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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

     ※
台風は、明日の朝、三陸沖に近づきます。
昼間、海は荒れそうです。
今晩のうちに、津軽海峡を渡ります。
函館発21時50分。 青森着明日1時30分。
その後は、津軽半島を上りますが、どこかの駐車場で休みます。

今は、函館のフェリーターミナルの駐車場。
ブログは、少し書いて、続きはフェリーの中で書きます。
写真も、何枚か足します。

今日は、江差追分を聴いた。
江差町にある追分会館で。 場所はここ

過去、日本一になったことのある人。
上手だということが、私にも分かった。
力強く、圧倒的な声量。
いつ息をしてるんだろうと思った。

9年8月31日 (2)

かもめ~で始まる歌詞は
本州の農家の次男や三男は、あとを継げないから、北前船に乗って、蝦夷地に向かった。
蝦夷地が近づいたら、カモメの鳴き声で目を覚ました。
故郷に別れを告げ、この地で生きる決心を固めなければならない。
切なく悲しい歌だ。

司会の人が、こんな感じで説明してくれた。

かもめ島に行ってみた。
そばに、こんな岩が。
右に倒れそう。
これを見たら、昨日の私の仮説は、間違いに感じる。

9年8月31日 (3)

※ 8時になったので、手続きに。

エゾフウロ。
どこにでもあるから目立たないが、いい花です。
格好付けてる所が、どこにもない。

9年8月31日 (4)

IMG_1738no12.jpg

奥尻島。
昔、津波があった。
ある人が車で逃げた。 その車の後からも車が来た。
前の車の人は、後の車のヘッドライトの灯りが、波の中で光っているのを見た。

9年8月31日 (5)

かもめ島の先っぽ。
弁慶の足跡だとか、伝説があった。

9年8月31日 (6)

海陽丸を復元した物。
幕府の軍艦。 江差沖で沈没した。

9年8月31日

フェリーターミナル。
このあと、右奥に車を移動。(8時15分)

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青森からフェリーが到着。
大型トラックが、下船中。
今日のフェリーは、今までの中で一番大きい。 6000トン。
※ 小樽~舞鶴には、かなわないが。

IMG_183466

乗船終了(9時15分)
私の車は、1階の一番前。
地下と、2階もある。
下船の時は、1番最初。
最後の車は、私より30分は遅れる。

ゆうパックの荷物や宅急便の荷物は、大型トラックに積まれて、このフェリーで運ばれる。

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電源があるので、パソコンは使える。
電波は強くない。

途中でブログが終わったら、寝てしまったのではなく、電波のせいですよ。
酒飲めないから、眠たくならない。
この部屋には、他に6人。
みんな横になっている。

IMG_1838の88

外は、台風の前の静けさのように、風はなかった。
まだ、津軽海峡に出てないので、船は揺れない。

青森に着いたら、9月になっている。
9月いっぱいは、東北でしょうか。



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     ※
日本海側を通って、函館に行くことにした。
八雲から山に入って行く。

※ 今(9時)、江差の道の駅にいます。テレビが入る。選挙のニュースを見ながら書いています。まさかそこまでは、という結果になりそう。

途中の海岸線。
木を育てるための風除けの柵が続いていた。
このように、海岸線に森を復活させるための取り組みは、昔 襟裳岬であった。

9年 8月30日  (2)  

日本海側に出て走っていると、こんな所が。
ここに昔、洞窟があったという。
その洞窟で、円空が仏像を彫ったと説明にあった。

跡と言っても、当時の写真や絵でもなければ、よく分からない。

9年 8月30日  (3)

渡島半島の日本海側に来ると、義経伝説が多い。
詳しくは分からないが、少し考えてみたいと思う。

乙部町にある道の駅、ルート229元和台 で一休み。 場所はここ
海岸線はこんな感じ。
写真に見える道は、旧国道。
トンネルが多く、峠を越えることはなかった。

9年 8月30日  (4)

こんな岩が。 蹴飛ばしたら、ポキッと折れそう。
こんなのは積丹にもあった。 もっと根元が細かった。

なぜバランスよく根元が削られるのか。
例えば、右の方を削られたら、重心は右に移る。
そうなると右の方の岩は、重さで微妙に収縮し堅くなる。
こんどは、反対側の左側が、削られやすくなる。
それを繰り返しているため、倒れない。

波に洗われているときは、特にそうでないかなと。
どうでしょう。 無理があるかな。

9年 8月30日  (5)

昔、1795年に、こんなことがあった。
船で昆布を獲っていたら、強風で漂流した。中国の北京に着いた。苦労の末、2年後に戻った。それに関わって作ったもの。潮笛という名前が付いていた。

9年 8月30日  (6)

乙部町の国道から、この山が見えた。
畑にいた人に、山の名前を聞いた。
九郎岳と言った。   場所は、ここ

義経の名前は、源九郎義経。 (義朝の九男)
下の写真に、姫川が。 姫とは、静御前のこと。

9年 8月30日  (7)

伝説は、こうだった。(乙部町のHPより)

その昔、九郎判官義経が兄頼朝の追討をのがれ、乙部に蝦夷地最初の足跡を残しました。
乙部での義経の生活は2年にも及んだといわれています。
しかし、安穏とした気持ちにはなれなかったでしょう。なぜならそこには兄と弟の敵対を余儀なくされる非常の世界があったからです。
また愛妾(あいしょう)静御前もまた義経をおもうばかり、ついには蝦夷地まで北上し、乙部まで辿り着いたものの、悲運にも数ヶ月前に義経は乙部の川をさかのぼり、乙部岳を超えていたのです。
悲嘆にくれ、この世には生きながらえる望みも気力も失い尽くしてしまった静御前は川に身を投じてしまいました。
▲姫川
乙部の部落の人々は、義経と静御前の悲しい運命に同情してか、2人が逢えずに越えた峠を姫待峠、そしてその山を九郎岳、静御前が身を投じた川を姫川と、いつしか誰となく呼ぶようになったのです


姫川橋が見えてきた。  ここ

9年 8月30日  (8)

姫川橋から見た、姫川の上流側。

9年 8月30日  (9)

名前の由来が書いてあった。こんなの珍しい。

9年 8月30日  (11)

読みづらかったら、ここを。

9年 8月30日  (10)

姫川を上流に向かって走った。
姫川という地域があった。
そこから見た、九郎岳。

9年 8月30日

姫待峠の場所は、分からなかった。

義経が北に向かった、義経伝説は、東北や北海道にたくさんある。
不思議なことに、バラバラにあるのではなく、線で結びつくという。
これで分かる事は、義経が実際に北に向かったか、伝説をある人間が広めた かのどちらか。
広めたとすれば、その目的は何だったのでしょう。
そこが知りたいですね。

調べたら、北海道には、これだけの義経伝説があった。 (義経は北海道に渡ったのか、より)

①稚内市  源義経試し切りの岩
②旧厚田村 義経の涙岩
③旭川市  義経岩
④積丹町  女郎子岩  神威岩伝説
⑤岩内町  雷電岬  弁慶の刀掛岩
⑥寿都町  弁慶岬・義経の物見台
⑦乙部町  姫待ち峠・九郎岳・姫川
⑧江差町  義経の馬岩
⑨函館市  船魂神社・義経腰掛の松
⑩平取町  義経神社
⑪本別町  義経山
⑫羅臼町  義経の尻もち岩

いろんな伝説の中で、岩とかに名前が付いたのは、伝説として面白みに欠けるでしょうか。
乙部町のように、地名として残っている方が、もしかしてという、ほんの少しの楽しみがあるかな。

同じ伝説でも、鬼無里の伝説は、実際に紅葉という人がいたと、私は思っていますよ。


《資料》  Wikipediaから。
昔、小谷部という人が、義経は死ななかったという根拠を発表しました。
現在否定されてる部分もありますが、こんなのです。

○ 奥州衣川で文治5年4月30日に討ち取られた義経の首は、事件を5月22日に報告し、6月13日に鎌倉の頼朝に届けられている。当時としてもあまりに遅い。故意に腐らせ偽物と判別できなくするためではないか。
○ 『吾妻鏡』で衣川事件から1年後(1190年5月)鎌倉に義経軍が攻めてくるという情報が流れ緊張が走った、と記録が残るが、事実上鎌倉幕府が先の衣川事件の首は偽物であり、義経が生きているのを知っていたという証拠ではないか。
○ 成吉思汗の少年時代の記録として「朽木の洞に隠れていて助かった」とあるが、兄頼朝の伝説と内容が重なる。
○ 『大日本史』などでは鎌倉に届けられた首は偽首としており、蝦夷へ逃亡したと記している。
延宝年間の『可足記』に九郎判官の身代わりに杉目太郎行信が致し、行信の首が鎌倉に運ばれた、と記す。
モンゴル高原の中央部で生まれた成吉思汗は1190年から1202年まではユーラシア大陸の東端において、満州女直や高麗軍と戦った記録が残されている。なぜ、そんなところまで行って戦争しなければならないのか。これは義経が沿海州に上陸し、満州女直のワンスンと交戦したからではないのか。
○ 成吉思汗が1206年にハーンに即位した時の「九旒の白旗」の建立は源氏の氏の長者、武家の棟梁の宣言ではないか。「白旗」は源氏の旗印であり、「九旒」は九郎判官を意味するものではないか。
○ 成吉思汗は紋章として笹竜胆を使用した。笹リンドウ(源氏の紋章)を尊び、九の数を好むのは己の名の九郎に因んだからではないか。 戦術も同じ、戦い方もそっくりであった。
○ 成吉思汗はニロン族、すなわち日の国よりきた人として蒙古に伝えられている。この「ニロン」とは「ニホン(日本)」のことはないか。
○ 成吉思汗は別名を「クロー」と称した。これは「九郎判官」ではないか。また、軍職の名は「タイショー」として現代に伝わる。蒙古の古城跡では「城主はクロー」と称していたという言い伝えがある。
○ 北海道と大陸の間に昔からアイヌの行き来があって、義経一行はしばらく北海道に滞在した後アイヌの水先案内人によって大陸に渡った可能性が十分に考えられるのではないか。
○ 沿海州ナホトカとウラジオストクの間に「ハンガン」という岬と泊地があり、九郎判官が上陸した土地ではないか。
○ 成吉思汗が滞在した熱河省(現河北省北東部)に「へいせん」という地名があるのは、義経ゆかりの「平泉」によるのではないか。
○ 蒙古では現在でも「オボー祭り」が8月15日に開かれているが、義経が幼年時代をすごした京都鞍馬山でも、この日、同じような祭りが見られる。
○ 成吉思汗はニルン族の貴族キャト氏族だが、「キャト」は「キョウト」「京都」出身をあらわしているのではないか。
○ 両者とも背は高くなかった。酒も全然飲めなかった。
国名「元」は「源」に通じる[6]
○ 蒙古の地名や現地言語に日本内地、蝦夷との類似性がみられる(チタ、スルガなど)。蒙古には「源」の苗字が多い。
○ 成吉思汗の前半生には空白部分が多い。
○ モンゴル文字にかなりの平仮名からヒントを得たとしか考えられない文字が存在する。


【道の駅】    江差    場所はここ

【明日の予定】  江差の街を見ます。 その後、函館に。


《今日の歌》       眠れない夜を抱いて(YouTube)  もう、何年経つでしょうね。 

          北の岬(YouTube)  土曜日に載せる予定でしたが、出来なかったので。聴いてくれてる人がいるようです。

          歌ってよ夕陽の歌を(YouTube)  季節が、夏から秋に移る、この時期の歌でしょうか。




※ 選挙の結果が出ましたね。

この結果をどう見るか。
大事なのは、政治が動いたことにより、世の中が変わるかどうかです。
変わらなかったら、期待したのはむなしかったことになります。
もし変わったら、気づくのに長い年月がかかった、と言うことになります。

怒濤のように一方に流れるのは、問題があります。
それは、いい方にも悪い方にも、その可能性があるからです。
最悪の場合が戦前です。いい見本です。

それでも、日本が変わる可能性を感じる日は、今までずっとなかった。
見守ってみる価値はあると思いますね。
もしだめだったら、日本の将来に光は見えてこない。

住みよい社会を実現してくれたら、政党はどこでもいいわけです。
そう思いますよ。


     ※
紋別岳の頂上を目指して登った。 伊達のKさんと。
いっぷく広場が、紋別岳の手前にある、前紋別岳の頂上にあった。
そこで、コーヒーを飲んだりしてたら、それ以上が面倒になった。
1時間半登って、そこでお終い。

時間がないので、少し書いて、続きは明日です。

山の上から見えたのは、下の写真。
洞爺湖 有珠山 昭和新山 羊蹄山 ニセコアンヌプリ 白鳥大橋 駒ヶ岳(写真なし) 噴火湾 など

花もあった。
花の写真を載せると、山にはたくさん花があるように見えるが、そうではないですよ。
一目見渡しても花はない。
さがして、やっとある。
どの花も、ひっそりと咲いている感じ。

ギンリョウソウに似た、アキノギンリョウソウがあった。
また、立体的な、普通とは違う蜘蛛の巣もあった。

今日は、山から下りて温泉に入った。
その後、ビールを少し飲んで極楽。

この後、また飲む。

今晩10時から、NHKで大雪の花の番組があるそう。
Kさんも、旭川の姉も、そのことを教えてくれた。
それまでに帰って来て、見ます。
トムラウシの花畑も出る。
楽しみです。

いっぷく広場で休んでいるとき、蝉がワンワン鳴いてうるさかった。
犯人は、下の写真の蝉だった。

今日は、一日いい天気でした。
空は、秋の空でした。

伊達を出発したら、本州に向かいます。
旅の第2ラウンドです。

今日は、ここまでです。

※追記
夕べは、焼き肉を食べました。
黒ビールが美味しかったですね。

写真に説明を付けます。

4時間コースの山に登るには、鍛えないとだめです。
それで、紋別岳です。

この写真は、6合目くらいから。
伊達の街。

9年8月29日 (4)

右に羊蹄山が見える。
洞爺湖がみえてる。 真ん中に中島が。
左に見えるのは、昭和新山。
ずっと遠くに、ニセコアンヌプリ。

9年8月29日 (5)

エゾヤマアザミ
よく見るので、滅多に写真は撮らない。

9年8月29日 (6)

ここが、いっぷく広場。 前紋別岳の頂上。
ここまで、1時間半かかった。 小さな山なのに。
Tさんがお湯を沸かし、コーヒーを落とした。
ここで昼食。
Tさんの奥様が作ってくれた。
おにぎりもおかずも、コンビニのとは違って、美味しかった。

9年8月29日 (7)

紋別岳頂上。
そこまで40分。 行かなかった。

9年8月29日 (8)

右に羊蹄山。
少し、洞爺湖が見える。 中島が大きく。

9年8月29日 (9)

室蘭の白鳥大橋。

9年8月29日 (10)

昭和新山と洞爺湖。

9年8月29日 (11)

この蝉が、すぐそばで、ずっと鳴いてた。
頭がくらくらした。
近づいても逃げない。 北海道の夏は、この蝉が多い。

9年8月29日 (12)

野山には、ススキが目立ち始めた。 
空も、秋になってきた。

9年8月29日 (13)

羽根が傷んでいる。 それでも、きれい。

9年8月29日 (14)

キノコ。 大きさは3㎝くらい。

9年8月29日 (15)

ギンリョウソウかと思ったが、少し違うよう。

9年8月29日 (16)

ツリガネニンジンを見たのは、これだけ。

9年8月29日 (17)

こんな蜘蛛の巣は、初めて。
巣の厚さは、1㎝位。 立体的。
クモにピントを合わせると、巣が全部写らない。

立体的に撮ってみたい。出来るのかな。 人間の目は優秀。

9年8月29日

ヘビイチゴの実のようだ。 大きさは1㎝ほど。

9年8月29日 (2)

小さな小さな花。 上の実の花。 1㎝くらい。

9年8月29日 (3)

