せっかく会津若松にいるから、鶴ヶ城を見ることに。



この城は、戊辰戦争の時、幕府軍と明治政府軍とが戦った。 丈夫な城だった。
石垣の隙間に、薄い石がある。

太鼓門から入った。

石垣に変わった階段があった。 武者走りとあった。 太鼓門に登る。

鶴ヶ城稲荷神社。 この城の守護神。

瓦を、新しいのにしていた。 ここの城は、1965年に復元されたものだった。

石垣は、昔のまま。 ここは、塩蔵。 会津に海は無いから、塩は貴重。

城の中は、資料館。 鉄筋コンクリート。
少し前に、あったのかな。


鉄砲を持つことができた。 重い。 日本刀は、鉄砲よりは大分軽い。

昔の城と、今の城。


寺の建物を復元する時、鉄筋コンクリートにはならない。 城は、どうしてかな。
熊本城は、木造での復元に切り替えましたね。
本丸御殿は、素晴らしいものだった。 新しいけど、見応えがあった。
熊本城の人気の秘密は、この辺にあるように思う。
結論を言うと、鶴ヶ城は、何かが足りない。 見所が見つからない。
外を歩いた。


茶室麟閣を見た。 千利休の子の、少庵が作ったとあった。


ここが、茶室。

茶と言うのを、ちゃんと飲んだことはない。


感じのいい庭だった。

荒城の月の碑。

「荒城の月」の詩は、土井晩翠が、取り壊された鶴ヶ城をモデルに書いたと言われている。 ※ 他に、青葉城も。
瀧廉太郎がイメージしたのは、岡城址。 ※ 関連ブログ 岡城址

飯盛山。 打ち水をしていた。

ちょっとの石段なのに、エスカレーターがあった。 250円。 高い。

山を人巡りすることに。

上の写真の、左の像。 重そう。

山にトンネルがあって、水が来ていた。
今から400年前に、掘った。 長さ150㍍。 1日平均50人働いて、3年かかった。
猪苗代湖の水を引いた。 白虎隊も通ったとあった。

この上に、さざえ堂が。

雰囲気が違う。

拝観料400円。 入ってみた。

時計回りで、スロープ。

頂上。 反対回りで下りる。

こう。

真中は、このように。

出口。 同じ道を通っていない。 不思議な建物。

一番下は、上り。 その上は、下り。 その上は、上り。 その上は、下り。

こんな建物。 江戸時代に建てられ、明治に入って修理。

当時日本に伝わっていた、このような図。 ※ 2重螺旋(らせん)と言うそう。

宇賀神堂。


白虎隊の像があった。 服装は洋服。

会津若松の町並み。

少し歩いたら、白虎隊の墓があった。

1868年、この山で自刃した。 19人。 16歳から17歳の若者。

向こうに下りる。

小さな広場が、自刃した場所。

像と碑があった。

真ん中辺りに、鶴ヶ城が。

鶴ヶ城を見ている。 この表情は、どういう意味だろう。

登山口に向かった。 高い所なので、涼しいだろうと期待も。
途中に会った、小野川温泉。 ここも、小町と関係がある。 近々歩いてみようと思う。
ここの温泉は、黒川温泉を学び、再開発を行っている。 ※ 黒川温泉。

ロープウェー乗場が見える。

近くに白布観音があったので見た。 古い。


ここは、ネットの繋がりが悪かったので、この後、100㍍程下に動く。
この場所は、直江兼続が、鉄砲を作った場所とあった。

さざえ堂が、面白い建物だったでしょうか。
ここへ来る時、草木塔の古里を通って来た。 去年取材した。
【停泊場所】 白布温泉の、ロープウェーの近く。 ここです。
【明日の予定】 吾妻山へ
【今日の歌】 愛しき日々(YouTube)
白虎隊(YouTube) 流れる曲は、荒川静香がメダルを取った時の、エキシビションの曲。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で8位です。
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でも、他とは違う伝説だった。 墓に、菊の紋が入っていた。
あぶくま洞は、感動ものだった。
鍾乳石、石筍が、山ほどあり、地底に広がる幻想世界だった。
道の駅ばんだいに、フリースッポトがあり、ネットが使えるとあったので来た。
でも、パソコンの設定がうまくいかず、諦めた。(方法は、ネットで調べたが)
※ 使用する場所が、道の駅の中だったので、車が離れすぎていたかも。
どうしようもなくて、10㌔ほど走って、会津若松のネットカフェへ。
4日分あるので、記事は簡単に。 (19日夕方)
【追記】 20日の朝です。 FC2と繋がりました。 一安心です。
昨夜書けなかった所は、書いていきます。
この滝は、乙字ヶ滝。

