車の横には、むつばあちゃんが作った石のテーブルと椅子があった。
朝起きて、そこでコーヒーを飲んだ。
小鳥の鳴き声が聞こえた。
初めて聞くものだ。 日本語に直せそうだった。
その前、コーヒーを準備していたとき、外におばあちゃんが見えた。
出て行って、挨拶した。 新井さんの下の家に、一人で住んでいる人だった。
私が何かを聞いたら、そのことにいつまでも話してくれた。
買い物や病院など、みんなに助けられて生活していると言った。
朝6時過ぎに家を出て学校に通ったこと。(小学校の上の学校)
子供を寄宿させて学校に行かせたこと。(役場のある吉田で、峠のむこう)
など、20分ほど聞かせてくれた。
コーヒーを飲んで、昨晩のお礼と懐中電灯を戻しに、新井さんのお家に向かった。
9時を過ぎていたから、お家は留守だった。
広い玄関に懐中電灯を置いた。(玄関に鍵はかかっていない)
こんにゃく畑に向かった。 一番高いところの畑で、掘っていた。
昨晩のお礼と、神社と墓地を場所を教えていただいた。
楢尾を出るとき、もう一度来ることを伝えた。
地蔵さんが見えたので、細い道を下りてきて撮った。
小さな鳥居が見えた。
楢尾の諏訪神社だ。 (この名前の神社は、よく見かける)
墓地は、斜面の上を見て、左の方にあった。(神社は、その下の方に)
家の方に戻る細い道があった。
テレビの場面で、道を直すのがあったが、この場所だと思った。
むつばあちゃんが、疲れたと言ったんだったかな。
別の道にあった。 きのう歩いてない細い道を歩いた。
車に戻り、出発の準備を終わらせて、こんにゃく畑に向かった。
2日間のお礼を言った。 また来ることも伝えた。
別れ際に、新井さんはこう言った。
この楢尾を、私たちの時代で終わらせたくないと。
素敵な笑顔の、新井さんご夫妻だった。
新井さんは、城峰公園に桜が咲いてると教えてくれた。 ※ 楢尾はここだった。
ここから、8㎞程だそう。 向かった。
確かに咲いていた。 紅葉も奇麗だ。 場所はここ。
葉っぱがない。
どうして咲くのか分からない。(調べてみたいと思います)
こんな説明が。
こんな鳥も。
神流湖。 これを見て、水が溜まっていたら緑色になると分かった。
赤城山の小沼が緑なのも、これと同じだ。
上野村に向かった。
恐竜博物館があったので寄ってみた。
上には本物の標示があったが、他には見当たらなかった。
後で受付に聞いたら、多くはレプリカだった。
何のために写真を撮ったか、分からなくなった。
入場料600円は高いと思った。
【道の駅】 上野 場所はここ。
【今日の予定】 昨日のブログが終わらない。 何かの調子が悪いため、時間がかかる。
11時を過ぎてしまった。 日航機墜落現場と鍾乳洞がある。
朝起きて、そこでコーヒーを飲んだ。
小鳥の鳴き声が聞こえた。
初めて聞くものだ。 日本語に直せそうだった。

その前、コーヒーを準備していたとき、外におばあちゃんが見えた。
出て行って、挨拶した。 新井さんの下の家に、一人で住んでいる人だった。
私が何かを聞いたら、そのことにいつまでも話してくれた。
買い物や病院など、みんなに助けられて生活していると言った。
朝6時過ぎに家を出て学校に通ったこと。(小学校の上の学校)
子供を寄宿させて学校に行かせたこと。(役場のある吉田で、峠のむこう)
など、20分ほど聞かせてくれた。
コーヒーを飲んで、昨晩のお礼と懐中電灯を戻しに、新井さんのお家に向かった。
9時を過ぎていたから、お家は留守だった。
広い玄関に懐中電灯を置いた。(玄関に鍵はかかっていない)
こんにゃく畑に向かった。 一番高いところの畑で、掘っていた。
昨晩のお礼と、神社と墓地を場所を教えていただいた。
楢尾を出るとき、もう一度来ることを伝えた。
地蔵さんが見えたので、細い道を下りてきて撮った。

