1か月の九州が終わりました。
四国に渡ることにしました。
佐賀関という道の駅にきました。
大分市の東です。 場所は、ここ。
海からの風が涼しいです。 (6時26分)
九州の人達は、人情味があるというか、深い感じがした。
多くの人に助けられて、無事に九州を終わりました。
旅に出て2か月が経ちますが、まだ生活がちゃんとしてない。
時間の使い方が、できてない。
本を読んでない。
このことについては、少しずつです。
このブログがあるので、一人ぼっちの感じはしない。
まだまだ、未熟な内容だが、書いてよかったなと思う。
明日四国に渡りますが、南には行かない予定。
二十四の瞳の、小豆島を目指そうかなと・・・。
その後は、長野の鬼無里(きなさ)、東北の遠野でしょうか。
遠野には、何日かいたいです。
暑くていられなくなったら、北に向かうスピードを上げます。
今日は、青の洞門に寄りました。
ノミと槌で掘ったトンネルです。
今から、250年程前、禅海和尚という人が。
今は、車が通れるように、ほとんどを広くした。

禅海和尚が掘ったコースは、川側の壁(崖)から、近いところ。
明かり取りの窓を作るため。
車のトンネルは真っ直ぐだから、一部が、元のまま残された。

長さは、342㍍。 それを30年。
1年平均、11㍍。 1100㎝だ。
ということは、1日、3㎝だ。

この後、羅漢寺に行ったんだが、そのそばに、禅海和尚の墓が、建物の中にあった。
実際に使った金槌があった。
真ん中が、たくさん使って、凹んでいる。

青の洞門については、これが面白いでしょうか。 時間があれば読んで見て。
生きて行く上での生き甲斐を、誰もが探すが、人のためになる以外はない、という考えがあります。
でも、30年だからな~。
羅漢寺には、五百羅漢があった。
岩の壁の凹んだ所に。

いろんな表情をしていた。
羅漢とは、釈迦の高弟のことだそうです。
1359年に、掘られた。 700体を、二人で、1年で。 毎日一人1体になる。

人のためだと言っても、30年ですからね。
3日とはちがう。
これから、今朝いただいた野菜を茹でます。
蒸した方が早いかな。











【今日の道の駅】 佐賀関 場所は上に
【温泉】 佐田温泉 小さい 300円 場所はここ。
【明日の予定】 8時頃のフェリーで四国に渡ります。
四国は初めて。
《今日の音楽》 鬼無里の道(YouTube) 久しぶりです。
30年近く、見てない。
ピークは、8時から9時という。
ここは、大分県中津市山国町。
道の駅やまくに、にいます。 場所は、ここ。
道の駅のそばを小川が流れている。
車で3分ほどの上流に、観察ポイントがある。
そこには、「ほたる看板」があった。
他の川にも、観察ポイントはある。
見られなかったら、別の所に行きます。
7時半頃、出かけます。
カメラの設定を、いろいろ変えて撮って見ます。
暗い中で、うまくピントが合うのか。
いい写真を撮りたいです。
うまく撮影できたとして、写真は、10時までには何とか。
楽しみにしていてくださいね。 (6時37分)
撮りました。
遅くなります。(9時49分)
道の駅に戻ったら、すぐそばに、別の蛍が見えました。 それは、小さな飲み屋さんの灯りだった。
蛍を見られたお祝いに、少しだけと、飲みに行った。
地元の人が3人いた。
店の主人と奥さんは、二人とも、感じのいい穏やかな人だった。
途中から、みんなでのおしゃべりになった。
一人の父さんから、ビールやクジラの刺身をごちそうになった。
※ 60半ばのその父さん、朝7時前、たくさんの野菜と酢味噌を届けてくれた。
帰ってきたのは、12時頃だったのか、楽しかった。
いい思い出ができました。
また必ず来るって約束して、店を出ました。

ブログを書くのは、朝になった。
夜の帳(とばり)が降り始めた、8時前、川の向こうの柳の木のまわりで光り出した。
8時を過ぎて、暗闇に包まれたとき、光の乱舞になった。
上流も下流も、数え切れない数だ。
2時間ほど写真を撮り続けた。
10枚ほど撮ったら、パソコンで確認して。
蛍が乱舞している写真は、撮れなかった。 難しい。
これが、やっと。

光が弱いために、写らない。
ほとんどの蛍は、飛んでいる。

時々、自分の近くにもくる。
1匹つかまえた。
車の中で、写真を撮った。
光ったときは、布団の模様が、はっきり分かった。

大きさは、2㎝より、少し小さい。
これは、ゲンジボタル。 酒を飲んだとき、教えてもらった。
小さめの、ヘイケボタルも飛んでいるそうだ。

撮影した後、蛍は放した。
淡い光を残して、暗闇のむこうに消えた。
蛍の撮影方法を勉強しておきます。
昼間見た、猿飛千壷峡。 岩に穴がいっぱいあった。
この辺りは、奥耶馬溪と言われ、見所が多い。

ユキノシタですね。

?

羽高棚田。 規模は、小さいが。

すぐ逃げた。

夜は蛍を見られた。
そして、お店で楽しくお酒を飲んだ。
山国での夜は、いい夜になりました。
いただいた野菜。
ズッキーニ、山くらげ、丘ひじき、スイスチャート、水菜。
今晩茹でて、食べた残りは冷凍します。

【今日の道の駅】 やまくに 中津市山国町 場所は上に。
【温泉】 なかま温泉 300円 道の駅のとなり
【31日の予定】 東に向かいます。 フェリーで四国に渡るのを検討中です。
《今日の歌》 ほたるこい(YouTube) 初音ミク
根室時代の教え子と、お酒を飲みます。
中州というところで。
西鉄福岡天神駅で、夕方待ち合わせしています。
20年以上会ってないから、楽しみです。
早めに行きます。
ラーメン情報を調べて、どこかで、博多ラーメンか久留米ラーメンを食べてみます。
また、どこかいい所があったら、見学します。
続きは、明日書きますね。 (11時)
【追記】
久留米ラーメンは、豚骨ラーメンの発祥の地だと聞いたことがあった。
地元で一番の人気店に行った。
大砲ラーメンの本店。
久留米駅から、歩いて、7分くらい。
とにかく、濃い。 くせも強い。
となりの人は、替え玉といって、面だけお代わりしていた。
まあまあかなあと、思った。

太宰府天満宮。

古いお札を納めるところ。
とおりゃんせ、の歌にある、お札を納めに参りますは、ここに来るんですね。

天満宮にあった、菖蒲園。

博多では、中州で遅くまで飲みました。
根室時代の話しも、今の話しも、いぱいしました。
立派な医者になっていました。
喜んでもらえたときが、生き甲斐だと言いました。
※ 2月18日のブログに、小学生の時のことを。

大分に向かいます。
今晩、蛍を見ることが出来るかも知れない。
写真に撮りたいな~。
この日は、中州の近くのホテルに泊まりました。
※
佐賀から福岡への筑前街道で、交通の難所のため、昔のまま残っている所がありました。 そこを歩いた。
道の途中に、日本で最初にお茶が栽培された所がありました。 確かなようです。
また、そこは昔、山岳仏教の聖地でした。
筑前街道は、正確には、佐賀の神崎から、福岡の那珂川まで。
今日歩いたのは、真ん中の赤い丸の辺り。 峠を上った。
拡大すると、こう。
新しい国道は、赤丸の左に出来、トンネルを抜ける。
トンネルの少し手前に、昨日の道の駅があった。
筑前街道は、道の駅で知った。
山岳信仰のことと、お茶のことがあったので、行くことにした。
道の駅は、新しい国道にある。
旧国道は、上の地図の赤丸を通る。
筑前街道が昔のまま残っている所は、途中から山に入る。
入り口が、下の写真。
残された所は、難所のため、車の通る道には出来なかったと思う。
この道は、今日も一人。
九州には、熊がいない。 だから、安心。
リュックに、水と、お菓子を少し入れた。
黒い線のところを歩いた。
現在地から、点線につながる道と、点線が、筑前街道。
ここが、国道にならなかった。
下の白い線は、旧国道。
街道でないところは、建物を結ぶ道。
道は、昔の幅で整備されていた。
少し上ると、お茶の木(茶樹)が見えてきた。 今も植えている。
ここは、「日本最初の茶樹栽培の地」と言われている。
※ ネットで確認しました。 信憑性が高いようです。
だいぶ登ったら、見晴らしのいい所に出た。
昨夜停泊した、道の駅が見える。
ここは昔、九州では3本指に入る、山岳仏教の聖地だった。
中心の寺が、下の写真の、霊仙寺(りょうせんじ)だった。
※ 正確には、ここは霊仙寺跡で、その場所に、この乙護法堂が建てられた。
1191年に、臨済宗を開いた栄西がやってきた。
鎌倉幕府が開かれる前の年だ。
栄西は、宋より持ち帰った茶を、ここで育てた。
下の写真の左に、茶についての石碑が見える。
考えて見たいのは、どうして、こんな山の上にお寺を建てるのかと言うことかな。
調べてみました。
もともと日本には、山に畏敬の念を持つという、山岳信仰がありました。
また、奈良時代、宗教が政治と結びつき、それに反発する形で始まったとあります。
それらが結びついて、盛んになったようです。
仏教の世界ですから、世俗から離れるという考えもあったのでしょうね。
写真の左側が、経塚だという。
経塚とは、お経が書いてある教典を、土に埋めた所。
平安時代の中期に盛んだったそうだ。
この一帯には、多くの建物があった。
この写真の石垣に囲まれた上には、水上坊というのがあった。
近くに湧水があって、水の御利益を受けたとありました。
一般庶民が生きるか死ぬかの、やっと生活してる時代に、どうして寺院は栄えるんでしょうね。
庶民の支えによるものではなく、権力者の庇護によるものでしょうか。
そうだとしたら、農民はお参りに行ったのかな。
上の写真の、水上坊には、地域の人達が集まったとありましたから、行ってたことになるか。
下の写真に、サザンカ自生北限地とありました。
※ サザンカ ですから、今日は、あの歌ですよ。
ここのサザンカ(山茶花)の花は、白いそうだ。
※ 白い花だったら、あの歌になりますね。
この筑前街道は、細い道だが、当時は今の国道のようなものであり、佐賀と福岡を結ぶ大事な道だった。 多くの人と物が行き来していた。
この石垣の上にも、建物がありました。
昔のままの墓です。
古いものですよ。
元治元年七月十七日とありました。 (1864年です)
石塔と言われるものです。 盗まれるので集めたそうです。
道を歩いていたら、木の幹がこすれ合う音が、時々する。
ギーギーって、不気味な音。
木のてっぺんの方にだけ、枝があるため。
道の片側に、石垣もありました。
筑前街道の整備してない所は、こんな状態です。
ここは、歴史の道100選だそうです。
歩いてみて、往事の面影が、あちこちに、眠っているように感じました。
私にもし、有り余るほどのお金があったら、もとの姿の戻してみたい、とも思いました。
今が大事だと思ったら、昔のことはどうでもよくなってしまうが、昔を残すことの意味はなんでしょうね。
今日、そのことは、考えてませんでした。
今日は、遅くなった。
小さい写真は、明日の朝に。
【今日の道の駅】 つるが 3日前と同じ。
【温泉】 スパリゾートホテル久留米 600円 3日前と同じ。
【明日の予定】 車をどこかに置いて、福岡市に行きます。
明日の晩は、ブログは書けません。
3時頃までに、少し書きますね。
《今日の歌》 いきものがかり「ブルーバード」(YouTube)
砂の祈り(YouTube) サザンカ が出てきますね。
いにしえに想いを馳せてみました。
弥生時代の人達の心が、何かで読み取れるか、関心はその一点でした。
今日の写真は、ルミックス。
写真が四角っぽい。
すべて、全自動。 手ぶれは、起きない。
公園という言葉に、少し不安を感じた。
でも、ここが、吉野ヶ里遺跡の場所と分かって、少し安心。 場所は、ここ。
ここには、弥生時代の遺跡がある。
平成の初めに、発掘の報道がされ、全国的な話題になった。
※ 詳しくは、こちら。
展示している物は、復元した物と、発掘したそのままの物。
下の写真は、復元した住居。
これは、王の家。
身分の違いにより、家の大きさに違いはないと、説明してくれた。
弥生時代を復元しているのに、昔も見学通路があったのかと、意地悪なことを考えた。 でも、ちゃんと説明があった。 これは、特別ですよと。
※ 今日は、山の中で、電波が弱い。
書いた記事を、ブログに載せるとき、つながらなかったら記事は消える。 どこに隠れてるか分からない。 だいぶ消えた。 ちょっと書いたらすぐ載せます。

