1年が経った。 早いな~。
不安いっぱいでスタートした旅だったが、何とかなったと考えていいのかな。
多くの人に、助けられて。
1年前の今日は、明日スタートと言う日で、35年働いた最後の勤務日でもあった。 ※ その日のブログ。
4月1日、上渚滑(紋別市)をスタートした。 頂いたおにぎりを食べながら、私の旅は始まった。
赤い線が、走ったところ。 5月いっぱい、九州にいた。 その後北上し、北海道に。
9月に本州に渡り、山に登りながら南下。 年末に指宿に到着。 それから、ずっと九州。
道の駅で、一人になることが多かった。 寂しいと思うことはあったが、今は、全く平気。
夜は、ほとんど、ブログの作業をしているからかな。
今日は、午後から、のんびりと散歩。 長湯ダムの周りを、2時間ほど。
(パソコンの調子が悪い。 リンクは直ったが、動作を停止する。 今は、古いパソコンで)
これは、芝桜。 咲き始めてきた。
旅に出て、多くの人と知り合った。 近くを通ったら、必ず寄るという人は、10人を越えた。
山に連れて行ってもらったり、タイヤのお世話をしてもらったり。 いろいろ。
この花の名前は? 少し前、しうさんに教えてもらったのに。
旅に出て、知らない人に声を掛けるのが、平気になった。
「あれだよね~」って、話しかけるのも、よくある。 そういいながら、次言うことを考えてる。
誰も、「あれって、何さ」とは、言わない。
竹を焼いていた。 バンとか、ボンとか、破裂する音がした。 これが本当の爆竹だ。
精神状態がおかしくなることは、無かった。
これは、人とのつながりがあったからと思う。 コメントやメール。 感謝。
ブログの読者が増えたことも、励みになった。
風邪は2度引いた。 でも、市販の薬で直った。 軽かった。
食中毒のようなのが、2回。 経験無かったので、少し苦労。
九重の山。 明日は、あれの左を行くのかな。
質素な旅。 贅沢はほとんどしていない。 不満はない。
赤いのは、桜。 天気が良ければ、明日にでも咲こうという感じ。
山の面白さを知った。 今年も、百名山を10こ、登る。
車の中の生活は、快適。 水のことも何でも、工夫で乗り切れる。
ワンルームでの生活。 そんなに物は無くても、生きていけるかな。
馬の目は、優しい。 動物に対しては、話しかけることが、とても大事。
同じセーターを続けて着ても、また着てると、誰からも言われない。 これは、旅してる良さ。
向こうから来た。
軽油代は、1日平均、1500円くらいかな。 暖房にも使って。
ブログランキングが1位になった。 大きな励み。 元気が出る。 ありがたい。 こうなるなんて、思っていなかった。
アオサギ。
今年は、お祭りを見る。 人を撮りたい。
撮ってみたい人が見つかったら、その人の了解を得て、追ってみたい。(その人だけで、500枚は撮る)
面白そうな橋。
こういうの大好き。 この地方では、トックリヘビと呼ぶそう。
カッパは、100㌫いない。 でも、ツチノコは分からない。
ドイツ村とかがあった。 宿泊施設かな。 炭酸泉は、ドイツに多いそう。
旅の2年目が始まる。
旅の内容も、ブログの中身も、少しずつ進歩させたい。
今年も、涙香岬(るいかみさき)のような、何かを追ってみたいが、見つかっていない。
たくさん拍手をいただいたのは、鶴姫伝説かな。 いいものを見て、また書いてみたい。
少し忙しい旅になっているので、そこも何とかしないとだめかな。
これからも、今まで通り、応援おねがいします。
【道の駅】 同じです。 ながゆ温泉。
【明日の予定】 黒川温泉に向かいます。 途中に何かあったら、そこで一泊。
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それで、他の人のも、全部見ることにした。
長湯温泉にある文学歌碑は、下の通り。
【椋 鳩十】 2つ 【河東 碧悟洞】 1つ 【松尾 武幸】 1つ
【与謝野 晶子】 3つ 【種田 山頭火】 7つ位 【田山 花袋】 1つ
【大久保 貞義】 1つ 【野口 雨情】 2つ 【花田 比露思】 1つ
【与謝野 鉄幹】 1つ 【後藤 正子】 1つ
もちろん、長湯温泉で詠んだ歌ばかりですよ。
歩いた順に。
(1) 椋 鳩十 昭和37年8月、来訪。

「合歓林(ねむばやし) 越えて夏鶯(かおう)の 長湯かな」
※ 合歓は、合歓の木のこと。 「象潟や 雨に西施が ねぶの花」の、ねぶの花(合歓の花)。
※ 夏鶯には、老いた鶯(ウグイス)という意味があるそうだ。 自分のことを言ってるのかな。 この時、57歳。
※ この人は、「大造じいさんとガン」の作者。 5年国語の教科書。

(2)後藤 正子 (旅館中村屋の番頭の、おばあちゃんだった人) ※ 有名な人かと思った。 いつ作ったかは、分からない。

「河鹿啼く 清き流れと 丸山を 眺めて 浸たる 炭酸泉」
※ 河鹿は、カジカと読み、カジカガエルのこと。
この旅館から、昨日登った丸山公園が、川の向こうに見える。

(3)与謝野晶子 昭和7年に鉄幹と共に。 別府に来た時、ここに寄った。

「蛾となりて やがてはここに飛びて来ん 芹川に添ふ 小さきともし灯」
※ 意味が、分からない。 (だれか、調べてほしい)
※ 追記 自分のことを言ってるのかな。 この時、もう若くはないが。
政治家の与謝野馨は、孫ですね。

(4)松尾 武幸 博士 昭和7~8年頃、来訪。

「飲んで効き 長湯して利く 長湯のお湯は 心臓胃腸に 血の薬」
※ ここの温泉の恩人だそう。 作家ばっかりかと思ってたら、そうでもないぞ。

(5)河東碧悟桐(かわしまへきごとう) 訪問時期は分からない。

「山を焼く 相談の酒になる哉」
※ 意味は、分からない。 この人は、明治を代表する俳人とある。
作品は、作者を離れたら独り歩きする。 意味の想像が難しいのは、作品として、弱い感じがする。

(6)種田山頭火 昭和5年11月に、来訪。

「剃りたての頭に ぞんぶん 日の光 」 (自筆)
※ 山頭火の句はいい。 この時、山頭火48か49歳。 旅の後半。
ここで1泊し、久住に向かう。

(7) 椋 鳩十 昭和37年8月、来訪。

「よき友を得たり 九重の山清し」
※ 竹田から、こちらにやって来た。

(8)大久保 貞義 来訪時期は、分からない。

「芹摘みて 冷えし手先を芹川の 岸辺にわける湯に あたたまる」
※ この人についても、分からない。 意味は、分かりますね。

(9)種田山頭火 昭和5年11月。

「宿までかまきり ついてきたか」
※ 8日から9日にかけて、ここにいた。

(10)田山花袋

「おく山のあかつきかたの ほととぎす ここちよしやと 絶えず鳴くらん」 (自筆)
※ 「あかつきかた」は、暁方で、夜明けに近い頃。

(11)与謝野晶子 与謝野鉄幹 昭和7年8月4日

「芹川の 湯の宿に来て 灯のもとに 秋を覚える 山の夕立」 (与謝野鉄幹)
「 湯の原の 雨山に満ちその雨の 錆の如くに 浮かぶ霧かな」 (与謝野晶子)
※ ここの温泉は、ずっと昔、湯原温泉と呼ばれていた。
※ 一番いい場所にあった。 この歌碑は大事にされており、幸せだ。

(12)山頭火

「あかつきの 湯がわたし一人を あたためてくれる」
※ 未明から風呂に入る人は、普通いない。 だから、一人だ。 昔の人は、早起きなのか。
昭和5年頃、長湯温泉に電気は来ていたのか。 来てなかったら、ランプか。 ランプの宿に、いつか泊まりますよ。

(13)野口雨情 昭和9年4月、来訪。

「久住山から夜来る雨は 長湯ぬらしに降るのやら」
※ 久住山は、九重連山にある。
※ なめらかに読める。 続きを何か言いたくなる。適当なの考えた。
上の続き 「私ゃ明日もこの町で 朝風呂入って チントンシャン」

(14)花田比露思 昭和30年前後 (自筆)

「芹川の 瀬の音にまじる 蛙の声 たびねの床で 聞きつつ飽かず」
※ 「たびね」は、旅寝でいいかな。
※ ジャーナリスト・歌人であるが、大学の教授等もしている。

ガ二湯。


セキレイで、いいかな。

(15)種田山頭火

「壁をへだてて 湯の中の 男女さざめきあう」
※ 歌碑のそばに、天満湯が昔からある。 100円。
※ 「さざめく」は、ざわざわ音をたてること。
※ 男湯と女湯を分ける壁かな。


(16)種田山頭火

「まだ奥に 家がある 牛をひいていく」 昨日のブログにも、載せた。 文学碑の中に入っていない。

(17)野口雨情

「長湯芹川 川まん中のはなれ石にも お湯が湧く」
※ ガ二湯のそばです。
※ 小さく、う情と、読めますね。

(18)与謝野晶子

「山川のならびに やがて水曲がり 天の川ほど 目に見ゆる川」
※ 何となくしか、分からない。

(19)種田山頭火

「しっとり濡れて 岩も私も」

近くにラムネ温泉。 美術展のポスターの、絵の一部。


(29)種田山頭火 境内に、2つあった。

「一きわ赤いは お寺の紅葉」

「ホイトウと よばれる村の しぐれかな」
※ ホイトウについて。
陪堂と書く。 意味は、
1 禅宗で、僧堂の外で食事のもてなし(陪食(ばいしょく))を受けること。また、その食べ物。
2 禅宗で、僧の飯米をつかさどること。また、その僧や飯米。
3 他人に食事を施すこと。また、その食事・飯米。
・ 「今夜一夜の―たべ」〈幸若・烏帽子折〉
4 物ごいをすること。また、その人。こじき。ものもらい。ほいと。
・ 「ここかしこ、―しけれども、くれざりければ」〈仮・仁勢物語・下〉
※ 最近使わないが、昔、人をバカにするとき、「ホイト野郎」って言ったことがある。
初めて意味が分かった。

本堂の天井に、竜の絵があった。
山頭火が来た時、きっとあった。 ※ 追記 絵は、新しいものだった。


歌碑の管理は、個人に任されているので、忘れ去られたようなのもあった。
これから、どうするのかな。
この長湯温泉は、泉質も良く、昔から落ち着いた温泉街だった。
そのため、多くの文人たちが訪れていた。
温泉博士の松田忠徳という人が、ここを高く評価していた。
※ パソコンの調子が良くありません。 元に戻せません。 リンクもはれない。
※ 追記 リンクは、パソコンを変えても同じ症状。 こまったぞ。
最近の変化は、名刺のソフトを入れただけ。
【道の駅】 ながゆ温泉(3泊目)
【明日の予定】 ここに。 のんびりします。
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町の中を流れる川は、大分川の支流、芹川の上流。
温泉は、世界でも類を見ないほど、炭酸濃度が高い。 また、その効能(飲泉含む)も、なかなかのようだ。
温泉街は、道の駅のそば。 ここです。
こんな標語が。 向こうの建物は、御前湯。 洋風。 夜、この建物の写真を撮る。

道の駅の建物。 ネオン街はない。少しだけ飲食店が。 感じのいい看板。



御前湯のそばに、小さな神社。

句碑や歌碑が、たくさんあった。
作者は、椋鳩十。 合歓林(ねむばやし) 越えて 夏鶯(かおう)の 長湯かな ※夏鶯~夏のウグイス

炭酸泉とある。

昭和5年11月9日とある。 山頭火の人気は、どこに行っても大きい。

朝露の1滴の写真を、撮らなければならない。 ※ 開高建のイトウ釣りを少し。(YouTube)

昨日も今日もここ。 200円。 普通の温泉より温まる。
長湯温泉は、すべてかけ流し。(加温、加水をしない) それを、宣言している。

入り口は右。 出口は左。 少し面倒。 上の写真を通りぬけたら、芹川。


左は、長生湯。 向こうが川下。 この辺りの雰囲気がいい。

橋を渡って、長生湯を撮影。

小さな神社。


ここは、拝殿。 左に、面白い絵が。

こんな絵。 この後行く、ガ二湯だ。 昔も混浴。
「飲んで効き、長湯して利く長湯の~~」と、しゃれを言ってる。 私は言わないで、我慢してたのに。

感じがいいので、撮影。

また、山頭火だ。
「まだ奥に家がある 牛をひいてゆく」とある。 山頭火は、ここに1泊している。

桜の花の撮影は、むずかしい。 感動の美しさでは、撮れない。

この温泉街には、大きな問題点があった。 温泉水などの排水は、浄化しないで、川に流していた。
芹川は汚れていた。
これだけ上流で、ここまで汚れている川は、そんなにない。
長湯温泉のこれ以上の発展は、この川を清流に戻さないと、ない。 そう思いますね。


山の上の、丸山公園から。 左の方。 芹川が見える。

温泉街の真ん中辺り。 九重連山が見える。

右の方。

もっと右には、湯布院にある、由布岳。 (※ ゆふ、と読むが、由布姫の由布だ。 関係はないな)

山を下りて、ここはガ二湯。 長生湯の近く。

こんな伝説がある。

伝説は、逆算するように、話を作るのではないかな。
ここに、洪水の後、カニの形をした温泉が出来た。
カニは、雷に撃たれて岩になったことにした。
どうして雷に撃たれたかを、恋をからめて、話を作った。
優れた伝説は、話が整理され、分かりやすい物になっていますね。 これは、まだまだ。
向こうは、下流。 屋台村。


この石塔は、江戸時代の終わり頃のもの。(作者が書いてあったので、調べた) 他から、ここに移した。
旅の安全を祈願する。

ラムネ温泉。 炭酸の泡があるので。

少し高い所から、屋台村を。

温泉街は、この通りの左下。 ここが、中心街。 ここは、大分県竹田市直入町長湯。 右の建物は、道の駅の案内所。


夜の写真を撮りに、7時前に出かけた。 右が、長生湯。
長生湯の灯り。

普通の光でも、光はきれいだ。

屋台村。 店には入らなかった。


洋風の建物、御前湯。 この場所での撮影は、昼間から決めていた。 (写真情報 シャッター速度0.2秒 感度3200)

月は、こうやって、空を照らしていた。


贅沢をしないで、のんびり温泉を楽しむ。 長湯温泉は、それが出来る。
静かな環境と、かけ流しの炭酸泉が、昔から、多くの人に好まれてるようです。
【道の駅】 ながゆ温泉
【明日の予定】 長湯温泉でゆっくりします。
ここに、文人がたくさん来ており、碑もいっぱいあります。
全部見て歩いて、その世界を旅してみようかなって、思っています。
ここで一息ついて、2年目の旅をスタートする。
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あるお家で、山羊(やぎ)の乳(ちち)を御馳走になった。
初めて飲んだように、思う。
また、ウコッケイの卵をたくさんいただいた。
大野市清川町左右知(そうち)に、日本一のイチイガシの大木があるという。
その場所は、昨日登った御嶽山(おんだけさん)の真下。
この石橋を右から渡ってきた。 近くまで来ている。
ところが、カーナビの大木の位置が間違っていた。 探してもない。

橋の左手を、向こう(川上)に行ってみた。 下の写真の家があった。
奥さまと、おばあちゃんがいた。 親切に教えてくれた。
もう少し上(かみ)で、左の山に入ることが分かった。
山羊の乳があるので、帰り寄るように言われた。

向こうから来て、右の道を登って行く。 車を置いて、歩いて。 椎茸の栽培。


見たことのある、椎茸。

10分ほど歩いたら、着いた。 この辺り。 この後行く橋が、左に2つ見える。

イチイガシは、一位樫と書く。 樫の木だから、ドングリの木の仲間。
一位の意味は、むずかしい。 一位の木と関係あるかもはっきりしない。 ※ 一位は、オンコの木。

幹の周りは12㍍。 高さ20㍍。
太さ日本一と、認められている。 (自称日本一がいっぱいあるので、確認することにしている)
木は、瘤(こぶ)だらけ。

樹齢約1000年。 平安時代の中頃、この場所に一粒のドングリが、転がってきた。

空洞があった。

祠が祀ってあった。 この洞に、何人でも人は入れる。

入ってみた。 空が見えた。

別の方から見た。

上の写真を拡大。 若い女の人がいた。 ※ こんなのを探すのが好き。

大分県の特別保護樹林になっていた。 木が元気よく育っているか、診断したらいいと思った。
左右知のイチイガシは、1000年生きたという、顔をしていた。
この地を流れる、奥嶽川の上流の風景。