滝の形が、乙の字だという。 幅100㍍。 落差6㍍。 川は、阿武隈川。

芭蕉の句碑が。 1689年6月16日に来ている。
五月雨の 滝降りうずむ 水かさなり ※ うずむ~うずめる

橋から。

小野町の通り。 小町の生誕の地としての伝説がある。

都から来た小野篁(たけむら)と、地元の愛子(めずらこ)の間に、小町は生まれたという。
鬼石を見に行った。

途中で会った人が、愛子の墓を教えてくれた。 五輪塔が墓。

墓に、菊の紋があるのは、珍しいといった。

鬼石は山の上の方。

小野篁は、子供の小町を連れて、都に行った。
愛子神社。

鬼石。 この石の上に立って、見送った。 また、帰りを待った。

小野篁の館跡。 駅のそばに。

伝説については、ここに。
おのにいまち(小野新町)駅。

小町温泉。

ここで生まれたとあった。 ※ もちろん、すべて伝説。 資料は無い。

小野町から10㌔ほどの所に、あぶくま洞はあった。 昔、石灰岩を掘った。 洞窟が見つかって、掘るのはお終い。

夏休みに入っているので、観光客が多い。

ここから入る。

人で、渋滞した。

ストロボをたくと、こうなる。 こんなには、明るくない。

広い空間に出た。

こんなの見たことあったろうか。

圧倒される量の、鍾乳石。

ストロボ使用。

こうですからね。

軽く、ライトアップしている。 写真より、少し薄い。

ここの鍾乳洞の長さは、600m。(人がはいれる部分)

何かに、見えてくる。

別の場所。

満足して、道の駅ばんだいに。 遠い。 郡山市内。 以前の職場に、この町から来た人がいた。

磐梯山。 昨年の秋に登った。 ※ 関連ブログ 磐梯山

※ ネットカフェの狭い所で、こんな感じで作業。 私のパソコンは、FC2以外は繋がる。

【停泊場所】 ネットカフェの駐車場になると思う。
【明日の予定】 鶴ヶ城かな。 去年通ったけど、寄らなかったから。
近々、吾妻山に登る予定。
※ 次回の記事の更新は、3日後くらいでしょうか。 もっと、北の町で。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で7位です。
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その道は、会津鉄道と国道の通っているところだと思っていた。
どうして、大内宿がそこから離れているかが、分からなかった。
行ってみたら、いろいろ分かりました。
喜多方の近くを南に下った。 ナビは、国道でない道を案内した。
見覚えのある所を通った。
下の写真。 左に行ったら、昨日のブログに書いた、雄国沼だ。

会津の街を過ぎた。 国道121号線だが、ここが会津西街道だと思っていた。

途中から国道を離れて、県道131を走って大内宿に向かった。
後で知ったが、ここが会津西街道だった。
小さな宿場町かと思ったら違った。 昼過ぎに着いた。 場所はここ。
平日なのに、駐車場の整理をする人が、10人くらいいた。
人がたくさんいた。 道が広い。

駐車場はいっぱいあって、近いところは300円。 離れたら無料のようだ。
春と秋の連休は、交通渋滞を起こすそう。 それが、ずっと離れた国道までも。
昔から道の広さはこう。

両側は、全部お店屋さん。 そば屋が多い。

店の前には、水が流れている。
綺麗な水だ。 昔はここで洗い物などもしたそうだ。

ここは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
昭和56年のことで、日本で3番目。
最初に指定された所は、妻籠(つまご)宿。 関連ブログ。

