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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

車の修理は、豊田市の東の端でした。
道の駅が近くにないので、名古屋市の西の、立田ふれあいの里まで走りました。
高速を使わなかったから、時間がかかりました。

車の雨漏りの場所は分かり、修理しました。
途中で、松平東照宮に寄りました。
松平家(家康の先祖)発祥の地です。
また、床屋にも行きました。


走っていたら、松平郷の標示が見えた。 通り過ぎたけど、戻った。
これが、地図。    場所はここ

9年11月19日 (1)

大きくしても、字は読みにくいか。

9年11月19日 (1)bnm

石屋さんの人がいたので、話した。 作業場を見せてくれた。

9年11月19日 (5)

これで石を切る。

9年11月19日 (2)

これは、研磨機。 荒いのから、細かいのへと、順に使う。

9年11月19日 (3)

穴をあける機械。 大きい穴もあく。

9年11月19日 (4)

今は何でも、機械だそう。 
字を彫る機械は高いので、他に出す。
手で彫った時代は、石屋はみんな字が上手だった。

カエルとかどう掘るかを聞いた。
大きな声では言えないが、中国から輸入しているそう。

松平郷の見所も教えてくれた。

この辺り一帯が、別世界のように感じた。
ここに、松平東照宮があった。 3つで終わりだと思っていた。  日光東照宮   久能山東照宮   鳳来山東照宮

9年11月19日 (6)

ここは、松平氏の館跡。 そこに、この建物を建てた。

9年11月19日 (7)

説明はここに。

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家康の先祖ということで、江戸時代から大事にされた。

9年11月19日 (8)

お濠。 紅葉が始まっている。 写真を撮りに来ている人が、何人もいた。

9年11月19日 (9)

この奥に、家康の産湯の井戸がある。 伝説ではあるが。

9年11月19日 (10)

井戸の水を、ここから岡崎城まで運んだ。

9年11月19日 (11)

説明はここに。

IMG_9754vvv.jpg

この像は、初代の松平親氏。 現代風の像だ。

9年11月19日 (12)

桃源郷の感じがする。

9年11月19日 (13)

高月院。 松平家の菩提寺。

9年11月19日 (14)

建物以外の環境もいい。 石屋さんが、町で管理していると部分もあると言った。

9年11月19日 (15)

お地蔵さんが、いっぱい。

9年11月19日 (16)

仏足石だという。 お釈迦様の足。

9年11月19日 (17)

横から見たらこう。 

9年11月19日 (18)

向こうの棚田は、花を植えている。 今は、咲いていない。

9年11月19日 (19)

アヤメがあった。

9年11月19日 (20)

メジロが柿を突っついている。 ちゃんと見るのは初めて。 売ってるのといっしょだ。

9年11月19日 (22)

時間がなく1時間半ほどしかいなかったが、綺麗なところだった。
こういう、隠れたいい所が時々ある。
この地方の人たちは、みんな知ってるかもしれないが。

今日は何も見られないと思っていたので、よかったです。

名古屋市街の手前に、グランパスエイトの本拠地のサッカー場があった。

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コメントにある駅のそばの踏切。

_MG_6271mk (1)

車の修理が終わって、一安心です。
今晩は、少し前より、ずいぶん寒いです。


【道の駅】  立田ふれあいの里    ここです。  佐屋駅が近くに。

【明日の予定】   この近くで、ないか見つけたい。 いつものように、まだ調べていない。

【今日の歌】     タッチ(Youtube)  ユンナです。 久しぶりです。 静かな曲が続いたので、今日は元気に。

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六地蔵は別の場所ですが、昔の姿でありました。
また、南吉が遊んだであろう生家とその周りは、昔の俤(おもかげ)を残していました。

ごんぎつねを通して表現しようとした「心」は、この土地の人たちの心の中に生きていました。
そのことを、今日歩いて感じました。


新美南吉記念館から見た、権現山。
ごんぎつねの物語は、山とここの間で展開される。
六地蔵と墓地は、私の立っている、右の方。 ここには、中山様のお城があった。

9年11月18日s (1)

