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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

ルクシ峠を何度通ったことか。 ずっと昔は砂利道だった。 山肌を削ったところは、赤土だった。 近道なので、たまに通った。 雨の降ったときは、通らなかった。 崩れそうだから。

今度北見に行くときは、新佐呂間トンネルを通る。 開通式は14日だったか。

北見で午後会議がるので、向かった。 下の写真は、左にカーブして、山にぶつかったら、左に曲がって上り始める。 この道を真っ直ぐ行くと、新佐呂間トンネルにつながる。 

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左に曲がったら、上り始める。 標識が見えた。 右に曲がると、栃木

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冬は、危険な道。 だから、新しいトンネルが出来たのかな。

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佐呂間トンネルの入り口。 暗いトンネルだ。 行くときは、排気ガスが溜まっていて、なお視界が悪かった。

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こんなんだ。 真っ暗。

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佐呂間トンネルの北見側にある、小さなトンネル。 このトンネルの右側を昔は通った。 土砂崩れがあってこのトンネルができた。
写真の道の右下に、新佐呂間トンネルの出口がある。 そこからの道が、この小さなトンネルにつながる。

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北見の帰り。 小さなトンネルを出たら、左に新佐呂間トンネルの出口(入り口)が見える。

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小さなパーキングで下界を見た。 写真の少し右が、佐呂間町市街

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峠を下りたところで、左に曲がった。 少し走ったら、栃木地区が見えてきた。 栃木県の谷中村の畑が鉱毒で使えなくなった。 追い出されて、ここに来た。 でも、開拓は大変だし、望郷の念を捨てきれず、みんな戻った。 結婚とかで、関わりのある人が少し残っている。
左に見える山は、仁頃山。 

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上の写真より、さらに奥に入って見た。
昔、市街地だった雰囲気の所はない。

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旧栃木小学校の門。  昭和61年に閉校。

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栃木神社。 雪に埋もれていた。 隣に公民館があった。

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朝から、小さなお握りを二つしか食べてなかった。 急に腹が空いてきた。 若佐の食堂に入った。 ラーメンを注文した。 味にはまったく期待はしていない。 れんげが、だらしなく入っていた。 お腹が空いていたから、美味しかった。 元気のないおやじさんが、一人で作ってた。 全体にスープが熱くないというのが、大きな問題か。 せっかく白菜を炒めたのだから、そこにスープを入れて、温めればいいのに。 

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港に流氷を見に行った。 港に中は、隙間ができていた。 外海には、流氷は見えなかった。 朝、国道から海を見たら、パラパラと散らばっている少しの流氷が見えた。
流氷科学センターの近くにある、カニの爪を見に行った。 昼間見たら汚いが、ライトアップしたら、こんな感じ。

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明日は、家の中のことをしなければならない。 夜は、地元で会議と酒。
2月が終わった。 確かに、逃げるように、終わった。 忙しさが、増していく。 これから。

最近人に会うとき、「もう、この人と、会うことはないかもしれない」と、思うことがある。



「今日の歌」は、山崎ハコの「望郷」(YouTube)

                 「白い花」(YouTube)

          ドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」(YouTube) 
 「何とかなるさ」って言うような歌詞かな。 SOTOのしうさんが言うんだな。 このことを。 心配性な私に。

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明日は、ちょっと朝からいそがしい。 だから、10時目指して帰ってきました。
新佐呂間トンネルが、3月の14日に開通する。
だから、明日ルクシ峠を通るが、それが最後。
峠の写真を撮ってきますね。

いい気分で酔いました。 
料理の写真を撮ろうと思っていたら、1枚撮ったら、バッテリーがなくなった。
写真を撮るほどの料理でも無かった。

酔ったので、ブログはここまで。
明日、いい記事を書くようにします。

リスのことを、少し、
今朝、7時頃、外に出て、口笛を吹いて少ししたら、2匹が遠くから、いちもくさんで走ってきた。いいもんですよ。目の前までやってきた。

おやすみ。 今、10時過ぎ。

追記】 朝
3人で飲む予定だったが、二人になった。 同窓。
小さな居酒屋に行った。 あまり行かない店。

注文しようとしたら、~セットにしたらお得です、と店の人が言った。
値段は550円。 それにした。
出てきたのは、生ビールと下の料理。 海老、天ぷら、塩辛、煮物、など。

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これだけあれば十分だけど、申し訳ないから、色々頼んだ。
問題があった。 珍しい物がない。
イカ焼きや、串や揚げ物など。 カメラが使えても、写すものはなかった。

カニの内子、メフン、ホヤ、クジラ、ハッカク、氷頭、三平汁、などがあったらい。 わけの分からないものが旨い。 こういうのがある店が、紋別にある。 今度は、そこに行く。

一つだけいい料理があった。 ツブの串。 大きめのツブに包丁を入れて開く。 串に二つ刺して焼く。
塩味で。 軽く焼いて完成。 じゅわっとした感じで、旨い。


今日は、北見
ルクシ峠、栃木の写真を撮る。 新佐呂間トンネルも写したい。
また、流氷が陸から離れたというので、それも。
    10月6日のブログ「~~ 空への道」にルクシ峠の写真が一枚あります。

先ほど、リスにごはんをやりに行った。(7時半) 
口笛を吹きながら、現れる瞬間を待った。 カメラを構えて。
20秒ほどしたら、物置のかげから、顔を出した。 それが、下の写真。

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すぐに、こっちに向かった。 目が合った。

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1分ほど、木に登ったり、降りたり、少し遊んだ。

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餌台から、パパッとクルミをくわえて、登った。 かじるときは、両手を添える。

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「今日の歌」は、知らない人が歌う、「トンネル抜けて」(YouTube) まあまあかな。

最近は、昼間暖かい時がある。 プラスになる時も。
そんな時は、リスは日向ぼっこをしている。 木の上の日当たりのいいところで。 二匹いるときは、追いかけっこして、遊んでいる時もある。
リスは、まだ遠いが、を少し感じているよう。

しばらくの間、ご飯は、晩にやっていた
ところが、これには、問題があることに気づいた。 
リスは、クルミを置いてる私の姿を見ることはない。 誰からご飯をもらってるかが、分からなくなってた。 少し前、私を見て、驚いたような顔をしたのは、そのためだ。

感謝してくれとは言わないが、何かつまらない。
そんなことで、また、朝にやることにした
最近は、朝の6時過ぎか、7時半頃にやっている。 口笛を吹きながら。
すぐやって来るときもあるが、来ないときもある。

職場に行くのは、7時40分。 その時は、ほとんどいる。 口笛はリスにきっと聞こえている。
この餌台のそばを、朝通る子は7人。 この子達はみんな、リスに挨拶して通る。 ヒマワリの種を食べてるときは、逃げない。 クルミを食べるときは、くわえて木を登ることもある。
声をかけたら、必ずこちらを見る。 ポカンとした感じで

リスがどこに住んでいるかは、まだ分からない。 寒そうな枝を集めた巣はあるのだが、そこかもしれない。 そっちの方から朝やって来る。 足跡で分かる。 Kさんが、私が作った家から出るのを見たとも言った。 私の家の方がずっと暖かい。

雪が降った朝、他からまったく足跡が無く、クルミを食べていたら、私が作った家に住んでいることになる。 それが、まだ確かめられない。 家は、餌台の2㍍ほど上にある。

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雪がいっぱい降ったとき、その雪の上は、歩きにくい。 軽いリスでも、埋まってしまう。 どこを歩くかと言うと、校舎などの軒下。 壁沿いは、新雪が少ない。 除雪した道より、そっちが多い。

上の写真は、ヒマワリの種を食べてる。 クルミは、枝の上で食べることが多い。
木のそばを通ったとき、カリカリと上から音がすることがある。 上を見上げたら、すぐに見つける事ができる。

二匹がそろって餌台にいることはない。 仲が悪いわけではないが。
別に1匹が来て、先にいたリスを追い払う姿を見たことはない。

リスをこのように自然で見るのと、動物園で見るのとでは、どちらがいいのかなあ。 はっきりしているか。 こっちの方がいいに決まっている。 檻の中のリスは、本当の姿ではない。 ストレスがたまって、うつ病になってるかもしれない。 リスを動物園で飼う時は、体育館のような広いとこで飼えば、大分いいか。 木をいっぱい植えて。 どこにいるか分からないから、見つけたら感動する。

動物園の中で、弱肉強食の世界を作るのは難しいから、上の広い檻の中で、鳥や、お互い影響を与えない動物を、一緒に飼えばいい。 その中に人間が入ることが出来たら面白いぞ。

下の写真は、木のそば。 リスが、雪に穴を掘って、卵を置いてあった。 卵は凍っているし大きいから、かじれなかったのかな。 ところで、リスは卵を食べるのかなあ?

この頃、クルミはいっぱいやってる。 20個くらい。 余ったのを、まさか雪の中に埋めてないだろうな。 見つけてくれたら、問題は無いんだが。 

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こうやって、クルミをやることが出来るのも、あと1か月ほど。 お金がかかるから、誰かに頼むわけにもいかない。 その後は、自分で生きて行ってもらうしかない。 木に残っている松ぼっくりとかを食べることになる。 土が見えてきたら、きっと食べる物には困らない。 リスと別れるの、さびしいなあ


私は、忙しくなってきた。 土日も何かある。 平日もやることがいっぱい。 何でも早めに終わらす必要がある。 最後の学校便りの記事や、卒業式でしゃべることは、少し前から作り始めている。 また、退職するというのは、なかなか面倒。 しなければならないことが湧き出てくる。 このブログも、時間をかけて書けなくなりそうだ。 飲み会も多くなる。 今分かっているだけで、6回ある。 その最初が、明日の晩。 紋別で。 なんぼ早くても、帰ってくるのは、10時は過ぎるなあ。 

そうだ、土曜日に北見に行く。 帰り、先日のブログで書いた「栃木」の写真を撮ってきますね。
     ※  そのブログ 「足尾銅山鉱毒事件と佐呂間町栃木」



「今日の歌」は、 モーツアルトの「トルコ行進曲」(YouTube)

          モーツアルトの「ピアノソナタ 331」(YouTube) 演奏の動画のあるいいのを探したが見つからなかった。 これは、演奏だけ。

珍しい地名があったら調べることにしている。 ネットか本で。

女化と虎姫町に伝わる伝説が、ある民話に似ている。 それで、今日はこの二つを取り上げた。

まず、女化。 「おなばけ」と読む。 女が化けるか、女に化けるかの、どちらか。
茨城県 牛久市にある。  地図の中央に、牛久。

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地図の中央の辺り一帯が、女化。

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伝説は、江戸時代からあった。 昔は根本村。

根本村に、忠七という若者がいた。 正直者で親孝行だった。 ある時、町からの帰り道、一匹の狐をねらう狩人を見つけた。 忠七は、狐を逃がしてあげようと、大きな咳をした。 狐は気づいて逃げた。 狩人は怒った。 忠七は、持ち金をすべて渡して許してもらった。 そうして家に帰った。 ところが、その日の夕方、ある50過ぎの旅人が、二十歳くらいの女を連れて、一夜の宿を貸して欲しいと頼んできた。 母と忠七は泊めてあげた。 朝起きたら、男の姿はない。 女は、しばらくここにおいてほしいと頼む。 女は、器量もよく、仕事もはやく覚え、優しく、母親にも尽くした。 女と忠七は結婚し、3人の子供が生まれた。 ある時、忠七は、女に尻尾があるのを見てしまった。 女は悟られたと思い、自分は昔助けられた狐であることを告げる。 そして、もう一緒に住むことは出来ないと言って、どこかに行ってしまった。

こんなお話し。 何かに似ていますね。 そうです、「つるの恩返し」です。 夕鶴でもいいでしょうか。    夕鶴のブログ

こんな歌が残っているそうだ。
みどり子の母はと問はば 女化の原に なくなく臥すと答えよ
             ※「臥す」は、ふすと読み、隠れるという意味。

女化は、女に化ける の意味でした。
女化には、稲荷神社があり、狐が祀られている。

こんな話しが伝わってから、この地域は、「女化」と言われるようになった。
どうして、こんな伝説が生まれるのでしょう。 美しい女の人が、突然現れてほしいと願うからでしょうか。 また、農村は貧しいから、美しく着飾った女の人はいないから、それに憧れたのか。 分からないな。


もう一つは、虎姫町。 場所は、琵琶湖のそば。 近くに、竹生島がある。

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ここにも、伝説が残っている。 ただ、ここのは、歴史的史実にも関わっている。
この地域には、虎御前山がある。

昔、この山のふもとに、虎御前という、美しい姫が住んでいた。 ある時、姫が旅から帰るとき、道に迷った。 一人の長者の青年が「よければ、私の家に泊まりなさい」と言った。 それが縁で、結婚した。 二人は幸せに暮らした。 子供が生まれたが、子供は全身うろこに包まれた、子蛇だった。 虎御前は人目を避けて暮らした。 でも、ある月夜の晩、泉に写ったわが身が蛇の形をしているのを見て、ある淵に身を投げた。 ただ、子供は、人間として成長した。

