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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

焼き物の里、砥部町に行った。
見学できる窯があるので。 名前は、梅山窯。 ※ 会社名は、梅野精陶所。

砥部焼については、こう。(Wikipediaより)

① 後背の山地から良質の陶石が産出されていたことから、大洲藩の庇護のもと、発展を遂げた。
② やや厚手の白磁に、呉須と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴。
③ 砥部焼の多くは手作り成形のため、全国的に見ても決して大産地や有名産地ではないが、独特の風合いが愛好家に  評価されている。
④ 近年ブームの讃岐うどんの器としても、砥部焼はよく用いられる。

梅山窯は、砥部に約90ある窯元の中で、一番大きく代表的な窯元と、多くが紹介している。  場所はこの辺り


売店で、見学のお願いをした。 写真も大丈夫だった。

9年12月23日 (1)   9年12月23日 (2)

大きな建物の中で、作品は、製造過程を分担して行われていた。
ここでは、基本の形を作っていた。

9年12月23日 (4)

繊細な仕事をしているため、話しかけれる雰囲気ではなかった。(話しかけないようにとの、表示もあった)

一つ一つこのように手作りなのが、ここの特徴のようだ。
何年修行したら、このように任せてもらえるのか。

9年12月23日 (5)

この人は、皿を。

9年12月23日 (6)

花器だろうか。 粘土の塊から作り上げていた。

9年12月23日 (7)

普通はこのように見学は出来ない。 私のように、ネットに載せる者もいるし。
でも、ここの会社は自信があるから、可能にしてるんですね。

ここは、別の作業。

9年12月23日 (8)

持つ所をくっつけていた。

9年12月23日 (9)

付ける場所は、定規で測るわけではない。 このように、棒を1本置いた。

9年12月23日 (10)

焼かれる前のもの。 乾燥させているのか。

9年12月23日 (11)

施釉(せゆう)ってありますね。 釉薬(ゆうやく)つまり、うわぐすりを、ここでかける。
これをしないで焼いたら、素焼きですね。

9年12月23日 (12)

こんな風に。 焼いたら透明になって、描いた絵が見える。

9年12月23日 (13)

ここでは、作品の細かなチェックをしていました。 少し削ったり。

9年12月23日 (14)

作業内容は分からないが、出来たものが見えますね。

9年12月23日 (15)

ここは、型枠で作っている。 ろくろを使ったら、円くなる。(当たり前か)

9年12月23日 (16)

機械での、大量生産ではない。

9年12月23日 (17)

これは、難しそう。

9年12月23日 (18)

焼く窯。 

9年12月23日 (19)

この台に並べて、窯に入る。

9年12月23日 (20)

焼かれる前かな。

9年12月23日 (21)

台が、この線路の上を通って、窯に入る。 ※ 左右に移動する。

9年12月23日 (22)

作業所の中、いろいろ。

9年12月23日 (23)

9年12月23日 (24)   9年12月23日 (25)  9年12月23日 (26)

食器を積み重ねている。 完了したら、窯に。

9年12月23日 (27)

焼き上がったのかな。(?)

9年12月23日 (28)

別の部屋で、色を付けていた。 こっちは、入れない。  書き直しは、きっと出来ない。

9年12月23日 (29)

同じ絵を描くための工夫は、分からない。 何かありますね。

9年12月23日 (30)

この人も、同じ作業。

9年12月23日 (32)

底を調べているようだ。

9年12月23日 (31)

作品を展示しているところがあった。  梅山窯は、高温で焼く磁器が中心。
磁器は、絵に魅力を感じるでしょうか。 形はもちろんですが。 ※ 作品は、写真だけ。
古いものも、たくさんあった。

9年12月23日 (33)   9年12月23日 (34)  9年12月23日 (36)

9年12月23日 (37)  9年12月23日 (40)  9年12月23日 (41)

9年12月23日 (42)  9年12月23日 (43)

9年12月23日 (44)

9年12月23日 (47)  9年12月23日 (49)  9年12月23日 (53)

9年12月23日 (54)  9年12月23日 (57)

9年12月23日 (58)

9年12月23日 (60)

9年12月23日 (61)

9年12月23日 (62)


9年12月23日 (63)

9年12月23日 (64)

9年12月23日 (65) 

登り釜を見ることができた。 昭和37か38年頃まで、これで焼いていたという。 今は時々。

9年12月23日 (66)

中。

9年12月23日 (67)

