見学できる窯があるので。 名前は、梅山窯。 ※ 会社名は、梅野精陶所。
砥部焼については、こう。(Wikipediaより)
① 後背の山地から良質の陶石が産出されていたことから、大洲藩の庇護のもと、発展を遂げた。
② やや厚手の白磁に、呉須と呼ばれる薄い藍色の手書きの図案が特徴。
③ 砥部焼の多くは手作り成形のため、全国的に見ても決して大産地や有名産地ではないが、独特の風合いが愛好家に 評価されている。
④ 近年ブームの讃岐うどんの器としても、砥部焼はよく用いられる。
梅山窯は、砥部に約90ある窯元の中で、一番大きく代表的な窯元と、多くが紹介している。 場所はこの辺り。
売店で、見学のお願いをした。 写真も大丈夫だった。


大きな建物の中で、作品は、製造過程を分担して行われていた。
ここでは、基本の形を作っていた。

繊細な仕事をしているため、話しかけれる雰囲気ではなかった。(話しかけないようにとの、表示もあった)
一つ一つこのように手作りなのが、ここの特徴のようだ。
何年修行したら、このように任せてもらえるのか。

この人は、皿を。

花器だろうか。 粘土の塊から作り上げていた。

普通はこのように見学は出来ない。 私のように、ネットに載せる者もいるし。
でも、ここの会社は自信があるから、可能にしてるんですね。
ここは、別の作業。

持つ所をくっつけていた。

付ける場所は、定規で測るわけではない。 このように、棒を1本置いた。

焼かれる前のもの。 乾燥させているのか。

施釉(せゆう)ってありますね。 釉薬(ゆうやく)つまり、うわぐすりを、ここでかける。
これをしないで焼いたら、素焼きですね。

こんな風に。 焼いたら透明になって、描いた絵が見える。

ここでは、作品の細かなチェックをしていました。 少し削ったり。

作業内容は分からないが、出来たものが見えますね。

ここは、型枠で作っている。 ろくろを使ったら、円くなる。(当たり前か)

機械での、大量生産ではない。

これは、難しそう。

焼く窯。

この台に並べて、窯に入る。

焼かれる前かな。

台が、この線路の上を通って、窯に入る。 ※ 左右に移動する。

作業所の中、いろいろ。




食器を積み重ねている。 完了したら、窯に。

焼き上がったのかな。(?)

別の部屋で、色を付けていた。 こっちは、入れない。 書き直しは、きっと出来ない。

同じ絵を描くための工夫は、分からない。 何かありますね。

この人も、同じ作業。

底を調べているようだ。

作品を展示しているところがあった。 梅山窯は、高温で焼く磁器が中心。
磁器は、絵に魅力を感じるでしょうか。 形はもちろんですが。 ※ 作品は、写真だけ。
古いものも、たくさんあった。





















登り釜を見ることができた。 昭和37か38年頃まで、これで焼いていたという。 今は時々。

中。

下の窯からは、ここから炎が来る。 天井。


入り口。


詳しいことは分かりませんでしたが、作る過程を見られたのが、大きいことでした。
今後は、陶器の話が出てきたら、今日見た場面を思い浮かべて、考えることが出来る。
買ったのは、下の二つ。 箸置はおまけ。
日本酒が美味しく飲めそう。 登り釜で焼いた皿。素朴で感じいい。 箸置。



道の駅に向かう途中。

明日、九州に渡ります。 今は、道の駅、伊方きらら館。 細い半島の中。
松山市とお別れした。
今日の梅山窯の雰囲気は、どこかに似ていた。 思い出せない。 人の雰囲気です。
津軽のランプの宿か。
※ このことについて少し。
職場の雰囲気は、次の3つで決まると思います。
① 社長の経営方針が、ここで働く人の心にどのように伝わっているか。
② 働く人の仕事に対する意識は、高いものになっているか。
③ ここの人たちの、人柄。(これが基本になるのかな)
とてもいいと、感じました。
大きな夢に向かって、今ここで勉強している人がいる。
そのことも、強く感じました。
今日買った器で、お酒を飲んだ。
美味しさが増して、少し飲み過ぎた。
それで、ここまで。(写真を載せたところまで)
明日は、早く起きる決意。
【道の駅】 上に書いた通り。 場所はここ。
【明日の予定】 午後、九州に渡ります。 どこかは、見られないと思う。
【今日の歌】 クリスマスの曲を一つ(YouTube)
【ランキング】 国内旅行10位です。