虎御前の姫と言うことで、虎姫。 この話しがあって、「虎姫村」が出来た。 今は、虎姫町になった。
虎御前という人は、日本史大事典にもある名前。 蘇我物語に出てくるそうだ。
このお話しの中で、この人は、旅(行脚)をするんだが、この地にも寄ったのではないかと言われている。 この人かも知れない。 ただ、旅する人が、どうして蛇なんだという問題が残るが。
今も、虎姫山の麓に、江戸時代に建てられた、長者の家が残っている。 このことから考えたら、山の麓に住んでた人になるか。

虎御前は、自分が蛇だったことを知らなかったのかな。 自分でも気づかないうちに、人間になっていたのか。 それに気づいて、身を投げた。 町名になったくらいだから、この話しは、人々の心を動かした、また、涙を誘ったということかな
  
最初の話しと違うのは、見られてしまったのと、自分で気づいたところが、違う。
似ているが。
こんな話しが見つかったら、また、紹介します。 つる、狐、蛇、次は何だ。


「今日の歌」は、大黒摩季の「ら・ら・ら」(YouTube)  初めての歌。 この歌があるの忘れてた。

          池上線その1(YouTube)   池上線その2(YouTube) 両方とも本人ではない。 2を歌ってる人は、多くの歌を歌ってる。 癖があるが、上手ですよ。

すごい人気だ。 旭山動物園は。

1967年に出来てるから、私が高校2年の時。初めて見に行ったのがいつだか、思い出せない。高校か、大学の時、1度くらい行ったのかな。

子供が小さい頃は、何度か行った。 札幌の丸山動物園には、かなわないと思っていた。
他の動物園といっしょで、小さな檻に、どの動物も入っていた。 臭いなあと言う印象が強かった。

修学旅行でも行ったが、動物園に入ったら、子供達はみんな、遊園地の方に向かった。 ジェットコースターとかに喜んで乗った。 食事するとこも、そっちの方にあった。 動物の方は、さ~っと見て終わり。 30分もあれば十分。

いつ頃から変わったかというと、ペンギン館が出来たときからですね。(2000年) ペンギンが空を飛ぶように泳いでいた。 修学旅行で行ったときに見た。 少し驚いた。 毎年、何かが増えて、今になった。

今年の1月5日に行ってきた。 感動したかというと、そうでもない。
     ブログ「冬の旭山動物園」(1月5日)
私は、山の中で、キツネやタヌキやオオワシを見たときの方が、感動する。
オオワシなんて完璧だ。 動物園のとはまったく違う。 目付きだって、毛並みだって違う。

でも、訪れる人は、みな感動しているように見える。 本当に動物を見て感動しているのか。 違うと思う。 何に感動しているのか。 それは、「テレビで何度も見た、それと同じ物を見た」という感動ではないかと思う。 その証拠は、テレビで紹介されるアザラシ館なんかは人でいっぱい。 でも、オオワシなんかのテレビに出ない動物のところは、誰もいないときだってある。 私が見たときは、私一人。 ここの動物園を訪れる人の多くは、「野次馬」っぽいところがあるように思う。 

この動物園の園長さんは、小菅正夫さんと言う。 3月で退職の後は、名誉園長。
この人は、どう思っているのか。 
最近テレビに、よく出る。 そして、動物園の存在意義に必ず触れる。
最近、こんなことを言っていた。
動物園に来てくれる人の中には、動物に関心がない人もいると思う。でも、それでいい。ここの動物を見ることによって、自然に生きる動物のことや、環境のことを考える、きっかけになってくれたら、それで十分」と。(文は正確でないが、こんな内容)

さすが、園長さんだと思った。 私が知りたいことを言ってくれてる。
園長さんは知ってる思う。 下記のことを。
 ① テレビで報道されるから、多くの人が来るって。
 ② 誰もが、動物そのものに感動しているわけではない。
 ③ ここの動物園の動物の多くが、まだ、いい環境の中にはいない。

園長さんの願いは、ここにいる動物の「うしろ」にいる、多くの自然の動物に思いをやってほしいことだと、想像する。 動物園の理想を、ここまで来て、やっと語れるようになった。
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旭山動物園のホームページに「動物園の役割・使命」が載っていた。(少し探すとある)
それは  1 レクリエーションの場
      2 教育の場
      3 自然保護の場
      4 調査・研究の場
一つ一つの説明は書かないが、順番に少し問題があるかな。
昔は、どこの動物園も 1 だけだった。 あとは、おまけで。
小菅園長さんの最近の言葉から考えたら、「レクレーションの場」は、一番下でいいと思う。

ある人のホームページに、「動物園の存在意義」が載っていた。 
それは  1 野生動物を通した環境教育機関であること
      2 野生動物の保護、繁殖施設であること
      3 野生生物と自然環境の研究機関であること
      4 レクリエーション施設であること
この人は、「もう、パンダのような珍しい動物を並べてあるだけの動物園の時代は終わった」と言ってる。

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動物園に行くことによって、楽しむだけでなく、自然に生きる動物のことを、多くの人が考えるようになったら、動物園は、大きな役割を果たしていることになる。

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旭山動物園にも、狭い檻の中で我慢している動物が、まだ多い。 テレビに映る動物たちは、まだ幸せ。

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旭山動物園が変わって、全国の動物園も変わり始めた。
動物園の存在意義」を忘れないで動物園づくりをやってくれたら、動物園の動物だけでなく、自然の動物にも、があたりそうだ。
その時は、動物園の動物は、自分達は、仲間の代表でここにいると、我慢してくれるかも知れない。

他に大事なことを思い出したら、また書きますね。


「今日の歌」は、    コンドルは飛んで行く(YouTube)

              メロディの「ゴリラダンス」(YouTube)

タイトルについて、詳しくは分からないが、少し思うことがあるので書きます。

精神疾患(心の病)には、いくつかある。 
うつ病や心身症も、その一つ。  他に、記憶障害など、~障害と言われるのもある。
最近、うつ病の治療に変化が起きてると、テレビで言ってた。

私は、うつ病の人と、心身症の人に出会ったことがある。
治療には、病院の精神科に行くことになる。
そして、をいっぱいもらってくる。 まあ、普通のことだ。
治らないと、別の病院に行く。 簡単には治らない。 でも、はやっぱりくれる。
 
どうして、こういう治療になるのか。 お分かりと思う。
もし薬を出さなかったら、診察代しか入らない。
精神的な疾患は、心がそうなった原因が、どこかにあることが多い。
そのことを取り除くことに、医者がエネルギーをつかっても、お金にはならない。

経営面を考えたら、どうしても、治療はこうなる。
薬には、副作用という大きな問題があるのに。

うつ病にしたって、心身症にしたって、誰もが軽い程度でなることがあるという。 なっても、自分では気付かず、知らないうちに治ってしまうと言う。 ところが、軽い症状が続き、ある時、心に大きな打撃を受けた時、一気に重い症状になる。

初めは、心身症の人に出会った。 ネットでたくさんの資料を集め読んだ。 上の事が書いてあった。取り組みは、一歩一歩階段を登る感じ。 もし職場に来れなかったら、誰もいないときに来る。次は、誰かいるときに来る。 そんなとこからスタートして、最後は、授業に挑戦する。 10段階以上踏んで。 励まして自信を持たせて。 考え方を指導し変えて。 何かが出来て、笑顔を見せたとき、少し症状は軽くなったと考えていい。

これが、いつもうまくいくとは限らない。 もし、頸椎に問題があったら、自律神経に問題を与えている。 に障害がある場合だって、あるかもしれない。 私は、脊椎のことについては学んだが、他のことについては、分からない。 でも、原因が上に書いたことによるのは、少ないと思う。

テレビで言ってたのは、「最先端の治療は、薬に頼らない。 原因を取り除く」 「脳に問題がないかを調べる」、ということだった。 薬では、症状を軽減できても、根本的には治らないということを、多くの医者は知っていたはずだ。

うつ病は、心身症より厳しい感じはするが、症状は似ている。 (ただ、状態の変化がうつ病は大きいかな)
治療には、マイナスの環境を取り除く必要があるのではないか。
いつだか、ブログに書いた人は、環境が最悪だった。 取り除いてやることは無理なことだった。 今考えると、退職を勧めたらよかった。

精神疾患にかかったら、いい医者を見つける必要がある。
信頼できる、精神科の医者だっている。 

こんなことが、昔あった。
ある学級に、先生の言うことをまったく聞かない子供がいた。
担任は、札幌のある病院の精神科の医者に相談した。 医者は、こう言ってくれた。
そういう子供は、心で行動しているのではない。 脳で行動している」 と。

これに、説明があるのだが、言われてみると、考えさせられる言葉だ。
心で行動していると考えると、その子に腹が立つ。 でも、能がそうさせてると考えると違う。 冷静に対応できる。 その子のせいにしなくなる。

話しをまとめると精神疾患の治療が、いい方向に変わってきた、ということかな。
おかしいなと思ってた治療が。

また、社会が複雑になり、経済もおかしくなり、生きて行くのが大変な時代だ。
住みやすい社会にしないと、治療だけ考えても、だめかも知れない。 

今日は、「鬱病」を「うつ病」と書いた。 いつかのブログにも書いたが、鬱と書いたら、字を見ただけで、鬱になりそうだから。

       という字は、29画。  ブログ 鬱岳


「今日の歌」は、森山直太朗の「生きてることが辛いなら」(YouTube)

          南こうせつの「ぼくの胸でおやすみ」(YouTube) 今日のブログには関係ないかな。

前日、風向きに問題があるかと思っていた。
そうではなかった。 北寄りの風が吹いた。

朝、8時15分に、ガリンコ号の受付に電話してみた。
流氷は来た。 9時のに空きがある、と教えてくれた。
   ※ ネットで調べたら、満席だった。
乗ると返事して、名前を告げた。  5分で準備。 
8時50分に着いた。  受付で、3000円って言われた。
名前が見つからないので、地元の○○ですと言ったら、1800円になった。
名前は、あったか無かったかは、分からない。 キップは買えた。

みんな並んでた。 団体が多い。 私は、一番うしろに 
写真は、乗船の様子。

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港の中まで、流氷がびっしり。 昨日の嵐で、一気に入り込んできた。
氷に乗っかるように、押し除ける。 ゆっくり進む。 スピードは出ない。

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10分ほどして、放送が入った。 驚く内容。
「流氷が港に入り込んでおり、それが厚いため、港の外には出ることが出来ません」と。
ゆっくりしか進めず、時間がかかるためだ。
がっかり。 港の中なら、港からだって写真は撮れる。
船の進む様子とか、船でなければ撮れないものもあるから、文句言っても始まらないことにした。

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船の中にいた人もいたが、外にいた人の方が多い。
氷はびっしり。 どこにも隙間はない。
船の後は、このようになるが、すぐに閉じる。

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真ん中にいるのは、オオワシ。 放送で教えていた。
  「左前方100㍍に~~がいます」のように。

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乗船した場所から、だいぶ離れた。 向こうに見えるのは、オホーツクタワー。

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ここから、外海に出る。 出たかったなあ~。

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カモメが寄ってくる。 たまに、エサをやる人がいる。
うまく写るのか、撮ってみた。 なかなか、きれい。  足をちょこんと揃えて、行儀がいい。

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こんな感じで、見てる。 記念写真を撮ってる人も多い。 
寒くなって、船室に入る人もいる。 暖まったら、また出てくる。 ずっと中の人も少し。

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大きな氷の固まりがある。 高さ2㍍のもある。 海水の中は、この何倍もある。

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オジロワシとカラス。 大きさの違いがわかる。
こんなとこにいて、食べ物があるのかな。 カモメを食べてしまえばいいのに。

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大きなドリルのようなのが、グルグル回る。 船の前に2つ付いている。
これで、ガリガリ進むので、ガリンコ号か

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ぶつかって、角が取れていく。

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1時間ほどで、戻ってきた。
少し、物足りない。 また、チャンスがあったら、外海に出てみたい。 
流氷が、このようにやって来たのは、今日が初めてだが。

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大山に上ろうと思ったら、道が閉鎖されていた。 除雪が終わってない。
それで、また、紋別公園に行った。
小さな展望台の上から、写真を撮った。
ガリンコ号の乗り場や、オホーツクタワーが遠くに見える。

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紋別港の中心。 海は、どこまでも真っ白

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北方面の海。 真っ白。 手前の建物は、灯台

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今日は、初めてガリンコ号に乗りました。 船自体、久しぶり。
外海の流氷は、今日見たのとは、違うかも知れない。 それを確かめないとダメかな。
ガリンコ号の雰囲気は、伝わったでしょうか。