小さな鳥居が見えた。

楢尾の諏訪神社だ。 (この名前の神社は、よく見かける)

墓地は、斜面の上を見て、左の方にあった。(神社は、その下の方に)

家の方に戻る細い道があった。
テレビの場面で、道を直すのがあったが、この場所だと思った。
むつばあちゃんが、疲れたと言ったんだったかな。

別の道にあった。 きのう歩いてない細い道を歩いた。

車に戻り、出発の準備を終わらせて、こんにゃく畑に向かった。
2日間のお礼を言った。 また来ることも伝えた。
別れ際に、新井さんはこう言った。
この楢尾を、私たちの時代で終わらせたくないと。
素敵な笑顔の、新井さんご夫妻だった。

新井さんは、城峰公園に桜が咲いてると教えてくれた。 ※ 楢尾はここだった。
ここから、8㎞程だそう。 向かった。
確かに咲いていた。 紅葉も奇麗だ。 場所はここ。

葉っぱがない。

どうして咲くのか分からない。(調べてみたいと思います)

こんな説明が。

こんな鳥も。

神流湖。 これを見て、水が溜まっていたら緑色になると分かった。
赤城山の小沼が緑なのも、これと同じだ。

上野村に向かった。

恐竜博物館があったので寄ってみた。

上には本物の標示があったが、他には見当たらなかった。

後で受付に聞いたら、多くはレプリカだった。
何のために写真を撮ったか、分からなくなった。
入場料600円は高いと思った。
【道の駅】 上野 場所はここ。
【今日の予定】 昨日のブログが終わらない。 何かの調子が悪いため、時間がかかる。
11時を過ぎてしまった。 日航機墜落現場と鍾乳洞がある。
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先ほど(7時半)、あるお家から戻ってきました。
※ あるお家というのは、番組の中で冬、炬燵(こたつ)を囲む場面があった。
暖かい服装をして、お酒も用意して。 そのあと、むつばあちゃんに電話する場面。
それが撮影されたお家です。
そのお家の方が、むつばあちゃんを助け、番組作りを支えた人でもあります。
今晩は、楢尾に停泊します。
これから写真ですので、遅くなります。
今日の記事は、2つに分けます。
楢尾の魅力は、人と自然の両方によって生まれたものでした。
追記 22日は、午前中、神社とむつばあちゃんのお墓に行ってきます。
午後、道の駅上野に移動し、そこで記事を書きます。
※ 独り言 今晩もおそくなりそうだ。
追記
県道363を、山奥に向かって走った。 県道だけど、両側1車線は覚悟している。
石間交流会館で秩父事件の資料を見たのは、この写真の少し後だったかな。
太田部楢尾は、谷の奥だと思っていたら違った。 峠を越えてしまった。
対向車が急にやって来るから、運転は油断できない。 音楽はかけない。
深い谷が見えて、ギアをローにして下った。 中腹辺りで、この看板が見えた。 楢尾だ。
車が1台は入れる駐車場があった。
となりには、テーブルと椅子があった。 花の咲く木もあった。 むつばあちゃんが作ったものだ。
むつばあちゃんの家は、上の写真の右の細い道を上がっていく。
上がった右がこんな感じ。
少し行ったらここに。 標示があったので右に。
見えてきた。
大きな家だった。 テレビで何度も見た家だ。 願いが叶って、やっと来れた。
もちろん誰も住んでいないが、写真が飾ってあった。
花があった。 記帳するノートがあり、私も書いた。 来るのが1年早かったら、会えたって。
庭には、小さな池があり、木がいっぱい植えてあった。
じいちゃんは、むつばあちゃんより先になくなる。 二人一緒だった頃。
むつばあちゃんは、今年1月30日になくなった。