11時を目指してやっているが、時間がかかる。
このことは、7時頃のに書いたが消した。
Takeさんのコメントは、そのことを言ってる。
もどって。
公園内には、昔の服装をして、ふらふら歩いている人がいる。 その人が、説明してくれる。 いろいろ聞いた。
この王は、このあたりの人、5400人ほどを支配していた。
王でも、特別、家は大きくない。
この時代は、身分の違いが、家の大きさに表れなかったそうだ。

家の柱の数は発掘で分かるが、形までどうして分かるか聞いた。
形は、土器とかに画いてあった。
また、同じ時代の、朝鮮や中国の建物を参考にした。

朝鮮から渡ってきた人達は、文化を持ってきた。
その人達は、もともといた縄文人を支配したんですか、と聞いた。
いい答えを言った。
支配したんではなく、指導して、いっしょに、その時代をつくったと。
でも、王は渡来人だろうなと思った。
下の建て物は、主祭殿と呼ばれ、大事なことはここで決めた。

服装の色が、どうして分かったかを聞いた。
緑と黄は、切れ端が、発見された。
その他の色や服装の形は、邪馬台国がどこにあるかを書いてある、魏志倭人伝から読み取ったと、説明した。その時代の、朝鮮や中国も参考にしたが。
真ん中にいるのが王。
何かを決めるとき、もめたらどうするか。
この部屋の上に、司祭者がいる。 (先祖のお告げを聞く人か)
その人に、判断を委ねるという。
この方法は、支配者にとって、とても便利だ。
ご先祖様が言うんだから、仕方ないべや、ってね。
聞いたのは、自分だけだから、どうにでも変えれると思うが。

上の写真の人が説明してくれた。
※ 他のお客がいるときは、聞かないようにした。 いなくなったら、なんぼでも聞ける。
写真撮を撮るときは、あっち向いてて、と言った。
ここで、最初に書いた、メインの質問をした。
何かで、弥生時代の人の心は分からないのですか、と。
困った顔をした。
墓から、花粉がいっぱい発見されたことで、花もいっしょに埋葬したとか、そんなのですよ、と言った。
分からないと言った。
ここで、一番詳しい人を紹介しましょうか、と言ってくれたが、そこまではと思って遠慮した。
下の写真は、一般の人の墓。

かめ棺と言った。
亀に似ているからですかと聞いたら、水を入れる瓶(かめ)ですよと言われた。
バカなことを聞いた。
子供の墓は家の周りだそう。
墓全体の8割が、子供の墓だという。
体力のない、幼児の時代を乗り切ったら、40才位まで生きれたそうだ。

ここは、建物の中。
すべてが、本物。 これを見たかった。
ここの公園は、国営。 だから、整備されている。

ここでの説明の人は、詳しかった。
期待して聞いた。 弥生人の心について。
分からないと言った。
別のことを聞いた。
ここまでの施設を作り上げるには、国に働きかけるなり、中心的に動いた人間がいますね、と。
ここからが、長かった。
この土地の高校の社会の先生が、有名になる前から、この遺跡の価値を認識していた。
生徒達に、いつも、そのことを話した。
説明してくれた人の社会科の先生だった。
この人が、地域の支援を受ける、下地をつくった。
そうして、現実に動いた人は、この人の息子さんだった。
今は、県庁の中枢で仕事をしているという。
下の写真は、別の場所での展示品。 本物。

上で説明してくれた人が、発掘現場に行ったらいいよ、って言ったので、行ってみた。
遙か彼方を指さして、あそこですよ、と言った。

根気のいる仕事だ。

ここの責任者の様な人にも、同じ質問をした。
考えた。
こんなことを言った。
発見される、食器の土器の中に、いかにも子供が作ったと思われる、小さめな形の悪い土器が出てくると。
この話しは、少しいいですね。
親子のふれあいが、想像できます。
子供を埋葬したかめ棺の中に、子供が遊んだおもちゃとかは発見されていないかを聞いたが、無いと言った。
今日も、大した基礎知識を持たないで行ったが、退屈しませんでした。
下の写真は、道の駅から見える風景です。
夜景を撮りたいと思っていましたが、雨が強くなりました。

間もなく、11時です。
メインの記事が終わったので、ここで一休み。
テレビを見ます。
せっかくメールで教えてくれた人がいるのに、見ないと失礼です。
何を見るかって。
スケートの、キ○ヨ○ですよ。 何回もブログに書いた。
見ました。
普通のことを普通に出来たらいい。(友達に会うとか)
小さい夢だけど。
そんなことを言ってましたね。
雰囲気は、普通のお嬢さん。
ネットのつながりが悪い。
続きは、明日の朝に。
山を下りて書きます。
お休み。









【今日の道の駅】 吉野ヶ里 佐賀県吉野ヶ里町 場所は、ここ。
湧水があるので、夜中遅くまで、しょちゅう水を汲みに来る人がいた。

【温泉】 吉野ヶ里温泉 卑弥呼の湯 吉野ヶ里町の市街地に。
【明日の予定】 金曜日の晩、福岡市に行くので、遠くには動けない。 福岡市の近くに道の駅はない。 車をどこに置くか思案中。 明日は、近くの古い街道を歩いてみようかなと。
《今日の歌》 アンジェラ・アキ 手紙 ~拝啓 十五の君へ~(YouTube) 弥生時代の子供達は、十五まで生きるのが大変だった。
巨石パークがあったので行ってみたら、登山だった。
巨石で出来た山だった。
途中まで登って、引き返した。
それでも、疲れた。
佐賀県の大和という、道の駅。 その近くにあった。
そして、グランドゴルフというのをやるはめになった。
久留米の夏目漱石の句碑は、新しい物だったので、行くのをやめた。
漱石が、熊本の旧制中学の先生だった頃、友人が久留米にいたので、来たそうだ。 それで、この地に句碑があった。
平知盛の墓もあったが、この人の墓は、あっちこっちにあることもわかった。 行かなかった。
昼前は、途中、ヤマダ電機とかで買い物。
午後、道の駅大和に来た。
そばは、川上峡と言われる、変化に富んだ川の流れ。
巨石パークを道の駅で知った。
巨石があって、ベンチにでも座って、のんびり見ようと考えていた。
行ってみたら、巨石は山の上、下に公園。
公園は、古くなって閉鎖。 都井岬みたい。 壊れた、アスレチックとかがあった。
駐車場で、300円を払ったら、案内図をくれた。
この後、標高差200㍍程登った。
何か、最近は、疲れる旅になってきた。
こうやって、花があるのはいいんだが。
植えた花かな。
北海道と違って、熊の心配がまったくない。
その安心感は、とても大きい。
今、私が一番見たいのは、マムシ。
いつも、きょろきょろしている。
ツチノコなんて出よものなら、逃げないで、絶対写真を撮る。
※ いろんな町で、ツチノコの生け捕りに賞金をかけている。 最高1億円。
ツチノコ(Wikipedia)
イノシシを捕るおり。
だいぶ登った。 右の方に、道の駅が。
急に、大きな石が現れた。 高さ、5㍍以上ある。
スズメバチを捕るわな。 中に、酒や酢や砂糖を入れる。
雄武にいるとき、たくさん作った。
裏側に穴があって、中に入ったら、液体に落っこちる。
何十匹も捕れる。
スズメバチに刺された衝撃は、思いっ切り引っぱたかれたのと同じ、だって。
どこもここも、岩だらけ。 土の方が、少ない。
どうも、山全体が、こんな石(岩)の集まりのようだ。
この山が、どのようにして出来たかは、分からない。 調べてみたが。
この石を見た辺りで、引き返した。
左の実は、椿の実だという。 白いのは、分からない。
山から下りてきた。
駐車場には、こんな建物があって、お年寄り達が6人休んでいた。
暑いからやめたんですか、と聞いた。
またするよ、と言った。
一緒にやらないかい、と言われた。
この後、することもないし、仲間入りさせてもらった。
グランドゴルフというやつ。 初めて見た。
これを、使う。 パークゴルフに似ている。
大きな輪の中に、球が入ったら、穴に入ったと同じ。
お年寄りが集まると、仕切りたがる人が多すぎて、すぐ喧嘩になるかと思ったら、違った。
みんな、仲がよかった。
球が輪の中に入ったと思っても、すぐに出て行ってしまう。 むずかしい。
8ホールあった。 ひとまわりするのに、40分くらいかな。
2回まわった。
体の少し不自由な人もいたが、誰も気にしない。
パー3とかあるんですか、と聞いたら、無いと言った。
こんな言葉をよく使っていた。
それは、打った球の転がった距離が短かったとき、「ぬるいな~」って。
私の車のナンバーで、北海道と分かるみたいで。
「いや~、北海道から来たんだ」って、話しかけやすいようだ。
今日の山登りも疲れた。
こんなに疲れてまで、感動はいらないと思った。
ところが、この思いは、すぐに忘れてしまうんだな。
道の駅から見た、川の風景。 川上峡と名前が付いている。
名前を付けるほどではないのでは、と言ったら、失礼か。
お昼を食べた店から出たら、巣立ったばかりのスズメがいた。
何とか飛んだんだが、方向がうまくいかず、私の目の前に着地。
親よりずっと小さい。
近くに猫かカラスがいたら、すぐに捕まる。
福岡、佐賀に入ったら、物が安いです。
400円のラーメンは、時々ある。
安い定食は、500円。
700円も出せば、立派な物を食べられる。
自分で作るのが、面倒になってきた。
今日、温泉で食べたチャーハンは、180円だった。
作り置きだったが。
うどんといっしょに食べた。
【今日の道の駅】 大和 佐賀市大和町 場所は、ここ。
【温泉】 熊の川温泉 鵆の湯(ちどりのゆ) 500円 場所は、ここ。
【明日の予定】 吉野ヶ里遺跡を検討しています。
《今日の歌》 CAN YOU CELEBRATE?(YouTube)
愛の終わりに(YouTube) 高田みづえ です。
愛のままで(YouTube) 秋元順子 これと、上は作詞者同じです。
昨日、けたくり地蔵を見れなかったので、行くことに。
途中、一本木地蔵に寄った。
木も、地蔵もちゃんと写真を撮ってなかった。
脇芽が育った割には、太い。
400年なら、もっと太いから、いいでしょうか。
ただ、途中から急に細い感じもした。

地蔵堂は、開いていた。
ゆっくりお茶を飲むなら、全部そろっている。
少しの賽銭を入れて、手を合わせた。
400年前からあった地蔵でしょうか。
お地蔵さんを拝んだりする信仰って何なんでしょう。
心の安らぎが得られるのかなって、は思うのだが。

何を思っているのか。
意志の強そうな表情です。
地蔵を彫る人は、この表情を、どのように発見するのかな。
モデルはいるのか。
その人に、こんな気持ちの表情をすれ、とかい言うのか。
少なくても、適当につくって、こうなりましたでは、ないですね。
ここは、千人塚とも呼ばれているから、この地蔵の下や周りに、多くの亡骸が眠っている。 それを思って彫ったから、こんな表情になったのか。 彫った人の、その時の表情かも知れない。
この地蔵だけの、いい表情です。
何を思っているのか、広く想像できます。
そう言う意味で、すぐれた詩や、童話に似ているでしょうか。

