それで、島の、見晴らしのいい所を歩いた。
昨日見た海岸も、青海島も、北長門海岸国定公園の一部だった。
※ 昨日のブログで書き忘れたことがあるので、少しだけ。
金子みすゞは、26歳で死んだが、その理由について。
みすゞは、当時結婚しており、3歳の娘さんがいた。
旦那とはうまくいかず、離婚することになった。
しかし、娘さんを引き取ることは出来なかった。
娘さんを連れて行かれる日が、決まった。
昭和5年の、3月10日。
その前日、娘さんと一緒にお風呂に入った。
たくさんたくさん、歌を歌って聞かせたという。 一緒に歌ったかもしれない。
そして、次の日、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し、服毒自殺した。
娘さんは、現在83歳。 上村ふさえさん。
母が亡くなって、80年が経った。
今年も、3月に墓参りしている。
金子みすゞには、相談できる人間がいなかった。
山頭火が、全てを信頼した、木村緑平のような人が。
西條八十は、この人を高く評価したとあるが、どこまでかがはっきりしない。
死ぬ前、作品の写し全体を、この人に送ったが、世には出さなかった。
だから、光を浴びるまで、時間がかかった。
西條八十に対しては、きっと、距離があった。
山頭火のことを考えたら、木村緑平の存在は、余りにも大きい。
人間生きていく上で、信頼できる人間や、友人がいることは、本当に大事なことだと、あらためて思う。
自分は、反省することが、いっぱい出てきた。
話しは、ここで、元に戻して・・。
観光船が出てたので、乗った。 出発地点は、ここ。
波が高いので、島の反対側の、外海の方は危険。

外海に、少しだけ行った。 目の前にせまる波は、船より高かった。
波と波の間に船は入った。 いい時の写真を撮り忘れた。 その時の場所は、ここです。
この鳥は、みさご。 魚を取る鷹だそう。
捕った魚を保存する。 それを人間が食べたのが、寿司の始まりとWikipediaにある。 ミサゴ(Wikipedia)

小さい船なら、通れる。

向こうが、外海。

山口放送が、取材に来ていた。 若い人が、私の後ろに座ったので、話せた。

島から離れたら波は荒い。 戻る時だが、外は見えなくなった。

さほど大きな船ではないので、波が大きい時は心配した。

車で、青海島に入った。 この写真は、島の東の端。 ここです。

青海島は、「おおみじま」と読む。 おうみしまかと思った。
※ 青海は、普通、どのように読むかだけど、
青海亀(あおうみがめ) 青海原(あおうなばら) 青海(おうみ~新潟県にある地名)
青海駅(あおみえき) 青海省(せいかいしょう~中国の省の一つ)
※ 鶴姫のいた、大三島は、「おおみしま」。
地名の読み方は、大変です。
クジラの墓があると言う。

クジラは大きいから、墓は大変でないのか、と思っていたら、子供(胎児)の墓だった。
元禄時代に作られていた。 72頭が眠っているとあった。 側に、お堂が2つ。

クジラの親に向かって、申し訳ない、という内容のことが書いてある。(説明があった)

くじら資料館があった。

この地域は、江戸時代から、クジラ漁が盛んだった。
しかし、その漁には、クジラの悲哀が伴っていた。
クジラを捕まえたら、男たちは酒を飲んだ。
でも、男たちの心は、決して安らぐことはなかったと言う。
もしかしたら、この仙崎には、金子みすゞの心が生まれる、精神的な風土があったかもしれない。
そんなことも、感じるかな。
クジラの胎児の標本。

昔の写真。

みすゞの詩。

鯨法会(くじらほうえ)という題。

こんな絵も。 余った肉は、塩漬けだろうか、乾燥だろうか。

トンビが目の前を通った。 もし、油揚げを持っていたら、間違いなく盗られた。


島に遊歩道があったので、歩いた。 この辺り。

崖の下には、洞窟がいっぱい。 白いのは、みさごの糞。

こんな道。 この写真に、鳥とリスでもいたら、完璧。 1枚の写真に、たくさん入れたい。

こういう風景。 なかなかの景観でしょうか。

ただ、こんなのはたくさん見たので、感動は中くらい。
岬の場合は、海に出ているので、もっと迫力がある。 例えば、神威岬。 ここの海の色が一番。 積丹ブルー。

こんな所も。

オオアマドコロ。 狐の提灯と言われるのは、この植物。

こんなのを見て、戻った。

青海湖に行ったが、見晴らしが良くなかった。
水の上に、アオサギが立っていた。 望遠で写真に撮ったら、こうだった。

1年前の今日の晩は、先日いた道の駅、きくがわだった。 そして、1日に九州に渡った。
1ヶ月かけて、本州を下った。
あの時も、山陰は風が強かった。 何度か、山に逃げた。
今年も、やっぱり強い。
【停泊場所】 フェリー乗り場の駐車場。
【明日の予定】 萩 連休で混んでいたら、別の所に。
【今日の歌】 夢をのせて(MIDIです) 1年以上載せていない。 やっと見つけた。 大好きな曲です。
アムール河の波(YouTube) 昔、ゴールデンウィークに、流氷を見た。 輝いていた。
八十八夜(YouTube) NSP。 今年は、5月2日です。 もうすぐです。 暖かくなります。
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※ 地面は、じべた、と読む。
平成8年から、国語の教科書を中心に、この詩が載った。(ほぼ、全社)
このことの価値は、あまりにも大きかった。
この詩が、どれだけ多くの子どもに安心感を与え、心を救ったか。
この詩が、どれだけ多くの教師の、子供の見る目を変えたか。
たった一つの詩が、教育の世界に、大きな影響を与えた。
子どもにとっても、親や教師にとっても、ありがたい詩だった。
※ このことについては、後ほども。
途中、棚田があるので寄った。
規模は、大きくはないが、海を含めた全体の風景がいいのかな。

田植えが終わって、漁火も一緒に撮れたら、きっといい写真。

熟女3人組(?)という人達と、しばらくおしゃべり。
その結果、ここは、全部まとめたら、とってもいい風景となった。

竜宮の潮吹があるというので行ってみた。 ここの辺りのどこか。

この人達が知っているようなので、ついて行った。

写真の真ん中辺りに穴がある。
そこから吹き上がるようだが、波が大きいとか、条件がそろわないと、見られないようだ。
※ 上の写真の二人が、教えてくれた。 広島から来ていた。

下の写真のように、横から入った波が、上に吹き出すことがある。 これは、そのミニ版。 津軽の千畳敷で。

遠くて見えにくいが、山の斜面には、棚田がどこにでもある。

仙崎に着いた。 青海島の遊覧船の発着場がある。 車は、ここに。

町のいたるところに、「金子みすゞ」はあった。

この人は、26歳で、自分で自分の命を断つ。 昭和5年のことだった。
山頭火が、九州をふらふらと歩いていた時代だ。 ※ 山頭火は、山口県の防府市の出身。
同じ時代に生きていた。

仙崎駅。

この通りが、仙崎のメインストリート。 みすゞ通りと、名前が付いていた。

金子みすゞ記念館が出来ていた。

生家を復元した。 金子家は、この場所で、金子文英堂という名前で書店を営んでいた。


記念館の前に、男の人がギターを持って立っていた。
父さん何してるの、って聞いた。
この人は、向かいにあるお土産屋の主人だった。
金子みすゞの詩に、曲を付けて歌っていた。

リクエストしたら、歌ってくれた。 箱庭という詩だった。
私のこさへた箱庭を 誰も見てはくれないの。
お空は青いに母さんは いつもお店でせはしさう。
祭りはすんだにかあさんは いつまであんなに忙しい。
蝉のなく聲(こえ)ききながら 私はお庭をこはします。
みすゞの部屋。
よくこの窓から、通りを眺めていたそう。

これも、「わたしと 小鳥と すずと」。

子供は、何でもは、得意になれない。
足の遅い子は、そのことをずっと思って生きている。
でも、上の詩を読むと、みんなと違っていいことに気づき、元気が出てくる。 ほっとする。
心に余裕が生まれた時だけ、子供は、自分の良さ(個性)を伸ばそうとする。
また、自分の欠点だって、見つめることが出来るようになる。
「どうして、あんただけ出来ないのさ。 みんなちゃんとやってるでしょ」
このように、子供を比べて、それを武器に指導するやり方は、昔から続いた。(学校でも、家庭でも)
親や教師が、この詩を読むと、そのことの間違に気づく。
だから、この詩は、子供にとっても、親や教師にとっても、ありがたい詩になる。
ギターを弾いた、父さんの店。

極楽寺の桜の木。

こんな詩が。

偏照寺。 みすゞの墓がある。

ここ。 家族と一緒に。

昭和5年3月10日、とあった。

通りを歩いていると、下のようなのを、よく見かけた。

このお店にも、あった。

こんな詩。

仙崎小学校に、「わたしと 小鳥と すずと」の碑があった。
ブログの最初の写真は、この詩碑。

仙崎の市街の目の前に、青海島があった。

金子みすゞは、動物も植物も、いきもの全体を、やさしい目で見つめた。
共に生きるという、共生の視点で物を見た。
今は、ブームのように、人気がある。
この人の、ちゃんとした評価は、これからだと思う。
この人のは、詩でなくて、童謡。
だから、童謡詩人と呼んでいる。
内容の深さは、香々地の江口章子の方が上と思う。
でも、みすゞの詩は、社会にいい影響を与えてくれたので、あまり悪くは言えない。
感謝しなければ、ならない。
※ 関連ブログ 幸せの青い鳥 こにに、みすゞについて少し書いてあります。
これは、おまけ。
金子みすゞ詩の世界みすゞこれくしょん©HeartFactory
【停泊場所】 仙崎の港の駐車場
【明日の予定】 青海島を見ようかなって。 船で。
【今日の歌】 私と小鳥と鈴と(YouTube)
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角島大橋は、美しい橋だった。
明日からゴールデンウィークが始まるのかな。
有名な観光地は混むので、行けなくなる。
角(つの)島は、海岸線が美しいようなので、行ってみることにした。
橋を渡って行くのだが、橋を見て驚いた。 普通の橋ではなかった。

小さなパーキングがあったので、車を置いて撮影。 角島大橋。

お花畑。

少し場所を変えて撮影。 橋の右の方が見えない。

橋を渡ろうとしたら、何と、大きな駐車場があった。 海士ヶ瀬公園(あまがせこうえん)。
人も、たくさんいた。
こうですからね。 驚き。 最初は、海面すれすれ。

島があるのに、島を利用していない。 向こうに高い所が。 船が通るためか。

この橋について、調べてみた。
設計者は、八千代エンジニアリング。
自然との調和を考えたそう。
2000年11月に、開通。 全長1780㍍。
車のCMにも使われていた。 スズキスイフトのCM(YouTube)
橋を車で渡る時の、動画もあったので。 車の中から撮影(YouTube)

橋で驚いたのは、2度目。 最初は、ハイヤ大橋。 ※ 関連ブログ ハイヤ大橋。
ハイヤ大橋は、小さな町の中に、芸術品を置いた感じだった。
角島大橋を見て、1か所だけ、少し問題があるのでは、と思った。
それは、遠くから見たら、左へのカーブの所が、折れているように感じた。
室生寺の五重塔は、なぜ美しいか。
あの塔は、見上げた時にどう見えるか。 それを考えて作られていた。
橋の場合は、どの場所から、多くの人の見られるかを考えたらいいと思う。 ※ 関連ブログ 女人高野室生寺
そういうことは感じたが、とにかく美しい橋だ。
角島は、こういう所。 ○の所に行く。 橋は、右下。

海と砂の色がいい。

灯台の近くは、公園になっていた。 浜には人がいた。

おじいちゃんは、こんな貝を採っていた。 国東半島で、ニーナって聞いたやつだ。
地域の集まりがあって、お酒を飲む。 みんなに食べてもらうと言った。
爪(つま)楊枝で食べるんだね、って言ったら、そうそうと言った。
九州では、言葉はほぼ分かったが、おじいちゃんの言葉は、4割くらい分からなかった。

私は、これを採った。 トコブシ。 肉とこれで、カレーを作った。 アワビに似ている。

ハマエンドウかな。 咲きだした。

海上自衛隊の飛行機。 何度か来た。 何の目的だろう。

飛行機に乗せてもらったのではなく、灯台の上から撮影。

友達いっぱいで、キャンプに来たら、楽しい島だ。

島を少し散策。 釣り人も探した。 なかなかいない。

こういう所が。

午後の3時までだった。
知らない人だから、どんな作品を残したのかを、少し知りたかった。

闘いの人生を送った人だった。
蔵原惟人という人と結婚していた。
ずっと昔、蔵原惟人の評論を読んだことがある。 この人の母は、北里柴三郎の妹。(Wikipediaより)
こんな作品だけ見つかった。
「故里を とおくはなれて思うかな 夢さきの波 牧さきの風」
この島に、夢崎、牧崎という地名がある。 上の歌からとったと言う。
港があったが、人はいなかった。

牧崎風の公園の海岸。 島の北の端。

牛がいた。 親子のよう。 牛の幸せは、難しい。

橋を渡って戻る。

いいですね。

夜の、角島大橋。

この橋は、2003年に、土木学会デザイン賞を受けていた。
今は、山口県の観光名所になっている。
これからは、自然との調和を考えるとか、このような橋が増えるかもしれませんね。
いい橋を見ました。
※ 追記 今後のコースを書くの忘れていた。 大ざっぱに、こうです。
萩から津和野。 山の中を通って、広島。 また、山に入る。 京都に向かう。 その後、紀伊半島。
【停泊場所】 角島大橋のそば。海士ヶ瀬公園(あまがせこうえん)。
【明日の予定】 海沿いを北に。
【今日の歌】 風の桜衣(はなごろも)(YouTube) 高遠城の桜は、もう散ったかな。 関連ブログ 由布姫 高遠城 絵島の物語
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今は、道の駅きくがわ、にいます。 ここです。
途中で、床屋に寄った。 新聞を見た。 毎日新聞にいい記事があった。
鶴姫が言ったことと、まったく同じことを、広島市長が言っていた。
新聞を買った。
最後に、門司港に寄ることに。 レトロ建築があるという。
こんな建物だった。 旧門司税関。

こんなのも。 国際友好記念図書館。
ここは、北九州市の門司区。 昔は、門司市。 九州の最北部。
昔は、九州の玄関口だった。 ※ 今は、関門橋や関門トンネルが出来て、人や物は素通り。
また、九州の大陸貿易の拠点でもあった。
この建物は、友好都市である大連市にある建物を復元。

2階の様子。

高速を使うと、橋を渡る。

この建物は、最上階が、門司港レトロ展望室になっている。

レトロについてだけど、意味はこうですね。(WikiPediaより)
レトロ(Retro)とはretrospective(回顧)の略語。懐古趣味のこと。
ということは、レトロは、もてはやされたり、飽きられることもあるのか。
高田市に昭和の町があったが、あれもレトロですね。
展望室から。 門司駅が、真ん中辺りに見える。

海は、関門海峡。 左に下関が。
円い建物は、関門海峡ミュージアム。 昔の町の復元などがあある。

拡大。 私の車も見える。 右下に。

市街地。

旧門司三井クラブ。 アインシュタインが、ここに宿泊したという。

上にもあった、旧門司税関。 この建物の案内所で、なぜ、このような建物が残ったかは聞いていた。
それは、煉瓦造りだったため、建物が持ちこたえた。
また、戦争での空襲が少なかった。
他の理由は、門司港付近は、経済発展から取り残されたため、この地区に、大きなビルが建たなかった。 そう思う。

関門橋。 黄色の○が、壇ノ浦。 一番見たかったのは、これ。

写真の、向こうの海岸辺りが、壇ノ浦。
壇ノ浦は陸地だが、その辺りの海で戦ったので、壇ノ浦の戦いというようだ。

この戦いで、義経は活躍する。
また、安徳天皇は海に沈む。
その母であり、清盛の娘である建礼門院は、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔う。 ※ 関連ブログ 大原寂光院
散歩道。 少し、レトロっぽいか。


焼きカレーの看板が目に付いた。

時々、このようにいい風景が現れる。

門司港駅。 重要文化財。 1914年に建てられてる。 ※ 第一次世界大戦が始まった年。


商店街の雰囲気を見に行ったが、退屈なので、小さな小路に入った。 不動坂。
左に、小さな酒店。 中をのぞくと、4~5人の人が立って酒を飲んでいた。
小さなカウンターもあった。
昔は、酒屋でこうやって飲む姿が見られたが、今は少ない。
道で会った人に聞いたんだが、食べ物は自分で持ち込むそう。 テレビ局の取材もあったとか。
※ もし、港に車を置くことが出来たら、私もここで飲んだ。

少し登るとこう。 風情がある。 右に、不動像があった。 ずっと向こうに、猫。
右に小さな旅館があり、話した人は、そこの女将さん。

こんなお不動さん。

「おまえの居場所は、そこかい」と話しかけたら、「 ウンニャ~」と言った。

さらに行くと、こんな家が。 細い道を通って戻った。 迷路だから、道を教えてもらいながら。

三井クラブが、夕陽に輝いていた。

関門トンネルを抜けて、次の道の駅に向かった。
上に書いた新聞が、これ。

同じ内容の手紙を、他の新聞社にも送ったと思われる。
どちらも中身がいい。 思いつきで書いた文ではなく、練りに練った文に感じる。
こういう文があった。 広島市長の文に。
「憎しみと暴力の連鎖を断ち~~~」というのが。
鶴姫の言葉と、同じだった。
※ 核兵器を中心とした、大きな武器を持つことが、戦争の抑止力になるという考えがある。
持たないで、やられてしまったら、どうするのよ。責任とってくれるのかってね。
でも、この考えで一番喜ぶのは誰か。 それは、死の商人と言われる、武器製造にかかわる人間。
このような考えの発信源は、そこか、それに近い人間。
また、独裁者も、武器を持ちたがる。
大変でも、理想に近づこうとする考えが、いいと思います。
優れた内容と思うので、全文載せますね。 ※ 関連ブログ 鶴姫伝説 ~瀬戸内のジャンヌダルク~


