箱根関所は、箱根駅伝の往路のゴール地点。
建物は復元されていた。 昔の場所に、昔の通り。
だから、昔の箱根関所を、イメージしやすかった。
パラグアイの選手の中に、勝負が決まった後、喜ぶ前に、PKに失敗した駒野を慰めに来た選手がいた。
箱根に行けば何かありそうと、道の駅箱根峠に向かった。
右に行ったら、田子の浦港。 山部赤人が下の歌を詠んだ場所。
「田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」
国道1号線を走っているが、渋滞。
少し前に、うっかり1号線を下りてしまった。 戻るのに、10分かかった。
道の駅箱根峠に着いたら、芦ノ湖が見えた。 ここです。
箱根峠は天下の険とうたわれた。 ※ 険(けん)は、険(けわ)しい、という意味ですね。 難所。
関所は、右の方に。 箱根神社の鳥居が見える。
旗が、駅伝のゴール地点。 右上に、お玉ヶ池が見える。 これについては、後で。
関所に向かった。 ここが駐車場。 関所は、建物の向こうに。
箱根駅伝のゴールは、少し左の駐車場。
これが、関所の図。
関所は江戸時代の末期に、解体修理が行われた。 その記録が発見されたため、忠実な復元が可能になった。
こっちは、京都側。 門は、京口御門と言う。 向こうは、江戸口御門。
門と門の間が、関所。
ここに関所が出来たのは、江戸時代の初め。 重要な関所と押さえられていた。(ベスト4に)
関所の役割は、「入り鉄砲に出女」の取り締まりだったが、鉄砲の検査は行っていなかったそう。
調べる場所の他に、このような厩(うまや)や、台所、トイレなどがあった。
ここで検査をする。 調度品なども、忠実に置かれているとあった。
江戸時代は大名の妻を、人質として江戸に住まわせた。
その妻が、藩に逃げ帰るのを防ぐのが、関所の大きな役割になっていた。
こういうのを展示して、通行人を威圧した。
通行手形があれば、通れた。 手形を発行するのは、農民なら庄屋、お店ならその店主。 つまり、組織の長。
違反した者は、刑の確定まで、ここに入る。
ここにいるのは、足軽で、門番などの雑用をした。
足軽は、こんな仕事も。
関所破りは、厳罰だった。 基本的に死刑。 実際にこんな話があった。
元禄15(1702)年2月10日の夜のこと。
関所の裏山を越えようとしたひとりの娘が捕まった。
娘の名はお玉。 南伊豆の百姓、太郎兵衛の娘。
その年の正月から、江戸に奉公に出ていた。
お玉は、我が家恋しさのあまり、奉公先を抜け出し、故郷を目指した。
通行手形はない。
お玉は、関所破りという重罪を犯してしまった。
お玉は捕まった。 獄門に処された。 首をはねられた。
そのお玉の首は、ナズナが池で洗った。 村人は、お玉を憐(あわ)れんだ。
ナズナが池は、それ以来、お玉ヶ池と呼ばれるようになった。
遠見番所のある丘の上から。
遊覧船がある。
向こうは江戸。 箱根には、旧街道が残っている。
箱根関所資料館への道。
感じのいい道。
地蔵さん。
中の撮影は出来なかった。
外にあった、関所の説明。
箱根は小田原藩だったので、役人はそこから来ていた。
関所破りに対しては厳しかったが、賄賂(わいろ)を渡せば通してくれるとか、結構適当だったそうだ。
パラグアイのバルデスという選手が駒野の所にやってきた。
勝負が決まったすぐ後ですね。
何かを言った。 駒野はきっと意味は分からなかった。 でも、頷いていたという。
何を言ったか調べたが、分からなかった。
「きみのサッカー人生はこれからだ」とか、きっと前向きなことを言ったと思う。
いいものを見ましたね。
【道の駅】 箱根峠
【明日の予定】 旧街道を歩いてみます。
【今日の歌】 箱根八里(YouTube)
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建物は復元されていた。 昔の場所に、昔の通り。
だから、昔の箱根関所を、イメージしやすかった。
パラグアイの選手の中に、勝負が決まった後、喜ぶ前に、PKに失敗した駒野を慰めに来た選手がいた。
箱根に行けば何かありそうと、道の駅箱根峠に向かった。
右に行ったら、田子の浦港。 山部赤人が下の歌を詠んだ場所。
「田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」

国道1号線を走っているが、渋滞。
少し前に、うっかり1号線を下りてしまった。 戻るのに、10分かかった。

道の駅箱根峠に着いたら、芦ノ湖が見えた。 ここです。

箱根峠は天下の険とうたわれた。 ※ 険(けん)は、険(けわ)しい、という意味ですね。 難所。

関所は、右の方に。 箱根神社の鳥居が見える。

旗が、駅伝のゴール地点。 右上に、お玉ヶ池が見える。 これについては、後で。

関所に向かった。 ここが駐車場。 関所は、建物の向こうに。
箱根駅伝のゴールは、少し左の駐車場。

これが、関所の図。
関所は江戸時代の末期に、解体修理が行われた。 その記録が発見されたため、忠実な復元が可能になった。

こっちは、京都側。 門は、京口御門と言う。 向こうは、江戸口御門。
門と門の間が、関所。

ここに関所が出来たのは、江戸時代の初め。 重要な関所と押さえられていた。(ベスト4に)

関所の役割は、「入り鉄砲に出女」の取り締まりだったが、鉄砲の検査は行っていなかったそう。

調べる場所の他に、このような厩(うまや)や、台所、トイレなどがあった。

ここで検査をする。 調度品なども、忠実に置かれているとあった。
江戸時代は大名の妻を、人質として江戸に住まわせた。
その妻が、藩に逃げ帰るのを防ぐのが、関所の大きな役割になっていた。

こういうのを展示して、通行人を威圧した。

通行手形があれば、通れた。 手形を発行するのは、農民なら庄屋、お店ならその店主。 つまり、組織の長。
違反した者は、刑の確定まで、ここに入る。

ここにいるのは、足軽で、門番などの雑用をした。

足軽は、こんな仕事も。

関所破りは、厳罰だった。 基本的に死刑。 実際にこんな話があった。
元禄15(1702)年2月10日の夜のこと。
関所の裏山を越えようとしたひとりの娘が捕まった。
娘の名はお玉。 南伊豆の百姓、太郎兵衛の娘。
その年の正月から、江戸に奉公に出ていた。
お玉は、我が家恋しさのあまり、奉公先を抜け出し、故郷を目指した。
通行手形はない。
お玉は、関所破りという重罪を犯してしまった。
お玉は捕まった。 獄門に処された。 首をはねられた。
そのお玉の首は、ナズナが池で洗った。 村人は、お玉を憐(あわ)れんだ。
ナズナが池は、それ以来、お玉ヶ池と呼ばれるようになった。

遠見番所のある丘の上から。

遊覧船がある。

向こうは江戸。 箱根には、旧街道が残っている。

箱根関所資料館への道。

感じのいい道。

地蔵さん。

中の撮影は出来なかった。

外にあった、関所の説明。

箱根は小田原藩だったので、役人はそこから来ていた。
関所破りに対しては厳しかったが、賄賂(わいろ)を渡せば通してくれるとか、結構適当だったそうだ。
パラグアイのバルデスという選手が駒野の所にやってきた。
勝負が決まったすぐ後ですね。

何かを言った。 駒野はきっと意味は分からなかった。 でも、頷いていたという。

何を言ったか調べたが、分からなかった。
「きみのサッカー人生はこれからだ」とか、きっと前向きなことを言ったと思う。
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【明日の予定】 旧街道を歩いてみます。
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富士山の5合目に行く予定だったが、霧が濃いため、行かなかった。
行っても、何も見えないだろうということで。
道の駅富士川楽座に向かった。 そこで、清水のKさん夫妻と会う。
富士川は、急流が続いた。
11時半が待ち合わせ時刻だったが、私は少し遅れた。 Kさん夫妻は、着いていた。
富士山が見えるはずだが、見えない。
予定を変更して、白糸の滝を見ることにした。
Kさんの車で移動。 白糸の滝は、富士山に近い。
これが、白糸の滝。 変わった滝で、滝がいっぱいある。 ここです。
源頼朝が、こんな歌を詠んでいる。
「この上に いかなる姫や おはすらん おだまき流す 白糸の滝」
※ おだまきは、苧環と書く。
つむいだアサの糸を、中を空洞にして丸く巻子(へそ)に巻き付けたものをいう。(Wikipedia)
苧(お)は、麻のことだそう。
頼朝は、細い水の流れを見て、おだまきを連想した。 そして、さらに姫を連想した。
面白いですね。
上の写真の右側。
さらに、右の方。
大きな滝は、川の水が落ちている。 小さな無数の滝は、岩の割れ目から噴き出している。 富士山の伏流水。
シャッタースピードを遅くして撮影。
狭い谷の、正面と右に、滝はある。
近くにあった、音止の滝。 落差25㍍。 豪快。 白糸の滝と、この滝は、日本の滝百選に入っている。
名前の由来は、こうだった。(Wikipediaより)
源頼朝が、富士の巻狩りの際に、ここに寄った。
家来の中に、工藤祐経がいた。
曽我兄弟が、父の仇である工藤祐経を討とうとした。
その密議を滝の近くでしていたが、轟音で話が聞き取れない。
そこで神に念じたところ、たちどころに滝の音が止んだという。
曽我兄弟は見事に本懐を遂げた。
※ 蘇我兄弟の仇討は、日本3大仇討の一つだそう。 詳しくは、ここに。
数㌔北に、田貫湖があった。 ※ 狸湖ではなかった。 ずっと昔は、狸沼。 場所はここ。
自転車で走った。 1周する道がある。 前を行くのは、Kさん夫妻。
霧が濃かった。 カナダ雁(がん)。 ※ 後で知る。 大きい。
涼しい顔をしているが、足は一生懸命。
こんな状態。 湖の大きさは分からない。 霧で、涼しい。
関東大震災の後、堤防を作って、水をせき止めた。 だから、人造湖。
釣り人がいた。
釣れたのは、ヘラブナ。 すぐに放した。 どうして面白いんだろうと、少しだけ。
こんな道。 カナダ雁がいっぱい。 逃げない。
イトトンボとアメンボ。 こんなアメンボ、初めて見る。
富士山が見られる、展望デッキがあった。 今日な見えない。
ここから、4月と8月の20日頃、ダイヤモンド富士が見られるという。
これが、その富士。
アザミの花が、刈り残されていた。
こんな所に。
自然の鳥なのに、人を恐れない。
この後、3人で右の方に行ったら、集まってきた。 この鳥は、日本にはたくさん来ないそう。
1時間かからないで、1周したでしょうか。 こういうのも、楽しい。
この後、道の駅に戻る。
富士宮市を通っている。
道の駅のレストランから撮影。 川は、富士川。
ほんとうは、このように富士山が見える。 今は、梅雨の時期。
ここは、右の方。 田子の浦。 去年の秋に行った。
田子の浦から見える富士山は、邪魔するものなく、海から頂上まで、せり上げっている。
※ 関連ブログ 田子の浦 他
駿河湾の海の幸。 この海は深いので、豊かな海。 Kさん夫妻に、御馳走になってしまった。
有名な、サクラエビ。 色も味もいい。 駿河湾でしか獲れない。 深海のエビ。
Kさん夫妻には、去年の秋もお世話になっていた。 そして、今回も。
元気をいただいて、旅を続ける。
お酒を一杯飲んだので、寝てしまった。
起きたら、サッカーは後半だった。
PK戦で負けたので、また寝てしまった。
PKを失敗した人を、マスコミを含めて、誰もが決して悪く言わない。
いいスポーツです。
【道の駅】 富士川楽座 ここです。
【明日の予定】 箱根に向かいます。 見学する時間がなくなってきた。
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行っても、何も見えないだろうということで。
道の駅富士川楽座に向かった。 そこで、清水のKさん夫妻と会う。
富士川は、急流が続いた。

11時半が待ち合わせ時刻だったが、私は少し遅れた。 Kさん夫妻は、着いていた。
富士山が見えるはずだが、見えない。
予定を変更して、白糸の滝を見ることにした。
Kさんの車で移動。 白糸の滝は、富士山に近い。
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源頼朝が、こんな歌を詠んでいる。
「この上に いかなる姫や おはすらん おだまき流す 白糸の滝」
※ おだまきは、苧環と書く。
つむいだアサの糸を、中を空洞にして丸く巻子(へそ)に巻き付けたものをいう。(Wikipedia)
苧(お)は、麻のことだそう。
頼朝は、細い水の流れを見て、おだまきを連想した。 そして、さらに姫を連想した。
面白いですね。
上の写真の右側。

さらに、右の方。


大きな滝は、川の水が落ちている。 小さな無数の滝は、岩の割れ目から噴き出している。 富士山の伏流水。
シャッタースピードを遅くして撮影。


狭い谷の、正面と右に、滝はある。

近くにあった、音止の滝。 落差25㍍。 豪快。 白糸の滝と、この滝は、日本の滝百選に入っている。

名前の由来は、こうだった。(Wikipediaより)
源頼朝が、富士の巻狩りの際に、ここに寄った。
家来の中に、工藤祐経がいた。
曽我兄弟が、父の仇である工藤祐経を討とうとした。
その密議を滝の近くでしていたが、轟音で話が聞き取れない。
そこで神に念じたところ、たちどころに滝の音が止んだという。
曽我兄弟は見事に本懐を遂げた。
※ 蘇我兄弟の仇討は、日本3大仇討の一つだそう。 詳しくは、ここに。
数㌔北に、田貫湖があった。 ※ 狸湖ではなかった。 ずっと昔は、狸沼。 場所はここ。
自転車で走った。 1周する道がある。 前を行くのは、Kさん夫妻。

霧が濃かった。 カナダ雁(がん)。 ※ 後で知る。 大きい。

涼しい顔をしているが、足は一生懸命。



こんな状態。 湖の大きさは分からない。 霧で、涼しい。

関東大震災の後、堤防を作って、水をせき止めた。 だから、人造湖。
釣り人がいた。

釣れたのは、ヘラブナ。 すぐに放した。 どうして面白いんだろうと、少しだけ。

こんな道。 カナダ雁がいっぱい。 逃げない。



イトトンボとアメンボ。 こんなアメンボ、初めて見る。

富士山が見られる、展望デッキがあった。 今日な見えない。
ここから、4月と8月の20日頃、ダイヤモンド富士が見られるという。

これが、その富士。

アザミの花が、刈り残されていた。


こんな所に。

自然の鳥なのに、人を恐れない。

この後、3人で右の方に行ったら、集まってきた。 この鳥は、日本にはたくさん来ないそう。

1時間かからないで、1周したでしょうか。 こういうのも、楽しい。
この後、道の駅に戻る。
富士宮市を通っている。

道の駅のレストランから撮影。 川は、富士川。

ほんとうは、このように富士山が見える。 今は、梅雨の時期。

ここは、右の方。 田子の浦。 去年の秋に行った。
田子の浦から見える富士山は、邪魔するものなく、海から頂上まで、せり上げっている。
※ 関連ブログ 田子の浦 他

駿河湾の海の幸。 この海は深いので、豊かな海。 Kさん夫妻に、御馳走になってしまった。

有名な、サクラエビ。 色も味もいい。 駿河湾でしか獲れない。 深海のエビ。

Kさん夫妻には、去年の秋もお世話になっていた。 そして、今回も。
元気をいただいて、旅を続ける。
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起きたら、サッカーは後半だった。
PK戦で負けたので、また寝てしまった。
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暑い一日だった。
道の駅富士川ふるさと工芸館は、広い敷地にあった。
そこを歩いてみた。
汗が噴き出るので、涼しい建物に逃げ込んだ。
金山博物館に。
晩の7時半過ぎから、ホタルを見た。
写真は難しい。 満足できるものではない。
のんびりと過して、マクロレンズの使い方を練習した。
だいたい分かった。
ここは、道の駅富士川ふるさと工芸館の周り。(広く全体は、富士川クラフトパーク)
何かあるかなと思って歩いてみた。
池があって、カヌーに乗れる。
古民家風の建物もある。
広い敷地に、花壇や、日本庭園、見晴らし台など、いろいろあった。
他に、ガラス工房、和紙、切り絵、お土産店なども。
ここの施設は、1989年に出来ていた。 あの1億円が市町村に交付された年だ。
20年を過ぎて、経営は限界のように感じた。
花壇に花は無い。 庭園の池に水はない。
吊橋もあった。 リスの像だ。 上渚滑のリスはどうしているかな。
綺麗に草は刈られていた。
正面の沢にある道を20㌔ほど進むと、千円札の富士の、本栖湖に出る。 ※ 富士五湖の一つ。 去年秋に行った。
ここは富士川が流れているだけあって、富士山に近い。
この後、向こうに行く。
奥に行ったら、熊が出るかもしれないという、細い道を歩いた。 野の花があるから楽しい。
途中で、スズメバチが飛んでいた。 4㌢くらいある、オオスズメバチだった。
関係ないという顔をして歩いていたら、危険はないのだが、戻った。
いろんなお店は、こんな感じである。 どこにも入らなかった。
こんなポスター。 富士山の雪はどうなっているのか。 危険なく登れるのか。 調査中。
※ 明日天気がよければ、清水市のKさんが、5合目まで連れて行ってくれる予定だが、天気が心配。
気温は、30度はありそう。 汗が止まらない。 タオルのようなハンカチは、必需品。
湯之奥金山博物館に行くことにした。
博物館があることは知っていたが、坑道など、本物がないので行く予定はなかった。
でも、涼しさを求めて、行くことに。
中は、気持ちよかった。
説明の映画も見た。 気持ちよくて、少し寝てしまった。
割り切って、金山の勉強をした。 金鉱石から、どのように金を取りだすかを。
基本は、細かく砕いて、川から砂金を取りだすのに似ている。
武田信玄は、金山を持っていたため、力を付けることができた。
試金石とは、これのことだった。 知らなかった。
金の純度が知りたかったら、それをこの石に擦って、線を引く。
試金針でも線を引く。 同じ濃さの試金針を見つけたら、純度が分かる。
湯之奥金山は、この地図の中央部分にあった。 毛無山のふもと。
博物館は、左の方に。
金山(かなやま)衆と呼ばれる、金を掘るプロの集団がいた。
湯之奥金山は、露天掘りだった。
金鉱脈の見つけ方は、夜歩いて、光る物を探したという。 ※ 見つけやすい条件の夜がある。
涼しい所にいて元気になったので、湯町ホタル公園に向かった。
ここが駐車場。 ホタルは、夜になったら、正面向こうに。 ここです。
時間があったので、マクロレンズで撮る練習をした。
絞りについて、少し分かった感じがする。
どの写真も、三脚使用。 トンボは動かないで我慢してくれた。
アジサイの花の真ん中。 小さな花だった。
左の山の下にホタルは出る。 小さな川がある。 向こうが駐車場。
ハートの形。
この谷。 右に、駐車場。 吊橋の上から撮影。
7時半過ぎから、ホタルは現れた。 まだ、薄暗い。
ホタルの時期は、終わりに入っているのだが、ここの川の水温が低いため、まだ飛んでいた。
一目、10匹か20匹、飛んでいた。 ※ 去年九州の小国町で見たのは、一目、50匹以上かな。
近くで飛んだ。 人は、30人くらい来ていた。
ホタルが大量にいたら、乱舞しているようになる。
また少ない時は、何枚もの写真を、パソコンで合成するそうだ。
ホタルの写真は、光が流れてる感じの物になる。 でも、肉眼では、こう見えない。
肉眼で見るのと、同じような写真を撮りたい。 感度は、1万以上は必要でしょうね。
ホタルを2匹捕まえた。 (後で、放す) すぐに、飛びたがる。
ゲンジボタルと、観光客の人は言っていた。
めんこい。 優しくさわりました。
こんな光。 これが、蛍の光。
春に星を撮ったら、綺麗に撮れた。
ホタルも撮れるかと思ったら、ホタルの方が、光がずっと弱かった。
来年は、もう少しいい写真にしますね。
暗闇の中をホタルが飛ぶと、幽玄と言うか、独特の雰囲気。
ホタルがいるということは、自然が残っているということでしょうか。
【停泊場所】 湯町ホタル公園駐車場
【明日の予定】 富士山五合目。 山の状態を見てきます。 情報も。
【今日の歌】 蛍(YouTube) 蛍の光(YouTube)
カレンダー(YouTube) ハートの形があったので。(トンボ)
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道の駅富士川ふるさと工芸館は、広い敷地にあった。
そこを歩いてみた。
汗が噴き出るので、涼しい建物に逃げ込んだ。
金山博物館に。
晩の7時半過ぎから、ホタルを見た。
写真は難しい。 満足できるものではない。
のんびりと過して、マクロレンズの使い方を練習した。
だいたい分かった。
ここは、道の駅富士川ふるさと工芸館の周り。(広く全体は、富士川クラフトパーク)
何かあるかなと思って歩いてみた。
池があって、カヌーに乗れる。


古民家風の建物もある。

広い敷地に、花壇や、日本庭園、見晴らし台など、いろいろあった。
他に、ガラス工房、和紙、切り絵、お土産店なども。
ここの施設は、1989年に出来ていた。 あの1億円が市町村に交付された年だ。
20年を過ぎて、経営は限界のように感じた。
花壇に花は無い。 庭園の池に水はない。

吊橋もあった。 リスの像だ。 上渚滑のリスはどうしているかな。

綺麗に草は刈られていた。
正面の沢にある道を20㌔ほど進むと、千円札の富士の、本栖湖に出る。 ※ 富士五湖の一つ。 去年秋に行った。
ここは富士川が流れているだけあって、富士山に近い。
この後、向こうに行く。

奥に行ったら、熊が出るかもしれないという、細い道を歩いた。 野の花があるから楽しい。
途中で、スズメバチが飛んでいた。 4㌢くらいある、オオスズメバチだった。
関係ないという顔をして歩いていたら、危険はないのだが、戻った。

いろんなお店は、こんな感じである。 どこにも入らなかった。

こんなポスター。 富士山の雪はどうなっているのか。 危険なく登れるのか。 調査中。
※ 明日天気がよければ、清水市のKさんが、5合目まで連れて行ってくれる予定だが、天気が心配。

気温は、30度はありそう。 汗が止まらない。 タオルのようなハンカチは、必需品。
湯之奥金山博物館に行くことにした。
博物館があることは知っていたが、坑道など、本物がないので行く予定はなかった。
でも、涼しさを求めて、行くことに。
中は、気持ちよかった。
説明の映画も見た。 気持ちよくて、少し寝てしまった。
割り切って、金山の勉強をした。 金鉱石から、どのように金を取りだすかを。
基本は、細かく砕いて、川から砂金を取りだすのに似ている。

武田信玄は、金山を持っていたため、力を付けることができた。
試金石とは、これのことだった。 知らなかった。
金の純度が知りたかったら、それをこの石に擦って、線を引く。
試金針でも線を引く。 同じ濃さの試金針を見つけたら、純度が分かる。

湯之奥金山は、この地図の中央部分にあった。 毛無山のふもと。
博物館は、左の方に。

金山(かなやま)衆と呼ばれる、金を掘るプロの集団がいた。

湯之奥金山は、露天掘りだった。
金鉱脈の見つけ方は、夜歩いて、光る物を探したという。 ※ 見つけやすい条件の夜がある。

涼しい所にいて元気になったので、湯町ホタル公園に向かった。
ここが駐車場。 ホタルは、夜になったら、正面向こうに。 ここです。

時間があったので、マクロレンズで撮る練習をした。

絞りについて、少し分かった感じがする。
どの写真も、三脚使用。 トンボは動かないで我慢してくれた。

アジサイの花の真ん中。 小さな花だった。

左の山の下にホタルは出る。 小さな川がある。 向こうが駐車場。

ハートの形。

この谷。 右に、駐車場。 吊橋の上から撮影。

7時半過ぎから、ホタルは現れた。 まだ、薄暗い。

ホタルの時期は、終わりに入っているのだが、ここの川の水温が低いため、まだ飛んでいた。

一目、10匹か20匹、飛んでいた。 ※ 去年九州の小国町で見たのは、一目、50匹以上かな。

近くで飛んだ。 人は、30人くらい来ていた。

ホタルが大量にいたら、乱舞しているようになる。
また少ない時は、何枚もの写真を、パソコンで合成するそうだ。

ホタルの写真は、光が流れてる感じの物になる。 でも、肉眼では、こう見えない。
肉眼で見るのと、同じような写真を撮りたい。 感度は、1万以上は必要でしょうね。

ホタルを2匹捕まえた。 (後で、放す) すぐに、飛びたがる。

ゲンジボタルと、観光客の人は言っていた。

めんこい。 優しくさわりました。

こんな光。 これが、蛍の光。

春に星を撮ったら、綺麗に撮れた。
ホタルも撮れるかと思ったら、ホタルの方が、光がずっと弱かった。
来年は、もう少しいい写真にしますね。
暗闇の中をホタルが飛ぶと、幽玄と言うか、独特の雰囲気。
ホタルがいるということは、自然が残っているということでしょうか。
【停泊場所】 湯町ホタル公園駐車場
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身延山久遠寺は、日蓮宗の総本山。
信者が多く集まる寺を見たのは、初めてでしょうか。
身延山山頂は、雲の中だった。
富士川に沿って下って行く。 初めて走る道。
南アルプス市。 この場所は、ここです。
富士川。 信号で停まって、やっと撮影。 この辺りは、急流でない。
この川は、日本三急流の一つ。 他は、球磨川と最上川。 ※ 関連ブログ 最上川
身延山の駐車場は、急な坂の上にあった。 そこから、斜行エレベーターに乗った。 ここです。
この寺は、日蓮宗の総本山。 弘安4年(1281年)に、日蓮によって開かれた。
右は、本堂。
身延山は、日蓮宗の唯一の聖地であると、位置づけられている。
石段。 車を下に置くことも出来た。
本堂の中。
五重塔。 去年の5月に落慶(らっけい)。 ※ 落慶~完成を祝うこと。
これは、3代目で、初代の塔を復元している。
どこかの寺で、美しさ日本一と自慢するような、五重の塔を作らないかな。
ここから、中に入ることができた。 無料。
左は、拝殿。
祖師堂。 一般の観光客は、1割ほど。 ほとんどは、このような衣装を着て、参詣に来てる。
これが、地図。
建物は、明治に焼けたため、その後再建。
何してるんだろう。
建物は廊下でつながっているため、火事で延焼しやすいのかな。
でも、明治の火事では、離れている五重の塔も焼けた。 火は、飛ぶのか。
信者の方は、バスで来ていた。 バスの数は、数台ではない。
廊下は、こんな雰囲気。
多宝塔のような建物。 開基堂。
どこも、落ち着いた雰囲気。
巻き付いている。
このような日蓮の物語の絵が、たくさんあった。
ロープウェーで、身延山山頂へ。
ガラス越しに撮影。 右の方を、向こうに下りていく。 参道には、お土産屋さん。
霧でなく、雲の中。
これなら、周りの風景は期待できない。
ここを上ったら山頂。 奥ノ院がある。 左に日蓮像。
日蓮。
日蓮が植えたという木が、左右に。
雲の中のため、幻想的な雰囲気、と写真に写っている人が言った。
奥ノ院思親閣(ししんかく)。 思親閣は、親を思う御堂と、説明にあった。
ここは、展望台。 向こうは、何も見えない。
ロープウェーで戻った。 標高差、763㍍。 歩いて登れば、2時間半とあった。 普通の登山だ。
空いてる窓から撮影できた。 五重塔が、少しだけ見える。
参道は、このように。 車を、ずっと下に置いて、ここを歩いてもよかった。
佐渡での流刑を終えて、日蓮は鎌倉に戻った。
その日蓮をここに招いて、草庵を構えたのが、身延山久遠寺の始まりだった。
観光客の感じの私にも、寺側は丁寧な対応をしてくれた。 感謝。
【道の駅】 富士川ふるさと工芸館 ここです。
【明日の予定】 この近く
【今日の歌】 掌(てのひら)(YouTube) 森山直太朗 他
掌(YouTube) 森山良子
掌(YouTube) さだまさし
※ 森山親子は、よく聞くと、歌い方が似ている。
直太朗は、森山良子の歌い方の個性が、増幅している感じかな。 どうでしょう。
※ 若い時の自分にも、勇気は足りなかった。
※ 今が自分の人生の本番と考えて、生きていくしかない。
※ 昨日、ソフトクリームを食べていて、こう思った。
こういうのは、今はもう食べなくていいから、子供の頃食べたかった。
子どもの舌は敏感。 美味しく感じたと思う。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で7位です。
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信者が多く集まる寺を見たのは、初めてでしょうか。
身延山山頂は、雲の中だった。
富士川に沿って下って行く。 初めて走る道。
南アルプス市。 この場所は、ここです。


富士川。 信号で停まって、やっと撮影。 この辺りは、急流でない。
この川は、日本三急流の一つ。 他は、球磨川と最上川。 ※ 関連ブログ 最上川

身延山の駐車場は、急な坂の上にあった。 そこから、斜行エレベーターに乗った。 ここです。

この寺は、日蓮宗の総本山。 弘安4年(1281年)に、日蓮によって開かれた。
右は、本堂。


身延山は、日蓮宗の唯一の聖地であると、位置づけられている。
石段。 車を下に置くことも出来た。

本堂の中。

五重塔。 去年の5月に落慶(らっけい)。 ※ 落慶~完成を祝うこと。
これは、3代目で、初代の塔を復元している。


どこかの寺で、美しさ日本一と自慢するような、五重の塔を作らないかな。
ここから、中に入ることができた。 無料。

左は、拝殿。

祖師堂。 一般の観光客は、1割ほど。 ほとんどは、このような衣装を着て、参詣に来てる。


これが、地図。

建物は、明治に焼けたため、その後再建。

何してるんだろう。

建物は廊下でつながっているため、火事で延焼しやすいのかな。
でも、明治の火事では、離れている五重の塔も焼けた。 火は、飛ぶのか。


信者の方は、バスで来ていた。 バスの数は、数台ではない。



廊下は、こんな雰囲気。


多宝塔のような建物。 開基堂。

どこも、落ち着いた雰囲気。


巻き付いている。

このような日蓮の物語の絵が、たくさんあった。

ロープウェーで、身延山山頂へ。
ガラス越しに撮影。 右の方を、向こうに下りていく。 参道には、お土産屋さん。

霧でなく、雲の中。

これなら、周りの風景は期待できない。

ここを上ったら山頂。 奥ノ院がある。 左に日蓮像。

日蓮。

日蓮が植えたという木が、左右に。

雲の中のため、幻想的な雰囲気、と写真に写っている人が言った。

奥ノ院思親閣(ししんかく)。 思親閣は、親を思う御堂と、説明にあった。

ここは、展望台。 向こうは、何も見えない。

ロープウェーで戻った。 標高差、763㍍。 歩いて登れば、2時間半とあった。 普通の登山だ。

空いてる窓から撮影できた。 五重塔が、少しだけ見える。

参道は、このように。 車を、ずっと下に置いて、ここを歩いてもよかった。

佐渡での流刑を終えて、日蓮は鎌倉に戻った。
その日蓮をここに招いて、草庵を構えたのが、身延山久遠寺の始まりだった。
観光客の感じの私にも、寺側は丁寧な対応をしてくれた。 感謝。
【道の駅】 富士川ふるさと工芸館 ここです。
【明日の予定】 この近く
【今日の歌】 掌(てのひら)(YouTube) 森山直太朗 他
掌(YouTube) 森山良子
掌(YouTube) さだまさし
※ 森山親子は、よく聞くと、歌い方が似ている。
直太朗は、森山良子の歌い方の個性が、増幅している感じかな。 どうでしょう。
※ 若い時の自分にも、勇気は足りなかった。
※ 今が自分の人生の本番と考えて、生きていくしかない。
※ 昨日、ソフトクリームを食べていて、こう思った。
こういうのは、今はもう食べなくていいから、子供の頃食べたかった。
子どもの舌は敏感。 美味しく感じたと思う。
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今日は、1日いっぱいずっと雨だった。
止んだのは、夕方の5時だった。
清泉寮のソフトクリームを食べるため、山の上まで上がった。
ekさんのお勧めだ。(コメントのekさん)
有名なようで、多くの人が来ていた。
食べてみた。
冷たいのは分かるが、何が違うのかが分からない。
食べ終わったら、口直しの感じで、やっぱり水が飲みたくなる。
アイスも買った。 今食べている。 興部(おこっぺ)アイスとどこが違うんだ。
まて、興部アイスは美味しいから、同じでいいのか。
※ オホーツクにある興部町は、生キャラメル発祥の地。(ノースプレインファームで)
清泉寮で売っている。 八ヶ岳高原にある。
濃い霧のため、ライトを点けて走った。
スタンドでもらった地図は、八ヶ岳高原だが、清里高原の方が、知られている。
また、この辺りは、単に、清里とも呼ばれているようだ。
ソフトクリームを、寮で買うのが不思議。
ここには、農場がある。 キープ農場。
ポールラッシュと言う人が開いた。 清里の父と呼ばれている。
信仰の元で、集団で暮した。 それで、寮と言う名前が残った。 そう思う。
この建物では、乳製品を中心に、お土産が売っていた。
目の前の花も、霧で霞んでいた。
清里には、お店などが、森の中に散らばっていた。 清泉寮の場所は、ここです。
清里は、30年ほど前に、ブームがあったそう。 その後、多くの店が閉まった。
美術館や、ミュージアムなどが、今でもある。
※ こんなので、人がたくさん呼べたら、商売は楽だ。
ここで、ソフトクリームが売っている。
今朝は、この上にセーターを着ていた。 高度2000㍍にいた。
普通に美味しいという感じ。 他を知らないから、比べようない。
これは、アイス。
※ ソフトクリームが好きな人は、どんな見方をするのか、調べてみた。
この文は、ここのアイスに批判的な人の文です。 参考までに。
高評価が並ぶ中恐れ多いですが、正直私の口には合いませんでした。
非常〜に魅力的な色をしているのに、舌にべっとりとまとわりつく粘り気はあまりに無添加とはかけ離れているとしか思えない舌触りで、
甘さは手が滑って何かの材料が入り過ぎちゃったかと思うほどアンバランス。
ちょうど練乳をそのまま舐めているように甘すぎるために牛乳のカケラも感じません。
牧場の牛乳系ソフトではなく、かといってクリーミーなキハチ系でもなく。
甘党にはウケる味かもしれませんが、ジャージーミルクを使用しているにしては乳脂肪分の濃さよりも増粘性ばかりを感じ、
製造過程に疑問を抱く味でした。
なんていうか・・マクド○ルドのソフトクリームみたい(←こちらの方がおいしい)。
コーンは普通の日世のFLARE-TOP(フレアトップ)。
ソフトクリームは大好きですが、牛さんに謝って珍しく途中で断念しました。
知る人ぞ知る、だった頃は美味しかったのかもしれませんが、この味で何でそんなに有名なのか、
期待度が高かっただけにさっぱりわかりません。
なるほど。 こういう視点で見ることも出来るんだ。 奥が深い。
ここは、道の駅 南きよさと。
花の森公園があったけど、花は少なかった。
道の駅の人が、花が見たいなら、ハイジの村がいいよって、教えてくれた。
途中山道を通った。 この辺りも、八ヶ岳高原。
ここが、ハイジの村。 山梨県が運営している。
※ 今でも思い出すのは、宮崎県営の植物園。 悲しかった。
ハイジが出迎えてくれた。(右に)
夏に向けての花が、咲き始めていた。
ラベンダーはあるのかな。 ※ 美瑛セルブの丘、ラベンダー他。
ここは、バラ園。 バラ祭りは30日まで。 花の状態はよくない。 離れて撮ったら綺麗。
種類によっては、いいのもある。
バラの持つ雰囲気は、何でしょうね。 引き締まったイメージがあるかな。
これもいい。
ハイジのお話しの世界なのか。
この花は、目立った。 名前は?
まるくない、アジサイ。
この花は、スキを見せない。
園内は広い。 どんな考えでデザインするのでしょう。
バラは、華やかと言ってもいいでしょうか。
コスプレと言うのか。 撮影していた。 お願いして、1枚。 なり切っていた。
ここで、結婚式をあげることもできる。
普通に見るアジサイより、色が濃かった。
この花だけの、ブルー。
このアジサイは球のようで、大きかった。
展望塔から見た。
上から見て、こうだったんだと、分かる。
高原の農場。 だらしなくない。 経営がまずくなると、ゴミだらけになる。
いい風景。 ここで、普通に生活している。
昨日は、探して探して、花はやっと見つかった。 ※ やっと見つけたのを、摘んでしまったり。
こういうのが、いい。
でも、今日は花でいっぱい。 これはこれで、またいい。
【道の駅】 にらさき 去年の秋にも来た。 ここです。
【明日の予定】 身延山です。 真っ直ぐ、海に向かいます。
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止んだのは、夕方の5時だった。
清泉寮のソフトクリームを食べるため、山の上まで上がった。
ekさんのお勧めだ。(コメントのekさん)
有名なようで、多くの人が来ていた。
食べてみた。
冷たいのは分かるが、何が違うのかが分からない。
食べ終わったら、口直しの感じで、やっぱり水が飲みたくなる。
アイスも買った。 今食べている。 興部(おこっぺ)アイスとどこが違うんだ。
まて、興部アイスは美味しいから、同じでいいのか。
※ オホーツクにある興部町は、生キャラメル発祥の地。(ノースプレインファームで)
清泉寮で売っている。 八ヶ岳高原にある。
濃い霧のため、ライトを点けて走った。

スタンドでもらった地図は、八ヶ岳高原だが、清里高原の方が、知られている。
また、この辺りは、単に、清里とも呼ばれているようだ。
ソフトクリームを、寮で買うのが不思議。

ここには、農場がある。 キープ農場。
ポールラッシュと言う人が開いた。 清里の父と呼ばれている。
信仰の元で、集団で暮した。 それで、寮と言う名前が残った。 そう思う。
この建物では、乳製品を中心に、お土産が売っていた。

目の前の花も、霧で霞んでいた。

清里には、お店などが、森の中に散らばっていた。 清泉寮の場所は、ここです。

清里は、30年ほど前に、ブームがあったそう。 その後、多くの店が閉まった。
美術館や、ミュージアムなどが、今でもある。
※ こんなので、人がたくさん呼べたら、商売は楽だ。
ここで、ソフトクリームが売っている。

今朝は、この上にセーターを着ていた。 高度2000㍍にいた。
普通に美味しいという感じ。 他を知らないから、比べようない。

これは、アイス。

※ ソフトクリームが好きな人は、どんな見方をするのか、調べてみた。
この文は、ここのアイスに批判的な人の文です。 参考までに。
高評価が並ぶ中恐れ多いですが、正直私の口には合いませんでした。
非常〜に魅力的な色をしているのに、舌にべっとりとまとわりつく粘り気はあまりに無添加とはかけ離れているとしか思えない舌触りで、
甘さは手が滑って何かの材料が入り過ぎちゃったかと思うほどアンバランス。
ちょうど練乳をそのまま舐めているように甘すぎるために牛乳のカケラも感じません。
牧場の牛乳系ソフトではなく、かといってクリーミーなキハチ系でもなく。
甘党にはウケる味かもしれませんが、ジャージーミルクを使用しているにしては乳脂肪分の濃さよりも増粘性ばかりを感じ、
製造過程に疑問を抱く味でした。
なんていうか・・マクド○ルドのソフトクリームみたい(←こちらの方がおいしい)。
コーンは普通の日世のFLARE-TOP(フレアトップ)。
ソフトクリームは大好きですが、牛さんに謝って珍しく途中で断念しました。
知る人ぞ知る、だった頃は美味しかったのかもしれませんが、この味で何でそんなに有名なのか、
期待度が高かっただけにさっぱりわかりません。
なるほど。 こういう視点で見ることも出来るんだ。 奥が深い。
ここは、道の駅 南きよさと。
花の森公園があったけど、花は少なかった。

道の駅の人が、花が見たいなら、ハイジの村がいいよって、教えてくれた。
途中山道を通った。 この辺りも、八ヶ岳高原。

ここが、ハイジの村。 山梨県が運営している。
※ 今でも思い出すのは、宮崎県営の植物園。 悲しかった。
ハイジが出迎えてくれた。(右に)

夏に向けての花が、咲き始めていた。

ラベンダーはあるのかな。 ※ 美瑛セルブの丘、ラベンダー他。

ここは、バラ園。 バラ祭りは30日まで。 花の状態はよくない。 離れて撮ったら綺麗。

種類によっては、いいのもある。

バラの持つ雰囲気は、何でしょうね。 引き締まったイメージがあるかな。

これもいい。

ハイジのお話しの世界なのか。

この花は、目立った。 名前は?

