銀山温泉の旅館は、大きな木造建築だった。
どこも古い建物で、大正ロマンが漂っていた。
歩いて楽しい、黒川温泉とは違った魅力を持っていた。
夜になったら、温泉街に、ガス灯が点いた。
夕食の終わった観光客は、再び外を歩いていた。
8時半に、橋の上で、尾花沢が発祥と言う、花笠音頭の踊りがあった。
昔、銀山があったので、銀山温泉。 ここです。
公共の駐車場に車を停めたが、十分な広さではなかった。
下の写真の橋から、車は進入禁止。
ここからが、銀山温泉の温泉街。 このことは、すぐには分からなかった。
ここへ来るまでが雑然としていたので、ここでの大きな感動や驚きはなかった。
黒川温泉との違いでしょうか。
川の両側を歩くことが出来る。 旅館も両側に。 裏道や小路はない。
多くの建物は、大正から昭和初期のものという。 一目古い。 味がある。
木造だけど、建物が大きい。 橋がたくさんある。
向こうから来た。
さらに奥に来ると、この感じ。 向こうから来てる。 この辺りから散策路になる。
銀山温泉の散策路は楽しい。 この温泉の大きな特徴。
変化に富んだ道を歩く。 小さな滝や祠や、昔の坑道の跡などがある。
コウモリ穴などもあって、最後に、銀坑道。 自由に見ることができる。
本物の坑道。 40㍍くらいで別の所に出た。 こういうのが、いい。
小さな公園に、昔の銀山温泉の写真があった。
左から、明治初期、大正、昭和初期。
今の、冬。 雪が多いですね。
白銀の滝。 散策路にあるから、これで十分。 贅沢言えない。
散策路は、全部歩いたら、30分ほど楽しめる。
忘れていた。 少ししか入れないが、こんな坑道もあった。
奥から、寒いくらいの風が出ていた。 夏しらず坑、と名前があった。
しばらくいた。 毎日暑い。 ※ 暑いから、山に登りたくなる。
来た道だが、ここを通って戻る。
椅子やベンチがあちこちに。 勝手に座っていい。
橋の上に人がいたので、話しかけることにした。
オトギリソウ。 陰乾しした後、煎じて飲むそう。
病院の薬のようにすぐには効かないけどねと、女の人は言った。
いろいろ教えてくれた。
① ここは、今は、尾花沢市。 昔は玉野村と言った。
② 昔、杉の木を植えた後は、大変な洪水が続いた。 今は広葉樹が育ったので、減って来た。 ブナの原生林もあり、大事にしている。
③ おしんのドラマで、銀山温泉のお客は一気に増えた。 それまでは、湯治場だった。
他にも、いろいろと。
旅館と言っても、作りが凝っている。 能登屋。
能登屋の全景。 おしんが奉公したとされる。
こんな旅館に、私は泊まったことはない。 木造で、こんなに大きいのが不思議だ。
気温は30度ない。 過ごしやすい。 散歩する人。 ベンチに座る人。 いろいろ。
左に、公衆浴場。 晩に入る。
古山閣。
壁に絵が並んでいた。 鏝絵(こてえ)だそう。 国東半島で見たのかな。 城下カレイの獲れるとこで。
「涼しさを わが宿にして ねまるなり」とある。
芭蕉が、尾花沢で詠んだ句ですね。 ※ 関連ブログ 奥の細道と尾花沢
能登屋の建物。 この部分の目的は何でしょう。 行ってみたくなる。
歩いていたら、晩の8時半から「花笠踊り」があると、地元の人が教えてくれた。
ガス灯も見たいから、見学することにした。
車に戻って、食事を終わらせ、7時過ぎに出直した。 薄暗くなってきた。
お風呂に入った。 300円。 料金箱に入れる。
熱くて入れない。 48℃はある。 水を勢いよく出して、そこに入った。 46℃の感じ。 やっと。
日焼けした腕は、出したまま。
日は沈んだ。
ガス灯が点いている。 ※ プロパンガスを使っているそう。
奥に向かった。
月明りで撮影。
スリッパが、揃っている。
能登屋です。
いい感じだ。 夜も、そぞろ歩きたくなる雰囲気。
夕食を終えた人たちが、外に出始めた。
みんな浴衣に下駄。
橋の上で、花笠踊は始まった。 花笠音頭の歌に合わせて。 人がいっぱい。
いそがしい踊りだ。 体力がいる。 尾花沢は、この踊りの発祥の地。(大丈夫のよう)
笠の動きは速い。
2か所の橋で踊った。 音楽と踊り、二つ合わさるとなおいい。
みんなそれぞれ、旅館に戻った。
この時、9時少し前。 私は今晩どこに停泊するか、決まってない。 戻って調べて、道の駅 尾花沢 に向かう。
銀山温泉は、いい温泉地でしたね。
そぞろ歩きが、昼も夜もしたくなる。 そこがいい。
問題は、いくつかありました。
どこも、自分の旅館や店の前は、掃除も行き届いており、雰囲気もいい。
でも、共通の場所や遊歩道は、壊れたままだったり、管理が不十分。
この辺りが、黒川温泉との大きな違い。
※ 時々黒川温泉を出しますが、黒川温泉と由布院温泉が、日本の温泉を変えた、また、変えている、と言われている。
他には、公共の駐車場が整備されるといいですね。
そうすると、ふらっとみんな遊びに来る。 足湯だけで帰るかもしれないが。
その人達が、今度は泊まりに来る。
他の人を連れてくるかもしれないし、宣伝してくれるかもしれない。
ああだこうだ言ったけど、銀山温泉は、いいですね。
日本の温泉の、トップ10に入る。 そんな温泉だった。
【道の駅】 尾花沢 この辺り。
【明日の予定】 検討中。
【今日の歌】 銀山温泉での花笠踊り(YouTube) 同じ踊りをやっています。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で8位です。
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どこも古い建物で、大正ロマンが漂っていた。
歩いて楽しい、黒川温泉とは違った魅力を持っていた。
夜になったら、温泉街に、ガス灯が点いた。
夕食の終わった観光客は、再び外を歩いていた。
8時半に、橋の上で、尾花沢が発祥と言う、花笠音頭の踊りがあった。
昔、銀山があったので、銀山温泉。 ここです。

公共の駐車場に車を停めたが、十分な広さではなかった。
下の写真の橋から、車は進入禁止。
ここからが、銀山温泉の温泉街。 このことは、すぐには分からなかった。
ここへ来るまでが雑然としていたので、ここでの大きな感動や驚きはなかった。
黒川温泉との違いでしょうか。