【道の駅】 きくがわ
【明日の予定】 この近くのどこか。 日本海側に、ちょっとだけとも。
【今日の歌】 鶴姫伝説の中に、動画があります。 その中の歌がいい。
いつか 平和になり 剣の錆びる日がきたら
太鼓をうちならして 祝おう
いつか 平和になり、弓矢を折る日がきたら
鎧に白い花を 飾ろう
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昨日のブログを書き終わった時は、午後2時を過ぎていた。
夜中、焼酎を飲みすぎたため、夕方まで、食事はできなかった。
そんなことで、今日は、123日間の九州を、振り返ってみます。
それで、勘弁してください。
写真は、32枚です。
九州の指宿が暖かいという。 駐車場も、温泉もある。
情報がそうなので、指宿で年を越すことにした。
12月24日に、四国から、大分市に近い佐賀関に、船で渡った。
臼杵に向かった。 国宝の石仏があった。
この後、たくさん見るが、その始まりだった。

12月25日。 クルスの海。 ekさんが情報をくれたのかな。 この日は、雨。

12月26日。 日南海岸。 道の駅フェニックス。 ブーゲンビリアを見た。 好きになった。

12月27日。 霧島酒造を見た。 黒霧島を知ってしまった。 昨夜は、これを飲みすぎ。
28日。 指宿の町に入った。
12月29日。 指宿市内。 菜の花が咲いていた。 暖かい時は、セーターで歩けた。
パソコンが調子悪くなり、困った。

12月30日。 長崎鼻。 薩摩半島最南端の岬。 江口章子の香々地にもあった。

12月31日。 一人で、御馳走を食べて年越し。 暖かい料理がないことに、後で気づいた。
1月 1日。 開聞岳、登山。 暗いうちに着いた。 雪が降って寒かった。 忘れられない登山になった。

1月 2日。 フラワーパークで花を見た。 獅子舞も。
3日。 指宿で、ラーメンを食べた。 美味しいが、ぬるいと文句を書いた。
4日。 山川砂むし温泉。
5日。 池田湖で、オオウナギ。
6日。 知覧特攻平和会館。 考え方に、不満を持つ。
7日。 知覧の武家屋敷。
8日。 ホタル館富屋食堂。
9日。 喜入で一休み。 風邪を引いたんだったかな。
10日。 喜入の町を歩く。
11日。 この日も、喜入を歩く。 この日だったか、地域の人が案内してくれた。
12日。 パソコン調子悪い。
13日。 雪で動けない。
14日。 喜入の山の中で、小さな滝と、磨崖仏を見た。
15日。 鹿児島ののぼる屋で、ラーメン。 美味しかった。
1月16日。 霧島神宮。 神宮の近くで焼き芋を売っているHさんと食事。奥様も一緒。 年末にもあった。

1月17日。 霧島の隼人の辺りで、龍馬とおりょうの道を歩く。
18日。 上に同じ。
19日。 上に同じ。
20日。 肥薩線の真幸(まさき)駅に行く。
21日。 肥薩線に乗る。 人吉市まで。
22日。 人吉の近くで、ひなまつり人形展を見る。
23日。 剣豪、丸目蔵人佐(まるめくらんどのすけ)を調べた。 錦町。 人吉の近く。
24日。 球泉洞を見る。
1月25日。 熊本城。 新しい建物も出来て、多くの人がいた。

1月26日。 道の駅不知火で散歩。
27日。 御坂遊歩道という、3333段の石段を上った。 調子に乗って急いだら、足を痛くした。
1月28日。 霊台橋。 美里町。 美しい。

1月29日。 東陽石匠館を見た。 八代市東陽。 昔、石工はこの町に集まっていた。
30日。 白壁の町、松合を歩いた。
31日。 この日、天草に入った。 この日から、長くいることになる。
2月 1日。 天草松島。 向こうから、天草五橋を渡ってくる。

2月 2日。 上島の竜ヶ岳に登った。
3日。 天草最高峰倉岳に登った。 車で。
2月 4日。 天草切支丹館。 鶴田一郎という人が描いた。 天草四郎を追ってみた。

2月 5日。 天草コレジヨ館。
2月 6日。 津天主堂。 美しい町。

2月 7日。 富岡城を見る。 苓北町。
8日。 林芙美子文学碑を見る。 富岡城の近く。 港で、ある夫婦と話す。 楽しかった。
9日。 鬼の城公園。 キリシタン墓碑公園。
2月10日。 ハイヤ大橋。 牛深町にある。

2月11日。 長島町に入る。 この町で、ある人にたくさん世話になる。 タイヤのことなど。
2月12日。 出水平野に1万羽の鶴。

2月13日。 出水麓武家屋敷群を見る。
14日。 出水駅まで歩く。
15日。 薩摩川内で、戦国村を見る。
16日。 薩摩川内の山の中に。 滝を見る。 散歩。
17日。 山の中を、峠越えをする。 八重山。
18日。 藺牟田池を1周する。 ベッコウトンボのいる池
19日。 音楽仕込の薩摩焼酎を見る。 山の中を散歩。 お爺ちゃんと話す。
20日。 冠岳歴史自然の里。
2月21日。 冠岳とかに登った時、ある寺にあった。 人の顔。

2月22日。 吹上浜。 万世特攻平和祈念館。
23日。 枕崎でカツオを食べる。 セリの見学。
24日。 金峰山からの風景。 キム・ヨナ、ショートプログラム成功。
25日。 薩摩金山蔵見学。
2月26日。 キム・ヨナ、バンクーバーオリンピックで優勝。 薩摩川内でテレビを見る。 あの日から、ずっと機嫌がいい。

2月27日。 藤川天神臥竜梅を見る。
2月28日。 真幸に泊まる。 駅で仕事。 お酒も。 人吉梅まつり。

3月 1日。 人吉クラフトパーク。
2日。 五木村の山で、福寿草を見た。
3日。 白滝公園と、大滝。
3月 4日。 孔雀。 熊本市動植物園。

3月 5日。 山鹿灯籠民芸館など。
6日。 立花町兼松で、五木寛之の青春の俤を追う。
7日。 宙太さんに、水郷柳川を案内してもらう。
8日。 肥前浜宿を歩く。 伝建地区。
3月 9日。 祐徳稲荷神社。 建物に圧倒された。

3月10日。 諫早市の街を歩く。 長崎市に入る。
11日。 グラバー邸などを見る。 茂木の港に停泊。
3月12日。 長崎原爆資料館を見る。 平和公園に行く。

3月13日。 ペンギン水族館。
14日。 福江島に行く。
15日。 長崎亜熱帯植物園。
16日。 井戸に住みつくオオサンショウウオ。
3月17日。 軍艦島に上陸。

3月18日。 高島を歩く。 ある人のお母さんの故郷。
19日。 神代小路の町並み。
20日。 玉名市で、五重塔を見る。
21日。 菊池市に入る。 しうさん親子にお世話になる。
3月22日。 しうさんのお父さんの山小屋。 ※ 少し前に完成した。

3月23日。 阿蘇神社火振り神事。 しうさんも、オリャ~とか言いながら、振り回した。

3月24日。 一心行の大桜。
25日。 竹田市を散歩。 荒城の月。 城跡。
26日。 原尻の滝。
27日。 稲積水中鍾乳洞。
28日。 左右知のイチイガシ。
29日。 長湯温泉。
30日。 長湯温泉。
31日。 長湯温泉。 放浪の旅は、この日で1年。
4月 1日。 黒川温泉。 ここはいい。

4月 2日。 九重夢大吊り橋。
3日。 石畳の湯平温泉。
4月 4日。 御嶽流神楽大会。 近くに住む、Tさんにお世話になった。 お米を頂いた。 他も。

4月 5日。 今市宿場町の石畳。 山を登る人と、知り合った。
6日。 由布院温泉を歩く。
4月 7日。 由布院岳登山。 頂上少し前で、引き返す。 樹氷を見た。

4月 8日。 別府温泉で地獄めぐり。
4月 9日。 坂道の城下町杵築を歩く。 いい所でした。

4月10日。 黒津崎を歩く。
4月11日。 両子寺の仁王。

4月12日。 仙燈寺跡の、五輪塔群。
13日。 仙燈寺跡の、仁王像。
4月14日。 姫島に黒曜石の断崖があった。

4月15日。 香々地で江口章子を追う。

4月16日。 霊場中山仙境を歩く。 命がけ。

4月17日。 荘園の里、田染荘。 あるお家で、夕食を御馳走になる。
18日。 豊後高田昭和の町。
19日。 宇佐神宮。
20日。 秋月を歩く。
21日。 カルスト高原平尾台。
22日。 香春町を歩く。 山頭火。
23日。 香春町。 高座右寺。
24日。 香春町。 万葉の里、歌碑巡り。
4月25日。 糸田町を歩く。 山頭火と緑平と陽水。

4月26日。 九州最後の日。 一休み。
九州はいい。 人に会っても疲れない。 人情味があるというか、ほっとする。
多くの人に出会って、助けられて、楽しく旅が出来た。
いつの間にか、4月が終わりそう。
私の放浪の旅は全国なので、九州を出ることにした。
12月に、また戻ってきます。
多くの方に、ありがとう、です。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 門司港によって、本州に。
【今日の歌】 ショスタコービッチのセカンドワルツ(YouTube)
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今の山頭火は、無かったかも知れない。
そんなことを考えながら、糸田の町を歩いた。
また、井上陽水は、この町で音楽に対する感性を磨いた。
陽水の家は、歯科医だった。
昔、そこで働いていた人に、たまたま出会った。 話を聞くことができた。
※ 写真の掲載は、12時頃には終わる。
最近は、その後、ネットで調べ物をしている。 それが面白い。
早ければ、1時頃まで。 遅ければ、4時頃まで。
昨夜は、陽水の音楽を聞いたり、山頭火について調べた。
2時頃から酒を飲みながら。 3時過ぎに寝た。
いつもは、何時に寝ても7時頃起きるが、今日は気づいたら9時半。
今日は、午後から、門司に向かう。 九州最後かな。 九州に4カ月いた。
私の知らない魅力がありそう。 夜景も綺麗という。 (この部分、削除の予定だったが、そのまま)
糸田町は、田川市の北西にある、小さな町。 香春から、10分ほどで着いた。
車は、皆添橋の近くの空き地に停めた。
ここが、皆添橋。 欄干に、レリーフがあった。 地図。 ※ 皆添橋は、かいぞえばし、と読む。

こんな句が。 この町での代表作でないかな。
この町には、生涯の恩人である、木村緑平がいた。 句で、緑平に逢いたいとは表現できない。

下の地図を歩く。

橋を渡らないで、線路を渡って、貴船神社に向かった。 木村緑平旧居がある。
石垣に、ツツジが。

貴船神社が見えてきた。 神社の向こうは高台で、炭坑の管理職が住んだ職員住宅があった。
緑平は、炭坑の医者だから、ここに住んだ。

神社の右に、坑長坂があった。 坑長は、炭坑長の意味。 上は、管理職の住宅だから。
この道の上に、句碑がある。 後でこの坂を下りてくる。

神社の右を行った。 ゆるい坂。 写真の真ん中辺りに、句碑が見えてきた。

「聴診器 耳からはづし 風の音きいてゐる」 緑平。

反対側に、「逢うて別れて さくらのつぼみ」。 これは、山頭火。
好きなように、読み取ってくださいという感じかな。
今年も逢えたとか、あと何回逢えるだろうとか、いい季節がくるとか。

上の句碑は、旧居の下にあった。 登り口にこんなのが。

これが、木村緑平旧居。 昭和2年から13年まで住んだ。
山頭火の、昭和4、5年の九州の旅も、この期間に入る。

ここから見える、南の風景。 「逢いたいボタ山」と詠んだボタ山があった。

山頭火は、頼れる人もなく、放浪の果てに、ここに来た。
二人の関係や、山頭火の気持ちは、下の文で読み取れる。
※ 皆添橋のたもとにあった。 写真を撮った時、全部は読まなかった。


別の方から。

坑長坂を下りている。 句碑が見えた。

上の文で、枝は緑平の手だって、山頭火自身が言っている。

この坂を下りてきた。 この坂を山頭火が歩いたことは、きっと分かっていますね。

戻って、橋を渡って、小学校に行った。 そばに、句碑があった。

これは、緑平。

最後の所は、ふりしきる、ですね。

緑平さんがいなかったら、山頭火の旅は、どうなったんだろう。
放浪の旅は、無理だったでしょうね。
山頭火の才能も、表に出ないで、埋もれた可能性があった。
考えてみたら、埋もれてしまった人って、いっぱいいるんでしょうね。
私も埋もれてる。 いや、埋もれるものが無いか。 何言ってんだってね。
次は、陽水だ。 そっちに向かった。

いい道だ。

伯林寺境内。 ここにも、句碑があった。 ※ なぜここにあるかは、分からない。

橋にあったのと、同じ句だ。

この空き地に、昔、糸田町の役場があった。
道を少し行った所に、陽水の家はあった。 歯科医院だった。

上の写真の、左手前に、小さな公園があった。 (昔の公民館の跡地)
陽水の歌碑があった。

夏祭りの、自筆の歌碑。 夏まつり(YouTube)

上の歌碑を見ようとした時、二人の女性の方に会った。 私より年上。
一人は、若い時、陽水の家で働いていたという。 昔のことを教えてくれた。
○ 陽水は、「あきみ」と読む。 だから、みんな、あきみちゃんと呼んでいた。
○ 高校卒業まで、ここで暮らす。 高校は田川市で、通う。
○ 高校生になると、ギターを抱えていることがあった。 家には、ピアノが。
○ お父さんは、歌の上手な人だった。
○ 陽水は、子供のころから、優しい子だった。 少し、てれ屋さん。 3人兄弟。 男は、陽水だけ。
○ 去年60歳になった。 12月に福岡でコンサートがあった。 行って来たという。
○ 昭和30年過ぎには、陽水の家にはテレビがあった。
他に家にはないので、いつも誰かが、陽水の家にはいた。 ※ 台所で、食べ物を作る人もいたそう。
陽水の家は、このような雰囲気だった。
○ 陽水の父は、子供会などの世話もし、地域のためにも動いた。 悪く言う人は、いなかった。
○ 糸田町は、夕方5時になったら、スピーカーから、「少年時代」が流れる。 少年時代(YouTube)
他にも、たくさん、話してくれた。
陽水は、温かい家庭・地域に恵まれ、そこで育った。
そのことが、音楽に対する優れた感性を作りだすのに、大きく影響したと思う。
煉瓦(れんが)の家の所に、陽水の家はあった。

もう一か所句碑があるので、行ってみた。

「ボタ山ならんでゐる 陽がぬくい 」

歩いていたら、店から出てきた。 遊んでほしいって、鳴いた。

山頭火については、最近、こう思っている。
この人の評価は、100年後、芭蕉と並んでいるかもしれない、と。
陽水という人は、年をとっても、歌が上手。
タモリとのおしゃべりが、YouTubeにあったが、じつに面白い。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 門司
【今日の歌】 リバーサイドホテル(YouTube)
能古島の片思い(YouTube)
心もよう(YouTube)
井上陽水・タモリ、ギター漫才、コーヒールンバ(YouTube)
八月の濡れた砂(YouTybe) 石川セリ(奥様) 出だしが好き。 忘れられない歌。
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鏡山の里と言われる、道の駅の前の、大きな谷を歩いた。
そこは、古代太宰府道で、田河道と呼ばれていた。 1400年も前からある道だ。
万葉集は、読んだこともないし、関心を持ったこともない。
今日は、その世界に、少しだけ入ってみた。
国道201。 行橋(ゆくはし)市で海に出る。 行く時は、ここを通った。
この道は、昔は秋月街道。 秋月藩の存在は、大きなものだったことが分かる。
秋月の殿様も、江戸に行く時、ここを通った。 今は、交通量がはげしい。

谷が細くなり、国道がトンネルに入る所に、石橋があった。 その袂(たもと)に、万葉の歌碑も。
呉川(くれかわ)眼鏡橋。 秋月で見た石橋と、この石橋は、花崗岩で出来ている。 珍しいそう。
場所はここ。 ※ 花崗岩・・・御影石とも呼ばれ、火山の活動で出来た石。

「斯(か)くのみし 戀(こ)いし渡れば たまきはる 命もわれは 惜しけくもなし」
作者は、抜気大首(ぬきけのおほひと) 詳しい情報は、分からない。 役人だったよう。
これだけ恋しく思い続けているので、苦しくてならない。 こんな苦しい想いをするくらいなら、私は命も惜しいことはない。
※ 解釈は、香春町で作った資料より。(先日いただいた)
前半、どうして、そういう意味になるのかが、難しい。
九州には、朝鮮からの渡来人が多かったというが、その人達の発想の匂いを感じるかな。
後半の表現は、今の時代も、日本人より朝鮮の人の方が、よく使う。

畑の中に、昔の道はあった。 戻っている。

北海道は、カッコウが鳴いたら種まきだ、とか言う。 九州は、そういう季節感って、どうなっているのかな。

香春岳(かわらだけ)が見える。 左が一ノ岳。 真ん中、二ノ岳。 右、三ノ岳。

道は、左に曲がって行くが、正面の山に鏡石があるというので、細い道を行ってみた。

山の入り口に、歌碑が。

「石上布留の 早稲田の穂には いでず 心のうちに 戀ふる この頃」
(いそのかみふるの わせだのほには いでず こころのうちに こうる このころ)
あなたへの想いは 顔色には表わさないが 心のうちで 恋しく想っている この頃である。
これも、作者は、抜気大首(ぬきけのおほひと)
この人は、出張でここに来たようだ。 (この人の歌は、もう一つあって、その歌から)
万葉集の歌は、松尾芭蕉や山頭火ではない。

こんな道を行った時、人に会った。 山への道は今は無いと聞いて、戻った。

呉川が流れており、魚がいた。 ただ、排水を流していることもあり、水の状態はよくない。
だから、魚は、イワナとかヤマメではない。
※ この辺りの山奥の渓流には、オオサンショウウオが棲むという。 一日いっぱい、探してみたい。
道で会った人に、この辺にいるかいと聞いたが、首を横に振った。

歌碑が、見えてきた。

「豊国の 鏡の山の石戸(いわと)立て 隠(こも)りにけらし 待てど来まさず」 ※ 昨日の歌を、間違ってこれにした。(申し訳ない。 直しました)
作者は、手持女王(てもちの ひめみこ)
※ ネットで、この人は稗田阿礼でないかと言ってる人がいる。 稗田阿礼は女性という説があるようだ。
河内王は、豊国の鏡山のお墓に石戸を立てて、こもってしまわれたらしい。
いくら待っても、もう帰っては来られない。
恋の歌ばっかりですね。 他に考えることがないのか、と言いたくなるが、それは言い過ぎか。

