四郎は、ここで生まれたかもしれない。 可能性はありますよ。
場所は、上天草市にある、維和島(いわじま)の蔵々(ぞうぞう)です。 港の駐車場にいます。 地図ではここ。
夕方、ポンカンの差し入れがありました。
昼間、子供をおぶっていたおばあちゃんからです。
朝、三角港を散歩していたら、釣りをしている船があった。
この船もそうだが、屋根のついてる船が多い。 のんびりしている感じだ。
オホーツクの船には、ない。 北に海の船は、波を蹴散らして、沖にまっしぐらだ。

天草最初の島、大矢野島に向かった。 天草四郎メモリアルホールがある。
天草五橋の最初の橋(1郷橋)、天門橋。 工事中だった。 隣は、昨年5月に撮影。 逆方向から。



大矢野島は、上天草市。 メモリアルホールに着いた。
天草四郎の像。 下の建物の、すぐそばに。
※ 原城の像の方が、いいですね。 それはここに。 明日を信じた人々の戦い「島原の乱」。

宗教色が、強いのかな。

天草四郎の墓。 何が入っているんだろう。 キリシタンの墓。


この辺り全体が、上天草市の中心街。 また、観光の中心。 海は、有明海。



満開の梅の花。

天草四郎メモリアルホール。 ※ 塗装工事中だった。 これは、入り口にあった写真。

中は、展示と映像ホール。 写真の撮影は出来なかった。


ここは、個人でなく、市の建物。
「自由と平等の戦い」と、島原の乱を、押さえていた。
こんな表現でも。
「日本で初めて、民衆が、自由と平等を求めて戦った」
戦いでは、「殉教の炎が燃え」、人々は、「天草・島原の誇りとなった」、とあった。
ここは、島原の乱を、宗教色の強い押さえ方をしていた。
※ 島原半島の原城では、圧政やキリシタンへの迫害に対しての、一揆という押さえ方。

天草は、小西行長の所領だった。
小西行長は、キリシタン大名だったが、関ヶ原では西軍に付いた。 負けて、首を切られた。
キリシタンに対する状況は一変し、江戸時代に入って、迫害は強まっていった。
反乱がおきるようになった。
年貢の取りすぎが原因だったが、領主は、反抗的なキリシタンの暴動と幕府に説明した。
つまり、キリシタンが、領主の失政の言い訳に利用された。
それから、小西行長や島原の有馬晴信の残党が、天草四郎を担ぎ出した。
島原の乱で戦った者たちは、すべて民衆ではなく、昔武士だったものもいた。
全員素人なら、戦いにならない。
※ メモリアルホールの考えをメモしてきたので、下に載せます。
(島原の乱を正確に押さえていないという、感じがするが)
《 自由と平等の戦い 》
青く澄み切った空があった。透き通った藍色の海があった。美しい自然があった。
しかし、人々の自由は奪われ、平等はなかった。
今から400年前、小さな島に、「自由・平等」の息吹が芽生えたことを知る人は少ない。
古い制度に、敢然と立ち向かう、勇気ある人々がいた。
苦難に耐え、不屈の闘志にあふれる人々がいた。
自由を求め、平等を叫び、壮絶な戦いに臨んだ37000の御霊は、今静かにパラゾイに眠る。 ※パラゾイ~楽園・天国
天草四郎はまさに、「自由・平等・博愛」の象徴だった。
以下、省略。
江戸時代は、すべてが圧政。
天草の人達も、周りと同じ程度の圧政や、また苦しみなら一揆は起こさなかった。
高い目標で戦ったのではなく、このままなら、死が待っていると思って、戦った。
そう思いますね。
キリシタン大名の、小西行長は、寺や神社は焼いた。
先日登った、釈迦院も、小西行長に焼かれていた。
今日、この後行く神社も、その時焼かれていた。
他を認めての自由平等には、なっていない面もある。むずかしい。
知らない島に向かった。 何があるかは分からない。

名前は、維和島。

反対側にある港に向かった。

蔵々(ぞうぞう)という地域。 そこの港。

上の写真の近くに、下のような標示が、数枚あった。 色んなことが分かった。

このような井戸が、そばの家の敷地内にある。
昔は、この島唯一の井戸。(写真は、説明にあったもの)
この井戸が掘られたのと、天草四郎が生まれたのは、同じ年。 1622年。

こんなことが分かった。
① 天草四郎は、大矢野町の出身。 (大矢野島)
② 四郎の母は、維和島の蔵々の人。 つまり、ここの人。
③ 母親は実家のあるここに戻って、四郎を生んだ可能性がある。(島の人達は、そう考えている)
④ 島原の乱の作戦を立てるなどの本拠地は、大矢野島の宮津にあった教会。 メモリアルホールのあった所が、宮津。
私は、たまたまここに来たが、天草四郎の母親、また四郎のゆかりの地だった。
蔵々を散歩した。

最初に書いたおばあちゃんも散歩していた。 3度会った。



車が通れない道も多い。


この地域の神社。 この神社も、焼かれていた。

ただの田舎道だが、面白い標示が。

こんなの。

港に戻って、気付いた。 今朝までいた、三角の港が見えた。 海のピラミッドも。

夕方、ポンカンが届いた。 川がむきやすく、食べやすい。 甘い。

偶然でしたが、いいところに来たと思った。
島原の乱については、複雑な面があるが、少し分かってきたように思うでしょうか。
【停泊場所】 蔵々の港。 地図は、上に。
【明日の予定】 天気がぱっとしない。 見晴らしのいいところに行きたい。
【今日の歌】 ハンガリー舞曲 第5番(YouTube) ギターです。
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【拍手】
今いるのは、天草の手前。
小さな半島で、名前は宇土(うと)半島。

右のオレンジは、朝いた、道の駅不知火。 黄色が、今日の3か所。

白壁の町松合(まつあい)は、道の駅不知火から、車で5分ほどだった。
この町のことは、道の駅で知った。
松合は、熊本県 宇城市(うきし)不知火町 松合
こんな街並み。

ビジターセンターに車を置いた。
そこで、センターの方に挨拶したら、郷土資料館を案内してくれた。

中はこう。 昔は郵便局だった。

歩いていたら、休憩所があり、そこに地図が。 資料館は、下の方に。 ①の建物。

白壁の家は、70戸ほど残っていた。
白壁でない一般住宅もあるため、重要伝統的建造物群保存地区(伝建地区)には指定されていない。
説明してくれた、ビジターセンターの方は、気付くのが遅かったと言った。
熊本県に、伝建地区はない。 もったいなかった感じもする。

江戸時代の中期に、酒造業が起こり、明治には味噌や醤油の醸造も。
また、漁業も、肥後で最も栄えた時代があった。
ある時代に、その街が裕福でないと、このような街並みは残らない。
この建物を見ても感じるが、建物がお洒落だ。 デザインが繊細というか。
後で知ったのだが、どこかの建物には、漆喰(しっくい)で描かれた、レリーフがあったそう。

現在残っているものは、保存が進められている。
新しく建てる建物は、白壁の雰囲気で建築していけば、30年後には、美しい街並みになる。
※ 北海道の美瑛の市街地は、家のデザインが統一されているため、美しい街並みになっている。

梅の花。

素敵な姉妹に、出会った。 会ったのは2度。
妹は自転車に乗っていた。 姉は、縄跳びの紐を自転車に引っかけて、引っ張っていた。
すれ違う時、挨拶をしてきた。 私は、妹に、「楽ちんでいいね」って言った。
そのあと、別の人に会って、話を始めていた。
どう伝えたらいいか。 いい雰囲気なんですよ。
会話の様子からも、賢そうに感じましたね。

フラワーアイランドに向かった。 戸馳島(とばせじま)にある。 戸馳大橋を渡っている。

大きな温室があった。

これは、あれですね。 ブーゲンビリア。 久しぶり。 いい色だ。

これは、何でしょう。

温室の花と言ったら、ランなのでしょうか。 売店で売られていた。


このランが、珍しいそう。 これがあるのは、全国で2か所だそう。


これが、気に入った。


普通のランと、色合いが違う。

押し花の作品が展示されていた。

浜に行ってみた。

夏は、海水浴場になるようだ。

フラワーアイランド。

戸馳神社。

この石像を作ったのは、松浦小佐衛門と言う人。 島原の乱で活躍したとあった。

見晴らしのいい駐車場を探したがなかった。
三角(みすみ)の港に向かった。 どこの港も、たいてい停泊できる。 橋は、戸馳大橋。

海のピラミッドと名前の付いた、展望台。

三角町は、宇城市三角町。 右の○はフラワーガーデン。 左が、三角港。

展望台から。 向こうに、天草の島。

天草五橋ではない。


戸馳大橋が見える。

三角駅。 40年前に天草への橋ができた。 それまでは、ここからフェリー。
賑わったそうだ。 嵐だったら船は出ない。 旅館がはやる。 不夜城だったと、土地の人が言った。

フィッシャーマンズワーフと名前の付いた売店。 安い。

大きなカレイ。 60㌢はある。



こんな標識が。 半島の先なので、どっちからでも、熊本に行ける。

このしろ寿司。 250円。 押し寿司の美味しさは、まあまあですね。

明日の天気が少し不安。
海の向こうは、島だらけ。 どこかで、知らない島に渡ってみたいですね。
【停泊場所】 港の駐車場
【明日の予定】 島に行くけど、雨が降ったら、どうしよう。
【他に】 3333段の石段を張り切って登った。 足をやられた。
次の日から、ふくらはぎが、ずっと痛い。 登りやすいから、油断した。
湿布薬を塗っています。 今日から。
【今日の歌】 モーツワルトのトルコ行進曲(YouTube) アコーディオン
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それがある東陽町は、日本一の石工集団(種山石工)発祥の地だという。
石橋について、新しいことが分かりそうなので、向かった。
石匠館の近くにも石橋があったので、見た。
ところが、みんな小さな、可愛いものばかりだった。
今日は、石橋の見学というより、知らない町の散歩になった。
下の写真は、佐俣の湯の駐車場。 2日間お世話になった。
温泉は、駐車場の向こうの下にあるため、見えない。 右はお店。

東陽町から先は、まだ決まらない。 とりあえず、向かった。
ここが、石匠館。 場所は、ここ。

ここは、昔、種山村。 今は、八代市東陽町の一部。
江戸末期から明治にかけて、種山石工集団が住んでいた。
昨日の霊台橋も、矢部の通潤橋も、種山石工が作っていた。
石橋は、このように、木の枠を作って、石を並べて作る。
完成したら、取り外す。

資料は撮影できなかったので、写真は、この2枚。
※ 石橋を作るための技術的なポイントが知りたかった。
だから、撮影がダメなら、パンフレットに載せてほしかった。
※ 本にして販売するでもいい。
売ってた本は、石橋の紹介だった。 石匠館では、作れていないのかもしれない。
通潤橋も霊台橋も、高い技術で作られていた。
その技術は、種山石工が持っていたことも分かった。
では、どうして、種山石工が、その技術を身に付けたかだ。
考えてみたら、石橋は、ヨーロッパに昔からあった。
ローマ帝国の時代には、こんな水道橋もあった。

種山の技術集団の祖となる人物が「藤原林七」という人だった。
彼は長崎奉行所に勤めていた下級武士。
長崎市内の中島川に架かる「眼鏡橋」に興味をもった。
「どうして石が落ちないのか」、不思議なアーチの秘密やアーチの計算に必要な円周率を知るために外国人と接触した。
しかし、当時は鎖国政策により、外国人との接触は禁じられていた。
そのため、彼は奉行所に追われることになり、ここ種山村に逃げ込んできた。
逃亡の身であるため、しばらくは農業をして暮らしていたが、密かにアーチ技術の研究を続けた。
宮大工の「曲がり尺(曲尺:かねじゃく)」などをヒントに「林七流アーチ論」を完成させ、近くの小川に小さな石橋をつくった。
(熊本県立国府高等学校パソコン同好会 肥後の石橋 より)
種山石工のスタートは、こうだった。

石橋の地図に、この近くにも4つ程あった。 歩くことにした。
今日の天気は、下の写真の通り。

石匠館の庭に、小さな石橋が。

山に向かって歩いた。

あれ! こんなのを見に来たのでない。 そう思った。
でも、がっかりしないでいい。
これは、上に出てきた、林七の作ったものだった。 1804年。
練習で作ったものだ。 この技術は、次の世代にと引き継がれ、最後は、通潤橋を生み出す。

さらに、こんな道を。

これも林七。 同じ1804年。

さらに上へ。

わき道に入った。

これも、石橋だという。 林七ではない。 何ぼ何でも、ちょっと…と思った。 古いもの。

私は、平気で、山の中のどこにでも、一人で入っていく。
イノシシとか、猿とか、怖くないのかと思うでしょう。
大丈夫。 リュックの中には、あれがいつも入っている。 くまの撃退スプレー。
だから、大きな野良犬だって平気。
梅干しみたいに、見えた。

戻っている。
木の枝に、竹の棒を引っかけていた。

棒の上の方はこう。 下の方は紐があって、離れたところに縛っていた。

こんな実が。

こんな道を戻る。 正面に、林七達、橋本家代々の墓。


チョウ。

木の枝打ち。

下の畑に、光が当たるように切っていた。 命綱の仕組みが、はっきりしない。

これも、林七。 今も使っている。

九州の山の中は、山が次から次とだ。
だから、山頭火が歌うように、「分け入っても 分け入っても 青い山」と、なってしまう。

向こうの山の中に、行っていた。

別の方向。 川下。

この後どこに行くかを、この時決めた。
薩摩川内や水俣は、観光地でないから、歩くことになる。
花の咲き始める時期に行くことにした。 天草の後に。
道の駅、不知火に戻った。
レストランで、カレーを食べた。
不知火の写真はないかを聞いた。 パンフレットをくれた。 それに載っていた写真。
蜃気楼って言ってたから、この感じでしょうね。
きっと、千切れたり、動いたり、変化する。

この二日間、石橋について、少し勉強しました。
明日からは、天草です。 見所はいっぱいある。
【道の駅】 不知火
【明日の予定】 天草のどこか
【今日の歌】 ドナウ川のさざ波(YouTube) ラジオから流れてきた。
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県の中で、最も多くあるのが、ここ美里町だった。
この狭い地区に40基、現在も残っている。
また、小崎地区には、規模の大きな棚田があった。
石垣が連なり、昔ながらの里山の風景が、広がっていた。
朝は、佐俣の湯の駐車場。 近くに3つ、石橋があった。
歩いて見ることに。
この道は、国道218。

源泉かけ流しの、ペット温泉。 かけ流しは、少し贅沢。

年祢(としね)橋。 新しい橋と並んでいた。
どこの石橋も、昔は、車が走っていた。

川の上流。 川の名前は、釈迦院川。 昨日、釈迦院まで行ってきた。

少しだけ、斜めから撮影できた。 下に降りる道はなかった。

今日も暖かい。 今はお昼。 こうやってお昼寝。


次の橋が見えた。 小筵(こむしろ)橋。 小さい。

この橋の下流に、新しい橋ができた。 昔は、みんなこの橋を渡った。 車も。

下の人が散歩していた。 たくさん教えてくれた。
昔は、もっと水が流れていた。 今は、雨の後だけ多い。
山が駄目になったと言った。 山を壊して、山砂を採ってるとも。

椿が満開。 ※ この時期だから椿と思うが、椿と山茶花の見分けが、難しい。

下も花で、びっしり。


栗が、ちょこんと。

見えてきた。

川の合流地点に、このように。 二つ合わせて、二俣(ふたまた)橋。 左の川は、釈迦院川。

30㍍ほど上流に、最初に見た、年祢(としね)橋があった。

横の方が、こうなっていた。

この橋は、1830年に造られている。 他の橋もそうだが、だれが作ったかも分かっている。
二つの橋は、形も大きさもほとんど同じなので、双子橋とも呼ばれているそう。

新しい橋と並んで。 右はコンクリートの橋。 あと30年は、持ちませんね。

石橋が3つ。 手前の2つが、二俣橋。 向こうは、年祢橋。 ※ 新しい橋の向こう側に。

歩いて、温泉に戻った。 こんな鳥が。

菜の花でいいのかな。

霊台橋に車で向かった。 手前の展望台から。
展望台は、整備されていなく、橋が見えない。 隙間から撮影。
これが霊台橋(れいだいきょう)。 大きい。 全国で、トップクラスの大きさだ。

