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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

七ヶ宿に行きました。   場所ここ
街道は、湖のでした。 すぐそこと思ったんだけど。 
一番見たい物は消えていました。

少しだけ街道が残っていました。
そこにおばあちゃんが一人で住んでいました。
たくさん話しました。

でも、今日は眠いので続きは明日です。

問題を一つ。

温麺(うーめん)を食べました。
下に写真があります。
その右下に、紫っぽい食べ物があります。

店の人に聞きました。 これは何ですかって。
そうしたら、こう言いました。

それを聞くのは、以ての外(もってのほか)です、って。

はい。 この食べ物は何でしょう。

50点の人は、多いと思いますが、100点はむずかしい。

ヒントは言いましたからね。
答えを聞いたら、なあんだ、という人と、ビックリする人がいますよ。

答えは、明日の朝です。
正解の人には、下の写真のホオズキを一つあげます。
自分でコピーして取ってくださいね。

食事して寝ます。 10時30分。


続きです

問題の答えは、一番下に書きました。

下の写真は、道の駅七ヶ宿。
湖は、七ヶ宿湖。
ダム湖の美しさは、難しい。
本当に必要があって作られたのであれば、美しいと感じることは出来るんだが。
作るための理由が、後付になっているものも多いですから。
このダムは多目的ダムで、宮城県の大きな水瓶になっているそうだ。

9年10月10日  (2)うう

観光客はたくさんいた。 ダム湖を見に来ている人が多かった。
左側の方にダムはある。

9年10月10日  (3)

江戸から仙台・盛岡方面に向かうのが奥州街道
福島の北から分岐して、山形に抜ける街道がある。 
それが、羽州街道で七ヶ宿を通る。

9年10月10日  (4)

七ヶ宿は最も山の中で、冬の山越えは大変だったそうだ。
雪が多く、軒先までも積もった。
麓から、ここに1里近づくと、雪は1尺増えたと言われる。

街道は湖の底なので、何を見たらいいか分からなくなった。
少しだけ見て、次に行くことにした。

滑津宿に、振り袖地蔵があった。 1735年(享保20年)に作られたもの。
昔秋田の殿様が、参勤交代でここを通った時、素敵な娘に出会った。
しかし、江戸の帰りに寄ったときには病気で亡くなっていた。 それを悲しんで作った。

9年10月10日  (5)

近くに、昔の街道があった。 ほんの少しだけ。 100㍍ちょっとかな。
湧き水があるためか、街道が谷に入りこんでいた。 そのために残った。
(今の国道は、街道の上にできた)
後でまた、ここを通って戻る。 車は、地蔵さんの駐車場においた。

9年10月10日  (6)

国道を歩いていたら、お店があった。(道の駅の店のような感じ)
そこに、滑津大滝があった。 小さな滝。   ここ。
木が倒れていた。 そのために、下の遊歩道にも行けなかた。

9年10月10日  (7)

さらに行くと、親子松と大わらじというのがあった。
わらじにはお世話になるから、こういうのが出来るんですね。
大きい方の松は変です。 枯れていた。

9年10月10日  (8)

吊り橋とか本陣はあったが、どこか歩きたかったので、ここに来た。

9年10月10日  (9)

15分ほどで着いた。 
山道を歩くのはいい。 カモシカが出るかも知れないとあったので、楽しみにしていた。
カケスに会った。 まあまあ姿のいい鳥だ。
鳴き始めた。 ギャーギャーとうるさい。 鳴いたら、興ざめの鳥だ。
人にもいるかな。 しゃべらないで黙ってたら、それなりに魅力的に見える人が。

9年10月10日  (10)

国道を見渡せる高台だった。 昔、古屋館という建物があった。
伊達政宗が山形に出兵するとき、ここで冬を越したとあった。

9年10月10日  (11)

遊歩道を歩いた。 木が倒れていたり、小枝が散らばっていた。
先日の台風では、この辺は風が強かったようだ。
滝の倒れた木も、その時倒れたようだ。(観光客の話で)

急に雨が降ってきた。 傘を出した。 秋の空には、傘は必需品。
落ち葉に、大粒の雨が落ちると、その落ち葉は跳ね上がる。
雨が強くなると、次から次と跳ね上がり、最後は踊っているようになる。
一枚一枚がずぶ濡れになると、踊りはお終い。 いつか写真に撮りますね。