この地図を、時計の反対まわりに行く。 今の墓地や、養家は、地図からはみ出ている。

9年11月18日s (40)

9年11月18日s (40)oiu

南吉が通った岩滑(やなべ)小学校に寄った。 教頭(?)が対応してくれた。
ここの木は、南吉が小学生の時植えたそう。 80年近く経った。

9年11月18日s (2)

こんなのが木に。 子供の字はいいですね。
ほんとうの手を出したのですが、売ってくれたのかな。 
「通い合う心」 そんなのを感じるお話です。

9年11月18日s (3)

誰もいないグランドの、ピッチャーマウンド辺りに、ボールが1個、ころがっていた。
少し前まで、ここで子供たちが遊んでいた空気が残っていた。

9年11月18日s (4)

グランドの反対側にも石碑があった。

9年11月18日s (5)

南吉を大事にしていることが、分かる。 母校でもあり、勤めたことも。

9年11月18日s (6)

南吉の生家に向かった。
郵便局の前に、こんなのが。 他でも見た。

9年11月18日s (7)

昔は、ここに墓地があった。 六地蔵も。 

9年11月18日s (8)

このような、昔のままの細い道が、多く残っていた。
駅に来る時、南吉は、この道を通った。

9年11月18日s (9)

標識があった。

9年11月18日s (10)

ここが、南吉の生家。 昔のまま復元した。

9年11月18日s (13)

昨日のブログに書いた、狐の話に、下駄屋が出てきます。
※ 下駄は、夜取り替えたらダメだと、書いてあったような気がする。(自信はないが)

9年11月18日s (16)

ここにいて、4歳の時、お母さんは亡くなる。(昔は、若くして亡くなる人が多い)

9年11月18日s (14)

お父さんが、畳屋の仕事。

9年11月18日s (15)

この写真が、やさしそうで、南吉らしさがある。

9年11月18日s (17)

右の写真は、18歳の時。 岩滑小の代用教員。 ごんぎつねを書いたのは、この年。

9年11月18日s (19)

何を考えるのでも、浅くない。

9年11月18日s (18)

南吉は、次の年には、東京の学校に行く。 また戻って来るが。

家の近くに、常夜灯があった。 お話にも登場するそうだ。
左下に、秋葉(あきは)が読める。 これは、秋葉山のこと。

9年11月18日s (12)

秋葉講とは、宗教的な互助組織だそう。 詳しくは、ここに。  秋葉山のブログはここに

9年11月18日s (20)

上に書いてある穴は、これ。

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八幡神社。 いろんな話に出てくる。 ここも近い。 家から100mほど。
南吉が、最初に書いた権狐には、この話は茂助爺から聞いた話しとして出てくる。
※教科書の文にはない。(このことについては、最後に)

9年11月18日s (21)

ここで、きっと友達と遊んだ。

9年11月18日s (22)

ででむし広場に行こうとしたが、地図を見ても分かりずらい。 
立ち止まっていたら、婦人の方が近づいてきた。
困っているんですかって、聞いてきた。
こういう経験は、2度目。 1度目は、中尊寺で。 相手は、1年生の女の子。 
この時、ごんぎつねの心は、ここの人たちに、浸みているように感じたんですよ。

道を教えていただいて、ここに着いた。 ででむし広場。 ここで堤防に出た。

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右の川は、兵十がウナギを捕る、矢勝川。 この堤防に、秋には、100万本の彼岸花が咲く。

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歩いていたら、お地蔵さんがあった。

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かすかな笑顔が、陽をあびて輝いて見えた。

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南吉の養家に向かった。(地図の左の端から、さらに歩く)
橋にも、いた。

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太い車道から離れると、こういう細い道が多い。

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昔のまま残っていた。 改修はしているが。 ここにいた期間は短い。

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お母さんの実家だが、さびしくて戻った。(この時、お母さんは亡くなっている)