1847年に出来ている。
この橋を国道が通っていた時期があり、1966年まで、バスや大型トラックも、この橋を渡った。

形もいい。 今は、国指定の重要文化財。

霊台橋の下におりた時、突然川から。

調べたら、イタチのよう。

この後、近くの排水溝に逃げ込んだ。 すばしっこい。

新しい橋の下から、撮影。 通潤橋と、美しさで勝負できるのか。

隙間は、どこにもない。

棚田のある、小崎地区に向かった。 数㌔山に入る。 道が不安。
これは、干し柿。

棚田に家がある。 そんな感じだ。 小崎地区に着いた。

上の写真の右の方に、下の写真の場所がある。 そこで、おばあちゃんと、しばらく話していた。
幅1㍍くらいの細長い畑に、何かを植えていた。
車を置いて歩いていたが、上まで行けることを聞いて、車で行った。 道は細かった。

小崎地区の棚田。 この辺り一帯がこう。

田植えの後は、どんな風景になるんだろう。 先祖代々、苦労して作り上げた棚田だ。

九州の山の中は、大きい小さいはあっても、どこも棚田だ。

棚田の石垣も技術がいる。
でも、石橋を作るには、もっと高い技術が必要でないかな。
トラックも通すという、その強さには驚きを感じる。
丈夫なものを作ろうとしたら、結果的に美しくなる。
不思議なもんです。
【停泊場所】 昨日に同じ。 佐俣の湯の駐車場。
【明日の予定】 海に出る。 水俣に行って、さらに南に向かいたいが、情報がつかめない。
九州の空白地帯のように、情報誌にもない。
天草の島に向かうか、迷う。
【他に】 ここの温泉の方に、こんなことを教えていただいた。
山頭火が、「分け入っても 分け入っても 青い山」と歌った。
この歌は、山頭火が美里町から矢部を通り、宮崎の方に向かった時に作ったそうだ。
調べてみたら、大正14年の4月に、ここを通り山奥に向かって行っていた。
【今日の歌】 CALENDAR(YouTube) 歌は、久しぶりです。
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数は、3333。 山形県羽黒山の2446段より、多い。
これだけの数になると、登山だ。 歩きやすい登山。
天草の方に向かったから、そっちに行くと予想した人が多いと思う。
石段を予想した人は、いたでしょうか。 場所はここです。 印がスタート場所。 釈迦院まで行った。
美里町は小さな町で、石垣・石橋・石段のある、石の町だった。
山の中の道の太さに不安があったので、美里町の市街地のガソリンスタンドで聞いた。
バスも行ける道と教えてくれた。
情報がほしい時に、軽油を入れることが多い。
若い二人の人がいた。 短い時間だが、話は盛り上がった。
美里町の何がいいとか、秘密の鍾乳洞があるとかで。
駐車場に車を置いて歩いた。
どっちに、登り口があるか、どこを見ても標示はなかった。
こういうことは、よくある。

道を上って行ったら、ここに着いた。 12時31分スタート。 1時間半のコースだという。

昭和55年に作り始めて、昭和63年に完成した。 8年かかった。
3333を8で割ると。 400ちょっとだ。
ということは、1日平均、1段とあと少しになる。 大変な工事だ。

建物の向こうに、お堂があった。

牛に乗っている。
※ 下の写真を、上から下に降ろすと、両側の扉が、不思議な雰囲気に見えます。
面白いですよ。 どうしてだろう。 不思議。

自分の町に、日本一の何かがあったらいいと、みんな思うのかな。

日本一の大杉とか、自称日本一の物をたくさん見てきた。
でも、ここの日本一は、作るのに苦労した分、価値がありそうだ。 石の町だから、できた。
100段ずつ、このように標示がある。 いいですね。

肝心の、魅力はどうなんだという問題です。
石段の魅力だけでは、限界があるということかな。
※ 石段の石は、適当な石ではなく、日本各地、世界からも。
羽黒山に対抗意識を持ったとしても、比較は出来ないんですね。 レベルが違う。
羽黒山は、登り始めたその時、国宝の五重塔がある。 頂上も違う。
石段そのものも古く、歴史がある。 決してコンクリートは使っていない。



小さな動物の糞。

このような直線の上りが多いでしょうか。
ここの石段の魅力は、登山感覚の石段でしょうか。

下を見るとこう。 標高差、620㍍を登る。 開聞岳より、少し少ない高さ。
今日の美里町の気温は、14度。 セーターを脱いで、リュックに縛り付けた。
山の上だが、シャツだけ。
国道とか県道ではない。
自分の体調を確かめたいこともあって、休まないで一気に登っている。
向こうから、歩いてきた。 自分の車が見えた。
この写真は、13時15分撮影。 2000段の標示が見える。 ここまで、44分かかった。
花がないから、少し退屈。
ここまで、1時間3分。 疲れてきた。
ゴールが見えた。
13時44分に頂上着。 1時間13分かかった。
私の少し後から、男の人が登ってきた。
私よりずっと若く、熊本から来たという。 この後一緒に歩く。
頂上からの風景が、とにかくいい。 熊本県全部が見渡せている。 そんな感じ。
これも、ここの石段の大きな魅力かな。
熊本市の方向。 男の人が、教えてくれた。
熊本市内。 熊本城は分からない。
北海道と比べたら、九州はいつも、霞がかかっている。 中国や、桜島が関係しているのか。
八代方面。 雲仙岳。
頂上から、1㌔ちょっとの所に、釈迦院がある。 そこに二人で向かった。
ここが、釈迦院。 江戸時代初期の建物のようだが、詳しい年代の説明はなかった。
※ 寺は、かなり傷んでいて、このままなら廃寺になる雰囲気。
※ この場所は、山の頂上を少し越えたため、八代市になる。
山門には、赤い像が。
ここの石段は、釈迦院の表参道にある。 どうして、釈迦院の石段と呼ばないのだろう。
※ 釈迦院は、いつまでもはない、と思っているのか。 八代市の寺だからか。
時々このように見える。
右の写真の人と、10分ほど立ち話。 3人でにぎやかに。 カメラの話も。
この人は、2日に1回登っている。 雪が降っても。
下りは見晴らしがいいから、好きだ。
石段は、横に曲がったり、変化がある方がいい。
今日は20人くらいに出会ったでしょうか。
ゴールが見えた。
美里町は、美しい里と書くだけあって、懐かしい雰囲気があある。
黄色い梅。
梅には、いろんな色があるのか。
駐車場の人から、ミカンをもらった。 大きいし甘い。
日本一と自慢しても恥ずかしくない石段でしょうね。
今は新しくても、100年後には、平成時代に作られた石段になる。
石段に付随する見晴らし台などが、古くなってきた。
廃墟のようなのもあった。
これをそのままにしておくと、石段も廃墟になりますね。
羽黒山の石段は、ここです。
カウンターの数が、10万を越えました。 今日の日中ですね。
100000の数を見ることができたのは、一人だけですね。 見た人いるんでしょうか。
私が見ても、数は増えないので、見ようと思ったら、私も見ることはできました。
【停泊場所】 美里町市街にある、佐俣の湯の駐車場。
※ 石段の駐車場の人が、停めれることを教えてくれた。 温泉にも話しておいて。
※ ここには、物産販売所もあるので、この駐車場は、町の駐車場かな。 すべてが、町営かもしれない。
【明日の予定】 石橋がたくさんあるので見てきます。 棚田も。 石垣も。
【ブログランキング】 15位。 クリックしても、点数に反映してないと言ってくれる人もいます。
前も、こういうことはあった。 昨日は、ずっと変わらなかった。 右の数字が。
そのうち、何とかなるかな。 しばらくは、下がるだろうけど。
後はずっと、車の中で休んでいました。
明日からまた、普通に動けます。
明日は行くところを決めています。
あるものが日本一です。
当てるのは難しいです。
もし分かったら、コメントでお知らせください。
当たったら、デコポンを送りますよ。
今日は天気が良かったけど、行くのは無理でした。

私は滅多に風邪を引かないし、体はこわさない。
小学校から高校卒業まで、休んだのは1日。 ※ 1日は、歯の治療のため休んだ。4年の時。
33年間の勤務で、病欠は、数日。(インフルエンザは2度あるが)
今回は、軽い風邪が治った時に、あるものを食べた。 その時から、おかしくなった。
休んだら良くなった。 のんびりしたのは久しぶり。
※ 1週間に1日休むことを、検討しようかなと思う。 月曜辺りに。
お昼頃、暖かい時に、30分ほど散歩。 小さな展望台から撮影。
天草諸島方面。

向こうに行ったら、熊本。 また、八代。

道の駅、不知火。 温泉がある。

こっちは、売店など。 ここは、いい道の駅。
九州でもトップクラスかな。 ※ 他にいいのは、桜島の近くの、道の駅たるみず。

上の写真の、向こうの方を散歩。
野原は、こんな風に草が生えている。 この中に、春の七草はあるのかな。

ここの梅も、つぼみが膨らんできた。

太い幹から、ちょこんと枝を出して、咲いている。

梅の花は、すぐに傷まないところがいい。

小鳥がつついた跡。 森の中は、小鳥でいっぱい。 茂みから出てこない。 メジロとか。

何でしょう。


これも何? 中は、空っぽかな。


段々ミカン畑。 いろんなミカンが栽培されている。

下の海は、不知火海。
レストランで頂いた地図に、こんな文があった。
不知火は 誰も知らぬ火。
竜燈とも呼ばれる火の国の怪火は、
旧暦八月一日(八朔)の未明、
不知火海にあらわれる奇観である。
この文を、まず調べると。
○ 不知火は、しらぬいと読む。 これは、いいですね。
○ 竜燈って何だろう。 調べたら、こうだ。(Wikipedia)
日本各地に伝わる怪火。
主に海中より出現するもので、海上に浮かんだ後に、いくつもの火が連なったり、海岸の木などに留まるとされる。

○ 火の国は、こうだった。
火の国は、肥の国のことで、肥後のこと。 熊本(県)のこと。 ※ 肥薩線の、肥。
○ 旧暦8月1日とは、今年の場合は、9月8日。
旧暦8月1日は、八朔(はっさく)と呼ばれる。 八月の朔日(さくじつ)の意味。 朔日は、一日のこと。
ミカンのハッサクは、8月1日頃食べれるようになるので、この名前。
上の文の意味は、これで分かった。
不知火は、誰も知らぬ火、とある。
実際そうなんですね。 なかなか見られない。 最近は、特に。
蜃気楼の一種と考えられている。
船か何かの灯が、蜃気楼のように揺れて見える。
8月1日に、月との関係で、蜃気楼が生まれやすい条件がそろう。
こんな感じか。
不知火の画像を探したが、見つからない。 1枚くらい写真があっても良さそうなもんだが。
こんな絵があるので、のせます。(Wikipediaより)

不知火についての、くわしい説明はここに。 不知火(Wikipedia)

九州の山なみ。 海から、すぐ山。

高い山の上は、雪。

道端の木にもなっていた。


自衛隊のヘリコプター。 片方のプロペラが止まったら、どうなるんだろう。

お地蔵さん。 ぶら下がっているのは、提灯の上の輪。

こんな花が。

赤い線は、人間の血管のようだ。

お昼に、団子汁を食べた。 消化がいいと思って。

児童の虐待があったので、そのことについて少し。
事件の概略は、こう。(1月25日 時事通信)
東京都江戸川区で暴行を受けた区立松本小学校1年の岡本海渡君(7)が死亡した事件で、区側が昨年9月、父親の健二容疑者(31)の暴行を把握していたことが25日、区教育委員会への取材で分かった。
区教委によると、昨年9月、区子ども家庭支援センターに、海渡君が通っていた歯科医院から、「顔がはれている」と連絡があり、センターは小学校に確認の電話をした。
数日後、小原サナヘ校長(60)と副校長、担任の男性教諭(28)が家庭訪問。健二容疑者はたたいたことを認め、「二度とやらない」と約束した。学校側は警察への通報はしなかったという。
区教委の担当者は「協力的で、保護者会にも積極的に参加しており、様子を見ることになった」と話している。
問題点
① 海渡くんは、歯科医に、こう話したんですね。
「パパにぶたれた。ママは見ていて何も言わない」
担任には言わなかったが、歯科医には話した。
海渡くんと担任との間には、信頼関係はなかった。 だから、話さなかった。
② 学校が家庭訪問した際、健二容疑者は、「二度とやらない」と約束したという。
こういう状況での、「二度とやらない」という約束は、何の意味もない。
学校側から問い詰められたら、他に言う言葉はない。 とりあえずこう言うに決まっている。
学校は、この言葉を引き出して、家庭訪問の責任を果たしたと考えたかもしれない。
私は、こうかも知れないとさえ、思っている。
学校側が、「もう二度とやらないと約束できますか」と言って、上の言葉を言わせた。
約束する内容は、次の日から、それを確認できるものでなければならない。
例えば、毎日登校させるとか。また、学校で、体の確認をさせてもらうとか。
また、関係機関に連絡することを伝えて、事の重大性を認識させることが重要だった。
学校は、家庭訪問した証拠を手に入れただけだった。
約束したことを、成果と勘違いして。
③ 区教委担当者の言葉は、何もしなかった時に、よく使われる言い訳。
一般的に、区教委担当者のような、行政の人は、このような問題の専門家ではない。
専門はどこかと言うと、児童相談所。
ここと相談して、様子を見ましょうではなかった。
平成16年に、児童虐待防止法が改正になり、虐待を知った者は、児童相談所や警察に通報しなければならないと、なった。
虐待の疑いの段階でも、通報してかまわない。
区教委は学校と同じで内部だから、通報はしていないことになる。
せっかく歯科医が情報をくれたのに。
④ 校長がやるべき、ここぞという仕事は、年に何回もない。
危機管理意識があったら、ここでの取り組みの重要性に気づいても良かった。
区教委と相談するにしても、主体的に動く必要があった。
つまり、児童相談所と対応を検討すればよかった。
警察には、状況と、取り組みの内容を伝えておけばいい。(生活安全課というところに)
そうしておけば、どんな時でも、協力してくれる。
※ 親が暴力的な場合、家庭訪問では、離れたとこで、待機してくれる。
校長室での話し合いなら、隣の部屋で待機。
今の時代、家庭が不安なら、子供を学校にに引き留めておくことだって、可能なんですよ。
そこで、親を呼んで、児童相談所と一体となって、ことの重大性を親に伝える。
親が信頼できない場合は、児童相談所で子供を預かる。
今回の事故は、児童虐待防止法が何年も前に改正されて、通報義務があったのに、学校と区教委は動かなかった。
動かなかった理由を言ってるが、それを聞いてなるほどと思っていたら、このような事故はまた起きる。
事故が起きたら、いつもこうだ。 本心反省しないで、再発防止を口にする。
※ 足りない部分があったら、後で追記します。
【道の駅】 不知火
【明日の予定】 秘密です。 問題に出したから。
【ブログランキング】 9位です。