道を教えていただいた家に寄った。 山羊だ。

ウコッケイの卵で作ったケーキと、コーヒー。 ビンの中は山羊の乳。
奥様は、北海道に友達がいると言った。 学生時代、名古屋で一緒だった。
そうこうしているうちに、あることが分かった。
ここのお家は、私と同じ名字だった。 親しみを感じた。

納屋の方を案内してくれた。 山羊の子供。

山羊やニワトリを飼うと、家の周りの草を食べてくれるという。
肉を食べることは、出来ないと言った。 わが子のように育てているから。

農家の生活など、30分以上話したでしょうか。
以前から感じていたが、農業の主導権は、農家が持っているのではなく、農協とあらためて感じた。
自立する必要を感じた。(農協を通さないで、売ってる農家もある)
楽しい時間を過ごした。 大野市に来たら、寄らなければならない家が生まれた。
隣のお家の敷地内に、珍しいものがあった。 最初に会った、おばあちゃんの家。
おばあちゃんが庭にいて、家の裏に案内してくれた。
名前は、石幢(せきどう)。 1509年、室町時代に作られている。
石塔の一つ。 何かを供養したりする。
※ こういうのが、たくさんあるので、国の重要文化財とかにはならない。 これは市の指定有形文化財。

近くに、古い石橋も。 江戸末期か、明治初期。
昨日登った、御嶽神社の旧参道。 今も、こっちからの道がある。

山奥に、数㌔入った。 家並みの向こうに、大きな石橋が、2つある。

出合橋。 日本で2番目の大きさ。 (まるい所の幅の長さ) 大正14年に出来た。 新しい。
轟橋から撮影。

轟橋。 日本一。 径間(まるいとこの幅)、約32㍍。 昭和9年に出来た。
※ 美里町の霊台橋は、約28㍍。 3位。 江戸時代に出来ているので、こちらは、国の重要文化財。

新しいので、石の積み方がきれい。

左の円の部分の大きさが、日本一だと言っている。

生活のための橋。

轟橋は、昔、木材を運ぶトロッコが走っていた。 今は、車。

いい色だ。

スズランみたい。

苗を植えたのではない。 花壇だ。

道の駅ながゆ、に向かう途中、小さな磨崖仏があった。 この辺り。

宝暦12年(1762)に出来た。 正面の柱に見える。

右の方。 左の方。


ここは、長湯温泉。 日本一の炭酸泉と言っている。 道の駅のそばに、温泉がいっぱい。 ここです。
長生湯に行った。 200円。 町営。 他に、100円のとこもある。 露天風呂で、無料も。
炭酸泉は温まる。 五十肩が楽。

夕方、月を眺めながら歩いた。

ウコッケイの卵。 ニワトリより小さい。 こんなのを、5パックいただいた。 6個まとめて焼いて食べた。

どこに行っても、桜は満開に向かっている。
桜吹雪になっている所もある。
私は、世間の動きと離れて、旅をしているが、今は年度の終わりに近付いている。
人事異動があったりして、新しい世界に入る人も多いんだろうな。
少し、緊張する季節だ。
【道の駅】 ながゆ
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稲積(いなづみ)水中鍾乳洞。
情報誌に、小さく載っていた。 説明はない。
こういう時は、ネットで調べる。
県道45を南に向かった。 道は、大野川の支流、白山川沿い。
石橋があった。 橋の下の円が大きい。 丈夫なのか、不安。

もう少しで、目的地。 水が自慢の地域だ。

広い駐車場と、いろんな建物が見えた。 ここです。

ここから入る。 山の中から、川が流れていた。


通路は川の上。

ここの鍾乳洞の中は、水だった。
出口を掘ったっりして、中の水面を2㍍下げた。 それでも通れない所は、天井を削った。

鍾乳石。 茶色だが。

今は水中ではないが、元々は水中だったので、水中鍾乳洞と呼んでいる。 長さは、日本一。

どこも深い。 通路の下に、水中の鍾乳洞が、いっぱい広がっている。 平均深度は、10~20㍍。 魚がいる。

左下に、深い穴。

この鍾乳石が、水で削られたりした。

少しだけ、白っぽい。


深さが、40㍍を越える所もあるという。 この辺りの水の中は、調べ尽くされている。

水を見た時に、神秘を感じたでしょうか。
美しさという面では、まあまあ。
他の施設をのぞいてみた。 ここは、今日オープンした昭和館だったかな。

子供の頃、これが好きだった。 ろうそくの火で動いた。 ポンポンって鳴りながら。 すぐ壊れた。

宗教的な施設がいっぱあった。 鍾乳洞だけでは、観光地としては、弱い感じ。 だからかな。

白蛇堂。

蛇はきれいだ。 汚れてる白蛇は、見たことない。

美術館があり、工藤静香の絵が。 他に、ピカソやダリや、安藤広重も。 撮影できた。

こんな散歩道。 天気が良く、暖かい。

ぼけ封じ観音。 手を合わせてしまった。

昇龍大観音。 高さ、30㍍。 100年持つなら、価値があるかな。

おもちゃ館で見た、似顔絵。 オードリー・ヘップバーンでいいでしょうか。 こんなのが書けたらと思う。

これが好き。
浅丘ルリ子は、寅さんが亡くなる前、映画の中で結婚させてほしいと山田監督に頼んだ。 でも、叶わなかった。
監督は、構想が浮かばなかったのかな、と思う。
※ 関連ブログ 「寅さんとリリー、結婚させればよかったのに」

道の駅きよかわに行く途中、御嶽神社の案内があった。 5㌔程山を上ったら、着いた。

10分程歩いたら、御嶽山頂上近くに、神社が。 古い神社。 建物は壊れそうだった。 ここです。
最後は島津氏に負けた、大友氏との関わりがある。

神社の裏が、岩山で、そこを登ると頂上。
岩の左が道。 細い。 落っこちた時、木につかまれなかったら、どこまでも落ちる。

最後は、この鎖につかまって。

着いた。 5~6人は大丈夫の広さ。 ここは、仙の嶽という名前が付いている。

土佐ミツバツツジ。 きれいだった。 この花は、こういう所に咲くそうだ。 頂上近くにしかなかった。

遠くに阿蘇山が薄く見えた。 正面の山は、阿蘇の外輪山。

大野市のどこか。 私は今、この写真のどこかにいる。

先に、もう少し高い所があるが、危険。

こうですよ。

足元の下は、こう。

数か所、咲いていた。

葉より先に、花。

旭山動物園は、リピーターが多い。 動物園は変化している。
鍾乳洞は、どうしたらいいんだろう。
① 鍾乳洞の中を、変化させる。 何かを付け足す。
② 鍾乳洞を含めた全体を、変化させる。
アイディア次第で、人気の鍾乳洞が生まれそうですが。
【道の駅】 きよかわ ここ。
【明日の予定】 大きな木を見て来るか。
【今日の歌】 荒城の月(エムズの片割れ) 探していた原曲が、やっと見つかった。 米良美一が歌ってるのがそうです。
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昨日のブログで、岡城と義経の関係を書くのを、忘れていた。
そのことを、この町のある物が、思い出させてくれた。
ここは緒方町。 町名で全てを思い出すことが出来たら、すごい歴史通と思う。
もちろん、私には無理。
ナイアガラに例えてる滝があるという。 変わった滝のようなので、見ることに。
道の駅から、滝方面の風景。 ただの平地。 滝は普通、山にある。
滝を見に行ったら、大抵は、滝の下に着く。 それも、山の奥で。
ここは、違った。上に着いた。 平地に、突然の滝だった。
チューリップが咲き始めていた。
滝の下には、吊り橋が。
なつかしい風景。 環境が、とてもいい。
川の水が落ちている。
これだから、ナイアガラだ。 滝の上に、橋のように道がある。
シャッター速度は、8000分の1。 水は、バラバラ。
滝の上から。 落っこちたら、水と一緒に滝つぼへ。
幅120㍍。 高さ20㍍。
これが吊り橋。 揺らすなと書いてあるが、揺れる。 そこがいい。
橋の上から。 平地の川は、谷底の川になる。
こういう人は、必ずいる。 カメラを構えて、少し待ったが、何も起こらなかった。
山には雪が。 (南の方の山)
石仏や池があるというので、歩くことにした。
原尻橋が見えた。 5連のアーチの石橋。 初めて見る。
天気はいいけど、寒い。 薄い手袋をはいている。
田園風景の中をあるいた。 荒平池が案内板にあったので、向かった。 距離は書いてない。
見た時は、名前を思い出せたが、今は?
小さな山を一つ越え、道の駅から6㌔ほど歩いて、やっと着いた。 (距離は、戻って地図で調べた)
川をせき止めた、小さな池だった。 がっかり。
こんな池を、どうして紹介するんだろうと思った。
また、戻った。 田んぼだから、風景がいい。
※ ビニルハウスが多いと、壊れたままのもあったりして、風景はよくない。
赤いのは、チューリップ。
途中まで戻って、別の道に。 石仏があるので。
これは、緒方宮迫(みやさこ)西石仏。 石仏とあるが、磨崖仏。 岩に直接彫ってある。
鎌倉時代のものだそう。 これだけ色が残っているのは、状態はいい方と思う。
右側の、阿弥陀如来。
※ 阿弥陀如来の後ろに、放射状に、光の線が描かれていることがある。
昔のあみだくじは、人数分、真ん中から線が引かれていた。
それで、あみだくじの「あみだ」は、阿弥陀如来の阿弥陀。(Wikipediaに)
別の所に、緒方宮迫東石仏。
これも、鎌倉時代のものと考えられている。
左側の持国天。 ※ 国を守る守護神。 四天王の一つ。
左の方に、宝塔も。
このような磨崖仏に対しては、明治時代まで、日常的な信仰があったようです。
決まった日に、行事も。
今は、保存が中心になっている。
昨日雨が降ったが、その時、山は雪だったのか。
何気なく、石橋が。
石橋を渡って道の駅に戻ろうとしたら、途中で通行止め。 戻って、2㌔ほど遠回りした。
梅かな。 花が、団子のようにくっ付いていた。
途中に、大きな石碑があった。
こんな説明が。
義経がいて、昨日見た岡城はできた。
義経が好きだった男が、この地にいた。 名前は、この土地の名前と同じ。 緒方。 緒方三郎惟栄(これよし)
平氏討伐に、功績があった。
この武将が、義経を迎えるため、1185年に、岡城を作った。 これが、岡城の最初だった。
義経の何が、こうも人を惹きつけるのでしょう。
2連の水車。 この用水は、緒方井路と呼ばれる。 江戸時代初期に出来ている。
この用水によって、緒方の地は、米の産地となる。
岡藩の財政を潤すことになる。
(上のように、説明があった。 藩の視点で書いていた。 農民の視点から書かれることは、滅多にない)
歩いて、歩いて、歩き疲れた。(14㌔位)
花が増えた。 それがいい。 寒かったが、風景はどこも良かった。
※ 東洋のナイアガラは、群馬県にもある。 関連ブログ 吹き割りの滝
※ 上湧別町のチューリップ公園。 近くに昔いた。
【道の駅】 原尻の滝 ※ この辺り一帯の地図
【明日の予定】 山の中に稲積鍾乳洞がある。 水中鍾乳洞って言っている。 何だろう。
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それが、まず、知りたいことだった。
結論は、大丈夫のようだった。
荒城の月を作曲する時、原城をイメージしたと考えるのも、無理な話ではないと分かった。
車は、歴史資料館の駐車場に停めることが出来た。
無料の駐車場を用意してくれてることは、有難い。 この町の、この町へ来る人への優しさを感じるかな。
坂を下って、桜の木のところが、瀧廉太郎記念館。 ここです。 原城阯も右の方に。

少し、通り過ぎたところから撮影。
ここで、12歳から14歳まで暮らした。

父は、内務官僚の地方官として、各地を回った。 転勤族だった。 それで、この地に来た。
※ 瀧家は、江戸時代、日出藩(ひじはん)の家老だった。
日出藩は、別府市の辺りにあり、豊後の一部だった。 竹田市の岡藩も、豊後。
瀧家は、元々、こっちの方の出だった。
楽譜などが展示されていた。 撮影はできない。
廉太郎は、バイオリンが得意だった。 演奏が始まると、周りの空気が変わったという。(ビデオから)

庭を挟んで、離れの建物があった。 岩にある穴は、馬小屋。

何かに強く興味を持つということは、小さいころからあったんですね。

この建物の2階が、廉太郎の部屋とあった。

家系図があった。 筑紫哲也は、妹の孫だった。 以前、ここの名誉館長をしていた。
筑紫は、自分には音楽の才能がないので、親戚であることを戸惑っていると、語っている。(Wikipediaより)

ここが、2階。

荒城の月。

記念館のメインの建物。 離れの方から撮影。

愛染堂に向かった。 瀧廉太郎記念館の桜が、真ん中辺りに見える。

愛染堂。 本尊は愛染明王で、左甚五郎と伝わる彫りものがあるとか、説明があった。。 370年程前の建物。
恋愛成就の願掛けで有名だそう。

向こうから、下りてきた。 右に、十六羅漢があった。

観音寺十六羅漢。 江戸時代初期のもの。

ほとんど、鼻が破損していた。
今の時代の方が、いたずらは多いんでないかな。





こんなのが。 中を歩いたら、音楽が流れる。 昔は、酒蔵だった。

ここは殿町。 昔の武家屋敷の面影を残している。

先日も出てきた、長屋門。


反対方向から撮影。

山に向かう緩い坂を上ると、キリシタン洞窟礼拝堂があった。

洞窟をくり抜いて作った。

迫害された時代も、信仰は密かに続いた。 中の様子。(撮影の時は、何も見えない)