今、葉を広げたばかり。 まさに、新緑。

石の庭があった。 個人で作っている。

池は、正面の家の庭に。

これは、別府でも見た。 ランだと思っているが、それでいいのかな。

ここのお家に。

ここが、鏡ヶ池。

ここが、池だと思ったけど、間違ったかもしれない。 上の写真で、手前の、竹の簾がある所のようだ。

説明は、こう。

1000年以上前から、ずっとあったら、すごい。
※ こういう可能性もある。
後世になって、上の歌があることを、この土地の人が知った(知らされた)。
その歌に合うように、伝説の池を作った。
こういうことは、日本中どこにでもある。 小町伝説もそう。
木と花に囲まれて、小さな寺があった。 道で会った人の話では、今は寺をやめたと言った。

この碑に、豊前國風土記に、鏡山のことが載ってるとあった。 奈良時代に書かれたものだ。

遠くに、工場。 右の小さな山に、昨日の鏡山大神社がある。 歌碑も見えた。

「王(おほきみ)の 親魄(むつたま)逢へや豊国の 鏡の山を宮と定むる」
これも、手持女王。 意味は、
なつかしいあなたへの御心に、よほど叶ったのだろうか。 あの遠い豊国の鏡の山を墓所と定めなさったのは。

シラサギだが、目の下がブルーなことは、初めて知った。 いつも忍び足。

この谷の、奥へ行ってきた。

万葉集でない歌もあった。

昨日は山の上に行かなかったが、鏡山大神社。

話しかけたら、寄って来た。

この花も咲きだした。 最後の最後まで、咲いていてくれる。

万葉集って、こういう物なんだって、少しだけ分かったように思うかな。
また、はるか昔に作られた、その歌の風景を歩くのは、ただ本を読むより面白い。
恋の歌ばかりなので、少し退屈。 すべての歌が、内容が深いとは限らない。
そんなことも感じたでしょうか。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 迷ってる。
【今日の歌】 大連の街から(YouTube)
北の岬(YouTube)
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空の雨の量にも、限りがあるということか。
昔、香春町では銅が採掘されていた。 その掘った穴である「間歩(まぶ)」が近くにある。
道の駅の地図に載っていたので、探した。 ※ 壁にある、大きな地図だが、大ざっぱ。
結局、見つけることは出来なかった。
地図がない状態で、この町にいてもダメだなと、思った。
※ 香春町のホームページも見たが、十分な物はない。
宙太さんが情報をくれた高座右寺(こうぞうじ)を探した。 ここは、偶然に見つかった。

山頭火の句碑があった。 「そこも こゝも 岩の上には 仏さま」。

山頭火が来た時も、こうだったんだ。

山頭火の高座右寺については、こんな資料が。
※ この寺の後、役場に行った。 詳しい地図と、たくさんの資料をいただいた。
昭和5年2月10日。 木村緑平らと共に湯山温泉へ向かう。
一浴のあと、鯉コクで一杯やって河内王陵を拝し、高座右寺の梅を見て夕月のある道を帰る。
※ 長湯温泉、由布院温泉は、この年の11月。
※ 湯山温泉・・今は、湯山荘がある。 場所はここ。 河内王陵は、上の方にある鏡山大神社のそば。 高座右寺は、その左上の神宮院の右となり。
※ 河内王陵・・今日最後に見たところ。
ここが、高座右寺。

山の斜面の大きな庭の中に、寺はある。 静かに歴史を感じる。 空気も、違う。

小さなお堂。

お地蔵さん。

お地蔵さんの顔と違う。 寺の住職さんのよう。

宙太さんは、猿がいるかも知れないと言っていたが、いなかった。
私は、実は、猿はちょっと・・・、なんだな。 噛みつかれそう。 だから、それで良かった。
少し上に、神宮院があるので、行ってみた。
こんなのが。 こんなの、どこかで見た。 瀬戸内海が見えた山の中。 巨石があった。 思い出した。 前島だ。

ここのお寺は、ここが良かったかな。 他は、ふつう。

この鬼さんも、左右の歯が違う。 これが、普通なのかな。 意味があるのか。

どうして、この寺が、「文殊の知恵」なんだろう。 サルが3匹で、3人寄れば、だからかな。
※ 文殊の知恵の発祥は、国東半島にあった、文殊仙寺だと、情報誌にはあったが。

800年の大銀杏(おおいちょう)。

こんな像が。 普通の表情。 いい。

この後、役場に行った。
観光課だったのかな。 対応してくれた人は、親切だった。 詳しい地図をくれた。
そして、私がいくつか質問したので、図書館の学芸員の方を紹介してくれた。
① どうして、香春を「かわら」と読むのか。
② 五木寛之が、「青春の門」を書く時、何を知っていたのか。
例えば、あの小説の中で、歴史的な事実は、何なのか。
この2つを聞いた。 このことについては、最後に。
対応してくれた人から、最後に、たくさんの資料を頂いた。 田川市を含めた、この辺り全体の物も。
ありがたかった。
山頭火遊歩道を歩いた。 昨日見たのは、一番端のだった。


みすぼらしい 影とおもふに 木の葉ふる
※ 昭和5年11月28日。 長湯温泉は、11月11日。

谺谺(こだまこだま)する ほがらか ※ 上と同じ日に。

香春をまともに 乞い歩く ※ 同じ年の、2月。

香春へ日が出る 雀の子 みんな東に向く ※ 木村緑平 作。

香春見上げては 虱とつている ※ 11月29日。

鳴きかわしては寄りそう 家鴨(あひる) ※ 11月28日。

ふりかへれば 香春があった ※11月30日。 他の町で、ふりかへれば ○○があった と作ったことはないのか。

あるけばきんぽうげ すわればきんぽうげ ※ 昭和7年、5月1日。

一つの町で、こんなに見たのは、初めて。
道の駅の近くに、鏡山大神社が。 万葉の歌の、歌碑を見に行った。

出だしは、あずさゆみひき、と読む。 この鏡山も、久しく見ないでいたら、恋しくなるだろう、という内容。

河内王の墓が、向こうにあった。

そばに、こんな歌が。 作者は、手持女王。
石戸破る 手力もがも 手弱き 女にしあれば 術の知らなく
(いわとわる たぢからもがも たよわき をみなにしあれば すべのしらなく)
み墓の石の戸を破り 河内王を呼び戻したいが か弱い女であるので、その術がない。
※ 河内王陵(WikiPedia) 手持女王はここに。

河内王の墓。 奈良時代のずっと前の話しだ。

ここの神社の狛犬も、逆立ちしていた。

今日は、役場に行って良かった。
今後も、困った時は、役場と連絡を取るのがいいかな。
有難かった。 感謝です。
今日は、歌碑や句碑をどう撮るか、後で写真を見て考えた。
ただ句碑だけの写真を見ても、つまらない。 周りをどう撮るか、それが難しそうで、面白そう。
最後に、上の問題について。(学芸員さんの話から)
① どうして、香春を「かわら」と読むのか。
・この辺りは、昔から、「カハル」とか「カワラ」とか、言われていた。 これは、朝鮮語だそう。
・表記は、「鹿春」や「香春」があった。
・いつ頃からか、読みは「カワラ」、表記は「香春」が使われるようになった。
※ この辺りは、朝鮮からの帰化人が多かったそう。
※ ネットに、こんな記事があった。
歴史文献上、カワラは「鹿春」「加波流」「革流」などの文字が当てられ、「カハル」と読まれていた。
「カワラ」と読み始めたのは鎌倉時代からである。
もともと「カハル」の名は、新羅から渡来した神を祭る山の名として始まったと言われている。
それは、朝鮮語の「カパル」=「けわしい所」を意味している。
(隠れにけらし待てど来まさず、より)
② 五木寛之が、「青春の門」を書く時、何を知っていたのか。
例えば、あの小説の中で、歴史的な事実は、何なのか。
・これにつては、五木寛之は、八女の人なので、この地方のことについては詳しかった。
だから、書くことはできたと思われる。
・このことについては、これ以上のことは分からなかった。
※ 関連ブログ 五木寛之の青春の俤を追って 他
※ 私は、五木寛之が、三浦綾子のような取材をしたのかを、知りたかった。
※ 三浦綾子は、「銃口」を書く前、綿密な取材をした。
その取材の中心は、元校長だった人。
その校長の最後の勤務地は、私がいた学校の隣。
※ 三浦綾子の小説は、歴史的に何が事実だったかが、だいたい分かっている。 だから、なお面白い。
※ 関連ブログ 銃口が生まれる瞬間 他 本当に面白いか、泥流地帯。
【道の駅】 香春 昨日に同じ。
【明日の予定】 地図をいただいたので、この町を。
【今日の歌】 りんごのひとりごと(YouTube) 香春町の隣に、福智町がある。 河村光陽という作曲家は、ここの町の人。
うれしいひなまつり、かもめの水兵さん、などを作曲。
この歌は、長女の順子さんが歌っている。
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昨日、田川市から、頭がなくなった山を見た。
あの山の麓に、香春町はあった。
新しい道の駅が、町外れに出来ていた。
動き出したのは、5時頃だった。
夕闇が迫る街を1時間ほど歩き、外で食事をした。 ビール、日本酒を飲んで、最後は、黒霧島のお湯割り。 極楽。
山沿いの夜道を、2㌔ほど歩いて、帰った。
田んぼのカエルは、ゲコゲコと、濁った声で鳴いた。 通り過ぎる時、そっと鳴きやんで。
カルスト台地の平尾台に、停泊していた。
昼頃、雨は弱まった。 視界が少しだけ、開けてきた。
遊歩道を歩いた。

柵があった。 穴があるようだ。 のぞいてみたら、深さ3㍍ほどだった。

霧雨なら、小鳥はなく。 時々、鳥でない動物の鳴き声がした。
昨夜は、こんな所に車を停めた。

宙太さんが情報をくれた、香春町を調べていたら、道の駅が昨年の暮れに出来ていた。
これで決まった。 香春町に戻った。 ※ どうして、香春が、かわらと読めるのかが、不思議。
写真の左に、頭のない山はある。

出来たての道の駅。 コンビニも入っていた。 便利だ。
温泉に入ったりしてたので、着いたのは、4時ころ。

工夫している。

知らない町を歩く感じで、散歩。 市街地は低い所にあり、そちらに向かった。
線路沿いの、車の少ない、裏道を通った。
線路は、日田彦山線。 小倉(北九州市)と日田市を結んでいる。 石炭や石灰岩を運んだ。
頭のない香春岳が見えた。(一の岳)

道の駅に地図はなかったので、どこに何があるかは、分からない。
市街地から離れたら、田んぼ。 山里の感じ。

宙太さんがくれたこの町の情報は、山頭火と、青春の門。
この道を、向こうから来た。 帰りも、ここを通る。

山の方に脇道があった。 川があって、川の中に人がいた。
流れを悪くしている草などを、除けていた。 その人と、10分ほど話した。 ※写真の人。
香春岳の写真を、ずっと昔から撮っていると言った。 同じ場所から。
※ 香春岳~3つの山の総称。 頭のない山が、一の岳。 他に、二の岳と、三の岳。

一の岳の中腹に、石灰岩の工場があった。 ※ 工場は、山の下にもある。(日本セメント香春工場)

この町から数㌔の所に、糸田町がある。 そこに、山頭火が世話になった、木村緑平という医者がいた。
それで、山頭火は、この町にもよく来ていた。
車が見える道は、国道201。

「香春岳は異様な山である。けっして高い山ではないが、そのあたえる印象が異様なのだ」
五木寛之が書いた「青春の門」は、この文で始まった。
福岡県の筑豊炭田で育った少年、伊吹信介の成長を描く長編小説だ。 ※ 私は読んでないし、映画も見ていない。
大竹しのぶは、この映画が最初の映画。 試写会では、声を上げて泣きながら見たという。

列車がやってきた。 ※ 私は、小さい時から、汽車に乗るのが大好き。

香春岳の、一の岳。

街に入ってきた時、山頭火の歌碑があった。 ※ 他にもたくさんあるようだ。

「香春 晴れざまへ 鳥がとぶ」

香春町との関わりは、下に。

山の下にある、セメント工場。

大きい。 ※ 私は、大きな工場の近くで暮した事はない。

6時を過ぎて、食事をした。 昨日、晩酌の写真を撮った。 近々酒を飲むと決めていた。
黒霧島のお湯割りが、メニューにあった。
それを頼んだら、黒霧のお湯割りですねと、店の女の子は言った。 黒霧島でなく、黒霧だった。
九州の南の焼酎が、ここ北でも、親しみを持って、そう呼ばれていた。
美味しいので、いつも、飲みすぎる。

香春岳。 一の岳。 上が平らだ。 (19時10分)

夜の寺。 障子に何かが映れば、もっといい。

心も体も温まって、もと来た道を、戻った。

まだまだ街は、眠らない。

もう少し行ったら、右に道の駅。
山小屋というラーメン屋を、時々みかける。 ここが本店のようだ。 一度食べてみるか。

今日は、特に調べないで歩いた。
いつもは昼間に歩くが、夕方と夜も、いいもんだ。
明日は、行く所をきめて、もう一度歩く。 何か必ず発見する。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 香春町を、再度散策 。
【今日の歌】 こころの花(エムズの片割れ) 作詞は五木寛之、作曲と歌は山崎ハコ。 白い花もある。 これもいい。
こころの花(YouTube) 林あさ美という人が、歌ってる。 ギター1本で。 動画あり。 まあまあか。
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大分県から離れたら、どこを見るか探すのがたいへん。
国東半島のように、芋づる式に見つからない。
福岡県の情報誌だけ、いいのが手に入らない。(食べ物と、お土産屋の紹介が多い)
今は、平尾台というカルスト地形の山の上にいる。(ネットがつながる。 ドコモすごい)
墓石のように、白い石が、所狭しと並んでいる。 奇妙な光景。 賽ノ河原。 ここです。
明日雨が止んだら、山を歩く。
でも、雨は、また降り出した。
この後、壇ノ浦とか行ってみたいが、まだ調べていない。
情報を探す時間が、限られている。
詳しい情報誌を、見つけなければならない。 県ごとの。
※ 情報は、道の駅で見つかる時もあるが、道の駅は、どこにもはない。
今日は、宙太さんから情報をいただいたが、調べきれなく、行けなかった。
ただ、昨日のブログの秋月に関わって、面白いことを教えてもらった。 最後に少し書く予定。
人間の執念には、驚く。
田川市石炭・歴史博物館に、寄った。

この地図は、九州の北部で、筑豊と呼ばれる地域。 中央を遠賀川が流れている。
昔、筑豊炭田があり、戦前から昭和30年代の半ばまで、産出量日本一が続いた。
その中の中心地が、ここ田川市だった。
赤○の所が、今いる場所で、高い煙突が2本立っている。
「あんまり煙突が高いので~~」と、炭坑節で歌われた煙突だ。
つまり、ここは、日本の石炭生産の中心地だった。

日本が大きく経済成長する前の時代を支えたのは、石炭だった。 繁栄の基礎を作った言ってもいい。
石炭の時代は、およそ、100年だった。 100年の嵐。
こうやって掘る時代から始まった。

室内、室外とも、炭坑で使われたものが展示されていた。
炭鉱は、水と空気との戦いだから、それに関わる物も。

炭鉱住宅。
酒を飲んでるのを見て、うらやましいと思った。 これを見たら、私の頭は、他のことを考えなくなった。
炭鉱住宅での生活は、人とのつながりが豊かで、楽しいものだったと、あった。
私は、夕張の炭鉱住宅に、一度入ったことがある。 生活している所に。
※ 夕張へ行ったのは、私が勤めて間もなくの頃。 カレーライスを御馳走になった。
でも、友人のお母さんは、カレーに肉を入れ忘れた。 途中で気づいて、みんなで笑った。
その後、何年経っても、あの時の肉無しカレーは美味しかったと、私は言った。

玄関から入って、振り向いたら、この人がいたので驚いた。 そういう時に、もし人形が動いたら大変だ。 でも、動いてほしい。

エンジンがなかった時代、動力源は、蒸気機関だった。 煙突は、それの煙突。

初めて、ボタ山を見た。 石炭を掘り出した時の、カスですね。
黄色の丸の中。
その向こうは、石灰岩の山。 削り取って、上が平らになった。

庭に、炭坑節発祥の碑があった。 調べたら、間違いなくここだった。
「あんまり、煙突が高いので~~」という歌詞があるが、それは、上の2本の煙突のことだった。

※ 炭坑節(YouTube) 踊りもいいですよ。
田川市について調べてみたら、ここは、五木寛之の青春の門の舞台になっていた。
※ また、チロルチョコは、この町で作られていた。

平尾台に向かった。 石灰岩の山があった。 近くに、セメント工場が。

こんな場所に来た。 秋吉台で見た風景に似ている。 関連ブログ 秋吉台、秋芳洞 他

石灰岩は、水に溶けるとはいうが、どうしてこの風景になるかが、不思議。

駐車場に車を置いて、谷底に下りて行った。

上の方に、入り口が見えた。

途中から、川の中を歩く。 サンダルを借りた。 ※ 赤の○まで、行くことになる。

入り口。

普通の鍾乳洞より、広い感じ。

サンダル履きで歩いた。 水は、冷たい。
それでも、不思議なことに、10分ほどしたら、慣れてきた。
冷たさって、慣れるもんだなって、思った。
この時、人間の冷たさにも、人は慣れるのかなって、そんなことも。

途中から、歩道はなくなった。 工事費を節約したのではと、少し思った。 ※ 私は、意地悪。

こんな所も。

転んだら、大変。 カメラは濡らせない。

こんなところも行ったが、途中で、ひざより深くなった。 そこで戻った。 ※ 雨の日が続いたからか。


きれいな鍾乳石があるわけではなく、見所がはっきりしない。 川の中を歩くのがいいのか。

出口の手前は、広い。

鍾乳洞の方は、特に何がってことはなかったが、炭坑の方は良かったですね。
筑豊炭田について、初めて知ったことが多かった。
どこかの鍾乳洞が、人が集まる鍾乳洞の見本をつくればいいのに。
そんなことを思いますね。
近くに道の駅はない。 山の中にいることにした。
※ 追記の記事。
昨日行った最後のお寺。 古心寺。 黒田家の菩提寺。 (小さな写真を1枚、最後にのせた)