私は勘違いしていた。
天守閣は昔のままと思っていた。
でも、違った。 再建されたものだった。
それでも、熊本城の魅力は大きかった。
天守の他に、焼けなかった宇土櫓や、門・塀など、22の建物が、武者返しの石垣の上にあった。
武者返しの石垣は、上にいくほど急で、聳(そび)え立っているような美しさだった。
人吉盆地から海に出たら、八代市だ。
熊本市が近い。 熊本城を見てから、海岸沿いを南に下ろうと決めていた。
球磨川は、最後まで急流だった。 流れが緩くなった時、海は目の前にあった。
熊本市内に入ってきた。
熊本城の駐車場は広かった。 助かる。 ※ 今後、熊本市内の見学のときは、ここが使えると分かった。
まず、宇土櫓が見えたが、この時、名前は分からない。
城内全体の、建物の位置。
頬当(ほほあて)御門から入った。 入り口は4ヶ所。
天守閣。 高さを感じる。 場所は、ここ。
いい形だ。 天守への入り口は、反対側で、地下を通る。
魅力は、石垣ですね。
ここを通ると、下の写真の所に出る。
この形を考え、設計した人間がいる。
右のには出会わなかった。 プロのデザインですね。 かわいい。
天守閣には、右の方のここから入った。
中は、資料館になっていた。
入って気付いた。 この天守閣は、外観だけを復元したものだった。 鉄筋コンクリート。
中の写真は、下の方の1枚だけ。
最上階からの風景。
最上階。
昭和35年に建てられていたが、今の時代でも、鉄筋コンクリートで建てるだろうか。
※ 大阪城も同じなんだが。
この天守閣は、あと100年持つのだろうか。 難しいですよ。
費用の問題で、こうなったのか。 地元の業者で、木造で作れるところはなかったのか。
※ どのように作るかになったら、いろんな思惑が働いてくる。
時代が変わって、だんだん薄まってきたが。
この建物が、宇土櫓。 これだけ焼け残った。 熊本城全体の一番の宝。
昔は、こうだった。 西南戦争の直前に焼けた。
復元された、本丸御殿大広間。 外観の復元ではなく、中も。 木造で。
一昨年の4月から、公開されている。
本丸御殿の全体ではないので、本丸御殿大広間と呼んでいる。 54億円かかったそう。
殿様が、普段生活していた場所。 これだけの贅沢だできるなら、将軍でなくてもいい。
ここが、一番の場所か。
消失前と同じ絵ではないが、何が描いてあったかは、調べた。 それに基づいて描かれたもの。
天井の絵のデッサンは、残されていた。
ストロボを使用しなければ、撮影可能だった。
最後に、宇土櫓を見た。 屋根の直線が変わっている。
天守閣の中も、こうだったらいい。
外観は、美しい。
城から出る前に撮影。
車は、駐車場に置いて、こむらさき本店に向かった。 歩いて、10分ほど。
アーケード街。
こむらさき本店。 ここは、初めて。 支店では食べたことがある。
暗く写ってしまった。
感想
① 一流店にしては、客が少ない。
② 博多に近づいたこともあり、量が少なくなった。
※ ラーメンは、主食でないから、これでいい。
③ スープは美味しい。 ただ、ニンニクの小さく切ったのを油で揚げたのがのっていた。
この味が強いため、スープの良さが分かりにくい。
※ ニンニクは、油で揚げるより、焼いた香りや味の方が、ラーメンには合う。 スープの味を壊さない。
※ 九州のこの辺りは、ふりかけの発祥の地だ。 だから、ラーメンにもふりかけの感覚で、トッピングが多いのか。
☆ ラーメンの流れは、変化してきている。 何でものせない方向に。 そして、くどくなく。
スープで勝負できないときは、どうしても、のせるものを豪華にする。
④ レベルはどの辺りかと言うと、鹿児島ののぼる屋よりは、下。
さらに、隼人の、とくだラーメンよりも下。 普通に美味しいという感じか。
好みの問題、というレベルの所にある。 芸能人はいっぱい来ていた。 たくさんの色紙が。
こんな所を通って、戻った。
熊本城は、城の復興のために、プロジェクトを組んでいた。
燃える取り組みは、ここが一番のように感じた。
国宝をただ見せれば人が集まる時代でもない。
熊本城(熊本市)は、城をどのように見せるか、また復興させるかを、模索している。
城の、旭山動物園版を目指したらいい。 そうしているかも、知れないが。
【道の駅】 不知火 ここ。
【明日の予定】 動かないかもしれない。 精神的には元気なんだが、体調が今一なんだな~。
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【拍手】
球泉洞は、右に左に、上に下に、迷路のような鍾乳洞だった。
午前中、おかどめ幸福駅に寄ってみた。
今まで神社にもたくさん行った。
そろそろ何かいいことがあっても、良さそうなもんだが。
最近、2時・3時まで起きていられない。 眠くて。
根性がなくなったのか。
軽い風邪を引いた、あの辺りからかな。
今日の鍾乳洞は、美しいというより、何でしょう。
良さは、立体的なところか。
金網が多かったかな。
おかどめ幸福神社は、道の駅錦から、数㌔だった。 場所はここ。
岡留熊野座神社が近くにあり、幸福神社と呼ばれるので、この駅名がつけられた。

鐘でなくて、鈴があった。
幸福が鈴なりなんて贅沢は言わない。 一つでじゅうぶんなんだけど。
※ 「一つの花」のお話の中に、一つだけの幸せ、という表現があったかな。

覆水盆に返らず、ってね。


向こうは、錦町。 その向こうは、人吉市。
ここは、あさぎり町。 みんな、同じ盆地の中にある。
盆地の中の朝の霧は、すぐには消えない。 10時過ぎまで残る。 土地の人が教えてくれた。

この鉄道は、くま川鉄道。 終点は、湯前町の湯前駅。



国道219は、人吉盆地を過ぎたら、球磨川から離れることはなかった。

道路は、川よりずっと高い。



時々流れはゆるやかに。

サギの仲間だろうか。


日本三大急流の他の二つは、最上川と、富士川。 ※ 最上川は、ここに。

球泉洞は、1973年に発見されている。 新しい。 場所はここ。

ここの鍾乳洞は、縦穴が見つかった。
縦穴から入るのは大変なので、その下の方につながる横穴を掘っった。 縦穴に出た。

愛媛大学の探検部の調査で見つかった。 縦穴をロープで下りた。

こういう階段が多い。



洞窟サンゴと名前が付いている。

ここを登ってきた。

地底の川は、ほとんど見なかった。 流れる音は聞こえたが。 長寿の水は、暗くて見えない。



鍾乳石が見えてきた。 金網に囲まれていた。

透明感のあるものではないが、規模は大きかったでしょうか。

上や横に、枝が出ていた。 初めて見る。

コウモリは、今は冬眠中。

ここのは水が滴り落ちていないから、成長は止まっている。

こんな所を通って。


大きな石柱。

細いのも。

規模が大きい。

時々、緑のがある。 苔?


珍しいと言えても、透明感がないから、美しいとはならない。



ストローのような鍾乳管が見える。

鍾乳石が、膜のようになった。

まあまあ、きれい。

下りていく。

別に、探検コースがある。 係りの人がつく。

名前は、ホマーテ型石筍とあった。 落ちる水の量が多い時に出来るそう。

緑に見えるんだが、近くで見たら、白かった。

これを最後に見て、お終い。

出口(入口)が見えた。

近くに道の駅はないので、道の駅坂本 に来た。 (八代市坂本町) 場所はここ。
道の駅に、こんなのが売っていた。 五木でも、似たのがあったかな。
おかずというより、酒のつまみ。

大豆をそのまま食べないで、豆腐にした。
豆腐をそのまま食べないで、漬けものにした。
これを、そのまま食べないで、鍋にする。
鍋にした豆腐の漬物は、そのまま食べないで、おじやにする。
そうして食べる。
最初は、大豆だったが、やっと食べれる。
今後の旅の流れは、熊本城を見たら、海岸沿いに南に下ります。
【道の駅】 坂本
【明日の予定】 天気が良ければ、歩く。 この町を。
悪かったら、どうしよう。 熊本城か。 それとも、一休みか。
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見た所は、4か所です。
どれも、錦町の観光ガイドMAPに載っていたものです。
錦町は、剣豪とフルーツの里だという。
剣豪は、丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ)で、フルーツは、梨だった。
丸目という名前は、初めて聞いた。 この地方では、有名なようだ。
調べてみたら、剣の世界では、それなりの人だった。
「くらんどのすけ」は「くらんど」とも呼んでいた。
下の写真は、道の駅 錦。
右の建物はお店で、くらんど市。
後ろに公園があって、名前は、くらんど公園。

小さな町だが、剣道がさかん。

この人が、丸目蔵人佐。 タイ捨流(たいしゃりゅう)を生み出した。 構えが独特。


この人は、晩年、この地で、晴耕雨読の生活をした。

途中に車を置いて、歩いた。 トトロだ出て来そうな里山。 いい雰囲気。

お墓は、この奥に。

説明板があると思ったので来た。 墓だけ見るのは、つまらない。
この人が、どれだけの人なのかを、夕べは調べた。 時間がかかった。 ほんとうに武蔵に会ったのかも。

丸目家の墓が、いっぱいあった。 ※ 子孫は、この町に住んでいる。

これが、丸目蔵人佐の墓。 ※ 場所は、熊本県球磨郡錦町切原野堂山。 地図では、ここ。

丸目蔵人佐について。
【基本的なこと】(Wikipediaより)
○ 天文9年(1540年) - 寛永6年2月7日(1629年3月1日)
○ タイ捨流兵法の流祖。
○ 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で。
○ 肥後国(熊本県)南部の領主(後の人吉藩藩主)であった相良氏の家臣。
○ 名字は幼少時は山本、初陣の戦功により父と共に丸目(まるめ)を与えられる。
【錦町のHPでの紹介】(要点)
○ 丸目蔵人佐長恵(まるめくらんどのすけながよし)
○ タイ捨流創始・相良藩剣術指南役(1540~1629 )
○ 肥後八代郡人吉に生を受ける。
○ 幼い頃から剣の修行に励み、16歳の時、大畑合戦で初陣を飾る。
○ 翌年、天草の本渡城に身を寄せ、天草伊豆守から中条流を学んだ。
○ 19歳になると、当時最強と謳われた兵法者、上泉伊勢守に挑むために上京。
しかし、あえなく敗退しそのまま新陰流に入門した。
※ 上泉伊勢守・・・新陰流始祖:竹刀の原型を発明し、今日の剣道の基礎を築いたとされる。
○ その後、28歳で上泉から印可状を受け、3度目の上京の後、タイ捨流を興した。
「タイ」とは、大、太、体、待などの意味を持ち、これを捨てた「自在の構え」を旨とすると言われている。
【武蔵と接点があったかどうかについて】
これが、今日の中心ですね。
武蔵が、この町に来ている可能性があるようです。
ある小説の影響もあるが、この町の人は、来たことを誰もが信じています。
熊本県文化財保護指導委員の、渋谷敦という人が、以前、「タイシャ流と丸目蔵人佐」という演目で、講演をしていました。
その中に書かれていたものを、少しだけ紹介します。
※ 基本的には、小説の中身と思われる。
※ 武蔵は九州にもいた。
宮本武蔵は、巌流島の決闘で佐々木小次郎をやっつけた。
その二刀流の宮本武蔵が、錦町までやって来た。 丸目蔵人にお手合わせを願いたいと。
※小山勝清著『それからの武蔵』によると、その時、丸目蔵人 73歳、宮本武蔵29歳。
丸目蔵人はそれまで畑を耕していた。
そこに宮本武蔵が来てひとつお手合せをお願いしますと言う。
お粥でも食べないかと、家に誘う。
芋粥をお椀についで渡す。 武蔵は少しも油断せず芋粥を食う。
食ってしまうと、また畑に行くといって、鍬をかついで出て行く。
家と馬屋の狭い通路を丸目蔵人は鍬をかついでひょっこひょっこと行く。
73歳の老体が歩いていった。宮本武蔵もその後から油断なくついて行った。
中ほどまで行った時に、パーッと振り返った丸目蔵人。 肩の鍬を頭上に振り上げた。
武蔵は、左右がせまくて刀が抜けない。 後ずさって出口まで行って身構えた。
蔵人はその様子を見てニタッと笑って向こうに行ってしまった。
武蔵が後をついて行ったら、もう黙って畑を耕していた。
宮本武蔵はこう言った。
「無敵、遠く及ばず」「ご教示、心根に徹しましてござります」
そして、その場を去った。
これは、小説をもとにしているが、このように書いても不自然ではない程の力が、丸目蔵人佐にはあった。
※ この人は、薩摩の島津との戦い(大口の戦い)で大きな失敗をした。
丸目蔵人佐の作戦のまずさで、300人ほどの相良軍の家来を殺してしまう。
(敵にいくら囲まれても、自分は無傷だった)
ここの部分は、山本勘介とは違った。
剣の達人ではあったが、軍師としては知恵は、持ち合わせていなかった。人生は大きく狂った。
丸目蔵人については、とりあえず、ここまでにします。
近くに古い建物があるので、向かった。

梅の木が、薄く紅かった。

咲き始めていた。

梅は桜より早い。 濃い紅色だ。

この家。

桑原家住宅と言い、19世紀中頃のもの。 平屋の曲がり屋という、構造。

別の場所。 球磨川のほとり。

細い道の奥に、地蔵さんがあった。
この地方は、一向宗が禁止されていた。 隠れて念仏を唱えたそうだ。

横穴古墳を見に行った。


京ヶ峰横穴古墳群。 6世紀ころの物。

この穴の中に、人を葬った。

ここの特徴は、入り口とかに彫刻があることだそう。

中は広い。 何もない。

1辺が2.6㍍の正方形。 高さは、1.8㍍。 生活できる広さ。

入ってみた。 ※ ヒカリゴケはなかった。(調べたら、九州にはないそうだ。 本州の中部以北に)

別の小さな横穴。 ※ 骨を岩の穴に入れるのは、山寺にあった。

こんな鳥が。

小さい。 まるっこい。

せっかくこの町にいるので、観光情報誌にない所に行ってみました。
道の駅があるから、調べたり行くことができるが、道の駅がないと、大変だ。
少し寒いですが、歩くのがいいですね。
【道の駅】 錦 前日に同じです。
【今日の予定】 この町を出ます。 鍾乳洞に行くかも。
【ブログランキング】 5位です。

【拍手】
でも、どうしてだろう。 美しいはずの人形が、不気味な感じもする。
ひなまつり人形展があった。
道具類も入れたら、2万点以上の展示数だという。
見たことないから、行ってみた。
今は、道の駅 錦 にいる。(熊本県球磨郡)
そこから遠くない、神城文化の森。 ※ 神城は、しんじょう、と読む。
江戸から昭和の物を展示している、テーマパーク。
結論を書くと、絢爛豪華な時代絵巻、そんな感じでした。 ※絢爛(けんらん)
感動するとは、少しちがったでしょうか。
冬のため、ほとんどの展示館は閉鎖していた。
会場全体は、こう。

ここのテーマパークは、5年後にも存在しているか、それは少し難しいかな。
歩いてみて、そう感じました。
ひなまつり人形展は、2つの会場で行われていた。
1つ目は、このお城。 名前は、神城。

ひな人形が中心。 すごい数。 隙間がない。

ひな人形以外も、たくさん。

江戸時代の物も多かった。

こんなのも。 生きてるかと思った。

子供の表情は、こんなのが多い。


からくり人形の仕組み。

展示してあるものは、すべて経営者が買い取ったものだそう。


立っていますね。

女性の人形も、多くあった。

ひな人形は、パチパチ撮影。 これらは、方向を考えて。 繊細な色合いだ。

こういうのは、ひな人形とは、全く別のものに感じる。

真夜中、懐中電灯一つで、この部屋に入ることができるか。
どうでしょう。 大人でも難しい人は、いますよ。
人形の視線は、独特です。 生きてる感じがしないものが、多い。
※ 私は真夜中でも平気かな。 夜、熊のいる山の中を歩くのに比べたら、どうってことない。

この辺りは、高級品。 人形作家の作品。

品のいい人形が、たまにある。

上の写真を拡大してるので、写真の切れ味がよくない。 顔だけも、ちゃんと撮れば良かった。

お城の展望台から。

人吉市がどっちかは、分からなかった。

この建物の左部分にも、会場があった。

こっちは、規模が違った。 この写真の数倍は展示されていた。

全国各地のものが。

人形なら、何でもあった。

この辺りの作品は、展示されてる物の、ベストテンに入る。

江戸時代のもの。 享保雛。

3月いっぱい展示したら、片づけるそう。 箱に入れて、この場所の後方に。 4月からは、別の展示。

3月3日は、祝日にならなかった。 その理由が書いてあった。
一つは、祝日は、皇室に関するものが、優先した。
あとは、3月3日はまだ寒いので、5月5日を祝日にした。
絢爛豪華とは、このことでしょうか。



ひな人形の始まりは、災いなどを人形に託して、川に流したことから、始まったようです。
古いものですね。


いいですね。

今の時代に通用する顔は、これだけでした。 探したが。

人形以外にも、いいものが。

これは絵。 お城にあった。

人形は、作る人に主張があるかどうかで、魅力が決まるのか。
ただの人形と、そうでないのがありそうだ。
ただの人形でないとして、人形と佐藤忠良の像とは、どこが違うんだろう。
分かりそうだけど、難しい。
辻村寿三郎の人形は、こう。 今日見たのとは全く違う。