このくらいの山なら、大丈夫。 足も痛くならないし、疲れない。
本州に渡ったら、どの山かに登ります。
鳥海山を検討中。

道の駅も温泉も、伊達の街の中です。
Tさんのご家庭には、お世話になりました。
(お家は、道の駅から歩いて3分)

30日は、江差に向かいます。


     ※
岩内に大仏があることは、昨日食堂で聞いていた。
でも、写真は撮れないだろうから、考えていなかった。
大仏は、帰厚院(きこういん)という寺にある。
朝、電話してみた。
撮影していいと言う。

仏像の写真を撮る練習だ、と思って行ってみた。   場所はここ
道の駅の近くだった。

帰厚院に着いた。
奥様の感じの人が外にいたので、挨拶した。
自由に観ていいという。 無料。

※ このように、拝観者(見学者)を信用して、自由に観させる所がたまにある。
先日の、余市の福原漁場もそうだった。(たまたま、あの日は案内してくれたが)
また、鬼無里で鬼女伝説を調べた寺もそうだった。
ずっと事故がないから、続けられてるのかなと思う。
人を信用するということを、基本姿勢にしている。
こうなると、なおさら悪いことは出来ない。
悪人も、善人になってしまう。
(新美南吉の「花の木村と盗人達」は、これをテーマにしたお話しです)

本堂に入った。
目の前にこれ。 圧倒された。 高さ、6.8㍍。

9年8月28日  (3)

木造。 東京以北で、木造では最大という。

9年8月28日  (2)

本堂の中は、小さな灯りはあったが、かなり暗い。
仏像の撮り方について勉強したことはない。だから、適当。
外付けのストロボも、使ったり使わなかったり。

9年8月28日  (4)

大正10年に完成している。
金箔の部分が、輝いている。

9年8月28日  (5)

9年8月28日  (6)

ゆったりとした穏やかな表情で、少し微笑んでいるようにも見える。
怒っているのかなと思えば、そうも見えてくる。

9年8月28日  (7)

9年8月28日  (8)

他に、小さな仏像がいっぱいあった。
ここからは入らないで欲しい、と書いてある奥にあったので、うまく撮れなかった。

9年8月28日  (9)

とっても細い。

9年8月28日  (10)

円空のがあれば面白いと思ったが、簡単にはない。

9年8月28日  (11)

これは、作者不詳。

9年8月28日  (12)

仏像を観ていたら、心が落ち着く感じがしたかな。
気に入った写真は、10枚もありませんでした。
むずかしい。


朝、たくさんの雨が降った。
その雨は上がった。
神仙沼に向かった。

パーキングは、ニセコに向かう峠の一番高いところにあった。
山の上は、小雨だった。
沼まで2㎞程なので、カッパの上を着て、傘をさして出発。
木道だったので、歩きやすい。
急な登りはない。

9年8月28日  (13)

沼に近づいたら、視界が開けた。 湿原だ。

9年8月28日  (14)

神仙沼に着いた。  場所はここ
手前しか見えない。
向こう岸まで、100㍍以上はあるのだが・・。

9年8月28日  (15)

9年8月28日  (16)

ここは、雨竜湿原や浮島湿原と同じ、高層湿原だった。
沼の右の方。

9年8月28日  (17)

沼の左の方。
コウホネの花はなかった。

9年8月28日  (18)

雨竜沼湿原と同じ花が咲いていた。
これは、サワギキョウ

9年8月28日  (19)

花に見えないので、いつもは撮らないが、サービス。
ナガボノシロワレモコウ

9年8月28日  (20)

10分程いて戻った。 途中、別の道を通って。
小さな沼が、あちこちに。
魚はいなかった。

9年8月28日  (21)

浮島ではないようだ。

9年8月28日  (22)

松山湿原には、こんな木がいっぱいあった。
寒くて、風が強いので、こうなるのか。

9年8月28日

帰りは、風も雨も強まって、嵐になった。
傘をさすのは、やっと。
膝から下と靴をぬらして、車に戻った。

天気のいい日に行かないとダメだ。
一番いい季節は、6月かな 。
今年の北海道の湿原は、これでお終い。


日ハムが勝った。
北海道の放送局は、応援実況をする。
これでいいと思う。 地元だから。
ところが、昔から全国放送の巨人戦は、巨人の応援実況をやってきた。
これはおかしい。

間もなく、選挙。
日本のマスコミの多くには、問題がある。
私は、こう思っています。
少しずつ薄まっては来たが、ずっと応援実況をしてきたように思う。
庶民には、簡単に見抜かれないように。
※ そのために力を発揮できるコメンテーターが、大事にされてきた。


【道の駅】    ニセコビュープラザ    場所はここ

【温泉】     ニセコ駅前温泉綺麗乃湯  500円   この辺りには、温泉がいっぱある。 最近、どこの温泉も、お湯がぬるい感じがする。 年取ったからですよ、と言われそう。 今まで一番熱かったのは、吹上温泉の露天風呂。2秒しか入れなかった。 その次は、湯船の下の岩盤からお湯が出ていた、赤倉温泉の三之丞。

【明日の予定】   伊達に行きます。 紋別岳という、小さな山がある。そこに行く予定。晩は酒を飲みます。ブログは、どうしたらいいか。


《今日の歌》     鬼無里の道(YouTube)   鬼無里は、ここ。 ブログは、ここに

           愛の終着駅(YouTube)   久しぶりです。 胸をキュンとさせて歌っている。そこがいいかな。

     ※
雨は降り続けています。
神仙沼に行きたかったが、ダメでした。
岩内の道の駅にいます。

今日は、思いついたことを書きますね。
写真は、後で、1~2枚。

【岩内について】
この地名を知ったのは、小学校3年の冬。
中川町の国府にいた時。
1㎞ほど離れた農家の家族が、岩内に遊びに行くと言った。
子供に着せる物がないので、私のセーターを貸してほしいと。
  (それは、母親の手編み)
それで覚えた。

ある時、ここの家に遊びに行った。
ご飯をいただいた。準備したのは子供。
具がジャガイモだけの、冷めた味噌汁を、ご飯にかけて食べた。
これは、忘れられない味になった。

今年の夏、暑いので味噌汁を食べないでいた。
あることを試してみた。
インスタントの味噌汁を、お湯でなく水で作ってみた。
大丈夫だった。
この時も、昔を思い出した。

下の写真は、岩内の街です。
坂を下りていったら道の駅。
さらに行ったら海。
買い物に行ってきた。
半生の身欠きニシンを買った。昨日福原漁場に行ったので。

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港です。

_MG_5105.jpg

カモメがいっぱいいた。
みんな海に顔を突っ込んで、何かを食べていた。
小魚でしょうね。

_MG_5096.jpg

【失敗】
少し前のある記事を、削除した。
交通事故の記事。
亡くなったのは、記事に書いた人の兄だった。
電話で確認はしていたが、その情報も間違っていた。
何名かに再度確認の電話を入れて、間違いに気づいた。

新たなことが分かった。
同乗していて、大けがをした人がいた。
私のブログに登場したことがある人。
ずっと私のブログを読んでる人は、見当つくかも知れない。

年を取ったら、病気がこわい。
でも、若い時は、交通事故かな。

【北の岬の追記】
今の時代はYouTubeだと思った。それで、載せた。
これで、細々とでも残る。

多くの人のお世話になった。
雄武の町長さんは、1回聴いただけで、支援を約束してくれた。
校区の全戸がCDを購入してくれた。
その当時の上司にも、何度かブログに登場したフナ釣りのKさんの奥様にも、世話になった。
今考えても、人の助けがなければ、どうにもならなかった。

今後、土曜日のブログに載せようかなと考えています。
たまに聴いてくださいね。

【ホッケの開き】
お昼に、ホッケの開きの定食を食べた。
ホッケが違った。
まずくはないが、身が柔い。

ホッケで一番美味しいのは、羅臼のホッケ。
頭が小さい。
種類が違うようだ。

ご飯のお代わりをした。
車で、昨日いただいた本を読んでいたら、寝てしまった。熟睡。
起きたら4時。

夕べ、ブログは1時頃終わったが、音楽を聴いたり、他の人のブログを読んでたら、3時を過ぎてしまった。時々こうなる。

【明日も天気は悪い】
北海道に来て、44日目になる。
今年の夏は、天気が良くない。
十勝連峰を綺麗に見ることはできなかった。

明日は、ニセコに向かいます。
何か見つけます。

来週の後半には、本州に渡ります。



《今日の歌》      メロディです。(YouTube)  ダバダバダ っていう曲かな。

                 ロクサーヌ(YouTube)   キム・ヨナの動画です。 2006年のグランプリシリーズ、フランス大会。 風のように滑っています。動きが、音楽にぴったり合っています。それに注目しながら見ると面白いですよ。ムーランルージュの映画の曲をそのまま使っています。 

     ※
本当に積丹ブルーと呼べるだけ色なのか。
それを確かめるのが、今日の中心でした。

今日は、今私がどこにいるかは言わない。
はい、ここで問題です。
私は今、どこにいるでしょう。
答えは、もう言いましたよ。
分かりましたでしょうか。答えは、岩内です。

下の写真は、道の駅スペース・アップルよいち 観光案内所です。
ここに勤務する、I さんという女性の方にお会いしました。
以前ブログに書いた、Kameさんが紹介してくれました。
いつもここに居るわけではなく、今日居たのは、たまたまでした。

今まで全国の道の駅をたくさん見てきたが、ここの案内所ほど、パンフレット等充実している所はなかったですね。

I さんのメインの顔は、倶知安を拠点に、後志の観光の発展に尽くしている方でした。
ある組織の事務局長をされています。
ここに時々こられるのは、現場で旅人の生の声を聞くためです。
1時間ほど、道の駅や観光のあり方について話しました。
観光客に対しての目が、とても温かい方でした。

余市の見所はどこかを聞きました。
私が興味持ちそうだと考えられたのか、福原漁場(ぎょば)を紹介してくれました。

9年8月26日    (28)

福原漁場は、ここから積丹よりの直ぐ近くにあった。  ここ
ニシンが捕れた昔、ここには番屋だけでなく、蔵などの必要な建物があった。
それが、復元した物もあるが、全体が残っていた。

受付をしたら、管理している人が案内してくれた。
下の写真は、漁場の中心の建て物、主屋の中。
この建物で、経営者も働く人も、食事をし寝起きした。

9年8月26日   

ここで働く人は、米のご飯がいくらでも食べることができた。
それは、当時、とても贅沢なことだった。

これは、文書庫と言って、蔵のようなもの。
壁は、漆喰の上に板を張っている。板は取り外せる。
漆喰が、潮風で傷むからだそう。

9年8月26日    (2)

地下もあり、儲かったお金は、瓶に入れてあった。
ニシンがたくさん捕れて儲かったときは、閑になってやっとお金を数えたという。
9年8月26日    (3)

ここは、米味噌蔵
壁の一番下の方は、外壁と内壁の間に、砂利が入っている。
ネズミの進入を防ぐため。

9年8月26日    (4)

この船で、製品化された身欠きニシンや、魚粕が道内外に運ばれた。(汽車も利用された)
これは、10分の1の大きさ。
写真に写っている方が、説明してくれた。
丁寧でしたし、分かりやすかったです。

9年8月26日    (5)

昔の浜の様子。

9年8月26日    (6)

浜に打ち上げられたニシン。
こういう時、海の中に棒を立てたら、倒れなかったと言われる。(この話は、サケでも聞いたことがある)

9年8月26日    (7)

ニシンを釜で炊いて油を絞ったら、魚粕になる。それを干している。

9年8月26日    (8)

説明していただいたおかげで、昔のニシン漁全体が初めて分かりました。

福原漁場を見学している時、道の駅のI さんから電話が入った。
BYWAY後志という本が届いたので、プレゼントしてくれるという。
もう一度戻って、いただいた。

IMG_1661.jpg

積丹岬に向かった。  ここ
駐車場から、小さなトンネルを通って行く。

9年8月26日    (9)

トンネルを抜けたら、すぐ海が見えた。
これが、積丹ブルー
悪くない。 なかなかか。

9年8月26日    (10)

9年8月26日    (11)

この写真を見ると、海が円く見える。
地球岬のようだ。 まだ見てないが。

9年8月26日    (12)

9年8月26日    (13)

海岸に下りる道があり、行った。
これは、途中で撮影。
ここだけ、色が違った。緑っぽい。

9年8月26日    (14)

9年8月26日    (15)

海底が白っぽいために、海水が青くなるのかな。
※ 人はいっぱいいた。みんな海岸で遊んでいた。私は、マムシに注意の看板があったので、しばらくの間、マムシを探した。

積丹岬の海は、合格でした。

神威岬に向かった。  
途中にこんなのが。 回転させて、イカとホッケの開きを干していた。

9年8月26日    (16)

先端まで、結構遠い。    場所はここ
不思議なもので、山に登ったりしてたから、まったく面倒に思わない。

9年8月26日    (17)

柵を越えたらダメ、という標示が、いたるところに。

9年8月26日    (18)

花は、エゾフウロ・ツリガネニンジンが多かった。

エゾカワラナデシコもあった。
身だしなみを整えていない花が多く、いいのを探しながら歩いた。
見つけたのが、これ。

9年8月26日    (19)

すてきな色を、花からもらってる感じがする。
今まで、この花をたくさん撮ったが、今回が一番です。100点ではないが。

9年8月26日    (20)

この花を見てて、ある俳句を思い出した。
芭蕉と一緒に旅をした曽良が、こんなのを作った。

  かさねとは八重撫子の名成べし

旅の途中、かさねという名前の女の子に会った。可愛かったので、八重撫子のようだと言ったんですね。 かさね から八重を連想した。 可愛いから撫子(ナデシコ)に例えた。
ナデシコは、そういう花なんですね。
八重撫子は、こんな花。

八重撫子

神威岬から。

9年8月26日    (21)

9年8月26日    (22)

釣り船かな。

9年8月26日    (23)

こういう岩が多い。

9年8月26日    (24)

こんな所もあった。 驚きの色です。

9年8月26日    (25)

9年8月26日    (26)

積丹ブルーは、南の海のブルーとも違う。
透明感があり、引き締まったブルー。
上品で、カチッとした感じですね。
一見の価値は十分にあります。

感動のブルーは、これで3つ目。

オンネトウがこれ。
IMG_0120no2.jpg 

美瑛の青い池はこれ。
9年8月16日 (2)


【今日の道の駅】    いわない    場所はここ

【温泉】         珊内(さんない)ぬくもり温泉   ここ。  500円。 小さな温泉。 私一人だけ。 写真が撮れた。 久しぶりに長く入った。そう思って出たら、受付の人に、早いねって言われた。

DSC00785n09.jpg

【明日の予定】     神仙沼に行ってきます。  ここ


《今日の歌》      CAN YOU CELEBRATE?(YouTube)   小室哲哉が活動を再開したので。

                 あなたに逢いたくて(YouTube)  2度目です。

            とり (エムズの片割れ)  初めて。私が持ってるアルバムにもない。

          

     ※
石狩挽歌を調べに、小樽に行った。
歌詞の中に出てくる古代文字は無いことが分かった。
昔古代文字と思われていたのは、絵だった。
それが、今の通説だった。
オタモイ岬も、鰊御殿のある辺りを、オタモイに近いからそう呼んだようだった。
調べる面白さが消えたので、やめた。

オタモイ海岸に行ってみた。  場所はここ

9年 8月25日 (2)

トンネルのようなものと、赤い何かが見える。

9年 8月25日 (6)

説明板があった。
昭和初期、ここにオタモイ遊園地があった。
私が今いる所は、赤い丸の跡地。
辨天食堂があった所。

9年 8月25日 (3)no2

上の上の写真の赤い所に、上の写真の黄色の丸の建物、つまり下の写真の竜宮閣があった。
竜宮閣は、料亭。

9年 8月25日 (4)

これは、辨天食堂。

9年 8月25日 (5)

細い道を、他の人といっしょに行ってみた。

9年 8月25日

途中に、こんな花が。

9年 8月25日 (8)

