日本百名山を書いた深田久弥は、こう言った。
「もちろんここで言う乗鞍信者とは、~~~、学生時代乗鞍に住んだことのある人を指す。
全く、乗鞍は登るというより、住むと言った方が似つかわしい山である」
雨の日が続いていたが、今日に限って、半日だけ青空が見えた。
人との出会いがあった。
朝、晴れた。 山に登ると決めた。 簡単な弁当を、急いで作った。 コンビニはない。
山は、畳平から登る。 そこへ行くバスが、やってきた。 ここは、平湯温泉のバスターミナル。
※ アカンダナ駐車場から、ここへは、シャトルバス。
※ アカンダナ駐車場はここに。 平湯温泉のバスターミナルは、地図の温泉街に。
乗鞍スカイラインを走る。 自分が写ってしまった。
乗鞍山頂 畳平 行き。
自転車の人がいた。 下山した時、この人は、畳平に着いた。 日本1周をしている。
乗鞍スカイラインは、1018㍍登って、2702㍍の畳平に行く。
日本一の高度を走ることのできる、雲上のスカイラインと呼ばれる。
木が減ってきた。 雪がある。
マイカーは、通れない。
空への道を、走っているようだ。
ここは、北アルプス。 高そうな山が見える。
どの山が、乗鞍岳かは、分からない。 だから、見える山は全部、写真に撮った。
この写真に写っていた。
※ スキーをしている人が、小さく写っている。 子供もいて、帰りのバスで一緒になった。
さらに登って、この写真にもあった。
畳平。 日本の公共交通機関が到達できる最高地点、だそう。
飛騨県側の登山基地。 ここの標高が高いために、頂上までは、楽なことになっている。
登山ルート。
ここからスタート。 夏なら、90分。
車が通れる、登山道。
心配している天気は、まだ大丈夫。
写真を撮ってたら、この2人の方が、私に追いついた。 お母さんと娘さん。 埼玉から。
この後、一緒に行く。
山の下に、人がいっぱいいた。 ありんこのように。
マラソン大会をやっていた。 ※ 乗鞍天空マラソン。
頂上は分かりますね。
乗鞍岳は、この辺り一帯の名前で、頂上のある山は、剣ヶ峰と言う。
でも、正式にはそうかもしれないけど、3026㍍の地点は、やっぱり乗鞍岳の頂上。
肩の小屋が見えた。
雪渓で、スノボーをしている人が。
雪渓を歩き始めた。 危険な場所が近付いている。 途中で会った人は、そこで戻った。
雪渓は、下まで続いている。 数㍍下に岩場があれば、何も怖くないが。
ここで、一休み。
危険と感じたのは、この辺りだったかな。 一歩一歩足場を固めて、進んだ。
お母さんに山の経験があるので、先に行ってくれた。
娘さんは、用心深かった。 それでいいと、私は思った。
頂上が見える。 もう、近い。
雪渓を、スキーで滑り下りる人がいた。 撮影することになった。
準備があるので、他を撮影。 お母さんたちには、先に行ってもらった。
お母さんが、いつも先。 スキーの跡がある。
ここの少し上に、頂上小屋がある。
こういう池が、時々ある。 標高、3000㍍に近い。
スキーをはいたら、準備完了。 スキーの幅が広い。 山スキーと言うのか。
小さくジャンプして、飛び出した。
スキーを前後に、ずらしている。 普通のスキーではやらない。
滑り落ちたら大変な斜面。 見てて、不安は感じなかった。 上手。
無事に着いた。 この滑りを楽しむため、苦労して登った。
二人は、だいぶ進んだ。
あと少し。
ここが、頂上。 3026㍍。
反対側に来ると、こう。 11時50分。 2時間かかった。 雪渓で、時間がかかった。
雲が出てきたが、時々このように見えた。 遠くのアルプスの山々は、見えない。
こんな感じで。
小さな池が。 標高は、日本のトップテンに、間違いなく入る。
時々きれいに見える。 向こうの方が風がないので、向こう側で食事。
気圧が低いので、ふくらんだ。
こんな高くて寒い所に、虫がいた。
私たちは、ここで食事をした。 食事の後、ここが温かいよって、この人達に伝えた。
みんないい表情。
天気が変わってきた。 娘さんの意見で、下山を急いだ。 この判断がよかったと、後で分かる。
でも、お母さん、下山の道を間違った。 少しして、戻ってきた。
あっという間に、雲に囲まれてきた。
気温は、6~7度。 動いていれば、そんなに寒くはない。 ずっと、シャツの上に上着だけ。
この後、急な雪渓を横切る。
一番気を使った場所。
※ この後、3人で話した時、アイゼンが必要だねとなった。 軽いのが売られている。
※ 他に、私は使っていたが、山用のステッキがあった方がいいとも。 滑落した時に使う。
ここまで来たら、もう大丈夫。
高山植物の花が咲くのは、まだ先のようだ。
除雪したから、通れる。
こんな道は、ハイキングの感じ。
おしゃべりしながら、戻った。 もう近い。
畳平が見えた。
最後に道を間違って、少し遠回りをした。
畳平に着いた。 2時5分。 1時間50分かかった。
山は、全体が雲の中にあった。 早く降りてよかった。
娘さんのカメラで、3人で記念写真。 ※ 後で、メールで送っていただいた。 山での写真も含めて。
自分の写真を見るのは、久しぶり。
お母さんと娘さんは、先のバスで戻った。(このバスは、平湯まで行かない)
私は、一つ後のこのバスで。 時々自転車の人に出会う。 ※ 山を上る大会があるため。
山を下ると、雲から出た。
夏がやってきたが、山の上は夏ではなかった。
雨の日が続く中、奇跡のように、半日晴れた。
お母さんと娘さんと一緒だったので、たのしい登山になった。
【停泊場所】 アカンダナ駐車場
※ 夜停泊したら、「アカンダナ~」って、言われるかと思ったら、本当はダメだけど、いいですよって言ってくれた。
食い物あるかとか、トイレに近い所に停めれとか、気を遣ってくれた。
※ 近くに、アカンダナ山があるそう。 バスの運転手さんが教えてくれた。
【明日の予定】 上高地 天気は大丈夫のよう。 いっぱい歩きます。
【今日の歌】 ショスタコービッチの、セカンドワルツ(YouTube) たまに。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で5位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
「もちろんここで言う乗鞍信者とは、~~~、学生時代乗鞍に住んだことのある人を指す。
全く、乗鞍は登るというより、住むと言った方が似つかわしい山である」
雨の日が続いていたが、今日に限って、半日だけ青空が見えた。
人との出会いがあった。
朝、晴れた。 山に登ると決めた。 簡単な弁当を、急いで作った。 コンビニはない。
山は、畳平から登る。 そこへ行くバスが、やってきた。 ここは、平湯温泉のバスターミナル。
※ アカンダナ駐車場から、ここへは、シャトルバス。
※ アカンダナ駐車場はここに。 平湯温泉のバスターミナルは、地図の温泉街に。

