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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

佐原に、新しい道の駅が出来ていた。
再び、千葉に戻ってきた。
佐原には、関東地区には珍しい、伝建地区があった。    ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
また、この町は、大人形山車が競演する、佐原の大祭で知られた町だった。

街の中のどこに駐車場があるかは、道の駅で教えてもらっていた。
山車会館があったので、見ることに。

八坂神社の境内にあった。
大人形山車のお祭りは、祇園祭と呼んでいる。 京都と一緒だ。
※ 京都の祇園祭は、八坂神社のお祭り。 八坂神社の下に、祇園がある

10年7月9日 (18)

今年のお祭りは、1週間後。 見てみたいが・・。

10年7月9日 (19)

どこの山車会館も、面白い。  たいてい撮影もできる。  資料館は、面白い所は少ない。
                                 ※ 関連ブログ  弘前ねぷたの館   山鹿灯籠民芸館

10年7月9日 (1)


こんな祭り。 切り絵だろうか。 いいですね。 祭りの感じが良く分かる。 この雰囲気は、写真では無理。

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山車会館の中。

10年7月9日 (3)

山車人形の上半身。 これは、楠木正成ですね。 人形の身の丈は、4~5㍍。

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人形は、神話や歴史上の人物。

10年7月9日 (5)  10年7月9日 (6)  10年7月9日 (7)

その場で、山車を回している。 棒を持ってる人がいる。 高い技術が必要なそうだ。

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山車展示室。  人形を除いた高さは、4㍍。 見上げる高さ。

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10年7月9日 (9)

人形の表情。 大楠公の方が、表情はいいなか。

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山車のこだわりの一つに、彫刻がある。

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お話しの世界の、一場面でしょうね。

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関東彫りと呼ばれ、専門の人が彫るそうだ。 迫力がありますよ。

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木で丈夫な車輪は、どうやって作るのか。 不思議だ。      江戸中期の神輿。 この町で、一番古いそう。

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夏祭りは、山車は10台。 小野川の東側。
秋祭りもあって、山車は15台。 秋祭りは、小野川の西のお祭り。 神社は、諏訪神社。
※ 下の写真には、山車が25台くらい見える。 全部集まることはあるのだろうか。

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見終わって、車は、ここの駐車場に。 
   ※ 受付の方が、置かせてくれた。 町並みについても、見所など説明していただいた。

右の方に、八坂神社が。 古い町並みは、ピンクのところ。

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字が読めます。

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歩いていたら、傘を売ってる店が。
子どもの頃から、傘をさして歩くのは好きだった。 傘の下は、自分だけの世界に感じた。

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地図の、下の方の右の町並みを歩いている。 この町は、伊能忠敬の出身地。
写真の左に、旧宅。

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樋橋(とよはし)。   ※ 樋は「とい」と読み、水を流すもの。 「とい」が「とよ」に変化した。
この橋は、町並みの中で、大きな存在感を示していた。 大事な橋。

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見える橋は、樋橋。   小野川は、ゆるく曲がっている。

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樋橋は、さっきまで、このように水が流れていた。 向こうから撮影。  この橋は、水を通す橋。
               ※ ゴミを流すために、こうしたのかな。 ?。  熊本の通潤橋も、こうしている。

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川と木と家並み。 いい。 木は、この風景に似合うように、伸びてきたら、剪定(せんてい)が必要ですね。

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常夜灯でしょうか。 それと階段。 そして橋。 いいですね。  

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下はお店ですが、昔は蔵だったのかな。

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食器を売ってるお店。 明治15年から、ここで店をやってるとあった。

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町並みでない、中通りを歩いた。 だんごやさんがあった。 
串だんごとどら焼きを、1つずつ買った。 その後、食べながら・・・。

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地図の上の方に来た。

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古い旅館。 2階の窓から、川と町並みを眺めたら、どんな気分だろう。 
一句浮かぶかな。 「小野川の 川面に映る 柳が揺れた」とか。 何かが足りないか。

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交通量が少し多いですね。 
子どもたちも安心して歩ける道がいい。 下校時は、あっちでおしゃべり、こっちで一休みして帰る。