一度車に戻った。 道の右に花が見える。 もちろん、ばあちゃんが植えた。
この花は、むつばあちゃんの雰囲気だ。
秋に咲く花も植えてあった。
ばあちゃんの足跡を探すため、この辺り全部を歩くことにした。
車の後左に、登って行く道があった。 ここにも木は植えてあった。
ばあちゃんの家の上。 全部植えた木だ。 大きく育っていた。
細い道が、編み目のようにあった。 直ぐに分岐して、下りたり上ったりする。
畑は、全部こんな斜面。
むこうからやってきた。 遠くに見えるのは、上太田部か。
※ 太田部は、上太田部・下太田部・楢尾の3つに別れている。
さらに上に行くと、また畑はあった。(こんにゃく畑だと、後で知る)
どこに行っても、誰にも会わない。
遠くが見渡せるところまで上った。
楢尾は、コの字のように、小さな山に囲まれていて、暖かい。
※ 戻ったとき、半袖に着替えた。
3時半頃になって、お腹が空いてきた。 昼は食べてない。
車に戻って、食事の準備をした。
4時頃外で声がした。 夫婦らしい人が、車から降りていた。
私はすぐ車から出て、挨拶した。
この辺りを見させてもらったことを話した。
むつばあちゃんのことなど、花のことなどを3人で話した。
20分ほど立ち話になった。
二人はご夫婦で、むつばあちゃんが大好きだったことを感じた。
続きの話しは家でしようとなった。 その言葉に甘えた。
用事を終えた後、迎えに来てくれた。
楢尾で、斜面の一番に上に家がある方だった。
むつばあちゃんの植えた木が、あっちにもあると案内してくれた。
斜面に向かって、左の方に行った。
大きな柿の木があった。 数え切れない、実の数だ
畑の向こうの木が、ばあちゃんが植えた木。
(※ 22日に昼頃、こんにゃく畑に、出発するので挨拶に行った。ブログには、写真も名前も載せていいことになったので、ここから本名)
畑にいる方は、新井武さん。 この後、たくさん話しを聞かせてくれる。
キャベツを採った後、大根を抜こうとしている。
他の野菜と一緒にいただいた。 漬け物も。
ここが新井さんのお家。 建物が、7つあった。
こんにゃくを干している。 1年物、2年物は、来年また植える。 3年物は売る。
庭にこんな花が。 見たことあるような気もするが。
こんにゃく畑に連れて行ってくれた。
大きい。 5㎏くらいはあるそうだ。
畑は、これで起こす。 全部起こしたら、横向きになって、これで土を上にあげる。
この作業は収穫が全部終わって、冬の仕事だそう。 雪はたくさん降らない。
見晴らしのいい所に、連れていってくれた。 ここには来ていたが、さらに高いところだった。
楢尾全体が見えた。
むつばあちゃんの家は、黄色の○。 新井さんのお家は、一番右。
家の前に、菊の花があった。
二本松で見たより、葉の色が濃く感じた。 茎も太く。
たまに、人の背丈より高くなるそうだ。 下から見上げるので、こまると言った。
太い柱で作られた家だった。
テレビに映っていた炬燵で、お話しを聞かせてもらった。
この地域の戸数は、現在3戸。
新井さんのところが2名。 下の家に1名。 一番下の家に2名。 計5名だ。
どうして、NHKがむつばあちゃんを知ったかを聞いた。
写真家の南さんという人が、おもしろい人がいるということで、紹介したそうだ。
南さんは、花のあとさきの番組の構成を担当している。
何回も撮影に来るので、撮られているのは気にならなくなったという。
また、話しの内容の打ち合わせなどは、まったく無かったそうだ。
新井さんは、むつばあちゃんのことは、むっちゃんと呼んでいた。
番組で、むっちゃんいつ戻るのと電話した。