9年11月18日s (33)

珍しいものがあった。 常夜灯に灯をともす順番だ。 常夜灯は、毎晩使用していたんだ。

9年11月18日s (34)

地図では、小学校のずっと後ろにある、今の墓地に行ってみた。
六地蔵が、他の地蔵と一緒にあった。 どれが、六地蔵かは分からない。
古いので、表情も分からない。

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これだけ、少し。

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昔の場所は、地図にある。 ここ移った。

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これが、南吉の墓。 この墓も、犬を散歩している人が、教えてくれた。

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本名の、正八がある。

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記念館に戻ってきた。

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南吉の字だが、原稿用紙に書いたものなのかは、確認できない。

9年11月18日s (42)

まとめとして、教科書に載り続ける理由と、ごんぎつねの魅力について書きます。

記念館の説明では、昭和31年からとあった。 そして全社に載るようになる。 今も、全社に。
その根本の原因は何かと言うと、子供たちは、ごんぎつねのお話が大好きだったことにある。
そうなると、教師は、授業がとってもやりやすい。
また、教師は、この話の主題(作者が伝えたいこと)が、子供たちの関わりに大きなプラスがあるとも考えた。

こうして、ごんぎつねは、教師の支持を得ることになった。
では、教師の支持が、教科書の内容にどうして影響するかです。

その町や地域で、子供たちが使う教科書はどのようにして決まるかですが、
それは、教科書選定委員会の様な名前の会議がある。(北海道は管内別に)
委員の中には、教師が委嘱されて参加する。
教科別に、検討委員会が開かれる。 20名くらい。 ほとんどが教師。
1日かけて、全社の中身を検討・比較する。 最後に1社を選ぶ。

国語の場合だったら、こういうことが起きる。
ごんぎつねが、参加した教師の支持が高い場合、採用していない教科書は、外される可能性が高い。
多くの面から検討し、1社が決まったら、それは案として上部に上がる。 でも、その案が基本的には通る。

載せないで、外された教科書会社は、外された理由を考える。
どういう形かで、理由はつかみ取ることができる。(選考委員でない教師からでも。 選考委員になったことは、秘密になっている)

※ 選考委員会の中身については、これ以上は書けないかな。
※ 昔、算数で参加したことがある。
  算数の場合なら、どのページでも、一目見て、くどいと感じたら、それでダメですね。
  また、今の教科書は、遊びっぽいページが多い傾向にある。
  でも、それには、振り回されることはない。
※ ある教科書会社の、算数の教科書の印刷前の原本を見せてもらったことがある。
  意見を求められたので、上の様なことを言ったのかな。


次に、ごんぎつねの魅力ですが、
人の関わりについて考えされられることが、大きな魅力になっていますね。

ごんは、友達がいない。
兵十がいるので、いたずらしてしまう。

読者は思う。 友達になりたいって、兵十に言えばいいのにって。
でも、これは、無理なんですね。 
それは、ごんと兵十は、そういう関係(人間関係)になっていなかったんですね。

これと同じです。
学級に、友達からいじめられている子がいたとする。
教師がそのことに気づき、どうしてもっと早く、先生に言ってくれなかったの、って。
その子は、「言えたら、とっくに言っている」と、心の中で思います。
子供と教師の人間関係が出来ていなかったら、何も言えないんですね。

ごんはきつねで、兵十は人間だから、その関係をつくるのはたいへんだった。

鉄砲で撃たれて初めて、ごんと兵十は、心が通い合い、関係ができた。
命と引き換えにやっとつくれた。

南吉は、心が通い合うこと、確かな人間関係の値打ちの大きさを、描きたかったんですね。
南吉の生きた時代も、社会の中に、それが十分ではないと、南吉は強く感じていた。
それ以上大事なものはないとも、思っていた。
だから、南吉は、すべての作品で、これを追うことになった。

花の木村と盗人たち、という話がある。
盗人たちが、花に木村に、どろぼうに入った。
でも、村の人たちは、あなた方はいい人たちだと迎えた。
盗人は、うれしくなって、改心してしまった。