まるで、竜宮城へのトンネルだ。

9年 8月25日 (7)

竜宮閣のあったところは、幅5メートルほどの、狭い場所だった。(写真忘れた)
この場所からはみ出すように、大きな竜宮閣を建てた。
京都の清水をしのぐ建物だったと、説明にあった。
小さな洞窟もあった。

9年 8月25日 (9)

遠くに、積丹半島が見える。

9年 8月25日 (10)

今いる場所から、細い道をさらに行くと、向こうの建物に。

9年 8月25日 (11)

フゴッペ洞窟に寄った。
写真撮ったらダメだと、後でしった。
たくさん撮ったが、2枚だけ。

9年 8月25日 (12)

小さな洞窟。
壁面に絵があった。

9年 8月25日 (13)

余市の道の駅の近くに、ニッカウヰスキーの工場が。

9年 8月25日 (14)

ステンドグラス。

9年 8月25日 (15)

蒸留するところ。

9年 8月25日 (16)

寝せてる。
売店があったが、高いウイスキーが多かった。

9年 8月25日 (17)


北の岬について】

かんたんに紹介します。

平成12年、私は雄武の沢木小の3年目だった。
4月、若い先生が来た。音楽に堪能だった。
(昨日、一昨日とお世話になった、Tさん)

5月頃、私の住宅で二人で酒を飲んだ。
日の出岬の歌を作るか、となった。
歌詞は私が担当。 曲はT先生。

そんなことでスタートし、曲ができたのが6月。歌詞は11月。
歌ってもらうのは、城之内早苗と私の希望で決めていた。
そして、ゼティマというレコード会社にお願いすることになる。
雄武町に支援も。
CDが出来上がったのは、それから、1年半後の平成14年5月。

こんな感じです。
このような詩を作ったことはなかったから、大変だった。
2番の歌詞の温もりの灯りを発見したとき、これでやっとできたなと思った。


9年 8月25日 (18)

         北の岬          (編曲は川口真)

      話す言葉 探しながら
      北の岬に 聞く波は
      霧にかすむ オホーツクの海
      ああ 潮風(かぜ)に ふるえてる 
      ハマナスの花よ
     ※ ねえ せめておしえておくれ
      あの人の心だけは
      出来るなら 聴かせておくれ
      あの人の唄う 恋の歌 ※

      好きと言えず まよいながら
      残る夕日に 染まるのは 
      想い募らせ 未練の花
      ああ 祈る オムイの
      温もりの 灯りよ
      ねえ せめて伝えておくれ
      私の 焦がれる想い
      出来るなら 届けておくれ
      私から唄う 愛の歌

      明日の夢を さがしながら
      岬ホテルに 見る夢は
      いつかあなたの 胸の中で
      ああ 日の出岬に
      昇る 朝の光よ
      ※をくりかえす。
  

 北の岬(YouTube)  別の写真のです。 検索で引っかかりやすいように、名前をこうしました。Tさんのアイディア。 YouTubeを隠して聴くことができますよ。

9年 8月25日 (19)


【道の駅】    スペース・アップルよいち   場所はここ。  ここの道の駅に観光案内所がある。そこに時々勤める人が、ある人のつながりで、メールをくれた。明日、その人の勤務日。会えます。楽しみです。

【温泉】    余市のはまなす温泉。 ある人が半額の券をくれた。300円。

【明日の予定】   積丹です。 今週の土曜日、伊達です。

《今日の歌》     大連の街から(YouTube)   まあまあじょうずでしょうか。 

     ※

いつかのブログに書いた北の岬が、YouTubeに載りました。
今日は、そのことで一日使いました。
メロディを担当した、札幌のTさんがやってくれました。

こんな曲です。

   北の岬(YouTube)    城之内早苗さんです。

今日もTさん家で、お酒をいただいています。
これについては、明日書きますね。


     ※
坂本龍馬家の墓があるという。 場所は、浦臼町札的(さってき)。 地図ではここ
龍馬の墓ではなく、龍馬の墓だ。
ということは、龍馬の子孫か。

9年8月23日

概略は、下の写真に書いてある。
調べてみた。

龍馬には子供がいなかった。
それで、姉の子供を、龍馬の養継子(後を継ぐための養子)とした。
その子供が、ここ浦臼町に来た。

養継子は実子ではないが、直系と考えて、坂本龍馬家の墓としたようです。
詳しくは、ここに書いてあります。

23niti 12

なお、龍馬の墓は、京都市東山区の京都霊山護国神社に。お龍の墓は、横須賀市にあるが、分骨して京都にもあるそう。

一昨年、龍馬がお龍の機転で助かった、京都の寺田屋に行ってきた。
その後、今の寺田屋は当時の物ではないと、京都市は結論を出した。
私は何を見たんだろう。


お墓の近くの木に、大きなクモがいた。

9年8月23日 (3)

9年8月23日 (4)

トンボをつかまえて、蜘蛛の巣にくっ付けた。
私が見てるとクモは動かない。
車に戻って、5分くらいしていったら、こうなってた。
グルグル巻き。

9年8月23日 (5)

攻撃するところを見たかった。 失敗した。

9年8月23日 (6)


晩にお酒を飲むので、ブログを急ぎました。
時間がないので、ここまで。


【温泉】   月形温泉ゆりかご  480円   場所はここ。  ブログはここの駐車場で書いています。 2時半頃ブログは書き終わるので、その後行きます。

【明日の予定】    石狩挽歌の歌を、追ってみます。 小樽です。


《今日の歌》     ハングリー・スパイダー(YouTube)

     ※
午後、浦臼の道の駅「つるぬま」に来た。

地図や旅行雑誌では、面白そうな所は見つかっていなかった。
※ 旅行雑誌の問題点として、食べ物のお店の紹介が多い。

道の駅をのぞいてみた。
渡船のパンフレットがあった。
石狩川に、渡し船があるという。

こういうのが、面白い。 私は好きだ。
電話で予約したら乗れると書いてある。それも、無料で。
すぐ動いた。
場所は、道の駅から10㎞ほど離れた、浦臼町晩生内(おそきない)に。 場所は、ここ。

私が直ぐ行くと電話してあったので、船頭の国田さんは、渡船場で待っていてくれた。

9年8月22日

ここの渡船は、美浦渡船。 美唄と浦臼の間にあるから。
かつて、道内には、石狩川・天塩川・十勝川などに、150近い渡船場があったという。
でも、今はここだけ。
現実に必要としているわけではないが、残す声が地域から多く集まり、地域振興の意味もあって運行されている。
管理は、美唄市と浦臼町で。

船頭の国田さんは、昭和47年から続けている。 

9年8月22日 (2)

昔は、両岸の間にワイヤーが張られていた。
そのワイヤーから出た、細いワイヤーに船はつながれていた。
川の流れがあるので、船頭は、艪(ろ)をある角度にしておくと、船は前に進んだ。

今日乗ったのは、船外機で動く、今の船。
対岸に行って引き返して終わりと思っていたら、上流に向かった。
サービスだ。(いつもこうしてるそう)

9年8月22日 (3)

私は、5才から小学校4年まで、中川町の国府にいた。
歌内と国府の間にある天塩川に、渡船があった。
年に何回か乗った。
いつ乗っても、怖かった。救命胴衣などない。
橋が出来たのは、最後の年の秋だった。

国府に行く十数年前、子供達を乗せた渡船が、ひっくり返った。
多くの子供が亡くなった。
※ 慰霊碑があって、去年の夏見てきた。
※ 昭和15年5月6日のこと。児童17人と父母2人全員が亡くなった。

昼間は強風が吹いたが、夕方そよ風に変わった。
俵万智の歌を思いだした。
 「四万十に光の粒をまきながら 川面をなでる風の手のひら」  四万十川は、ここここに。

9年8月22日 (4)

石狩川は大河だ。 長さは、日本で3位
川幅は、150㍍くらいでしょうか。
羽衣の滝の水も、白金の青い池の水も、みんなここに集まってくる。

上流へ3㎞ほど上って、戻った。

9年8月22日 (5)

昔は、何艘かの渡船があったという。
人間が15人くらい乗れる大きな船だった。
馬が3頭乗れる船もあった。

この鳥は、アオサギですね。 となりは、トンビ。
首を曲げて飛ぶのが特徴。

9年8月22日 (6)

きれいに、足を揃えている。

9年8月22日 (7)

この時期は、子供はもう巣立っていますね。

9年8月22日 (8)

羽の先が、キュッと上がっているのは、飛行機といっしょ。
飛行機が、鳥に似たんだが。

9年8月22日 (9)

渡船場の少し川下に、今、美浦大橋が建設中。
橋の架け替えはよくあるが、このような大きな橋が新たに建設されるのは珍しいですね。

国田さんは、こうやって立ってても、フラッとすることはない。
40年近く船に乗ったから。

9年8月22日 (10)

石狩川のこの場所で、堤防と堤防の間は800㍍
だから、橋の長さも800㍍。
昭和56年。大水で、川幅が800㍍になった。
江別だったか、堤防が決壊した。

橋の工事は危険な作業だ。
高い所の仕事だからって、必ずしも命綱を付けてるとは限らない。

9年8月22日 (11)

渡船を利用するとき、船が対岸にあったら、どうやって知らせたのかを聞いた。
お~い!」って、大きな声で叫んだそうだ。
私が子供の時のは、鐘を鳴らした。

渡船場が見えてきました。

9年8月22日 (12)

船をつなぐロープに、トンボが。
秋の気配を感じます。

9年8月22日 (13)

この渡し船は、北海道で最後に残った渡し船だから、観光資源としての可能性は十分あると思う。
基本は渡船で、石狩川の案内をプラスする今の形でいいのかな。

今日は、思わぬ物に出会うことが出来ました。


道の駅の、国道を挟んだ向かい側に、鶴沼公園がある。
※ 昔、ここに鶴がいたのかな。
※ 追記 昔ですが、ここは鶴の飛来地であり、宮内庁が鶴の繁殖をした地であるようです。

9年8月22日 (14)


【道の駅】   つるぬま    場所はここ

【温泉】     浦臼温泉保養センター   400円   国道の向かい側、すぐそば。

【明日の予定】   札幌で友人に会う。 お酒を飲むので、ブログはどうなるか分からない。昼間は、どこかのDoCoMoで、ネットの端末機を変更するかも知れない。スピードが速く料金の安いのが出たので。


《今日の歌》     海の上のピアニスト、その1(YouTube)

           海の上のピアニスト、その2(YouTube)  この人の生きる場所は、船の上しかなかった。そんな映画でしたね。好きな人が現れ、船を下りてみたが、また戻った。これはピアノの挑戦を受ける場面です。どの曲もいいですが、メインの曲は、2の後半にあります。圧巻ですよ。 この曲を思いついた理由は、昨日のキム・ヨナのピアノ曲の演奏者が、この映画の主人公に似ていたから。

         
     
  

     ※
湿原へは、登山だった。
道の後半、階段を登るように一気に高度が上がった。
天空にある湿原に向かっている感じだった。


朝方、強い雨が降った。
その後も、時々降った。
半分あきらめた。

9時過ぎ雨が止んだので、とりあえず、登山口の湿原ゲートパークに向かった。
10時半頃着いた。   場所はここ
雨は降ってないので、入山手続きをした。
手続きが終わって準備を始めたら、土砂降りの雨が降ってきた。
どうしようか、迷った。

その雨は、11時ちょうどに止んだ。
雨雲はどこかに行った。
あわてて準備をしなおして、11時15分出発。

20分ほど歩いたら、白龍ノ滝が見えた。 雨で水量が多い。
登山道も、いたるところ水が流れてる。

9年8月21日

片道2時間と聞いていたが、入山手続きの時、1時間半くらいと教えてくれた。
そんなに大変ではない。
ただ、中間地点にある橋を過ぎたら、一気に登り始めた。
階段にしなければ登れない傾斜。

そこを登り切った辺りに、下の表示があった。
に関するもの。
ゲートパークにも、熊に関する注意書きは、事細かく書いてあった。

9年8月21日  (2)

熊の糞も足跡もないから、大きな心配はしていなかった。
撃退スプレーは、2本持っていた。
※ 熊が現れたら、3秒以内で噴射が可能。
鈴も付けていたし、時々笛も鳴らした。

9年8月21日  (3)

道はずっと笹藪の中。気持ちのいいものではない。
去年の7月に、時々私のブログに登場する、熊本のしうさんが、一人でここを歩いた。
今日自分で歩いて見て、よく来たなと思った。
お祭りで買った鈴しか、付けていなかったようだし。
(※ 5月に山小屋でお世話になったのが、しうさん。)

ここを通り過ぎた後、自衛隊の人達20人くらいとすれ違った。
訓練で来ていたそうだ。
道から1歩離れて、整列して私を通してくれた。

今日は、他には誰とも会わなかった。

12時55分、湿原に着いた。 1時間40分かかった。
いつの間にか、空には青空が見えるようになっていた。
ここで一休みして、コンビニで買ったおにぎりを食べた。

9年8月21日  (4)

湿原の中に、木道があった。 1周するのに1時間と聞いていた。 (私は1時間45分かかった)
これは、湿原から流れる川。
深いのか浅いのか、分からない。

9年8月21日  (5)

エゾカンゾウは終わっているので、花畑のように花はない。
でも、いろんな花が咲いていた。
この花が一番多かった。
ウメバチソウ。

9年8月21日  (6)

沼がいたるところにある。
この沼の中に島があるが、浮島ではないようだ。

9年8月21日  (7)

こんな木道を歩く。
遠くに見える山は、暑寒別岳
ここに行くには、往復11~12時間かかるそうだ。
左右の沼の高さが違う

9年8月21日  (8)

ウリュウコウホネ。 花の中が赤い。

9年8月21日  (9)

この花も多かった。 サワギキョウ。

9年8月21日  (10)

こんな鳥がいた。 何かを飲み込もうとしているのか。

9年8月21日  (11)

湿原の奥に来た。 暑寒別岳の雲が消えた。

9年8月21日  (12)

タチギボウシ。

9年8月21日  (13)

島のある沼は浅いようだ。

9年8月21日  (14)

ハクサンボウフウ。 花には見えない。

9年8月21日  (15)

エゾリンドウ。 たくさん咲いていた。

9年8月21日  (16)

何でしょう。 ワタスゲみたい。

9年8月21日  (17)

いろんな形の沼が。

9年8月21日  (18)

名前は分からない。 子供のようだ。

9年8月21日  (19)

コガネギク。

9年8月21日  (20)

オニヤンマより、少し小さかったかな。
その場所で飛んでたので、ピントが合った。

9年8月21日  (21)

花なのか何なのか、分からない。

9年8月21日  (22)

大きさは8㎝くらい。 名前は?