あの電話の後、予定を早めてむつばあちゃんは戻ってきた。
やっぱりここがいいって、言ったそうだ。(息子さんの所にいて、何の不満も無いはずだけど)
むつばあちゃんが、いくら番組で目立っても、だれもその事に何かを思う人はいなかったという。
みんな、むつばあちゃんが大好きだったから。
とても話しのおもしろい人だった、という。
新井さんも、話題の豊富な人に感じたから、私はこう言った。
みんな集まって、むつばあちゃん新井さんがいたら、話しが途切れることはないねって。
むつばあちゃんが残してくれた物を、どうしたら引き継いで行けるかについて、ずいぶん話した。
ここを出た人が、定年で戻ってくるかも知れない。
楢尾の人でなくても、住んでくれる人がいればいい。(1名、予定者がいる。家も改築済み)
むつばあちゃんの番組を陰で支えたのは新井さんだから、これからも、新井さんの存在はいっそう大
きくなると思った。
いつか、今のように動けなくなるときが来たら、その時は若い人に知恵を授ければいいと、私は言った。
新井さんは、井上伝蔵についても詳しかった。
秩父事件の内容は、すべて知っていた。
伝蔵は、知識人で頭の切れる人だったそうだ。
新井さんの話を聞いて、
秩父事件の意義は、人間の生き方を、後世に伝えたことだと感じた。
井上伝蔵が光る理由は、そこにあった。
買い物はどこに行くかと聞いたら、群馬県の藤岡市と言った。 車で45分だそう。
ここは埼玉県だが、生活圏は群馬県だった。
ここに来るとき、峠を越えてしまうのは変だと思った。
ある写真家が、楢尾を中心に太田部の写真を撮った。
その写真集を3人で見た。 思い出を聞かせてくれた。
みんないい表情をしていた。
写真集を見るのも勉強になると思った。
何を考えて、この写真を撮ったかを考えるのが面白い。
いただいた物の中に、ハヤトウリの漬け物があった。
初めて食べた物だった。 ハヤトは、薩摩隼人の隼人だそう。
7時半頃まで、いろいろ教えていただいた。
3人で、にぎやかに話した。
楽しい時間だった。
奥さんが、キャベツの浅漬けを作って持たせてくれた。 ハヤトウリも。
たくさんの野菜といっしょに抱えて戻った。
貸していただいた懐中電灯で、足下を照らして坂を下った。
上を見上げたら、暗闇の中の空は、満天の星空だった。
楢尾を歩いて、新井さんご夫妻と話して、楢尾の魅力は、
ここに住む人の言葉では表すのはむずかしい温かさと、むつばあちゃんが手がけた楢尾の自然にあると感じた。
その魅力に惹かれて、多くの人がやって来ていた。
私は、もう一度、きっとここに来る。 そう思いました。
【道の駅】 むつばあちゃんが作った駐車場に停泊。
【明日の予定】 午後に移動。
《今日の歌》 秩父山中 花のあとさき(You Tube) 歌ではなく、アニメっぽい。
※ あるお家というのは、番組の中で冬、炬燵(こたつ)を囲む場面があった。
暖かい服装をして、お酒も用意して。 そのあと、むつばあちゃんに電話する場面。
それが撮影されたお家です。
そのお家の方が、むつばあちゃんを助け、番組作りを支えた人でもあります。
今晩は、楢尾に停泊します。
これから写真ですので、遅くなります。
今日の記事は、2つに分けます。
楢尾の魅力は、人と自然の両方によって生まれたものでした。
追記 22日は、午前中、神社とむつばあちゃんのお墓に行ってきます。
午後、道の駅上野に移動し、そこで記事を書きます。
※ 独り言 今晩もおそくなりそうだ。
追記
県道363を、山奥に向かって走った。 県道だけど、両側1車線は覚悟している。
石間交流会館で秩父事件の資料を見たのは、この写真の少し後だったかな。