建物だけでなく、通り全体の雰囲気がよかった。
今の人達のセンスも取り入れて。
すべて昔のままにするのは難しいから、それでいいと思った。

向こうから、ゆるい坂を上ってきた。
保存されてる所の長さは、450㍍。 全体の規模が、妻籠宿より大きい。

店は覗かないで、写真を撮りながら歩いた。
突き当たったところに、説明板があった。

上の方に神社があったので行ってみた。 近くから、下の方全体が見渡せた。

この宿場の向こうは、狭い谷が続き、次の宿場まで遠かった。
反対側の後の方は、峠が続く。
会津西街道の交通の難所に、ここはあった。
ここだけ、少し大きな谷が合流しているため、土地が開けていた。
峠に向かう人、峠を下りた人誰もが、この宿場で休んだ。 重要な宿場だった。
屋根の形は、みんないっしょ。 人、人、人だ。

こんなに広い道が、どうして必要だったのか。

店は奥が深く、店と店との間は、小路のように中に入っていける。

全体の写真は撮り終わったので、この店で蕎麦を食べることにした。

となりに客がいた。 写真を撮らせてくれた。
こうやって食べるんだと、教えてくれた。

ネギ蕎麦。 このネギで食べる。
ネギをどこに置いて写真を撮ろうかと考えていた。
隣の客が、箸を置くつもりで置けばいいと言った。 なるほどと思った。
それで、ここに。
ネギの箸はだんだん短くなった。 そして、苦くなっていった。
平たい麺で、美味しかった。

つゆまで飲んでしまった。
※ それがまずかった。 この後、水をしょっちゅう飲んだ。(そして、晩に調子が悪くなった)

上の写真にも写っている、店の主人。 この人が、たくさん教えてくれた。

鉄道や国号は向こうなのに、どうして街道はこっちなのかを聞いた。 こう言った。
昔は、今の国道の方に、道を造る技術がなかったと。 なるほどと思った。
よく昔の家が残ったねと言ったら、説明してくれた。
その内容は、私には予想がついていた。(妻籠宿と似ていると思った)
ここは、取り残されていた。
経済の発展が始まった時代、他の宿場は、みんな家を建て替えた。
大内宿の人達は、それが出来なかった。
家を新しくしたり、屋根をトタンにしたのは一部だけだった。
昭和50年代に入って、古い家を残そうとなった。
意見は分かれたが、何とか今のようにできた。
反対だった人達も、家を昔に戻した。
そんなことを話してくれた。
※ この他、街道を造るときに、農民に大きな負担がかかった。
そのため、喜多方事件(福島事件)がおきた。 これについても説明してくれた。
この後は、面白い物がないか見て歩いた。 観光だ。
どこも、店の雰囲気がいい。 ここもいい。 黄色の丸のが気になった。

ホオヅキを薬品で、繊維だけにして、中に小さな電球をつけた。
こんな雰囲気。(写真を暗くしてみた)

愛嬌があった。 リンドウもいい。

南蛮は、赤か緑のどっちかだ。
店の人に、赤いのと緑があるのですか、と聞いたら、青から赤になると言った。考えれば当然だ。
でも、中間が無いのが不思議だ。 急に赤になるのか。

こんなのもいい。 何の実だったかな。

これもいい。

こんなカエルが売っていた。 一番小さいこれを買った。 1200円。
この値段なら買えるので、買って帰ることにした。
また問題です。 このカエルは面白いです。 どうしてでしょう。 答えは、最後に。