下の窯からは、ここから炎が来る。           天井。

9年12月23日 (68)  9年12月23日 (69)

入り口。

9年12月23日 (70)

9年12月23日 (71)

詳しいことは分かりませんでしたが、作る過程を見られたのが、大きいことでした。
今後は、陶器の話が出てきたら、今日見た場面を思い浮かべて、考えることが出来る。 

買ったのは、下の二つ。 箸置はおまけ。

日本酒が美味しく飲めそう。          登り釜で焼いた皿。素朴で感じいい。       箸置。 

IMG_3885mhft.jpg  IMG_3873kkht.jpg  IMG_3881cgry.jpg

道の駅に向かう途中。

9年12月23日 (72)

明日、九州に渡ります。 今は、道の駅、伊方きらら館。 細い半島の中。
松山市とお別れした。

今日の梅山窯の雰囲気は、どこかに似ていた。 思い出せない。 人の雰囲気です。
津軽のランプの宿か。

※ このことについて少し。
   職場の雰囲気は、次の3つで決まると思います。
    ① 社長の経営方針が、ここで働く人の心にどのように伝わっているか。
    ② 働く人の仕事に対する意識は、高いものになっているか。
    ③ ここの人たちの、人柄。(これが基本になるのかな) 

とてもいいと、感じました。

大きな夢に向かって、今ここで勉強している人がいる。
そのことも、強く感じました。


今日買った器で、お酒を飲んだ。
美味しさが増して、少し飲み過ぎた。
それで、ここまで。(写真を載せたところまで)
明日は、早く起きる決意。


【道の駅】     上に書いた通り。  場所はここ

【明日の予定】  午後、九州に渡ります。 どこかは、見られないと思う。

【今日の歌】    クリスマスの曲を一つ(YouTube)


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日本最古の名湯に入りました。
でも、私にとって、どうだったら名湯かがよく分からない。
その前に、2時間ほど、ボランティアの人に案内してもらいました。
五十一番札所、石手寺にも連れて行ってくれました。三重塔がありました。

道後温泉の魅力は、温泉だけでないことが分かりました。


観光案内所から、アーケード街を歩いて行くと、椿の湯や道後温泉本館に着く。
椿は、松山市の花。

ただ、サザンカは花弁が落ちるが、椿は花ごとポロっと落ちる。
それで、昔、武士は嫌ったそう。(首が落ちる感じなので)

9年12月22日 (1)   9年12月22日 (2)

道後温泉本館。 坊っちゃん湯とも呼ばれる。 
浴室に、坊っちゃん泳ぐべからずの札が、下がっていた。

100年以上経っている建物。 湯気が出るのに、よくもっていると思う。

IMG_3586bbmh.jpg

※ ここの温泉は、かけ湯だけで入ったらダメ。 体を洗ってから入ること、と標示があった。
  これがいいんだが、このように書いてあるところは少ない。

左から見たら、こう。

9年12月22日 (4)

後ろ。 昔、皇室はこっちから入った。 専用の門が。 使用したのは、昭和26年が最後だそう。

9年12月22日 (5)

円満寺の、湯の大地蔵。 行基作と言われている。

9年12月22日 (6) 

宝厳寺。 ここで、一遍上人が生まれた。 1239年のこと。   

9年12月22日 (8)

石段の下は、このように坂。 ここは昔、遊郭街だった。

9年12月22日 (7) 

正岡子規の句碑があった。 

9年12月22日 (9)

そばに遊郭があったから、こんな句が。

9年12月22日 (10)

本堂。

9年12月22日 (11)

次に向かって歩いていたら、多羅葉という木が。 ハガキの木とも言われているそう。
葉っぱに字が書けた。(車のキーで) 時間が経ったら、黒くなってきた。 消えなかった。 

9年12月22日 (12)   IMG_3740vgyj.jpg

こんな木が。 一つの木の葉っぱが、二種類あった。 若い葉に、分かれるのがあるそう。

9年12月22日 (13) 

伊佐爾波(いさにわ)神社。 赤穂浪士と関わりがあった。

IMG_3642bbhk.jpg

屋根と屋根が、少し重なっている。

9年12月22日 (14)

京都の石清水八幡宮を模したと言われている。 こういうのは、全国に3つしかないそう。
八幡造りの社殿で、重要文化財。

9年12月22日 (15)