この話で、人との関わりは、自分の出方次第で決まりますよ、ということが分かる。
南吉は教訓的に表現しないから、人の心に入っていく。

昨日のブログの狐の話もそうですが、小狐は、今お母さんと一緒にいるだけで、それ以上の幸せはないとさえ思う。
これを読んだ子供たちも、同じように感じる。
子供たちが、ごんぎつねを読んだら、今いる自分の友達をもっと大事にしようと思う。
教師は、上に書いた、子供との関係の重要性に気づくかもしれない。

こう考えたら、一つのお話が、世の中を変える力を持っていることにもなる。

記念館の人たちは、誰もが来客に対してやわらかな対応だった。
私が2日目の朝、車で駐車場に入った時、外で掃除をしていた人は、手を振って迎えてくれた。
前の日、話はしていたが。

道で、交通整理の人に会った。 少しだけ話した。 
2度目にあった時、お疲れさまと声をかけてくれた。

上に書いたが、道を教えてくれた人もいた。

この町が南吉を大事にすることは、南吉が描き続けた、「通い合う心」を大事にすることになる。
そいうい意味で、記念館の果たす役割は大きい。
この町に来て、その役割が果たされているように感じた。

まとまっていないですが、ごんぎつねの魅力は、こんなとこでしょうか。
※上の文は、あす以降も不十分なところは、直したいと思います。(今日は、とりあえず、これで)


【道の駅】   デンパーク安城

【明日の予定】   車の修理で、豊田市へ。

【ブログランキング】  5位と12位になりました。 ありがとうございます。 
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ごんぎつねの舞台である、半田市岩滑(やなべ)に来ました。
今日は雨でしたので、新美南吉記念館を見ました。
明日、1日かけて歩きます。

ごんぎつねのお話も、そこに登場するごんも、この町の人たちに、大事にされていました。
食事も、おやつも、温泉も、今日はみんなごんぎつねです。


新美南吉記念館は、童話の森にあった。
ごんぎつねのお話に、昔、中山というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまがおられたそうです、という文がある。
童話の森、そして記念館は、そこにあった。

記念館も、ごんぎつねと一緒で、穴の中だった。

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中は広く、展示の方法も工夫され、また、よく整備されていた。
多くの記念館を見てきたが、その中で、トップクラスだと思う。
※ 記念館の中には、人が来なく、維持するのがやっとという所も多い。 閉鎖する所だってある。

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ここは、新美南吉の代表作、ごんぎつねの展示場所。

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ごんぎつねって、どんな話なのかは、おおまかにこんな感じ。
※ これは、入ってすぐの所にあった。 忘れた人、知らない人には、有難い展示だ。

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こんなお話。

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いたずらばかりしてた、とありますね。 でも、意地悪でしてたのとは、ちょっと違うのかな。

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少し、後悔しますね。

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くれたのは神様かもしれない、とも言うので、ごんは複雑な気持ち。

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兵十は怒っていた。 なにも知らなかったから。

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命と引き換えに、やっと友達になれたのか。

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ごんぎつねは、子供が読んで面白い。 奥が深いから、大人が読んでも面白い。
全文は、ここにあります。   ごんぎつね(記念館のHP)

この人が、新美南吉。 この写真を撮った年に、ごんぎつねを書いている。

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昭和7年の1月号に、ごんぎつね(ごん狐)は載った。

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このように。

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そして、教科書に載るのは、昭和31年から。 
すべての教科書に載るようになる。 現在も。 こいうのは、他にない。

昭和6年4月から8月まで、小学校の代用教員をする。
※ 岡崎師範学校を受験するが、身体検査で不合格になる。

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この頃はもう多くの作品を作っている。 子供たちにも聞かせた。

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こんなのがあった。 輝いている雀を見て、こう感じたんですね。