この写真の、寺の手前で、左に行くと墓地がある。
そこに、宙太さんが情報をくれた、日本最後の仇討をした、臼井六郎の墓がある。

私は、宙太さんから頂いた、柳川文芸「ほりかわ」の23号を読んだ。
その中で、19ページにわたって、詳しく書いてあった。
まとめる時間がないので、ネットにあった記事を紹介します。
臼井六郎 日本最後の仇討 (青春の城下町より)
【停泊場所】 上に書いた通り。 平尾台の山の中。
【明日の予定】 はっきりしません。
【今日の歌】 織江の唄(YouTube) 山崎ハコです。 青春の門の主題歌。 田川も、ぼた山も出てくる。
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その魅力に惹かれて、行ってみた。
降り続けた雨は、夕方4時半にやっと上がった。
1日が終わりかけ、静かな佇まいになった秋月を、歩いてみた。 ここです。
下が、地図。 山の方には、行ってない。

この秋月という所は、筑後川の流域にある。 ※ 筑後川は、柳川で有明海に。
たまたま、4~5本の川が、ここに集まったため、山の中に平地ができた。
だから、平地と言っても、流れる川は、みな急流だ。
平地の北に、秋月城はあった。 ここは、城の南側の道。

道の、西の端。 向こうから来た。

武家屋敷が、美術館になっていた。 少しだけ見た。

壺とかが多かったが、これが良かった。

何気ない表情だが。

いいですね。 ※ 佐藤忠良は、深い表情が多いかな。

山の方に道があったので、10分ほど歩いてみた。 寺や古い家があった。

城だから、石垣があって濠がある。 城跡には、中学校。

秋月氏が、この地を治めたのは、鎌倉時代から。
秀吉の時に、秀吉の力の大きさを読み間違い、つぶされる。
瓦門。 秋月氏時代の正門とあった。

関ヶ原の後、肥前福岡藩は、黒田長政が治める。
そして、3男の長興(ながおき)が、秋月を治めることになり、秋月藩が出来る。
坂の下に向かう道。 いい。

長屋門。 細長い家の真ん中が、門になっている。 ※ 今まで、何度か登場。

石段は、昔のまま。 更に登って行くと、神社がある。

城のそばの、料亭。 こういうのが時々あるので、小京都と呼ぶのか。

町の下の方に向かった。 地図では、右の方。

雨が止んで30分は経つのに、花は濡れている。

秋月藩の黒田氏は、明治へと変わる時に、時代の波に乗り遅れる。
この町から、多くの人が去り、昔の面影はなくなる。
※ 時代の変化を読み間違うのは、秋月氏も黒田氏も同じ。
西の方を撮影。

左の建物は、武家屋敷。 秋月の武家屋敷は、見た感じ、柔らかい。 この屋敷が目立ちすぎると、小京都とは言えないかな。

上の写真の、左の建物の屋根。

小さな町だけど、神社やお寺は、いっぱい。
※ この家の数なら、2つあれば十分なのに、10以上ある。

道の横を流れる川に、カニがいた。

上のカニを、向こうから来る親子と一緒に見た。

石橋があった。 目鏡橋。 ※ 眼鏡橋ではない。

1810年に出来た。 ちょうど、200年前。 長崎の石橋を見て、この橋にした。 木の橋は流される。

西の方の町外れをあるいた。 小さな石段が、左にあった。

田中天満宮とあった。
明治の初めに、秋月の乱というのがあった。 明治政府に対する、反乱。
その集結地点が、ここだと書いてあった。
※ 秋月藩が、時代をうまく乗り切っていなかったため、明治政府に不満をもった。
そのことによる反乱。 秋月の乱(WikiPedia)

こんな石垣が。 武者返しの石垣とあった。 熊本城で聞く名前。

旅館。 ここの町は、伝建地区になっている。
ここの建物も、とても雰囲気がいい。
秋月の特徴は、ところどころいい感じの所がある。
全体ではない。 廃屋のままや、写真に撮れない所がいっぱいある。
つぶれたお土産屋さんも、たくさんあった。
※ 組織が弱いと、こうなるのかな。

遊びの写真です。 実際は、もっと明るい。
※ カメラで、夜の雰囲気に出来ないか試してみた。 シャッター速度を決めて、ISOの数値を下げてみた。

こんな所を通って。

小さな寺を見て戻った。

小京都って時々聞くけど、どこの町がピッタリでしょうね。
京都の東山、嵐山、大原、そして市街地の町並み、このうち3つ位雰囲気が似ていれば、小京都でしょうか。
秋月は、大原に似ている、そんな感じかな。
※ 観光地として栄えるには、温泉がないと、弱い。 そんなことも。
【道の駅】 うすい ここです。
【明日の予定】 ボタ山を見て、平尾台という所かな。 カルスト台地。 でも、情報が入ってきた。
【今日の歌】 この地も、黒田氏になって、キリシタン信仰があった。
初代藩主黒田長興は、島原の乱の鎮圧に参加した。
その後、長興は、別の場所にあった田中天満宮を、今の所に移した。
その時、社殿を島原に向けた。
後の世の人が、秋月の乱の集結地点をここにしたのは、島原の乱を意識したからかな、と思った。
ミュージカル天草四郎(YouTube) ショートバージョン。 関連ブログ (1) (2)
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魅力的な所が見つかるし、人との出会いがあって、今までいてしまった。
今日は、大分県最後です。 ※ その予定。
※ 今日は、うれしいことがありましたよ。
ずっと前の記事、ムツばあちゃんの記事、そこにコメントが入ってきました。
~~八幡という神社は、よく聞く。 全国に、4万社以上あるという。
その中心が、ここ。 宇佐八幡。 場所はここ。
本殿は、石段を登る。 少し、遠い。

創建は、奈良時代。 古い。
道の広さだけで、規模の大きさを感じる。

主祭神は、応神天皇とか、古い時代の天皇。 天皇家と関わりの深い神社だ。
池があって、ツツジが咲き誇っていた。

国東半島の仏教文化の原点も、ここ。 昨日いた田染荘は、宇佐神宮の荘園だった。
藤が咲き始めていた。 つぼみが、下にぶら下がっているが、1㍍くらいの長さになる。
管理している人が、教えてくれた。

花の世話して、綺麗に咲いてくれたら、嬉しいですねとか話しているうちに、管理人と親しくなった。
この神社の歴史についても、教えてくれた。
燃えるように咲いている。 何があって、こんなに赤くなるのか。

管理人さんは、お昼休みだったのか、ある所に連れて行ってくれた。

ずっと昔は、神社の参道をはさんで、右側には、弥勒寺があったという。
伽藍(建物)の配置は、奈良の薬師寺と同じで、金堂・講堂・東塔・西塔があった。
宇佐神宮は、その寺を守るためにあった。
再建の予定はないのかい、と聞いたら、莫大なお金がかかると言った。
ここが、その跡。 柱をのせる大きな石が並んでいた。

この参道を通って行くと、上の写真の所に着く。 狛犬(こまいぬ)が見える。
珍しいと、教えてくれた。

これは、うずくまっている。 普通か。

これが面白い。 逆立ちだ。 初めて見る。

寺はなくなったが、狛犬だけが残っていた。 先日行った、旧千燈寺跡の仁王さんと同じだ。
守る物は何もないが、昔と同じ姿でいる。
本堂に向かう。 少しの石段。

小雨が降り続いている。
日差しが強いより、写真は撮りやすい。 適当に撮っても、緑は綺麗になる。

上から撮影。 人が小さく見える。

見えてきた。

左の建物が、本殿。

本殿の真ん中。 本殿は国宝だが、その根拠が分からない。
※ 調べたら、1500年代の建物だった。 八幡社の中心だからだな。

左の方。 ここも本殿。

お札や、お土産が売っている。

祈祷殿とあった。 ここで、お祓いをやってくれるのかな。

別の角度から、本殿。

戻る途中。 右は、来た道。 左は、下社。

ここが、下社。 ここでも、お参りした方がいいとあった。
私の目的は、写真だったから、お参りは全くしていない。

途中に、いつだか問題を起こした、田母○とか言う人間の講演の案内が、境内に貼ってあった。
主催は神社ではないが、神社には、ああいう人間を大事にする体質があるように思うかな。

横道に入った。 屋根の付いている橋があった。 呉橋(くれはし)とあった。 皇族が通る。

この後、車に戻る。 この駐車場に来た時、看板を見た。
鬼のミイラのある寺が、あった。
本当かどうかなんて、どうでもいい。
一目偽物と分かっても、そこの住職が、間違いなく鬼のミイラと主張してくれたら、それ以上に楽しいことはない。
実は、宇佐神宮より、こっちが楽しみになっていた。
10分ほどで、ここに着いた。 大乗院というお寺。 場所は、ここ。

石段の下に、説明があった。

昭和の初めに、この寺に来たと。 詳しくは下に。

民家のようなお寺。 誰もいない。 自由に見ていいとある。 ※ 100円を入れる箱があった。

写真の撮影はダメとあった。 それでも、写真は、ネットに大量に出回っていた。
案内のパンフレットとかにも、載ってるそうだ。
下の写真は、ネットにあったのを、トリミングして、見やすく加工した。
実際のには、花が飾ってあった。
これが、鬼のミイラと言ってる物。

調べたら、鑑定は受けていない。 当然でしょうね。
鑑定を受けて、偽物と言われたら、お終いですから。
何で出来ているかですが、基本は、木ですね。 ※ 歯や口周りは、木とすぐに分かった。
それに、動物の何かをくっつけた。
足と手の指に特徴がある。 鳥の爪のようで、太い指。 3本。
持主は、何かを知っていますね。
下からのぞいたら、何が見えるとか。 鬼でないということは、知っている。
だから、鑑定は受けない。
ただ、金儲けをしてないので、文句は、あまりないかな。
階段は、ここから下りる。

宇佐神宮は、歴史を感じる所だった。
ただ、建物自体に、圧倒される美しさは、感じなかったでしょうか。
最近見たので、建物で良かったのは、祐徳稲荷神社かな。 このブログの、後半に。
※ 清水寺、室生寺、羽黒山、山寺、金刀比羅宮、中尊寺、日光などは、勿論いい。
【道の駅】 しんよしとみ 福岡県に入ったのかな。 ここです。
【明日の予定】 雨が止まなかったら、どうしよう。 今、中津のそばにいる。 福沢諭吉の町。
【今日の歌】 春雷(YouTube)
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豊後高田の昭和の町で、自分にとっての懐かしい昭和を探してみた。
最近、昭和の町が、時々ある。 豊後大野市の、稲積鍾乳洞にもあった。
ただ昔の物を並べても、退屈な感じがした。
広い、無料の駐車場があった。 適当な所から、見始めた。 この地図の真ん中辺り、全体。
最初はこうだ。 古い家が、並んでるだけだ。

それらしい感じが、少しはするけど。

看板が、昔の雰囲気だ。 店の中から、ギターの生演奏が流れてきた。 古い演歌だ。

昔のおもちゃが売っていた。 肉屋さんなど、普通のお店もある。

こういう展示館が、時々ある。
ここまで見て感じたのは、通りの中の、3分の1位が、はっきり昭和の雰囲気になっていた。
その他は、看板だけが、昭和。
つまり、通り全体が、昭和にコーディネートされているのでは、なかった。
写真を撮る場所は、探さないと見つからなかった。
由布院は、全てが、昔の雰囲気。 今風のセンスを取り入れて。
大きく違っていた。

全体を楽しむのは諦めて、自分にとって懐かしい物を探すのに、専念した。
展示館には、ポスターがよくあった。

※ 美空ひばりの、伊豆の踊子(YouTube) 動画は見つからない。 画像です。
※ 山口百恵の伊豆の踊子(YouTube) 山口百恵はいい。
※ 関連ブログ 天城峠~旧天城トンネル・伊豆の踊子の歩いた道~
昔銀行だった所に入った。 昔のお金が展示。 100円で、両替してくれるとあった。

国東半島の、どこかの寺の仏像。 こんな表情の写真が撮りたい。
トリミングも(切り取り)の仕方が、私が考えるのと、まったく同じ。
※ 他の人の写真を見て、いつもそうはならない。

ここは、良かった。 出会いの里。
昭和の町を、どういう考えで作るかだけど、こう思うんですね。
題材を昭和にして、自分たちで、一つの作品を作る。
だから、古いものをただ並べてもダメ。

ここなら、歩きたくなる。

昆虫のお店。

この大きなカブトムシが、本物かどうかが分からない。 他のお客さんと見た。
そーっと、一人が触った。 動いた。 本物だった。 角の先までなら、10㌢以上ある。

この店も、いいな~って、しばらく眺めていた。

日曜日なので、人はいた。

ここでは、給食がメニューにあった。
※ 給食は、市町村によって、差が大きい。 給食費を払わない人がいると、その分、質が落ちる。

昭和ロマン蔵と言って、有料の展示館があった。 3カ所回って、800円。 高い。
建物の外に、古い車があった。

懐かしい車だ。 私は、昭和48年に、この車を買った。 初代のサニー。 色も同じ。
大学の4年の夏に、アルバイトをして、中古のを買った。
昨年、道を走っているのを見た。

お腹が空いたので、だんご汁定食を食べた。 野菜が多いので、これに。
だんごは、太い太いうどん。 幅、4㌢くらいあった。

おもちゃなどの展示。
作った人間が考えるほど、見る人間は、感動しない。

レコードをクリックしたら、歌が流れます。



展示数は、6万点とあった。

このポスターが好き。 これは、YouTubeから消えた。 相合傘のに、浅丘ルリ子が。

今の子供たちと、どこか違う。 何だろう。
この写真は、昭和30年代となっていた。 私もその頃、小学生。 貧しいけど、楽しかったな。

昔の家の中。

私の家にも、円いテーブルがあった。 もぐって遊んだ記憶がある。(私の記憶は、4歳から)

買わなかったが、懐かしいものが売っていた。 ポンポン船と、火薬がパチパチ鳴る鉄砲。

情報誌に大きく載っていたので、行ってみた。
まあまあかな、って言う感じ。
見せてお金を払ってもらうのがメインになっている。 そこが、問題。
京都三年坂、由布院温泉、黒川温泉、大内宿に続く所は、どこなんだろう。
情報があったら、教えてほしいです。
【停泊場所】 宇佐神宮まで、あと3㌔くらいかな。 空き地。 ここです。
【明日の予定】 宇佐神宮に行ってみます。 建物をきれいに撮りたい。
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夷谷温泉の近くの、見晴らし台。 真っ赤なツツジ。
何かがあって、この花を染めたとか、そんな伝説があってもいいほど、赤い。
ツツジの季節がやってきた。

無動寺。 石仏公園があるので、寄った。 場所はここ。

十六羅漢像だった。

表情は、みんな個性的。 笑っているのか、泣いているのか。

福真(ふくま)磨崖仏。 南北朝時代の物。 石の覆堂は、江戸時代。 無動寺の近くにあった。

数㌔走ったら、磨崖仏の案内がある。

富貴寺の駐車場の近くで。

ここが、富貴寺。 国宝の阿弥陀堂がある。 場所はここ。

大堂と言い、日本3阿弥陀堂の一つだそう。 他は、中尊寺金色堂。 平等院鳳凰堂。
中に、入ることができた。 平安時代後期の建物。 この世に、極楽浄土を作ろうとしたのか。

ネコとお話し。

仁王像。

座っているおばあちゃんと、いい天気だねって、しばらく話した。

目的地の近くに、元宮磨崖仏。 室町時代とあった。

ここが、荘園の里。
場所は、豊後高田市田染小崎(たしのぶ おさき)。 ここです。 地図の中央部分。 印は、駐車場。

上の写真の、右側。

江戸時代の初めの頃の絵地図。 田んぼ、道、川、家の位置など、今も、絵地図と同じだという。
保存に関わっての何かを申請していると聞いたので、重要文化的景観の認定と思う。
※ これに、認定されているのが、骨寺村。

写真を撮っていたら、私より年配の方に会った。 畑仕事をしていた。
ここについて、詳しかった。 しばらく話した。
※ 詳しいのには理由があった。 後で分かるが、豊後高田市の市役所に勤めていた方で、観光課にもいたことがあった。
山に上ったら、いい写真が撮れると、教えてくれた。 山には、修行のための道がある。
上からの写真。 緩い傾斜の棚田になっている。
黄色い花は、菜の花。 田染荘と読める所がある。 上に書いた方が作った。
田植えの時期になったら、もっと綺麗だ。

山を下りて、上の写真の、奥まで歩いた。 そこから撮影。

こんな道を歩いた。

先ほどの方は、Tさん。 夕食を何度も誘われ、行ってしまった。
家の前の庭の一部。 瓦屋根の立派なお家だった。 20年前に、山の木を伐って、建てたという。

観光課にいたことがあるため、国東半島全体について、詳しかった。
私の行った所は、すべて仕事で行っていた。
奥さんと3人で、夜中まで話した。 楽しかった。
※ 冬、北海道に来ており、紋別でガリンコ号に乗ったという。
お酒も料理も、たくさん御馳走になった
次の日の朝も、朝食を頂いた。 ワラビなどの入った味噌汁だった。 美味しかった。
小さな花に、朝露が付いていた。

ツツジ。 いい天気だ。 朝陽がまぶしい。

Tさんの家の居間からの風景。 向こうの山まで、庭のようだ。 岩山の上から写真を撮った。(頂上よりは下)

経済成長が激しかった時は、誰もが、前しか向いていなかった。
時代が落ち着いて、やっと、昔を大事にすることに、気が付いた。
ここの荘園の里も、もう大丈夫ですね。
10年後には、景観は、もっと良くなると思う。
【停泊場所】 荘園の里の駐車場
【明日の予定】 高田市の昭和の町かな。
【今日の歌】 朧月夜(YouTube) 菜の花をたくさん見たので。
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一歩足を踏み外すと谷底、という所が、ふつうにあった。
子供を連れていくことは、決してできない、そんな場所だった。
私は、昨日・今日と、ここにいた。 ちゃんとした、名前があった。
夷耶馬農村公園駐車場。 ※ 夷耶馬(えびすやば)は、ここの地名。 香々地の一部。
出発地点は、ここで、向こうの山に入って行く。