武家屋敷跡の近くに。 与謝野晶子。
「雲早し 洞門を入り 洞門を やがて出づべき 歴史の道 豊後の竹田」 とある。

竹田市の繁華街。

車で、原城阯に向かった。
石垣しか残っていない。 明治に入って壊した。 ※ 歴史的なものを壊すのは、犯罪でないのかな。

広い。 本丸跡まで、20分という。




谷底との高低差、96㍍とあった。


右上が、本丸跡かな。

見晴らしがいい。

向こうも城跡。 全体は、複雑。

石垣は、どこも高い。 島津軍の猛攻も退けた。 石垣に柵はない。

瀧廉太郎は、この城跡に、よく遊びに来たそうだ。

瀧廉太郎は、土井晩翠の書いた詩に曲を付けた。 詩は知っていた。

土井晩翠は、仙台の青葉城址と会津若松の鶴ヶ城址をイメージして詩を作った。
瀧廉太郎は、この城跡をイメージして、曲を作った。

ここが、本丸跡。

江戸時代には、こうだった。

別の道を通って戻った。

石垣の木や草を取ってる人がいた。

やっと、竹田市に来ることができた。
※ 近くまで2度来たが、別の方に行っていた。
竹田市は、瀧廉太郎が多感な時代を過ごし、「荒城の月」のメロディーが生まれた町だった。
【道の駅】 原尻の滝 ここです。
【明日の予定】 ここの近く。 変わった滝がある。
【今日の歌】 荒城の月(YouTube) 原曲を探したが、見つからない。
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道の駅阿蘇から、南阿蘇村に向かった。 メインは、一心行の大桜。
今日は、しうさんが案内してくれた。
桜の木が1本で観光地だ。 こういうのは、初めて。 ここです。
これが、一心行の大桜。 満開ではない。 花は、冷たい雨に濡れていた。
※ この桜について
宇土半島の先端に、三角町がある。 戦国時代、そこに矢崎城があった。 ※ 矢崎城については、ここに。
しかし、1580年、島津氏に滅ぼされ、城主は死んだ。
残された家族と少しの家臣は、この地に来た。
この桜は、その時期に植えられたと言われている。 樹齢400年。
一族の霊を弔うため、ここに来た者たちは、一心に行を修めた。
そのため、「一心行」の名前が付いたと言われている。
満開でなかったので、たくさんの写真は撮らなかった。
※ 昨年の満開の動画がYouTubeにあるので、それを載せます。 一心行の大桜 2009(YouTube)
ひょっとこ踊りをやってた。
少しだけ見た。
白蛇神社のようなところが、あった。 正式な名前は、阿蘇白水竜神権現。
敷地内のここで、白蛇が2匹見つかったという。 平成13年のこと。 それがあって、この神社が作られた。
こんな白蛇。(パンフレットの写真)
建物の中に4匹いた。 おとなしくて可愛い。 1匹は、座布団の上に、行儀よくまるまっていた。
イメージは、下の感じ。
白蛇様にあやかって、物を売るのが、この神社の取り組みの中心。
敷地内には、色んな施設が作られていた。
どのような内容、どのような環境にすれば、有難味が増すか、成功のポイントは、ここでしょうね。
雨が降っても、心は動かない。
屋根の水は、ここを伝って、下に。
明神池名水公園のそばに、明神蕎麦があった。 ここです。
お店に入ったが、打った蕎麦がなくなり、30分程かかるというので、名水公園を散歩。
かわいい石橋。 (水を通す橋だった。 真ん中に、水抜きがあった。)
明神池。 阿蘇さんの伏流水で出来ている。 真ん中に、河童の像。
こんなお話し。 (※ 中身も、表現も、未完成ですね)
小さな神社があった。 群塚神社。
中の正面に、こんなのがあった。
あの字は、虫って読むんだろうか、などとしうさんと話したが、分からなかった。
調べてみたら、最初の字は「祈」。 その後は、4文字熟語で「武運長久」。
戦の前に、祈る内容ですね。
書いた人は、終戦の少し前に総理大臣をしていた、小磯國昭。
陸軍大将でもあったため、戦犯とされるが、病気でなくなる。
※ 誰が、人々を戦争に導いたかは、多くの人は考えなかった。
それより、敵国を憎む方を教育されていた。
だから、戦争に大きく関わっていても、このように大事にされる。
やっと食べられる。 天ぷらは、ごぼう天。 とろろのご飯。 蕎麦せんざい。
お腹が空いていたのでこれに。 しうさんも同じ。
美味しかった。 お店がずっと込んでいたが、その理由が分かった。
お店が、お茶を出すのを忘れていて、申し訳ないと言って、売り物のバッタをくれた。
次は、白川水源。
歩いていたら、しうさんが、「きれいだね」って叫んだ。
言われてみれば、確かにきれいだ。 私より、発見が早い。
椿の花が落ちて、雨に濡れていた。 普段は、落ちたら、だらしなく見える花だ。
これも、「1年中、紅葉かな」とか言って、しうさん発見。 負けている感じだ。
わたしは、「まあまあきれいかな」と、深く考えないで、パチパチ撮っている。
雨は、まだ止みません。
白川水源。 写真の右の向こうの地底から、水が噴き出している。 ここです。
水源を守っている。
熊本市を通り、有明海に注ぐ、白川と言う大きな川がある。
その水源がここ。 白川水源。
真ん中の青っぽい所から、特に強く噴き出していた。 そしてすぐに、川の誕生。
両側に水は流れていた。 どっちも、白川。 途中で、合流。
ここの水は飲める。 飲んだ。
美味しい感じがした。 ※ 水の美味しさは難しい。 ※ 自分の責任で飲めと書いてあった。
ここの駐車場で、しうさんとお別れ。 4日間お世話になった。
紋別にいる時、しうさんから、旅のノウ・ハウを学んだ。
昨年3月31日の夜、明日出発しますと、挨拶のメールを送った。
それから、間もなく1年が経とうとしている。
今回の菊池への訪問は、なんとか続けてますよと、旅の報告に来た感じでもあった。
月廻り温泉の近く。 見える山は、阿蘇の外輪山。 走ってる道も、外輪山の上。
波野という町の山の中。
今日見た所は、1本の桜の木と、水源。 どちらも、初めてのものだった。
雨の1日だっただ、見た所が良かったですね。
長くいた、鹿児島・長崎・熊本から離れて、大分に向かいます。 そして北上します。
菊池で元気をいただきました。 2年目の旅に向かいます。
【道の駅】 波野
【明日の予定】 この近くか、竹田。
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阿蘇神社の火振り神事を知ったのは、人吉の床屋さんで。
人吉の観光地は、地元の人しか知らないんでないの、とか冗談を言ってた時に、火振り神事が出てきた。
一度は見たらいいって、お店の人は言った。
この時に、菊池の桜を見て、阿蘇に行くという、旅の流れが決まった。
阿蘇神社。 全国に450ある阿蘇神社の総本社。 創建は古い。(紀元前とあった) ここです。

高砂の松。

灯りがともる、夜の神社は、昼間とはちがう。


楼門の壁にあった。

火振り神事は、7時から。 6時頃から太鼓などや、儀式があるため、人は集まっている。
私たちは、境内に入った。(私たちって、しうさん親子と私)

報道関係も、多い。 カメラマンも。

火振り神事って何なのかだが、ネットに、こんな説明があった。
※ 火振り神事は、阿蘇地方の五穀豊穣を祈る阿蘇神社の田作り祭の神事の一つ。
農業神「年祢大神(としねおおかみ)」が、姫神をめとる「御前迎え(ごぜむかえ)」の儀式で、
氏子たちがたいまつを振り、姫神を迎えたことが祭りの名の由来といわれている。
これは、楼門。 大きい。 日本三大楼門の一つと言う。

太鼓の演奏が始まった。

この時は、小雨。 なかなか止まない。

阿蘇の桜も、満開に向かっている。

この稲藁を振り回す。

7時まで、30分ほど時間があったので、食事をする。
これは、馬刺し。 (※ しうさんのお父さんは、この後もお店に)

体は、温まった。 出直したら、始まっていた。

会場は、神社の前と、神社の横。 横に行った。
火がこのように、あっちこっちにある。 この日を、藁の束に着ける。
女の人もやってた。

しうさんも始めた。 燃え方が、弱かった。

カメラのシャッターを、1秒ほど解放にして撮った。

火が飛んでくることもある。 消防士もいた。

火の中に、子供も。

この火で、厄を追い払うのか。

ずっと事故は起きないで、続いている。

子供も挑戦。

しうさんが、2度目の挑戦。 火はうまく着いてる。

一回り撮影したら、もっと良かった。

ずっと続いた。

ここは、神社の前。

火振り神事も、終わりに近付いている。

火振り神事のポスターは、火が流れるものばかり。

これを見たくて、本州からも、多くの人が来ていた。

門前は、このようにお店が並んでいる。

ここのお店に入っていた。 食事の続きを。

このような湧水があちこちに。

このような夜のお祭り(神事)は、光の中で行われるので、幻想的な雰囲気になる。
写真を撮るのも、面白い。 ※ 写真は、1脚を使って撮影。
火振り神事が始まった時には、雨は止んでいた。
【道の駅】 阿蘇
【明日の予定】 阿蘇のどこかでしょうか。
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しうさんのお父さんの車で、山小屋に向かった。 八方ヶ岳の麓。
谷を下りた右の方が、菊池市の市街地。 いい景色だ。
遠くに見える、尖がった山が、鞍ヶ岳。 菊池公園から見えた山は、これだった。
阿蘇は、その向こうにある。

あと1ヶ月ほどで完成。 昨年おじゃました山小屋は、少し下の方にある。

野の花です。 早春の花は、色や形が、少し質素。 でも、これは、まあまあ。


山道を少し散歩。 鳥がカニを食べたのか。

山の上から見た山小屋。

市街地が見えている。

こんな山道。 ウグイスが鳴いていた。

木の茂みから、出てきた。 初めて見たような気がする。

山小屋の池に流れる、小さな川の源流点を探した。 ここだった。 ここより上は、石原の下を流れている。

「暖かくていいね」と話しかけたら、「私は、これから咲きます」と言った。

山小屋の横を流れる、迫間川の上流。

山小屋の池の、ヤマメ。 25㌢以上はある。 水溜りのオタマジャクシ。


ここ全体が、鞠智城。 この城は、7世紀後半に大和朝廷が築いた山城と説明があった。


8角形の大きな建物。 名前は、鼓楼とあった。

太い木だ。 お父さんは、仕事の関係で、昔ここの設計に関わったそうだ。

米倉。 正倉院と同じつくり。

菊池の市街地でいいかな。

兵舎。

こっちは、お店など。

これが、八方ヶ岳。 この麓に、山小屋が。

観光物産館に戻った。 足湯もある。


しうさんの縁が和展は、今日が最終日。 夕方、後始末を少しお手伝い。
その後、石橋があると言うので、見に行った。 道は、迫間川に沿った道。

あるお家の庭。


20分ほど歩いたら、見えてきた。 滝もあった。

迫間眼鏡橋と迫間滝。 ※ 迫間は、はざま、と読む。
なかなかいい景観ですよ。

車が通ってる。

菊池神社表参道。

菊池神社の桜。

むこうは、菊池公園。 車が見える。

6時頃、夜桜を見に菊池公園へ。 山の上で待ち合わせ。
太陽が、黄砂に沈んでいく。

上の写真から、数分で見えなくなった。

夜店で、お酒と焼き鳥を。 今日も、全部御馳走になってしまった。 山を下りてからも。


暗くなるに従って、人が増えた。


夜桜を見て、菊池市の夜景を見て、山を下りた。

小さな料理店。 居酒屋とは違った。 魚は、清流に住む川魚。 小さなねぎを丸めたもの。
他にも、色々。 フキノトウの味がする味噌だったかな、美味しかった。
塩だけの味のおにぎり、これがたまらない。 二つ、包んでもらった。

お店の中で、花見だ。

菊池には、他にも魅力的な所が、いっぱいありそう。
紅葉の時期に、菊池渓谷に行ってみたいかな。
いい一日でした。 いい夜でした。
【停泊場所】 きくち観光物産館駐車場
【明日の予定】 阿蘇の火振り神事を見ます。
しうさんも、キャンピングカーで行きます。 今年初めての旅のよう。
【その他】 一昨日だったか、ポアンカレ予想の証明が、認定されましたね。
認定したのは、米クレイ数学研究所。
証明したのは、ロシア人数学者、グリゴリー・ペレリマン氏(43)。
昨年だったか、証明したと言われていた。
この証明で、宇宙の形が分かった。 ※ 関連ブログ ポアンカレ予想
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熊本県は色々見たが、菊池市を残して、長崎に行っていた。
菊池は、桜の時期にと決めていた。
昨日は嵐だったが、快晴で気温も上がった。
菊池神社の近くには、菊池公園、きくち観光物産館もあり、多くの人で賑わっていた。
菊池神社の表参道の場所は、後で知った。 別の所から入った。 ここです。
菊池市は、熊本市の北東25㌔位で、阿蘇山の麓にある。
市街地の北部。
菊池神社は、建武中興十五社の一つ。
※ ここを支配していた、菊池氏が、建武中興(建武の新政)に貢献したため、明治天皇の命により作られた。
建武中興は、天皇中心の政治で、武士が中心の政治が続いた中で、貴重な時代と明治天皇は押さえた。
※ 建武中興~1333年に鎌倉幕府が滅びた後に、後醍醐天皇が興した。
でも、足利尊氏が現れ1336年に滅びる。 室町時代に入って行く。
本殿かな。(確認していない。 後ろに建物があれば、それが本殿になる)
今日は、桜の写真ばかり。 お参りするのを忘れた。 いつものことだが。
門の外。
菊池神社は、桜の名所として知られている。 情報誌でも、紹介している。
隣に小さな稲荷神社が。 赤と黄色の花が目立った。
ここは、菊池公園。 店も出ていた。
菊池市は、広い平野にある。 熊本市と同じ川の流域にあるかと思っていたら、違った。
菊池川の上流に菊池市はあった。 下流には山鹿市、玉名市がある。
提灯がぶら下がっていた。 夜、灯りが付くのか。 今晩行ってみるか。
満開のようだが、もう少し。
真ん中の木だけ、花が赤かったので。
向こうの山は、あそでいいのか。(確認していない。 しうさんに後で聞く)
クランドでは、野球の試合をやってた。 子供たちの歓声が聞こえた。
今日は、3連休の中日。 花見客がたくさんいた。
白い花に、葉っぱが少し。 黄緑に見えた。
菊池には、七城メロンドームという道の駅がある。
ここは、メロンの産地だ。 そのことを知らないで、北海道からメロンを送ったことがある。 何をやってるのやら。
桜を見る展望所。(観月桜展望所だっかた)
3月に、こうやって桜が咲くから、卒業式と桜が重なるのかな。 北海道は、雪があるのに。
公園は広い。 ここでも、花見。
観光物産館の駐車場。 手前の方に、車を停める。
物産館の裏。 舞台で演奏会。
ヘリコプターの遊覧飛行。 1回、3500円。
しうさんの「縁が和展」を見に行く。 場所は、物産館から5分ほど。
ここは、「お菓子の香梅」菊池店。 入って右は、広い喫茶店になっている。
そこの壁とかに、しうさんの作品が展示して、売っている。
しうさんの本業は、会社のホームページとかを作る仕事。
これは、仕事とは別。
明日が最終日。
いつ作ったんだろうと思うほど、たくさん。
デザインを学んでいるので、センスがいいのかな。
※ ある旅行情報誌の旭山動物園のページ全てを、しうさんが作成している。(※追記 訂正 イラストの部分でした)
他にも、いろいろある。
下は窓で、外が見えている。
自然のものを素材にした、このような飾り。 同じものは二つない。
しうさんは、フクロウが好き。
こんな可愛い、「豆フクロウ」。 どの作品にも付いている。
しうさんが、自然のフクロウを見たのは、1度だけ。 私も。
北海道の浮島湿原で。 ※ 浮島湿原とエゾフクロウ。
松かさは、濡らしたら閉じるでよかったかな。
庭に、タケノコが、ニョキッ。 しうさん発見。
こんなのも。
一番右は、何だろう。
これは、非売品。
非売品を見たら、欲しくなる人がいる。
しうさんに言った。
非売品をいっぱい作って売れば、って。
この辺りは、菊池温泉街。 こんな看板が。 夜来香。 花の名前。 支那の夜という歌の、中国名。
※ 上戸彩が演じる李香蘭。 夜来花を歌う。
物産館の北側に、菊池神社の表参道があった。 桜の並木。
後ろが、表参道。 この道は、御所通りとあった。
昔は、菊池神社の所に、菊池城が建っていた。 そこへの道が、この道。
※ 御所通りの名前の由来と関係あるかな。
大きな木。 将軍木とある。 樹齢600年以上。 椋(むく)の木。
懐良親王が植えたという。 この人に着いて調べてみた。
※ 長い歴史の中で、菊池の地が、光を浴びた時代があったことが分かる。
※ (天草に行った時、菊池氏が天草を支配していた時期があることは、聞いていた)
懐良親王について
懐良親王(かねながしんのう 1329?~1383)
後醍醐天皇の皇子。
南北朝時代、南朝の征西大将軍。 そのため、征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)と呼ばれる。
肥後国隈府(ここ菊池市)を拠点に勢力を広げた。
そして、九州における南朝方の全盛期を築いた。
桜の名所と言われても、不思議でない。
この後、城乃井旅館の温泉に入る。 安いよって、しうさんが教えてくれた。
ヘリコプターが飛んで行った。
「どうして、おっかない顔をするんですか」と、機長に聞いてみたい。
「キリッとしてるだけだ」って、言われるかな。
菊池市の市街地は、広い菊池平野の東にあった。
菊池神社や公園は、京都で言えば、八坂神社や清水寺のある、東山の位置に当たる。
平野と山の両方ある所が、この町の魅力でしょうか。
夜は、お父さんとしうさんと3人で食事をしました。
たくさん御馳走になりました。
楽しく、おしゃべり。
アジの刺身も、米焼酎のお湯割りも、みんな美味しかった。
酔って、ブログは書けなかった。
【停泊場所】 きくち観光物産館 この辺に車はある。
【明日の予定】 しうさんのお父さんの山小屋へ
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9時頃、多比良港に行った。 フェリー出発3分前だった。
最後に乗った。
子供たちが、たくさん乗っていた。 にぎやかだ。
カモメにお菓子をやって、遊んでいた。 カモメは、どこまでも、船に付いてきた。
国見の町。 島原半島は、海岸からすぐ、このように高くなっていく。
長洲港が見えてきた。
天気が大丈夫だったら、筒ヶ岳に登ろうと考えていた。 パラパラと降ってきたので、変更。
蓮華院誕生寺奥の院に、変わった形の五重塔があるので、そっちにした。
山の上にあった。 立派だ。
ここは、真言律宗のお寺。 真言は、真言密教。 律宗は、南都六宗の一つ。
分からないのは、このようなのを建てるお金は、どのようにして集まるのか。
信心深い人が、寄付をするのか。
これが、五重塔だが、太い。 スマートでない。 でも、美しい。
調べてみたら、体積で日本一だそう。
※ 美しさで日本一を競うのは、大変なこと。 室生寺と言う強敵がいる。
だから、みんな、別のことで、日本一になろうとする。
他にも、日本一はあった。 いや、世界一だった。(自称でなく、実際にそうだった)
ここに、ぶら下がっている、梵鐘。
高さ、4.55㍍。 重さ、37.5トン。(37500㌔)
大きいということは、音が低いということか。 聞いてみたい。
どっしりと、貫禄充分。 台風で、倒れることはない。
美しさは、どの程度でしょう。 室生寺五重塔には、はるかに及ばないかな。
※ 室生寺五重塔 法隆寺五重塔 羽黒山五重塔 清水寺三重塔
仁王門。 仁王様がいる。 お相撲さんの格好だ。
毎年ここで、横綱の土俵入りがあるそうだ。 九州場所の時か。
大仏さまが、遠くに見える。
大仏様。
どうして、相撲と関わりがあるのか?
仁王門と鐘のお堂(鐘楼堂)
本堂は、五重塔の1階にあった。
大仏様のいる、山の上に向かった。
頂上に着いたが、見晴らし台に向かった。
こんな石像。
有明海は、見えなかった。
後ろ姿。
少し太めの五重塔かな。
南大門を作る計画がある。 そこに納める仁王様。
一番右の白いのは、朝青竜が心象モデルだという。 心象モデルだから、そっくりではないのかな。
見終わって、道の駅「きくすい」に行った。 少し散歩した。
肥後民家村があった。 雨が降ってきたので、行かなかった。
江田船山古墳。
この古墳は、こんな古墳だった。(Wikipediaより)
日本最古の本格的記録文書である75文字を銀象嵌(ぎんぞうがん)で記した大刀が出土したことで有名な前方後円墳。
ここに、石棺があった。 見学できた。
これが、石棺。 80以上の埋葬品が入っていた。
こんなのが。 発掘されたものは、全てまとめて国宝に指定された。
近くに、こんな橋が。 これが、吊り橋だという。
向こうは菊池川か。(確認できていない)
縄文時代の、復元住居。
この顔がいい。 縄文人の目つきって、どうだったのかな。
さっき渡った、吊り橋。
道の駅「きくすい」の建物。
卑弥呼がいた邪馬台国は、九州のこの辺りかも知れないと言われている。
古くから、人が住みついていた。
古墳から出るものも、古い。 だから、国宝になる。
日本の発祥の地かも知れない。
【道の駅】 きくすい
【明日の予定】 菊池に行きます。 しうさんの住む街です。
二日間菊池を見て、その後、23日の阿蘇火振り神事を見に行きます。 しうさんも一緒です。
【今日の歌】 異邦人(YouTube)
栄冠は君に輝く(YouTube) 高校野球が始まる。 この人のが、飛びぬけていい。
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根室にいた頃、千島桜の白い花が咲いたのは、5月の末だった。
それより2カ月早く、九州では咲き始めた。
菊池に行くのは、桜の花が咲く頃と、決めていた。
それで今、長崎から、島原半島に来ている。
国見の町に、神代小路があったので、見ることにした。 読み方は、こうじろくうじ。 こうじでない。
伝建地区に指定されている。