乗鞍スカイラインを走る。 自分が写ってしまった。

乗鞍山頂 畳平 行き。

自転車の人がいた。 下山した時、この人は、畳平に着いた。 日本1周をしている。

乗鞍スカイラインは、1018㍍登って、2702㍍の畳平に行く。
日本一の高度を走ることのできる、雲上のスカイラインと呼ばれる。
木が減ってきた。 雪がある。

マイカーは、通れない。
空への道を、走っているようだ。

ここは、北アルプス。 高そうな山が見える。

どの山が、乗鞍岳かは、分からない。 だから、見える山は全部、写真に撮った。
この写真に写っていた。
※ スキーをしている人が、小さく写っている。 子供もいて、帰りのバスで一緒になった。

さらに登って、この写真にもあった。

畳平。 日本の公共交通機関が到達できる最高地点、だそう。
飛騨県側の登山基地。 ここの標高が高いために、頂上までは、楽なことになっている。

登山ルート。

ここからスタート。 夏なら、90分。

車が通れる、登山道。

心配している天気は、まだ大丈夫。

写真を撮ってたら、この2人の方が、私に追いついた。 お母さんと娘さん。 埼玉から。
この後、一緒に行く。

山の下に、人がいっぱいいた。 ありんこのように。

マラソン大会をやっていた。 ※ 乗鞍天空マラソン。

頂上は分かりますね。
乗鞍岳は、この辺り一帯の名前で、頂上のある山は、剣ヶ峰と言う。
でも、正式にはそうかもしれないけど、3026㍍の地点は、やっぱり乗鞍岳の頂上。

肩の小屋が見えた。

雪渓で、スノボーをしている人が。

雪渓を歩き始めた。 危険な場所が近付いている。 途中で会った人は、そこで戻った。

雪渓は、下まで続いている。 数㍍下に岩場があれば、何も怖くないが。

ここで、一休み。

危険と感じたのは、この辺りだったかな。 一歩一歩足場を固めて、進んだ。
お母さんに山の経験があるので、先に行ってくれた。
娘さんは、用心深かった。 それでいいと、私は思った。

頂上が見える。 もう、近い。

雪渓を、スキーで滑り下りる人がいた。 撮影することになった。

準備があるので、他を撮影。 お母さんたちには、先に行ってもらった。

お母さんが、いつも先。 スキーの跡がある。

ここの少し上に、頂上小屋がある。

こういう池が、時々ある。 標高、3000㍍に近い。

スキーをはいたら、準備完了。 スキーの幅が広い。 山スキーと言うのか。

小さくジャンプして、飛び出した。

スキーを前後に、ずらしている。 普通のスキーではやらない。

滑り落ちたら大変な斜面。 見てて、不安は感じなかった。 上手。








無事に着いた。 この滑りを楽しむため、苦労して登った。

二人は、だいぶ進んだ。

あと少し。

ここが、頂上。 3026㍍。

反対側に来ると、こう。 11時50分。 2時間かかった。 雪渓で、時間がかかった。

雲が出てきたが、時々このように見えた。 遠くのアルプスの山々は、見えない。

こんな感じで。

小さな池が。 標高は、日本のトップテンに、間違いなく入る。

時々きれいに見える。 向こうの方が風がないので、向こう側で食事。

気圧が低いので、ふくらんだ。

こんな高くて寒い所に、虫がいた。

私たちは、ここで食事をした。 食事の後、ここが温かいよって、この人達に伝えた。
みんないい表情。

天気が変わってきた。 娘さんの意見で、下山を急いだ。 この判断がよかったと、後で分かる。
でも、お母さん、下山の道を間違った。 少しして、戻ってきた。

あっという間に、雲に囲まれてきた。

気温は、6~7度。 動いていれば、そんなに寒くはない。 ずっと、シャツの上に上着だけ。
この後、急な雪渓を横切る。

一番気を使った場所。

※ この後、3人で話した時、アイゼンが必要だねとなった。 軽いのが売られている。

※ 他に、私は使っていたが、山用のステッキがあった方がいいとも。 滑落した時に使う。
ここまで来たら、もう大丈夫。

高山植物の花が咲くのは、まだ先のようだ。

除雪したから、通れる。

こんな道は、ハイキングの感じ。

おしゃべりしながら、戻った。 もう近い。

畳平が見えた。

最後に道を間違って、少し遠回りをした。

畳平に着いた。 2時5分。 1時間50分かかった。
山は、全体が雲の中にあった。 早く降りてよかった。

娘さんのカメラで、3人で記念写真。 ※ 後で、メールで送っていただいた。 山での写真も含めて。
自分の写真を見るのは、久しぶり。
お母さんと娘さんは、先のバスで戻った。(このバスは、平湯まで行かない)
私は、一つ後のこのバスで。 時々自転車の人に出会う。 ※ 山を上る大会があるため。