今日は、これから、することがあるので、ブログはここまで。

【追記】 NHKの「天地人」で謙信がいいことを言った。
        「迷うからこそ、見つけられるものがある」    
      初めて出会ったことばだな。

 やっと終わった。 やらなきゃならんことが。 つかれたな~。
      ビールでも、飲むぞ。 (10時)
※ オジロワシの写真を追加。 入れ忘れた。

※ 1回のブログに、今日の大きさの写真は、この枚数が限界。 もっと写真を入れたいときは、ブログを分ければいいのかな。


「今日の歌」は、アムール河の波(YouTube) 歌入り

                アムール河の波(おけら) 歌なし
  アムール河あっての流氷。

【午前7時】
6時過ぎ、風の音で目が覚めた。
外の様子は、ただ事ではない。 時折、強風のため、家がきしむ。
夕べ、天気予報をバカにした。 しっぺ返しみたいだ。

暴風雪・大雪の警報が出てる。

玄関を開けようとしたが、開かない。 この後、服を着て何とかして開ける。
恐る恐る、カーテンを開いた。 こんな状態。 昨日は下までもちろんガラス。   

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向かいの家の前。 吹きだまっている。 風が弱まるとこんな感じ。
1分おきくらいに、風の強さが変わる。 雪の降り方も変わる。

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グランドの向こうまでしか見えない。

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今日はみんな除雪で大変だ。 今除雪しても、すぐに埋まるから、止んでから。
これから、玄関を開ける。 玄関前だけ除雪する。

【7時30分】
下の写真まで開けた。 ドアを手前に引いたとき、ドアの向こうの雪が崩れた。
にっちもさっちも行かなくなった。 私の玄関前だけ、狙い撃ちされたのか。
別の部屋の窓から出ることにする。 大変だ

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【7時50分】
窓から出て、胸までの雪をこいで行った。 風に飛ばされて、30㎝くらいの所もある。 高いところは人の背丈。 風が強まると視界はなくなる。  眼鏡に雪がくっつく。
玄関前は雪の山。 車の前は雪に埋まった。 
玄関ドアは、何とか開いた。

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居間の窓の雪が、だんだん高くなる。 半分になった。
さっきテレビは、オホーツク地方の雪は、降り始めから今日の夕方まで、最大70㎝と言った。

除雪車はいそがしくなる。 動き始めたか。
大雪になるとみんな困るが、除雪の仕事をする人は、仕事が生まれて助かる
私たちは、体が痛くなるまでの除雪を覚悟しなければならない。 最低、?時間。

今、除雪車が来た。 1回通り過ぎて除雪は終わらないから、何回も行ったり来たりしている。(8時30分)
ここを除雪する人は、いつも、道の他に、私の家の前に、道を広げて空き地を作ってくれる。 ママさんダンプの雪を捨てやすいように。 助かる。 運転手さんが気を使ってくれてるのか、誰かが言ってくれたのか。 ありがたい。
   
【11時40分】
11頃、おさまってきた。 外に出ようとしたら、出られない。 また、窓から。
学校の玄関前を通れるようにした。 すぐ終わった。 除雪車が入っていた。
自宅の玄関前は、すっかり元に戻っていた。 40分ほど除雪した。 
とりあえず通れるようになった。 疲れたので、ここまで。

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家の前をやめて、ゴミを入れる前を除雪した。 隣の家の前にある。
何となく、隣の家の玄関前を見た。 雪はまったくない。 全部吹き飛んだ。
  ※ 隣は、出かけて、帰ってこられなかったのか? 留守。
ずいぶん差がある。 どういうことだ。 でも、普段の行いとは関係ないことを、「泥流地帯」で学んだ。 だから、気にはならない。  ブログ「泥流地帯 まとめ」(9月28日) (私が6年の時に見た、十勝岳大噴火の動画もあります)  三浦綾子の泥流地帯については、他にもいくつか書いた。 ブログの右側に「検索」がある。 そこに、泥流地帯と打ち込んだら、全部でる。 

天気予報では、この天気は、夕方まで続くと言ってる。 やめてほしい。
せっかく除けたのに、また埋まってしまう。   
今日から明日にかけての風向きが悪い。 西寄りだ。 流氷が遠ざかる。
リスにごはんをやってなかった。 行ってくる。

えさ箱の中は、雪で埋まっていた。
でも、その雪をひっかいた跡があった。 1時間は経ってない。
木の周りに、小さな動物の足跡があった。 何の動物だろう。

そう言えば、以前こんなことがあった。 餌台の下に、ヒマワリの種を入れるプラスチックのコップを置いたままにした。 夕方暗くなって、帰り道、そのコップを取ろうとした。 何かの動物がコップから飛び出た。 私の手にも触った。 いや、ビックリした。 「ウワッ!」って声が出た。
ネズミなら、いやだな。 リスより小さいかわいい生き物っているかな。

※ 追記 足跡は、鳥だった。 同じ足跡がまたあった。 それは、どこにも続いてなかった。 最初見たとき、そのことを考えなかった。 まったく・・・。

リスはクルミを食べに来てない。 予想されたことだが、リスは午前中に食べることが多い。

外は静かになりました。 風も雪もない。 除雪も少し雑だが、終わった。 車の向こう側の除雪が面倒だから、雪の少ない手前に、50㎝程ずらした。(5時前)



「今日の歌」は、ヘイリーの「アメイジグ・グレイス」(YouTube) 4月1日、札幌で公演がある。

          菅原洋一の「風の盆」(エムズの片割れ)

追記 歌で思い出したことがある。 先日、ゴッドファーザーを見たとき、映画の中の街中の看板に「Patti Page」と書かれた看板があった。 映画とこの人は同じ時代なんだ。 1950年頃か。 テネシーワルツは、この人が歌わなかったら、ヒットはしなかった。 他の人のも聞いたが、いい歌には聞こえないから。  パティ・ペイジの「テネシーワルツ」

食欲がないぞ。 へんだなあ。
夕食も、少しだけ。 夕べも、食べたか食べないか分からないうちに、寝てしまった。
熱はない。 ただ、一昨日、寝汗をいっぱいかいた。

今まで、食欲が無くなるときは、こんな時。
将棋などのゲームを、真剣にやるとき。 
悩みがあって、解決策を探すとき。
どっちも、頭をいっぱい使う。
私の頭は、たくさん使うことに、慣れてないようだ

高校時代、旭川で開催される将棋大会にしょっちゅう出た。
カレーなどの食事は、喉を通らなかった。
麻雀は、バカなこと言って、ふざけながらやるので、大丈夫。
悩みについては、どんなに悩んでも、ビールがまずいことは無かったんだが。
少し変だ。 眠たい感じがもする。 体調かな
これを書き終わったら、すぐに寝る。


吹雪く吹雪くと言って、さっぱりだ。 外は静か。 物足りない。
少しは降ったが、こんな程度。(8時)

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除雪のことを忘れて、すぐ、こう思う。
今まで、一番ひどかった吹雪は、6年前か。 中湧別にいた時。
二日ほど荒れ狂った。

学校に入ろうとした。 入れない。 どこの入り口も、屋根近くまで塞がった。
普段使わないところから、何とか入った。 車道から、玄関までを除雪機で除雪した。
吹きだまりの高さは、頭の高さ以上あった。 崩しては投げ、崩しては投げした。

失敗したなと思ったことがあった。
吹雪が止んだとき、除雪車が入る前に、町内の写真をいっぱい撮っておけばよかった。

雄武にいたとき、駐車場の除雪をしないことがあった。
降った分、車で踏みつけた。 今のサーフ。
春になって雪がとけ始めたら、駐車場だけ、周りより30センチ以上高くなった。


旅に出たら、誰かにお世話になるかも知れない。
お礼のためのお土産を積んどく必要がある。 何がいいか。
ぱっと思いついたのが、カニの鉄砲汁
何人かで、1回は楽しめる。 缶詰だけど、味はいい。

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他に何があるかなあ。 お菓子とかは、賞味期限が短い。
珍味なんかは、大したもんでない。
北海道のチョコレートもあるが、似たような味だ。

そう言えば、今、チョコレートを食べた。 美味しい。
子供からもらったのだ。 バレンタインに5人から。 食欲無くても、食べれる。
5人には、10倍にして返さんとダメだな。 

話しは戻って。 簡単には見つからない。

明後日は天気が落ち着く。 流氷が来てたら、ガリンコ号に乗る。

書き足りない感じがするんだが、疲れたので、寝ます。

※ リスのことを少し。 ごはんは、朝やった。 口笛を吹いたら、木のそばの物置小屋の陰から顔を出した。 「おはよう」って言ったら、吹っ飛んできた。 木に登って待ってた。 リスは、走り方が、こっけい。 前足も後足も、広げたまま走る。 スマートでない。 


「今日の歌」は、岡村孝子の「ビリーブ」(YouTube) この歌いい。

          西島三重子の「鬼無里の道」(YouTube) 車でいつも聴いてる。

今(9時過ぎ)、NHKBSの音楽番組で、歌手全員で「銀色の道」を歌った。 この歌の歌碑が鴻之舞にある。 「銀色に道」(YouTube)  ブログ「銀色の道」

昨日の天気予報は、明日暴風雪だった。 予報は変わった。 明日は大丈夫。
明後日が、大変な天気の予報だ。

明日朝、弁当を作らなければならない。 困ったことが起きた。
弁当箱やタッパは、ぜ~ん部捨てちゃった。 少し早かったか。
一昨日酒を飲んだとき、余った刺身を入れてきた、薄い透明の容器しかない。
ま、何でもいいか。  

昨日の続き。
うれしい出会いだった人達。 そして、また会いたい人達。

【中湧別の花のばあちゃん】 
遠軽に向かうとき、中湧別の市街を出る辺りに、小さな橋がある。 夏に、そこから左を見たら、堤防が花でいっぱいになっている。 その花は、70歳を過ぎた一人暮らしのおばあちゃんが植えた。
学校に花の苗をくれたので、時々遊びに行った。 少しのお土産を持って。
ビニールハウスに野菜を作ってた。 家の周りには、花がいっぱい咲いてた。
ばあちゃんの楽しみは、私に花の説明をすること。 いつまでも、それを聞いた。 帰りには、好きなだけ野菜をくれた。 あれから、5年以上経った。 元気にしてるかな。

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【花咲時代、魚釣りした仲間】
別海の走古丹(はしりこたん)で、飽きるほど、サケ釣りをした。 根室から60㎞。 いつも3人くらい。
学校が終わったら、エサのサンマを買って、風呂に入って、弁当を持って出かけた。 浜に着いたら、場所を取って、酒を飲む。 焼き肉をすることもあった。 朝は、4時頃起きて、暗いうちに準備をした。
7時まで釣って、根室に戻った。 釣った魚は、小さな魚屋さんの父さんに頼んだ。 住所を書いた紙を渡して、実家とかに送った。 そのまま学校に行った。 9月が中心。

1シーズンで何匹釣るかの競争をしていた。 夕陽を見ながら、浜で飲む酒は、たまらない。
私は、7本竿を出していた。 ある時、3本に当たりが来た。 2本は手伝ってもらった。 ながく釣りをしてきたが、これが一番思い出に残った瞬間。
10年も経ってから、その砂浜に、一度だけ集まった。
※ 去年、走古丹に行った。 釣った場所の写真はないが、その時のブログ。 

【高校時代の友人】
美瑛から汽車に乗って、同じ高校に通った。
意志は強いが、やさしい男。 ひげが濃く汗っかきだった。
大学が終わって、勤めてからも、付き合いは続いた。 夏休みに美瑛に戻ったときは、トウキビをもらいに行った。 スイカももらった。 ある時、その友人は言った。 昔から好きな人がいるって。 その人は、私がブログに書いた人だった。 私は、黙っていた。
今、その友人に会いたいが、「キツネの窓」がなかったら、会えない。  ※ きつねの窓
25歳の秋だったか、新聞に大きく、交通事故の記事が載った。
息が止まった。 亡くなったのは、上に書いた友人だった。 上富良野から美瑛に戻るとき。 助手席に乗っていた。

【その他に会いたい人】  
まだまだ書きたい人はいるけど、ここに書いて終わりにします。

根室のスナック「杏奈」の店の人みんな。 数年前、店を閉めた。 
7年程前、夕方急に思い立って、根室に向かった。 9時頃着いて、1時頃まで飲んで、車で寝て、昼前帰ってきた。 旦那がヤクザだって言う人がいた。 でも、そのヤクザの旦那が、私にって、サケを1匹、奥さんに持たせた。 その旦那、重い病気になっていた。 1年後だったか、・・・。  

大学時代、南近畿を一緒に旅した、昔の友人に会えたらいい。なかなか会えない。

前の学校にいる、ある一人の子供に会いたい。 紋別の街の中を走っていて、見かけたら必ず車を止める心の準備をしている。 元気でいるかな。

またスナック。 恵庭と旭川。 両方とも2度ほど行った。 最近行ってない。 「北の岬」の歌を、たくさん応援してくれた。 いつか寄れるときがある。

イトウ釣りを、一緒にやった者とも、ずっと会ってない。

思い出したら、きりがない。



「今日の歌」は、西島三重子の「想い出づくり」(YouTube)

