、その人の彼氏なのか、女の人に続いてのそのそと座った。 一言の言葉もなく。
それは、まるで金魚の糞のような動きだった。 
私は、「ばかやろう」と心の中で叫んだ。

登別を過ぎたら、山は海から離れ、土地は広がりを見せた。

札幌で、旭川行きに乗り換えた。 13時20分に旭川。
バスのキップを買ってから、蜂屋に向かった。

蜂屋は、この中通りにある。 5条7丁目。
帰り8

テーブルの数は15。 満席だった。 午後2時過ぎ。 
これだけ混む店は、ちょっとない。  相席ですわった。
帰り9

チャーシュー麺、脂っこく。 それと、小ライス。
古くからいる人が、今日はいなかった。
ちゃんと作れるのか、少し心配した。 だが、麺の固さとか、大丈夫だった。
帰り10

いつ食べても、旨いなあ。

この後、15時5分のバスに乗った。 着いたのは、5時半ころか。 真っ暗。



「今日の歌」は、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」 動画もいい。 一つの作品になっている。
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ラーメン好きが集まって、札幌のラーメンを話したとき、富公が登場しないことはない。
もう、16年も前に閉店しているのに。

富公のレベルは、今有名な純連や五丈源は、足下にも及ばない。
ラーメンは好みの問題だと言うけど、富公を食べて、それを口にする者はいない。

昭和44年の秋の終わり頃、初めて私は食べた。
札幌の予備校に通っていた年だ。 本で調べていった記憶がある。

当時の場所は、丸井のススキノ側に道路がある、その、もう1本ススキノ寄りの中通り。
その店で食べたのは、1回だけ。(この店は、昭和35年開店)
(※ その年は、最初のラーメン横町が取り壊された年で、まだ、龍鳳という店が残っていた。そこで、初めて、味噌ラーメンを食べた。 感動の味でした。 次の年の冬札幌オリンピック。道路拡張のため取り壊す)

店は、その後、狸小路7丁目に移転する。 アーケードがなくなる辺り。

店主は、「菅原富雄」さん。
ラーメンの修行は、三平。 味噌ラーメンを発明した創業者の大宮守人さんから学んだ。
(※ これは、本当の話かどうかは分からないが、富公は三平を越えた。それがあって、三平は、店で修行した者に、新しく店を出させることは、その後なかった。)

私は、狸小路に店が移ってから、何回くらい食べたでしょう。 7、8回か。
札幌に行って、食べなかったことは、一度もない。

店の作りは、角にあるため、入り口が二つあった。
L字型のカウンター。 8人くらい座れた。 後ろに、待つ人のための、長いすがあった。

店は、いつでも混んでいた。 午後3時頃でも。
真っ直ぐカウンターに座れた記憶はない。
外に並んでいる時もあった。
開店は、午前11時。  10時45分くらいになったら、どこからともなく人が集まる。

店の中に、会話はなかった。
話してダメなわけではないが、おしゃべりする雰囲気ではなかった。
うるさかったら、怒るんでないかと、だれもが、菅原さんを見て思った。

本当は、やさしい人。  
二人連れで行った時、まず空いた席に座ることになる。 別々になることもある。
そのことを、おやじさんは、ちゃんと覚えていて、「おい、空いたぞ。こっちに座れ」と、二人を隣同士にさせていた。 照れくさくて、優しくは話せない感じの人だった。

もし、お客が戸をちゃんと閉めなかった、「こら、戸を閉めれ」って、言われた。

客は、話しをしないで何していたか。 ずっと、おやじさんのラーメンを作るのを見ていた。
退屈しない。 誰が見ても。
作るときに、山場が2つあった。

一つ目は、鉄のフライパンに油を入れ高温にし、そこに、モヤシとタマネギを入れる。すぐに、ボワッと1㍍ほどの炎があがる。 それに、みんな驚かされる。
二つ目は、茹でた麺の湯を切る動き。 網に入れたメンを高く放り上げ、それを網で受けて、「バシッ」て、思いっきり湯を切っていた。 麺をドンブリに入れた後、網に付いた湯を釜の縁に打ち付けて、落としていた。

初めての客は、みんなびっくり。 緊張感が漂う。
常連の客は、それが楽しみ。

みんな黙って食べる。 恋人同士だって、話しはしない。
誰もが行儀良く食べる。 残す人は、滅多にいない。
ライスは、皿で来る。  ライスが、皿の中でだらしなくならず、儀式かのように、端からきれいに食べてる客を何人も見た。 私もそうした。

店の中には、おやじさん一人。 奥に女の人がいた。(多分女の人。奥さんか)
顔を見たことはない。 奥(隣)では、洗い物と、ご飯の盛りつけをしていた。

片付けも、一人でしていた。
出来たラーメンを客に配るとき、片手で持っていた。 だから、いっぺんに二つ。
どう持つか。 親指をドンブリに、引っかけて持っていた。
親指が、スープの中に入るのは、しょっちゅう。
それに文句を言う客もいないし、きたないと感じ、いやな顔をする者もいない。
熱いはずなのに、その素振りは見せない。