山を下ると、雲から出た。

夏がやってきたが、山の上は夏ではなかった。
雨の日が続く中、奇跡のように、半日晴れた。
お母さんと娘さんと一緒だったので、たのしい登山になった。
【停泊場所】 アカンダナ駐車場
※ 夜停泊したら、「アカンダナ~」って、言われるかと思ったら、本当はダメだけど、いいですよって言ってくれた。
食い物あるかとか、トイレに近い所に停めれとか、気を遣ってくれた。
※ 近くに、アカンダナ山があるそう。 バスの運転手さんが教えてくれた。
【明日の予定】 上高地 天気は大丈夫のよう。 いっぱい歩きます。
【今日の歌】 ショスタコービッチの、セカンドワルツ(YouTube) たまに。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で5位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
スポンサーサイト
野麦峠への道は、深い谷の、急な斜面に続いていた。
また、みねが見た風景は、昔のままあった。
古川にいたので、町並みを見た。
白壁の土蔵。 伝建地区に指定されていないが、いいですよ。
瀬戸川が流れている。
郡上八幡がそうだったけど、水があると、潤いがある。 当たり前か。
祭りに使う、起し太鼓が展示されていた。
この町には、古川祭りがある。 日本三大裸祭りの一つだそう。 4月19,20日に行われる。
※ 古川祭り 起し太鼓(YouTube)
飛騨の匠がいるためか、造りが繊細。 出窓も独特かな。
水がいいからか、酒屋さんが多かった。
三嶋和ろうそく店。
私は分からないが、連続テレビ小説「さくら」沼田家のモデルだという。
手を休めず、いつまでも楽しそうに説明してくれた。 話しかける隙間がなかった。
野麦峠に向かった。 高山を過ぎて、しばらく走ったら、山の中に入った。
国道361を走ってきたが、ここから県道39に入る。 場所はここ。
ここは、街道だったから、宿場があった。 時々このように、集落がある。
カーナビを見たら、目の前に、乗鞍岳があった。 3026の数字で分かった。
今日は見えないが。 ここから、10㌔くらいか。
昔の野麦街道があった。 車のタイヤの跡がなければ、もっといい。
クマに注意とあったので、深くは入らなかった。
野麦峠の説明があった。 分かりやすい。
谷は深くなってきた。 左の斜面に野麦街道はあった。 でも、下を見てもない。
後で知ったが、道は川の向こうの斜面に移っていた。
向こうの斜面も急なため、何人もの女工さんが落ちて死んだ。
下に落ちた子を、みんなの帯をつないで助けたこともあったという。
私は先日、熊野古道を歩いたが、女工さんたちが冬に歩くのに比べたら、散歩のようなもんだ。
ここが、野麦峠。 場所はここ。
新しいお助け小屋。 左に像が。
みねと辰次郎の像。 ※ 残念ながら、いい像ではない。
お助け小屋に入った。 お土産、食堂、宿泊の3つ。
少しだけ物を買って、展示してある写真などを、撮らせてもらった。
原作者が書いたもの。
こんな感じだったのかな。
天気がよかったら、乗鞍岳がこんな風に見える。
鮮明な写真があった。 こんな人たちが登場しているのだが、全員この写真にいるのかな。
大竹しのぶ 原田美枝子 友里千賀子 古手川祐子
野麦峠の館に行った。 映画に関する物は、少しだけだった。
女工さんたちは、こんな姿だった。
こんな絵が。
表情がいいなと、思った。
特に、左から2番目。 家族が待っていると思うからかな。
山本茂実という人は、女工さんだった人に聞いたとありますね。
聞き歩く中で、河合町角川にも行ったということですね。
館長さんが出てきて、あっちこっち連れて行って、説明してくれた。 ありがたかった。
野麦峠の碑。
写真の真ん中辺りに、昔の街道がある。 ここを下りていくと、岡谷の方に。
峠からは、ここを通って、高山に行った。
こんな感じ。
上の道の、左手の山の上に、展望台があった。 みねの碑。 書いてあるのは読めない。
向こうに行ったら、岡谷。
下の写真で、線の所に、野麦街道はあった。 下に来て、さっき歩いた道につながる。
また、昔のお助け小屋は、○の所に。 峠の頂上でなく、風の弱い、少し低い所にあった。
下の写真の、撮影場所を下りて行ったら、お助け小屋があった。
野麦峠の頂上について、みねが見た、飛騨の風景は、この風景。
映画のイメージとは少し違うが、これで間違いない。 このことは、館長さんも話した。
頂上に着いたら、そこは飛騨だ。 見えるもの全てが、みねにとっては、飛騨だった。
心の中にある、なつかしい故郷の風景も見えたかもしれない。
みねは、飛騨に帰れたと思って安心した。 そして、静かに息を引き取った。
岡谷の方に谷を下ると、こんな風景になる。
ダムから下を撮影。 道の駅 風穴の里は、右上に。 場所はここ。
いつかは来たいと思っていた野麦峠に、やっと来れた。
※ 江戸幕府が倒れて、時代は明治になっても、人々の生活は楽にならない。
こんどは、地主制度が出来上がってしまった。
どうしても、搾取しようとする人間があらわれる。
今の時代も、昔に似てきた。
安い賃金で人を働かせる仕組みが、広がってきた。
明日の動きが、むずかしいです。
乗鞍岳か、上高地。 どちらかです。
女工さんたちが、野麦峠から眺めた乗鞍岳に、本当は行きたい。
無理すると、危険。
明日の朝の天気で決めます。
【道の駅】 風穴の里
【明日の予定】 上に書いた通り。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
また、みねが見た風景は、昔のままあった。
古川にいたので、町並みを見た。

白壁の土蔵。 伝建地区に指定されていないが、いいですよ。

瀬戸川が流れている。
郡上八幡がそうだったけど、水があると、潤いがある。 当たり前か。

祭りに使う、起し太鼓が展示されていた。
この町には、古川祭りがある。 日本三大裸祭りの一つだそう。 4月19,20日に行われる。
※ 古川祭り 起し太鼓(YouTube)

飛騨の匠がいるためか、造りが繊細。 出窓も独特かな。

水がいいからか、酒屋さんが多かった。

三嶋和ろうそく店。
私は分からないが、連続テレビ小説「さくら」沼田家のモデルだという。
手を休めず、いつまでも楽しそうに説明してくれた。 話しかける隙間がなかった。

野麦峠に向かった。 高山を過ぎて、しばらく走ったら、山の中に入った。

国道361を走ってきたが、ここから県道39に入る。 場所はここ。

ここは、街道だったから、宿場があった。 時々このように、集落がある。

カーナビを見たら、目の前に、乗鞍岳があった。 3026の数字で分かった。
今日は見えないが。 ここから、10㌔くらいか。

昔の野麦街道があった。 車のタイヤの跡がなければ、もっといい。

クマに注意とあったので、深くは入らなかった。

野麦峠の説明があった。 分かりやすい。

谷は深くなってきた。 左の斜面に野麦街道はあった。 でも、下を見てもない。
後で知ったが、道は川の向こうの斜面に移っていた。
向こうの斜面も急なため、何人もの女工さんが落ちて死んだ。
下に落ちた子を、みんなの帯をつないで助けたこともあったという。

私は先日、熊野古道を歩いたが、女工さんたちが冬に歩くのに比べたら、散歩のようなもんだ。
ここが、野麦峠。 場所はここ。

新しいお助け小屋。 左に像が。

みねと辰次郎の像。 ※ 残念ながら、いい像ではない。

お助け小屋に入った。 お土産、食堂、宿泊の3つ。
少しだけ物を買って、展示してある写真などを、撮らせてもらった。
原作者が書いたもの。

こんな感じだったのかな。

天気がよかったら、乗鞍岳がこんな風に見える。

鮮明な写真があった。 こんな人たちが登場しているのだが、全員この写真にいるのかな。
大竹しのぶ 原田美枝子 友里千賀子 古手川祐子

野麦峠の館に行った。 映画に関する物は、少しだけだった。
女工さんたちは、こんな姿だった。

こんな絵が。

表情がいいなと、思った。
特に、左から2番目。 家族が待っていると思うからかな。

山本茂実という人は、女工さんだった人に聞いたとありますね。
聞き歩く中で、河合町角川にも行ったということですね。

館長さんが出てきて、あっちこっち連れて行って、説明してくれた。 ありがたかった。
野麦峠の碑。

写真の真ん中辺りに、昔の街道がある。 ここを下りていくと、岡谷の方に。

峠からは、ここを通って、高山に行った。

こんな感じ。

上の道の、左手の山の上に、展望台があった。 みねの碑。 書いてあるのは読めない。

向こうに行ったら、岡谷。

下の写真で、線の所に、野麦街道はあった。 下に来て、さっき歩いた道につながる。
また、昔のお助け小屋は、○の所に。 峠の頂上でなく、風の弱い、少し低い所にあった。

