今日は、道の駅の近くを散策した。
道の駅 いかりがせき に停泊した。 ここは青森県だが、自分としては、津軽のイメージが強い。
数日前、九州の菊池市のしうさんが、ここの道の駅にいた。
今日あたり、北海道に渡ったのかな。
下の地図は、津軽街道。 (盛岡から鰺ヶ沢まで)
※ 康楽館は、明治時代の建物なのに載っている。 不思議。 旧道の地図かな。
天台寺がありますね。 瀬戸内寂聴が、以前住職をやってた寺。
寺が大変だったので、復興のために行った。
数日前、小坂に行くか天台寺に行くか迷った。 いつか行ってみる。
道の駅いかりがせきの建物。
碇ヶ関には、昔、関所があった。 道の駅は、関所をイメージして作った。 ※ 関所跡は、この近くに。
小さなねぷたがあった。 明日から始まる。
※ 弘前のねぷたは、明日見ますが、青森とは違う。 昨年見たのはここに。 展示してあったもの。
足湯と、資料館。 足軽足湯とあった。 足が軽くなるのかな。
昔の街道の図。 高い山は、岩木山。 去年登った。 ※ 関連ブログ 岩木山~山頂の風は爽やかだった~
碇ヶ関の関所は、弘前への入り口だった。 殿様が泊まるのに使う本陣もあり、弘前城の出城としての役割もあった。
関所資料館。
これで、犯人とか追いつめるのか。
温泉。 300円。 九州や東北は、安い所が多い。
棟方志公功の絵があった。(資料館)
この仏像を描いた。 絵の像は立っている。
資料館にあった写真。 この町の寺でやってる修行。
もし火の熱でも大丈夫と言っていたら、インチキくさい。
山の中を歩きたかったので、白糸の滝を見に行った。 車をここに置いて歩くことに。
あと、500㍍程。 たまに傘をさす程度の雨。 道が悪い。 この道なら、物騒と思う人がきっと多い。
熊がいることになってるので、ポケットにスプレーを入れている。
いないかな~って、探しながら歩く。 実際に見つけたら、余裕はないだろうけど。
こういう所をあるくのは、楽しい。 時々花があったら、文句なしだが。
アゲハ蝶が私の周りを飛んだ。 私が気に入ったのかな、と思った。 場所をずらしても飛ぶかと思ったら、ついてこなかった。
こんな勘違い、現実の世界でもありますね。
こんな花。
今日はたくさん歩かないので、足におもりを付けた。 片足、1㌔。
※ 最近、足の、おかしな所に筋肉が付いた。 膝から下なら、前の方に。
※ 外した時、足は軽い。 勝手に走りそう。
※ 1日に、登り下りを8時間歩ける足にしたい。 そうしたら、たいていの山に登れる。
標識が見えたので、滝だなと思った。
いい滝ですよ。 滑らかに、すべり下りている。 羽衣の滝の小さな感じだ。 ※ 羽衣の滝の写真。
高さ25㍍だが、実際はそれ以上大きいのではと思った。 ※ 天人峡の羽衣の滝は、落差270㍍。
下に降りる道はなかった。 どこかにきっとあるはずだが。 場所はここ。
滝は、落ちたら直ぐ別の川と合流していた。
このような滝はめずらしい。
途中の道が良くないので、車で行っても、不安になる。 そんな場所にあった。
滝の少し下流に、川を挟んで、小さな集落があった。
古く小さな、喜久山神社があった。
上の集落の神社。 今は数戸だが、昔はたくさんの家があった。
変わった表情の狛犬(こまいぬ)だ。
小さくても、拝殿の後ろに、本殿があった。
街に戻って、小さな公園にある、葛西善蔵の文学碑をみた。 面白いこと書いてあるかなと思って。
この人の名前は、初めて聞いた。
文学碑は、碇ヶ関の町並みが見下ろせる所にあった。 場所はここ。
岩木山が、雲に隠れて見える。
この人は、明治20年に弘前で生まれ、この町に住んだ。
若い頃、北海道の歌志内などを放浪している。
酒を飲み、書くことに苦しみ、41歳で亡くなっている。
こう書いてあった。
椎の若葉に 光あれ
親愛なる 椎の若葉よ 君の光の
幾部分かを 僕に恵め
葛西善蔵については、ここに詳しくあります。
今日から弘前ねぷた、明日から青森ねぶた、が始まる。
うまく見ることが出来るでしょうか。 少し不安。
いい写真が撮れるといい。
【道の駅】 ひろさき 場所はここ。
【今日の歌】 津軽のふるさと(YouTube) クラシックの人が歌おうが、誰が歌おうが、美空ひばりにはかなわない。
歌に対する解釈と、表現する力が違うように思う。
悲しい酒(YouTube) 久しぶりに美空ひばりなので。 前段のおしゃべりの後です。
この悲しい酒は、いいですよ。 他にもいいのがあるが、見つからない。
【明日の予定】 弘前ねぷたの見学。 夜です。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で9位です。
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道の駅 いかりがせき に停泊した。 ここは青森県だが、自分としては、津軽のイメージが強い。
数日前、九州の菊池市のしうさんが、ここの道の駅にいた。
今日あたり、北海道に渡ったのかな。
下の地図は、津軽街道。 (盛岡から鰺ヶ沢まで)
※ 康楽館は、明治時代の建物なのに載っている。 不思議。 旧道の地図かな。
天台寺がありますね。 瀬戸内寂聴が、以前住職をやってた寺。
寺が大変だったので、復興のために行った。
数日前、小坂に行くか天台寺に行くか迷った。 いつか行ってみる。

道の駅いかりがせきの建物。

碇ヶ関には、昔、関所があった。 道の駅は、関所をイメージして作った。 ※ 関所跡は、この近くに。

小さなねぷたがあった。 明日から始まる。
※ 弘前のねぷたは、明日見ますが、青森とは違う。 昨年見たのはここに。 展示してあったもの。

足湯と、資料館。 足軽足湯とあった。 足が軽くなるのかな。

昔の街道の図。 高い山は、岩木山。 去年登った。 ※ 関連ブログ 岩木山~山頂の風は爽やかだった~

碇ヶ関の関所は、弘前への入り口だった。 殿様が泊まるのに使う本陣もあり、弘前城の出城としての役割もあった。
関所資料館。

これで、犯人とか追いつめるのか。


温泉。 300円。 九州や東北は、安い所が多い。

棟方志公功の絵があった。(資料館)

この仏像を描いた。 絵の像は立っている。

資料館にあった写真。 この町の寺でやってる修行。
もし火の熱でも大丈夫と言っていたら、インチキくさい。

山の中を歩きたかったので、白糸の滝を見に行った。 車をここに置いて歩くことに。

あと、500㍍程。 たまに傘をさす程度の雨。 道が悪い。 この道なら、物騒と思う人がきっと多い。

熊がいることになってるので、ポケットにスプレーを入れている。
いないかな~って、探しながら歩く。 実際に見つけたら、余裕はないだろうけど。
こういう所をあるくのは、楽しい。 時々花があったら、文句なしだが。

アゲハ蝶が私の周りを飛んだ。 私が気に入ったのかな、と思った。 場所をずらしても飛ぶかと思ったら、ついてこなかった。
こんな勘違い、現実の世界でもありますね。
こんな花。

今日はたくさん歩かないので、足におもりを付けた。 片足、1㌔。
※ 最近、足の、おかしな所に筋肉が付いた。 膝から下なら、前の方に。
※ 外した時、足は軽い。 勝手に走りそう。
※ 1日に、登り下りを8時間歩ける足にしたい。 そうしたら、たいていの山に登れる。

標識が見えたので、滝だなと思った。

いい滝ですよ。 滑らかに、すべり下りている。 羽衣の滝の小さな感じだ。 ※ 羽衣の滝の写真。

高さ25㍍だが、実際はそれ以上大きいのではと思った。 ※ 天人峡の羽衣の滝は、落差270㍍。
下に降りる道はなかった。 どこかにきっとあるはずだが。 場所はここ。