まるくない、アジサイ。

この花は、スキを見せない。

園内は広い。 どんな考えでデザインするのでしょう。

バラは、華やかと言ってもいいでしょうか。

コスプレと言うのか。 撮影していた。 お願いして、1枚。 なり切っていた。

ここで、結婚式をあげることもできる。

普通に見るアジサイより、色が濃かった。

この花だけの、ブルー。

このアジサイは球のようで、大きかった。

展望塔から見た。

上から見て、こうだったんだと、分かる。

高原の農場。 だらしなくない。 経営がまずくなると、ゴミだらけになる。

いい風景。 ここで、普通に生活している。

昨日は、探して探して、花はやっと見つかった。 ※ やっと見つけたのを、摘んでしまったり。
こういうのが、いい。
でも、今日は花でいっぱい。 これはこれで、またいい。
【道の駅】 にらさき 去年の秋にも来た。 ここです。
【明日の予定】 身延山です。 真っ直ぐ、海に向かいます。
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百名山を、1日に2つ登ったが、自慢できる感じではない。
苦労が少なかった。
しかし、日本を代表する、3000㍍級の山のほとんどが見えた。
最初は、霧ヶ峰高原。 頂上は、車山に。
車は、車山肩に停めた。 ※ 場所はここ。
少し登ったら、この風景。 北アルプスが見える。
山の部分を拡大。 右の方。
左の方。
車山の頂上の建物が見える。 道は、右に迂回するので、2㌔ほど。 40分。
サクラスミレ。
シロスミレ。
コバイケイソウ。 先日、花にはみえないな~、って言った花。
近くで撮影できた。 花だった。
大きくなります。 こんな花。

車山の頂上。
1925㍍。 深田久弥は、こう言った。
「まだ、戦争の始まらない頃、私は霧ヶ峰で一夏を過し、遊ぶ山の楽しさを十分に味わった。
もうとっくに焼けて無くなってしまったヒュッテの二階の、そこから真正面に乗鞍、御嶽、
木曽駒の見える一室を私が占め、隣の部屋には小林秀雄君がいた」
浅間連峰。 東の方に。
木曽駒ケ岳。 この山を検討していたけど、上はまだ雪だ。
八ヶ岳連峰。 右隅に、富士山が少し。 この時、富士山に気付いていない。(?)
富士山。 梅雨の時期に見えるのは珍しいそう。 右に広がってる町は、茅野市。
南アルプス。 手前は、茅野市。
仙丈ヶ岳
分からない。
この先、分からない。 乗鞍岳も、御嶽さんも。
ここも頂上。 ここを少し降りたら、ロープウェーの駅があった。
登る人が少ない割に、頂上に人が多いと思ったら、これだった。
この中に、分からない山がある。
この後、花を探しながら降りた。 同じ花ばかりで、他の花は、滅多に見つからない。
美ヶ原高原に向かった。 車でずいぶん登った。 山の上が広く平らだった。
こんな道を歩く。 山に登っているのかどうか、分からなくなる。
美しの塔。 霧の日には、鐘を鳴らして道標。
ホテルの少し向こうが、頂上。
マイヅルソウ。 花の部分の長さは、3㌢ほど。 かわいい。 少ししかなかった。
小さな花。
7月に咲く、テガタチドリと思う。 2回見た。
牛や馬が、放牧されている。 ある牛と話していたら、他の牛が寄ってきた。
ここが、頂上。 1時間半ほど歩いた。 王ヶ頭と呼ばれる。 ここです。
ホテルがあるから、道がある。
高原の周りは、どこも急な崖。
高度2000㍍で、広く平ら。
深田久弥は、こう言ってる。
「そういう高原の中で第一に挙げたいのが美ヶ原である。ここほどその条件にかなった所もないだろう。
(略)その高さに、広さを加えると、まさに日本一かもしれない。
そのさまは尾崎喜八氏の、「美ヶ原溶岩台地」にみごとに歌われている」
ここなら、子馬もすこやかに育つ。
今日は、2つ登ったので、今年はこれで、百名山は5つ。
(開聞岳 大台ケ原山 乗鞍岳 と今日の2つ)
山に、まだ花は少ない。
7月に入って、山の雪が解けたら、高山植物も咲くでしょうね。
【道の駅】 美ヶ原高原美術館 ここです。
【明日の予定】 天気が悪いから、どうしましょう。 建物の中か、穴の中か。
【今日の歌】 白い花(YouTube) サクラスミレを見つけたので、撮影にじゃまな枯れ草を少し取り除いた。
その時、まちがって、花を摘んでしまった。
だから、上の写真は、茎を手で持って撮影。
ひっそりと咲いていたのに、悪いことをしてしまった。
この歌の中に、花を摘んでしまいたい、という歌詞がある。
安曇野(YouTube) 手仕事屋きち兵衛さんです。
安曇野には先日いた。 今いる山の下は、安曇野。
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苦労が少なかった。
しかし、日本を代表する、3000㍍級の山のほとんどが見えた。
最初は、霧ヶ峰高原。 頂上は、車山に。
車は、車山肩に停めた。 ※ 場所はここ。
少し登ったら、この風景。 北アルプスが見える。

山の部分を拡大。 右の方。

左の方。

車山の頂上の建物が見える。 道は、右に迂回するので、2㌔ほど。 40分。

サクラスミレ。

シロスミレ。


コバイケイソウ。 先日、花にはみえないな~、って言った花。

近くで撮影できた。 花だった。

大きくなります。 こんな花。

車山の頂上。

1925㍍。 深田久弥は、こう言った。
「まだ、戦争の始まらない頃、私は霧ヶ峰で一夏を過し、遊ぶ山の楽しさを十分に味わった。
もうとっくに焼けて無くなってしまったヒュッテの二階の、そこから真正面に乗鞍、御嶽、
木曽駒の見える一室を私が占め、隣の部屋には小林秀雄君がいた」

浅間連峰。 東の方に。

木曽駒ケ岳。 この山を検討していたけど、上はまだ雪だ。

八ヶ岳連峰。 右隅に、富士山が少し。 この時、富士山に気付いていない。(?)


富士山。 梅雨の時期に見えるのは珍しいそう。 右に広がってる町は、茅野市。

南アルプス。 手前は、茅野市。

仙丈ヶ岳

分からない。

この先、分からない。 乗鞍岳も、御嶽さんも。



ここも頂上。 ここを少し降りたら、ロープウェーの駅があった。
登る人が少ない割に、頂上に人が多いと思ったら、これだった。

この中に、分からない山がある。

この後、花を探しながら降りた。 同じ花ばかりで、他の花は、滅多に見つからない。
美ヶ原高原に向かった。 車でずいぶん登った。 山の上が広く平らだった。

こんな道を歩く。 山に登っているのかどうか、分からなくなる。

美しの塔。 霧の日には、鐘を鳴らして道標。

ホテルの少し向こうが、頂上。

マイヅルソウ。 花の部分の長さは、3㌢ほど。 かわいい。 少ししかなかった。

小さな花。

7月に咲く、テガタチドリと思う。 2回見た。

牛や馬が、放牧されている。 ある牛と話していたら、他の牛が寄ってきた。

ここが、頂上。 1時間半ほど歩いた。 王ヶ頭と呼ばれる。 ここです。

ホテルがあるから、道がある。

高原の周りは、どこも急な崖。

高度2000㍍で、広く平ら。

深田久弥は、こう言ってる。
「そういう高原の中で第一に挙げたいのが美ヶ原である。ここほどその条件にかなった所もないだろう。
(略)その高さに、広さを加えると、まさに日本一かもしれない。
そのさまは尾崎喜八氏の、「美ヶ原溶岩台地」にみごとに歌われている」

ここなら、子馬もすこやかに育つ。

今日は、2つ登ったので、今年はこれで、百名山は5つ。
(開聞岳 大台ケ原山 乗鞍岳 と今日の2つ)
山に、まだ花は少ない。
7月に入って、山の雪が解けたら、高山植物も咲くでしょうね。
【道の駅】 美ヶ原高原美術館 ここです。
【明日の予定】 天気が悪いから、どうしましょう。 建物の中か、穴の中か。
【今日の歌】 白い花(YouTube) サクラスミレを見つけたので、撮影にじゃまな枯れ草を少し取り除いた。
その時、まちがって、花を摘んでしまった。
だから、上の写真は、茎を手で持って撮影。
ひっそりと咲いていたのに、悪いことをしてしまった。
この歌の中に、花を摘んでしまいたい、という歌詞がある。
安曇野(YouTube) 手仕事屋きち兵衛さんです。
安曇野には先日いた。 今いる山の下は、安曇野。
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情報誌を見ていたら、湿原があった。 遠くない。
八島ヶ原湿原。
でも、失敗した。 近くに、百名山が2つあるのに気付かなかった。
気付いたのは、晩だった。 数日前、山の本でチェックしてたのに。
木曽駒ケ岳に気を取られていた。
明日天気がいいので、検討していた。
最終的に、あきらめた。 雪が残っており、危険だった。
上の2つは、美ヶ原と霧ヶ峰。 両方とも2000㍍程なので、今の時期でも大丈夫だ。
明日行くかもしれない。
山梨県との県境まで来てしまったので、戻って。
サッカーを見ようと思ったが、テレビが映らない。
ラジオが何とか入る。
※ 3時50分頃、1点入る。 本田。 フリーキック。
※ 4時ころ。 2点目。 遠藤。 フリーキック。
車は、八島ビジターセンターの駐車場に。 地図はここ。 湿原も見える。
※ 前半終了。 2-0でリード。 4時17分。
後半に、3点取られなければいい。 引き分けでもいい。
初めて、北アルプスが見えた。 でも、山の名前が分からない。
※ 追記 御嶽だそうです。 ekさんから、コメントで。
乗鞍岳、穂高岳が、見えてるはずなんだが。
※ 追記 ksさんからコメントで教えていただきました。 こうです。
右から北穂高岳・涸沢岳・奥穂高岳の手前が前穂高岳・西穂高岳と続いてます。白い雪の処は涸沢カール。
ここまで、随分登ってきた。 湿原の部分は、少し低い。
レンゲツツジが満開。 他の花は、少ない。 これは、ウマノアシガタと言うようだ。(キンポウゲ科)
名前は?
ここの湿原は、山の上にあるから、確かに高層湿原。 本州で一番南の高層湿原だと言う。
このように、木道が続いた。 歩きやすい。
山が見えるが、木が少ない。 昔は、山で人が生活していた。 ここは、自然そのままではない。
先ほどの黄色い花。
グンナイフウロ。 今まで見たフウロソウに似ている。
この花は、たくさんはなかった。
赤いレンゲツツジは、湿原でない所に多い。
アヤメ。 この花は、多くあった。
※ 後半36分、PKで1点取られる。 まだ、分からない。 まだ、10分以上ある。
攻められっぱなし。
これが、レンゲツツジ。 山の中で、燃えるように咲いている。
コバイケイソウ。 ユリ科。 花には見えないが、花。
こんな感じで。
湿原が少しずつ、狭くなってるそうだ。 木が多くなってくる。
※ 後半43分、岡崎。 3点目。 これで決まった。
デンマークも攻めなければならないから、守りが甘くなるのは仕方ない。
夢は、目の前にやってきた。
アヤメという花には、品がある。
レンゲツツジのつぼみ。 日陰などは、遅れている。
※ 5時22分、試合終了。 決勝トーナメントに行ける。 おめでとう。
こんな虫が。 トンボとかは、いない。
何かの卵かなと思うんだが。
乾燥化が進むと、木が生えてくる。
この風景がいいですね。 これを残すための取り組みは、行われていた。
この湿原を含めた、この辺り一帯を、霧ヶ峰と呼ばれる。
ワタスゲ。
昔は、全体が水っぽかったと思う。
花びらの向こう側から、光が当たっている。
ここの湿原の泥炭の厚さは、8㍍あるそう。 普通はこんなにないという。
別の場所から、撮影。
1枚目の写真は御嶽でないかと、ekさんは言ってます。 これも、御嶽かな。
アルプスの山々。
カモシカ。 藪に逃げた。 カメラをのぞく時間がなかったので、向けて直ぐシャッターを押した。
上諏訪の町。
八島ヶ原湿原は、山奥深くにある湿原とは違った。
周りの自然を、人間が活用しており、そういう中で湿原として続いてきた。
ここの取り組みが、湿原を残す見本になればいかな。
【道の駅】 信州蔦木宿
【明日の予定】 戻って、山に登ります。 霧ヶ峰と美ヶ原。
できれば、二つ。 天気はいい。 少し、寝不足。
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八島ヶ原湿原。
でも、失敗した。 近くに、百名山が2つあるのに気付かなかった。
気付いたのは、晩だった。 数日前、山の本でチェックしてたのに。
木曽駒ケ岳に気を取られていた。
明日天気がいいので、検討していた。
最終的に、あきらめた。 雪が残っており、危険だった。
上の2つは、美ヶ原と霧ヶ峰。 両方とも2000㍍程なので、今の時期でも大丈夫だ。
明日行くかもしれない。
山梨県との県境まで来てしまったので、戻って。
サッカーを見ようと思ったが、テレビが映らない。
ラジオが何とか入る。
※ 3時50分頃、1点入る。 本田。 フリーキック。
※ 4時ころ。 2点目。 遠藤。 フリーキック。
車は、八島ビジターセンターの駐車場に。 地図はここ。 湿原も見える。
※ 前半終了。 2-0でリード。 4時17分。
後半に、3点取られなければいい。 引き分けでもいい。
初めて、北アルプスが見えた。 でも、山の名前が分からない。
※ 追記 御嶽だそうです。 ekさんから、コメントで。

乗鞍岳、穂高岳が、見えてるはずなんだが。
※ 追記 ksさんからコメントで教えていただきました。 こうです。
右から北穂高岳・涸沢岳・奥穂高岳の手前が前穂高岳・西穂高岳と続いてます。白い雪の処は涸沢カール。

ここまで、随分登ってきた。 湿原の部分は、少し低い。

レンゲツツジが満開。 他の花は、少ない。 これは、ウマノアシガタと言うようだ。(キンポウゲ科)

名前は?

ここの湿原は、山の上にあるから、確かに高層湿原。 本州で一番南の高層湿原だと言う。
このように、木道が続いた。 歩きやすい。

山が見えるが、木が少ない。 昔は、山で人が生活していた。 ここは、自然そのままではない。

先ほどの黄色い花。

グンナイフウロ。 今まで見たフウロソウに似ている。

この花は、たくさんはなかった。

赤いレンゲツツジは、湿原でない所に多い。

アヤメ。 この花は、多くあった。
※ 後半36分、PKで1点取られる。 まだ、分からない。 まだ、10分以上ある。
攻められっぱなし。

これが、レンゲツツジ。 山の中で、燃えるように咲いている。

コバイケイソウ。 ユリ科。 花には見えないが、花。

こんな感じで。

湿原が少しずつ、狭くなってるそうだ。 木が多くなってくる。
※ 後半43分、岡崎。 3点目。 これで決まった。
デンマークも攻めなければならないから、守りが甘くなるのは仕方ない。
夢は、目の前にやってきた。

アヤメという花には、品がある。


レンゲツツジのつぼみ。 日陰などは、遅れている。

※ 5時22分、試合終了。 決勝トーナメントに行ける。 おめでとう。
こんな虫が。 トンボとかは、いない。

何かの卵かなと思うんだが。

乾燥化が進むと、木が生えてくる。

この風景がいいですね。 これを残すための取り組みは、行われていた。

この湿原を含めた、この辺り一帯を、霧ヶ峰と呼ばれる。

ワタスゲ。

昔は、全体が水っぽかったと思う。

花びらの向こう側から、光が当たっている。

ここの湿原の泥炭の厚さは、8㍍あるそう。 普通はこんなにないという。

別の場所から、撮影。

1枚目の写真は御嶽でないかと、ekさんは言ってます。 これも、御嶽かな。

アルプスの山々。

カモシカ。 藪に逃げた。 カメラをのぞく時間がなかったので、向けて直ぐシャッターを押した。

上諏訪の町。

八島ヶ原湿原は、山奥深くにある湿原とは違った。
周りの自然を、人間が活用しており、そういう中で湿原として続いてきた。
ここの取り組みが、湿原を残す見本になればいかな。
【道の駅】 信州蔦木宿
【明日の予定】 戻って、山に登ります。 霧ヶ峰と美ヶ原。
できれば、二つ。 天気はいい。 少し、寝不足。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で6位です。 気に入った所がありましたら、よろしく。
国宝指定の城は、4つ。 そのうちの1つが、松本城。 ※ 他は、姫路城、彦根城、犬山城。
松本城は、黒く鎧(よろい)を着てるようだった。
川島芳子は、松本にいたことがあった。 この町に来て、思い出した。
本当に生き延びたのか? ※ 関連ブログ 川島芳子 処刑「替玉」説
城自体を、いかに美しく見せるか。 この橋は、いい役割をしてますね。 ここです。
松本城は、烏城(からすじょう)と地元の人は呼ぶそう。 黒いからか。 ※ 岡山城は、烏城(うじょう)。
熊本の加藤清正が、この木に馬をつないだ、と伝えられている。
清正は、馬を2頭もらった。 こんな話が。
城の中。 昔のままの城は、中の雰囲気が全く違う。 柱には、削った跡が。
石を落とす場所。 鉄砲を撃つ窓で、壁の厚さが分かる。 厚い壁が、この城の特徴。
階段は、急。 どこもそうかな。
この城は、鉄砲の展示が多かった。
この図は、島原の乱。 戦いに参加している。
写真の上の方を見ると、石垣に人がよじ登っているのが分かる。 ※ 明日を信じた人々の戦い「島原の乱」
城の周りは、お濠。
山は見えない。 北アルプスは、まだ見ていない。
乗鞍岳は、○の下辺り。 ※ 説明の図の家並みが、古かった。
この城は、1600年頃にできた。 ※ 年代に、いくつかの説がある。
明治と、戦争の空襲を乗り切って、今があった。
城は、武士の時代の産物だから、明治時代にとっては、無用のものだった。
多くの城が破壊された。
この城は、市川という人が、人手に渡っていたのを、保存のために買い戻した。
その後、小林という人間を中心に、大修理がなされた。
松本市民は、この二人に、いつまでも感謝を忘れない。
月見櫓。 昔の人は、風流を楽しんだ。 二十三夜待ちもできる。
※ 一度、月を見ながら、酒を飲んでみるか。
月が見えるように車を停めて。 ろうそくの灯りで。
武田信玄の頃、この城は、深志城と呼ばれた。 大河ドラマの中で、どのように出てきたかが思い出せない。
どこから見ても、形がいい。
松本市立博物館があったので、少しだけ見た。 川島芳子の写真があった。
鳩山春子。 この町の人。 鳩山元首相の、そう祖母。(ひいおばあちゃん) 似てる?
※ 由紀夫の父は、威一郎。 その父は、一郎。 その父は、鳩山和夫。 この人(春子)は、和夫の妻。

鎧をまとっている感じ。 いいですね。
ここは、松本市歴史の里。 川島芳子の資料があるというので。
旧松本少年刑務所の独居舎房。 移築復元したもの。
刑務所には、看守がいた。 看守のことを「やば」と言った。
看守がやってきたら、「やば、やば」と、囚人はお互いささやいた。
これが、「やばい」という言葉のルーツ。 ※ 今日買った本に載っていた。
いい色です。 立ち姿もいい。
製糸場の中の様子。 下諏訪町にあった、旧昭和興業製糸場を移築。
「あゝ野麦峠」を書いた山本茂実の若い頃。
遺品。
こうやって、たくさんの人から聞いた。
この人の証言もそうだが、働いている女工さんは、悲惨な思いでは、なかったそう。
働いたお金で家族には喜んでもらえた。
髪も、ちゃんと結えた。 工場は芝居を見せてくれたとも。
野麦峠でみねは死んだ。 お助け小屋のばあちゃんが、死化粧をしてくれた。
まさか、その化粧が、最初で最後の化粧ではないだろうな、と思ったが、もちろんそうではなかった。
「人生で、最初で最後の化粧」については、このブログの最後に。
泥流地帯についてです。 三浦綾子は、登場人物に、いいことを言わせます。 ※ 泥流地帯の舞台に
川島芳子の、よく見る写真はこれ。
この人は、清朝の皇族粛親王(しゅくしんのう)の第十四王女。
本名は、愛新覚羅 善耆(あいしんかくら ぜんき)。
粛親王の顧問だった川島浪速の養女となり、日本で教育を受けた。
川島は、松本の人間なので、松本の浅間温泉に後に住んだ。 そこから馬で、松本高等女学校に通学する。
清朝は、辛亥革命で崩壊するが、清朝は復興を目指す。
その過程で、川島芳子は、スパイとして活躍する。
どんな活躍があったかだが、例えば、
満州事変の時、芳子は、溥儀の皇后である婉容を天津から連れ出すことを関東軍から依頼された。
無事に、旅順に皇后を送っている。
このように、歴史の大きな舞台の裏で、幾つかの活躍がある。
この人は、17歳で自殺未遂事件を起こしている。(原因は分からない) その後、断髪し男装するようになった。
芳子の断髪・男装はマスコミに広く取り上げられた。
この足は、男の足ではありません。
川島芳子は、時の政権中華民国に捕まり、銃殺された。
ところが、1昨年、死んだのは「替玉」だったとの報道がなされた。 ※ これについては、上の関連ブログを。
工女宿宝来屋。 野麦峠の近くから、移築した。
入りきれない時もあったそう。 それだけ、多くの女工さんが、野麦峠を越えた。
松本城は、引き締まって見える城だった。
城でも何でも、いい物を見ると、必ずその陰で、それを支えた人間がいる。
この城もそうだった。
川島芳子には、清朝の血が流れていたのでしょうか。
命をかけて、危険な橋を渡った。
【道の駅】 小坂田公園 ここです。
【明日の予定】 近くの湿原を考えています。
【今日の歌】 大連の町から(YouTube) 大連は、満州の玄関。 芳子は何度も行ってるはず。
夜来香_山口淑子(李香蘭) (YouTube) 生き延びたと言われる家に、遺品としてこの曲のレコードがあったという。
アムールのさざ波(YouTube) 満州とロシアの国境を、アムール川は流れている。
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松本城は、黒く鎧(よろい)を着てるようだった。
川島芳子は、松本にいたことがあった。 この町に来て、思い出した。
本当に生き延びたのか? ※ 関連ブログ 川島芳子 処刑「替玉」説
城自体を、いかに美しく見せるか。 この橋は、いい役割をしてますね。 ここです。

松本城は、烏城(からすじょう)と地元の人は呼ぶそう。 黒いからか。 ※ 岡山城は、烏城(うじょう)。
熊本の加藤清正が、この木に馬をつないだ、と伝えられている。

清正は、馬を2頭もらった。 こんな話が。

城の中。 昔のままの城は、中の雰囲気が全く違う。 柱には、削った跡が。

石を落とす場所。 鉄砲を撃つ窓で、壁の厚さが分かる。 厚い壁が、この城の特徴。

階段は、急。 どこもそうかな。

この城は、鉄砲の展示が多かった。
この図は、島原の乱。 戦いに参加している。
写真の上の方を見ると、石垣に人がよじ登っているのが分かる。 ※ 明日を信じた人々の戦い「島原の乱」

城の周りは、お濠。

山は見えない。 北アルプスは、まだ見ていない。

乗鞍岳は、○の下辺り。 ※ 説明の図の家並みが、古かった。

この城は、1600年頃にできた。 ※ 年代に、いくつかの説がある。

明治と、戦争の空襲を乗り切って、今があった。
城は、武士の時代の産物だから、明治時代にとっては、無用のものだった。
多くの城が破壊された。
この城は、市川という人が、人手に渡っていたのを、保存のために買い戻した。
その後、小林という人間を中心に、大修理がなされた。
松本市民は、この二人に、いつまでも感謝を忘れない。

月見櫓。 昔の人は、風流を楽しんだ。 二十三夜待ちもできる。
※ 一度、月を見ながら、酒を飲んでみるか。
月が見えるように車を停めて。 ろうそくの灯りで。

武田信玄の頃、この城は、深志城と呼ばれた。 大河ドラマの中で、どのように出てきたかが思い出せない。

どこから見ても、形がいい。

松本市立博物館があったので、少しだけ見た。 川島芳子の写真があった。

鳩山春子。 この町の人。 鳩山元首相の、そう祖母。(ひいおばあちゃん) 似てる?
※ 由紀夫の父は、威一郎。 その父は、一郎。 その父は、鳩山和夫。 この人(春子)は、和夫の妻。


鎧をまとっている感じ。 いいですね。

ここは、松本市歴史の里。 川島芳子の資料があるというので。

旧松本少年刑務所の独居舎房。 移築復元したもの。
刑務所には、看守がいた。 看守のことを「やば」と言った。
看守がやってきたら、「やば、やば」と、囚人はお互いささやいた。
これが、「やばい」という言葉のルーツ。 ※ 今日買った本に載っていた。

いい色です。 立ち姿もいい。

製糸場の中の様子。 下諏訪町にあった、旧昭和興業製糸場を移築。

「あゝ野麦峠」を書いた山本茂実の若い頃。

遺品。

こうやって、たくさんの人から聞いた。
この人の証言もそうだが、働いている女工さんは、悲惨な思いでは、なかったそう。
働いたお金で家族には喜んでもらえた。
髪も、ちゃんと結えた。 工場は芝居を見せてくれたとも。
野麦峠でみねは死んだ。 お助け小屋のばあちゃんが、死化粧をしてくれた。
まさか、その化粧が、最初で最後の化粧ではないだろうな、と思ったが、もちろんそうではなかった。
「人生で、最初で最後の化粧」については、このブログの最後に。
泥流地帯についてです。 三浦綾子は、登場人物に、いいことを言わせます。 ※ 泥流地帯の舞台に

川島芳子の、よく見る写真はこれ。

この人は、清朝の皇族粛親王(しゅくしんのう)の第十四王女。
本名は、愛新覚羅 善耆(あいしんかくら ぜんき)。
粛親王の顧問だった川島浪速の養女となり、日本で教育を受けた。
川島は、松本の人間なので、松本の浅間温泉に後に住んだ。 そこから馬で、松本高等女学校に通学する。

清朝は、辛亥革命で崩壊するが、清朝は復興を目指す。
その過程で、川島芳子は、スパイとして活躍する。

どんな活躍があったかだが、例えば、
満州事変の時、芳子は、溥儀の皇后である婉容を天津から連れ出すことを関東軍から依頼された。
無事に、旅順に皇后を送っている。
このように、歴史の大きな舞台の裏で、幾つかの活躍がある。

この人は、17歳で自殺未遂事件を起こしている。(原因は分からない) その後、断髪し男装するようになった。
芳子の断髪・男装はマスコミに広く取り上げられた。
この足は、男の足ではありません。

川島芳子は、時の政権中華民国に捕まり、銃殺された。
ところが、1昨年、死んだのは「替玉」だったとの報道がなされた。 ※ これについては、上の関連ブログを。

工女宿宝来屋。 野麦峠の近くから、移築した。

入りきれない時もあったそう。 それだけ、多くの女工さんが、野麦峠を越えた。

松本城は、引き締まって見える城だった。
城でも何でも、いい物を見ると、必ずその陰で、それを支えた人間がいる。
この城もそうだった。
川島芳子には、清朝の血が流れていたのでしょうか。
命をかけて、危険な橋を渡った。
【道の駅】 小坂田公園 ここです。
【明日の予定】 近くの湿原を考えています。
【今日の歌】 大連の町から(YouTube) 大連は、満州の玄関。 芳子は何度も行ってるはず。
夜来香_山口淑子(李香蘭) (YouTube) 生き延びたと言われる家に、遺品としてこの曲のレコードがあったという。
アムールのさざ波(YouTube) 満州とロシアの国境を、アムール川は流れている。
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昨日梓川を調べていたら、気になる橋があった。
名前は、雑炊橋。 行ってみた。
昔から、夏に冷蔵庫があった。 風穴を利用した貯蔵庫。
雑炊橋を調べていて、分かった。
明神にあった穂高神社(奥宮)の、本宮に行ってきた。 ※ 乗鞍岳のスキーの方に教えていただいた。
神社で、ワサビ畑を紹介してもらった。
Wikipediaの梓川に、こう書いてあった。(概略)
流域の松本市波田には、梓川を渡る橋がなく、対岸へは歩いて渡っていた。
大雨のたび、数日間は川を渡れず、人々は困っていた。
村人の代表が、庄屋に建設資金を頼んだが、断られた。
貧しい村人が、お金を工面するのは容易ではなかった。
人々は、米の代わりにかゆを食べるまでの努力をしたという。
その甲斐あってか、村人の悲願は叶い、梓川に橋がかけられた。
現在、松本市安曇、橋場にある雑炊橋の所以である。
庄屋は断わったんだ、この話は面白い、と思った。
そこに行ってみた。 橋は、新しくなっていた。 場所はここ。
新しい橋の名前も、雑炊橋だった。 石碑に、説明があった。 「はね橋」が架かっていたと。
昔の橋も、この場所にかけた。 はね橋って、どんな橋だったのか。
野麦街道は、もともとここに橋は無かったから、川の右岸のこの道を、松本に向かった。
反対方向の、野麦峠への道。 歩いて行ったら、人に会った。
はね橋は、両岸から、木の板をせり出すように伸ばして、真ん中でつなぐという。
イメージは出来るが、よく分からない。
ケシの花のようだ。
橋の上から、下流を見た。 この川を歩いて渡れる時は、そんなにないと思った。
この橋を見る前、近くにある、役場の支所に寄った。
安曇資料館に行ったら、詳しく分かると教えてもらっていた。
その資料館は、朝いた道の駅の近くだった。
資料館のそばに、風穴を利用した、貯蔵庫があった。
中はこうで、石の積んである壁の隙間から、涼しい風が出ていた。
5度。 冷蔵庫の中の温度だ。 寒い。
山を上ると、たまに風穴を見る。 石の隙間から、涼しい風が出ている。
ここが、安曇資料館。
こんな花が。
雑炊橋の、昔の図があった。
こんな仕組み。 トラックなどの、板バネに似ている。 大丈夫なのか、少し心配。
1582年には、歴史に登場しているという。 架け替えは、12年に1度で、寅年に。
はね橋は、「刎ね橋」と書いた。
刎木(はねぎ)を使うからだそう。
※ 刎木は、てこの原理で石などを動かす時の板。
上の図の橋の板は、重い物を動かす時の板に、似ているでしょうか。
※ 板の重なり方は、錦帯橋に似ているが、別の橋ですね。 ※ 錦帯橋の写真。
※ 石橋は建て替えなくていいので、石橋の方が、橋としては優秀でないのかな。
石橋にしない理由は何だろう。 ※ 霊台橋の写真。
この後、穂高神社に向かった。 松本市の北の、安曇野市の穂高に。
穂高神社。 立派だった。
ここは、安曇氏が先祖を祀った神社だった。 一族の本拠地はここだそう。
また、この神社は、毎年9月27日に行なわれる例大祭の、御船神事(お船祭り)で知られていた。
ものぐさ太郎の石碑。 信濃中将として祀られている。
塩の道が、ここを通っていた。
信濃へ塩を運ぶ道を、塩の道と呼んでいた。
もしかして、信濃は、日本で一番海から遠い所なのかな。
※ 調べてみた。
「日本で一番海から遠い地点」は、長野県南佐久郡臼田町だった。
海まで、直線で115㌔。
やはり、長野県だった。 場所はここ。
こんなのが。 久しぶりに見る。
もちつき道祖神。
神社に参拝に来た人に、この町の見所を聞いた。 ワサビ畑を紹介してくれた。
山に向かった。 松本市から安曇野市にかけて、平らな土地が広い。(松本盆地)
ここは、安曇野とよばれる所だった。
こういう所。 大王わさび農場。 観光バスで、人は来ていた。
広いワサビ畑。 この時期は、日除けのため、寒冷紗と呼ばれる、目の荒い織物で覆っていた。
畑の中を、水が流れている。
ワサビには、捨てる所がないと言った。 以前食べた蕎麦に、茎が入っていた。 茎も辛い。
こんな像が。 いい表情が見つかったので撮った。 ※ 野麦峠の像も、こんな感じならいい。
散策路があって、ここは観光地。
ここで聞いた言葉のほとんどは、日本語ではなかった。
冬とかは、この風景。 2~3月に、白い花が咲くという。(農場の人が教えてくれた)
グミ、かな。
橋を作る時、あの庄屋はお金を出さなかった。 もし出していれば、歴史上、ずっとほめられた。
雑炊橋の話は、人の生き方を学ばせてくれる。
(※ 雑炊橋の伝説は、他にもあった。)
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名前は、雑炊橋。 行ってみた。
昔から、夏に冷蔵庫があった。 風穴を利用した貯蔵庫。
雑炊橋を調べていて、分かった。
明神にあった穂高神社(奥宮)の、本宮に行ってきた。 ※ 乗鞍岳のスキーの方に教えていただいた。
神社で、ワサビ畑を紹介してもらった。
Wikipediaの梓川に、こう書いてあった。(概略)
流域の松本市波田には、梓川を渡る橋がなく、対岸へは歩いて渡っていた。
大雨のたび、数日間は川を渡れず、人々は困っていた。
村人の代表が、庄屋に建設資金を頼んだが、断られた。
貧しい村人が、お金を工面するのは容易ではなかった。
人々は、米の代わりにかゆを食べるまでの努力をしたという。
その甲斐あってか、村人の悲願は叶い、梓川に橋がかけられた。
現在、松本市安曇、橋場にある雑炊橋の所以である。
庄屋は断わったんだ、この話は面白い、と思った。
そこに行ってみた。 橋は、新しくなっていた。 場所はここ。