2006年に、「美しい町並み大賞」を受賞したという。
※ 伝建地区の美しさのチャンピオンは、三年坂かな。
石垣があるが、雰囲気は柔らかい。
家臣たちの居住区となっているから、武家屋敷に近いのかな。
鍋島藩が治める時代になって、整備された。

鍋島藩が治めるずっと前は、神代氏だったため、ここの地区は、神代(こうじろ)。
古い板だ。

ここは、佐賀藩(鍋島藩)。 島原藩の中に、飛び地のようにあった。
鍋島邸。

正面は、長屋門。 門の両側に、人が住めた。 花沢集落で、初めて見た。
長屋のような細長い家の真ん中が、門になっている。 元禄期の建物。

鍋島邸を見た。 受付の人が、庭を花を説明してくれた。 北海道の士幌に友達がいると言った。
この花は、カイドウ。 海棠と書く。 バラ科。 少しだけ、サクラに似ている。


これは、サクラ。 咲き始めた。
ヒカンザクラは終わっていた。 カンヒザクラともいうそう。 彼岸桜とは別。
調べてみたら、このサクラとオオシマザクラの自然雑種が、河津桜だそう。 初めて知った。

これは、ボケ。

長屋門から入ったら、この場所。

庭。 庭には、山があった。

左側は山。 後ろも山。

瓦の屋根の一部。 使わなくなったのを、ここに持ってきた。 家紋。


藩の境にあった、道標のようなもの。
佐嘉領って読める。 ここまでが、佐賀領って言う意味か。

シダレザクラ。 山の上から撮影。


硝子戸が美しい。

山の上は、このよう。


山の斜面。

八重桜ですね。 華やかだ。

鍋島邸を出た。 この花は、モクレン。 まだつぼみ。 通りがかった人に、教えてもらった。

石垣の、ゆるやかな曲線がいい。

きれいな水が流れている。

こんな入り口。 枡形って言うのかな。 少し入って、曲がる。

石垣の上が、このようなのも。

水が出て来る。 排水ではない。

茅葺の屋根。 傷んでるとこも多かった。

せせらぎにカモが。

いい色。 名前は?

メインの通りではなく、中小路。

祠があった。 右は、馬頭観音か。 頭に馬。

白い桜。

フェリーの出る、三国町に向かった。 港に車を停めて、散歩。 島原鉄道。

シラサギが、水面の自分を眺めてた。(?)
自分と分かるのか。 まさか、自分の美しさに見惚れているってことは、ないだろうな。

街灯はサッカーボール。 サッカーの町。 国見高校がある。

神代小路は、静かに人が住んでいる、伝建地区。
鹿児島の武家屋敷に比べたら、やわらかさを感じた。
【停泊場所】 国見町の多比良港。
【明日の予定】 海を渡って、再び熊本県です。
【今日の歌】 蛍の光(YouTube) 高音の部分が特にいい。 卒業式が多かったと思うので。
仰げば尊し(YouTube) 歌ってるのは、ジェイド・イン。 この2曲が好きです。 両方ともいいですよ。
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この小さな島には、昔、高島炭鉱があった。
ある人のお母さんが、高島にいたことがあるという。
それで、今日も、写真は少し多め。
長崎フェリーターミナルから乗った。 写真の左奥の船。

11時50分、出港。

豪華客船。 ちゃんと働かなくても、お金のある人はある。 世の中の仕組みに・・・。

女神橋。 高さ、65㍍。 長崎港の入り口。

高速船。 揺れる。 船は、満席。

伊王島に寄って、客を降ろす。

ほとんど降りた。 団体客だった。 伊王島を出た。



伊王島を出たら、船は揺れた。 船の中で立つのは、やっとだった。
ここが、高島。 発音して、濁りのない響きがいい。 ここです。

右の方。 市街地になっている。 この後行く。

長崎市高島町。 昔は、単独で高島町。 軍艦島は、高島町。

向こうから来た。 港の、左の方。 切符売り場の、水槽。



島の南北の長さは、3㌔ない。 面積は、1.34平方㌔。
1185年、 平家の落武者が高島にたどり着き、住みついたといわれる。
北に向かって、歩いている。 石炭資料館が見えた。

港の公園に、岩崎彌太郎の像があった。 三菱の創業者。 石炭を掘った。

資料館の外に、軍艦島の模型が。

高島は、ここ。

昔の小学校。 昭和41年ころ。(東京オリンピックの2年後) ここは今、海水浴場。 伊王島が見える。

立抗が見える。 昭和44年頃。 港。 昭和35年。


右端に、高島が。 石炭の坑道は、こんなに広く伸びている。

グラバー別邸跡があるので、そっちに行く。 北に。

山に登る道を選んだ。 木の根は、こう。


港が見えた。

花も、増えてきた。


この下辺りに、海水浴場や、釣り公園があるのかな。

別の場所。 港全体。

道を人に聞いた。 細い道が、網目のようにある。



この写真に、変わった所がある。

ここ。 こういう名前。 オランダ式とある。


小さな港が見えた。

バス通りに出た。 バス停がある。 バスは、1回乗ったら、100円。 小さい。



港の北にある、小さな山の上が、グラバー別邸跡。 グラバーは経済人。 ここの石炭掘りに関わっている。

グラバーの像があった。


いい風景だ。 左は、伊王島。 右は、香焼町。
※ 香焼町は、合併する前の香焼町時代、子供達の学校でかかる費用を、全て無料にした町ではなかったかな。
(このことについては、跡で確認)

西の方。

グラバー別邸跡から見た、下の風景。 向こうの山を越えてきた。

道を戻って、バス停に。 そばに、これがあった。
明治初期の、近代化された、立て抗。 もちろん、石炭を掘るための。
名前は、北渓井(きたけいせいこう)。
1869年に出来た。 蒸気機関の力で動いた。 深さ43㍍。 毎日300トンの石炭を掘り出した。
世界遺産を目指すリストに、軍艦島とともに、入っている。

明治初期のころ。

新緑。 これからという時が、一番いい。


西への山を越えたら、軍艦島が見えるはず。

この辺りに、昔、陣屋があった。 桜は、咲き始めていた。


これは、伊王島かな。

ツツジと思う。 咲き始めた。

道が分かれたので、下に行った。 (地図は、持っていない)

見えてきた。 右が、軍艦島。

海沿いの道を、下った。

あの風車は、どこからでも見える。

今日の波なら、野母崎港からは行けない。 上陸が無理。

上陸した地点の、反対側。 海に浮かぶ要塞のようだ。
もう少し建物が高く、緑に囲まれていたら、天空の城「ラピュタ」にも似て来る。

スタート地点まで、あと少し。 サボテンが、雑草のように生えていた。


港の公園。 高島節の石碑。


あっちが、高島の小さな中心街。 スーパーもある。 石炭博物館を見た。

4時半頃、乗る船がやってきた。 4時35分、長崎に向けて港をでた。


あの山の向こうに行ってきた。

長崎港。

赤い橋のこっちにある、広い駐車場に車を置いている。

ある人のお母さんが、このブログを見ることがあるかもしれない。
それで、色んな風景を、載せました。
喜んでもらえたら、うれしいです。
※ このブログを読んでいる人の中で、懐かしい土地があれば、コメントでお知らせください。
近くを通った時、寄って、取材しますよ。
【停泊場所】 諫早干拓堤防の近く。 駐車場。 この辺り。
【明日の予定】 神代町を歩く。 平成18年度都市景観大賞「美しいまちなみ大賞」を受賞しているので。
【今日の歌】 君をのせて(YouTube)
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今まで見た物の中の、何に近いのだろうと考えた。 タウシュベツ川橋梁だった。
タウシュベツ川橋梁① タウシュベツ川橋梁②
風化はしているが、それを通して、それが現役だった時代を思い起こすことが出来る。
京都や奈良の古い寺を見て、千年前に思いを馳せるのに、似ている。
何もないのに比べたら、イメージ豊かに、昔を想像できる。
天気は、快晴無風。 前日からは、予想できない天気。 すぐ、海を見に行った。 小舟が浮いていた。
運が残っていた、と思った。
8時半に、陽の岬温泉の港から出航。
※ 写真が多いので、この後、コメントは短く。
この船。 上陸できる見通しと、船長さんから話があった。 客は、全部で7名。

昨日の波が、残っている。 見えてきた。

白い所から、上陸。 ドルフィン桟橋。

桟橋から、向こうに渡る。

地図。 ドルフィン桟橋は、下の方に。

幹部の住宅。 地図の3。

貯水槽。

右の方は、小中学校。

立抗。 地図の左の方、巻き上げ槽とある。 一気に、600㍍降りる。 事務所がこの辺り。 右遠くは、アパート。

中は、こう。

幹部の住宅の拡大。 風呂があった。 地図で、3。

見学広場1から、2の方を撮影。

遠くの建物は、小中学校。 グランドは、建物の向こう。

見学広場2の前。 高い所には、貯水タンク。

左を回って、向こうに行ったら、見学広場3。

台風の波が、コンクリートの壁を倒す。 台風の時の波は、この島を越える。

木造の建物に比べたら、コンクリートの建物は、あっけないもんだ。

島から灯りが消えたので、灯台を作った。

見学広場3から。 一般の職員社宅。

窓一つで、一戸。 広くない。

上のもっと左かな。

鉄骨が錆びるから、ダメになるのか。

船長さんが、アルバムを持っていた。 島にいた人しか持っていないもの。 撮影させてもらった。

住宅は、こう。

全体に、子供っぽい。

これのために、今後もお金がかかる。

私たちも、今日、ここに渡った。

屋上に水を運んでる。 畑がある。

野母崎の人が、野菜を売りに来た。

端島(はしま)神社のお祭り。

これも、お祭り。 おでんかな。

採炭現場。

反対側から。 左上に野母崎が見える。

自然に壊れていくのは、仕方ない。 台風のは、防ぐ必要がある。

手前は、見学広場2。

モーターですね。

階段が多い。

アロエか。 昔植えたのが、今も生きている。

やっと見つけた花。 これから暖かくなって、もっと咲く。

小中学校の屋上。 ここに、畑があったのかな。

このように、錆びる。

左の建物の、上の部分は、幼稚園。

船に、戻った。

島を、一回りして戻る。 神社が見える。

小学校の建物の右に、グランド。

長崎からの船がやってきた。 満席。(調べていた)

時計と反対にまわった。 小中学校。

高島。 ここにも、炭鉱があった。 ある人のお母さんが、昔住んでいたそうだ。 明日行く予定。

左が、小中学校。

職員住宅。 ガラスが残っている。 あそこが自分の家だったと、分かる人がいるんだろうな。

職員住宅。

上の住宅を、斜めから。

桟橋の反対側に来ている。

最盛期には、5300人が住んでいた。

ここに住む人達の水は、初め船で運んでいた。 後に、本土から送水管で。

電気は、海底ケーブルで送電。

お風呂は共同浴場。 お湯は海水。 上がり湯だけ、真水。

台風で、波の直撃を受けない方は、痛みが少ない。

貯水槽。

地図の左の方から。

今下船していた。 ずいぶん時間がかかっている。

島を離れた。 波は、穏やかになっていた。

間もなく着く。 漁船が出て行った。

タウシュベツ川橋梁もそうだけど、こういうのは、風化していくのをそのまま見ればいいと思う。
ただ、軍艦島で問題なのは、台風の波が壊していること。
護岸工事で防ぐことは出来るが、膨大な予算がいる。
上陸ツアーも人気があり、観光資源として大事にされているので、いずれ予算は付くでしょうね。
軍艦島は、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして、世界遺産暫定リストに入っている。
普通は廃墟と言われるものが、世界遺産になったら、驚きです。
タウシュベツ川橋梁には、美しさがあった。
でも、軍艦島に、それはない。 ただの廃墟。
私を含めて、どうして見たいと思うのか、それが不思議。
昔に思いを馳せることができる、とは言っても。
【停泊場所】 軍艦島資料館の駐車場。
【明日の予定】 高島
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昨日から、軍艦島について調べていた。 野母崎から出る船があることが分かった。
波が小さくならないと、行けない。 今日は欠航。
軍艦島は、野母崎沖だった。 直線で5㌔ほど。 目の前だ。