川の両側を歩くことが出来る。 旅館も両側に。 裏道や小路はない。

多くの建物は、大正から昭和初期のものという。 一目古い。 味がある。

木造だけど、建物が大きい。 橋がたくさんある。

向こうから来た。

さらに奥に来ると、この感じ。 向こうから来てる。 この辺りから散策路になる。
銀山温泉の散策路は楽しい。 この温泉の大きな特徴。

変化に富んだ道を歩く。 小さな滝や祠や、昔の坑道の跡などがある。

コウモリ穴などもあって、最後に、銀坑道。 自由に見ることができる。

本物の坑道。 40㍍くらいで別の所に出た。 こういうのが、いい。

小さな公園に、昔の銀山温泉の写真があった。
左から、明治初期、大正、昭和初期。



今の、冬。 雪が多いですね。

白銀の滝。 散策路にあるから、これで十分。 贅沢言えない。

散策路は、全部歩いたら、30分ほど楽しめる。
忘れていた。 少ししか入れないが、こんな坑道もあった。
奥から、寒いくらいの風が出ていた。 夏しらず坑、と名前があった。
しばらくいた。 毎日暑い。 ※ 暑いから、山に登りたくなる。
来た道だが、ここを通って戻る。

椅子やベンチがあちこちに。 勝手に座っていい。

橋の上に人がいたので、話しかけることにした。

オトギリソウ。 陰乾しした後、煎じて飲むそう。
病院の薬のようにすぐには効かないけどねと、女の人は言った。

いろいろ教えてくれた。
① ここは、今は、尾花沢市。 昔は玉野村と言った。
② 昔、杉の木を植えた後は、大変な洪水が続いた。 今は広葉樹が育ったので、減って来た。 ブナの原生林もあり、大事にしている。
③ おしんのドラマで、銀山温泉のお客は一気に増えた。 それまでは、湯治場だった。
他にも、いろいろと。
旅館と言っても、作りが凝っている。 能登屋。

能登屋の全景。 おしんが奉公したとされる。

こんな旅館に、私は泊まったことはない。 木造で、こんなに大きいのが不思議だ。

気温は30度ない。 過ごしやすい。 散歩する人。 ベンチに座る人。 いろいろ。
左に、公衆浴場。 晩に入る。

古山閣。

壁に絵が並んでいた。 鏝絵(こてえ)だそう。 国東半島で見たのかな。 城下カレイの獲れるとこで。

「涼しさを わが宿にして ねまるなり」とある。
芭蕉が、尾花沢で詠んだ句ですね。 ※ 関連ブログ 奥の細道と尾花沢

能登屋の建物。 この部分の目的は何でしょう。 行ってみたくなる。

歩いていたら、晩の8時半から「花笠踊り」があると、地元の人が教えてくれた。
ガス灯も見たいから、見学することにした。
車に戻って、食事を終わらせ、7時過ぎに出直した。 薄暗くなってきた。

お風呂に入った。 300円。 料金箱に入れる。
熱くて入れない。 48℃はある。 水を勢いよく出して、そこに入った。 46℃の感じ。 やっと。
日焼けした腕は、出したまま。

日は沈んだ。

ガス灯が点いている。 ※ プロパンガスを使っているそう。

奥に向かった。

月明りで撮影。

スリッパが、揃っている。

能登屋です。

いい感じだ。 夜も、そぞろ歩きたくなる雰囲気。

夕食を終えた人たちが、外に出始めた。

みんな浴衣に下駄。

橋の上で、花笠踊は始まった。 花笠音頭の歌に合わせて。 人がいっぱい。

いそがしい踊りだ。 体力がいる。 尾花沢は、この踊りの発祥の地。(大丈夫のよう)