細い山道を登った。 自転車では無理。
途中車とすれ違ったが、慣れてきた。
道の広さで、すれ違えるかどうかの判断が、出来るようになってきた。
ここから、右に、3分ほど歩いた。

標示があったので、これだ。
他にないか探したが、やっぱりこれだ。
地蔵ではない。
何か文字が書いてあるけど、読めない。
けとばされて、削れたか。
私がここで、かるく何をしたかは書かないが、地域の人の信仰は厚いようだ。

昨日のブログで、相撲取りと書いたが、奉納相撲に参加する人ですね。
女の人から、聞き間違えたな。
こういう話しって、他にもあるかな。
ゲンを担ぐことは、ありますね。
この前、この服を着ていったら良かったので、今日も着る、とか。
でも、この地蔵の話しは、けとばしたらダメな地蔵だから、面白いのかな。

近くに湧水があると聞いていたので、行った。
名水百選に選ばれるために、駐車場とかを整備しているそうだ。
奥の金網の所に、湧き出た水が溜まってる。
ペットボトルに水を汲んだ。

初め、手で飲んだ。
もう少し、風流にと思って、葉っぱで飲んだ。
味は、変わらない。
どちらも、うまい。
ただ、水が美味いというのは、むずかしい。
へんな味がしないのが、美味しいわけだから。
※ 写真に水が入っているのが、分かるでしょうか。
少し明るくなってるところが、水。

朝倉市菱野に、三連水車があるというので、行ってみた。
※ 原鶴の道の駅から近い。
ほんとうは、流れる水の力で動かすのだが、電気を使って回していた。
木で作った物でもなかった。
本物を見たいと思った。

今日は、水車を見たから、道の駅 くるめ になった。
アジサイで有名な、千光寺があるという。
まだ、時期は早いが行ってみた。
お寺は、こんな感じ。 アジサイ寺と呼ばれている。
調べてみたら、全国にアジサイ寺は、たくさんあった。
ただ、九州では、ここだけだった。
40種、5000本だそう。
咲いてるのが、いくつかあった。 ほとんどは、つぼみ。

アジサイは、木なんですね。 知らなかった。
葉っぱで幹が見えない。(いい訳)

他の花にはない雰囲気があります。
アジサイは、紫陽花と書くんですね。 これも、初めて知った。

今日も自転車で走った。
格好付けて言うとね、自転車は風を感じるんですね。それがいい。
人がいたら、話せる。 数㎞なら、楽に行ける。
福岡に近づいて来たんだけど、根室時代の教え子に会うためなんですね。
福岡市の中州で飲むことになった。
次の日、休みの方がいいということで、金曜日。
相手がいそがしいので、顔を見るので十分と思っていたが。
【今日の道の駅】 くるめ 場所は、ここ。
【温泉】 スパリゾートホテル久留米 600円 道に駅の近く。
【明日の予定】 西に少し動きます。 この地域に、夏目漱石の句碑が多い。 調べてみて、面白そうなら、自転車で行ってきます。












《今日の歌》 47歳の天使の歌声(YouTube) イギリスで、話題になっている。
福岡県に入りました。
原鶴という道の駅に来ました。 そばに温泉があります。
今日は、自転車で散歩することにしてました。
情報は、道の駅で。
おもしろそなのは、特にない。
北海道には無いものの発見を目標にした。
遠くに、「けたくり地蔵」という変わった名前の地蔵があるので、向かった。
途中、一本木地蔵の案内があったので、寄ってみた。
道の駅に戻ってきて、偶然この地蔵について、ある人に詳しく聞くことが出来た。
今日は、それが中心です。
先日の美々津のブログと、少し関わりがあります。
※ お酒が1滴も無くなりました。 買ってきました。(9時半前)
1本木地蔵に向かった。 近い。
こんな木があって、実がなっていた。 まだ、小さい。
何か、分からなかった。

拡大した写真を見ると、何とか分かる。
後で聞いたら、冬柿だと教えてくれた。
11月頃出荷。 この木と、ブドウの木が、多い。

着いた。 何かの後始末をしていた。
挨拶したら、もう終わったんですよ、と言った。
今日、5月24日は、ここの地蔵堂のお祭りだった。

私が、お祭りに来てくれたかと思ったのか、「あ! そうだ、そうだ」と言って、車から、おにぎりを持って来てくれた。
最近、人からよく物をもらう。

片付けをしていた人達は、帰った。
そのあと、一人の人が、お参りに来た。
後で知ったことだが、今日は、ここに、15人くらいが集まったそうだ。

この後、いろいろ行って、道の駅に戻る。
他に、何か無いか、案内所で聞いた。 昼頃は、誰もいなかった。
白壁の家を教えてくれたが、私が1本木地蔵に行ったことを話した。
少しの情報は、地蔵堂にあった説明で知っていた。
案内所の50歳くらいの女の人は、一本木地蔵の近くにいる。
詳しく知っていた。 30分以上、話してくれた。
(※ 歴史的史実は、ネットで確認しました。)
まず、この道の駅の近く(自転車ですぐ)に、原鶴温泉がある。
※ 原鶴の名前の生まれた訳は、想像つきますね。 一羽の鶴が傷を負った。 それを治すのに、野原にあったお湯につかった。 それが、原鶴温泉の始まり。
話しは、戻って。 ここからは、その人から教えてもらったこと。
1582年、この原鶴温泉のある所を舞台に、戦いがあった。 原鶴合戦という。
秋月氏と大友氏の戦い。
大友氏というのは、大友宗麟のこと。
この人は、1578年に耳川の戦いをして、負けている。(美々津のブログに書いた)
この戦いでも、負けた。 秋月氏が地元。 4年後だ。
両軍に、多くの死者が出た。
放置されている戦死者の遺体を、ここに集めて手厚く葬った。
だから、ここを千人塚とも言う。
すべてを葬れた訳ではない。
戦いの武器や、遺骨が今でも畑から、発見されることがあるという。
遺骨の上に、家を建ててしまったのもあるそうだ。
だから、この地元では、今でも、戦って死んだ人の亡霊を多くの人が見るという。
※ 昔は、この地域を、鎧畑(よろいはた)と言ったそうだ。 今日入った温泉も、昔は、鎧畑温泉。
弔った時に、1本の木を植えた。 400年前に。
でも、木は太くはなかった。
火をつけられて、焼けたそうだ。 その脇芽が育って、今になっている。
案内所の人は、この地蔵さんに、何度も助けられたと言った。
子供が中学生の時、家出をした。
この地蔵さんに、お願いに来た。
家に帰った時、息子さんは、戻っていた。
ある時、人との関わりで悩んだ。
その地蔵さんの前で、思いのたけを言った。 大きな声で。
たまたま、地蔵堂のそばで、昼寝してた人がいた。
数日後、悩んだ相手の人が、謝りに来たという。
昼寝していた人が、その人に、伝えたかどうかは、分からないと言うが。
今でも、何かがあったら、どこにいても、1本木地蔵の方に向かって、手を合わせるという。
その他にも、地蔵堂の線香の灰でイボを治したことなど、たくさん話してくれた。
最後に、この地蔵さんは、地元の人を見守ってくれてる感じがすると言った。
下の写真の様な道を走った。 のんびりと。
子供たちが通り過ぎた。
こんにちは、とみんな挨拶してくれた。
一人の子が、おじさん何してるの、と言った。
散歩だ、と私は叫んだ。 もっといい答え方が無かったかなと思った。

こんな花が。

手前の赤い花は、このような花。

猫に会った。 逃げた。 塀の上から、のぞいていた。

ブドウ畑も多い。 巨峰とか。 私が話した人は、うちはベレーだと言った。

こんな道を、遠くまで来ました。 半分迷ってる。
けたくり地蔵には、たどり着けなかった。
※ 昔、ある相撲取りが、勝てなくていらいらして、この地蔵をけとばした。
そうしたら、勝った。 次の日も、けとばしに来た。
勝ちたい者は、けとばしに来た。
地蔵が可愛そうなので、みんな拝むようになった。

筑後川。 昨日の川も、ここに来ている。

ジャガイモを掘っている、おばあちゃんに会った。
今年は、イモが小さいという。
狭い土地を借りて、作っていた。

この地域は、第15代横綱梅ヶ谷の出身地だという。
私は、その名前は知らなかった。

白壁の家に向かった。
お昼は食べたが、エネルギーが切れてきた。
ある食堂から、小学生の女の子が二人出てきた。
美味しかったねと、言った。
ラーメン屋だった。 食べた。 450円。
こんなのが書いてあった。 こう説明してくれた。
一つは、サービス。 それ以上は、こうした。

白壁の家。

詳しくは、調べていない。 標示もなかった。

古さを感じない。

あの高台の上に、秋月氏の城があった。



















【今日の温泉】 ひまわりの湯 500円 場所は、ここ。

【今日の道の駅】 原鶴 福岡県朝倉市杷木(はぎ) 地図は、上のに。

【明日の予定】 北に向かいます。 あとは、これから。
《今日の歌》 恋のバカンス(YouTube)
鯛生(たいお)金山に行ってきました。
資料館だけでなく、昔の坑道を再現していました。
何百㍍も。
良かったですよ。
朝いた道の駅の、こ近くの案内板で、この金山を知った。
坑道に入れるようなので、行くことにした。
少し、戻ることになる。
そばに、道の駅鯛生金山がある。 場所は、ここ。
ここは、九州の真ん中辺りで、西に少し行けば、福岡県。 南に行けば、熊本県。
東洋一の金山は、紋別の鴻之舞だと思っていたら、ここも東洋一という。

採掘のスタートは、明治31年。 昭和47年閉山。
今は、地底博物館として、整備されている。
右に行って、左から戻ってくる。

ちょっとした物ではなく、中は、800㍍。
洞窟を歩くより、面白い。
太い坑道は、こんなトロッコが。

※ 今、外に行ったら、人に話しかけられた。 15分ほど立ち話。 福岡の人。
ここには、縦坑がある。 こんな乗り物で、上下する。

深さ、200㍍以上。 奈落の底まで。

昭和初期の最盛期には、3000人が働いていた。
この鉱山について、詳しくは、Wikipediaに。
金鉱石は、このように、筋になっている。 赤い矢印の間。

初期の坑道は、このように細い。

手作業だ。
大変な仕事だ。 空気が悪いから、体を悪くする。
望んで来たのかな。
佐渡は、昔、流人とかを連れてきた。
※ 松本清張が、佐渡流人行という小説を書いている。 ずっと昔読んだ。 松本清張は、ここを舞台にしたのも書いている。 映画化されたと、説明にあった。

木を削っただけの、梯子。

近代化されたときは、こういう削岩機も。

この石(犬牙石)があると、金鉱脈があるそうだ。

砂金を見つけるのを体験できる所があった。
30分で、5個。

ここの道の駅に温泉がないので、となりの道の駅、せせらぎ郷かみつえ に移動した。
途中の、つえ温泉に入った。 場所は、ここ。

今日も、珍しく誰もいなかった。
5分くらいしたら、二人年配の人が来た。
湯船の中で、二人に、地元ですかと聞いた。
すぐ下だと言った。
この辺りは、みんな畑ですか、それとも林業ですかと聞いた。
何もしとらん。 じじ・ばば ばっかりだ、と言った。

温泉から出て、マッサージ機を使っていた。
二人のおばあちゃんが、そばで話してた。
一人が、足が痛いという。
私は、温泉に入ったら良くなるね、と言った。
そうしたら、そのばあちゃん、死ななきゃ治らん、と言った。
そうだ、このばあちゃん達、私のことを、おにいさんと呼んだ。 少し耳を疑った。
道の駅、せせらぎ郷かみつえ。