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悲しいような光景と、まとめた。 
※ かわらけとは、素焼きの皿。 瓦で作った笥(け)の意味。 笥は、箪笥(たんす)の笥だが、入れ物の意味で、食器に使うことが多いそう。

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弟を描いた。

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これも赤い鳥に。  まだ、本名で投稿の時。
※ 新美南吉は、渡辺正八だったが、母の実家である新美家の養子になった時期があるため、新美正八となった。

9年11月17日 (14) 

手袋を買いに、の原稿。 20歳の時。

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9年11月17日 (17) 

デンデンムシ ノ カナシミ   いい内容ですね。

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赤ペンの最後から2行目、君自身の独創性で光っている箇所がない、と書いてありますよ。

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物語ごとに、このような展示があった。 これは、おじいさんのランプ

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下の写真は、というお話。 亡くなる少し前に書いた。
昔読んだ。 詳しくは憶えていないが、

母と子の狐がいて、母狐は、猟師に追われたらどうするかを子狐に話す。 一緒に寝るときに話したのかな。 子狐に聞かれて。
山に逃げると言う。 捕まったらどうするのと、子狐は聞く。
もっと山奥に逃げると、母狐は言う。 それでも追ってきたらどうするの、と子狐は聞く。
そうやって話が続いた。 子狐は、いつまでも、それでも追ってきたらどうするのと、心配して聞く。
最後に母狐は、その時は、お母さんだけが(猟師に見つかるるように)逃げて捕まる、と子狐に言う。
そうしたら、あんたは助かると。
それを聞いた子狐は、大声を上げて泣く。

そんな感じの話でしたね。 きびしい内容の話でしたよ。

9年11月17日 (22)

    昨年撮った小狐の写真。   関係ブログ。

     kogitune.jpg

この人は初恋の人。 木本咸子(みなこ)さん。

9年11月17日 (13)

くわしくは、ここに。
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中山ちゑさん。 詳しくは下に。

9年11月17日 (21)

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こんな絵本もある。

9年11月17日 (34)

絵が美しい。 赤い花は、彼岸花

9年11月17日 (35)

南吉がよく散歩したという、矢勝川の堤には、9月の下旬になると100万本の彼岸花が咲くと言う。
ある人が一人で植え始め、それを手伝う人が現れ、20年ほどかけて今になった。

こんなのがあった。

IMG_9621mmm.jpg

9年11月17日 (26)

お昼は、ごんのお宿で食べた。 記念館の中。 穴の中だから、お宿。

9年11月17日 (23)

ごんなべうどん。 アゲが入ってた。

9年11月17日 (24)

夕方、ここに行った。 露天風呂に洞穴の所があった。 だからこの名前。
湯船に入っていたら、ごんが、お地蔵さんの陰からのぞいていた。
こっちにコイと言ったら、コンコンと鳴いて来なかった。

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これが売っていたので、一つ買った。

9年11月17日 (36)

今日は、ごんぎつねを生み出した新美南吉と、その作品を中心に紹介しました。
29歳で亡くなるのが残念です。 あと何年かでも生きていたら、どれだけの作品を残したのか。
ごんぎつねのお話の素晴らしさについては、明日書きますね。


【停泊場所】    ごんぎつねの湯の駐車場。

【明日の予定】   ごんぎつねの舞台を歩きます。

【今日の歌】    ごンぎつねの宿で、彼岸花の写真を見ました。 白い彼岸花もありました。
           それで、山崎ハコの白い花。
           エムズの片割れで、先日この曲を取り上げました。
           原曲も載せていました。 初めて聞きました。 いいですよ。 作詞は、作家の五木寛之。
               「白い花」と「こころの花」(エムズの片割れ)
           この人は、心の内から、泣き叫ぶように歌う。 上手だと思います。
           昔、根室にいるとき、観客20人位のミニライブで聴きました。 それも、目の前で。
           チャンスがあったら、また聴いてみたい。

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昨日、一昨日と、酒を飲むのを忘れた。 
2日間とも調べることが多く、それにハマってしまった。 そして朝までかかった。
色んな事を忘れるが、酒を忘れることはなかった。 心配だ。