この風景も、何とも言えない。 撮影ポイントはすぐに見つかる。

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再度舗装する時は、茶っぽい色にするのかな。 

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こう見ると、曲線はいい。 

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町並みに、今の時代のアイディアをプラスするんですね。 その時、古いだけの魅力を越えたものになる。
  ※ 高いレベルにあるので、参考になる伝建地区はそうないが、大内宿黒川温泉からは学べますね。

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どこの建物も、格子がきれいです。

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町並みの真ん中にある、忠敬橋に戻ってきた。

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佐原は、都心に近いから、環境面で恵まれている。
お祭りもあり、道の駅も出来、ここを訪れる人は増えるように思います。
    ※ 今後の発展のためには、「知恵」を大事にしたらいいですね。 プロジェクトXのように。

雨の中の見学でしたが、良かったです。
出会った子どもたちや、土地の人の雰囲気が、やわらかい。 そんな印象を持ちました。


【道の駅】    水の郷 さわら

【明日の予定】  決まっていない。

【今日の歌】   佐原の大祭の紹介(YouTube)


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犬吠埼。 これほど、凄みのある岬の名前は、他にあるだろうか。
また、犬が吠えたという。
誰に吠えたのか。 これには、伝説があった。
伝説と聞いたら、誰かは決まってしまう。

昨日からお世話になってる、Kさんが、東金の町を案内してくれた。
東金ダム。
 ※ カメラのカードを忘れた。(久しぶり)
   同じ場所から撮影した写真を、ネットで探した。 あった。  お借りした。

低い山しかないのに、よく水を貯めたねと、Kさんと話した。

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海の近くの料理店で、「イワシづくし」をごちそうになった。 

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生のイワシを、漬けた物もあった。 
私は、青魚が好き。(寿司なら、秋刀魚・アジ・イワシ・サバがあれば、他はなくてもいい。 みんな安い)

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塩焼のはらわたは美味しい。  ※ 秋刀魚のはらわたも、苦くて美味しい。

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昨日の場所より、少し北。 砂浜がきれい。 泳いでいる人がいた。

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Kさんと別れて、犬吠埼に向かった。   ※ 犬吠埼~いぬぼうさき
あと少しの所で、こんな電車に出会った。

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犬吠埼。 ここから、景色を眺める。                ここです
どこの岬もそうだが、観光地として発展するのは難しい。 閉めたお店が目立つ。

10年7月8日 (2)

犬吠埼は、いぬぼうさき、と読むが、迫力満点。 知られた岬の中では、一番でないだろうか。
また、「さき」は「埼」と書く。 これも珍しい。
※ 「さき」には、色んなのがある。
     宗谷岬(そうやみさき)  石廊崎(いろうざき)  日御碕(ひのみさき) 

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遊歩道があった。 波で壊れてる部分もあった。

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このように、ホテルも。 遊歩道まで、波は来た。

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硬い所と、軟い所があるので、デコボコに。

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穴の中に砂がある。 海水が入ったら、砂が岩を削る。

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こんな花。

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スカシユリ。 短い茎で、へばりつくように咲いていた。 ※ エゾスカシユリに似ている。

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茎が見えない。

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犬吠埼で、犬は誰に吠えたかだが、「義経」だった。
義経がここを通って、犬を置いて行った。 犬は何日も吠えた。(鳴いた) そして、石になった。
また、下の場所に矢を立てたら、水が出てきた。

こんな伝説が残っていた。
調べてみたが、この伝説には、無理があると指摘されていた。  私もそう思う。
義経は、頼朝がいる鎌倉に、近づくはずがない。 平泉には、北陸を通って行った。

※ 地名の研究者がいて、こんな説明があった。(長い)

犬吠埼湧水と呼ばれる。  水を飲んでみた。
この水は、灯台守の人達にも、重宝された。

※ 余談  「喜びも悲しみも幾年月」の原作者は、田中きよ子。 
       この人は灯台守の妻。 犬吠埼灯台にも来ていると、説明にあった。

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高浜虚子の句碑があった。  「犬吠の 今宵の朧 待つとせん」
※ この月は、「月の沙漠」の月ですね。

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佐藤春夫の詩碑。

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難しいですよ。 何となくしか、分からない。  「をみな」は、女郎花(おみなえし)のことかな。

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灯台の裏の道を歩いた。 そこからの海。 
犬が石になったという石を探した。 どこにあるかが、説明にない。

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これが犬に見えたが、どっちかと言うと、トドかな。

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いい花。 名前は?