佐藤忠良の作品。 仙台にあった。 口元が好き。

これは、尾道にあった、林芙美子の像。 ※ これについては、ここに。

ひな人形などは、どのような見方をすれば、素晴らしさが分かるのか。
それを知りたかったが、分からない。
人形は、芸術作品として見ない方がいいかもしれない。 人形作家のは別にして。
そう思うかな。
【道の駅】 錦 昨日と同じ
【明日の予定】 この近く。 もう一日います。
【今日の歌】 ※ 柴咲コウの歌に、「甘いさきくさ」というのがありました。 (YouTubeにはない)
「さきくさ」は、樹皮が和紙の原料として使われる「ミツマタ(三又)」のこと。
万葉集の柿本人麻呂の和歌に、こんなのが。
「春さればまづ三枝(さきくさ)の幸(さき)くあらば 後(のち)にも逢はむ莫(な)恋ひそ吾妹(わぎも)」
歌の意味は、
春になると咲く三枝の花のように幸せならば、後で会っても良いでしょう。そんなに恋を焦らずともよいでしょう。
三枝(さきくさ)の「サキ」と幸の「サキ」を掛けた歌です。
幸は、さきと読めることが、ここでも分かりました。
真幸駅(まさきえき)の読み方に関わってです。
※ 歌は、見つかったら載せますね。 歌詞はここに。
北の岬(YouTube) リクエスト数が、1000を超えました。
【ブログランキング】 4位です。

この肥薩線を、よく残したと思います。
そのために動いた人たちが、きっといた。
感謝しますね。
車窓からの風景、スイッチバック、ループ線、魅力いっぱいでした。
真幸駅。 この方向からは、撮っていなかったので。 地図はここ。
※ 少し話が変わるが、幸を「さき」と読むことができるなら、女の子の名前に使えそうです。
響きもいいですよ。
今日は、人吉駅まで行ってくる。 肥薩線の一番景色のいい部分だ。
列車が入ってきた。 吉松駅から、山を登ってきた。
ワンマンの普通列車。 9時17分発。
田の神様たちがお見送り。 スイッチバックのため、右側の奥に向かう。
右側向こうに、駅がある。 左側を登っていく。 進行方向が変わるたびに、運転手は行ったり来たり。
右下に、真幸駅。
小さなトンネルが、人吉駅迄に、16あった。
山を登ってくると、車窓からの風景は、このようになる。
桜島の噴煙なのか、遠くの山は見えなかった。
私は運転士に話しかけないようにしていたが、運転士が話しかけてきた。 ありがたい。
肥薩線で一番標高の高い、矢岳駅(やたけえき)。
標高537㍍。 真幸駅が380㍍なので、157㍍登ってきた。
向こうから来た。
ここから、ループ線。 赤い丸の所にいる。 ループ線の途中に、大畑駅(おこばえき)。
最高所の矢岳駅からは、ずっと下っている。
のんびり下るのではなく、怒涛のごとく下る。
運転士に、ブレーキが故障したら暴走列車だね、と言ったら、そうだねと言った。
※ 万が一の時は、安全装置が働く。(たぶん)
山の下に大畑駅が見える。
駅では列車を停めるから、線路に傾斜があったらダメだ。
坂の途中に駅を作るとき、平らにするのが大変な時、スイッチバックにするのかなと思う。
大畑駅。
スイッチバック。
球磨川に架かる橋が見えてきた。 間もなく、人吉駅。
人吉駅。 途中から雨だった。
人吉駅の標高は、107㍍。 矢岳駅から、一気に430㍍下った。
これで来た。 帰りはこれで。 いさぶろう号。 観光用だ。
今は、10時過ぎ。 帰りの時刻は、午後1時15分。
時間があるので、観光案内所で、地図を頂いたり、教えてもらった。 女性の方二人いた。
説明が終わらないので、10分以上いた。
詳しく、楽しく説明してくれた。 ずっとここにいても、退屈しないと思った。
人吉市の駅前。
幽霊寺に向かった。 途中、国宝の、阿蘇青井神社に。
茅葺(かやぶき)屋根の神社だった。
ニワトリが散歩していた。
10分ほど歩いたら、幽霊寺(永国寺)に着いた。
自由に参観していいとあった。
幽霊の掛け軸は、本堂の左の方にあった。
由来は、ここに。
ここの住職が、幽霊が出た時、絵を描いて幽霊に見せたそうだ。
幽霊は、自分の姿を見て驚いた。 美しかったはずなのに違った。
この寺は蓬莱山(ほうらいさん)の麓にあり、西南戦争の際に西郷隆盛が本陣として利用した。
位牌や書があった。
幽霊が出たという池。
本堂に、住職の話すビデオがあった。
その中で、ほんとうは幽霊はいないと言った。 心がつくりだすと。
こんなのが、庫裡(くり)の部屋にあった。 教訓っぽくなくていい。 意地は、ない方がいい時もある。
他も少し歩いた。 人吉城跡。
駅に戻ってきた。 小さな城は、からくり時計なのかな。 動いていなかった。(故障?)
観光案内所に、お礼に行った。
あなた方の説明が長かったから、全部見れなかった、と言っておいた。
駅の売店にあった、昔の人吉市のポスター。
これで、戻る。
列車の中で、地図が手に入った。
上が見づらかったら。
車内はこう。 立派。 出発。 球磨川に架かる橋梁。
トンネルを過ぎたら、またトンネル。
大畑(おこば)駅。 スイッチバックですね。
駅舎の窓に、名刺がいっぱい。
私も。 ループで登る。
山の上から。 朝も撮影したが、今は雨がやんでる。 望遠で。
こういう勾配。
登りはゆっくり。 お客さんは、15人くらいか。
こんな風景。 足元のペダルを踏んだら、プ~って、警笛がなる。
帰りの列車は、駅で列車から降りることができた。 5~6分。
ここは、一番高い、矢岳駅。 SL展示館があった。
この方は、車掌さん。 ガイドの役割も。
写真を撮ってあげると言ったので、私でなく、この人を撮影。
列車の中は、この人におかげで、ずっと明るく楽しい雰囲気。
※ 手に持っている物に、今日の日付があった。
光を反射したため、このように。 反射してると、私が気付けばよかった。
日本一の車窓かもしれないところに、やってきた。 霞んでいる。 少し残念。
これは、日本一の車窓からの風景の、反対側。 見てもらえることは、滅多にないと思うので撮った。
撮影すると、決めていた。 ※ 津軽の滝を見たとき、ある人から学んだ。(何の滝だったか。 暗門の滝?)
遠くに街が。
真幸駅に戻ってきた。 行きは、44分。 帰りは、登りが多かったので、1時間7分。
昭和47年7月6日、山津波があった。
幸せの鐘を鳴らしていた。 記念撮影も。
車掌さんが、手を振ってくれた。 半分反射。
下の人形は、ゆうれい寺で買った。
かわいい ゆうれいだ。 手がいい。 おしょうさんは、うれしそう。
今日は、肥薩線に乗ってみました。
※ 明治42年に肥薩線が開通した。 このことで、青森と鹿児島が鉄道でつながった。
ローカル線の旅は、面白いと感じました。
普通列車の運賃ですから、お金も、たくさん使わない。 (今日は、片道540円)
運転してると写真は撮れないが、汽車に乗ると、撮り放題。 それがいい。
どこかでまた、乗ってみます。
いい情報があったら、教えてくださいね。
【道の駅】 錦 人吉市の近く。 ここ。 真幸は宮崎県。 今日は、両方の県を行ったり来たり。
【明日の予定】 この近くをどこか。
【今日の歌】 真幸駅の風景(YouTube) のどかな雰囲気。
大畑駅(YouTube) ループ線とスイッチバック。 名刺も。
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【拍手】
真幸駅は、まさき駅と読む。
どうしてそう読むのか、それが気になる。
幸は、さき、と読むことができた。
誰もが知ってる歌に、それが載っていた。(たどり着くのに、1時間以上かかった)
蛍の光 窓の雪
書読む月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく
とまるも行くも 限りとて
互みに思う 千万の
心のはしを ひとことに
幸くとばかり 歌うなり
「さきくとばかり うとうなり」と読む。
「無事で」とばかりに歌うのである が意味。
幸を「さき」と読むのは、古い時代の読み方のよう。
こんな言葉もあった。 幸魂。 さきみたま、と読む。
これで、真幸の読み方については、いいですね。
以前、真幸駅はテレビで放映された。 それを見てのブログは、ここに。
夕べ、肥薩線を地図で見ていて、突然この駅を思い出した。
天気がいいから、山越えは問題ない。
肥薩線は、ほんの少しだけ、宮崎県を走る。 宮崎県の、これ以上ないという山奥。
隼人から、40数㌔だった。
明治42年に開通した。
駅の名前を考えた人は、知っていたんですね。 幸をさきと読めることを。
当時、鹿児島への鉄道はここしかなかった。 だから、その当時は、鹿児島本線だった。
昭和2年に、西側の海岸線に鉄道ができ、そっちが鹿児島本線になった。
そして、ここは、肥薩線に。
ここの駅の魅力は、駅の名前の「真幸」とそれを大事にする人達がいること。
もう一つは、スイッチバック。
よしまつは、鹿児島方面。 やたけは、熊本方面。
無人駅なのに、駅長がいるなら会ってみたいもんだ。
駅長は、猫だったりして。
真の幸せは、何ですかって、聞いてみたい。
まさか、それはあなたの心が決めるとは、言わんだろうな。
この人形、誰かが考えたとすれば、すごい力ですね。
肥薩線には、ループ橋・スイッチバック・高原、などがあって廃線にならなかった。
人形のモデルがあるのかな。
土・日・月は、お母さんたちが来て、お店が開かれ、にぎやかになる。
スイッチバックの鉄道は、説明が面倒。
熊本(人吉)方面から下ってくる。 一番右。
向こうに行って、戻ってくる。 そこに真幸駅。
戻って、下っていく。
折り返したことによって、数㍍下がった。 傾斜をゆるくできた。
山の上から。 駅は、下に。
この線路を左に上っていくと、人吉。
300㍍程離れたところに、棚田があるので行った。
まだ、準備は始まっていない。
ここに住む、おじいちゃんと、おばあちゃんがテレビに出てきた。
この二人が、番組をいいものにした。
ススキのような穂。 大きい。 3倍か。
線路の切り替え。
戻ったら、若い女の子二人が、遊んでた。 宮崎から来ていた。
店は、土・日・月と祝日。 1月13日、雪が降った。 真っ白。
昔は、駅の下に家がいっぱいあった。 でも、山津波で流された。
駅も、土砂で埋まった。
駅の名前を、真幸としていたのに。 この近くで、大きな不幸は、もう一つあった。 (明日のブログで)
明日は、黄色の○の真幸から、左の人吉まで行く。
円いところがループ橋。 尻尾が、スイッチバック。
日本一の車窓とあるが、一般的には、3大車窓と言われている。
さっきの二人は、スタンプを押していた。
お店を楽しみにやってきたので、残念そうだった。 買うというより、話すことを楽しみに。
誰でもが、お店などの手伝いができる。 やってみたいかな。
右で行って、左で戻ってくる。
もう一度、線路に行ってみた。 列車が来るのは、1時間以上後。
ホームから見たら、こう。
ここの駐車場にいるつもりだった。 携帯は電波が弱かった。 ネットもダメだった。
駐車できる場所を探した。 遠くの山の中腹が、真っ白だった。 雪なのか何なのか。
お店が出たときに、もう一度来なければならない。
花がいっぱい咲く、春でしょうか。
ここに住む人達と、話してみたい。
【停泊場所】 駅から数㌔離れた、河川敷。 駅の駐車場は、ネットがダメだった。
【明日の予定】 列車で、人吉に行ってきます。
【今日の歌】 蛍の光(YouTubu) 歌詞があります。
もう一つ、蛍の光(原曲)(YouTube) 何度目かです。
【ブログランキング】 5位です。 はげしい戦いです。
次の日の5月1日、塩浸(しおひたし)温泉に向かいます。
私は、そこまで歩こうと思ったが、遠かった。
行くだけなら行けたが、その日のうちに戻るのは無理だった。
車で向かった。
国道223を通った。 龍馬が歩いた道は、別の道。(後で、地図を)
鹿児島県は、とにかく温泉が多い。
途中に、小さな温泉が、いくつもあった。

温泉は閉鎖していると聞いていたが、工事中だった。
工事は二つで、道路工事と、温泉の建物などの工事だった。
※ 温泉の建物が老朽化したために、新しくしていた。
龍馬とおりょうの像が、○のところに。 塩浸温泉は、ここ。(右下に、犬飼滝が見える)

二人は、この塩浸温泉に、5月1日から12日まで、11泊する。
左手の親指を怪我していた。 寺田屋で襲われた時のものだ。
その治療をここでした。
※ 3年程前、京都の寺田屋に行ってきた。 龍馬が襲われた時にできた、柱の刀傷などがあった。
でも、これらは全部偽物と、今はなっている。

おりょうの表情が分からない。 刀の陰だ。 これ以上、右からは撮影できなかった。

ネット上にあったもの。 おりょうさんの顔だけお借りする。

もっといい表情がありますね。きっと。
近づけなかったが、こんな標示があった。

二人は、ここにいる間、何度か犬飼滝を見に行った。
ここは、見晴らし台。

ハネムーンロードの、36まで来ている。

5月1日、36まで来て、ここにやってきた。 ここを通って、塩浸温泉へ。
私は、点線の国道を通って、塩浸温泉へ。

滝全体は見えなかった。

上の地図にある、和気神社に行ってみた。
ここは、エドヒガンザクラの南限の自生地とあった。 国指定の天然記念物。

和気神社。 昔、ここに和気清麻呂が流された。 龍馬はそのことを知っていてここに来た。
当時神社はなかったが。

こんな説明が。

二人が見た風景。 向こうは川下。 谷の下に、和気温泉がある。 滝は、左にあるが見えない。

白いイノシシがいた。 名前は、和気(わけ)ちゃん。

お土産屋さんがあり、手打ち蕎麦を売っていた。

久しぶりに美味しい蕎麦を食べた。 大内宿以来かな。

滝への道を教えていただいた。 地図も。

10分歩かないで、見えてきた。

高さ36㍍。 岩肌を滑らないで、真っ直ぐ落ちている。
このことに、龍馬は気付いていた。 姉への手紙に書いた。

真っ直ぐ落ちるから、音が大きい。 谷全体に轟く。

落ちる水の動きに合わせて、カメラを動かして撮ってみた。 水は、バラバラ。

別の場所から、上だけ撮影。

川下にある、和気温泉に向かった。

露天風呂だった。

こんな説明が。

ぬるかった。 30度ない。 ここは、私有地。

管理が、組織的に行われている感じではなかった。
河原にあった、露天風呂。 30度ちょっとか。 あっちこっちから、お湯が沸いている。

この後戻るが、花はどこにもなかった。

こんな道を通って。

車で戻るとき、途中に、熊襲の穴があったので、寄ってみた。

民話の世界だ。

この中に入ってみた。 ※ 小町の洞窟と似ていた。 少し小さいが。

奥につながっているが、今は行けない。

最後に見たのは、おまけ。 国道223にあったので、龍馬は来ていない。
龍馬とおりょうさんは、ここでの11日間は、のんびりと楽しく過ごした。
魚を釣ったり、鳥を撃ったり。
一番幸せだったときのようだ。
龍馬が再度襲われるのは、次の年の12月。 あと1年半だ。
二人は、この後、霧島温泉に向かい、高千穂に登る。
今回の続きのブログは、高千穂に登るときに書きますね。
【停泊場所】 同じです。 AZ駐車場。
【明日の予定】 時間があれば、真幸(まさき)駅に。 以前、ブログに書いたことがある。
【ブログランキング】 4位です。

どこも、陽だまりのような暖かさでした。
猫は外で日向ぼっこです。 こたつはいりません。
昨日の続きを、日当山温泉まで歩いてみました。 龍馬のハネムーン・ロードです。
その道は、ちょっと遠回りして、山の麓にある鹿児島神宮に寄っていました。
隼人塚の駐車場は、休みのため使えない。
市の体育館でしょうか、そこの駐車場に停めた。
駐車場の出入り口の工事をしていた。
市の関係者と、工事の人から、道のことなど、情報をたくさんいただいた。

用水に沿って、道はあった。 鹿児島神宮に、まず向かった。

現在地は、隼人の街外れ。

龍馬とおりょうが歩いたのは、1866年4月30日。 天気は晴れ。



お地蔵さんも、少しまぶしそう。 最近、いい表情の地蔵さんに出会います。
子どもに大きな声を上げることは、決してない。 そんな表情。
現実の世界にも、そういう人は、いますね。 ※ そうでない人が、多いですが。