滝は、落ちたら直ぐ別の川と合流していた。




このような滝はめずらしい。
途中の道が良くないので、車で行っても、不安になる。 そんな場所にあった。
滝の少し下流に、川を挟んで、小さな集落があった。

古く小さな、喜久山神社があった。

上の集落の神社。 今は数戸だが、昔はたくさんの家があった。

変わった表情の狛犬(こまいぬ)だ。


小さくても、拝殿の後ろに、本殿があった。


街に戻って、小さな公園にある、葛西善蔵の文学碑をみた。 面白いこと書いてあるかなと思って。
この人の名前は、初めて聞いた。

文学碑は、碇ヶ関の町並みが見下ろせる所にあった。 場所はここ。
岩木山が、雲に隠れて見える。

この人は、明治20年に弘前で生まれ、この町に住んだ。
若い頃、北海道の歌志内などを放浪している。
酒を飲み、書くことに苦しみ、41歳で亡くなっている。

こう書いてあった。
椎の若葉に 光あれ
親愛なる 椎の若葉よ 君の光の
幾部分かを 僕に恵め

葛西善蔵については、ここに詳しくあります。
今日から弘前ねぷた、明日から青森ねぶた、が始まる。
うまく見ることが出来るでしょうか。 少し不安。
いい写真が撮れるといい。
【道の駅】 ひろさき 場所はここ。
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歌に対する解釈と、表現する力が違うように思う。
悲しい酒(YouTube) 久しぶりに美空ひばりなので。 前段のおしゃべりの後です。
この悲しい酒は、いいですよ。 他にもいいのがあるが、見つからない。
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せっかく来たからと思って、見た。 大衆演劇と、舞踊ショー。
大衆演劇って何なんだろうなって、見た。
午前の部は、10時30分から始まる。
20分前に入った。 料金は、200円の割引きで、1800円。
バス2台分のお客さんがいた。
みんな弁当を食べている。 これは、予約すれば、康楽館で用意してくれる。
舞台が始まっても、食べてていい。 酒も構わない。 うらやましかった。
昔の小さな学校の学芸会が、このように食べていた。
こういう演劇に影響されたのかな。
撮影は出来なかったが、「遠き都に帰らばや」という大衆演劇が始まった。 ※ チラシに、大衆とあった。
小坂の町を舞台にしたものだった。
主人公は山神の子として生まれ、特別な力を持っていた。
※ 話の筋として、こう言う設定は多いのかな。 鶴姫もそうだった。
面白かったかどうかは、少し難しい。
展開が分かりにくいのと、会話のスピードが速いため、聞き取れない所があった。
※ 土砂降りの雨が、屋根にぶつかっていたこともあるが。
この先の展開がどうなるだろうと、わくわくはしなかったが、退屈はしなかった。
そんな感じだった。
最後は、主人口が特別な力を発揮して、火事になった小坂の町を助けた。
後半の、舞踊ショーが始まった。 フラッシュ禁止で、撮影は出来る。
音響や照明などの舞台装置がいいから、市民会館とかで見るのとは違った。
しぐさと表情をねらって、写真を撮った。
この人の表情に変化があったので、多く撮ることになった。
ここで、曲が変わった。 ここに出ない人は、着替えをしている。
花道の切穴から、出てきた。 この人は座長。 門戸竜冶。
荒城の月を踊った。
言葉の意味に合わせて、振り付けはあるようだ。
ここで、座長挨拶。 この人は、この後、女形をやる。
準備の間、お笑いショーが。
客席から、特別出演。 一度やってみたいと思った。
変身して、登場。
小林幸子に雰囲気が似ているなあ、と思っていた。
身のこなしは、女の人以上。 表情の変化は、上の女の人にはかなわない。
この人を追った。 表情が豊かに変化した。
座長、再度登場。
変わった。
着替えて登場。 この人は、秋田美人とは違う。
最後の場面。 挨拶。
客を見送る。
康楽館前の通り。 アカシアの並木。
鉱山事務所が見える。
人情の機微を演じ、観客の涙を誘う。
今日見た演劇は、そんな内容だった。 これも、一つの文化なんだなと思った。
演劇は面白いので、何回も見ていたら、のめりこみそうだ。
舞踊も一つの表現。 フィギュアスケートと同じ。 これも、面白い。
わらび座の公演日程・場所は分かっているので、どこかで見なければならない。
秋田にある本拠地にも、寄ってみたい。
【道の駅】 いかりがせき
【明日の予定】 1日に、弘前のねぷた。 2日に、青森のねぶた。
これが、8月に入っての予定。 天気が心配。
弘前も青森も、中心街には入って行けない。
弘前は、郊外の24時間スーパーに車を置く。 そこからは、バスか何か。
※ 昨日、温泉の受付の人が、弘前の方法を教えてくれた。 助かった。
青森は、まだ見つからない。 何とかなりそう。
31日は、この近くのどこか。
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大衆演劇って何なんだろうなって、見た。
午前の部は、10時30分から始まる。
20分前に入った。 料金は、200円の割引きで、1800円。
バス2台分のお客さんがいた。

みんな弁当を食べている。 これは、予約すれば、康楽館で用意してくれる。
舞台が始まっても、食べてていい。 酒も構わない。 うらやましかった。
昔の小さな学校の学芸会が、このように食べていた。
こういう演劇に影響されたのかな。



撮影は出来なかったが、「遠き都に帰らばや」という大衆演劇が始まった。 ※ チラシに、大衆とあった。
小坂の町を舞台にしたものだった。
主人公は山神の子として生まれ、特別な力を持っていた。
※ 話の筋として、こう言う設定は多いのかな。 鶴姫もそうだった。
面白かったかどうかは、少し難しい。
展開が分かりにくいのと、会話のスピードが速いため、聞き取れない所があった。
※ 土砂降りの雨が、屋根にぶつかっていたこともあるが。
この先の展開がどうなるだろうと、わくわくはしなかったが、退屈はしなかった。
そんな感じだった。
最後は、主人口が特別な力を発揮して、火事になった小坂の町を助けた。
後半の、舞踊ショーが始まった。 フラッシュ禁止で、撮影は出来る。