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銚子電鉄に乗る。 全長6.4㌔のローカル線。 駅が、10個もある。

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犬吠駅。

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電車が来た。 2両が走っていて、こっちには、車両に絵がない。

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電車のガラスが汚れてるので、写真がかすむ。

出発したら、次の駅がすぐに来る。
「次の駅は~~です」のボタンを、運転手は押し忘れた。 駅に着いてから、流れた。

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途中の駅で、この電車とすれ違った。

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線路が真っ直ぐでない。 だから、揺れる。 それがいい。

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銚子駅。 JRの銚子駅構内にある。

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銚子駅。

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銚子駅前。 次の発車まで、10分間。

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電車は、昭和25年のものだった。 私と同じ。

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ヤマサ醤油の工場が見えた。

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ヒゲタ醤油も、銚子にある。 初代の社長は、ヤマサ醤油の初代の兄だそう。 同族。
銚子は、近くで大豆が獲れ、利根川の水運が使えたので、栄えた。

「稲村の火」の話は、ヤマサ醤油の7代目の話。  ※ 関連ブログ 稲村の火

※ 昆布つゆのCM(YouTube)  面白いですよ。

いい雰囲気。

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木のトンネル。 

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車輪止め、かな。

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終点、外川駅。

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レトロな感じ。 ほんとうを言えば、ただ古いだけ。 

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こんな撮影があった。

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駅舎。 
外川の街は、坂道で知られているようだが、写真に撮れる所はなかった。
坂道は舗装で、家は新しかった。 昔とは違うって、土地の人が言った。

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駅から見た、線路の風景。 のんびりしている。

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出発したら、犬がいた。 スピードを落とした。 プーって鳴らしたら、犬はどけてくれた。

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犬吠の駅に着いた。  620円の、1日乗車券を買っていた。

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遅くなったが、道の駅いたこ に向かった。  利根川を渡る。 渡ったら茨城県。 この時6時42分。 

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後で知ったが、竹久夢二もここに来ていた。 犬吠埼のちょっと北にある、あしか(海鹿)島に。
明治43年、27歳と時だった。 別れた元の妻と子供と一緒に。 ここに来て、別の人に出会う。
その時作った歌が、あの有名な歌だった。

   「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」

   宵街草(YouTube)  高峰三枝子です。     ※ 宵街草(Wikipedia)

知らない町には、いろんな話がある。 そう思った。


【道の駅】    いたこ  茨城県です。   ここです

【明日の予定】  この近くかな。


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九十九里浜は、どこまでも砂浜だった。
それも、港がなく、家並みは海から離れていた。
天気が悪かったので、想い出の九十九里浜の感じでは、なかったけど。

来年の大河ドラマに、森3兄弟が登場します。
2番目は、森坊丸。 すこし、面白い話しがある。 


九十九里浜に何があるわけではないが、見ることに。

途中「やすらぎの森」という施設に寄ったが、閉園中だった。 その向かいにあった、レンコン畑。 山は低くなった。

10年7月7日 (1)

花が少しだけ。

10年7月7日 (2)

海まで数㌔。 小さな山もなくなった。  道は広い。

10年7月7日 (3)

海岸沿いに有料道路があるので、走ってみた。

10年7月7日 (4)

九十九里浜は、ここの数㌔右から始まっている。 全長66㎞。

10年7月7日 (5)

※ 源頼朝の命で6町を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるそう。 
  昔の1町は、109㍍。 1里は、654㍍。 99里だと、64.7㎞になる。 66㎞に近い。

どこまで行っても、この風景。

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海は見えるが、海に行く道がない。 有料道路から出た。

10年7月7日 (7)

白子海岸。 南白亀川の河口。  投網をしている人がいる。   ここです

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こんな感じで獲れる。

10年7月7日 (9)