赤穂浪士の討ち入り後、10名を松山藩が預かった。 この地で切腹。
二人の墓がある。(毛髪が入っている)
※ 腹を切った後、介錯(首をはねる)する人が、毛髪をいただくことを頼んだそう。
  誰もが、心は、四十七士の味方だった。

9年12月22日 (16)

関家多喜次と言う人の算学が、復元されて奉納されていた。22枚。
図が単純だが、気になる問題があった。
こんなの。

IMG_3632asdf.jpg

真ん中の、赤の○の直径を出せと言う。
(√)を使って解けたんだが、すぐには分からなかった。  
※ これを考えたため、ブログが遅くなった。 解答は、23日のブログに。
  大きい円の直径を10㎝として、挑戦してみては。

こんな所が。 鮮やか。

IMG_3637dsae.jpg

五十一番札所、石手寺に向かった。

こんな井戸が。                 大きな空海の像が。 顔はインド、体は長安を向いている。

9年12月22日 (20)  9年12月22日 (21)   9年12月22日 (22)

プラタナス(鈴懸)の実。 初めて見る。  実は鈴のようだ。

9年12月22日 (23)

細いトンネルを通って、裏の方から行った。

9年12月22日 (24)  9年12月22日 (25)   9年12月22日 (26)

石出寺の三重塔。 重要文化財。  ※ 逆光で、塔が黒くなる。
色は着いてない。 ※ 色なしでは、羽黒山の五重の塔が綺麗。  朱い塔では、もちろん室生寺

IMG_3671kkou.jpg

この鐘は、テレビの除夜の鐘で、何度か登場したという。 私もならした。 ゴワ~~ンって鳴った。

9年12月22日 (28)

松山城は、江戸時代に入って建てた。 その前は、湯築城だった。 その跡地は、公園になっていた。
復元した家の中にに、こんな絵が。

木を縦に長く切るのは大変だから、割っていた。 何か所もキズを付けて。(初めて知った)
真ん中あたりで、二人が木槌をもってやっている。

9年12月22日 (29)

こんな感じ。 ここにカエルが飛び込んだら、どんな音がするのか。 松山だから決まってるか。

9年12月22日 (30)  9年12月22日 (31)

雰囲気がよかった。

9年12月22日 (32)

昔使っていた、湯釜があった。 ここから、各温泉に行くのか。

9年12月22日 (33)  9年12月22日 (35)

湯釜の上の方。 一遍が彫った字だと言う。

9年12月22日 (34)

アーケード街を通った。 フクロウが。    このように、道後温泉の本館は見えてくる。

9年12月22日 (36)   9年12月22日 (37)

カラクリ時計と足湯。

9年12月22日 (38)

道後温泉駅。 坊っちゃん列車が走っている。

9年12月22日 (40)

坊っちゃん列車。

9年12月22日 (39)

今日は、漱石や子規については、詳しく見ることはできませんでした。
次の機会かな。

道後温泉は、古い温泉と、巡礼のお寺と、漱石・子規によって、魅力が出来上がっていました。
一日歩いても、退屈しないだけ、たくさんの見所がありました。


今日は、冬至でした。 インスタントの汁粉に、カボチャを入れて食べました。
これで、風邪を引かない。 明日から、昼間が長くなっていく。

9年12月22日 (41)


【停泊場所】  昨晩に同じ。

【明日の予定】 見学が出来る窯元があるので、行ってみようかなと。 初めて。

【今日の歌】  太陽がいっぱい(YouTube)  新しい動画。 女性のマリー・ラフォレはデビュー作。

   nnmkラフォレ


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天守閣から、四方が見渡せました。
高さ132㍍の山の上にある、平山城と言われる城でした。
NHKドラマ、坂の上の雲は、松山を舞台に始まりました。

城の魅力は何でしょうね。
もし、天守閣がなかったら、魅力半減のような気がする。
天守閣から望む風景は、城の大きな魅力のようだ。

松山城は、天守閣からの見晴らしがいいと聞いたので、行ってみた。

ロープウェーに乗ろうとしたら、リフトに乗ってもいいという。
それで、これに乗った。

サンタさんがずっと乗ってた。

9年12月21日 (1)    9年12月21日 (2)

石垣を見ただけで、城の大きさを感じた。

9年12月21日 (3)

松山城は、建物と門が30以上あった。
その内、重要文化財になっている昔からの物が半分だ。 規模が大きい。

9年12月21日 (4)

9年12月21日 (5)   9年12月21日 (6)