9年10月10日  (12)

旧街道の所に戻ってきた。 左手に昔のお墓があった。
明治時代のもあったが、ほとんどは江戸時代。 延享元年とか読めた。

9年10月10日  (13)

地蔵さんの首は折れていた。
雪が多いから、春に倒れて他のにぶつかったのか。

9年10月10日  (14)

これだけ、何とか表情が分かった。

9年10月10日  (15)

ここから入って行ったら、おばあちゃんがいた。

9年10月10日  (16)

向こうから入っていて、こっちに来た。
おばあちゃんは、雪が降るまで一人で暮らす。 ここがいいから。
雪が降ったら息子のいる仙台に行く。

ここは、どんぺ(ひっこんでいる)だから、風が弱くていいと言った。
おばあちゃんが子供の頃は、旧街道をみんなが使っていたという。
湧き水で、小さな池を作っていた。 がいた。
余ったご飯や、味噌のかぶれた(いたんだ)のをやるという。

鯉を食べるのかいと聞いたら、食べないと言った。
40年以上生きてるのもいると言った。

9年10月10日  (17)

古いお墓について聞いたら、今でもお彼岸には、訪れる人がいるそうだ。
そう言えば、線香が置いてあるお墓もあった。
下の写真の実は、なつめと教えてくれた。

9年10月10日  (18)

車で道の駅に戻って、そこで、食べたことのない物をさがした。
これが、問題に出した、うーめん
油を使っていないので、体にやさしいそうだ。 昔は病気の人が食べた。 材料は小麦粉。
店の人は、以ての外とは言わないで、ちゃんと教えてくれた。

9年10月10日  (19)

羽州街道を通って、福島市の南にある道の駅、安達に向かった。
途中、温泉に入った。 山の中だった。 この辺りには、ずっと昔から温泉がある。

昔、泉宿に一人の老人が立ち寄った。 ひと晩の宿をお願いした。女将はその人の身振りをみて、お金はないと判断し、宿はいっぱいなのでと断った。老人は、せめて納屋でもと言った。女将は言った。納屋もいっぱいですと。 その老人、この地を離れるとき、お札のような何かを川に流した。それが着いた所から温泉が出ると書いて。 今、この地域には温泉がいっぱいある。 その老人は、弘法大師だった。 こんなことが、お風呂の壁に書いてあった。 これを読んだから、久しぶりに10分ほどの長湯になった。 ※ 女将のいう、納屋の話しがおかしいです。

ここは、小坂峠。 少し行ったら、福島県に入る。   ここ
旧街道が残っていた。 道が急なので、残った。

9年10月10日  (20)

見える町は、国見町。 
この町の南隣に、桑折(こおり)町がある。 そこで、羽州街道は、奥州街道に出る。

9年10月10日  (21)

滝のあった所の店で、ホオズキを買った。 秋の雰囲気になった。

9年10月10日

きょうは、少し残念でした。
感じのいい宿場町を、いつか歩いて見たいです。


問題の答えはもってのほかという名前のの花でした。
私は初めて知りました。


【道の駅】    安達    場所はここ。   智恵子抄の千恵子の故郷です。

【明日の予定】    道の駅の情報がいいです。 近くに何かありそうです。


《今日の歌》    セントルイス・ブルース(You Tube)    古いです。

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仙台です。
広瀬側のそばにある、西公園の駐車場を目指しました。 情報は、伊達のKさんから。    

ナビで行ったが、入り口が分からず通り過ぎた。
川を渡ったら宮城県美術館に着いた。   今日歩く所の地図
その中に、佐藤忠良記念館があることは調べてあったので、それをまず見た。

記念館は美術館の左の部分だった。
女の人の像が見えた。

09年10月9日 (2)

09年10月9日 (3)

若い女と、名前があった。

09年10月9日 (4)

佐藤忠良の作品は全国にあって、琵琶湖のそばで若い女・シャツというのを見た。

これは、帽子・立像。 帽子シリーズのモデルは、笹戸千津子という人。

09年10月9日 (5)

この人の像は、美しいと感じることと、顔の表情が好きだ。

09年10月9日 (6)