9年8月21日  (23)

2時50分下山開始。 少し予定より遅れた。

9年8月21日  (24)

カワガラス。 カラスの親戚ではない。

9年8月21日  (25)

見晴らしが良くなるのは、1カ所だけ。
ここでは、携帯が使える。
登るとき、この場所から姉に電話した。
(7~8年前、旦那と暑寒別岳に登ったそうだ)

9年8月21日  (26)

雨竜の街。

9年8月21日  (27)

オオカメノキ。 この後、実は黒くなる。

9年8月21日  (28)

中間点にある橋。 向こうからこっちに来た。
水は、滝のように流れ落ちてた。

9年8月21日  (29)

エゾトリカブト。 毒は、トリカブトの中で最強だそう。

9年8月21日  (30)

エゾアジサイ。 山に入ったら、いつも見る。

9年8月21日  (31)

湿原には水があるから、動植物が多い。
歩いてて、退屈しない。

私はいつも一人だが、何人かで行った方が面白いかも知れない。
ああだこうだ、おしゃべりできるから。

今日は、予報通り、午後天気は回復した。
行けて良かったです。
別な時期に、また行ってみたいかな。

※ 高層湿原はこれで、4カ所目。浮島湿原、松山湿原、雄国沼。


【道の駅】    サンフラワー北竜   一昨日いた所。

【温泉】     道の駅にある温泉。  今日は10分くらい湯船にいた。 こういうことは、滅多にない。

【明日の予定】  南に下るが、面白そうな所は見つかってない。札幌に近づきます。


《今日の歌》    marokkaanse muziek bladi blad ziton(YouTube) 変わった歌です。 ホーミーかな。

          yuri maldita primavera(YouTube)  どこの国かもわからない。

             風の盆(YouTube)  今年ももうすぐやってきます。

     ※
湿原の花は終わったと思っていた。
確かに、低地の湿原は終わっていた。
でも、高い所にある雨竜沼湿原は、まだ色んな花が咲いてることが分かった。

天気が良くない。
ただ、明日は昼頃から回復する。
登山口で待機して、11時までに雨が止んだら行こうかなと思う、

歩く距離は4㎞程だが、300㍍登るので、2時間はかかるそうだ。
熊情報が入っているので、遅くても4時には戻りたい。
※ 朝と晩は危険。

下の写真で、赤いところが雨竜沼湿原。
その向こうの山は、暑寒別岳。
下の黄色は、私が今いる道の駅。

_MG_5076.jpg

今は雨が降っている。
たくさん降らないでほしい。

調べたら、花の種類が多い湿原だ。
大きい方のカメラを持っていく。

_MG_5075.jpg


キム・ヨナ新プログラムが分かりました。 やっと発表した。
ショートは、007ジェームスボンドのセカンドテーマ「ロシアより愛をこめて
フリーは、ガーシュインのピアノコンチェルト。  この動画は、ヨナの新プログラム発表の後、誰かが載せたものです。

下の写真は、8月14日の晩に韓国で行われた、アイスショーのもの。
(「サムスン・エニイコール-ハウゼン アイスオールスターズ2009」)

        (写真は、朝鮮日報からお借りした)
ヨナ 14日

新しいプログラムを練習している風景は、ここにあります
体をくねらせる動きが新しいでしょうか。

ロシアより愛をこめて(YouTube)  ギターと歌。 いいですよ。

ロシアより愛をこめて(YouTube)  映画の中での音楽。

ガーシュインのピアノコンチェルト(YouTube) 激しさがあっていいかな。

この2曲は、今年決めたのではなく、以前から温めていたものだと思いますよ。
この冬はオリンピックシーズンですから、インパクトの強い曲を準備しましたね。
フリーの曲の入りの雰囲気は、2007~2008のシーズンで使用したミス・サイゴン に似ているでしょうか。緊迫感と激しさの部分で。

両方とも、好きです。

昨年は、ショートの「死の舞踏」は良かったが、フリーの「シェヘラザード」は完璧な曲ではなかった。

寒くなったら、今年も始まります。
楽しみです。

明日は早く起きて、準備します。
てるてる坊主は作ってない。
どうしましょう。


【道の駅】     田園の里うりゅう  場所はここ。 道の駅に「雨竜沼自然館」があります。この町は、雨竜沼湿原を大事にしていることが分かります。 いい道の駅ですよ。

【明日の予定】  書いた通りです。


《今日の歌》    歌でなく、キム・ヨナが76.12を出したときの演技。(世界最高得点)

     ※
近くに郷土資料館があり、北海太郎が展示されてることが分かった。
行ってみた。

これが、北海太郎。
※ 現在北海道で捕獲された熊の中で、3番目に大きい。
※ ここでは1番と書いてあったが、2007年えりも町で520㎏のが箱罠で捕まってる。

鼻の先から尻尾の付け根まで、2㍍43㎝
立ち上がったら、3㍍はある。
体重500㎏。(450㎏の説も)
説明にこうあった。

この羆は、町内周辺の山に、毎シーズン出没し、幻の巨熊として追跡8年、名人コンビ2代目ハンター(102頭を撃った人の息子さん)の執念により、ついに昭和55年5月6日、羽幌町内築別通称シラカバ沢で射止める。この羆は「北海太郎」のニックネームで呼ばれ、幻の巨熊として剥製保存することになった。

9年8月19日

大きさを伝えられない。
口の大きさとか、測ってくれば良かった。
爪の長さは、私の指くらいあった。
牙は、人間の骨を簡単に噛み砕く。

9年8月19日 (2)no2

9年8月19日 (2)no7

こっちは、渓谷の次郎。 350㎏。

9年8月19日 (3)

渓谷の次郎は、昭和60年に捕獲。
この写真の中に、北海太郎を撃った大川高義氏がいる。
リーダーだと思うので、真ん中か。

9年8月19日 (4)

この熊は小さい。 表情もおだやか。

9年8月19日 (5)

襲われた家を復元した。
※ 男の人の手に、撃退スプレーを持たせてやりたい。(?)

9年8月19日 (6)

この写真と、上の熊の顔の写真は、恐ろしく感じるようにパソコンで調整。

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羆嵐(くまあらし)という映画を見た。
※ 入場料300円で、映画(DVD)まで見せてもらった。

主人公は、下の写真の人。
演じたのは、三國蓮太郎

熊が隠した獲物(人間)を取りに来るのを待った。
射程距離に入るまでは、決して引き金を引かなかった。(20メートルか)
他のハンターは、遠くから撃ってしまうから、熊に当たらない。

弾は3発しか持っていなかった。
銃に装填した以外の2つは、指に挟んでいた。
2発目の弾の装填は、あっという間だった。

下の写真の人は、日露戦争に出兵した。
戦地から戻ってきても、いつもこの帽子をかぶっていたそう。
抱いているのは、小熊。

9年8月19日 (7)

上の写真に、ロシア銃が写っている。
ちなみに、当時の村田銃はこんなの。

村田18年式

被害の予防として、駆除すべきヒグマを書いてあるのが、この町らしいでしょうか。

9年8月19日 (8)

三浦綾子のお父さんの親は、ここ苫前にいたとあります。
お父さんはここで育ったということですね。

9年8月19日 (9)

鬼鹿にある鰊御殿です。
道の駅がここにある。
※この辺りの道の駅は、ここと、昨日いた苫前と、あと羽幌にある。3カ所とも、ついでに道の駅にした感じ。よくない。(ここは、まあまあか) 停泊している車は数台は、知床の10分の1にも満たない。

9年8月19日 (10)

ここは、鬼鹿沖の海
64年前の3日後、ここで大変なことが起きた。
このことを初めて聞いたのは、高校時代。理科の先生が詳しく教えてくれた。

9年8月19日 (11)

昭和20年8月22日
戦争が終わって1週間が経っていた。
この日の午前、鬼鹿沖を、霧雨の中、3船が小樽に向け進んでいた。
3船の名前は、小笠原丸・第二新興丸・泰東丸
これらの船には、樺太からの引き揚げ者、5082名が乗っていた。主に女の人や子供。
これが、最後の引き揚げ船。

この沖を通りかかったとき、ソ連の潜水艦の攻撃を受けた。
小笠原丸と泰東丸は沈没。
第二新興丸は、何とか留萌港にたどり着いた。
でも、甲板は地の海だったという。
二隻の潜水艦が浮上して、機関銃を発射したためだ。

死者・行方不明、1708名
戦争は、まだ終わっていなかった。

ここ鬼鹿や留萌に慰霊碑がある。
※ 鬼鹿の慰霊碑は、私の車のそばに。

戦争が終わった後、満州や樺太から多くの人達が、命からがら戻ってきた。
北方領土からも戻ってきた。
真っ暗な海を、小さな漁船で逃げてきたという。(根室にいるとき聞いた)

今年もまた、8月22日がやってきます。

※上に書いた理科の先生は、増毛出身だったのか、増毛の浜にも多くの遺体が揚がったという。その先生、「増毛のおばけ」という話しをしてくれた。夜、裸電球が突然暗くなるのが続いた。ある日、暗くなった裸電球を見上げた。そうしたら、・・・。 ここで終わったら意地悪か。 そうしたらですね、女の人の手が裸電球を包んでいた。そんな話しです。

今日、島に行こうかなとも思ったが、オロロン鳥が見られそうないので、やめました。

※追記 20日朝、目の前の海で、ウニを獲っていた。

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【道の駅】   おびら鰊番屋    場所はここ

【明日の予定】   南に下ります。 海岸沿いを行きたいが、道の駅がない。


《今日の歌》    僕が僕であるために(YouTube)   尾崎豊は初めてですね。 僕は街にのまれて、からのメロディの変化がいいですね。

              ビリーブ(YouTube)  たまにはね。

          栄冠は君に輝く(YouTube)  たくさんの人が歌っているが、この人のが飛び抜けていい。甲子園の決勝が近づくと、夏も終わる。

     ※
今まで、ブログに何度か書いた、三毛別(さんけべつ)に行ってみた。
三毛別羆(ひぐま)事件のあった所。
1915年(大正4年)の12月9日から14日にかけて。
この事件は、熊の被害では、歴史上最大と言われている。 (Wikipediaより)

道は、下のようになっている。 右上が三毛別。  地図では、この辺り

9年8月18日 (7)

2日目の10日に襲われた家が、復元されていた。
ここでは、4人が殺された。(胎児を入れると5人)

9年8月18日 (2)

事件の説明があり、10日の夜のことが書いてあった。

9年8月18日

ここは、三毛別川の上流。
ここの、数㎞手前から、狭い谷になっていた。
当時も、ここの集落が一番の山奥だった。
大正4年と言えば、北海道の開拓では遅くはないのに、ずいぶん奥に感じた。

熊の身長は、2㍍70㎝。 この位の高さになるでしょうか。
(実際の熊は、これより痩せていると思いますが)
この大きさの熊は、動物園にはいないですね。

9年8月18日 (3)

9日は、ここより奥の家が襲われた。
女性と男の子がいた。
男の子は、頭をかじられて死亡。
女性は、山に引きずられていった。
次の日発見されたが、頭の一部と足の一部しか残っていなかった。

当時の家の中を復元したもの。

9年8月18日 (4)

2日目の10日に襲われたのは、夜だった。
その日の昼間、鉄砲を持った討伐隊5人は、襲った熊に遭遇していた。
でも、銃弾を発射できたのは1人だけだった。
鉄砲の手入れが悪かったためとなっている。
熊を逃がすことになる。

この時使っていた銃は、村田銃。 単発。
1回撃ったら、弾(たま)を込めなければならない。

銃弾を熊に向かって発射するためには、強い精神力がいると思う。
自分の銃を信頼し、熊に近づけるかどうかが勝負だ。
上の5人は、プロ(一流)ではなかったと思う。
この時仕留めることができていたら、晩の事故は防げた。5人は死なずにすんだ。
作ったとは言え、すごい迫力だ。

9年8月18日 (5)

小屋の中に、写真が貼ってあった。
この写真の、復元した家は、苫前の博物館にあるようだ。

9年8月18日 (6)

苫前には、熊撃ちの名手、山本兵吉という男がいた。
頼まれた。 
14日早朝には、討伐隊が山に入ることになった。(鉄砲は60丁用意された)
集団行動を嫌う山本は、一足先に山に入った。
山本の銃は、ロシア銃。 単発。
新しく降った雪の上の足跡を追った。

山本は熊の老練さは熟知していたから、熊が自分の足跡を踏んで戻る「戻り足」などは、すべて見破っていた。
しばらくして、ナラの木のそばにいた熊を発見した。
熊は、たくさんの人数がいる討伐隊に気を取られていた。
山本は、風下から近づいた。 
距離20㍍。 木の陰に身を隠し、銃を構えた。
もし、1発目を外したら大変だ。 襲ってきたら、数秒の間に弾(たま)を鉄砲に込めなければならない。 20㍍という距離は、それが出来ると計算した距離だ。
1発目の銃弾が発射された。 弾は、心臓を正確に射抜いた。
即座に2発目の弾を込め、放たれた。 頭部に当たった。
熊は倒れた
体重380㎏の袈裟懸けの大熊だった。

9年8月18日 (8)

今もこの地域は、いつ熊が出てもおかしくない山奥。
私は、鈴を鳴らし、スプレーをポケットに入れていた。
※ 撃退スプレーは、旭川の秀岳荘で、新しいのを買った。一般のより容量が大きいのを。これで、2つ使える。

近くの木に、熊の爪痕があった。
本物かどうか分からないが、日付があった。
昔、風連川の畔を釣りで歩いたとき、この傷跡はよく見た。
熊は、縄張りを示すために付ける。

9年8月18日 (9)

※その後のこと(Wikipediaより引用)
事件当時に7歳だった、三毛別村長の息子・大川春義は、その後名うてのヒグマ撃ちとなった。これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を建立した。ちなみに、春義の息子である高義氏も同じくハンターであり、1980年には、父春義も追跡していた、体重500kgという大羆「北海太郎」を8年がかりの追跡の上仕留めている。さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。


苫前町は、熊事件を観光に活用しようとしている。
活用の仕方を慎重にしないと、批判を受けるでしょうね。
道路にあった看板などは、少しお遊びの感じがしたので。
また、今の時代は熊との共生も言われているので。

8月4日のブログに書いた、鹿追のレストラン「プチレスト鷹の巣」のマスターもここに来たと言った。熊の習性を勉強するために。
マスターが仕留めた熊が300㎏。

IMG_0082.jpg

熊がデントコーン畑を荒らしたブログは、ここに。  足跡はここに

キツリフネが咲いていた。

9年8月18日 (10)

こっちは、ツリフネソウでいいでしょうか。

9年8月18日 (11)

3㎝くらいのアブが、いっぱいいた。

9年8月18日 (12)

苫前の道の駅から、天売島(左)と焼尻島が見えた。

9年8月18日 (13)

利尻島。 この山に登るということは、海抜0㍍から登るのかな。大変だ。

9年8月18日 (14)


【道の駅】   風Wとままえ  ふわっと、と読むのかな。 場所はここ

【温泉】    とままえ温泉 ふわっと  500円  道の駅にある。

【明日の予定】    島も検討してみるが、南に下るのかな。


《今日の歌》   サヨナラの鐘(YouTube)  山崎ハコ 坂崎幸之助  ギターはハコの旦那さん。

         想い出の九十九里浜(YouTube)  海水浴場で泳いでいる人がいました。 新しい動画です。

           夢見るシャンソン人形(YouTube)   初めてです。


     ※
旭川に来た目的の一つに、男山があった。
ある人が、酒は男山純米大吟醸が一番だと言った。
それを買いに行った。
事情があって今直ぐは飲めないと言ったら、送りますよと言った。
出来たての日付入りのを準備すると。
それで、申し込み用紙等を頂いてきた。
住所定まらぬ私に、どのように送ってもらうかは、後で考えることにして。

  大吟醸


北竜町の道の駅に来た。
近くに、ヒマワリが畑一面咲いていた。

9年8月17日 (4)

種を獲るのではなく、花が終わったら畑にすき込むそう。

9年8月17日 (5)

花の種を見たら、目が回る。

9年8月17日 (6)

種の並び方に、何かがあるという。
こう書いてあった。
何を言ってるのか、むずかしい。

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こうなんですね。
種の並びは、右回りと左回りがある。 写真を見ると左回りの数が多い。
種を数えてみた。
右回りは、18個くらい。
左回りは、29個くらい。
この、18:29が、黄金比だという。

黄金比って何なんだと言うことです。
下の下の写真の縦と横の比が、黄金比です。
約、10:16です。

では、18:29は10:16なのかと言うことです。
18を1.8で割ったら、10になります。
29も1.8で割ってみると、16.11・・になります。

大丈夫ですね。
確かに黄金比です。
偶然でしょうが、不思議です。

もしかしたら、偶然ではないかも知れない。
花の形が円いのが、偶然ではないのと同じように。

9年8月17日 (7)

下の長方形の、縦と横の比が、黄金比だそうです。
約、10:16。

黄金比

9年8月17日 (8)

ダチョウがいた。

9年8月17日 (9)

人になれてる。 顔の割には、目が大きい。

9年8月17日 (10)

9年8月17日 (11)

外国のヒマワリがあった。

9年8月17日 (12)