そばの川に、小さな吊り橋があった。
揺する前に、揺れた。 歩いただけで、上下に。
吊り橋は、こうでなければ、楽しくない。

道の駅のレストランで、だんご汁を食べた。 750円。 野菜たっぷりで栄養満点。
3人の、ばあちゃん達で、作っていた。
3人は、ずっとしゃべっていた
料理が届いた。 うるさいでしょ、と言ってきた。
私は、にぎやかでいいですね、と言った。 そして、よく聞かないと、何を言ってるか分からないと言った。
そのおばあちゃん、こういった。
この辺りは、熊本の菊池弁と、大分弁が混ざっていると。
喧嘩しているように聞こえるしょ、と言った。
菊池弁はどんなのだと聞いた。 そぎゃん、こぎゃん、だと言った。
大分弁は、そうやわ~、そ~へ~、だと言った。 ※ へ は、ね の意味。

紋別の鴻之舞を、ここのようにするには、多額の投資がいると思った。
簡単に、真似は出来ない。
今日は、写真が多すぎた。
処理に、3時間かかった。
明日から、この3分の2にしたいと思います。
写真だけで、疲れ切ってしまいます。
今日の下の写真は、大きいです。 これが、限界かな。
クリックすれば、大きくなります。












































【今日の温泉】 つえ温泉 400円 場所は、上に。
【今日の道の駅】 せせらぎ郷かみつえ 日田市上津江 場所は、ここ。
【明日の予定】 北に向かいます。 福岡市に近づきます。
《今日の歌》 テレサ・テン「つぐない」(YouTube) 三木たかし作曲です。
岩崎ひろみ「思秋期」(YouTube) じょうずですね。 これも、三木たかし。
今までの写真は、クリックしても大きくならなかった。
サムネイルという、小さいのにすれば、大きくなる。
サムネイルは小さいので、そうしなかった。
それで、ブログの最後に、サムネイルの写真を載せてみました。
クリックすると、大きくなります。
今は、今日の大きさより、あと少し大きい方が、いいかなと思っています。
しばらくは、この方法で。
何の予定もなく、となりの道の駅に向かった。
朝は、大きな噴火口の中にいる。
どこかで、外輪山を越える。
この写真は、外輪山にある、大観峰という見晴らしのいい所から。(正確には近く)
※ 最後の写真をクリックすると、大きくなります。

小国という道の駅で、キャンピングカーの人と話した。 大分の人。
この町は、北里柴三郎の出身地だと言った。
記念館があるので、行ってみた。
この建物は、今は資料館だが、元々は図書館。
大正5年に、地元の子供達にプレゼントした。
※ 左となりに、貴賓館がある。 写真は、一番下。 入って地域の写真を撮った。

この人については、破傷風菌やペスト菌を発見したことくらいしか知らなかった。
細菌を発見しただけでなく、血清も作っていた。
「日本の細菌学の父」と呼ばれているそう。
昔、根室時代、となりの中学校の男の子が、バラ線か何かで小さな傷をつくった。 破傷風になった。 破傷風と分からなかったのか、あっという間に、数日で亡くなった。
下の写真は、生家を近くから移築したもの。

ここは、熊本県小国町北里。 苗字といっしょ。 場所は、大体ここ。
本人は、前列一番左。

研究室で。 この人の研究の延長に、今のインフルエンザの研究もあるのかな。
※ その時代に、インフルエンザの血清に取り組んでいる。(Wikipediaより)

杖立温泉に、500円では入れる温泉があるので、行ってみた。
熊本県の最北。 大分県の一番の山奥。
ある温泉の建物の中を、境界線が通っているそうだ。 場所は、ここ。

変わった温泉だった。
着替える部屋はない。 湯船の左側で。
誰もいなかったので、写真を撮った。

山頭火ですよ。 一人では、はずまない。

湯船からすくったお湯で、体を洗う。 シャワーもない。
この写真では、風呂から上がってる。
どんな格好で撮ってるかは、教えない。
湯船の手前に、飲むための温泉が出ている。
お風に入っているとき、竹で出来た小さな湯飲みで飲もうとした。
最初お湯を入れて、バチャバチャってゆすいだ。
高温のお湯が手にかかった。 いや~、熱かった。
そばに、水もでていたので、あわてて冷やした。
温泉の湯は、ほんのり温泉の味がした(?)

石風呂だが、熱くて入れない。 手も入れられない。
水が出るホースがあった。 それで、温度を下げるのかな。

向こうに見えるのが、露天風呂。 しばらく入っていた。
ふと気づいた。 女風呂からも、来ることができる。
混浴だった。 あわてて出てきた。

道の駅、水辺の郷おおやま、に来た。 場所は、ここ。
川をのぞいたら、鮎釣りをしていた。 すぐ見に行った。

パラパラと釣れていた。 長い竿だ。
囮(おとり)の鮎を泳がせて、近づいて来た鮎は、囮の鮎の近くの針に引っかかる。
友釣りという釣り方。
この人が上手なので、チャンスを狙ってた。

囮の鮎もいるから、2匹釣れたように見える。 タモで、サッとすくう。
周りが釣れていないときに、自分だけ釣れるのが、一番気分がいい。
サケ釣りも、そうだ。 サケ釣りのブログは、ここですよ。

広い駐車場。 昼間から車は少ない。 でも、自然豊かな感じだ。

3時半。 朝から、ちゃんと食事はしていない。
久しぶりの、ごちそうです。 ビールも飲んでしまえ。 お代わりも。

車に戻る途中、釣りを終えた人が歩いていた。
釣れましたか、って聞いた。 見せてもらった。 写真も。
3分も話してないのに、あげるという。
いただいた。 お礼に、カニの鉄砲汁の缶詰を渡した。
北九州から来た、と言った。

立派な鮎だ。 焼いて食べた。 まだ、残っている。 この後。
鮎は、鮎だけの味でした。

今日は、何もなかったら何を書こうかなと思っていました。
でも、いい一日になりました。
ブログランキングは、国内旅行が44位。 一人旅は、22位です。
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今日から、こんなブログにしてみました。
これから、もっと、いい写真を撮りますね。
【今日の温泉】 杖立温泉 米谷別荘 500円。 こんな温泉初めてでした。
【道の駅】 水辺の郷おおやま 地図は上に。
夜は、一人。 真っ暗。
《今日の歌》 三木たかし の曲を3曲。
涙の条件(YouTube) テレサテンです。
風の盆唄(エムズの片割れ) ポスターを車の中に貼ってますよ。
熊本市 阿蘇市です。 場所は、昨日の温泉のそば、ここです。
雨が降ってるので、車の中から撮影。 手抜きです。
バッテリーがなくなったので、エンジンをかけています。
写真の右側、少し奥に阿蘇駅があります。
天気がぱっとしません。
今日のことは、これからです。
道の駅のことは、ここのところ朝書いてきたのですが、晩のブログの最後に書こうかなと思っています。
朝のブログを書くと、昨夜書いたのが、少し古くなった感じがします。
どういうのがいいかなって、最近考えています。
プロフィールの文とかも、もっと良く出来たらと思っています。
すぐに気が変わることがあるので、ずっと先のことは分かりませんが。
今日は、北に向かいます。
何日か後に、福岡を通ります。
根室時代の教え子がいるので。
今いる所は、先日お世話になった、菊池市まで遠くないところです。
外輪山を越えたら、菊池市です。
朝のブログは、一応、最後になります。
いい一日を送ってくださいね。 (7時30分 遅くなりました)
【昨日の追記 写真】
実験です。
クリックしたら大きくなりますよ。
写真を大きくしてみました。
大きくすると、たくさんは、載せれません。
小さいのを混ぜて、15枚以内。
今日、こんなことが分かりました。
写真をパソコンで加工すると、容量が大きくなることを。
写真を表す情報量が増えるのかな。
朝、高千穂に向かいました。
ガソリンスタンドで、給油しました。
そこで、見所はどこかを聞きました。
高千穂神社と、高千穂峡を教えてくれました。
最近、調べるのが面倒なときは、こうする。
また、こうした方が、旅行雑誌に載ってない情報を得ることがある。
特に、道の駅での情報がいい。(しうさんから、学んだ)
神々の里 高千穂 ですから、神社でしょうか。
見学は、私だけ。 (この後の、高千穂峡は、人でいっぱい)
写真の、左から歩いてきた若い巫女さんが、ゆっくり見ていってくださいね、と声をかけてくれた。
※ たくさんは話さなかった。 若くなかったら、口は自由に動くんだが・・・。 まだ、修行が足りないか。

本殿。 神武天皇は大和に行ったことになっているが、ここでは、その後、戻ってきたことになっていた。

奈落の底とは言わないが、道は、一気に深い崖の下に降りていった。
駐車場や土産物店があり、賑やかだった。

ボートに乗っている人がいた。
崖が頭の上にせり出してるのに、大丈夫かなと思った。
こう書くと、あんたは、心配性だと言われる。

九州の谷は、どこも深い。
山奥10㎞と言っても、遠い。
今日も、カーナビは、私を30分ほど山の中を走らせた。
山水画でも画きたくなるような風景だ。

外輪山の中は、大きな噴火口。
そこに町があり、私も今、そこにいる。
その大きな噴火口の中には、今も噴煙を上げている中岳がある。
道の駅の案内所が、中岳は、ミヤマキリシマが満開ですよ、と教えてくれた。
写真の山の向こうは、熊本。 中岳から。

見えるのは、中岳。
ロープウェイの駅に向かった。

ミヤマキリシマは咲いていた。 ツツジの一種。

この花は人気がある。
その理由は、希少価値とかではなく、この花を見たら分かるような気がする。

色は、紫っぽいピンクだが、株によって濃さに違いがある。
下のは、薄い。 花でびっしり。

一つ一つの花は、こんな感じ。

ここを上ったら、噴火口が見える。

ガスを噴出している。
隣にいた観光客が、摩周湖みたいだと言った。

上の写真のとなり。

今日は、写真を大きくしてみましたが、どうでしょうか。
雨は止みました。 静かです。 阿蘇駅のそばの道の駅です。
温泉もすぐ近く。
ミヤマキリシマ(深山霧島)は、名前の通り、すてきな花でした。
【今日の温泉】 阿蘇坊中温泉「夢の湯」 400円 場所は、ここ。
「今日の歌」 生きている悲しみ(エムズの片割れ) この曲が入っているアルバムを探しているが、注文しないと買えない。
森山良子「禁じられた恋」(YouTube) 先日なくなった、三木たかしの作曲。 何日か前の愛傷歌もそう。 黛ジュンという人が昔いたが、その人の兄。
小さな道の駅です。

市街地は、橋の下の右側の方です。

九州は、まだ夜は涼しいです。
今日は曇り。
高千穂に少し寄って、阿蘇に向かうことになりそう。
阿蘇は、どこに行けばいいのか、分かりません。
週の後半ですね。
いい一日を。 (6時43分)
【昨日の追記 写真】
川を見たら、魚がいた。 真ん中辺りに。

拡大してみたら、はっきりと。

お花。

こんなイチゴが。 味も違う。 すっぱくない。

キンカンでいいでしょうか。

右側を走ってる車があった。 時々、川の方を指さしながら。
停まった時、話しを聞いた。
ウナギの「置き針」(延縄の感じ)の場所を探していた。
釣りをしても大丈夫なことを、教えてもらった。

