梅雨が終わり、いい天気になった。
駐車場から。 那須岳には、山がいっぱいある。
一番高いのは、茶臼岳。 1915㍍。 正面の山の少し向こうに。
こんな道。 歩きやすい。
コメツツジ。 白くて小さくて、かわいい。
向こうから来た。
峰の茶屋非難小屋。 向こうに行ったら茶臼岳。 最初、向こうに。
向こうは、朝日岳。 1896㍍。 頂上が見える。
頂上。 人がいる。
山の下。 登ってきた、反対側。
小屋が見える。 どこにも、人がいる。
亜硫酸ガスが出ている。
斜面を、巻くように登る。
低い雲が。
頂上は、向こう。 右の方から行く。
あそこが頂上。
着いた。 2時間ほどかかった。
見える道を通ってきた。
山が続く。
頂上は人でいっぱい。 理由は、ロープウェーがあるから。 これに乗ったら、1時間かからない。
わたしの車も見える。
下っている。
小屋が見えてきた。
休まないで、朝日岳に向かった。
実かな。 ※ 調べていない。 ガンコウランかも。
こんなの。
小さい。
そろそろ、急になる。
握りこぶし。
そんなに危険ではない。
頂上の少し下で休憩。
頂上。
向こうから来た。
登山道は、新しい山にも。
左上は、茶臼岳頂上。 小屋も見える。(道の分岐点に)
尾根に道が。
頂上の印。
ウラジロタデ。
下山開始。
見たのは、1回だけ。
これは、ときどき。
小屋まで来た。
木の中に入ったら、近い。
着いた。
これで、今年百名山は、7つ目。 10は、登れそう。
【道の駅】 たまかわ 福島空港の近く。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で7位です。
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駐車場から。 那須岳には、山がいっぱいある。

一番高いのは、茶臼岳。 1915㍍。 正面の山の少し向こうに。

こんな道。 歩きやすい。

コメツツジ。 白くて小さくて、かわいい。

向こうから来た。

峰の茶屋非難小屋。 向こうに行ったら茶臼岳。 最初、向こうに。

向こうは、朝日岳。 1896㍍。 頂上が見える。

頂上。 人がいる。

山の下。 登ってきた、反対側。

小屋が見える。 どこにも、人がいる。

亜硫酸ガスが出ている。

斜面を、巻くように登る。

低い雲が。

頂上は、向こう。 右の方から行く。

あそこが頂上。

着いた。 2時間ほどかかった。

見える道を通ってきた。

山が続く。

頂上は人でいっぱい。 理由は、ロープウェーがあるから。 これに乗ったら、1時間かからない。

わたしの車も見える。

下っている。

小屋が見えてきた。

休まないで、朝日岳に向かった。

実かな。 ※ 調べていない。 ガンコウランかも。

こんなの。

小さい。

そろそろ、急になる。

握りこぶし。

そんなに危険ではない。

頂上の少し下で休憩。

頂上。

向こうから来た。

登山道は、新しい山にも。

左上は、茶臼岳頂上。 小屋も見える。(道の分岐点に)

尾根に道が。

頂上の印。

ウラジロタデ。

下山開始。

見たのは、1回だけ。

これは、ときどき。


小屋まで来た。

木の中に入ったら、近い。

着いた。

これで、今年百名山は、7つ目。 10は、登れそう。
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困りました。 この記事は、那須塩原市にある、ネットカフェで書いている。(17日昼過ぎ)
夕べ10時過ぎから、おかしくなった。
ネットは、FC2だけが見られない。 ブログも、書けない。
夕べから、私と同じ症状になった人がいるので、FC2側の問題と思う。
少し待ってみる。
17日は、那須岳に上る予定だった。 沼ッ原湿原の近くに、17日の朝までいた。
16日は、花畑や、殺生石を見た。
写真は整理してあるので、つながるようになったら、載せます。
見通しは立っていないので、何日かかるか分からない。
少し、待ってくださいね。
ここからの記事は、会津若松のネットカフェで書いています。 19日の19時から。
3日目になるが、解決していいない。
私と同じ人がいっぱい。 ネットで調べた。
通信カードを、ドコモからAUに変えれば、解決するが。
待つのは、あと1週間が限界かな。
慣れないパソコンは、仕事がはかどらない。
花の配置のデザインが、プロではなかった。
でも、きれい。 見える山は、那須岳 18日に、登る。
殺生石というところは、亜硫酸ガスが出る。 生き物が死ぬ。
とりあえず写真を載せて、17日のをします。




