9年8月17日 (13)

白いヒマワリ。

9年8月17日 (14)

9年8月17日

こんなのも。

9年8月17日 (2)

9年8月17日 (3)

今日からまた、夜はパソコンに向かっています。
元に戻りました。


【道の駅】    サンフラワー北竜   場所はここ

【温泉】     道の駅の温泉。  500円。

【明日の予定】  苫前の方に行ってみようかと。


《今日の歌》    君がいるから(YouTube) パラレル西遊記の歌。 昨日のブログに、「この足が、山に登りたいと言いました」と書いたのは、この歌がヒント。 昔担任していたとき、この歌を子供達とたくさん歌いました。 旅の目的(楽しみ)は、この歌の歌詞でいいように思いますね。

              ひまわり娘(YouTube)  伊藤咲子です。

              白い花(YouTube)  白いヒマワリがあったので。

 

     ※
とりあえず写真だけ。
明日から、元の生活に戻ります。

ここから、追記です。

ここは、望岳台。  場所は、ここ。
正面の雲の向こうに十勝岳が。
これから4時間だ。
遠いなあと思った。
7時45分出発。
日曜日なので、人が多い。

9年8月16日 (5)

瓦礫が続くので、花は少ない。
この、リンドウがたくさん咲いていた。

9年8月16日 (6)

なだらかな坂が続いた。
1時間ちょっと経ったら、分岐点に着いた。
左に行ったら、美瑛岳。
ここの標高は、1258㍍。 頂上は2077㍍。
頂上までの標高差は、まだ800㍍。

9年8月16日 (7)

少し歩いたら、避難小屋。
ここを過ぎたら、薄い雲の中に入っていく。

9年8月16日 (8)

こういう所ばかり。
1時間ほど、急な斜面をジグザグに登った。
足のくるぶしが靴にぶつかり、痛くなってきた。
紐をゆるめたりするが、最後まで苦しめられる。(我慢出来ない痛さではないが)

9年8月16日 (9)

標高1750㍍。
1時間ほどで、更に500㍍高いところに来た。
写ってるのは、私ではない。
頂上まで、あと1.6㎞。
多少の疲れはあっても、元気いっぱい。

9年8月16日 (10)

両側は、谷。
周りの風景は見えない。
時々、上から人が下りてくる。

9年8月16日 (11)

急に周りが見えてきました。
この写真は何でしょう。 中央に白いのが見えます。
十勝岳に詳しい人は分かります。
私がこの山に登った理由が分かる人も、当てると思います。

答えは、大正噴火口の噴煙です。
大正15年の上富良野の泥流は、ここでの爆発が生み出しました。
おまえがわるいんだぞ」って、言っておきました。

9年8月16日 (12)

初めて頂上が見えた。
下りてきた人が見える。
右側の稜線を登って行く。
※ ナビは、正確に私の位置を示していた。
※ この時頂上にいた人は、周りの風景が見えた。(後で分かった)

9年8月16日 (13)

右上に登っている。
右上の天辺まで、30㍍ほど。 そこから、左の稜線を行く。
この写真の時に、姉から電話が入る。
「今、どこにいるの」って。
11時15分頃か。
ゴールが近いと思ったら、疲れは消えた。

9年8月16日 (14)

ここが頂上。 11時35分。 3時間55分かかった。
ゆっくり来たから、疲れはそんなに無い。
周りは見えない。
ここまでずっと、上着は着ていない。
下着の上にシャツだけ。 袖をまくって。
ここでは、上着を着た。

9年8月16日 (15)

風の弱い岩の陰で、おにぎりを食べた。
姉の旦那が、凍らしたペットボトルの水を持たせてくれた。
その冷たい水を飲んだ。

この足が、山に登りたいと言いました。

9年8月16日 (16)

頂上には約20人いた。
その中には小学生も。
他の山から、縦走して来た人もいた。

9年8月16日 (17)

晴れるのを40分待ったが、晴れなかった。
12時15分に下山開始。
動くと暑いので、上着は脱いだ。
4日間大雪にいた人に聞いたら、天気がいいのは今日だけだと言った。

少し下ったら、雲の下に出た。
左側遠くに、吹上温泉が見えた。

9年8月16日 (18)

足が痛くなってきた。
膝の少し下の外側の筋肉。両足。
ゆっくりしか、歩けなくなった。

写真の中央少し右に、望岳台の建物が見える。

9年8月16日 (19)

大正15年の泥流は、黄色い線の所を流れていく。

9年8月16日 (20)no2

外人さんが、早足で下山していった。
身長185㎝。体重100㎏はある。
靴はサンダル。 半袖姿。
持ち物は、買い物袋に、水と少しのおやつ。
クマ除けの鈴だけは、しっかり鳴らしていた。
「あんたなら、そんなもの、いらんべや」と思った。

9年8月16日 (21)

ゴールまで、あと300㍍。
やっと歩いている状態。

望岳台に着いたのは、15時15分。 
3時間かかった。
疲れましたね。

着いてから、車の中で簡単にブログを書いたが、電波が弱いために消えてしまった。

9年8月16日 (22)

白樺街道を通って戻る途中、車が駐車場にいっぱい停まっていた。
何だろうと思って、私も行って見た。

青い池だった。
話しには聞いたことがあったが、強い関心は無かった。
美瑛川の方に、5分ほど歩いたら見えてきた。
場所はここ。 青いところが池。 航空写真でないと分からない。 右下に白金温泉街が見える。

9年8月16日

9年8月16日 (2)

調べてはいないが、水に硫黄が溶け込んでいるため、こうなったと思う。
美瑛川の水は、上流ほど青っぽい。
魚は、下流に行かないといない。

砂防ダムで水が溜まって、底に硫黄が沈殿し、白っぽくなったため、池の水がこのように見えると想像します。(木の下の方も、硫黄で白くなっている)
この池は、昔からはない。

オンネトーの色とも違う。
他には見られないと思う。 強烈な青です。 オンネトーの青はここに

9年8月16日 (3)

9年8月16日 (4)

今日は、何とか頂上に着いて、下りてこられたので、よかったでしょうか。
心地いい疲れです。
でも、十勝岳以上の山は、まだむりですね。

この日も、姉の家でお世話になりました。
今日は、私の○○才の誕生日でした。
ご馳走を用意してくれました。

     ※
16日の朝の天気予報で決めます。
15日は、携帯ナビの説明書を読みました。
分かりづらい。
最低限の使い方が、やっと分かった。そんなとこです。

15日晩の段階での予報は、16日は日中晴れ。

※追記  登ります。6時旭川出発。(16日朝)

     ※
旭川の秀岳荘という登山用品の店に行きました。
姉夫婦のアドバイスで、揃えました。
夏山限定です。

旭岳を登った後から、山のことを考えていました。
伊達の友人も勧めてきたこともあり、「まあ、やってみるか」となりました。
自分でも、今しか出来ないかなとも考えました。

十勝岳を検討中。
泥流地帯で、十勝岳の麓の上富良野に行った。
そのあと、吹上温泉に行った。
だんだん、高くなってきた。

旭川の姉の所にいます。
山について、何だかんだと聞いています。
手作りのビールをご馳走になった。
美味しいもんだと、知りました。

     ※
1985年8月11日の晩、私は矢臼別の平和盆踊りに参加していた。
その盆踊りの輪の中に、ある家族4人がいた。

※ この2行で、すべてを当てることができたら、すごいですよ。ネットにもありません。最後に書きますね。キーワードは日にち。

平和盆踊りの会場は、矢臼別演習場の中にある、川瀬氾二さんの牧場に。

今日、北海道新聞を、お昼を食べた食堂で読んだ。
川瀬氾二さんが、4月に亡くなっていたことを知った。

川瀬氾二さんは、矢臼別に陸上自衛隊の演習場ができても動かなかった。
反戦地主として知られるようになり、45年前から、毎年川瀬さんの牧場で平和盆踊りが開かれるようになった。
8月10日前後の、金・土・日の3日間で。(今年は、7日~9日)

今の時代、反戦と叫んでも、世間から白い目で見られることはなくなった。
時々書くが、こういうのは何気なくなったのではなく、川瀬さんのような人が、時代を変えてきたんだなと思う。

24年前の1985年は、8月9日~11日に行われた。
私も10日と11日に参加した。
テントを張って泊まる人が多い。(大きな納屋でも泊まれたのかな)

昼間は、演習場を見に行った。
戦車が走りまわるから、そこは、地球の背中がクマの爪に引っ掛かれたようだった。
夜は盆踊りが始まり、みんな踊った。
焼き肉をして、ビールを飲んだりもして。

ここからは、問題の答えです。
私は直接会ったことはないし、顔も知らなかったが、この盆踊りに、川上さん家族が参加していた。
川上さんって思い出せますか。
あの、日航機事故に遭った川上さんです。
当時中学1年だった慶子さんだけが助かる。
両親と妹さんは亡くなった。

12日の朝矢臼別を出発し、夕方羽田に着いた。
そこから、大阪伊丹行きの、日航123便に乗った。
123便は、群馬県の山中に墜落した。

乗員乗客524名。死者520名。生存者4名。
慶子さんは、この4名の中にいた。
※ 坂本九も乗っていた。
※ 明石家さんまは、直前に一つ前の便に変更。(Wikipediaに)

今年もまた、12日に、群馬県の上野村で追悼慰霊式が行われた。

※ 一昨年の暮れだったか、島根から来ていた以前の職場の先生とお酒を飲んだ。この人は慶子さんと高校時代同じクラスだった。周りは、事故のことに触れることはなかったという。 

広島や長崎、そして12日がやってきたら、暑い夏を思い、また思い出します。

事故のニュースは、ここに
慶子さんの助かる様子と、高校時代の姿があります。


今日は、一日雨でした。
紋別で、あっちに行ったり、こっちに行ったり、いそがしい一日でした。


     ※
熊を見るには、船に乗るしかない、と思った。
10時出発の知床観光船
冬は網走で航行している、流氷砕氷船オーロラ。
知床岬まで、往復3時間45分の予定。

岬の海岸は、どこもこんな断崖絶壁。

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崖の高さは、100㍍以上。
海の中に20㍍、崖は入り込んでいるという。
白いのは鳥の糞。

真ん中の滝は、昨日見たフレぺの滝(乙女の涙)。

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漁船だと思っていたが、写真で確認すると釣り船だった。

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こっちは、カヌー。
この人達は、どうやってここに来たのか。
カヌーで、知床半島を一周する人がいると聞く。

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滝がいたるところにあった。
フレぺの滝のように、岩の割れ目から出ているのが多い。

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こういう洞窟も所々に。アイヌの人は黒い洞穴と呼んでいたそう。

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この谷が一番大きい。 
こういう谷自体、何カ所もない。

車で知床五湖に向かい途中、急な坂を下って、また登る。
それが、この場所。    地図では、ここ。
カヌーの人達は、ここから来たと思う。

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次第にうねりが大きくなってきた。
漁船が、うねりの低い所に入ると、このように見える。

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カムイワッカの湯の滝の水は、ここに流れ落ちる。
ここでは、温かくない。   地図では、ここ

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海の色が黄色くなっている。
硫黄が混ざっているからと、船からの説明があった。

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定置網が所々にあるため、船は岸に近づいたり離れたりする。
遠くなったら、写真も大変。 船も揺れるし、自分も揺れる。

今日は写真を撮りながら、人間の目は、すごい性能だと感じた。
顔を動かそうが、船が揺れようが、見えてる物は揺れない。
手振れでなく、頭振れ防止が付いているのかなと思った。

番屋が見えた。 漁の時期、ここで寝泊まりする。
まもなく、サケ漁が始まる。 その時期になると熊も寄ってくる。

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「石狩挽歌」の歌詞に、「番屋の隅で、私は夜通し飯を炊く」というのがあった。
昔は、娘ざかりの頃、こういう所で過ごした人もいたんでしょうね。

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青空が見えてきた。
海の色は、オホーツクブルーでいいでしょうか。
重たい感じがする。

この海に、間もなくサケの大群がやって来る。
※ サケの第1号は、7月にやって来ている。(標津では、7月3日に)

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は、なかなか見えない。双眼鏡でも探した。
船の人に聞いた。
この1週間で、熊が現れたのは、4~5回だという。
1日5便だから、35便でこの数。
今は、山にエサがあるため、下りて来るのが少ないという。
サケが来たら、多くなるそうだ。

ここも番屋。

IMG_0925.jpg 

小型のクルーザーが来た。
岬の先端、知床岬に向かっている。
すごいスピードだ。
乗ってる人は酔わないのかなと思った。
全員、ライフジャケットを身に付けていた。

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細い糸のような滝が、時々ある。

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風が強いときは、水は風に散らされて、下まで届かないという。

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知床岬が見えてきた。あと、15分か20分だ。
ここで放送が入った。
波が大きくなってきて危険なので、引き返すという
(※ 料金の払い戻しはある)
ざんねん。

うねりは、小さな漁船が波に隠れる大きさになっていた。
肉眼でも写真でも、たいしたことは無いように見えたんだが。

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波は、何十回かに1回、大きいのが来る。
波に対して垂直だったら、ひっくり返ることはないが、横波には強くない。
用心したのかな。

昔根室にいたとき、漁船で釣りに出た。30人くらいで釣れる大きい船。
釣り始めたら、波が出てきた。
引き返すことにした。
船は、波に向かって停めていた。
戻るには、向きを180度変えなければならない。

このときの、操縦士の用心深さはすごかった。
時間をかけて、波の状態を読んだ。
大きい波が、どういうリズム(順番)で来るかを。
そうして、チャンスと言うときに、一気に船の向きを変えた。
後は、波を切るように港に戻った。

知床岬を後に、引き返した。

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船が岸から離れたとき、肉眼では熊の確認が出来ない。
それで、熊がいるかも知れない岸辺の写真は全部撮った。
後で、写真を拡大して確認したが、いなかった。

※もし、船がひっくり返って人が海に沈んだら、真っ先に寄って来るのは、タコやカニだという。
昔の話しだが、根室で遭難事故があった。その数日後、タコが水揚げされた。その中のタコの1匹の吸盤の円い中に人間の髪の毛が丸まって入っていた。それを聞いた誰もが、しばらくの間タコは食べなかった。

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船が揺れたから、たくさんの人が船酔いした。
何人ももどした。船員が具合悪い人がいないか、見回りしていた。
写真の椅子に座っている人達は、こうやってずっと寝ていた。

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知床には、熊を見るのを楽しみに来たが、ダメでした。


【今日の道の駅】   しゃり    場所はここ

【明日の予定】    どこかの湿原を見ます。


《今日の歌》   歌でなく映像。 クマに追われる釣り人(YouTube)  この動画は、結構知られています。 最初見づらい。後半少しいいかな。

     ※
マッカウス洞窟にヒカリゴケを見に行った。  場所はここ
この洞窟は、松浦武四郎が知床探検のとき、一夜を過ごしたそう。

岩が剥がれ落ちるため、奥まで行けない。
右の方を見ることができた。

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少ししかなかった。 こんなのが、もう1カ所に。
天気が良く明るかったのか、昨日のようには見えなかった。

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遠くの海に、低く霧が出ていた。
国後島が浮いた。

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今日は、飽きるまで釣るぞ、と決めていた。
川はすぐに見つかった。  場所はここ
すぐそばに釣り人が二人いたので、向こうの家の前で釣った。

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家の前に行くと、そこの家の母さんがいた。
挨拶したら、がいるから、上の方には行かない方がいいよと言った。
熊は、よく見るという。
家の前の川に来た熊の写真を、家の中に貼ってあった。
300㎏はある大きさだった。

釣るにはいい場所だ。
流れ落ちてるこういう場所に、大きいのがいる。

川に近づいたら、魚がいっぱい見えた。
40㎝ほどの大きいのもいた。5匹ほど。
何なのかは、分からない。 

2回食いついたが、2回ともラインが切れた。
その後は、エサを食べなかったし、私も狙わなかった。

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小さいのは、放した。
一番大きいので、23㎝ほど。
小さい斑点がオショロコマ。 大きい斑点がヤマベ