新しい橋の名前も、雑炊橋だった。 石碑に、説明があった。 「はね橋」が架かっていたと。

昔の橋も、この場所にかけた。 はね橋って、どんな橋だったのか。

野麦街道は、もともとここに橋は無かったから、川の右岸のこの道を、松本に向かった。

反対方向の、野麦峠への道。 歩いて行ったら、人に会った。
はね橋は、両岸から、木の板をせり出すように伸ばして、真ん中でつなぐという。
イメージは出来るが、よく分からない。

ケシの花のようだ。

橋の上から、下流を見た。 この川を歩いて渡れる時は、そんなにないと思った。

この橋を見る前、近くにある、役場の支所に寄った。
安曇資料館に行ったら、詳しく分かると教えてもらっていた。
その資料館は、朝いた道の駅の近くだった。
資料館のそばに、風穴を利用した、貯蔵庫があった。

中はこうで、石の積んである壁の隙間から、涼しい風が出ていた。

5度。 冷蔵庫の中の温度だ。 寒い。

山を上ると、たまに風穴を見る。 石の隙間から、涼しい風が出ている。
ここが、安曇資料館。

こんな花が。

雑炊橋の、昔の図があった。

こんな仕組み。 トラックなどの、板バネに似ている。 大丈夫なのか、少し心配。

1582年には、歴史に登場しているという。 架け替えは、12年に1度で、寅年に。
はね橋は、「刎ね橋」と書いた。
刎木(はねぎ)を使うからだそう。
※ 刎木は、てこの原理で石などを動かす時の板。
上の図の橋の板は、重い物を動かす時の板に、似ているでしょうか。
※ 板の重なり方は、錦帯橋に似ているが、別の橋ですね。 ※ 錦帯橋の写真。
※ 石橋は建て替えなくていいので、石橋の方が、橋としては優秀でないのかな。
石橋にしない理由は何だろう。 ※ 霊台橋の写真。
この後、穂高神社に向かった。 松本市の北の、安曇野市の穂高に。
穂高神社。 立派だった。
ここは、安曇氏が先祖を祀った神社だった。 一族の本拠地はここだそう。
また、この神社は、毎年9月27日に行なわれる例大祭の、御船神事(お船祭り)で知られていた。


ものぐさ太郎の石碑。 信濃中将として祀られている。

塩の道が、ここを通っていた。
信濃へ塩を運ぶ道を、塩の道と呼んでいた。
もしかして、信濃は、日本で一番海から遠い所なのかな。
※ 調べてみた。
「日本で一番海から遠い地点」は、長野県南佐久郡臼田町だった。
海まで、直線で115㌔。
やはり、長野県だった。 場所はここ。

こんなのが。 久しぶりに見る。

もちつき道祖神。

神社に参拝に来た人に、この町の見所を聞いた。 ワサビ畑を紹介してくれた。
山に向かった。 松本市から安曇野市にかけて、平らな土地が広い。(松本盆地)
ここは、安曇野とよばれる所だった。

こういう所。 大王わさび農場。 観光バスで、人は来ていた。

広いワサビ畑。 この時期は、日除けのため、寒冷紗と呼ばれる、目の荒い織物で覆っていた。

畑の中を、水が流れている。

ワサビには、捨てる所がないと言った。 以前食べた蕎麦に、茎が入っていた。 茎も辛い。

こんな像が。 いい表情が見つかったので撮った。 ※ 野麦峠の像も、こんな感じならいい。

散策路があって、ここは観光地。

ここで聞いた言葉のほとんどは、日本語ではなかった。

冬とかは、この風景。 2~3月に、白い花が咲くという。(農場の人が教えてくれた)

グミ、かな。

橋を作る時、あの庄屋はお金を出さなかった。 もし出していれば、歴史上、ずっとほめられた。
雑炊橋の話は、人の生き方を学ばせてくれる。
(※ 雑炊橋の伝説は、他にもあった。)
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上高地の、様々な自然の風景は、高い所にあるから珍しい。
そういうことだった。
流れている水の全てが、飲めそう。
川の底は、火山灰なのか、どこも白かった。
だから、水はブルーに輝いていた。
高山側にある、アカンダナ駐車場から出発。
安房トンネルを抜ける。 このトンネルで、楽になった。
大正池。 大正4年に、焼岳の噴火で梓川がせき止められた。
全体の地図はこう。
上高地の南の端が、大正池。 上高地は、穂高岳の右の方まで、曲がって伸びている。
幅1㌔。 長さ10㌔。 高度1500㍍。 土砂とかが積もった、堆積平野。
大正池から、歩きだした。 足は快調。 どこまでも歩けそう。
昨日、乗鞍岳に登った時は、空気が薄かった。 2回吸って、1回分の感じだった。
今日は、空気が濃い。 雨上がりで、新鮮。
田代池。 小さな湿原。
梓川です。 このブルー。 川でこの色は、滅多にない。 硫黄は、混ざってないと思う。 ※ 水の美しさのベスト1は、オンネトーのこの写真。
この辺りは、梓弓を作る、梓の木があるそう。 それで、梓川。
下流に行くと犀川。 その後、千曲川。 最後は、信濃川。 いそがしい川だ。 新潟市で海に。
橋を渡って、梓川の左岸に、ウエストン碑があった。 日本の山登りに、大きく貢献した。
この人は、日本アルプスの父と呼ばれているそうだ。
上流に向かって、右の山。 少し高度が低いので、上の方まで見える。 上高地は、周りは全部山。
河童橋が見えた。 上高地のシンボル。
水は青く、河原が白い所がいいのかな。 雲が低く、穂高岳は見えない。
平日なのに、人は多い。 雲の上の観光地か。 盆地なので、天空の感じではない。
よく見る河童橋は、ここから撮影か。
河童橋は、黄色の○。 右上の、明神まで歩く。
サルでも熊でも、何でもいるそう。 探しながら歩いた。 探すといない。
湿原と違って、花は少ない。 この花が目立った。
※ サワギキョウに似ていたが、分からない。 マクロレンズのカメラで撮影。
正面の山は、穂高岳の第5峰(最南峰)。 主峰は、右に見える山の後ろかな。 上の方は雲。
※ 穂高岳は、標高3,190m。 日本第三位。
山の並び。
上から、少し歩いている。 明神に着いた。 雲がなかったら、見える。
明神橋を渡る。
橋から、上流を。
明神池。 そばに、穂高神社の奥宮があった。
実は、明神池はこの神社の境内にある。 上高地は、かつては、神垣内(かみこうち)だった。
たぶん、ブラウントラウト。
明神池は、土砂崩れで、梓川の支流が堰き止められて出来た。
この辺りから、川になって流れ落ちる。 清流にしか棲めない魚が、どこにでもいた。
嘉門次小屋。 上條嘉門次は、ウエストンの山案内人だった。 詳しくは、ここに。
木道を歩く。 湿原っぽいが、完全でないから、花は少ない。 戻っている。
これは、イワナ。
川の支流。 一気に流れ落ちる。
花が見えてきた。
六百山と思う。(地図で調べて)
レンゲツツジ。(蓮華躑躅) 今日見た風景の中で、一番好き。 ※ 河童橋からも、よかった。
ヤブで、ガサゴソ音がしたので、カメラの準備をした。 ※ 逃げないですよ。
サルだった。 笹の新芽を食べていた。 人間の顔に近い。
ここのサルは、下北半島のサルより、冬は厳しい。
カメラで追った。 これで、やっと。
母親の表情は、おだやか。 子ザルは慣れたもの。 真剣につかまってる訳ではない。
バスターミナル。 ここから、戻る。
上高地は、高い所にあって、歩ける広さに、魅力が集まっていた。
見える自然すべてに、濁りがなかった。
自然を見るために、これだけ人が集まる所は、他に思い出せない。
※ 上富良野や美瑛の花畑は、人の多さは別次元だが。
上高地は「雲の上の観光地」、でまとめましょう。
【道の駅】 風穴の里 上の地図に。 一昨日も停泊。
【明日の予定】 松本の辺りかな。
【今日の歌】 青春のたまり場(YouTube) 気に入ったので再度。 ※ 以前、クローズアップ現代で、紹介されたそう。
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そういうことだった。
流れている水の全てが、飲めそう。
川の底は、火山灰なのか、どこも白かった。
だから、水はブルーに輝いていた。
高山側にある、アカンダナ駐車場から出発。
安房トンネルを抜ける。 このトンネルで、楽になった。


大正池。 大正4年に、焼岳の噴火で梓川がせき止められた。

全体の地図はこう。

上高地の南の端が、大正池。 上高地は、穂高岳の右の方まで、曲がって伸びている。
幅1㌔。 長さ10㌔。 高度1500㍍。 土砂とかが積もった、堆積平野。
大正池から、歩きだした。 足は快調。 どこまでも歩けそう。

昨日、乗鞍岳に登った時は、空気が薄かった。 2回吸って、1回分の感じだった。
今日は、空気が濃い。 雨上がりで、新鮮。

田代池。 小さな湿原。

梓川です。 このブルー。 川でこの色は、滅多にない。 硫黄は、混ざってないと思う。 ※ 水の美しさのベスト1は、オンネトーのこの写真。

この辺りは、梓弓を作る、梓の木があるそう。 それで、梓川。
下流に行くと犀川。 その後、千曲川。 最後は、信濃川。 いそがしい川だ。 新潟市で海に。
橋を渡って、梓川の左岸に、ウエストン碑があった。 日本の山登りに、大きく貢献した。
この人は、日本アルプスの父と呼ばれているそうだ。

上流に向かって、右の山。 少し高度が低いので、上の方まで見える。 上高地は、周りは全部山。

河童橋が見えた。 上高地のシンボル。

水は青く、河原が白い所がいいのかな。 雲が低く、穂高岳は見えない。

平日なのに、人は多い。 雲の上の観光地か。 盆地なので、天空の感じではない。


よく見る河童橋は、ここから撮影か。

河童橋は、黄色の○。 右上の、明神まで歩く。

サルでも熊でも、何でもいるそう。 探しながら歩いた。 探すといない。

湿原と違って、花は少ない。 この花が目立った。
※ サワギキョウに似ていたが、分からない。 マクロレンズのカメラで撮影。

正面の山は、穂高岳の第5峰(最南峰)。 主峰は、右に見える山の後ろかな。 上の方は雲。
※ 穂高岳は、標高3,190m。 日本第三位。

山の並び。

上から、少し歩いている。 明神に着いた。 雲がなかったら、見える。

明神橋を渡る。

橋から、上流を。

明神池。 そばに、穂高神社の奥宮があった。
実は、明神池はこの神社の境内にある。 上高地は、かつては、神垣内(かみこうち)だった。

たぶん、ブラウントラウト。

明神池は、土砂崩れで、梓川の支流が堰き止められて出来た。
この辺りから、川になって流れ落ちる。 清流にしか棲めない魚が、どこにでもいた。

嘉門次小屋。 上條嘉門次は、ウエストンの山案内人だった。 詳しくは、ここに。

木道を歩く。 湿原っぽいが、完全でないから、花は少ない。 戻っている。

これは、イワナ。

川の支流。 一気に流れ落ちる。

花が見えてきた。

六百山と思う。(地図で調べて)

レンゲツツジ。(蓮華躑躅) 今日見た風景の中で、一番好き。 ※ 河童橋からも、よかった。

ヤブで、ガサゴソ音がしたので、カメラの準備をした。 ※ 逃げないですよ。
サルだった。 笹の新芽を食べていた。 人間の顔に近い。

ここのサルは、下北半島のサルより、冬は厳しい。

カメラで追った。 これで、やっと。
母親の表情は、おだやか。 子ザルは慣れたもの。 真剣につかまってる訳ではない。

バスターミナル。 ここから、戻る。

上高地は、高い所にあって、歩ける広さに、魅力が集まっていた。
見える自然すべてに、濁りがなかった。
自然を見るために、これだけ人が集まる所は、他に思い出せない。
※ 上富良野や美瑛の花畑は、人の多さは別次元だが。
上高地は「雲の上の観光地」、でまとめましょう。
【道の駅】 風穴の里 上の地図に。 一昨日も停泊。
【明日の予定】 松本の辺りかな。
【今日の歌】 青春のたまり場(YouTube) 気に入ったので再度。 ※ 以前、クローズアップ現代で、紹介されたそう。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で5位です。
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日本百名山を書いた深田久弥は、こう言った。
「もちろんここで言う乗鞍信者とは、~~~、学生時代乗鞍に住んだことのある人を指す。
全く、乗鞍は登るというより、住むと言った方が似つかわしい山である」
雨の日が続いていたが、今日に限って、半日だけ青空が見えた。
人との出会いがあった。
朝、晴れた。 山に登ると決めた。 簡単な弁当を、急いで作った。 コンビニはない。
山は、畳平から登る。 そこへ行くバスが、やってきた。 ここは、平湯温泉のバスターミナル。
※ アカンダナ駐車場から、ここへは、シャトルバス。
※ アカンダナ駐車場はここに。 平湯温泉のバスターミナルは、地図の温泉街に。
乗鞍スカイラインを走る。 自分が写ってしまった。
乗鞍山頂 畳平 行き。
自転車の人がいた。 下山した時、この人は、畳平に着いた。 日本1周をしている。
乗鞍スカイラインは、1018㍍登って、2702㍍の畳平に行く。
日本一の高度を走ることのできる、雲上のスカイラインと呼ばれる。
木が減ってきた。 雪がある。
マイカーは、通れない。
空への道を、走っているようだ。
ここは、北アルプス。 高そうな山が見える。
どの山が、乗鞍岳かは、分からない。 だから、見える山は全部、写真に撮った。
この写真に写っていた。
※ スキーをしている人が、小さく写っている。 子供もいて、帰りのバスで一緒になった。
さらに登って、この写真にもあった。
畳平。 日本の公共交通機関が到達できる最高地点、だそう。
飛騨県側の登山基地。 ここの標高が高いために、頂上までは、楽なことになっている。
登山ルート。
ここからスタート。 夏なら、90分。
車が通れる、登山道。
心配している天気は、まだ大丈夫。
写真を撮ってたら、この2人の方が、私に追いついた。 お母さんと娘さん。 埼玉から。
この後、一緒に行く。
山の下に、人がいっぱいいた。 ありんこのように。
マラソン大会をやっていた。 ※ 乗鞍天空マラソン。
頂上は分かりますね。
乗鞍岳は、この辺り一帯の名前で、頂上のある山は、剣ヶ峰と言う。
でも、正式にはそうかもしれないけど、3026㍍の地点は、やっぱり乗鞍岳の頂上。
肩の小屋が見えた。
雪渓で、スノボーをしている人が。
雪渓を歩き始めた。 危険な場所が近付いている。 途中で会った人は、そこで戻った。
雪渓は、下まで続いている。 数㍍下に岩場があれば、何も怖くないが。
ここで、一休み。
危険と感じたのは、この辺りだったかな。 一歩一歩足場を固めて、進んだ。
お母さんに山の経験があるので、先に行ってくれた。
娘さんは、用心深かった。 それでいいと、私は思った。
頂上が見える。 もう、近い。
雪渓を、スキーで滑り下りる人がいた。 撮影することになった。
準備があるので、他を撮影。 お母さんたちには、先に行ってもらった。
お母さんが、いつも先。 スキーの跡がある。
ここの少し上に、頂上小屋がある。
こういう池が、時々ある。 標高、3000㍍に近い。
スキーをはいたら、準備完了。 スキーの幅が広い。 山スキーと言うのか。
小さくジャンプして、飛び出した。
スキーを前後に、ずらしている。 普通のスキーではやらない。
滑り落ちたら大変な斜面。 見てて、不安は感じなかった。 上手。
無事に着いた。 この滑りを楽しむため、苦労して登った。
二人は、だいぶ進んだ。
あと少し。
ここが、頂上。 3026㍍。
反対側に来ると、こう。 11時50分。 2時間かかった。 雪渓で、時間がかかった。
雲が出てきたが、時々このように見えた。 遠くのアルプスの山々は、見えない。
こんな感じで。
小さな池が。 標高は、日本のトップテンに、間違いなく入る。
時々きれいに見える。 向こうの方が風がないので、向こう側で食事。
気圧が低いので、ふくらんだ。
こんな高くて寒い所に、虫がいた。
私たちは、ここで食事をした。 食事の後、ここが温かいよって、この人達に伝えた。
みんないい表情。
天気が変わってきた。 娘さんの意見で、下山を急いだ。 この判断がよかったと、後で分かる。
でも、お母さん、下山の道を間違った。 少しして、戻ってきた。
あっという間に、雲に囲まれてきた。
気温は、6~7度。 動いていれば、そんなに寒くはない。 ずっと、シャツの上に上着だけ。
この後、急な雪渓を横切る。
一番気を使った場所。
※ この後、3人で話した時、アイゼンが必要だねとなった。 軽いのが売られている。
※ 他に、私は使っていたが、山用のステッキがあった方がいいとも。 滑落した時に使う。
ここまで来たら、もう大丈夫。
高山植物の花が咲くのは、まだ先のようだ。
除雪したから、通れる。
こんな道は、ハイキングの感じ。
おしゃべりしながら、戻った。 もう近い。
畳平が見えた。
最後に道を間違って、少し遠回りをした。
畳平に着いた。 2時5分。 1時間50分かかった。
山は、全体が雲の中にあった。 早く降りてよかった。
娘さんのカメラで、3人で記念写真。 ※ 後で、メールで送っていただいた。 山での写真も含めて。
自分の写真を見るのは、久しぶり。
お母さんと娘さんは、先のバスで戻った。(このバスは、平湯まで行かない)
私は、一つ後のこのバスで。 時々自転車の人に出会う。 ※ 山を上る大会があるため。
山を下ると、雲から出た。
夏がやってきたが、山の上は夏ではなかった。
雨の日が続く中、奇跡のように、半日晴れた。
お母さんと娘さんと一緒だったので、たのしい登山になった。
【停泊場所】 アカンダナ駐車場
※ 夜停泊したら、「アカンダナ~」って、言われるかと思ったら、本当はダメだけど、いいですよって言ってくれた。
食い物あるかとか、トイレに近い所に停めれとか、気を遣ってくれた。
※ 近くに、アカンダナ山があるそう。 バスの運転手さんが教えてくれた。
【明日の予定】 上高地 天気は大丈夫のよう。 いっぱい歩きます。
【今日の歌】 ショスタコービッチの、セカンドワルツ(YouTube) たまに。
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「もちろんここで言う乗鞍信者とは、~~~、学生時代乗鞍に住んだことのある人を指す。
全く、乗鞍は登るというより、住むと言った方が似つかわしい山である」
雨の日が続いていたが、今日に限って、半日だけ青空が見えた。
人との出会いがあった。
朝、晴れた。 山に登ると決めた。 簡単な弁当を、急いで作った。 コンビニはない。
山は、畳平から登る。 そこへ行くバスが、やってきた。 ここは、平湯温泉のバスターミナル。
※ アカンダナ駐車場から、ここへは、シャトルバス。
※ アカンダナ駐車場はここに。 平湯温泉のバスターミナルは、地図の温泉街に。

乗鞍スカイラインを走る。 自分が写ってしまった。

乗鞍山頂 畳平 行き。

自転車の人がいた。 下山した時、この人は、畳平に着いた。 日本1周をしている。

乗鞍スカイラインは、1018㍍登って、2702㍍の畳平に行く。
日本一の高度を走ることのできる、雲上のスカイラインと呼ばれる。
木が減ってきた。 雪がある。

マイカーは、通れない。
空への道を、走っているようだ。

ここは、北アルプス。 高そうな山が見える。

どの山が、乗鞍岳かは、分からない。 だから、見える山は全部、写真に撮った。
この写真に写っていた。
※ スキーをしている人が、小さく写っている。 子供もいて、帰りのバスで一緒になった。

さらに登って、この写真にもあった。

畳平。 日本の公共交通機関が到達できる最高地点、だそう。
飛騨県側の登山基地。 ここの標高が高いために、頂上までは、楽なことになっている。

登山ルート。

ここからスタート。 夏なら、90分。

車が通れる、登山道。

心配している天気は、まだ大丈夫。

写真を撮ってたら、この2人の方が、私に追いついた。 お母さんと娘さん。 埼玉から。
この後、一緒に行く。

山の下に、人がいっぱいいた。 ありんこのように。

マラソン大会をやっていた。 ※ 乗鞍天空マラソン。

頂上は分かりますね。
乗鞍岳は、この辺り一帯の名前で、頂上のある山は、剣ヶ峰と言う。
でも、正式にはそうかもしれないけど、3026㍍の地点は、やっぱり乗鞍岳の頂上。

肩の小屋が見えた。

雪渓で、スノボーをしている人が。

雪渓を歩き始めた。 危険な場所が近付いている。 途中で会った人は、そこで戻った。

雪渓は、下まで続いている。 数㍍下に岩場があれば、何も怖くないが。

ここで、一休み。

危険と感じたのは、この辺りだったかな。 一歩一歩足場を固めて、進んだ。
お母さんに山の経験があるので、先に行ってくれた。
娘さんは、用心深かった。 それでいいと、私は思った。

頂上が見える。 もう、近い。

雪渓を、スキーで滑り下りる人がいた。 撮影することになった。

準備があるので、他を撮影。 お母さんたちには、先に行ってもらった。

お母さんが、いつも先。 スキーの跡がある。

ここの少し上に、頂上小屋がある。

こういう池が、時々ある。 標高、3000㍍に近い。

スキーをはいたら、準備完了。 スキーの幅が広い。 山スキーと言うのか。

小さくジャンプして、飛び出した。

スキーを前後に、ずらしている。 普通のスキーではやらない。

滑り落ちたら大変な斜面。 見てて、不安は感じなかった。 上手。








無事に着いた。 この滑りを楽しむため、苦労して登った。

二人は、だいぶ進んだ。

あと少し。

ここが、頂上。 3026㍍。

反対側に来ると、こう。 11時50分。 2時間かかった。 雪渓で、時間がかかった。

雲が出てきたが、時々このように見えた。 遠くのアルプスの山々は、見えない。

こんな感じで。

小さな池が。 標高は、日本のトップテンに、間違いなく入る。

時々きれいに見える。 向こうの方が風がないので、向こう側で食事。

気圧が低いので、ふくらんだ。

こんな高くて寒い所に、虫がいた。

私たちは、ここで食事をした。 食事の後、ここが温かいよって、この人達に伝えた。
みんないい表情。

天気が変わってきた。 娘さんの意見で、下山を急いだ。 この判断がよかったと、後で分かる。
でも、お母さん、下山の道を間違った。 少しして、戻ってきた。

あっという間に、雲に囲まれてきた。

気温は、6~7度。 動いていれば、そんなに寒くはない。 ずっと、シャツの上に上着だけ。
この後、急な雪渓を横切る。

一番気を使った場所。

※ この後、3人で話した時、アイゼンが必要だねとなった。 軽いのが売られている。

※ 他に、私は使っていたが、山用のステッキがあった方がいいとも。 滑落した時に使う。
ここまで来たら、もう大丈夫。

高山植物の花が咲くのは、まだ先のようだ。

除雪したから、通れる。

こんな道は、ハイキングの感じ。

おしゃべりしながら、戻った。 もう近い。

畳平が見えた。

最後に道を間違って、少し遠回りをした。

畳平に着いた。 2時5分。 1時間50分かかった。
山は、全体が雲の中にあった。 早く降りてよかった。

娘さんのカメラで、3人で記念写真。 ※ 後で、メールで送っていただいた。 山での写真も含めて。
自分の写真を見るのは、久しぶり。
お母さんと娘さんは、先のバスで戻った。(このバスは、平湯まで行かない)
私は、一つ後のこのバスで。 時々自転車の人に出会う。 ※ 山を上る大会があるため。

山を下ると、雲から出た。

夏がやってきたが、山の上は夏ではなかった。
雨の日が続く中、奇跡のように、半日晴れた。
お母さんと娘さんと一緒だったので、たのしい登山になった。
【停泊場所】 アカンダナ駐車場
※ 夜停泊したら、「アカンダナ~」って、言われるかと思ったら、本当はダメだけど、いいですよって言ってくれた。
食い物あるかとか、トイレに近い所に停めれとか、気を遣ってくれた。
※ 近くに、アカンダナ山があるそう。 バスの運転手さんが教えてくれた。
【明日の予定】 上高地 天気は大丈夫のよう。 いっぱい歩きます。
【今日の歌】 ショスタコービッチの、セカンドワルツ(YouTube) たまに。
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野麦峠への道は、深い谷の、急な斜面に続いていた。
また、みねが見た風景は、昔のままあった。
古川にいたので、町並みを見た。
白壁の土蔵。 伝建地区に指定されていないが、いいですよ。
瀬戸川が流れている。
郡上八幡がそうだったけど、水があると、潤いがある。 当たり前か。
祭りに使う、起し太鼓が展示されていた。
この町には、古川祭りがある。 日本三大裸祭りの一つだそう。 4月19,20日に行われる。
※ 古川祭り 起し太鼓(YouTube)
飛騨の匠がいるためか、造りが繊細。 出窓も独特かな。
水がいいからか、酒屋さんが多かった。
三嶋和ろうそく店。
私は分からないが、連続テレビ小説「さくら」沼田家のモデルだという。
手を休めず、いつまでも楽しそうに説明してくれた。 話しかける隙間がなかった。
野麦峠に向かった。 高山を過ぎて、しばらく走ったら、山の中に入った。
国道361を走ってきたが、ここから県道39に入る。 場所はここ。
ここは、街道だったから、宿場があった。 時々このように、集落がある。
カーナビを見たら、目の前に、乗鞍岳があった。 3026の数字で分かった。
今日は見えないが。 ここから、10㌔くらいか。
昔の野麦街道があった。 車のタイヤの跡がなければ、もっといい。
クマに注意とあったので、深くは入らなかった。
野麦峠の説明があった。 分かりやすい。
谷は深くなってきた。 左の斜面に野麦街道はあった。 でも、下を見てもない。
後で知ったが、道は川の向こうの斜面に移っていた。
向こうの斜面も急なため、何人もの女工さんが落ちて死んだ。
下に落ちた子を、みんなの帯をつないで助けたこともあったという。
私は先日、熊野古道を歩いたが、女工さんたちが冬に歩くのに比べたら、散歩のようなもんだ。
ここが、野麦峠。 場所はここ。
新しいお助け小屋。 左に像が。
みねと辰次郎の像。 ※ 残念ながら、いい像ではない。
お助け小屋に入った。 お土産、食堂、宿泊の3つ。
少しだけ物を買って、展示してある写真などを、撮らせてもらった。
原作者が書いたもの。
こんな感じだったのかな。
天気がよかったら、乗鞍岳がこんな風に見える。
鮮明な写真があった。 こんな人たちが登場しているのだが、全員この写真にいるのかな。
大竹しのぶ 原田美枝子 友里千賀子 古手川祐子
野麦峠の館に行った。 映画に関する物は、少しだけだった。
女工さんたちは、こんな姿だった。
こんな絵が。
表情がいいなと、思った。
特に、左から2番目。 家族が待っていると思うからかな。
山本茂実という人は、女工さんだった人に聞いたとありますね。
聞き歩く中で、河合町角川にも行ったということですね。
館長さんが出てきて、あっちこっち連れて行って、説明してくれた。 ありがたかった。
野麦峠の碑。
写真の真ん中辺りに、昔の街道がある。 ここを下りていくと、岡谷の方に。
峠からは、ここを通って、高山に行った。
こんな感じ。
上の道の、左手の山の上に、展望台があった。 みねの碑。 書いてあるのは読めない。
向こうに行ったら、岡谷。
下の写真で、線の所に、野麦街道はあった。 下に来て、さっき歩いた道につながる。
また、昔のお助け小屋は、○の所に。 峠の頂上でなく、風の弱い、少し低い所にあった。
下の写真の、撮影場所を下りて行ったら、お助け小屋があった。
野麦峠の頂上について、みねが見た、飛騨の風景は、この風景。
映画のイメージとは少し違うが、これで間違いない。 このことは、館長さんも話した。
頂上に着いたら、そこは飛騨だ。 見えるもの全てが、みねにとっては、飛騨だった。
心の中にある、なつかしい故郷の風景も見えたかもしれない。
みねは、飛騨に帰れたと思って安心した。 そして、静かに息を引き取った。
岡谷の方に谷を下ると、こんな風景になる。
ダムから下を撮影。 道の駅 風穴の里は、右上に。 場所はここ。
いつかは来たいと思っていた野麦峠に、やっと来れた。
※ 江戸幕府が倒れて、時代は明治になっても、人々の生活は楽にならない。
こんどは、地主制度が出来上がってしまった。
どうしても、搾取しようとする人間があらわれる。
今の時代も、昔に似てきた。
安い賃金で人を働かせる仕組みが、広がってきた。
明日の動きが、むずかしいです。
乗鞍岳か、上高地。 どちらかです。
女工さんたちが、野麦峠から眺めた乗鞍岳に、本当は行きたい。
無理すると、危険。
明日の朝の天気で決めます。
【道の駅】 風穴の里
【明日の予定】 上に書いた通り。
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また、みねが見た風景は、昔のままあった。
古川にいたので、町並みを見た。

白壁の土蔵。 伝建地区に指定されていないが、いいですよ。

瀬戸川が流れている。
郡上八幡がそうだったけど、水があると、潤いがある。 当たり前か。

祭りに使う、起し太鼓が展示されていた。
この町には、古川祭りがある。 日本三大裸祭りの一つだそう。 4月19,20日に行われる。
※ 古川祭り 起し太鼓(YouTube)

飛騨の匠がいるためか、造りが繊細。 出窓も独特かな。

水がいいからか、酒屋さんが多かった。

三嶋和ろうそく店。
私は分からないが、連続テレビ小説「さくら」沼田家のモデルだという。
手を休めず、いつまでも楽しそうに説明してくれた。 話しかける隙間がなかった。

野麦峠に向かった。 高山を過ぎて、しばらく走ったら、山の中に入った。

国道361を走ってきたが、ここから県道39に入る。 場所はここ。

ここは、街道だったから、宿場があった。 時々このように、集落がある。

カーナビを見たら、目の前に、乗鞍岳があった。 3026の数字で分かった。
今日は見えないが。 ここから、10㌔くらいか。

昔の野麦街道があった。 車のタイヤの跡がなければ、もっといい。

クマに注意とあったので、深くは入らなかった。

野麦峠の説明があった。 分かりやすい。

谷は深くなってきた。 左の斜面に野麦街道はあった。 でも、下を見てもない。
後で知ったが、道は川の向こうの斜面に移っていた。
向こうの斜面も急なため、何人もの女工さんが落ちて死んだ。
下に落ちた子を、みんなの帯をつないで助けたこともあったという。

私は先日、熊野古道を歩いたが、女工さんたちが冬に歩くのに比べたら、散歩のようなもんだ。
ここが、野麦峠。 場所はここ。

新しいお助け小屋。 左に像が。

みねと辰次郎の像。 ※ 残念ながら、いい像ではない。

お助け小屋に入った。 お土産、食堂、宿泊の3つ。
少しだけ物を買って、展示してある写真などを、撮らせてもらった。
原作者が書いたもの。

こんな感じだったのかな。

天気がよかったら、乗鞍岳がこんな風に見える。

鮮明な写真があった。 こんな人たちが登場しているのだが、全員この写真にいるのかな。
大竹しのぶ 原田美枝子 友里千賀子 古手川祐子

野麦峠の館に行った。 映画に関する物は、少しだけだった。
女工さんたちは、こんな姿だった。

こんな絵が。

表情がいいなと、思った。
特に、左から2番目。 家族が待っていると思うからかな。

山本茂実という人は、女工さんだった人に聞いたとありますね。
聞き歩く中で、河合町角川にも行ったということですね。

館長さんが出てきて、あっちこっち連れて行って、説明してくれた。 ありがたかった。
野麦峠の碑。

写真の真ん中辺りに、昔の街道がある。 ここを下りていくと、岡谷の方に。

峠からは、ここを通って、高山に行った。

こんな感じ。

上の道の、左手の山の上に、展望台があった。 みねの碑。 書いてあるのは読めない。

向こうに行ったら、岡谷。

下の写真で、線の所に、野麦街道はあった。 下に来て、さっき歩いた道につながる。
また、昔のお助け小屋は、○の所に。 峠の頂上でなく、風の弱い、少し低い所にあった。

下の写真の、撮影場所を下りて行ったら、お助け小屋があった。
野麦峠の頂上について、みねが見た、飛騨の風景は、この風景。
映画のイメージとは少し違うが、これで間違いない。 このことは、館長さんも話した。
頂上に着いたら、そこは飛騨だ。 見えるもの全てが、みねにとっては、飛騨だった。
心の中にある、なつかしい故郷の風景も見えたかもしれない。
みねは、飛騨に帰れたと思って安心した。 そして、静かに息を引き取った。