投網は難しいのか、ほとんど獲れない人もいる。 この人は、いっぱい。
小さいのは、せいご。 大きいのは、ふっこ。 どっちも、スズキの小さい時の名前だと教えてくれた。

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これは、シタビラメって言ってた。 教えてくれた人が、舌を指差したので、漢字では舌平目かな。

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北方面。 日本で最初に地曳網が行われたのは、こことあった。 イワシを獲った。

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南はこう。 広い砂浜。 海水浴はこれからなのか、お店などの準備をしていた。

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夏に、多くの若者がこの浜で楽しむ。 「想い出の九十九里浜」の歌の雰囲気になるのか。

※ クリックしたら流れます。

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この歌の作詞は、長門大幸。 音楽プロデューサーの仕事もしている。
坂井泉水をZARDとしてデビューさせたのは、この人。 大黒摩季や倉木麻衣も。 

作曲は、織田哲郎。 
坂井泉水の、「眠れない夜を抱いて」「負けないで」「揺れる想い」は、この人の作曲。

たくさんの人で賑わっている風景を想像して、しばらく、遠く続く砂浜を見ていた。

投網を撮影させてもらった。 

10年7月7日 (14)  10年7月7日 (15)  10年7月7日 (16)

10年7月7日 (17)  10年7月7日 (18)

上手な人は、このように、大きな円が出来る。

10年7月7日 (19)

引っ張り上げたら、魚が逃げられない仕組みになっている。 理解するのがむずかしい。


この後、東金市に向かった。   ※ 東金~とうがね
「北の岬」にコメントをくれた、Kさんの家に。

Kさんは、秋田県庁を退職されて、この町に一人で住んでいた。
大学に入る前、雄武町で少し働いたことがあった。  興浜南線を作る仕事。 測量。
  ※ 雄武町・・・私もいたことがあった。 「北の岬」の舞台の日ノ出岬がある。  ここです

夜、外で食事をごちそうになり、秋田、歌、雄武のことなどを話した。
森坊丸についても、聞いた。

Kさんは、森坊丸の子孫だという。
家系図が、直系の方の家にあるそう。 ※ 直系の方は、信州大医学部に。 19代目。

森坊丸は、森蘭丸の弟で、本能寺の変で討ち死にしたと言われている。
どうして子孫がいるかだが、当時は、若くして結婚することもあった。
また、森坊丸には、生存説がある。   森坊丸(Wikipedia)

歌手の小柳ルミ子も、子孫。 15代目で、別れている。 直系と同じ苗字。
Kさんは秋田にいたが、ルミ子の両親も秋田にいた。(県の北部)
父親がいなくなった。 母親は、父親を探して福岡に行った。 ルミ子は、そこで生まれた。

下の絵は、兄の森蘭丸のもの。 坊丸のが見つからない。 

10年7月7日 (21)

来年の大河ドラマは、江〜姫たちの戦国〜。
その中で、森三兄弟が登場する。 後一人は、弟の力丸。

坊丸を演じるのは、染谷将太(そめたにしょうた)。 

10年7月7日 (20)

来年の大河物語は楽しみ。 きっと見るでしょうね。
 
※ 森一族は、初め、美濃の斉藤道三に仕えていた。 その後信長に。
  もし、詳しく知りたい方は、ここに載っています。


遅くまで楽しく話した。
いつかKさんと、オホーツクを、車で走りたいと思った。

九十九里浜は、長く、広い砂浜だった。
月の沙漠には、ならないが。


【停泊場所】   Kさんの敷地内に。 電気を借りている。 東金市。

【明日の予定】  東金市の見晴らしのいい所に。 Kさんが案内してくれる。
         その後、銚子の方に。


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月の沙漠の作詞者は、加藤まさを。
詩は、御宿の砂浜の風景から発想して、書いた。

ただ、正確には、発想の中心が、御宿の砂浜という感じ。
※ 生まれ故郷の藤枝市にも、砂浜はある。

御宿町が、月の沙漠記念館を作ってくれたので、歌の舞台はここでいいでしょう、となった。
まとめると、そういうところ。    ※ 御宿町~おんじゅくまち


御宿町の海岸は、広い砂浜だった。 海までが遠く感じた。
少し高くした所に、旅のラクダの像があった。               場所はここ

10年7月6日 (1)