そんなことがありましたが、夕方少し寝たので、頭はすっきり。

この秋の旅は、いつかも書いたが、半田市に向かっていた。
そこは、ごんぎつねの物語の舞台だ。 
新美南吉記念館もある。
ずっと昔から、いつかは行くと決めていた。

さあ行くぞと思ったら、今日は月曜で、記念館は閉館だった。
仕方ないから、道の駅の隣に何かがあるので、行ってみた。

ここが、今いる道の駅、デンパーク安城

9年11月16日 (1)

ここは安城市。 愛知県のほぼ中央にある。
かつて「日本デンマーク」と呼ばれ、全国の農業経営のモデルとなった。
その歴史をもとに、自然と親しみ、花のある暮らしを提案する公園を作った。
それが、デンパークだった。 1997年にオープンした。

600円を払って入った。

9年11月16日 (2)

花の大温室があるので行った。 ここがメインの施設。

9年11月16日 (9)

入ったらすぐに、大きなオルゴールの演奏が始まった。 写真の向こうに見える。
人が集まってきた。 私もその前で聞いた。
人形でも出てきて踊るのかと思ったが、もちろん演奏だけだった。
目と耳を楽しませてくれたら、もっといいのにと思った。

9年11月16日 (4)

この時期だと言うのに、クリスマスの雰囲気だった。

9年11月16日 (12)

デンマークだから、人魚姫があった。

9年11月16日 (3)

人魚姫は、コペンハーゲンにある。
ずっと昔だが、写真の右の道をバスで通った。

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今日は、花を見ただけなので、人魚姫について調べてみた。
話はこうです。(私は、知らなかった) Wikipediaより。

人魚の王の6人の娘たちの内、末の姫は15歳の誕生日に昇っていった海の上で、船の上にいる美しい人間の王子を目にする。嵐に遭い難破した船から王子を救い出した人魚姫は、王子に恋をする。

人魚姫は海の魔女の家を訪れ、声と引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。その時に、「もし王子が他の娘と結婚するような事になれば、姫は海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。更に人間の足だと歩く度にナイフで抉られるような痛みを感じる事になるとも・・・。王子と一緒に御殿で暮らせるようになった人魚姫であったが、声を失った人魚姫は王子を救った出来事を話す事が出来ず、王子は人魚姫が命の恩人である事に気付かない。

そのうちに事実は捻じ曲がり、王子は偶然浜を通りかかった娘が命の恩人と勘違いしてしまう。

やがて王子と娘との結婚が決まる。悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れた姫の姉たちが、髪と引き換えに海の魔女に貰った短剣を差し出し、王子の流した血で人魚の姿に戻れる事を教える。愛する王子を殺す事の出来ない人魚姫は死を選び、海に身を投げて泡に姿を変え、空気の精となって天国へ昇っていった。

アンデルセンの作品です。
多くの恋をしたが実らず、独身を生涯通した、アンデルセンと重なります。
でも、こんなのは、誰にでもあり得ることですね。 

この話で、恋をしても、結ばれることの難しさが分かります。
 北の岬の歌も、これが原点ですからね。   歌詞に出てくる日ノ出岬はここ。 オムイは雄武町のこと。アイヌ語です。  昔、この岬のそばの学校にいた。
この曲に関わって、酒の勢いで書いたブログがある。 消そうと思って消せないでいる。 これ

明日行く新美南吉は、恋ではなく、人と人との関わりを、ごんぎつねなどの物語を通して、ずっと描き続けた人です。
若くして亡くなりますが、それを描いたのが、この人の魅力です。

いろんなお店があった。

9年11月16日 (11)

こんなのが。

9年11月16日 (15)

調べたら、ここの経営は大変だ。
おじいちゃん、おばあちゃんが、観光バスでやってこないと、経営は成り立たない。
観光ルートに入って。
この施設も、作るのが目的だった。 そう思いますね。(そうした施設が、全国にいっぱいある) みんな管理で苦労している。
今は、もう出来ないし、していないが。