下の写真の、撮影場所を下りて行ったら、お助け小屋があった。
野麦峠の頂上について、みねが見た、飛騨の風景は、この風景。
映画のイメージとは少し違うが、これで間違いない。 このことは、館長さんも話した。
頂上に着いたら、そこは飛騨だ。 見えるもの全てが、みねにとっては、飛騨だった。
心の中にある、なつかしい故郷の風景も見えたかもしれない。
みねは、飛騨に帰れたと思って安心した。 そして、静かに息を引き取った。

岡谷の方に谷を下ると、こんな風景になる。

ダムから下を撮影。 道の駅 風穴の里は、右上に。 場所はここ。

いつかは来たいと思っていた野麦峠に、やっと来れた。
※ 江戸幕府が倒れて、時代は明治になっても、人々の生活は楽にならない。
こんどは、地主制度が出来上がってしまった。
どうしても、搾取しようとする人間があらわれる。
今の時代も、昔に似てきた。
安い賃金で人を働かせる仕組みが、広がってきた。
明日の動きが、むずかしいです。
乗鞍岳か、上高地。 どちらかです。
女工さんたちが、野麦峠から眺めた乗鞍岳に、本当は行きたい。
無理すると、危険。
明日の朝の天気で決めます。
【道の駅】 風穴の里
【明日の予定】 上に書いた通り。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
大竹しのぶが演じた、主人公 政井みねの故郷、河合町角川に行ってみた。
みねの墓に、手を合わせてきた。
みねの兄 辰次郎は、みねのために、2つの像を作った。
辰次郎の残りの人生は、みねを弔うものになった。
河合振興事務所のお世話になり、たくさんの資料を見せていただいた。
※ 写真の撮影と、まとまった資料をいただくことも。
河合町角川(かわいちょう つのかわ)は、高山から30㌔ほど北にある。
国道257を走った。 せせらぎ街道とよばれ、道がいい。
ここは、西ウレ峠。
分水嶺で、峠の向こうの水は、日本海に。 こっちは、太平洋に。 場所はここ。
峠を下りた時、運転に疲れて一休み。 横を見たら、仕事をしている人がいた。
15分ほど、お話しした。
猪が多くて困ると言った。 人間が囲いの中で生活していると。
鹿や、ニホンカモシカもいるそうだ。
カモシカは、特別天然記念物なので人間に攻撃されない。 だから、人がいても逃げないという。
政井みねの墓がある、専勝寺に向かった。 近くまで行ったが、駐車場が分からないので戻った。
公民館の駐車場に停めさせてもらった。 撮影場所は、ここ。 地図の左の方に専勝寺が見える。
向こうに、専勝寺がある。
2004年に合併するまでは、河合村。 中心はこの辺り。
向こうに行ったら、高山。 あっちから来た。
この道を歩いた。 雨はまだ降らない。
こんな標示が。 ここが、政井みねの生誕の地。 お寺は、少し行って右に曲がる。
ここが、専勝寺。 左の方から、上がってきた。
墓は、寺の裏にあると、調べて分かっていたので、右の山側に登った。
町並みが見えた。 でも、墓はなかった。 お寺で聞くことにした。
本堂の裏にあると教えてくれた。
考えてみたら、お寺の裏というのは、本堂の裏のことだ。
これが、政井みねの墓。 ※ 真ん中の小さい墓。
昭和6年に、兄の辰次郎がつくった。
※ 裏に書いてあった。 その場では読めなかったが、写真で読めた。
戻る時、何気なく全体を写した。
後で知るが、写真の中央に、木に隠れて親鸞の像がある。
兄の辰次郎が、妹のみねのために作ったものだった。
ルピナス。 自分は、ノボリフジと覚えていた。
林道なんか走っていて、この花が咲いていたら、昔そこに家があったと分かる。
図書館に行くことにした。
どこにあるか、この建物で聞いた。 河合振興事務所。
この建物の3階に、資料の展示室があると教えてくれた。 案内してくれた。
すべて、あゝ野麦峠に関わるもの。 これを見て、うれしくなってきた。
映画のポスター。 主演、大竹しのぶ。 兄の辰次郎役は、地井武男。
野麦峠で、飛騨を指差している。
この映画は、1979年。
この年、大竹しのぶは、第2回日本アカデミー賞で、最優秀主演女優賞・最優秀助演女優賞のダブル受賞で2冠を独占した。
原作を書いた、山本茂実。
この人がなぜ、政井みねを知ったかが、この資料室で、やっと分かった。 ※ これについては、後で。
ここ河合と岡谷、そして野麦峠の位置関係。 河合と岡谷の間は、150㌔。
辰次郎は、「ミネビョウキ スグヒキトレ」という工場からの電報を受取った後、2日間で、この距離を歩く。
夜も歩いて。 時速4㌔で、38時間かかる。
左端の人が、政井みね。 写真は、これしかないという。
こうです。 目鼻立ちが、はっきりしている。 美人として、評判だったという。
写真をもとに、ある人が描いたもの。 上の写真は、実際よりつぶれた感じ。
だから、こっちの方が、実物に近いのではないか。
この人が、晩年の、辰次郎。
辰次郎は、妹みねを亡くしてから、人が変わったように働いたという。
その目的は、供養のために、地蔵とかを作るためだった。
そして、二つ作った。
一つは、上の写真にあった親鸞聖人像。 もう一つは、後で行く、弘法大師像。
この二つによって、みねに対する、人々の記憶は消えなかった。
そうして、製糸工場の女工について調べていた、原作者の山本茂実の耳に入ることになる。
※ 山本茂実は、昔女工をしていた人に、聞き取り調査をした。
※ みねが百円工女と言われたことも、人々の記憶に残る理由になるが。
このように何かに書いてあったわけではないが、上のように私は思う。
映画「あゝ野麦峠」
この時、大竹しのぶ、22歳。
場所は分からない。 今私がいる古川がロケ現場になったから、ここかもしれない。
野麦峠は、飛騨と信濃を結ぶ、古くからの峠道。
明治のころ、何千、何万人ともいわれる製糸工女たちがこの峠を越えた。
この峠を通る時、北に乗鞍岳が見える。
乗鞍岳の北に、安房峠があり、そこに安房トンネルが出来た。 主要道路はそっちに移った。 野麦峠の今は、観光道路。
この町だから、撮影現場の写真が残っている。
明治の最盛期、輸出の60%は生糸だった。
大きな利益を生み出し、兵器などの軍備を賄った。 そして、明治の日本は軍事大国になっていく。
右の子は、原田美枝子。 この子も病気になった。
みねは病気になって、辰次郎が迎えに来た。
辰次郎は岡谷の病院を勧めたが、みねは、飛騨に戻りたいと言った。
野麦峠まで来た。
そこでの台詞(せりふ)。
撮影現場。 大竹しのぶは、ここに書いてあるような役者ですね。
振興事務所の方が、弘法大師像への道を、ていねいに教えてくれた。
お寺を過ぎて、さらに歩いた。
途中、ローズガーデンがあった。
橋の左の方に、小さく見えてきた。 場所はここ。
弘法大師像。 親鸞聖人像とこれを作る費用のため、辰次郎は夢中で働いた。
この谷の国道360を更に進むと、天生峠があり、それを越えたら白川郷。
この辺り一帯は、豪雪地帯。
この町に来て、なぜ、政井みねの人生が、野麦峠という映画になったかが、分かった。
荻昌弘という人の、あゝ野麦峠の解説がある。 これがいい。 映画を見る前と後のを、二つ載せます。
映画の前の解説 映画の後での解説
工場の男たちの女工に対する態度は、人間そのものを毒したと言っている。
それは、言い直せば、女工の人としての尊厳を、踏み蹴散らしていた、とも言える。
人間の尊厳を思う時、クラムスコイの描いた「忘れえぬ女」を思い出す。
※ 河合振興事務所には、お世話になりました。 感謝です。
【道の駅】 アルプ飛騨古川 ここです。
【明日の予定】 野麦峠を予定しているが、天気予報がよくない。
【今日の歌】 思いだして下さい(YouTube) テレビドラマ「あゝ野麦峠」の主題歌
奥飛騨・星の宿(YouTube) 安房トンネルが出てきます。 城之内早苗。 もう少し上手に歌ってほしい。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
みねの墓に、手を合わせてきた。
みねの兄 辰次郎は、みねのために、2つの像を作った。
辰次郎の残りの人生は、みねを弔うものになった。
河合振興事務所のお世話になり、たくさんの資料を見せていただいた。
※ 写真の撮影と、まとまった資料をいただくことも。
河合町角川(かわいちょう つのかわ)は、高山から30㌔ほど北にある。
国道257を走った。 せせらぎ街道とよばれ、道がいい。
ここは、西ウレ峠。
分水嶺で、峠の向こうの水は、日本海に。 こっちは、太平洋に。 場所はここ。