ここは、中山仙境と呼ばれていた。
国東半島で、もっとも険しい山が、続いていた。 とにかく、崖が多い。

午後1時半、せせらぎの音と、ウグイスに鳴き声を聞きながら、出発。
15分ほどで、山の尾根に着いた。 この後、ずっと、高い所を歩く。

ここは、修験の道だから、少し歩いたら、お地蔵さんがあった。
大正3年と書いてあった。 江口章子は、この年27歳。 2年後、北原白秋に出会う。

山の上に川はない。 でも、小さな水たまりがあった。 イノシシの水飲み場だそう。

こういう所を、鎖(くさり)場と呼ぶ。 少し歩いたら、必ずあった。

1時間ほどしたら、無名橋に着いた。 幅40㌢。 長さ、3㍍。
こちら側に落ちたら助かるが、向こうに落ちたら、助からない。 数十㍍、真っ直ぐに切れ落ちている。

2枚に岩が、このように合わさっている。 上に少し膨らんでいるから、落ちない。 それだけ。

右側が、崖。 渡るのは、やめた。(朝方少ししか寝てなくて、体がボ~っとしてたこともあって)

10分ほど歩いたら、一番高い所が見えてきた。 高城。

拡大したらこう。 鎖が見える。

駐車場より、上流の方。

こんな所も。 ちゃんとした道ではない。 鎖があると、怖くはない。

これを上ったら、頂上。 もうすぐだ。

着いた。 3時を過ぎた。 1時間半かかった。 海が見える。 周防灘だ。

白っぽい所を歩いてきた。

駐車場とは、反対側の谷。

少しの賽銭を置いて、お参りした。 これを読んでくれてる人のことも。(忘れることは、ないんですよ)

316㍍。 ここは、高城だが、夷耶馬の表示もあった。

香々地の市街地が少しだけ見えた。

休憩。 少しの水とバナナを。 いつもしょってる、リュック。

隣の山に移った。 さっきまでいた所が見える。

右の上の方に、道は続いている。 馬の背と呼んでる。 この山は、山を楽しむための所ではなかった。

高所恐怖症だったら、絶対に通れない。 歩いていて、転ぶことはできない。 左の崖は、90度に近いか。
情報誌に、修験の道には、命にかかわる場所があると書いてあったが、本当だった。
※ 調べてみたら、数年前(2007年ころ)、この写真か、この後の下山道で、転落死亡事故が起きていた。 30㍍落ちたそう。

下の風景は、どこから見ても良かった。 楽しむ余裕はないが。

崖の中腹を通って、下山。 右に落ちたら、どこまでも落ちる。

洞窟が見えてきた。 地蔵さんがあった。

道に出たのは、4時40分。 3時間以上歩いた。

駐車場に着いたら、5時近かった。

夷谷温泉。 江口章子に温泉が出てくる詩がある。 ここの温泉か確かめたが、違った。 ここは、新しかった。
確認はしてないが、数日前に入った、赤根温泉かなと思っている。 ここから、近い。

今年も、蛍の季節がやってくる。 練習に、星を撮影してみた。 シャッターは、1分解放。 ISO3200。

修験者は、今日のような道を、スタコラと、小走りに移動する。
鎖があっても、きっと、全ては使わない。 危険な修行だ。
ここまでとは、思わなかった。 山を楽しむ余裕はなかった。
1度経験してよかったかなとは、思うが。
※ 寺での修業は、出来る寺が見つからなかった。
1か所可能性があったが、撮影は十分にできないので、やめた。
私の旅そのものを、修行にすることにした。(?)
【停泊場所】 夷谷温泉の近くの駐車場。 この辺り。
【明日の予定】 南西に。 農村風景が、平安時代のままという所がある。
【今日の歌】 イメージの歌(YouTube) 吉田拓郎です。
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江口章子(あやこ)と言う名前は、国東半島に来て知った。
柳川の、宙太さんが、情報をくれた。
半島の北にある小さな町、香々地(かかぢ)出身の人だった。
少し調べてみたら、知りたいことが、整理できた。
① 若き日の北原白秋を支えたと言われるが、何でそれが分かるのか。 客観的に、そう見て大丈夫なのか。
② 彼女は、恋多き人生を歩む。 女性として、どんな魅力を兼ね備えていたのか。
③ 彼女は多くの作品を残したが、それは、どのレベルにあるのか。
この3つだが、どれも大変だ。
長崎鼻に、彼女の歌碑があった。
その後、香々地の公民館に行った。 係りの人に資料をいただき、説明していただいた。
不十分だが、分かった部分、まとめてみたいと思う。
※ 結論を少しだけ書くと、江口章子と言う詩人は、今後大きく評価される可能性を、秘めているように感じた。
少なくとも、金子みゞよりは、上に。
香々地は、道の駅くにみから、10㌔ほどだった。
真っ直ぐ、長崎鼻に向かった。
※ 長崎鼻は、指宿にもある。 そこに行った時、国東半島にもあることを知った。 その時のブログ。
長崎鼻が見えてきた。
ここは、リゾートキャンプ場となっていた。
江口章子の歌碑があるので、ここに来た。 駐車場のそばにあった。
彼女は、白秋の2番目の妻。 白秋の「帰去来」詩碑と、同じような形の石。
遠くで香々地を想い、作った。(長野県蓼科にいて)
生まれ育った海岸の砂に顔をつけて、思い切り泣いてみたいと、歌った。 それが許されるなら。
詳しくは、ここに。
小さな半島の、東側。 海水浴場。
昨日行った、姫島が見えた。
※「追分の心」という詩集に、「姫島」と「姫島のやど」という詩が載っていた。(この後行く、図書館で)
岬の先端、長崎鼻。 ※ 実際は、この小さな岬全体を、長崎鼻と呼んでいるよう。
左に、石橋のようなのが見えるが、危険なので渡らなかった。
行者洞窟。
国東半島の岩は、凝灰礫岩と言われる。 石と火山灰が固まった感じ。 崩れやすいから、洞窟が出来る。
こんな所に、地蔵さんが。
目がこうなので、撮っただけ。 口紅もしてるか。
奥は、こう。
香々地の市街地。 今は、豊後高田市香々地。 2005年3月までは、単独で香々地町。
こんなお話しが伝わっている。
※ お話は、子供に質問されて、矛盾なく、分かりやすく、答えることが出来る内容がいい。
お年寄りに聞いて、完成させたらいいと思う。
長崎鼻から、香々地の公民館に行った。 ここでは、お世話になった。
係りの人に、来た理由を話すと、本や資料を、机の上に並べてくれた。
香々地町で作製した、江口章子の資料集の本は、全文コピーしてくれた。 他にも、色々。
この人が、江口章子。 大まかには、こんな人。
1888年、大分県国東半島・香々地町の酒造業を営む家に生まれる。
大分高女で学び、卒業後上京、平塚雷鳥の紹介で北原白秋と知り合い結婚する。 2番目の妻。
下積み時代の白秋を支えるが、数年後離婚。 その後再婚するが、離婚。
放浪に近い生活を送る。
最後は、心も体も病んで、生家の土蔵で一人死んでいく。 1946年。
「追分の心」「女人山居」の作品集がある。
大正2年か3年。 26歳頃。 この頃は、安藤と言う人と、結婚している。 1~2年後離婚。
※ 上の写真と、この写真には、林芙美子のような雰囲気を感じる。 意志の強さと言うか、そんなの。
大正5年、南葛飾群小岩村。 貧しくとも幸せな時代。 白秋は、まだ売れていない。
小田原にいる時。 大正7年。 中央が、章子。 31歳。 右が白秋。 左は、鈴木三重吉。
※ 鈴木三重吉は、新美南吉の「ごんぎつね」を、今の形に直した人。 そのブログに、登場。
この時期、白秋は、「みち」などの童謡を書く。 これについては、後で。
この写真の時は、体は丈夫でない。 この写真以降、頭が右に少し傾く。(写真では、向かって左に)
36歳の頃。 京都にいる。 この人の、女性としての魅力が、よく表れている写真。
昭和12年夏。 50歳。 この年脳溢血で倒れ、半身不随となる。 数年前から、心を病んでいる。
これは、上にあった写真と、直筆の文を合わせたものですね。 直筆の文は、ハガキに書いてあったもの。
これは、詩集「追分の心」。 序の文は、生田春月とある。
私のブログに、この人の名前は、1度だけ登場している。
小豆島で、坪井栄の墓に行った。 その時、生田春月の詩碑が、すぐ近くにあった。 そのブログ。
どうしてそこに詩碑があるかというと、生田春月は、小豆島沖で船から飛び降りて自殺した。
遺体は、小豆島の坂手の浜に上がった。 それで、坂手港の丘の上にある墓地に、碑を作った。 場所はここ。
江口章子は、剃髪して悲しむ。 遺体に会っている。
なぜ、今この人を登場させてるかと言うと、
冒頭の②③の江口章子の魅力と作品については、生田春月が深く理解している。 そう感じるから。
その中の文を、紹介する。
○ 江口章子さんをおもうと、私は不思議に、平安朝の才媛を想起する。
○ 初めて会った時の、ろうたけき若姿を、忘れることはできない。
※ろうたけき~洗練された美しさと気品があるということ。
○ 章子さんは、趣味と情熱の詩人であった。
○ 昔の京の美となまめきを、そっくり持っている人。 (章子は、自分の祖先は京都だと思っている)
○ 平安朝の宮廷の貴夫人であったなら、その才とかたちとは、いかに多くの公達の心を奪ったであろう。
○ 和泉式部などが、もっとも近いように思われる。
○ 章子は、散文より詩の人である。
○ 「白魚のなげき」は、特に高く評価している。
嘆きの海の底ふかく
われは沈める白魚の
嘆きの海におぼれ死ぬ
われははかなき白魚の
人なき磯の秋ふけて
夕もやけぶる紫の
渚によせん吾がうれひ
玉藻よつつめ吾がいのち
掬はば掬くへなさけ知る
君がましろき双掌より
その白魚の指先きに
したたり落つるわが涙
最後に、①の白秋を支えたかについて。
江口章子に、こんな詩がある。
【丘の春】
こゝはふるさと 丘の春
玉虫とびて わかき日の
夢青々と 光るなり
吾が父母の 眠ります
丘もつづくに 玉虫の
虹の色して とび去るを
草笛さみし 春の丘
この詩も、その上の詩も、流れるように読める。 つまり、童謡だ。
江口章子は、童謡も書くことが出来た。
白秋が、童謡を書き始める時に、一緒にいたのが、江口章子。
白秋の童謡をつくる才能を開花させたのは、きっと彼女だと思う。
白秋は、彼女への信頼が分かる手紙を、人に送っている。
そのことから、彼女が、白秋の生活や精神面を支えていたことは、まず分かる。
でも、白秋を支え大成させた、最も大きな部分は、彼女の詩(童謡)を書く才能だった。
白秋は、彼女の詩を読み、彼女の感性を学んだ。
そのことで、白秋は、多くの作品を書きあげることが出来た。
そして、世に出て行った。
今日のブログでは、江口章子については、ここまでにします。
彼女の作品を、もっと、読んでみたいと思います。
図書館の方に、夷谷温泉を教えてもらった。 近い。
そっちに向かったら、山の中に、立派なお寺。
少ない檀家で支えていると思うが。
仁王様は、もちろん石像。
両脇が、普通の大きさ。
こういう所も。
岩に、大きなくぼみ。
磨崖仏。
山の上に道がある。 修行でも使う道。 ※ 望遠で撮影。
石の橋がある。 危険そう。 橋まで、1時間とあった。
【停泊場所】 香々地(かかぢ)の山の中。(トイレ付、駐車場) 直ぐ近くに、夷谷(えびすたに)温泉。
ここに1週間いたくなるような、場所。
【明日の予定】 動かない。 戻るまで2時間コースの、山に上るか。
【今日の歌】 愛しのナポリタン(YouTube) 森田が、ネットのニュースに。 彼女がいるとかで。
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日本での、黒曜石の産地のベスト2は、ここと北海道の遠軽町の白滝。
去年の夏行ったが、立ち入り禁止だった。
※ その日のブログはあるんだが、カメラにカードが入っていなかった。 だから、写真がない。
黒曜石が見られるので、行くことにした。
この、小さなフェリーで。

伊美港を後に。 風は、冷たい。 今日の北海道は雪だそう。

姫島の全体は、こう。 場所は、ここ。

島はほとんど山だが、この低い所に家は集まっている。

姫島港。 20分ほどで着いた。

今日行く予定の所。 最初は、右端の灯台へ。

市外地の北方面。

こっちに行く。 自転車を借りた。 灯台まで5㌔くらい。

この島は、大分県で唯一の村。
夏になったら、ここは、海水浴場。

ここの村は、村長選挙がずっとない。 最後の選挙が、1957年。 50年以上、親子2代でやっている。
ここには、小さな滝があって、昔は水場だった。
弘法大師がこの島を旅した。 その時、ここで野宿したという。

この村の産業は、漁業。 車エビの養殖が盛ん。 下は砂だが、巨大なプール。

向こうは四国。 海の色がいい。

人も車も、ネコを避(よ)けていく。

灯台まで、もう少し。

花かと思ったら、新芽だった。

これは、花ですね。

姫島灯台。 明治37年からある。 昔は燈台守の人が住んでいた。 今は小さな公園。

姫島灯台で見た、黄色い桜。 ウコンという名前。 黄色い桜は、これだけ。
先日見た、ギョイコウは、黄緑だった。 この2つは、親戚のよう。 どちらも、珍しい。 人気があるそう。
(管理人がいて、いろいろ教えてくれた)

上から見たらこう。 右に普通の桜も。

見えるのは、本州。

国東半島の、山々。 丸印は、千燈岳。 昨日はあの山の手前の、山の中にいた。

メジロ。 小さい。

戻る途中、気づいた。 この崖に、変わった地層が。

唐草瓦(かわら)のような模様だという。 上下の地層が硬く、この部分が軟かったと時があった。 それでこうなったという。

灯台向かうときは、追い風だった。 たいしてこがなくても、自転車は進んだ。
でも、帰りは大変だった。
一気に、観音崎の近くまで来た。

道は、上ったら、反対側に少し下りた。

ここが観音崎。 千人堂がある。 手すりの辺りから向こう全部が、黒曜石。 海の中に続く。
写真の手前には、全くない。(写真に写っていない部分のこと)

ここに、説明。

黒曜石は、ガラスだから、刃物にでも何にでもなる。
弓矢の先に付ける、矢じりも。
矢じりって、こんなの。 中学生のころ、美瑛の山の中の畑で、たくさん見つけた。

ここも、全部黒曜石。

光ってないので、黒曜石に見えないが、ここもそう。

黄色の部分を拡大したら、黒曜石とわかる。

少し、灰色。 普通は黒。 北海道のは、たまに、茶色が混ざる。

島の西側。

山を下りてきたら、洞窟が見えた。

入ってみたら、海のほうにつながってた。

古庄家(こしょうけ)という、古い家に寄った。 天保時代のもの。


瓦は、見る角度によって、違って見えることに、初めて気づいた。



このフェリーは、バックで、車は乗り込む。

また来ることはあるのか。

露天の黒曜石は、初めてみた。
島を巡ってみて、島に活気があるように感じた。 車エビの養殖のせいだろうか。
小学校の児童数も、100名以上だ。
自分の村の発展に自信があるから、国東市に入らなかったように思う。
この島の名前も、数日前に知った。
私の知ってる、島の名前も、地名も、日本全体のほんの一部。
日本は、狭いように見えて、けっこう広い。
【道の駅】 くにみ
【明日の予定】 香々地かな。
【今日の歌】 夕方、フェリーの中でテレビを見た。 NHKで、信長の本能寺の変をやっていた。
森蘭丸が出てきた。 信長に大事にされた。
蘭丸に弟がおり、名前は、森坊丸。 本能寺の変では、逃げ延びたという話もある。
その坊丸の子孫にあたるのが、小柳ルミ子。 ※ 小柳ルミ子の親類の方からの情報。
それで、この3曲。
「私の城下町」 「雨」 「冬の駅」 ※ いずれも、YouTube)
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それは、国東半島の中心の寺であり、西の高野山とも呼ばれるほどだった。
その、旧千燈寺跡を、歩いてみた。
2体の仁王像が、今でも、その跡を守っていた。
昔参拝者が登った石畳と、石垣が残る建物の跡は、山の上に、ずっと続いていた。
かつての隆盛を想像するのは、難しいことではなかった。
入り口まで、車で行けた。 昔は、山の麓から、こういう道が、きっとあった。 階段を上がったら、下の場所。


西行戻しの場所。 宝篋印塔〔ほうきょういんとう〕があった。

西行戻しは、よくある話。 ここの話は、面白い。

隣に石碑がいっぱい。 まだ、寺の外。

入り口の門が見えた。 門には、六所宮とあった。 寺であるが、神社の性格もあったということか。
文化13年(1816)に建立。 大友宗麟に焼かれた後。

参道は、このような石畳。

山の斜面なので、建物跡には、石垣がある。

この道を上がってきた。 この辺り一帯は、六郷満山ふれあい森林公園として、整備されている。 西の坊跡。

こういうものは、残っている。
仁王経塔(にんのうぎょうとう)とある。 国家の安泰や五穀豊穣を願って建てたもの。
天保15年(1844)とあった。

西の坊跡に全体の地図があった。 昨日行った、五輪塔群が上の方に見える。
先日行った両子寺(ふたごでら)は、大きな寺だった。 でも、ここの境内の広さは、その数倍はある。

石畳の道を歩いた。

本堂跡が見えてきた。 花が迎えてくれた。


上から見たらこう。 ここが、中心の場所。 この辺り。

迫力満点の、仁王像。 千燈寺跡を守ると言っても、何を守るのか。
奥に本堂(護摩堂)があった。

こうです。


国東半島の仁王像には、共通のものがある。 雰囲気に。


建物は、何もない。 石風呂があった。



別の方から、撮影。

奥ノ院に向かう。 ここを、昔たくさんの人が通った。 それを感じさせてくれるのが「霊」なのかなとも。

コンクリートは、ない。 いい感じだ。

山王権現跡とあった。 木が大きく育った。

こういう物も。


さらに行くと、右への道が。

その道は、五輪塔群への道だった。 昨日、山の上から下りて、行った。 そばに、石の祠が。


弘化3年と読める。 1846年。
大友宗麟に焼かれた後、細々とこの寺は続いていた。 明治の廃仏毀釈で、全滅。

上の写真の右が正面。 そこに穴があった。中は暗く見えないが、撮ってみた。 黒い文字の跡があるよう。

少し登ると、上に見えてきた。

奥ノ院だ。 建物があるとは思わなかった。 後の時代に建てたものですね。(いつかは、分からない)