太田部楢尾は、谷の奥だと思っていたら違った。 峠を越えてしまった。
対向車が急にやって来るから、運転は油断できない。 音楽はかけない。

深い谷が見えて、ギアをローにして下った。 中腹辺りで、この看板が見えた。 楢尾だ。
車が1台は入れる駐車場があった。
となりには、テーブルと椅子があった。 花の咲く木もあった。 むつばあちゃんが作ったものだ。

むつばあちゃんの家は、上の写真の右の細い道を上がっていく。
上がった右がこんな感じ。

少し行ったらここに。 標示があったので右に。

見えてきた。

大きな家だった。 テレビで何度も見た家だ。 願いが叶って、やっと来れた。

もちろん誰も住んでいないが、写真が飾ってあった。

花があった。 記帳するノートがあり、私も書いた。 来るのが1年早かったら、会えたって。

庭には、小さな池があり、木がいっぱい植えてあった。

じいちゃんは、むつばあちゃんより先になくなる。 二人一緒だった頃。

むつばあちゃんは、今年1月30日になくなった。

一度車に戻った。 道の右に花が見える。 もちろん、ばあちゃんが植えた。

この花は、むつばあちゃんの雰囲気だ。

秋に咲く花も植えてあった。

ばあちゃんの足跡を探すため、この辺り全部を歩くことにした。
車の後左に、登って行く道があった。 ここにも木は植えてあった。

ばあちゃんの家の上。 全部植えた木だ。 大きく育っていた。

細い道が、編み目のようにあった。 直ぐに分岐して、下りたり上ったりする。

畑は、全部こんな斜面。

むこうからやってきた。 遠くに見えるのは、上太田部か。
※ 太田部は、上太田部・下太田部・楢尾の3つに別れている。

さらに上に行くと、また畑はあった。(こんにゃく畑だと、後で知る)

どこに行っても、誰にも会わない。
遠くが見渡せるところまで上った。
楢尾は、コの字のように、小さな山に囲まれていて、暖かい。
※ 戻ったとき、半袖に着替えた。

3時半頃になって、お腹が空いてきた。 昼は食べてない。
車に戻って、食事の準備をした。
4時頃外で声がした。 夫婦らしい人が、車から降りていた。
私はすぐ車から出て、挨拶した。
この辺りを見させてもらったことを話した。
むつばあちゃんのことなど、花のことなどを3人で話した。
20分ほど立ち話になった。
二人はご夫婦で、むつばあちゃんが大好きだったことを感じた。
続きの話しは家でしようとなった。 その言葉に甘えた。
用事を終えた後、迎えに来てくれた。
楢尾で、斜面の一番に上に家がある方だった。
むつばあちゃんの植えた木が、あっちにもあると案内してくれた。
斜面に向かって、左の方に行った。
大きな柿の木があった。 数え切れない、実の数だ

畑の向こうの木が、ばあちゃんが植えた木。
(※ 22日に昼頃、こんにゃく畑に、出発するので挨拶に行った。ブログには、写真も名前も載せていいことになったので、ここから本名)
畑にいる方は、新井武さん。 この後、たくさん話しを聞かせてくれる。
キャベツを採った後、大根を抜こうとしている。
他の野菜と一緒にいただいた。 漬け物も。

ここが新井さんのお家。 建物が、7つあった。
こんにゃくを干している。 1年物、2年物は、来年また植える。 3年物は売る。

庭にこんな花が。 見たことあるような気もするが。

こんにゃく畑に連れて行ってくれた。

大きい。 5㎏くらいはあるそうだ。

畑は、これで起こす。 全部起こしたら、横向きになって、これで土を上にあげる。
この作業は収穫が全部終わって、冬の仕事だそう。 雪はたくさん降らない。

見晴らしのいい所に、連れていってくれた。 ここには来ていたが、さらに高いところだった。
楢尾全体が見えた。
むつばあちゃんの家は、黄色の○。 新井さんのお家は、一番右。