笠の動きは速い。

2か所の橋で踊った。 音楽と踊り、二つ合わさるとなおいい。

みんなそれぞれ、旅館に戻った。

この時、9時少し前。 私は今晩どこに停泊するか、決まってない。 戻って調べて、道の駅 尾花沢 に向かう。

銀山温泉は、いい温泉地でしたね。
そぞろ歩きが、昼も夜もしたくなる。 そこがいい。
問題は、いくつかありました。
どこも、自分の旅館や店の前は、掃除も行き届いており、雰囲気もいい。
でも、共通の場所や遊歩道は、壊れたままだったり、管理が不十分。
この辺りが、黒川温泉との大きな違い。
※ 時々黒川温泉を出しますが、黒川温泉と由布院温泉が、日本の温泉を変えた、また、変えている、と言われている。
他には、公共の駐車場が整備されるといいですね。
そうすると、ふらっとみんな遊びに来る。 足湯だけで帰るかもしれないが。
その人達が、今度は泊まりに来る。
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ああだこうだ言ったけど、銀山温泉は、いいですね。
日本の温泉の、トップ10に入る。 そんな温泉だった。
【道の駅】 尾花沢 この辺り。
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お釜が、雲の中から、急に現れた。
その美しさには、驚いた。
蔵王連峰があって、その中の最高峰は、熊野岳。 熊野岳の辺りの山を蔵王山と言っている。
目標は、熊野岳の頂上(1841㍍)だが、最終目標は、その向こうにある、お釜になる。
一般的なコースは、帰りもロープウェイを使うが、一応帰りは歩く予定。
温泉駅から鳥兜駅までの、ロープウェイに乗った。
下の地図の、行く時は黄色。 帰りは、途中からオレンジ。
鳥兜駅出発、9時50分。
初め、車道を歩いた。 途中で、脇道に入って、片貝沼を見た。
スキーコースをしばらく歩いた。 団体さんが、下山して行った。
写真で分かるが、高い所に雲がある。
11時20分、別のロープウェイの、地蔵山頂駅に着いた。 1時間半かかった。
多くの人は、ここから登山していた。
地蔵山に向かう、上りの道。 この山に登らないで、行く道もある。
1736㍍の、地蔵山山頂。 雲の中に近づいてきた。 11時37分。
一旦なだらかに下って、蔵王山の頂上である、熊野岳の頂上を目指す。
途中で少し休んで、おにぎりを一つ食べた。 朝は、食べてない。
気温が下がったので、上着を着た。
ワサ小屋跡とあった。 帰りは、ここから右に下りていく。
最後の登り。 道がはっきりしないので、岩に印があった。
頂上が見えた。
熊野岳の頂上。 蔵王山の頂上でもある。 12時30分。 2時間40分かかった。
頂上には、神社と避難小屋があった。
岩陰で食事をした。
おかずに生ハムを食べた。 袋の絵に、ワインがあった。
この次の登山では、生ハムとワインを持ってくることに決めた。
雲の中を、お釜に向かった。
道が、左右に別れる標識。 目の前に、お釜があるはず。
馬の背と呼ばれる、右の方。
ここへ来る間、雲は一度も消えなかった。
晴れるのを、20分は待つ、と決めた。
その心がけが、よかった。
上の2枚の写真は、13時02分に撮影。
下の写真は、13時03分に撮影。 1分後だった。 急に見えた。
雲の動きが速い。 すぐに、消えた。
少し待ったら、再び見えた。 はっきり見え始めた。
※ とにかく風が強い。 背中の方から吹いてくる。 お釜に落ちたら助からない。
大きな石の後ろで、風の方向に足を開いて撮影。 それでも、突風が怖い。
休みなく、写真は撮り続けた。
数分間に60枚撮った。 同じような写真にならないように工夫して。
強い光が差し、薄く雲が残っていた時の、この写真が一番良かった。 水の色がいい。
大きくなります。
お釜の水は、沸騰するくらい高温になることがあるそう。
また、お釜は五色沼とも呼ばれ、水の色は変化するそうだ。 今日は緑。
左の方。 仙台の方向かな。
満足して、熊野岳に戻った。 頂上の少し下に、コマクサが咲いていることを、登山者から聞いた。
これが、コマクサ。 私は、この花が、山で咲く花の女王に思う。
時期が10日ほど過ぎているので、傷んでいる花が多かった。
南斜面に咲いていた。
戻る方向の雲も晴れた。 黄色の○を来た。 戻りは、途中からオレンジの○。
ワレモコウの一種と思うんだが。
1枚目を撮った時、大きく揺れていた。 花は気付いたのか、2枚目の時、ピタッと止まった。
右の方は、山形市。 左は上山市でいいと思う。
米沢の方の山並。
分岐点に来た。 向こうに行く。
道は、山の斜面に。
こんな道は、いい気分。
さっきまでいた、熊野岳。 石の祠や石碑が時々ある。
左に行ったら、ロープウェー乗り場に。 右に行った。 道が良くない。
初め、葉っぱかと思った。 生き物のようだ。 ひっくり返した。 ナメクジかな。 大きさは、10㌢ほど。
道は、色々に変化した。 森の中は、歩きやすい。
小さな滝と、姥神の像が。
※ 姥神とは、民間信仰の呼び方で、元々は三途の川のほとりで死者の衣をはぐ鬼女のことだそう。(ある説明で)
50㌢くらいの蛇がいた。 カエルか何かを飲み込んだよう。 シマヘビの子どもと思う。
やっと着いた。 下りは、3時間半かかった。
少しフラフラ。 でも、吾妻山の下りよりは、楽だったでしょうか。
珍しい花はほとんどなかったが、コマクサがあったので、十分。
お釜の人気の秘密が、行ってみて分かった。
火山性の成分を含んだ水は、独特の色になりますね。 ※ 美瑛の青い池の写真。 硫黄が溶けている。
雲は、舞台の幕が開くように消えた。
お釜の美しさは、それによって、さらに大きくなった。
あの美しさは、雲のおかげだった。
【停泊場所】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 北上。 再度山寺か、それとも銀山温泉か。 どこかでお祭りをやってないかな。
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その美しさには、驚いた。
蔵王連峰があって、その中の最高峰は、熊野岳。 熊野岳の辺りの山を蔵王山と言っている。
目標は、熊野岳の頂上(1841㍍)だが、最終目標は、その向こうにある、お釜になる。
一般的なコースは、帰りもロープウェイを使うが、一応帰りは歩く予定。
温泉駅から鳥兜駅までの、ロープウェイに乗った。

下の地図の、行く時は黄色。 帰りは、途中からオレンジ。

鳥兜駅出発、9時50分。

初め、車道を歩いた。 途中で、脇道に入って、片貝沼を見た。


スキーコースをしばらく歩いた。 団体さんが、下山して行った。
写真で分かるが、高い所に雲がある。

11時20分、別のロープウェイの、地蔵山頂駅に着いた。 1時間半かかった。
多くの人は、ここから登山していた。

地蔵山に向かう、上りの道。 この山に登らないで、行く道もある。

1736㍍の、地蔵山山頂。 雲の中に近づいてきた。 11時37分。

一旦なだらかに下って、蔵王山の頂上である、熊野岳の頂上を目指す。

途中で少し休んで、おにぎりを一つ食べた。 朝は、食べてない。
気温が下がったので、上着を着た。

ワサ小屋跡とあった。 帰りは、ここから右に下りていく。

最後の登り。 道がはっきりしないので、岩に印があった。

頂上が見えた。

熊野岳の頂上。 蔵王山の頂上でもある。 12時30分。 2時間40分かかった。


頂上には、神社と避難小屋があった。

岩陰で食事をした。
おかずに生ハムを食べた。 袋の絵に、ワインがあった。
この次の登山では、生ハムとワインを持ってくることに決めた。
雲の中を、お釜に向かった。

道が、左右に別れる標識。 目の前に、お釜があるはず。

馬の背と呼ばれる、右の方。

ここへ来る間、雲は一度も消えなかった。
晴れるのを、20分は待つ、と決めた。
その心がけが、よかった。
上の2枚の写真は、13時02分に撮影。
下の写真は、13時03分に撮影。 1分後だった。 急に見えた。

雲の動きが速い。 すぐに、消えた。

少し待ったら、再び見えた。 はっきり見え始めた。
※ とにかく風が強い。 背中の方から吹いてくる。 お釜に落ちたら助からない。
大きな石の後ろで、風の方向に足を開いて撮影。 それでも、突風が怖い。
休みなく、写真は撮り続けた。
数分間に60枚撮った。 同じような写真にならないように工夫して。

強い光が差し、薄く雲が残っていた時の、この写真が一番良かった。 水の色がいい。

大きくなります。

お釜の水は、沸騰するくらい高温になることがあるそう。
また、お釜は五色沼とも呼ばれ、水の色は変化するそうだ。 今日は緑。

左の方。 仙台の方向かな。

満足して、熊野岳に戻った。 頂上の少し下に、コマクサが咲いていることを、登山者から聞いた。
これが、コマクサ。 私は、この花が、山で咲く花の女王に思う。
時期が10日ほど過ぎているので、傷んでいる花が多かった。