日本最古の名湯に入りました。
でも、私にとって、どうだったら名湯かがよく分からない。
その前に、2時間ほど、ボランティアの人に案内してもらいました。
五十一番札所、石手寺にも連れて行ってくれました。三重塔がありました。
道後温泉の魅力は、温泉だけでないことが分かりました。
観光案内所から、アーケード街を歩いて行くと、椿の湯や道後温泉本館に着く。
椿は、松山市の花。
ただ、サザンカは花弁が落ちるが、椿は花ごとポロっと落ちる。
それで、昔、武士は嫌ったそう。(首が落ちる感じなので)
道後温泉本館。 坊っちゃん湯とも呼ばれる。
浴室に、坊っちゃん泳ぐべからずの札が、下がっていた。
100年以上経っている建物。 湯気が出るのに、よくもっていると思う。
※ ここの温泉は、かけ湯だけで入ったらダメ。 体を洗ってから入ること、と標示があった。
これがいいんだが、このように書いてあるところは少ない。
左から見たら、こう。
後ろ。 昔、皇室はこっちから入った。 専用の門が。 使用したのは、昭和26年が最後だそう。
円満寺の、湯の大地蔵。 行基作と言われている。
宝厳寺。 ここで、一遍上人が生まれた。 1239年のこと。
石段の下は、このように坂。 ここは昔、遊郭街だった。
正岡子規の句碑があった。
そばに遊郭があったから、こんな句が。
本堂。
次に向かって歩いていたら、多羅葉という木が。 ハガキの木とも言われているそう。
葉っぱに字が書けた。(車のキーで) 時間が経ったら、黒くなってきた。 消えなかった。
こんな木が。 一つの木の葉っぱが、二種類あった。 若い葉に、分かれるのがあるそう。
伊佐爾波(いさにわ)神社。 赤穂浪士と関わりがあった。
屋根と屋根が、少し重なっている。
京都の石清水八幡宮を模したと言われている。 こういうのは、全国に3つしかないそう。
八幡造りの社殿で、重要文化財。
赤穂浪士の討ち入り後、10名を松山藩が預かった。 この地で切腹。
二人の墓がある。(毛髪が入っている)
※ 腹を切った後、介錯(首をはねる)する人が、毛髪をいただくことを頼んだそう。
誰もが、心は、四十七士の味方だった。
関家多喜次と言う人の算学が、復元されて奉納されていた。22枚。
図が単純だが、気になる問題があった。
こんなの。
真ん中の、赤の○の直径を出せと言う。
(√)を使って解けたんだが、すぐには分からなかった。
※ これを考えたため、ブログが遅くなった。 解答は、23日のブログに。
大きい円の直径を10㎝として、挑戦してみては。
こんな所が。 鮮やか。
五十一番札所、石手寺に向かった。
こんな井戸が。 大きな空海の像が。 顔はインド、体は長安を向いている。
プラタナス(鈴懸)の実。 初めて見る。 実は鈴のようだ。
細いトンネルを通って、裏の方から行った。
石出寺の三重塔。 重要文化財。 ※ 逆光で、塔が黒くなる。
色は着いてない。 ※ 色なしでは、羽黒山の五重の塔が綺麗。 朱い塔では、もちろん室生寺。
この鐘は、テレビの除夜の鐘で、何度か登場したという。 私もならした。 ゴワ~~ンって鳴った。
松山城は、江戸時代に入って建てた。 その前は、湯築城だった。 その跡地は、公園になっていた。
復元した家の中にに、こんな絵が。
木を縦に長く切るのは大変だから、割っていた。 何か所もキズを付けて。(初めて知った)
真ん中あたりで、二人が木槌をもってやっている。
こんな感じ。 ここにカエルが飛び込んだら、どんな音がするのか。 松山だから決まってるか。
雰囲気がよかった。
昔使っていた、湯釜があった。 ここから、各温泉に行くのか。
湯釜の上の方。 一遍が彫った字だと言う。
アーケード街を通った。 フクロウが。 このように、道後温泉の本館は見えてくる。
カラクリ時計と足湯。
道後温泉駅。 坊っちゃん列車が走っている。
坊っちゃん列車。
今日は、漱石や子規については、詳しく見ることはできませんでした。
次の機会かな。