写真は、いろんな方向から見て、気に入ったのを撮ることにしている。

これは、カンカン帽。 悪くないでしょうか。 

09年10月9日 (7)

名前は、メモするの忘れた。 モデルはいると思う。 王監督のもあったから。

09年10月9日 (8)

ここまでの像は、外やホールにあったので、撮影は大丈夫だった。
展示室のは撮影禁止だった。

たくさんの像があったが、メインは2つでしょうか。
その一つが、これ。 名前は、帽子・夏。(パンフレットを撮影)
これを見たときは、驚きました。 感動は、クラムスコイの忘れえぬ女の半分くらいはあった。
他の作品とは、別物だった。

09年10月9日 (9)

すごかったのは、口の表情だった。
正面からのこの写真では、少し分かりにくいが、近くで斜めから見るとよく分かった。
唇をほんの少しすぼめて、次の表情に移っていく感じでもあった。
今まで、絵でも写真でも実物でも、それは見たことのない物だった。

09年10月9日 (10)uu

これは、もう一つの代表作、群馬の人。(ネットにあったのをパソコンで修正。大きいのはコピー出来ない仕組み。)
これは、視線(目線)に惹きつけられた。 それは、中空にあるようだった。
自分が動いても、自分を追ってはこなかった。(忠良の作品のほとんどがそうだが)

2群馬の人7nn

作品の中には、娘の佐藤オリエの像もあった。 柔らかな目で見つめて作ったように感じた。
監視員に聞いたんだが、今は97歳で、作品を作る体力はないそうだ。

上の二つの作品がなかったら、今の佐藤忠良の地位はきっとなかった。そう思った。


そこを出て、仙台城のあった丘を通って、青葉通に向かった。
下の写真の向こうは、東北大学の広いキャンパスが広がっている。

09年10月9日 (11)

上の写真の所を、後に少し下ったら、この風景。
橋は、広瀬川に架かっている大橋。 それを過ぎたら、青葉通

09年10月9日 (12)

橋の上から、大学の方を撮影。

09年10月9日 (13)

これが、あの青葉城恋唄にで出てくる、広瀬川。 上流方向。

09年10月9日 (14)

こっちは下流。
左の丸の中は、伊達のKさんが6年間お世話になった下宿。 この建物は5年前に新しくした。
Kさんに訪ねてみたらと言われていたので、行ってみた。
おばあちゃんと、10分ほど話した。

09年10月9日 (15)

ここが青葉通。 地下鉄工事が行われていた。

09年10月9日 (17)

道路を覆うように、木が茂っていた。 昼間でも、少し暗かった。 夏はきっと涼しい。

09年10月9日 (18)

途中に、晩翠草堂というのがあった。
土井晩翠は、戦災で家が焼かれたそう。それで、晩翠会の人達が、この建物をプレゼントしたとあった。

09年10月9日 (19)

アーケード街が、横にのびていた。 ここが一番人が多かった。
三越とかも、ここにあった。

09年10月9日 (20)

青葉通をさらに進むと、仙台駅。 途中で、左に曲がった。

09年10月9日 (21)

街角に石碑があった。

09年10月9日 (22)

芭蕉の辻とあった。 
松尾芭蕉とは、関係ないようだ。 ここに芭蕉の木があったとか、説明にあった。
城からの道と、奥州街道が交差する地点が、ここだそう。

09年10月9日 (23)

ここは、楽天イーグルスの根拠地。
※ 野村監督は、監督交代の話しがあって、面白くないそうだ。

09年10月9日 (24)

定善寺通も歩いて見た。 青葉通からこの道まで、ずっと繁華街。 二つは平行にある。

09年10月9日 (25)

川の方に戻ってきて、定善寺通はここでおしまい。

09年10月9日 (26)

街の中には、電車のようなバスが走っていた。

09年10月9日

仙台は、都会の感じがした。 
通り過ぎる人は、背筋を伸ばして、「スッ」とした感じで歩いていた。 
みんな、少しいそがしそうでした。

仙台の街に来たんだが、佐藤忠良を見に来たようになってしまった。


【道の駅】     七ヶ宿      場所はここ

【明日の予定】    七ヶ宿のどこかを見ます。 どこがいいのか、分かりづらい。

《今日の歌》     青葉城恋唄(You Tube)  庄子眞理子さんもいる。

             青葉城恋唄(You Tube)  普通のです。

三陸海岸のしめくくりで、松島。 日本三景の1つだ。   場所はここ
芭蕉は、「いづれの人か筆をふるひ詞(ことば)を尽くさむ」と言って、ここでの俳句はない。(正確には、作ったが残さなかった)
松島や ああ松島や 松島や」は、後世の人の作り話だと、Wikipediaにはある。
このことについては、後で。