釣ったとき、どっちなのかはすぐ分かる。
オショロコマは、ポヨンポヨンと跳ねる。
ヤマベは、ピシピシッて元気がいい。

こうやって水の中に入れといた。

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これは、ヤマベ。 美しい。 これは、放した。

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お昼に全部焼いて食べてしまった。
お腹いっぱいになって、初めて考えた。
食べないで、全部放せば良かったなって。
※今さら何言ってんだってね。

川の縁に池を作って、そこに放して遊べばよかった。
こんどから、そうするか。

熊ノ湯に入ることも考えたが、すぐに汗をかくと思ってやめた。

ここは、知床峠の駐車場。 場所はここ
羅臼岳が目の前。
見晴らしがいいので、双眼鏡で熊を探したが、簡単には見つからない。

羅臼岳の登山道は、ここからでなく、下からだ。だから大変。
昔登ったことがある。3人で。8合目辺りまで行ったが、道が分からなくなって戻った。

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遠くに国後島。 羅臼の街が、少し見える。

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知床五湖に向かった。
駐車場に近づいたら、300㍍車が並んでいるという。
戻って、フレぺの滝に行った。

途中に子鹿のバンビがいた。逃げない。
距離は、5㍍。

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フレぺの滝は、知床自然センターから1㎞歩く。  場所はここ
見晴台に上がったら、クジラが見えた。長さ、7~8㍍。もっと大きいかも知れない。
撮影の準備をして、カメラを覗いたときは、潜り始めていた。
中央に、白くうっすらと。

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クジラが見えたのは、下の写真の赤い丸の中。

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これが、フレぺの滝
乙女の涙なんて、適当に付けたんでないのか、と思っていた。
違った。 滝の上に川が無かった。
岩の隙間から、水が出ていた。 高さ、100㍍。

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上の写真の、左の小さい滝の上。
岩の隙間から出てるのが分かる。
乙女の涙でもいいでしょうね。
※ あばあちゃんの涙、としたらダメなのか。むずかしい問題ですね。

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これは、蝉の幼虫。 動いていた。
間もなく、飛び立つ。

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二つ並んだ、蝉の抜け殻。

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【道の駅】    うとろ・シリエトク   場所はここ

【明日の予定】  この辺を少し見るか、未定です。 


《今日の歌》   曲名は分かりません。画像がゴッドファーザー(YouTube) 3回目です。
     ※
何だかんだやってたら、11時を過ぎてしまった。
お世話になったはしや商店に、3日分のブログを印刷して届けに行った。
そうしたら、お祭りの御輿を見たらいいと言う。

金刀比羅神社の近くに行った。
北海道三大祭りの一つ。(他は、札幌と江差)

12時30分スタート。
オホーツクのうねりのように押し寄せてきた。

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御輿の重さは、2.5トンという。
25人で担ぐ。 一人100㎏になる。 本当かな。
肩が腫れるほど重いという。

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色んな行列があって、この時点で先頭は見えない。
長さは、200㍍はありそう。
歩道は観客でいっぱい。

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全体を撮影した後は、個人を狙った。
30㍍くらい離れていても大丈夫。
※今回のタムロンのレンズは優秀と思う。離れている人を狙ってシャッターを半分押すと、ブレが消える。

太鼓は2分ほどで交代。夢中で叩く。
終わった人は皆、座り込んでいた。
この人も、気合い十分。

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この子は、お祭りには関係ない、という感じで遊んでいた。

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こういう時、私が何を考えているか。
鋭い人は当てると思います。
そうです。 小野小町はいないかを探しました。
いませんでした。(顎の形が、どうしても違った)

雰囲気のいい人はいました。
3人写真を載せます。

この子が、今回のベストでした。
根室人のおおらかさは、この感じです。

いい表情を作るのを待ちました。
チャンスと思ったときから、連写します。
30枚ほど撮ったら、いいのが出てきます。
この写真は、金棒を突きながら声を出し、歩いています。
距離は10㍍。

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笛を吹く子たちが、真剣だったので、数人まとめて撮影。
この子だけ、切り取り(トリミング)ました。
目線がいいですね。

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立ち姿まで決まっていました。
スキは、どこにもありませんでした。

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上の人は、ピアスを付けていますが、付けているといないでは、写真はまったく変わるでしょうね。
ワンポイントで真珠を付けてる絵を2つ。 (作者は、フェルメールとクラムスコイ)

mimikazari.jpg   wasureenuhito.jpg


羅臼に向かいました。
あっちこっちで写真は撮りましたが、カット。

標津の福住の本店で天ぷらうどんを食べました。
懐かしい想い出があるので食べました。
※長くなるので、書きません。

そこを出て、少し走ったら、ポー川史跡自然公園に近づきました。
思い出しました。ここにヒカリゴケがあることを。

昔、子供達を連れてきました。その時、ほんの指先ほどのヒカリゴケを見つけました。管理人には言いませんでしたが、その数年後、ヒカリゴケがあることが新聞に発表されました。

客は私だけでした。受付にいた人に聞いたら、ヒカリゴケはあると言いました。
場所は1㎞ほど離れており、そこに案内してくれました。自転車で。

復元住居の中にありました。

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中は暗い。光は入り口からだけ。
中を覗いた。目が慣れてくると、緑色のヒカリゴケが闇の中に浮かんだ。

緑の色紙を散らばして写真を撮っても、こうはならない。
カメラの感度(ISO)は3200。
肉眼では、これより大部暗いでしょうか。

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羅臼のは、少し見づらい。
それは、洞窟の間口が広いため、明るすぎるからだと思う。
ここのは、見やすい。

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ストロボを使うと、こんな感じ。蛍光色の感じですね。

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※追記 昨晩、FC2ブログはメンテナンスに入ったため、途中で書けなくなった。(11日朝)

ヒカリゴケについて、Wikipedia

案内してくれた人は、学生で、ここでアルバイトをしているという。
大学での専門は植物というだけあって、よく知っていた。
クマ除けの鈴と、撃退スプレーを持っていた。

このアヤメは、ノハナショウブ

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タチギボウシ。漢字では立擬宝珠。和名は葉が立ち、つぼみの形が橋の欄干につける玉飾りの擬宝珠に似ていることに由来するという。
擬宝珠って、こんなの。
  ぎぼうしゅ

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ナガボノシロワレモコウ。

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ゴゼンタチバナの実。これは、どこにでもは無いそう。白山の最高峰を御前と言う。

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白いツリガネニンジン。 シロバナツリガネニンジンとも言われるそう。

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羅臼の道の駅に来ました。 国後島の爺爺岳(ちゃちゃだけ)がうっすらと。

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羅臼岳も見えました。 登って見たいけど、大変そう。

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【道の駅】       知床・らうす

【11日の予定】    知床で何かを。


《今日の歌》     オホーツクの舟歌(知床旅情)(YouTube)    

     ※
羅臼に向かう予定だったが、気になることがあって根室に走った。

東梅の坂を下ったら、タンチョウが左に見えた。  場所は、ここ
距離、約70㍍。
近くにレストランがあって、そこの人がエサをやった。

普通この距離では見られない。
タンチョウは人ともっと距離を置く。

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タンチョウは、一時100羽を切った。
※一時絶滅したと考えられていたが、釧路湿原で1924年に十数羽が発見された。
今は保護が実って、1000羽を越えた。
もう大丈夫でしょうね。

大きい。羽を広げたら、220㎝~230㎝という。
どんなポーズをとっても美しい。
今は、温かく見守られている。
タンチョウに石を投げたと言う話しは、聞いたことがない。

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頭のてっぺんが赤い
丹頂の丹は、赤の意味。 ほんの少し黄色が入ってる赤のようだ。
※ 仁丹とか、薬にも丹が使われるが、丹砂という赤い鉱物が薬に利用されたからと、Wikipediaにあった。

右のカラスが気になってしょうない。
カラスは知らん顔。

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攻撃開始。 カラスは、少しだけ逃げた。

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お腹がいっぱいになったので、遠くの相棒のいる所に戻った。
飛ぶ姿も、なかなか。

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今日から、根室の金刀比羅神社例大祭が始まった。
北海道三大祭り。180年の歴史がある。
今日は、このような山車があちこちで走っている。

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この祭りの御輿はこんなの。(北海道のhpから)
重いので、担ぐ人は15分程で交代するそう。 (はしや商店の旦那さんは、若い頃担いだ)

根室みこし

涙香岬の追記
知りたかったことは、3つ。
① 涙香岬と漢字が使われるようになったのは、いつ頃からか。
② どうして、自分は岬の位置を間違ったか。
③ 遊女が身投げしたという場所の確認。

①については、はしや商店で聞く。
②③については、図書館で、風葬(ルイカミサキ)を読み直す。

下の地図の赤い丸の所が、涙香岬(ルイカミサキ)。
一点を言うのではなく、この辺り。

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図書館に行って読んだ。
については、本の中では、柏陵中から2㎞となっていた。ガソリンスタンドから曲がるとかも。でも、実際は、700㍍。
こういうことだと考えます。
小説だから、正確でなくてもいいと言えばいい。
涙香岬とか川田旅館とか、実際にあったのをそのまま使っているから、他も正確かなと思っていた。
そうではなかった。

資料を提供した中村さんの奥さんは、こう言った。
作者の桜木さんは、実際には中村さんの所には来ていないと。桜木さんの知り合いの人が中村さんから聞いた。
涙香岬には来ているはずだから、このことには違和感を持ちますね。
と言うことは、現場での情報収集は、三浦綾子のように徹底したものではなかったと予想されます。

このことは、次のことでも分かります。
についてですが、今日読んで見たら、こうなっていました。
遊女は岬の先端から飛び降りた、となっていました。そして、この崖でどうして死ねるんだろうと書いている。
そうなんですね。岬の先端は、少しなだらかで、急な崖ではなかった。
遊女が身投げした場所は、はしや商店の旦那さんが言った、昨日の場所です。
そこは、真っ逆さまの崖。
桜木さんは、調べきれなかったと思いますね。

桜木さんは、涙香岬を一点だと思っていた。
実際は、もう少し広く、土地の人は考えていた。

と言うことで、②と③については、解決しました。

については、はしや商店の旦那さんが教えてくれました。
元々は、片仮名で、ルイカミサキだった。
それが、いつの頃からか、涙香岬とも書くようになった。

おじいさんから聞いた話で考えると戦後だという。
私はもっと早くからかなと想像していたが、戦後でもいいかなと思う。

旦那さんは私と同じことを考えていた。
この土地の人達は、ルイカミサキから、何人もの遊女が身投げしたことを知っていた。
悲しい岬だという認識があった。

そういう中で、誰かが、涙香という漢字を当てた。
※ アイヌ語に漢字を当てることは、昔から普通に行われていた。

つまり、ルイカミサキ(岬)が、涙香岬と漢字でも表すようになったのは、遊郭のあった時代の後半か、遊郭が無くなってからと考えられます。はしや商店の旦那さんが言うように、戦後でしょうね。そう思います。

これで、①についても解決しました。

ちなみに、根室には遊郭は最盛期には21軒あった。遊女の数は196名。
北方領土に魚を獲りに行った時代は、裕福な人間が多くいた。

これで、涙香岬(ルイカミサキ)については、分かりました。
満足できる状態です。

※ブログを読む人は、無理矢理この話しに付き合わされた感じですね。面白いと思っているのは、私だけかも知れない。(こんなの調べて何になるのよってね。私も、ちょっぴりは思うこともあるが) 

中村さんが、「涙香岬におよぶ流氷の末端を見さけつつ立つ街遠く来て」と歌わなかったら、桜木さんが風葬の本を出さなかったら、涙香岬の名前を知ることはなかった。二人の方にお礼を言いたいですね。 

小さな岬でしたが、涙香岬(ルイカミサキ)という素敵な名前が、ずっと残ってくれたらいいです。

たくさん情報をいただいた、はしや商店の旦那さんには、感謝します。もし、お会いしていなければ、ほとんと分からないまま根室を離れています。

これで、涙香岬については終わります。



せっかく根室に来たから、納沙布岬に行って、島を見てくることにした。
島は、霞んで見えなかった。
ここは、本土最東端
北方領土が返ってきても、本土最東端はそのままか。

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本土最東端の灯台。本土最東端の店。こんなのがいっぱいある。

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島の架け橋。

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ネムロコウホネ
先日、ちゃんと見られなかったので、別の場所に行った。

漢字で書くと、根室河骨と書く。(根室候補ね! ではない)
どこにである花ではないそう。
根室で最初に発見されたので、名前にネムロが付いた。

近くで見ることができた。  場所はここ

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土の中の根が骨のようなので、名前に骨が付いたそう。

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※追記 根室での最初の日に、Mちゃんの所には行ってきましたよ。それについては、ここにあります。


【道の駅】    東梅の駐車場にいます。トイレ完備。  場所は、ここ。 だれもいないから寂しい。酒を飲んでいないから、道の駅に動くかも知れない。  場所は、ここ

【明日の予定】   羅臼に行きます。  途中どこかに寄るか。 一日いっぱい熊を探してみたい。 ヒカリゴケの写真を、ちゃんと撮るのも面白そう。でも難しい。 


《今日の歌》     二人の銀座(YouTube)  ベンチャーズ。

          二人の銀座(YouTube)   和泉雅子が黒木瞳に似ている。

            メンデルスゾーンバイオリン協奏曲(YouTube) 

         Nathalie Cardone - Che Guevara(YouTube)    たまに。   

     ※
赤い丸のところが、涙香岬(ルイカミサキ)。
小さな岬だった。
やっと分かった。

涙香岬のそばを通る道は、旧国道。
岬町は、昔、根室市街地への入り口だった。

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向こうに、岬の先端が見える。
行ってみたが、下に降りる道はなかった。
小さな岬なので、この辺り全体を涙香岬と呼んでいたようだ。

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岬の先端は、昔はもっと高かったそう。

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先端の横(手前)は、高さ10㍍の崖になっている。
昔は、コンクリートの波よけはなかった。

涙香岬の話しとは別のことだが、女郎さんが身投げした場所がここ。
一人二人でなく、もっと多くの人が飛び降りた。

※ はしや商店の旦那さんも来て、説明してくれた。

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岬の正面に見えるオホーツクの海。
これが、飛び降りる前にながめた海になるのかな。

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涙香岬に着いてのまとめ。

【場所について】
小説「ルイカミサキ」の作者である桜木紫乃さんに情報を提供したのは、根室市に住む中村さん。
中村さんの奥様が教えてくれた場所と、はしや商店の旦那さんが示した場所は同じだった。
涙香岬が、この場所であることは、間違いない。

【通称、涙香岬について】
涙香岬は、地図に載ったことはない。
昔、確かに使われていたが、通称そう呼ばれていた。

【涙香岬という地名の由来】
ルイカというのは、アイヌ語。橋という意味。
ルイカと呼ばれる場所は、ここから少し離れた所にあった。(昨日の地図に)
そこには川が流れていて、橋があった。

ルイカ岬という名前は、ルイカという地名を知っていた人が、この小さな岬をそう呼び始めた。
では、なぜルイカにしたかです。
ここからは、想像です。一つの可能性があるかなと思うだけです。

呼び始めた人の持っていたイメージは、ルイカミサキではなく、涙香岬だったのではと考えます。
上に書いた悲しい歴史を知っていたから、この名前にしたのではと。
大正時代ころに言われ始めたのではと予想します。

※ 上の事について、明日、

※ 資料が足りなく、いつごろから、涙香岬と漢字で表されるようになったかは分からない。

【小説風葬「ルイカミサキ」と「涙香岬」の関係】
小説の中に母と娘の親子がいた。
母親が、夜、うわごとのように、「ルイカミサキ」と口にする。
娘さんの生まれたところが、涙香岬だったからだ。
このことが、物語(小説)のスタート。