岡谷の方に谷を下ると、こんな風景になる。

ダムから下を撮影。 道の駅 風穴の里は、右上に。 場所はここ。

いつかは来たいと思っていた野麦峠に、やっと来れた。
※ 江戸幕府が倒れて、時代は明治になっても、人々の生活は楽にならない。
こんどは、地主制度が出来上がってしまった。
どうしても、搾取しようとする人間があらわれる。
今の時代も、昔に似てきた。
安い賃金で人を働かせる仕組みが、広がってきた。
明日の動きが、むずかしいです。
乗鞍岳か、上高地。 どちらかです。
女工さんたちが、野麦峠から眺めた乗鞍岳に、本当は行きたい。
無理すると、危険。
明日の朝の天気で決めます。
【道の駅】 風穴の里
【明日の予定】 上に書いた通り。
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大竹しのぶが演じた、主人公 政井みねの故郷、河合町角川に行ってみた。
みねの墓に、手を合わせてきた。
みねの兄 辰次郎は、みねのために、2つの像を作った。
辰次郎の残りの人生は、みねを弔うものになった。
河合振興事務所のお世話になり、たくさんの資料を見せていただいた。
※ 写真の撮影と、まとまった資料をいただくことも。
河合町角川(かわいちょう つのかわ)は、高山から30㌔ほど北にある。
国道257を走った。 せせらぎ街道とよばれ、道がいい。
ここは、西ウレ峠。
分水嶺で、峠の向こうの水は、日本海に。 こっちは、太平洋に。 場所はここ。
峠を下りた時、運転に疲れて一休み。 横を見たら、仕事をしている人がいた。
15分ほど、お話しした。
猪が多くて困ると言った。 人間が囲いの中で生活していると。
鹿や、ニホンカモシカもいるそうだ。
カモシカは、特別天然記念物なので人間に攻撃されない。 だから、人がいても逃げないという。
政井みねの墓がある、専勝寺に向かった。 近くまで行ったが、駐車場が分からないので戻った。
公民館の駐車場に停めさせてもらった。 撮影場所は、ここ。 地図の左の方に専勝寺が見える。
向こうに、専勝寺がある。
2004年に合併するまでは、河合村。 中心はこの辺り。
向こうに行ったら、高山。 あっちから来た。
この道を歩いた。 雨はまだ降らない。
こんな標示が。 ここが、政井みねの生誕の地。 お寺は、少し行って右に曲がる。
ここが、専勝寺。 左の方から、上がってきた。
墓は、寺の裏にあると、調べて分かっていたので、右の山側に登った。
町並みが見えた。 でも、墓はなかった。 お寺で聞くことにした。
本堂の裏にあると教えてくれた。
考えてみたら、お寺の裏というのは、本堂の裏のことだ。
これが、政井みねの墓。 ※ 真ん中の小さい墓。
昭和6年に、兄の辰次郎がつくった。
※ 裏に書いてあった。 その場では読めなかったが、写真で読めた。
戻る時、何気なく全体を写した。
後で知るが、写真の中央に、木に隠れて親鸞の像がある。
兄の辰次郎が、妹のみねのために作ったものだった。
ルピナス。 自分は、ノボリフジと覚えていた。
林道なんか走っていて、この花が咲いていたら、昔そこに家があったと分かる。
図書館に行くことにした。
どこにあるか、この建物で聞いた。 河合振興事務所。
この建物の3階に、資料の展示室があると教えてくれた。 案内してくれた。
すべて、あゝ野麦峠に関わるもの。 これを見て、うれしくなってきた。
映画のポスター。 主演、大竹しのぶ。 兄の辰次郎役は、地井武男。
野麦峠で、飛騨を指差している。
この映画は、1979年。
この年、大竹しのぶは、第2回日本アカデミー賞で、最優秀主演女優賞・最優秀助演女優賞のダブル受賞で2冠を独占した。
原作を書いた、山本茂実。
この人がなぜ、政井みねを知ったかが、この資料室で、やっと分かった。 ※ これについては、後で。
ここ河合と岡谷、そして野麦峠の位置関係。 河合と岡谷の間は、150㌔。
辰次郎は、「ミネビョウキ スグヒキトレ」という工場からの電報を受取った後、2日間で、この距離を歩く。
夜も歩いて。 時速4㌔で、38時間かかる。
左端の人が、政井みね。 写真は、これしかないという。
こうです。 目鼻立ちが、はっきりしている。 美人として、評判だったという。
写真をもとに、ある人が描いたもの。 上の写真は、実際よりつぶれた感じ。
だから、こっちの方が、実物に近いのではないか。
この人が、晩年の、辰次郎。
辰次郎は、妹みねを亡くしてから、人が変わったように働いたという。
その目的は、供養のために、地蔵とかを作るためだった。
そして、二つ作った。
一つは、上の写真にあった親鸞聖人像。 もう一つは、後で行く、弘法大師像。
この二つによって、みねに対する、人々の記憶は消えなかった。
そうして、製糸工場の女工について調べていた、原作者の山本茂実の耳に入ることになる。
※ 山本茂実は、昔女工をしていた人に、聞き取り調査をした。
※ みねが百円工女と言われたことも、人々の記憶に残る理由になるが。
このように何かに書いてあったわけではないが、上のように私は思う。
映画「あゝ野麦峠」
この時、大竹しのぶ、22歳。
場所は分からない。 今私がいる古川がロケ現場になったから、ここかもしれない。
野麦峠は、飛騨と信濃を結ぶ、古くからの峠道。
明治のころ、何千、何万人ともいわれる製糸工女たちがこの峠を越えた。
この峠を通る時、北に乗鞍岳が見える。
乗鞍岳の北に、安房峠があり、そこに安房トンネルが出来た。 主要道路はそっちに移った。 野麦峠の今は、観光道路。
この町だから、撮影現場の写真が残っている。
明治の最盛期、輸出の60%は生糸だった。
大きな利益を生み出し、兵器などの軍備を賄った。 そして、明治の日本は軍事大国になっていく。
右の子は、原田美枝子。 この子も病気になった。
みねは病気になって、辰次郎が迎えに来た。
辰次郎は岡谷の病院を勧めたが、みねは、飛騨に戻りたいと言った。
野麦峠まで来た。
そこでの台詞(せりふ)。
撮影現場。 大竹しのぶは、ここに書いてあるような役者ですね。
振興事務所の方が、弘法大師像への道を、ていねいに教えてくれた。
お寺を過ぎて、さらに歩いた。
途中、ローズガーデンがあった。
橋の左の方に、小さく見えてきた。 場所はここ。
弘法大師像。 親鸞聖人像とこれを作る費用のため、辰次郎は夢中で働いた。
この谷の国道360を更に進むと、天生峠があり、それを越えたら白川郷。
この辺り一帯は、豪雪地帯。
この町に来て、なぜ、政井みねの人生が、野麦峠という映画になったかが、分かった。
荻昌弘という人の、あゝ野麦峠の解説がある。 これがいい。 映画を見る前と後のを、二つ載せます。
映画の前の解説 映画の後での解説
工場の男たちの女工に対する態度は、人間そのものを毒したと言っている。
それは、言い直せば、女工の人としての尊厳を、踏み蹴散らしていた、とも言える。
人間の尊厳を思う時、クラムスコイの描いた「忘れえぬ女」を思い出す。
※ 河合振興事務所には、お世話になりました。 感謝です。
【道の駅】 アルプ飛騨古川 ここです。
【明日の予定】 野麦峠を予定しているが、天気予報がよくない。
【今日の歌】 思いだして下さい(YouTube) テレビドラマ「あゝ野麦峠」の主題歌
奥飛騨・星の宿(YouTube) 安房トンネルが出てきます。 城之内早苗。 もう少し上手に歌ってほしい。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
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みねの墓に、手を合わせてきた。
みねの兄 辰次郎は、みねのために、2つの像を作った。
辰次郎の残りの人生は、みねを弔うものになった。
河合振興事務所のお世話になり、たくさんの資料を見せていただいた。
※ 写真の撮影と、まとまった資料をいただくことも。
河合町角川(かわいちょう つのかわ)は、高山から30㌔ほど北にある。
国道257を走った。 せせらぎ街道とよばれ、道がいい。
ここは、西ウレ峠。
分水嶺で、峠の向こうの水は、日本海に。 こっちは、太平洋に。 場所はここ。

峠を下りた時、運転に疲れて一休み。 横を見たら、仕事をしている人がいた。
15分ほど、お話しした。
猪が多くて困ると言った。 人間が囲いの中で生活していると。
鹿や、ニホンカモシカもいるそうだ。
カモシカは、特別天然記念物なので人間に攻撃されない。 だから、人がいても逃げないという。

政井みねの墓がある、専勝寺に向かった。 近くまで行ったが、駐車場が分からないので戻った。
公民館の駐車場に停めさせてもらった。 撮影場所は、ここ。 地図の左の方に専勝寺が見える。
向こうに、専勝寺がある。

2004年に合併するまでは、河合村。 中心はこの辺り。
向こうに行ったら、高山。 あっちから来た。

この道を歩いた。 雨はまだ降らない。

こんな標示が。 ここが、政井みねの生誕の地。 お寺は、少し行って右に曲がる。

ここが、専勝寺。 左の方から、上がってきた。
墓は、寺の裏にあると、調べて分かっていたので、右の山側に登った。

町並みが見えた。 でも、墓はなかった。 お寺で聞くことにした。

本堂の裏にあると教えてくれた。
考えてみたら、お寺の裏というのは、本堂の裏のことだ。

これが、政井みねの墓。 ※ 真ん中の小さい墓。
昭和6年に、兄の辰次郎がつくった。
※ 裏に書いてあった。 その場では読めなかったが、写真で読めた。

戻る時、何気なく全体を写した。
後で知るが、写真の中央に、木に隠れて親鸞の像がある。
兄の辰次郎が、妹のみねのために作ったものだった。

ルピナス。 自分は、ノボリフジと覚えていた。
林道なんか走っていて、この花が咲いていたら、昔そこに家があったと分かる。

図書館に行くことにした。
どこにあるか、この建物で聞いた。 河合振興事務所。
この建物の3階に、資料の展示室があると教えてくれた。 案内してくれた。

すべて、あゝ野麦峠に関わるもの。 これを見て、うれしくなってきた。

映画のポスター。 主演、大竹しのぶ。 兄の辰次郎役は、地井武男。
野麦峠で、飛騨を指差している。

この映画は、1979年。
この年、大竹しのぶは、第2回日本アカデミー賞で、最優秀主演女優賞・最優秀助演女優賞のダブル受賞で2冠を独占した。
原作を書いた、山本茂実。
この人がなぜ、政井みねを知ったかが、この資料室で、やっと分かった。 ※ これについては、後で。

ここ河合と岡谷、そして野麦峠の位置関係。 河合と岡谷の間は、150㌔。

辰次郎は、「ミネビョウキ スグヒキトレ」という工場からの電報を受取った後、2日間で、この距離を歩く。
夜も歩いて。 時速4㌔で、38時間かかる。
左端の人が、政井みね。 写真は、これしかないという。

こうです。 目鼻立ちが、はっきりしている。 美人として、評判だったという。

写真をもとに、ある人が描いたもの。 上の写真は、実際よりつぶれた感じ。
だから、こっちの方が、実物に近いのではないか。

この人が、晩年の、辰次郎。

辰次郎は、妹みねを亡くしてから、人が変わったように働いたという。
その目的は、供養のために、地蔵とかを作るためだった。
そして、二つ作った。
一つは、上の写真にあった親鸞聖人像。 もう一つは、後で行く、弘法大師像。
この二つによって、みねに対する、人々の記憶は消えなかった。
そうして、製糸工場の女工について調べていた、原作者の山本茂実の耳に入ることになる。
※ 山本茂実は、昔女工をしていた人に、聞き取り調査をした。
※ みねが百円工女と言われたことも、人々の記憶に残る理由になるが。
このように何かに書いてあったわけではないが、上のように私は思う。
映画「あゝ野麦峠」

この時、大竹しのぶ、22歳。

場所は分からない。 今私がいる古川がロケ現場になったから、ここかもしれない。

野麦峠は、飛騨と信濃を結ぶ、古くからの峠道。
明治のころ、何千、何万人ともいわれる製糸工女たちがこの峠を越えた。
この峠を通る時、北に乗鞍岳が見える。
乗鞍岳の北に、安房峠があり、そこに安房トンネルが出来た。 主要道路はそっちに移った。 野麦峠の今は、観光道路。

この町だから、撮影現場の写真が残っている。
明治の最盛期、輸出の60%は生糸だった。
大きな利益を生み出し、兵器などの軍備を賄った。 そして、明治の日本は軍事大国になっていく。

右の子は、原田美枝子。 この子も病気になった。

みねは病気になって、辰次郎が迎えに来た。
辰次郎は岡谷の病院を勧めたが、みねは、飛騨に戻りたいと言った。
野麦峠まで来た。


そこでの台詞(せりふ)。

撮影現場。 大竹しのぶは、ここに書いてあるような役者ですね。

振興事務所の方が、弘法大師像への道を、ていねいに教えてくれた。
お寺を過ぎて、さらに歩いた。

途中、ローズガーデンがあった。

橋の左の方に、小さく見えてきた。 場所はここ。


弘法大師像。 親鸞聖人像とこれを作る費用のため、辰次郎は夢中で働いた。

この谷の国道360を更に進むと、天生峠があり、それを越えたら白川郷。
この辺り一帯は、豪雪地帯。

この町に来て、なぜ、政井みねの人生が、野麦峠という映画になったかが、分かった。
荻昌弘という人の、あゝ野麦峠の解説がある。 これがいい。 映画を見る前と後のを、二つ載せます。
映画の前の解説 映画の後での解説
工場の男たちの女工に対する態度は、人間そのものを毒したと言っている。
それは、言い直せば、女工の人としての尊厳を、踏み蹴散らしていた、とも言える。
人間の尊厳を思う時、クラムスコイの描いた「忘れえぬ女」を思い出す。
※ 河合振興事務所には、お世話になりました。 感謝です。
【道の駅】 アルプ飛騨古川 ここです。
【明日の予定】 野麦峠を予定しているが、天気予報がよくない。
【今日の歌】 思いだして下さい(YouTube) テレビドラマ「あゝ野麦峠」の主題歌
奥飛騨・星の宿(YouTube) 安房トンネルが出てきます。 城之内早苗。 もう少し上手に歌ってほしい。
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郡上八幡は、水とおどり、そして多くの歴史を秘めた、魅力あふれる街だった。
郡上踊りを少しだけ、おぼえた。
郡上八幡、いい響きの名前だ。 でも、これは正式の地名ではない。
合併前は、この辺りは、郡上郡八幡町。
合併して郡上市になったが、一般的に、郡上八幡と呼ばれる。 この地図の中を歩く。
古い町並みを歩きだしたら、いきなりこの感じ。
長敬寺。 白虎隊と共に戦った、凌霜隊というのがあった。 それと関わりが深い。
古い街並みだが、伝建地区には認定されていない。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
地域全体が、「美しい日本の歴史的風土100選」。
郡上踊りの像。
ほんのりと、頬笑みがあるのかな。
小駄良川。 吉田川につながり、吉田川は、長良川に。
左側に、宗祇水がある。 湧水。 名水百選の第1号。
昔、ここの領主と宗祇が、この場所で歌を読み交わしている。 宗祇(Wikipedia)
吉田川。 向こうは上流。 小さく見える橋は、新橋。
新橋から、夏に、子供たちは川に飛び込む。
アユが釣れた。
やなか水のこみち。 いい感じ。
ここのように、今の時代のセンスを生かし、昔を上回る物を作るのがいい。
遠い将来、平成時代に作られたと、言われる。
郡上八幡を歩く時、水は持たなくていい。 どこででも飲める。
こんな町は他にあるかな。 ここは、水の城下町。
左京稲荷。 三不思議があった。
郡上八幡、旧庁舎記念館。 ここで休める。
上の建物に、下の絵があった。
袖で涙をふいた、ということですね。
新橋。 下は吉田川。 橋から、向こうへ飛び込む。
このように、飛び込む。 度胸がないとできない。 動画はここに。 その1。 その2。
上の写真の、右の方に見える穴は、こう。
いがわこみち。 魚がいっぱい。 鯉とアマゴ(?)かな。
えさをやったら、バチャッて、飛びついてくる。 女の子たちは、それを楽しんでいる。
折口信夫の歌碑。 大正8年の7月に大火があった。 8月に来た。
「焼け原の 町のもなかを行く水の せゝらぎ澄みて 秋近つけり」
郡上八幡博覧館。 ※ 車は、ここの駐車場に置いてあった。
博覧館の中には、この町の歴史など、多くの物の展示が。
これは、宝暦騒動。 宝暦4年(1754)から4年間。
郡上一揆(ぐじょういっき)とも呼ばれる。
この騒動の結果、老中はじめ 幕府指導者数人が免職、郡上藩主は国替となった。
このように、農民だけでなく、幕府、藩の大量処罰の例は他には無く、「唯一農民が勝った一揆」と呼ばれている。(Wikipediaより)
これは、食品サンプル。 ここは、その発祥地。
※ 他の地でも作り始めたが、郡上八幡は、規模とかが大きいようだ。(調べた)
郡上踊りを見ることが出来た。
この人が解説をしてくれた。 話し方が上手で、芝居の経験がある感じ。
33日間続く。 日本で一番長いお祭り。 踊りに参加する人の、延べ人数は、32万人。
踊りには、たくさんの種類があった。 ※ 詳しくはここに。
これは、猫の子、という踊り。 この人の、本領が発揮された感じ。 ※ 「春駒」の動画 ビデオは撮れないはず。許可を得たのかな。
お祭りで踊って上手な人は、こんな免許がもらえるそう。
夜風にゆれる 君が黒髪。 ああ ほんのりと頬そめて 郡上八幡 ときめきの夏。
ある年のポスター。
※ ほんの少しですが、この人は、上の人と同じ人かもしれないと思っている。
これも、ポスター。 いいですね。
こんな雰囲気。
雨が降っても、中止にはならない。
※ この人も、上の人でないかと、少し思っている。
郡山八幡城に向かった。
水をせき止めて、洗い物をしていた。 野菜の土落としとか
※ この町は、このような所に、排水は一切流さない。 教えてくれた。
こんな通り。
ここに住む人たちの、心意気。
山内一豊と妻の像。 千代の出身地は、いろんな説がある。
NHKの大河ドラマでは、近江の出身にした。(原作がそうだから)
ところが、調べてみたら、最近は郡上八幡が有力になっていた。 大丈夫のようだ。
この町にとっては、うれしいことですね。
お城が見えてきた。
現在の天守は、昭和に入って再建されたものだが、木造というところがいい。
およしという娘が、城の修理の時、人柱になった。
この人が、一豊の妻。
吉田川の上流かな。
ここも歩いた。 左に吉田川。 正面少し右に、博覧館。
ここを通って戻るが、こんな雰囲気が好き。
来た道をもどる。 駐車場へ。
道の駅、パスカル清見。 その裏を流れる川。 馬瀬川。 北に流れる。
郡上八幡は、退屈しない町だった。
まちがいなく、水とおどりの城下町だった。
いつか、郡上踊りの時期に来て、ときめきの夏を、感じてみたい。
そう思った。
【道の駅】 パスカル清見 ここです。
【今日の歌】 郡上踊り(YouTube) 代表的な、「かわさき」というのです。
北の岬(YouTube) 片方の方が、再生回数2000を越えました。 ほぼ10ヶ月かかった。
【明日の予定】 ああ野麦峠で、大竹しのぶが演じた、主人公みねの故郷へ行ってきます。
高山市の少し北にある、河合町角川です。 町並みを見られる、小さな町もある。
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郡上踊りを少しだけ、おぼえた。
郡上八幡、いい響きの名前だ。 でも、これは正式の地名ではない。
合併前は、この辺りは、郡上郡八幡町。
合併して郡上市になったが、一般的に、郡上八幡と呼ばれる。 この地図の中を歩く。
古い町並みを歩きだしたら、いきなりこの感じ。

長敬寺。 白虎隊と共に戦った、凌霜隊というのがあった。 それと関わりが深い。


古い街並みだが、伝建地区には認定されていない。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
地域全体が、「美しい日本の歴史的風土100選」。

郡上踊りの像。

ほんのりと、頬笑みがあるのかな。

小駄良川。 吉田川につながり、吉田川は、長良川に。

左側に、宗祇水がある。 湧水。 名水百選の第1号。
昔、ここの領主と宗祇が、この場所で歌を読み交わしている。 宗祇(Wikipedia)

吉田川。 向こうは上流。 小さく見える橋は、新橋。
新橋から、夏に、子供たちは川に飛び込む。

アユが釣れた。


やなか水のこみち。 いい感じ。
ここのように、今の時代のセンスを生かし、昔を上回る物を作るのがいい。
遠い将来、平成時代に作られたと、言われる。

郡上八幡を歩く時、水は持たなくていい。 どこででも飲める。
こんな町は他にあるかな。 ここは、水の城下町。

左京稲荷。 三不思議があった。

郡上八幡、旧庁舎記念館。 ここで休める。

上の建物に、下の絵があった。
袖で涙をふいた、ということですね。

新橋。 下は吉田川。 橋から、向こうへ飛び込む。

このように、飛び込む。 度胸がないとできない。 動画はここに。 その1。 その2。

上の写真の、右の方に見える穴は、こう。

いがわこみち。 魚がいっぱい。 鯉とアマゴ(?)かな。
えさをやったら、バチャッて、飛びついてくる。 女の子たちは、それを楽しんでいる。

折口信夫の歌碑。 大正8年の7月に大火があった。 8月に来た。
「焼け原の 町のもなかを行く水の せゝらぎ澄みて 秋近つけり」

郡上八幡博覧館。 ※ 車は、ここの駐車場に置いてあった。

博覧館の中には、この町の歴史など、多くの物の展示が。
これは、宝暦騒動。 宝暦4年(1754)から4年間。
郡上一揆(ぐじょういっき)とも呼ばれる。
この騒動の結果、老中はじめ 幕府指導者数人が免職、郡上藩主は国替となった。
このように、農民だけでなく、幕府、藩の大量処罰の例は他には無く、「唯一農民が勝った一揆」と呼ばれている。(Wikipediaより)

これは、食品サンプル。 ここは、その発祥地。
※ 他の地でも作り始めたが、郡上八幡は、規模とかが大きいようだ。(調べた)

郡上踊りを見ることが出来た。

この人が解説をしてくれた。 話し方が上手で、芝居の経験がある感じ。

33日間続く。 日本で一番長いお祭り。 踊りに参加する人の、延べ人数は、32万人。
踊りには、たくさんの種類があった。 ※ 詳しくはここに。

これは、猫の子、という踊り。 この人の、本領が発揮された感じ。 ※ 「春駒」の動画 ビデオは撮れないはず。許可を得たのかな。

お祭りで踊って上手な人は、こんな免許がもらえるそう。

夜風にゆれる 君が黒髪。 ああ ほんのりと頬そめて 郡上八幡 ときめきの夏。
ある年のポスター。
※ ほんの少しですが、この人は、上の人と同じ人かもしれないと思っている。

これも、ポスター。 いいですね。


こんな雰囲気。

雨が降っても、中止にはならない。
※ この人も、上の人でないかと、少し思っている。


郡山八幡城に向かった。
水をせき止めて、洗い物をしていた。 野菜の土落としとか
※ この町は、このような所に、排水は一切流さない。 教えてくれた。

こんな通り。

ここに住む人たちの、心意気。

山内一豊と妻の像。 千代の出身地は、いろんな説がある。
NHKの大河ドラマでは、近江の出身にした。(原作がそうだから)
ところが、調べてみたら、最近は郡上八幡が有力になっていた。 大丈夫のようだ。
この町にとっては、うれしいことですね。

お城が見えてきた。


現在の天守は、昭和に入って再建されたものだが、木造というところがいい。




およしという娘が、城の修理の時、人柱になった。


この人が、一豊の妻。

吉田川の上流かな。

ここも歩いた。 左に吉田川。 正面少し右に、博覧館。

ここを通って戻るが、こんな雰囲気が好き。

来た道をもどる。 駐車場へ。

道の駅、パスカル清見。 その裏を流れる川。 馬瀬川。 北に流れる。

郡上八幡は、退屈しない町だった。
まちがいなく、水とおどりの城下町だった。
いつか、郡上踊りの時期に来て、ときめきの夏を、感じてみたい。
そう思った。
【道の駅】 パスカル清見 ここです。
【今日の歌】 郡上踊り(YouTube) 代表的な、「かわさき」というのです。
北の岬(YouTube) 片方の方が、再生回数2000を越えました。 ほぼ10ヶ月かかった。
【明日の予定】 ああ野麦峠で、大竹しのぶが演じた、主人公みねの故郷へ行ってきます。
高山市の少し北にある、河合町角川です。 町並みを見られる、小さな町もある。
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朝から晴れた。
雨が続いて、やっと天気の有難さが分かった。
道の駅の案内所で地図をいただき、市の中心部に向かった。
勧めて頂いた道は、昨日歩いた道だった。
昨日のブログの、お姫の井戸。 岩に穴があいている。
川は濁ってても、井戸は、濁ってない。
雨水なのかな。
もしもですよ、もし、水が湧いていたらすごい。
さらに、温泉だったら、世界遺産。 伝説はありますから。
つまり、つぼ湯と同じになる。 関連ブログ つぼ湯
こんな道を。 途中で会った畑の人が、昨日の白いユリは、テッポウユリだと、教えてくれた。
中心部の少し手前。 こんなのが、感じいい。 このおばあちゃんとも、しばらくお話し。 右端に。
中心部に入った時、美濃和紙あかりアート館、があった。
紙は、字を書いたり、本を作ったり、折り紙に使う物だと思っていた。
和紙と光の、コラボレーションだ。
色や形だけでも美しいが、そこに光が加わると、別の次元に感じますね。
どうやって作ったかは、分からない。
こういう物をつくる専門家はいますね。
ホテルのロビーや、デパートの大きな空間を、これの大きなものでデザインする。
見たことありますよ。
ここは、和紙その物の展示。
鳥でしょうか。
お土産屋さんにも、灯りにかぶせるものが、多く売っていた。
紙を作る職人がいて、デザインのプロがいるのか。 一人で、両方かもしれない。
町並みは、こうです。 重要伝統的建造物群保存地区。 略して、伝建地区。
○の所が、うだつ。 火事の時、横の火が、前に回り込むのを防いでいる。
※ 横は土壁だが、前は、燃えやすい。
うだつが立派だと、一人前だとか、力があるだとか、評価された。
そのため、火事に関係なく、一目立派なものが作られるようになった。
「うだつがあがる」という表現は、ここから来た。
今井家住宅。 資料館になっていた。
和紙問屋だった。
水琴窟があった。 地中の甕の中に、1滴の水が落ちて、音を出す。
いい音が出ていた。 ポチョンではなく、カッキーンとキーンの、中間くらい。
つまり、ッキーン、の感じ。
仕組み。
昨日のブログに書いた、流しにわか。 流しにわか(YouTube)
紙をつくる工程。
この町並みに、何か問題があるのかと言えば、ある。
今風の看板や建物が、混ざっている。
うだつの横に、祠がある。
四国の脇町との違いは、上に書いた部分。
美濃市は、この町並みの重要さに気付くのに、10年遅れた。 ※ 関連ブログ 脇町のうだつの町並み
気付くのが遅れたと言っても、美濃市には強みがある。
美濃和紙とうだつの町並みをセットで売り出すことが出来る。 このことは、とても大きなこと。
今風の家を建て直す時が来たら、その時は、昔の感じで建てる。
小倉城跡の、小倉公園に向かった。 山の上。
頂上には、城の形をした展望台。
北方面。 新美濃橋が見える。 少し手前に、見えないが道の駅。
川の下流。
中央部に、うだつの家並みがある。
道の駅、美並に来た。
7~8㌔上流に来ただけで、長良川の流れは、速くなった。
雨の時期、アジサイは、元気いっぱい。
美濃市は、野口五郎の出身地だった。
北アルプスの山を調べていたら、野口五郎岳があった。
乗鞍岳と御嶽に登りたいが、天気予報がよくない。
両方とも、3000㍍を越えている。 魅力的。
※ 一人なので、なるべく、土日に登りたい。
※ 1日で戻って来れる山は、そんなにない。
【道の駅】 美並 ここです。
※ 郡上市美並町は、円空の生誕地と言われている。
ただ、他に、同じ岐阜県の羽島市も、生誕地と言っている。
美並町のふるさと館に、円空仏が90体展示されている。
もし撮影できるなら、行って来る。
【明日の予定】 郡上八幡 きっと美しい街。 明日の天気は大丈夫。
【今日の歌】 博多みれん(YouTube) 野口五郎のデビュー曲
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雨が続いて、やっと天気の有難さが分かった。
道の駅の案内所で地図をいただき、市の中心部に向かった。
勧めて頂いた道は、昨日歩いた道だった。
昨日のブログの、お姫の井戸。 岩に穴があいている。
川は濁ってても、井戸は、濁ってない。
雨水なのかな。
もしもですよ、もし、水が湧いていたらすごい。
さらに、温泉だったら、世界遺産。 伝説はありますから。
つまり、つぼ湯と同じになる。 関連ブログ つぼ湯

こんな道を。 途中で会った畑の人が、昨日の白いユリは、テッポウユリだと、教えてくれた。

中心部の少し手前。 こんなのが、感じいい。 このおばあちゃんとも、しばらくお話し。 右端に。

中心部に入った時、美濃和紙あかりアート館、があった。

紙は、字を書いたり、本を作ったり、折り紙に使う物だと思っていた。

和紙と光の、コラボレーションだ。


色や形だけでも美しいが、そこに光が加わると、別の次元に感じますね。

どうやって作ったかは、分からない。


こういう物をつくる専門家はいますね。
ホテルのロビーや、デパートの大きな空間を、これの大きなものでデザインする。
見たことありますよ。

ここは、和紙その物の展示。


鳥でしょうか。

お土産屋さんにも、灯りにかぶせるものが、多く売っていた。


紙を作る職人がいて、デザインのプロがいるのか。 一人で、両方かもしれない。

町並みは、こうです。 重要伝統的建造物群保存地区。 略して、伝建地区。

○の所が、うだつ。 火事の時、横の火が、前に回り込むのを防いでいる。
※ 横は土壁だが、前は、燃えやすい。
うだつが立派だと、一人前だとか、力があるだとか、評価された。
そのため、火事に関係なく、一目立派なものが作られるようになった。
「うだつがあがる」という表現は、ここから来た。

今井家住宅。 資料館になっていた。

和紙問屋だった。


水琴窟があった。 地中の甕の中に、1滴の水が落ちて、音を出す。
いい音が出ていた。 ポチョンではなく、カッキーンとキーンの、中間くらい。
つまり、ッキーン、の感じ。

仕組み。

昨日のブログに書いた、流しにわか。 流しにわか(YouTube)

紙をつくる工程。

この町並みに、何か問題があるのかと言えば、ある。
今風の看板や建物が、混ざっている。

うだつの横に、祠がある。




四国の脇町との違いは、上に書いた部分。
美濃市は、この町並みの重要さに気付くのに、10年遅れた。 ※ 関連ブログ 脇町のうだつの町並み



気付くのが遅れたと言っても、美濃市には強みがある。
美濃和紙とうだつの町並みをセットで売り出すことが出来る。 このことは、とても大きなこと。
今風の家を建て直す時が来たら、その時は、昔の感じで建てる。
小倉城跡の、小倉公園に向かった。 山の上。

頂上には、城の形をした展望台。

北方面。 新美濃橋が見える。 少し手前に、見えないが道の駅。

川の下流。

中央部に、うだつの家並みがある。

道の駅、美並に来た。

7~8㌔上流に来ただけで、長良川の流れは、速くなった。

雨の時期、アジサイは、元気いっぱい。

美濃市は、野口五郎の出身地だった。
北アルプスの山を調べていたら、野口五郎岳があった。
乗鞍岳と御嶽に登りたいが、天気予報がよくない。
両方とも、3000㍍を越えている。 魅力的。
※ 一人なので、なるべく、土日に登りたい。
※ 1日で戻って来れる山は、そんなにない。
【道の駅】 美並 ここです。
※ 郡上市美並町は、円空の生誕地と言われている。
ただ、他に、同じ岐阜県の羽島市も、生誕地と言っている。
美並町のふるさと館に、円空仏が90体展示されている。
もし撮影できるなら、行って来る。
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1日いっぱい雨。 夕方から、強くなる。
これが、梅雨。 たいへんだ。
十分な見学は出来ないから、移動することにした。
朝、今後の大きなコースが決まった。
郡上八幡、高山と行って、野麦峠を越える。
岡谷からは、高遠の由布姫の墓に寄って、富士山に向かう。
山に登り、鎌倉・横須賀を通って、房総半島(千葉県)に渡る。
九十九里浜に行く。 その後は、茨城県に。
行きたい所は、他にもあるが、今回は、こんな感じで北上。
(秩父の山の中の、むつばあちゃんの所が気になる)
ということで、美濃市まで来た。 郡上八幡の手前。
四日市を通っている。
たくさんの大きな煙突から、煙が出ていた。
風がないから、空気はよくない。
新幹線の列車が通った。 すぐにカメラを持ったが、尻尾しか撮れなかった。
信号で停車している。 左に曲がったら、岐阜駅。
3時40分に、道の駅 美濃にわか茶屋、についた。
※ 途中、王将で食事。 中華飯を食べた。 王将は、安くて美味しい。
少し前から、この雨。 場所はここ。
道の駅の前。 国道156。 向こうに行ったら、高山、郡上とある。
道の駅の、名前が変わっている。 道の駅のホームページに、こうあった。
「にわか」とはユーモアたっぷりに物語を展開し、最後に落ちがつく即興寸劇のこと。
江戸時代に流行したこの「にわか」が紙商人によって美濃の地に伝えられました。
特に、美濃にわかは、お囃子を演奏しながら町の辻つじで上演して歩くので
「流しにわか」と呼ばれ、今では、「美濃まつり」の夜に演じられます
「茶屋」は、江戸時代から旅の休憩場所を、そう呼んでいた。
※ 流しにわか(YouTube) 今年の春のものです。
下のように、道の駅では、長良川の魚を飼っていた。
ナマズ。
ヨシノボリ。 お腹に吸盤がある。(ヒレが変化した) だから、滝でも登れる。
※ 漢字で、葦登り、と書く。 でも、葦(よし)は、登らないそう。
アジメドジョウ。
この魚の口は、頭の下の方にある。 吸盤状になっている。 その口で石に吸い付くように伝い泳ぎができる。
アユ。 6月から解禁だそう。
先日のブログに出てきた、アマゴ。 サケの仲間だから、美味しい。
※ 海の降りないサツキマスを、アマゴと言う。 サクラマスの場合は、ヤマメ(ヤマベ)
アマゴには、赤い斑点がある。 北海道には、いない。
ウシモツゴと言う、珍しい魚。 (ここでは、ふ化に成功したようだ)
この魚は、絶滅危惧種の、1A類。 一番危険なランク。 イリオモテヤマネコや、ヤンバルクイナが、ここに。
道の駅に地図は無い。 長良川がそばを流れているので、そっちに行ってみた。
これが、清流長良川。 三大清流の一つ。 他は、四万十川と柿田川(静岡県)。 ※ 関連ブログ 清流四万十川
吊橋が見えたので、向かった。
橋は、こんな風に。
お姫の井戸、という伝説があった。 その井戸は、上の写真の○に。
こんなお話し。 何があって、この話が生まれたのかな。
橋から飛び込まないでと、標示があった。 ということは、飛び込む人がいるんだ。
この辺りは中流域だが、大河の様相があって、橋の下は深い。
橋の名前は、美濃橋。 大正5年に出来た。 このような橋では、一番古いようだ。 ※ かずら橋とかは別にして。
老朽化しているので、20人以上は載らないでとあった。
長良川。 このような大きな川で、本流にダムがないのは、この川だけ。 河口には、堰が出来てしまった。
※ ダムについては、新たに作られる時、必要かどうかちゃんと話し合われるようになった。
大きな進歩かな。 見えない力が決めることはなくなった。
釣りをしている人がいる。 この雨の中で。
「何が面白くて・・」なんて言ったら、「あんたにだけは・・・」と言われそう。
伝説の説明は、向こうにあった。
何気なくここにやってきたが、美濃市では、見所の一つだった。
※ この地方の情報誌は、持っていなかった。 必要。
戻って来て、撮影。 この橋の、右側上流に、新美濃橋がある。
雨が強いので、ひざから下は、濡れた。
戻る時に、見つけた。 朝顔でいいかな。
向こう向きにも咲いたら、完璧。
雨は、いつまでも止まない。
美濃市は、美濃和紙の産地として有名なんですね。
こうやって売られてるのもある。 タオル見たい。

四国の脇町で、「うだつ」の町並みを見た。 あの時、本州にもう1カ所あると知った。
その1カ所が、ここ美濃市だった。
雨がそれなりなら、明日見てこようと思う。
※ 今後のコースの野麦峠は、昔、映画がありましたね。
大竹しのぶ、原田美枝子が出演した。 忘れられない。
【水戸の駅】 美濃にわか茶屋
【今日の歌】 青春のたまり場(YouTube) あさみちゆき 隠れた名曲。 サビのところが、特に好き。 四万十川のブログに載せていた。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
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これが、梅雨。 たいへんだ。
十分な見学は出来ないから、移動することにした。
朝、今後の大きなコースが決まった。
郡上八幡、高山と行って、野麦峠を越える。
岡谷からは、高遠の由布姫の墓に寄って、富士山に向かう。
山に登り、鎌倉・横須賀を通って、房総半島(千葉県)に渡る。
九十九里浜に行く。 その後は、茨城県に。
行きたい所は、他にもあるが、今回は、こんな感じで北上。
(秩父の山の中の、むつばあちゃんの所が気になる)
ということで、美濃市まで来た。 郡上八幡の手前。
四日市を通っている。
たくさんの大きな煙突から、煙が出ていた。
風がないから、空気はよくない。

新幹線の列車が通った。 すぐにカメラを持ったが、尻尾しか撮れなかった。

信号で停車している。 左に曲がったら、岐阜駅。

3時40分に、道の駅 美濃にわか茶屋、についた。
※ 途中、王将で食事。 中華飯を食べた。 王将は、安くて美味しい。
少し前から、この雨。 場所はここ。

道の駅の前。 国道156。 向こうに行ったら、高山、郡上とある。

道の駅の、名前が変わっている。 道の駅のホームページに、こうあった。
「にわか」とはユーモアたっぷりに物語を展開し、最後に落ちがつく即興寸劇のこと。
江戸時代に流行したこの「にわか」が紙商人によって美濃の地に伝えられました。
特に、美濃にわかは、お囃子を演奏しながら町の辻つじで上演して歩くので
「流しにわか」と呼ばれ、今では、「美濃まつり」の夜に演じられます
「茶屋」は、江戸時代から旅の休憩場所を、そう呼んでいた。
※ 流しにわか(YouTube) 今年の春のものです。
下のように、道の駅では、長良川の魚を飼っていた。

ナマズ。

ヨシノボリ。 お腹に吸盤がある。(ヒレが変化した) だから、滝でも登れる。
※ 漢字で、葦登り、と書く。 でも、葦(よし)は、登らないそう。

アジメドジョウ。
この魚の口は、頭の下の方にある。 吸盤状になっている。 その口で石に吸い付くように伝い泳ぎができる。


アユ。 6月から解禁だそう。

先日のブログに出てきた、アマゴ。 サケの仲間だから、美味しい。
※ 海の降りないサツキマスを、アマゴと言う。 サクラマスの場合は、ヤマメ(ヤマベ)
アマゴには、赤い斑点がある。 北海道には、いない。