こんな「淵」が、ときどきあった。

新築中の家。 石垣の村。

棚田。 棚田100選に選ばれている。

こんな感じのとこも。

ここで、釣りを。

これは、ウグイ。

ここが、日之影温泉駅。 2階が温泉。
以前は、下は駅。 今は、売店。

疲れましたね。
でも、いい所でしたよ。
村の人ともいっぱい話せました。
釣りもできました。
宮崎県最北部、日之影町の山奥です。
道の駅 青雲橋 に来た。 場所は、ここ。
道の駅のパンフレットで、何があるか調べた。
洞窟や、昔のものが、たくさんあった。
今日は、人がいる所にした。
それで、石垣の村。
最近、何かを見たとき、感動が薄くなっている。
車でも行けたが、山登りといっしょで、苦労した方がいいと思った。
それで、自転車。
午後1時にスタート。
道の駅から、急な坂道を、一気に橋の下の降りた。
この橋は、青雲橋。 高さ、137㍍。 長さ、410㍍。

川は急流だ。
ということは、道もずっと9㎞上りだ。
たまに下るが、水平な物はないから、今上っているのか下っているのか、分からなくなるときがあった。
深い谷で、景色は、どこも良かった。

いろんな花が、咲いていた。

写真の背中の人と、10分ほど話した。
嫁に来たときから、ここに住んでいるという。
住めば都だけど、生活するのは大変なんですよ、と言った。
田植えの準備をしていた。 この辺りは、年1回。
年に2回のとこもあるんですよ、と教えてくれた。
そういえば、古墳のところの稲は、大きかった。
私は道の駅に帰るけど、最後の上りは大変です、と言った。
上にも道があるから、そっちがいいかもしれないよ、と教えてくれた。
そうしようかなと思った。 帰りの魚釣りのことを忘れて。
すぐに思い出して、事情を話した。
納屋は、道の反対側にあった。

メガホンを逆さまにしたような、小さな岩山があった。
そのてっぺんに、小さな神社があった。
少しのお賽銭を入れて、お願い事をした。

石垣が多くなってきた。

着きました。 石垣の村 戸川、とある。
この建物は民宿。 場所は、ここ。
この地図の、下の方に道の駅、左の方に、高千穂が見えます。

石垣だらけ。 家(物置)も石。

山の上まで石垣が。
ここ、戸川には、7軒の家がある。

川の上流から、2軒目の家を見ていた時に、そこの旦那さんが出てきた。
30分以上、話してくれた。
15分ほど経ったとき、これ以上は失礼だと思って離れようとしたんだが、詳しく説明してくれた。
一番古い石垣は、江戸時代の最後の頃。 篤姫の時代だそう。
優秀な石工が二人いた。 江戸城の石垣の修復に関わった者が。
石を積むのは大変で、10人くらいの大人が、一日一個しか積めないことも、あったそうだ。
その旦那さんと、こう話した。
これを作った人達は、末代まで残ることを、きっと知っていましたね、って。
高く積んだ石垣の縁に、柵はない。
私は、聞いた。
この辺で子供達遊んでいて、そこから落ちないんですか、って。
今まで、事故はないんですよ、と言った。
私は、都会の子が、簡単に道路に飛び出さないのと同じかな、と言った。

昔は、上の階段を使った。
でも、車を使うようになって、下のような道を作った。
左に、墓地が見える。

中学校は、昔から、道の駅の近く。 ここから、9㎞。
ずっと昔、毎日2時間以上かけて歩いたという。
冬は、暗いいちに家を出た。 帰り、家に着いたら、暗かった。
私は言った。
冬は、いつも暗いときしか家にいなかったんだね、って。
牛を飼っていた。 小牛をある程度まで大きくする。
この牛は、何牛にでも、化けるんですよねって、二人で話した。
林業のことも、旦那さんは気にしていた。
日本は、生産する人達が儲からない仕組みに、経済がなっている。
そんな話しもした。
この村の行く末も、心配していた。 跡継ぎがいないから。
30分以上話してくれた理由を思い出した。
最初に会った時、
「そうかい、わざわざ、自転車で来てくれたかい」 と言った。
自転車で行って良かったかな
この花は、牧草の花だったかな。

水車小屋。

こんなことも、旦那さん言った。
北海道は熊がいるけど、ここには肉食の動物は、いないんだよ、って。
マムシが怖いんだけど、イノシシが増えたら少なくなった、と。
イノシシは何でも食べるから。
大きな木の下で、おばあちゃんが、一休みしていた。

帰り、川に降りて、魚を釣った。 ハヤかな。
今は、密漁だと言われて、クビになる心配がない。
他に、ウグイが釣れた。
ヤマメがいるのは、もっと上流か。

橋が見えてきた。
帰りの苦労の、90㌫は、ここから。

ヘトヘトになって帰ってきたが、いい一日でした。
【今日の温泉】 日之影温泉駅 500円 場所は、ここ。 今、鉄道はない。
「今日の歌」 マドンナの宝石(YouTub)
異邦人(YouTube)
【追記】
今、フクロウが鳴いています。(12時8分)
先日のブログに書いた、オオバズク です。
ホッホー ホッホー って鳴いています。 何回も。
魚が釣れるのなら、もう一日いてもいい。 でも、釣ってる人はいない。
たまに、昼寝をする。
寝過ぎると、疲れがどっと出る。
今日は、阿蘇の方に向かうのか、それとも別府か。
これから調べます。
川の釣りを、どこかでしたいな~。
人に会いたい感じもする。 こっちから、求めないとだめかな。
朝から晴れてます。
全国的に、悪くないようですね。
いい一日を。 (6時56分)
【追記】
ここの道の駅は、とてもよかった。 助かった。
車を停めてるのは、建物から100㍍くらい離れてる。
それで、こっちの駐車場に、あずま屋と水とゴミ箱がある。

下の蛇口が使いやすい。

右のが一般ゴミ。 こういうのは、少ない。
2日間、食べ物はここの道の駅で買った。

【昨日の追記 写真】
共同井戸。 ここで、井戸端会議を。

備前の徳利。 丈夫なので、投げても割れないという。

昔から、美々津町。

隠し階段。

江戸時代のそろばん。

二階から下を。

昔の船。

五右衛門風呂。

炭を運んだ。

岩のすき間に。 高山植物のように。

こんな風景。

ふざけた名前だと思って写真を撮った。
後で、写真をみたら、ふざけてなかった。

ブログランキングへの登録が、何とかかんとか、なった。
ここに登録すると、知らない人が、わたしのブログを見つけやすくなる。
そうすると、全国のだれかと、ブログを通して知り合うことができる。
最近、偶然見つけたと、コメントやメールが来る。
そんなのが多くなる楽しみがある。
午前中、3時間ほどかかった。
かんたんに、仕組みを。
どなたかが、ブログランキングのバナー(左の下にある)をクリックしていただくと、10点になる。
7点は国内旅行のランキング、3点は一人旅のランキング。
現在は、ずっと下の方にいる。
バナーの場所を、その日のブログの下にすれば良かったと思っている。
直せたら、直します。
これから、よろしくお願いします。
すぐそばに、小さな町があるので、行ってみた。
日向市 美々津町。 みみつ、と読む。
初めて聞く名前。
何もないかと思っていたら、そうでなかった。
自転車で、2時間ほど、散策した。
耳川という川もあった。
繁栄の歴史を残していた。
耳川の戦いという、悲惨な歴史も。
初め、道の駅のすぐ近くの港に行った。
漁師さんがいたので、この辺を散歩したいので、ここに車を置いても大丈夫ですか、と聞いた。
散歩するなら、隣にいったらいいよ、と教えてくれた。
それが、美々津町。
ここは、国選定の、重要伝統的建造物群保存地区、になっていた。
こんな感じの街並み。
天保年間に建てられたものもあった。
これは、バンコというそうだ。
道路側に倒したら、ベンチのようになる。
暑い時、ここで涼むのでしょうか。
これが足になるなって、写真で分かりますね。
本州や九州は、何も無いと言っても、歴史があるから、何かはあるのかな。
※ ブログがつながらなかった。 最近多い。 記事も消えた。
歴史民族資料館があったので行ってみた。
1時間ほど、管理する年配の女性の方が、説明してくれた。
知らないことが多すぎたので、頭に入れるのが大変だった。
この建物は、廻船問屋「河内屋」の建物を使用。
河内屋は、近くを流れる耳川を利用し、上流の木材や炭を運んだ。
この港で千石船に積み替え、大阪の方に運んだ。
今の宮崎県の県庁は、宮崎市。
明治の廃藩置県の時代、県庁は、この美々津にあった。
江戸、明治、大正と、繁栄の時代があった。
ここは、天井の低い2階。
外から見ると、1階の雰囲気。
大きな梁(はり)は、船底の柱と同じ物を使用。
船のお世話になっているから、そうしたのか。
各部屋には、古い物がたくさん展示してあった。
この町にある小学校の歌詞は、野口雨情が作っていた。
「しゃぼんだま」など、童謡をいっぱい作曲した人ですね。
この土間は、土ぼこりが立たない。
土に、貝殻を焼いて砕いたのを混ぜてあるという。
1578年に耳川の戦いがあったという。 (初めて聞いた)
大友宗麟お島津義久が戦った。
戦場は、きのう温泉に入った、木城町の辺り。
大友勢は負けた。 この美々津の方に逃げて来たが、川を渡るのが大変だった。
多くが殺された。 耳川は血で染まった。
打たれた首が、河口を埋め尽くしたという。
耳川。 美々津の「美々」と耳川の「耳」は、関係あるのか?
昔の家並み。 海側は、津波で何度も壊れたそう。
明治時代の風俗画。
大正時代まで、繁栄は続いた。
鉄道の発達と共に、寂れていった。
経済の発展に乗り遅れた感じか。
これは、耳川の様子。
こうやって、古い町並みを残す意味は、何なんでしょうね。
今まで、壊しすぎたのかな。
ここは、雑貨を売ってる店。
神話の世界の話しだが、神武天皇は、ここから船出したという。
奈良の南の橿原に行った。
神話の世界は、何というか、むずかしいな。
日本海軍発祥の地、の石碑もあった。
説明を読んだが、これもむずかしい。 神武天皇の水軍と結びつけているからか。
美味しい天丼を食べたいと思っていた。
今日の温泉のレストランにあった。
メニューに、大海老天丼とあった。
注文の時、エビ天丼と私は言った。
店の人は、大海老天丼ですねと、言った。
ころもが薄く、美味しかったかな。
食事のあと、海岸の道を歩いた。
そのあと、温泉に。
こう言うのが多い。 写真撮るのやめようかな。
日本の凧の発祥の地なのか。 それとも、日本凧の発祥の地なのか。
神武天皇の船出の時、凧をあげて、風向きを知ったそうだ。
知らない土地が、いっぱいある。
マスコミには、流れていないのが。
そんなのとの出会いが、おもしろいでしょうか。
ただ、古い町並みや物を見ての感動が、小さくなってきた感じがする。
【今日の温泉】 日向サンパーク温泉 お船出の湯 500円 道の駅のそば。
「今日の歌」は 久しぶりに、ギターを(YouTube)
歌ってよ夕陽の歌を(YouTube) 最近、見てない。
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朝から、本を見てやってみた。
実際の手順は、本より進化してるので、本通りいかない。
適当にやったところがある。
左の下に、バナーといいうのがあります。
うまくいてるかどうかは、分からない。
誰かクリックしてくれて、数字が記録されてたら、大丈夫だと分かります。
私は、できないのではないかな。
うまくいってたら、このまま。
だめなら、削除します。 (10時50分)
【追記】
ブログランキングに登録されてることが分かりました。
クリックしていただいた方、ありがとうございます。(2時11分)
日向市です。 場所はここ。

海が見下ろせます。 そばに温泉もあるし、いいところです。
温泉は、昨日は休み。 めずらしく、抜かりなかった。 途中で入ってきた。

今、外で、広島からサーフィンをしに来た若い人と話した。
北見はどこですかと聞かれた。
夏、北海道に行ってみたいと言った。
今日は、この辺りを自転車で動いてみようかなと、考えてます。
何があるかは、分かりません。
もしかしたら、ここにもう一泊するかもしれない。
北海道は、新緑の季節ですね。
いい一日を過ごしてください。 (6時36分)
【昨日の追記 写真】
車で走ってたら、急に見えた。