じゅうねん味噌がどこでも売ってる。
十年寝せるんですかと聞いたら、十年は「エゴマ」のことだと言った。

じゅうねんあんパンがあった。

10年長生きできると書いてあったので、買ってしまった。

いろいろ見て、甘酒を飲んだりして、楽しくすごした。
大内宿を出たら、道はすぐ狭い谷に入って行く。

国道に出たら、会津線の列車が来た。

大内宿はいいところでした。
昔の様子が残っているだけでなく、楽しむこともできました。
近くには、昔の街道も残っているので、今度来たら歩いて見ます。
問題の答え
棒を引き抜いて、太い方でカエルの背中をなで上げると、カエルの鳴く声がします。
気持ちいいから鳴くのか、その辺は分かりません。
【道の駅】 たじま 場所はここ。
【明日の予定】 日光に行ってみます。 (時間があれば)
※ 時間がないので、歌は省略。
※ このブログの細かな修正は、まだ。 誤字脱字がありそう。
南下を急ごうと思っているが、日光までどう行くかが決まらない。
面白そうな所が見つからない。
こういう時は山だ。
ということで、磐梯山の登山ルートと、天気を調べた。
大変な山でないことは、分かった。 3時間みたら、行けそうだ。
天気は、晴れるが午後から下り坂。
朝5時半に起きた。 片付けたり、ブログのコメントを書いていたら、6時半。
安達太良山の駐車場を、急いで出た。
有料のゴールドラインを最後に通る。 宝の山だから、ゴールドラインだ。
途中食べ物を買って、8時前に、八方台登山口に着いた。 人は少ない。 場所はここ。
これは、案内板。 6月に行った、雄国沼が見える。 地図の上が南。
熊に注意の看板があったので、スプレーを持った。 人が少なそうなので、ナビも。
ここから入っていく。 8時30分出発。
25分ほど、こんな所を歩いた。 ぱらぱらと、人はいた。
林を抜けたら、ここに出た。 中ノ湯。 磐梯山が見えた。 8時55分。
ここには、昔、温泉があった。
上を過ぎたら、登り始めた。 時々見晴らしがよくなった。
これは、檜原湖。 磐梯山が爆発して川を堰き止めた。 だから、ダム湖ではない。
いつものことだが、石の多いこんな道を登った。 上の人とは、しばらく一緒だった。
1時間ほど歩いたら、視界が開けた。 頂上は見えてない。 すこし奥。
丸の所に、弘法清水小屋がある。
寒くはなく、そよ風に誘われるように歩いた。
小屋は、もうすぐ。
10時10分過ぎに、弘法清水小屋に着いた。 疲れはない。
飲み物や、食べ物も売っていた。
朝ご飯は食べていなかったので、ここで食事をした。 豚汁を300円で食べた。
ここにある全ての物は、店の主人が毎朝、担いで登るそうだ。
荷物の重さは30キロくらい。 毎日、登山だ。
10時40分出発。 あと30分だ。
道は急になり、こんな状態。 この写真の数分後に、頂上に着く。
足が疲れたら、30秒くらい休めばいい。 写真を撮ってもいいし。
頂上に着いた。 11時10分。 休みを入れて、2時間40分。
小屋があるが閉まっていた。
頂上の標識は、小屋の横に。 写真中央の少し右に、会津若松市が霞んで見える。
頂上には、石が積まさっていた。 北に檜原湖が見える。
南の方に、猪苗代湖が見えた。 日本で4番目の広さ。 大きい。
昨日登った安達太良山が見えた。 真ん中より少し右。 ぽつんと、出てる。
この山。 左の方に下りて行った。
西より、少し北の方向。 雄国沼が見える。 ニッコウキスゲを見に行った。
その向こうは、喜多方市。
こんな感じ。 丸の所まで、小さなバスで上った。
丸の右の方に、道が見える。 左の方から下りた。 花は、満開だった。 関係ブログ。
北より、少し東に、小野川湖と秋元湖が見える。
写真を撮り終わって、知人に電話をしたりしていた。
周りが急ににぎやかになった。
登山家の田部井淳子さんが来ているという。
そっちの方に行ってみた。
人に、田部井さんはどの方ですか、と聞いたら、この方ですよ、と言った。
私のそばにいた。 その声にこっちをふり向いた。
写真をお願いしたら、快く撮らせてくれた。