南斜面に咲いていた。

戻る方向の雲も晴れた。 黄色の○を来た。 戻りは、途中からオレンジの○。

ワレモコウの一種と思うんだが。
1枚目を撮った時、大きく揺れていた。 花は気付いたのか、2枚目の時、ピタッと止まった。

右の方は、山形市。 左は上山市でいいと思う。

米沢の方の山並。

分岐点に来た。 向こうに行く。

道は、山の斜面に。

こんな道は、いい気分。

さっきまでいた、熊野岳。 石の祠や石碑が時々ある。


左に行ったら、ロープウェー乗り場に。 右に行った。 道が良くない。


初め、葉っぱかと思った。 生き物のようだ。 ひっくり返した。 ナメクジかな。 大きさは、10㌢ほど。


道は、色々に変化した。 森の中は、歩きやすい。

小さな滝と、姥神の像が。
※ 姥神とは、民間信仰の呼び方で、元々は三途の川のほとりで死者の衣をはぐ鬼女のことだそう。(ある説明で)


50㌢くらいの蛇がいた。 カエルか何かを飲み込んだよう。 シマヘビの子どもと思う。


やっと着いた。 下りは、3時間半かかった。
少しフラフラ。 でも、吾妻山の下りよりは、楽だったでしょうか。


珍しい花はほとんどなかったが、コマクサがあったので、十分。
お釜の人気の秘密が、行ってみて分かった。
火山性の成分を含んだ水は、独特の色になりますね。 ※ 美瑛の青い池の写真。 硫黄が溶けている。
雲は、舞台の幕が開くように消えた。
お釜の美しさは、それによって、さらに大きくなった。
あの美しさは、雲のおかげだった。
【停泊場所】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 北上。 再度山寺か、それとも銀山温泉か。 どこかでお祭りをやってないかな。
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小野川温泉に、小町の、どんな伝説が残っているのか探した。
また、黒川温泉に何を学んだのかも。
温泉街の川をはさんだ向こうに、小町山公園があった。
橋を渡って、坂を登っている。
草木塔がありそうな感じ。 ここには、無かった。 ※ 一つ、文字の読めない小さな石碑があったが。
小町由縁の宿とある。 ※ 由縁は、ゆかりのこと。
木の下に、こんなことが書いてあった。
これは、草木塔の考えですよ。
この建物は、甲子大黒天本山。
案内看板に、こう書いてあった。
小野小町は「われ此処にて眞善美の心を得た」と、絶世の美人が心眼を開いた場所でもある。
このことが、何に書いてあるとか、根拠は書いていなかった。
※ 後で調べて分かったことだが、この建物の中に、草木塔はあった。
温泉街の風景。 小さな温泉。
右に、小町居所跡とあった。 左は、小町の宮か。(標示はなかったが、あることになっている)
温泉街の北側の入り口に、足湯があった。 霊泉 小野小町とある。
※ この場所で出前を頼むと、どこの食堂も運んでくれる。
温泉街は、こんな感じ。 黒川温泉に学んだはずだが、お店は普通だ。
観光案内所 兼 休憩所。 足湯もあった。 人はいなく、案内地図も無かったが。
足湯などのサービスは、学んだ結果でしょうね。
この感じは、少しいいですね。
水が飲める。 いいデザイン。 歩いていて、寄ってみたくなるのは、この雰囲気。
小町観音。 山の上から、移築したとあった。
せっかく作ったのに、ここに自転車を置いたら、ダメですね。 横の、ホースも。
小野川温泉の中心街。 共同浴場、尼湯がある。
尼湯。 200円で入ることができる。
童話作家 浜田廣介の句碑があった。
「旅の芭蕉さま 世が二度あらば ござれ小野川湯の宿に」
面白い句ですね。 芭蕉は、米沢まできたが、ここは通らなかった。
※ 浜田廣介の作品に、「泣いた赤鬼」がありますね。 ※ 関連ブログ 泣いた赤鬼
尼湯の、左奥。 この辺りが、一番雰囲気が良かった。 黒川温泉から学んだと感じる。
小野小町休み石があった。 こんな伝説が。
京の都より父をたづねて、幾山河。 小町は慣れね旅路に疲れ果て、病に伏しこの石にて休む。
三州峰の薬師のお告げの通り、ふと辺りを見渡せば、立ち上る湯煙を見たり。
近くに、こんこんと湧き出る、湯の川を見る。
小町、これに浴(あみ)すること、7日ばかり。
疲れは取れ、病は癒え、元の美人に立ちかえり、また、父と再会することも得たり。
爾来(じらい)誰言うともなく、この石を「小町の休み石」と言う。
この石に座れば、美人になると相言う。
こんな感じ。
ここの坂を登っていたら、若い女性の方が、挨拶をしてくれた。
この町に、図書館はありますか、と聞いた。
合併して、今は、米沢市に行かないとないと言った。
小町について知りたいと、私は言った。
家の人に聞いてみると言って戻った。
女性の方は、この旅館の娘さんだった。
資料とかないか探してくれたが、なかった。
黒川温泉から学んだことは、形だけでないことを感じた。
学ぶ前から、あったかもしれないとも、思った。
坂を登って上から。
別な場所。 足湯があった。
さっき行った、小町山の甲子大黒天本山。
らっきょうかな。 干すことあるのか。
詳しくは分からなかったが、上山に向かった。 郵便局で、局留めの郵便を受け取った。
かみのやま温泉駅。
駅前商店街。
※ 以前ブログに、坂井泉水の目のことを書いたことがある。
その中で、息子さんの目のことで苦労していた、同僚(お母さん)のことを書いた。
その人の出身地が、この上山市。 ※ 上山~かみのやま ※ 関連ブログ 坂井泉水の澄んだ瞳について
蔵王山のリフトに向かうことにした。
近くに、野草園があったので寄った。 花の勉強。
オゼコウホウネ。 ネムロコウホネを、以前見た。
ベニバナ。
カワラナデシコ。
コスモス。
じょうずに蜜を吸っている。
キキョウ。
マタタビ。
園内の地図。
これも、コスモス。(そう見えた)
小町の伝説については、ネットで調べたが、上に書いた以上のことは分からなかった。
地元でも、まだ整理できてないようだ。
黒川温泉に学び、温泉の活性化については、まだ道半ばに感じた。
「人が、一つにまとまる」
これが一番難しく、ここを学ぶ必要がある。
貧しかった時代でも、温泉旅館は裕福だった。
地域住民と温泉旅館が一体となるのは、むずかしいことかな。
地域全体が豊かになる、を基本に据えた時、道が開けそう。
【停泊場所】 蔵王温泉街の近く。 この辺りに。
【明日の予定】 蔵王山へ。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で10位です。
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また、黒川温泉に何を学んだのかも。
温泉街の川をはさんだ向こうに、小町山公園があった。
橋を渡って、坂を登っている。
草木塔がありそうな感じ。 ここには、無かった。 ※ 一つ、文字の読めない小さな石碑があったが。