中央のすき間に、カメラを近づけて。

中央付近から。 向こうから来た。

小さな吊橋。

遊歩道を歩いて、小さな吊橋。

イスノキのそばに、いすが。

駐車場とかは、こんな感じ。

オオバズク。 ホッホー、ホッホーと2回鳴くそう。 いつだか聞いたのは、これだ。

ムササビ。 猫くらいの大きさ。 これが、モモンガのように飛ぶ。

酒泉の杜の中。

最後に、広げた。 完成品の写真は、うまく撮れなかった。

これは、高い。

甘乳蘇のアイス。 店の人が、アイス持ってあげようか、と言ってくれた。

昨日の温泉のそばに、こんなのが。 ピンポン球より大きい。
袋をかぶっているのが、多かった。

遠くはない。 場所はここ。
高い所だとか、海の中だとか、行きたくなったり見たくなる。
洞窟も好きですね。 穴に入りたいと思ってるわけではないのだが。
自分で、努力しなくても、感動を与えてくれる感じがする。
近くに、西都原(さいとばる)古墳群があったが、こういう所は、知識とかがあった方が、感動が強くなるように思う。
※ 今日は、月曜日で資料館が休みだったので、行かなかった。
照葉大吊橋は、確かに大きかった。

長さも、高さも日本一ではないが、トップクラス。
新しく作る所は、日本一を目指すから、すぐ抜かれる。
長さ、250㍍。 高さ、142㍍。

建設費は、1億2000万円。 そのお金は回収出来たそう。
入場料は、300円。
ある人が、無料で設計してくれたそう。
吊橋のデザインで、ある賞をもらっている。

高所恐怖症の人にとっては、厳しい高さだ。

橋の中央は、下が覗ける。
この橋には、不満があった。
それは、揺すっても、まったく揺れなかった。

どれだけ怖いかは、吊橋が、どれだけ信用できるかと同じでしょうか。
だから、この橋は、安心して渡れた。
私は、あることに気づいたので、ポケットからメモ用紙を取り出した。
その紙に、さっきお金を払ったときのお釣りの100円玉がはさまっていた。
100円玉は、橋の上を転がって、谷底に落ちていった。
お賽銭をあげた感じだ。
すき間から、写真を撮ってみた。

橋を渡って、1周40分の遊歩道があったので、歩いて見た。
森の深くなので、花は咲いてなかった。
動物もなし。
どんどん下っていった。 下った分、あとで上るんだろうなと思いながら。

小さな吊橋があって、そこからの写真。
下りは涼しかったが、上りは暑かった。 疲れた。
どこかの山に登ってみたいという気持ちがあったが、しぼんでしまった。

石碑に、照葉樹林の自然、日本一とあった。

下を、のぞいてる。

照葉樹林文化館があったので、行ってみた。
木で作った、鳥のカービングも展示されていた。
これは、フクロウ。 エゾフクロウと顔が違う。
エゾフクロウの写真は、ここのブログに。

吊橋を見た帰り、酒泉の杜というのがあった。
何だろうと思って、寄ってみた。
雲海酒造があって、ホテルやお土産屋が併設されていた。
そこに、グラスアート宮崎という、ガラス工房があった。
※ 黒木国昭という人の工房。 調べたら、なかなかの人のよう。
詳しくは、ここ。
場所は、ここ。
製作過程を見学できた。
弟子の人達だが、深い経験を積んでいるように見えた。

しょっちゅう火の中に入れる。 入れるとき、ぶつけることは決してない。

この作品は、数千円で買える物ではない。
20分ほどで、作り上げた。
最初から、最後まで全部見た。 高い芸術性を、この私でも感じた。

お店の中。 100万円以上の物も、たくさんあった。

別のお店にこんなものが。
甘乳蘇(かんにゅうそ)っていう。 1000年以上前から、日本にあったそうだ。
牛乳を煮詰めて作る。
味見はしたが、買わなかった。 高かったので。 チーズよい食べやすい。 美味しい。
これの味のするソフトクリームを買った。
※ 実は、今いる道の駅でも売っていた。

【今日の温泉】 木城(きじょう)温泉館 湯らら 500円 場所は、ここ。
「今日の歌」 鈴木一平「雨の糸」(YouTube)
メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲(YouTube) ※昨夜、電気がなくなってきたので、この曲は朝選んだ。 朝から、演歌は選びにくい。 それで、クラシック。 電気がなくなったとき、エンジンをかければ充電されるし、パソコンも使えるが、隣に車がいたので、やめた。

昨夜は、風の注意報が出てて、車が揺れた。
でも、山陰の時があったから、全く気にならなかった。
この道の駅にも、朝まで車は10台以上停泊した。
こんな標示がある。
「長時間駐車したら、警察に通報します」と。
道の駅の登録をやめたら、だれも停めないのに、と思うが。
ゴミの放置とかで、困っているのかな。
9時から店は始まる。 8時半には出ます。
海沿いを北に上る予定です。
マンゴーという果物が売ってる。
高い。 2000円以上する。 どんな味なんだろう。
1週間がはじまります。
いい一日を。 (7時47分)
近くの綾町に、大吊り橋があるという。
検討中です。(7時58分)
【昨日の追加写真】
バナナの林。

防波堤の上に大きな石。 防波堤が景観を損ねるから、こうしたそう。

こんな岩が。 これが広くあったら、鬼の洗濯岩。

この島には9名住んでる。 最年少は、72歳。

フグ。

ここから、のぞいた。

この船に。

鵜戸神宮入り口。

左に本殿。

本殿の中。

こんな像が。

御乳岩。(おちちいわ) こんなのにも、名前が。

中から外を。

運玉を投げてる。

鬼の洗濯岩のアップ。

温泉の近くの畑に、こんな野菜。

道の駅の海側の、小高い山の上に展望台がある。
行ってみた。
※ 今日は、この辺を歩き回って、魚を釣って過ごしてもよかった。
でも、温泉がなかった。
早朝から暑かったので、歩くのは少し大変。
道の駅が、下に。
売店の野菜とかが安いので、寄る車が多い、
バナナの林があった。
こんな風に実がなるのを、初めて見た。
ぶら下がってるのが花か。
眼下に見える海。
見える景色のそばに行くことは、この時は考えていなかった。
※ ブログの調子は、少し変だ。
同じことを、2度やった。 時間がかかる。
海に降りる道を、行ってみた。 花やトンボやトカゲがいたので、退屈しなかった。
遊覧船が見えた。 これが、水中観光船かなと思った。
昨日魚釣りをしている人がいた港に向かった。
そうしたら、そこに、さっきの船の乗り場があった。
行ってみたら、2100円。 90分。
乗って見るかと言うことになった。
客は、私含めて6人。
下の写真に見える、隅っこにあるバケツが気になっていた。
釣りでもさせてくれるのかなと。 エサが入っている雰囲気だった。
載る前に、船の人が準備していた。
こんな岩が。 上の方の写真にも写っている、
説明では、この岩は、サザエさんのテレビのオープニングに使われたそうだ。
歌の場面か。 最近見てない。
※ 今(10時過ぎ)、NHKのスポーツニュースを見ながら書いている。
こういうの、久しぶり。
15分ほどで、魚の観察地点に着いた。
みんな、船底に移動した。
魚は、右側にはいなく、左側だという。 不思議な海だ。
写真のように、群れで見えた。
この時、分かった。 上でエサをまいているんだ。 あのバケツは、それだ。
写真を失敗した。 ストロボを点ければよかった。
魚の表情が見えない。 正面からだと反射するから、斜めに撮ればいい。
見た魚は、4種類。 ここに写っていないのは、フグと鯛。
フグは撮ったが、鯛はピントが合わかなった。
今度は、船の上から見た。 なんぼでもいる。
撒き餌を、少し撒いただけで、こんな感じ。
いつの間にか、船の上をトンビが舞っていた。
船の人が、肉の脂身の小さいのを海に投げた。
それを、トンビがさらってた。
足でつかんだのを、飛びながら口に入れていた。
ところで、上の海の色が、マリンブルーではないかと思うんだが、どうでしょう。
日本語に訳すと、やや緑色がかった濃い青色、ですが。
この色で思い出すのが、ウルトラマリンブルー。
あのフェルメールの、真珠の耳飾りの少女の、帽子の色です。 その絵は、ここに。
日本語では、群青と言われている。
船の人(船長か)に、この辺でどこかいいとこないですか、と聞いた。
鵜戸神宮に行ってみたらいいよ、と言った。
洞窟の中に神社があるという。
こんな感じのところを、降りて行った。
左に洞窟。 右は海。
人で、いっぱいだった。
団体客の添乗員の説明を、今日も聞いた。
これが、本殿。 お参りした。
本殿の裏側。
上の岩から水がしたたり落ちないように、岩の隙間はすべて、漆喰のようなもので塗り固めていた。
本殿の内部。 こんな彫刻が。
清水の舞台の様なところから、みんな運玉と言われる、粘土の玉を投げていた。
写真の輪の中の窪みを目指して。
5個、100円。 私もやった。 男は、左手で。
入れるのは難しい。 入らなかった。 私の運もあやしくなってきた。
鵜戸山麿崖仏があったので、少し歩いて見てきた。
誰も、行かない。
これが彫られたのは、1764年と書いてあった。
時期が遅いから、浮き彫りより進んでいる。
道の駅、フェニックスから見た、「鬼の洗濯岩」。
地層が縦になっている。
海側が、少しずつ、地球内部にめり込んでいるから、できたのかな。
【今日の温泉】 高岡温泉 やすらぎの湯 500円 場所は、ここ。
「今日の歌」は マドンナの宝石(YouTube)
美空ひばり「哀愁波止場」(YouTube) 五木の子守歌が組み込まれている。
宮崎県 日南市南郷町です。 場所は、ここ。
昨夜は、少しあわてました。 無事に終わってよかった。
また、昨夜遅く、ネットはつながるが、ブログだけつながらなかった。
FC2ブログに、何かあったのかな。

何台か車はあったが、みんな出発した。

駐車場から、海が見えます。

日曜日ですね。
今日は、この近辺を歩いてみます。
午後から、移動することになりそう。 温泉が北の方にあるので。
いい一日を送ってください。 (7時19分)
【昨日の追加写真】
古墳の、「後円」から「前方」を。

「前方」から、「後円」を。

詳しく知りたい方は、クリックを。

真っ白でなく、少し茶色。

生け垣の花。 くにの松原の近く。

昨日入った、ひなびた温泉。

急な斜面にも馬が。

寝ているのか、動かない。

ここの馬について、詳しく知りたい方は、クリック。

遠くにタンカー。

お土産にも。

サーフィンしてる人が。 別の場所にはたくさんいた。

私だけかなあ。
困りました。
画面の設定をしたのは、1年以上前。
やり方は、忘れてる。
とりあえず、今日のを書いたあと、本を読んでみます。
日南市 南郷町 道の駅 なんごう にいます。
東国原知事の宮崎に入ってきました。
ビールと刺身を買ってきたので、少し飲みます。
途中でブログが、進まなくなったら、ネットの調子がよくないか、寝てしまったかのどちらかです。
景色のとってもいいとこです。
散歩したい所が、たくさんあります。 (6時10分)
テンプレートを変更しました。(9時10分)
本を読んでも、本の画面は出ない。
画面の指示で、適当にやったら出来た。
涼しそうな画面なので、しばらくこれでいきましょうか。
読みづらいと感じたら、元に戻すか、別のにします。
時々替えるのも、いいかもしれない。
今まで、すぐに出来ないから、しなかっただけ。
こんどは、大丈夫。
ご意見があったら、コメントに。
ほっとしました。
朝いた道の駅の近くに、古墳があるので見に行った。
横瀬古墳。 場所は、ここ。
前方後円墳。 形が完全なので、国指定遺跡になっている。
長さ、124㍍。 5世紀後半のもの。
後の、円の方から撮した。