音響や照明などの舞台装置がいいから、市民会館とかで見るのとは違った。

しぐさと表情をねらって、写真を撮った。

この人の表情に変化があったので、多く撮ることになった。







ここで、曲が変わった。 ここに出ない人は、着替えをしている。



花道の切穴から、出てきた。 この人は座長。 門戸竜冶。

荒城の月を踊った。


言葉の意味に合わせて、振り付けはあるようだ。


ここで、座長挨拶。 この人は、この後、女形をやる。

準備の間、お笑いショーが。


客席から、特別出演。 一度やってみたいと思った。



変身して、登場。


小林幸子に雰囲気が似ているなあ、と思っていた。

身のこなしは、女の人以上。 表情の変化は、上の女の人にはかなわない。





この人を追った。 表情が豊かに変化した。













座長、再度登場。



変わった。


着替えて登場。 この人は、秋田美人とは違う。















最後の場面。 挨拶。



客を見送る。


康楽館前の通り。 アカシアの並木。

鉱山事務所が見える。

人情の機微を演じ、観客の涙を誘う。
今日見た演劇は、そんな内容だった。 これも、一つの文化なんだなと思った。
演劇は面白いので、何回も見ていたら、のめりこみそうだ。
舞踊も一つの表現。 フィギュアスケートと同じ。 これも、面白い。
わらび座の公演日程・場所は分かっているので、どこかで見なければならない。
秋田にある本拠地にも、寄ってみたい。
【道の駅】 いかりがせき
【明日の予定】 1日に、弘前のねぷた。 2日に、青森のねぶた。
これが、8月に入っての予定。 天気が心配。
弘前も青森も、中心街には入って行けない。
弘前は、郊外の24時間スーパーに車を置く。 そこからは、バスか何か。
※ 昨日、温泉の受付の人が、弘前の方法を教えてくれた。 助かった。
青森は、まだ見つからない。 何とかなりそう。
31日は、この近くのどこか。
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早池峰山の後、太平洋岸に出る予定だった。
岩手山と、八幡平に登ったので、秋田県に来てしまった。
小坂町に古い芝居小屋があるので、見ることにした。
秋田県の北部、海から離れた山の中に、昔、大きな鉱山があった。 名前は、小坂鉱山。
マタギの里と呼ばれていいくらいの、山奥だ。
位置は、大館市の東で、鹿角市の北。 十和田湖が近い。 場所はここ。
そこに、2つの大きな建物が残されていた。 芝居小屋と、鉱山事務所。
康楽館は、ほとんど昔のまま。
鉱山事務所は、使える材料を使って復元した。 伝建地区の建物の復元と同じ。
そのため、2つとも、国の重要文化財に指定された。
芝居小屋は、楽しむために作った。 鉱山事務所は、もうけたから作った。
でも、どうしてここまでの立派なものを、当時作ったのか、その辺りは分からない。
知りたい部分でしょうか。
これが、芝居小屋、康楽館。 明治43年にできた。
道にある、のぼり。
外から見たら、洋風の感じ。 そこに、提灯と暖簾(のれん)。 不思議と、ミスマッチには見えない。
今は、真ん中のが公演中だが、今日はお休み。 ※ 休みは、月に2回程しかないのに。
だから今日は、お客さんが少ない。 事務所の人が、ていねいに案内してくれた。
広い。 600人、入れるそう。 こんな芝居小屋は、九州の山鹿にもあった。
説明してくれた人は、そのことを知っていた。
※ 紋別の海鳴りの芝居を、こんな所で見たいなと思った。 ※ 関連ブログ 江戸人情芝居は、面白いぞ。
左の写真は、切穴。 ここから人が上がってくる。
右は、切り穴の下。 人の力で動かす。 この方が、きっと事故は少ない。 この方が説明を。
回り舞台。 ここは、地下。
このように、4人で動かす。 顔の表情まで作ってくれた。 役者だ。
当時、コンクリートの材料は輸入したそう。 これは、当時の。
地下の通路や上の場所は、奈落と言われたそう。
暗くて深いから、そう言われた。
ただ、一説には、華やかな演劇舞台の陰に嫉妬や怨念が潜んでおり、この地下で事故が起きることもあるから、そう言われることがあるそうだ。
※ どうして私でなく、あの人が主役なのさ、という嫉妬はありそうだ。
舞台へ。
たくさんの人の前で演じると言うのは、どんな気分なんでしょう。
右の写真は、楽屋。 ここで、化粧や着替えをする。
壁一面、落書き。
今となっては、貴重なものだそう。 昭和37年ったら、東京オリンピックの2年前。
この時、東野英次郎 54歳。 平幹二郎 28歳。 他にも、知ってる名前は、ありますね。
わらび座も来ている。 わらび座の拠点は、秋田県の田沢湖の近くにある。
鶴姫を演じた碓井涼子さんは、今、ミュージカル「アトム」に「マリア」役で出演している。
この人は、天草四郎と鶴姫を演じ、一気にわらび座の看板女優になった。 ※ 関連ブログ 「鶴姫伝説」~瀬戸内のジャンヌダルク~
チャンスがあったら、また見たいと思う。
それから、坊ちゃん劇場は、わらび座の劇場だった。 知らなかった。
戦前の一時期、警察官が、ここで舞台の内容を検閲した。
舞台の後、顔に紙をあてて、化粧をうつしたものですね。
平成10年に来ている。 中村獅童の名前がある。 26歳の時。
勘亭流というこの書体は、黒い部分が多い。 客席が、客で埋まるようにとの願いがあるそう。
さっきの方が、最後まで丁寧に説明してくれた。
明日見においでと言って、割引券をくれた。
駐車場をはさんで、小坂鉱山事務所があった。
玄関上のテラスから撮影。
テラス。
屋根は、こういう板だった。
らせん階段のある洋風建築。 明治38年に建てられた。 平成9年に、この場所に移築復元した。
康楽館の客席の写真があった。 よそ見している人は、いない。
この人によって、銀の生産日本一の鉱山になる。
長州藩の出身で、高杉晋作のもとで、騎兵隊だった。 この当時の人脈が、後の商売に生きた。
藤田観光の創始者。
上の、藤田伝三郎の兄の子。 銀山から、日本一の銅山の基礎を築いた。 この人も、萩で生まれている。
なお、先日亡くなったシャンソン歌手の石井好子は、この人の孫。 1曲紹介 夕映えの二人(別れの朝)(YouTube)
こんな部屋も。
中庭は、2階にあった。
変わった雰囲気の、列車の中。
窓の外は、小坂の町。
大館市から小坂町まで、昨年まで小坂線が走っていた。
長い列車の旅をしてきて、小坂に着いたら、そとは都会のように明るかった。
この人は、精錬の技術を伝えた。
明治末期の小坂鉱山。
小坂は、余りにも、東京や大阪から遠かった。
こんな遠くの、文明から遠ざかった山奥に、誰も来たがらなかった。
そこで、会社は、康楽館をつくったり、ダムでの発電所を作った。
働く人が楽しめるように、いい生活が出来るように考えた。
鉱山の発展に欠かせないのが、技術者や指導者。
その人達が安心して仕事をするために作ったのが、鉱山事務所。
小坂町は、産業遺産として残された、この2つの建物を生かして、今、町の発展に取り組んでいる。
※ 近くには、十和田湖も。
鉱山によって、自然は傷んだ。
でも、今、小坂町は緑に囲まれている。
300万本と言われる数の、アカシアの木を植えた。
アカシアは、あらゆる土地環境・気候条件にも負けない木だった
康楽館と鉱山事務所の横に、アカシア並木の広い道がある。
この道は、「かおり風景100選」に選ばれるまでになった。
鉱山は、負の遺産になりやすい。
しかし、小坂町は、そうはしなかった。
鉱山会社が、地域にたいして優しかったことが、遠くの要因としてあるのかなと思った。
【停泊場所】 康楽館の駐車場。
【明日の予定】 芝居と踊りを見ます。 芝居の写真は、撮れない。
【今日の歌】 赤いハンカチ(YouTube)
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で6位です。
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岩手山と、八幡平に登ったので、秋田県に来てしまった。
小坂町に古い芝居小屋があるので、見ることにした。
秋田県の北部、海から離れた山の中に、昔、大きな鉱山があった。 名前は、小坂鉱山。
マタギの里と呼ばれていいくらいの、山奥だ。
位置は、大館市の東で、鹿角市の北。 十和田湖が近い。 場所はここ。
そこに、2つの大きな建物が残されていた。 芝居小屋と、鉱山事務所。
康楽館は、ほとんど昔のまま。
鉱山事務所は、使える材料を使って復元した。 伝建地区の建物の復元と同じ。
そのため、2つとも、国の重要文化財に指定された。
芝居小屋は、楽しむために作った。 鉱山事務所は、もうけたから作った。
でも、どうしてここまでの立派なものを、当時作ったのか、その辺りは分からない。
知りたい部分でしょうか。
これが、芝居小屋、康楽館。 明治43年にできた。

道にある、のぼり。

外から見たら、洋風の感じ。 そこに、提灯と暖簾(のれん)。 不思議と、ミスマッチには見えない。

今は、真ん中のが公演中だが、今日はお休み。 ※ 休みは、月に2回程しかないのに。

だから今日は、お客さんが少ない。 事務所の人が、ていねいに案内してくれた。

広い。 600人、入れるそう。 こんな芝居小屋は、九州の山鹿にもあった。
説明してくれた人は、そのことを知っていた。
※ 紋別の海鳴りの芝居を、こんな所で見たいなと思った。 ※ 関連ブログ 江戸人情芝居は、面白いぞ。

左の写真は、切穴。 ここから人が上がってくる。



右は、切り穴の下。 人の力で動かす。 この方が、きっと事故は少ない。 この方が説明を。


回り舞台。 ここは、地下。

このように、4人で動かす。 顔の表情まで作ってくれた。 役者だ。

当時、コンクリートの材料は輸入したそう。 これは、当時の。

地下の通路や上の場所は、奈落と言われたそう。
暗くて深いから、そう言われた。
ただ、一説には、華やかな演劇舞台の陰に嫉妬や怨念が潜んでおり、この地下で事故が起きることもあるから、そう言われることがあるそうだ。
※ どうして私でなく、あの人が主役なのさ、という嫉妬はありそうだ。

舞台へ。

たくさんの人の前で演じると言うのは、どんな気分なんでしょう。

右の写真は、楽屋。 ここで、化粧や着替えをする。



壁一面、落書き。

今となっては、貴重なものだそう。 昭和37年ったら、東京オリンピックの2年前。
この時、東野英次郎 54歳。 平幹二郎 28歳。 他にも、知ってる名前は、ありますね。

わらび座も来ている。 わらび座の拠点は、秋田県の田沢湖の近くにある。
鶴姫を演じた碓井涼子さんは、今、ミュージカル「アトム」に「マリア」役で出演している。
この人は、天草四郎と鶴姫を演じ、一気にわらび座の看板女優になった。 ※ 関連ブログ 「鶴姫伝説」~瀬戸内のジャンヌダルク~
チャンスがあったら、また見たいと思う。
それから、坊ちゃん劇場は、わらび座の劇場だった。 知らなかった。

戦前の一時期、警察官が、ここで舞台の内容を検閲した。

舞台の後、顔に紙をあてて、化粧をうつしたものですね。

平成10年に来ている。 中村獅童の名前がある。 26歳の時。
勘亭流というこの書体は、黒い部分が多い。 客席が、客で埋まるようにとの願いがあるそう。

さっきの方が、最後まで丁寧に説明してくれた。
明日見においでと言って、割引券をくれた。
駐車場をはさんで、小坂鉱山事務所があった。

玄関上のテラスから撮影。

テラス。

屋根は、こういう板だった。

らせん階段のある洋風建築。 明治38年に建てられた。 平成9年に、この場所に移築復元した。


康楽館の客席の写真があった。 よそ見している人は、いない。

この人によって、銀の生産日本一の鉱山になる。
長州藩の出身で、高杉晋作のもとで、騎兵隊だった。 この当時の人脈が、後の商売に生きた。
藤田観光の創始者。

上の、藤田伝三郎の兄の子。 銀山から、日本一の銅山の基礎を築いた。 この人も、萩で生まれている。
なお、先日亡くなったシャンソン歌手の石井好子は、この人の孫。 1曲紹介 夕映えの二人(別れの朝)(YouTube)