小町由縁の宿とある。 ※ 由縁は、ゆかりのこと。

木の下に、こんなことが書いてあった。
これは、草木塔の考えですよ。

この建物は、甲子大黒天本山。
案内看板に、こう書いてあった。
小野小町は「われ此処にて眞善美の心を得た」と、絶世の美人が心眼を開いた場所でもある。
このことが、何に書いてあるとか、根拠は書いていなかった。
※ 後で調べて分かったことだが、この建物の中に、草木塔はあった。

温泉街の風景。 小さな温泉。

右に、小町居所跡とあった。 左は、小町の宮か。(標示はなかったが、あることになっている)

温泉街の北側の入り口に、足湯があった。 霊泉 小野小町とある。
※ この場所で出前を頼むと、どこの食堂も運んでくれる。

温泉街は、こんな感じ。 黒川温泉に学んだはずだが、お店は普通だ。

観光案内所 兼 休憩所。 足湯もあった。 人はいなく、案内地図も無かったが。
足湯などのサービスは、学んだ結果でしょうね。

この感じは、少しいいですね。

水が飲める。 いいデザイン。 歩いていて、寄ってみたくなるのは、この雰囲気。

小町観音。 山の上から、移築したとあった。
せっかく作ったのに、ここに自転車を置いたら、ダメですね。 横の、ホースも。

小野川温泉の中心街。 共同浴場、尼湯がある。

尼湯。 200円で入ることができる。

童話作家 浜田廣介の句碑があった。
「旅の芭蕉さま 世が二度あらば ござれ小野川湯の宿に」
面白い句ですね。 芭蕉は、米沢まできたが、ここは通らなかった。
※ 浜田廣介の作品に、「泣いた赤鬼」がありますね。 ※ 関連ブログ 泣いた赤鬼

尼湯の、左奥。 この辺りが、一番雰囲気が良かった。 黒川温泉から学んだと感じる。

小野小町休み石があった。 こんな伝説が。
京の都より父をたづねて、幾山河。 小町は慣れね旅路に疲れ果て、病に伏しこの石にて休む。
三州峰の薬師のお告げの通り、ふと辺りを見渡せば、立ち上る湯煙を見たり。
近くに、こんこんと湧き出る、湯の川を見る。
小町、これに浴(あみ)すること、7日ばかり。
疲れは取れ、病は癒え、元の美人に立ちかえり、また、父と再会することも得たり。
爾来(じらい)誰言うともなく、この石を「小町の休み石」と言う。
この石に座れば、美人になると相言う。

こんな感じ。
ここの坂を登っていたら、若い女性の方が、挨拶をしてくれた。
この町に、図書館はありますか、と聞いた。
合併して、今は、米沢市に行かないとないと言った。
小町について知りたいと、私は言った。
家の人に聞いてみると言って戻った。
女性の方は、この旅館の娘さんだった。
資料とかないか探してくれたが、なかった。
黒川温泉から学んだことは、形だけでないことを感じた。
学ぶ前から、あったかもしれないとも、思った。

坂を登って上から。

別な場所。 足湯があった。



さっき行った、小町山の甲子大黒天本山。

らっきょうかな。 干すことあるのか。

詳しくは分からなかったが、上山に向かった。 郵便局で、局留めの郵便を受け取った。
かみのやま温泉駅。

駅前商店街。
※ 以前ブログに、坂井泉水の目のことを書いたことがある。
その中で、息子さんの目のことで苦労していた、同僚(お母さん)のことを書いた。
その人の出身地が、この上山市。 ※ 上山~かみのやま ※ 関連ブログ 坂井泉水の澄んだ瞳について

蔵王山のリフトに向かうことにした。
近くに、野草園があったので寄った。 花の勉強。

オゼコウホウネ。 ネムロコウホネを、以前見た。


ベニバナ。

カワラナデシコ。

コスモス。

じょうずに蜜を吸っている。

キキョウ。

マタタビ。

園内の地図。

これも、コスモス。(そう見えた)