前から見た。 四角っぽい。
小さな祠(ほこら)がある。
周りには、濠があった。 発掘で分かったそう。

ここは、後円の部分の頂上。
この下に、石室があった。
明治時代に盗掘されたそう。
中は、朱塗りだったと、記録されている。
千年以上、誰もいたずらしなかったのに、残念。

くにの松原。 古墳の地図にある。
くに は漢字で書くと、救仁。
ここは、日向の国で、早くから開けたので、そう呼ばれたそうだ。
見慣れたので、感動しなくなってきた。 だから、写真は1枚。

都井岬に行った。
この岬の名前は、聞いたことがあるが、何で知られているかは、思い出せなかった。
行ったら、馬がいた。 そうです。 ここは、野生馬で有名でした。

山の斜面に、いっぱいいた。 全体で、90頭だそう。

駐車場で、馬を見ていたら、反対側の下の斜面にサルがいた。
驚いた。 野生のは初めてだ。 これは大きかった。
こんなの動物園にはいない。
車に戻ろうとしたが、追っかけてこないので見ていた。

そうしたら、近くに、もう一匹いた。 普通の大きさ。
やさしそうな顔をしてた。

馬は、大人しかった。
普通の比べたら、小さい。
日本に昔からいた馬だという。
胴が短いので、かっこいい。

東国原知事登場です。 お土産にも、いっぱい付いてる。

子馬は、母馬に寄り添って、じっとこっちを見ていた。
おだやかな表情でしたよ。
観光客は、誰も意地悪しないからだな。

いい場面に出会えました。
子馬といえ、胴が短いのが分かりますね。

都井岬灯台です。 お土産屋さんが少し。

トビウオの天ぷら。 ほんのり魚の味がした。

灯台の上からの風景。

このあと、海でサーフィンをしている人達を見た。

ここも、岬の入り口でお金を払った。
馬の管理に、お金が必要なのか。
馬を観光資源に、たくさん人に来てもらえばいいんでないかな。
そうして、ホテルやお土産屋が栄えればいい。
広い、どこの駐車場も、人はまばら。
やめてしまったホテルも目立つ。
観光地として発展するには、戦略が必要に思うかな。
明日は、ここに、しばらくいようと思う。
温泉がなかったら、夕方移動する。
いい所ですよ。
今日は、テンプレートという、基本の画面にトラブルがあったが、おかげで新しいのに出来た。
今の画面を2時間ほどながめていたら、慣れてきた。
この画面は、いいかも知れない。 写真が映えるかな。
こう言うのを、何て言うんでしたっけ。
棚からぼた餅でもないし。
分からないな。
【今日の温泉】 串間温泉 ゆったり館 300円
ひなびた温泉。 よかったです。 場所は、ここ。
「今日の歌」は 森昌子「愛傷歌」(YouTube) いいですよ。
テネシー・ワルツ(YouTube) 一人で歌っている。
志布志湾まで2㎞ほど。 宮崎県日南市まで、1時間ちょっと。
この建物の中に、温泉もあった。
早朝からやってるようで、タオルを持ってでてくる人がいた。
昨夜は、20台ほどの車が、停泊した。
温泉があるからかな。 コンビニもそばだし。

大きなカブトムシのモニュメント。 こういうのでは、日本一だとか。

暑くなりそうです。
今日は、この近辺で、何か探してみたいと思います。
オホーツクは、滝の上の芝桜が咲いたのでしょうか。
いい一日を。
【昨日の追記 写真】
古い写真。 顔の大きさは、こんな感じ。

この説明を読み直すと、弥五郎どんが、少し分かる。
※ 隼人は、昔南九州の人達をこう呼んだ。

途中にあった神社。

途中の道から。

釣り人。 岩陰に、あと3人くらい。

トンネルの出口が、遠くに。

途中の道から。

こんな所を通って。

祠。

こんな花が。

トンネルの中。

お花。

お花。

金曜日の晩です。 仕事をしてるときは、この時が、一番心が休まったかな。
ここまで来たから、佐多岬に行くことにした。
その前に、道の駅の名前にあった「弥五郎どん」を見に行った。
道の駅内に、展示館があった。
実在の人物かと思っていたら、違った。
大きな人形だった。
お祭りの時、御輿の供をする。
※ 担がれるのか、車が下にあって引っ張られるのか、確かめていない。
いわれは、はっきりしないが、土地の人には親しまれている。
面は古くなったら、取り替えるそうだ。
大きい。 下の人の人形は、実物大。
よく分からなかったから、20分で引き上げた。
佐多岬に向かった。
※ さたみさき と読む。 濁らない。
四国の西にあるのは、佐田岬。 こっちは、さだみさき。
字も読み方も違う。
山の中の道と違って、走りやすい。
※ 実は、岬の帰り、警察に停められた。 どきっとした。
急に出てきた。 車を左に寄せた。
少し通り過ぎたので、待っていた。
そうしたら、「あんたじゃない。後の車だ」と言った。
どうしたんですかと聞いたら、携帯で話す手振りをしたので、何の取り締まりか分かった。
海岸線からは、どこからでも、開聞岳が見えた。
毎日、どうして空気が霞むのか。
佐多岬は、先端に見える山のかげで見えない。
途中から有料道路のはずだったが、料金所は閉鎖していた。
駐車場からは、このトンネルを通って、岬に行く。
行くのに、300円払った。
どうも、岬への道や、展望台は、県や町の所有ではなく、個人のようだ。
こんな道を、15分ほど歩いた。 途中に小さな神社があった。
向こうから、こっちに来た。
屋久島やら何やら、島がいっぱい見えるはずだったが、何も見えなかった。
納沙布岬のガスのように、霞は濃くはないのだが。
北海道が二つある。 嬉しいですよ。
ここは、本土最南端。
※ 本土って何だってことだが、日本の大きな島4つのことだと思うが、もしかしたら、この本土って言う言葉は、無くてもいい言葉かも知れない。 少し引っかかるな。
ここは、北緯30度59分10秒。
来る途中に、北緯31度線を通った。 50秒の違いだ。 距離にしたらどれだけかな。
※ 計算 1秒の距離は
40、000、000㍍(地球1周)÷360÷60÷60=30.86㍍
50秒だから 30.86×50=1543
南北での違いは、約1.5㎞。 少し前だったから、そんなもんかな。
海岸線は、砂浜でない。 遠くに灯台。
佐多岬灯台。(明治4年から)
釣りをしている人がいた。
岬に、こんな歌碑があった。
黒潮の 海に昇りし 天津日は 佐多乃岬を 日ねもす 照らす
※ 天津(あまつ)の津は「の」の意味。 天津日は、天のお日様、空のお日様の意味。
※ ひねもす は、一日中の意味。 ひもすがら と同じ。 すがら は夜もすがらの、すがら。
(調べてみました)
※ 川田順(Wikipedia) この人には、昔、スキャンダルがあったそうだ。
展望台は、ボロボロ。 でも、200円払った。
周りのガラス窓は、ほとんど無くなった。
鉄のパイプで柵を作ってあった。
展望台の下に、昔、レストランがあった。 今は廃墟。
帰り、料金所の人に、ここの施設は、県か町で管理する予定はないんですか、と聞いた。
ないんですよ。 個人なんですよ。 と、返事が返ってきた。
ここへ来る途中、ガソリンスタンドに寄った。 そこの人は、行っても何もないですよ、と言った。 その言葉の裏には、いい所ではない、というのがあったんだ。 行ってみて分かった。
個人で管理することに、問題がありそうだ。
風景は、素晴らしいのに、もったいない。
駐車場のそばにあった、ガジュマルの木。
山の中は花が少ない。 でも、海岸は多い。 どうしてかな。
こんな虫がいた。
稚内の宗谷岬も、根室の納沙布岬も、ここの岬に比べたら、幸せかな。
今は、鹿児島県大崎町にいます。 宮崎に近づきました。
道の駅は、野菜や果物が安い。
イチゴを買った。 値段は、少し小粒ですが、イチゴですよ。 150円。
【今日の温泉】 大崎温泉松韻の湯 300円 道の駅にある。 場所は、ここ。
「今日の歌」は 中島美嘉「朧月夜~祈り」(YouTube) 中島美嘉の画像のあるのがYouTubeから削除された。 それで、これ。 今日は、中島美嘉のアルバムを車でずっと聴いた。
池上線(YouTube) 本人の動画で。

面白い名前の道の駅なので、やってきました。
弥五郎ってどんな人か、分かりません。
弥五郎まつり館が9時に開くので、行ってみます。
ここには、温泉もある。(昨日は休み。 上の施設も)
ウグイスが多い。
今朝も、みんなで鳴き声を競っている。
佐田岬に行くかどうか検討中です。
週末になりましたね。
いい一日を。 (7時19分)
【昨日の追記 写真】
この橋を渡った。