こんな部屋も。

中庭は、2階にあった。

変わった雰囲気の、列車の中。


窓の外は、小坂の町。

大館市から小坂町まで、昨年まで小坂線が走っていた。
長い列車の旅をしてきて、小坂に着いたら、そとは都会のように明るかった。
この人は、精錬の技術を伝えた。

明治末期の小坂鉱山。

小坂は、余りにも、東京や大阪から遠かった。
こんな遠くの、文明から遠ざかった山奥に、誰も来たがらなかった。
そこで、会社は、康楽館をつくったり、ダムでの発電所を作った。
働く人が楽しめるように、いい生活が出来るように考えた。
鉱山の発展に欠かせないのが、技術者や指導者。
その人達が安心して仕事をするために作ったのが、鉱山事務所。
小坂町は、産業遺産として残された、この2つの建物を生かして、今、町の発展に取り組んでいる。
※ 近くには、十和田湖も。
鉱山によって、自然は傷んだ。
でも、今、小坂町は緑に囲まれている。
300万本と言われる数の、アカシアの木を植えた。
アカシアは、あらゆる土地環境・気候条件にも負けない木だった
康楽館と鉱山事務所の横に、アカシア並木の広い道がある。
この道は、「かおり風景100選」に選ばれるまでになった。
鉱山は、負の遺産になりやすい。
しかし、小坂町は、そうはしなかった。
鉱山会社が、地域にたいして優しかったことが、遠くの要因としてあるのかなと思った。
【停泊場所】 康楽館の駐車場。
【明日の予定】 芝居と踊りを見ます。 芝居の写真は、撮れない。
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雨は降らなかったが、八幡平は濃い霧に包まれていた。 ※ 八幡平~はちまんたい
30分も歩かないうちに、頂上に着いた。
沼や湿原は、山の中腹ではなく、頂上と変わらない高さの所にあった。
八幡平は、天空の高原だった。
※ 追記 早池峰山の記事、遅くなりましたが、書き終わっています。
八幡平アスピーテラインが、頂上近くを通っている。 駐車場もある。 ここです。
山の上は、霧だった。
谷には、雪が残っていた。
この雪の下にも、草はある。
その草たちは、雪が解けたら、「やっと春がきたな」って言うんだろうか。 遅い春だ。
頂上まで、1.9㌔。 この山も百名山の一つ。 こんなに楽していいのかな。
沼や湿原があるので、ひとまわりしてくる。 2時間か3時間と思う。 急げば、1時間半。
この山も、花は豊かだ。
ミヤマキンポウゲ。 福寿草やリュウキンカと同じ仲間。 花が似ている。
※ 今日は、知り合った人に、花の名前を教えていただいた。
直径10㍍くらいの穴があった。 噴火の穴なのか何なのか、分からないとあった。
ここには、珍しい花があった。 最後に、もう一度来る。 写真に、花は小さく写っている。
鏡沼。 八幡平は火山なので、噴火口がある。 ここは、噴火口に水が溜まった。
この沼には、周りの山を美しく映すと、説明にあった。
でも、映す前に、沼自身が霧で見えなかった。
道はいい。 登山の格好をしなくても来れる。
クルマユリは、どこにでもあった。 シャキッとした花だ。
11時35分に頂上へ。 50分かかった。 普通は、20分。
早く着いてしまうのが、もったいない感じがしていた。
展望台のある頂上と言うのも、珍しい。 もし、展望台を土を盛って作ったら、山の高さは変わるんだろうか。
昨日と一昨日登った山は、向こうだ。
湿原に向かった。 小さな水たまり(沼)はどこにでもあった。
ハクサンチドリ(白山千鳥)。 白山に多いのでこの名前。 ※ 白山~岐阜県と石川県の間。
根室にいた頃、この花を良く見た。 たまに、白い花があった。
詳しい地図。 時計回りで動いている。
ハクサンチドリが、息を合わせて咲いていた。
ニッコウキスゲがあった。 尾瀬沼や雄国沼は、終わっている。 ここは、標高が高い。
キンコウカ(金光花)。 ユリ科。
タチギボウシ(立擬宝珠)も多かった。
八幡沼。 向こう岸が見えない。
こんな感じの湿原。 霧で広さが分からない。
場所を移動すると、湿原の高さは変わる。
木は素直に成長できない。 ここでは、これが普通。 木に、手があった。
こんなの。
見通しが、少し良くなってきた。
ニッコウキスゲ。 群落。
北海道では、エゾカンゾウと呼んでいて、貴重な花の感じがしない。
名前は、だいじだ。
2人連れの人が、この花の撮影に夢中になっていた。
珍しい花だと、教えてくれた。 滅多にないそう。 コイチヨウラン(小一葉蘭)。
写真は、失敗した。 少しブレている。 感度を高くして、シャッタースピードを上げればよかった。
※ 薄暗いから、ISO400以上で。
ギンリョウソウがいっぱい。 キノコに見えるが違う。 夜見たら不気味だろうな。 別名、ユウレイタケ。
ツルリンドウ。
オガラバナで良かったかな。
ミヤマアキノキリンソウ。
この人達にお世話になった。 登山でなく、花を見に来たよう。
珍しい、キヌガサソウがあるという。 そこに連れて行ってくれた。
その場所は、スタート直後に見た、あの穴だった。
穴の中に雪があったため、遅い今の時期に咲いているそう。
これが、キヌガサソウ(衣笠草)。
大きい花だ。 葉の1枚の長さは、20~30㌢。 花の周りにある。
花びらが10枚ある。 葉もかな。
8枚のもある。
3時間かかって、戻って来た。 2人にお礼を言って別れ、私は、道の駅かづの に向かった。
山を下りた所に、大沼があった。 少し散歩した。 ここです。
タチギボウシの群落。
モウセンゴケ。 虫を捕まえて食べる。
百名山を中心に、山に登っているが、今年は12の山に登った。
去年のを合わせると、21。
30まで、あと9つ。 今年中に可能だろうか。
八幡平は、変化があって、退屈しない山だった。
いつも思うが、水があるところに、花は多い。
【道の駅】 かづの ここです。
【明日の予定】 小坂町かな。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で6位です。
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30分も歩かないうちに、頂上に着いた。
沼や湿原は、山の中腹ではなく、頂上と変わらない高さの所にあった。
八幡平は、天空の高原だった。
※ 追記 早池峰山の記事、遅くなりましたが、書き終わっています。
八幡平アスピーテラインが、頂上近くを通っている。 駐車場もある。 ここです。
山の上は、霧だった。

谷には、雪が残っていた。
この雪の下にも、草はある。
その草たちは、雪が解けたら、「やっと春がきたな」って言うんだろうか。 遅い春だ。

頂上まで、1.9㌔。 この山も百名山の一つ。 こんなに楽していいのかな。

沼や湿原があるので、ひとまわりしてくる。 2時間か3時間と思う。 急げば、1時間半。

この山も、花は豊かだ。
ミヤマキンポウゲ。 福寿草やリュウキンカと同じ仲間。 花が似ている。
※ 今日は、知り合った人に、花の名前を教えていただいた。


直径10㍍くらいの穴があった。 噴火の穴なのか何なのか、分からないとあった。
ここには、珍しい花があった。 最後に、もう一度来る。 写真に、花は小さく写っている。

鏡沼。 八幡平は火山なので、噴火口がある。 ここは、噴火口に水が溜まった。
この沼には、周りの山を美しく映すと、説明にあった。
でも、映す前に、沼自身が霧で見えなかった。

道はいい。 登山の格好をしなくても来れる。
クルマユリは、どこにでもあった。 シャキッとした花だ。


11時35分に頂上へ。 50分かかった。 普通は、20分。
早く着いてしまうのが、もったいない感じがしていた。
展望台のある頂上と言うのも、珍しい。 もし、展望台を土を盛って作ったら、山の高さは変わるんだろうか。


昨日と一昨日登った山は、向こうだ。

湿原に向かった。 小さな水たまり(沼)はどこにでもあった。

ハクサンチドリ(白山千鳥)。 白山に多いのでこの名前。 ※ 白山~岐阜県と石川県の間。
根室にいた頃、この花を良く見た。 たまに、白い花があった。


詳しい地図。 時計回りで動いている。

ハクサンチドリが、息を合わせて咲いていた。

ニッコウキスゲがあった。 尾瀬沼や雄国沼は、終わっている。 ここは、標高が高い。

キンコウカ(金光花)。 ユリ科。

タチギボウシ(立擬宝珠)も多かった。

八幡沼。 向こう岸が見えない。

こんな感じの湿原。 霧で広さが分からない。

場所を移動すると、湿原の高さは変わる。

木は素直に成長できない。 ここでは、これが普通。 木に、手があった。

こんなの。

見通しが、少し良くなってきた。

ニッコウキスゲ。 群落。
北海道では、エゾカンゾウと呼んでいて、貴重な花の感じがしない。
名前は、だいじだ。

2人連れの人が、この花の撮影に夢中になっていた。
珍しい花だと、教えてくれた。 滅多にないそう。 コイチヨウラン(小一葉蘭)。
写真は、失敗した。 少しブレている。 感度を高くして、シャッタースピードを上げればよかった。
※ 薄暗いから、ISO400以上で。