田部井さんは、現在70歳。
世界最高峰エベレストに、女性世界初の登頂に成功したことで知られている。
田部井さんと一緒に登る、団体の登山の様だった。 この後下山した。(食事は、弘法清水小屋の広場で)
私も、少しして下山開始。 11時50分。
少し下ったら、テレビ局の取材班が登ってきた。
止まって、下山する人達を撮影していた。
私もそこに近づいた。 カメラは、こっちに向いている。
私は、アナウンサーの雰囲気の人に、「田部井さんを取材してるのではないのですか」と聞いた。
「違うんですよ」と言った。 そして、こう付け加えた。
「私も、もっと知られた人だったらな~」と言った。
※ 意味は、田部井さんには人がいっぱい集まったが、自分はそうでなかったから。
「どこのテレビ局ですか」と聞いたら、
「テレビ新潟ですよ」と言った。
話しが雑談ぽくなったので、途中から、取材カメラは下の方を撮っていた。
いつまでも話せないから、写真のお願いをした。 撮らせてくれた。
それが、この写真。 明るい雰囲気の方だった。
こんな道を下った。
山の紅葉は、山場を過ぎていた。
昔あった温泉が見えてきた。(中ノ湯) もうすぐだ。
お湯が湧き出ている所があった。 手を入れてみたら、40度くらい。 源泉でこれなら低い。
ゴールが見えた。 着いたのは、13時40分。 往復、4時間ちょっとだった。
すぐ、五色沼に向かった。 場所はここ。
空は暗い。 雨が降りそうな雲行きだ。
せっかくの沼が、いい色にはならない。 正面右の山が、磐梯山。
雰囲気はいい。
実際は、これよりもっともっと暗いが、それで評価するのは悪いので、明るく撮ってみた。
こんな風に写った。
鮮やかさには欠けるが、柔らかい、いいブルーだ。
木の隙間から撮ることが多かった。
場所によって、色が違った。
ミルキーブルーという感じか。 (これを見た後、雨が降ってきて戻った。見たのは2つかな)
感動のブルーだったかですね。
きっと晴れてたら、写真のよう見えると思います。
でも、この写真は、いい所を探して撮りました。
倒れた木が、だらしなく沼に入っていたり、何かの建造物が沼の中で壊れたままになっていたり、問題がありました。
木が育ちすぎて、見えないのも考え物です。
周りの環境は、絵の額のようなものですから。
結論は、環境が整ったら、感動のブルーの可能性がある。
そんなとこでしょうか。
磐梯山が、宝の山かどうかについて。
まず調べてみました。
磐梯山の民謡の歌詞に、こういうのがあります。
「会津磐梯山は宝の山よ。笹に黄金かエ~なり下がる」
磐梯山には、どこにでも笹が生えている。
昔、この地方で飢餓があった。その時、この笹に黄金色の実がなり、それを食べて飢えを凌いだという言い伝えがあるそうだ。
笹は数十年に一度しか実を付けないので、その時の笹の実は、人々にとって宝だったということでしょうか。
今も宝の山かというと、そのようです。
観光客がたくさん来て、お金を落としますから。
私も、普通に見える道を走るのに、730円払った。
また、磐梯山から流れる水が、周りを潤し豊かにしている。そう言う意味でも宝の山。
ということで、磐梯山は宝の山でした。
※ その宝の山を大事にしているのか、と言うことだけど、そうとは言い切れない。
スキー場の造成によって、山肌はたくさん剥がされた。 観光開発も進んでいる。
【道の駅】 裏磐梯 近くに温泉もあった。 少しぬるい。
【明日の予定】 大内宿に行きます。
《今日の歌》 会津磐梯山(You Tube)
もう一つ。 いいですよ。 外国の子供達が歌っている。
ハイキングの感じで登ることが出来ました。
見下ろした風景が良いため、たくさんの人がいました。
※ 今日は少し急いでいます。
明日早く起きれたら、磐梯山に行こうと思っています。
ほんとうに宝の山か確かめたい。
また、近くに、自慢している五色沼がある。 感動のブルーか、それも確かめたい。
上りは、ゴンドラに乗った。 6人乗り。 片道900円。
昨日、麓のガソリンスタンドで100円割引の券をもらったので、800円。