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夕べ10時過ぎから、おかしくなった。
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16日は、花畑や、殺生石を見た。
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見通しは立っていないので、何日かかるか分からない。
少し、待ってくださいね。
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3日目になるが、解決していいない。
私と同じ人がいっぱい。 ネットで調べた。
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待つのは、あと1週間が限界かな。
慣れないパソコンは、仕事がはかどらない。
花の配置のデザインが、プロではなかった。
でも、きれい。 見える山は、那須岳 18日に、登る。
殺生石というところは、亜硫酸ガスが出る。 生き物が死ぬ。
とりあえず写真を載せて、17日のをします。




































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Kさんのお父さんに、午前中、大金を含む那須烏山市を案内していただいた。
この町には、山あげ祭という大きな祭があった。
他に、滝、伝説、和紙と、話題に事欠かない町だった。
大金(おおがね)までは、ここから10分ほどで着く。
里山の感じの所を走る。 ※ 谷は広くないので、田園地帯というよりは、里山。
Kさんの自宅は、荒川小の近く。 ここまで来て、自宅に電話をした。
この場所から、100㍍程向こうだった。 お父さんが、外で待っててくれた。 ※ この写真の場所はここです。
上の地図にもあるが、駅が近くにあった。 私は、気付かなかった。
宇都宮から、烏山線が出ており、大金駅は、終点烏山駅の3つ手前。(写真は、Wikipedeiaから)
大金という名前は、縁起がいい。 ※ 昔、ここで金が採れたので、この名前だそう。(確認できていないが)
宇都宮寄りに、宝積寺という駅もある。 宝積寺から大金まで乗れば、金持ちになれそう。
お父さんの車で、烏山市内を案内していただいた。
烏山市は、東京にも烏山があるため、那須烏山市と言う。
ここは、太平寺。 古くからのお寺。 建物は、江戸時代。
蛇姫様の墓。
昔、大久保家がこの土地を治めていた時、於志賀姫(おしかひめ)と言う姫がいた。 ※ 民話の中では琴姫。
姫に危急があったら、1匹の蛇が姫を助けた。 いつしか、蛇姫様と呼ばれるようになった。
下の写真をクリックしたら、詳しいお話しが。
※ この姫が、川口松太郎の小説、「蛇姫様」のモデルとなった人物だそう。
川口松太郎は、若い頃、隣町の祖母井(うばがい)郵便局に勤めていた。
烏山の蛇姫様の話は、聞いて知っていた。
※ 川口松太郎は、川口浩探検隊、川口浩の父。
次は、龍門の滝に。
雨の日が続いているので、水量が多い。 豪快に流れて落ちていた。 幅65㍍。 高さ20㍍。
川は江川と言い、那珂川の支流。 ※ 烏山市は、那珂川の流域。 那珂川は大きな川。
滝の途中に大きな穴があるそう。 そこに大蛇(龍)が住むというので、龍門の滝。
滝の上を線路が通っている。 近くに駅があり、名前は、滝駅。 名前の付け方が、手抜きでは。(?)
ここは、烏山の山あげ会館。 この町には、大きな祭りがあった。 16日の金曜日から始まる。
大きな仕掛けで、人形が動いた。
説明は、勘助じいさん。 ※ 山本勘助と名前が同じ。
この祭りは、道路で歌舞伎を演じる。
舞台の後ろに、このように山が立ちあがる。 それで、山あげ祭という。
将門の字が読める。
将門が登場する歌舞伎って、どんなのなんだろう。
将門の娘に、滝夜叉姫がいた。 その姫かな。(伝説上の人物?)
滝夜叉姫については、下をクリック。
祭りで、実際に使われるもの。
山あげ祭の映画を見た。
※ 写真の撮影は、基本的には出来ないが、許可をいただいた。
Kさんのお父さんがいたためと思う。
お父さんは、昔、この地域で校長先生だった。 どこに行っても、みんな父さんの知っている。
祭りの期間中、人の数は、この町の人口の何倍にも膨れ上がる。
交通規制のため、県警の1個中隊が配備されるそう。(数十名か)
舞台の仕組みも、大がかり。
山あげの、山を作っている。 祭りに燃える人間がいないとできない。
この通りで、祭は行われる。
和紙会館に寄った。
島崎酒造。
洞窟で、酒を熟成している。 洞窟は、戦争の時に掘ったもの。
日本酒を、いただいた。 ※ 関連ブログ 薩摩金山蔵
アユを獲るヤナを見に行ったが、増水のため、作られていなかった。 ※ ヤナ(Wikipedia)
こんな道を通って、あるお寺へ。
芳朝寺。 江戸時代、ここを治めた大田原氏の菩提寺。
秀吉の時代まで、烏山は、那須与一の兄弟の、一番上の兄が治めていた。
秀吉が小田原を攻めた時、向こうに着くのが遅れたという。 それで、改易になった。 秀吉は厳しい。
※ 源平の合戦で、平氏の船に掲げられた、扇の的を射落としたのが、那須与一。
那須与一の出身は、那珂川町と言われている。
それは、今私がいる所。 そこの道の駅にいる。
大田原氏先祖代々の墓。
蕎麦を御馳走していただいた。 お店は、里山に。
この後、戻って、お父さんとお別れした。 市内の見所を、ほとんど案内していただいた。
近くにある、こぶしが丘温泉を教えていただき、そっちに向かった。
クモの巣の雨。
小さな温泉。 昼間の温泉は、久しぶり。
時間があったから、大金の駅の近くとか、散歩すればよかったと後で後悔。
花が大きくて、重い。
島崎酒造は、大きな会社。 酒は、北海道までも来ている。
自分で飲むのが、もったいないような酒。
冷蔵庫で保存するように、書いてあった。
車の冷蔵庫は狭いので、仕方ないから、1本飲み始めた。
最近、酒を控えていたが、そのことは、すぐに忘れた。
あとの2本は、酒の好きな人に出会ったら、御馳走することにする。
※ 烏山の烏ですが、これは、熊野の烏のことだった。
※ 熊野本宮大社のヤタガラス(写真の中央に) ※ 地名の由来は、ここの中に。
Kさんの故郷、大金そして烏山は、聞いていた通り、里山の雰囲気だった。
自然豊かで、歴史のロマンあふれる、静かなところだった。
お父さんには、お世話になり、感謝です。
【道の駅】 ばとう ここです。
【明日の予定】 袋田の滝に行きます。 日本三名瀑の一つです。
近くに、月待の滝もあります。
ここは、滝を裏から見ることだ出来る。
裏見の滝です。 増水とかで見られなかったら、恨みの滝。
それと、芭蕉にゆかりの雲巌寺。
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この町には、山あげ祭という大きな祭があった。
他に、滝、伝説、和紙と、話題に事欠かない町だった。
大金(おおがね)までは、ここから10分ほどで着く。
里山の感じの所を走る。 ※ 谷は広くないので、田園地帯というよりは、里山。