道後温泉は、古い温泉と、巡礼のお寺と、漱石・子規によって、魅力が出来上がっていました。
一日歩いても、退屈しないだけ、たくさんの見所がありました。
今日は、冬至でした。 インスタントの汁粉に、カボチャを入れて食べました。
これで、風邪を引かない。 明日から、昼間が長くなっていく。
【停泊場所】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 見学が出来る窯元があるので、行ってみようかなと。 初めて。
【今日の歌】 太陽がいっぱい(YouTube) 新しい動画。 女性のマリー・ラフォレはデビュー作。
【ブログランキング】 国内旅行9位です。
天守閣から、四方が見渡せました。
高さ132㍍の山の上にある、平山城と言われる城でした。
NHKドラマ、坂の上の雲は、松山を舞台に始まりました。
城の魅力は何でしょうね。
もし、天守閣がなかったら、魅力半減のような気がする。
天守閣から望む風景は、城の大きな魅力のようだ。
松山城は、天守閣からの見晴らしがいいと聞いたので、行ってみた。
ロープウェーに乗ろうとしたら、リフトに乗ってもいいという。
それで、これに乗った。
サンタさんがずっと乗ってた。
石垣を見ただけで、城の大きさを感じた。
松山城は、建物と門が30以上あった。
その内、重要文化財になっている昔からの物が半分だ。 規模が大きい。
昭和20年に空襲があったが、天守閣は焼けなかった。
天守閣が、ぽつんとあるのではなく、他と繋がっていた。 小天守とかと。
連立式と言うそうだ。 姫路城とかも、そうなるのかな。
松山平野に松山市がある。 平らな中に、勝山という小さな山がある。 その山に城がある。
この様な城を、平山城(ひらやまじろ)と言うそうだ。
だから、見晴らしがよくなるのか。
こんなの見たことある。 彦根城で、ひこにゃんだ。 (右側)
これは、よしあきくん。 初代藩主が、加藤嘉明だったので。
ひこにゃんの方が、めんこいかな。
城内は複雑に作られていた。 案内板がなかったら、迷う。
防衛能力に優れた城だそう。
天守閣の中には、古い資料や鎧などが展示されていた。
下は、藩札。
こんな絵が。 きれいなので撮った。 名前などは、メモしなかった。(メモ帳忘れた)
木のつなぎ方。 複雑だ。
小天守の窓から。
小天守の中。 天守閣の最上階に上る階段。
ここが一番上。
愛媛空港に、着陸する飛行機。
瀬戸内海や山が見える。 山の名前は、分からない。
見晴らしがいい。 四方が見渡せた。
松山は、四国最大の都市で、人口約52万人。
このように、遠くの景色の手前に、城の建物が見える。
城全体の写真は、左の向こうから撮った。
東の方かな。
城についての知識が乏しいため、何気なく見ている感じがする。
特徴を調べてから行った方がいいかなと思った。
ロープウェーで戻った。 下の駅に、愛媛城の昔のしゃちほこがあった。
こんなのも展示してあった。 今、こんな車のナンバーがあるようだ。
実際に走っている車では、見たことがない。
どこに行っても、坂の上の雲のポスターがあった。
少し行って、左に曲がって、駐車場へ。
城を見ているとき、ボランティアで案内をしている人に出会った。
道後温泉の見所について聞いた。
そんな話をしていたら、明日行くなら予約してあげるよと言ってくれた。
それで、明日9時、道後温泉の案内所に行くことにした。
【停泊場所】 昨晩と同じ。 この辺には、道の駅はない。
【明日の予定】 道後温泉
【今日の歌】 仰げば尊し(YouTube) その季節ではないが、ギターです。 じょうず。
スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」(YouTube) 蛍の光の原曲です。意味は、遠い昔。 子供の声かな。 いいですよ。 3月31日に載せた曲。
【ブログランキング】 現在、国内旅行11位です。
いつか 平和になり 剣の錆びる日がきたら