家の前に、菊の花があった。
二本松で見たより、葉の色が濃く感じた。 茎も太く。
たまに、人の背丈より高くなるそうだ。 下から見上げるので、こまると言った。

太い柱で作られた家だった。
テレビに映っていた炬燵で、お話しを聞かせてもらった。
この地域の戸数は、現在3戸。
新井さんのところが2名。 下の家に1名。 一番下の家に2名。 計5名だ。
どうして、NHKがむつばあちゃんを知ったかを聞いた。
写真家の南さんという人が、おもしろい人がいるということで、紹介したそうだ。
南さんは、花のあとさきの番組の構成を担当している。
何回も撮影に来るので、撮られているのは気にならなくなったという。
また、話しの内容の打ち合わせなどは、まったく無かったそうだ。
新井さんは、むつばあちゃんのことは、むっちゃんと呼んでいた。
番組で、むっちゃんいつ戻るのと電話した。
あの電話の後、予定を早めてむつばあちゃんは戻ってきた。
やっぱりここがいいって、言ったそうだ。(息子さんの所にいて、何の不満も無いはずだけど)
むつばあちゃんが、いくら番組で目立っても、だれもその事に何かを思う人はいなかったという。
みんな、むつばあちゃんが大好きだったから。
とても話しのおもしろい人だった、という。
新井さんも、話題の豊富な人に感じたから、私はこう言った。
みんな集まって、むつばあちゃん新井さんがいたら、話しが途切れることはないねって。
むつばあちゃんが残してくれた物を、どうしたら引き継いで行けるかについて、ずいぶん話した。
ここを出た人が、定年で戻ってくるかも知れない。
楢尾の人でなくても、住んでくれる人がいればいい。(1名、予定者がいる。家も改築済み)
むつばあちゃんの番組を陰で支えたのは新井さんだから、これからも、新井さんの存在はいっそう大
きくなると思った。
いつか、今のように動けなくなるときが来たら、その時は若い人に知恵を授ければいいと、私は言った。
新井さんは、井上伝蔵についても詳しかった。
秩父事件の内容は、すべて知っていた。
伝蔵は、知識人で頭の切れる人だったそうだ。
新井さんの話を聞いて、
秩父事件の意義は、人間の生き方を、後世に伝えたことだと感じた。
井上伝蔵が光る理由は、そこにあった。
買い物はどこに行くかと聞いたら、群馬県の藤岡市と言った。 車で45分だそう。
ここは埼玉県だが、生活圏は群馬県だった。
ここに来るとき、峠を越えてしまうのは変だと思った。
ある写真家が、楢尾を中心に太田部の写真を撮った。
その写真集を3人で見た。 思い出を聞かせてくれた。
みんないい表情をしていた。
写真集を見るのも勉強になると思った。
何を考えて、この写真を撮ったかを考えるのが面白い。
いただいた物の中に、ハヤトウリの漬け物があった。
初めて食べた物だった。 ハヤトは、薩摩隼人の隼人だそう。
7時半頃まで、いろいろ教えていただいた。
3人で、にぎやかに話した。
楽しい時間だった。
奥さんが、キャベツの浅漬けを作って持たせてくれた。 ハヤトウリも。
たくさんの野菜といっしょに抱えて戻った。
貸していただいた懐中電灯で、足下を照らして坂を下った。
上を見上げたら、暗闇の中の空は、満天の星空だった。
楢尾を歩いて、新井さんご夫妻と話して、楢尾の魅力は、
ここに住む人の言葉では表すのはむずかしい温かさと、むつばあちゃんが手がけた楢尾の自然にあると感じた。
その魅力に惹かれて、多くの人がやって来ていた。
私は、もう一度、きっとここに来る。 そう思いました。
【道の駅】 むつばあちゃんが作った駐車場に停泊。
【明日の予定】 午後に移動。
《今日の歌》 秩父山中 花のあとさき(You Tube) 歌ではなく、アニメっぽい。