駐車場を心配したが、少し離れたところに、広いのがあった。
まず、五大堂に向かった。
赤い橋を渡った、小さな島にあった。

9年10月7日

橋の名前は、すかし橋。 下を見て歩かないと、板を踏み外しそう。
島が聖域とされているため、身も心も引き締めるために、そうしてるそうだ。

なぜ五大堂と呼ぶかは書いてありますね。 古い歴史をもっている。

9年10月7日 (2)

いい場所の小さな島に、形よく建っているので、人気があるのか。
歴史的に価値あるだけでは、こんなに人は訪れない。
近くから見ても、遠くから見ても、どこから見ても、になっていた。

9年10月7日 (3)

芭蕉が最初に訪れた、雄島に向かった。
途中に、観瀾亭(かんらいいてい)という建物があった。
見晴らしが良さそうなので、行ってみた。

9年10月7日 (4)

この辺りの土地は岩が多いから、入り口はこうなる。

9年10月7日 (5)

ここは、藩主や姫君や側室が松島に来たとき、泊まったりしたそうだ。
島全体が見渡せた。

9年10月7日 (6)

遊覧船が多い。 
松島には、大小260ほどの島がある。 
奥の方までの島全体は、山の上からでないと見えない。

9年10月7日 (7)

これから行く、雄島が見える。

9年10月7日 (8)

上にあがって、松島湾を見ながらお茶を飲むこともできる。(お金はかかるが)

9年10月7日 (9)

博物館があった。
松島湾の全体は、こんな感じ。 

9年10月7日 (10)

伊達政宗直筆のもの。

9年10月7日 (11)

お姫様が乗った籠。 狭いけど部屋だ。
本物を作る前に、模型を作ったそう。 これは、それ。 乗る所の長さは20㎝くらい。 小さい。

9年10月7日 (12)

雄島に向かった。 赤い橋が、自然の中では映える。

9年10月7日 (13)

島にはこんなのがあった。
ここの石像は状態がいいが、岩に直接のものは風化していた。 岩がやわいようだ。
島も、波打ち際は削られている。

9年10月7日 (14)

橋が見えるが、自分が渡ることは考えつかなかった。

9年10月7日 (15)

遠くの島は、どうしても暗く写る。 遠くの島は、実際に緑には見えないからか。

9年10月7日 (16)

絵に描きたくなるような島だ。
松島の松は、横に広がっている感じがした。  盆栽のようだ。

9年10月7日 (17)

何を思っているのか。

9年10月7日 (18)

芭蕉の石碑があった。
芭蕉はここで、島々や千々に砕きて夏の海、という句を詠んでいたが、推敲の段階で奥の細道から削除された。
石碑にあったのは、朝よさを誰(たが)まつしまぞ片心だが、これは奥の細道出発前に読まれたと言われている。

9年10月7日 (19)

雄島全体の管理の状態は良くなかった。

瑞巌寺に向かった。
途中の天麟院という小さな寺に、西行の石像があった。
他にあった物をここに移したそうだ。

9年10月7日 (20)

ここは円通院。 瑞巌寺のすぐそば。
庭園が素晴らしいそう。 拝観料がかかるので、外から見えるとこだけ撮影。

9年10月7日 (21)

近くにこんなのが。

9年10月7日 (22)

じつは、象潟の 蚶満寺に、紅蓮尼の碑があった。(ブログには書いてない)
追記 写真が見つかったので載せます。 こんなのがあった。

IMG_7700ww.jpg

少しだけ書くと、

昔、松島の若い男と、象潟の女の人が結婚することになった。女の人が、秋田から松島に行くと、男
の人は亡くなっていた。女の人は松島にとどまり、舅と姑に仕え二人が亡くなると出家し紅蓮と言う名
の尼になり、瑞巌寺で過ごした。