太鼓をうちならして 祝おう
いつか 平和になり、弓矢を折る日がきたら
鎧に白い花を 飾ろう
この歌は、舞台で何度も歌われ、この歌で、物語の最後は締めくくられた。
鶴姫伝説の主題、またテーマは、ここにあった。
鶴姫伝説は、感動のミュージカルだった。
今朝は迷ったが、最後は列車でも行くと決めた。
高速が、50㌔規制だが通っていた。 11時に出発。
みぞれが降っていたが、大丈夫。(携帯で撮影)
昨日・今日と、南周りで200㌔以上走った。
1時頃、坊っちゃん劇場に着いた。 ※ 高速は風が強かったので、途中で下りた。
開園は、2時。 S席の一番後ろを予約してあった。
物語は、そこに住む人たちが昔を振り返り、瀬戸内の海を讃える所から始まった。
最初の関心は、物語の主題だった。 わらび座だから、おおよその見当はつく。(価値のあるものにするから)
平和か庶民の幸せか、その辺りだ。 それは、早い時間に前者だと見えてきた。(両方でもあるが)
鶴姫は、大山祇(ずみ)神社の大宮司の娘。 ※ 鶴姫、大山祇神社、歴史的史実については、このブログに。
父親が亡くなった晩、鶴姫の前に龍神が現れ、こう言った。 ※ 龍神は大山祇神社の守護神。
おまえは、龍神の申し子だ。 特別な星のもとに生まれた。
海は、誰のものでもない。 いつか自分の使命を知る時がくる。 海の平和を守りぬけ。
そして、このことは、誰にも話すなと。
鶴姫は、幼馴染のカモメ(女)にだけは、話していた。
お姫様だから、大事に育てられた。
でも、自分は籠の鳥ではないと、自由に伸び伸びと生き、育った。
美しさだけでなく、剣では男に負けない強さも、身に付けていた。
月日は経っていた。
鶴姫は、クロタカという武将に出会う。 ※ 歴史上は、越智安成。
お互い心が乱れた。 命をかけて好きになっていく。
物語の間に、歌と踊りが随所に出てきた。
この話の脚本を書いた高橋知伽江と言う人は、この時代が、また、足利幕府が庶民にとってどうだったのかを、はっきりと語らせていた。
周防の大内義隆が攻めてきた。 ※周防は、今の山口県の瀬戸内側。
物語の舞台となる、大山祇神社のある大三島は、芸予諸島にある。
この辺りは、島がたくさんあるため、瀬戸内の交通の要衝となっていた。
利権の争いで、戦が絶えなかった。
次兄の安房が三島水軍の陣代(統括者)として、他と連合して大内氏を迎撃した。
しかし、安房はその戦いで討死してしまった。
後を継いだのが、17歳の鶴姫だった。
鶴姫には、鎧が用意されていた。 父の遺言で、上の兄が作った。
それは、下の鎧。
※ この鎧が、大山祇神社にある。
鶴姫は、龍神から、瀬戸内の平和を守ることを託されていた。
兄は討死し、その憎しみは鶴姫にだってあった。
しかし、鶴姫は戦のもう一つの顔を知っていた。 こう言う。
みんな苦しむ。 海は、人より先にあった。
戦の勝ち負けより、もっと大事なものがあるはず、と。
また、沈む夕陽に流した涙をぬぐい、海に沈めて、花をさがしに行こう、と。
そして、最初の歌を歌った。
いつか 平和になり 剣の錆びる日がきたら
太鼓をうちならして 祝おう
いつか 平和になり、弓矢を折る日がきたら
鎧に白い花を 飾ろう
最後に、こう決意する。
憎しみの刃(やいば)に、憎しみの刃を振りかざしてはならぬ。
他の手立てがあるはずだ、と。
これから頼りになるのはクロタカだ。
鶴姫は、そなたがいてくれて良かったと言う。
これを聞いて、クロタカの心の中のうず潮は、抑えることの出来ないものになっていった。
幼馴染のカモメが、急に遊郭に行くことになった。
父が戦で死んで、下の子の面倒を見なければならない。
カモメは鶴姫に言った。
心の蓋(ふた)を取りなされ。 別れは、いつ来るか分からないって。
※ この場面は長く、突然遊郭の話だ。 何気なく、このような場面を作ることはない。
三浦綾子の泥流地帯でも、同じ遊郭に行く話があった。
話の最後で、物語の展開に大きな影響を与えた。