ウシモツゴと言う、珍しい魚。 (ここでは、ふ化に成功したようだ)
この魚は、絶滅危惧種の、1A類。 一番危険なランク。 イリオモテヤマネコや、ヤンバルクイナが、ここに。

道の駅に地図は無い。 長良川がそばを流れているので、そっちに行ってみた。
これが、清流長良川。 三大清流の一つ。 他は、四万十川と柿田川(静岡県)。 ※ 関連ブログ 清流四万十川

吊橋が見えたので、向かった。

橋は、こんな風に。

お姫の井戸、という伝説があった。 その井戸は、上の写真の○に。

こんなお話し。 何があって、この話が生まれたのかな。


橋から飛び込まないでと、標示があった。 ということは、飛び込む人がいるんだ。
この辺りは中流域だが、大河の様相があって、橋の下は深い。
橋の名前は、美濃橋。 大正5年に出来た。 このような橋では、一番古いようだ。 ※ かずら橋とかは別にして。

老朽化しているので、20人以上は載らないでとあった。

長良川。 このような大きな川で、本流にダムがないのは、この川だけ。 河口には、堰が出来てしまった。
※ ダムについては、新たに作られる時、必要かどうかちゃんと話し合われるようになった。
大きな進歩かな。 見えない力が決めることはなくなった。

釣りをしている人がいる。 この雨の中で。
「何が面白くて・・」なんて言ったら、「あんたにだけは・・・」と言われそう。

伝説の説明は、向こうにあった。
何気なくここにやってきたが、美濃市では、見所の一つだった。
※ この地方の情報誌は、持っていなかった。 必要。

戻って来て、撮影。 この橋の、右側上流に、新美濃橋がある。

雨が強いので、ひざから下は、濡れた。
戻る時に、見つけた。 朝顔でいいかな。

向こう向きにも咲いたら、完璧。

雨は、いつまでも止まない。

美濃市は、美濃和紙の産地として有名なんですね。
こうやって売られてるのもある。 タオル見たい。

四国の脇町で、「うだつ」の町並みを見た。 あの時、本州にもう1カ所あると知った。
その1カ所が、ここ美濃市だった。
雨がそれなりなら、明日見てこようと思う。
※ 今後のコースの野麦峠は、昔、映画がありましたね。
大竹しのぶ、原田美枝子が出演した。 忘れられない。
【水戸の駅】 美濃にわか茶屋
【今日の歌】 青春のたまり場(YouTube) あさみちゆき 隠れた名曲。 サビのところが、特に好き。 四万十川のブログに載せていた。
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道の駅「茶倉駅」は、茶畑と豊かな自然に囲まれていた。
霧雨の中、散策したてみた。
また、近くには、石垣の美しい棚田があった。
山の上の方から作られたという。 少し不思議。
※ サッカーは、11時頃からでしょうか。 いよいよですね。
梅雨の時期だからか、天気が良くない。 先の予報もよくない。
去年は、これが梅雨なのか、と思うくらいだったのだが。
北海道に早く行って、9月初めの、八尾の風の盆に間に合うように、戻ってくるか。
今後の天気次第では、北上のピッチが速まるかもしれない。
紀伊半島の山は、高くはないが、混んでいる。
隙間なくあるから、道が狭い。 海から少し離れたら、すぐ山の中。
道の駅 茶倉駅。 場所はここ。
ここは、飯南茶の産地。(広く、伊勢茶でもある)
また、CHAKURA(チャクラ)は、サンスクリット語で輪の意味だそう。
ふれあいの輪が広まるようにとの、願いを込めて、駅名を茶倉駅とした。
丘に登ったり、谷に下りたり、散策路があった。
見える川は、櫛田川。 向こうが上流。 見晴らし台から。
※ こんなニュースが入ってます。 プールで事故。 意識不明の重体。 学校の発表はこう。
「プールで児童がおぼれた」と119番をした。
女児は25メートルを泳ぎ切った後、プール内を歩いている間に急に倒れた。
矛盾していますね。 新しい事実が、きっと出てくる。
茶畑が多い。
伊勢地方は、加工用原料茶(アイスクリームなどに使用)の生産が、全国第1位のシェアだそう。 82%。
見晴らし台から降りたら、吊橋があった。 茶倉橋。
堰堤(えんてい)。
ここのは、いいですよ。 魚道がある。
真ん中の、滑り台のようなのも、そうかな。
左のが、はっきり、魚道ですね。 魚がここを登る。 階段状になっていて、少し登ったら、魚は休める。
魚道の設置基準というのは、ちょっと、ひどいんですよ。
(魚道)第35条の2 ※ 河川の管理に関わる政令。
「床止めを設ける場合において、魚類の遡上等を妨げないようにするため必要があるときは、
国土交通省令で定めるところにより、魚道を設けるものとする」
これは、平成9年に出来た。
それ以降の物に適用で、それ以前のには、適用されない。
古いものには、魚道を作らなくてもいい、ということ。
魚にとっての幸せは、どこまでも川を上ったり、海が見たかったら、海まで行けること。
つまり、旅ができることかな。 放浪でなくてもいいから。
吊橋は、大きくても小さくても、楽しい。
リバーサイド茶倉。 自然と親しむための施設。
道の駅は、山の上。
櫛田川。 向こうに流れている。
何が珍しいかって、川の底が、ずっと一つの岩。 山口県の、長門峡の川もそうだった。 たまにある。
茶畑。
道の駅。
深野のだんだん田に来た。
棚田の見事な方へ、駐車場から歩いた。
雨は、小雨か、小ぬか雨の感じ。 花は、いきいき。
ここの棚田は、白猪山(しらいさん)の山の中腹にある。 ※ 白猪山・・819㍍。 場所はここ。
石垣が目立つ。
遠くは、石垣しか見えない。
お城の石垣のようですよ。 素人が作ったようには、見えない。
ここの山は、きっと、石だらけなんでしょうね。 山の下から、こんなにたくさん運べない。
畑から出た石を、石垣に使うと、一石二鳥。
説明に、こうあった。
石垣の段数・・・約120段
石垣の総延長・・約120㎞
石の数・・・・・約300万個
室町時代、この辺りは、北畠氏が治めていた。
ここ白猪山の頂上近くの西に、のろし場があったという。
そこには、見張りのために、侍がいた。
侍の食糧確保に、棚田が作られた。
山の上の人間に必要な米だったので、棚田は、山の上の方から順に作られた。
上の方まで、ずっとあった。
家も、石垣の上。
松坂牛を飼って、糞を肥料に、わらを餌に。 循環している。
石垣がいいですね。
道の端に、花が。 広い道ではない。 でも、車も人も、決して踏まない。
いいですね。
石垣に木が。 石垣が、先でしょうね。
※ 11時38分、日本に1点が入った。 貴重な先制点。 前半あと少し。
棚田全体の雰囲気が、よかったですね。 ちゃんと整備されている。
それは、計画的に、されていた。 こんな標示。
駐車場に戻ってきた。
伊勢は、この次。 道の駅、関宿に向かった。
途中に、松浦武四郎記念館があった。 寄らなかったが。
この人が、北海道の名前を考えた。
※ 前半、1-0で終了。
深野のだんだん田は、観光地ではなかったが、高いレベルの棚田に感じた。
棚田を後世に残す意義、そこを明確にするのが大事なんですね。
私の頭の中では、整理が出来ていない。
ここは、棚田だけでなく、牛も飼ってるからいいのか。
棚田だけでは苦しいから、もう一つ何かが必要なのかな。
少し見えてきた。
今日は、道の駅も、棚田も、よかったですね。
※ 日本勝ちましたね。 1-0。 12時52分。 おめでとう。
【道の駅】 関宿 ここです。
【明日の予定】 今後の大きなコースを、検討中です。
【今日の歌】 リバーサイドホテル(YouTube) リバーサイド茶倉が出てきたので。
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霧雨の中、散策したてみた。
また、近くには、石垣の美しい棚田があった。
山の上の方から作られたという。 少し不思議。
※ サッカーは、11時頃からでしょうか。 いよいよですね。
梅雨の時期だからか、天気が良くない。 先の予報もよくない。
去年は、これが梅雨なのか、と思うくらいだったのだが。
北海道に早く行って、9月初めの、八尾の風の盆に間に合うように、戻ってくるか。
今後の天気次第では、北上のピッチが速まるかもしれない。
紀伊半島の山は、高くはないが、混んでいる。
隙間なくあるから、道が狭い。 海から少し離れたら、すぐ山の中。
道の駅 茶倉駅。 場所はここ。

ここは、飯南茶の産地。(広く、伊勢茶でもある)
また、CHAKURA(チャクラ)は、サンスクリット語で輪の意味だそう。
ふれあいの輪が広まるようにとの、願いを込めて、駅名を茶倉駅とした。
丘に登ったり、谷に下りたり、散策路があった。
見える川は、櫛田川。 向こうが上流。 見晴らし台から。

※ こんなニュースが入ってます。 プールで事故。 意識不明の重体。 学校の発表はこう。
「プールで児童がおぼれた」と119番をした。
女児は25メートルを泳ぎ切った後、プール内を歩いている間に急に倒れた。
矛盾していますね。 新しい事実が、きっと出てくる。
茶畑が多い。
伊勢地方は、加工用原料茶(アイスクリームなどに使用)の生産が、全国第1位のシェアだそう。 82%。

見晴らし台から降りたら、吊橋があった。 茶倉橋。

堰堤(えんてい)。
ここのは、いいですよ。 魚道がある。
真ん中の、滑り台のようなのも、そうかな。
左のが、はっきり、魚道ですね。 魚がここを登る。 階段状になっていて、少し登ったら、魚は休める。

魚道の設置基準というのは、ちょっと、ひどいんですよ。
(魚道)第35条の2 ※ 河川の管理に関わる政令。
「床止めを設ける場合において、魚類の遡上等を妨げないようにするため必要があるときは、
国土交通省令で定めるところにより、魚道を設けるものとする」
これは、平成9年に出来た。
それ以降の物に適用で、それ以前のには、適用されない。
古いものには、魚道を作らなくてもいい、ということ。
魚にとっての幸せは、どこまでも川を上ったり、海が見たかったら、海まで行けること。
つまり、旅ができることかな。 放浪でなくてもいいから。
吊橋は、大きくても小さくても、楽しい。

リバーサイド茶倉。 自然と親しむための施設。

道の駅は、山の上。

櫛田川。 向こうに流れている。
何が珍しいかって、川の底が、ずっと一つの岩。 山口県の、長門峡の川もそうだった。 たまにある。

茶畑。

道の駅。

深野のだんだん田に来た。

棚田の見事な方へ、駐車場から歩いた。


雨は、小雨か、小ぬか雨の感じ。 花は、いきいき。

ここの棚田は、白猪山(しらいさん)の山の中腹にある。 ※ 白猪山・・819㍍。 場所はここ。

石垣が目立つ。

遠くは、石垣しか見えない。

お城の石垣のようですよ。 素人が作ったようには、見えない。

ここの山は、きっと、石だらけなんでしょうね。 山の下から、こんなにたくさん運べない。
畑から出た石を、石垣に使うと、一石二鳥。

説明に、こうあった。
石垣の段数・・・約120段
石垣の総延長・・約120㎞
石の数・・・・・約300万個

室町時代、この辺りは、北畠氏が治めていた。
ここ白猪山の頂上近くの西に、のろし場があったという。
そこには、見張りのために、侍がいた。
侍の食糧確保に、棚田が作られた。
山の上の人間に必要な米だったので、棚田は、山の上の方から順に作られた。
上の方まで、ずっとあった。

家も、石垣の上。

松坂牛を飼って、糞を肥料に、わらを餌に。 循環している。
石垣がいいですね。

道の端に、花が。 広い道ではない。 でも、車も人も、決して踏まない。

いいですね。

石垣に木が。 石垣が、先でしょうね。

※ 11時38分、日本に1点が入った。 貴重な先制点。 前半あと少し。
棚田全体の雰囲気が、よかったですね。 ちゃんと整備されている。
それは、計画的に、されていた。 こんな標示。

駐車場に戻ってきた。

伊勢は、この次。 道の駅、関宿に向かった。
途中に、松浦武四郎記念館があった。 寄らなかったが。
この人が、北海道の名前を考えた。

※ 前半、1-0で終了。
深野のだんだん田は、観光地ではなかったが、高いレベルの棚田に感じた。
棚田を後世に残す意義、そこを明確にするのが大事なんですね。
私の頭の中では、整理が出来ていない。
ここは、棚田だけでなく、牛も飼ってるからいいのか。
棚田だけでは苦しいから、もう一つ何かが必要なのかな。
少し見えてきた。
今日は、道の駅も、棚田も、よかったですね。
※ 日本勝ちましたね。 1-0。 12時52分。 おめでとう。
【道の駅】 関宿 ここです。
【明日の予定】 今後の大きなコースを、検討中です。
【今日の歌】 リバーサイドホテル(YouTube) リバーサイド茶倉が出てきたので。
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頂上である、日出ヶ岳に着いた頃、雨と風は強くなってきた。
大台ケ原山を1周するコースを歩きだしたが、正木峠で引き返した。
写真を撮れる状況ではなくなってきた。
雨が降ったら、遠くが見えない。 風景も花も、写真にちゃんと撮れない。
山は、天気のいい日に行かないと、楽しみが少ない。
でも、大台ケ原山は、雨の似合う山だから、仕方ないかな。
5時に起きた。 雨は降っていない。 でも、午前中の降水確率は、70%。
すぐに、大台ケ原の駐車場に向かった。
持ち物の準備や、入山手続きをしてたら、6時半になった。
ビジターセンターの玄関が開いており、そこに入山手続きの用紙があった。
そこに、人を探すポスターがあった。
この大台ケ原山に入山して、戻ってない人が3人いるという。
先日のニュースで、去年の山での遭難者は2085人で、死者・行方不明者は317人とあった。
遭難者の43%は、道に迷ったのが原因。
※ このことについて少しだけ。 どんな時に、道に迷うか。
分岐点で、別な道に行く。 途中で間違いに気付き戻る。 戻る時に、再度道を間違う。
こうなったら、もう戻れない。
また、山には、岩や石だらけで、道がはっきりしない場所がある。 こんな所でも、迷いやすい。
去年の夏に、山に登ると決めた時、最初に買ったものが、山用のナビだった。
高いものだったが、迷わなかった。
全国の山の、登山道が記録されており、自分が登山道のどこにいるかが表示される。
出発は、6時40分。 雨は、小雨が降ったりやんだり。
熊に注意の案内があった。 撃退スプレーを、リュックから出して、左のポケットに入れた。
持った食べ物は、おにぎり4つと、ソーセージ。 他に、カロリーメイトとキャラメル。
※ おにぎりなどは、昨日買って冷蔵庫に。 全部梅。 傷みにくいので。
※ ソーセージには、宮崎産黒豚と書いてあった。 今、たいへんだ。
7時頃。 雨は止んだ。 傘は閉じてリュックに引っかけている。
このように笹が生えている。 見通しがいい。
熊や鹿など、動物がいないか、探しながら歩いた。
もし熊を発見したら、すぐに撃退スプレーのストッパーを外す。 そうして、写真を撮る。 そう決めている。
まだ、出会ったことはない。 ※ 関連ブログ。 熊がデントコーンを食べた跡
大台ケ原山(おおだいがはらざん)について、日本百名山を書いた深田久弥は、こう言っている。
大台ケ原は昔、大平と呼ばれた。それが大平原となり、大台ケ原と変わった。
それにさらにご丁寧に「山」を付けて、現在では大台ケ原山と呼ばれている。
昔の人が端的に大平と名付けた通り、山上は広い高原で、樹木が繁茂しているのは、雨量の多いせいである。
歩きやすい。
大台ケ原山は広い。 その中の、一番高い所には、名前が付いている。
日出ヶ岳(ひでがたけ)。 1695㍍。
途中で、カメラの三脚を持った人とすれ違った。 写真は撮れなかったと言った。
このような道の所が多い。 土のままだと、水が流れて、掘れていく。
登りらしい登りが、ずっとない。
分岐点に来た。 この時、7時半。 雨が降ってきた。
地図では、ここ。 少し上に、日出ヶ岳。 1周コースを歩く予定。
このツツジが、たくさん咲いていた。 シロヤシオ(白八潮)と呼ばれるそう。
ゴヨウツツジ(五葉躑躅)とも。 ※ 葉が5枚かたまって、枝先につくので。
愛子さんのお印の花が、この花だそう。
こんな風に、一気に登り始めた。 霧が濃い。
ここを登ってきた。 山と言うより、公園を歩いているみたい。
自然にダメージを与えないためにこうした、と説明があった。
この辺りは、風が強いことが分かる。
写真を撮るから、傘をさしているが、風が強く支えるのがやっと。
写真を撮らなかったら、傘はいらない。 カッパを着ている。 雨は通さないが、空気は通す。
間もなく、頂上の感じ。
頂上の建物が見えた。
こういう場所。 上の方の地図とは、逆さま。 地図では、ここ。
7時40分に着いた。 1時間しか歩いていない。
東の方向。 何も見えない。
実際は、こう見える。 海が見たかったな。
こっちは、西。 遠くに、近畿最高峰の大峰山も見えるはず。(明日天気が良ければ、行きたいと考えていた)
こんな風に。
展望台では、雨宿りが出来た。 おにぎりを一つ食べた。
携帯が使えたので、姉に電話。 姉も昔ここに来ていた。
大台ケ原をリクエストしてきた友人にも。
1周コースを歩きだした。 地図の正木峠に向かった。
ここは、鹿がいっぱいいるので、届く所の高さまで、全部食べられている。
こんな所を歩いている。
正木峠。 木が無くなってきた。 雨も風も強い。 傘が何度も、裏返しになる。
このまま進んでも、写真は撮れないと判断し、戻ることにした。 8時20分。
こんな道を登って来ていた。
ずっと動物を探しながら歩いた。 もし熊を見つけたら、雨のマイナスは、全部飛んでいく。
駐車場が見えた。 9時10分に着いた。 2時間半しか、歩かなかった。
山を下る時、こんな風景が。
伊勢に出ることにした。 紀伊半島の中は、国道以外道が細いので、自由に動けない。
この後、雨の日が続くので、土砂崩れも怖い。
雨は降り続いているが、今朝からの雨だから、まだ危険はない。
吉野川沿いを走ったが、風景はよくなかった。 自然が壊れた感じに見えた。
風景に配慮しないで、橋でも何でも作った。
熊野川は、自然に手を加えたが、風景は壊さなかった。 その違いかな。
でも、吉野川沿いも、景観条例とかを作って、今後きっと良くなると思う。
※ ある地域が、それを掲げて、取り組んでいたから。
山に登る時は、何日も前から天気をにらんでいなければダメ。
それが、反省です。
【道の駅】 茶倉駅 ここです。
【明日の予定】 この近くを見る。 見所が少なかったら、伊勢でしょうか。
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大台ケ原山を1周するコースを歩きだしたが、正木峠で引き返した。
写真を撮れる状況ではなくなってきた。
雨が降ったら、遠くが見えない。 風景も花も、写真にちゃんと撮れない。
山は、天気のいい日に行かないと、楽しみが少ない。
でも、大台ケ原山は、雨の似合う山だから、仕方ないかな。
5時に起きた。 雨は降っていない。 でも、午前中の降水確率は、70%。
すぐに、大台ケ原の駐車場に向かった。

持ち物の準備や、入山手続きをしてたら、6時半になった。
ビジターセンターの玄関が開いており、そこに入山手続きの用紙があった。
そこに、人を探すポスターがあった。
この大台ケ原山に入山して、戻ってない人が3人いるという。
先日のニュースで、去年の山での遭難者は2085人で、死者・行方不明者は317人とあった。
遭難者の43%は、道に迷ったのが原因。
※ このことについて少しだけ。 どんな時に、道に迷うか。
分岐点で、別な道に行く。 途中で間違いに気付き戻る。 戻る時に、再度道を間違う。
こうなったら、もう戻れない。
また、山には、岩や石だらけで、道がはっきりしない場所がある。 こんな所でも、迷いやすい。
去年の夏に、山に登ると決めた時、最初に買ったものが、山用のナビだった。
高いものだったが、迷わなかった。
全国の山の、登山道が記録されており、自分が登山道のどこにいるかが表示される。
出発は、6時40分。 雨は、小雨が降ったりやんだり。

熊に注意の案内があった。 撃退スプレーを、リュックから出して、左のポケットに入れた。
持った食べ物は、おにぎり4つと、ソーセージ。 他に、カロリーメイトとキャラメル。
※ おにぎりなどは、昨日買って冷蔵庫に。 全部梅。 傷みにくいので。
※ ソーセージには、宮崎産黒豚と書いてあった。 今、たいへんだ。

7時頃。 雨は止んだ。 傘は閉じてリュックに引っかけている。
このように笹が生えている。 見通しがいい。
熊や鹿など、動物がいないか、探しながら歩いた。
もし熊を発見したら、すぐに撃退スプレーのストッパーを外す。 そうして、写真を撮る。 そう決めている。
まだ、出会ったことはない。 ※ 関連ブログ。 熊がデントコーンを食べた跡

大台ケ原山(おおだいがはらざん)について、日本百名山を書いた深田久弥は、こう言っている。
大台ケ原は昔、大平と呼ばれた。それが大平原となり、大台ケ原と変わった。
それにさらにご丁寧に「山」を付けて、現在では大台ケ原山と呼ばれている。
昔の人が端的に大平と名付けた通り、山上は広い高原で、樹木が繁茂しているのは、雨量の多いせいである。
歩きやすい。

大台ケ原山は広い。 その中の、一番高い所には、名前が付いている。
日出ヶ岳(ひでがたけ)。 1695㍍。
途中で、カメラの三脚を持った人とすれ違った。 写真は撮れなかったと言った。

このような道の所が多い。 土のままだと、水が流れて、掘れていく。
登りらしい登りが、ずっとない。

分岐点に来た。 この時、7時半。 雨が降ってきた。

地図では、ここ。 少し上に、日出ヶ岳。 1周コースを歩く予定。

このツツジが、たくさん咲いていた。 シロヤシオ(白八潮)と呼ばれるそう。
ゴヨウツツジ(五葉躑躅)とも。 ※ 葉が5枚かたまって、枝先につくので。

愛子さんのお印の花が、この花だそう。

こんな風に、一気に登り始めた。 霧が濃い。

ここを登ってきた。 山と言うより、公園を歩いているみたい。
自然にダメージを与えないためにこうした、と説明があった。

この辺りは、風が強いことが分かる。

写真を撮るから、傘をさしているが、風が強く支えるのがやっと。
写真を撮らなかったら、傘はいらない。 カッパを着ている。 雨は通さないが、空気は通す。
間もなく、頂上の感じ。

頂上の建物が見えた。

こういう場所。 上の方の地図とは、逆さま。 地図では、ここ。

7時40分に着いた。 1時間しか歩いていない。
東の方向。 何も見えない。

実際は、こう見える。 海が見たかったな。

こっちは、西。 遠くに、近畿最高峰の大峰山も見えるはず。(明日天気が良ければ、行きたいと考えていた)

こんな風に。

展望台では、雨宿りが出来た。 おにぎりを一つ食べた。
携帯が使えたので、姉に電話。 姉も昔ここに来ていた。
大台ケ原をリクエストしてきた友人にも。
1周コースを歩きだした。 地図の正木峠に向かった。
ここは、鹿がいっぱいいるので、届く所の高さまで、全部食べられている。

こんな所を歩いている。

正木峠。 木が無くなってきた。 雨も風も強い。 傘が何度も、裏返しになる。
このまま進んでも、写真は撮れないと判断し、戻ることにした。 8時20分。

こんな道を登って来ていた。

ずっと動物を探しながら歩いた。 もし熊を見つけたら、雨のマイナスは、全部飛んでいく。

駐車場が見えた。 9時10分に着いた。 2時間半しか、歩かなかった。

山を下る時、こんな風景が。

伊勢に出ることにした。 紀伊半島の中は、国道以外道が細いので、自由に動けない。
この後、雨の日が続くので、土砂崩れも怖い。
雨は降り続いているが、今朝からの雨だから、まだ危険はない。
吉野川沿いを走ったが、風景はよくなかった。 自然が壊れた感じに見えた。
風景に配慮しないで、橋でも何でも作った。
熊野川は、自然に手を加えたが、風景は壊さなかった。 その違いかな。
でも、吉野川沿いも、景観条例とかを作って、今後きっと良くなると思う。
※ ある地域が、それを掲げて、取り組んでいたから。
山に登る時は、何日も前から天気をにらんでいなければダメ。
それが、反省です。
【道の駅】 茶倉駅 ここです。
【明日の予定】 この近くを見る。 見所が少なかったら、伊勢でしょうか。
【ブログランキング】 国内旅行1位、旅行全体で3位です。
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奈良県の大台ケ原に来ています。
※ 実際の場所は、ネットが使えなかったので、少し下。
明日、大台ケ原山に登ります。
高さ、1695㍍。 百名山の一つです。
この山は、山の上が広く平ら。 変わった山。
そして、日本有数の多雨地帯。
明日の天気は、一日雨。 でも、午前中降らない可能性もある。
今晩は、11時半には寝ます。 早朝に、出発します。 熊野古道よりは、きっと楽。
道の駅 紀宝町ウミガメ公園には、ミニ水族館があった。
この辺り一帯の海岸は、砂浜。 昔はカメが産卵した。 ※ 今も、少しは産卵するが。
その姿を取り戻したいと言う願いがあって、この施設がある。
飼っているだけでなく、調査研究している。
人に関心を持っているのか、寄って来た。
七里御浜(しちりみはま)。
21世紀に残したい日本の自然百選の一つだそう。 百選は、いっぱいある。
ここには、産卵のためアカウミガメが上陸する。
5月1日から9月31日までの間は、自動車やバイク等の乗り入れが禁止されている。
砂浜も、海も、山も、いい色。
獅子巌。 信号待ちしていたら、見えた。
鬼ヶ城。 小さく見える穴を通って行く。
岩が大きい。 それも、頭の上に。
広い岩の棚。
釣り人が、あちこちに。 小さいのが釣れたら、ポイと海に放していた。
海は、どこもこの色。
国道169を走った。 いたるところに、ダム湖。
道の駅 吉野路上北山
この温泉に入る予定だった。
魚がいっぱい。 アマゴ。
遠くから道の駅を。
上北山村を散歩した。
なかなか釣れない。 アマゴを狙っている。
この人は、アユ。 他の人は、みんな帰った。
左の方に、市街地がある。
この人は、フライという釣り方。 目標は、アマゴ。
釣りを見ていた地元の人が、こう言った。
「ダムに外来魚を放すから、魚の稚魚が食べられる」って。
市街地を歩いた。 右の建物は、役場。
旧道。
木魚の音が、ポンポン鳴っていた。 いい雰囲気の夕暮れ。
明日は、時間が遅いほど、天気がよくない。 予定を変更して、大台ケ原に向かった。
途中での、風景。 あの橋は渡っていない。
大台ヶ原駐車場。 ネットが使えなかった。 ※ 携帯もダメ。
見晴らしのいい所まで、数㌔降りた。 2度、鹿に会った。
ここで、停泊。
大台ケ原の駐車場で、今日登った人に会った。
「今日は、天気が良くて、よかったですね」と言った。 そうしたら、
「天気が良すぎて、物足りない」と言った。 私は、
「大台ケ原山には、雨が似合いますか」と言った。
「そうなんだよね」って、返事が返ってきた。
明日は、少しくらいの雨でも、行きます。
道を外れたらたいへん。 ナビを用意します。
もし、雨が降っていなかったら、カメラは2台持っていきます。 花を撮ってきます。
昼を目指して、戻ってきます。
今年の山登り、スタートです。 ※ 元旦に、開聞岳に行ったけど。
楽しみ。
【停泊場所】 大台ケ原手前の、道のそばの空き地。
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※ ランキングや拍手で応援していただくと、雨降っても行くぞ、いい写真撮ってくるぞ、なんて思いますね。
元気が出ます。 いつもありがとう。
※ 実際の場所は、ネットが使えなかったので、少し下。
明日、大台ケ原山に登ります。
高さ、1695㍍。 百名山の一つです。
この山は、山の上が広く平ら。 変わった山。
そして、日本有数の多雨地帯。
明日の天気は、一日雨。 でも、午前中降らない可能性もある。
今晩は、11時半には寝ます。 早朝に、出発します。 熊野古道よりは、きっと楽。
道の駅 紀宝町ウミガメ公園には、ミニ水族館があった。

この辺り一帯の海岸は、砂浜。 昔はカメが産卵した。 ※ 今も、少しは産卵するが。
その姿を取り戻したいと言う願いがあって、この施設がある。

飼っているだけでなく、調査研究している。

人に関心を持っているのか、寄って来た。

七里御浜(しちりみはま)。
21世紀に残したい日本の自然百選の一つだそう。 百選は、いっぱいある。
ここには、産卵のためアカウミガメが上陸する。
5月1日から9月31日までの間は、自動車やバイク等の乗り入れが禁止されている。
砂浜も、海も、山も、いい色。

獅子巌。 信号待ちしていたら、見えた。

鬼ヶ城。 小さく見える穴を通って行く。

岩が大きい。 それも、頭の上に。

広い岩の棚。

釣り人が、あちこちに。 小さいのが釣れたら、ポイと海に放していた。
海は、どこもこの色。

国道169を走った。 いたるところに、ダム湖。

道の駅 吉野路上北山

この温泉に入る予定だった。

魚がいっぱい。 アマゴ。

遠くから道の駅を。

上北山村を散歩した。

なかなか釣れない。 アマゴを狙っている。

この人は、アユ。 他の人は、みんな帰った。

左の方に、市街地がある。

この人は、フライという釣り方。 目標は、アマゴ。
釣りを見ていた地元の人が、こう言った。
「ダムに外来魚を放すから、魚の稚魚が食べられる」って。

市街地を歩いた。 右の建物は、役場。

旧道。

木魚の音が、ポンポン鳴っていた。 いい雰囲気の夕暮れ。

明日は、時間が遅いほど、天気がよくない。 予定を変更して、大台ケ原に向かった。

途中での、風景。 あの橋は渡っていない。

大台ヶ原駐車場。 ネットが使えなかった。 ※ 携帯もダメ。

見晴らしのいい所まで、数㌔降りた。 2度、鹿に会った。

ここで、停泊。

大台ケ原の駐車場で、今日登った人に会った。
「今日は、天気が良くて、よかったですね」と言った。 そうしたら、
「天気が良すぎて、物足りない」と言った。 私は、
「大台ケ原山には、雨が似合いますか」と言った。
「そうなんだよね」って、返事が返ってきた。
明日は、少しくらいの雨でも、行きます。
道を外れたらたいへん。 ナビを用意します。
もし、雨が降っていなかったら、カメラは2台持っていきます。 花を撮ってきます。
昼を目指して、戻ってきます。
今年の山登り、スタートです。 ※ 元旦に、開聞岳に行ったけど。
楽しみ。
【停泊場所】 大台ケ原手前の、道のそばの空き地。
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朝7時からの、勝浦港のセリ市を見た。
一瞬に決まる、緊迫した雰囲気がいい。 でも、写真を失敗した。(原因は、分からない)
宙太さんの要望で、新宮市に寄った。(佐藤春夫の関係)
1日では見切れない程、見所たくさんの街だった。
セリは、午前7時から、勝浦漁港魚市場で行われた。
観光客や、テレビカメラを抱えた人もいた。 場所はここ。
ここの特徴は、冷凍ではなく、全部生マグロ。 太平洋の近海で獲れるもの。
生マグロの水揚げ、日本一だそう。
市場は、屋根と日除けのビニルがあるだけ。
7時3分前になったら、仲買人が集まってきた。 帽子の色は緑。 仲買人の札が帽子に付いている。
仲買人から買う人達も、いる。 帽子は赤い色か、カーキ色。
携帯で連絡を取る人が多い。 マグロの質や値段についてと思う。
仲買人に話しかけられる雰囲気はない。 聞く時は、別の人に。
マグロは、グループに分けられている。 新鮮さが基本と聞いた。 ※ 種類の違うマグロも、かたまってあったが。
新鮮なものから順に始まった。
値段を板に書いて、仕切る人が座っている台に置く。
札が出し終わったら、競り落とした会社を読みあげる。
番号、値段、会社の順に。 早口で、何言ってるか聞きずらい。 でも、聞きなおす人はいない。
すぐに、マグロの上に、競り落とした会社の名前を書いた紙を、置いていく。 とにかく速い。
そうやって、1時間ほどで、何百本かのマグロがセリ落とされた。
1本ずつ、凍り詰めにして、すぐに運ばれた。
値段は、写真くらいの大きさで、質が良ければ、25000円くらい。
※ 写真は、情報誌のもの。 ここに行くと決めた時、ボールペンで円を描いた。
お昼頃、通りがかりのスーパーで、今朝の勝浦のマグロを買った。
600円で、食べ切れないほどの量があった
ここは、新宮市にある、浮島の森。 街の中だ。 ここです。
確かに森。 浮島に木が生えている。
これが、浮いていると言うから、不思議だ。
管理人の人が、丁寧に説明してくれた。
島の中に、遊歩道があった。
仕組みは、下の図。 根のある層も下の層も、泥炭。 根のある層の幅(厚さ)は、60~100㌢。
上と下の僧の間に、30㌢未満の水の層がある。
つまり、浮いているということになる。
ただ、現在は、端っこの方が下と、くっ付いている。 昔は全部離れていた。
島でない所の深さは、32㍍あるという。
泥炭が出来たため浮いたのだが、池の底から冷たい水が湧いているので、植物が腐らないそうだ。
普通の浮島とは違うが、この島も、確かに浮いている。
浮いてるのは30㌢ほどだが、島が大きく木が生えているのが驚異的。
※ 関連ブログ。 浮島湿原 湯川沼の浮島 藺牟田池の浮島
管理人さんは、街の中の見所を紹介してくれた。
まず、神倉神社に行ったらいいと言う。 熊野の神々が降臨した所だと。
断われなくなってきた。
15分ほどで着いた。 場所はここ。
野口雨情が歌った。
「見せてやりたい 神倉のお燈まつりの 心意気」
こんなポスターが、市内にあった。 これが、この祭。 ※ 阿蘇神社の火振り神事みたい。
ここまでが、急な石段。 転んだら、どこまでも転がりそうだった。
岩が御神体。
中央に、浮島の森。
いい見晴らし。 このことは、知らなかった。
こんな位置関係。
浮島の森の駐車場に戻って、熊野速玉大社の駐車場に向かった。
そばに、佐藤春夫記念館があった。
東京にあった建物を、移築復元した。
この人の本は、読んだことがない。 聞いたことがあるのは、サンマの詩だけ。
柳川でお世話になった、宙太さんが好きなようだ。 それで、来た。
応接間。
奥様と。
詩だなって、感じますね。
これは、「秋刀魚の歌」の出だし。
「阿はれ(あわれ)秋風よ 情(こころ)あらば 伝えてよ」
全文はここに。 この歌には、ドラマがあった。 知らなかった。
谷崎潤一郎と。 紀州勝浦温泉で。 昭和5年7月。
狭い書斎が好きだったと、あった。
「わんぱく時代」の原稿。 この後行く、城跡が舞台だそう。
熊野速玉大社。 熊野三山は、ここと、熊野本宮大社、那智大社。
新宮城跡に向かった。 この辺りで、佐藤春夫は生まれた。
この辺りで、育った。 城の前。
城跡は、ここを登る。
天守閣のあった所から。
山側。
新宮城は、丹鶴(たんかく)城ともいう。 丹鶴姫がいた。
頼朝は、この人の甥(おい)。 それで、鎌倉幕府の御家人になった。 この辺り一帯を任され、大きな力をふるった。
※ 丹鶴姫は、源為義の娘。 為義の長男は義朝で、頼朝や義経の父。 そんな関係だった。
熊野川。 この後、赤い橋を渡って、三重県に入った。
アーケード街を歩いて、戻った。
お店の前で、梅を漬けていた。
途中、大石誠之助宅跡があった。 大逆事件で、冤罪で処刑されたとあった。 ※ 冤罪(えんざい)~無実の罪
後の時代になって、この町がこの人を救った。
浮島の森は、今でも、信じられない感じがする。
これからの目標は、昔のように、全体を浮かせることですね。 水面を高くして。
そして、月ごとに、島の位置を変える。
浮島の魅力は、さらに大きくなりますね。 可能と思う。
※ イメージは、北海道サロベツ原野の、瞳沼の浮島かな。
宙太さんに、佐藤春夫のお勧めを1冊教えてもらいます。
それを読んでみます。
【道の駅】 紀宝町ウミガメ公園 ここです。
【明日の予定】 この近くの海かな。
※ 大台ケ原山の、登山の検討に入っています。 できれば、日曜日に。 天気がむずかしい。
【今日の歌】 CALENDAR(YouTube) 紀伊半島の季節は、完全に夏になったでしょうか。 暑いです。
【その他】 今日、ある新聞社の取材を受けました。 突然だったので、少し驚き。
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一瞬に決まる、緊迫した雰囲気がいい。 でも、写真を失敗した。(原因は、分からない)
宙太さんの要望で、新宮市に寄った。(佐藤春夫の関係)
1日では見切れない程、見所たくさんの街だった。
セリは、午前7時から、勝浦漁港魚市場で行われた。
観光客や、テレビカメラを抱えた人もいた。 場所はここ。
ここの特徴は、冷凍ではなく、全部生マグロ。 太平洋の近海で獲れるもの。
生マグロの水揚げ、日本一だそう。
市場は、屋根と日除けのビニルがあるだけ。
7時3分前になったら、仲買人が集まってきた。 帽子の色は緑。 仲買人の札が帽子に付いている。
仲買人から買う人達も、いる。 帽子は赤い色か、カーキ色。
携帯で連絡を取る人が多い。 マグロの質や値段についてと思う。
仲買人に話しかけられる雰囲気はない。 聞く時は、別の人に。
マグロは、グループに分けられている。 新鮮さが基本と聞いた。 ※ 種類の違うマグロも、かたまってあったが。
新鮮なものから順に始まった。
値段を板に書いて、仕切る人が座っている台に置く。
札が出し終わったら、競り落とした会社を読みあげる。
番号、値段、会社の順に。 早口で、何言ってるか聞きずらい。 でも、聞きなおす人はいない。
すぐに、マグロの上に、競り落とした会社の名前を書いた紙を、置いていく。 とにかく速い。