小町の伝説については、ネットで調べたが、上に書いた以上のことは分からなかった。
地元でも、まだ整理できてないようだ。
黒川温泉に学び、温泉の活性化については、まだ道半ばに感じた。
「人が、一つにまとまる」
これが一番難しく、ここを学ぶ必要がある。
貧しかった時代でも、温泉旅館は裕福だった。
地域住民と温泉旅館が一体となるのは、むずかしいことかな。
地域全体が豊かになる、を基本に据えた時、道が開けそう。
【停泊場所】 蔵王温泉街の近く。 この辺りに。
【明日の予定】 蔵王山へ。
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山で、こんなに花を見たのは、いつ以来でしょう。
もしかして、初めてかもしれない。
「福島と山形にまたがる大きな山群で、人はよく吾妻山に行って来たというが、それはたいていこの山群のほんの一部にすぎない」
これは、百名山を書いた、深田久弥のことば。
ロープウェイと3つのリフトを使って、高度1820㍍まで上がる。 (標高差900㍍)
下の赤○から、黄色の○に行く。
天気はいいし、涼しいし、気分は最高。 ここは、冬はスキー場。
※ リフトに乗ってる人たちと、下山でいっしょになる。 花の名前を教えていただく。
米沢市。
高度差900㍍を、一気に上る。 55分かかった。 下山の時は、ここを歩くことにしている。
石の多い山だった。
25分歩いた11時に、かもしか展望台についた。 吾妻山には、時々、こんな石の場所があった。
米沢市。
花は多かった。 ※ ブログに全部は載せてない。
ミヤマリンドウ(深山竜胆) ? ウラジロヨウラク(裏白瓔珞) ※ 瓔珞は仏具の一種。
ツツジだけど。
名前を聞いて、メモしなかった。
向こうの山の上に人がいた。 梵天岩が見えている。
湿原です。 楽しみにしていた。 どこかで、福島県に入る。
チングルマ(珍車)の種。 秋には、これが紅葉するという。
木道は歩きやすい。 さっのにリフトの人達。(花に詳しかった。花について、楽しく話してくれた)
さっきのチングルマ。 高層湿原の小さな池(沼)
ウラジロヨウラクでいいかな。 ガクがある。 隣は?
小さな湿原が、あちこちにあった。 ワタスゲ。
上の黄色の花。
きれいな花だ。
イワカガミ。 となりは、?
松の枝の先っぽ。
アカモノ。 ツツジの仲間。
梵天岩。 岩の上を渡り歩いていたら、転んだ。 少し痛い思いを。
ここは、15分ほど歩いて、天狗岩。 頂上手前の最後の広場。 みんなここで食事。
米沢市内。 地元の人が見たら、あそこは何だとか、分かるんだろうな。
頂上は向こうの山に。 ここから、20分。
向かった。
ミヤマリンドウが、いっぱい。
森の中に頂上が。 これなら、ヤッホーとか叫べない。 この時、12時50分。 2時間と少しかかった。 ここです。
※ 吾妻山は、全体の総称。 最高峰は、ここ西吾妻山。
近くからの風景。
天狗岩で食事。 今日はおにぎりを2つ持ってきた。 朝作った。
※ 筑波山も那須岳も、おにぎりを持たなかった。 楽しみが減っていたので。
足に、「どうだい」って聞いた。
そうしたら、「帰りが不安」と言った。
※ ロープウェイとリフトは、55分かかった。
そこを歩いて降りる。 きっと、倍以上時間はかかる。
ここは、梵天岩。 この後、4人の方と、一緒に下山。
遠くに見える道の、左側を来た。 その道を戻る。
湿原があると、そこに花はいっぱい。
チングルマの花。 この花は、北海道の旭岳にもあった。 キバナノコマノツメ。 ワタスゲ。
花の名前を教えていただきながら歩いた。
雪が遅くまであったので、チングルマが満開。 イワイチョウ。 ?。
県境。 向こうは山形。 こっちは福島。
かもしか展望台で一休み。
遠くに、鳥海山が見えた。 ここから、150㌔ほど。
※ 関連ブログ 鳥海山 月山(一緒に下山している人が、近々登るそう)
ギンリョウソウ。 ここにあるよと、教えてくれた。
4人の方は、いわき市から来ていた。
私は、フラガールの町だね、と言った。 そして、踊ったんでないかいと。
一人の女性の方が、「私たちは、フラフラガールだね」と言った。
4人の方とは、ここでお別れ。 私は、この道を下る。
さっきの方が、リフトで通った。 またお話ししてお別れ。
ここから、左のスキーのコースを下った。
リフトは3つあって、1つ分下りた。 この頃から、足が痛くなってきた。
珍しい花は、ない。
ロープウェイ乗場は、左に見える。 この風景で、疲れは小さく。
だいぶ下りた。
最後は、こんな道。 下りは、4時間半かかった。 久しぶりに疲れた。
吾妻山は、湿原があって花が豊かなこと。 見晴らしがいいこと。
そんなのが、百名山に選ばれた理由でしょうか。
高山植物の花は、どこかが違う。 小さかったり。 少し質素だったり。
花の季節は短いから、今とばかりに、咲いていた。
【停泊場所】 小野川温泉の近く。 川のそばの、砂利の広場。 この辺り。
【明日の予定】 小野川温泉を歩きます。
その後、上山郵便局で、局留めの郵便物を受け取る。
蔵王に近づくことになりそう。
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もしかして、初めてかもしれない。
「福島と山形にまたがる大きな山群で、人はよく吾妻山に行って来たというが、それはたいていこの山群のほんの一部にすぎない」
これは、百名山を書いた、深田久弥のことば。
ロープウェイと3つのリフトを使って、高度1820㍍まで上がる。 (標高差900㍍)

下の赤○から、黄色の○に行く。

天気はいいし、涼しいし、気分は最高。 ここは、冬はスキー場。
※ リフトに乗ってる人たちと、下山でいっしょになる。 花の名前を教えていただく。

米沢市。

高度差900㍍を、一気に上る。 55分かかった。 下山の時は、ここを歩くことにしている。

石の多い山だった。

25分歩いた11時に、かもしか展望台についた。 吾妻山には、時々、こんな石の場所があった。

米沢市。


花は多かった。 ※ ブログに全部は載せてない。
ミヤマリンドウ(深山竜胆) ? ウラジロヨウラク(裏白瓔珞) ※ 瓔珞は仏具の一種。



ツツジだけど。

名前を聞いて、メモしなかった。

向こうの山の上に人がいた。 梵天岩が見えている。


湿原です。 楽しみにしていた。 どこかで、福島県に入る。

チングルマ(珍車)の種。 秋には、これが紅葉するという。

木道は歩きやすい。 さっのにリフトの人達。(花に詳しかった。花について、楽しく話してくれた)

さっきのチングルマ。 高層湿原の小さな池(沼)



ウラジロヨウラクでいいかな。 ガクがある。 隣は?



小さな湿原が、あちこちにあった。 ワタスゲ。

上の黄色の花。

きれいな花だ。

イワカガミ。 となりは、?


松の枝の先っぽ。

アカモノ。 ツツジの仲間。

梵天岩。 岩の上を渡り歩いていたら、転んだ。 少し痛い思いを。

ここは、15分ほど歩いて、天狗岩。 頂上手前の最後の広場。 みんなここで食事。

米沢市内。 地元の人が見たら、あそこは何だとか、分かるんだろうな。

頂上は向こうの山に。 ここから、20分。

向かった。

ミヤマリンドウが、いっぱい。

森の中に頂上が。 これなら、ヤッホーとか叫べない。 この時、12時50分。 2時間と少しかかった。 ここです。
※ 吾妻山は、全体の総称。 最高峰は、ここ西吾妻山。

近くからの風景。

天狗岩で食事。 今日はおにぎりを2つ持ってきた。 朝作った。
※ 筑波山も那須岳も、おにぎりを持たなかった。 楽しみが減っていたので。
足に、「どうだい」って聞いた。
そうしたら、「帰りが不安」と言った。
※ ロープウェイとリフトは、55分かかった。
そこを歩いて降りる。 きっと、倍以上時間はかかる。

ここは、梵天岩。 この後、4人の方と、一緒に下山。

遠くに見える道の、左側を来た。 その道を戻る。

湿原があると、そこに花はいっぱい。

チングルマの花。 この花は、北海道の旭岳にもあった。 キバナノコマノツメ。 ワタスゲ。



花の名前を教えていただきながら歩いた。
雪が遅くまであったので、チングルマが満開。 イワイチョウ。 ?。



県境。 向こうは山形。 こっちは福島。

かもしか展望台で一休み。

遠くに、鳥海山が見えた。 ここから、150㌔ほど。
※ 関連ブログ 鳥海山 月山(一緒に下山している人が、近々登るそう)