右の方に、石段があった。 後で行く。

洞窟に建てている。 雨が当たらないので、いいのかな。

石仏がいっぱいあった。



建物の左に、小さな磨崖仏。

向こうに、道がある。

仁聞菩薩、入寂の岩屋とあった。 入寂とは、仏さまの境地になったというような意味。(解脱か)

こんな所も。

千手観音菩薩か。

向こうの、右側から来た。 左の方にも、道はあった。 何もないが。

この先が見晴らし台。

いい景色だ。

こっちから見ると、本堂はこのように。

奥の院の、右上。 今は建物はない。

上は、こう。 ここも、雨はあたらない。 穴の中。

来た道を戻った。


最後に、こんな花を。

この後、道の駅くにみに向かった。 海のそばにあった。 散歩した。 姫島が見えた。


姫島に、フェリーが向かっている。 こういうのを見ると、行ってみたくなる。

遊びで、こんな写真。 目の前をトンビが飛んだ。 その動きに合わせて、カメラを動かしてみた。
走る子供に合わせて、カメラを動かしたら、背景はこのようになる。
こういう写真のいいのを、そのうちに1枚撮りますね。

旧千燈寺跡と、跡であったが、整備してあった。 そのため、廃墟ではなかった。
石畳、石段、石垣は、昔のままだった。 まったく、傷んでいなかった。
建物を建てたら、昔にもどる。
もし、私に巨万の富があったら、復元する。
そう思ったのは、これで、2度目。
吉野ヶ里遺跡の北の山の中に、寺の跡があった。 日本の茶の発祥の地だ。
そこで思ったのが、最初。
今日は、いいところを歩いた。
【道の駅】 くにみ ここ。
【明日の予定】 この近く。 天気が、思ったより良くない。 島もある。
【今日の歌】 Destiny(YouTube) Vanessa Mae と言う人。 荒川静香が金メダルを取った時の、フリーの曲の演奏者。
Spanish Romance(YouTube) アコースティックギターです。
二人の銀座(YouTube) 和泉雅子。 体でなく、頭を鍛えていれば、黒木瞳のようになれたかもしれないのに・・・。
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国東半島の、中央部の少し北。 それが、だいたいの位置。
車でちょっと動けば、寺か神社か、歴史的な遺産が、すぐに見つかる。
そういう物の密度が、高い所だった。
雨は、夕方になって、やっと止んだ。
明日から、天気は回復する。 しばらくの間、雨は降らない。 うれしい。
どこかを歩きたい。 修験者のように。(道が分からない)
尻付岩屋は、岩の凹んだ所にあった。

修験の場だった。 ※ 近くに、尻付山があるので、尻付は地名か。

顔も何も分からない、木造が安置されていた。
具体的に、ここでどんな修行をしたのか。 お経だけ唱えているのなら、厳しいとは言えない。

ここは、霊場とある。
霊場とは、人間の魂が集まるとされる場のことだそう。
でも、魂が集まるって、どういうことなんだろう。 難しい。
人間死んでも、魂(霊魂)だけは、そこら辺を、彷徨(さまよ)っているというのかな。
霊場には、それが集まっているという、考えか。

千燈石仏が、この小屋の中に。

これが、千燈石仏。 この近くに、昔から千燈寺(せんとうじ)があったので、千燈石仏かな。

800年前の、鎌倉時代のもの。 阿弥陀如来の来迎の様子だという。
つまり、死んだ人を、阿弥陀様が迎えに来た。 極楽に連れて行ってくれる。

旧千燈寺跡に向かった。 この写真の正面を右に行くのだが、工事で行けないので、左に行った。
何かあるかと思って、山に上って行った。

山の中で、外人さんに会った。 雨の中、文殊仙寺まで、山道を歩く。 たいへん。
後、2時間くらいで、着くそうだ。
これが、この人達の、日本での観光か、と思った。 考えさせられる。

石仏が、このようにあった。 古いものではない。

どれも、こんな風に、微笑んでる感じ。 真ん中のだけ、普通の表情に見えたので、撮らなかった。

案内板で、近くに五輪塔群があることが分かった。 坂を下りて行ったら、見えてきた。

五輪塔群。 999あると、言われている。
昔、この場所の下の方に、千燈寺があった。 巨大な寺だった。 ※ 今は、旧千燈寺跡と呼んでる。
西の高野山と言われたが、キリシタン大名の大友宗麟に焼かれた。 ※ 大友宗麟は、たくさん焼いた。

どうして、999体か。 こういう話。
鬼が人間になりたいと言った。 寺の和尚は、五輪塔を明日の朝までに1000体作ったら、人間にすると言った。
鬼が999作った時に、和尚はニワトリを鳴かせた。 鬼は、朝になったと思って、泣く泣く山に帰った。
これと同じ話は、去年の12月、大野市で磨崖仏を見た時に、知った。 よくある話なのか。

仁聞の墓地だという。 生きたまま墓に入って、死んでいった。 つまり、入定(にゅうじょう)した。
※ 国東半島の多くの寺の開基は、仁聞と伝わっている。 仁聞(Wikipedia)

仁聞を供養した、石塔(五輪塔)。 国東半島では、ここの石塔を、国東塔と呼んでいる。

山の中に来た時、石像の写真を撮った。 この石像だけ、撮らなかった。
五輪塔群から戻ってきて、車に乗ろうとしたら、窓の向こうに見えた。
今まで泣いていたように、見えた。 ごめん、ごめんって言って、撮った。

千灯岳が見えた。

今の千燈寺。 中には入らなかった。 ※ 国の重要文化財級の物はなかったので。 写真も撮れないし。

小さなお堂に、石像がいっぱい。 木でなく、すべて石。

こんなのに、目が行ってしまう。

小さいけど、表情がある。

今日の山は、ずっとこう。 雨か何かに、煙っていた。

赤根地区の神社。 赤根社。 大きな木は、イチイガシ。 大事な木なので、説明があった。
※ 関連ブログ 日本一のイチイガシの木。

拝殿。 何がってものでは、ないが。

本殿は、家の中にあった。 中尊寺の金色堂の「さや堂」のようだ。 ※ 金色堂。

隣に、廃屋が。 人はいなくなっても、春になると、花を咲かせる。 人がいたことを、教えてくれる。

こんな道が。 歩くしかない。


良く見る草。 こんな花だった。 悪くない。

レンゲの花。 いつも見ているので。

草に隠れて、気づかなかった。 小さな石橋。 かわいい。

この橋は、旧道に架かっている。 つまり、山頭火も、この橋を渡った。

今日は、ずっと傘をさしていた。 レンズに雨粒は付くし、たいへん。
それでも、歩くのはいい。
仏教が、昔この地に栄えた。 その仏教って何なのかなって思う。
人の生き方を示してくれたのか。 信じることによって、心安らかに生活できたのか。
何かがあるから、仏の里とまで言われるまでに、なったのかな。
【停泊場所】 昨日と同じ。
【明日の予定】 海に向かうか、山に入るか。 食糧が少ない。
【今日の歌】 Hungry Spider (YouTube) 槇原敬之です。 この歌好きですよ。
ハンガリー舞曲第5番(YouTube) ギターです。
山頭火がこの地に来たのは、昭和4年。 この歌に、昭和4年が出てくる。
赤色エレジー(YouTube) あがた森魚。
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※ 今日のINは70です。 大きな数です。 1回のクリックは、10です。
※ 週間INは、朝、1週間前の日のが減る。 今日は、そこからスタート。
今日のように、最後に300に届くと、うれしいなって思います。
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山の中に、その寺は、突然現れた。 寺があるだけ。 他に何もない。 ここです。
寺の建物は、この上に広がっていた。

ここは、書院・客殿とあった。 お土産品も売っていた。

国東半島には、65の寺があった。(現在は64) ※ 宿坊は、800を越えていた。
その寺全体を統括する立場にあったのが、この寺。
ここは、護摩堂。
細長く切った薪木を燃やす。 種々の供物も投げ入れて燃やすそう。 火の神が煙とともに供物を天上に運んでくれる。

この回転塔を1回まわせば、般若心経1巻を読んだことになる。 便利。

護摩堂の中は、撮影ができなかった。 仏像その他が、所狭しとあった。

この寺は、修行の中心地としての寺でもあった。
ここは、天台宗で、その教えが書いてあったが、難しい表現だった。 分かりやすく書けや、と思った。 理解力の足りなさを棚に上げて。



石塔や、石碑が、とにかく多い。

金田一晴彦の歌碑があった。 金田一京助の息子。 テレビに出てくる、金田一秀穂の父。

亡き父が、自分を諭す声が聞こえると言っている。 いい歌かどうか、分からない。 正直に書けば・・・。

稲荷堂と大黒堂。 左に、奥の院に行く石段が見える。

この桜があった。 昨日見たのと同じ。 名前はこうだった。 御衣黄桜(ぎょいこうさくら)
調べてみたら、こう。
緑色の花を咲かせる、唯一のサクラ。
江戸時代に、京都の仁和寺で栽培されたのが、はじまりと言われている。
「御衣黄」という名前は、江戸時代中期から見られ、その由来は、貴族の衣服の萌黄色に近いため。(Wikipediaより)

向こうから来た。 見えるのは、護摩堂。

奥ノ院への石段。
ここの寺の石段は、雰囲気がいい。 ただ、隙間をコンクリートで埋めていた。
今の時代なら、そうしないと思うが。(価値が認められてきたので)
石段の真ん中に、手すりがある。 多くの寺がこうしている。
昔は、みんな歩いてこの寺まで来た。 健脚でないと来れない。 その人達に、手すりはいらなかった。
今は、みんなバスで来る。 階段をやっと登れる人も来る。 手すりがないと、文句を言われる。

奥ノ院が見えてきた。 左上に、磨崖碑があった。 岩に彫ってある字は、読めなかった。

奥ノ院。 洞窟の中に、半分入っている。
奥ノ院の山の上にも、道があった。 七不思議とかがあって。 雨の後だったので、行かなかった。
※ こういう七不思議に、最近は、飛びつかないかな。 寺の魅力を増すために、考えた。

建物の裏側。

蝋燭の灯りがいい。 神秘的。

奥の院の建物の中。 撮影禁止とないので、撮らせてもらった。
※ 撮らせてもらったお礼に、悪くは書かないことにしている。

十一面千手観音。


この道を来た。



大講堂。

大講堂本尊。 阿弥陀如来像。

別の石段を戻った。

向こうから来た。

最初に見た、稲荷堂。

戻ってきた。 霧が出てきた。 歌碑が。

誰のかは、分からない。 読んでみての流れは、完璧ではないですね。 野口雨情のようには、ならない。

トリミング(切り取り)なしです。 撮ったそのまま。 満足ですね。

仁王門が下にあるので、向かった。 霧が一層濃くなった。

名前は、リキュウバイ(利休梅)。 受付の人に、教えてもらった。

ムラサキモクレン(紫木蓮)