象潟と松島では、知られた人です。
この人の名前が付いたお菓子がある。
松島にはあるが、象潟では見つけられなかった。

瑞巌寺は、ここから入る。
※ 出るとき撮影。入る時は、別の方から入った。(左の方)

9年10月7日 (23)

この道の突き当たりにある。

9年10月7日 (24)

伊達政宗の力で、立派な寺に。

9年10月7日 (25)

国宝の本堂は解体修理中。 完成は8年後。 だから、本堂は見られない。

9年10月7日 (26)

この庫裡(くり)という所に、本堂のものが、ここに展示されていた。(ここも国宝)

9年10月7日 (27)

庫裡というのは、寺の台所だそう。 大きいから、僧がたくさんいたのか。

9年10月7日 (28)

中は、撮影禁止。 外から、建物を撮った。 その一部を拡大。 パソコンで修正。
展示室の仏像に比べたら、これは明治時代のもので新しい。
瑞巌寺が知っても、クレームは来ないと思っている。(瑞巌寺のことを悪く書いたら別だが)

9年10月7日 (29)

さらに拡大したので、鮮明でない。 美しい像だ。(高村光雲作)

9年10月7日 (29)no2

展示室には、仏像や、伊達家や寺の禅師の位牌などが、整然と並んでいた。
圧倒される雰囲気があった。
監視員の人がいた。 本堂の解体修理の方法を詳しく説明してくれた。
展示物は撮影できないので、中庭を撮った。

9年10月7日 (30)

ここは大書院で、博物館のようなもの。
本尊や正宗の位牌など、重要な物は、こっちに展示してあった。 ガラス越しの展示。

9年10月7日 (31)

本堂が見られないと言うことで、非公開の御霊屋(寶華殿)が特別に見ることができた。

9年10月7日 (32)

これは、正宗の正室陽徳院のお墓。

9年10月7日 (33)

建物の下に、納骨されている。

9年10月7日 (34)

この建物は、解体修理が終わっている。

9年10月7日 (35)

向こうが出口。

9年10月7日 (36)

真っ直ぐ戻らないで、左の道を通ったら、洞窟群があった。 岩が掘りやすいようだ。

9年10月7日 (37)

三十三観音巡拝所とあった。

9年10月7日 (38)no5

本物の城ではなく、昔旅館があって、その一部。
見晴らしがいいかと思って行ってみた。

9年10月7日 (39)

真ん中を撮影。 今までの中では、ここが一番高い。 五大堂はいい感じだ。

9年10月7日 (40)no2

左の方。 大きな島の向こうにも島がある。

9年10月7日 (42)

右の方。 雄島が見える。

9年10月7日 (43)

笹かまぼこを食べながら、駐車場に戻った。

9年10月7日 (44)

松島は、島だけでなく、この辺り全体の呼び名です。
大きな庭を観ているように思った。
美しい風景・瑞巌寺・観光船・海と山の幸などがあり、大きな観光地でした。
私の感動は、中くらいでした。 山の上からの風景を見ていたからか。

半袖で歩いていたのは、私だけでした。 上着を着ている人が多かった。
知らない人に、寒くないですかと言われた。


【道の駅】     おおさと   近くにあったので、ここにした。

【明日の予定】   台風が行ってしまうのを待ちます。   場所はここ

《今日の歌》    斉太郎節(You Tube)  松島~、で始まる民謡です。 三橋三智也。

            もう一つ、斉太郎節。 誰が歌っているかは分からないが。

            最後にもう一つ。  歌ってるのは、ガクトか。 2・3回聞いたら、味があるのに気づく。
いいですよ。

 

午前中、気仙沼のケーズデンキに行ってきた。
分かったことは、10月下旬に、Windows7が発売されることだった。
行かないで、ネットで調べれば良かった。

松島に近い道の駅、上品の郷(じょうぼんのさと)に向かった。
見るところは決めてなかった。 何かあるだろうと思って。

※ ニュースが2つ入ってきました。
 一つは、日ハム優勝。 おめでとう。
 もう一つは、小野小町の靴が復元新調されました。 これについては、記事の最後に。

途中に、魚竜館の案内があった。 左折したらその建物は見えた。
でも、お店に見えたので素通りしたら、下の写真の場所に着いた。  場所はここ

ここは館崎の岬で、ウタツ魚竜と名付けられた魚竜が最初に発見された場所だった。  昭和45年のこと。

9年10月6日

岬の横は、小さな湾になっており、養殖が行われていた。 
調べなかったが、牡蠣かホタテかホヤあたりでしょうか。 三陸は、ホヤの産地ですね。

9年10月6日 (2)