峠を下りた時、運転に疲れて一休み。 横を見たら、仕事をしている人がいた。
15分ほど、お話しした。
猪が多くて困ると言った。 人間が囲いの中で生活していると。
鹿や、ニホンカモシカもいるそうだ。
カモシカは、特別天然記念物なので人間に攻撃されない。 だから、人がいても逃げないという。

政井みねの墓がある、専勝寺に向かった。 近くまで行ったが、駐車場が分からないので戻った。
公民館の駐車場に停めさせてもらった。 撮影場所は、ここ。 地図の左の方に専勝寺が見える。
向こうに、専勝寺がある。

2004年に合併するまでは、河合村。 中心はこの辺り。
向こうに行ったら、高山。 あっちから来た。

この道を歩いた。 雨はまだ降らない。

こんな標示が。 ここが、政井みねの生誕の地。 お寺は、少し行って右に曲がる。

ここが、専勝寺。 左の方から、上がってきた。
墓は、寺の裏にあると、調べて分かっていたので、右の山側に登った。

町並みが見えた。 でも、墓はなかった。 お寺で聞くことにした。

本堂の裏にあると教えてくれた。
考えてみたら、お寺の裏というのは、本堂の裏のことだ。

これが、政井みねの墓。 ※ 真ん中の小さい墓。
昭和6年に、兄の辰次郎がつくった。
※ 裏に書いてあった。 その場では読めなかったが、写真で読めた。

戻る時、何気なく全体を写した。
後で知るが、写真の中央に、木に隠れて親鸞の像がある。
兄の辰次郎が、妹のみねのために作ったものだった。

ルピナス。 自分は、ノボリフジと覚えていた。
林道なんか走っていて、この花が咲いていたら、昔そこに家があったと分かる。

図書館に行くことにした。
どこにあるか、この建物で聞いた。 河合振興事務所。
この建物の3階に、資料の展示室があると教えてくれた。 案内してくれた。

すべて、あゝ野麦峠に関わるもの。 これを見て、うれしくなってきた。

映画のポスター。 主演、大竹しのぶ。 兄の辰次郎役は、地井武男。
野麦峠で、飛騨を指差している。

この映画は、1979年。
この年、大竹しのぶは、第2回日本アカデミー賞で、最優秀主演女優賞・最優秀助演女優賞のダブル受賞で2冠を独占した。
原作を書いた、山本茂実。
この人がなぜ、政井みねを知ったかが、この資料室で、やっと分かった。 ※ これについては、後で。

ここ河合と岡谷、そして野麦峠の位置関係。 河合と岡谷の間は、150㌔。

辰次郎は、「ミネビョウキ スグヒキトレ」という工場からの電報を受取った後、2日間で、この距離を歩く。
夜も歩いて。 時速4㌔で、38時間かかる。
左端の人が、政井みね。 写真は、これしかないという。

こうです。 目鼻立ちが、はっきりしている。 美人として、評判だったという。

写真をもとに、ある人が描いたもの。 上の写真は、実際よりつぶれた感じ。
だから、こっちの方が、実物に近いのではないか。

この人が、晩年の、辰次郎。

辰次郎は、妹みねを亡くしてから、人が変わったように働いたという。
その目的は、供養のために、地蔵とかを作るためだった。
そして、二つ作った。
一つは、上の写真にあった親鸞聖人像。 もう一つは、後で行く、弘法大師像。
この二つによって、みねに対する、人々の記憶は消えなかった。
そうして、製糸工場の女工について調べていた、原作者の山本茂実の耳に入ることになる。
※ 山本茂実は、昔女工をしていた人に、聞き取り調査をした。
※ みねが百円工女と言われたことも、人々の記憶に残る理由になるが。
このように何かに書いてあったわけではないが、上のように私は思う。
映画「あゝ野麦峠」

この時、大竹しのぶ、22歳。

場所は分からない。 今私がいる古川がロケ現場になったから、ここかもしれない。

野麦峠は、飛騨と信濃を結ぶ、古くからの峠道。
明治のころ、何千、何万人ともいわれる製糸工女たちがこの峠を越えた。
この峠を通る時、北に乗鞍岳が見える。
乗鞍岳の北に、安房峠があり、そこに安房トンネルが出来た。 主要道路はそっちに移った。 野麦峠の今は、観光道路。

この町だから、撮影現場の写真が残っている。
明治の最盛期、輸出の60%は生糸だった。
大きな利益を生み出し、兵器などの軍備を賄った。 そして、明治の日本は軍事大国になっていく。