霧が濃くなってきた。 ※ 夜や午前中は、雨が多い。

向こうは、受付の所。

参道入り口に、仁王像が建つ。 石段も魅力。

像は、国東半島最大。

都会の街の中に置いたら、直ぐに壊されそう。 そんな心配をした。


赤根温泉にある、「国見温泉 あかねの里」。
この近くのどこかに停泊しようと、やってきた。 ここです。

山頭火の歌碑。 昭和4年11月26日に、ここに来た。 ※ 長湯温泉に行った、前年。

入った温泉は、向こうの右の谷を、少しのぼる。
県道31のパーキングにいる。 暗くなってから、ずっと雨。

その寺の魅力を、写真で引き出すのは、なかなか大変。 考えて撮らないとダメだ。
この寺は、江戸時代には杵築藩の最高祈願所となり、栄えて行った。
財政的な面も守られたと考えてよさそうだ。
ということは、当時の農民は、武士だけでなく、僧侶たちの生活も支えていた、と考えていいのかな。
それだも、大変だ。
【停泊場所】 赤根温泉の近くの県道31のパーキング。
【明日の予定】 ここから行ける所。 どこにでも温泉がないので、戻ってくるかも。
【今日の歌】 スコール(YouTubu) 松本英子です。 曲もいいし、じょうずですね。
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いい天気になった。 のんびり、海岸を散歩した。
泉福寺は、少し前まで、教育者の無着成恭が住職をしていた寺と知った。
国東半島には何があるのかな、と地図を見た。 寺ばかりだった。
ここでの旅は、仏の里めぐりが普通だった。
黒津崎海岸。
白砂と青松。 国東半島の南岸は、このような海岸。 北は、リアス式。
大分空港が近い。 (※ 今日は、ロシアで飛行機事故があったので載せる)
この飛行機は、ボーイング373-800型機。 ボーイング737は、小型ジェット旅客機で、大量に生産されている。 どこでも見る。
今日ロシアで墜落したのは、ツボレフ154機。
737と違って、エンジンが機体の後ろにある。 ボーイング727に、似ている。
動画を2つ。 飛び立つ前と思われる、今回のTU154機。 事故後の様子。
※ 関連ブログ 24年目の御巣鷹の尾根~日航123便~
今年初めてかな。
時間のあるときに、名前を調べます。
岩場に行ったら、この家族がいた。 小さな円い貝を、いっぱい捕っていた。
「その貝、ナ~二」って聞いたら、「二~ナ」って教えてくれた。
私も捕った。 上の写真の女の人が、私の二ーナを、ザルで洗ってくれた。
晩に茹でて食べた。 ツブのような味。
磯の香りの中での遊びは、時間を忘れる。
この蟹さん、死んだふり。
この後、弥生の村、安国寺集落遺跡公園を、少し見た。
昔の家。
この家に入ってみた。
広い。 九州は暖かいから、冬も過ごせそうだ。
花ですよ。 八重咲きの、ヤマブキと、管理人さんは教えてくれた。
これは、桜。 こんな色のは、初めて見る。 名前は分からない。
駐車場に、サイドカーがあった。 4人乗れる。
運転にはコツがいることを知った。 走る時は、左に少しハンドルを切りながら。 ブレーキの時は、反対。
格好いいし、目立つ。 このブログに、運転手さんがコメントをくれている。
山の中に少し走った所に、泉福寺があった。 古い寺。
今は静かな寺だが、明治4年迄は九州曹洞宗の総本山として栄えた。
常住の僧侶が、500人を越えていたと、記録されている。
門の横に、この石碑が。 「禁葷酒(きんくんしゅ)」と書いてある。 葷はニラやネギのこと。
精力のつく野菜や酒は、持ち込んではダメ、という意味。 一番美味しいものを持ちこむなと、言っている。
国東六郷満山とある。 国東半島には、昔、6つの村があったので、こう呼ばれるそう。
庚申塔。
※ 庚申とは、干支の組み合わせの一つ。
十干(甲乙丙丁戊巳庚辛壬発)と十二支(子丑寅卯辰巳申酉戌亥)を組み合わせると、全部で60種類ある。
その一つが「庚申」
※ 庚申塔(こうしんとう)(Wikipedia)
山門。
全国にある、石の作品の70%が、国東半島にあるそう。
山門は、1524年建立とある。
国の重要文化財の仏殿。 改修が終わっている。
使えるものは、このように使う。 ほとんど新しい。
柱の一部でも使えたら、このように。 これが基本。 伝建地区の建物も同じかな。
位牌堂。 寺ですからね。
方丈。(住職が住んでいるのかな) 時代とともに、意味が変わっている。 ※ 方丈記の頃は小さい。
下の方。
廊下で結ばれている所が、永平寺に似ている。 ここは、曹洞宗。 ※ 関連ブログ 曹洞宗大本山永平寺
本堂。
金田一京助の歌碑。
「みちのべに 咲くやこの花 花にだに えにしなくして 我が逢うべしや」
これは、ここで作ったものではない。 結構知られた歌のよう。
詳しい解説は見つからない。 こんな感じかな。
道端に、花が咲いている。 花でさえ、こうやって縁があって逢うことができた。
(続きは、書いてないが、こうなるのか)
増してや、人と逢うことができたのは、深い縁があってのことだ。
※ 人との別れの時に、作ったそうだ。
※ 金田一京助の出身地は、東北のこのブログに。
こいのぼりの季節だ。
寺の門から出たら、こんな花。
2003年から少し前まで、無着成恭が住職を務めていた。 今は、大分市内に。
この人は、『全国こども電話相談室』の回答者。 それなりの教育者。
ここは、仏の里と言うから、寺を見て、新しい発見をしたい。
今、検討に入っているのは、寺で1日修行すること。
修行して、私は、生まれ変わりたい。 (無理って言う声が、聞こえましたよ・・・)
【道の駅】 くにさき
【明日の予定】 上に向かうか、中に入るか、?
【今日の歌】 ゴリラダンス(YouTube) メロディ・ルイスすで。
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杵築(きつき)の街は、坂道の美しい城下町だった。
天気が良ければ、別府の山の中に入る予定だった。
40分ほど歩けば、露天風呂がある。 秘湯だ。
夜雨が降り、歩きにくいことを考え、迷っていた。
その時、ekさんからのコメントを見た。 こうだ。
「国東半島方面でしたら杵築をお勧めします。古い町並みと坂道がいい感じです。」
決まった。 行くことにした。
このことは、情報誌には載っていない。 ありがたい、コメントだった。
途中、日出(ひじ)町に寄ることにした。 城跡がある。 町を歩いてもいい。
城跡に着いたら、この建物が。 新しい観光案内所。 もう少しで完成。 場所はここ。
日出町は、竹田市で知った。 瀧廉太郎の父は、ここ日出藩の出身だった。
左は城跡で、暘谷城阯。 小学校が建っていた。
この町も、昔の家並みなどを残す取り組みをしている。
日出藩の藩校。 到道館。
保存に向けての改修は、これから。
カレイがぶら下がっていた。 客は、これをたたく。
ここは、城下かれいの、捕れる所だった。 ここに来て知った。
藩校の畑に、この花が咲いていた。 アヤメのような花は、今年初めて。 撮影の方向が難しい。
学校の周りは、石垣。 この道を下りて、海に。
この狭い所で、城下かれいが捕れる。 上に、暘谷(ようこく)城趾がある。 だから、城下。
真水が湧いているそう。 散歩してる人に、教えてもらった。
古い家並みの通り。 この通りの右に、瀧廉太郎の先祖の家の跡があった。
こて絵(鏝絵)というものが、あるという。 それを探した。
左官職人が、壁に土を塗るこて(鏝)でつくった、下のような飾りだった。 レリーフかな。 こて絵(Wikipedia)
こんなのも。 すぐに見つからない。
このおばあちゃんが、案内してくれた。
新しい家にはない。
この花の季節がやってきてる。
この後、車に戻る。 ここの街のように、昔を大事にする町づくりが、多くなっている。
杵築城に向かった。 車は、城の駐車場に。 ここです。
石塔があった。 他からここに持ってきた。 国東半島は、こういうものが多い。
復元された城。 中は、資料館。
戦争で活躍した人の資料が多かった。 少し気になる。 歴史資料館でいいと思うのだが。
地獄の絵があった。
城の上から。 この写真の右の部分を、この後歩く。
黄色の所を歩く。 時計回り。
ここの街のキャッチフレーズは、坂道の城下町。
寺の石段と、どこか違う。 柔らかいというか、歩いて楽しそうと言うか。 勘定場の坂。
庭に花が。
伝建地区ではないが、昔の建物が、たくさん残っている。 並みの伝建地区は、この街にかなわない。
※ 伝建地区・・・重要伝統的建造物群保存地区
石垣が中心ではない。
武家屋敷が多い。 近くに学校があるため、子供たちとすれ違う。
城に近いため、門構えも立派。 200円で、中を見ることができる。
高台の上。 道が広い。 車が少ないので、子供たちが遊んでいる。
地図の上に向かった。 手前の坂が、酢屋の坂。 向こうが、志保屋の坂。
何がいいんだろう。 変化があるのが、いいのかな。 とにかく、いい。
下に下りたら、太い道。 町並みはこう。 杵築の街は、古くから取り組んでいますね。
この花を見ながら、そばにいた男の子に、きれいだねって、私は言った。
その子は、向こうにもあるね、って言った。
反対側に上って、下を見た。 こっちはこっちで、またいい。
坂道には、人が似合う。
高学年の女の子が、通り過ぎた。 私に挨拶して。
その子が、下りて行くのを待った。 歩き方がいい。 絵になると思った。
写真の中でのこの子の存在は、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の絵の、真珠と同じ。 その絵はここ。
上の子は、道を渡ろうとしたら、車が停まってくれた。 運転手に礼をした。
渡り終わった時も、ていねいに。 この時と歩く時の雰囲気は、同じだった。
この人は、大人だけど、歩き方が良くなかった。 肉眼では、分からなかった。
20枚ほど撮ったが、ほとんど使えない。 これもやっと。 ただ、傘をさしてるのは、いい。
さっきの子は、途中で曲がってしまった。残念。 お坊さんが歩いていても、似合うかな。
坂道の上の人たちは、申し訳ないが、いない方がいいかな。 向こうから、一人か二人、歩いて来るのはどうだろう。
ここの坂は、この町の顔になる。
1年に1回、たくさん写真を撮って、現地にも行って、景観に問題はないか、更によくできないか、反省会を持つ。
電信柱は、もちろん、地中に。(もう、そうしたかな)
景観に関わる住宅には、それなりの補助金をだして、協力をお願いする。
そうして、この景観を更によくしていく。 磨きをかける。
決まりが必要な場合は、条例で決める。 景観条例。
ここの風景は、それだけの価値がある。 そう思った。
いいですね。 塀に変化がある。
太い幹から、細い枝が。
杵築の街は、どこもこんな感じ。
古くないと思うが、いい。
坂を下っていると、市役所が見えた。 ここは、裏口かな。
こんな道を下って。 ここは、普通の場所。
さつき衆楽館。 演芸場がある。 今日は、やってない。
戻る途中、井戸が。 この町のこの通りには、昔から、井戸はここしかなかったと。
ここで、みんな喉を潤した。
日出町はこれからです。 どんな町になって行くか、楽しみです。
城跡に学校を建てた場合、どうすればいいか、その見本を示してほしいかな。
杵築市の取り組みは、観光のためだけでなない。 そこがいいと思う。
調べたら、この町の基本姿勢は、古いものを大事にし、新しいものを積極的に取り入れることだった。
情報誌になくて、これだけの物には、久しぶりに出会った。(ekさんに感謝)
由布院・黒崎・杵築のある国東半島は、一つのルートですね。
【道の駅】 くにさき
【明日の予定】 この近く。 道の駅で情報を。
【今日の歌】 ショスタコービッチのセカンドワルツ(YouTube) 映像がきれい。
CALENDAR(YouTube) 庄司眞理子の声が好き。
Hasta Siempre(YouTube) ナタリーと言う人が歌っている。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。 3位が3日続いている。
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別府にとって、由布院の背中は、遠くなってしまった。
そういうことだった。
道の駅ゆふいんから見た、由布岳。 昨日行った。
黄色の所まで行って、引き返した。 でも、あの場所で、樹氷を見た。 綺麗だった。
峠を越えて、別府の街に下りて行った。
街のあちこちから煙が出ていると思ったら、それは湯気だった。
調べたら、別府温泉は、源泉数・湧出量とも、日本一だった。
別府観光のメインは、地獄めぐり。
別府温泉には、別府八湯と言われる、8つの温泉街がある。
その中の、鉄輪(かんなわ)温泉街に、地獄は多くあった。
地獄は全部で8つあり、共通観覧券は、2000円。(高い)
最初に見たのは、海地獄。 湯気が見える。 ここです。
池もあり、環境が整備されている。
こんなのが8つ見られるなら、2000円でもいいかなと、思った。
お湯の池が、地獄だった。 乳白色の混ざった、ブルー。
98度。 驚くことに、この小さな池が、深さ200㍍。
1200年前の、鶴見岳の噴火で出来たそう。 湯気が時々、襲ってきた。
温泉熱で、熱帯性の睡蓮(すいれん)を育てていた。 地獄より、こっちがいい。
睡蓮の花は、夜になったら閉じるので、睡蓮と呼ぶそう。
いろんな睡蓮は、初めて見る。
葉に切れ目がある。 これが、睡蓮の葉の特徴という。 蓮(はす)との違い。
燃えるように、輝いていた。
これは、外に咲いていた、ツツジか何か。 圧倒される。
茶色の池もあった。 もちろん熱い。
こんな感じ。 いい。
次は、鬼石坊主地獄。
熱い粘土質の泥が、ブクブクと沸いていた。
3つ目の、山地獄。 岩の隙間から、蒸気が出ていた。
次の所に歩いていたら、歌碑があった。 万緑は、山全部緑と言うような意味。
湯けむりは、確かに、この歌の感じ。 ※ 昌子と言う人は、知られた人ではない。
4つ目の、かまど地獄。
小さな青い池。
お湯の中に、緑があった。
こんなのも。
これで、4つ見た。 二つ目から物足りない。 1つだけ見たら400円。 その価値は、全くない。
この建物は、秘宝館。 意味ありげな雰囲気だ。 昔の歓楽街。
次の鬼山地獄にも、熱い池があった。 となりで、ワニを飼っていた。 口を開けたまま動かない。
6つ目の、白池地獄。
少し離れた所に、車で動いた。
血の池地獄の庭に、ランが咲いていた。 ランは、睡蓮の温室にもあった。
こういう所。
血のように赤くはないが、赤い池。 ここでも、深さは30㍍。 小さいのに深い。
温度は、75度。
シャクナゲのよう。
ここは、8つ目。 最後の所。 間欠泉だ。 竜巻地獄。
30分ほど待ったら、噴き出してきた。
この状態が、6分くらい続いた。 上の岩がなければ、20㍍くらい吹き上がるそう。 でも、見た感じは10㍍かなと。
もちろん、熱湯。
アナウンスでは、高さなど日本一と言っていたが、そうかなと思った。
北海道の鹿部の方が、吹き出す勢いや高さがあると思うんだが。 それは、このブログ。 鹿部の間歇泉。
※ どうして吹き上がるかも、書いてあります。
急に弱くなって、お終い。
別府は、見せる観光から、脱却していなかった。
お土産屋さんを通って、中に入り、地獄を見る。 出る時も、同じ道。
観光客から、どのようにお金を集めるかに、知恵のほとんどを使ってきた。
大きな観光資源のない由布院は、昭和40年代から動いた。
町ぐるみで毎年夏に、映画祭や音楽祭を開催した。
歓楽街の雰囲気を排して、女性が訪れたくなるような環境整備を続けてきた
その結果、数多くの調査で、九州の温泉の第1位に選ばれるまでに、なった。
このまま行ったら、地獄を見るのは、観光客ではなくなるかもしれない。
良かった地獄は、海地獄。 2番目と最後が、まあまあ。 他は、ひどい。
※ 最後の所のお店の人が、今は、由布院にかなわないと言った。
聞いたわけではないが、温泉の話をしていて。
温泉の質がいいので、10年後には、変わっているかもしれない。
由布院・黒崎より、温泉を大事にした形で、変貌すればいいのかな。
別府の全部は見てないが、そんなことを感じました。
【停泊場所】 血の池地獄のそばの、駐車場。 ここです。
【明日の予定】 山の中の秘湯か、国東半島に向かうか、どちらか。
【今日の歌】 遠い悲しみ(YouTube) とんぼちゃん。 メロディも編曲も、みんな懐かしい。
一瞬の夏(YouTube) 西島三重子。 いいですよ。
一応、ゴッドファーザー(YouTube) まだ曲名は分からない。 画像もいい。
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下界の桜のように、樹氷の花が咲いていた。
由布岳。 1584㍍。
百名山には入っていない。 しかし、深田久弥が、入れなかったことを後悔したと言われる山だ。
道の駅から。 10時40分。 山は雲の中。

登山口から、11時20分スタート。 駐車場はこの辺り。
午後から晴れる予報なので、遅くした。

実は、昨日、ある人から電話が来た。
黒崎温泉で会った、山登りをする人。 千歳の人。
この人が、今、由布岳から下りて来たよ、って電話してきた。
停車してあった、私の車を見たからだ。
その後、道の駅で会って、登山口などを教えてもらっていた。

こんな花が、ぱらぱらと、咲いていた。

途中にあった地図。 左を行く。

途中で、戻る人に出会った。
後で分かったが、今日はこの山に、40人ほど入っていた。 私より後は、2名。
緑が少ない。 風通しがいいのか、暖かくはない。

ウグイスが鳴いている。 何で、寒い所に来るのか。
山の上は、これから春。

登山道は、由布岳の南斜面に、ジグザグについていた。 歩きやすい。 疲れは全くない。

花が終わった福寿草かな。

ここは、上の地図にもあった、合野越。 1.7㌔ほど歩いた。 11時59分。 ここから頂上まで、2.7㌔。

30分ほど歩いたら、雲に入った。 岩の多い山。

大きな木が少なくなったが、山の下は、全く見えない。

木に花が咲いていた。 花は、ずっとなかった。

スズランのような小さな花が、鈴なり。

こんな道。 歩きやすい方だ。

花が見つかったが、写真は失敗。 簡単には見つからないのに。


山の上の方から、風の音が聞こえた。
途中で会った人が、上はマイナス4度だったと教えてくれた。
上で食事は出来ないと考え、風の弱い場所で食事。 午後1時10分。 休みなしで、1時間50分歩いた。
ここで、上着の下に、ダウンを着た。 下も、上と同じ上着を。
一人、下山してきた。 風が強くて、頂上は無理だったと。 もう少し上から、樹氷があるとも。
※ 30分ほど前、10人ほどの団体とすれ違ったが、その人達も頂上はあきらめていた。
※ 頂上まで行ったというのは、50代の3人組だけだった。

1時半出発。 5分ほど歩いたら、風景が変わった。

樹氷だ。 氷は、風上に伸ばしている。 風は、北風。

由布岳には、頂上が二つある。 その分岐点に着いた。 1時50分。
ここからは、どちらも200㍍ほど。 15分だ。

左の方の、西の頂上はこっち。 鎖につかまって登る。

東の頂上は、ここを行く。
ここでの風速は、およそ15㍍。 風で体は、動かされる。
迷うことはない。 戻るに決まっている。

どこもここも、樹氷の花が咲いていた。 こんなのは、初めて見る。

岩にも樹氷。 岩氷か。

これは、草氷。

10分ほど写真を撮って、下山開始。
この10分ほどで、手の指先の感覚がなくなった。 手袋は、2枚はいていたが。
体の芯まで冷えた感じがした。
3分ほど下山したら、東側の頂上が、雲の切れ間に見えた。

手は、ポケットに入れたりしたら、温まってきた。
なかなか戻らない、左手の薬指は、口の中に入れて温めた。 思い出せないくらい、久しぶりのおしゃぶりだ。
※ 最後は、ホッカイロで温めた。
下界が見えてきた。 2時11分。

さらに下った時、動くものがあった。 鹿だった。 今は、じっとして動かない。

おだやかな表情だった。

2時半ころになったら、下界が、はっきり見えてきた。 駐車場が見える。

この道は、左に行くと別府。 右に一気に下ったら、由布院の盆地に着く。

由布院の街。 左の細い方の縦通りが、昨日歩いた、湯の坪街道。

駅前。

左が、湯の坪街道。 歩いて退屈しない。

20分ほど下って、由布院盆地全体を撮影。 盆地だから、霧の町だ。

こんな道を歩いて。

合野越まできた。 あと、1.7㌔。

3時50分、戻ってきた。 4時間半かかった。 山の上は、雲の中だった。 少し安心(?)

途中で、ビールと刺身を買った。
道の駅に近い、この温泉に行った。 昨日も、ここ。 100円。 安いと心も温まる。

寒かった。 温泉に入ったら、芯まで冷えた体が、芯まで温かくなった。
※ 自分にも、芯があることが分かって一安芯。
もう大丈夫かと思って登ってみたら、まだ寒かった。
この季節は、よっぽど天気が良くないと、ダメかな。
開聞岳も、あの日に限って雪だった。 今年は、さい先が悪い。
※ 天気が厳しかった、2つの山を紹介。 強風の八甲田山 雪の開聞岳
【道の駅】 ゆふいん
【明日の予定】 別府かな。
【今日の歌】 また君に恋してる(YouTube) この人によって、この歌は、花開いた。
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湯布院は、温泉地なのか、観光地なのか、よく分からない感じでもあった。
いい所だった。
途中、野津原町にあった、肥後街道。 昔は、石畳があったそう。
昨日の今市の道を大分に向かうと、ここを通る。

湯布院の市街地の入り口のスタンドで、車に軽油を入れる。 ここで、駐車の情報収集。
駅前の駐車場が狭いと分かった。
100㍍ほど戻って、県道のパーキングに停める。
桜はピークを過ぎ、散り始めた。

由布院駅。 久大本線が通っている。(久留米と大分の間)

駅前商店街。 古さを感じない、今風の店が並んでいる。
正面に、由布岳。 ずっと昔、こうなるように道を作ったのか。

馬車。 馬は少しつらいが、肉になるよりいいかな、とも。

しばらくこんな道。 ずっとこれなら物足りない。

地図を持っていたのに、ここで間違った。 湯の坪街道は右なのに、左に行った。

つまらんな~って歩いていて、間違いに気付いた。 湯の坪街道の途中に戻った。
こんな感じ。 もう少し賑やかな所が、多いでしょうか。 脇道の小路も時々ある。


花が咲いて、いい季節になってきた。

金鱗湖に向かっている。

行きたいなって思いながら、撮った。 この山については、調べてない。

湯布院は、歩くのを楽しめる。

金鱗湖の近く。 お茶を飲めるのかな。

湖と言うより、池だった。 韓国からの観光客が、多かった。

反対側に来た。 右の建物は温泉。 下ん湯。 混浴。 甲斐性と少しの勇気がなく、素通り。

子供が魚を釣った。 釣ったというより、引っかけた。

いい景色だ。 計算されつくした庭園の池より、こっちがいいかな。 人が多い。

山下清を見ることにした。

これをしょって歩いた。 放浪の旅だ。

昭和15年から31年まで、全国各地を歩いた。
清の花火見物。 小さく千切った紙を、貼っている。

この人には、知的障害があるのかな。 でも、みんなに好かれた。

自分の絵は、兵隊の位では、どの辺りだろって口にしたことがある。
桜島。

火星人。

ふくろうと花火。

山下清は、花火が好きだった。 49歳でなくなるが、最後の言葉は、「今年の花火はどこへ行こうかな」だった。
一宿一飯のお礼に、多くの作品を残した。
この人の作品は、この人だけのもの、という印象を受けた。
※ 山下清を思う時、映画に出た俳優を思い出す。 あっちが本当の山下清なって。 困ったもんだ。
右に行くと駅。 脇道もにぎやか。

全部の店を見ようと思ったら、半日以上かかる。 奥が深い。

民芸村。 お店とギャラリーを兼ねた所も多い。

ショウウィンドウ。

ぶらぶら歩いて退屈しない、そんな通り。 お祭りの縁日にも似ている。 私は好き。


誰か、足指温泉を作ればいいのに。

どこの店も、個性的。



情報誌で、別府温泉について調べてみた。
湯布院は、別府の先を行ってる感じがした。
将来、九州の温泉地の中心は、湯布院になるように感じた。 もうなっているのかも知れない。
温泉を楽しみたかったら、別府温泉。
全体を楽しみたかったら、湯布院温泉。
長湯温泉と、黒川温泉に似ている。
湯布院温泉は今、どう温泉を楽しんでもらうか、それを模索してるでしょうね。
そのことを感じました。
駅の案内所も親切で、退屈しない、いい所でしたよ。
【道の駅】 ゆふいん
【明日の予定】 由布岳に登ることにした。 一日いっぱい眺めていたら、そうするしかない。
1583㍍。 片道2時間のコース。 写真を撮るから、2時間半かな。
【今日の歌】 ある人から、リクエストがあったので、次の2曲。
雨の一日(YouTube)
白い夏の詩(YouTube) とんぼちゃんていう、グループが歌っています。
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子供と話すのって、いいもんですよ。
それから、夕方、小鳥を1羽助けた。 その恩返しがきっとある。
今市の石畳を見る。 大野市から、県道26を通って行く。 山道だ。
途中に、古い家があるので、見ることにした。
その地域を散歩できるのが、楽しみ。
四辻峠を越えたら、山の斜面に見えた。 道が細いので、車を置いて歩いた。 場所はここ。