島の名前は、端島。 今は無人島。 その外観から、「軍艦島」と呼ばれ親しまれてきた。

長崎方面。 陽の岬温泉のそばから撮影。

300㍍ほど長崎側に歩いたら、軍艦島資料館があった。
現在の写真は、載せません。 それは、自分で撮ってくる。
昭和30年代に、最も栄えた。 私は、小学生。 石炭を掘った。

周囲1.2㌔の小さな島。 人口は、5000人を越えた。 高い人口密度。
日本最初の、鉄筋コンクリートの住宅が出来た。

小中学校、神社、映画館、お店、病院、何でもあった。
これは、プール。

お店もたくさんあった。

生活は、貧しくはなかった。

いい顔だ。

ここの石炭は、八幡製鉄所に主に送られた。 隣の高島炭鉱と共に、日本の近代化を支えた。


最盛期には、年間41万トン。 (これが、どれだけの数字かは、調べていない)

エネルギーは、石炭から石油に代わって行く。
1974年、炭鉱は、83年続いた歴史に幕を下ろす。 国策により栄えた島は、国策により、再び無人島に。

昨年の4月22日に、上陸ツアーがスタートした。

※ 大きくなります。

情報誌には、長崎からのが載っていた。 車をどこに停めるかなどを、調べていた。
ところが、資料館を出たら、これがあった。 晩に、電話で予約する。

権現山展望公園に行った。 そこにあった地図。 上の資料館は、物産センターと併設。 そこの駐車場に、私は今いる。
この地図で、樺島のオオウナギのことを思い出した。 池田湖のブログを書くときに調べていた。 井戸にウナギがいる。

向こうからこっちに、長崎半島は伸びている。

長崎方面。

軍艦島。 少し高い位置から。

長崎の市街地。 女神大橋が見える。

桜が咲き始めていた。 花が白い。 近くのソメイヨシノは、今にも咲きそうだが、つぼみ。

頂上の展望台。

小さな神社があった。

山を下る途中。 向こうの、樺島に行く。

赤い橋を渡って。

ウナギのいる井戸の近くの駐車場に車を停めた。 桜が咲いていた。 ソメイヨシノと思う。 白いのも咲いてる。

ここから、すぐ近く。

向こうから、来た。 左に井戸が。

この井戸にいるという。
どうやって井戸に住みついたと思います? 這ってきたのではない。 調べても、すぐには分からなかった。

中は見えない。 世話している人がいて、頼めば反射板で明るくしてくれるという。 頼まなかったが。
※ この時、リュックをしょっていなかった。 リュックには、懐中電灯が入っていた。
筒の中に隠れていたら見えないから、無理に見ようとは思わなかった。 最後は、そうなった。

上の井戸は、地下水脈で、川とつながっていた。 稚魚なら通れる。 それが、ここに住みついて大きくなった。
ただ、今は、道路工事などで、地下水脈が塞がった。
今のウナギは8代目で、7代目までは、自分でここにやってきた。 今の8代目は、井戸に放した。
いつもは見られないから、水槽に2匹飼っていた。 この島で捕まえたもの。

説明は、ここに。


井戸の中のウナギ、うな太楼という名前。 詳しくはここに。 写真もある。 樺島小学校のホームページ。
樺島灯台に行ってみた。 山の上だった。

さっきまでいた、権現山。

小さな灯台の資料館があった。 こんな色紙が。 リュウゼツラン(Wikipedia)
この色紙を読んで、周りは断崖なんだと思っていた。

小さな公園を散歩していたら、断崖のロープの手前に花があった。 造花の花束が、土に埋めてあった。
ここで、何かがあったと思った。 悲しみを束ねた花束かもしれない。

白い桜も、満開。

山の斜面のあちこちに、お年寄りが畑を作っていた。 人もいた。 楽しそう。

樺島の漁港。

橋を渡った。 この辺り一帯が、野母崎。
カラスミの産地だった。 長崎でも、ここが有名だそう。
Wikipediaにこうあった。
中国からの伝来当時よりサワラの卵で作られていたが、延宝三年(1675年)、高野勇助が長崎県・野母崎方面でよく捕れるボラの卵で製造することを案出した。

野母崎に何があるか分からないでやってきた。 何もない所なんてなかった。
情報誌に載っていない情報が、たくさんあった。
明日、軍艦島の行けることを願っている。
※ 追記 17日朝は無風。 空のどこにも雲はない。 昨日は、風で車が揺れたのに。(7時45分)
【停泊場所】 軍艦島資料館駐車場。
【明日の予定】 軍艦島に。
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動く時間も少なかったので、北に行くのは、再度やめて、野母崎に向かった。
花を見て、温泉でゆっくりした。
長崎半島の先端に向かった。 そこは、野母崎(のもざき)。
山の斜面は、どこも、ビワ。


色とりどりのビワがあった。 まちがい。 袋の色です。
今日の写真は、車を停めて撮影。 ここには、無人の販売所があった。
ミカンが、1袋100円で売っていた。 冬ミカンでない。 8個くらい。 1袋買った。


日本一のビワの産地であることは、だいじょうぶ。(調べた)
長崎県は、日本全体の生産量の3分の1。
江戸時代の末期に、日本に入ってきた。 茂木ビワという品種もある。
そういう所に、何日も前からいるが、まだ口にしていない。 店には、売っていた。

長崎県亜熱帯植物園。 駐車場が離れているので、このバスで行く。 ここです。

広い山の斜面に、花壇と温室がある。 でも、今日は雨なので、客は私一人。

ランの温室があった。 名前にナガサキが付くのが多かった。 小型のラン。

ここでは撮影方法を変えた。 ISO(感度)を小さくして撮ってみた。 色が綺麗に出るかなと思って。

写真の9割が失敗。 手ブレを起こしていた。 パソコンで確認した時分かった。
気に入った写真は、1枚もなかった。

ここは、ハイビスカスの温室。 ただの温室。

綺麗なハイビスカスを見た。
ハイビスカスは、きつい赤で、大味な花だと思っていた。 いい花だと分かった。

名前は、一部しか記録できなかった。 花びら5、めしべ5。 何でも5かな。

真ん中辺りが、立体的に見えて来る。 これは、レッドローバー。

園芸品種として、色んなのが作られているんですね。

ウィークエンドという名前。

ホワイトキャッスル。

ランの華やかさとは違う魅力がある。

花を撮る時、周りも一緒に撮りたいと、思っている。 後ろをぼかしたかったら、離れて望遠。

別の温室へ。

これも、ハイビスカスか。 こんな雰囲気の女優がいる。 誰だろう。

ブーゲンビリア。 葉っぱなのに綺麗。 花に負けない。

これが、ブーゲンビリアの花。

上の3枚の写真は、下の大温室で。 花は、少しだけ。

フラワーガーデン。 大きなランがあったが、写真は失敗。 花の管理は、良くないかな。


植物園で、いい所は少ない。 良かったのは、ここくらいか。 フラワーパークかごしま。
脇崎港。 ここです。 橋を渡ったら、樺島。

右の方。

野母崎 海の健康村の駐車場に。 野母崎港。

ここの温泉が、陽の岬温泉。 温泉でのんびりは、久しぶり。 いつもは、30分以内。 食事もおいしくて安かった。 ここです。

写真は、温泉のHPからお借り。 自慢のオーシャンビューとあった。

炭酸水素塩泉が特徴。 50肩に効くというので、10分以上は入った。

四国の形は、分かりやすい。
九州の形は、覚えづらい。 特に、長崎の辺りが、複雑だ。
長崎半島があることも、こっちに来て知った。
軍艦島がこの近くにあることも、今日分かった。
【停泊場所】 温泉の駐車場(許可をいただいて)
【明日の予定】 野母崎を探索かな。 軍艦島をまだ見ていない。
【今日の歌】 恋のバカンス(YouTube) 本田美奈子 ハイビスカスと言えば、この歌です。
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高校までそこで育ち、長崎に出る。 一昨日歩いた近くに、大学はあった。
日帰りの旅で時間は少ないが、その街を歩いてみることにした。
朝6時30分の始発に載った。 茂木港のバス停。

長崎の街を、港へ歩いていたら、こんな標示が。
そこの交差点で、国道324は終わりだという。 この国道は変わっている。
ここをスタートと考えたら、少し行ってアーケードの中を通る。 車は、朝しか通れない。
そうして茂木に行って、国道は海になる。 天草の苓北町にフェリーで着いて、熊本市に近い宇城市まで。
アーケードと、海が面白い。

長崎港のフェリー乗り場。 右の建物は、ターミナル。

8時発、11時30分着。 3時間半かかる。 片道、2700円。

左の船は、高速船。 料金が高い。
右の船は、珍しいですよ。 EUROPA(オイローパ)という豪華客船。
調べてみました。 今朝長崎港に入って、晩に釜山に向かう。 世界のトップクラス。 詳しくは、ここを。

グラバー園が見える。 長崎の1日目に行った。 写真を撮り終わって、少し寝た。 寝不足なので、ぐっすり。

11時を過ぎたら、見えてきた。 福江島。

思っていたより、港は立派で、町は大きかった。

フェリーターミナル。 今日歩く地図。


地図の上の方に歩き始めた。 常灯鼻。 160年以上前に出来ている。 防波堤と灯台の役割かな。

右に、福江川が流れている。 明人堂が見えてきた。

16世紀、明の貿易商人が、この辺り一帯に住んでいた。 長崎の出島の感じか。 今は、ここは唐人町と呼ばれている。
航海の安全を願って建てた明人堂が、昔ここにあった。
中国から取り寄せた材料で、中国の大工さんが作った。(再現した)

近くに、六角井(戸)があった。 中国式だから、6角形。 今も、水はあった。


ナタオレノキとあった。 固いそうだ。 鉈(なた)が折れる意味か。

宗念寺を少し見学。 昔、この島で活躍した人たちの、お墓があった。
これは、六地蔵と、ろく地蔵の塔。 少し前にも、この塔は2度見た。


五島市役所の方に、向かっている。 アーケード街。 いい感じ。

五島市役所。 ここを通り過ぎて、U先生の家の方に行く。

突き当たりに、そば屋があって、その手前右といった。

そば屋の方から撮影。 道は整備されたそうだ。 小高い、丘の上だった。
ここを拠点に、この島で18年間暮らしたということだ。




犬が寝ていた。 シャッターの音で、目を覚ました。 道路の向こうなのに。

来た道を戻って、真っ直ぐ行くと、福江城の石垣が見えてきた。

先に、上の写真の右手の方にある、武家屋敷通りへ。
どれだけ、こんな風景を見てきたことか。 どうして、九州には多いんだろう。 石が多いだけではないように思う。

古い武家屋敷を利用した休憩所。 喫茶店も。 石垣の上に、丸い石が積んである。 初めて見る。

中に入ったら、更に門をくぐって庭へ。

向かい側の家にも、入った。

石の流し台があった。

向こうから来た。 ここは、伝建地区には指定されていないようだ。

福江城に向かった。 ここは、石垣の外側。

城跡に何が建っていたかというと、高校だった。 五島高校。
今の時代なら、公園にするんでないかな。 土地がせまい島ではない。

福江城も大きな城だ。
ここの住む殿様と、武家屋敷の武士たちを、この島の農民が、養った訳だ。
石垣や建物が立派であればあるほど、庶民は大変だったんだろうなって、思えてくる。

城山神社。 五島家の氏神を祀っている。

ここの石垣には、こんなのがある。 直線で、隙間がない。

4時間ほど歩いて、ターミナルに戻った。 長崎からのフェリーがやってきた。


豚がいた。 トラックは、特攻隊の飛行機に似ている。 これに乗ったら、あと少しの命だ。

この船です。 大きいから、前と後ろが違う。

ここを通って乗る。


私の近くの人が、弁当とビールを買ってきた。 眺めているのは地獄だ。
私も同じものを買った。 ビール2缶目も真似して買った。 ワンカップの酒は、真似しなかった。

福江港を、4時40分に出た。 もう一度来ることは、あるだろうか。

午後8時に、長崎港に着いた。

長崎の夜は、これからだ。 私は、バスで茂木に戻った。

今日歩いた所は、福江島の一部。
でも、歩いた所は、記憶に残る。
観光地に行きたいと、強く思っているわけではないので、今日の旅で不満なし。
夜、芋焼酎を、いつものように飲んだ。 ビールとのちゃんぽんになった。 二日酔い。
ビールが悪いのか、それとも焼酎が悪いのか。
まさか、飲んだ私が悪いということは・・・。
【停泊場所】 茂木の港。
【明日の予定】 時間がなくなって、こまった。
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調べるのに、時間がかかった。
大村へ行くつもりだった。
でも、ずっと考えていたことが、あった。
それは、福江島だった。
私は紋別市内の小学校にいたことがある。
先日のブログにも書いたが、40人学級だから、先生方は大変だ。
どうしても、何人かは、勉強に遅れる。
そういう中で、特別支援教育との関わりで、放課後教室がつくれないかとなった。
学ぶことに苦労している子供たちを、みんなで支えるという考えだ。
設置には、先生方の協力がいるし、新しいことだから、提案の方法が難しい。
この時、一緒になって考え、知恵を出してくれたのが、U先生だった。 30代前半。
特別支援教育のエキスパートという存在だった。
職場から離れても、一緒に酒を飲み、マージャンをし、楽しく過ごした。
その先生の出身地が、長崎県五島列島福江島だった。
いつか行ってみたいと思っていた。
数日前から、検討に入っていた。 ぜいたくな旅はできない。
日帰りなら、往復5000円ほどだ。 福江島での時間は、5時間ほどある。
これでいいかとなった。
車は、茂木港に置いておく。 これが、一番安上がり。 出発は、明日。
そんなことで、今日は、大村に行くのはやめて、近くの長崎ペンギン水族館に行くことにした。
昨夜いた所は、長崎市の宿町だった。 停泊した近くから、市街地を撮影。

駐車料金も、別にかかった。

ペンギンの他にも、魚はたくさんいた。 これは、イワシ。
※ イワシの刺身は、美味しい。 これを食べたくて、釧路の研究会に参加したことがある。
他には、野球を見たくて札幌の研究会。 いつもこうだった。 札幌の研究会については、このブログの後半に。(若い時)

ペンギンの巨大水槽。

ペンギンは、水の中でのほうが、いきいきしている。

魚もいっぱい。

魚の顔は、人間の顔に似ている。

オオウナギ。 大ウナギではない。 ※ 関連ブログ 池田湖の大うなぎ。

熱帯魚。 サンゴがあるから、カラフルなのかな。

北の海で赤い魚といえば、キンキくらいだ。

キンキは、深い海に住んでいる。 ある日、キンキの子供が言った。「お母さん、青い海が見たいよ」って。
お母さんは、言った。「青い海を見ることは、けっして出来ないんですよ」って。
深い海にすんでる魚は、青空を見た時、目が飛び出してしまう。
だから、見ることはできない。 これは、「キンキの夢」というお話し。 かなわぬ夢の話し。
外国の、1㍍くらいの魚がいた。