綺麗な砂浜だ。  月の沙漠なので、月のモニュメントも。 

10年7月6日 (2)  10年7月6日 (3)

鞍(くら)は金と銀。 ※ 男が金の鞍。
金の鞍には、金の甕(かめ)が、紐で結んである。

いい像だなって感じた。 何がいいのか。 

10年7月6日 (4)

   1 月の沙漠をはるばると
     旅の駱駝(らくだ)がゆきました
     金と銀との鞍(くら)置いて
     二つならんでゆきました

   2 金の鞍には銀の甕(かめ)
     銀の鞍には金の甕
     二つの甕はそれぞれに
     紐(ひも)で結んでありました

   3 さきの鞍には王子様
     あとの鞍にはお姫様
     乗った二人はおそろいの
     白い上衣(うわぎ)を着てました

   4 広い沙漠をひとすじに
     二人はどこへゆくのでしょう
     朧(おぼろ)にけぶる月の夜を
     対(つい)の駱駝はとぼとぼと

     砂丘を越えてゆきました
     黙って越えてゆきました

10年7月6日 (5)

海岸の砂浜なので、「砂漠」でな、「沙漠」にしたそう。 
※ 沙には砂浜の意味があるという。 沙は水と関係がありそう。 乾ききっていない。

いい表情ですね。 遠くを見ている。 口元に、何かの決意を感じる。

10年7月6日 (6)

像の作者は、「月の沙漠」の詩を何回も読んで、自分なりの理解をした。 
作者の加藤まさをとも、解釈について、きっと話した。
その結果、この二人の表情が生まれた。  ※ 野麦峠の像も、こうやって作ってくれたら、よかった。

10年7月6日 (7)

二人の表情から、心の中が、色々想像できる。 だから、いい像だと思う。

黄色の花が咲いていた。 月見草(オオマツヨイグサ)と思う。            ※ 太宰の月見草については、ここに。 

10年7月6日 (8)

月の沙漠記念館が、川と道をはさんで、あった。 ※ 3枚目の写真に小さく写っている。

10年7月6日 (26)  10年7月6日 (24)  10年7月6日 (25)

この絵は、作詞者の加藤まさをが、月の沙漠のイメージを描いたもの。

10年7月6日 (12)

加藤まさをは、画家でもあった。 竹久夢二の絵に似ている。 大正ロマンというか。

10年7月6日 (19)

この人の詩や絵の中に、月と砂丘が、しょっちゅう出てくる。
頭の中には、いつもその風景があった。

だから、月の沙漠の歌詞も、その風景の中から生まれた。

10年7月6日 (9)

下の文の花も、絵の花も、月見草だと思う。 月草、夕月色とある。

10年7月6日 (10)

加藤まさをは、学生時代に結核を患った。 保養のために訪れたのが、ここ御宿海岸。

10年7月6日 (13)

作詞した頃、とありますね。 美女に囲まれている。 ※ 月の沙漠姫かな。 募集して。

10年7月6日 (17)

詩人画家と紹介している。  
下の方に、童謡画集「合歓(ねむ)の揺藍」とある。  ※ 揺藍(ようらん)は、ゆりかごのことですね。
※ 今日、この後、合歓の花を、初めて見ることになる。

10年7月6日 (22)

晩年、御宿町に移り住んだ。 記念館を作ってくれたことは、うれしかったのかな。
ただ、次の年に亡くなる。(1977年)

10年7月6日 (11)

漁村の砂浜という題。 こんな絵が多い。

10年7月6日 (14)

この絵は、下の詩とセット。  

10年7月6日 (15)

頭の中は、いつも、月の沙漠だった。 そんな感じがする。

10年7月6日 (16)

こんな絵も。 夢二のような、強烈な個性はない。

10年7月6日 (20)  10年7月6日 (21)

最初に発売したレコード。 ジャケットの原画も。 
この音源を探したが、見つからない。 歌っているのは、松島詩子。

10年7月6日 (23)