Kさんの自宅は、荒川小の近く。 ここまで来て、自宅に電話をした。
この場所から、100㍍程向こうだった。 お父さんが、外で待っててくれた。 ※ この写真の場所はここです。

上の地図にもあるが、駅が近くにあった。 私は、気付かなかった。
宇都宮から、烏山線が出ており、大金駅は、終点烏山駅の3つ手前。(写真は、Wikipedeiaから)

大金という名前は、縁起がいい。 ※ 昔、ここで金が採れたので、この名前だそう。(確認できていないが)
宇都宮寄りに、宝積寺という駅もある。 宝積寺から大金まで乗れば、金持ちになれそう。
お父さんの車で、烏山市内を案内していただいた。
烏山市は、東京にも烏山があるため、那須烏山市と言う。
ここは、太平寺。 古くからのお寺。 建物は、江戸時代。

蛇姫様の墓。
昔、大久保家がこの土地を治めていた時、於志賀姫(おしかひめ)と言う姫がいた。 ※ 民話の中では琴姫。
姫に危急があったら、1匹の蛇が姫を助けた。 いつしか、蛇姫様と呼ばれるようになった。

下の写真をクリックしたら、詳しいお話しが。

※ この姫が、川口松太郎の小説、「蛇姫様」のモデルとなった人物だそう。
川口松太郎は、若い頃、隣町の祖母井(うばがい)郵便局に勤めていた。
烏山の蛇姫様の話は、聞いて知っていた。
※ 川口松太郎は、川口浩探検隊、川口浩の父。
次は、龍門の滝に。

雨の日が続いているので、水量が多い。 豪快に流れて落ちていた。 幅65㍍。 高さ20㍍。
川は江川と言い、那珂川の支流。 ※ 烏山市は、那珂川の流域。 那珂川は大きな川。