右の子は、原田美枝子。 この子も病気になった。

みねは病気になって、辰次郎が迎えに来た。
辰次郎は岡谷の病院を勧めたが、みねは、飛騨に戻りたいと言った。
野麦峠まで来た。


そこでの台詞(せりふ)。

撮影現場。 大竹しのぶは、ここに書いてあるような役者ですね。

振興事務所の方が、弘法大師像への道を、ていねいに教えてくれた。
お寺を過ぎて、さらに歩いた。

途中、ローズガーデンがあった。

橋の左の方に、小さく見えてきた。 場所はここ。


弘法大師像。 親鸞聖人像とこれを作る費用のため、辰次郎は夢中で働いた。

この谷の国道360を更に進むと、天生峠があり、それを越えたら白川郷。
この辺り一帯は、豪雪地帯。

この町に来て、なぜ、政井みねの人生が、野麦峠という映画になったかが、分かった。
荻昌弘という人の、あゝ野麦峠の解説がある。 これがいい。 映画を見る前と後のを、二つ載せます。
映画の前の解説 映画の後での解説
工場の男たちの女工に対する態度は、人間そのものを毒したと言っている。
それは、言い直せば、女工の人としての尊厳を、踏み蹴散らしていた、とも言える。
人間の尊厳を思う時、クラムスコイの描いた「忘れえぬ女」を思い出す。
※ 河合振興事務所には、お世話になりました。 感謝です。
【道の駅】 アルプ飛騨古川 ここです。
【明日の予定】 野麦峠を予定しているが、天気予報がよくない。
【今日の歌】 思いだして下さい(YouTube) テレビドラマ「あゝ野麦峠」の主題歌
奥飛騨・星の宿(YouTube) 安房トンネルが出てきます。 城之内早苗。 もう少し上手に歌ってほしい。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
郡上八幡は、水とおどり、そして多くの歴史を秘めた、魅力あふれる街だった。
郡上踊りを少しだけ、おぼえた。
郡上八幡、いい響きの名前だ。 でも、これは正式の地名ではない。
合併前は、この辺りは、郡上郡八幡町。
合併して郡上市になったが、一般的に、郡上八幡と呼ばれる。 この地図の中を歩く。
古い町並みを歩きだしたら、いきなりこの感じ。
長敬寺。 白虎隊と共に戦った、凌霜隊というのがあった。 それと関わりが深い。
古い街並みだが、伝建地区には認定されていない。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
地域全体が、「美しい日本の歴史的風土100選」。
郡上踊りの像。
ほんのりと、頬笑みがあるのかな。
小駄良川。 吉田川につながり、吉田川は、長良川に。
左側に、宗祇水がある。 湧水。 名水百選の第1号。
昔、ここの領主と宗祇が、この場所で歌を読み交わしている。 宗祇(Wikipedia)
吉田川。 向こうは上流。 小さく見える橋は、新橋。
新橋から、夏に、子供たちは川に飛び込む。
アユが釣れた。
やなか水のこみち。 いい感じ。
ここのように、今の時代のセンスを生かし、昔を上回る物を作るのがいい。
遠い将来、平成時代に作られたと、言われる。
郡上八幡を歩く時、水は持たなくていい。 どこででも飲める。
こんな町は他にあるかな。 ここは、水の城下町。
左京稲荷。 三不思議があった。
郡上八幡、旧庁舎記念館。 ここで休める。
上の建物に、下の絵があった。
袖で涙をふいた、ということですね。
新橋。 下は吉田川。 橋から、向こうへ飛び込む。
このように、飛び込む。 度胸がないとできない。 動画はここに。 その1。 その2。
上の写真の、右の方に見える穴は、こう。
いがわこみち。 魚がいっぱい。 鯉とアマゴ(?)かな。
えさをやったら、バチャッて、飛びついてくる。 女の子たちは、それを楽しんでいる。
折口信夫の歌碑。 大正8年の7月に大火があった。 8月に来た。
「焼け原の 町のもなかを行く水の せゝらぎ澄みて 秋近つけり」
郡上八幡博覧館。 ※ 車は、ここの駐車場に置いてあった。
博覧館の中には、この町の歴史など、多くの物の展示が。
これは、宝暦騒動。 宝暦4年(1754)から4年間。
郡上一揆(ぐじょういっき)とも呼ばれる。
この騒動の結果、老中はじめ 幕府指導者数人が免職、郡上藩主は国替となった。
このように、農民だけでなく、幕府、藩の大量処罰の例は他には無く、「唯一農民が勝った一揆」と呼ばれている。(Wikipediaより)
これは、食品サンプル。 ここは、その発祥地。
※ 他の地でも作り始めたが、郡上八幡は、規模とかが大きいようだ。(調べた)
郡上踊りを見ることが出来た。
この人が解説をしてくれた。 話し方が上手で、芝居の経験がある感じ。
33日間続く。 日本で一番長いお祭り。 踊りに参加する人の、延べ人数は、32万人。
踊りには、たくさんの種類があった。 ※ 詳しくはここに。
これは、猫の子、という踊り。 この人の、本領が発揮された感じ。 ※ 「春駒」の動画 ビデオは撮れないはず。許可を得たのかな。
お祭りで踊って上手な人は、こんな免許がもらえるそう。
夜風にゆれる 君が黒髪。 ああ ほんのりと頬そめて 郡上八幡 ときめきの夏。
ある年のポスター。
※ ほんの少しですが、この人は、上の人と同じ人かもしれないと思っている。
これも、ポスター。 いいですね。
こんな雰囲気。
雨が降っても、中止にはならない。
※ この人も、上の人でないかと、少し思っている。
郡山八幡城に向かった。
水をせき止めて、洗い物をしていた。 野菜の土落としとか
※ この町は、このような所に、排水は一切流さない。 教えてくれた。
こんな通り。
ここに住む人たちの、心意気。
山内一豊と妻の像。 千代の出身地は、いろんな説がある。
NHKの大河ドラマでは、近江の出身にした。(原作がそうだから)
ところが、調べてみたら、最近は郡上八幡が有力になっていた。 大丈夫のようだ。
この町にとっては、うれしいことですね。
お城が見えてきた。
現在の天守は、昭和に入って再建されたものだが、木造というところがいい。
およしという娘が、城の修理の時、人柱になった。
この人が、一豊の妻。
吉田川の上流かな。
ここも歩いた。 左に吉田川。 正面少し右に、博覧館。
ここを通って戻るが、こんな雰囲気が好き。
来た道をもどる。 駐車場へ。
道の駅、パスカル清見。 その裏を流れる川。 馬瀬川。 北に流れる。
郡上八幡は、退屈しない町だった。
まちがいなく、水とおどりの城下町だった。
いつか、郡上踊りの時期に来て、ときめきの夏を、感じてみたい。
そう思った。
【道の駅】 パスカル清見 ここです。
【今日の歌】 郡上踊り(YouTube) 代表的な、「かわさき」というのです。
北の岬(YouTube) 片方の方が、再生回数2000を越えました。 ほぼ10ヶ月かかった。
【明日の予定】 ああ野麦峠で、大竹しのぶが演じた、主人公みねの故郷へ行ってきます。
高山市の少し北にある、河合町角川です。 町並みを見られる、小さな町もある。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
郡上踊りを少しだけ、おぼえた。
郡上八幡、いい響きの名前だ。 でも、これは正式の地名ではない。
合併前は、この辺りは、郡上郡八幡町。
合併して郡上市になったが、一般的に、郡上八幡と呼ばれる。 この地図の中を歩く。
古い町並みを歩きだしたら、いきなりこの感じ。