そうやって、1時間ほどで、何百本かのマグロがセリ落とされた。
1本ずつ、凍り詰めにして、すぐに運ばれた。
値段は、写真くらいの大きさで、質が良ければ、25000円くらい。
※ 写真は、情報誌のもの。 ここに行くと決めた時、ボールペンで円を描いた。
お昼頃、通りがかりのスーパーで、今朝の勝浦のマグロを買った。
600円で、食べ切れないほどの量があった
ここは、新宮市にある、浮島の森。 街の中だ。 ここです。
確かに森。 浮島に木が生えている。

これが、浮いていると言うから、不思議だ。
管理人の人が、丁寧に説明してくれた。

島の中に、遊歩道があった。

仕組みは、下の図。 根のある層も下の層も、泥炭。 根のある層の幅(厚さ)は、60~100㌢。
上と下の僧の間に、30㌢未満の水の層がある。
つまり、浮いているということになる。
ただ、現在は、端っこの方が下と、くっ付いている。 昔は全部離れていた。
島でない所の深さは、32㍍あるという。
泥炭が出来たため浮いたのだが、池の底から冷たい水が湧いているので、植物が腐らないそうだ。
普通の浮島とは違うが、この島も、確かに浮いている。
浮いてるのは30㌢ほどだが、島が大きく木が生えているのが驚異的。

※ 関連ブログ。 浮島湿原 湯川沼の浮島 藺牟田池の浮島
管理人さんは、街の中の見所を紹介してくれた。
まず、神倉神社に行ったらいいと言う。 熊野の神々が降臨した所だと。
断われなくなってきた。
15分ほどで着いた。 場所はここ。

野口雨情が歌った。
「見せてやりたい 神倉のお燈まつりの 心意気」

こんなポスターが、市内にあった。 これが、この祭。 ※ 阿蘇神社の火振り神事みたい。

ここまでが、急な石段。 転んだら、どこまでも転がりそうだった。

岩が御神体。

中央に、浮島の森。

いい見晴らし。 このことは、知らなかった。

こんな位置関係。

浮島の森の駐車場に戻って、熊野速玉大社の駐車場に向かった。
そばに、佐藤春夫記念館があった。

東京にあった建物を、移築復元した。

この人の本は、読んだことがない。 聞いたことがあるのは、サンマの詩だけ。
柳川でお世話になった、宙太さんが好きなようだ。 それで、来た。
応接間。


奥様と。

詩だなって、感じますね。

これは、「秋刀魚の歌」の出だし。
「阿はれ(あわれ)秋風よ 情(こころ)あらば 伝えてよ」
全文はここに。 この歌には、ドラマがあった。 知らなかった。

谷崎潤一郎と。 紀州勝浦温泉で。 昭和5年7月。

狭い書斎が好きだったと、あった。

「わんぱく時代」の原稿。 この後行く、城跡が舞台だそう。

熊野速玉大社。 熊野三山は、ここと、熊野本宮大社、那智大社。

新宮城跡に向かった。 この辺りで、佐藤春夫は生まれた。

この辺りで、育った。 城の前。

城跡は、ここを登る。

天守閣のあった所から。

山側。

新宮城は、丹鶴(たんかく)城ともいう。 丹鶴姫がいた。
頼朝は、この人の甥(おい)。 それで、鎌倉幕府の御家人になった。 この辺り一帯を任され、大きな力をふるった。
※ 丹鶴姫は、源為義の娘。 為義の長男は義朝で、頼朝や義経の父。 そんな関係だった。

熊野川。 この後、赤い橋を渡って、三重県に入った。

アーケード街を歩いて、戻った。

お店の前で、梅を漬けていた。

途中、大石誠之助宅跡があった。 大逆事件で、冤罪で処刑されたとあった。 ※ 冤罪(えんざい)~無実の罪
後の時代になって、この町がこの人を救った。

浮島の森は、今でも、信じられない感じがする。
これからの目標は、昔のように、全体を浮かせることですね。 水面を高くして。
そして、月ごとに、島の位置を変える。
浮島の魅力は、さらに大きくなりますね。 可能と思う。
※ イメージは、北海道サロベツ原野の、瞳沼の浮島かな。
宙太さんに、佐藤春夫のお勧めを1冊教えてもらいます。
それを読んでみます。
【道の駅】 紀宝町ウミガメ公園 ここです。
【明日の予定】 この近くの海かな。
※ 大台ケ原山の、登山の検討に入っています。 できれば、日曜日に。 天気がむずかしい。
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那智の滝は、見上げる高さだった。
水は、天から落ちてきた。
高さ133㍍。 普通の滝の3倍はある。 1段の滝では、日本一。
熊野川。 途中で撮影。 どこも、砂利の河原がきれい。 それが印象かな。

熊野詣は、熊野本宮大社、新宮にある熊野速玉大社、そして、熊野那智大社にお参りするのが一般的だったそう。
昔、長い旅をしてきた人は、那智山の入り口である、大門坂の前に立ったら、どんな気持ちになったでしょうね。

平安衣装の人がいた。 写真をお願いした。

夫婦杉。

左にあるのは、富気王子跡。 熊野古道にある、最終王子。

大門坂は、熊野古道の中で、一番いい状態で残っていると言われている。

大阪から中学生が、修学旅行に来ていた。
2人の女の子が、みんなから遅れた。 その子たちと、時々話した。

表参道。

もう遠くない。

ここを上ったら、大社。

下に、2人の女の子が見える。 ちゃんと歩いた。

熊野那智大社。 ここは、拝殿。 京都から歩いて来て、ここに着いたら、涙が出るね。
きっと、足は豆だらけ。 私は、草鞋で1日20㌔は、無理。

拝殿で手を合わせたが、22㌔歩いた日の方が、拝む時気持ちが深かった感じがする。
建物はいろいろ。 本殿は、拝殿の後ろに。

少し前まで、中学生で賑わった。

中学生の中には、高い所からの風景に感動している子がいた。
歩いてきたから感じるのかな、とか言いながら。 めんこいことを言ってた。
間を通って、滝の方に。

青岸渡寺(せいがんとじ)。 信長が焼いて、秀吉が再建したとあった。

古いっていう表情。

人々は、神に願い、仏にすがった。 今の時代は、どうなっているのかな。

※ 私の神社のブログを他の人のと比較し、それを1例にして、散々に書いてくれたブログを発見した。
何の目的があって書いたのか。 気付いたから書いただけなのか。
こんな人間もいるのか、と思った。
※ 上とは別に、どんなブログにしていくかは、ずっと考えている。
むずかしい。
滝は、向こうの下に。

こんな絵が、道の途中に。 履物は、草鞋だ。
花山上皇がいるんだが、左から3番目でいいのかな。

三重塔。

三重塔の2階から撮影。 一目、大きいと感じた。

塔の中に、こんな絵が。

那智の滝は、神社の本尊になっていた。 だから門があるのか。

急な石段。

真ん中の隙間に、滝はある。

滝に手を合わせる場所がある。

ここの滝の特徴として、岩肌がきれいだった。

そこを、いい感じで流れ落ちる。

上の出口。

展望台があることに、すぐに気付かなかった。 300円かかる。

大きな滝。 133㍍。 風で霧のようなしぶきが飛んでくる。
※ 情報誌には、霊気を感じますよ、とあった。

※ 北海道の天人峡の羽衣の滝は、何段かに分かれていて、270㍍。 上の方は遠くて、見えにくい。
大きくなる。 FC2ブログでは、この大きさが限界。

車道を通って、戻った。

いい風景。 滝は、上だけ。
途中で会った、女の人3人組の車が停まった。 乗らないかいと言ってくれたが、遠慮した。
また会うかもしれないね、と言って別れた。

途中から、古道を歩いた。 上の人たちが、車を置いて上がっていた。
言った通り、また会った

【停泊場所】 大門坂駐車場
【明日の予定】 市場のセリの見学 新宮で少し(佐藤春夫記念館かな。 大きな浮島もある)
三重県に入る。
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水は、天から落ちてきた。
高さ133㍍。 普通の滝の3倍はある。 1段の滝では、日本一。
熊野川。 途中で撮影。 どこも、砂利の河原がきれい。 それが印象かな。

熊野詣は、熊野本宮大社、新宮にある熊野速玉大社、そして、熊野那智大社にお参りするのが一般的だったそう。
昔、長い旅をしてきた人は、那智山の入り口である、大門坂の前に立ったら、どんな気持ちになったでしょうね。

平安衣装の人がいた。 写真をお願いした。

夫婦杉。

左にあるのは、富気王子跡。 熊野古道にある、最終王子。

大門坂は、熊野古道の中で、一番いい状態で残っていると言われている。

大阪から中学生が、修学旅行に来ていた。
2人の女の子が、みんなから遅れた。 その子たちと、時々話した。

表参道。

もう遠くない。

ここを上ったら、大社。

下に、2人の女の子が見える。 ちゃんと歩いた。

熊野那智大社。 ここは、拝殿。 京都から歩いて来て、ここに着いたら、涙が出るね。
きっと、足は豆だらけ。 私は、草鞋で1日20㌔は、無理。

拝殿で手を合わせたが、22㌔歩いた日の方が、拝む時気持ちが深かった感じがする。
建物はいろいろ。 本殿は、拝殿の後ろに。

少し前まで、中学生で賑わった。

中学生の中には、高い所からの風景に感動している子がいた。
歩いてきたから感じるのかな、とか言いながら。 めんこいことを言ってた。
間を通って、滝の方に。

青岸渡寺(せいがんとじ)。 信長が焼いて、秀吉が再建したとあった。

古いっていう表情。

人々は、神に願い、仏にすがった。 今の時代は、どうなっているのかな。

※ 私の神社のブログを他の人のと比較し、それを1例にして、散々に書いてくれたブログを発見した。
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こんな人間もいるのか、と思った。
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むずかしい。
滝は、向こうの下に。

こんな絵が、道の途中に。 履物は、草鞋だ。
花山上皇がいるんだが、左から3番目でいいのかな。

三重塔。

三重塔の2階から撮影。 一目、大きいと感じた。

塔の中に、こんな絵が。

那智の滝は、神社の本尊になっていた。 だから門があるのか。

急な石段。

真ん中の隙間に、滝はある。

滝に手を合わせる場所がある。

ここの滝の特徴として、岩肌がきれいだった。

そこを、いい感じで流れ落ちる。

上の出口。

展望台があることに、すぐに気付かなかった。 300円かかる。

大きな滝。 133㍍。 風で霧のようなしぶきが飛んでくる。
※ 情報誌には、霊気を感じますよ、とあった。

※ 北海道の天人峡の羽衣の滝は、何段かに分かれていて、270㍍。 上の方は遠くて、見えにくい。
大きくなる。 FC2ブログでは、この大きさが限界。

車道を通って、戻った。

いい風景。 滝は、上だけ。
途中で会った、女の人3人組の車が停まった。 乗らないかいと言ってくれたが、遠慮した。
また会うかもしれないね、と言って別れた。

途中から、古道を歩いた。 上の人たちが、車を置いて上がっていた。
言った通り、また会った

【停泊場所】 大門坂駐車場
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小さな岩のお風呂が、それだけで世界遺産。
何が珍しいのか、何に価値があるのか。
それが、知りたかった。
つぼ湯と呼ばれる、その温泉に浸かってきた。
世界遺産になるための秘密は、3つあった。
当初、そう思っていたが、実際は4つあることに、後で気付いた。
ここが、湯の峰温泉。 熊野本宮から数㌔。 近い。 場所はここ。
温泉街の中心は、この辺り。 旅館は、15軒ほど。
熊野本宮へ行く前、ここの温泉に入って、体を清めた。 それで、湯垢離場(ゆごりば)と言われる(た)。
※ 垢は、「あか」と読んで、皮膚の汚れのことですね。
川の右側。 食堂があるので入った。
※ この時3時半。 まだ何も食べていない。 こういうことは、よくあること。
蕎麦と、「めはり」という、おにぎり。
めはりは、塩漬けした高菜の葉で包んでいる。 香りがいい。
※ めはりは、昔はずっと大きかった。
目が張るほど、大きな口を開けなければ、食べられなかった。
口を大きく開けたら、目も大きくなることを、初めて知った。
つぼ湯は、このように、湯の谷川の河原にある。 散策した後で入ることに。
つぼ湯の上(川上)に、橋がある。 この橋を渡っての山への道は、熊野古道。 熊野大社へと続く。
左の道が、熊野古道。 この場所の雰囲気がいいですね。 温泉街に似合う。
この地には、小栗判官(おぐりほうがん)の伝説が伝わっていた。
※ 私は、初めて知った。 調べてみたら、面白い。 照手姫、という人が出てくる。
つぼ湯は、この伝説の、重要なポイントになる。
※ この伝説は、実在の人物がモデルになっている。 だから、全くの架空の話ではない。
そこがいい。 詳しくは、下に。
不動の滝があったが、水が少なかった。 王子(神社)跡を探したが、道を間違った。
小栗判官の伝説の場所へ。
まかずの稲。 説明は、下に。
上の写真の、左に見える木です。
※ 照手姫 (つぼ湯が出てくる)
こんな花。
まかずの稲の山側に、「力石」が。 この石で、体を鍛えたとある。
説明。 この中の伝説は、上の方のとは、違う。
戻っている。
東光寺。
温泉の受付。 つぼ湯は、750円。 30分。 少し待ったら入れると言われた。
7番の札をもらった。
ここが、入り口。 入る時は、札をかける。(12歳未満の、12の左に) 靴は外。
温泉は、右下に。 左に、脱衣籠。
こんな感じ。
色に、ブルーが入っていますね。
これは、つぼ湯の秘密の1つ目。
光の加減と、その日の泉質で、7色に変わると言われている。(受付の人にも、この後、聞いた)
この穴は、自然に出来た。 大きな岩に穴がある。 これが、秘密の2つ目。
この穴の底から、お湯が出ている。 秘密の、3つ目。
カメラの感度を変えると、色が変わる。 ということは、光の強さでも、色は変わると言うことかな。
中はどうなっているか。 向こう側の奥に、穴は続いている。
目いっぱい足を入れてみた。 何かに、ガブッって、かじられそうな不安を感じながら。
足は、壁に当たった。 ※ 実際は、もう少しあるが、石で埋めてあるそう。
底も岩盤ではなく、砂利が入っている。
熱いお湯は、全体から出てる感じだが、奥の方に、特に熱い所があった。
足は、2日間、文句を言わないで歩いてくれた。
つぼ湯は、日本最古の共同浴場と言われる。
1800年の歴史があるとされ、小栗判官回復の伝説がある。
この、歴史的また文化的な部分が、秘密の4つ目だった。
ここで、ゆで卵を作っている人がいた。
正面が、共同浴場。 2種類あった。 私は、普通のに入った。(もう一つは、薬湯) ※ つぼ湯に入ると、無料。
脱衣所で、男の人と話した。(当然、男)
その人は、お風呂から上がった人。 そのうち、みんな上がった。
私は、湯船が撮影できると言って、カメラを準備した。
その時、モデルになってやるって、この人が入ってくれた。
人がいると、湯船は、生きた湯船になる。 いい。 顔もいい。 感謝。
この後、私も入る。 ※ 何日か、車のシャワーだったので、「いい湯だな~」だった。
2日間、たくさん歩いたが、店がなく、ビールは飲めなかった。 さっきのお店で。
ご飯も食べた。 サンマは、北海道の物だった。 苦くもしょっぱくもなく、美味しかった。
見つけれなかった、王子(神社)跡へ、再度向かった。
つぼ湯に、戸を開けて、入っている人がいた。
「写真撮って、いいか~い」って、大きな声で叫んだ。
「いっしょに、入らないか~」って、返事が返ってきた。
さっき入ったことを伝え、写真の了解をもらった。
いい顔をしてくれた。
最初の熊野古道を少し歩いたら、左に見つかった。
まず、高浜虚子の歌碑が。
こんな歌。 この人の孫の、汀子の歌が、熊野古道にありましたね。(ブログに載せた)
湯峰王子社跡。 昔は、立派な神社があった。
ここの川は冷たくない。 この人、足湯。
お湯が、岩の穴から、吹き出していた。
薄暗くなってきた。 向こうに、駐車場。
上の方。
温泉に行く人、戻る人。
河原の岩に大きな穴ができた。 たまたま、底の方から、お湯が出た。
それは、七変化のお湯だった。
ずっと昔から、人々に親しまれ、伝説まで生まれた。
4つの秘密(魅力)の、どれが欠けても、世界遺産には、ならなかったでしょうね。
こういう湯船(温泉)が世界遺産なのは、ここだけだと言う。
【停泊場所】 湯の峰温泉の駐車場。 広い。
【明日の予定】 那智かな。
【今日の歌】 スコール(YouTube) 松本英子。 古道を歩いた2日間、雨は途中で止んだ。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で5位です。
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何が珍しいのか、何に価値があるのか。
それが、知りたかった。
つぼ湯と呼ばれる、その温泉に浸かってきた。
世界遺産になるための秘密は、3つあった。
当初、そう思っていたが、実際は4つあることに、後で気付いた。
ここが、湯の峰温泉。 熊野本宮から数㌔。 近い。 場所はここ。

温泉街の中心は、この辺り。 旅館は、15軒ほど。
熊野本宮へ行く前、ここの温泉に入って、体を清めた。 それで、湯垢離場(ゆごりば)と言われる(た)。
※ 垢は、「あか」と読んで、皮膚の汚れのことですね。

川の右側。 食堂があるので入った。
※ この時3時半。 まだ何も食べていない。 こういうことは、よくあること。

蕎麦と、「めはり」という、おにぎり。
めはりは、塩漬けした高菜の葉で包んでいる。 香りがいい。
※ めはりは、昔はずっと大きかった。
目が張るほど、大きな口を開けなければ、食べられなかった。
口を大きく開けたら、目も大きくなることを、初めて知った。

つぼ湯は、このように、湯の谷川の河原にある。 散策した後で入ることに。

つぼ湯の上(川上)に、橋がある。 この橋を渡っての山への道は、熊野古道。 熊野大社へと続く。

左の道が、熊野古道。 この場所の雰囲気がいいですね。 温泉街に似合う。

この地には、小栗判官(おぐりほうがん)の伝説が伝わっていた。
※ 私は、初めて知った。 調べてみたら、面白い。 照手姫、という人が出てくる。
つぼ湯は、この伝説の、重要なポイントになる。
※ この伝説は、実在の人物がモデルになっている。 だから、全くの架空の話ではない。
そこがいい。 詳しくは、下に。

不動の滝があったが、水が少なかった。 王子(神社)跡を探したが、道を間違った。
小栗判官の伝説の場所へ。

まかずの稲。 説明は、下に。

上の写真の、左に見える木です。

※ 照手姫 (つぼ湯が出てくる)
こんな花。

まかずの稲の山側に、「力石」が。 この石で、体を鍛えたとある。

説明。 この中の伝説は、上の方のとは、違う。

戻っている。


東光寺。

温泉の受付。 つぼ湯は、750円。 30分。 少し待ったら入れると言われた。
7番の札をもらった。

ここが、入り口。 入る時は、札をかける。(12歳未満の、12の左に) 靴は外。

温泉は、右下に。 左に、脱衣籠。

こんな感じ。

色に、ブルーが入っていますね。
これは、つぼ湯の秘密の1つ目。
光の加減と、その日の泉質で、7色に変わると言われている。(受付の人にも、この後、聞いた)
この穴は、自然に出来た。 大きな岩に穴がある。 これが、秘密の2つ目。
この穴の底から、お湯が出ている。 秘密の、3つ目。

カメラの感度を変えると、色が変わる。 ということは、光の強さでも、色は変わると言うことかな。

中はどうなっているか。 向こう側の奥に、穴は続いている。
目いっぱい足を入れてみた。 何かに、ガブッって、かじられそうな不安を感じながら。
足は、壁に当たった。 ※ 実際は、もう少しあるが、石で埋めてあるそう。
底も岩盤ではなく、砂利が入っている。
熱いお湯は、全体から出てる感じだが、奥の方に、特に熱い所があった。

足は、2日間、文句を言わないで歩いてくれた。
つぼ湯は、日本最古の共同浴場と言われる。
1800年の歴史があるとされ、小栗判官回復の伝説がある。
この、歴史的また文化的な部分が、秘密の4つ目だった。
ここで、ゆで卵を作っている人がいた。


正面が、共同浴場。 2種類あった。 私は、普通のに入った。(もう一つは、薬湯) ※ つぼ湯に入ると、無料。

脱衣所で、男の人と話した。(当然、男)
その人は、お風呂から上がった人。 そのうち、みんな上がった。
私は、湯船が撮影できると言って、カメラを準備した。
その時、モデルになってやるって、この人が入ってくれた。
人がいると、湯船は、生きた湯船になる。 いい。 顔もいい。 感謝。
この後、私も入る。 ※ 何日か、車のシャワーだったので、「いい湯だな~」だった。

2日間、たくさん歩いたが、店がなく、ビールは飲めなかった。 さっきのお店で。

ご飯も食べた。 サンマは、北海道の物だった。 苦くもしょっぱくもなく、美味しかった。

見つけれなかった、王子(神社)跡へ、再度向かった。
つぼ湯に、戸を開けて、入っている人がいた。
「写真撮って、いいか~い」って、大きな声で叫んだ。
「いっしょに、入らないか~」って、返事が返ってきた。
さっき入ったことを伝え、写真の了解をもらった。

いい顔をしてくれた。

最初の熊野古道を少し歩いたら、左に見つかった。
まず、高浜虚子の歌碑が。

こんな歌。 この人の孫の、汀子の歌が、熊野古道にありましたね。(ブログに載せた)

湯峰王子社跡。 昔は、立派な神社があった。

ここの川は冷たくない。 この人、足湯。

お湯が、岩の穴から、吹き出していた。

薄暗くなってきた。 向こうに、駐車場。

上の方。

温泉に行く人、戻る人。

河原の岩に大きな穴ができた。 たまたま、底の方から、お湯が出た。
それは、七変化のお湯だった。
ずっと昔から、人々に親しまれ、伝説まで生まれた。
4つの秘密(魅力)の、どれが欠けても、世界遺産には、ならなかったでしょうね。
こういう湯船(温泉)が世界遺産なのは、ここだけだと言う。
【停泊場所】 湯の峰温泉の駐車場。 広い。
【明日の予定】 那智かな。
【今日の歌】 スコール(YouTube) 松本英子。 古道を歩いた2日間、雨は途中で止んだ。
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朝起きたのが遅かった。
スタートは、9時。 帰りのバスは、午後5時15分。 8時間ちょっと。
昨日のような歩き方はできない。
写真とご飯の時間がいるので、登り以外は、全部急ぎ足。
午後4時25分に着いた。 7時間25分かかった。
帰りのバスの客は、私一人。 国道を真っ直ぐでなく、小さな温泉地を通るバスだった。
運転手さんの解説付きで、楽しい46分の旅。 疲れは、とんだ。
※ 7日の記事を先に書きます。(9日午前)
9日は、午後に、この記事の最後にある、つぼ湯に行ってきます。
2~3人しか入れない小さな温泉が、世界遺産ですよ。 不思議。 その秘密をさぐってきます。
貸切で入る。 平日なので、入れると思う。(昨日混んでなかったので)
中の写真は撮れます。
今日の写真は、熊野古道の、道の雰囲気を伝えたいと思う。
いっしょに旅をしている感じに、なれるように。
スタートしてすぐ、ここに。 安部晴明がここを通っている。 座ったとかいう石があった。
熊野古道は、高い所を通っている。
ずっと急ぎ足で歩いた。 でも、急な登りは無理。
ここは、草鞋(わらじ)峠。 ここまで、約4.5㌔。 1時間で来た。
このような、山の斜面の道も多かった。
このように、車道を横切ることがある。
登りが多くなり、時間がかかりだした。
左下に川が。 川が見えると、山を下りてきた証拠。
おぎん地蔵が見えた。
この人は、京都の芸者。 この場所で襲われ、命を落とした。
蛇形地蔵。
後ろの石が、ヘビのうろこ模様。
昔は、どんな橋だったんだろう。 木を何本か、並べたのかな。
魚が見えるが、ヤマメではない。 川の水は、どこもきれい。
ここは、湯川一族発祥の地、とあった。 戦国時代のこの地方の豪族ですね。
三越(みこし)峠にあった地図。 ここまで、約10㌔。 12時27分。
12時40分から、20分ほど、初めての休憩。 急に疲れが出た。
お弁当を食べた。 おかずは、卵焼きだけ。 朝食べてなかったから、美味しい。
昔は、人が住んでいた。
ここも、生活道路として利用されたから、道幅は広い。 登り以外は、全部急ぎ足。
途中から、棒を杖にして歩いた。 だいぶ楽。 足の疲れは、まったくない。
こんな石段を下った。 下る時は、棒はつっかえ棒のように使う。 登りは、棒で体を押し上げる。
湯の峰温泉への道があった。 これも、熊野古道。 ※ 後で、バスで行く。
猪鼻王子跡。 ちょうど、2時。
道は、登ったり下ったり。
発心門王子が見えてきた。
ここに、バス停がある。 多くの観光客は、ここから本宮まで歩く。 距離は、7.7㌔。
ここまで来たらこっちのもんだ、と少し強気になった。
上を過ぎたら、こんな道が多くなった。 里山の雰囲気。 この時、2時半。
※ 距離は、500㍍ごとに、標示がある。
山の下に家が見えた。 本宮より、川の上流。
水呑王子に着いた。 雰囲気がいい。 右に、距離の標示が見える。
スタートは、滝尻王子。 そこから、500㍍ごとに、1,2・・と、数字が増える。
この場所は、65。 滝尻から、32.5㌔。
ゴールは、75なので、あと10。 距離は、5㌔。 この時、2時50分。
4時半頃には着くので、5時15分のバスに遅れることはない。 一安心。
水呑王子跡。 石碑は、古い。
手前の、緑に見える山の向こうは、奈良県。 ここは、境界線に近い。
熊野本宮は、向こうの山の下。
最後の山道。 後、2㌔ほど。 元気は残っている。 下りは、小走り。
ササユリ。 見つけた時は大変。 その美しさに、驚いた。 こんな花初めて見た。
化粧は、全くしていない。 透き通るような肌。 清楚とも違う。 どう表現したらいいのか。
この花の雰囲気の女優は、誰でしょう。
入り口の門が見えた。
左の道をやってきた。 着いた。 4時25分。 7時間25分かかった。 ここです。
ここでお参りした。
このブログを読んでくれてる人のお願いもした。 病気と事故がないようにって。
今回は、それだけでなく、他にもした。
宝くじなど、そういうのに当たるように。 人から物をもらったり、いいことがあるように。
もし好きな人がいたら、相手の人の心が、その人のものになるように。
こんなのをお願いしておいたので、もしいいことがあったら、akkamuiさんのおかげと、思ってくださいね。
足が3本ある、八咫烏(やたがらす)。 詳しくは、ここに。
なお、日本サッカー協会のシンボルマークは、この鳥。
街道てくてく旅の、ポスター。 ここには、5月18日に到着。
後鳥羽上皇の歌。
「はるばると さかしき峰を わけ過ぎて 音無川を 今日みつるかな」
この奥にも神社があった。 撮影禁止。
これは、ポスターの写真。
長い石段。
ここは、大斎原(おおゆのはら)。 大きな鳥居。 昔は、ここに、熊野大社はあった。
水害があるので、山の上に。
龍神バス、5時15分発に乗った。 客は私だけ。 運転手さんのガイド付き。
この川が、熊野川。 河原が広く、きれいだ。
川湯温泉の露天風呂。 裸の人がいた。 ※ 写真をアップには、できない。
ここは、湯の峰温泉。
バスは、向こうに行って戻ってくる。 私を降ろしてくれた。 写真のために。 荷物はバスの中。
バスが戻ってきた。 運転手さんが、つぼ湯を撮ったかいと言った。
つぼ湯って何って、聞いた。
世界遺産の温泉と、教えてくれた。
少しの時間、待っててくれた。 向こうに、バスが見える。
ここが、つぼ湯。 ここだけで、世界遺産。 下から、湯が沸いている。
こんな温泉は、2度目。 東北の赤倉温泉。 湯守の宿 三之丞。 ※ このブログに。
国道に出て、こんな道を走った。
楽しい旅でした。 やさしい運転手さん。 ありがとうございました。
※ この記事は、9日に書いた。 午後の1時頃、車のクラクションが鳴ったので、外を見た。
龍神バスが通り過ぎていった。 きっと、あの運転手さんだ。
外に飛び出ればよかった。 手を振ったら、きっと、サイドミラーで見てくれた。
車は、山の上。 人と話したりしたから、上まで、50分かかった。
写真の見える近くに、バス停が。
2日間で、40㌔を歩いた。 こんなに歩いたのは、久しぶり。
自然の中を歩くだけで、十分楽しいが、
熊野古道には、歴史を感じるという、おまけが付いていた。
最後は、運転手さんにも会って、いい2日間になった。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 つぼ湯を考えてます。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で6位です。
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スタートは、9時。 帰りのバスは、午後5時15分。 8時間ちょっと。
昨日のような歩き方はできない。
写真とご飯の時間がいるので、登り以外は、全部急ぎ足。
午後4時25分に着いた。 7時間25分かかった。
帰りのバスの客は、私一人。 国道を真っ直ぐでなく、小さな温泉地を通るバスだった。
運転手さんの解説付きで、楽しい46分の旅。 疲れは、とんだ。
※ 7日の記事を先に書きます。(9日午前)
9日は、午後に、この記事の最後にある、つぼ湯に行ってきます。
2~3人しか入れない小さな温泉が、世界遺産ですよ。 不思議。 その秘密をさぐってきます。
貸切で入る。 平日なので、入れると思う。(昨日混んでなかったので)
中の写真は撮れます。
今日の写真は、熊野古道の、道の雰囲気を伝えたいと思う。
いっしょに旅をしている感じに、なれるように。
スタートしてすぐ、ここに。 安部晴明がここを通っている。 座ったとかいう石があった。

熊野古道は、高い所を通っている。

ずっと急ぎ足で歩いた。 でも、急な登りは無理。
ここは、草鞋(わらじ)峠。 ここまで、約4.5㌔。 1時間で来た。

このような、山の斜面の道も多かった。

このように、車道を横切ることがある。

登りが多くなり、時間がかかりだした。

左下に川が。 川が見えると、山を下りてきた証拠。

おぎん地蔵が見えた。

この人は、京都の芸者。 この場所で襲われ、命を落とした。

蛇形地蔵。

後ろの石が、ヘビのうろこ模様。

昔は、どんな橋だったんだろう。 木を何本か、並べたのかな。

魚が見えるが、ヤマメではない。 川の水は、どこもきれい。

ここは、湯川一族発祥の地、とあった。 戦国時代のこの地方の豪族ですね。

三越(みこし)峠にあった地図。 ここまで、約10㌔。 12時27分。

12時40分から、20分ほど、初めての休憩。 急に疲れが出た。
お弁当を食べた。 おかずは、卵焼きだけ。 朝食べてなかったから、美味しい。

昔は、人が住んでいた。

ここも、生活道路として利用されたから、道幅は広い。 登り以外は、全部急ぎ足。
途中から、棒を杖にして歩いた。 だいぶ楽。 足の疲れは、まったくない。

こんな石段を下った。 下る時は、棒はつっかえ棒のように使う。 登りは、棒で体を押し上げる。

湯の峰温泉への道があった。 これも、熊野古道。 ※ 後で、バスで行く。

猪鼻王子跡。 ちょうど、2時。

道は、登ったり下ったり。

発心門王子が見えてきた。
ここに、バス停がある。 多くの観光客は、ここから本宮まで歩く。 距離は、7.7㌔。
ここまで来たらこっちのもんだ、と少し強気になった。

上を過ぎたら、こんな道が多くなった。 里山の雰囲気。 この時、2時半。
※ 距離は、500㍍ごとに、標示がある。

山の下に家が見えた。 本宮より、川の上流。

水呑王子に着いた。 雰囲気がいい。 右に、距離の標示が見える。
スタートは、滝尻王子。 そこから、500㍍ごとに、1,2・・と、数字が増える。
この場所は、65。 滝尻から、32.5㌔。
ゴールは、75なので、あと10。 距離は、5㌔。 この時、2時50分。
4時半頃には着くので、5時15分のバスに遅れることはない。 一安心。

水呑王子跡。 石碑は、古い。

手前の、緑に見える山の向こうは、奈良県。 ここは、境界線に近い。

熊野本宮は、向こうの山の下。

最後の山道。 後、2㌔ほど。 元気は残っている。 下りは、小走り。

ササユリ。 見つけた時は大変。 その美しさに、驚いた。 こんな花初めて見た。
化粧は、全くしていない。 透き通るような肌。 清楚とも違う。 どう表現したらいいのか。
この花の雰囲気の女優は、誰でしょう。

入り口の門が見えた。

左の道をやってきた。 着いた。 4時25分。 7時間25分かかった。 ここです。

ここでお参りした。
このブログを読んでくれてる人のお願いもした。 病気と事故がないようにって。
今回は、それだけでなく、他にもした。
宝くじなど、そういうのに当たるように。 人から物をもらったり、いいことがあるように。
もし好きな人がいたら、相手の人の心が、その人のものになるように。
こんなのをお願いしておいたので、もしいいことがあったら、akkamuiさんのおかげと、思ってくださいね。

足が3本ある、八咫烏(やたがらす)。 詳しくは、ここに。

なお、日本サッカー協会のシンボルマークは、この鳥。

街道てくてく旅の、ポスター。 ここには、5月18日に到着。

後鳥羽上皇の歌。
「はるばると さかしき峰を わけ過ぎて 音無川を 今日みつるかな」

この奥にも神社があった。 撮影禁止。

これは、ポスターの写真。

長い石段。

ここは、大斎原(おおゆのはら)。 大きな鳥居。 昔は、ここに、熊野大社はあった。
水害があるので、山の上に。

龍神バス、5時15分発に乗った。 客は私だけ。 運転手さんのガイド付き。
この川が、熊野川。 河原が広く、きれいだ。

川湯温泉の露天風呂。 裸の人がいた。 ※ 写真をアップには、できない。

ここは、湯の峰温泉。
バスは、向こうに行って戻ってくる。 私を降ろしてくれた。 写真のために。 荷物はバスの中。

バスが戻ってきた。 運転手さんが、つぼ湯を撮ったかいと言った。
つぼ湯って何って、聞いた。
世界遺産の温泉と、教えてくれた。
少しの時間、待っててくれた。 向こうに、バスが見える。
ここが、つぼ湯。 ここだけで、世界遺産。 下から、湯が沸いている。
こんな温泉は、2度目。 東北の赤倉温泉。 湯守の宿 三之丞。 ※ このブログに。

国道に出て、こんな道を走った。

楽しい旅でした。 やさしい運転手さん。 ありがとうございました。
※ この記事は、9日に書いた。 午後の1時頃、車のクラクションが鳴ったので、外を見た。
龍神バスが通り過ぎていった。 きっと、あの運転手さんだ。
外に飛び出ればよかった。 手を振ったら、きっと、サイドミラーで見てくれた。