          伊藤咲子の「乙女のワルツ」(YouTube)

夜の会議が遅くなった。 10時過ぎた。

先日頼んであった、「ありがとう・・・」の額が届いた。
いい言葉だ。 車のどこかに飾る。

今日は、今まで人と出会って、この言葉のように感じたことがあったか、思い出していた。
その中でも、ずっと会ってない人は誰かなって。 そして、会いたいと思う人。
そのことを書く。

【京都にいる高校時代の友人】会うことの出来るチャンスはあったが、30年ほど会ってない。 実家は、旭川の永山の街の中にあるお寺。 国道沿いにある。 高校時代から、坊さんの資格を持ってた。 今は、京都で教師をしている。 昔から、穏やかな話し方だった。 今、どんなことを考えているか、話してみたい。

【九州で医者をしている教え子】
私の教え子で、医者になったと確認できてるのは、1名だけ。 なれる能力のあった子は何名かいるが。 福岡県にある病院にいる。 今年の夏には、会えるかも知れない。 会いたい。
最初の、幌茂尻小学校の教え子。 3・4年で担任した。 3年生の秋に、私に、医者になりたいと言ってきた。 猛勉強が始まった。 たくさんの問題集をやった。 私が勝手に買って持たせたら、おばあちゃんが、お金を持たせてくれた。 母親はいなかった。 冬休みも学校や私の家で勉強した。 この子だけでなく、他の子も。 高学年になっても中学校に行っても、絶対につぶれない学力が必要だった。
1年後、学力テストを15分で、満点とれる力がついた。 もともと高い能力を持った子供だった。
4年生最後の日、自分の夢を語った。 こう言った。 「ぼくは必ず医者になって、8人の仲間と先生が病気になったら、ただで治します」と。 これはビデオに撮った。 今もある。
8年後、防衛医科大に入った。 北大医学部を滑り止めにしたと、後日、釧路湖陵の先生から聞いた。 一人前の医者になるまでの十数年、生半可な努力ではなかったんだろうなって思う。
専門は脳神経。 会ったときは、私の頭の中が大丈夫か診てもらう。 もちろんタダで。

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【珍竹林のママ】
中湧別にいたとき。 珍竹林という居酒屋があった。
よく飲みに行った。 若いの連れて。 11時頃になったら、スナックに変わった。 私は歌だ好きだから、私が行くとき、歌の上手な友人を呼んでくれた。 3時頃まで、貸し切りみたいに使わせてくれた。
ママさんは、話しのとっても楽しい人だった。 今は、店を閉めて、札幌の狸小路で店を出している。
いつかのブログで書いた、亡くなった後輩と話しをしたのも、この店。
お礼を言わないとならない。

12時になった。 遅くなったので、続きは明日。 
キツネの窓」がなければ会えない人もいる。 
それは、明日書きます。


「今日の歌」は、小椋桂の「思い出してください」(YouTube)


いい夜だ。 夕べとは違って静かな夜だ。 
少し酔って歩いた。 キュッ、キュッ、って靴の下の雪が鳴った。
空を見上げたら、満天の星空だった。 オリオン座が西の空に見えた。
息を吸ったら、のどにしばれた空気が、くっついた。

雪に埋もれた、今日見た夜の風景は、きっと記憶に残る。
10代最後の日の夜も、こうやって空を見上げて歩いた。
もう、何回も見ることはない。 そんなことを思って、歩いた。

今日は、ちょっぴり、地元でお酒を飲んだ
いつだかのブログに書いた、Kさんを誘って。
飲む理由は、適当に考えた。
のんびりと飲める酒が、いちばんいい。 いちばん美味しい。

メニューは、お寿司、刺身盛り合わせ、小鍋、貝の酢の物。
(写真を撮る予定だったが、忘れた。 いつものこと)
ホッキの握りが久しぶりだった。 刺身は食べきれなかったので、持ち帰った。

今日も眠かった。 夕べ、ゴッドファーザーを見終わったら、12時過ぎた。 外が、少しうるさかったので見に行った。 大変だ。 大雪だ。 5時には起きなければならない。 すぐ寝ることにした。 でも、ちょっとだけ、司馬遼太郎の本が読みたい。 少しだけと勘弁してもらって、1時まで読んだ。 4時間ほど寝て目覚ましで起きた。 吹雪は止んでいた。 でも、通常通り学校がやれるかの確認がいるから、もう一度寝ることは出来なかった。 今日も結局眠たい一日になった。

今日は11時には寝る。 ブログが書き終わらなくても、ほっぽらかして寝るぞ。
久しぶりにリスに会った。 近づいてから気づいたこともあって、リスは驚いて逃げた。 離れたところから、「おはよう~」とか、「うまいか~」とか、しゃべりながら近づくのがいい。

真ん中にいるんだが、細い木の枝が邪魔をして、良くわからない。 携帯で撮った。

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キャンピングカーで旅をしたら、いいことがある
まず、水道代はかからない。 電気代はいらない。 新聞はとらない。 下水道代はかからない。 町内会費もいらない。 暖房費はちょっぴり。 NHKは払わないでいい。 これだけで、2万円くらいになる。 

水とトイレは、道の駅でお世話になる。 申し訳ない気がする。
こうしなければ、ならない。 道の駅で、買い物をする必要がある。 そうしたら、勘弁してもらえるか。
それでも、たくさんの水はもらえないかな。 ○○名水とかの、湧き水をさがす必要がありそうだ。

捨てる水は、どうする。 後ろめたさを感じなかったら、旅の恥をかき捨てることができたら、どこにでも捨てることが出来る。 
いい方法はないか。 これなら問題はあるか。 車を洗車する。 その時に捨てる。 どうだろう。 大丈夫かな。

上にはないが、ゴミの問題がある。 例えば、コンビニとか温泉に行ったときに、そこで少し捨てる。 この方法がいいと思ってる。 お金を使う場所で捨てたら文句は言われない。
服とかいらなくなったらどうすればいい。 切り刻んで少しずつ捨てるのか? こんな方法もあるかな。 誰かにその土地の果物とか送る。 その中に、「これ、捨ててくれ」と書いて、一緒に送る。 名案だな。

他に洗濯の問題があるが、これは、コインランドリーで大丈夫。 まだ使ったことはないが。

このように、いいこともあるし、大変なこともある。 工夫が必要になることも多い。

何か、思考力が無くなってきた。 書くことも分からなくなってきた。
つづきは、朝。  見直しも。 おやすみ。 ぐっすり、ねるぞ。

あたらしい歌を発見した。 詞がいい。

追記(朝) 直し終わった。 少し付け足した。

SOTOのしうさんが書いてたが、ガスの充填をやってくれるとこが、少ないそうだ。 苦労するかも知れない。 どうしようもなくなったら、カセットガスのコンロにしなければならない。


「今日の歌」は、レミオロメンというグループが歌う、「春夏秋冬」(YouTube) 
      出だしの歌詞は   春は月に笑うように
                  夏は花火に恋するように
                  秋は空をすいこむように 
                  冬はどこまでも駈け抜けるるように
      山梨県出身のグループ。

出発まで、あと一ヶ月半。 あっという間に近づいて来た。
準備がどうなっているのか、それを書きますね。

以前書いたが、困っている問題があった。 自転車だ。
助手席に置くことを考えていたが、どうもまずい。 その場所には、地図やカメラや、物を置く場所に使いたい。 車の後に積むことは出来ない。 今から、積めるようには出来ない。(構造上の問題)

一時、積まないことも考えていた。
でも、自転車は便利だ。 風を切って走れる。 また、せっかく買ったし。 デザインも気に入っている。 最近、名案が浮かんだ。 シャワールームに置いておけばいい。 トイレもシャワーも、普段は使わない。 緊急用だ。 使うときは、出せばいい。 下に置くから、洗濯物を干すときがあっても、邪魔にはならない。
そう言うことで、自転車については、解決しました。 

ローバー社製の、めんこい自転車です。 折りたたみ式。

   自転車 堤防

※ そう言えば、早い時期のブログの写真は、小さかったですね。 これしか出来なかった。(クリックしたら大きくなる)
   この写真は、6月13日のブログから持ってきました。

準備の中で、大事なことがあるんだが、それは、退職に向けての事務的なこと。 これは、終わっている。 退職金が、どうなるとか。 

家具や電化製品の処分について
これは、まとめて引き取ってもらえる業者がある。 3月に入ったら、見に来てもらう。 安いだろうけど、どうでもいい。 もし、冷蔵庫が欲しいと言う人がいれば、あげてもいいと思ってる。 マッサージ器もある。 私の手を煩わせないで、持って行ってくれるのが条件かな。 もし、ブログを読んで知ったと言ったら、運ぶの手伝ってあげてもいいか。 大サービスで。(笑)

衣類について
今ある物の、9割は捨てる。 
スーツで持って行くのは、葬式の時に着る黒と、気に入ったの1着。 ワイシャツとネクタイを2つくらい。 普段着るのは、タンスの引き出し4つに、収まった。

電気製品
パソコン2台と、印刷機1台。 ラジオ2台(中と小)。 
※ CDとビデオのデッキも持つのかな。 ビデオをCDに記録する作業が、忙しくて出来なかったから。それが終わったら捨てるか。 ボウズのスピーカーは持つ。 一番大事なのはパソコン

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本棚2つ分あったけど、去年の夏に、み~んな捨てた。 今残ってるのは、旅行関係とパソコン関係の20冊くらい。 知りたいことは、インターネットで調べる。 職場にもあるが、それは、みんないらない。

その他に、必要な物
工具 釣り道具 薬品 カメラ(2台) お風呂道具 洗剤 食器 鍋や包丁 布団 寝袋 文房具 他いろいろ。 
※ 掛け布団は、薄いのが2枚合わさっている。 だから、洗濯が出来る。


4月に入ったら、サーフに、みんな積んで函館に向かう
函館で、サーフを売る。 会社が面倒見てくれる。 不景気になったので、車は高くは売れない。 少し前まで、サーフとかは、ドバイで需要があった。 ドバイは今、景気は良くない。 

函館に、2・3日いる。 フェリーで青森へ。 そこから、真っ直ぐ息子がいる京都に向かう。 そこからどこに行くかは、まだ決めてない。 
ただ、今年の内に、ブログに書いた場所は、みんな行きたいなと思ってる。 

      鬼無里(きなさ)(1月19日ブログ)や、   小野小町の雄勝(12月21日)など。


「今日の歌」は、西島三重子の「鬼無里の道」(YouTube)

          倍賞千恵子の「遠くへ行きたい」(YouTube)

上藻別に行ってみた。 見たいのは、動物。
キツネが2匹あらわれたが、カメラを構えたときには、山のかげ。
不動温泉は、静かに眠っている感じ。

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上藻別駅亭に行ってみたが、人はいなかった。
駅亭で、思い出したことがある。 ずっと昔、駅亭に泊まったことがあった。

私が5歳の春、留辺蘂から、中川町の国府に引っ越した。 農業をするため。
紋別を通った。 夕方薄暗くなったころ、歌内の駅に着いた。
天塩川に橋はなかった。 氷の上を渡った。 氷が割れても離れないように、木の枝を敷き詰めていた。 春だから、川は溶け出していて、10㍍位離れたところに、水面が見えた。 子供心に怖かった。

その晩は、遠い親戚の家に泊まった。 親父は、その家を駅亭と呼んでいた。 その時も駅亭だったのか、昔駅亭だったのかは、分からない。 昭和30年だから、もうやってないかな。
入ったすぐの玄関は、土間で広かった。 上がったところが、居間。 板の間。 そこで、食事もした。 その晩に食べたのは、うどん。 

隣に、10畳ほどの部屋が、2つあった。 そこで寝た。 他にも部屋はあったようだ。
風呂は、五右衛門風呂だった。 入ったかどうかの記憶はない。
その晩は、これからの生活に、漠然とした不安を感じていた。
5年間の、楽しくも、貧しい生活の始まりだった。 

昨年の夏、キャンピングカーで行ってきた。 
つらかった思い出は、ほとんど消えて、楽しかった思い出だけが残っている。

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上の写真の時は明るかった。 紋別に向かい始めたら、正面が暗かった。 左の写真はまだ山が見える。 数秒後、まったく見えなくなる。 1分後には、この状態。 吹雪だ。 この後もっとひどくなり、視界は30㍍ほど。 10分ほど続いた。 紋別に着いたときには止んでいた。 にわか吹雪だった。 

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オホーツクタワーが遠いので、電気自動車で行く。 ガリンコ号が丁度出るとこだった。 流氷のとこまでは行けないと分かっていたので、乗らなかった。 天気が悪くなってきた。

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防波堤の道。 途中で歩いている人を拾った。 観光客3人組。

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風が強まる中、港の外に出ていった。

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クリオネ。 この写真を撮るのが目的。 小さいし、ガラスの向こうの水の中だから、なかなかピントが合わない。 やっと写してこの程度。
正式な名前は、「クリオネ・リマキナ」。 ナメクジ形をした女神という意味。 説明に書いてあった。 貝の仲間だが、貝殻がない。 小さな生物を食べるが、どう猛な食べ方をする。