※ いつ建立したかの確認を忘れました。
道標が、時々ある。

用水のためのトンネル。 崩れないように、穴を二つにした。 名前は「鼻んす」。 用水の名前は、宮内原用水。

この用水は、龍馬が来たときには、あった。
桜の花のつぼみは、まだ膨らんでいない。

鹿児島神宮まで、あと少し。
この神宮は、どうしてここにあるのでしょう。 鹿児島市内でなく。 高千穂に近いからか?(調べても分からない)

西側の入り口から入った。


勅使殿。 この後ろに拝殿。 さらに、本殿がある。
龍馬とおりょうも、同じものを見た。

いちばん左が、勅使殿。

大きな建物が、本殿。 県内で一番大きい、木造建築。

鹿児島神宮はは、神社の言い伝えでは、「神武天皇の時に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされている。
でも、「あまりにも古くてはっきり分からない」というのが実際のようだ。(Wikipediaより)



明るく撮影してみた。

緑は、独特の雰囲気になる。

小さな建物は、いつの時代かは分からなかった。


東照宮とは違う。

拝殿。 右が、拝殿。


古い様式なのか。 他と違う感じがする。

ここの神社は、情報誌には大きく載っていないが、悪くないと思った。(雰囲気で判断。 詳しく評価する知識はない)



現在11にいる。

小さな神社が見えてきた。


車輪も出した。 主翼の後ろの部分も下げた。 着陸の準備完了。

卑弥呼神社ともう一つ。
※ 二つとも、大丈夫かなって、少し不安を。 何が大丈夫かって、それは・・・。


卑弥呼の像。 マンガっぽい。

用水路に沿って、また歩く。 散歩道には、最適。

テントウ虫も踊ってた。

こんな所を。 墓に屋根が。

大分来た。

ここにも小さな神社が。 建物が、崩れそうだった。

西郷どんの宿。 復元したもの。

こんな道を下りて、市街地へ。 もう近い。 鉄道は、肥薩線。(肥後と薩摩)





国道223号線。 急に、にぎやかになった。


日当山温泉に着いた。 温泉宿が、散らばっているのか。 周りには見えない。

少し歩いたら見えた。

龍馬の写真が、年よりくさい。 西郷どんより小さい。
ずっと前から、龍馬の方が、評価は大きい。
※ 間違いなく、その日ここに泊ったかは、確認ができていない。 ここと思われるが。

別の道を通って、戻った。 遠くに桜島。

街の中を通った。 子供たちは、みんな挨拶をしてくれる。 めんこい。

龍馬とおりょうさんも、歩いて戻った。 だから、私も歩いた。
明日は5月という日に歩いているから、今よりずっと暖かく、花も咲いていた。
3月7日に薩長同盟が結ばれた。 龍馬はそれに大きく尽力した。(寺田屋で襲われたのは、8日)
おりょうさんがいて、その満足感があるから、楽しい旅になっていた。
夜の月は、黒いところが見えた。

【停泊場所】 同じです。
【明日の予定】 続きを、もう一日歩く予定。
【ブログランキング】 6位です。

鹿児島から船で来た。 案内人は、吉井友実という人。
1866年4月30日、天気は晴れ。
案内板があった。

大きくなります。

桜島が見える。 鹿児島は右の方。
船は、向こうから入ってきて、右奥に。

黄色の○が、上陸地点。

1日目は、日当山温泉まで。 距離は6~7㌔。
今日私は、途中の隼人塚まで歩いた。
天気が良く、上着はリュックにしまった。

こんな花が。

少し歩いたら、浜の湯。 私はいつもここ。 300円。 焼き芋屋のHさんが教えてくれた。
新しい温泉なので、龍馬は知らない。

道は、ずっと山に向かっている。

Hさんの奥様が教えてくれた。 目立たない場所にあるのに、客は30人ほどいた。

こんなラーメン。

職人の感じの人が、淡々と作っていた。
プライドを表に出しているところは、まだ経験が浅いため、基本的にまずい。
そういう面で、ここはいい。
スープが熱くないという問題はあるが、スープを飲み干したくなるようなラーメン。
道は、時折ゆるく曲がるが、まっすぐ日当山温泉に向かっている。 案内板が。

私が歩くのは、隼人塚まで。

この道は、かごしまロマン街道だ。
龍馬とおりょうは、何を見て歩いたんでしょう。
当時は、見晴らしが良かったから、自分たちが登る高千穂の山が、きれいに見えたでしょうね。
ここから、宿泊する日当山温泉まで、2時間ほど。
朝、鹿児島を出て来ているから、ここを歩いているのは、午後の2時か3時でしょうか。

この写真の目的は何でしょう。 ヒントは空。
そうです。 飛行機です。 鹿児島空港が、すぐそば。 着陸の態勢に入っています。

隼人塚に着いた。


これが、隼人塚。

向こうに、隼人塚史跡館が。

与謝野晶子が、ここに来ていた。

奈良時代前、この辺りには、隼人という部族が住んでいた。
ここは、中央から遠いので、律令政治による税を集める仕組みは、徹底していなかった。
自分たちの決まりの中で、それなりに平和に暮らしていた。

奈良時代に入っても、支配への抵抗は強かった。 713年には、国守を殺す事件を起こした。
そして、720年に隼人の乱が起きた。 朝廷に逆らって戦った。
律令政府は、大伴旅人を大将軍として軍を派遣し、翌年までかかって鎮圧した。
※ 同じころ、坂上田村麻呂は鎮圧のため、東北に行っている。

首を切られたり、生け捕りにされたのは、1400人以上という。

後の世の人達が、死んだ隼人を弔って、隼人塚をつくった。 平安時代後期。

古い書物にも出てくる。 放生会というのは、隼人の霊を弔うための組織、そんな感じか。

隼人が使っていた、楯。 高さ、150㌢。 大きい。

再度。 これが、隼人塚。

後の世に、隼人塚がこうして作られたこと。
町名が、隼人になったこと。
義経や天草四郎と同じで、権力に従順でなく、強いものに立ち向かった人は、人々に好かれる。
ずっと語り継がれる。
隼人族は、戦うための能力が、体力面でも優れていたと考えられている。
隼人の「隼」は、隼(ハヤブサ)ですからね。
※ 隼人塚は、復元されたものですが、本物を含んだ復元です。
隼人塚の発掘・復元によって、隼人に関わる、多くのことが分かったようです。
龍馬とおりょうの歩いた道を、戻った。
桜島は、今日も、噴煙を上げていた。

今、AZにいますが、ここの店は、AからZまで、何でも売ってる。 24時間。
これから九州を動き回るため、再度、体制を整えています。
車の中を、更に使いやすいようにしています。
夜も、店で物を探したりして、ブログを書く時間がなくなり、次の日に持ち越しました。
大きなものの洗濯も、終わらせます。
【停泊場所】 AZの駐車場。
【明日の予定】 今日歩いた先を歩く。
【ブログランキング】 6位です。

【拍手】
島津氏に大事にされていたため、建物が立派だ。
戦いに向かうときは、必ずここに来たという。 例えば、耳川の戦いでも。 耳川の戦いは、ここに。
隼人から、霧島山に向かい、山に登り始めたあたりに、霧島神宮はある。
鳥居の近くにある、観光案内所に、車を止めた。
案内所の隣には、焼き芋屋さんがある。 Hさんがやってる。
昨年5月にも寄り、年末にもお会いしている。
(菊池市のしうさんが、紹介してくれたんだったかな)
焼き芋は、後で食べるが、蜜で包まれたような、これ以上の甘さはないという味だった。
芋の形は、さつま芋にしては丸っこく、写真のHさんの感じだった。 ピッタリです。

近くに、小さな峡谷があった。 川が、下を削った。

太鼓橋を渡って、石段を登っていく。

何の実なのか、分からない。


こんな所を通って。 上まで車で行くこともできる。


坂本龍馬とおりょうは、1866年5月13日に来ていた。
高千穂に登って、その足でここに寄った。

高千穂では、ミヤマキリシマを見たと説明にあった。
下の写真は、昨年5月に、阿蘇山で撮影。

霞んで見えない。 開聞岳も見えるはずなんだが。

ここを抜けたら本殿。

さざれ石。


正月は終わっているのに、まだ人は来ている。 そう言うものなのかな。

龍馬は、この大きな杉の木を見た。
そして、朱い御神殿の建物を見て、奥深いものを感じると、姉への手紙に書いた。

いろんな、おみくじが。

今売っているものは、1年間飾っておいていいと言った。

みんなここで、お参り。 龍馬とおりょうも、140年前に。
私は、少し離れたこの場所から。 手抜き。

龍とかの彫りものはなかった。

吉だった。 油断するなとか、調子に乗るなとか、そんなことばっかり。 細い紐に、結んだ。



それぞれの建物には、意味がある。



隣の方に、美しい建物があった。 祈祷のお願いとかは、こっちに。

来た道を戻った。

太鼓橋の向こうは、お土産屋さん。

懐かしい。 草木塔だ。 喫茶店の名前。
※ 草木塔は、山形で見た。 草や木を大事にする考え。 自然保護の原点。 草木塔の古里。

京都の寺田屋で、龍馬が襲われたのは、1月23日。(1866年)
その3ヶ月後の、4月30日に、隼人の浜之市港に上陸する。
手に負った傷を、塩浸温泉で治療するために来た。
おりょうも一緒だったので、後にこの旅は、新婚旅行の先駆けと言われるようになった。

この霧島への旅は、二人にとって、一番楽しい時だった。
4月30日に来て、5月26日に、浜之市港から鹿児島に戻る。


案内所に戻ったら、焼き芋屋さんは繁盛していた。
1個買おうとしたら、売り切れてなかった。

Hさんが、名水の出る場所を教えてくれた。(途中まで案内)

時々、田の神とかが。 地蔵さんもいっぱい。

普通の人が彫った感じ。



龍の口から水は出ていた。 水量は多くない。 用意した容器に、3㍑ほどくんだ。

戻ってきたら、芋は焼けていた。
こうですよ。 黄金の色で、蜜のように甘い。 普通のとは全く違う。

冬なので、山に入るのはやめました。
龍馬が登ったコースで、いつか、高千穂に登ってみたいですね。
神社は環境がいいので、天気のいい日に散歩すると、気持ちいい。
私のように、信心深くなくても。
【停泊場所】 隼人のAZ駐車場。
【明日の予定】 隼人の街を歩きます。 浜之市港から山に向かって。
【今日の歌】
【ブログランキング】 7位です。

悪くなかった指宿より、ランクは2つ上でしょうか。
メニューは、ラーメンだけでした。
どういう人が、ここのラーメンを美味しいと思うか、見当がつきました。
天気は良く、気温は10度近くまで上がった。
鹿児島市内には、昨日の雪が残っていた。
のぼる屋は、フェリーターミナルに近いので、そこの駐車場に向かった。
あと数㌔の場所に、島津家の屋敷跡があった。


入れる駐車場を見つけて、一安心。 向こうに桜島。

降りましたね。 まだこんなに、雪が残っている。

雑誌の地図を見ながら歩いた。
※ 情報誌のことですが、実は、年の暮れに、たくさん買った。
5月には、1冊の本で、九州を動いていた。
今は、九州だけで、8冊くらいある。
情報を集めるのに、苦労しなくなった。
10分も歩かないで、着いた。 場所は、ここ。
これ以上、古くはならない、という建物。

昭和22年創業。 鹿児島で、もっとも古い。 ずっと昔、一度来た。

8人くらい座れるカウンターと、二人がやっとの小上がり。
その小さな店の中で、6人が働いていた。
お昼時間だったこともあり、ほぼ満席が続いた。
このような、ラーメン。 とんこつだが、博多とも久留米とも違う。
透明感のあるスープ。 和風の味も少しして、しょっぱくない。
塩味が好きで、ゴテゴテしたのが嫌いな人は、きっと好きになる。 そんな味。
モヤシは、大豆のよう。
チャーシューは、脂身がない。 これが好き。
ネギは、輪切りと、バラバラのが。
麺は、極太。 うどんのようだ。
スープは、熱い。

【問題点】 ラーメンをどんぶりに移すとき、お湯を切らない。
ダラダラと垂らしながら、入れる。
その分、スープが水っぽくなってるのは、確か。
ただ、麵の温度が下がらないという、長所もある。
ラーメンは、トッピングが多いので、気持ち悪いと思うことがある。
そういう面で、清潔感のただよう、プロの作ったラーメン。
レベルは、高山といい勝負か。
じゃあ、富公や蜂屋と比べたらどうなのか、ということだが。
蜂屋よりは、1ランク下。 富公よりは、3ランク下。 そういうレベルです。 完成ではない。
そうは言っても、適当な店に100軒入って、のぼる屋のレベルのラーメンに出会うことはない。
そういう美味しさです。
※ コンビニの味に慣れていたら、味は少し薄く感じるでしょうか。
フェリーポート一帯は、観光地になっていた。 水族館もある。 お店もいっぱい。

ドルフィンポートと書いてある。

桜島。 雲なのか、噴煙なのか、わかりづらい。

山小屋というラーメン屋を、偶然見つけた。
知覧で豚汁を食べた店で、教えてくれた。 この次、必ず行きます。 ※ 丁寧な地図を描いてくれた。

今日は、美味しいのが食べられてよかったです。
車の排気ガス関係の部品の取り付けも終わりました。
九州をどのように動き回るかを検討しています。
情報は、たくさんいただいています。
【停泊場所】 霧島市隼人 AZスーパーセンター駐車場
【明日の予定】 霧島神宮 神宮前の焼き芋屋さんにも
【ほかに】 先日、何の花だろって言ってた花が、分かりました。 知らなかったのは、私だけかも。
レンゲソウでした。

歌もありました。 れんげ草(YouTube)
【今日の歌】 思い出の九十九里浜(YouTube) 今年は行けそうです。
【ブログランキング】 10位です。

【拍手】
喜入の低い山も、白くなった。
気になっていた、磨崖仏を見に行くことにした。
昼なお暗い所にあるというので。
下の、丸い実はなんだろう。 直径5㌢くらい。



お昼頃になったら、お散歩日和。

川は海に流れる。 ここの川は、これが当たり前でない。 引き潮のときだけ、海に。

今は、現在地に。 上の黄色に向かっている。

九州でも、雪だるまを見てしまった。 四国でも見ましたね。 花は、少しの雪には、負けない。



向こうは、のどかな山里。 先日行った、旧麓(もとふもと)は、正面奥。 今日は、右の方に上がっていく。

花は、どこにでも。 歩いていても、まったく退屈しない。



ここから入っていく。

こんな標識。 300年前とある。 行く前に、自現坊をネットで調べたが、分からなかった。

写真の真ん中の、暗~い所へ、降りて行った。 雪で滑るので、一歩一歩。

30㍍ほど降りたら、着いた。 右の方から、滝の水が流れている。 小さな滝。

これが、自現坊滝。 川は、渕田川。 この辺りは、渕田。 滝の下の方は、旧麓(もとふもと)
この滝で感動していたら、笑われる。

滝の左の方に、上に行く道があった。 つかまるロープも。

ここに来ても、どこにあるか分からない。 黄色の中にあるんだが。

やっと見えた。 左に。

正面から。 磨崖仏はこれ一つ。

こうです。 ほれ。 いいでしょう。
普通の磨崖仏は、悟りの境地に至った、仏さまの顔だ。 みんな似ている。
きっと、彫るのも楽だ。 見本がいっぱいあるから。

こんな顔を見られるとは、思っていなかった。 良かったですよ。


上の右に、この石像の名前がある。
如意輪観世音薩埵(にょい りんかんぜおん さった)とある。
※ 薩埵は、さったと読む。 求める人のことだそう。 菩薩は、菩提薩埵の略だとも。

如意輪観音について少し。
① 上のように、片膝を立ててるものが多い。
② 手が6本ある。(全部ではないが)
③ 右第1手は、頬に当てて思惟相を示している。
④ 右第2手は、胸前で如意宝珠、
⑤ 右第3手は、外方に垂らして数珠を持つ。
⑥ 左第1手は、掌を広げて地に触れている。
⑦ 左第2手は、未開敷蓮華(ハスのつぼみ)、
⑧ 左第3手は、指先で法輪を支える。