車は、山の上。 人と話したりしたから、上まで、50分かかった。
写真の見える近くに、バス停が。

2日間で、40㌔を歩いた。 こんなに歩いたのは、久しぶり。
自然の中を歩くだけで、十分楽しいが、
熊野古道には、歴史を感じるという、おまけが付いていた。
最後は、運転手さんにも会って、いい2日間になった。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 つぼ湯を考えてます。
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熊野古道は、山の中の普通の道だと思っていた。 違った。
道は、山の頂上に向かって進んだ。
それは、街道ではなく、修験の道だった。
18㌔を歩くのに、8時間40分かかった。(写真を撮りながらだけど)
普通の登山より、つかれた。
※ 熊野本宮大社まで、残りは、22㌔。
これを歩くと、熊野古道のメインルートの、山の中の部分を、全部走破したことになる。
明日歩くか、今、検討中。(今とは、7日の夜のこと)
バスの関係は、調べた。
明朝、7時過ぎのバスに乗って、今日のゴール地点に行かなければならない。
起きれるか。
雨は降らいないと、思っていた。
降るなら、昨日の6月6日のはずだった。 理由は、ここに。
滝尻王子のバス停で、バスを下りたところ。 7時半過ぎ。
熊野古道には、ポイントポイントに、神社がある。 神社を王子と呼んでいた。
ここは、滝尻王子。
京都から熊野本宮に行く道は、この道。 だから、この道は熊野へのメインルート。
そして、昔から、ここからが霊域とされ、熊野古道は山の中に入る。
胎内くぐりの岩。 狭かったので、通らなかった。
上の写真の右上に、乳岩が見える。 藤原秀衡の話が伝わっていた。 義経を助けた秀衡。
※ 泰衡が、バカだったから、義経は死んだ。
こんな伝説。
昔、平泉の、藤原秀衡が夫人同伴で熊野参りに来た。
ここで夫人が産気づき、この岩屋で出産した。
夫妻は赤子をここに残して熊野に向かった。
ここに残された赤子は岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だった。
秀衡は、この子を奥州へつれて帰った。
その子供が成長し、秀衡の三男和泉三郎忠衡になったととも。
ここは、不寝王子。 王子という所には、昔神社があった。
雨は止まない。 ずっと、しとしとぴっちゃん。
一気に山に登って、この風景。 登山だった。 何百㍍か登った。
ここまでの距離は、1.6㌔。 たったこれだけに、1時間15分かかった。
バスの運転手さんは言った。 最初が大変だと。 掌を反らせて、斜め上に向けた。
ここに着いた時、雨は止んだ。
こんな祠(ほこら)も、たまにある。
高原熊野神社。
こんな花。
この写真は、高原霧の里休憩所の広場から。 上の神社のそば。
今月14日、NHKの番組、街道てくてく旅の生放送が、この場所から始まる。 10日から、熊野古道を歩く。
上の場所に、人家があった。 昔、ほとんどの家が、宿だった。 ここを過ぎたら、近露まで家は無い。
今日歩くルート。
高原池。 11時8分。
昔、この辺りに、大きな鳥居があったそう。
とにかく、よく登った。 天空の城に行くのかと思った。
疲れたら、しゃべりたくなくなる。
道は、はるか下。
山の尾根を歩いている。 杉林の中は、森林浴ではない。 動物の気配もない。
休憩所で、蟻地獄を発見。 久しぶりに見る。
蟻を入れて遊んだ。 下の虫が、蟻の足を、砂の中から挟んだ。
お地蔵さん。
小判地蔵とあった。 昔、小判をくわえたまま、ここで倒れた人がいた。
嘉永7年(1854)のことで、熊野の参詣を終えて、紀三井寺に向かっていた。 ※ 紀三井寺球場のあった所。
このような、一里塚が時々。 昔もここにあった。 和歌山から、25里と書いてある。
この場所で、月が3つ見られたという。(三体月伝説) 11月23日の晩のこと。
※ それは、二三夜待ちの夜だ。 モチモチの木の話が生まれた晩だ。 ※ 関連ブログ。
大坂本王子跡。 近くに、逢阪峠があるので、この名前のよう。
ここまで、約11㌔。 2時少し前。 この距離に、6時間以上かかった。
右に行ったら、道の駅。 車を置いてある。 2時16分。
牛馬童子像のある所。 昨日行ったので、通過。
ここを下りたら、近露。
北野橋。 日置川で、アユ釣りの人が。
近露王子跡。
昔、花山法皇が、少し手前の箸折峠で食事をした。
箸がなかったので、カヤの木の枝を折って箸にした。 その箸の赤い部分に、露が滴った。
それを見て、「これは、血か露か」と言ったという。
それで、ここの地名が、近露になった。 笑い話のような話。
皇族が、熊野詣でに熱心だったため、盛んになった。
畑に婦人の方がいた。 挨拶したら、この山を紹介してくれた。
一番遠くの山の姿。 それは、おとめの寝顔だそう。
私は見たことないから、こんなんなんだ、と思った。
おっぱいが小さいことも、教えてくれた。
これについては、話したいこともあったが、話が可笑しい方に行きそうなので、黙っていた。
いい色だ。 バラでいいですね。
左の道を行く。 古道が、生活道路になっている所もある。
継桜王子。 やっと着いた。 4時半過ぎ。
大きな杉の木。 気付かなかったが、ここの杉は、一方杉と言って、片側にしか枝がないそう。
「中辺路は 峡深き里 暮早し」 ※峡は、山峡の峡ですね。
作者は、汀子とあった。 初めて見る名前ではないんだが・・・。 この人の祖父は、高浜虚子だそう。
とがの木茶屋。
上の右となり。
少し下に行ったら、「野中の清水」があった。 水の湧いてる池。
20分ほど歩いて、山を下りた。 ここからバスに乗って、戻る。
今日は、山をいくつも登った。 たいへんな道だった。
昔の人は、ここを、草鞋(わらじ)をはいて、歩いた。
※ 私は、トレッキング用の、歩きやすい靴。
きっと、想像できない苦労があった。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 継桜王子から熊野本宮まで。
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道は、山の頂上に向かって進んだ。
それは、街道ではなく、修験の道だった。
18㌔を歩くのに、8時間40分かかった。(写真を撮りながらだけど)
普通の登山より、つかれた。
※ 熊野本宮大社まで、残りは、22㌔。
これを歩くと、熊野古道のメインルートの、山の中の部分を、全部走破したことになる。
明日歩くか、今、検討中。(今とは、7日の夜のこと)
バスの関係は、調べた。
明朝、7時過ぎのバスに乗って、今日のゴール地点に行かなければならない。
起きれるか。
雨は降らいないと、思っていた。
降るなら、昨日の6月6日のはずだった。 理由は、ここに。
滝尻王子のバス停で、バスを下りたところ。 7時半過ぎ。

熊野古道には、ポイントポイントに、神社がある。 神社を王子と呼んでいた。
ここは、滝尻王子。
京都から熊野本宮に行く道は、この道。 だから、この道は熊野へのメインルート。
そして、昔から、ここからが霊域とされ、熊野古道は山の中に入る。

胎内くぐりの岩。 狭かったので、通らなかった。

上の写真の右上に、乳岩が見える。 藤原秀衡の話が伝わっていた。 義経を助けた秀衡。
※ 泰衡が、バカだったから、義経は死んだ。
こんな伝説。
昔、平泉の、藤原秀衡が夫人同伴で熊野参りに来た。
ここで夫人が産気づき、この岩屋で出産した。
夫妻は赤子をここに残して熊野に向かった。
ここに残された赤子は岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だった。
秀衡は、この子を奥州へつれて帰った。
その子供が成長し、秀衡の三男和泉三郎忠衡になったととも。
ここは、不寝王子。 王子という所には、昔神社があった。

雨は止まない。 ずっと、しとしとぴっちゃん。

一気に山に登って、この風景。 登山だった。 何百㍍か登った。
ここまでの距離は、1.6㌔。 たったこれだけに、1時間15分かかった。
バスの運転手さんは言った。 最初が大変だと。 掌を反らせて、斜め上に向けた。
ここに着いた時、雨は止んだ。

こんな祠(ほこら)も、たまにある。

高原熊野神社。

こんな花。

この写真は、高原霧の里休憩所の広場から。 上の神社のそば。
今月14日、NHKの番組、街道てくてく旅の生放送が、この場所から始まる。 10日から、熊野古道を歩く。

上の場所に、人家があった。 昔、ほとんどの家が、宿だった。 ここを過ぎたら、近露まで家は無い。
今日歩くルート。

高原池。 11時8分。

昔、この辺りに、大きな鳥居があったそう。

とにかく、よく登った。 天空の城に行くのかと思った。
疲れたら、しゃべりたくなくなる。

道は、はるか下。

山の尾根を歩いている。 杉林の中は、森林浴ではない。 動物の気配もない。

休憩所で、蟻地獄を発見。 久しぶりに見る。

蟻を入れて遊んだ。 下の虫が、蟻の足を、砂の中から挟んだ。

お地蔵さん。

小判地蔵とあった。 昔、小判をくわえたまま、ここで倒れた人がいた。
嘉永7年(1854)のことで、熊野の参詣を終えて、紀三井寺に向かっていた。 ※ 紀三井寺球場のあった所。

このような、一里塚が時々。 昔もここにあった。 和歌山から、25里と書いてある。

この場所で、月が3つ見られたという。(三体月伝説) 11月23日の晩のこと。
※ それは、二三夜待ちの夜だ。 モチモチの木の話が生まれた晩だ。 ※ 関連ブログ。

大坂本王子跡。 近くに、逢阪峠があるので、この名前のよう。
ここまで、約11㌔。 2時少し前。 この距離に、6時間以上かかった。

右に行ったら、道の駅。 車を置いてある。 2時16分。

牛馬童子像のある所。 昨日行ったので、通過。

ここを下りたら、近露。

北野橋。 日置川で、アユ釣りの人が。

近露王子跡。
昔、花山法皇が、少し手前の箸折峠で食事をした。
箸がなかったので、カヤの木の枝を折って箸にした。 その箸の赤い部分に、露が滴った。
それを見て、「これは、血か露か」と言ったという。
それで、ここの地名が、近露になった。 笑い話のような話。

皇族が、熊野詣でに熱心だったため、盛んになった。

畑に婦人の方がいた。 挨拶したら、この山を紹介してくれた。
一番遠くの山の姿。 それは、おとめの寝顔だそう。
私は見たことないから、こんなんなんだ、と思った。
おっぱいが小さいことも、教えてくれた。
これについては、話したいこともあったが、話が可笑しい方に行きそうなので、黙っていた。

いい色だ。 バラでいいですね。

左の道を行く。 古道が、生活道路になっている所もある。

継桜王子。 やっと着いた。 4時半過ぎ。

大きな杉の木。 気付かなかったが、ここの杉は、一方杉と言って、片側にしか枝がないそう。

「中辺路は 峡深き里 暮早し」 ※峡は、山峡の峡ですね。
作者は、汀子とあった。 初めて見る名前ではないんだが・・・。 この人の祖父は、高浜虚子だそう。

とがの木茶屋。

上の右となり。

少し下に行ったら、「野中の清水」があった。 水の湧いてる池。

20分ほど歩いて、山を下りた。 ここからバスに乗って、戻る。

今日は、山をいくつも登った。 たいへんな道だった。
昔の人は、ここを、草鞋(わらじ)をはいて、歩いた。
※ 私は、トレッキング用の、歩きやすい靴。
きっと、想像できない苦労があった。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 継桜王子から熊野本宮まで。
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快晴の中で、白浜の海は、いっそう輝いていた。
40年前に見た風景と、同じだった。
大学の1年の時に、友達3人と、汽車で来た。
紀伊半島の、周遊券を買ったのかな。
7月29日に、旭川駅を出発。
30日に、函館から連絡船に乗った。
午後、船内のテレビに、ニュース速報が入った。
雫石で、飛行機事故が起きた。 全日空機と自衛隊機との空中衝突。 162人が亡くなった。
この事故を記憶している人は少ない。
当事者が、風化を目指したからだ。 事故を教訓にすることはなかった。
日航機事故とは、違った。 ※ この記事で、少し触れています。
白浜に来たのは、8月の5日頃でしょうか。
南国の海は、こうなんだと思った。
それ以来ずっと、南の海のイメージは、白浜の青い海になった。
この島は、円月島(えんげつとう)。 夕日が、穴に来た写真を撮ってみたい。 場所はここ。
遠くに、リゾートホテル。 この後、撮影できなかったが、泳いでいる人もいた。
釣った魚は、太刀魚かなと思う。 大きい。
ここは、千畳敷。
大きな1枚岩。
岩は白く、海は青い。
千畳敷は、有名な場所。
でも、人は、見る場所より、遊ぶ場所にたくさんいた。
磯での遊び、釣り、ダイビング、など。
レジャーボート。
朝顔より大きい。 このような花は、涼しさを感じるでしょうか。
三段壁。 場所は、ここ。 千畳敷は、上に。
私は、こういう所に行くのは、苦手。
こんな感じ。
海の色は、これなんですね。 悪くない。 どこでもこう。 積丹にはかなわないが、なかなか。
展望台は、こんな感じ。
熊野古道に向かった。 途中、上富田町を通った。 ※ かみとんだちょう。
坂本冬実の出身地。 (ekさんの情報)
小・中・高と、地元の学校。
この人は、NHKの『勝ち抜き歌謡天国』(和歌山大会)で名人となり、審査員だった猪俣公章の内弟子となる。
和服でない方が好きかな。 また君に恋してる(YouTube)
一つの歌を、この人はよみがえらせましたね。 ヒットさせて、美しくなった。
道成寺のブログに書いた、清姫の墓があった。
300㍍ほど離れた所にあったが、国道の工事で、ここに移した。
清姫が、実在の人物だとしたら、いったい何があったんでしょうね。
どんな話から、安珍清姫の話は生まれたのかな。
お堂の中の、清姫像。 後ろから光が。 影の部分をつくって撮影。
清姫の、何が人の心を動かすのでしょう。
小さなお地蔵さん。 まぶしそう。
この川で遊んだと、説明にあった。
こんな鳥が。
道の駅、熊野古道中辺路。
少しだけ歩くことに。
熊野古道が世界遺産ですよ。 まだ、その魅力は分からない。
杉林より、広葉樹の中を歩く方がいいかな。
石垣があった。 昔の面影がないと、つまらない。
道の案内は、完璧。 迷うことはない。 暑い日でも、涼しい。
安珍は東北の人なのに、どうして三重の方に行かないかが、不思議だった。
今日分かった。 三重の方には、、昔、道はなかった。
熊野古道は、京都からの道だった。
下の歌に、望郷とある。
歌った人の故郷は、当然、ここより、熊野本宮の方と考えていいのかな。
ここは、箸折峠で、峠を過ぎたら、近露という地域だ。 そこが、故郷かもしれない。
※ 作者は分からなかった。
ここに、牛馬童子像がある。
これが、その像。 花山法皇の旅姿とも言われている。 詳しくは、ここに。
馬に、こうやって乗ることは、あるんだろうか。
これは、宝篋印塔 〔ほうきょういんとう〕。 鎌倉時代の物。
この塔は、どうして、いつも注目されるのでしょう。
さらに行くと、下り坂に、石が敷き詰めてあった。
この地方は、雨が多い。 道に石を敷くことが多い。
ここが、中辺路の近露という地域。
近露の前の集落は、滝尻王子のあるところ。 13㌔ほど手前。
ここまで来て、宿を取ることができた。 宿は、5㌔ほど先にもあった。
明日私は、滝尻王子から、5㌔先の継桜王子までの、18.2㌔を歩きたいと思っている。 早く寝ないと。
旧国道を歩いて、道の駅に戻った。 遠回りの道だった。
明日は久しぶりに、長距離歩く。 山登りに向けての訓練かな。
朝7時過ぎに、バスで、出発点に行く。 ゴールから、夕方バスで戻る。
道の標高差、600㍍。 山登りだ。
【道の駅】 熊野古道中辺路(なかへち) 場所はここ。
【明日の予定】 上に書いた通り。 18㌔を歩きます。 大丈夫か、少し不安。
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40年前に見た風景と、同じだった。
大学の1年の時に、友達3人と、汽車で来た。
紀伊半島の、周遊券を買ったのかな。
7月29日に、旭川駅を出発。
30日に、函館から連絡船に乗った。
午後、船内のテレビに、ニュース速報が入った。
雫石で、飛行機事故が起きた。 全日空機と自衛隊機との空中衝突。 162人が亡くなった。
この事故を記憶している人は少ない。
当事者が、風化を目指したからだ。 事故を教訓にすることはなかった。
日航機事故とは、違った。 ※ この記事で、少し触れています。
白浜に来たのは、8月の5日頃でしょうか。
南国の海は、こうなんだと思った。
それ以来ずっと、南の海のイメージは、白浜の青い海になった。
この島は、円月島(えんげつとう)。 夕日が、穴に来た写真を撮ってみたい。 場所はここ。

遠くに、リゾートホテル。 この後、撮影できなかったが、泳いでいる人もいた。

釣った魚は、太刀魚かなと思う。 大きい。

ここは、千畳敷。

大きな1枚岩。

岩は白く、海は青い。

千畳敷は、有名な場所。
でも、人は、見る場所より、遊ぶ場所にたくさんいた。
磯での遊び、釣り、ダイビング、など。

レジャーボート。

朝顔より大きい。 このような花は、涼しさを感じるでしょうか。

三段壁。 場所は、ここ。 千畳敷は、上に。

私は、こういう所に行くのは、苦手。

こんな感じ。

海の色は、これなんですね。 悪くない。 どこでもこう。 積丹にはかなわないが、なかなか。

展望台は、こんな感じ。

熊野古道に向かった。 途中、上富田町を通った。 ※ かみとんだちょう。
坂本冬実の出身地。 (ekさんの情報)
小・中・高と、地元の学校。
この人は、NHKの『勝ち抜き歌謡天国』(和歌山大会)で名人となり、審査員だった猪俣公章の内弟子となる。
和服でない方が好きかな。 また君に恋してる(YouTube)
一つの歌を、この人はよみがえらせましたね。 ヒットさせて、美しくなった。


道成寺のブログに書いた、清姫の墓があった。

300㍍ほど離れた所にあったが、国道の工事で、ここに移した。

清姫が、実在の人物だとしたら、いったい何があったんでしょうね。
どんな話から、安珍清姫の話は生まれたのかな。
お堂の中の、清姫像。 後ろから光が。 影の部分をつくって撮影。

清姫の、何が人の心を動かすのでしょう。

小さなお地蔵さん。 まぶしそう。

この川で遊んだと、説明にあった。

こんな鳥が。

道の駅、熊野古道中辺路。

少しだけ歩くことに。

熊野古道が世界遺産ですよ。 まだ、その魅力は分からない。

杉林より、広葉樹の中を歩く方がいいかな。

石垣があった。 昔の面影がないと、つまらない。

道の案内は、完璧。 迷うことはない。 暑い日でも、涼しい。

安珍は東北の人なのに、どうして三重の方に行かないかが、不思議だった。
今日分かった。 三重の方には、、昔、道はなかった。
熊野古道は、京都からの道だった。
下の歌に、望郷とある。
歌った人の故郷は、当然、ここより、熊野本宮の方と考えていいのかな。
ここは、箸折峠で、峠を過ぎたら、近露という地域だ。 そこが、故郷かもしれない。
※ 作者は分からなかった。

ここに、牛馬童子像がある。

これが、その像。 花山法皇の旅姿とも言われている。 詳しくは、ここに。

馬に、こうやって乗ることは、あるんだろうか。

これは、宝篋印塔 〔ほうきょういんとう〕。 鎌倉時代の物。
この塔は、どうして、いつも注目されるのでしょう。

さらに行くと、下り坂に、石が敷き詰めてあった。
この地方は、雨が多い。 道に石を敷くことが多い。

ここが、中辺路の近露という地域。
近露の前の集落は、滝尻王子のあるところ。 13㌔ほど手前。
ここまで来て、宿を取ることができた。 宿は、5㌔ほど先にもあった。
明日私は、滝尻王子から、5㌔先の継桜王子までの、18.2㌔を歩きたいと思っている。 早く寝ないと。

旧国道を歩いて、道の駅に戻った。 遠回りの道だった。

明日は久しぶりに、長距離歩く。 山登りに向けての訓練かな。
朝7時過ぎに、バスで、出発点に行く。 ゴールから、夕方バスで戻る。
道の標高差、600㍍。 山登りだ。
【道の駅】 熊野古道中辺路(なかへち) 場所はここ。
【明日の予定】 上に書いた通り。 18㌔を歩きます。 大丈夫か、少し不安。
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道成寺には、話が3つ語り継がれていた。
どれも、面白い。
縁起堂で、「絵とき説法」を聞くことができた。
これは、「道成寺縁起絵巻」の写本を広げて、安珍清姫の物語を説明するものだった。
安珍と清姫は、実在の可能性があるのか、まずそれが知りたい。
海は、どこも白っぽい、やわらかなブルー。
石灰岩のせいでしょうか。
向こうへ行く。 時々、釣り人がいる。
ここは、1500円払って、釣りが出来る所。 生簀(いけす)の中を釣るのは、高い。
どこかで、釣りをしたい。
参道には、お土産屋さんが並んでいた。 小さな、観光地のようだ。
石段は普通で、上の方は、狭く見える。
でも、横の部分は、上と下の幅が、写真で変わらない。 実際は、上の幅が広い。
上の方を広くすると、上が遠くに感じないそうだ。 参拝者への心遣いか。
仁王門は、1700年に建てられている。(元禄13)
本堂。 本尊は、別の所に。
昔、安珍という僧が、奥州白河にいた。 熊野権現に参詣に来た。 ※ 熊野権現はここ。
一夜の宿を、中辺路の真砂(まなご)辺りで借りた。 そこに清姫がいた。 清姫は、一目ぼれだった。
※ 真砂はここ。 清姫の墓があり、その上に真砂が見える。
参詣の帰り、また寄ることを約束した。
でも、安珍は修業の身なので、寄らなかった。
安珍は、清姫に追われた。 清姫は、大蛇に化けて追った。
安珍は、この寺に助けを求め、降ろした鐘の中に隠れた。 ※ 道成寺はここ。
でも、大蛇に化けた清姫の吐く炎で、安珍は鐘もろとも、焼かれた。 清姫も、自殺した。
こんな話が、ここ道成寺に伝わっている。
鐘のあった場所。
安珍塚。 安珍と鐘を葬った場所とあった。
仁王門。
三重塔。 1764年のもの。
3階の屋根だけ、支える木(垂木)の向きが違う。
400年ほどして、2代目の鐘ができた。 しかし、清姫の怨霊が引きずりおろした。
鐘は上げたが、清姫の怨念のためか、災いが続いた。 山に捨てられた。
さらに、200年ほどたって、
豊臣秀吉による根来攻めが行われた際、秀吉の家臣が山中でこの鐘を見つけた。
そのまま京都へ持ち帰り、清姫の怨念を解くため、妙満寺に鐘を納めた。
妙満寺には、今でも、この鐘がある。
全体は、このように。 私の後ろに、新しい建物が。
縁起堂の中。 安珍清姫の物語のための部屋。 国宝の仏像などは、宝佛殿に。
巻物を広げて、道場寺縁起絵巻を、聞かせてくれた。
※ 概略は上に書いたが、詳しくは、こんな話し。
※ まんが日本昔話の、安珍清姫(YouTube)
安珍清姫のお話しは、歌舞伎や能で演じられている。 それらは、「道成寺もの」というそう。
清姫が、大蛇になったり、火を噴いたりするので、退屈しないのかな。
安珍と清姫。
大蛇になって、川を渡って追いかけている。
鐘に巻きついて、安珍を焼き殺した。
これは、別の話。
宮古姫のお話し。 宮古姫は、ここの出身だという。
藤原不比等の養女になって、文武天皇の夫人になった。 そして、大仏を造った、聖武天皇を生む。
※ 詳しくは、こんなお話し。
安珍清姫は、映画にもなった。 市川雷蔵と若尾文子。
こんな映画も。 清姫は、山田五十鈴。
清姫が、実在した可能性があるかどうかだが、「紀州民話の旅」(和歌山県発行)にこんな文があった。
真砂の里には、確かに「清姫」という女性が実在した。真砂兵部左衛門尉清重=延喜元年(九○一)没=の長女で、
希代=延長六年(九二八)没=という。
国道近くの木立ちの中には、清姫の墓といわれる、古い墓石がある。
真砂のある中辺路の辺りで、原型になる話が生まれたように思う。
この地域には、寺に伝わるのとは、別なのが伝えられている。 何種類かが。
またこの話は、成仏できない安珍と清姫が、仏に助けられたとなっている。
この話を広めたのは、庶民だけでなく、寺も関わっていたことが分かる。
御利益を知ってもらうために。
※ 安珍が実在したかどうかにつては、分かりませんでした。
宮子姫が、ここの出身かどうかは、議論されている状態。
議論されているということは、可能性が少しある、ということでしょうか。
狭い山の中が多い紀伊半島で、川辺町や隣の御坊市は、田んぼが広がっていた。
弱々しく見えるこの稲が、どんどんたくましく育っていく。
道の駅の近く。 国道424。 ずっと行くと竜神温泉。
そばを、南部(みなべ)川が流れている。
みなべ町は、梅の生産日本一。 南高梅という梅を生み出している。
【道の駅】 みなべうめ振興館
【明日の予定】 白浜に寄って、山の中に。
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どれも、面白い。
縁起堂で、「絵とき説法」を聞くことができた。
これは、「道成寺縁起絵巻」の写本を広げて、安珍清姫の物語を説明するものだった。
安珍と清姫は、実在の可能性があるのか、まずそれが知りたい。
海は、どこも白っぽい、やわらかなブルー。
石灰岩のせいでしょうか。

向こうへ行く。 時々、釣り人がいる。

ここは、1500円払って、釣りが出来る所。 生簀(いけす)の中を釣るのは、高い。
どこかで、釣りをしたい。

参道には、お土産屋さんが並んでいた。 小さな、観光地のようだ。

石段は普通で、上の方は、狭く見える。
でも、横の部分は、上と下の幅が、写真で変わらない。 実際は、上の幅が広い。
上の方を広くすると、上が遠くに感じないそうだ。 参拝者への心遣いか。
仁王門は、1700年に建てられている。(元禄13)

本堂。 本尊は、別の所に。

昔、安珍という僧が、奥州白河にいた。 熊野権現に参詣に来た。 ※ 熊野権現はここ。
一夜の宿を、中辺路の真砂(まなご)辺りで借りた。 そこに清姫がいた。 清姫は、一目ぼれだった。
※ 真砂はここ。 清姫の墓があり、その上に真砂が見える。
参詣の帰り、また寄ることを約束した。
でも、安珍は修業の身なので、寄らなかった。
安珍は、清姫に追われた。 清姫は、大蛇に化けて追った。
安珍は、この寺に助けを求め、降ろした鐘の中に隠れた。 ※ 道成寺はここ。
でも、大蛇に化けた清姫の吐く炎で、安珍は鐘もろとも、焼かれた。 清姫も、自殺した。
こんな話が、ここ道成寺に伝わっている。
鐘のあった場所。

安珍塚。 安珍と鐘を葬った場所とあった。

仁王門。

三重塔。 1764年のもの。

3階の屋根だけ、支える木(垂木)の向きが違う。

400年ほどして、2代目の鐘ができた。 しかし、清姫の怨霊が引きずりおろした。
鐘は上げたが、清姫の怨念のためか、災いが続いた。 山に捨てられた。
さらに、200年ほどたって、
豊臣秀吉による根来攻めが行われた際、秀吉の家臣が山中でこの鐘を見つけた。
そのまま京都へ持ち帰り、清姫の怨念を解くため、妙満寺に鐘を納めた。

妙満寺には、今でも、この鐘がある。

全体は、このように。 私の後ろに、新しい建物が。

縁起堂の中。 安珍清姫の物語のための部屋。 国宝の仏像などは、宝佛殿に。
巻物を広げて、道場寺縁起絵巻を、聞かせてくれた。
※ 概略は上に書いたが、詳しくは、こんな話し。
※ まんが日本昔話の、安珍清姫(YouTube)

安珍清姫のお話しは、歌舞伎や能で演じられている。 それらは、「道成寺もの」というそう。
清姫が、大蛇になったり、火を噴いたりするので、退屈しないのかな。

安珍と清姫。

大蛇になって、川を渡って追いかけている。

鐘に巻きついて、安珍を焼き殺した。

これは、別の話。
宮古姫のお話し。 宮古姫は、ここの出身だという。
藤原不比等の養女になって、文武天皇の夫人になった。 そして、大仏を造った、聖武天皇を生む。
※ 詳しくは、こんなお話し。

安珍清姫は、映画にもなった。 市川雷蔵と若尾文子。

こんな映画も。 清姫は、山田五十鈴。

清姫が、実在した可能性があるかどうかだが、「紀州民話の旅」(和歌山県発行)にこんな文があった。
真砂の里には、確かに「清姫」という女性が実在した。真砂兵部左衛門尉清重=延喜元年(九○一)没=の長女で、
希代=延長六年(九二八)没=という。
国道近くの木立ちの中には、清姫の墓といわれる、古い墓石がある。
真砂のある中辺路の辺りで、原型になる話が生まれたように思う。
この地域には、寺に伝わるのとは、別なのが伝えられている。 何種類かが。
またこの話は、成仏できない安珍と清姫が、仏に助けられたとなっている。
この話を広めたのは、庶民だけでなく、寺も関わっていたことが分かる。
御利益を知ってもらうために。
※ 安珍が実在したかどうかにつては、分かりませんでした。
宮子姫が、ここの出身かどうかは、議論されている状態。
議論されているということは、可能性が少しある、ということでしょうか。
狭い山の中が多い紀伊半島で、川辺町や隣の御坊市は、田んぼが広がっていた。
弱々しく見えるこの稲が、どんどんたくましく育っていく。

道の駅の近く。 国道424。 ずっと行くと竜神温泉。
そばを、南部(みなべ)川が流れている。
みなべ町は、梅の生産日本一。 南高梅という梅を生み出している。

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「稲むらの火」のお話しは、フィクションだった。
実際にあったように、世に広まった。(広めた)
ただ、事実の方は、それはそれで、いい話かなと思った。
白崎海洋公園は、真っ白な海岸だった。
今日は2ヶ所行ったが、両方とも、不思議な場所だった。
今日は、細い道で苦労した。
ekさんのコメントにあった、国道42を素直に走れば良かった。
明日は直ぐ、42に戻る。
国道480を、有田川に沿って下った。 吊橋が見えたので、停まった。 ゆすったら、揺れた。 これでいい。
ここは、二川ダムによってできた、ダム湖。
国道だけど、センターラインは、時々無くなる。
「稲むらの火」というお話があった。
ずっと昔は、国語の教科書に載っていたそうだ。
私は、道徳の副読本で見た。 だいぶ前の話。
「こんな立派な人がいました」と言う内容の話は、作品としての価値は小さいため、消えることが多いかな。
ここは、広川町にある、「稲むらの火の館」 ここです。
稲むらの火は、こんな話ですね。
江戸時代の終わりの頃。
ある男の人(庄屋)が、山の上で仕事をしていた。 夕方、大きな地震が起きた。
少しして海を眺めたら、 むこうから津波がやってきた。
浜の人は、それに気付かない。
その男は、自分の畑の稲わら全部に、火をつけた。
山の下にいる人達は、庄屋さんの家が火事だと、山の上にあがってきた。
そうして、みんな助かった。
この話の舞台が、今いる、広川町。
庄屋さんの名前は、濱口悟陵(はまぐち ごりょう)
濱口悟陵記念館と、津波防災教育センターがあった。
「稲むらの火」は、小泉八雲が英語で書いた作品だった。
それを、日本語に直したのが、私たちの知っているものだった。
下の図、そのときの地震、安政南海地震。
実際の話は違って、こうだった。
1 枯れた井戸の水
今から150年ほど前のある冬の朝、広村に地震が起こった。
いつもと違う海に、村人たちは津波を心配して、広八幡神社に避難した。
ところが、次の日のお昼過ぎ、あわてて梧陵さんの家にかけ込んできた村人が言った。
「えらいこっちゃ、井戸の水が枯れているぞ!」
2 大地震だ!津波だ!
夕方の4時。きのうの地震とは比べものにならない大きな地震が起きた。
家が倒れ、かわらが吹き飛んだ。ドーッという、大砲がとどろくような音が何度も聞こえた。
そしてついに、大きな津波が押し寄せてきた。
「にげろ!丘にあがれ!津波が来たぞ!」
梧陵さんは、波にのまれながらも必死で村人たちにそう叫んだ。
3 命の火、「稲むらの火」
津波は、川をさかのぼって家や田畑を押し流した。
その後、すごい勢いで海へ引いた。
あたりはひどいありさまで、おとなも子どもも、家族をさがして叫びまわっている。
梧陵さんは、暗やみでどこへ逃げればいいのかわからず、さまよっている人がいるにちがいないと考えた。
とっさに、「そうだ。もったいないが、あの丘の稲むらに火をつけよう」と、
積み上げられた稲の束に火をつけてまわった。
すると、逃げおくれた村人が、次から次へと火を目指して丘にのぼってきた。
津波は何度も、押し寄せては引いた。
4 生きる希望
「このままでは、村がほろびてしまう。 浜に堤防を築こう。 村人に働いてもらってお金を払い、生活に役立ててもらおう。
そうすればきっと、生きる希望もわいてくるはずだ。」
悟陵さんは、こう考えた。
地震のあとの炊き出しで、蔵の米もすっかりなくなっていた。
梧陵さんは家族や店の人に、村を守りぬくための協力を求めた。
※ 梧陵さんの家は、広村と千葉県の銚子というところで、昔からしょうゆを造っていた。
店や工場では、たくさんの人が働いていた。
この人が、濱口悟陵。
5 広村堤防
広村の人たちは、梧陵さんの決断に心の底から感謝した。
4年がかりで大きく立派な堤防が完成した。 海側には松の木を、土手には、はぜの木を植えた。
それ以降、津波は村には入って来なかった。
※ 1946年(昭和21年)12月21日に昭和南海地震が起こり、4mの津波がおそった。
でも、堤防に守られた村は無事だった。
こんな話だった。
記念館の中。
広村堤防を見に行った。 こんな小路があった。 まだ、残っている。
広村堤防。 いまでも、役に立っている。
反対側。
本当の話は違ったので、「稲むらの火」の話が、今後復活することはないですね。
たくさんの人が、実際にあったものだと信じてきた。
教科書に載せたこと、副読本に載せたこと、問題ありますね。
※ 「青の洞門」のように、歴史的事実なら、いいと思う。
※ 防災教育センターの方は、どういう経緯で作られたか、よく分からない建物。
管理にお金がかかる。 古くなった時に、閉鎖かな。
この建物も、使うのが目的でなく、作るのが目的。 今の時代は、簡単に、こういうのは作られない。
そんな印象をもった。
※ ヤマサ醤油というのが、今もある。
濱口悟陵は、7代目の当主。
海沿いの道を通って、白崎海洋公園に向かった。 目的は、綺麗な海を見ること。
山に小さな木が見えたら、みんな、みかん。
道沿いに駐車帯は、滅多にない。 やっとあった。
断酒道場があった。 ダンス道場ではない。 お世話になる時が来るのか?
変わった風景が、見えてきた。
道の駅になっていた。(新しい) どこも、真っ白。 石灰岩。 ここです。
浜が白いので、海の色がきれい。
今年初めて見る。 名前は、わすれた。
展望台へ。
白崎海洋公園に来て、不思議なことがあった。
案内看板が、どこにもない。 とにかく、説明がない。 あるのは、注意書きだけ。
ここが、どういう場所なのか、それが分からない。
暗い歴史があるのかと、少しだけ疑った。
この風景は、石灰岩の採掘跡の感じ。
調べてみたら、戦時中から、石灰岩が採掘されていた。
また、多くの朝鮮人が働かされていた。
ここの海は、ダイビングが盛んだった。 練習する施設もあった。
真っ白。 美しいと言っていいかな。 大理石の浜は、三陸にありましたね。
変わった形は、どういうふにして、できるのでしょう。
遠くに見えるのは、別荘かな。
向こうは、日の岬。
山の中腹に、穴を塞いだ跡があった。
道の駅の2階に、貝殻の展示があった。 菊目石。 どのくらい珍しいかは、はっきりしない。
この海洋公園には、隠れた史実があった。
駐車場の横に大きな穴があって、これは、人間魚雷回天の基地だった。
魚雷の中に人が乗って操縦する。 戦争も、行きつくところまで行くと、こうなる。
めちゃくちゃ。
終戦間際だったため、ここからの出撃はなかったようだ。
全てを、説明板に書けばいいのにと思った。
紀伊半島の海はきれいだ。 これが南国の夏の海、っていう感じでしょうか。
天気も、いい日が続く。
【道の駅】 白崎海洋公園
【明日の予定】 道成寺かな。 安珍清姫の話があるそうだ。 私は、知らない。
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実際にあったように、世に広まった。(広めた)
ただ、事実の方は、それはそれで、いい話かなと思った。
白崎海洋公園は、真っ白な海岸だった。
今日は2ヶ所行ったが、両方とも、不思議な場所だった。
今日は、細い道で苦労した。
ekさんのコメントにあった、国道42を素直に走れば良かった。
明日は直ぐ、42に戻る。
国道480を、有田川に沿って下った。 吊橋が見えたので、停まった。 ゆすったら、揺れた。 これでいい。

ここは、二川ダムによってできた、ダム湖。

国道だけど、センターラインは、時々無くなる。

「稲むらの火」というお話があった。
ずっと昔は、国語の教科書に載っていたそうだ。
私は、道徳の副読本で見た。 だいぶ前の話。
「こんな立派な人がいました」と言う内容の話は、作品としての価値は小さいため、消えることが多いかな。
ここは、広川町にある、「稲むらの火の館」 ここです。

稲むらの火は、こんな話ですね。
江戸時代の終わりの頃。
ある男の人(庄屋)が、山の上で仕事をしていた。 夕方、大きな地震が起きた。
少しして海を眺めたら、 むこうから津波がやってきた。
浜の人は、それに気付かない。
その男は、自分の畑の稲わら全部に、火をつけた。
山の下にいる人達は、庄屋さんの家が火事だと、山の上にあがってきた。
そうして、みんな助かった。
この話の舞台が、今いる、広川町。
庄屋さんの名前は、濱口悟陵(はまぐち ごりょう)
濱口悟陵記念館と、津波防災教育センターがあった。

「稲むらの火」は、小泉八雲が英語で書いた作品だった。
それを、日本語に直したのが、私たちの知っているものだった。
下の図、そのときの地震、安政南海地震。

実際の話は違って、こうだった。
1 枯れた井戸の水
今から150年ほど前のある冬の朝、広村に地震が起こった。
いつもと違う海に、村人たちは津波を心配して、広八幡神社に避難した。

ところが、次の日のお昼過ぎ、あわてて梧陵さんの家にかけ込んできた村人が言った。
「えらいこっちゃ、井戸の水が枯れているぞ!」

2 大地震だ!津波だ!
夕方の4時。きのうの地震とは比べものにならない大きな地震が起きた。
家が倒れ、かわらが吹き飛んだ。ドーッという、大砲がとどろくような音が何度も聞こえた。
そしてついに、大きな津波が押し寄せてきた。
「にげろ!丘にあがれ!津波が来たぞ!」
梧陵さんは、波にのまれながらも必死で村人たちにそう叫んだ。

3 命の火、「稲むらの火」
津波は、川をさかのぼって家や田畑を押し流した。
その後、すごい勢いで海へ引いた。
あたりはひどいありさまで、おとなも子どもも、家族をさがして叫びまわっている。
梧陵さんは、暗やみでどこへ逃げればいいのかわからず、さまよっている人がいるにちがいないと考えた。
とっさに、「そうだ。もったいないが、あの丘の稲むらに火をつけよう」と、
積み上げられた稲の束に火をつけてまわった。
すると、逃げおくれた村人が、次から次へと火を目指して丘にのぼってきた。
津波は何度も、押し寄せては引いた。

4 生きる希望
「このままでは、村がほろびてしまう。 浜に堤防を築こう。 村人に働いてもらってお金を払い、生活に役立ててもらおう。
そうすればきっと、生きる希望もわいてくるはずだ。」
悟陵さんは、こう考えた。
地震のあとの炊き出しで、蔵の米もすっかりなくなっていた。
梧陵さんは家族や店の人に、村を守りぬくための協力を求めた。
※ 梧陵さんの家は、広村と千葉県の銚子というところで、昔からしょうゆを造っていた。
店や工場では、たくさんの人が働いていた。

この人が、濱口悟陵。

5 広村堤防
広村の人たちは、梧陵さんの決断に心の底から感謝した。
4年がかりで大きく立派な堤防が完成した。 海側には松の木を、土手には、はぜの木を植えた。
それ以降、津波は村には入って来なかった。
※ 1946年(昭和21年)12月21日に昭和南海地震が起こり、4mの津波がおそった。
でも、堤防に守られた村は無事だった。
こんな話だった。

記念館の中。

広村堤防を見に行った。 こんな小路があった。 まだ、残っている。

広村堤防。 いまでも、役に立っている。

反対側。

本当の話は違ったので、「稲むらの火」の話が、今後復活することはないですね。
たくさんの人が、実際にあったものだと信じてきた。
教科書に載せたこと、副読本に載せたこと、問題ありますね。
※ 「青の洞門」のように、歴史的事実なら、いいと思う。
※ 防災教育センターの方は、どういう経緯で作られたか、よく分からない建物。
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そんな印象をもった。
※ ヤマサ醤油というのが、今もある。
濱口悟陵は、7代目の当主。
海沿いの道を通って、白崎海洋公園に向かった。 目的は、綺麗な海を見ること。
山に小さな木が見えたら、みんな、みかん。

道沿いに駐車帯は、滅多にない。 やっとあった。

断酒道場があった。 ダンス道場ではない。 お世話になる時が来るのか?