橋の上から、左側。

五輪塔は、5つ重なっている。

大五輪塔の説明。

五輪塔の前には、こんなのが。

線彫りと浮き彫り。

いつ作ったかが、読めたところ。 広く。

祠があったので、行ってみた。

立派ではないが。

祠のそばに。

駐車場の近くに、公園が。

橋から、左側を見た。

川があったら、いつものように見る。
大きなコイ。 60㎝くらい。

昨日も、知らないことを、たくさん知った。
大隅半島の山の中に来ました。
曽於市大隅町にある道の駅です。
7時を過ぎたら、やっと涼しくなってきました。
今、急に暗くなっていくところです。
北海道よりだいぶ遅い。
今朝いた道の駅、川辺やすらぎの郷の近くに、
「清水麿崖仏群」(きよみずまがいぶつぐん)があったので行ってみた。
場所は、ここ。
麿崖仏とは、自然の崖の面に彫った仏像のことだそう。
それが、清水川のほとりに、いっぱいあるので、清水麿崖仏群という。
清水川の左の崖にあった。 崖の高さは、20㍍。 写真は、橋の上から。
道沿いの左に、次から次と、いっぱいあった。 全部で、約200。
これは、供養塔の一種で、五輪塔という。
ここにある、麿崖仏の中で、一番古く、一番大きい。
高さ11㍍。 日本一だそう。
この五輪塔は、平安時代の終わり頃のもの。
線で彫られているが、鎌倉時代までは、線彫りだったそうだ。
下のは、少し立体的。(浮き彫り)
室町時代のもの。
仏像に見えるのもあるが、ほとんどは、五輪塔。
五輪塔の意味は、辞書では、こうなっている。
地・水・火・風・空の五大をそれぞれ方形・円形・三角形・半月形・宝珠形に石などでかたどり、順に積み上げた塔。平安中期ごろ密教で創始され、大日如来を意味したが、のちには供養塔・墓標などとされた。(大辞泉)
上の写真の真ん中辺りに、3つ並んだ五輪塔があるが、これには、戒名が書かれている。
下の写真は、それを拡大してみた。 書かれているのが、分かった。
何のために作ったか、と言うことだが、供養塔だから、基本的には、死んだ人を供養するため。
ところが、室町時代には、生きてる間に、何時か死ぬ自分の供養塔(五輪塔)を作ることもあったそうだ。 生きているうちに、自分のお墓を作るのに、似ているかな。
下のは、ふたたび、線彫りだ。
これは、鎌倉時代の後期、永仁4年(1296年)3月13日に、彫られたもの。
写真を拡大したら、読み取れる所があった。
上の写真の、真ん中の五輪塔の、右側。 縦に何か書いてある。
それを、拡大したのが、下のその下の写真。
永仁四年三月十三日 が読める。
上の五輪塔は、こち地域を治めていた河辺という領主の母親か妻ではないかと考えられている。
下のは、浮き彫りだから、室町時代のですね。
これも同じか。 浮き彫りが多い。 先の尖った、札のようなのが見える。
二つ並んだのは、夫婦の五輪塔。
札のようなのは、板碑(いたび)と言う。
作る目的は、分かっていない。
中に、梵字が書かれているが、風化して読めないそうだ。
でも、下の写真のは読めそうだ。
一番上は、卍。 金という字もある。
下のは、明治時代に作られたもの。 立体的になってきた。
全部見て、来た方向を撮した。
所々に、説明があった。 それで、いろいろ分かった。
これを作るとき、高い所は、どうやったのか。
梯子でも立てかけたのか。 それとも、足場を組んだのか。
金持ちが石工に作らせたのか。
素人っぽいのもあったから、自分で作ったのもあるかな。
どのくらいの身分なら作れたのか。
庶民が作ることは無かったんでないかな。
いや、あの素人っぽいのは、庶民(農民)かも知れない。
こういうのを見るのは、初めてだったから、面白かったですよ。
桜の花が散って、しばらく経った。 こんな実がなっていた。
昨日は暑かった。
冷たい飲み物が美味しかった。 いくらでも、いつでも飲めた。
お腹をこわした。 久しぶりに、胃痛と腹痛の経験をした。
今は、治った。
それから、コインランドリーで、洗濯もした。 2週間ぶり。
【今日の温泉】 重富温泉 360円 姶良町 場所は、ここ。
少し、しょっぱかったかな。
「今日の歌」は 二人の銀座(YouTube) 和泉雅子は黒木瞳に似てないかな。
南九州市 川辺町です。 場所は、ここ。
薩摩半島の真ん中より、少し右でしょうか。
大きな建物です。
朝から青空が広がっています。
近くに、清水麿崖仏群というのがあるので、行ってみます。
5月も半ばです。
いい一日を。 (7時16分)
【昨日の追記】
隼人松原への細い道。 昔のまま。
小学校前の標示。
庭先の花。
ビワ。 高いのには、袋をかぶせるようだ。
今和泉家の墓地。 右の方に、父と兄。 正面と左は先祖代々。
スモモがいっぱい落ちていた。 通っているとき、3個落ちた。
池田湖。 233㍍の深さ
こんなイッシーも。
開聞岳。 形はいい。
薩摩半島内陸の風景。
サツマイモとお茶の畑が多い。
川辺町の街で食べた。 臭みは全くない。 合格。
店の奥さんは、川辺温泉の娘だった。
店の看板には、ラーメンと温泉の両方が書いてあった。
四角っぽい写真は携帯。 篤姫は全部携帯。
事情があったときに、携帯になる。 仕方なしに。
どっちがいいか、よく分からん感じもする。 この大きさだと。
ゆかりの地は、道の駅のすぐそばの、JR薩摩今泉水駅付近にあった。
昔の雰囲気が、結構残っていた。
専用のパーキングがあって、そこから歩いた。
別邸跡があるというので、行った。
そこは、隼人松原と呼ばれる所だった。 太い松が残っている。
当時を偲ばせるのは、松の木と石垣。
別邸は、この写真の小学校の所にあった。 場所は、ここ。
※ この地図を、広い地域にすると、池田湖、開聞岳が見える。
篤姫が、このように光を浴びることが分かっていたら、きっと壊さなかった。
写真を撮っていたら、タバコを吸いに校舎から、年配の教師らしい人が出てきた。
質問したら、丁寧に教えてくれた。
今泉家の本邸は鹿児島市にあった。
ここの別邸は、1754年に造られた。
初め、残っているのは別邸の跡と石垣や松だけでは、ゆかりの地としては弱いのでないか、と思った。
しかし、今泉家一族の墓がここにあるという。 本邸のある鹿児島に造らないで。
ということは、別邸とはいえ、こちらにかなり住んでいたことがわかる。
篤姫も、18歳まで過ごしたと言われている。
この砂浜でも、きっと、たくさん遊んだ。
左の看板を読むと、この地域は、今和泉と読んでいることが分かる。
地図に書いていないので、困っていた。
写真の右の方に、篤姫も使ったとされる、手水鉢(複製)があった。
篤姫は、島津家の本家ではないのに、なぜ白羽の矢が当たったのか。
また、どうして島津家に声がかかったのか。
この二つが、気にかかっていた。
パンフレットの説明を読むと、分かった。
徳川13代将軍家定は、公家から二人の妻を迎えた。でも、二人とも急死した。
母親の本寿院は、しっかりした夫人を捜した。
本寿院は、あることを思いだした。
それは、11代将軍家斉は、島津家から妻を迎えており、その妻は家斉の死後も徳川家を支えた。
そういうことがあり、島津家に声がかかった。
ところが、島津家には適齢期の女の子がいなかった。
それで、今和泉家の一子(かつこ)に話しが持ち込まれた。
下の写真は、パンフレットの表紙と同じ所から撮影。
桜島が、霞んではっきりしないが、肉眼では、薄く見えた。
※ パンフレットは、通りがかりの人に見せてもらった。 後で、駅で買う。
今和泉家は、丁寧に言うと、今和泉島津家。
昔、和泉家が島津家から分かれて出来た。
ところが、当主が戦死して、家が絶えた。
※ 戦死した場所は、川辺というところ。 そこに私は、今いる。 薩摩半島の真ん中。
300年以上経ってから、島津家22代当主の弟が、和泉家を再興した。
名前を、今和泉家とした。 1744年のこと。
篤姫は、5代目当主の4女として生まれた。 1835年のこと。
石垣は、昔のまま。
駅に篤姫の案内所があるので行った。
その途中、トカゲを発見。
駅には、高校生がいっぱい。
案内所でパンフレットを買った。 200円。
墓地が近いので行ったらいいよと、女の人が、道を説明してくれた。
そして、お父さんの写真があるんですよ、と言った。
私は、どうしてそんな古いのがあるんですか、聞いた。
女の人は、テレビに出た、長塚京三さんですよって、笑った。
な~んだ、って言って私も笑った。
事務所の中にあるのを見せてくれた。
※ 遊びです。 長塚京三の動画(YouTube)
父、忠剛(ただたけ)の墓。
兄、忠冬の墓。
篤姫は、かなりの才女だったんだろうなと思う。
若いときは、俳優なら、誰に似てるのかなと思うが、分からない。
まてよ。 雛形あきこで、どうでしょう。 (雛形あきこの目は化粧した目ですよ)
今日は、ブログを書きながら、自分が勉強した。
大河ドラマを見た人は、知ってることが多かったと思う。
池田湖。
向こうの山は、開聞岳。
池田湖の大ウナギ。
太さは、直系10㎝以上ある。 長さ1㍍以上。
これが、イッシー。 もちろんいない。
ハマヒルガオと思うんですが。
海に出て撮影。 開聞岳。 海からそびえ立っている。
【今日の温泉】 川辺温泉 330円 川辺町街外れに
「今日の歌」は 篤姫のオープニングテーマ曲(YouTube)
ふるさと(YouTube) 倍賞千恵子が歌う。

目覚ましは、いつも6時。
起きなかったら、7時半までぐっすり。 頭はすっきり。
昨夜は、深夜になって、やっと涼しくなった。
指宿は篤姫と関係があるみたい。
篤姫の大河ドラマをちゃんと見てないので、よくわからない。
それでも、どこかに寄るかも知れない。
週の半ばになりました。
いい一日を。
【昨日の追記】 写真を中心に。
中学校だったかな。 分かりやすい。 鹿児島らしい。

砂防ダム。 欠けているとこが見える。

錦江湾って何だ。 鹿児島湾のことでした。

船の前方100㍍位を、漁船が横切った。
大丈夫か、と思ったが、このくらい離れていたら、お互い気にしていない様子。

アジサイ。

昨晩の一文字分からない写真は、これ。

離れて撮したら、こんな感じ。

桜島に向かった。 橋を渡った。
初め、「そうか、桜島は島なのか」と、思った。
左の遠くをを見たら、海ではなく陸だった。
疑問が出てきた。
① 桜島は、島でないのに、どうして桜島と言うのか。
② 桜島は、島の名前なのか、山の名前なのか。
どこを見ても、岩だらけだ。
調べたら、桜島は、島全体が山だから、島のことでもあり、山のことでもあった。
※ 島の中に、山がいくつかあって、一つ一つに名前がある。 普通の地図にはない。
こんな感じ。
上で島と書いたが、地図を見たら島ではない。
どういうことだ。
調べたら分かった。
大正3年の爆発で、陸続きになった。
道の風景も、南国だ。
噴火の跡を、そのまま残した公園があった。
ごろごろした、まるい岩ではない。
足湯があった。 川のように長い。
初めて入った。 何がいいんだかは、難しい。
足を拭くものがない。
あるもので拭いたから、そのあとは、裸足。
ところで、幽霊は足湯に入れるのかな。
こんな船で渡る。 対岸は、目の前。
高速代を払うように、料金を払った。
喜入(きいれ)という道の駅で、風呂に入った。
景色も、道の駅の雰囲気も良くない。
少し離れた、道の駅 いぶすき まで走った。
ここの風景がいいことは、調べて分かっていた。
海に降りたら、こんな感じ。 場所は、ここ。
10分ほどいて、階段を上った。
こんな花が花壇にあった。 名前の札を写真に撮った。
1文字だけ、葉っぱが隠した。 名前は、○ラマンダ。
車に戻ろうとしたところで、竿を持った人に出会った。 運がいい。
タコ釣りだ。 また、下に降りた。
すぐには釣れないので、散歩した。
下の水たまりを発見。 直径70㎝くらい。 左上に、海が見える。
海より、2~3㍍高い。
もし、この中に魚がいたら、「はまひるがおの小さな海」の世界だ。 探した。
いましたよ。 5㎝くらいの大きさ。 何匹かいる。
この後、ずっと生きていけるのか。
上のお話しの世界でした。
「はまひるがおの小さな海」のお話しの概略はこうです。
ぼくは、海辺のホテルに泊まっていた。
朝浜辺を歩いていると、足元のはまひるがおに声をかけられた。
「どうぞ私を摘んでください。」
はまひるがおを摘むと、雨が降るという。
ひるがおが咲いている傍らに、小さな潮だままりがあって、その中に一匹の小さな魚がいた。
潮溜まりはとても小さくて、今にも干からびてしまいそうだった。
ひるがおはその魚を助けるために、自分を摘んで雨を降らして欲しいというのだった。
この後は、はまひるがおも可愛そうだから、誰かがその潮だまりに水をやり続ける。
そんなお話しです。
作者は、今西祐行(すけゆき)という人。
よくこんな話しを、思いつくなと、思います。
上の水たまり(潮だまり)は、時々波をかぶっているのでしょうか。
はまひるがお の花
別の場所に、カニがいた。
タコを釣るしかけ。 タコはカニが好きなんだ。
イカを釣る人もやってきた。
タコ釣りの人が、イカ釣りの人を、とっても上手だとほめた。
でも、どっちも釣れなかった。
イカ釣りの人は、やめるとき、こう言った。
「イカはいない。やめた」 釣れないとは言わなかった。 さすが名人だ。
鳥が南の空に飛んで行った。 この後もどった。
明日は、池田湖を考えています。
昔、イッシーがいるとか言った湖かな。 カメラを忘れないで。
【今日の温泉】 喜入八幡温泉保養館 300円 場所はここ。
「今日の歌」は 山口淑子が歌う「五木の子守歌」(YouTube) 何回目かです。 最後に椿の花が出てくる。 自分の墓のそばに椿を植えて欲しいと言っている。 椿なら水をやらなくても、雨が降れば枯れないから。
山崎ハコ「望郷」(YouTube) 上の歌を歌った子供達は、望郷の思いで歌った。
おまけで、私のすきな、「白い花」(YouTube)