上の標識の説明に、自現という名前がある。 このお坊さんが、滝のあるここを、修行の場所としたのか。




上の方の説明は、下のように岩に彫ってあるもの。
いちばん左は、こう書いてあります。
佛作者 廉府住人 青木清右衛門 ※ 廉府は地名と思うが、調べても分からない。
ここで、刀を作ったのは、中村清右衛門。 青木と、中村の違い、関係ないだろうな。
300年前のものが、この状態で残るのは、珍しいことのようです。
左に行く道があったので、行ってみた。
読めません。 ※ だれか、教えてください
この後、戻った。
少し遠回りして、戻った。
ある家で、おばあちゃんが庭にいたので、話した。
先日も見た、大根の干したもの。
これなら軽いので、人にあげることができるそう。
ここは暖かくていいねと言ったら、夏暑すぎると言った。
また、野菜食べたら健康になるねと言ったら、ばあちゃんは、
野菜だけ食べてもまずいといった。
肉や、魚といっしょでないと、って。
上着の上に、さらに3枚ほど上着を着ていた。 上着の前は、すべてはだけていた。
最後に、大根とさつまいもをいただいた。
左は、おばあちゃんの家。 突き当たった下が、滝。
こんな坂を戻った。
1本の木に、食べきれないほどなる。 大きいミカン。
実もきれいだ。
たかがところてん、されど、喜入のところてん、とあった。
たかがところてんと、言わることがあるんだな。
イカの餌になる、ボラの子供。 投網で捕まえた。 満ちている。
いただいた大根を煮て食べた。
圧力鍋の中に、小さな鍋を入れて作る。 あっという間にできる。
磨崖仏は、陽の当らない場所にありました。
そのために、保存状態が大変良いものでした。
いかにも仏像、という表情ではありませんでした。
それが良かった。
見に行った甲斐がありました。
【道の駅】 喜入
【明日の予定】 隼人に
【ブログランキング】
暖かいはずの九州が雪です。 こんな雪は、4年ぶりだとか言って。
だから、寒い。 暖房が要ります。
ところが、よく考えたら、大した寒さではない。
雪は降っても、すぐミゾレになる。
北海道の、マイナス10度の、ガーンとしたシバレとは、全く違う。
今、車の中は20度。 暖房切ったら、何度まで落ちるか試してみましょうか。
見学の時間はなかった。 写真を少し撮っただけ。
今日はずっと、南九州市の、頴娃(えい)町にいた。
※ 変わった字だ。 頴は、稲や筆の穂先の意味。 これだけで、えいとも読む。
娃は、エイ、アイと読むそう。 美しいという意味。
会社の前に駐車。 車の中から、開聞岳を撮影。 雪が降ってきた。
ウイルスゼロを入れ終わったのは、午後の2時だった。
間違いなく機能しているかを、何度も確認。
この後、ケーズデンキに戻って、支払いをして終了。(ケーズデンキを通したため)
※ 今度調子悪くなったら、直接頼む。
パソコンの調子は、いいです。
今後は、ビールをかけないように、物を落とさないように、そういう事にも注意して、大事にしないと。
これで、一安心。 うれしい。
鹿児島の風景は、白いという。
霧島の隼人のトヨタには、電話した。 行く予定だったが、行けないと。
一昨日までいた、喜入に戻った。
今泉の街の中。 高校生が駅から出てきた。 駅は、左に。
右前方、海の近くに、篤姫の育った、今泉島津家の別邸があった。
※ 昨年5月のブログに。 明日動けなかったら、再度行ってもいいんですけどね。
喜入が近付いた。 大きなタンカーが見えた。 それを撮ったはずなのに。
この食べ物が、気に入っている。 鶏肉の刺身。 ニンニク又は、ショウガ醤油で食べる。
これで、風邪が治った。 結局、薬は飲まなかった。(無かったから)
車の中は、まだ15度はありますね。
電気が少なくなったら、エンジンをかける。 暖房はそれ。
電気があったら、FFのストーブ。
この寒波が去ったら、九州の海岸沿いを動きます。
車のことは心配してないので、これで一安心。
歌を探しながら、一人で乾杯します。
【道の駅】 喜入
【明日の予定】 隼人に向かいます。 行けなかったら、この辺り。 篤姫をもう一度も、いいかな。 磨崖仏もまだ見てない。
【今日の歌】 雨の嵐山(YouTube) 冷たい雨の季節が終わったら、春。 デビュー曲。
CALENDAR(YouTube) 今年、この人の歌を聴けるかな。 あまく澄み切った声を。
わすれ雪(YouTube) 消してほしいものって、何かな。
【ブログランキング】 7位です。 ずっと10位以内にいます。 感謝。
【拍手】
取り合えず、見通しは立ったが。
今は、想像つかない場所に来ている。
パソコンは、午後11時前に受け取った。
【車について】
私の車は、3000のジーゼルエンジンだ。
排気ガスの規制が厳しいため、煤(すす)を燃焼させる。
最近、この近辺にいるから、たくさん走っていない。
電気が無くなったら、エンジンをかける。 回転数は、低い。
そのことが影響したのか、うまく燃焼できなかったようだ。
鹿児島トヨタの指宿店で、元に戻してもらった。
同じことが続いたら困るので、今日のような警告灯が点いたら、強制的に煤を燃やす装置を付けることにした。
霧島市の隼人にある、鹿児島トヨタに部品を頼んだ。
明日3時までに行く。
雪模様なので、行けないかも知れないが。(その時は、連絡)
この車のエンジンは、素晴らしいと思っている。
重い車体を、無理なく引っ張る。
エンジンの回転数だって、軽やかに上がる。 唸りをあげることは、ない。
今後、トラブルが無いことを願うかな。
※ 以前乗ってたサーフは、20万㌔故障なしだった。
【パソコンについて】
VISTAの調子が悪かったり、順調な時が少ない。
ウイルスゼロが、ちゃんと機能しない所に問題があった。 自動的に更新しない。
ケーズ電機もお手上げ。
専門の業者に頼んだ。 今日は、解決しなかった。
明日、パソコンを空っぽにして、やり直しするそうだ。
その業者の事務所は、どこにあるかというと、南九州市のこの辺り。
明日から数日間、霧島市にあるAZにいようと思う。
ここで、パソコンや車について終わらせる。
終わり次第、動き回ります。
これからは、旅の環境が整っていたら、それだけで幸せと考えないとだめだな
【停泊場所】 上の地図の近くです。 業者さんが、丁寧に教えてくれました。
【明日の予定】 パソコンが直り次第、隼人へ。
途中、鹿児島でラーメンを食べる余裕があるか。
パソコンを修理している間、この辺りを見学するかな。
【ブログランキング】 6位です。

【拍手】
夕方、誘われて、車の中でお酒を飲み始めた。
旅のビデオを見た。 クマが登場するのも。
食べ物がなかったので、私は、近くの店に行った。 刺身とお寿司(海苔巻き等)を買った。
それを持って戻った。
ワゴン車のドアを開けたら、その父さん寝てた。 私に気づき起きたが、
「あんた、だあれ。 どこの人」って、やさしく言う。 寝ぼけている。
こりゃダメだ、と思って、車に戻り一人で食べてた。
少しして、さっきの父さんがやってきた。 ごめん、ごめんって。
そんなことがあって、9時頃まで飲んだ。
日本酒ばかり。 飲み過ぎて、ブログどころではなくなった。
喜入の昔の中心地を歩いた。
そこは、少し山に入るが、土地の歴史に詳しい人が案内してくれた。
その人には、偶然出会った。
磨崖仏と滝があるので探した。 昼なお暗いとあったので、それが魅力。
昔、街道だったと感じる道に出た。 家並みの雰囲気もいい。
土手の向こうに、花がのぞいていた。

私は、ここには、山の上の方から、入ってきた。
墓地があった。

こんな説明板が。 江戸時代の初め頃までは、この辺りが、喜入の中心地。

場所は、この辺り。 地名は、旧麓(もとふもと)。

梅の花でいいでしょうか。

家の庭が立派だ。 知覧の武家屋敷の庭に似ている。 ここは、知覧に近い。

塀があったら、住んでて安心するのでしょうか。
この辺りで、交通整理をしている人に会った。
磨崖仏はどこなのか、聞いた。 こう言った。
この道を下りて行ったら、看板があって、その向かいに詳しいお爺さんがいると。

ぶら下がっている黒いのは、何でしょうね。

ヘラと、すりこぎを持ってますね。 どうしてだろう。
池田湖の地蔵さんも、頭の上はこうだった。

上の写真を撮って歩いていたら、自動販売機があった。
何かを買おうとしている、お年寄りがいた。
磨崖仏について聞いてみた。 この集落についても。
今会ったばかりなのに、案内してやるという。
磨崖仏ではなく、この地域の珍しい所のようだ。
歴史に詳しいので、交通整理の人が言ったのは、この人だと思った。
明治の前まで、向こうに寺があったそうだ。

薄い大根が干してあった。 漬物にする。

山の斜面を20㍍ほど登ったら、ここに着いた。
下の寺から、ここに運ばれたそうだ。

明治の初め、廃仏毀釈で、仏像は粗末にされた。

このように、首のつながってるのは、珍しいと言った。

寶暦十年と書いてある。

お爺さんは、ずっと説明しながら、歩いた。
私が言った磨崖仏のことは、忘れているようだった。
それでもいいかなと思って、説明を聞いていた。
あの山の上に、城があった。 薩摩には、外城と言われるものが、たくさんあった。(30位か)

知覧の武家屋敷の通りに、少し似ている。

こんな飾りがあっちこっちに。

これは、水を引いてつくった川。 きれいな水が流れていた。

黒いのは、カワニナ。 ホタルの幼虫の餌。
お爺ちゃんは、鯉を飼ったら、カワニナを食べるので、飼ったらダメだといった。

家においでって言うので、少しだけ、お邪魔した。
武家屋敷の庭だ。
※ 実は、おじいちゃんの家は、知覧のブログで、最後に出てきた西郷家と親戚だった。

珍しいものも、いっぱいあった。
お爺ちゃんは、歴史も詳しいし、木彫りもやってた。
お爺ちゃんの祖父は、西南戦争の生き残った一人だった。

磨崖仏を見に行こうと思ったら、雨が降ってきた。
車の所まで、傘をさして送ってくれた。
お爺ちゃんにとって、私はちょうどいいい話相手だったようだ。
お爺ちゃんのペースではあったが、面白かった。 聞き取れない部分も多かったが。
通りがかった人は、みんな挨拶してくれる。 子供も。
お店で会う人たちも、やわらかい。
九州の良さを、人に会うたびに感じますね。
【道の駅】 同じです。 喜入。
【明日の予定】 車の排気の警告灯がつきました。 指宿の鹿児島トヨタに行ってきます。
ウイルスゼロを入れたのに、更新ができない。 ケーズデンキにも。
【ブログランキング】 7位です。

畑の準備をしている人がいました。
途中、セーターだけで歩きました。
土地の人が、この暖かさの中で、何を春と感じているかは、聞けませんでした。
それから、フキノトウが見つからない。 これが不思議。 暖かいのに。
ここが、道の駅喜入。

八幡川。 真っ直ぐ行くと、駅がある。

喜入町は、今は合併して、鹿児島市喜入町。 古い文書には、岐比禮(きいれ)とある。
トウガラシ。 赤・黄・緑が混ざって。

メジロ。

確かに、目の周りが白。 スズメよりずっと小さい。 かわいい。

サザンカ。 どこにでもあった。

一輪だけ、燃えるように咲いていた。 (その花は、私ですって、誰か言わないかな)

喜入駅。 縁起のいい名前で知られているそう。

こんな実が。 何の実だったかな。

枕崎・指宿線。 北海道と違って、どうしてローカル線が残ったのか。



途中の小さな丘に、刀匠玉置家の墓があった。
徳川吉宗の享保の時代、玉置安代(やすよ)は、幕府に招かれて刀を作った。 そんな説明があった。
ここ喜入は、砂浜が黒く見えるほど、砂鉄が取れたことと、薩摩は武士が多かったので、刀鍛冶が発展したようだ。


里山の雰囲気のところを歩いた。 山の向こうは、知覧。 私は、左に歩いてる。

猫が、向こうから。

平均台の上を歩いている。 そんな歩き方。

刈り取った株から、イネが生えている。 花も。

この時期の花は、これが中心。

煙があって人がいたので、向かった。

草の枯れたのを燃やしていた。 ちょうど終わったのか、この後バイクに乗って行ってしまった。

小さな鉄橋。 向こうは、指宿。 今日は、指宿で菜の花マラソン。

人に慣れてて、逃げない。

鯉はどこにでも。

恋はどこにでも。

カワセミ。

投網。 イカを釣るための、小さいボラを狙っていた。
ボラはいなかったけど、見せてくれた。 投げたら、円くなる。
上手ですね。

こうです。

小さなフグ。 目が緑。

再び、カワセミ。 一度川に飛び込むと、すぐに飛び込まない。 しばらく毛づくろいをする。

こんなのを見ながら、戻った。


何の花でしょうね。

少し開いたら、こう。

何の情報も持たず、歩いてみました。
暖かかったら、散歩の感じだし、遠足のようでもありました。
今日くらいの所を歩けたら、観光地よりずっと面白い。
天気のいい日は、どこかを歩く。
悪い日は、仕方ないから、観光地を見る。
それがいいかも知れない。
【道の駅】 同じ
【明日の予定】 もう一日ここに。
【ブログランキング】 7位です。 感謝。