滝の途中に大きな穴があるそう。 そこに大蛇(龍)が住むというので、龍門の滝。

滝の上を線路が通っている。 近くに駅があり、名前は、滝駅。 名前の付け方が、手抜きでは。(?)
ここは、烏山の山あげ会館。 この町には、大きな祭りがあった。 16日の金曜日から始まる。
大きな仕掛けで、人形が動いた。

説明は、勘助じいさん。 ※ 山本勘助と名前が同じ。

この祭りは、道路で歌舞伎を演じる。
舞台の後ろに、このように山が立ちあがる。 それで、山あげ祭という。
将門の字が読める。


将門が登場する歌舞伎って、どんなのなんだろう。

将門の娘に、滝夜叉姫がいた。 その姫かな。(伝説上の人物?)

滝夜叉姫については、下をクリック。

祭りで、実際に使われるもの。

山あげ祭の映画を見た。
※ 写真の撮影は、基本的には出来ないが、許可をいただいた。
Kさんのお父さんがいたためと思う。
お父さんは、昔、この地域で校長先生だった。 どこに行っても、みんな父さんの知っている。


祭りの期間中、人の数は、この町の人口の何倍にも膨れ上がる。
交通規制のため、県警の1個中隊が配備されるそう。(数十名か)
舞台の仕組みも、大がかり。


山あげの、山を作っている。 祭りに燃える人間がいないとできない。

この通りで、祭は行われる。

和紙会館に寄った。

島崎酒造。


洞窟で、酒を熟成している。 洞窟は、戦争の時に掘ったもの。
日本酒を、いただいた。 ※ 関連ブログ 薩摩金山蔵

アユを獲るヤナを見に行ったが、増水のため、作られていなかった。 ※ ヤナ(Wikipedia)

こんな道を通って、あるお寺へ。

芳朝寺。 江戸時代、ここを治めた大田原氏の菩提寺。

秀吉の時代まで、烏山は、那須与一の兄弟の、一番上の兄が治めていた。
秀吉が小田原を攻めた時、向こうに着くのが遅れたという。 それで、改易になった。 秀吉は厳しい。
※ 源平の合戦で、平氏の船に掲げられた、扇の的を射落としたのが、那須与一。
那須与一の出身は、那珂川町と言われている。
それは、今私がいる所。 そこの道の駅にいる。

大田原氏先祖代々の墓。

蕎麦を御馳走していただいた。 お店は、里山に。

この後、戻って、お父さんとお別れした。 市内の見所を、ほとんど案内していただいた。
近くにある、こぶしが丘温泉を教えていただき、そっちに向かった。

クモの巣の雨。

小さな温泉。 昼間の温泉は、久しぶり。
時間があったから、大金の駅の近くとか、散歩すればよかったと後で後悔。

花が大きくて、重い。

島崎酒造は、大きな会社。 酒は、北海道までも来ている。


自分で飲むのが、もったいないような酒。
冷蔵庫で保存するように、書いてあった。
車の冷蔵庫は狭いので、仕方ないから、1本飲み始めた。
最近、酒を控えていたが、そのことは、すぐに忘れた。
あとの2本は、酒の好きな人に出会ったら、御馳走することにする。