タツノオトシゴ。

手や足は、どうなっているんだ。

オトヒメエビ。 魚の汚れや寄生虫をとる、魚の掃除屋さんだそう。

ヒシガ二。

ヘコアユ。

イシサンゴ。 イソギンチャクに似ている。

何を撮ったという訳ではない。

カブトガニ。

ペンギンは、そんなにめんこくはない。 表情に問題があるのか。

海の中にもいた。

戻るとき、道の横にいた。 動かないから、置き物かと思った。

今までの中で、一番鮮明。

海沿いの道を、茂木に戻った。 こういう所ばかり。

そうして、どこの山にもビワが。 必ず、袋をかぶっていた。
長崎県は、ビワの生産日本一。 茂木辺りで、一番作っている。

県道34だが、両側1車線に、時々なる。

茂木の港に戻ってきて、街を散歩。 港から撮影。

山の上は、ビワ。

道を猫が歩いていた。 のんびりした町。

ここのバス停から乗る。 港は、左の方。

こう言う通りがよくある。 私道だとか、うるさいことは言わないんでしょうね。

中通は、こんな雰囲気。

絵になる風景が、時々ある。

今日は、のんびりと過ごしました。 気温は、20度以上ありました。
明日は、6時半のバスで、長崎に行きます。
フェリーは、8時出発。 11時30分、福江港着。
16時40分、福江港発。 20時00分に、長崎港着。
茂木の港に戻るのは、9時を過ぎると思います。
【停泊場所】 茂木の港の駐車場。
【明日の予定】 福江島 ここです。
【今日の歌】 パピヨン(YouTube) もう一度見たい。
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火傷をした子供の写真が、たくさんあった。
名前が分かっている子の、その後をネットで調べてみた。
2名について、分かった。 健在だった。
また、長崎市の取り組みが素晴らしかった。 そのことが分かった。
昭和20年8月9日。
サイパンのそばのテニアンを出た爆撃機ボックスカーは、屋久島上空を通った。 7時45分。
9時40分、小倉市上空に来た。 爆弾投下の、第一目標の町だ。
薄い朝霧の中、爆撃手は目視による投下目標地点の確認をした。 しかし、失敗。
この後、2度するが、それも失敗。
天候も悪化してきた。
そうして、目標は、長崎市に変わった。 10時30分、小倉を離れる。
20分後の、10時50分頃、長崎市上空に入った。
しかし、高度2000㍍の辺りに、雲があった。 80~90%。
爆撃機は、長崎市街中心部へ、レーダーでの接近を試みた。
そして、命令違反のレーダー爆撃の準備に入った。 (目視での爆撃が出来ない場合は、太平洋での予定)
その時だった。
本来の投下予定地点より北寄りだったが、雲の切れ間から、長崎市街が見えた。
投下地点を変更した。 爆撃機を、手動に切り替えた。 その時が、来てしまった。
高度9000㍍から、核爆弾ファットマンは投下された。
1分後、松山町上空500㍍で炸裂した。
午前、11時2分だった。
今日も茂木からバスで行き、松山町で降りた。
ここは、原爆資料館。 場所はここ。 平和公園、浦上天主堂も見える。
この建物の裏に、追悼平和記念館があったので、そっちに行った。

追悼平和祈念館の中。
原爆死没者への追悼と、永遠の平和を祈念するとあった。 国立。
よく分からない建物だった。

原爆資料館は、隣だった。 ここは、良かった。 広かった。



原爆落下中心地は、資料館のすぐ近く。 500㍍の高さで爆発した。

長崎に落とされた原爆は、ファットマン。 実物大の大きさ。
高性能火薬、21000トン分の威力。 (4トントラック、5200台分)
イメージするのが大変だ。 ※ 核爆発と熱を出す仕組みは、ここの最後に。 分かりやすいですよ。

大量の被爆資料が展示されていた。
一瞬に、こうなった。

一人ぼっちになった子供も、たくさんいたんだろうな。

悲惨な写真も、たくさんあった。 子供たちにも、見せた方がいい。

全てが、一瞬だった。

「かなしみに限りがなかった」は、初めて見る表現。

救護を舞っている。



燃え残った木を集めて、こうしたんでしょうね。

爆風で、木は折れた。

馬。 動物も死んだ。

山王神社の鳥居。 今もこの状態である。 爆心地から、800㍍。

線路も曲がった。

女の人の後ろに、亡くなった人がいる。

ここが、自宅だったんだろうか。

写真は、アメリカの提供の物も多かった。 山端庸介という人のも。 他に個人のが。

爆心地から北へ、3.6キロの地点。 臨時救護所。
母子ともに負傷。 子供は、生後4カ月。 乳を吸う力はない。 10日後になくなる。
※ このことは、きっとお母さんの証言ですね。 お母さんは生き延びた。
※ また、戦後、写真の調査を、長崎市はやった。

兄が、弟をおぶっている。
長崎大学付属病院で被災。 お父さんは亡くなる。 お母さんは重傷。 長崎駅前。

この人は、わが子を胸に、救護所を探している。

この写真は、どこかで見たことがあると思う。
少年の名前は、谷口稜曄(すみてる)さん。 当時16歳。 現在80歳。 長崎原爆被災者協議会会長をしている。

現在の谷口さん。

吉田勝二さん。 当時14歳。 現在78歳。 今も講演で、戦争体験を語り継いでいる。

この動画に、吉田さんが出てくる。
永井隆さんの文。 長崎の人達のために尽くした。 自分も後遺症に苦しんだ。 この人の記念館がある。

いい内容で、まとめていると思う。
でも、この内容に、この表現に、不満を持つ人は、日本にまだいっぱいいる。
少しずつ、減ってはきたが。

私が一番憎むのは、日本人を戦争に導いた人間だな。 そいつらは、戦後も大きな顔をして生きた。

こんな文があった。 似たような話は、他にもある。

こんなのも。

原爆資料館を出て、坂を下ったら、原爆落下中心地。

上空500㍍は、写真の真ん中。 あの日も、ここだけ雲はなかった。

修学旅行生がいた。


この辺りは、少し掘ったら、こんな地層が出て来る。

平和公園は、少し離れた、小さな丘の上。

みんな熱い思いをして死んだから、公園には、水が多かった。

それでも、この人は助かったんだな。

平和祈念像。
右手は、爆弾がさく裂した、500㍍上空を指差している。 横に伸ばした左手は、平和を表している。
軽く閉じた目は、亡くなった人の冥福を祈っている。



腰かけてる岩に、作者の言葉があった。

浦上天主堂。 被ばくを受けたマリア像は、頭だけ発見される。 平和公園から撮影。

行ってみたが、中は撮影できない。 これが、そのマリア像。


人々の記憶から消えた時、同じことが繰り返される。
だから、長崎市は、長崎原爆資料館を作った。
※ 国は、作らなかった。 県は、作れなかった。 ということかな。
長崎市は、長崎市民をはじめ、知識人の知恵も総結集して、この資料館を作った。
そのように感じた。
だれもが、一度は見たらいい施設に、思った。
長崎を目指してやってきましたが、これを見るのが、中心でした。
【停泊場所】 茂木の少し北。 この辺りかな。
【明日の予定】 大村方面か。
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昨日は雪が降った。
もし今日も降ったら、「長崎は、今日も雪だった」と書こうと思っていた。
グラバー園を中心に、今日は歩く。
茂木のバス停に行った。
年配の婦人に、行き先を告げ、降りる場所とか聞いた。
その人は、親切だった。 長崎の浜の町でバスを降り、電車の乗り場まで案内してくれた。
電車が、いっぱい走っている。 1回、120円。 1日500円の券もあるそう。

電車を石橋駅で降りる。
誰も降りるブザーを押さないから、私が押した。
降りてみたら、終点だった。 だから、誰も押さなかった。
グラバー園は、山の上。 斜めに上る、エレベーターがあった。 住民の足でもある。


エレベータを降りて撮影。 右が港の奥。 長崎駅がある。

上の写真の、右側。 オランダ坂とかある。

受付して入ると、展望広場に出た。 旧三菱第2ドックハウスという建物の中。

建物の撮影を忘れた。 下から見たら、こう。

グラバー園は、グラバー邸があるので、こう呼ばれる。 他にも建物はある。
下に見えるのが、展望広場。 何かやってる。

長崎湾の出口の方。

カメラは回ってなかったので、リハーサルかな。
芝居は短く、突然始まる。 役者は、一瞬に、ドラマの世界に入った。

見たことのある俳優が何人かいた。 左の人の名前は?

後で調べたら、浅見光彦シリーズ「長崎殺人事件」のロケだった。
中村俊介と小野武彦。 ※ サッカーの選手は、中村俊輔。

旧長崎地方裁判所長官舎。 中村俊介の背中が見える。

レストランがあって、西洋料理発祥の地とあった。

旧グラバー住宅が見えてきた。

お洒落な建物。 陽の光に輝く感じ。 建てられたのは、1863年。
グラバーはスコットランドからやってきた。 商人であり、キリンビールの創始者の一人。



中は、当時の様子が再現されていた。

長崎は、山の上にも家があった。

グラバー園の出口に、伝統芸能館があった。 こんなのが展示。 お祭りで使うのか。


お土産屋が並ぶ坂を下って、大浦天主堂へ。

大浦天主堂の正式名は、二十六聖人殉教聖堂。 日本最古の木造ゴシック様式の教会。 国宝。

マリア像。 フランスから寄付されたそう。

外から撮影。 国宝だというのに、管理人がいなかった。 受付は、階段の下に。
教会の中は、空気が違う。 そう感じるように、作られている。

ステンドグラス。 昼間は、中から外が綺麗。

坂道を下って、孔子廟へ。 観光客が多い。 熊本は城に集まっているが、この街は散らばっている。

全体の雰囲気がいい。 全体をデザインする職業は、何という職業だろう。
これからの時代、活躍できる仕事でないかな。

向こうの坂を下りてきた。

運河が入り込んでいる。

孔子廟。 建物全体を呼ぶ名前。

大成殿。 孔子の像があり、霊を祭っている。
※ 霊を祭るって、具体的にどういうことだ。 骨とかなくても、お墓に近いか。

中央に孔子像。

麒麟の像があった。 想像上の動物。 目は、人間の目だ。

途中で見た建物。 デザインされた建物が多い。 長崎の街並みの特徴でもある。

オランダ坂。 ここだけでなく、広い。

こんな坂も。
※ オランダ坂は、日本3代がっかり名所といわれている。 他の二つは、時計台とはりまや橋。 関連ブログ、はりまや橋。

向こうに行ったら、下る。 後ろに行っても、下る。

中華街の入り口。

浜市アーケード街。 坂本龍馬一色。

ここにあった店で、トルコライスというのを食べた。 名物だと言うので。
肉は、普通はトンカツ。 チャーシューのにした。 根室のあの料理のように、脂っこい。 何でしたっけ。

私はこの後、大丸のデパートに入った。
実は、私の娘はこの春大学を卒業して、就職する。 そのお祝いの品を探した。
優れたデザインの小物を置いてる所があった。
娘と同じような年齢の店員さんのアドバイスも良かった。
気に入ったものが見つかった。 4点を買った。(ブランド名は、MONO COMME CA )
明日他のものと一緒に、札幌に送る。
娘は、きっと私の旅に賛成はしていない。 つらいところだ。
バスで戻った。 200円。

自転車の後ろの買い物かごに、子供が。 あぶない。

茂木の港。 こんなのが、3か所ほど。

夕方、この街を散歩した。 細い道や家並みから、古い歴史があると分かる。
小さな居酒屋があった。 生ビール2杯と、焼き鳥7本を食べた。 1800円。 こういう所は、今年初めてかな。
他の客と話した。 昔札幌に数年いたと言った。
サロマ湖の氷に穴をあけ、チカを釣ったとともあったと。
私も釣ったことがある。 なつかしい思い出。

【停泊場所】 茂木港の駐車場
【明日の予定】 平和公園かな。
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今は、近くの茂木港にいます。
一日、雪が舞いました。 気温は、5度くらい。
暖かいのに慣れていたから、寒かった。
諫早(いさはや)湾干拓堤防道路を走ってみた。 直線で7㌔の堤防だ。
作ってほしいと、みんなが言っても、出来ないものがある。
いらないという人間がいても、できてしまうものがある。
そこに住む人間の意見で決まっているように見えても、実際は、そうではない。
利権に群がる、陰の人間の力で決まった時代があった。
それを引きずってる人間が少しいるから、まだ苦労する。
でも、がっかりすることはない。
この続きは、今日の最後に書きますね。
朝いる道の駅太良は、太良町にある。 佐賀県の一番南。
長崎県との県境に、竹崎城址展望公園があった。
見晴らしがいいかなと思って、寄った。
城の形をした、展望台。 ここです。

この辺り一帯が、竹崎城だったのか。
この場所には、竹崎観世音寺という寺があったという。 (寺の跡に城か?)
京都に仁和寺があるが、そこの末寺だった。
建物が33あって、隆盛を極めた時代があった。
そのように栄えたのは、この地方が、仁和寺の荘園だったからだ。(年貢を払わなくていい)
太良町の港(大浦港)。 土の浜を見てきたので、こんな港は久しぶり。
海の色が青くなって来た。 ノリの養殖の支柱はない。

雲仙岳かなと思って撮影。

浜に下りた。 砂浜だった。

紐とかがあったら、このように海藻がからむ。 海苔は、この仕組みで採るのかな。

「月の引力が見える町」とある。 潮の満ち引きが見える、ということでしょうね。
調べてみたら、有明海で、太良町が最も、干満の差が大きかった。 平均で5㍍。 最大、6㍍。

諫早市に向かったが、こうです。 雪。

諫早湾干拓堤防道路。 水門のある所は、左のようになっている。 ここです。

直線の道は、8㌔以上。 このくらいの直線は、北海道にはよくある。
※ 日本で一番長い直線道路は、北海道の国道12号線にある。 美唄から滝川にかけて。 29㌔。
※ 直線にすると眠くなるから、わざとカーブを作った所があった。

途中のパーキングから撮影。 向こうから来た。

諫早市内に向かっている。

車を、上山公園の駐車場に。 諫早公園の眼鏡橋を見る。 市役所の方に歩いている。

高城神社。 諫早公園の中。 この辺りは、高城町。

小野用水。 200年前に出来ている。 手前の階段は、何だろう。

眼鏡橋。 いい形だ。 1839年に出来ている。 ここです。
別の場所にあったが、道路の拡幅などの工事のため、ここに移築した。 重要文化財。

そばに、小さな石碑があった。 蛍の石碑。 市内の小中学校の生徒会がつくった。
その中に、こんな一文が。 蛍は、こうだと。
「平和な楽しい夢を描いてくれる」と。

渡ってみた。

右前方すぐ近くに、諫早高校。

遊びの問題です。 私は、何を撮りたかったのでしょう。

答えは、噴水です。
伊藤静雄。 初めて聞く名前。

詩碑の名前が、「階段を上がる」かと思った。 周りに、詩碑はない。
やっと意味が分かって、上に行った。

読み方は、説明にあった。
「手にふるる野花は それをつみ 花とみづからを ささへつヽ 歩みをはこべ」
どういう意味でしょう。 野花は、何かに例えているのか。

公園の山の上は、諫早城の跡だった。 大きなクスノキ。 幹の周り、11.6㍍。

諫早市の市街地。

上山公園にも行こうと思ったが、寒いので、写真を撮って行ったつもり。

歌碑があった。 左から2番目。
「曼殊沙華 一揆この地に 亡びたる」
島原の乱のことを言っているのかと思ったら、違った。 昔ここで、諫早一揆があった。

長崎市内。 通ってみた。

諫早市は、干拓で知られていたので、行ってみた。
このように堤防が出来たとして、その問題点を指摘するのは、大変なこと。
証明するのが難しい。
作る目的は、表向きはここに住む人たちの幸せだったが、実際は作ること。
目的は、達成されていた。
これからの時代、このようなことは、簡単には起きない。
このようなのに関わっていた政治家は、みんな引退した。
同じことをやっても、それを見抜く人間が多くなった。 マスコミも、声を上げるようになった。
この堤防は、いつの日か、無駄だったと誰もが思う時代が来る。
その時は、水門が閉じられることはない。
※ お金がこういう工事に消えていくから、学校はいつまでたっても、40人学級。
日本より貧しかったヨーロッパの国々は、30年前から、25人学級。
子供に選挙権はなくても、将来国を支える子供達のためにお金は使った。
今日は、少しきついことを書きましたが、たまには書かないとダメかなと思っています。
長崎は見る所がいっぱい。 整理するのが大変です。
【停泊場所】 茂木港の駐車場。 ここです。
【明日の予定】 長崎市内か、この辺り。
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本殿の奥で、祭典が静かに執り行われていた。
人の写真を撮りたかったが、少しだけ。
今日気になることは、どうして大きな神社になったのか。
また、どうして狐なの、稲荷と呼ばれるのか。
人は歩いていなかった。 神社には、それなりにいたが。