【拍手】 拍手とブログランキングは、別ですよ。
今日は、鹿児島市内に入る予定でした。
でも、朝起きたら、風邪気味でした。
こじらせたら大変と、食事をしてまた寝ました。
知覧が寒かったのと、睡眠と食事が、てきとうでした。
目の前に、大きな石油タンクがあるので、そのことについて少しだけ書きます。
ここの石油(原油)タンクは、鹿児島湾の中で目立つ。 遠くからでも見える。
名前は、新日本石油基地。
ENEOSの石油だ。
ここまで、30万㌧クラスのタンカーで運んでくる。 ここからは、10万㌧のタンカーで日本各地に。
タンクの直径は、100m程。 野球が出来る広さ。
全国で使用する、2週間分が貯蔵できるそう。
いつもマンタンではないが、500万キロリットルはあるそうだ。
この量は、どのくらいか。 こうだった。
日本人全員に、18㍑が、二つ。
石油は、最後は、タンク車で運ぶ。
もし、タンク車が、自分の積んでるガソリンを使いながら走ったら、どのくらい走れるか。
この前、タンク車の後ろに着いた時、計算した。
そうしたら、地球を1周出来ることが分かった。
私は、1日に1500円位の軽油を使っている。
夕方、近くのスーパーに買い物。 途中で撮った。
何の鳥でしょう。
ツバキでいいかな。
小さいのは、キンカンで良かったのかな。
これはミカン。
そう言えば、スイセンの花が小さかった。 ピンポン玉より、少し大きい感じ。
私の悩みは、この後1ヶ月ほど、どう過ごすかだ。
隼人のAZで、本を読んで温泉に入って、のんびり過ごすか。
もう一つの案は、海岸沿いを長崎に向かうか。
のんびりしたいとも思うんだが、それは無理かな。(理由は、別の機会にね)
明日は日曜日で、熊本の、のぼる屋が休み。 (※ラーメン屋)
もう1日、ここにいる。
知らない町を歩いてみたい、って旅に出た。
でも、知らない町なら、どこを歩いても楽しいかったら、そうでもない。
例えば、バイパス沿いに出来た、大型商店の集まった地域を歩いても、つまらない。
すっかり寂れてしまった商店街も、これもちょっとだ。
新興住宅街だって、つまらない。
歩いて面白いのは、
少し歴史があって、人がそこで生きている。 そんなのを感じさせてくれるところかな。
商店街でも、里山でも、港でもいいから。
明日、ここ喜入を歩いてみる。 どこかには、いい所があると思う。
春を探してみる。
春だから咲いてるのか、冬だから咲いてるのか、はっきりしないが。
何を見て、土地の人は春を感じるのか、聞いてみるのがいいかな。
今日は、早く寝ます。
【道の駅】 喜入
【明日の予定】 小さな、何かを発見しますよ。
【今日の歌】 遠くへ行きたい(YouTube) ジェリー藤尾です。 ちゃんと聞いてみたら、よかった。
愛の終着駅(YouTube) 本田美奈子です。
【ブログランキング】 7位です。
飛び立って、戻ってきた人はいるのか。
このことが、最後に知りたかったことだった。
一昨日、平和記念館では、分からなかった。
それが、今日、2件知ることが出来た。 歴史に埋もれていると思っていたが。
色々調べていたら、このことについて、NHKで番組を作っていた。 2007年に。
知覧の街の中。 少し行った左手に、富屋食堂。 少し見える。 ※ 武家屋敷は、後方左に。
この辺り、いろいろ。
こんな鳥が。 水面に、時々何かを捕りに行く。
麓川。
見えました。 右隣は、富屋旅館。 昭和27年に、遺族を泊めるために建てられた。
富屋食堂は、特攻の母と慕われた、鳥濱トメさんの食堂。
当時の場所に、資料館として復元した。(名前は、ホタル館)
映画「ホタル」の舞台にもなっている。
これについては、右を読んでください。 映画「ホタル」については、ここに。
昔の富屋旅館。
中の展示は、こんな感じ。(パンフレットから)
トメさんは、特攻の母と呼ばれた。
戻ってきた話し①
昭和20年4月29日、安部正也(21)が知覧飛行場を飛び立った。
ところが、エンジンの調子が悪い。(珍しいことではなかった)
黒島に不時着した。 場所は、ここ。
そうしたら、その島には、もう一人不時着していた者がいた。
名前は、柴田信也。 柴田は、大やけどを負っていた。
安部は、このままでは柴田は助からないと考え、島の若者(安永克己)に船を頼み、開聞岳目指して30時間漕いだ。
二人は、富屋食堂に来た。 安部は、長い髭を生やしていた。
トメさんは、床屋を呼んでやった。
それが終わると、安部は、
「ありがとう、おばちゃん。 明日、福岡まで飛行機を取りに行かなければならない」
って飛び出していった。
そうして、5月4日。
黒島の上空を、何回も旋回する飛行機があった。 低空で。
落下傘で、火傷の薬や、医薬品を落とした。
それが終わったら、真っ直ぐ沖縄に向かって飛んで行った。
黒島で助かった、柴田と言う人は、戦後何回も黒島や富屋食堂を訪れた。
(S.63年に68歳でなくなっている)
戻ってきた話②
川上勉という男がいた。 彼女がいた。布施綾子。知覧にも来ている。
川上は、知覧を飛び立って、2度戻った。(最初は、5月11日)
卑怯者と言われ、知覧の街でも噂になった。いろんな制裁も受けた。
試験飛行をさせられた。(訓練のようなものか)
5月30日だった。
彼は、故郷の隼人に向かった。
そして、上空を何回も旋回して、近くの畑に墜落して死んだ。
当然、特攻の名簿にはない。
この話で何が分かるかと言うと、
・普通の人たちも一緒になって殺していたということ。
・決意は固まっていなかったこと。
※ 希望した段階で、決意は固まっていたと思っていたが、どうもこの希望自体があやしいものだった。
半強制的だったことが、調べたら分かった。
もちろん、形は希望ですよ。
トメさんは、こう言ったそうだ。
「二度と繰り返してはならない」と。
もし特攻を賛美していたら、上の言葉は、ウソになる。
でも、この資料館は、戻って来た人のも展示してあった。
このことで、トメさんの言葉は、トメさんの本心だと言うことが分かった。
下の写真は、全員名前が分かっている。 2名だけ書くと、
子犬を抱いてるのは、荒木幸雄(17歳) その右は、高橋峯好(17歳)
どこの浜でしょう。 無理して死ぬなって思う人は、いたのでしょうか。
戦後の、トメさん。 祈りの日々を送った。
帰還した人の話があります。 ここに。
そこに、何を展示しているかで、そこの施設の考えが、そっと分かってきます。
知覧の最後に、ホタル館に行って、よかったでしょうか。
【道の駅】 喜入 ここです。
【明日の予定】 鹿児島かなと思っています。
夏のように、動けないのがこまる。 拠点が必要か。 隼人のAZにするとか。
【今日の歌】 白い花・心の花(YouTube) 山崎ハコです。
【ブログランキング】
だから、地名が知蘭だった。
その後、佐多氏。 ※ 佐多岬の佐多か。 調べてない。 ※ 追記 そうだった。
そのあと、島津氏が関わり、佐多島津氏となって、知覧を治める。
佐多島津家は、島津家の分家。 篤姫の、今和泉島津家も分家。
今の武家屋敷や街並みは、享保年間につくられた。(島津久峯の統治下のもとで)
大まかな歴史は、上のようだった。
※ 知覧町は、今は南九州市に含まれる。 市役所は知蘭に。
大きな武家屋敷が、一つあると思っていた。 伝建地区の中に。
違った。 いっぱいあった。
つまり、武家屋敷が集まって、伝建地区を作っていた。 (※重要伝統的建造物群保存地区)
入り口で、500円。

ここは、見るためには、500円プラス駐車料がかかる。 初めてかな。
大内宿や、妻籠などは、駐車料金だけ。 関宿は、駐車料もなし。(建物に入るのにお金はかかるが)
大内宿が一番上手かな。 来てもらうことを最優先に。
安い駐車料金で、楽しい雰囲気の中で、気持ちよくお金を使ってもらう。
最初に、ここで食事をした。

100年以上の古い家。

結局、ラーメン。 知蘭では、どこに行ってもお茶が出てくる。

見学できる武家屋敷は、7件。

庭園の見学。 屋敷の中はできない。 池があったのは、ここだけ。

休憩所の隅っこの花。 黄色い梅ってあるのかな。

武家屋敷だから、守りの意味もあって、向こうまで見えない。

石垣の上に、生垣が。 中は見えない。



お茶の木も植えてるとあった。

灯りをともすのか。

団体客は、いそがしい。 1か所5分くらい。

みかん。

門を入っても、必ず曲がる。 7軒うち3件が、佐多の苗字だった。


どこも枯山水。(池のあるところ以外)

石は重い。 運ぶの大変なので、こう。


下の写真は、何を撮ったと思いますか。 答えは、木枯らしです。
通りを、枯れ葉が、吹き抜けた風に飛ばされた。



島津藩は、武士団を鹿児島に集めなかった。 知覧は、知覧城を中心として、島津藩の外城だった。

石を割って運んだ。 石屋さんが石を見たら、どっちに割れるか分かるそう。

団体客のガイドさんの説明を聞いた。


少しの花でも、あるといい。

メダカは、寒くないのか。



知覧型二ツ家。 2軒がくっ付いたような家だった。


別の家に。


ここは、花や実が目立った。


茶畑のよう。



梅の花のつぼみが、ふくらんでいた。

一輪だけ咲いていた。 こういうのを見ると、いいことがありそうな気がしてくる。

今までとは、全く違う伝建地区でした。
庭に興味があると楽しいでしょうね。
私にとっては、まあまあですね。 雰囲気がよかったでしょうか。 通りの。
【停泊場所】 前日に同じ
【明日の予定】 知覧をあと少し見て、離れます。
【ブログランキング】 8位です。

平和会館の目的は、平和に寄与するとなっていました。
本当にそうなのかも、知りたいことでした。。
こういう所を見るのは、難しいです。
知覧は、少し高いので、寒い。
歩いていたら、豚汁が売っていた。 おにぎり付きで、400円。
入った。 (この写真は、食べ終わって撮影)
店に入って、それを注文した。
おにぎりは、売り切れたという。
※ 私が店に入った時、店の二人は、何かを食べていた。 それを見てたので、
おばさん達二人で、みんな食べちゃったんでないの、と私は言った。 みんなで笑った。
さっそくお茶を出してくれた。(ここは、知覧茶で知られている。 そんなこと○○○って言わないでくださいね)
一口飲んで、私はこう言った。
知覧茶って、温(ぬる)くして飲むんだ、って。(こういう時、私は意地悪)
店の人は、驚いて、
あっ! 今ポットに水を入れたんだ、と言った。
何度も、ごめんねって、あやまった。 また、笑った。
お詫びにと言って、ご馳走してくれたのが、左の海ぶどう。
※ これは海藻。 グリーンキャビアとも呼ばれ、高いもの。
出された豚汁は、具だくさんだった。 これもサービス。 美味しい。
体も心も、すっかり温まった。
特攻平和会館の庭に、こんなのが。
飛行機は、映画で使った物だったか。 高倉健・田中裕子主演の映画。
ここが、知覧特攻平和会館。 場所は、ここ。 この辺り一帯が、飛行場の跡地。
広い所だった。 展示物の多さに驚いた。 多くの人が来ていた。(会館内の写真は、パンフレットから)
一人一人の写真と、手紙や遺書があった。
昭和20年3月、アメリカ軍は沖縄に上陸してきた。 知覧は、本土最前線の特攻基地となった。
ここから沖縄に飛び立って死んだ若者は、1036名。
全員の写真があった。 そして下のような遺書も。
私が多く見た遺書は、パンフレットとは少し違った。 手紙のようなのが多かった。
本当は死にたくない、という内容のもの探したが、なかった。 それに、似た物も。
喜んで死んでいく感じだ。
会館の人に聞いてみたら、こうだった。
ここに来た若者は、希望して来ていた。 希望する段階で、死は覚悟していた。
死を覚悟していたとしても、笑って死ねることが、不思議だ。
私は、行間を読むしかないと思った。
こんなのがあった。
たくさん貰ったお手紙は、みなポケットに入れて持っていきます。
お守り袋(お人形の寝ている)も、忘れずに持っていきます。
コリントも、もう出来なくなりましたが、これからは、兄ちゃんはお星様の仲間に入って、 ※ コリントはゲームの名前。
千鶴ちゃんが立派な人になるのを見守っています。
泣いたりなどしないで、朗らかに笑って兄ちゃんが手柄を立てるのを祈って下さい。
御父さんや御母さんの言いつけを守って、立派な人になって下さい。
さようなら。
三月二十五日 正文 千鶴子ちゃんへ
(安原正文 24才 高知県高知市 )
一つの文の後に、文を続けようと思ったら、いくらでも出来る。
でも、書いてない。
一番若かった人は、17歳。
ここに来たのは、だれもが志願してきた。
だから、無理やり行かせたのではない。無理やり死なせたのではない。
こういう考えがある。
でも、これで、分かりましたとはならない。
教育の恐ろしさだ。
志願したくなるように、教育されていた。
戦前の教育はこうだった。
教育された方に罪はないから、この若者たちを、何らかの形で批難することはできない。
国のためと考えても、それが、親兄弟につながると考えたのだから、立派かもしれない。
今の社会に生きていたら、住みよい社会をつくるために活躍したと思う。
でも、私は、立派だなと思うより、不幸な時代に生きたと思う。 かわいそうだと。
ここの平和会館は、ある面美化している所がある。
じゃ、どう考えればいいかだが、こう思う。
美化するのではなく、死を無駄にはしない。
若者に、自ら死を望ませるような社会を、再びつくらないと。
※ 一方的に侵略されて、死を覚悟して、家族や友人、そして国を守るのとは、特攻隊は全く違う。
国が、この若者たちを殺したように思う。
服装などの展示も。
映像やガラスケースの中の展示もあった。
本物。 復元ではなく。
この笑顔が消えていった。 ひどい世の中だ。
この戦術を考えた人間がいるのだが、高いレベルの知的な戦術ではない。
出撃前の写真。
賛美するということは、責任が曖昧になるようにも思うかな。
寄せ書きを書いている。
出撃前。
出撃前夜。
飛行機に乗る直前に、別れの杯。
出撃を見送る女学生。 特攻隊の世話をした。 なでしこ部隊と言われた。
離陸して高く上がったら、3回翼をふって別れを告げた。
会館の人に、開聞岳に向かって飛んだかを確認した。
まっすぐ、沖縄に向かったそうだ。 すぐに、左手に開聞岳が見えてくる。 この山がいつまでも見えた。
2時間余りで、沖縄に着く。 あと2時間の命だ。
この女の人は、富屋食堂の、鳥濱トメさん。 特攻隊員の母と慕われた。
この人がいて、映画ほたるは生まれた。
特攻隊員が寝泊まりした、三角兵舎の中。
若い顔の子がいる。
悲しい笑顔に見えてくる。
平和会館は、事実を見せて、あとは見た人に判断してもらうと言った。
ところが、事実の説明や、パンフレットを見ると、事実だけでないことが分かる。
戦前の教育は、国にために死ぬことは教えても、平和を教えてはいなかった。
だから、下の文は少し変だということになる。
建物の外から、飛行機を撮影。 外にあった飛行機。(本物ではなかったかな)
平和に寄与すると、抽象的に言ってもダメ。
どのように寄与するかを、はっきりさせないと。
二度と戦争を起こさないとか、あのような若者を再び生み出すことはしないとか。
生み出した原因を、自信をもって来る人に伝えるとか。
今は、ただの観光施設。
考え方一つで、ここから抜け出せるのに、と思いました。
※ ただ、このことは期待しても難しいかもしれない。
あの戦争は正しかった、仕方ないとか、そんなのが、ある部分見え隠れしていたから。
今日は少し固い話になりました。
でも、大事なことなので、たまにはいいですね。
春に広島に寄って、ここと比べてみたいと思います。
【停泊場所】 平和会館の近くの駐車場。
(役場に聞いて確認。 駐車していい場所はないが、大丈夫ですよ、と言う感じ)
【明日の予定】 近くの、武家屋敷。 伝建地区ですよ。 今までのと、どこが違うでしょう。
【今日の歌】 さとうきび畑(YouTube) 森山良子です。 いいですよ。
終止符(YouTube) 白紙の行がそこにあるって。
【ブログランキング】 7位です。
世界一と言うが、本当なのか。
その辺りが知りたくて、行ってきました。
また、池田湖の辺りは菜の花がいっぱい咲いてると、京都で一緒だった寅さんがメールをくれました。
※ 毎日のように、情報をくれます。 助かるんですよ。
どこもここも、菜の花でいっぱいだった。
どうしてこんなに、熱心に植えるのか。
それは、今度の日曜日に、菜の花マラソンがあるからだ。
スタートは、ここ、なのはな会館で、ゴールは近くの知林ヶ島が見えた浜。
池田湖をまわって、戻ってくる。 私が今日走ったコース。
1年で、最も早いフルマラソン。(全国で)
マラソンコース。

ここは、池田湖パラダイス。 観光客がいっぱい。
大うなぎがいる。

菜の花の向こうに池田湖。 その向こうに開聞岳。
一度登ると、親しみを感じるんですよ。

左の方は、こう。

池田湖パラダイスには、大きな水槽があった。

これが、大うなぎ。 大きさは標示していない。 1m30㎝くらいか。
私の携帯は、これ。 ラーメン撮るときに使う。

こんな顔。 肉食だから、魚でもカニでも何でも食べる。
ここでは、詳しいことは分からなかった。 聞いたんだが。

そとに、イッシーの像があった。 昭和53年に騒がれた。 大うなぎかもしれないと言われている。

庭園があったので、見に行った。

少しだけ花があった。 植えたんだろうけど、勝手に生えてる感じだった。

この花、一個だけ。

自分の力で咲いてる感じがする。 それがいい。

スイセン。 年前から咲いていたということか。 春、雪が解けて、真っ先に咲く花だと思っていたのに。

適当な庭だから、なおいい。 蕎麦の花のような白。

※ 蕎麦の花。 雪のような白さ。(昨年9月17日に、手這坂に行った時)

石像があった。

私が寒かったから、地蔵さんも寒そうに見えた。

池田湖の方に行った。 ここにもイッシーの像が。
魚群探知機で探したそうだ。 でも、見つからなかった。
背中のこぶが見えたそうだ。 こぶとこぶの間は、5mくらい。
※ こぶが、うなぎだったかもしれない。 たくさんの人が見ていた。
今の技術なら、分からない訳はない。
いないから、分からないことにしていると思う。

