平和会館の目的は、平和に寄与するとなっていました。
本当にそうなのかも、知りたいことでした。。
こういう所を見るのは、難しいです。
知覧は、少し高いので、寒い。
歩いていたら、豚汁が売っていた。 おにぎり付きで、400円。
入った。 (この写真は、食べ終わって撮影)
店に入って、それを注文した。
おにぎりは、売り切れたという。
※ 私が店に入った時、店の二人は、何かを食べていた。 それを見てたので、
おばさん達二人で、みんな食べちゃったんでないの、と私は言った。 みんなで笑った。
さっそくお茶を出してくれた。(ここは、知覧茶で知られている。 そんなこと○○○って言わないでくださいね)
一口飲んで、私はこう言った。
知覧茶って、温(ぬる)くして飲むんだ、って。(こういう時、私は意地悪)
店の人は、驚いて、
あっ! 今ポットに水を入れたんだ、と言った。
何度も、ごめんねって、あやまった。 また、笑った。
お詫びにと言って、ご馳走してくれたのが、左の海ぶどう。
※ これは海藻。 グリーンキャビアとも呼ばれ、高いもの。
出された豚汁は、具だくさんだった。 これもサービス。 美味しい。
体も心も、すっかり温まった。
特攻平和会館の庭に、こんなのが。
飛行機は、映画で使った物だったか。 高倉健・田中裕子主演の映画。
ここが、知覧特攻平和会館。 場所は、ここ。 この辺り一帯が、飛行場の跡地。
広い所だった。 展示物の多さに驚いた。 多くの人が来ていた。(会館内の写真は、パンフレットから)
一人一人の写真と、手紙や遺書があった。
昭和20年3月、アメリカ軍は沖縄に上陸してきた。 知覧は、本土最前線の特攻基地となった。
ここから沖縄に飛び立って死んだ若者は、1036名。
全員の写真があった。 そして下のような遺書も。
私が多く見た遺書は、パンフレットとは少し違った。 手紙のようなのが多かった。
本当は死にたくない、という内容のもの探したが、なかった。 それに、似た物も。
喜んで死んでいく感じだ。
会館の人に聞いてみたら、こうだった。
ここに来た若者は、希望して来ていた。 希望する段階で、死は覚悟していた。
死を覚悟していたとしても、笑って死ねることが、不思議だ。
私は、行間を読むしかないと思った。
こんなのがあった。
たくさん貰ったお手紙は、みなポケットに入れて持っていきます。
お守り袋(お人形の寝ている)も、忘れずに持っていきます。
コリントも、もう出来なくなりましたが、これからは、兄ちゃんはお星様の仲間に入って、 ※ コリントはゲームの名前。
千鶴ちゃんが立派な人になるのを見守っています。
泣いたりなどしないで、朗らかに笑って兄ちゃんが手柄を立てるのを祈って下さい。
御父さんや御母さんの言いつけを守って、立派な人になって下さい。
さようなら。
三月二十五日 正文 千鶴子ちゃんへ
(安原正文 24才 高知県高知市 )
一つの文の後に、文を続けようと思ったら、いくらでも出来る。
でも、書いてない。
一番若かった人は、17歳。
ここに来たのは、だれもが志願してきた。
だから、無理やり行かせたのではない。無理やり死なせたのではない。
こういう考えがある。
でも、これで、分かりましたとはならない。
教育の恐ろしさだ。
志願したくなるように、教育されていた。
戦前の教育はこうだった。
教育された方に罪はないから、この若者たちを、何らかの形で批難することはできない。
国のためと考えても、それが、親兄弟につながると考えたのだから、立派かもしれない。
今の社会に生きていたら、住みよい社会をつくるために活躍したと思う。
でも、私は、立派だなと思うより、不幸な時代に生きたと思う。 かわいそうだと。
ここの平和会館は、ある面美化している所がある。
じゃ、どう考えればいいかだが、こう思う。
美化するのではなく、死を無駄にはしない。
若者に、自ら死を望ませるような社会を、再びつくらないと。
※ 一方的に侵略されて、死を覚悟して、家族や友人、そして国を守るのとは、特攻隊は全く違う。
国が、この若者たちを殺したように思う。
服装などの展示も。
映像やガラスケースの中の展示もあった。
本物。 復元ではなく。
この笑顔が消えていった。 ひどい世の中だ。
この戦術を考えた人間がいるのだが、高いレベルの知的な戦術ではない。
出撃前の写真。
賛美するということは、責任が曖昧になるようにも思うかな。
寄せ書きを書いている。
出撃前。
出撃前夜。
飛行機に乗る直前に、別れの杯。
出撃を見送る女学生。 特攻隊の世話をした。 なでしこ部隊と言われた。
離陸して高く上がったら、3回翼をふって別れを告げた。
会館の人に、開聞岳に向かって飛んだかを確認した。
まっすぐ、沖縄に向かったそうだ。 すぐに、左手に開聞岳が見えてくる。 この山がいつまでも見えた。
2時間余りで、沖縄に着く。 あと2時間の命だ。
この女の人は、富屋食堂の、鳥濱トメさん。 特攻隊員の母と慕われた。
この人がいて、映画ほたるは生まれた。
特攻隊員が寝泊まりした、三角兵舎の中。
若い顔の子がいる。
悲しい笑顔に見えてくる。
平和会館は、事実を見せて、あとは見た人に判断してもらうと言った。
ところが、事実の説明や、パンフレットを見ると、事実だけでないことが分かる。
戦前の教育は、国にために死ぬことは教えても、平和を教えてはいなかった。
だから、下の文は少し変だということになる。
建物の外から、飛行機を撮影。 外にあった飛行機。(本物ではなかったかな)
平和に寄与すると、抽象的に言ってもダメ。
どのように寄与するかを、はっきりさせないと。
二度と戦争を起こさないとか、あのような若者を再び生み出すことはしないとか。
生み出した原因を、自信をもって来る人に伝えるとか。
今は、ただの観光施設。
考え方一つで、ここから抜け出せるのに、と思いました。
※ ただ、このことは期待しても難しいかもしれない。
あの戦争は正しかった、仕方ないとか、そんなのが、ある部分見え隠れしていたから。
今日は少し固い話になりました。
でも、大事なことなので、たまにはいいですね。
春に広島に寄って、ここと比べてみたいと思います。
【停泊場所】 平和会館の近くの駐車場。
(役場に聞いて確認。 駐車していい場所はないが、大丈夫ですよ、と言う感じ)
【明日の予定】 近くの、武家屋敷。 伝建地区ですよ。 今までのと、どこが違うでしょう。
【今日の歌】 さとうきび畑(YouTube) 森山良子です。 いいですよ。
終止符(YouTube) 白紙の行がそこにあるって。
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