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いっぱいいた。 元気がないのは、水面に近い所で泳いでた。

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クロソイ。 刺身にしたら、美味しかったかな。 窓の外には、魚はいなかった。

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窓の外にいた、ウニ。  フウセン魚(白いの)とナメダンゴ魚

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カジカの顔。 こんな顔の人がいるな、と言ったら怒られるか。

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最近はないが、砂浜に流氷が、打ち上げられて山が出来ることがある。 

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吹雪の中、ガリンコ号が帰ってきた。

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次の休み、流氷が来てたら、ガリンコ号に乗ろうと思ってる。
2日間の休みが終わった。 のんびりしたけど、あっと言う間。
時間がもったいなので、いつも12時頃まで起きてる。 そうして、眠たい思いで過ごしている。
2月の後半に入った。
※ 今日いい番組を見た。 ダムの建設に関わって。 無駄なダムについて、戦った人間がいた。 機会があれば、書きますね。



「今日の歌」は、天知真理の「想い出のセレナーデ」(YouTube) 初めての曲ですよ。  

       
                          ペギー葉山の「学生時代」(YouTube) これも初めて。 ペギー葉山がまだ若い。 女の人には、誰でも、こういう時代があった。 みんな、その時代から遠ざかっていく。 その時代の懐かしさを思い出させてくれる歌の感じがする。 この歌を、昔ギターで歌ったことがある。 お母さん方と子供達での、お別れ会で。 お母さん方の人生を少し思ってね。
                        レコード(YouTube)                  学生時代(MIDI音楽)

の~んびり出来る日が、何日も続くと、飽きるときがある。 でも、いそがしい日が続いていたら、ありがたく感じる。 ぜいたくな気持ちが起きない。 物足りないとか。
今日はどこにも出かけないで、テレビを見た。 いい一日だ。
夜9時からは、ゴッドファーザーがBSではいる。 それを見る。 気に入った音楽があるんだが、記憶してた場所で流れるのか、確認したい。 シシリー島での場面。 録画は出来ないから、音楽だけでも録音したい。 アルパチーノが好き。 変わっていくところが。

テレビを見終わったけど、私は勘違いしていた。 期待した歌が流れる場面はなかった。 Ⅱの方かな。 月曜日に放映される。 

最近、日本のどこかを紹介する番組があったら、見ることにしてる。
いいなと思うのはめったにない。 でも、今日はいい番組に出会った。

写真の整理に時間がかかった。 続きは、後で。  12時過ぎ。
この駅のあるのは、宮崎県 えびの市。 北に行くと人吉市。 人吉市の北の山の中に、「五木の子守歌」の五木村がある。 

真幸(まさき)駅
という。 真に幸せになる というので、人がいっぱい来る。  宮崎県の山奥の奥。
がある。 一回ならすと幸せが来る。 2回ならすと、もっと。
そこから少し離れた地域にある、写真の棚田は、日本棚田百選に選ばれてる。
この番組を作ったのは、駅と棚田に魅力があったから。 それに関わる人もいいから。
 
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無人駅。 ローカル線の肥薩線にある駅。 肥薩線の名前は、肥後と薩摩の間にあるから。 肥後は熊本県。 薩摩は鹿児島県。 ほんの少しだけ、宮崎県内を走る。 そこに真幸駅はある。
写真に、鐘が写ってる。

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この地域のおばあちゃんが、ボランティアで駅の整備や、花を植えてる。 また、店も出してる。 不思議なのは、じいちゃんがいない。 おばあちゃん達はみんな元気がいい。 
どうも年をとると、女の人の方が元気だ。 どうしてなんだろう。

そのばあちゃん達は、お客ととっても仲がいい。 ある時、ある夫婦がやってきた。 奥さんはお腹が大きい。 ばあちゃん達は、生まれてくる子供の名前は、「まさき」がいいと騒いだ。 その夫婦は、子供が生まれて、またやって来た。 子供の名前は「まさき」にしていた。(字は、真輝) みんな喜んだ。

こんな子がいた。 名前を「真幸」だった。 でも、2歳の時、病気で亡くなった。 その子をしのんで、木を植えた。(ラズベリーだったかな) 今も、だいじにだいじに育てている。 
こうやって、ここを訪れる人達との間に、ドラマが生まれている。 ばあちゃん達の温かさに触れるために、多くの人が来ている感じもする。

駅の近くには、人は住んでない。 昔、山津波(泥流)で集落が壊滅した。 

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人がいっぱいいる画像があったが、写すの忘れた。 きれいに整備されてる。

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この駅は、線路がスイッチバックしている。(線路が折り返している)

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老夫婦が、棚田を作ってた。 おじいさんは寡黙。 おばあちゃんは、口が達者。 よくあるパターンだ。 遠くに住む息子が、庭先にライブカメラを付けてくれた。 そのカメラに向かって、息子に話しかけていた。 会話をしていた。 撮影方向は、息子がパソコンで遠隔操作できる。

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綺麗だなって言う画像があったんだが・・・。  
一つ一つは小さい田んぼだが、十分生活できるなっていうくらい、たくさんあった。

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「棚田百選」に選ばれている。 
でも、この風景は、いつまで見ることができるのか。 
  
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猫がいた。 こんな調子だ。 猫はめんこいが、土足で家に入ってくるのが問題だ。

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真幸駅に行って、鐘を鳴らして、ばあちゃん達と話してこないとだめだな。

日本には、ここのように、観光地とは言えないが、いいところがある。
それでも、まだここは、テレビで紹介された。

良さが日本中に紹介されてない素晴らしいところが、たくさんあるはず。 
そういう所や地域を発見したい。



秋元順子の「愛のままで」が、ヒットした。 いいなと思ったんで、いつだかブログに書いた。 60歳過ぎても、可能性はある。 何にでも。 そう思うことにしましょうか・・・。

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「今日の歌」は、秋元順子の「愛のままで」(YouTube)

          夏川りみの「五木の子守歌」(YouTube)

                 李香蘭の「五木の子守歌」(YouTube) 色々画像がある。
 

今日は、13日の金曜日。 穏やかに過ぎることを願っていた。
大丈夫だった。 事故はなかった。

今日も、一日眠かった。 夕べ、ブログを書いた後、何だかんだやってたら、寝る時間が3時間になっちゃった。 でも、2日間休みだと思ったら、気持ちは軽い。 土日に何の予定も入っていない。 これもいい。 眠い眠いと言ってても、夜がふけると、目がさえてくる。

明日は、海が荒れるそうだ。 ガリンコ号は動かない。 流氷の写真は撮れない。
先日、カニ汁とカジか汁を食べたりしたら、しょっぱかったのか、唇の端っこがはれた。 しばらく、塩分は控えなきゃ。 ビールも、一缶で我慢だ。 あ~あ。

   号ガリンコ
    この写真は、夏に撮った。


毎日こうやってブログを書いてる。 今まで、何かをやって、このように続いたことは、全くない。 
子供の頃から、文を書くのは嫌いだった。 書き方が分からなかった。 小学校の5年の時に、感想文を書かされた。 適当に書いて出したら、感想文になってないと言われた。 実は、感想文って何だかが分からないで書いてた。 そんな調子だった。

中学3年の今頃、クラスの女の子が、「本州の子だけど、文通しないかい」って言ってきた。 文通なんかしたことない。 手紙だって書いたことない。 断り切れなくて、することになった。 ※ 私は軟弱な面があるため、こういうことが、時々ある。

何を書いたか忘れたが、便せん1枚苦労して書いた。 送った。 少ししたら、返事が来た。 また、書かなければならない。 大変だ。 書くことがない。 便せん1枚やっと書いた。 送った。 すぐに返事が来た。 もうだめ。 ほったらかしておいた。 しばらくして、手紙がきた。 ほっといた。

後ろめたさが残った。 それを消すことが出来ないから、忘れることも出来ないで、月日が経った。 あれから、43年ほど経った。 今でも、完全には消せないでいる。 その証拠は、その人の名前と、住所は、頭に焼き付いた。 手紙をとってあった訳ではないのに。

名前  「多田○子」
住所  「新潟県 北魚沼郡 守門村 長鳥

その人に会うことはしないが、この守門村にも行くことになると思う。
場所は、ここ。
守門村は、魚沼市に合併した。 近くに、小千谷ちぢみで知られる、小千谷市がある。 手紙に、小千谷高校に行くと書いてあった。 

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この辺りは、日本屈指の豪雪地帯。 魚沼産の米も穫れる。
ここを通る線路は、只見線。 会津若松に行ける。 

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心に引っかかることは、いくつかある。 そのうちの一つ。
新しく、こういうのを作っちゃダメだな。


テレビのニュースで騒いでいるが、小泉も麻生もひどいもんだ。 小泉は自民党を壊すんでなく、日本を壊した。 麻生は、日本を良くするための、何のビジョンもない。 困ったもんだ。 私利私欲で動く政治家ばっかりだ。 政治家のレベルが低いと言うことは、国民の、政治を考えるレベルが低いということかな。 ひどい政治が何十年も続いてきた。 民主党から優れた政治家が出ればいい。 出なければ、他だ。 

明日は、何をするか。 オホーツクミニ情報、何かいいのはないかな。


「今日の歌」は、カーン・リーの「美しい昔」  (YouTube)

          「思い出の九十九里浜」 (YouTube)

          坂井泉水の「きっと忘れない」(YouTube) 

先日のブログに書いた、埼玉県 秩父市 吉田太田部 楢尾 を調べた。
ブログに書いた場所は、必ず行かなければならない、と思うから。
群馬県との県境にある。 県境は、山の峰だから、これ以上の山奥はない。
この地方に、ずっと後から来た人が、一番山奥に住む。

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秩父盆地がある。 秩父市が中心。 
秩父市からの距離は、道が曲がってるから、30㎞くらいかな。

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地図では、林道みたいな道。 本州は、国道でも広くはない。 すれ違えないときがある。 楢尾に行く道は、きっと、山の中のひどい道だ。 

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今年行けるか。 行ってみたいな。 行っても、ムツばあちゃんはいないけど、植えた木の花は咲いてる。 見届けたいと思う。 2007年に、全戸数が6戸と言ってた。 今は、3~4戸か。

全国に、限界集落というのが、たくさんある。
どうも、今の時代は、貧しくてもいいとは言っても、生活するのは大変らしい。 食べる物は自給自足でいいんだが、食べ物以外は買わなければならない。 売った物で、100万円以上の収入を得るのは、きっと大変でないかな。 年金とかなければ、やっていけない。

物が安いというのは、誰もが助かるんだが、喜べない部分もある。 何せ、作る人がもうからない。 大量生産する所以外は、みんな困る。 また、紋別だって、大きな店が来て安く売ったら、昔からある小さな店は、みんなつぶれた。 ほんの一部の人間がたくさん儲かる仕組みに、社会が変わった。
物価は、きっと、まだ下がる。

私には、退職金と、年金がある。 年金は、来年の8月から出る。(65歳前からもらうことが出来る。少し安くなるが。 もっと歳をとったら、お金の勘定もできなくなる。 だから、早くからもらう)
もし、これがなかったら何も出来ない。

だから、もし私が山の中で暮らそうと思ったら出来る。
そう思うときが、ある。 
でも、私は、種をまいたり、花を植えることは好きなんだが、一つ問題がある。 草取りが面倒だ。 蚊なんかの刺す虫も嫌いだ。 料理をするのは好きなんだが、後始末はダメ。 何でも、そうだ。

また、一つの場所にずっといたら、気が狂うかも知れない。
結論が出た。 私に向いているのは、やっぱり、「キャンピングカーでの放浪の旅」しかない。

少し前、水木しげるが、「ゆったりした時間の中で生活するのがいい」と言っていた。 外国のどこかの原住民の生活を見て、こんなことを言った。
これでは、日本の今の社会を生き抜くことはできないが、自分はしようと思ったら出来る。 そのことも考えて見たいかな。

旅は、ブログで毎日紹介するが、「いい旅しているね」って思われる旅をしたい。

最近書いてないが、リスは元気ですよ。 
朝いそがしいから、クルミなんかは夕方やってる。
2月も、半ばに入ってきた。

※ 秩父地方で、知られているのが、楢尾のある吉田町の龍勢祭り。 大きなロケット花火を飛ばす。テレビで見たことがある人が多いと思う。  龍勢祭り(YouTube)



「今日の歌」は、倍賞千恵子の「下町の太陽」(YouTube)  昔、養老牛温泉で会った。 気の合う仲間で行ったとき。 夜、ロビーの自動販売機にジュースを買いにいたときに、会った。 話すことが出来たのに、何も話さなかった。 今なら、絶対にそんなことはないのに。  

                         石川ひとみの「冬のかもめ」(YouTube)      