変わった風景が、見えてきた。

道の駅になっていた。(新しい) どこも、真っ白。 石灰岩。 ここです。

浜が白いので、海の色がきれい。

今年初めて見る。 名前は、わすれた。

展望台へ。

白崎海洋公園に来て、不思議なことがあった。
案内看板が、どこにもない。 とにかく、説明がない。 あるのは、注意書きだけ。
ここが、どういう場所なのか、それが分からない。
暗い歴史があるのかと、少しだけ疑った。
この風景は、石灰岩の採掘跡の感じ。

調べてみたら、戦時中から、石灰岩が採掘されていた。
また、多くの朝鮮人が働かされていた。

ここの海は、ダイビングが盛んだった。 練習する施設もあった。

真っ白。 美しいと言っていいかな。 大理石の浜は、三陸にありましたね。

変わった形は、どういうふにして、できるのでしょう。

遠くに見えるのは、別荘かな。

向こうは、日の岬。

山の中腹に、穴を塞いだ跡があった。

道の駅の2階に、貝殻の展示があった。 菊目石。 どのくらい珍しいかは、はっきりしない。

この海洋公園には、隠れた史実があった。
駐車場の横に大きな穴があって、これは、人間魚雷回天の基地だった。
魚雷の中に人が乗って操縦する。 戦争も、行きつくところまで行くと、こうなる。
めちゃくちゃ。
終戦間際だったため、ここからの出撃はなかったようだ。
全てを、説明板に書けばいいのにと思った。

紀伊半島の海はきれいだ。 これが南国の夏の海、っていう感じでしょうか。
天気も、いい日が続く。
【道の駅】 白崎海洋公園
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山の中に、島があった。
それは、美しい形をした棚田だった。
あらぎ島と呼ばれるその棚田は、時間と共に、表情を変えた。
夜になって、空は、満天の星空になった。
この後、真夜中に、月が上る。
水を張った田に、月が映る。 それを撮りたい。
※ うまくいくかどうか、分からないが、撮影に行って来る。(夜、11時過ぎ)
紀ノ川は、和歌山県の北部を流れている。
その南にあるのが、有田川。 ありだがわ、と濁る。
あらぎ島は、有田川の中流域にある、有田川町にあった。 場所はここ。
展望台があった。 ※ 地図の印のすぐ上の道に。 道の駅あらぎの里は、すぐ近くに。
これが、あらぎ島。 最初見た時、ホタテの貝に見えた。
有田川が、左上から、下を通って、右上に流れている。 あらぎ島は、川に囲まれている。
色んな棚田を見てきたが、こんなの初めて。
川と周りの山が、棚田を引き立て、棚田は美しさを増していた。
展望台に、男の人がいた。 話したら、あらぎ島の写真を撮ってると言う。
ここの棚田について、とても詳しかった。
どうして、あらぎ島と言うのか、聞いた。
この棚田に、昔、蘭(あらぎ)さんと言う人が住んでいた。
※ 蘭は、あららぎと読むが、それが、あらぎになった。
あららぎは、植物の名前で、ノビルの古名だそう。 ノビル(Wikipedia)
どうして、島が付くかだが、
昔、島田さんと言う人も住んでいたそうだ。
このことについては、ネットでも調べてみた。
そうしたら、島は、古くは「耕作地」を意味する言葉だったというのが、あった。
島には、まとまった範囲を意味することが、あるのかなとも。
「島を荒らすな」のような使われ方も。 「取り付く島もない」は、関係ないか。
私は、この可能性があるかなと。 それは、
棚田が川に囲まれているため、庭の池に囲まれた、築山(島)に見えたのではないかと。
でも、耕作地の考えが、本命でしょうか。
場所を、少し変えて撮影。 右の方から。
この辺り一帯を、散歩することにした。 こういうのが、好き。
この家は、展望台の100㍍ほど上にある。
さっき会った人の、持ち物。 住んではいない。
家の前が空いてるので、使っていいよと言われた。
電気も使えるし、鍵はかかっていないから、テレビを見ていいとも。
ただ、後でここに来たが、入り口に傾斜があるため、入れなかった。 残念。 ※ 車の後ろが、道にぶつかる。
上の写真の家。 左が谷。
こういう谷の底に、棚田はある。
マクロレンズを使ってみた。 1㌢ほどの、小さなイチゴ。
他にも撮ったが、ほとんどの写真は、失敗。 どうしてもボケる。
使い方が分かったら、いい写真が撮れそう。
花を撮ったら、小さなゴミや、花びらの汚れも写ってしまう。
マクロレンズで撮る場合、花は素顔が綺麗か、ちゃんと化粧をしてもらわないと、いい写真にはならない。
道のカーブの辺りが、展望台。
普通の棚田は、どこにでも。
きっと、植えたのではない。
誰も住んでない家で、主の帰りを待っているのか。 ※ 国東半島の、寺の跡にあった、仁王像を思い出す。
ここを上って、展望台。
花があったので、一緒に撮影。
展望台より、高い所から撮影。
向こうに行ったら、駐車場。
暗くなってきた。
やっと撮影できる状態。
見えなくていい物が、夜は見えない。 夜の写真は、だからいいのかな。
展望台で会った人が、棚田に月が映ったら綺麗だよと言った。
月の出る時刻とか調べたら、今晩可能性があった。
12時頃、月はまだ見えなかった。 少し寝て、2時過ぎに外に出た。
月は、出ていた。 でも、高すぎる感じだ。
撮影場所に行ったが、やはり、高かった。 もう少し低くないと、あらぎ島には映らない。
もっと早く起きればよかった。 どうでもいい夢を見ていたんだから。
それでも、写真は撮った。 月は、有田川に映っていた。
上でお会いした人は、市街地で料理店を営んでいた。 立派なお店だった。
ワサビの葉に巻かれたお寿司と、山菜の煮ものと、ざる蕎麦を食べた。(セット)
とても美味しかった。 体にやさしいと感じるものばかりだった。
店の人と、たくさん話した。 旅のこととか。
旦那さんが撮った写真を、見せてもらった。
霧に包まれたあらぎ島や、雪のあらぎ島など、あらぎ島の魅力が引き出された写真ばかりだった。
どうして、こんな色が出せるんだろうと思った。
※ 写真は、デジカメではなく、銀塩とよばれるものだった。
山の中の夜は、いいものです。
何かの物語の世界に、自分がいるみたい。
3時頃だったでしょうか。
写真を撮っていたら、目の前の暗闇の中を、鳥が飛んで行きました。
今日は、めずらしい棚田を見ました。 ※ 細かな情報は ここに。 日本棚田百選 あらぎ島
※ 追記 もし、今の時代に橋をかけたら、別の橋になったでしょうね。
角島大橋のように、自然にとけ込める橋にした。
出来た橋はどうしようもないから、橋の色を考えるのでしょうか。
また、周りの環境は、完璧でない。
今が70点とすれば、90点にはできますね。
町民に、あらぎ島の価値を知ってもらうのが、一番大事なことでしょうか。
(この棚田は、先人の苦労の象徴かな。 子供たちが学ぶ価値もあるし)
【道の駅】 あらぎの里。 場所はここ。
【明日の予定】 海に向かいます。
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それは、美しい形をした棚田だった。
あらぎ島と呼ばれるその棚田は、時間と共に、表情を変えた。
夜になって、空は、満天の星空になった。
この後、真夜中に、月が上る。
水を張った田に、月が映る。 それを撮りたい。
※ うまくいくかどうか、分からないが、撮影に行って来る。(夜、11時過ぎ)
紀ノ川は、和歌山県の北部を流れている。
その南にあるのが、有田川。 ありだがわ、と濁る。
あらぎ島は、有田川の中流域にある、有田川町にあった。 場所はここ。
展望台があった。 ※ 地図の印のすぐ上の道に。 道の駅あらぎの里は、すぐ近くに。

これが、あらぎ島。 最初見た時、ホタテの貝に見えた。
有田川が、左上から、下を通って、右上に流れている。 あらぎ島は、川に囲まれている。

色んな棚田を見てきたが、こんなの初めて。
川と周りの山が、棚田を引き立て、棚田は美しさを増していた。

展望台に、男の人がいた。 話したら、あらぎ島の写真を撮ってると言う。
ここの棚田について、とても詳しかった。
どうして、あらぎ島と言うのか、聞いた。
この棚田に、昔、蘭(あらぎ)さんと言う人が住んでいた。
※ 蘭は、あららぎと読むが、それが、あらぎになった。
あららぎは、植物の名前で、ノビルの古名だそう。 ノビル(Wikipedia)
どうして、島が付くかだが、
昔、島田さんと言う人も住んでいたそうだ。
このことについては、ネットでも調べてみた。
そうしたら、島は、古くは「耕作地」を意味する言葉だったというのが、あった。
島には、まとまった範囲を意味することが、あるのかなとも。
「島を荒らすな」のような使われ方も。 「取り付く島もない」は、関係ないか。
私は、この可能性があるかなと。 それは、
棚田が川に囲まれているため、庭の池に囲まれた、築山(島)に見えたのではないかと。
でも、耕作地の考えが、本命でしょうか。

場所を、少し変えて撮影。 右の方から。

この辺り一帯を、散歩することにした。 こういうのが、好き。
この家は、展望台の100㍍ほど上にある。
さっき会った人の、持ち物。 住んではいない。
家の前が空いてるので、使っていいよと言われた。
電気も使えるし、鍵はかかっていないから、テレビを見ていいとも。
ただ、後でここに来たが、入り口に傾斜があるため、入れなかった。 残念。 ※ 車の後ろが、道にぶつかる。

上の写真の家。 左が谷。

こういう谷の底に、棚田はある。

マクロレンズを使ってみた。 1㌢ほどの、小さなイチゴ。
他にも撮ったが、ほとんどの写真は、失敗。 どうしてもボケる。
使い方が分かったら、いい写真が撮れそう。
花を撮ったら、小さなゴミや、花びらの汚れも写ってしまう。
マクロレンズで撮る場合、花は素顔が綺麗か、ちゃんと化粧をしてもらわないと、いい写真にはならない。

道のカーブの辺りが、展望台。

普通の棚田は、どこにでも。

きっと、植えたのではない。

誰も住んでない家で、主の帰りを待っているのか。 ※ 国東半島の、寺の跡にあった、仁王像を思い出す。

ここを上って、展望台。

花があったので、一緒に撮影。

展望台より、高い所から撮影。

向こうに行ったら、駐車場。

暗くなってきた。

やっと撮影できる状態。
見えなくていい物が、夜は見えない。 夜の写真は、だからいいのかな。

展望台で会った人が、棚田に月が映ったら綺麗だよと言った。
月の出る時刻とか調べたら、今晩可能性があった。
12時頃、月はまだ見えなかった。 少し寝て、2時過ぎに外に出た。
月は、出ていた。 でも、高すぎる感じだ。
撮影場所に行ったが、やはり、高かった。 もう少し低くないと、あらぎ島には映らない。
もっと早く起きればよかった。 どうでもいい夢を見ていたんだから。
それでも、写真は撮った。 月は、有田川に映っていた。

上でお会いした人は、市街地で料理店を営んでいた。 立派なお店だった。
ワサビの葉に巻かれたお寿司と、山菜の煮ものと、ざる蕎麦を食べた。(セット)
とても美味しかった。 体にやさしいと感じるものばかりだった。
店の人と、たくさん話した。 旅のこととか。
旦那さんが撮った写真を、見せてもらった。
霧に包まれたあらぎ島や、雪のあらぎ島など、あらぎ島の魅力が引き出された写真ばかりだった。
どうして、こんな色が出せるんだろうと思った。
※ 写真は、デジカメではなく、銀塩とよばれるものだった。
山の中の夜は、いいものです。
何かの物語の世界に、自分がいるみたい。
3時頃だったでしょうか。
写真を撮っていたら、目の前の暗闇の中を、鳥が飛んで行きました。
今日は、めずらしい棚田を見ました。 ※ 細かな情報は ここに。 日本棚田百選 あらぎ島
※ 追記 もし、今の時代に橋をかけたら、別の橋になったでしょうね。
角島大橋のように、自然にとけ込める橋にした。
出来た橋はどうしようもないから、橋の色を考えるのでしょうか。
また、周りの環境は、完璧でない。
今が70点とすれば、90点にはできますね。
町民に、あらぎ島の価値を知ってもらうのが、一番大事なことでしょうか。
(この棚田は、先人の苦労の象徴かな。 子供たちが学ぶ価値もあるし)
【道の駅】 あらぎの里。 場所はここ。
【明日の予定】 海に向かいます。
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変わった町並みがあった。
和歌山城に行かないで、そっちに行った。
また、和歌山ラーメンを食べた。 2店。
紀三井寺球場のそばを歩いた。 名前が気になって調べた。
和歌山と言えば、箕島高校。 昔、星稜高校と大変な試合をやった。
それと、この球場は、関係があった。
井出商店。 和歌山市の中心部。
名前は、聞いたことがあった。 昼に行ったら、人が並んでいた。 ※ この写真は、食べた後で撮影。(携帯)
大きな鍋で、麺を茹でた。
どんぶりに入れる醤油(たれ)の量、茹でる時間、すくいあげる1人前の量。
それらは、全て勘でやっていた。
久しぶりに、味も合格。 久留米や、博多に近い味。 手前のチャーシューは、無い方が見栄えがいい。
すぐ、2軒目を目指した。
右に行ったら、和歌浦。 山部赤人が、下の歌を詠んだ。
「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」
景勝地なので、行こうかとも思ったが、廃屋が目立つとあったので、やめた。
「元車庫前中華そば」という店に向かっている。 車を大きなスーパーに停めて。
右の方に、紀三井寺球場がある。
昔、和歌山の箕島と石川の星稜の試合があった。 延長16回の表に、星陵が1点を取った。
その裏、2アウト。 ファーストにフライが上がった。 捕ったら試合終了。 星稜の勝ち。
しかし、芝生の継ぎ目に足を取られ、落球。 その後、ホームランを打たれて、同点。
延長18回の裏、箕島が1点を取って勝った。
チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 R
星 稜 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 3
箕 島 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 1x 4 ※ 数字が、うまく並ばない。
この試合は、高校野球史上最高の試合と言われている。 私もライブで見た。
この両チームは、16年後に、ここ紀三井寺球場で、再試合を行った。
※ フライの落球とホームランは、ここに。(YouTube)
※ なお、この球場は、関西独立リーグ、紀州レンジャーズの本拠地だった。
下のラーメン屋の近くに、事務所があった。
情報誌に大きく載っていたので、行った。 味は、普通。 醤油っぽい味。
麺が、少しあんかけのようだった。 茹でる水を取り替えていないか、茹でた後、ちゃんとお湯を切っていない。
ほんの少し走ったら、海南市。 そこに、黒江の町並みがあった。
案内の看板とかないので、人に聞いた。 下の小路から入った。
黒江は、漆器の町でもあり、根来寺の僧が、江戸時代の初めに伝えたそう。
場所は、この辺り。 地図の中央。 県道9より、北方面。
昔は、こんな荷車が、この小路を通っていた。
花があるので、少し分かりずらいかな。 家の向きが変です。
この人、身動きしないで、お経を唱えていた。
※ 私は、神社で真面目にお願い事をしたのは、過去に1回だけ。
10年以上前。 北見市の小さな神社。 自分のことをお願いしたのではない。
右の家の前が、三角になっている。 これが、特徴。
※ 格子が見える。 窓の格子が分かりやすいが、タテの棒と棒の間が、棒の幅より広い。
このような格子を、連子格子(れんじこうし)と言うそうだ。 黒江の町の特徴。
家並みと関係ないが、こんな家が。 川に、とび出している。
土地の斜めの部分(のり面)は、誰の土地なのかな。(調べたが、分からない)
隙間は、5㌢か。
午後の2時半に、町中に下の放送が、響いた。
「間もなく、子供たちが帰ります。 子供たちの安全確保に、ご協力お願いします」
海南市の教育委員会が発信している。 放送が鳴ると、黄色の服を着た人が、出てきた。
子どもたちは、だいじにされていた。
この写真は、分かりやすい。 家の前のスペースが、こう。 上の荷車なら、停めれる。
どうして、こうしたのかが、分からない。 何人にも聞いたが。
こうです。
隣との境界線。 直角でない。 家の敷地が、どこも、道に対して斜めだった。
そこに建てるから、こうなってしまう。
※ 初め、家がゆがんでいるかと思った。 平行四辺形のように。
いい、家並み。 のこぎり形の家並みと言われる。
道は、こう。 これを見ている時、庭にいた男の人が、説明してくれた。
ここの小路は、旧熊野街道だという。
江戸時代は、この道の左側は、海だった。 家は右側だけ。
家はここまでですよ、という境界線に、石を並べた。 写真に見える石が、それ。
江戸時代に地震があって、土地が少し隆起した。 浅くなった海を埋め立てた。
だから、現在は、左の方にも、広く家並みが続いている。
家の前を、三角形に空けた理由は、こうでないかという。
① 荷車(荷出し車)を置くため。
② 家の向きが、南向きになるように、またそれに近づくようにした。
②の考えが、優位だそう。
海から、たった2㍍しか高くない。
最後に、ここを見て、車に戻った。
国道424の山道を通って、道の駅 明恵ふるさと館に向かった。
海から10㌔ほどだが、谷は深い。 国道でも、道は狭い。
道の駅で、地元の人が話しかけてきた。 熊野本宮に、このカラスがいるよと言った。
伝説で、やたがらす、と言うそう。 足が3本。 やたがらす(Wikipedia)
この辺りは、ミカンの産地。 上の写真の段々畑も、ミカン。
これが、花。
小さな実がなっていた。
不思議な家並みの町だった。
ネットでも調べてみたが、聞いたこと以上のことは分からなかった。
古い家並みを歩く時は、昔の面影を追って歩くことが多い。
しかし、黒江の町並みの中では、昔ながらに、漆器や酒造りが、今も行われていた。
町並みが、生きた形で、今の時代に、残されていた。
魅力的な、町並みでした。
【道の駅】 明恵ふるさと館 ここです。
【明日の予定】 海に出る予定だが、山に中に気になる所が。
【今日の歌】 栄冠は君に輝く(YouTube) 夏川リミです。 いいですよ。
みかんの花咲く丘(YouTube) これも、夏川リミ。
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和歌山城に行かないで、そっちに行った。
また、和歌山ラーメンを食べた。 2店。
紀三井寺球場のそばを歩いた。 名前が気になって調べた。
和歌山と言えば、箕島高校。 昔、星稜高校と大変な試合をやった。
それと、この球場は、関係があった。
井出商店。 和歌山市の中心部。
名前は、聞いたことがあった。 昼に行ったら、人が並んでいた。 ※ この写真は、食べた後で撮影。(携帯)

大きな鍋で、麺を茹でた。
どんぶりに入れる醤油(たれ)の量、茹でる時間、すくいあげる1人前の量。
それらは、全て勘でやっていた。
久しぶりに、味も合格。 久留米や、博多に近い味。 手前のチャーシューは、無い方が見栄えがいい。

すぐ、2軒目を目指した。

右に行ったら、和歌浦。 山部赤人が、下の歌を詠んだ。
「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」
景勝地なので、行こうかとも思ったが、廃屋が目立つとあったので、やめた。

「元車庫前中華そば」という店に向かっている。 車を大きなスーパーに停めて。
右の方に、紀三井寺球場がある。
昔、和歌山の箕島と石川の星稜の試合があった。 延長16回の表に、星陵が1点を取った。
その裏、2アウト。 ファーストにフライが上がった。 捕ったら試合終了。 星稜の勝ち。
しかし、芝生の継ぎ目に足を取られ、落球。 その後、ホームランを打たれて、同点。
延長18回の裏、箕島が1点を取って勝った。
チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 R
星 稜 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 3
箕 島 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 1x 4 ※ 数字が、うまく並ばない。
この試合は、高校野球史上最高の試合と言われている。 私もライブで見た。
この両チームは、16年後に、ここ紀三井寺球場で、再試合を行った。
※ フライの落球とホームランは、ここに。(YouTube)

※ なお、この球場は、関西独立リーグ、紀州レンジャーズの本拠地だった。
下のラーメン屋の近くに、事務所があった。
情報誌に大きく載っていたので、行った。 味は、普通。 醤油っぽい味。
麺が、少しあんかけのようだった。 茹でる水を取り替えていないか、茹でた後、ちゃんとお湯を切っていない。

ほんの少し走ったら、海南市。 そこに、黒江の町並みがあった。
案内の看板とかないので、人に聞いた。 下の小路から入った。

黒江は、漆器の町でもあり、根来寺の僧が、江戸時代の初めに伝えたそう。
場所は、この辺り。 地図の中央。 県道9より、北方面。
昔は、こんな荷車が、この小路を通っていた。

花があるので、少し分かりずらいかな。 家の向きが変です。

この人、身動きしないで、お経を唱えていた。
※ 私は、神社で真面目にお願い事をしたのは、過去に1回だけ。
10年以上前。 北見市の小さな神社。 自分のことをお願いしたのではない。

右の家の前が、三角になっている。 これが、特徴。
※ 格子が見える。 窓の格子が分かりやすいが、タテの棒と棒の間が、棒の幅より広い。
このような格子を、連子格子(れんじこうし)と言うそうだ。 黒江の町の特徴。

家並みと関係ないが、こんな家が。 川に、とび出している。
土地の斜めの部分(のり面)は、誰の土地なのかな。(調べたが、分からない)

隙間は、5㌢か。

午後の2時半に、町中に下の放送が、響いた。
「間もなく、子供たちが帰ります。 子供たちの安全確保に、ご協力お願いします」
海南市の教育委員会が発信している。 放送が鳴ると、黄色の服を着た人が、出てきた。
子どもたちは、だいじにされていた。

この写真は、分かりやすい。 家の前のスペースが、こう。 上の荷車なら、停めれる。
どうして、こうしたのかが、分からない。 何人にも聞いたが。

こうです。

隣との境界線。 直角でない。 家の敷地が、どこも、道に対して斜めだった。
そこに建てるから、こうなってしまう。
※ 初め、家がゆがんでいるかと思った。 平行四辺形のように。


いい、家並み。 のこぎり形の家並みと言われる。

道は、こう。 これを見ている時、庭にいた男の人が、説明してくれた。

ここの小路は、旧熊野街道だという。
江戸時代は、この道の左側は、海だった。 家は右側だけ。
家はここまでですよ、という境界線に、石を並べた。 写真に見える石が、それ。

江戸時代に地震があって、土地が少し隆起した。 浅くなった海を埋め立てた。
だから、現在は、左の方にも、広く家並みが続いている。

家の前を、三角形に空けた理由は、こうでないかという。
① 荷車(荷出し車)を置くため。
② 家の向きが、南向きになるように、またそれに近づくようにした。
②の考えが、優位だそう。
海から、たった2㍍しか高くない。

最後に、ここを見て、車に戻った。

国道424の山道を通って、道の駅 明恵ふるさと館に向かった。

海から10㌔ほどだが、谷は深い。 国道でも、道は狭い。

道の駅で、地元の人が話しかけてきた。 熊野本宮に、このカラスがいるよと言った。
伝説で、やたがらす、と言うそう。 足が3本。 やたがらす(Wikipedia)

この辺りは、ミカンの産地。 上の写真の段々畑も、ミカン。
これが、花。

小さな実がなっていた。

不思議な家並みの町だった。
ネットでも調べてみたが、聞いたこと以上のことは分からなかった。
古い家並みを歩く時は、昔の面影を追って歩くことが多い。
しかし、黒江の町並みの中では、昔ながらに、漆器や酒造りが、今も行われていた。
町並みが、生きた形で、今の時代に、残されていた。
魅力的な、町並みでした。
【道の駅】 明恵ふるさと館 ここです。
【明日の予定】 海に出る予定だが、山に中に気になる所が。
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みかんの花咲く丘(YouTube) これも、夏川リミ。
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大都市を通りぬけるのは、大変。
高速を使わなかったから、道の駅、根来さくらの里まで、5時間以上かかった。
どこを見るかは、道の駅で決めることにしていた。
カーナビの指示で、走った。
京都に向かった。
下の写真は、老ノ坂を下っている。
今から430年程前、1582年6月1日の真夜中、明智光秀は、老ノ坂を通って京都に向かっていた。
※ この記事を書いているのは、6月1日の午後11時半。 偶然ですが、今頃です。
未明に峠を下り、桂川を渡る。 その時、「敵は本能寺にあり」と、信長襲撃を宣言する。 ※ 関連ブログ 老ノ坂を通って、本能寺へ。
(写真は、携帯で)
今から、1000年程前、和泉式部は、老ノ坂を通って、天橋立に行く。
娘の、小式部内侍が、下の歌をつくった。 百人一首にある。
「 大江山 いく野の道は遠ければ まだふみもみず 天の橋立 」 ※ 関連ブログ 生野の道
大阪市の中心街を通っている。
今度大都市を抜ける時は、早朝に出発する。 一つ学んだ。
途中、5回くらい、コンビニに寄った。
京都にいた13日間のゴミを、少しずつ捨てた。
道の駅、根来(ねごろ)さくらの里は、和歌山県に入ったら、すぐにあった。
案内板を見たが、山の中なので、寺しかなかった。
その寺は、根来衆で知られた寺だった。 また、国宝の多宝塔がある。 名前は、根来寺。
寺が続くが、行ってみることにした。
これが、多宝塔。
2階があるように見えるが、1階しかない。
形の特徴は、上と下の屋根の間が、円形でしょうか。 中には、仏像があった。
開山は覚鑁(かくばん、興教大師)と言う人。 (1126年)
この人は、高野山にいたが、周りとうまくいかず、高野山を出る。
庭が美しいと言うので、見てみた。 (国指定名勝)
根来寺の最盛期は、室町時代の末期。 建物が、450あったという。(1説には、2700)
この辺り一帯が、一大宗教都市だった。
ガラスに花が映っていた。
根来寺には、寺を守るため、僧兵がいた。 数は1万人程。 鉄砲隊もあった。
秀吉の時代だった。
力を持ちすぎたため、秀吉の力を読み誤った。 秀吉に従順でなかった。
その結果、攻撃された。 全て焼かれた。
残ったのは、多宝塔と、隣の太子堂だけ。
この像は、左甚五郎作と伝わっているそう。
こんな部屋で、庭を見ながら酒を飲んだら、どんな味がするのだろう。
ここは、新義真言宗。
秀吉に焼かれて、ここにいた僧は、京都の智積院(ちしゃくいん)と奈良の長谷寺に逃げた。
そこで、新義真言宗を広めたそうだ。 両方とも、末寺は3000と言う。
面白い話があった。
根来寺の僧兵に、善住坊という男がいた。 鉄砲の名手だった。
この男、近江の千草街道を通過していた信長を狙撃した。 失敗した。
逃亡生活を送ったが、激怒した信長の厳命で、徹底した犯人探しが行われた。
結果、捕まった。
生きたまま、首から下を土中に埋められた。
竹製のノコギリで、時間をかけて首を切断された。 鋸挽き(のこひき)の刑だった。
渡り廊下って、いい。
行者堂。 護摩を焼いて修行するそう。 ※ 護摩は、護摩木のことと思う。 願い事とか書いてある。
聖天堂とあった。
本堂に、戻る。
本堂。
境内は広い。 はるか遠くに、大門がある。 そこに向かう。
昔は、この辺りも、全部寺の中。
小さな地蔵と石塔。 高さ、50㌢もない。
大門。 この山全体の門。(総門) 江戸時代後期のもの。

ナデシコ。 庭にあった。 園芸種なのかな。
こんな道を散歩。
昨日のブログの水筒。 こうやって、ぶら下げる。 歩くと、チャポチャポ音がする。
一大観光地を目指した時代があったようだ。 残骸があった。
「ごろつく」の「ごろ」は、根来衆の「ごろ」かと思ったが、違った。
ごろごろ転がるの、ごろだった。
【道の駅】 根来さくらの里
【和歌山市に行ってみたい】 風景とラーメン。
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どこを見るかは、道の駅で決めることにしていた。
カーナビの指示で、走った。
京都に向かった。
下の写真は、老ノ坂を下っている。
今から430年程前、1582年6月1日の真夜中、明智光秀は、老ノ坂を通って京都に向かっていた。
※ この記事を書いているのは、6月1日の午後11時半。 偶然ですが、今頃です。
未明に峠を下り、桂川を渡る。 その時、「敵は本能寺にあり」と、信長襲撃を宣言する。 ※ 関連ブログ 老ノ坂を通って、本能寺へ。

(写真は、携帯で)
今から、1000年程前、和泉式部は、老ノ坂を通って、天橋立に行く。
娘の、小式部内侍が、下の歌をつくった。 百人一首にある。
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今度大都市を抜ける時は、早朝に出発する。 一つ学んだ。
途中、5回くらい、コンビニに寄った。
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案内板を見たが、山の中なので、寺しかなかった。
その寺は、根来衆で知られた寺だった。 また、国宝の多宝塔がある。 名前は、根来寺。
寺が続くが、行ってみることにした。
これが、多宝塔。

2階があるように見えるが、1階しかない。
形の特徴は、上と下の屋根の間が、円形でしょうか。 中には、仏像があった。

開山は覚鑁(かくばん、興教大師)と言う人。 (1126年)
この人は、高野山にいたが、周りとうまくいかず、高野山を出る。
庭が美しいと言うので、見てみた。 (国指定名勝)

根来寺の最盛期は、室町時代の末期。 建物が、450あったという。(1説には、2700)
この辺り一帯が、一大宗教都市だった。
ガラスに花が映っていた。

根来寺には、寺を守るため、僧兵がいた。 数は1万人程。 鉄砲隊もあった。
秀吉の時代だった。
力を持ちすぎたため、秀吉の力を読み誤った。 秀吉に従順でなかった。
その結果、攻撃された。 全て焼かれた。
残ったのは、多宝塔と、隣の太子堂だけ。


この像は、左甚五郎作と伝わっているそう。

こんな部屋で、庭を見ながら酒を飲んだら、どんな味がするのだろう。

ここは、新義真言宗。
秀吉に焼かれて、ここにいた僧は、京都の智積院(ちしゃくいん)と奈良の長谷寺に逃げた。
そこで、新義真言宗を広めたそうだ。 両方とも、末寺は3000と言う。


面白い話があった。
根来寺の僧兵に、善住坊という男がいた。 鉄砲の名手だった。
この男、近江の千草街道を通過していた信長を狙撃した。 失敗した。
逃亡生活を送ったが、激怒した信長の厳命で、徹底した犯人探しが行われた。
結果、捕まった。
生きたまま、首から下を土中に埋められた。
竹製のノコギリで、時間をかけて首を切断された。 鋸挽き(のこひき)の刑だった。
渡り廊下って、いい。


行者堂。 護摩を焼いて修行するそう。 ※ 護摩は、護摩木のことと思う。 願い事とか書いてある。

聖天堂とあった。

本堂に、戻る。

本堂。

境内は広い。 はるか遠くに、大門がある。 そこに向かう。

昔は、この辺りも、全部寺の中。

小さな地蔵と石塔。 高さ、50㌢もない。

大門。 この山全体の門。(総門) 江戸時代後期のもの。

ナデシコ。 庭にあった。 園芸種なのかな。

こんな道を散歩。

昨日のブログの水筒。 こうやって、ぶら下げる。 歩くと、チャポチャポ音がする。

一大観光地を目指した時代があったようだ。 残骸があった。
「ごろつく」の「ごろ」は、根来衆の「ごろ」かと思ったが、違った。
ごろごろ転がるの、ごろだった。
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