長敬寺。 白虎隊と共に戦った、凌霜隊というのがあった。 それと関わりが深い。


古い街並みだが、伝建地区には認定されていない。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
地域全体が、「美しい日本の歴史的風土100選」。

郡上踊りの像。

ほんのりと、頬笑みがあるのかな。

小駄良川。 吉田川につながり、吉田川は、長良川に。

左側に、宗祇水がある。 湧水。 名水百選の第1号。
昔、ここの領主と宗祇が、この場所で歌を読み交わしている。 宗祇(Wikipedia)

吉田川。 向こうは上流。 小さく見える橋は、新橋。
新橋から、夏に、子供たちは川に飛び込む。

アユが釣れた。


やなか水のこみち。 いい感じ。
ここのように、今の時代のセンスを生かし、昔を上回る物を作るのがいい。
遠い将来、平成時代に作られたと、言われる。

郡上八幡を歩く時、水は持たなくていい。 どこででも飲める。
こんな町は他にあるかな。 ここは、水の城下町。

左京稲荷。 三不思議があった。

郡上八幡、旧庁舎記念館。 ここで休める。

上の建物に、下の絵があった。
袖で涙をふいた、ということですね。

新橋。 下は吉田川。 橋から、向こうへ飛び込む。

このように、飛び込む。 度胸がないとできない。 動画はここに。 その1。 その2。

上の写真の、右の方に見える穴は、こう。

いがわこみち。 魚がいっぱい。 鯉とアマゴ(?)かな。
えさをやったら、バチャッて、飛びついてくる。 女の子たちは、それを楽しんでいる。

折口信夫の歌碑。 大正8年の7月に大火があった。 8月に来た。
「焼け原の 町のもなかを行く水の せゝらぎ澄みて 秋近つけり」

郡上八幡博覧館。 ※ 車は、ここの駐車場に置いてあった。

博覧館の中には、この町の歴史など、多くの物の展示が。
これは、宝暦騒動。 宝暦4年(1754)から4年間。
郡上一揆(ぐじょういっき)とも呼ばれる。
この騒動の結果、老中はじめ 幕府指導者数人が免職、郡上藩主は国替となった。
このように、農民だけでなく、幕府、藩の大量処罰の例は他には無く、「唯一農民が勝った一揆」と呼ばれている。(Wikipediaより)

これは、食品サンプル。 ここは、その発祥地。
※ 他の地でも作り始めたが、郡上八幡は、規模とかが大きいようだ。(調べた)

郡上踊りを見ることが出来た。

この人が解説をしてくれた。 話し方が上手で、芝居の経験がある感じ。

33日間続く。 日本で一番長いお祭り。 踊りに参加する人の、延べ人数は、32万人。
踊りには、たくさんの種類があった。 ※ 詳しくはここに。

これは、猫の子、という踊り。 この人の、本領が発揮された感じ。 ※ 「春駒」の動画 ビデオは撮れないはず。許可を得たのかな。

お祭りで踊って上手な人は、こんな免許がもらえるそう。

夜風にゆれる 君が黒髪。 ああ ほんのりと頬そめて 郡上八幡 ときめきの夏。
ある年のポスター。
※ ほんの少しですが、この人は、上の人と同じ人かもしれないと思っている。

これも、ポスター。 いいですね。


こんな雰囲気。

雨が降っても、中止にはならない。
※ この人も、上の人でないかと、少し思っている。


郡山八幡城に向かった。
水をせき止めて、洗い物をしていた。 野菜の土落としとか
※ この町は、このような所に、排水は一切流さない。 教えてくれた。

こんな通り。

ここに住む人たちの、心意気。

山内一豊と妻の像。 千代の出身地は、いろんな説がある。
NHKの大河ドラマでは、近江の出身にした。(原作がそうだから)
ところが、調べてみたら、最近は郡上八幡が有力になっていた。 大丈夫のようだ。
この町にとっては、うれしいことですね。