ギンリョウソウがいっぱい。 キノコに見えるが違う。 夜見たら不気味だろうな。 別名、ユウレイタケ。

ツルリンドウ。

オガラバナで良かったかな。

ミヤマアキノキリンソウ。

この人達にお世話になった。 登山でなく、花を見に来たよう。
珍しい、キヌガサソウがあるという。 そこに連れて行ってくれた。

その場所は、スタート直後に見た、あの穴だった。
穴の中に雪があったため、遅い今の時期に咲いているそう。

これが、キヌガサソウ(衣笠草)。

大きい花だ。 葉の1枚の長さは、20~30㌢。 花の周りにある。
花びらが10枚ある。 葉もかな。

8枚のもある。

3時間かかって、戻って来た。 2人にお礼を言って別れ、私は、道の駅かづの に向かった。
山を下りた所に、大沼があった。 少し散歩した。 ここです。

タチギボウシの群落。

モウセンゴケ。 虫を捕まえて食べる。


百名山を中心に、山に登っているが、今年は12の山に登った。
去年のを合わせると、21。
30まで、あと9つ。 今年中に可能だろうか。
八幡平は、変化があって、退屈しない山だった。
いつも思うが、水があるところに、花は多い。
【道の駅】 かづの ここです。
【明日の予定】 小坂町かな。
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山の上は、大嵐だった。
天気予報からは、全く想像できなかった。 山の恐ろしさを感じた。
コマクサの大群落があった。 ※ 日本一らしい。
高山植物の女王と言われるのに、女王がこんなにいていいのか、と思うほどだった。
久しぶりに、疲れましたね。 寝不足で登ったからかな。
登りも下りも、ほぼ4時間かかった。
写真の人は、昨日早池峰山の頂上で知り合った、神奈川のSさん。
一緒に登ることに。
山の上には、雲。 天気の心配はしていない。
登山口。 ロープウェーはないから、下から歩いて登る。 だから、4時間かかる。 7時20分出発。
こんな道は、歩いてて気持ちいい。 森林浴。
Sさんが、葉の重なりが綺麗だねと言った。 人と歩くと、自分にない感覚が学べる。
こんなことを言った。
今の葉はやわらかいから、風が吹いた時の、葉のこすれあう音もやわらかい。
でも、秋になって紅葉し葉が硬くなると、音も変わると。
道は、溶岩になってきた。 岩手山は、江戸時代に噴火している。
クルマユリ。 少し小さく、品がある。
つぼみはいい。 これからを感じる。 夢が詰まっているのか。
第2噴火口とあった。 1731年、ここから溶岩が噴出し、下に流れた。
下の写真の黒い所が、その溶岩。 焼走り溶岩流と呼ばれる。 ※ 焼走り~やけはしり
これを見に、昨年来た。 ※ 関連ブログ 焼走り溶岩流
黄色の○が駐車場。 あそこから来た。 この時、9時5分。 1時間45分かかった。
黄緑の所は、自衛隊の演習場。 大砲の音が、しょっちゅう聞こえた。 初め、雷かと思った。
北方面。 八幡平市の方向。
吹き出した所は、溶岩が盛り上がっている。 山の上は、雲の中。
この辺りは、上から溶岩が流れたため、大きな木がない。
コマクサがあった。
群落がある。 ※ 日本一と言う声もある。
斜面一面。
この頃から、雨が降って来た。 写真が十分に撮れない。 少し後、合羽を着て、カメラはリュックに仕舞う。
途中で、下山者に何度も会う。 強風のため頂上には行けないという。
ある人は、行っても無駄なように言った。
私は聞いた。 あなたは、山小屋まで行ったのですか、と。
その人が、山小屋までも行かないで、途中で引き返していたら、聞く耳を持ったかもしれない。
私は、頂上直下の山小屋も見たいし、強風で行くのは無理だという、頂上も見たかった。
強い雨の中、11時10分、山小屋に着いた。 3時間50分かかった。
頂上は向こう。 ここから、800㍍。 ひと汗かいたら着く。 でも、風は唸りを上げて吹いている。
頂上へは、今日誰も行っていないことを知り、断念する。
無理してでも登りたいという気持ちは、まったくない。
立派な山小屋。
山小屋の中。 ここで食事。 ここは宿泊できる。 私は、山で泊まったことはない。
Sさんは、人と会うので、下山を急いだ。 先に下りた。
携帯が使えたので、姉に電話。 無理をしないよう言われた。
11時50分、下山開始。
いい花です。 ヨツバシオガマ(四葉塩釜)
オダマキでいいのかな。
こんな道。
?。
雨は、時々降る程度。
準備完了、という感じ。
木に花が咲いていた。
花でなく、種だった。 クルクルまわって落ちるやつだ。
山小屋は、山の裏側にあったが、正面に来た。 焼走り溶岩流が見えてきた。
コマクサの群落の中に来た。 何百㍍もこの状態が続く。 道は歩きにくい。 足がずれる。
見える所、そこまでも咲いていた
こっちは、下。
密集して、このように。
小さな株もあった。
花は、時期を過ぎて、傷んでいた。 今年の役割を終えて、花は一安心でいるかもしれない。
美しさ以外の見方もあるのかなと、この花を見て思った。
登る時寄った、第2噴火口から。 上は見えない。
下もこう。
合羽を着ているため、暑い。 途中で、15分ほど休んだ。 疲れた。 少し食べた。
休んだら、少し元気になった。 この後、合羽を上下脱いだ。 雨が降ったら、傘をさした。
登山道から外れて、焼走り溶岩流をみた。 広い。 木も草もない。
やっと着いた。 4時間もかかった。 下りは、歩きにくかった。
岩手山は、岩手の人々にとって、心の山なんですね。
深田久弥は、こう言ってる。
「かっての名門青森中学の少年たちは、これを仰ぎながら学び且遊んだ。 石川啄木もその一人であった」
片道4時間の山は、少し大変だった。 ※ 睡眠不足もあって。
北海道の羊蹄山は、片道5時間だ。
朝、5時頃出発しないと、晩までに、戻って来れない。
4時間で大変だと言ってたら、羊蹄山には登れない。
【道の駅】 にしね
【明日の予定】 八幡平(はちまんたい)へ行って来ます。
※ 28日の朝の天気予報を見て、決めました。
大変な山では、ありません。 湿原があります。
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天気予報からは、全く想像できなかった。 山の恐ろしさを感じた。
コマクサの大群落があった。 ※ 日本一らしい。
高山植物の女王と言われるのに、女王がこんなにいていいのか、と思うほどだった。
久しぶりに、疲れましたね。 寝不足で登ったからかな。
登りも下りも、ほぼ4時間かかった。
写真の人は、昨日早池峰山の頂上で知り合った、神奈川のSさん。
一緒に登ることに。
山の上には、雲。 天気の心配はしていない。

登山口。 ロープウェーはないから、下から歩いて登る。 だから、4時間かかる。 7時20分出発。

こんな道は、歩いてて気持ちいい。 森林浴。

Sさんが、葉の重なりが綺麗だねと言った。 人と歩くと、自分にない感覚が学べる。
こんなことを言った。
今の葉はやわらかいから、風が吹いた時の、葉のこすれあう音もやわらかい。
でも、秋になって紅葉し葉が硬くなると、音も変わると。


道は、溶岩になってきた。 岩手山は、江戸時代に噴火している。

クルマユリ。 少し小さく、品がある。
つぼみはいい。 これからを感じる。 夢が詰まっているのか。

第2噴火口とあった。 1731年、ここから溶岩が噴出し、下に流れた。
下の写真の黒い所が、その溶岩。 焼走り溶岩流と呼ばれる。 ※ 焼走り~やけはしり
これを見に、昨年来た。 ※ 関連ブログ 焼走り溶岩流
黄色の○が駐車場。 あそこから来た。 この時、9時5分。 1時間45分かかった。

黄緑の所は、自衛隊の演習場。 大砲の音が、しょっちゅう聞こえた。 初め、雷かと思った。

北方面。 八幡平市の方向。

吹き出した所は、溶岩が盛り上がっている。 山の上は、雲の中。

この辺りは、上から溶岩が流れたため、大きな木がない。

コマクサがあった。

群落がある。 ※ 日本一と言う声もある。

斜面一面。
この頃から、雨が降って来た。 写真が十分に撮れない。 少し後、合羽を着て、カメラはリュックに仕舞う。

途中で、下山者に何度も会う。 強風のため頂上には行けないという。
ある人は、行っても無駄なように言った。
私は聞いた。 あなたは、山小屋まで行ったのですか、と。
その人が、山小屋までも行かないで、途中で引き返していたら、聞く耳を持ったかもしれない。
私は、頂上直下の山小屋も見たいし、強風で行くのは無理だという、頂上も見たかった。
強い雨の中、11時10分、山小屋に着いた。 3時間50分かかった。
頂上は向こう。 ここから、800㍍。 ひと汗かいたら着く。 でも、風は唸りを上げて吹いている。
頂上へは、今日誰も行っていないことを知り、断念する。
無理してでも登りたいという気持ちは、まったくない。

立派な山小屋。

山小屋の中。 ここで食事。 ここは宿泊できる。 私は、山で泊まったことはない。
Sさんは、人と会うので、下山を急いだ。 先に下りた。
携帯が使えたので、姉に電話。 無理をしないよう言われた。

11時50分、下山開始。
いい花です。 ヨツバシオガマ(四葉塩釜)