昭和20年に空襲があったが、天守閣は焼けなかった。

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天守閣が、ぽつんとあるのではなく、他と繋がっていた。 小天守とかと。
連立式と言うそうだ。 姫路城とかも、そうなるのかな。

9年12月21日 (8)

松山平野に松山市がある。 平らな中に、勝山という小さな山がある。 その山に城がある。
この様な城を、平山城(ひらやまじろ)と言うそうだ。
だから、見晴らしがよくなるのか。

9年12月21日 (9)

こんなの見たことある。 彦根城で、ひこにゃんだ。 (右側)
これは、よしあきくん。 初代藩主が、加藤嘉明だったので。
ひこにゃんの方が、めんこいかな。

9年12月21日 (10)  bbhu11324b

城内は複雑に作られていた。 案内板がなかったら、迷う。

9年12月21日 (11)

防衛能力に優れた城だそう。

9年12月21日 (12)

天守閣の中には、古い資料や鎧などが展示されていた。

9年12月21日 (13)   9年12月21日 (14)

下は、藩札。

9年12月21日 (15)  9年12月21日 (16)

こんな絵が。 きれいなので撮った。 名前などは、メモしなかった。(メモ帳忘れた)

9年12月21日 (17)

木のつなぎ方。 複雑だ。

9年12月21日 (18)

小天守の窓から。

9年12月21日 (19)

小天守の中。                     天守閣の最上階に上る階段。     

9年12月21日 (20)   9年12月21日 (21)

ここが一番上。

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愛媛空港に、着陸する飛行機。

9年12月21日 (22)

瀬戸内海や山が見える。 山の名前は、分からない。

9年12月21日 (23)

見晴らしがいい。 四方が見渡せた。

9年12月21日 (24)

松山は、四国最大の都市で、人口約52万人。 

IMG_3546wwsr.jpg

このように、遠くの景色の手前に、城の建物が見える。

9年12月21日 (26)

城全体の写真は、左の向こうから撮った。

9年12月21日 (27)

東の方かな。

9年12月21日 (28)

9年12月21日 (29)   9年12月21日 (30)  9年12月21日 (31)

城についての知識が乏しいため、何気なく見ている感じがする。
特徴を調べてから行った方がいいかなと思った。

ロープウェーで戻った。 下の駅に、愛媛城の昔のしゃちほこがあった。

9年12月21日 (32)

こんなのも展示してあった。 今、こんな車のナンバーがあるようだ。
実際に走っている車では、見たことがない。

9年12月21日 (33)

どこに行っても、坂の上の雲のポスターがあった。

IMG_3576yygd.jpg

少し行って、左に曲がって、駐車場へ。

9年12月21日 (35)

城を見ているとき、ボランティアで案内をしている人に出会った。
道後温泉の見所について聞いた。
そんな話をしていたら、明日行くなら予約してあげるよと言ってくれた。
それで、明日9時、道後温泉の案内所に行くことにした。


【停泊場所】    昨晩と同じ。 この辺には、道の駅はない。

【明日の予定】  道後温泉

【今日の歌】    仰げば尊し(YouTube)   その季節ではないが、ギターです。 じょうず。

           スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(YouTube) 蛍の光の原曲です。意味は、遠い昔。 子供の声かな。 いいですよ。 3月31日に載せた曲。



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いつか 平和になり 剣の錆びる日がきたら
太鼓をうちならして 祝おう
いつか 平和になり、弓矢を折る日がきたら
鎧に白い花を 飾ろう


この歌は、舞台で何度も歌われ、この歌で、物語の最後は締めくくられた。
鶴姫伝説の主題、またテーマは、ここにあった。

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鶴姫伝説は、感動のミュージカルだった。

今朝は迷ったが、最後は列車でも行くと決めた。
高速が、50㌔規制だが通っていた。 11時に出発。
みぞれが降っていたが、大丈夫。(携帯で撮影)

DSC00857bbpk

昨日・今日と、南周りで200㌔以上走った。

1時頃、坊っちゃん劇場に着いた。    ※ 高速は風が強かったので、途中で下りた。

9年12月20日 (3)

9年12月20日 (4)

開園は、2時。 S席の一番後ろを予約してあった。
物語は、そこに住む人たちが昔を振り返り、瀬戸内の海を讃える所から始まった。

最初の関心は、物語の主題だった。 わらび座だから、おおよその見当はつく。(価値のあるものにするから)
平和か庶民の幸せか、その辺りだ。 それは、早い時間に前者だと見えてきた。(両方でもあるが)