戻って、魚竜館に行ってみた。 
本物の化石が展示されていた。 もしレプリカしかなかったら、見なかったかも知れない。

食堂があり、刺身定食が500円。 ごはんのおかわり自由。 食後にコーヒー付き。
漁師の人も食べに来ていた。

9年10月6日 (3)

東北はこのように、温泉とか食事とかが安い。 人を差し置いて儲けるより、みんなで生きているという感じがつよいでしょうか。

魚竜の化石は、隣の建物に展示してあった。
そこは、昭和60年に、2つ目の魚竜が発見された場所だった。 
化石は発掘しないで、建物で覆っていた。 発掘は、後の世代に任せることにして。
※ この考えは、吉野ヶ里遺跡でもあった。 発掘は、遺跡を壊すことでもあり、技術の進歩を待つという考え。

9年10月6日 (4)

赤い丸の中に、化石は眠っている。  ※ 剥がした部分は、別に展示してあった。

9年10月6日 (5)

化石は、このような状態です。

9年10月6日 (6)

説明は下に。 違って写っていますが、同じ物ですね。
ネットで調べたら、ウタツサウルスで載ってる物が多い。
※ 三畳紀の生物として、認知されていた。

IMG_9346gg.jpg

IMG_9348ss.jpg

骨格は、こうなるんですね。

9年10月6日 (7)

イルカのようだったと、説明にある。

9年10月6日 (8)

発見の経緯です。 遙か昔は、海の底だったとある。

9年10月6日 (9)

ウタツ魚竜の説明。 専門的な内容。(興味のある方、読んで見ては)

9年10月6日 (10)

地質年代図。 気が遠くなるほど昔。

9年10月6日 (11)

食堂の2階は、外国の魚竜とかの展示館だった。
この魚竜の化石は、外国の物。 イクチノサウルス。 本物。
※ この名前だけ、聞いたことがありましたね。

9年10月6日 (12)

展示室からの風景。  左に見える防波堤の、左の端に、最初の発見場所があった。

9年10月6日 (13)

養殖のウキが、きれいに並んでいた。

9年10月6日 (14)

魚竜のことはまったく知りませんでした。 今日は勉強になりました。
2億年前にの太古に、少しだけ思いを馳せた一日でした。


北上川に沿って走った。 川の流れは分からなく、湖の縁を走っているようだった。

道の駅上品の郷にあった案内板。
松島仙台に近づいて来ました。

9年10月6日 (15)

ふたごの湯の前の通路。

9年10月6日 (16)

こんな絵がたくさんあった。

IMG_9388.jpg

小町のことですが、こんなニュースです。

京都三大祭の一つ「時代祭」(22日)を前に、主催の平安講
社は6日、京都市左京区の平安神宮で、復元新調した平安時代婦人列の小野小町役の沓(くつ)などの衣装を報道陣に公開。
鮮やかな色彩がよみがえった。 
 沓は正倉院宝物を参考にデザイン。和紙で土台を作り、上から蜀江錦(しょっこうにしき)と呼ばれる
文様の布地を張り付け、底は皮で仕上げた。昭和29年に制作され、数回補修されたものの老朽化が進み、新調された。

他の関連記事は、忘れなければ、7日の記事の最後に。


【道の駅】       上品の郷(じょうぼうんのさと)  温泉あり。

【明日の予定】    松島に行ってきます。 仙台を見る時間はない。 

※ 台風が近づいている。 ここの道の駅に戻ってきて、過ぎ去るまで待機するかも知れない。
   コンビニ・温泉・テレビ付き案内室・お店・レストランなど、何でもある。
   ほぼ完璧な道の駅。 (ゴミも捨てられる)


《今日の歌》     CALENDAR(You Tube)  仙台で、もし庄子眞理子さんの歌が聴けるの
           なら、日程調整してもいいが、コンサートの日程が分からない。HPは見つけたが。