ゴンドラの終点駅出発は、8時23分。 少し歩いたら、展望台があった。
そこに、これがあった。
昨日のブログの、智恵子抄の歌に出てきた画像は、ここでの写真だった。

その展望台から、遠くに駐車場が見えた。 私の車は、○の中。
実は、今もそこにいる。 明日からのコースが決まらなかったので、動けなかった。
ネットの調子がいいので、パソコンは快調。
楽な時だけ張り切っても、実力は認めてもらえないのに。
手前に並んでいる人は、券を買うために。 向こうは、乗るために。 観光地だ。

ササとシャクナゲのトンネルの様な道を歩いたら、こんな感じの道になった。

人は、数珠つなぎの様だった。
お年寄りも多い。
人のことは言えないが、他に行くとこはないのか。
そのことを聞いたら、「川の向こうに行くのはまだはやいので」と、言われそうだ。

なんぼも歩いていないのに、頂上が見えてきた。

この人の数です。 頂上に上がるために並んだ。

ここが、安達太良山の頂上。 1700㍍。
10時ちょうどだった。 1時間半ちょっとで来た。
これで、100名山、7つ目。
さっきまで雲はなかったのに、周りは見えなかった。

下の様子。

風が冷たいので、別の方からすぐ下りた。

下山は、くろがね小屋を通るコースにした。 下の駐車場に着く。
写真に見える道。 来るときは、右の方から。

分岐点に来た。 くろがね小屋を通らない近道があった。
今日は、分岐点が4つあったが、全部遠回りをした。
頂上が見える。

秋が深まってきたので、風は冷たい。 ずっと上着を着ていた。
小さな雲のかたまりが、駆け足で通り過ぎていく。
陽が差してくると温かい。 そんな時、太陽の有り難さを、直に感じる。
この場所で、食事をした。

今日はどうだい、って足に聞いてみた。 そうしたら、
「ふだんと、いっしょじゃん」って、生意気なことを言った。 鳥海山では、泣きごとを言ったくせに。

紅葉が始まっているが、完璧ではない。 (追記 訂正 始まっているのではなく、終わりかけていた)
それを、綺麗に撮るのは大変だ。 ここでは、カメラの設定をいろいろ変えて撮った。全自動も含めて。
※ この写真の情報は、ISO640。 シャッター速度は、400分の1。
もっと何とかなりそうだが、分からない。

下に見えるのは福島市。

この辺りで温泉が湧いているのか。 硫黄の匂いがした。

こんなところを降りて行った。 まあまあ綺麗ですね。

くろがね小屋に着いた。 11時23分。 ここで、温泉に入ることもできる。

さらに下山した。 くろがね小屋が見える。

分岐点があったので、こっちの道を。 遠回りのぶん、急な下りはない。

報道のヘリと思う。 紅葉が始まったことと、人出が多いので。

コップが置いてあった。 飲めるのかな。 今日は、ほとんど水は飲まなかった。

ゴンドラの乗り場が見えてきた。

道は、また分岐していた。
あだたら渓谷自然遊歩道があったので、そっちを通った。
若い男の人が、何かを見ていた。 何見ているんですかと聞いた。
この木を見ていた。 別々に生えた木が、途中でくっついていた。
どうしてこうなるか考えた。 今日は、すぐ分かった。
いつものことですが、ここで問題です。
どうして、この木はくっついたのでしょう。 答えは、写真の下に。

答えは、気が合ったから。
真面目に考えていても、こんなことばっかり思いつく。
ほんとうは、そういう自分が、好きではないんですよ。

山に登らないで、ここを見に来る人もいた。

小さな滝が、いくつもあった。

13時40分に、駐車場に着いた。 のんびり、5時間ほど歩いた。
今日は、智恵子が毎日見て育った、安達太良山に登りました。
その空は、抜けるように青い、ほんとの空でした。
【停泊場所】 昨晩と同じ。 少し寒い。 時々、ヒーターを入れます。
山から下りて、すぐここの温泉に入りました。 少し熱めで、それがいい。
【明日の予定】 ブログが早く終わりました。
明日は、早く起きて、磐梯山に向かいます。 五色沼に何とか寄りたい。
【今日の歌】 昨晩と同じ。 智恵子抄(You Tube) 菊人形の会場では、この歌がずっと流れていた。