楼門の中の像。 左側。 有田焼。

清水の舞台。 ここに本殿が。

鬼の面だが、黒いのもあった。

こんな感じで人が。 今日はみんな、お祓いをしてもらってるようだ。 受付をして。

本殿の舞台から、下を。

祭典は始まっていた。 受付しないと、中には入れない。

女の人が舞っていたが、昨日練習していたのは、これだった。


外での催し物はないことが分かって、少しがっかり。 奥の院に向かった。

石壁神社(せきへきじんじゃ)
祐徳稲荷神社が、多くの人の信仰を集めている理由は、この神社にかくされていた。 こうだった。
祐徳稲荷神社は、約300年前、鹿島3代藩主に嫁いだ花山院万子姫が、京都の稲荷神社の分霊を持ってきたのが始まり。
二人子供を授かるが、二人とも亡くす。
その姫が80歳になった宝永2年、石壁山山腹のこの場所に、崖を削ってこの神社を建てた。
完成したら、この中で、国や人々の安泰を祈願して断食の行を積んだ。
そして、そのまま入定(命を全うすること)した。 ※ 亡くなったということ。
この話が、人々の心をつかまえているようだ。
姫を慕って、やってくる。

これは、命婦社(みょうぶしゃ)。 この名前は、よく目にした。

説明は、こうです。

稲荷神社には、白い狐が祭られている。
どうして、稲荷神社と言えば狐なのか、こんな説明が、ネットのある所にあった。
稲荷神社というのは、もともと、稲の豊穣(ほうじょう)と関わりが深いそうだ。
狐はネズミを食べてくれるので、大事にされるようになった。 それが、始まりのようだ。
※ 狐の持っている雰囲気とか、他の理由もあるそうだが。

いい雰囲気の所が、時々ある。 ただ、コンクリートが目立った。

昔の道は、危険だったため、山を削った。



白い狐は、どこにでも。

小さな神社(祠)がいっぱいあったが、全体に傷んでいた。



ここが、奥の院。(中央) 下から、20分ほどでしょうか。

なぜ稲荷神社というかですが、このようです。
京都の東山には、山が連なっているが、その一番南に、稲荷山がある。
そこは、伏見という場所。
そこに出来た神社の名前が、伏見稲荷神社になった。
ここの石段は、管理が別なのかな。 雑然としていた。
石段が美しい所は少ない。 特別によかったのは、この3つかな。 ※ 関連ブログ 山寺 羽黒山 室生寺
有明海。 ずっと奥は、佐賀市のよう。

鹿島市は、手前。

東方面。 道の駅は、こっちに。

別の下る道があった。 道が危険とあったので、行きたくなって行ってしまった。

神社の風景。 お祓いは、5000円からとあった。



お札を売っている。

馬をなでたり、馬に乗せたり。


駐車場に戻った。 佐賀弁なのかな。

道の駅 鹿島に寄った。 この棒は、ノリ網の支柱と、後で分かった。 海の向こうが見えない。

魚を捕る網。 昨日、宙太さんが教えてくれた。

今は干潮。 泥の海だった。 鳥は、這って歩いていた。

おしまさん。

こんな伝説が。

となりの道の駅、太良にきた。

ノリ網支柱が、近くに見えた。 豊かな海だが、青々とはしていない。

この海岸線を、長崎本線が通っている。 高速の、長崎自動車道は通っていない。

急に寒くなってきた。 ※ 10日の朝には、雪が舞った。
また暖かくなるそうなので、少しの辛抱。
面白そうなところを見つけるのに、少し苦労しています。
今日行く、諫早市の方に、道の駅はない。
何とか、なるでしょう。
【道の駅】 太良
【明日の予定】 諫早かな。
【今日の歌】 アコースティックギターの曲を一つ(YouTube) 曲名とか読めない。
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あるのは、寺や資料館などだった。 魅力を感じる所を、見つけられなかった。
鹿島市に、ちょっと雰囲気の違う伝建地区と、土産物屋が多い神社が見つかった。
何かありそうと、向かった。
酒蔵通りの入り口。 ここの酒蔵の匂いに、誘い込まれた。 この場所はここ。
実際は、ここの駐車場を利用させてもらった。

入った所は、お店。 その奥では、実際にお酒を作っている。
匂いで、焼酎でないと分かった。 ここは、日本酒。
このように、店の中が魅力的な方が、入りやすい。

作っているところは、お店の方から見えた。
昭和の写真展があったので見た。 社長のコレクションという。

昭和の物が、たくさん展示してあった。 左側に、レコードが。

昔は、こんなレコードだった。 懐かしい。
ジャケットをクリックすると、そのレコードに入っているのが聞けますよ。(録音が同じ)
※ 音の良くないのもある。 わたしの城下町は、完璧。






※ 竜飛岬は、このブログに。
発展途上の伝建地区だった。 ※ 伝建地区~重要伝統的建造物群保存地区

市役所の方がいた。 右の建物の改築(復元)について、話し合っていた。(関係する所と)←抽象的

市役所の方2人と、少しだけ話した。
話を通して、基本姿勢が分かった。
① 今、白壁の家を、昔の姿に戻す取り組みをしているが、急いでいないこと。
② 利益を上げることを、最優先にしてはいないこと。
③ 伝建地区の取り組みで、何ができるかを考えていること。
③も大事なんですね。 何があるかって、例えば
・基本は、多くの人に来てもらって、この地域の経済が潤う。
でも、これは、結果そうなればいいと考えるのが、考え方としてはいい。
・伝建地区の取り組みを通して、街づくりを考えることになる。
・伝建地区が、地域の人達の交流の場となる。
・定年になった人達の、生きがいの場を、ここに作る。
他にも、もっとありますよ。
この町の昔を大事にすることは、今を大事にすることにつながる。
子供たちにも、その考えは浸みていく
伝建地区は、子供たちの学習の場としての機能を持たすことも、可能になりますね。
酒蔵通りは、子供たちの遊びの場になってもよさそう。
車の制限速度を、20㌔にして。 ※ スピードを出せないように、道に、小さな山を作る方法もある。
近くに、祐徳稲荷神社がある。
そこに来た人たちが、ここに寄るようになったら、大成功。
今でも、来ているから、難しいことではない。
ここは、地理的に恵まれている。
市役所の方たちの考え方もいいので、多くの人達でにぎわう日が、必ず来ますよ。
※ 大内宿、関宿、美々津が参考になるでしょうか。 あと、出水麓武家屋敷群。
思いついたことを、少しだけ、書いてみました。

案内所のような所に、ひな人形が。 ただ飾っている所は、ない。

茅葺の、旧乗田家住宅。


裕福でないと、こんな家は建たない。 普段は、ボランティアの人がいるのかな。

道と平行に、浜川が流れている。

水が光ってる。 これも春か。

名前は、?。

屋根の形に個性があり、建物ががっしりしている。


通りの入り口の、肥前屋さんに戻って来た。 浜の方に向かった。

茅葺の家が、修復中だった。

使える材料は、全部使う。

下が腐って切った時も、このように付け足す。

赤の柱が弱いので、黄色の柱を、横に添えた。


こうなんですね。


この家は、完成。

夷(えびす)三郎の祠。 佐賀県で、最も古い物の一つだそう。 1687年に出来た。

この家も、完成。 お地蔵さん。


祐徳稲荷神社に向かった。 10分もかからない。 郊外は、こんな感じ。

土産物屋さんの数の多いこと。 金毘羅さんもかなわない。

やっと見えた。 ここです。

お稲荷さんだから、狐。

驚きの規模だった。

情報誌には、日本三大稲荷の一つとあった。
※ 一般的に、三大稲荷は、ここと、総本社の伏見稲荷大社と豊川稲荷妙厳寺のよう。

太宰府天満宮に次ぐという。 参拝者の数が。 年間、300万人。 偶然、明日例大祭。 人を撮ってきますよ。

御紙楽殿。 これが、本殿かと思った。


ここの神社の創建は、1687年。 古い方ではない。

神社や寺は、平坦な所にあるより、このように変化に富んでいる方が、歩いていて楽しい。

ここが、本殿。 3代目の建物で、昭和32年に建てられた。

どこを見ても、美しい。

下は、こう。


明日の例大祭に向けての準備か。

色の使い方が、何とも言えない。

下りてきて気付いた。 更に上の方にも建物があった。

最初に見るべきものを、最後に見た。 ここの横に、明日例大祭と書いてあった。

浜宿の伝建地区は、いい形で整備されていくように思います。
明日は雨の予定。 午後から止みそう。もう一度行ってきます。
日本中には、知らないところが、いっぱいある。
このことを、また、思いました。
【道の駅】 鹿島 ここです。
【巣の予定】 再度、祐徳稲荷神社。 人を撮ってきます。
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今日は、いい一日でしたよ。
コメントを書いていただいた、宙太さんが案内してくれた。
この町に詳しかった。 歴史も。
※ 柳川市には、柳川文芸クラブというのがあり、そこの編集長さんだった。
※ 昨日のブログで、書き忘れたことがある。
昨日、立花町にいたが、すぐそばは黒木町だった。(両方とも、八女市の中)
黒木町です。 黒木瞳の出身地。 この名前を考えたのは、五木寛之。
歳をとるほど、魅力が増す俳優。 そんな感じ。
(この記事は、後に、昨日のブログに移動)
車は、からたち文人の足湯の駐車場に。 (かんぽの宿柳川のそば) 今日歩くのは、この辺り一帯。
そこで、宙太さんと待ち合わせて、掘りのある方に向かった。
河津桜です。 咲いていた。 初めて見た。
伊豆の河津に、早咲きの桜の木があった。 たった1本。 その桜が、全国に広まった。 接ぎ木で。
天城峠に行って、下田に下る途中、河津の町はあった。

御花・松濤園。 入らなかったが、ここは資料館。


向こうに歩いて行く。


有明海の魚。 魚の他にも、いろいろ。
左下は、クツゾコ。 もっといい名前を、付けてやればいいのに。

観光案内所の2階。 柳川雛祭りが始まっている。
他と違うのは、「さげもん」といわれる飾り。 天井から、ぶら下がっている。 雰囲気が、華やかだ。

2階から、下を見た。 人でいっぱい。 ここで、餅の入った汁粉をごちそうになった。(無料)

柳川は、水郷の町だった。 このような水路が、どこまでもある。

柳川は、北原白秋の出身地だった。 初めて知る。 ここが生家で、今は資料館(白秋記念館)。


こんな歌もありますね。

帰去来。

依頼され、出来上がったら、こうやって書いて送った。

私は、この歌がすき。 この道(YouTube)
北原白秋は、たくさんの作品を残している。 詳しくはここに。 北原白秋(Wikipedia)
ひな人形は、ここにもあった。 さげもんも、いっぱい。

北原白秋の詩碑。 小さな公園になっていた。 白秋詩碑苑。

北原白秋は、5足の靴の一人。
1907年の夏、与謝野寛(鉄幹)が、まだ学生だった太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を連れて、天草を旅した。
その旅の記録は、「五足の靴」という題で、その年の秋に発表された。
故郷を懐かしく思った。

意味はこう。

旧戸島家住宅。 江戸時代の建物で、武家住宅。



桃の花が咲いていた。 初めて見る。

檀一雄の歌碑。 この人も、柳川の出身だった。 壇ふみは、もう50を過ぎたな。

有明潟睦五郎の歌、でいいかな。

ある建物の跡があった。

問題です。 小野って誰? ある女の人の、お爺ちゃん。 有名。 世界中で。

こたえは、オノ・ヨーコ。
橋の所で、このように狭くなる。 流れが良くなるそう。

木村緑平という人の歌碑。 山頭火の面倒を見た。 この人がいなかたら、旅は出来なかった。

ここは、緑平が住んでいた家。
山頭火は、書いた作品は、この人に送った。

何て読むか、宙太さんに聞いたんだが、忘れた。
出だしは柿。 それと落ちる。 山頭火の命日と読める。 命日は、10月11日。
なんとなく、意味は分かりますね。

韓国の人達が、通り過ぎた。
宙太さんが、橋の上から、キム・ヨナおめでとうと、言った。 みんな、キャッキャと、喜んだ。
宙太さんは、私が、キム・ヨナを好きなことは、もちろん知っている。

静かに、船はすすむ。

畑の向こうを船が。

橋が低いので、船に屋根はない。

昔の蔵。 福厳寺。 檀一雄の墓があった。 柳川城跡。



たくさん歩いたので、一休み。 ウナギのせいろ蒸し。 初めて食べた。 美味しい。
食べながらも、宙太さんに、柳川のことを教えていただいた。
山頭火についても、白秋についても、詳しかった。

木下家という、旧家にお邪魔した。 玄関の隅に、これ。

250年経った家。 米寿になると言う、ここのおばあちゃんが説明してくれた。
ガラスの向こうが、ゆらゆら揺れた。 古いガラスだ。

家の中の蔵。

居間に、タバコ入れが転がっていた。 いや、置いてあった。 宙太さんがひっくり返したら、文久3年と書いてあった。 1863年。 薩英戦争があった年だ。


戻ってきて、簡保の宿で、コーヒーを飲んだ。
ロビーに、またあった。 これでもかというくらい、さげもんが、下がっていた。 豪華絢爛。

夜の水郷。 暗くなって、見に行った。

今日は、宙太さんのおかげで、たくさんのことを知った。
面白かった。
柳川の観光は、いい形で発展していくように感じた。
物を作るだけでなく、いろんなイベントを仕掛けている。
人材に恵まれていないと、出来ない。
そういう意味で、柳川市は、人という財産も、持っていますね。
柳川市を歩いての楽しさは、九州の他の大きな市に負けない。
そう感じました。
最近、月日のことは書いていなかったが、冬が過ぎ、3月も7日になっていた。
春は、探さなくても、もうある。
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昔を大事にしたいと考える町が、多くなっている。
ここは、小栗峠。 (下の写真では、向こうが熊本方向)
この峠に、五木寛之が十代の頃、住んでいた。
昨日コメントで、銀河宙太さんに教えていただき、調べてみた。
私が立っている所は、旧道。 国道3号線は、すぐ左。 峠の頂上で合流。
その峠の頂上は、昔はもっと高く、写真で見たら、突き当たった辺りに、家はあった。
昔のドライブインの感じ。
ここを通る人や、馬で行き来する人達の、休憩場所だった。

反対方向。 お店があって、そこで教えてもらった。

福岡方面。

ここが、そのお店。 八媛園芸。 ミカンを買った。

五木寛之の父の弟が、ここに来て、この歌を詠んだ。

店の中いっぱいに、ランの鉢植えがあった。


八女市の市街地に近い、兼松。 五木寛之は、ここで暮したそうだが、詳しくは分からなかった。
※ 土地の人、何人かに聞いた。
※ 五木寛之の旧姓は、松延だが、立派な松延家の家があった。(重要文化財)
でも、この建物とは、関係なかった。

八女市を見学しようと、市街地に入った。
八女人形会館の展示室。 江戸・明治時代の人形が展示してあった。

これが、珍しかった。 同じ絵の貝を、合わせるのかな。 遊びだ。

こんな絵。

販売コーナーで、これが展示してあった。 現代風なセンスを感じる。

自分の物を見る目は、未熟なことが分かった。 それは、値段が高いと、よく見えてくること。 これは、高い。

気に入った表情は、なかなかないが、これなんかはいいほうかな。



人形会館の入り口に展示してあった。 卑弥呼の像。 表情が良かった。
もし、九州に邪馬台国があったとすれば、ここ八女か、昨日いた山鹿辺りと、考えられている。

卑弥呼の思想まで、ちゃんと勉強して作ったんだろうか。 そうでないと、作れないと思うが。


これも、よかった。

ここは、伝統工芸館。 ここの駐車場に車を置いた。
仏壇の作り方を、少し学んだ。 これを完成させるのに、2週間。

これは、幅90㌢ほどの仏壇の上の方。 金箔を貼るときは、バラバラにして、一つずつ。
御先祖様がいて、今の自分がいるから、仏壇にお金をかけてもいいんでないかなと思う、と言った。