お城が見えてきた。


現在の天守は、昭和に入って再建されたものだが、木造というところがいい。




およしという娘が、城の修理の時、人柱になった。


この人が、一豊の妻。

吉田川の上流かな。

ここも歩いた。 左に吉田川。 正面少し右に、博覧館。

ここを通って戻るが、こんな雰囲気が好き。

来た道をもどる。 駐車場へ。

道の駅、パスカル清見。 その裏を流れる川。 馬瀬川。 北に流れる。

郡上八幡は、退屈しない町だった。
まちがいなく、水とおどりの城下町だった。
いつか、郡上踊りの時期に来て、ときめきの夏を、感じてみたい。
そう思った。
【道の駅】 パスカル清見 ここです。
【今日の歌】 郡上踊り(YouTube) 代表的な、「かわさき」というのです。
北の岬(YouTube) 片方の方が、再生回数2000を越えました。 ほぼ10ヶ月かかった。
【明日の予定】 ああ野麦峠で、大竹しのぶが演じた、主人公みねの故郷へ行ってきます。
高山市の少し北にある、河合町角川です。 町並みを見られる、小さな町もある。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
朝から晴れた。
雨が続いて、やっと天気の有難さが分かった。
道の駅の案内所で地図をいただき、市の中心部に向かった。
勧めて頂いた道は、昨日歩いた道だった。
昨日のブログの、お姫の井戸。 岩に穴があいている。
川は濁ってても、井戸は、濁ってない。
雨水なのかな。
もしもですよ、もし、水が湧いていたらすごい。
さらに、温泉だったら、世界遺産。 伝説はありますから。
つまり、つぼ湯と同じになる。 関連ブログ つぼ湯
こんな道を。 途中で会った畑の人が、昨日の白いユリは、テッポウユリだと、教えてくれた。
中心部の少し手前。 こんなのが、感じいい。 このおばあちゃんとも、しばらくお話し。 右端に。
中心部に入った時、美濃和紙あかりアート館、があった。
紙は、字を書いたり、本を作ったり、折り紙に使う物だと思っていた。
和紙と光の、コラボレーションだ。
色や形だけでも美しいが、そこに光が加わると、別の次元に感じますね。
どうやって作ったかは、分からない。
こういう物をつくる専門家はいますね。
ホテルのロビーや、デパートの大きな空間を、これの大きなものでデザインする。
見たことありますよ。
ここは、和紙その物の展示。
鳥でしょうか。
お土産屋さんにも、灯りにかぶせるものが、多く売っていた。
紙を作る職人がいて、デザインのプロがいるのか。 一人で、両方かもしれない。
町並みは、こうです。 重要伝統的建造物群保存地区。 略して、伝建地区。
○の所が、うだつ。 火事の時、横の火が、前に回り込むのを防いでいる。
※ 横は土壁だが、前は、燃えやすい。
うだつが立派だと、一人前だとか、力があるだとか、評価された。
そのため、火事に関係なく、一目立派なものが作られるようになった。
「うだつがあがる」という表現は、ここから来た。
今井家住宅。 資料館になっていた。
和紙問屋だった。
水琴窟があった。 地中の甕の中に、1滴の水が落ちて、音を出す。
いい音が出ていた。 ポチョンではなく、カッキーンとキーンの、中間くらい。
つまり、ッキーン、の感じ。
仕組み。
昨日のブログに書いた、流しにわか。 流しにわか(YouTube)
紙をつくる工程。
この町並みに、何か問題があるのかと言えば、ある。
今風の看板や建物が、混ざっている。
うだつの横に、祠がある。
四国の脇町との違いは、上に書いた部分。
美濃市は、この町並みの重要さに気付くのに、10年遅れた。 ※ 関連ブログ 脇町のうだつの町並み
気付くのが遅れたと言っても、美濃市には強みがある。
美濃和紙とうだつの町並みをセットで売り出すことが出来る。 このことは、とても大きなこと。
今風の家を建て直す時が来たら、その時は、昔の感じで建てる。
小倉城跡の、小倉公園に向かった。 山の上。
頂上には、城の形をした展望台。
北方面。 新美濃橋が見える。 少し手前に、見えないが道の駅。
川の下流。
中央部に、うだつの家並みがある。
道の駅、美並に来た。
7~8㌔上流に来ただけで、長良川の流れは、速くなった。
雨の時期、アジサイは、元気いっぱい。
美濃市は、野口五郎の出身地だった。
北アルプスの山を調べていたら、野口五郎岳があった。
乗鞍岳と御嶽に登りたいが、天気予報がよくない。
両方とも、3000㍍を越えている。 魅力的。
※ 一人なので、なるべく、土日に登りたい。
※ 1日で戻って来れる山は、そんなにない。
【道の駅】 美並 ここです。
※ 郡上市美並町は、円空の生誕地と言われている。
ただ、他に、同じ岐阜県の羽島市も、生誕地と言っている。
美並町のふるさと館に、円空仏が90体展示されている。
もし撮影できるなら、行って来る。
【明日の予定】 郡上八幡 きっと美しい街。 明日の天気は大丈夫。
【今日の歌】 博多みれん(YouTube) 野口五郎のデビュー曲
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
雨が続いて、やっと天気の有難さが分かった。
道の駅の案内所で地図をいただき、市の中心部に向かった。
勧めて頂いた道は、昨日歩いた道だった。
昨日のブログの、お姫の井戸。 岩に穴があいている。
川は濁ってても、井戸は、濁ってない。
雨水なのかな。
もしもですよ、もし、水が湧いていたらすごい。
さらに、温泉だったら、世界遺産。 伝説はありますから。
つまり、つぼ湯と同じになる。 関連ブログ つぼ湯

こんな道を。 途中で会った畑の人が、昨日の白いユリは、テッポウユリだと、教えてくれた。

中心部の少し手前。 こんなのが、感じいい。 このおばあちゃんとも、しばらくお話し。 右端に。

中心部に入った時、美濃和紙あかりアート館、があった。

紙は、字を書いたり、本を作ったり、折り紙に使う物だと思っていた。

和紙と光の、コラボレーションだ。


色や形だけでも美しいが、そこに光が加わると、別の次元に感じますね。

どうやって作ったかは、分からない。


こういう物をつくる専門家はいますね。
ホテルのロビーや、デパートの大きな空間を、これの大きなものでデザインする。
見たことありますよ。

ここは、和紙その物の展示。


鳥でしょうか。

お土産屋さんにも、灯りにかぶせるものが、多く売っていた。


紙を作る職人がいて、デザインのプロがいるのか。 一人で、両方かもしれない。

町並みは、こうです。 重要伝統的建造物群保存地区。 略して、伝建地区。

○の所が、うだつ。 火事の時、横の火が、前に回り込むのを防いでいる。
※ 横は土壁だが、前は、燃えやすい。
うだつが立派だと、一人前だとか、力があるだとか、評価された。
そのため、火事に関係なく、一目立派なものが作られるようになった。
「うだつがあがる」という表現は、ここから来た。

今井家住宅。 資料館になっていた。

和紙問屋だった。


水琴窟があった。 地中の甕の中に、1滴の水が落ちて、音を出す。
いい音が出ていた。 ポチョンではなく、カッキーンとキーンの、中間くらい。
つまり、ッキーン、の感じ。

仕組み。

昨日のブログに書いた、流しにわか。 流しにわか(YouTube)

紙をつくる工程。

この町並みに、何か問題があるのかと言えば、ある。
今風の看板や建物が、混ざっている。

うだつの横に、祠がある。




四国の脇町との違いは、上に書いた部分。
美濃市は、この町並みの重要さに気付くのに、10年遅れた。 ※ 関連ブログ 脇町のうだつの町並み



気付くのが遅れたと言っても、美濃市には強みがある。
美濃和紙とうだつの町並みをセットで売り出すことが出来る。 このことは、とても大きなこと。
今風の家を建て直す時が来たら、その時は、昔の感じで建てる。
小倉城跡の、小倉公園に向かった。 山の上。

頂上には、城の形をした展望台。

北方面。 新美濃橋が見える。 少し手前に、見えないが道の駅。

川の下流。

中央部に、うだつの家並みがある。

道の駅、美並に来た。

7~8㌔上流に来ただけで、長良川の流れは、速くなった。

雨の時期、アジサイは、元気いっぱい。

美濃市は、野口五郎の出身地だった。
北アルプスの山を調べていたら、野口五郎岳があった。
乗鞍岳と御嶽に登りたいが、天気予報がよくない。
両方とも、3000㍍を越えている。 魅力的。
※ 一人なので、なるべく、土日に登りたい。
※ 1日で戻って来れる山は、そんなにない。
【道の駅】 美並 ここです。
※ 郡上市美並町は、円空の生誕地と言われている。
ただ、他に、同じ岐阜県の羽島市も、生誕地と言っている。
美並町のふるさと館に、円空仏が90体展示されている。
もし撮影できるなら、行って来る。
【明日の予定】 郡上八幡 きっと美しい街。 明日の天気は大丈夫。
【今日の歌】 博多みれん(YouTube) 野口五郎のデビュー曲
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。