ギンリョウソウ。 ここにあるよと、教えてくれた。
4人の方は、いわき市から来ていた。
私は、フラガールの町だね、と言った。 そして、踊ったんでないかいと。
一人の女性の方が、「私たちは、フラフラガールだね」と言った。


4人の方とは、ここでお別れ。 私は、この道を下る。


さっきの方が、リフトで通った。 またお話ししてお別れ。



ここから、左のスキーのコースを下った。

リフトは3つあって、1つ分下りた。 この頃から、足が痛くなってきた。
珍しい花は、ない。

ロープウェイ乗場は、左に見える。 この風景で、疲れは小さく。

だいぶ下りた。

最後は、こんな道。 下りは、4時間半かかった。 久しぶりに疲れた。



吾妻山は、湿原があって花が豊かなこと。 見晴らしがいいこと。
そんなのが、百名山に選ばれた理由でしょうか。
高山植物の花は、どこかが違う。 小さかったり。 少し質素だったり。
花の季節は短いから、今とばかりに、咲いていた。
【停泊場所】 小野川温泉の近く。 川のそばの、砂利の広場。 この辺り。
【明日の予定】 小野川温泉を歩きます。
その後、上山郵便局で、局留めの郵便物を受け取る。
蔵王に近づくことになりそう。
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芭蕉は、最上川のどこからどこまで下ったのか。
何を見たのか。
「五月雨をあつめて早し最上川」が生まれた背景は、何なのか。
そんなことが、知りたいことでした。
芭蕉が船に乗った地点は、大石田と思っていたが違った。
本合海という、新庄の近くだった。 右の赤い丸の所。
下りたのは、清川だった。 左の赤い丸の所。
なぜ、そこにしたのか。
分かってる人もいると思うが、義経の乗ったコースだった。 方向は反対だが。
芭蕉は、義経、西行、西施など、人に興味を持っていたことが分かる。
今回の船下りは、戸沢藩船番所という所から乗った。 12㎞のコース。 黄色い印の間。
ここは昔、川舟荷物の出入りを監視する所だった。
最上川は、大きな川だった。 山形県の水の80㌫は、ここに集まるそうだ。
上流から河口まで、山形県内を流れる。
船の案内の人が、浮気をしない川だと言った。
芭蕉と楚良が乗った船には、他に二人の禅僧がいた。
今の最上川の水量は少なく、芭蕉が乗った時は、水面はこれより、3㍍以上高かったと言われてる。
川幅が狭くなると、深さは7~8㍍になる。
日本三大急流の一つだ。
芭蕉は、流れの速さを知っていたし、感じていた。
芭蕉は、船に乗る前の大石田で、五月雨をあつめてすゞし最上川、を作っていた。
この流れを見て、すゞしが、早しに、後に変わる。
義経は、この川を上った。
下の写真は、上流方向。
芭蕉は、義経が見た同じ風景を見るため、きっと振り返って見た。
途中、川の岸辺に店があり、そこに船は付けた。
船の客は、鮎の塩焼きや、甘酒・串・お酒などを一斉に買った。
案内人は、気をつかわないで金つかってくれ、って言っていた。
船の中は、景色どころでなく、宴会になった。
この人が案内人。 ガイド。
ここで働けるのも、芭蕉さんのおかげ、みんなのおかげと言った。
最上川舟歌だったか、そんなのを歌った。 歌い慣れているから、上手。
英語でも、中国語でも、韓国語でも、少しずつ歌った。
流れがゆっくりになったとき、ある客がこう言った。 川はどっちに流れてるんだ、って。
私は、こう言いたくなった。 今、川下りしてるんでないか、って。
酒を飲んでるから、しかたない。
客を降ろした船が、上ってきた。
昔は、大きな帆を張って、風の力で上った。 風がなかったら、待つことになった。
これも、義経が見た上流方向。 道はいつも右に。
左に家が見えるが、以前は、おじいちゃんが一人で住んでいたそう。
仙人堂が見えてきた。 義経も芭蕉もこれを見た。
別のコースで、ここに渡ることができる。(実は、昔、渡ったことがある)
昔、源義経に付き従った常陸坊海尊という人が、この地でみんなと別れ、山に篭り、修験道の学び、仙人になったと言われている。
水量は少なくても、流れは速い。
波が、船底を、ドーンと突き上げてくる。
下流になると、最上川は悠然とした流れになってきた。
見えてきたのは、白糸の滝。 高さは124mで日本で6位。
この滝も見ている。 歌は作っていない。
リバーポートという、船着き場。 ここで下りた。
芭蕉が下船した清川は、もう少し下流。
芭蕉の見た風景の全てではなかったが、景色のいい変化のあるところの、ほとんどは見ることが出来た。
ほぼ1時間の、船下りだった。
船着き場は、水が増えても大丈夫なように作られていた。
芭蕉が乗ったのは、もっと大きいと、船の船頭さんが言った。
これと同じなのが、船に乗った戸沢藩舟番所にもあった。
それは、「おしん」の撮影で使ったのを再現した物だった。(本物は古くなって壊れたそう)
おしんは、銀山温泉からこんな船で、酒田に奉公に行った。
バスで戻った。
お店のあったところが見えた。
まとめは、最後に。
雄勝に向かった。
どこも、稲刈りが始まっていた。
下の写真の様子を見て、車を止めた。 こういうのは初めて見る。
写真の撮影をお願いした。 快く了解してくれた。
向こうの機械に、お父さん。 車に乗ってるのが、息子さんかな。
実は、この写真が、最初に撮った写真。
初めは、もっと下がっていた。
私が写真を撮ろうとしたら、写しやすいように少し上げてくれた。
この機械で刈り、籾(もみ)を取った稲ワラは、切り刻んで畑に撒いていた。
息子さんが運転している。
広い畑だ。
場所だけど、はっきりメモしなかった。
まだ、新庄市を走っていたときかな。そうでなかったら、鮭川村。(申し訳ない)
稲が、並んで、後の方に行ってる。
こんな感じで刈る。 機械だから、速い。
この後、名刺を渡して分かれた。 気を付けてねって、声をかけてくれた。
また、いい人に出会った。
車で走っていると、庭月観音の標示が何回も出てくる。 (県道35号線を走っていた)
行ってみた。
お堂の中の観音様は、見られなかった。
ただ、石段の上り口に、下の石碑があった。
この石碑のいわれが書いてあった。
昔、こんなことがあって、さらに、そんなことがあった。
ここに埋められるところを・・・、の文です。
強烈なお話しですね。
トンネルを抜けたら、ふたたび、秋田です。
芭蕉は、1689年(元禄2年)の7月19日(新暦)に最上川を下った。
その3日前までの3日間、大石田というところにいた。
山形の夏は暑い。
最上川を見て、流れる水に、涼しさを感じた。
そうして、五月雨を あつめてすゞし 最上川 が生まれた。
ところが、最上川を船で下ったときは、恐ろしいほどの流れに、涼しさよりも、水の流れの速さ(早さ)を感じた。
それがあって、奥の細道に載せるときは、五月雨を あつめて早し 最上川 となった。
調べ尽くせてはいませんが、こんな感じでまとめてみました。
【道の駅】 おがち 春に来ています。
【明日の予定】 小町の、ゆかりの地を歩きます。
何を見たのか。
「五月雨をあつめて早し最上川」が生まれた背景は、何なのか。
そんなことが、知りたいことでした。
芭蕉が船に乗った地点は、大石田と思っていたが違った。
本合海という、新庄の近くだった。 右の赤い丸の所。
下りたのは、清川だった。 左の赤い丸の所。
なぜ、そこにしたのか。
分かってる人もいると思うが、義経の乗ったコースだった。 方向は反対だが。
芭蕉は、義経、西行、西施など、人に興味を持っていたことが分かる。