作曲者の、佐々木すぐる。 このメロディを考えた功績は大きい。
こんなことを思うかな。

詩がどれだけ良くても、メロディがダメなら、ヒットはしない。
でも、詩がダメでも、メロディが良ければ、ヒットの可能性がある。

10年7月6日 (18)

山の中にある、養老渓谷を見に行った。 そこは、深い谷底だった。   この辺り。 

10年7月6日 (27)

栗又の滝が見えた。

10年7月6日 (28)

遊歩道でない道で、谷に下りた。 道が荒れてて、大変だった。 笹につかまったりして。
ここに下りた。
遊歩道は、川の向こう。 浅い所を渡った。 ※ トレッキングシューズに、水は入らなかった。

10年7月6日 (29)

こんな感じ。

10年7月6日 (30)


小さな滝があったり。  川底は、岩。 凝灰岩だから硬くない。

10年7月6日 (31)  10年7月6日 (32)

魚はいっぱい。 水はきれいでない。 だから、ヤマメとかはいない。

10年7月6日 (33)

30分ほど歩いても、風景が変わらないので、ここで戻った。

10年7月6日 (34)

帰りは、何かを探しながら歩いた。

10年7月6日 (35)

普通のカエルか。

10年7月6日 (36)

初めて見る。 モリアオガエルの卵。 下の水がある。 これが、特徴。

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泡の中に卵が。

10年7月6日 (38)

悪いけど、見させてもらった。 オタマジャクシになったら、ポチョンと、下に落ちる。

10年7月6日 (40)

カニさん。  そして、アマガエル。 ※ 目の近くに黒い模様がある。 これが特徴。 モリアオガエルにはない。

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モリアオガエル。(Wikipediaより)

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10年7月6日 (42)

栗又の滝。 岩肌を滑るように流れてる。

10年7月6日 (43)

滝を見て、谷の上に出たら、ホテルとかがある。 駐車場が有料なので、離れた場所に停めた。

10年7月6日 (44)  10年7月6日 (45)  10年7月6日 (46)

何の花かと思って、車を停めた。

10年7月6日 (47)

合歓の花だった。 いい花だ。   ※ 関連ブログ  「象潟や 雨に西施が ねぶの花」

10年7月6日 (48)


御宿町は、像と記念館を作った。 このことは、大きかった。
今は、御宿海岸がの砂浜が、月の沙漠の発祥の地と認められている。

ラクダに乗った二人は、どこに行くのでしょうね。
きっと、山の向こうに、幸せをつかみに行く。 
二人の表情から、そう思うでしょうか。


【道の駅】    たけゆらの里おおたき    ここです

【明日の予定】   九十九里浜に行きます。 晩に、東金市で人に会います。

【今日の歌】  月の沙漠(YouTube)   何曲か載せます。 
       
             小鳩くるみ    山崎ハコ   井上陽水    ※ 月の沙漠異聞(お遊び)

             演奏だけ(二木紘三のうた物語)   解説と感想があります。

          月見草の花(YouTube)    山崎ハコ     月の滴で咲くと言ってる。

          月見草の花(エムズの片割れ)  土居裕子  澄み切った声。 

          月見層の花(二木紘三のうた物語) 演奏です。


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1180年、頼朝は伊豆の近くの石橋山の戦いで負けた。
逃げる時、まとまっていたら見つかりやすいので、小さなグループに分かれて逃げた。
伊豆から、安房の地に渡った。 
そして、一晩、身を隠した場所が、仁右衛門島の洞窟と言われている。
                  (信ぴょう性は、どのくらいあるのか、確認が必要ですね)

海岸沿いの道は、房総フラワーラインとなっている。 その道を北上。
花は、どこにもない。
ここは、道の駅ちくら・潮風王国。 隣が花畑なので、寄った。 

10年7月5日 (1)

花は見つからない。 こんな、岩場の海岸が多い。
道の駅で、魚が売っていた。 
干したのを7枚くらい買った。 アジとサンマともう一つ。 少し傷があったので、まとめて、350円。
※ 晩に、フライパンで焼いて、酢醤油に浸けて食べた。 サンマは骨も食べられた。
※ 車の中で火を使う時は、エンジンをかけて、エアコンを使わないと、暑い。