道の駅のパンフレットを見たら、近くに、隕石が落ちた場所があった。
調べてみたら、こうだった。

気仙隕石(けせんいんせき)とよばれ、1850年6月13日(嘉永3年5月4日)、道の駅高田の近くにある長圓寺前に落下した。

日本最大の隕石で、落下した時の重量は135kg。
住民たちがお守りとして削るなどして、約106kgに減った。
落下日時や飛来方向、落下時の様子などの記録が文書に残っている。

現在は、国立科学博物館にある。
陸前高田市立博物館には実物大レプリカが展示されている。

実物は見られないが、行ってみた。
ここが、長圓寺。 立派な寺。  場所はここ。 

09年10月5日 (2)

場所は、本堂の正面下にあった。
大きながあるかと思ったが、なかった。 隣に池があったが、標示はなかった。  

09年10月5日 (3)

石碑に説明があった。
もう少し、読みやすい字で、分かりやすい説明にしてくれないと、理解が難しい。

09年10月5日 (4)

これの重さは106㎏。 横の長さは、50㎝以上はあるでしょうか。
住民が30㎏くら削ってしまった。
昔の人も、珍しい物だと分かっていて、欲しいと思ったんですね。

09年10月5日 (5)

隕石自体は、南極で大量に見つかるため、珍しくはないそうだ。
また、恐竜が絶滅したのは、巨大隕石の落下によるともいわれている。
※ 巨大隕石につては、ここで詳しく分かります。 動画です。


大理石海岸も、パンフレットに載っていた。  ※ 最初の地図にある。
駐車場の案内板には、下のように書いてあった。ここの大理石が、三越本店で使われているとある。

09年10月5日 (6)

波に削られにくいのか、小さな島のように、海から出ていた。
一目、輝いている風景では無かった。 

09年10月5日 (7)

ところが、波に洗われてる部分は、下のようにまさに大理石だった。

09年10月5日 (8)

大理石は、石灰岩が熱によってガラスっぽく硬くなった、変成岩だそう。

今日は、毛虫に出会った。 触ったことはない。

09年10月5日 (9)

地図の左の遊歩道を行った。 
輝いている景色ではないが、こんなの他にはない。
※ 逆光なので、暗く写った。

09年10月5日 (11)

何となく岩は白っぽい。 見る人が見たら、すぐ大理石と分かるのか。

09年10月5日 (12)

小さな海があったので、を探した。

09年10月5日 (13)

この前撮った魚と同じだ。 2匹いる。 海面より2㍍程高いが、時々波は来そうだ。

09年10月5日 (14)

昨日の石は黒かったが、今日のは白かった。

09年10月5日 (15)

地図の右側の海岸に行った。 昔切り出した跡があった。
石は重いから、船に積むのは大変な作業だった。
ここは、一目、大理石と分かった。

09年10月5日 (16)

きれいだ。 コケも付いてない。 ここのが一番だった。

09年10月5日 (17)

ここもやはり、三陸の風景。

09年10月5日 (18)

帰るとき、を見つけた。 墓石は、大理石だ。 新しく見えるが古い物だった。

09年10月5日 (19)

黄緑の中には、延享三、とある。 調べたら、江戸時代の1746年で、将軍は9代家重。
200年以上前なのに、全く風化していない。
 
09年10月5日 (20)

黄色の方は少し読みにくいが、享和元とある。
これは、1801年で、将軍家斉の時代だった。

このように風化しないことを考えると、大理石は見た目もいいが、質の高い石に感じた。

09年10月5日 (21)

気仙沼の中心街から、少し南に来た。 大型商店街が集まっていた。   この辺り
下の写真の宮城トヨタで、車の点検とオイル交換をした。 ここも、親切で丁寧な店だった。

IMG_9311kk.jpg

09年10月5日jj

1時間ほどかかるので、近くのジャスコを散歩した。 
秋の服を2つ買った。 探すのが面倒だったので、セットになって吊り下げてあるのを買った。
長袖のシャツと、その上に着る、袖のない上着。(これは、何て言うんでしたっけ)

今日は、あまり知られていない物を見てみました。


【道の駅】    大谷海岸    場所はここ


【明日の予定】    Vistaの方は調子悪いし、Xpの方は遅い。
            気仙沼で、今どんなパソコンが出ているのか、見てこようと思う。 ついでに洗濯も。

 

akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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