道の駅龍勢会館には、前日遅くに着いた。
ドウダンツツジ。
灯台躑躅(つつじ)と書くそうだ。
灯台をどうして、どうだんと読むかだが、辞書には、とうだいがどうだんに音変化したとあった。
楢尾に行くが、道が不安だった。 細いのではと。
道の駅に調べに行った。
そうしたら、こんな建物があった。
秩父事件と、大きなロケット花火の資料館だった。
二つとも、ブログで触れたことがあった。
秩父のここだとは、知らなかった。
ここは、龍勢会館。
天井にあるのが、吉田龍勢といわれるもの。 椋(むく)神社の龍生とも言う。
これに火薬を詰め込んで、竹の先に取り付ける。
300㍍の高さまで、打ち上がるそうだ。
以前、You Tubeの動画を載せたことがある。
龍勢会館に併設して秩父事件資料館があった。 井上伝蔵の家を復元した形で。
秩父事件は、明治17年に起きた。
明治政府の急進的な改革による圧政で、生活苦におちいった農民達が武装蜂起した事件。
自由民権の理念の下で行われていた。 単なる暴動ではなく。
中心人物の一人が井上伝蔵。
井上伝蔵は死刑を宣告されていたが、北海道に逃げた。
伝蔵は野付牛(現北見市)に潜伏していたが、死ぬ間際まで、自分の過去は家族にも話さなかった。
この写真は、大正7年6月23日に北見市で撮影。 この日に、65歳で亡くなっている。(WikiPedia)
過去を話したのは、この10日程前。 札幌の病院で、妻と長男に。
私は秩父事件についても、井上伝蔵についても詳しくは知らなかった。
北見に逃げてきたのを知ってた程度だった。
今回初めて知ったのは、この事件が多くの人の心をとらえていることだった。
戦いの目的が、苦しんでいる人達を救うということだったから。
伝蔵の家は生糸の貿易商をやっていたから、裕福だった。
でも、伝蔵は自由民権運動の考えに共鳴していた。
伝蔵は賢くもあり人望もあったので、それを買われて、若くして自由党の上から3番目の地位である、
会計長になった。
これは、伝蔵の家を復元した物。
道の駅の近くに、椋神社がある。
ここで、決起集会が開かれ、下の軍律が示された。 私利私欲の戦いでないことをはっきりさせた。
軍律
第一条 私ニ金品ヲ掠奪スル者ハ斬
第二条 女色ヲ犯ス者ハ斬
第三条 酒宴ヲ為シタル者ハ斬
第四条 私ノ遺恨ヲ以テ放火其他乱暴ヲ為シタル者ハ斬
第五条 指揮官ノ命令二違背シ私ニ事ヲ為シタル者ハ斬
下の写真が、椋神社。
これは、武装蜂起したときの想像図。
ある画家が描いた物で、楢尾に行く途中の、石間(いさま)交流学習館にあった。
秩父事件を映画化したのが、草の乱。
主人公は井上伝蔵。 演じたのは、緒方直人。
上の復元した家は、映画の撮影に使われた。
今回、秩父事件について少し勉強してみて、むつばあちゃんの心と同じように、秩父事件の心も、今
の人々に大きな影響を与えているように感じた。
椋神社は、もう一つで有名だった。
向こうの山に、櫓が見える。 あそこで、椋神社の龍勢が打ち上げられる。
今年は少し前の、10月11日だった。
こんな感じで飛んで行く。 神社の前は大きな広場になっていた。 その日は、人でいっぱいになる。
吉田龍勢(You Tube)
秩父事件について、知りたくて分からなかったことは、井上伝蔵の魅力だった。 映画でなぜ主人公になったか。
そのことが書いてある物は見つからなかった。
死ぬ間際に過去を語ったことは大きな話題になったが、それだけではないと思う。
若くして、人望を買われて会計長になったところに、理由がありそうだが。
このことについては、機会があれば調べてみたいと思う。
ドウダンツツジ。