オダマキでいいのかな。

こんな道。

?。

雨は、時々降る程度。

準備完了、という感じ。

木に花が咲いていた。

花でなく、種だった。 クルクルまわって落ちるやつだ。

山小屋は、山の裏側にあったが、正面に来た。 焼走り溶岩流が見えてきた。

コマクサの群落の中に来た。 何百㍍もこの状態が続く。 道は歩きにくい。 足がずれる。

見える所、そこまでも咲いていた

こっちは、下。

密集して、このように。

小さな株もあった。

花は、時期を過ぎて、傷んでいた。 今年の役割を終えて、花は一安心でいるかもしれない。
美しさ以外の見方もあるのかなと、この花を見て思った。

登る時寄った、第2噴火口から。 上は見えない。

下もこう。

合羽を着ているため、暑い。 途中で、15分ほど休んだ。 疲れた。 少し食べた。

休んだら、少し元気になった。 この後、合羽を上下脱いだ。 雨が降ったら、傘をさした。


登山道から外れて、焼走り溶岩流をみた。 広い。 木も草もない。

やっと着いた。 4時間もかかった。 下りは、歩きにくかった。

岩手山は、岩手の人々にとって、心の山なんですね。
深田久弥は、こう言ってる。
「かっての名門青森中学の少年たちは、これを仰ぎながら学び且遊んだ。 石川啄木もその一人であった」
片道4時間の山は、少し大変だった。 ※ 睡眠不足もあって。
北海道の羊蹄山は、片道5時間だ。
朝、5時頃出発しないと、晩までに、戻って来れない。
4時間で大変だと言ってたら、羊蹄山には登れない。
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※ 28日の朝の天気予報を見て、決めました。
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早池峰山で咲く、ハヤチネウスユキソウは、日本のウスユキソウの中で、一番エーデルワイスに近いそう。
この花が、この山の人気を、大きく押し上げていた。
車で走っていたら、ナビに早池峰山が見えた。 正面だ。
上の方が急な山だ。
ここが登山口。 場所はここ。
写真の人は、登山届を書いている。 私も書いた。
登山口は2つある。 登りは、大変な方にした。 下りは、のんびりのコース。 10時10分出発。
登山道は、沢沿いにあり、何度も川を渡った。 雨の後など、増水したら、このコースは無理だ。
上が見えない。 遠くからは、全体が見えていたのに。
ロープの間が道で、どこを歩くかは、自分で決める。
ミヤマナデシコのよう。 カワラナデシコより色が濃い。 ※ 後日教えてもらった。
見たことない花。 山全体が流紋岩なため、普通の土と違う。 この山は変わった花が多い。
変わった花ですよ。
クルマユリ。 たまにあった。
川が無くなったら、斜面は急になった。 岩が、ゴロゴロ転がってくることはない。
向こうから、登って来た。 ここまで2時間とちょっと。
下りてくる人がいる。 山は雲の中。
頂上まで700㍍。 普通は近いと感じるが、この道なので、遠いなと思った。 スタコラと歩けない。
変わった花。 魅力ありますよ。
団体さんが、下りて行った。
大きな岩の所も。
オダマキとウメバチソウ。
二人は、下山途中。 休憩してお話し。 少しずつ、晴れてきた。
雲は、どこかに行った。
あと少しの雰囲気。 (時間とかで)
見えた。
3時間15分かかった。 久しぶりに、厳しい山。
おそくスタートしたので、この風景が見られた。 雲(?)が良かった。
何の山かは分からない。 こういう時、地図があれば分かるのかな。
下山は、こっちの道。 なだらか。
ワインと生ハムを持って来た。 いつもより、贅沢。 ワインを飲んだら、眠くなってきた。 ※ 少し寝不足。
足に、どうだい、って聞いた。
ここは、ちゃんとした山だね、と言った。 最近の山は楽だった。
食事をした後ろの岩に、この花があった。 山の管理人の人が教えてくれた。
ハヤチネウスユキソウ。
この花が見たくて、登る人がいる。
花好きの人にとっては、垂涎の的になる名花だそう。 ※ 垂涎(すいえん)~よだれを垂らすこと。
別の、ハヤチネウスユキソウ。
ナンブトラノオ。 トラの尻尾のようだから、この名前。 貴重な花だそう。
14時10分下山開始。
ハクサンチドリ。
向こうが頂上。 山小屋が見える。
岩の道。 ここを過ぎたら、少し急。
この下山道の終点は、白い建物。 点に見える。 車は、ずっと右。
この斜面を登った。
いい風景。 疲れは、どこかに行く。
松は、幹も根も、横に。
チシマフウロ。
上の方は、雲が出てきた。
五合目。
右下を撮影。 小さく駐車場が見える。 車は、そこに。
林が近付いてきた。
ツリガネニンジン。
どこまでも見えた。
林の中に入った。 見える椅子の足は、枝を利用してる。
こんな道。 歩きやすい。
一応下山した。 この時16時30分。 2時間20分かかった。
正面から、登って行った。
駐車場に戻っている。 2㌔か3㌔。
こんな花。 右は、オダマキ。 宮沢賢治の詩があった。
着きました。 さっきの場所から、50分かかった。 この時、5時20分。
夜、姉から電話が来た。 満月が綺麗だよって。
山は、今日くらい苦労していいなと思った。
見たことない花を、たくさん見た。
早池峰山。 花がいっぱいで、しかも、いい名前の山だ。
【道の駅】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 岩手山へ。
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この花が、この山の人気を、大きく押し上げていた。
車で走っていたら、ナビに早池峰山が見えた。 正面だ。
上の方が急な山だ。

ここが登山口。 場所はここ。
写真の人は、登山届を書いている。 私も書いた。
登山口は2つある。 登りは、大変な方にした。 下りは、のんびりのコース。 10時10分出発。

登山道は、沢沿いにあり、何度も川を渡った。 雨の後など、増水したら、このコースは無理だ。


上が見えない。 遠くからは、全体が見えていたのに。
ロープの間が道で、どこを歩くかは、自分で決める。

ミヤマナデシコのよう。 カワラナデシコより色が濃い。 ※ 後日教えてもらった。

見たことない花。 山全体が流紋岩なため、普通の土と違う。 この山は変わった花が多い。



変わった花ですよ。

クルマユリ。 たまにあった。

川が無くなったら、斜面は急になった。 岩が、ゴロゴロ転がってくることはない。

向こうから、登って来た。 ここまで2時間とちょっと。

下りてくる人がいる。 山は雲の中。

頂上まで700㍍。 普通は近いと感じるが、この道なので、遠いなと思った。 スタコラと歩けない。

変わった花。 魅力ありますよ。

団体さんが、下りて行った。

大きな岩の所も。

オダマキとウメバチソウ。


二人は、下山途中。 休憩してお話し。 少しずつ、晴れてきた。

雲は、どこかに行った。

あと少しの雰囲気。 (時間とかで)

見えた。

3時間15分かかった。 久しぶりに、厳しい山。


おそくスタートしたので、この風景が見られた。 雲(?)が良かった。

何の山かは分からない。 こういう時、地図があれば分かるのかな。

下山は、こっちの道。 なだらか。

ワインと生ハムを持って来た。 いつもより、贅沢。 ワインを飲んだら、眠くなってきた。 ※ 少し寝不足。
足に、どうだい、って聞いた。
ここは、ちゃんとした山だね、と言った。 最近の山は楽だった。

食事をした後ろの岩に、この花があった。 山の管理人の人が教えてくれた。
ハヤチネウスユキソウ。
この花が見たくて、登る人がいる。
花好きの人にとっては、垂涎の的になる名花だそう。 ※ 垂涎(すいえん)~よだれを垂らすこと。