※ 娘を預かった旅館は、川田旅館。今日、その旅館のあった場所を確認してきました。東別院というお寺の近くでした。小説は、どこまで事実なのかは分からないが、事実の部分が多いのではと考えています。

【最後に】
涙香岬という名前は漢字の美しさだけでなく、発音しての響きも格別。ここまで名前は、他に見当たらない。アイカップ岬だって、紋別のウエンヒラリ岬だってかなわない。
この名前をいつまでも残すには、岬に碑があるといい。
その碑には、涙香岬のいわれも書いて。

でも、工場が岬の先端まである。
工場の裏側だから、そんなにいい環境ではない。

今回、場所の確認が出来たので、良かったかなと思っています。
名前のいわれについては、今後も調べてみたいと思います。岬に橋の意味のルイカがなぜついたのか。それが知りたいですね。今日のは、まったくの想像ですから。


花咲港にある車石のようなのが、あっちこっちにありました。
小さいですけど。

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これも。

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何となくまるい。

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お世話になった、はしや商店です。

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ネムロコウホネを探しに、タンネ沼に行った。 
湿原全体に、アヤメが見事に咲いていた。(霧で少し霞んでいる)
これだけ見えるのなら、遊歩道はいらない。

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ネムロコウホネはすぐに見つかったが、沼に近づけない。
こんな花です。

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名前は分からない。

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これも。

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マツヨイグサか。

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根室での最初の10年は、幌茂尻小学校。
跡地に行ってみた。付け足した新しい部分だけが残っていた。

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場所は、温根沼。
国道44号線が見える。
この風景を、10年間、毎日見た。

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温根沼の漁港で、カレイ釣りをした。

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黒ガレイが、5枚釣れた。一番大きいのを刺身にして食べた。

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こんなのも釣れる。ワラズカと昔呼んでいた。

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釣りは面白いが、魚の処理が大変。
海釣りすると、顔や手が潮風で少しべたつく。
戻ってきて、すぐに車のシャワーを使った。

釣りの写真は携帯だが、不思議と失敗しない。
ただシャッターを押してるだけなのに。
自分で工夫すると、失敗することが多い。


【道の駅】    スワン44ねむろ  一昨日と同じ。

【明日の予定】   今日、涙香岬を書いていて、新しい疑問が出てきた。明日の朝、はしや商店に電話します。その後どうするか。 オショロコマをどっかで釣りたいなと思っています。


《今日の歌》     ミカンが実る頃(YouTube)  藍美代子という人。  

            吾亦紅(YouTube) 

            忍冬(すいかずら)(YouTube)


     ※
最後の最後に、やっと分かった
期待していた以上のことも。

涙の香る岬。
悲しい歴史があった。
名前の通りの岬でした。

今は、根室の街の中。(鳴海公園駐車場)
これから、行くと決めていた居酒屋に行ってきます。

写真は、10時を過ぎます。
いい一日になりました。 (8時15分)


私が考えていた場所は、間違っていた
となりが、涙香岬だった。
それが分かったのは、夜の7時だった。

今日はここまで。少しだけ書いて寝ます。


今日は、涙香岬には立てなかった。
明日、立ちます。(立ちます岬だ。?)

写真には、たまたま涙香岬が写っていた。

全てを教えてくれたのは、涙香岬のそばのお店の父さんだった。
詳しく知っていた。
帰りに、ベニザケの1級品の切り身をいただいた。

明日、涙香岬へ行った後は、ネムロコウホネという花を探します。


※追記(8日朝)

涙香岬になぜこだわるのか。
場所が知りたいこと。
もし、根室の人たちも知らなかったら、はっきりさせておきたいこと。

そうしないと、ルイカミサキという素敵な名前の岬が、消えてしまうように思った。
不動温泉を調べたときに、似ている。

私は、真ん中の青の所だと思っていた。
小説からは、そうしか読み取れなかった。
※ 小説は、必ずしも正確に書いているとはかぎらないが。

るいかみさきちず

下の写真では、右の工場が建っているところ。
仕事をしている人に聞いた。
分からないという。
工場の事務所の人にも聞いた。
聞いたことがないという。

岬というには、少し低いなと感じた。
それでも行って写真を撮った。

この場所を、離れた所から撮ろうと、左の黄色の丸に行った。
そこからの写真が、これ。
岬と呼ぶには、物足りないと感じた。
何とかして、確かめなければならないと思った。

実はその時、遠くに涙香岬は見えていた。
気づいていないが。

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上の写真の遠くを拡大したのが、下の写真。
夜になって分かるが、ここがルイカミサキ(涙香岬)だった。
地図の赤い丸のところ。

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この後、食事をして、少し見学して、図書館に電話した。
郷土資料室があるかを聞いた。
花咲港に、歴史と自然の資料館があることを教えてくれた。

学芸員の人と思うが、聞いた。
涙香岬は知らなかった。
岬町の古い地図もなかった。

ただ、大事なことを教えてくれた。
下の地図の赤い所は、昔、ルイカと呼ばれていたと。
地図とかにはなく、通称で。 
ルイカはの意味で、アイヌ語。 そこに橋があった。

このことを知っただけでも、ここに来た甲斐はあった。
そのことについては、後に。

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※追記  上の黄色の丸は、昔ここで寅さんの撮影があった。
霧の中をバイクで走るシーン。
交通規制をしてないから、その横を私は通ってしまった。

夕方、もうこれしか方法はないと思っって、作者に資料を提供した中村さんの電話番号を調べた。
分かった。電話したら奥様が出た。中村さんは体調が悪く寝ているという。

場所を教えてくれた。
はしや商店と杉山水産の間に、岬はあると。
※小説のことについても、いくつか話してくれた。

電話をする前、これからどうしようかと、紋別港に車を停め考えていた。
下の写真は、その前に撮影。

弁天島のむこうの夕焼け。
電話が終わった頃は、日が沈んでいた。

はしや商店に行ってみることにした。

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7時少し前だった。はしや商店は、灯りがついていた。
      ※ 場所は、上の地図の赤丸の下の、小さな青い丸
実は、昼前この店に一度来た。15分ほど留守にすると張り紙がはってあった。
川田旅館のことを知りたくて来た。

近くの店や草取りしているおばあちゃんにも聞いた。
店の人が若かったり、昔住んでいなかったりで、分からなかった。

店でビールとかを買って、話しを切り出した。
私より年配の店の主人は知っていた。
主人のおじいさんから聞いていた。親切に教えてくれた。

○涙香岬は、この店の裏にある岬。
○昔は、お年寄りの人が、誰いうとなく、そう呼んでいた。
○戦後少しまで、この近くには、遊郭が12~13軒あった。全盛期は戦前。
○涙香岬で、何人もの女郎さんが身投げした
○昔女郎さんだった人が、今でも市内に住んでいる。
○小説の中に出てくる川田旅館は、東別院というお寺のそばにあった。(地図で家の場所は確認)
○根室の繁華街は低い場所にある。遊郭があった岬町はなだらかな丘(山)の上。だから、繁華街にいて、「山の上に行ってくる」と言ったら、それは遊郭に行くことを意味していた。

このような内容を、詳しく話してくれました。

この続きは、8日のブログに書きます。
内容は
 涙香岬という名前がどうして生まれたか。
 涙香岬の写真と岬の様子。
 川田旅館について。
 どのようにして、小説が生み出されたか。
 小説の概略など。

※ 涙香岬の以前の記事はここに。  記事1  記事2  記事3

朝、春国岱に寄った。
もっと水が引くと、手前の水もなくなる。

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オジロワシが飛んでいた。

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午後、花咲港に行った。
サンマ船が漁に行った。

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許可をいただいて撮影。

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戻ってきたら、最初に網を降ろす。

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ヤナギダコ。 これが中心の漁。

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いろんな魚が。

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これは、タラ。

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昼の食事は、昔行った、トンカツ専門店で食べた。
その前に花咲ガニをスーパーで買った。これで、1000円ちょっと。
1つ食べて、一つは冷蔵庫の中に。

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花咲港で買った、ホームラン焼。1つ50円。去年も食べた。

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車石に行った。 海は荒れていた。

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これが、それ。

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いつもの、エゾカワラナデシコ。

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この後、涙香岬に行ってきます。(10時)


【道の駅】      道の駅でなく、市内の鳴海公園。花咲小学校にも近い。

【明日の予定】   涙香岬に行くこと。  ネムロコウホネを見つけること。


《今日の歌》    大原麗子のCM「少し愛して長く愛して」(YouTube) 
  
     ※
厚岸大橋。 昔は、立派な橋として自慢できた。
橋の向こうは、厚岸湖。
カキが穫れる。
道の駅のレストランは、カキ料理のオンパレード。

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国泰寺。 200年の歴史がある。   場所はここ
後は、小さな山。 バラサン岬という。
その山に包まれるようにあった。

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サンゴソウは、アッケシソウとも言われる。
今は、能取湖が有名だが、厚岸にもある。増やす努力をしている。
寺の前にあった。    サンゴソウについては、ここに

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バラサン岬に行こうとしたが、道が悪く行けなかった。
下から写真を撮った。
近くに、厚岸水産高校があった。(この春、合併により校名変更)
30年以上間、荒れた時代があった。
両角という、若い男の先生がいた。
そういう生徒達の教育に燃えた。
子供達の信頼を徐々に得ていく。

子供達は、全道から来ていた。
夏休みは、一軒一軒まわった。
※その生徒の一人は、紋別にもいた。

その取り組みが本になった。
バラサン岬に吠えろ」という。
買って読んだ。
それで、この岬を知っていた。

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国道44号線を走らないで、海岸線を行くことにした。
ここは、アイカップ岬。   場所はここ
バラサン岬も、ここも、いい名前だ。

岬の駐車場に観光案内所があった。(小さな店もいっしょに)
暑いので、ソフトクリームを買った。
そこの人が、上に書いた、厚岸水産高校のことを教えてくれた。

年配の人が、柵を越えて行った。
落ちても知らんぞと思った。

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このような海岸線が、根室まで続く。

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岬のそばに、鹿の群れがいた。 12頭。
人に慣れていて、逃げない。

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エゾカンゾウは、終わっている。
このエゾフウロが、いっぱい咲いていた。

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この花もいっぱいあった。名前は分からない。
※ 花の図鑑は持ってない。必要だ。

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エゾカワラナデシコ。
花の状態は十分ではないが、いつ見てもいい。

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ウツボグサ。

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ここは、アヤメが原。 馬がいた。 どさんこ。
アヤメはどこにもなかった。
少し前、ヒオウギアヤメが咲いていたそう。

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ビワセ展望台から。   ここ。
河口の他は、こんな崖。

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遠くに漁船が。
灯りをぶら下げる棒が見える。
サンマ漁は始まったのか? 
   ※ 調べて分かったら、後で。
   ※ サンマ漁船でした。道東は7月から始まっています。

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鳥がいっぱい。

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ウミウでいいですね。

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霧多布の街と霧多布湿原。

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霧多布の街に下りたら、瞼暮帰島(けんぼっきじま)が見えた。  ここ。
ムツゴロウ(畑正憲)さんが、最初に住んだのが、この島。
毎日船で、子供を送り迎えした。(学校への)
ここの次は、浜中町に。そのあと中標津。そして、あきるの市に移る。

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霧多布湿原には、遊歩道があった。
アヤメの色は、黄色に比べたら目立たない。

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湿原は、花が多い。

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タチギボウシ。
※追記
間違いでした、ツリガネニンジンです。 図鑑が必要です。


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根室管内に一番近いところが、貰人(もうらいと)。   ここ。
根室に勤めて、1~2年目のころ、ここの学校に友人がいた。
よく麻雀をしに遊びに来た。
懐かしい場所です。

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風蓮湖が見える道の駅に来ました。

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【道の駅】     スワン44ねむろ   場所はここ

【明日の予定】    ルイカミサキ(涙香岬)へまず行きますよ。場所を確認します。

         るいかみさき


《今日の歌》      岬めぐり(YouTube)

            潮風の吹く町(YouTube)

     ※
ラワンブキを見に行くことにした。  場所は、この辺り
去年より10日早いことと、天気が悪いから成長が遅いと考え、見られるかも知れないと思って。

途中に、こんなのがあったので寄った。
水の中の石灰が積もったもの。
温泉の湯ノ花(華)に似ている。珍しいものだそう。
名前は、シオワッカ(足寄石灰華半ドーム)

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去年より状態は良かった。
私の背丈より、ずっと高い。
葉っぱの大きさは、1㍍を超える位だが、昔は2㍍のがあったそう。

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一番太いので、直径7~8㎝くらいでしょうか。
これが、そう。

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フキの葉っぱの下に、コルボックル(小人)がいたという話しがあるが、どうしてこういう話しが生まれたのでしょうね。
ずっと昔、網走地方に、少数民族のウイルタ族がいた。背がとても小さかった。
その人達が、フキの下にいたのか。

ラワンブキは雨宿りできる大きさだったから、屋根と考えて、その下に何かが住んでいることにしたのか。
話しの生まれる元を、知りたいです。

花を撮る練習をしているようなもんだ。
下から2番目の花に、焦点が合わさった。
花が前に浮き出てこない。

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オンネトー。  場所はここ
去年は、山は霧で見えなかった。
この沼は、雌阿寒岳の噴火で、川が堰き止められてできたそうだ。

山も、空も、水も、みんないい色だ。

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水の色が変化するので、五色沼とも呼ばれる。
この鮮やかな水の色は、いったい何なんでしょうね。

水に何か溶けているのか。
沼の底に、何か生えているのか。
※ 調べたら、分かるかな。
※ 少し分かった。この沼(湖)には魚は棲めないそう。それは、沼の底から酸が吹き出しているため。その事と水の色が関係あるらしい。水の美しさでは、北海道一とも言われている。

この色は、コバルトブルーに近いでしょうか。
マリンブルーよりは、濃い感じがする。
ダークブルーと、単純な表現は合わない。
とにかく、驚きの色です。 カメラは、よく表現したと思います。

※追記 キヤノンのデジカメの一眼レフは、どれもこの色は再現します。私のカメラは、特にいいわけではない。タムロンのレンズが大きかったので、D50という、KISSより図体の大きいのにしただけ。

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釧路市湿原展望台に向かった。   ここ
散策路があったので、1時間ほど歩いた。
当然、湿原の中を歩けると思っていた。
歩いたのは、湿原の横の林の中だった。
何をしているのか、分からない。

途中何カ所か、湿原を見る展望台があった。
そこからの写真がこれ。
湿原の中に、木が増えている。それが分かるだけ。ガックリ。
写真も、さえない。

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林の中を歩いても、花はない。
たまに、笹藪の中に、このユリが可憐にさいていた。
写真の色はいいのでしょうか。
だが、くっきりとは写っていないですね。
花との距離は、5㍍ほど。

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大体いいが、ほんの少しボケてますね。
この辺りが限界かな。
これより良く撮るには、接写専用のレンズを使わないとダメかな。そのためにあるんだから。ただ、 望遠の良さは、離れて撮れることですね。近づいたら逃げますから。

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もっと練習して、工夫をしたら、いいのが撮れるかも知れない。
腕の未熟さをカメラのせいにしないで。

歩き回っていたら、腹がすいた。
竹老園東屋総本店に行った。5時半。ここは、そば屋。
去年行った時は、混んでて入れなかった。

釧路の街に入ったら、だった。

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ここが、竹老園

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店の横は庭園。
希望すれば、部屋で食べることもできる。

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コースというのを頼んだ。
ずっと昔、何回か食べた。
コースは、4品出てくる。

最初は、かしわ抜き。
詳しく言うと、かしわソバの、ソバを抜いたの。
これが、一番美味しい。

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これは、乱切りソバ。
昭和天皇が、昭和29年の夏、ここに寄った。このソバを食べた。お代わりした。

※昭和29年の夏は、私は4才になる頃。留辺蘂にいた。おばさんの背中に負ぶさって、留辺蕊駅に昭和天皇を見に行った。その記憶は残っている。駅の国道側の空き地から見た。どの人が天皇かは分からなかった。警察も郵便局の人も同じに見えた時代だ。