鶴姫は、大山祇(ずみ)神社の大宮司の娘。     ※ 鶴姫、大山祇神社、歴史的史実については、このブログに
父親が亡くなった晩、鶴姫の前に龍神が現れ、こう言った。  ※ 龍神は大山祇神社の守護神。

おまえは、龍神の申し子だ。 特別な星のもとに生まれた。
海は、誰のものでもない。 いつか自分の使命を知る時がくる。 海の平和を守りぬけ。
そして、このことは、誰にも話すなと。

9年12月20日 (11)

9年12月20日 (17)

鶴姫は、幼馴染のカモメ(女)にだけは、話していた。

お姫様だから、大事に育てられた。
でも、自分は籠の鳥ではないと、自由に伸び伸びと生き、育った。 
美しさだけでなく、剣では男に負けない強さも、身に付けていた。
月日は経っていた。

鶴姫は、クロタカという武将に出会う。  ※ 歴史上は、越智安成。
お互い心が乱れた。 命をかけて好きになっていく。

9年12月20日 (9)

物語の間に、歌と踊りが随所に出てきた。
この話の脚本を書いた高橋知伽江と言う人は、この時代が、また、足利幕府が庶民にとってどうだったのかを、はっきりと語らせていた。

周防の大内義隆が攻めてきた。  ※周防は、今の山口県の瀬戸内側。

  物語の舞台となる、大山祇神社のある大三島は、芸予諸島にある。
  この辺りは、島がたくさんあるため、瀬戸内の交通の要衝となっていた。
  利権の争いで、戦が絶えなかった。

次兄の安房が三島水軍の陣代(統括者)として、他と連合して大内氏を迎撃した。
しかし、安房はその戦いで討死してしまった。

9年12月20日 (12)

後を継いだのが、17歳の鶴姫だった。
鶴姫には、鎧が用意されていた。 父の遺言で、上の兄が作った。
それは、下の鎧。
※ この鎧が、大山祇神社にある。

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鶴姫は、龍神から、瀬戸内の平和を守ることを託されていた。
兄は討死し、その憎しみは鶴姫にだってあった。

しかし、鶴姫は戦のもう一つの顔を知っていた。 こう言う。
みんな苦しむ。 海は、人より先にあった。
戦の勝ち負けより、もっと大事なものがあるはず、と。

また、沈む夕陽に流した涙をぬぐい、海に沈めて、花をさがしに行こう、と。
そして、最初の歌を歌った。

いつか 平和になり 剣の錆びる日がきたら
太鼓をうちならして 祝おう
いつか 平和になり、弓矢を折る日がきたら
鎧に白い花を 飾ろう


最後に、こう決意する。
憎しみの刃(やいば)に、憎しみの刃を振りかざしてはならぬ
他の手立てがあるはずだ、と。

これから頼りになるのはクロタカだ。
鶴姫は、そなたがいてくれて良かったと言う。
これを聞いて、クロタカの心の中のうず潮は、抑えることの出来ないものになっていった。

幼馴染のカモメが、急に遊郭に行くことになった。
父が戦で死んで、下の子の面倒を見なければならない。
カモメは鶴姫に言った。
心の蓋(ふた)を取りなされ。 別れは、いつ来るか分からないって。

9年12月20日 (7)

※ この場面は長く、突然遊郭の話だ。 何気なく、このような場面を作ることはない。
  三浦綾子の泥流地帯でも、同じ遊郭に行く話があった。
  話の最後で、物語の展開に大きな影響を与えた。
  また、これからの話の流れを予感させる、「しかけ」にも感じた。
  泥流地帯と、紋別の劇団海鳴りの芝居を思い出して見ていた。       ※ 海鳴りのはここに

鶴姫は、大内義隆と和睦を考えた。
憎しみの刃に、憎しみの刃を振りかざしてはならぬ、と。
和睦のための使いは、自分がすると、クロタカは言った。

また、クロタカは、こんなことを言ってしまった。
全てを敵にまわしても、そなたの味方をすると。

鶴姫も言った。 うまくいったら褒美をつかわすと。
それは、自分との祝言だった。 ついに言った。

そして、二人は、息が止まるように抱き合った。
これからの幸せを、見つめていた。

見ている方は、幸せになってもらいたいと思う。
でも、ダメなんだな。 この流れは。
※ 泥流地帯で、大正15年に十勝岳が爆発する前日、ある家庭の兄弟は楽しすぎた。 三浦綾子は、そう描いた。 
  あれと同じだと思った。    ※ もしよかったら、ここに