別の、ハヤチネウスユキソウ。

ナンブトラノオ。 トラの尻尾のようだから、この名前。 貴重な花だそう。

14時10分下山開始。

ハクサンチドリ。

向こうが頂上。 山小屋が見える。

岩の道。 ここを過ぎたら、少し急。

この下山道の終点は、白い建物。 点に見える。 車は、ずっと右。

この斜面を登った。

いい風景。 疲れは、どこかに行く。

松は、幹も根も、横に。

チシマフウロ。

上の方は、雲が出てきた。

五合目。

右下を撮影。 小さく駐車場が見える。 車は、そこに。

林が近付いてきた。

ツリガネニンジン。

どこまでも見えた。

林の中に入った。 見える椅子の足は、枝を利用してる。

こんな道。 歩きやすい。

一応下山した。 この時16時30分。 2時間20分かかった。

正面から、登って行った。

駐車場に戻っている。 2㌔か3㌔。

こんな花。 右は、オダマキ。 宮沢賢治の詩があった。



着きました。 さっきの場所から、50分かかった。 この時、5時20分。

夜、姉から電話が来た。 満月が綺麗だよって。

山は、今日くらい苦労していいなと思った。
見たことない花を、たくさん見た。
早池峰山。 花がいっぱいで、しかも、いい名前の山だ。
【道の駅】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 岩手山へ。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で9位です。
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今日・明日はどこかを見て、その後早池峰山に登り、遠野に寄って、太平洋に出る予定でいた。
遠野では、お世話になったSさんと、一緒にどこかを見るか、山に入ろうと思っていた。
電話してみた。 そうしたら、病院のベッドに寝ていた。 盛岡赤十字病院。
雄勝と湯沢市に少し寄って、盛岡に向かった。 8時頃着いた。
今は、病院から戻って、道の駅紫波(しわ) ※ 盛岡市の南、紫波町にある。 早池峰山に近い。
雄勝を訪れるのは3回目。 今回は、少しですが。
道の駅のそばにあるのが、これ。 小さな古墳の感じ。
小町と、小町を追ってやってきた深草少将の墓と言われている。
※ この墓について、どんな調査をしたのか、確認すればよかったかな。 案内所で。
近くに小町堂がある。
こんな建物。 草刈りなど、まあまあ整備されていた。
ここで毎年、小町まつりが行われる。
道の駅に、小町の伝説が貼ってあった。
このような伝説が、出来上がっている。 詳しい所が、他と違う。
ただ、弱点は、他の地域の伝説と似ている所でしょうか。
どうして似たかと言うと、昔、伝説を広めた人がいたから。
こんな伝説。
※ 関連ブログ その① その②
雄勝の手前の新庄で、象潟のKさんに電話をした。 昨年秋、お世話になった。
近くを通っているけど、今回は寄れないことを伝えた。 秋に寄らせてもらうと。
そうしたら、Kさん、湯沢の絵どうろう見たらいいよって、教えてくれた。
私はそういうのが好きだと、分かっているようだ。
突き当たりが、湯沢駅。 車は、市役所に置いて歩いている。
市民プラザに展示してあった。
8月の5日から、絵どうろうまつりが始まる。
祭りで使われる絵どうろうの一部が、展示してあった。
ほとんどが、美人画だった。
湯沢市では、江戸時代から、行事の時に絵どうろうを吊るすのが風習になっていた。
明治に入って、七夕で絵どうろうが登場するようになった。
大きいのは100以上。 子どものも合わせると、300程になるという。
ここに載せているのは、プロと言われる人の作品。
実際の形は、このような形。
どの顔も確かに美しいが、表現に限界を感じていた。
そんな中で、この絵の表情が、少し壁を越えてる感じがした。 これが一番いい。
ただ美しいだけでは、飽きてくる。
この祭りは、多くの市民が参加できる。 そこがいいでしょうか。
横手市街の手前。 ここで右に曲がる。 去年の秋も通った。
去年の4月、出発の時、おにぎりを持たせてくれたお母さんがいた。
そのお母さんの、青春時代の思い出の地。 ※ 関連ブログ 横手市で、Sさんの青春の思い出を探す
この後、山の中を走って、盛岡の赤十字病院に着いた。 道はよかった。
遠野のSさんは、心臓の調子が悪く、入院していた。 Sさんは74歳。
ご飯食べれるの、って聞いたら、ごはんはあれ、って点滴を指差した。
ちゃんと治して、一緒にキノコ採りに行くことを約束した。
【道の駅】 紫波 ここです。 右に、早池峰山が見える。
【明日の予定】 早池峰山に。 蛇紋岩の山。 珍しい花があるそう。
登る人が少なかったら、ずっと一人かもしれない。 怪我をしないように。
【今日の歌】 歌でなく、絵どうろう祭り(YouTube)
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遠野では、お世話になったSさんと、一緒にどこかを見るか、山に入ろうと思っていた。
電話してみた。 そうしたら、病院のベッドに寝ていた。 盛岡赤十字病院。
雄勝と湯沢市に少し寄って、盛岡に向かった。 8時頃着いた。
今は、病院から戻って、道の駅紫波(しわ) ※ 盛岡市の南、紫波町にある。 早池峰山に近い。
雄勝を訪れるのは3回目。 今回は、少しですが。
道の駅のそばにあるのが、これ。 小さな古墳の感じ。
小町と、小町を追ってやってきた深草少将の墓と言われている。
※ この墓について、どんな調査をしたのか、確認すればよかったかな。 案内所で。

近くに小町堂がある。

こんな建物。 草刈りなど、まあまあ整備されていた。

ここで毎年、小町まつりが行われる。


道の駅に、小町の伝説が貼ってあった。
このような伝説が、出来上がっている。 詳しい所が、他と違う。
ただ、弱点は、他の地域の伝説と似ている所でしょうか。
どうして似たかと言うと、昔、伝説を広めた人がいたから。
こんな伝説。












※ 関連ブログ その① その②
雄勝の手前の新庄で、象潟のKさんに電話をした。 昨年秋、お世話になった。
近くを通っているけど、今回は寄れないことを伝えた。 秋に寄らせてもらうと。
そうしたら、Kさん、湯沢の絵どうろう見たらいいよって、教えてくれた。
私はそういうのが好きだと、分かっているようだ。
突き当たりが、湯沢駅。 車は、市役所に置いて歩いている。

市民プラザに展示してあった。
8月の5日から、絵どうろうまつりが始まる。

祭りで使われる絵どうろうの一部が、展示してあった。

ほとんどが、美人画だった。

湯沢市では、江戸時代から、行事の時に絵どうろうを吊るすのが風習になっていた。
明治に入って、七夕で絵どうろうが登場するようになった。

大きいのは100以上。 子どものも合わせると、300程になるという。

ここに載せているのは、プロと言われる人の作品。

実際の形は、このような形。

どの顔も確かに美しいが、表現に限界を感じていた。
そんな中で、この絵の表情が、少し壁を越えてる感じがした。 これが一番いい。

ただ美しいだけでは、飽きてくる。

この祭りは、多くの市民が参加できる。 そこがいいでしょうか。
横手市街の手前。 ここで右に曲がる。 去年の秋も通った。
去年の4月、出発の時、おにぎりを持たせてくれたお母さんがいた。
そのお母さんの、青春時代の思い出の地。 ※ 関連ブログ 横手市で、Sさんの青春の思い出を探す

この後、山の中を走って、盛岡の赤十字病院に着いた。 道はよかった。
遠野のSさんは、心臓の調子が悪く、入院していた。 Sさんは74歳。
ご飯食べれるの、って聞いたら、ごはんはあれ、って点滴を指差した。
ちゃんと治して、一緒にキノコ採りに行くことを約束した。
【道の駅】 紫波 ここです。 右に、早池峰山が見える。
【明日の予定】 早池峰山に。 蛇紋岩の山。 珍しい花があるそう。
登る人が少なかったら、ずっと一人かもしれない。 怪我をしないように。
【今日の歌】 歌でなく、絵どうろう祭り(YouTube)
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銀山温泉の旅館は、大きな木造建築だった。
どこも古い建物で、大正ロマンが漂っていた。
歩いて楽しい、黒川温泉とは違った魅力を持っていた。
夜になったら、温泉街に、ガス灯が点いた。
夕食の終わった観光客は、再び外を歩いていた。
8時半に、橋の上で、尾花沢が発祥と言う、花笠音頭の踊りがあった。
昔、銀山があったので、銀山温泉。 ここです。
公共の駐車場に車を停めたが、十分な広さではなかった。
下の写真の橋から、車は進入禁止。
ここからが、銀山温泉の温泉街。 このことは、すぐには分からなかった。
ここへ来るまでが雑然としていたので、ここでの大きな感動や驚きはなかった。
黒川温泉との違いでしょうか。
川の両側を歩くことが出来る。 旅館も両側に。 裏道や小路はない。
多くの建物は、大正から昭和初期のものという。 一目古い。 味がある。
木造だけど、建物が大きい。 橋がたくさんある。
向こうから来た。
さらに奥に来ると、この感じ。 向こうから来てる。 この辺りから散策路になる。
銀山温泉の散策路は楽しい。 この温泉の大きな特徴。
変化に富んだ道を歩く。 小さな滝や祠や、昔の坑道の跡などがある。
コウモリ穴などもあって、最後に、銀坑道。 自由に見ることができる。
本物の坑道。 40㍍くらいで別の所に出た。 こういうのが、いい。
小さな公園に、昔の銀山温泉の写真があった。
左から、明治初期、大正、昭和初期。
今の、冬。 雪が多いですね。
白銀の滝。 散策路にあるから、これで十分。 贅沢言えない。
散策路は、全部歩いたら、30分ほど楽しめる。
忘れていた。 少ししか入れないが、こんな坑道もあった。
奥から、寒いくらいの風が出ていた。 夏しらず坑、と名前があった。
しばらくいた。 毎日暑い。 ※ 暑いから、山に登りたくなる。
来た道だが、ここを通って戻る。
椅子やベンチがあちこちに。 勝手に座っていい。
橋の上に人がいたので、話しかけることにした。
オトギリソウ。 陰乾しした後、煎じて飲むそう。
病院の薬のようにすぐには効かないけどねと、女の人は言った。
いろいろ教えてくれた。
① ここは、今は、尾花沢市。 昔は玉野村と言った。
② 昔、杉の木を植えた後は、大変な洪水が続いた。 今は広葉樹が育ったので、減って来た。 ブナの原生林もあり、大事にしている。
③ おしんのドラマで、銀山温泉のお客は一気に増えた。 それまでは、湯治場だった。
他にも、いろいろと。
旅館と言っても、作りが凝っている。 能登屋。
能登屋の全景。 おしんが奉公したとされる。
こんな旅館に、私は泊まったことはない。 木造で、こんなに大きいのが不思議だ。
気温は30度ない。 過ごしやすい。 散歩する人。 ベンチに座る人。 いろいろ。
左に、公衆浴場。 晩に入る。
古山閣。
壁に絵が並んでいた。 鏝絵(こてえ)だそう。 国東半島で見たのかな。 城下カレイの獲れるとこで。
「涼しさを わが宿にして ねまるなり」とある。
芭蕉が、尾花沢で詠んだ句ですね。 ※ 関連ブログ 奥の細道と尾花沢
能登屋の建物。 この部分の目的は何でしょう。 行ってみたくなる。
歩いていたら、晩の8時半から「花笠踊り」があると、地元の人が教えてくれた。
ガス灯も見たいから、見学することにした。
車に戻って、食事を終わらせ、7時過ぎに出直した。 薄暗くなってきた。
お風呂に入った。 300円。 料金箱に入れる。
熱くて入れない。 48℃はある。 水を勢いよく出して、そこに入った。 46℃の感じ。 やっと。
日焼けした腕は、出したまま。
日は沈んだ。
ガス灯が点いている。 ※ プロパンガスを使っているそう。
奥に向かった。
月明りで撮影。
スリッパが、揃っている。
能登屋です。
いい感じだ。 夜も、そぞろ歩きたくなる雰囲気。
夕食を終えた人たちが、外に出始めた。
みんな浴衣に下駄。
橋の上で、花笠踊は始まった。 花笠音頭の歌に合わせて。 人がいっぱい。
いそがしい踊りだ。 体力がいる。 尾花沢は、この踊りの発祥の地。(大丈夫のよう)
笠の動きは速い。
2か所の橋で踊った。 音楽と踊り、二つ合わさるとなおいい。
みんなそれぞれ、旅館に戻った。
この時、9時少し前。 私は今晩どこに停泊するか、決まってない。 戻って調べて、道の駅 尾花沢 に向かう。
銀山温泉は、いい温泉地でしたね。
そぞろ歩きが、昼も夜もしたくなる。 そこがいい。
問題は、いくつかありました。
どこも、自分の旅館や店の前は、掃除も行き届いており、雰囲気もいい。
でも、共通の場所や遊歩道は、壊れたままだったり、管理が不十分。
この辺りが、黒川温泉との大きな違い。
※ 時々黒川温泉を出しますが、黒川温泉と由布院温泉が、日本の温泉を変えた、また、変えている、と言われている。
他には、公共の駐車場が整備されるといいですね。
そうすると、ふらっとみんな遊びに来る。 足湯だけで帰るかもしれないが。
その人達が、今度は泊まりに来る。
他の人を連れてくるかもしれないし、宣伝してくれるかもしれない。
ああだこうだ言ったけど、銀山温泉は、いいですね。
日本の温泉の、トップ10に入る。 そんな温泉だった。
【道の駅】 尾花沢 この辺り。
【明日の予定】 検討中。
【今日の歌】 銀山温泉での花笠踊り(YouTube) 同じ踊りをやっています。
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どこも古い建物で、大正ロマンが漂っていた。
歩いて楽しい、黒川温泉とは違った魅力を持っていた。
夜になったら、温泉街に、ガス灯が点いた。
夕食の終わった観光客は、再び外を歩いていた。
8時半に、橋の上で、尾花沢が発祥と言う、花笠音頭の踊りがあった。
昔、銀山があったので、銀山温泉。 ここです。