後藤家。 修復が終わっている。 18世紀中頃の建物。 250年ほど前。

ここの人は、隣に住んでいるので、そこで挨拶。 自由に見ていいと言われた。
少し前まで、ここに住んでいたそうだ。 生活用品があった。



大分県でも古い住宅であり、昭和50年に、国の重要文化財になった。 その後、元の姿に復元された。

2010年の今は、今の建て方で家は建っている。
今から、250年後、この建物は、2010年ころの建物ですよと、紹介される建物はあるのだろうか。
250年経つと、柱はこうなる。


日当たりが良く、見晴らしがいい方が、家の前。

家の下の風景。 新しい県道は、下にある。 古い県道は、家のすぐ下。
1本の木に、赤と白の花が咲いている。 赤の花の枝を、接ぎ木したと言った。 桜でも、梅でもないと言った。

散歩をしていたら、おじいちゃんに会った。 後藤家のすぐ上隣に住んでいる。
おじいちゃんのお父さんは、後藤家の人。 婿に来たと言った。
この辺りの家は、昔はみんな後藤家と一緒だったと言った。
3軒を文化財に指定させて欲しいと、県から言われたそうだ。
でも、1軒で勘弁してもらったと言った。 補助金が少ないのかな。
昔は22戸あった。 今は11戸。 農業だけでは生活できないから、働きに出る。
昔から、学校は遠かった。 今市の方だ。 ここから、8㌔。 2時間はかかる。
日が短くなると、暗いうちに出て、暗くなって帰ってくる。 明るい時に、親の顔は見れなかったという。
(こういう苦労は、山の中では、普通のことだった)
昔は、夏は米を作って、冬は炭焼き。 今は、牛を飼っている。 9ヶ月くらいしたら売る。
ここらの牛は、佐賀に行って、佐賀牛になるという。
下の写真は、新しい県道から、更に下の風景。

今市は昔の豊後街道にあった。 昔は宿場町だったが、今は小さな集落。 場所はここ。
石畳の入り口に、神社があった。 後で寄る。

昔の豊後街道。 熊本から江戸への道。 大分からは船。 船は、室津まで。 そこからまた陸路。
※ 関連ブログ 室津~参勤交代の西日本の大名の上陸地~

宿場町の中に、石畳の通りがあった。

歩いていたら、中学生に会った。 男の子。 4月に、1年生になる。
柔道をしているので、体は大きい。
おばあちゃんの家が、ここにあるので、遊びに来ると言う。
案内してくれることになった。 こんな通り。

こういう祠は、どこにでも。

石仏があった。 こういう所も、あるよって、教えてくれる。

たまに、こんな表情で生活してみたい。 男の子の名前を、S君としましょう。
S君は、これは、お母さんが作ったのだよって、下のとは別のを見せてくれた。

この石だけが、上が平らなんだよと、教えてくれた。

こんなところが。

案内してくれた。 家はなくても、昔の面影がある。

見通しを悪くするため、曲がっている。 信玄曲がりと言うそう。

石畳の両側は、今は舗装。 昔は土の道。 雨が降ったら、ぬかるんだ。

お寺を見ようとなった。 ここで、よく遊んだという。 安楽寺。 1795年の建物。

こういう感じが、好きですね。

別の道に、絵があると言うので、連れて行ってくれた。 参勤交代の絵。

今市に残っているのは、石畳だけ。 家は火事で立て替えたり、昔のままの家はない。
でも、昔の名残を感じる家は、あった。

これなんかも、そう。


こんな水仙って、ありましたっけ。

石の並び方の悪い所を、直していた。

来た道を、戻っている。 途中に、おばあちゃんの家があり、中学生と別れた。 おじいちゃん、おばあちゃんにも挨拶した。

代官屋敷あと。 庭が立派。

最初にあった、丸山八磨神社の楼門。 1720年に作られている。(後に何度か、修復)

竜の彫りもの。 これには、伝説がある。
この竜は、昔、夜抜け出して、ため池の水を飲んだという。
村人は、それは困ると言うので、竜の尻尾を切ったそうだ。


神社の、楼門の前から。 ここが、石畳みのスタート地点。


この神社に近づいた時から、何か音がしていた。
キツツキにしては、音が小さい。 どこかで、カサカサと、鳴っている。
やっと分かった。 この中に、小鳥がいた。 巣を作ろうとしている。 滑って、登れない。

細い棒を入れてやった。 5秒もしないうちに、登ってきた。
私に、「どうも」って挨拶したら、飛んで行った。

今日見た所は、そんなに有名ではない。 でも、これで十分。
歩けば人に会う。 それが、面白い。
【停泊場所】 石畳の近くに、里の駅だったかな、そんな所がある。 そこにいる。
【明日の予定】 湯布院に向かいます。
【今日の歌】 北の岬(YouTube) 聞いてくれてる人がいる。 それがうれしい。
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神楽って何なのかから、自分は始まった。
場所は、大野市清川町の山の中。 能場公園。 御嶽山の頂上は近い。 場所はここ。
8時半に、始まった。 かなりの人が集まっている。

神に奉納する、歌や舞いが、神楽だった。
その神楽にも、いろいろあって、ここの御嶽神楽(おんだけかぐら)は、出雲流神楽に分類されていた。
ここは、能場公園(神楽の里)。 立派な舞台。 山の斜面が、観覧席。

最初の舞。
これから始めるにあったって、5方位(東西南北と中央)を清めるための神楽。

いい天気だ。 快晴。 気温は上がり、最後はセーターもいらなくなる。
手前は、梅の木。 3色ある。 遠くは、桜。 (逆光)

人は、時間とともに集まって来た。 主催者は、大まかに1万人と言っていた。 昼頃は、通路も人でいっぱい。

小さなリンドウの花を見つけた。 今年初めて。 神楽のことを忘れて、撮影。

少し離れた所で、私も撮ってね、というのでこの花も。 駐車場。


これは、綱伐(つなきり)。 綱を切って、災難や厄を、切り静めるという意味のよう。
綱は、八俣の大蛇に見立てているとも。

みんなすぐに帰らない。 酒も飲んでる。 うらやましい。


激しい舞だ。 きっと、汗でびっしょり。

太鼓や笛も、休みなく鳴っている。

舞の特徴として、体を大きく動かしている。 手足だけで踊ってはいない。

着てる物も重そうだ。 1回の舞いで、1㌔以上体重が落ちる、きっと。

私は、動き回っている。 (落ち着きがないから、ではない)
再び発見。 かたまりで、咲いていた。 感動。

桜は満開。 そよ風に、花びらが舞った。 花見をしながらの、神楽見学。
これ以上の贅沢はない、と思う人がきっといる。

演目は、全部で13あった。 御嶽流神楽の流れを汲む神楽が、県内外から集まっていた。

面や、舞の迫力も、大きな魅力でしょうね。

1時頃、Tさんが用事を終えてやって来た。 ※ 山羊の乳をいただいた、Tさん。 私と名前が同じ。
少し中抜けして、竹田市へ岡城桜まつりを見に行こうとなった。
途中で、豊後牛を御馳走になった。 特上。 少し食べて撮影。 美味しい。

竹田駅と稲葉川。


大名行列。 小さい規模。

竹田橋で、鉄砲隊の演武がある。


撃った瞬間。 大きな音。

撃った直後。

昔の格好をしたら、似合う人がいる。

餅まきがあった。 目の前に、二つ転がってきた。

大名行列が、移動を始めた。 写真を撮っていたら、この人と目があった。

ポーズをお願いしたら、4人がこのように。

人形があった。 石川五右衛門。


4時過ぎに、戻ってきた。 最後から3番目辺り。

酔った父さんが、榊の枝をもって、いっしょに踊りだした。

汗を振り飛ばして。


この人が司会者。 大分のテレビ局の、アナウンサー。
話していたら、さっき舞台に上がった父さんが来た。
お父さんは神楽が好きですか、ってアナウンサーは聞いた。 父さん、こう言った。
あんたの方が好き、って。 そう言って機嫌よく、戻った。

太鼓も大変だ。

最後から2番目の、岩戸開。

天照大御神が、華麗に舞った。




話の流れは、分からない。



この後、天照大御神は、天の岩戸に隠れる。(スサノオノミコトの乱暴に怒ったとかで)

天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が、岩戸を開ける。

何度も挑戦して、やっと。

やっと出てきた。 高天原に平穏が戻った。

神楽の魅力は何でしょう。
変化に富んだ舞と、これでもかと叩き続ける太鼓、そして、優雅に流れる笛の音でしょうか。
体力を使い果たして踊る舞は、踊る人の気迫が伝わってくる。
迫力ある太鼓の音は、観客の気持を奮い立たせる。
※ 昔、小倉の太鼓が、暴動を引き起こした。 太鼓の力は、想像以上。
風の盆歌、西馬音内盆踊り、ヨサコイ、すべて踊りと音楽がセット。
御嶽神楽の魅力も、他と、共通したものがあった。
※ キム・ヨナのスケートの魅力も、舞うことと音楽。 同じと思う。
(※ キム・ヨナには、心の休養が必要。 世界選手権の後、すべてが終わるこの日を待っていたと言った。
オリンピックに勝ったことで十分。 おつかれさま、と言いたい。)
今日は、Tさんのおかげで、いいものを見ることができました。
【道の駅】 おおの
【明日の予定】 今市の石畳でも、歩いてみようか。
【今日の歌】 白い椅子の影(YouTube) Tさんの車で聞いた。 NSP(CD)。
御嶽神楽(YouTube) 岩戸開。 昨年秋のもの。
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私は、30年ぶりに、訪れた。
すっかり変わっていた。 あの時の面影はなかった。 ここです。
湯平温泉は、黒川温泉と同じで、深い谷の最上流部にあった。
車は、谷を見渡す丘の上に停めた。
歩き始めたら、すぐに山頭火の歌碑。
昭和5年11月11日に来ている。 長湯温泉は、その3日前の8日。

桜は満開。 久しぶりに、上着なし。

道は、石畳になった。





この辺りから、石畳みのメインストリート。

この急な細い道を、車が通る。 迷い込んできて、困ってる車が、時々ある。

何とか写真になる所を、探して撮っている。
両側は、旅館が多い。 普通の家もある。 旅館は、3件に1軒は、閉まっている。

細い道だ。 ここの温泉に、ひょいと入った。


野口雨情。 流れがいいですね。 続きは、こうかな。 てきとうに。
「うちわ片手に 蛍を見れば カランコロンと 石畳」

少し山に上って、水かけ地蔵。
地蔵さんは、子供のいたずらが好き。
だから、それをとがめる大人を、叱るそう。 ※ いたずらが出来る子供の方が、魅力的かな。


このように整った旅館は、石畳沿いに数軒しかない。

昔からこうですよ、という佇まい。

こういう雰囲気が、ずっと続いた時代もあった。

この人は、刃物を研ぐ仕事。 床屋さんのハサミを研いでいた。 このハサミは、20万円はするんだよ、って言った。


ここもいい。 こういう雰囲気は、全体の20%。


石畳の両側は、歩いて楽しい雰囲気にする必要があった。


旅行情報誌が、一切紹介していない。 その理由が分かった。
雨の湯平、って語呂がいい。 山頭火は、こういう言い方は、きっと嫌う。

この石畳は、江戸時代からのもの。 もったいない。





小さな取り組みは見えたが、もう、小手先のものでは、戻せない。



朝、先日、山羊の乳をいただいた方から、メールがあった。 御嶽神楽が明日あるって。
そこまでの距離を調べたら、60㌔だった。
午後4時に、それって、向かった。
「道の駅きよかわ」にいたら、お土産を持ってきてくれた。
そして、神楽会館の中を案内してくれた。

湯平温泉の復活はあるのだろうか。
外部の知恵が必要に感じるかな。
どこにもない、ここだけの石畳みです。
【道の駅】 きよかわ
【明日の予定】 神楽の里、能場公園で、御嶽神楽を見る。 8時半から、晩まである。
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九重の北部に、大きな吊橋があるという。 一応、見てみるか、となった。
作った目的は、日本一の他に、何かあるのか。 そんなことも気になった。
※ どのパソコンでも、うまくいかない。
Internet Explorer が動作を停止する、という症状。 初めて。
※ 追記 最終的には、業者に見てもらわないとダメの様だ。
ただ、文字を打っているときに、インターネットを使わなければ、大丈夫なことが分かった。
リアルタイムのプレビューの画面を使用すると、ネットを使う。
だから、これを使わなければいい。
下書きを投稿する前にだけ、見ればいい。 ブログそのもので、確認してもいい。
業者に見てもらうまで、それで乗り切る。
とりあえず書けると分かって、一安心。
この文も、その方法で書いた。
※ 3日の午後から、湯平の温泉街を歩きます。
人によっては、黒川より好きだ、という人がいるかもしれないと、期待している。

長さ390㍍。 高さ173㍍。 どちらも日本一。

作った目的を調べたが、書いていない。 滝を見るとかはあったが。
日本一になること、目的はそれだけと思う。
仏像でも何でも、こういうのが多い。 見る方は、どう考えたらいいのか。
少なくとも、2度見に行くことは、決してない。
日本一でなくなった時、行ってもいいか。

人が小さく見える。

主塔の高さ、43㍍。

2006年10月に完成。

ギネスで世界一には、なっていない。


振動の滝の雄滝。 落差83㍍。

女滝。 落差、93㍍。

この谷は、九酔渓。




橋は、揺れない。

橋に一歩も踏み出せない人がいるそうだ。 怖くても渡ろうとするのは、女性に多い。(監視員の話し)

橋の安全は信用できるので、私は怖くなかった。

平日だったけど、人はいた。

雄滝が見える。

望遠で、引き付けると、このように見える。 曲線の美しさは、吊橋の魅力の一つ。

滝を見に、谷を下りて行ったが、途中までだった。

停泊場所を探しに、動いた。 近くに、野草園があった。 待ちきれなくて、見に行った。
お土産屋さんの裏に、自然の花がたくさんあった。 咲いていたのは、このカタクリだけ。
右は、花忍。 まぼろしの花とあった。 阿蘇や九重では、ほとんど見ないという。 昔はあった。


ハナシノブ(花忍)は、こんな花。

ミヤマオダマキ。 売店で売っていた。

伊豆のらんの里でみた。

この花を見た。

シラユキケシ。

停泊する場所がなく、湯平まで来てしまった。



明日は、湯平温泉です。 石畳の温泉。
【停泊場所】 温泉より高い所。 道端の駐車場。
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他にも、こういう所は、あるのだろうか。
伝建地区のような雰囲気でもあった。
温泉街も、工夫次第で、旭山動物園のようなことが、起きるかもしれない。
黒川温泉を見て、そんなことを感じた。
温泉そのものを楽しむなら、長湯温泉。(炭酸泉の魅力は、とにかく大きい。 黒川温泉は、かなわない)
温泉を含めた全体を楽しむなら、黒川温泉。(長湯温泉は、全くかなわない)
温泉博士の松田忠徳と言う人は、別府と長湯と黒川の3つを、九州のベスト3に選んでいる。
長湯温泉と黒川温泉は、特に大きくはないのに。
また、この3つは、全国のベスト11にも選んでいる。
温泉に素人の私でも、その理由が分かるような気がする。
※ パソコンは、調子悪い。(文を書こうとすると、かたまる) 文だけ、古いパソコンで。
久住高原を通って、向かった。 雨は止まない。

遠くの山は、見えない。 どこへ行っても、野焼きの跡がある。

旅館組合が経営している、案内所に着いた。 駐車場がある。(後で気づいたが、大型車はダメと書いてあった)

案内所でアドバイスをもらい、下の地図を、時計の反対回りで見ることにした。 場所はここです。




こういう太い道は、少ない。

川の上流にあるため、坂が多い。 ここは、熊本県に入っている。



どこも、建物の雰囲気が似ている。 黒っぽい。 ※ 自動販売機も、黒だった。


赤やピンクの看板はない。 規制があることを、温泉の人に聞いた。

平日だが、人は多い。


各旅館やお店は、建物や庭のセンスを競っているようだった。 どこも、いい。



神社もあった。


浴衣を着て歩いたら似合う、そんな街並みであり、通りでしょうか。


写真には、人がいた方がいい。 この人達は、浴衣ではないが、この風景に溶け込んでいる。

写真に撮りたい風景は、次から次と。






こうですからね。 いいですよ。

どんな人が、デザインするのだろう。 専門家がいるのかな。

温泉旅館は、温泉の種類や露天風呂を、特徴にしているところが多い。 泉質は、場所によって違うよう。



筑後川は、福岡県の柳川市で、海に出る。 ※ 宙太さんにお世話になった、柳川だ。

中心街から、少し離れた。









戻ってきた。 左に入ったら、駐車場と案内所。

少し過ぎて、左の坂を下った。 最初にも、少し行った。

この人は、店の前のこの道を、丁寧に丁寧に掃いていた。
黒川温泉を支える人達の、この街に対する基本姿勢は、これだった。 これは、その象徴。 左に、神社。




こんな話しが伝わっている。 ※ 表現も、字も、いい。

この後、近くの温泉に入った。 露天風呂。 硫黄の濁った湯と説明にあったから行ったが、普通の湯。
車で、すずめ地獄に行った。 車で、7~8分。
亜硫酸ガスが吹き出していると、説明にあった。
そのために、スズメが死ぬことがあるので、スズメ地獄だ。 意味が、やっと分かった。

このように、水と一緒に出ている。

キジがいた。

「温泉」はどっちがいい、と聞かれたら、長湯温泉。
「温泉街」はどっちがいい、と聞かれたら、黒川温泉。
結論は、どっちもいい。 そういうことでしょうか。
【停泊場所】 黒川温泉の近くの、コインランドリーの駐車場。
【明日の予定】 少し戻って北に行くと、大きな吊り橋がある。そこに。
【今日の歌】 Believe(YouTube) たまに。
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