夕べは、昔、同じ学校だった仲間が集まった。 退職が近づいた者が多い。 昔のことなど、いっぱい話して、楽しかったなあ。 会えないかも知れないと思っていたから、うれしい。 歌もたくさん歌って、帰ってきたのは、2時半頃だった。 

10年以上経って歳はとったが、気持ちはみんな若かった。 こうやってまた会いたいと思うんだから、いい時代だったんだな。 また、いつか会えたらいい

9時半から、濁川のスキー場で、スキーの講習会のお手伝い。 眠たかったな。
下の写真は、山の頂上から、上渚滑方面を写した。 携帯で。

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夕方4時頃、流氷祭りを見に行ってきた。 
メイン氷像は、上藻別駅亭。 これが、うれしいんだな。 夜になってライトアップしたら、もっと綺麗だろうな。 じょうずに造ってる。

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この建物の解説があった。 昨年秋に、登録有形文化財に登録された。 本物の写真は、ここ

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鴻之舞から、丸瀬布に抜ける道に、金八トンネルがある。 まだ通れないが、ほとんど出来上がっている。 この名前になってよかった。

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ドラえもんの滑り台。

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上の写真の、右側の部分。

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広い滑り台。

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氷に色が付いている。 まったくの表面だけではない。

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中には、入らなかった。

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個人の作品もたくさんある。  子供が手伝ったのもある。

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こんなのも。 家族で造ったんだな。

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小さいけど、じょうずだぞ。

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こんなのも。

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これも。

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巨大迷路。

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ゲーム大会をしていた。 人間カーリング。

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店がたくさんあった。 すぐ食べられる物や、海産物を売ってる。 4時頃になったら、閉まりだした。

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カニ汁を食べた。 カニが半分入っていた。 400円だったが、最後だったので、200円。 食べるテーブルはない。 カニを食べるのが大変。 殻を口で破って食べた。 

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カジカ汁。 100円。 小さいカップ。 身はあんまりなかった。  カニ汁を食べた後だったので、やっと汁を全部飲んだ。 店の若い人が、しょっぱくないかい、と聞いてきた。 煮詰まって美味しいよ と答えておいた。

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ホタテとイカの串。 200円。 醤油タレにつけて食べる。 一つ食べた。

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人出は、まあまあでしょうか。 多くはない。 夕方だからか。
旭川の高校時代、数学の先生が、雪祭りについて、こう言った。
「雪祭りなんか、そんなもん見ないで、家の前の雪かきでもしてた方がいい」って。 夢のないことを言ってくれた。 昔は、常磐公園でやってた。 今は、石狩川の河川敷。

この流氷祭りは、市民のためでもあるが、観光客を呼ぶための物なのかな。


サッカーの、ワールドカップ・アジア最終予選、オーストラリア戦が終わった。(9時13分) 引き分け。 過去に、痛い思いをさせられてるので、勝ちたかったなあ。


「今日の歌」は、テレサ・テンの「涙の条件」(YouTube)

          木村美保の「白線流し」(YouTube) 
白線流しは、飛騨高山の高校で行われている。 3月1日に。 帽子の白線と、セーラー服のリボンを結びつけて、川に流す。  画像がゆれる。直ってない。 聞くだけ。   白線流し(ウィキペディア) 

「自分の生き甲斐って、何なんだ?」って、誰もがたまには思うかな。
子供を育てること。 お金を儲けること。 仕事を張り切ってすること。
他にも、きっとある。

でも、めったに思わないが、こんなことも思う。
「自分は、どう生きればいいのかな?」って。
もしかしたら、満足する生き方の中に、生き甲斐が生まれたら、生きることの本当の面白さが見つかるかも知れない。

「生き甲斐」には色々あって、質が違う感じがするので、そのことも考えなければだめなようだ。

いや~、生きてるっていいな~。 面白くてしょうがないぞ」と思える状態に、今の自分はなってない。 贅沢言うな、それが普通だ、と言わそう。 生きるのに精一杯の人たちが、たくさんいるんだから。

秩父のばあちゃんの番組を通して、自分はどう生きればいいのか、その姿が少しだけ見えてきたように感じた。 キーワードは、「自然」と「人」。 どうなるか分からないが、それを追ってみようかなって、思い始めている。 苦労してもいいから。
そのおばあちゃんのような人と、たくさん出会うことができたらうれしい。

ハイビジョンスペシャル 秩父山中・花の後先】について
最初の放送は、2002年。 この年最初の取材。 私は見てない。
次が、2007年12月。 この年の取材と2002年のも放送。 これを見た。 再放送が何度かあった。
場所は、埼玉県 秩父市 吉田町 太田部 楢尾.
楢尾の戸数は、十数戸。 それもだんだん減る。
ばあちゃんの名前は、「小林ムツ」。

   秩父    ばあちゃん

本州のどこもそうだけど、秩父の山奥は、山の斜面が急だ。 北海道と違う。 まるで、日本昔話の世界。
そんなとこで、ムツばあちゃんは、じいちゃんと一緒に、畑、林業、養蚕などで生計を立ててきた。
日本は、高度成長時代に入った。 車を輸出した。 その分何かを買うよう相手国から要求された。それが、農産物になった。
段々畑で作った物は、売っても、それで生活できる値段にはならなかった。 コンニャクイモなんか、1㎏100円にもならなかった。
自給自足のような生活になっていった。

山で暮らす誰もが、夢も希望も持てなくなっていった。
多くの者が、山を去った。

でも、ムツばあちゃんの生き方は、違っていた。
耕作しない段々畑には、木を植えた。 花の咲く木を、道端にいっぱい植えた
それは、数万本と言われている。 秋には、紅葉が人々の目を楽しませた。
じいちゃんが死んでも、ばあちゃんは、それを続けた。

ある時、イノシシが畑を荒らした。 
でも、ばあちゃんは、山がちゃんとしてて実がいっぱい成ってたら、イノシシは来ないと言った。

この番組を面白くしているのは、他にばあちゃんの会話にある。 私は、憶えていないんだが、聞いてて退屈しない。
また、この番組を通して、多くの人が、今の社会や自分たちの生活を見直しているのかなと思う。

今日は、時間が無いので、ここまで。


「今日の歌」は、倍所千恵子の「ふるさと」(YouTube)

 

先日のブログに、報道のインタビューで、「ヨナの心が分かる」 と書いた。
ヨナが話したな言葉をのせる。

「バンクーバーで勝てたことはよかった」
「それ(転倒)が影響しないよう、あとは気持ちを切り替えた」
「ここで、3回転ループを決めておきたかった。残念。でも、ミスした後の演技は良かった」
「感情を表現できるように努力してきた。(韓国より)練習環境はいいし、自信になる」
「練習は良かったけど、本番は回転が足りなかった」
「ちょっと疲れたけど、バンクーバーで1位になれたのは良かった」
「バンクーバーには韓国系の方々が大勢暮らしていて、たくさんのファンが応援に来てくれたので楽な気持ちで試合ができた」


下の写真の目を見たら、本当に嬉しいと言う目ではない。 少し残念という目。
でも、上の言葉を読んだら、残念という気持ちを心の底にしまって、今回の結果を前向きに理解しようと、また考えようと していることが分かる。

どこかのネットの記事に、ヨナは、来年のバンクーバーを見据えてはいるが、今大事なことは、3月の世界選手権に勝つこだと言っていた。 それに勝って、完璧な自信をつけるために。

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各新聞、ヨナの滑りに論評を載せた。 優れたのがある。

【北海道新聞】
・大歓声に包まれながら、主役を演じきった
・1年後に迫った五輪に弾みをつける初優勝だ。
情感たっぷりの演技で観衆を魅了した。
・苦笑いを浮かべつつも、表情には満足感が漂った。
・五輪本番へ、日本勢の最大の強敵となる18歳は、着々と力を つけている。

【朝日新聞】
表彰台の中央。 右手を胸にあてながら国歌を聴き、国旗が上がっていくのを見つめていた。 「ちょっと疲れたけど、バンクーバーで1位になれたのは良かった」 と金。 1年後の自分を想像するかのような、穏やかな笑みだった

北海道新聞は、ヨナを高く評価した。 工夫した表現を用いて。 切れ味がいい。
朝日新聞は、ちょっと違う。 文学的だ。 ヨナの内面にかかわって、文章を書いた。 
私がどちらを好むかは、想像できると思う。 当然、朝日新聞だ。 こんな記事がすきです。 読み終わって、余韻が残る。 

字に色をつけたら、今日は少しくどくなった。 直すの大変なので、このまま。 反省。
昨日、秩父のばあちゃんのテレビを見て、生き甲斐について考えた。 書き始めたら、長くなりそうなので、明日にします。 待てよ、明日お酒なので、明後日になるかな。 
そのばあちゃんの言った言葉を、一つ紹介します。

    「人生なんて、あっけないもんだ。 あっという間に過ぎた


ここで、問題を一つ。
先日、スキー授業があった。 その中で、実際にあったこと。
低学年の指導の時、先生が言った。
こっちに曲がりたいときは、どうしたらいいですか

ふつうは、「こうやって体重をかける」とか、その格好をしたりする。
3年生の男の子が、面白いことを言った。 何と言ったでしょう
答えは、「今日の歌」の下に。



「今日の歌」は、久しぶりに、メロディの「ゴリラダンス」(YouTube)

                          太陽がいっぱい(YouTube)  
主演のアラン・ドロンは、3作目。 現在83歳。 女の人の、マリー・ラフォレ は、デビュー作。 現在、79歳。 二人とも、この映画で脚光をあびる。 マリー・ラフォレのような雰囲気を持った女優はいない。

問題の答え。 「こっちに曲がりたいときは、どうしたらいいですか」と言ったら、大きな声で、「そっちを見る」と言いました。 面白いことを言ってくれる。

尾形拳の最後の主演ドラマ「帽子」を、テレビで見た。 再放送。
テーマは、「生きる誇り」だが、それとは関係なく面白かった。 舞台は呉。

尾形拳演じる春平と田中裕子演じる世津は、お互い大人になったら、一緒になろうと何となく決めていた。 春平は、帽子を作る仕事。 世津は学生。母親のお腹の中で被爆し、体が丈夫でない。

世津がよその街に船で行ってしまうとき、春平は急な仕事で行くはずだった見送りに行けなかった。 それ以来、ずっと会ってない。 40年が経った。 春平は東京に会いに行った。 世津が癌の末期だと知って。 世津は結婚して、子供もいる。 見送りの時の事情を話した。 世津は世津で、春平からもらった小さな帽子を大事に持っていた。 お互い、お互いを忘れることはなかった。 生きる力を失っていた春平は、世津からの話しで、再び生きる誇りを持つ。 昔捨てた、世津の子供がからんでくる。そんな話し。

この話しは、作者の考えたテーマとは、別のことを考えさせられる。
お互い、別れたことを、心の中に引っかかりながら、人生を生きた感じがする。 どちらも、はっきりした態度をとらなかった。 だからこうなったような気がする。

こんな話しがある。 同じクラスだった、ある男と女が、40年ぶりに出会う。 昔のことを話した。 そのとき、昔、お互いが言葉には出せなかったが、お互い好きだったことを知る。 今となっては、取り返しがつかない。 大きな後悔をする。 この話しに少し似てると思った。 ぴったりではないが。 これに似てるとこがあるから、物語が面白くなってる。 物語は作者の意図とは別に、かってに一人歩きするときがある。
   尾形拳はいい。 田中裕子のいつもの少し疲れた演技がぴったりだった

   緒形拳   田中裕子 


流氷がやってきた。 紋別公園から見た。 この距離なら、一晩北風が吹いたら、一気に近づく。
まだ、薄い氷のようだ。 この氷が去ったら、オホーツクに春が来る。
遠くに、白い線のように見える。

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望遠で写して、やっとこれだけ。 
流氷と空との境目が、「氷平線」。 以前ブログに書いた「氷平線」は桜木紫乃の小説

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滝の上の錦仙峡に、自然に出来た氷瀑があった。 新聞に紹介されたので、見に行ってきた。
道の駅のとこの橋の、もう一つ上流の橋から見える。

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キツネに会った。 夏と違って、毛がふさふさしている。

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秩父の山の中で暮らす、一人のおばあちゃんの番組を見てる。 ブログを書きながら。(7時から8時半 BS)
これを見るのは、3回目。 なかなか面白い。 自然と共に生きている。 冬寒くなっても、ストーブがない。 こたつだけ。 いっぱい服を着て。 山の中の急斜面の、ちょっとした平らなところに家がある。
花の咲く木をいっぱい植えた。 しゃべることが面白い。
(1月30日に 亡くなったそうだ)



「今日の歌」は、田中裕子の「ウイスキーの宣伝」(YouTube) 年をとっても魅力的だ。   もう一つ。後半に出てくる。(YouTube)  

優勝はしたけど、ちょっぴり残念。(ちょっぴりを追加)
フリーは、3位。  116.83。  低い点数。
※ フリーは、誰も、120点は超えなかった。 低レベルだ。
トータル、189.07
ロシェット 183.91。   真央 176.52。