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茶ソバとソバ寿司。

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ソバ寿司も、ざるソバのようなもんだから、少し飽きたかな。
昔のような感動はなかった。
かしわ抜きは、抜群の味。
だから、かしわソバは美味しいですよ。
昔、何度も食べましたから。

美味しいと言われるそば屋より、1ランク以上は上。
蕎麦として美味しいのではなく、食べ物として美味しい。

遅くなったけど、厚岸まで来た。着いて、すぐに撮した写真。

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実は今日、マリモ国道を通った。
美瑛の白樺街道を書いたとき、ここを通った時には、お化けの話しを書くと言った。
それは、こんど雨が降って、どこにも行けなかったときに書きますね。
    ※ 白樺街道の話しは、ここに

雨の落ちてきそうな夕方、あるトラックが釧路から阿寒に向かう、そこから話しは始まる。
この話しを、ずっと昔、職員旅行の夜、若い女の先生に聞かせた。その先生は泣いた。
そんなんで、楽しみにしてください。


【道の駅】     厚岸グルメパーク    ここ

【明日の予定】   海沿いを、浜中の方に行きます。


《今日の歌》    Andre Rieu - Shostakovich' Second Waltz (YouTube) 初めてです。

          釧路の夜(YouTube)
釧路の街には滅多に来ない。
銀水や河むらのラーメンがある。
何年か前、釧路のラーメンと、イワシの刺身が食いたくなった。釧路の研究会を探した。あった。教育大付属小の研究会が。参加した。
ラーメンを食べて、釧路の夜を楽しんだ。

札幌で野球を観たいときは、札幌の研究会に行った。 それは、ここに
いつも、研究会参加には、プラスアルファがあった。

※追記
ブログランキングは、国内旅行と一人旅の両方に登録していました。
順位は、下の方です。

先日、国内旅行だけにしました。
クリックする場所は、右の一番下で、記事を読んでいると通り過ぎる場所です。
真ん中の下の拍手のそばにしたいのですが、方法が分かりません。
もし、分かる方がおられましたら、メールフォームから連絡いただければ助かります。

今日現在の順位は25位です。
上にも書きましたが、今は、右の下にクリックする場所があります。
気に入った内容があったときは、よろしくお願いしますね。

※追記
先日、旭岳の記事で、ナビがあればいいと書いた。
市販されてることが分かりました。
ハンディナビと言うそうです。

それがあれば、山で迷うことは絶対にない。
自転車で出かけても、迷わない。
京都の街を歩くときは、地図を持たなくていい。
優れものです。

札幌か旭川の秀岳荘という店で、現物が見られます。
通った時、寄ってみます。


     ※
久しぶりの青空だ。
張り切って9時に出発。
カメラの基本的な使い方は分かった。
今までのに似ている。同じキヤノンだ。

途中の然別湖には、霧がかかっていた。  ここ
この湖は、ダム湖ではない。美しさが増すかな。
然別湖。いい名前だ。
アイヌ語では、シッカリペチコ。 似てる。

なまけている子供がいたとする。その子に、
「シッカリペチコですよ」って言ったら、通じるかな。

ここには、オショロコマという魚がいる。

おしょろこま

まあまあで写ったでしょうか。

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然別湖を北上したら、糠平湖。
この湖の左側を上がって、北岸から右に回り込むように数㎞下がったら、タウシュベツ川橋梁ここ
去年は、北岸の所に右折の標識があった。
今年はない。
それでも、入って行った。
すぐに、通行止め。

去年事故があったとか、道が悪いとかの理由だ。
3㎞ほど戻ったところに、展望台があると書いてある。
仕方ない、そこに行った。

下の写真の中央に見えるはず。
いつもは、この時期には見える。
見えない原因は最近の雨。

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こうやって、見えなければ見えないほど、この橋の人気は高まる。

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道は左の方にあって、橋は木のある所から、少し離れている。 
このところの雨で、水かさが増し、見えなくなったそうだ。

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ていねいに、こんな看板が。

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昨年撮影したもの。大きくなる。

はし2

去年の記事は、ここに。 8月15日かな。

糠平の市街地にある、東大雪博物館に向かった。
途中に、三の沢橋梁があった。
小さいが、その上は遊歩道になっていた。

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博物館の玄関前で、トンボを撮影。 ここ
こういう時も、望遠が使える。

IMG_0070.jpg

博物館の中には、こんなのが。
熊は、待ち伏せして鹿を捕まえる。

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これが、ミユビゲラ。 絵です。
写真もあったが、ピントがぼけていた。

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学芸員は、今日はいなかった。
事務の人に聞いて、ある程度分かった。

① ここ何年も、発見のニュースはない。
② まだいるかも知れないと、望みは捨てていないこと。
③ この鳥が棲みやすいように、木を植えている人達がいて、今も続けていること。ここの学芸員が中心に進めている。
④ この鳥は、昔もシベリアの方から渡ってきたと考えていること。また、これからも、その可能性があること。
 
分かったことは、こんなことでしょうか。

トムラウシの花畑の写真があった。

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足寄に向かうとき、見覚えのあるレストランがあった。
去年、モミジ丼を食べたとこだ。
寄ってみた。
プチレスト鷹の巣

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鹿肉の味噌漬けの定食を食べた。
この肉が美味しかったですよ。
臭みはまったくなく、柔らかい。
※ 父さんは冬場、鹿の解体の作業をしている。それで、どの部分が何の料理に向いているか知っている。

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熊の写真があった。
写っている人は、ここのマスター。
※ 店は、息子さんと二人でやっている。

初め息子さんと話していたら、お父さんも私のそばに来た。
熊の話しになった。
父さんは猟師だ。息子さんも資格を取った。

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この熊は、体重300キロ。 獲ったのは、平成17年10月21日。
発見したときは、20㍍の距離だった。
※ 普通は、100㍍以上離れて撃つ。
至近距離から撃った。気持ちさえしっかりしていれば、外すことはない。

この後、今までに6頭仕留めたという。
使っているのは、フィンランド製のライフル。
100㍍離れていたって、絶対に外さないという。
     ライフルに付いては、ここに書いてあります。写真も。

体重500㎏の熊もいると言った。足跡の大きさで分かるそうだ。
昔、紋別の中立牛の奥に、巨大熊がいたそうだ。今もいるのか。

私は、腰だめで撃つことについて聞いた。
目の前に熊がいるとき、この撃ち方を使うそうだ。
熊の体の中心線に当たるように撃つ。
脊髄には神経が走っているから、そこに当たれば倒れる。

山菜採りとかで山には入るときの持ち物は、私と同じだった。
まず、鈴。そして、ナイフ。それに、撃退スプレー。
鈴を鳴らしていれば、まず寄ってこない。
ナイフは、最後の最後に使う。利き腕でない方をかじらせて、ナイフで心臓を狙うそうだ。
撃退スプレーの効果は、はっきりしているという。熊は攻撃する余裕はなくなるそうだ。

山に入って一番危険なのは、親熊と子熊の間に自分がいたときだという。
親熊は、小熊を助けるため、その時は人間を襲う。
手負いも、人間を襲う。

苫枚の三毛別まで行ってきたという。  三毛別はここ
熊の性質を知るためだ。

他にも、いっぱい話した。
父さんが撃った熊の肉の缶詰があったので、買った。
※ 今、ブログを書きながら食べている。何の肉に似ているか。食感は、馬か。クジラか。
臭みはない。食べられるのは100㎏くらいまでと言ってた。3才まで。

閉店の時間が過ぎたので、店を出た。

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馬の目を撮った。真っ白ではないが、白目があるように見える。
神田日勝の絵にはなかった。

優しい目だ。ここのレストランで買っている。
動物の目は、飼い主に似るという。

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晩ご飯食ったのか、とか話したら、静かに聞いていた。

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今日は、タウシュベツ川橋梁を見られなかったが、この次見るという楽しみが残りました。
熊の話しがいっぱい出来て、よかったかな。


【道の駅】   足寄湖   場所はここ

【明日の予定】  阿寒湖に向かって、根室に近づきます。ラワンブキを見るか。


《今日の歌》     八月の濡れた砂(YouTube)

               異邦人(YouTube)  久保田早紀です。

              セラ(YouTube)   メロディです。



    

     ※
写真に白っぽい斑点が付いた。
このままではダメなので、帯広のカメラのキタムラに向かった。
修理してくれる店を紹介してくれた。

店に入ったついでに、カメラを見た。
実は、ある人からカメラの相談を受けていた。
何を買ったらいいかだ。
それで、最近カメラについて調べていた。
店で、どれを勧めるかを考えていた。

そんなことをしているうちに、今のカメラは、私のカメラよりかなり進化していることに気がついた。
私のは、4年前に買った。
店の人は、4年間で、車に例えたら20年分の進化だという。

購入を検討してみた。
いいのがあった。
でも高い。35㎜のフルサイズのデジカメだ。
このカメラを買うとすれば、レンズは2本いる。
40万は超える。
あきらめた。

買ったのは、キヤノンのEOS50Dのボディと、タムロンの18㎜~270㎜のズームレンズ。
ズームレンズでは、最先端のもの。手ぶれ防止が付いている。長さは10㎝しかない。
レンズに不満はないが、カメラ全体の満足度は、70㌫かな。
今は、このカメラを完全に使いこなすことが出来たときに、上のを検討してみようかなと思う。
その頃には、カメラの心臓部に当たるエンジンが、さらに進化していると思う。

10時過ぎにキタムラに行き、別の店で今のカメラの修理が終わったのは3時。
タウシュベツ川橋梁に行く時間はない。
道の駅ピア21しほろに行った。
停泊するには、駐車場がせまかったので、夕べいた道の駅に移ることにした。

新しいカメラで、少し写真を撮った。
設定の方法が分からないので、適当。

遠くの物を撮してみた。
まだ暗くないこともあって、ブレはない。
今のカメラより、切れ味の良さを感じるかな。

IMG_0008.jpg

これは、目一杯の望遠。 15倍になっている。
だいじょうぶかな。

IMG_0007.jpg

タンポポを撮してみた。
設定がよくないのか、感動するほどではない。

IMG_0011.jpg

今いる道の駅の近くに、神田日勝の住居跡地がある。
試し撮りも兼ねて、行ってみた。
適当に撮した。 いいか悪いか分からない。

IMG_0018.jpg

これはISO(感度)100かな。暗くなった。
普通に撮ったら、看板はこの大きさ。

IMG_0023no2.jpg

270㎜で撮ってみた。 15倍の大きさ。

IMG_0024no2.jpg

大きくしたら、家の写真の下の字が、すっきり読めた。
手ぶれ防止が機能しているようだ。

IMG_0024no5.jpg

これは、今までのカメラで、工夫して撮った。
それなりに写った。 どっちがいいか難しい。

_MG_5029.jpg

今晩説明書を読むが、新しいのは色に深みがある、と予想しています。

この人が神田日勝
農家をやりながら、絵を描いた。
お金がないから、ベニヤにも描いた。

日勝

1937年に生まれ、1970年に病気で亡くなる。 生きたのは32年と8ヶ月。
下の絵は、絶筆になった「馬」。
何年か前に、記念館で見た。

全部描けなかったのか、それとも、描かなかったのか。
前者の考えが主流。
一部に後者の考えの人がいるという。
夕べ、食堂のおやじさんが教えてくれた。
後者の考えというのは、今生まれようとしている姿、を表していると。

馬

この目がすごいんだな。

目

題は、飯場。

飯場2

これは、車に付いていた蜘蛛の巣。
今朝、撮影。

_MG_5002.jpg 

この後、カメラの説明書を読みます。
明日いい写真が撮れるかな。
せっかくだから、三脚を持って行って撮りますよ。
今日は、カメラのことばっかり考えていたので、食事を忘れていた。夕食が最初の食事。

それから、今までのカメラは、運転席の横に、いつも置いておきます。今日最後に撮ったのが、5029となっているから、この4年間で、15029枚撮ったのかな。お世話になったから、大事にしますよ。


【道の駅】       うりまく   昨晩と同じ

【明日の予定】    タウシュベツ川橋梁です。その前に東大雪博物館。 学芸員の人に話を聞きます。


《今日の歌》      望郷(YouTube)  山崎ハコです。 美瑛に行ったとき、これにすればよかったかな。どこかで、この人の歌を聴きたい。公演日程を調べてみるか。

            想い出してください(YouTube) 

 

昨日は、疲れた。
それは、山道の運転だと思っていた。
違った。
登山者にとっては何てことない旭岳が、私にとっては応えた。
若くないから、一日置いて疲れが出た。

雨は降ったり止んだり、3時頃まで続いた。
神田日勝は見ることができたが、面倒になった。
ずっと車の中。

昨日の続きのブログは、昼頃までかかった。
食事をしていないのに気づいた。
納豆とインスタントの味噌汁と、少しのおかずでご飯を食べた。
2時頃、出かけるのはあきらめた。

名刺を作ることにした。
名刺作成セットは持っていた。

旅に出て、人からたくさん名刺はもらった。
私はないから、誰にも渡していない。
ようし、これからばらまくぞと思って、どんなのがいいか考えた。

こんなのが出来た。

IMG_4993.jpg

A4に、10枚出来る。 手で切り取れる。
文を考えて、デザインを考えた。
それに、1時間半ほどかかった。

数年前まで、パソコンは全くダメだったのに、写真を通して少し覚えた。
ブログを通して、また少し覚えた。
※仕事を通しては、全く進歩しなかった。
今でも、たいしたことないが、名刺なら作れるようになっていた。

字に色を付けてみた。
カラフルでなかなかいい。
ところが、色の組み合わせが難しい
この、色の組み合わせというのは、服の色の組み合わせと同じだ。
単純にやったら、お子様ランチのようだと言われる。
70㌫の満足で、せいいっぱい。時間がかかっって、印刷が終わったのは6時だった。

昨日書いた「ミユビゲラ」は、東大雪の博物館に行かないと分からない。
北海道には、もういない可能性が高い。
ブログに載せたことはあったか?
こんな鳥です。キツツキの仲間。

みゆびげら2

これは、海外で撮影されたもの。 指が3本。
1988年に観察されたのが最後。
もし、いるとすれば、この十勝の山の中。
糠平にある東大雪博物館に、写真がある。
※昨日博物館に電話して分かった。

明日は、そこに寄って、タウシュベツ川橋梁に行きたい。
天気次第だ。

写真の話しですが、私のカメラのレンズにゴミが付いた。
中のレンズだ。
写真が白っぽいときに、右上にほくろのようなのが写る。困った。
明日、帯広のカメラ店に走るか。

考えられる原因はあるんですよ。
旭岳から降るとき転んだ。
そのとき、カメラを岩にぶつけた。
あの後だ。

夕方、薄暗くなって外に出たら、食堂の灯りが見えた。
小さな町だから、家は少ししかない。
夜、山道を歩いていて、ぽつんと見える灯りに感じた。
夜が明けたら消えてしまう、あれだ。

引き込まれるように、行ってきた。
ラーメンを食べて、ビールを飲んだ。
父さんの方から山の話しをしてきた。
トムラウシに何度か挑戦したそうだ。

仕事の関係で、日帰りしかできないそう。
天気に恵まれず、まだ登頂はしていないと言った。
この前の事故については、参加者がガイドを動かさないとダメだ、という考えをもっていた。参加したのは子どもでないんだから、そうかもしれないと思った。

今いる道の駅は、何の音もしない。
道路を通る車もない。
さっきまで、私の車だけ。
今見てきたら、他に2台。
これは、ブログを書く前に撮った写真。

IMG_4996.jpg

明日の天気は、曇りの予報。
8時頃から動けるように、早く寝ます。


【道の駅】      昨日と同じ、うりまく。

【明日の予定】   然別湖を通って、糠平湖の方に。カメラをどうするか。


《今日の歌》     この空を飛べたら(YouTube) 

                 季節の中で(YouTube)   どっちも、十勝出身。

akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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