クロタカは、和睦の文を持って大内義隆の所へ行った。
でも、その場で切られてしまった。

9年12月20日 (8)

何も知らない鶴姫は、母親が自分の着たという打ちかけを、勧められて着た。
クロタカが心配で、喜ぶことはできなかった。
それでも、羽織った手を一度広げた。 
美しかった。 タンチョウが羽を広げた白さだった。 

9年12月20日 (18)

鶴姫は、クロタカが切られたことを聞いた。 息を引き取る前に、鶴姫の名前を呼んだことも。
憎しみの連鎖を断ち切るためにそうしたのに、なぜそれを奪うと、龍神に叫ぶ。
龍神は応えない。
そして、自分が殺したと思った。

鶴姫は、ついにを着た。

9年12月20日 (6)

大三島を、家族を、そして仲間を守るために戦うと言った。

私はここで、この先の展開が分からなかった。
後で、なるほどと思った。

遊郭に行ったカモメは、大内義隆の所に出入りしていた。
鶴姫にカモメからの密書が届いた。

大内軍は、みんな戦勝の祝いで酒を飲んでいるという。
だから、船は空っぽだと。

鶴姫は、その船を焼き払うことを考えた。 人は殺さないで。
海よ、力を授けたまえと歌った。

作戦は、成功した。
鶴姫は大三島を守った。

予定していた祝言の日が来た。 でも、一人ぼっちだ。

鶴姫は、大三島を守ったが、海の平和を取り戻せたとは思えなかった。
龍神は言った。
鶴姫は、高い山に登ろうとしている。
そこに行こうとした一歩は、決して無駄にはならない、と。

未来を信じ、けなげな愚かな人間を信じ、願いを明日につなごう。
平和の祈りは、永久に、と鶴姫は歌った。

その後の場面は、舞台に鶴姫の鎧がぽつんとあった。 鶴姫がどうなったかを暗示していた。
海から、鶴姫とクロタカが現れた。

二人で、一粒の種を育てようって歌った。

9年12月20日 (13)

最後の場面は、鶴姫の鎧に、白い花を飾った。
平和への一歩を鶴姫が築いたから。(なくなったからかな、とも)

いつか 平和になり 剣の錆びる日がきたら
太鼓をうちならして 祝おう
いつか 平和になり、弓矢を折る日がきたら
鎧に白い花を 飾ろう


最初の、この歌を歌って、鶴姫伝説は終わった。


いい舞台だった。 久しぶりの感動だった。
さすが、わらび座だと思った。 裏切られることがない。

※ 舞台の写真は撮影できないので、ホールにあった物を撮影。 (確認して)

舞台の後、出演者を撮影できた。 下に。 (全員ではないが)

鶴姫役の、碓井(うすい)涼子さん。
ヘイリーとは違う魅力の、天使の歌声でした。 演技のすべてで、輝いていましたよ。

9年12月20日 (29)

書いていただいた、サイン。  つるひめ 涼子 USUI と読めます。

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クロタカ役の、神敏将さん。これだけ二枚目で腕が立ったら、鶴姫は当然惚れる。ご活躍を。

9年12月20日 (35)

カモメ役の、小関梓紀さん。 鶴姫を助けてくれてありがとう。

9年12月20日 (30)

撮影させていただけた、みなさんです。 左上の大内義隆役の中山城治さんは、おどけ役がぴったり。よかった。

9年12月20日 (33)   9年12月20日 (32)

9年12月20日 (34)   9年12月20日 (31)

いい舞台を見ました。 もう一度見たいと思いました。
今、多くの場所で起きている戦いは、憎しみの連鎖によっても、終わらすことが出来ないでいる。
脚本を書いた高橋知伽江さんの、発想の原点は、そこにあるように感じました。
世界中が、等しく平和になることを願って。


※ 今日の記事は、暗闇でのメモと記憶を元に書きました。見ないで書いても読めるもんです。初めて。


【停泊場所】     坊っちゃん劇場のそば。  ここです

【明日の予定】    松山です。

【今日の歌】     鶴姫伝説(YouTube)