うまくいかんもんだなあ。  喜びも半分になっちゃった。
満面の笑顔は、2日で終わった。 きっと。
何が悪かったんだ。

きのう、喜びすぎたたのが悪かったか。 そして、飲み過ぎたのも
もっと謙虚にしてれば、よかったか。

それでも、優勝したから、最悪ではない。
真央は、もっとショックなんだから。
張り切って、今晩、ブログを書く元気がないぞ。
こんなとき、何を書けば面白くなるかな。

テレビを見るのも、つらいなあ。
愚痴ばっかりに、なっちゃった。
でも、これを書かないと、だめだな。

キム・ヨナ、「優勝おめでとう」。
世界選手権、楽しみにしているぞ


4時少し前に、YouTubeに動画が載った。
      フリー演技(YouTube)
最初の3回転・3回転の後の、ループで転んだ。 (初め、ルッツと書いた。訂正。)
その後のジャンプも、問題あるのがいくつかあったのかな。

最後のキメのポーズで、上を向いた。 その時、舌をペロリと出した。

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その後、いい点数は出ないなと、自分に言い聞かせるように、うなずいた。
そして、あ~あ、っていう表情が続いた。

それでも、ヨナは最後だったから、点数が出て優勝が決まったら、少しほっとした表情を見せた。  
勝てなかったら、もっと大変だった。 それに比べたら、まだいいと思ってるかのように。  そして、小さくガッツポーズをした。

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晩のテレビのインタビューで、ヨナの心の中が、分かると思う。


【追記】
今、テレビを見終わったんだけど、116.83という点数ほど、内容は悪くないぞ
コーチが点数に不満があると言ってたのは、このことか。
確かに、真央にも厳しい感じはするが、120点を超えないというのは、変だな。調べてみたいと思うが、分かるか。 最悪と書いたが、最悪ではないな。 ミスをしたけど、引きずらなかったという良さもある。

目標を、200点を超えることに置いたら、苦手のループジャンプを避ける方法もあった。 そうしたら、展開は変わったかも知れない。 でも、それで200点を超えてもダメだ。 失敗しても今日の方がいい。 ループから逃げなかったことを、評価しなければならない
少し、安心したかな。

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何か滑りに、良い時と比べて、違いがあったかというと、たくさんは気づかなかったけど、例えば、フライング・シットスピンというのがあるが、思い切って入っていない感じがした。 こぢんまりとしていた。

もし、今日がオリンピックだったら、こうやって勝っても、それで十分だな。 ループジャンプは跳ぶ必要はない。 点数なんかどうでもいい。 勝つことが大事になる。

転んだとき、怪我しないでよかった。 ひやっとした。 そのあと、大きな失敗をしないで勝った。 そのことは良かったか。 最後に舌を出したが、もし、精神的につぶれていたら、舌も出せない。 今日は、逃げ切った ということだ。

一昨日のブログに、「1回くらい転んでも・・・」と書いた。 余計なことを書いたかな。 ジャンプは難しい。 あらためて、思った。

※ 他の選手のことを、少し。
アメリカの、シズニーという選手が、9位に入った。 もう少し上に行く力のある選手。 この人は、全米選手権で優勝している。 滑りがきれいだ。 雰囲気もいい。 特徴として、ジャンプもスピンも逆回り。 今、21歳。 この人が成長すると面白い。 世界選手権に出てくる。 動画があるので載せます。  
      アメリカ選手権ショートプログラム(YouTube)


話しを戻します。
今回の大会は、「フリーは十分ではなかったが、勝ててよかった」 ということで、まとめます。 ヨナも、少しは安心した様子だったし。

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「今日の歌」は、岡村孝子の「ビリーブ」(YouTube)

          麻衣の「君をのせて」(YouTube)

流氷が、やっと、やって来た。  大山に頂上から見たら見えるかな。
それでも見えなかったら、スカイタワーに上れば見えるでしょう。
本格的な寒さは、これからだ。


下の写真は、得点発表前
どこかの記事にあったのですが、ヨナは、70点を超える自信はあったようです。
そう思ってても、得点は自分が思ってるようには出ないときがある。 だから、不安になる。
ワールドベストは、頭の隅に、ほんの少しあったかも知れないが。 小さな期待として。
こうして手を合わせた。 発表は、このすぐ後。

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点数が出ました。 72.24。 もしかしたらと期待した点数だったのか。 いや、そうではなく、この顔を手で覆ったことを考えると、きっと、予想していなかった点数だ。 高い点数だ。 今後この点数を塗り替えるのは大変だ。 ヨナ自身で越えるには、トリプルアクセル(3回転半)とかしないと、難しい点数だ。

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大きく評価してくれたのがうれしかった。 
オーサーコーチだってうれしい。 こんな選手を指導できて、幸せだ。

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もう涙は見せないと誓っての、2か月の練習の結果が、この笑顔だ。 数分前に演じていた、死に神の表情が、これになった。

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カナダのテレビ局のインタビューを受けた。 ヨナのこの視線が、この人の大きな特徴。 相手の目をしっかり見据えて話す。 また、聞くときも。 英語だったので、何言ってるか分からない。 オリンピックに向けてどうだとかも、聞かれていたようだ。

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ヨナは、誰よりも、流れる曲を意識して演じている。 振り付けは、曲のイメージに合わせて考えられているし。 とっても分かりやすく、ぴったり曲のリズムに合わさっていると分かるところがある。
その一つが、下の写真の場面。 伸ばしていた手を、ひじを曲げて下ろし、手の平を前に向ける。 リズムにぴったり合っている。 YouTubeの日本語版動画の、50秒過ぎだ

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減点はされなかったが問題があるという、アテンションマークが、フリップに付いた。 フリップというから、最初に出てくる、3回転・3回転の初めのジャンプと思う。 ちゃんと調べてないので、多分。 
下の写真は、踏切の瞬間だが、この時のエッジの向きに問題があると。 ここは、以前も指摘された。 その時は、コーチは、少なくと逆ではなくフラットだと言ってた。 少し難しい問題。
   
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この写真は、着地の時。 こちらではないと思う。
   ※ 動画を、望む場面で止めるのは大変。 何回もやり直す。
着地が一番難しい。 完璧でないと、次の3回転が出来ない。
解説の八木沼純子が言うように、「すごいスピード」だから、なお難しい。

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下は、スパイラル。 少し足が揺れた。 その原因だが、想像で言うと。
このリンクは4㍍せまい。 だから、いつもとは違うコースを滑った。 また、せまいために、スピードを落とした。 こんなのを考えて見たが、どうでしょう。 何もないのに、ふらつく訳がないと思うんだが。

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下の写真は、ヨナのよくある体の使い方。 方向を変えて、その場から逃げるように滑るときに、この動きをする。 特徴は、右手の使い方。 手の平を上に向けて、横に押し出す。 

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書く予定だった他のことは、次にします。
フリーは、11頃スタート。 ヨナは最後。 結果は何時頃分かるのかな。 午後2時か、3時か。 ショートの時は、あるスポーツニュースが、ライブで点数が分かるサイトを、紹介していた。 今日も、そうなってたらいい。



「今日の歌」は、山崎ハコの「白い花」(YouTube) 
今日のお酒の席で、ある人が 吉川忠英 の話しをした。 その中で、山崎ハコが去年紋別に来たと言った。 だれかが、山崎ハコに、「おどろおどろしい歌詞」ですね、と言ったそうだ。 
その歌は、間違いなく「白い花」ですよ。 自分の恋敵と思われる人を、花にたとえ、摘んでしまいたいと言ってるんですから。

やっと笑顔だ。 72.24。 完璧だ。 
70点に近づいてほしいと思っていたが、期待以上だった。
競技の後、笑顔いっぱいだった。 ほっとして、胸に手をやった。
それでも、得点発表には不安はあった。 どこまで、評価してもらえるかにだ。
発表直前、まず、アーサーコーチが手を合わせた。 ヨナも合わせた。
その直後、点数が出た。 満面の笑みだ。 抱き合って喜んだ。

72.24は、世界最高得点。 今までの最高は、ヨナの、71.95。
ネットの、速報のニュースは、どこも、そのことに気づいていない。
YouTubeの動画は、韓国語。 そのアナウンサーは知っていた。
ワールド・ベスト と言った。

※ 速報のYouTubeの動画は、得点発表まであった。(この動画は、2時間ぐらいで消えた。 写真を撮ろうと思って見たときは、消えていた )

この点数が出るのには、布石があった。 昨日、こう言った。
「唯一苦手な、トリプルループに対する不安を振り切ってみせる」 と。
このジャンプから逃げなかった。 この大会を、来年を見据えたものに、していたからだ。 
これで、夢の200点越えも可能になってきた。 フリーで、127.76を出せばいい。 ヨナが持っている、世界最高得点は、133.70。 1回くらい転んでも、可能性がある。 面白くなってきた。

フリーは明後日。 そこで失敗しなかったら、3月末の世界選手権(ロサンゼルス)まで、笑顔でいられる。 もし、失敗したら、二日間の笑顔で終わる。 真央とは、14.43 の開きがある。 ほぼ安全圏か。 それでも真央が怖い。 2位のロシェットとは、5.34の差だが、これは心配ない。

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「ロサヌーク」もよかったが、「死の舞踏」はいい。 フワッと力を抜くところがある。 そこもいい。 ヨナと真央が現れて、ただのスポーツでなく、芸術のレベルに高まった。

そう言えば、真央はどうしたのだ。 繊細なスポーツだから、コーチがいなかったことが影響したのか。
何かくるってる。 立て直すのは大変だ。 グランプリファイナルで、あんなに輝いていたのに
何か、この二人は、代わりばんこに、喜んだり悲しんだりしている。 泣いて、笑って、いそがしい。
真央は、時々大崩するが、ヨナはしない。 そこが、少し違う。
今日のヨナの演技を見たら、真央のファンも、ほれぼれしたのではないかな。

今日のヨナの演技に何か問題があったのかというと、あった。 スパイラルの時、あげた足が、少し揺れた。 減点されたかも知れない。 

来年のオリンピックで、今日の演技をしたら、間違いなく金メダルだ。
その前の、3月の世界選手権で優勝して、完璧な自信をつけてくれたらうれしい。

フィギュアスケートを見て感じるんだが、ヨナや真央の体型は、白人より綺麗だ。足も短くないし。 伊藤みどりや荒川静香を見てるときは、そうは見えなかった。 東洋人の体型が変わってきたのかな。 ヨナや真央の体型の良さには、品がある感じがする。 ショート2位のロシェットはカナダ人だが、何か肩幅が広くて、スマートに見えない。

   キム・ヨナ 四大陸選手権 ショートプログラム(YouTube)

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とにかく良かった。 いい演技だった。 
クラシックバレーを演じた後、点数をつけないように、ヨナの演技に点数がなかったとしても、十分楽しめる。 点数なんかどうでもいい感じもする。

真央から見て、ヨナの背中が遠くなるのはうれしいが、でも、二人が切磋琢磨して、フィギュアのレベルを高める方が面白いかなとも思う。

明後日のフリーが無事に終わることを、祈ります
200点を超えるのは、贅沢な望みにしておきます。

明日は、晩にお酒。 ブログは、書けるかどうか分からない。



「今日の歌」は、本田美奈子の「愛の執着駅」(YouTube)

          山崎ハコの「白い花」(YouTube)

久しぶりに、スケートだ。 四大陸選手権。(アフリカ、アジア、アメリカ、オーストラリア大陸)
雪辱できるか。 キム・ヨナが。
競技スタート時刻を調べるのに、1時間かかった。
ある人の、ホームページに載ってるのを、やっと見つけた。

競技開始時刻 (日本時間)   
    女子ショート・・・・明日、5日(木) 午前11:15~
    女子フリー・・・・・・・・・・7日(土) 午前11:00~

ヨナの滑走順は、34番。 真央が33番。
スタートから、2時間はかかるから、ショートもフリーも、午後1時過ぎか。

テレビ放送(フジテレビ)  ショート・・・・・・7日(土) 午後 1:00~                                                                    フリー・・・・・・・ 7日(土) 午後 9:00~

会場は、カナダのバンクーバー。 来年の冬季五輪は、ここで。
スケートリンクは、本番用ではない。 幅とかが違うみたい。 少し狭い。
ヨナは、グランプリファイナルで、真央に負けた。 雪辱できるかが問題だ。
負けたと言っても、ヨナの転倒が一つ少なかったら、ヨナが勝ってた。 大きな差ではない。
下の写真は、バンクーバーで、インタビューを受けたときのテレビ画像。 

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この大会は、以前、世界選手権に出場できない選手が出ていたが、一昨年からか、トップ選手が出るようになってきた。 ヨナと真央がいれば、世界選手権と大して変わらない。 ヨーロッパ選手権より、はるかにレベルは高い。