※ 烏山の烏ですが、これは、熊野の烏のことだった。
※ 熊野本宮大社のヤタガラス(写真の中央に) ※ 地名の由来は、ここの中に。
Kさんの故郷、大金そして烏山は、聞いていた通り、里山の雰囲気だった。
自然豊かで、歴史のロマンあふれる、静かなところだった。
お父さんには、お世話になり、感謝です。
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近くに、月待の滝もあります。
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裏見の滝です。 増水とかで見られなかったら、恨みの滝。
それと、芭蕉にゆかりの雲巌寺。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で5位です。
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一日雨のため、外の見学は出来なかった。
小さな資料館で、武者絵のぼりを見た。
その資料館は、益子町の北の市貝町にあった。
益子町は昔から知っている。 私が以前いた、オホーツクの雄武町と姉妹都市。
焼き物の町なので、お店が集まっている所に、少しだけ寄った。
大きな甕(かめ)には、100万円以上の値が付いていた。
大畑家は、里山の静かな所にあった。 ここです。
敷地の中に、作業場、自宅、お店、そして資料館があった。
資料館は、自由に見ることが出来た。 照明も自分で点けて。
武者絵って、武将や合戦の場面を描いていて、調べたら、浮世絵の一種とありますね。
下の二つは、江戸時代の物。 中国の三国時代の英雄とあった。
武者絵は、どこで見るかと言えば、子どもの日の「のぼり」とかでしょうか。
青森の「ねぶた」や、弘前の「ねぷた」の絵も、武者絵ですね。 ※ ねぷたの絵は、ここに。
上杉謙信と武田信玄。
大畑家は、元々、紺屋をしていたとあった。 ※ 紺屋~こんや。 染物屋のこと。
約300年の歴史があり、武者絵を描き始めて、今は3代目。
外部の評価として、面相が勇ましく気品ある、とあった。
また、ひげの部分の刷毛(はけ)つかいは見事であるとも。
武者絵のぼりの第一人者であることは、確かなよう。
ただ、日本の中で、どう評価されてるかは、調べられなかった。
大畑家は、初代から耕雲を名乗り、特に2代目の時から名声を博すようになった。
これは、屏風。
焼き物の絵も描いた。
3代目耕雲とありますね。 いい表情です。
この表情の、奥の深さはどのくらいなのか、それで質の高さは決まるのでしょうか。
髭は、刷毛で描くのですが、こうです。
ビデオで描いてる姿を見たのですが、迷わず一気に描いていた。 速い。
これは、義経。 のぼりではない。
これも、髭が特徴。
大きな壺にも。
これがもし演技なら、迫真の演技と言われますね。
いいですね。
真剣さが伝わってくる。
武者絵は、どうだったら質が高いのかが、すぐに分からない。
自分の目が、肥えていない。
今日見た武者絵は、ずっと残したい日本の伝統文化として、以前より大事にされる時代になってきた、と思う。
【道の駅】 はが ここです。
【明日の予定】 実は、私のブログにたまに登場する、伊達のKさんの出身地は、ここから少し北の大金(おおがね)です。
Kさんとは、雄武で職場が一緒でした。
明日午前中、Kさんのお父さんが、いろいろ案内してくれます。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で5位です。
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小さな資料館で、武者絵のぼりを見た。
その資料館は、益子町の北の市貝町にあった。
益子町は昔から知っている。 私が以前いた、オホーツクの雄武町と姉妹都市。
焼き物の町なので、お店が集まっている所に、少しだけ寄った。
大きな甕(かめ)には、100万円以上の値が付いていた。



大畑家は、里山の静かな所にあった。 ここです。

敷地の中に、作業場、自宅、お店、そして資料館があった。

資料館は、自由に見ることが出来た。 照明も自分で点けて。

武者絵って、武将や合戦の場面を描いていて、調べたら、浮世絵の一種とありますね。
下の二つは、江戸時代の物。 中国の三国時代の英雄とあった。


武者絵は、どこで見るかと言えば、子どもの日の「のぼり」とかでしょうか。
青森の「ねぶた」や、弘前の「ねぷた」の絵も、武者絵ですね。 ※ ねぷたの絵は、ここに。
上杉謙信と武田信玄。


大畑家は、元々、紺屋をしていたとあった。 ※ 紺屋~こんや。 染物屋のこと。
約300年の歴史があり、武者絵を描き始めて、今は3代目。
外部の評価として、面相が勇ましく気品ある、とあった。
また、ひげの部分の刷毛(はけ)つかいは見事であるとも。





武者絵のぼりの第一人者であることは、確かなよう。
ただ、日本の中で、どう評価されてるかは、調べられなかった。


大畑家は、初代から耕雲を名乗り、特に2代目の時から名声を博すようになった。

これは、屏風。

焼き物の絵も描いた。

3代目耕雲とありますね。 いい表情です。
この表情の、奥の深さはどのくらいなのか、それで質の高さは決まるのでしょうか。

髭は、刷毛で描くのですが、こうです。
ビデオで描いてる姿を見たのですが、迷わず一気に描いていた。 速い。

これは、義経。 のぼりではない。

これも、髭が特徴。

大きな壺にも。

これがもし演技なら、迫真の演技と言われますね。


いいですね。


真剣さが伝わってくる。


武者絵は、どうだったら質が高いのかが、すぐに分からない。
自分の目が、肥えていない。
今日見た武者絵は、ずっと残したい日本の伝統文化として、以前より大事にされる時代になってきた、と思う。
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Kさんとは、雄武で職場が一緒でした。
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