白壁の町並み。 古くからではないが、伝建地区。
自由に入って見られる施設(お店)が、たくさんある。 それがいい。

神社。 ※ 引きつけるように、撮って見た。

横町町屋交流館。

ぼんぼりまつりなので、ひな人形はどこにでもあった。

美しく撮るのが、むずかしい。 どう撮っても、だいたいは綺麗なんだが。


外がきれいだ。

このように、時々、家の中に道がある。 中から外を撮影。

弓矢のお店。 製作も。 この時は、お土産の小さいのを作っていた。


さらに歩いた。 街並みの美しさは、まあまあでしょうか。

感じが良かったので、入った。

小さな中庭から撮影。 3月3日は過ぎたのに、ぼんぼりまつり。 いいのかな。

この絵は、誰が描いた絵でしょう。 子供が描かれています。
すぐに分かったらすごい。 私は、疑って確認した。
本物を目の前で見たのは、初めてかな。

竹久夢二ですね。 夢二の雰囲気がある。 顔の表情にも。 最後に、いいものを見た。

しだれ柳。 新緑です。

散策と言う感じで、八女市を歩いてみました。 (今年の2月に、周りと合併して、新しい八女市になっていた)
実は、福岡県の情報誌だけ、持っていなかった。
不便を感じました。 探さないとダメです。
【道の駅】 たちばな
【明日の予定】 柳川市です。
【今日の歌】 白い花(エムズの片割れ) 五木寛之の作詞なので。
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国道3号線は、熊本から北に向かっている。 山の中だ。
山鹿市を過ぎたら、福岡県に入る。 久留米市を通り、更に北に行くと、福岡市だ。
山鹿市は、熊本県の北部に位置し、山鹿温泉と山鹿灯籠まつりで知られる町だった。
公共の駐車場が、すぐに見つかった。 灯籠民芸館に向かった。
風情のある街並みが、残っていた。


ここは、昔、豊前街道の山鹿宿。
国道3号線は、福岡に行くが、江戸への街道は、小倉に向かっていた。

この建物が、山鹿灯籠民芸館。 昔、銀行だった。

これが、灯籠だという。 吹き抜けになっており、2階から撮影。

こんな灯籠だ。 頭にかぶるという。 金灯籠と呼ぶ。

こんな風に踊る。 千人灯籠踊り。 山鹿灯籠まつり(YouTube)

これも、灯籠だという。 奉納灯籠と呼ばれ、大宮神社に奉納する。
お祓いを受けて、献灯するそうだ。 これも、灯りが点くようになってる。

これは、八千代座の中。 この後行くが、行事が入っていて、中は見られなかった。

名人と言われる人の作。 水車のある家。

熊本城。 灯籠だから、暗くして点灯したのが見たかった。

灯籠師と言われる人が作る。 材料は、和紙と糊だけという。

静岡浅間神社楼門。

建物は素晴らしかったが、期待していたのとは、違った。
灯りが点いて、たくさんの種類のものが見られると、思っていた。
※ 今まで、灯りが点く物できれいだったのは、これかな。 弘前ねぷたの館
山鹿灯籠まつりの、ポスターがあった。 原画も。 鶴田一郎と言う人が描いた。



こういうのを見るのも、面白い。



八尾の風の盆や、小町まつりのポスターは、写真ですね。 前年のを利用する。 これはこれで、いい。 (モデルを使う時もあるのか)



同じ敷地内に、灯籠を作っている所があった。 すべてが、紙と糊。


通りを歩いていたら、こんな門が。 神社の門が、石の門だ。 石橋のよう。
1804年に、地元の石工、甚吉という人が造った。

灯籠師のお店。

あるお店に飾ってあった。 ランプも灯りが点くときれいだ。 ※ もう一度行きたい温泉はここ。 青荷温泉ランプの宿。

こんなお店も。

街道の通りから、横に入った。 左に、八千代座が。

右の、あるお店。

明治43年に建てられた、芝居小屋。 重要文化財。
貸切で使っていたため、入れなかった。 残念。

向かい側に資料館があった。 そこで我慢。 芝居で使った物が、展示してあった。

宣伝の原画。


テレビドラマの撮影が、あったそうだ。

ここを出て、街を散歩した。 灯籠民芸館の近くに、足湯が。

戻って、街道の道を歩いていたら、こんなお店。 小さな美術館。
面白そうなので入った。 食事もできたので、カレーを食べた。
※ 後で知ったが、情報誌のこの店は載っていた。 知られた店だった。

許可をもらって、撮影。

繭の人形。


金灯籠。

道の駅鹿北の近くの温泉に、大きな水車があった。




ここの道の駅には、たくさんの建物がある。 木の作品を作っている所も。




山鹿の町は、歩いて楽しい町。 温泉街だから、安くていい温泉がいっぱい。
そんな感じの町でしょうか。
灯籠まつりは、8月15・16日。 見たいけど、そのころ九州にいるのは、むずかしい。
【その他】 映画「沈まぬ太陽」が、日本アカデミー賞で、賞をもらいましたね。
※ 関連ブログ 24年目の御巣鷹の尾根~日航123便~
【道の駅】 鹿北 ここです。 福岡県まで、あと少しの所。
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ここは、動植物園。 たくさんの花もあった。
鳥など、他からのお客さんもいて、それも楽しかった。
熊本市動植物園の正門。 西門もある。

ここには、動物は120種、約1000頭を飼育している。
植物は、外の花壇と、大きな温室。
最初に見たのは、ツキノワグマ。 顔つきがやさしい。 ヒグマも、小さい時は、こんなんかな。
※ ヒグマの大きいのはこう。 北海太郎。

植物園でもあるから、環境がいい。 幼稚園の子供たちが、たくさんいた。 親子で。 一人前に、よくしゃべる。

その辺を散歩している鳥もいる。

まだ、名前が分からない。 アオサギでいいのかな。

飛んだ。 首は、真っ直ぐではない。(?)

ダチョウ。 大きな目玉。 頭の中のほとんどが、眼ではないのか。

長い舌。

柵も檻(おり)もないが、鳥はいる。

真っ直ぐ向かってくると、威圧感がある。

ここの動物たちの目は、優しい感じがした。 そうなるように育てられているのか。

野鳥。

ワニの目は、猫の目。

頭より、くちばしの方が大きい。 カササギサイチョウ。

カワセミ。 急いで、カメラの画素数を最大にする。 下の写真は、望遠で。(15倍)

パソコンで、拡大。 今まで撮影した中で、一番きれい。 ※ 鹿児島の喜入でも撮った。

花の休憩所。 中に、温室がある。

他の花もあったが、ランが多かった。 いつ見ても、いい。

美しさを競っている感じだ。

白は、撮影がむずかしい。

花の中。

花だけ撮るのではない方が、面白いかもしれない。 今回、そんなことを感じた。

こんな温室。

形が、個性的。

似た形で、色違い。

今が、見所か。

花だけ大きく撮るより、いい。

ここは、熊本市が経営している。 管理の状態はいい。

ランは、伊豆で見たのが一番だった。 ※ 関連ブログ らんの里
サボテンの温室。

サボテンの花。

ベニゴウカン。

ベニは、紅。 ネムノキ(合歓木)に似ているから、この名前だそう。 ※ ねむの花は、「象潟や 雨に西施が ねぶの花」に。

名前は、フイリソシンカ。

滝があった。 裏から見たので、裏見の滝。 恨みの滝ではない。 どこかで、必ず見ますよ。

ピンクの部分は、葉っぱかな。 ブーゲンビリアが、そうだった。

菜の花。

クジャクの背中。

鳳凰のような、威厳がある。 ※ 金網があるから、写真は撮りづらい。

スズメは、お客さん。

クロヒョウ。

動物たちは、健康的なものを食べている。

ボリビアリスザル。

名前は、?

アンゴラコロブス。 遠く、アンゴラを見つめているのか。

おれは、どうしてここにいるんだ、って思っているかも。

キンシコウ。 ここの動物園の目玉。 かなり珍しい。
※ 日本では他に、名古屋市の東山動物園だけ。(そこの展示は、3月いっぱいで終了)

中国の山の中にいるそう。 キンシコウ(Wikipedia)

今日は、苦労しないで、たくさんの動物や花を見ました。
のんびりとした、一日でした。
※ 関連ブログ 冬の旭山動物園 動物園の役割って何?
【道の駅】 きくすい
【明日の予定】 山鹿(やまが)に行こうと思ってる。 灯篭を見られる所がある。 面白そう。
【今日の歌】 YELL(YouTube) 卒業式の季節です。
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五木村の山奥に行ってきた。 小雨の降る中、傘をさして。
自然の中を歩いていて楽しいのは、発見があることでしょうか。
花とか、動物とか。
まだ寒いので、それらは少ないですが、少しは期待できる。
サルや鹿やイタチに出会ったことはある。 でも、熊やイノシシは、まだない。
魚は、しょっちゅう。 ヘビは、時々。 ※ 関連ブログ マムシ 蕎麦の花も。 きれいですよ。
ここは、白滝公園。 県道25で、八代に抜ける峠の手前。 場所はここ。
渓谷のある、小さな公園。 高さ70㍍、幅200㍍の、石灰岩の崖がある。
小さな神社も。
この先に、小さな洞窟がある。 名前はない。
ここの機械に、100円を入れると、洞窟の中に20分電気が点く。
行ったら灯りは点いてた。 ※ リュックには、懐中電灯がある。 突然消えても大丈夫。
下は、川だった。
階段の所は、滝。
奥まで、20㍍くらい。
下は川で、大きな穴から、水は出てきていた。 この写真で、右の方から。
小さな鍾乳石。 ※ 関連ブログ 鍾乳石の綺麗な鍾乳洞は、滅多にないが、竜ヶ岩洞(静岡県)はいい。
出口。
右の方から来た。 奥に見える橋を渡って。 この後、橋を渡って、左に行く。
山の中から、川が流れてくる。 そこに、小さな洞窟が。
変わった雰囲気。
ここは、旧道だった。 30年ほど前に、右の山の中にトンネルが出来た。 五木方面に行きやすくなった。
これは、削ったんでしょうね。 発破を使わなかったら、大変ですよ。
こっちは、水が削ったのか。
向こうから来た。 大きな岸壁が見える。
砂防ダムか。 小さなダムだ。 砂利で埋まって、何の役にも立っていない。
こうなるのが分かっていても、たくさん作った。
目の前にも、大きな岸壁が。 地蔵さんがないか探したが、なかった。
いい色だ。 魚を探していた。
いた。 イワナか。(ヤマメかも) 25㌢くらい。 婚姻色のように、少し赤かった。 今の時期、そういうのがあるのか。
ここの見所は、崖と、川と、洞窟の3つでしたね。 魚釣りに来たら、面白そう。
白滝公園となっていましたが、ここは、白滝渓谷ですね。
ここから、別の道を山に、数㌔入る。 そこに、大滝がある。
途中、犬を見た。 猟をするときの、猟犬と思う。 今まで、山の中で何度か見た。
人間を襲う顔つきではなかった。
ここは、たいへんな山奥だ。 それでも、家はある。 見事な石垣だ。
昔は、年に何度もここから出ないで、生活したんでないかな。
炭焼き釜。
ここから、歩いた。 800㍍ほど。
一人なので、細心の注意を払う。 事故のないように。 ※ 登山の時は、たいてい、他にも人がいる。
滝があるところは、源流に近い。 川も、こんな風になる。
大滝。 五木村は山奥だ。 その五木村の最山奥に、大滝はあった。
最近雨が降るので、水量が多い。 しぶきが、飛んでくる。 マイナスイオンになって。
高さ、35㍍。
ここの滝壺に、イワナの主がいますよ。「釣りキチ三平」のマンガに出て来るような。
ユラ~って見えたら、感動ものだ。
このサイズの滝で、今まで見た中で感じの良かったのは、青森県の「暗門の滝」かな。
階段があったので、登った。 どこに行くかは分からない。
水は、ここから落ちていた。
さらに行ってみた。
この写真を撮って、戻った。 この風景は、奥入瀬に負けませんよ。
戻る途中。 谷の下を見た。
こんな道を戻る。 もうすぐ車。 傘をさしての撮影は、少し大変。
切り株。 上が南ですね。 温かいから、成長が早い。
八代市に向かった。 峠を越えたら、石橋があった。
ここは、八代市東陽町。 石橋の技術者が、昔、この町にいた。 通潤橋や雲台橋も作っている。
笠松橋。 小さく、かわいい、石橋だ。
調べてみたら、この橋は、明治2年に作られていた。 ※ 関連ブログ 通潤橋 霊台橋
昔は、ここを車が通ったと、通りがかった人が教えてくれた。
もう少し暖かくなれば、植物も動物も活発になりますね。 あと少しです。
峠を越える時、少ししか登った記憶がない。 でも、下りは、延々と続いた。
五木村は、かなり高い所にあった。 そういうことですね。
【道の駅】 竜北 ここです。
【明日の予定】 熊本の、動物園を考えています。 植物もあるというし。 雨が降っても、どこかは見られる。
のんびりする。
【今日の歌】 北の岬 (YouTube) どちらも、1000を越えていました。
愛の終わりに(YouTube) 出だしが好き。
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予報とは違い、天気は晴れた。
仰鳥帽子山を、1時間ほど登ったら、福寿草の群落があった。
初めて見る、風景だった。
昔、谷底に集落はあった。 私は、その時代に一度通ったことがある。
川沿いに、道はあった。
今は、家も学校も、右の山の中腹に。 左の方の高台にも家がある。
※ 小八重橋の中間に車を停めて、撮影。
人に聞いて、ここにたどり着いた。
仰鳥帽子山(のけえぼしやま)を、イラストマップで見たら、かわいい山に見えた。
でも、実際は、頂上まで2時間の山だった。
写真を撮りながら登ると、3時間以上かかるので、頂上はあきらめた。 ここに着いたのは、お昼。
登山道は谷にあった。
最初に発見した、福寿草。 20分ほど歩いた時。
下の方でも、かたまって咲いてる所があった。 ピークは過ぎている。 下は暖かいから。
1時間ほど歩いたら、花は多くなった。
昨日の強い雨に、花びらは叩かれた。 状態のいい花は、少なかった。
やっと見つけた。
群落は、このような感じであった。 今が満開。
川は、地面の下を流れていたが、上に来たら、出てきた。
写真は、すべて道から撮影。 地面を痛めるから、近づけない。
福寿草と言う名前がいい。 この花を見たら、幸せになれそうだ。
このくらいの花が、好きだな。 もっと開いて、最後は散る。
いろんな所に、咲いている。
この山の福寿草は、有名なようだ。 山には、20人以上入っていた。
苔もきれい。
美瑛にいる時、福寿草を、雪の下から掘った記憶がある。
根室にいた時は、地面を斧(おの)で、割って採った。 根室は地面が凍る。
株全体の花が傷んでいないのは、滅多になかった。
この辺りまで、1時間半は歩いた。
花びらが開いているけど、美しい。
これを撮ったのは、2時少し前。 頂上には行かない。
山は岩場なので、面白い所にも咲いている。
戻った。 こんな感じの沢。
春が来ている。
この沢の奥に行っていた。
山を下っている。
高野橋から撮影。 最初の写真は、向こうの橋から撮影。
上流方向。 下流に向かって左。
別の場所から撮影。 道の駅方面。 少し下の大きな建物は、中学校と高校。
車を置いて、散歩に出かけた。
道の駅。 お土産屋さん。 レストランも。
「新たなるふる里をめざして」という記念碑があった。
冒頭の文は、こうだった。
「五木村は、自らの意志にかかわりなく、新しい一歩を踏み出す」
最初から喜んで、今の状態を望んだわけではなかった。
中学校と、高校。
写真の向こうが、川の下流。 谷がこのように、狭(せば)まる。
少し行くと、相良村になり、村に入った辺りが、ダム予定地。
住宅街を歩いた。
何でしょうね。 目立つ花。
どこも、立派な庭。
紅梅が咲いていた。
駐車場から、上の方を見た。
下を流れる川は、川辺川。 計画しているダムの名前は、川辺川ダム。
ダムはどうなったのか、地元の人に聞いた。 白紙だと言った。
下流の相良村を含め、反対の市町村が多くなった。
政権も変わり、今はお金のない時代。 ダムが出来るのは、難しくなってきた。
将来、造られることはない、と私は思うかな。
今日は、花だったので、花に関する関連ブログ。
雄国沼 満開のニッコウキスゲ(2009年6月25日) サムネイルの写真ですが、とても大きくなります。
ファーム富田(ラベンダー、上富良野)(2009年7月26日)
北竜町のヒマワリ(2009年8月17日)
【道の駅】 子守唄の里五木
【明日の予定】 県道25で、熊本に向かう。 途中、白滝公園に寄る。 小さな鍾乳洞がある。 石灰岩の絶壁も。
【今日の曲】 ハンガリー舞曲 第5番(YouTube) ピアノも。
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