世界一と書いてありますよ。 当然、世界一大きいと読み取る。

大きいのがいましたよ。
長さ170㎝。 胴周り60㎝。 重さ20㌔。
※ ちなみに、コーラ1.5㍑の周囲は、30㌢。 胴周り60㎝の直径は、19㌢。

こんな顔。

これは、少し小さい。 150㎝くらいか。

ここは、ボート乗り場。 私は乗らないが、いろいろ聞いた。教えてくれた。
① どうして、ここのうなぎは大きいのか。
オオウナギだからだよ、と言った。
大うなぎは、オオウナギだった。 それ以上のことはなかった。 温泉が湧いてるとか。
オオウナギは、ウナギとは、別種類。(このことは、知ってはいたが)
② 池田湖のオオウナギは、他より大きいのか。
変わらないと言った。 オオウナギだから、大きいだけと。 謙虚だ。
※ 調べてみたら、オオウナギは、九州以北では、滅多に見られない。
他の地域の大きさを調べたら、池田湖より大きいのはいなかった。
③ どうして世界一なのか。
大きさが世界一ではなくて、オオウナギ自体が、ウナギの中で世界一の大きさだと言った。
どこのオオウナギも、一緒だと。
そして、こうも言った
ここのように、湖に沢山いるのは、ここだけだと
もし、世界一と言えるなら、このことにすれば、と思った。
謙虚なので、話に信頼が出来る。
④ 今まで見た一番大きいのは。
一昨年死んだ、体長190㎝と言った。
⑤ どうやって捕まえるのか。
はえ縄。 生きたニジマスを餌にして。
今は、天然記念物なので、捕獲は出来ないと。 ※ 許可が必要。 観光用に。
話していたら、客が来た。 ボートに乗って行った。

この鳥は、オオバンという鳥。 10月から3月までいるそう。

世界一のうなぎは、ここだけではない。

開聞岳の近くを通って、戻った。
おばあちゃんが、こんなのを押していた。

池田湖の大うなぎは、他と一緒のオオウナギだった。
でも、他よりは大きかった。
オオウナギ自体が、珍しいから、観光用になっていた。
※ どこにでもはいないが、それなりの数がいるため、環境省レッドリストには入っていない。
今日、ちょっと残念なことがあった。 車のソーラーパネルを、一つ痛めた。
でも、昨日今日といいことがあったので、元気は、目減りしていない。
明日から、指宿を離れて、新天地に向かいます。
【今日の停泊場所】 なのはな会館駐車場。
【明日の予定】 知覧。 ○○○と言わないで、ちゃんと言います。
特攻隊関係の他に、伝建地区もある。(重要伝統的建造物群保存地区)
【今日の歌】 仰げば尊し(YouTube) 再度です。 ギター。 だまされたと思って聞いてみて。
【ブログランキング】 6位です。

どうだ、少しも動けまい。
砂は、そのように乗っかってきた。 重さは想像以上のものだった。
指宿には、たくさんの砂むし温泉がある。
山川砂むし温泉は、海と開聞岳が見えるので、ここにした。 ※山川は、やまがわ、と読む。
開聞岳。 元旦に登った。 寒かった。
右の方から、こっちに回り込んで左に行き、向こう側から頂上に上がった。
※ 温泉の駐車場から撮影。
反対側は、こう。 ここが、山川砂むし温泉。 (詳しくは、山川砂むし温泉保養施設)
場所は、下の地図。 ここは、指宿市山川。 左の方に、長崎鼻がある。
ここで、浴衣に着替えた。(まったくの、浴衣だけ) 料金は、800円。
上の建物の、向こう側。 浴衣は着てるが、混浴。
10人ほどが、砂の中で寝ていた。
砂風呂は、一直線になっていた。 この線の所だけが熱い。 3m離れたら、熱くない。
※ 大きな岩盤の割れ目から、温泉(地熱)が上がってると思う。 だから、直線。
このように、一斉に砂をかけてくる。 厚さは10㌢くらい。 手足は真っ直ぐ。
この二人の隣に、私は埋められた。 ※ 男の人は、アルバイト。
この状態で、10分から15分。 この撮影の後、私も。
こんな順で、こうだった。
① 浅く掘った所に寝た。 頭は少し高い。 頭にタオルをまいて、端っこを口にくわえた。
② 4人で、ぱっぱとスコップで砂をかけ始めた。 速い。 砂は重い。
顔にかからないように、ちゃんと見てやれや、と思った。
③ かけ終わったら、身動きできない。 金縛りにあったようだ。
④ 時計の場所を教えてくれた。 長くても15分だと言う。 自分で判断して出る。
⑤ 熱かったら、教えてくれと言う。
隣の方で、足が熱いと言った。
砂かけの人は、そこをだけ少し動かせと言った。そうしたら、そこに熱くない砂が、潜り込むと。
私は、動かせないと思っていた。
ところが、体全体はいっぺんに動かせないが、部分的には動かせることが分かった。
⑥ 私は、背中が熱くなった。 少し動かしたら、砂が入った。
⑦ 5分ほどしたら、サウナと同じ感じになった。 汗が噴き出しているのが分かる。
足や手が、ズッキン・ズッキンした。 心臓の鼓動のように。
⑧ 10分過ぎたら、我慢比べのようになってきた。
⑨ 最初の人たちが、砂から出始めた。
まず、手を出すように言われていた。そうしたら、手で砂をどけることが出来る。
⑩ 15分になったので、私も手を出した。
砂の中で、もぞもぞ動かすと、砂が手の下に入っていく。
だから、出すことができる。
手を出したら、こんなに涼しいとは思わなかった。
⑪ この後、風呂で砂を落とし、湯船に入る。
こんなことがあった。
年配の女の人が砂から出て、浴衣の砂をほろっていた。
そんなことをしていたら、浴衣の前が、少しはだけた。
あぶない、あぶない、と言った。
私は、おばさんは、もうあぶなくない、と言いたかった。
この後、お風呂にはいって、おしまい。
海を見たら、通る船が、夕陽に輝いていた。
砂むし温泉から、この山が見えた。 手前が竹山。 登れる道があるというので、向かった。
途中で人にあったので、登り口を聞いた。
道を教えてくれた。 神社の所からだと言う。
上にも神社があって、その上は道がダメになっていると言った。
こんな所を行った。
竹山神社。 ここで初詣。
ブログを読んでくれてる人の数だけ、賽銭を入れた。
一人当たり1円なので、願いが叶うか、少し不安だった。
さらに道があった。
少し上ったら、山の中腹に、小さな神社の屋根が見えた。
※ 後で分かったが、ちょうど真ん中辺りだった。
※ この山の高さは、やく200㍍。
さらに登った。 着いた。 ちゃんと、お供え物があった。 リンゴは、鳥がかじったのか。
ここは上社か。下が下社で。
見晴らしがいい。
右の方。
ここを上ってきた。
上への道があった。 細い。 崩れてるのも見えた。
ここを、さらに下りる。
上を見上げたら、急な崖だ。
山川の港を通って戻った。
大根が干してあった。 細長い。
エンドウの畑。
沈む太陽は、大きい。
菜の花畑を、時々見た。 何のために植えるのか。(調べていない)
市街地に入ってきた。 これは、何だと思いますか?
小さな建物の中に、墓があった。 初めて見る。
山川港。
ここを通って戻った。
砂むし温泉は、本当に体にいいのかということだが、
ある調査によると、普通の温泉の3倍だそう。
血液の循環が良くなって、老廃物を出すと言う。 人気があるそうだ。
私は体が軽くなった感じがした。(もともと重くはないが)
【今日の停泊場所】 同じで、なのはな会館駐車場。
【明日の予定】 知覧に向かうかも知れない。 他を探している。
【今日の歌】 大連の街から(YouTube) 先日も載せましたが。
一瞬の夏(YouTube) 西島三重子です。 初めて。
冬のかもめ(YouTube) 同じです。
【ブログランキング】 国内旅行8位です。 十分な順位です。
今日は、どこにも行くことができませんでした。
することがあって、それが、夕方までかかりました。
ずっと何も食べていなかったので、ラーメン屋に行ってきました。
2件です。
それで、久しぶりに、ラーメンについて書きますね。
※ 話は別ですが、YouTubeからメールが来ました。
北の岬にコメントが入ったので、それに返事ができますよ、という案内です。
両方に1件ずつ、同じ人からでした。
※ コメントを書いてみました。
YouTubeの北の岬に載っています。
話を戻します。
指宿のラーメンと言いますね。
もし、ご当地ラーメンと認知されたら、指宿ラーメンになる。
一応、合格の店は、名前を出します。
好き勝手に書いてみますよ。
【万福ラーメン】
ここは、12月29日に食べた。 その日のブログに、まあまあと書いた。
写真で見て、美味しそうに見えるでしょうか。
悪くないですね。 ネギの緑もいい。
問題のスープだが、博多や久留米とは違った。
少しさっぱり。 臭みがない。
※ このことは、他の店も一緒だった。
どのくらいのレベルかと言えば、札幌に進出している、博多ラーメンよりは美味しい。
※ チェーン店は、マニュアルで作る部分があるので、情報誌で書いてるほど、美味しくない。
麺にも問題はなく、基本的には、美味しいなと思って食べた。 上品な味。
問題点① 細めのモヤシ他、すべてトッピング。 冷たいものを乗っけるから、スープが熱くない。
問題点② スープの美味しさは、途中まで。
味に深みが、もう少しあったら、十分。
私は、途中から、ニンニクを入れて食べた。
問題点③ 脂っこいスープに、脂身の多いチャーシューは、合わないと思う。(これは、意見が分かれるか)
問題点④ 店の中で、子供が小上がりの座布団を片づけたりしている。
【南州】
店に入って、初めてですが、お勧めは何ですか、と聞いた。
好みの問題なので、分からないと言った。
こんな返事は決まり文句で、何も考えなくたって言える。
お客さん、濃いめの味が好きかい、とか聞いてくればいい。
親父さんは、昔堅気の雰囲気だった。少し頭が固い。
作っているときは、職人という感じで、気合いが入っている。
麺の湯の切り方は、完璧だった。
4つの店の中では、ここのスープが一番かもしれない。
ただのトンコツだけではない味がした。
野菜を入れて甘みを出しているのか。
スープは飲み干した。
問題点① 面がくっついていた。 束になって。
茹でる前に、バラバラにしていなかった。
奥さんが、箸でほごそうとしたが出来なく、そのまま持ってきた。
問題点② ここのスープも熱くなかった。
問題点③ 実際の美味しさより、見た目はよくない。 万福ラーメンに負ける。
【休次郎】
店に入って、上の店と同じように聞いた。 お勧めは何と。
そうしたら、女の人が、味の特徴を説明した。 これで、十分。
実は、指宿は、味噌ラーメンがあるのが特徴になっている。
※ 発祥は、札幌の三平だ。 どうして広まったか、聞けばよかった。
赤味噌ラーメンを頼んだ。
トンコツがベースになっているから、北海道とは、味が違った。
店の人が言った通り、少し甘い味がした。 美味しかった。
麺は、ストレート麺。 ※ どこもそう。
チャーシューもこれでいいのかな。
店の中も、作る人の服装も清潔だった。 下の写真のラーメンの感じで。
これだけのラーメンを作ったら、店はつぶれることはないなと思った。
4店の中では、ここの主人が、一番をラーメンを深く考えていると感じた。
問題点① どう考えても、しょっぱい。
味見はしていたが、毎日やっていると塩分に対して麻痺してくる。
これがベストという数値を、客の評判とかで、決めておいたらいいと思う。
自分の舌で、数値を判断すればいい。
しょっぱいと、せっかくの味が分かりにくい。
問題点② スープは、少しぬるい。
※ どうして、どこもこうなのか。どんぶりを温める店だってあるのに。
もう一軒行くつもりだったので、麺を残した。
※ 小上がりで、親子が話していた。
40代の母親が話す言葉の、70%が分からなかった。
【店の名前は、H】
大きな店だった。 でもよくなかった。
問題点① 店の中が、清潔に感じない。
いろんな物を触った手で、ネギをつまんでいた。
問題点② どんぶりにまず、塩とか調味料とか油(香味油かな)を入れた。
その中に、指を入れて、味見をしていた。
もし、その手をもう一度入れたら、私は店を出た。 お金を置いて。
問題点③ 麺が茹であがって、どんぶりに入れた。
その後、スープを入れるはずだったが、別のラーメン作りを始めた。
少しして、スープを入れた。 麺は冷めてしまった。
冷たい物をたくさんトッピングしたから、他の店のぬるさとは、別のレベルだった。
半分食べて、残した。
良かったのは、チャーシューを薄く切ってたくさん載せていたこと。
脂身が多くても、食べやすい。
どこの店も、小皿に漬物を出してくる。
浅漬けのようなのがあったり、店によって違う。
指宿のラーメンのレベルは高い。
私の評価だが、4軒のうち、3軒が合格ということは、普通ない。
旭川でも、札幌でも、喜多方でも。
きっと、どの店も、スープを作るのに時間をかけている。 そう思った。
調べてないが、ここの街のラーメンの原点は、南州にあるかもしれない。
古くからある感じがした。
※ 写真は、全部携帯で撮影。
こういう時は、大きなカメラは、不自然。(店の人と親しくなったら別)
※ 尾道ラーメン 高山ラーメン 喜多方ラーメン 蜂屋(旭川) 富公(札幌 今はない)
※ 高山の記事で写真が入れ替わった。 番号が同じだとこうなる。 今は、そうならないようにしているが。
【停泊場所】 なのはな会館 ずっとここ。同じ場所。
【明日の予定】 砂むし温泉かな。 薩摩半島でのメインは、開聞岳と知覧です。
【今日の歌】 ラーメンどんぶり流れ唄(YouTube)
涙から明日へ(YouTube) なぜ一人行くの、燃える頬濡らして、の一節が好きです。
【ブログランキング】 4位です。
花を見るなら、自然の花が一番なのですが、たまにはいいかなと思って。
こういう所は、当たり外れが大きいので、期待は少しでした。
でも、朝から晩までいても退屈しない、そんなところでした。
全部は、見られませんでした。
ここが入り口。 園内の地図。


ここは、ジャングル花の谷、という所。
このような所が、テーマ別に10ヶ所あった。




温室の中ではない。



いい色です。 明るい。

花の名前は、調べていない。 どの花も。


ブーゲンビリアです。 今までの色と違う、紫です。

フラワーホールで獅子舞があるというので、見に。



正月に獅子舞を見たのは、初めてかな。 たくさんの人が。

子供たちは、頭の前で、カチッ・カチッと2度歯を鳴らしてもらうと、頭が良くなると言っていた。
小さい子は、泣いた。
こわくないからねって、お面をかぶっていた女の人が励ましていた。



南京玉すだれ。 明るく、見てて楽しい。

私も、手を噛んでもらった。 どんないいことがあるのか、聞くのわすれた。





チューリップ。 芝生広場に。


ここは、室内庭園。 レンズが曇った。

いいですね。

ランです。 伊豆のランの里を思い出します。 そこでも、このランは目立った。



ここは県立。 期待以上だった。

新春寄席もあったので、聞いた。 鹿児島県出身の、桂竹丸という人。 歌丸の弟子。

話は、あっちにとび、こっちにと。 地元だから、子供の頃の話も。
こんな話が。
落語は笑って健康になる。 だから、1回聞いたら5年長生きするそうだ。
2回聞いたら10年。 3回聞いたら、死ぬまで長生きできると言った。
ここで、今年初めての問題です。
笑ったら、血液の循環が良くなるんだが、どのくらい良くなるでしょうか。 答えは、写真の下に。

答え。 けっこう良くなる。
昔、親が商売をやっていたが、倒産したそうだ。
それで、父親は、自分にこう言った。
「これからは、とうさん と呼ばないで、パパとよべ」
その時、客席の下の子が、間を置かず、「パパ!」って、大きな声で叫んだ。
竹丸は、座布団から転がり落ちて、笑ってた。 私も笑った。


そうだ、こんな話もした。
昔、お爺さんとお婆さんが、山の中に住んでいた。
でも、お爺さんがなくなって、お婆さん一人になった。
そうしたら、今まで、ゲロゲロって鳴いていた田んぼのカエルが、ゴケゴケって鳴き出したそうだ。
落語の後、踊った。 かっぽれったかな。

蝶の館に入った。

オオゴマダラという蝶です。 大きい。 アゲハ蝶と同じ。

蛹(さなぎ)が、金色なので、知られているそうだ。 オオゴマダラ(WikiPedia)

飛んでいる写真なんだが。


展望デッキに向かった。

向こうは、指宿の市街地。

ポピーでいいでしょうか。

正月ということで、今日はおまけがあった。 それも、良かった。
別の時期に、もい一度行ってもいいですね。
夏山は、花があります。
花を探しながら登っていると、いつの間にか頂上に着く。 花はいい。
【停泊場所】 なのはな会館駐車場
【明日の予定】 この近く。
【今日の歌】 ミュージカル「鶴姫伝説」(YouTube) とにかく歌がいい。 ※坊っちゃん劇場での鶴姫伝説。
【ブログランキング】 4位です。