灯台躑躅(つつじ)と書くそうだ。
灯台をどうして、どうだんと読むかだが、辞書には、とうだいがどうだんに音変化したとあった。

楢尾に行くが、道が不安だった。 細いのではと。
道の駅に調べに行った。
そうしたら、こんな建物があった。
秩父事件と、大きなロケット花火の資料館だった。
二つとも、ブログで触れたことがあった。
秩父のここだとは、知らなかった。

ここは、龍勢会館。
天井にあるのが、吉田龍勢といわれるもの。 椋(むく)神社の龍生とも言う。

これに火薬を詰め込んで、竹の先に取り付ける。
300㍍の高さまで、打ち上がるそうだ。
以前、You Tubeの動画を載せたことがある。

龍勢会館に併設して秩父事件資料館があった。 井上伝蔵の家を復元した形で。
秩父事件は、明治17年に起きた。
明治政府の急進的な改革による圧政で、生活苦におちいった農民達が武装蜂起した事件。
自由民権の理念の下で行われていた。 単なる暴動ではなく。
中心人物の一人が井上伝蔵。

井上伝蔵は死刑を宣告されていたが、北海道に逃げた。

伝蔵は野付牛(現北見市)に潜伏していたが、死ぬ間際まで、自分の過去は家族にも話さなかった。
この写真は、大正7年6月23日に北見市で撮影。 この日に、65歳で亡くなっている。(WikiPedia)
過去を話したのは、この10日程前。 札幌の病院で、妻と長男に。

私は秩父事件についても、井上伝蔵についても詳しくは知らなかった。
北見に逃げてきたのを知ってた程度だった。
今回初めて知ったのは、この事件が多くの人の心をとらえていることだった。
戦いの目的が、苦しんでいる人達を救うということだったから。
伝蔵の家は生糸の貿易商をやっていたから、裕福だった。
でも、伝蔵は自由民権運動の考えに共鳴していた。
伝蔵は賢くもあり人望もあったので、それを買われて、若くして自由党の上から3番目の地位である、
会計長になった。
これは、伝蔵の家を復元した物。

道の駅の近くに、椋神社がある。
ここで、決起集会が開かれ、下の軍律が示された。 私利私欲の戦いでないことをはっきりさせた。
軍律
第一条 私ニ金品ヲ掠奪スル者ハ斬
第二条 女色ヲ犯ス者ハ斬
第三条 酒宴ヲ為シタル者ハ斬
第四条 私ノ遺恨ヲ以テ放火其他乱暴ヲ為シタル者ハ斬
第五条 指揮官ノ命令二違背シ私ニ事ヲ為シタル者ハ斬
下の写真が、椋神社。

これは、武装蜂起したときの想像図。
ある画家が描いた物で、楢尾に行く途中の、石間(いさま)交流学習館にあった。

秩父事件を映画化したのが、草の乱。
主人公は井上伝蔵。 演じたのは、緒方直人。
上の復元した家は、映画の撮影に使われた。

今回、秩父事件について少し勉強してみて、むつばあちゃんの心と同じように、秩父事件の心も、今
の人々に大きな影響を与えているように感じた。
椋神社は、もう一つで有名だった。
向こうの山に、櫓が見える。 あそこで、椋神社の龍勢が打ち上げられる。
今年は少し前の、10月11日だった。

こんな感じで飛んで行く。 神社の前は大きな広場になっていた。 その日は、人でいっぱいになる。

吉田龍勢(You Tube)
秩父事件について、知りたくて分からなかったことは、井上伝蔵の魅力だった。 映画でなぜ主人公になったか。
そのことが書いてある物は見つからなかった。
死ぬ間際に過去を語ったことは大きな話題になったが、それだけではないと思う。
若くして、人望を買われて会計長になったところに、理由がありそうだが。
このことについては、機会があれば調べてみたいと思う。