10年7月5日 (2)

ローズマリー公園。 花があったのは、ここだけ。 ヨーロッパ風の庭園だった。

10年7月5日 (3)

道の駅、鴨川オーシャンパーク。 変わった建物。 今は、ここの駐車場に。

10年7月5日 (4)

仁右衛門島に向かって歩いている。
車は、この後行く、太海(ふとみ)フラワーセンターに。 
※ 両方見ても、値段がたいして変わらないので、両方にした。

10年7月5日 (6)

鰹節に見えた。 干している。 ネコやカラスに食べられないのか。

10年7月5日 (5)   10年7月5日 (7)

仁右衛門島には、この船で渡る。 二人で漕ぐ。 島と言っても、目の前だった。 小さい。

10年7月5日 (8)

源頼朝が、戦いに負けてこの地に逃げてきた。 この地でも襲われた。
島の住人 平野仁右衛門は、頼朝を島に案内した。 頼朝は洞窟に一晩身を隠した。 助かった。

こんな話があったので、この島に来た。

10年7月5日 (9)

この話について調べてみたら、信ぴょう性が高いことが分かったので、簡単に書いていきますね。

1180年、頼朝は伊豆の近くの石橋山で、平氏方と戦った。 負けて逃げることになる。
兵がまとまっていると目立つので、小さなグループに分かれて逃げる。
頼朝は、熱海の少し北の真鶴崎から海を渡って、房総半島の鋸南町竜島に上陸する。 (今の住所で) ※ 上陸地点はここ
※ 地図の左の方に、真鶴が見える。

5分ほどで、着く。

10年7月5日 (10)

頼朝は伊豆で逃げてる時、こんなことがあった。
平家方に、梶原景時という武士がいた。 この人は、頼朝の居場所を知っていた。
でも、これを隠し、向こうの山が怪しいと、味方の軍を頼朝から遠ざけた。
※ 義経も、敵から情けをもらったことがある。 似ている。 人間的な魅力があったのか。

※ 梶原景時は、義経のことを悪く頼朝に伝えた人間だ。 思い出した。 それがなかったら、義経は死ななかった。
  
島の周囲は、4㎞。 昔から、平野家しか住んでいない。

10年7月5日 (31)

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島の上の方に道はあった。 花は植えたもの。(調べて分かった)

10年7月5日 (11)

芭蕉の句碑があった。 「海暮て 鴨の声 ほの可尓 白し」  ※ ほの可尓~ほのかに
この句は、1684年の12月に、名古屋の熱田で作られたものだった。 
野ざらし紀行にある。 どうしてここにあるかは、?

芭蕉でなく、者世越(はせを)とあった。 芭蕉のことだそう。

10年7月5日 (12)

真っ直ぐ行ったら、海に出そう。

10年7月5日 (13)

小さな神社があった。 島に1軒しか家はないのに。
蓬(よもぎ)島弁財天とあった。 昔、この島は蓬島と呼ばれていた。

10年7月5日 (14)

この港を、右の方から渡ってきた。
 ※ 平野家の子どもたちは、海が荒れたら、学校は休み。 皆勤賞はもらえなかったそう。

10年7月5日 (15)

岩が亀に見えたので、パンフレットを見た。 そうしたら、亀岩となっていた。

10年7月5日 (16)

山の頂上に、平野仁右衛門さんの家はあった。 風が強いから、このように。

10年7月5日 (17)

家は、1704年に建てなおした。 その前は、山の下にあったが、津波で流された。

10年7月5日 (18)

奥の庭。 推定樹齢600年だという、蘇鉄の木があった。 
池に水があった。 山の上なのに水はどうして?  聞けばよかった。

10年7月5日 (19)

正面に戻って、中はこう。 今も、住んでいる。

10年7月5日 (20)

津波で壊れた家の材料も使った。 それで、こんな継足しが。

10年7月5日 (21)

説明してくれたのは、この方。 平野家の奥様。
何でも知っていた。 聡明な方だった。

10年7月5日 (22)