            砂の祈り(YouTube)  先日も載せました。 いつの日か、この世の全てが等しく平和であるように、って歌っている。

            アメイジング・グレイス(YouTube)  ヘイリー・ウェステンラです。 私はもう迷わないって、決意する。 


【ブログランキング】 国内旅行15位です。 十分すぎる順位です。

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西予市にある卯之町に来ました。 宇和島の少し北です。
ここは、宇和島藩唯一の宿場町でした。
古い街並みが残っていました。


須崎市を出て、1時間ほどしたら、雪が降ってきた。(11時7分)
路面は大丈夫。 国道56号線を、ずっと走る。

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30分ほどしたら、雪は消えた。 四万十市の手前と思う。(11時35分)

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下の写真は、宇和島の近く。 (14時20分)

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愛媛県に入ると、車のナンバーの愛媛は、こんな字だった。(普通の字のもある)

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宇和島の北に西予市がある。 そこの卯之町に古い街並みがあるので向かった。
海岸より、200㍍ほど高いために、街に入ったら、冬景色だった。

歩いてみた。    この辺りです
伝建地区に指定されている。  ※ 伝統的建造物群保存地区
楽しみは、他とどこが違うか。 新しい発見はあるか。

9年12月19日 (2)

降った雪は、残っている。

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江戸中期から、昭和初期にかけての建物が並んでいる。 300㍍の範囲で。

9年12月19日 (11)

地図。

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観光地っぽくない。 普通に、ここの人たちは生活している。

9年12月19日 (30)   9年12月19日 (12)  9年12月19日 (27)

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休憩所。 時間がなかったので入らなかった。 
ここの保存地区では、外からの人を温かく迎え入れる雰囲気を、様々な場所で感じた。 
お遍路さんへの接待に似ている。

9年12月19日 (19)

ここの地図と、4か所の見学場所の入場券は、民具館で購入した。 400円。
歩く道順や、夜の駐車場所も、丁寧に教えていただいた。

9年12月19日 (20)

高野長英は、幕府に追われた時、ここに一時身を潜めたとあった。

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この小さな建物に。

9年12月19日 (22)

この人が、高野長英。

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こんな鳥が。 色が鮮やか。

9年12月19日 (23)

ここは、開明学校。 現存する西日本最古の小学校という。
女性の方が、雪だるまを作っていた。 

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ちょうど完成した。 少し、ゴマ塩の雪だるま。 四国で見ることになるとは。
軍手の手と、バケツの帽子がいい。
寒がっている表情か。(自分と同じ気持ちでいるように、見えてきやすい)

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明治15年築。

9年12月19日 (8)

9年12月19日 (10)

司馬遼太郎は、街道を歩くとかを書いてるから、ここの歴史に関心があったのか。

9年12月19日 (9)

二宮桂作と言う人。 ジーボルトに学んだ。 この人がこの町にいたため、蘭学が盛んだった。

9年12月19日 (17)

シーボルトの娘。楠本イネ。 上の人がこの町にいたので、ここに来て学んだ。

9年12月19日 (5)

大村益次郎。 陸軍の創設者。 また、戊辰戦争を指揮している。

9年12月19日 (14)

三瀬周三。 文部省設置に関わる。 イネの娘高子と結婚。

9年12月19日 (15)

下のことで、おかあさんの言葉が、広がった。(それまでは、上層階級で)
それまでは、おっかさんとか。 初めて知った。

9年12月19日 (7)

9年12月19日 (6)

9年12月19日 (26)

昭和3年築の校舎。 今の校舎の前は、これ。 長い廊下。 109㍍。
ここの管理人も、雑巾がけをしたそうだ。

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9年12月19日 (24)

寒かったので、熱燗を飲みたくなった。 でも、最初はビール2杯。
まず、焼き鳥。 砂ズリは、砂肝。 セセリは、首の肉だった。  となりは、じゃこ天。 魚のすり身が入っている。 名前をよく見た。

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シカ肉とニンニク。 馬肉がなかったので、シカ肉に。 ○○たない。

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酒は、昨日学んだ通り、子守唄だった。 車に戻って、気持ちよく寝てしまった。
前の日、3時間ほどしか寝ていなかったので、ぐっすり。

坊っちゃん劇場に行けるかどうか検討する。(朝)
パラパラと、霰(あられ)が降っている。
無理はできない。


【停泊場所】    家並みの中にある駐車場。  ここです

【明日の予定】  ぼっちゃん劇場で、鶴姫伝説を見る予定。 



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akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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