食べ終わって、店を出るとき、「ごちそうさま」と言ったら、いつも「おっ」って一言。

それから、いつも、高下駄を履いていた。

また、雑誌などの取材は、絶対に受けなかった。
だから、店内の写真とかはほとんどない。 インターネットで見つけることの出来るのは1枚だけ。
                                     唯一の写真はここに。
こんなことがあった。
あるとき、観光客風の人が、店の戸を開けて、こう言った。
「ここは、札幌ラーメンですか」と。 おやじさんは、こう言った。
「ただの、ラーメンだ」って。 店にいた客は、黙っていなかった。
「絶対に美味しい。食べてみな」って言って、無理矢理誘い込んだ。

味の特徴について。  
全く水っぽくなく、ほんのりと、焦げた味がした。 それも、ニンニクの。
野菜といっしょに、ニンニクも入れていた。
野菜を炒めて、鉄のフライパンが目一杯高温になったときに、スープを流し込んでいた。
そのことで、油は、一瞬にして、乳化していた。(このことは、後で知った)
乳化した油は、さらっとしており、口にべたつかない。
だから、富公のラーメンに、油のまくはない。  絶品は、醤油味。

この味は、どこの店にも真似の出来ないものだった。
富公に、少しでも近づくことの出来た店はなかった。
ここだけの味だった。
もし、もう一度食べることが出来るのなら、100倍の値段を払ってもいい。
そこまで思う味だった。

後で知ったが、平成4年に店を閉める。
菅原さんは、食道がんで亡くなった。

私は、札幌に行くたびに、店を見に行ったが、閉まったままだった。
ある時、出張で札幌に行った。 晩、富公があった近くの焼鳥屋に入った。
店はどうなったかを聞くために。
そこで、菅原さんが亡くなったことを知った。

今は、富公の店の建物で、一徹という店がやっている。
ドンブリなど、富公から譲り受けた。 富公の味を追っている。
食べに行ってきた。 少しだけ、似た味がした。 60点くらいか。
見た目からして、違った。 野菜の載せ方など、雑だった。
形だけなら、すぐ真似が出来るのに。 研究が足りないと思った。

他に西区で、紫雲亭という店が、富公の味を追っている。 まだ、食べたことはない。
この店には、富公の暖簾が保管されている。

どちらの店でもいいから、富公の味に、近づいてほしい。

ラーメンで、こんなに感動できるなんて、考えても見なかった。

今日は、ここまでにします。
何か、思い出したら、追記します。
ブログが、長くなりました。
今、思い出して書いておかなければと思い、自分のためにも書きました。

今日は、留辺蘂の叔父が亡くなったので、この後、北見での通夜に行きます。
それで、ブログを急ぎました。
私をはじめて車に乗せてくれたのが、この叔父さん。 4歳の時。



「今日の歌」は、歌でなく、アコースティックギター。昨晩の演奏家。

              曲名は、「The Most Evolved」(YouTube)  いいですよ。

サンパチで、ラーメンです。     紋別、ツタヤの近く。
滅多に行きませんが、醤油が、まあまあ好き。

特徴は、どんぶりが平べったくて大きい。 スープが一杯入っている。
麺は、水分の多い多加水麺で、食感は「ぷるん ぷるん」 の感じ。

昔風を注文した。  塩ラーメンに近い。 
味は、少し塩っ辛い感じ。  醤油の方が旨いかな。
昔のラーメンは、こんな麺ではなく、白っぽい低加水麺。

スープが多いから、汁が飛びにくい。  値段は、700円。  高くなってきた。

ところで、ここの店は、野菜を炒めない。 味の時計台に勝つのは大変かな。

気になることが一つ。  麺が茹で上がったら、空のどんぶりに移します。
そこに、スープが入るまで、1~2分以上時間があった。  たまに、こういうのがある。
製造の段階で、延びにくい麺にしているのかなと、思ってしまいます。
「スープがないんだから、延びようないだろうが」と、店は考えているのか。

他の客で、海苔を抜いている人がいた。  海苔は、なくてもいいな。

ラーメン2


※ 2週間ほど前、風香(ふうが)で食べた。  ここも、700円。
   最近は、普通のが、700円。

   醤油ですが、スープが以前より、ずいぶんいいですよ。 サンパチより、上。
   このチャーシューは、脂っこくて食べられない。

ラーメン1
久しぶりに、かど でラーメンを食べました。
かど

昔からある食堂が、少しずつ減っていきます。
ここは、出前とかで、流行っているので、店はなくなりません。

どのラーメンにも、少しだけ、フカヒレが入っています。

昔風のラーメン。  たまに、食べたくなる。
少し、ラードが強い。   昔の方がもっと美味しかったという人が多い。

個人的には、五十番食堂の方が少し好きかな。  ※五十番食堂の醤油ラーメン

らーめん
どこで食べるか迷ったけど、浅草軒に行きました。
決定的な店がない。  
意外に、居酒屋とかのもうまい。 (藤井という店は特においしい)
浅草軒

普通の根室麺より、太め。  量が多い。
個性的な店が、昔より減った。  チェーン店が増えてきた。

根室で、幻のラーメンは、やはり、汐見軒かな。  今はないが。
3浅草軒

根室で一番有名な食べ物は、エスカロップ。
この「どりあん」が、本流か。  ポスフールのそば。
30年前は、駅前にあった「二ューモンブラン」で食べることができた。
どりあん

バターライスに、薄いトンカツがのっかてる感じ。
結構、脂っこい料理。
エスカロップ

今回の二つは、イマイチかな。  感動までは、少し遠い。

akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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