お礼を言って、別の門から出る時、北海道から来たんですよと、最後に言った。
そうしたら、「紋別郡は知らないだろうか」と言った。 
そこは、私の守備範囲だ。

奥様のお姉さまの旦那さんが、鴻之舞(こうのまい) 金山で働いていたという。  ※ 金山は、1973年に閉山。
私がいた上渚滑から、車で30分かからない。
また戻って、しばらく話した。

  ※「銀色の道」という懐かしい歌があるが、この歌の舞台は、鴻之舞。
           銀色の道(YouTube)     関連ブログ 銀色の道  初期の頃のブログは、こんなの。

山を下りた。

10年7月5日 (23)

この先の所で、日蓮が旭を拝したとあった。  ※ 旭は、朝日というより太陽のことか。

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そこからの風景。

10年7月5日 (25)

下の右の方に、頼朝が隠れた洞窟がある。

10年7月5日 (26)

頼朝は、房総半島に上陸して、この島の近くにやってきた。
それは、鴨川近くの貝渚(かいすか)という所。  ここです。   下に島が見える。
そこに、止宿しているところを、長狭六郎常伴(ながさろくろうつねとも)の兵が、夜襲をかけてきた。
その時、平野仁右衛門が頼朝を、この島にかくまった。

こんな内容。 その後頼朝は、再起し鎌倉へ進軍し、12年後鎌倉幕府を開く。

10年7月5日 (27)

奥の赤い扉の向こうに、穴がある。 そこに身を潜めた。

10年7月5日 (28)

馬蹄石。 馬の蹄の跡が残っているという。 こんなのは色んな土地にあって、もちろん伝説。 石は硬すぎる。

10年7月5日 (29)

10年7月5日 (30)

船を漕(こ)ぐ人と話した。 
いい仕事だねと言ったら、大変なんだよ、と言った。
ちょっと漕いだら、向こうに着くでしょ、と言った。

知らない人は、これだもな、って顔をして、手を見せてくれた。
失礼なことを言った。 手は、豆だらけだった。

10年7月5日 (32)

カメラを向けたから、この顔ではない。 元々。 いい顔だ。 この道40年だったかな。

10年7月5日 (33)

この道を戻った。 これが、こっちの港の雰囲気。
中央の人に話しかけた。 とうさん、何を見てるの、って。
霧が濃いんだよね、って言った。 梅雨に入って、毎日これだ。 

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太海(ふとみ)フラワー磯釣りセンター。

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こんな感じと、温室が。

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バラが咲いていた。 ここは、花を育てて売っている。

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カーネーションの赤は、独特。 いい。

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ハイビスカスもあった。

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いいですね。

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サボテンも。

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何とも言えない色。

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細いサボテン。

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ここで魚を釣って遊んだ。 釣ったら放す。 ※ 持ち帰ることも出来る。

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ウマヅラハギかな。   「イテテテテ!」って、顔をした。

10年7月5日 (48)

ここを通って戻った。

10年7月5日 (49)


この島の、頼朝に関わることは、いろんな資料に出てきた。 ※ この島で作った資料以外で。
頼朝がこの島で助けられた可能性は、十分にありますね。

こんな話が残っている。 平野仁右衛門氏の文より。 少し出来過ぎと、本人も。

 頼朝は、助けてもらったお礼を考えた。
 褒美は「安房一国」でどうか、と頼朝は言った。
 だが、仁右衛門は、「粟一石」と勘違いし、それよりも漁業権が欲しい、と言った。
 結果、漁業権が与えられた。

頼朝にとっては、人生最大のピンチの一つ、だったのでしょうね。
                            ※ 関連ブログ 家康の危機一髪


【道の駅】     鴨川オーシャンパーク

【明日の予定】   「月の沙漠」の舞台になった地がある。 そこを見て、内陸に入るか。

【今日の歌】    J(YouTube)   韓国で俳優が亡くなりましたね。  二人の歌手が歌っている。 どっちもいい。
                       この曲は平成15年のもの。 上手に歌う人に出会ったことがある。 忘れられない。


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akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
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