また、これからの話の流れを予感させる、「しかけ」にも感じた。
泥流地帯と、紋別の劇団海鳴りの芝居を思い出して見ていた。 ※ 海鳴りのはここに。
鶴姫は、大内義隆と和睦を考えた。
憎しみの刃に、憎しみの刃を振りかざしてはならぬ、と。
和睦のための使いは、自分がすると、クロタカは言った。
また、クロタカは、こんなことを言ってしまった。
全てを敵にまわしても、そなたの味方をすると。
鶴姫も言った。 うまくいったら褒美をつかわすと。
それは、自分との祝言だった。 ついに言った。
そして、二人は、息が止まるように抱き合った。
これからの幸せを、見つめていた。
見ている方は、幸せになってもらいたいと思う。
でも、ダメなんだな。 この流れは。
※ 泥流地帯で、大正15年に十勝岳が爆発する前日、ある家庭の兄弟は楽しすぎた。 三浦綾子は、そう描いた。
あれと同じだと思った。 ※ もしよかったら、ここに。
クロタカは、和睦の文を持って大内義隆の所へ行った。
でも、その場で切られてしまった。
何も知らない鶴姫は、母親が自分の着たという打ちかけを、勧められて着た。
クロタカが心配で、喜ぶことはできなかった。
それでも、羽織った手を一度広げた。
美しかった。 タンチョウが羽を広げた白さだった。
鶴姫は、クロタカが切られたことを聞いた。 息を引き取る前に、鶴姫の名前を呼んだことも。
憎しみの連鎖を断ち切るためにそうしたのに、なぜそれを奪うと、龍神に叫ぶ。
龍神は応えない。
そして、自分が殺したと思った。
鶴姫は、ついに鎧を着た。
大三島を、家族を、そして仲間を守るために戦うと言った。
私はここで、この先の展開が分からなかった。
後で、なるほどと思った。
遊郭に行ったカモメは、大内義隆の所に出入りしていた。
鶴姫にカモメからの密書が届いた。
大内軍は、みんな戦勝の祝いで酒を飲んでいるという。
だから、船は空っぽだと。
鶴姫は、その船を焼き払うことを考えた。 人は殺さないで。
海よ、力を授けたまえと歌った。
作戦は、成功した。
鶴姫は大三島を守った。
予定していた祝言の日が来た。 でも、一人ぼっちだ。
鶴姫は、大三島を守ったが、海の平和を取り戻せたとは思えなかった。
龍神は言った。
鶴姫は、高い山に登ろうとしている。
そこに行こうとした一歩は、決して無駄にはならない、と。
未来を信じ、けなげな愚かな人間を信じ、願いを明日につなごう。
平和の祈りは、永久に、と鶴姫は歌った。
その後の場面は、舞台に鶴姫の鎧がぽつんとあった。 鶴姫がどうなったかを暗示していた。
海から、鶴姫とクロタカが現れた。
二人で、一粒の種を育てようって歌った。
最後の場面は、鶴姫の鎧に、白い花を飾った。
平和への一歩を鶴姫が築いたから。(なくなったからかな、とも)
いつか 平和になり 剣の錆びる日がきたら
太鼓をうちならして 祝おう
いつか 平和になり、弓矢を折る日がきたら
鎧に白い花を 飾ろう
最初の、この歌を歌って、鶴姫伝説は終わった。
いい舞台だった。 久しぶりの感動だった。
さすが、わらび座だと思った。 裏切られることがない。
※ 舞台の写真は撮影できないので、ホールにあった物を撮影。 (確認して)
舞台の後、出演者を撮影できた。 下に。 (全員ではないが)
鶴姫役の、碓井(うすい)涼子さん。
ヘイリーとは違う魅力の、天使の歌声でした。 演技のすべてで、輝いていましたよ。
書いていただいた、サイン。 つるひめ 涼子 USUI と読めます。
クロタカ役の、神敏将さん。これだけ二枚目で腕が立ったら、鶴姫は当然惚れる。ご活躍を。
カモメ役の、小関梓紀さん。 鶴姫を助けてくれてありがとう。
撮影させていただけた、みなさんです。 左上の大内義隆役の中山城治さんは、おどけ役がぴったり。よかった。
いい舞台を見ました。 もう一度見たいと思いました。
今、多くの場所で起きている戦いは、憎しみの連鎖によっても、終わらすことが出来ないでいる。