9年11月16日 (14)

彼岸花に似ている。 
その花が咲く時期に、ほんとうは、半田市に行きたかった。
その風景が、ごんぎつねに出てくるから。

9年11月16日 (5)

いいですね。

9年11月16日 (8)

別の小さな温室。

9年11月16日 (6)

花の名前は分からない。

9年11月16日 (7)

外です。 人は少ないが、管理はちゃんとしている。 これが、デンマークの庭園か。
この国は、北だから、花の時期は短いと思う。

9年11月16日 (10)

外を歩いた。

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こんな、やわらかい雰囲気が、いい。

9年11月16日 (16)

秋の花が、今咲いている。

9年11月16日 (19)

これもいい。

9年11月16日 (18)

昔のポンプがあったので、遊んだ。

9年11月16日 (21)

ここに、戻りました。

9年11月16日 (20)

今日は、いつもとは違う忙しさだった。
私は、郵便物が車には来ない。
車の保険の更新の手続きも、電話で出来た。

昨日、パソコンでテレビを見ようとしたら、アンテナの接続がうまくいかない。
端子が、所定の所に入らない。
その解決に会社(ソニー)と連絡を取って、ずいぶん時間を使った。
明日の午後、新美南吉記念館の駐車場に、担当者が来てくれることになった。
こういう問題の解決は、面倒だ。

おだやかに一日が過ぎればいいと、思うだけなのだが。


【道の駅】   デンパーク安城

【明日の予定】   半田市に行きます。

【今日の唄】    ショスターコービッチのワルツが、デンパークで流れていました。(YouTube)    トロンボーンのやわらかな響きがいい。 

                             庄司眞理子とさとう宗幸が歌う、CALENDARがYouTubeから消えました。
           残念だなあと思っていたけど、ここにあるのを思い出しました。 いい歌ですよ。
              CALENDAR(エムズの片割れ)  庄司眞理子の声が、何と言ってもいい。

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愛知県豊川市牛久保に行ってきました。
そこで生まれたかどうかは、はっきりしませんが、少なくとも青年時代には住んでいたと考えられる所です。
勘助が持っていたという、魔利支天像を見ることができました。 長谷寺(ちょうこくじ)で。   ここです

NHKの大河ドラマで、魔利支天像を首から下げていました。
それは、今日見た魔利支天像を元にNHKが作ったものです。

小さなものでした。
写真を撮らせてもらうことも、できました。

少し眠いので、写真は遅くなります。
魔利支天像だけ、このあと1枚載せます。

安城市の道の駅にいますが、テレビがちゃんと入りません。
フィギュアスケートは、見られません。
今回の点数は、キムヨナ自身のもつ世界最高得点を上回りました。

今日の演技は、今までのフィギュアスケートの歴史の中で、ショートでは、一番ということになります。
YouTubeで見ましたが、別世界で滑っていました。
ステップでは、曲想が変わり、怒涛のようにたたみかけました。 圧巻です。

その動画も写真といっしょに載せます。

とりあえず。

像の高さは、4㎝ほどです。 
高野山で修行して、授かったものです。 
戦いが続くと分かった時、この寺の住職さんに預けました。

IMG_9406pp.jpg

大河ドラマ、風林火山で使われたもの。 上を元に作った。

IMG_9449nnn.jpg


キムヨナ、スケートアメリカ、ショートプログラム(Youtube)
※ 画像の右にある、YouTubeをクリックすると、画像が大きくなりますね。


追記

情報を得るために、牛久保駅に行った。  (上の地図に)
駅のそばに、史跡巡りの地図があった。

勘助の魔利支天像がある長谷寺は、歩いて15分ほどの所にあった。
途中に、今川義元の墓があるのが分かった。  (駅の斜め右上)

9年11月15日 (1)

墓は、大聖寺にあった。

9年11月15日 (2)