今回の船下りは、戸沢藩船番所という所から乗った。 12㎞のコース。 黄色い印の間。
ここは昔、川舟荷物の出入りを監視する所だった。

最上川は、大きな川だった。 山形県の水の80㌫は、ここに集まるそうだ。
上流から河口まで、山形県内を流れる。
船の案内の人が、浮気をしない川だと言った。

芭蕉と楚良が乗った船には、他に二人の禅僧がいた。
今の最上川の水量は少なく、芭蕉が乗った時は、水面はこれより、3㍍以上高かったと言われてる。
川幅が狭くなると、深さは7~8㍍になる。
日本三大急流の一つだ。
芭蕉は、流れの速さを知っていたし、感じていた。

芭蕉は、船に乗る前の大石田で、五月雨をあつめてすゞし最上川、を作っていた。
この流れを見て、すゞしが、早しに、後に変わる。
義経は、この川を上った。
下の写真は、上流方向。
芭蕉は、義経が見た同じ風景を見るため、きっと振り返って見た。

途中、川の岸辺に店があり、そこに船は付けた。

船の客は、鮎の塩焼きや、甘酒・串・お酒などを一斉に買った。
案内人は、気をつかわないで金つかってくれ、って言っていた。
船の中は、景色どころでなく、宴会になった。

この人が案内人。 ガイド。
ここで働けるのも、芭蕉さんのおかげ、みんなのおかげと言った。
最上川舟歌だったか、そんなのを歌った。 歌い慣れているから、上手。
英語でも、中国語でも、韓国語でも、少しずつ歌った。

流れがゆっくりになったとき、ある客がこう言った。 川はどっちに流れてるんだ、って。
私は、こう言いたくなった。 今、川下りしてるんでないか、って。
酒を飲んでるから、しかたない。
客を降ろした船が、上ってきた。
昔は、大きな帆を張って、風の力で上った。 風がなかったら、待つことになった。

これも、義経が見た上流方向。 道はいつも右に。
左に家が見えるが、以前は、おじいちゃんが一人で住んでいたそう。

仙人堂が見えてきた。 義経も芭蕉もこれを見た。

別のコースで、ここに渡ることができる。(実は、昔、渡ったことがある)
昔、源義経に付き従った常陸坊海尊という人が、この地でみんなと別れ、山に篭り、修験道の学び、仙人になったと言われている。

水量は少なくても、流れは速い。
波が、船底を、ドーンと突き上げてくる。

下流になると、最上川は悠然とした流れになってきた。
見えてきたのは、白糸の滝。 高さは124mで日本で6位。
この滝も見ている。 歌は作っていない。

リバーポートという、船着き場。 ここで下りた。
芭蕉が下船した清川は、もう少し下流。
芭蕉の見た風景の全てではなかったが、景色のいい変化のあるところの、ほとんどは見ることが出来た。
ほぼ1時間の、船下りだった。

船着き場は、水が増えても大丈夫なように作られていた。

芭蕉が乗ったのは、もっと大きいと、船の船頭さんが言った。
これと同じなのが、船に乗った戸沢藩舟番所にもあった。
それは、「おしん」の撮影で使ったのを再現した物だった。(本物は古くなって壊れたそう)
おしんは、銀山温泉からこんな船で、酒田に奉公に行った。

バスで戻った。

お店のあったところが見えた。

まとめは、最後に。
雄勝に向かった。
どこも、稲刈りが始まっていた。
下の写真の様子を見て、車を止めた。 こういうのは初めて見る。
写真の撮影をお願いした。 快く了解してくれた。
向こうの機械に、お父さん。 車に乗ってるのが、息子さんかな。

実は、この写真が、最初に撮った写真。
初めは、もっと下がっていた。
私が写真を撮ろうとしたら、写しやすいように少し上げてくれた。

この機械で刈り、籾(もみ)を取った稲ワラは、切り刻んで畑に撒いていた。
息子さんが運転している。

広い畑だ。
場所だけど、はっきりメモしなかった。
まだ、新庄市を走っていたときかな。そうでなかったら、鮭川村。(申し訳ない)

稲が、並んで、後の方に行ってる。

こんな感じで刈る。 機械だから、速い。

この後、名刺を渡して分かれた。 気を付けてねって、声をかけてくれた。
また、いい人に出会った。
車で走っていると、庭月観音の標示が何回も出てくる。 (県道35号線を走っていた)
行ってみた。
お堂の中の観音様は、見られなかった。
ただ、石段の上り口に、下の石碑があった。

この石碑のいわれが書いてあった。
昔、こんなことがあって、さらに、そんなことがあった。
ここに埋められるところを・・・、の文です。
強烈なお話しですね。

トンネルを抜けたら、ふたたび、秋田です。

芭蕉は、1689年(元禄2年)の7月19日(新暦)に最上川を下った。
その3日前までの3日間、大石田というところにいた。
山形の夏は暑い。
最上川を見て、流れる水に、涼しさを感じた。
そうして、五月雨を あつめてすゞし 最上川 が生まれた。
ところが、最上川を船で下ったときは、恐ろしいほどの流れに、涼しさよりも、水の流れの速さ(早さ)を感じた。
それがあって、奥の細道に載せるときは、五月雨を あつめて早し 最上川 となった。
調べ尽くせてはいませんが、こんな感じでまとめてみました。
【道の駅】 おがち 春に来ています。
【明日の予定】 小町の、ゆかりの地を歩きます。