脚本を書いた高橋知伽江さんの、発想の原点は、そこにあるように感じました。
世界中が、等しく平和になることを願って。
※ 今日の記事は、暗闇でのメモと記憶を元に書きました。見ないで書いても読めるもんです。初めて。
【停泊場所】 坊っちゃん劇場のそば。 ここです。
【明日の予定】 松山です。
【今日の歌】 鶴姫伝説(YouTube)
砂の祈り(YouTube) 先日も載せました。 いつの日か、この世の全てが等しく平和であるように、って歌っている。
アメイジング・グレイス(YouTube) ヘイリー・ウェステンラです。 私はもう迷わないって、決意する。
【ブログランキング】 国内旅行15位です。 十分すぎる順位です。
西予市にある卯之町に来ました。 宇和島の少し北です。
ここは、宇和島藩唯一の宿場町でした。
古い街並みが残っていました。
須崎市を出て、1時間ほどしたら、雪が降ってきた。(11時7分)
路面は大丈夫。 国道56号線を、ずっと走る。
30分ほどしたら、雪は消えた。 四万十市の手前と思う。(11時35分)
下の写真は、宇和島の近く。 (14時20分)
愛媛県に入ると、車のナンバーの愛媛は、こんな字だった。(普通の字のもある)
宇和島の北に西予市がある。 そこの卯之町に古い街並みがあるので向かった。
海岸より、200㍍ほど高いために、街に入ったら、冬景色だった。
歩いてみた。 この辺りです。
伝建地区に指定されている。 ※ 伝統的建造物群保存地区
楽しみは、他とどこが違うか。 新しい発見はあるか。
降った雪は、残っている。
江戸中期から、昭和初期にかけての建物が並んでいる。 300㍍の範囲で。
地図。
観光地っぽくない。 普通に、ここの人たちは生活している。
休憩所。 時間がなかったので入らなかった。
ここの保存地区では、外からの人を温かく迎え入れる雰囲気を、様々な場所で感じた。
お遍路さんへの接待に似ている。
ここの地図と、4か所の見学場所の入場券は、民具館で購入した。 400円。
歩く道順や、夜の駐車場所も、丁寧に教えていただいた。
高野長英は、幕府に追われた時、ここに一時身を潜めたとあった。
この小さな建物に。
この人が、高野長英。
こんな鳥が。 色が鮮やか。
ここは、開明学校。 現存する西日本最古の小学校という。
女性の方が、雪だるまを作っていた。
ちょうど完成した。 少し、ゴマ塩の雪だるま。 四国で見ることになるとは。
軍手の手と、バケツの帽子がいい。
寒がっている表情か。(自分と同じ気持ちでいるように、見えてきやすい)
明治15年築。
司馬遼太郎は、街道を歩くとかを書いてるから、ここの歴史に関心があったのか。
二宮桂作と言う人。 ジーボルトに学んだ。 この人がこの町にいたため、蘭学が盛んだった。
シーボルトの娘。楠本イネ。 上の人がこの町にいたので、ここに来て学んだ。
大村益次郎。 陸軍の創設者。 また、戊辰戦争を指揮している。
三瀬周三。 文部省設置に関わる。 イネの娘高子と結婚。
下のことで、おかあさんの言葉が、広がった。(それまでは、上層階級で)
それまでは、おっかさんとか。 初めて知った。
昭和3年築の校舎。 今の校舎の前は、これ。 長い廊下。 109㍍。
ここの管理人も、雑巾がけをしたそうだ。
寒かったので、熱燗を飲みたくなった。 でも、最初はビール2杯。
まず、焼き鳥。 砂ズリは、砂肝。 セセリは、首の肉だった。 となりは、じゃこ天。 魚のすり身が入っている。 名前をよく見た。
シカ肉とニンニク。 馬肉がなかったので、シカ肉に。 ○○たない。
酒は、昨日学んだ通り、子守唄だった。 車に戻って、気持ちよく寝てしまった。
前の日、3時間ほどしか寝ていなかったので、ぐっすり。
坊っちゃん劇場に行けるかどうか検討する。(朝)
パラパラと、霰(あられ)が降っている。
無理はできない。
【停泊場所】 家並みの中にある駐車場。 ここです。
【明日の予定】 ぼっちゃん劇場で、鶴姫伝説を見る予定。