二人の調子はどうかと言えば、はっきりしない。 周りは、いろいろ言ってる。
ただ、二人とも、ふっくらとした感じはしない。 絞ってるっていう感じ
ヨナは、体重が増えたんでないかと心配していた。 そのために、ジャンプの調子が悪いと。
練習では、3回転・3回転は調子はいいが、別のが問題ありそう。 ルッツとか。
真央も、十分ではないようだ。 タラソワが今回は来ていない。 大丈夫なのか。
   
    バンクーバーでの練習(YouTube)  インタビューもある。

朝鮮日報によると、ヨナは、調子のピークを2月に持ってくるように工夫しているそうだ。 来年の冬季五輪が、2月24日に始まるからだ。 体重は、47㎏に維持していることが分かった。 増えたらジャンプに影響すると言っている。

この大会が終わったら、すぐ世界選手権の準備に入る。 ヨナはこう言ってる。
世界選手権は、選手として、最もほしいタイトルの一つ。ただ、それに執着しすぎないように努めている」と。

グランプリファイナルでは、ショートでは演技に満足できなくて、泣いた。 フリーでは、ミスを重ねた。 「もう涙は見せない」と言っている。 何とか笑顔をみたい。
明日、ショートの結果は、午後2時頃には分かるかな。 
仕事どころでないと言ったらダメだから、何と言えばいいんだ。 緊張するぞ。
ブログを読んでる人も、応援してくださいね。

    スケートアメリカ、ショートプログラム(YouTube)

 

「今日の歌」は、ユンナの「タッチ」(YouTube)

          ニニロッソのトランペット(YouTube)

今日は、節分。 いろいろ思い出してみた。

泣いた赤鬼」は、忘れられない。
根室の最初の学校での学芸会。 私の指導ではなかったが、これが劇で演じられた。 2年生。 主人公の女の子は、この赤鬼を、ほんとうに泣きながら演じた。

「おにたのぼうし」の鬼もそうだけど、鬼の子供達は、昔から友達をつくるのに苦労した。 
「泣いた赤鬼」のお話しは、ここまでして、友達をつくったのか、と言うお話し。
なかなかいいお話しなので、概略を載せます。 (出版社の本を紹介する一文です)

     泣いた赤鬼

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山の中に、一人の赤鬼が住んでいました。赤鬼は、人間たちとも仲良くしたいと考えて、自分の家の前に、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます。」
と書いた、立て札を立てました。

けれども、人間は疑って、誰一人遊びにきませんでした。赤鬼は悲しみ、信用してもらえないことをくやしがり、おしまいには腹を立てて、立て札を引き抜いてしまいました。そこへ、友達の青鬼が訪ねて来ました。青鬼は、わけを聞いて、赤鬼のために次のようなことを考えてやりました。

青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。そうすれば、人間たちにも、赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう、と言うのでした。しかし、それでは青鬼にすまない、としぶる赤鬼を、青鬼は、無理やり引っ張って、村へ出かけて行きました。

計画は成功して、村の人たちは、安心して赤鬼のところへ遊びにくるようになりました。毎日、毎日、村から山へ、三人、五人と連れ立って、出かけて来ました。こうして、赤鬼には人間の友達ができました。赤鬼は、とても喜びました。しかし、日がたつにつれて、気になってくることがありました。それは、あの日から訪ねて来なくなった、青鬼のことでした。

ある日、赤鬼は、青鬼の家を訪ねてみました。青鬼の家は、戸が、かたく、しまっていました。ふと、気がつくと、戸のわきには、貼り紙がしてありました。そして、それに、何か、字が書かれていました。

「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。どこまでも君の友達、青鬼。」

赤鬼は、だまって、それを読みました。二度も三度も読みました。戸に手をかけて顔を押し付け、しくしくと、なみだを流して泣きました。


こういうお話しです。 つらい話しだ。

今日、子供が、落花生の豆を、私のとこに持ってきた。 担任が持たせたんだ。
いっぱいあった。 私の年の数だけあるのかなと、思った。 いつの間にか、こんなに増えちゃった。

※ 今、テレビで、旭川の西部百貨店が、閉店の方向で進んでいるという。 先日のブログで、西部もお客さんはいないと書いた。 西部には確かにいい物があるが、高い。 高い物を買う余裕のある人は、少なくなったと言うことかな。 今は、私も、西部で買おうとは思わない。

話しは、戻って、節分の話し。
私も、昔から、節分の日は、豆まきをして遊んだ。 たいていは、黒板に鬼の顔をはって、それにぶつけた。 なまけ鬼だとかの名前をつけて。
でも、その豆まきが、こうなることが多かった。

それは、黒板にぶつけるのが飽きてくると、知恵を働かす子供が出てくる。 その子は、私の方を「チラッ」っと、斜めに見る。 そうして、どうするか。 鬼の変更だ。 私が鬼になってしまう。 子供達は、みんな面白がって私にぶつける。 どうしようもない。 何か、私には隙があるのかな。 そう思わざるを得ない。 こういうのは、外でやる、雪合戦のときにもあった。


恵方巻き」を買ってきた。 これを食べるのは、昔からの習慣ではなかった。

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恵方って、方向のようだ。 今年は、東北東。 海の方だ。
こっちの方を向いて、切らないで、むしゃむしゃと食べればいいらしい。 中に入ってる具は、「福」なので、福を食べてることになる。 何かいいことがある、ということだ。
こういう事なんだが、コンビニを中心に広げたようだ。 バレンタインのチョコに似てる。


この世の鬼って何でしょう。
一般庶民を、苦しくさせてる原因、それが鬼か。
儲けることばっかり考えてる、一部の人間か。
こういう今の日本の社会だと、こういう人間が出ることは、覚悟しなければならない。
その辺のバランスを考えるのが政治かなと思うんだが、うまくいってない。

政治家は、庶民の味方をしても、何の得もないのか。 じゃ、企業の見方をしたら、どんなと得があるというのだ。 続きを書くと露骨になるから、書きづらい。 (自由に、好き放題に書けるまで、あと少しだ)

昔は、病院とか無かった。 病気になっても、今のようには治せない。 だから、祈ることしかできなかったことが、いっぱいあったんだろうな、と思う。 豆まきは、それもあるか。


「今日の歌」は、渚ゆう子の「京都の恋」(YouTube)   

          初音ミクの「京都の恋」(YouTube)  編曲が面白い

          坂井泉水の「あなたと共に生きていく」(YouTube)

明日は節分。 冬の最後。 明後日から。 私の心はしばらく冬。
あれですね、オホーツクは、これから本格的な寒さが来る。
流氷が来て、氷をなめてやって来た風邪は冷たい。
それでも、暦の上で春と云われたら、すこし、そうかなって思う。 春に向かってることは確かなようだし。


      『おにたのぼうし』  あまんきみこ

・・・豆まきの音を聞きながら、おにたは思いました。
「人間っておかしいな。 おには悪いって決めているんだから。 おににも、いろいろあるのにな」
・・・カサッとも音をたてないで、物おき小屋に出ていきました。

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節分の日は、「鬼は外!」って言いながら、みんなで鬼を追い払います。 日本の伝統的な行事です。
しかし、この行事で、「みんなに追われた鬼は、どこに行くんだろう」と考えた子供がおりました。 こんな事を考えるのは、珍しい子供です。 この子は、その思いを心の中にずっと抱きながら成長しました。 そして、大人になって、あるお話しを作りました。 現在、3年の国語の教科書に載っている「おにたのぼうし」が、そのお話しです。
「鬼はどこへ・・・」と考えた子供が、このお話しの作者である、あまんきみこ さんです。

この話、なかなかいい。
今の世の中、子供たちは子供たちをいじめます。 その原因は、大人である私たちの心の中にあるような気がします。。 節分の豆まきによっても、私たち大人の心が作られてきたように感じます。
私たちは、子供のころから、自分たちと違うもの、みんなが悪いと言う物に対して、当たり前のように攻撃的になり、冷たくすることを経験し、多かれ少なかれ、それを積み重ねて育ってきました。

大人になっての考え方の基本は、子供の時から少しずつ作られてきました。 今の子供達に、私たちの心が、染み渡っていました。 考えて見たら、今の、いじめの原因は、私たち大人の心にありました。
あまんきみこ さんは、そのことに気づきました。

教育って、おそろしい。 子供の幸せを願って、いろいろ学校や、家庭でやってる。
しかし教育の結果は、育ててると思ってる、目の前の子供達ではとどまらず、いつか生まれてくる、この子達の子供達が幸せに生活できるかどうかにまで、関わっていく。  おそろしいかもしれないが、価値も大きい。

明日は、節分です。 豆をまく私たちの顔が「」にならないように、今年は「少しやさしく鬼は外!」 をしませんか。


今日、クルミが届きました。 10㎏。  食べきれないだけ、いっぱいやった。
ずっと少ない数で我慢してた。
ところで、リスは、片目で人をじっと見つめる事がある。 もちろん、両目の時もあるが。
不思議に思うのは、片目で人をじっと見ていたとき、反対の目は何を見てるのかな
そう、思うわけです。

この記事を書き始めて思い出した。 クルミを焼いて食べるぞ。

   クルミ

クルミは濡らして焼いた。 すぐに割れる。  香ばしい味がする。 
私はリスより体が大きいから、1個食べたときの満足感が、リスより小さい。 



今日の歌は、鬼女伝説の、「鬼無里(きなさ)の道」(YouTube)

        八神純子「思い出は美しすぎて」(YouTube)

        マドンナの宝石(YouTube)

今年の「紋別市流氷祭り」のメイン氷像は、上藻別駅亭
この駅亭は、昨年、「登録有形文化財」に認定された。 たぶん、紋別市唯一の文化財だ。 例年は、前年話題になった物を作ってた。 昨年は、「ザ、ウインザーホテル洞爺」。 そう言う意味で、今年は、いいものを作ってる。 下の写真は、裏側。

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横から見たら、こんな感じ。 手前にサイロがある。

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これが、実際の上藻別駅亭。  ここのブログ

  駅亭

斜め前から見たら、こう。 手前にあるのは、滑り台。(たぶん)

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氷は重たいので、こうやって持ち上げる。 人のそばに、氷をつかむ器具が見える。 一つの氷の大きさは、縦80㎝くらい。横35㎝くらい。(だいたい) 人の力では持てない。 引っ張って動かすことは出来る。

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娘が保育所に通ってた頃、保育所で小さな滑り台を作った。 その手伝いをした。 夜、寒い中で。 氷が重いので大変な作業。 休憩所がある。 そこでは、温かいものが食べられる。 タダで。 それは皆、市内の会社や個人からの差し入れ。

氷像は、この他、小さいのも含めて、50基くらいが作られる。
下の写真は、初代ガリンコ号。 近くにある。 

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流氷祭りの会場は、ガリンコ号の乗り場、また、オホーツクタワーに近い。



【佐呂間町 栃木】について、追加。

先日のブログに、明治44年に、16戸、137人が谷中村から移住と書いた。 この他にも、渡良瀬川流域の他の村からも来ていて、全体で91戸が入植した。 大正に入ってからも、少しの入植があったようだ。 1年目から離農者がいたとの記録もある。

補償費用に付いて調べた。 農地は反(たん)当たり30円。 家屋は一坪8円。
当時の貨幣価値も考えてみると、 だいたい、一軒、今のお金で、300万円くらいかな。(私の計算。正しいかどうかは?)
多そうに感じるが、家、開拓の道具、生活費、などを考えると、すぐなくなる金額。

政府は、住民に谷中村を離れるように勧告した。でも、実際は脅しだったようだ

移転先は、色々あって、希望したようだ。 北海道の肥よくで広大な大地をもらえると信じて。 実際は、太い木の生え茂る、原生林

明治44年4月7日。 臨時列車で小山駅を出発。 記録には、陸別、」北見、留辺蘂を通り、峠を越えたと書いてある。 若佐を通ったのかな。

移住地の苦労は尋常ではなかった。 厳しい気候と闘いながら未開の土地を開墾し、ジャガイモやハッカの栽培で生計を立てた。 1960年頃からは、酪農に転換する家も多かった。(記録から)

現在は、栃木県出身者の子孫は数世帯。 (直系はいないかも?) この地区には、愛媛、熊本からの移住者もいる。

谷中村は、とっても肥よくな、たくさん米の穫れる土地だった。 それと比べるから、落胆は大きかった。 だから、話が違うと戻る人が多かった。 1972年には、帰郷運動が起こった。

  「サロマ町のカメラスケッチ」に、佐呂間町栃木の写真が、多数載ってます。
  「谷中村や足尾銅山、渡良瀬川」の写真はここ。

※ この追加の部分は、先日の栃木のブログに、いつか移動します。



なお、小山(おやま)駅のある小山市は、江戸と日光を結ぶ日光街道の途中にある。 昔は宿場町。 高校の修学旅行で通った。 街の記憶はない。 野球の江川の出身地。


「今日の歌」は、久保田早紀の「異邦人」(YouTube)

もう1局は、高田みずえの「愛の終わりに」(YouTube) 

akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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