今川義元は桶狭間で負けて首を取られた。
この場所には、昔、牛久保城があった。 義元の領地の最前線基地。(中心は、駿河・・今の静岡辺り)
家来が、首の無い胴体を、ここまでやっと持ち帰った。 そして、ここに埋葬した。(このことは、一般に認められている) ※この内容は、長谷寺で聞いた。

左隣に、一色刑部という人の墓もあった。(牛久保城の前は、一色城と呼ばれていた)

9年11月15日 (3)

9年11月15日 (4)

勘助は、この地では、ここに住んでいた。

9年11月15日 (5)

ここが、長谷寺(ちょうこくじ)。 

9年11月15日 (21)

勘助のことが書いてあった。 ここの和尚さんと親しくしていたとある。

9年11月15日 (7)kk

9年11月15日 (7)

魔利支天像を、和尚さんに預けた(託した)とある。

9年11月15日 (6)

これが、勘助の墓。

9年11月15日 (8)

髪の毛が埋葬されている、とある。
(骨も埋葬されてるという言い伝えがある、とか書いていないところがいい、と思う)

9年11月15日 (9)xx

9年11月15日 (9)

見せていただくことが出来た。(基本的には、土日は公開していた)
お寺の方が、本堂に案内してくれた。

魔利支天像は、ガラスケースの中の、下の方に。 小さい。

9年11月15日 (13)

ケースの中の建物の、1階に。

9年11月15日 (14)

肉眼では、顔がはっきり見えない。 写真の撮影は大変。

9年11月15日 (11)

やっと、撮れた。 4頭のイノシシの上に乗っている。 高野山で授かったものだ。

9年11月15日 (10)sss

これを元に作ったのを、大河ドラマで使った。  懐かしい写真だ。

9年11月15日 (20)ppp

この寺に残る、魔利支天像縁起。
勘助は、戦死の際に、この像が他人の手に渡ることを恐れ、1560年に、この寺の和尚に送ったという。
中央下に、勘助と書いてある。

9年11月15日 (15)

勘助からの手紙(書簡)。 (何を書いてあるか、聞かなかった)
後ろから2行目、真ん中下に、勘助と。

9年11月15日 (12)

後世になって描かれたもの。

9年11月15日 (16)ppp

目が不自由だったのは、どっちなんだろう。

9年11月15日 (17)

こんなのを作った人がいる。

9年11月15日 (18)

上の3つの中で、どれが勘助らしいかと言えば、どれも少し違うかな。
勘助は、人の心をつかみ、人から信用されれる表情を持っていたと思うから。
こんなのもあるが、これもちょっと・・・。  由布姫に好かれるのも条件だし。(ドラマの世界だが)

kkko.jpg

やっぱり、これがいいかな。(笑)

198d63187bc7a0e0_20091116064210.jpg

今日は、魔利支天像を見ることが出来、よかったです。
説明していただいた長谷寺の方に、感謝します。

勘助についての今日のことは、全くの伝説には感じませんでした。
事実の可能性があると思っています。
牛久保に行った甲斐がありました。


フリーの結果は、11時前には分かります。
キムヨナは、220点台を期待されていますが、本人は、安定して200点を超えることを目標にしています。
こういうところが、この人の賢さと思います。
オリンピックに向けての完璧な自信を、あと少しで手に入れることができます。
どうなるでしょう。 楽しみです。

結果が分かったら、追記で、フリーの動画を載せます。(16日のお昼頃かな)

10e556fc-s.jpg

追記  結果が分かりました。 残念でした。 優勝はしましたが、フリーは失敗しました。
200点に届きませんでした。 その動画は見ないので、ここにも載せません。 勘弁してください。 あ~あです。
次の、グランプリ・ファイナルに期待しましょう。


【道の駅】    デンパーク安城    ここです

【明日の予定】    半田市の新美南吉記念館は、今日休みです。 それで、この近くを少しだけ。

【今日の歌】     ロシアより愛をこめて(YouTube)

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akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
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