公共の駐車場に車を停めたが、十分な広さではなかった。
下の写真の橋から、車は進入禁止。
ここからが、銀山温泉の温泉街。 このことは、すぐには分からなかった。
ここへ来るまでが雑然としていたので、ここでの大きな感動や驚きはなかった。
黒川温泉との違いでしょうか。

川の両側を歩くことが出来る。 旅館も両側に。 裏道や小路はない。

多くの建物は、大正から昭和初期のものという。 一目古い。 味がある。

木造だけど、建物が大きい。 橋がたくさんある。

向こうから来た。

さらに奥に来ると、この感じ。 向こうから来てる。 この辺りから散策路になる。
銀山温泉の散策路は楽しい。 この温泉の大きな特徴。

変化に富んだ道を歩く。 小さな滝や祠や、昔の坑道の跡などがある。

コウモリ穴などもあって、最後に、銀坑道。 自由に見ることができる。

本物の坑道。 40㍍くらいで別の所に出た。 こういうのが、いい。

小さな公園に、昔の銀山温泉の写真があった。
左から、明治初期、大正、昭和初期。



今の、冬。 雪が多いですね。

白銀の滝。 散策路にあるから、これで十分。 贅沢言えない。

散策路は、全部歩いたら、30分ほど楽しめる。
忘れていた。 少ししか入れないが、こんな坑道もあった。
奥から、寒いくらいの風が出ていた。 夏しらず坑、と名前があった。
しばらくいた。 毎日暑い。 ※ 暑いから、山に登りたくなる。
来た道だが、ここを通って戻る。

椅子やベンチがあちこちに。 勝手に座っていい。

橋の上に人がいたので、話しかけることにした。

オトギリソウ。 陰乾しした後、煎じて飲むそう。
病院の薬のようにすぐには効かないけどねと、女の人は言った。

いろいろ教えてくれた。
① ここは、今は、尾花沢市。 昔は玉野村と言った。
② 昔、杉の木を植えた後は、大変な洪水が続いた。 今は広葉樹が育ったので、減って来た。 ブナの原生林もあり、大事にしている。
③ おしんのドラマで、銀山温泉のお客は一気に増えた。 それまでは、湯治場だった。
他にも、いろいろと。
旅館と言っても、作りが凝っている。 能登屋。

能登屋の全景。 おしんが奉公したとされる。

こんな旅館に、私は泊まったことはない。 木造で、こんなに大きいのが不思議だ。

気温は30度ない。 過ごしやすい。 散歩する人。 ベンチに座る人。 いろいろ。
左に、公衆浴場。 晩に入る。

古山閣。

壁に絵が並んでいた。 鏝絵(こてえ)だそう。 国東半島で見たのかな。 城下カレイの獲れるとこで。

「涼しさを わが宿にして ねまるなり」とある。
芭蕉が、尾花沢で詠んだ句ですね。 ※ 関連ブログ 奥の細道と尾花沢

能登屋の建物。 この部分の目的は何でしょう。 行ってみたくなる。

歩いていたら、晩の8時半から「花笠踊り」があると、地元の人が教えてくれた。
ガス灯も見たいから、見学することにした。
車に戻って、食事を終わらせ、7時過ぎに出直した。 薄暗くなってきた。

お風呂に入った。 300円。 料金箱に入れる。
熱くて入れない。 48℃はある。 水を勢いよく出して、そこに入った。 46℃の感じ。 やっと。
日焼けした腕は、出したまま。

日は沈んだ。

ガス灯が点いている。 ※ プロパンガスを使っているそう。

奥に向かった。

月明りで撮影。

スリッパが、揃っている。

能登屋です。

いい感じだ。 夜も、そぞろ歩きたくなる雰囲気。

夕食を終えた人たちが、外に出始めた。

みんな浴衣に下駄。

橋の上で、花笠踊は始まった。 花笠音頭の歌に合わせて。 人がいっぱい。

いそがしい踊りだ。 体力がいる。 尾花沢は、この踊りの発祥の地。(大丈夫のよう)

笠の動きは速い。

2か所の橋で踊った。 音楽と踊り、二つ合わさるとなおいい。

みんなそれぞれ、旅館に戻った。

この時、9時少し前。 私は今晩どこに停泊するか、決まってない。 戻って調べて、道の駅 尾花沢 に向かう。

銀山温泉は、いい温泉地でしたね。
そぞろ歩きが、昼も夜もしたくなる。 そこがいい。
問題は、いくつかありました。
どこも、自分の旅館や店の前は、掃除も行き届いており、雰囲気もいい。
でも、共通の場所や遊歩道は、壊れたままだったり、管理が不十分。
この辺りが、黒川温泉との大きな違い。
※ 時々黒川温泉を出しますが、黒川温泉と由布院温泉が、日本の温泉を変えた、また、変えている、と言われている。
他には、公共の駐車場が整備されるといいですね。
そうすると、ふらっとみんな遊びに来る。 足湯だけで帰るかもしれないが。
その人達が、今度は泊まりに来る。
他の人を連れてくるかもしれないし、宣伝してくれるかもしれない。
ああだこうだ言ったけど、銀山温泉は、いいですね。
日本の温泉の、トップ10に入る。 そんな温泉だった。
【道の駅】 尾花沢 この辺り。
【明日の予定】 検討中。
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お釜が、雲の中から、急に現れた。
その美しさには、驚いた。
蔵王連峰があって、その中の最高峰は、熊野岳。 熊野岳の辺りの山を蔵王山と言っている。
目標は、熊野岳の頂上(1841㍍)だが、最終目標は、その向こうにある、お釜になる。
一般的なコースは、帰りもロープウェイを使うが、一応帰りは歩く予定。
温泉駅から鳥兜駅までの、ロープウェイに乗った。
下の地図の、行く時は黄色。 帰りは、途中からオレンジ。
鳥兜駅出発、9時50分。
初め、車道を歩いた。 途中で、脇道に入って、片貝沼を見た。
スキーコースをしばらく歩いた。 団体さんが、下山して行った。
写真で分かるが、高い所に雲がある。
11時20分、別のロープウェイの、地蔵山頂駅に着いた。 1時間半かかった。
多くの人は、ここから登山していた。
地蔵山に向かう、上りの道。 この山に登らないで、行く道もある。
1736㍍の、地蔵山山頂。 雲の中に近づいてきた。 11時37分。
一旦なだらかに下って、蔵王山の頂上である、熊野岳の頂上を目指す。
途中で少し休んで、おにぎりを一つ食べた。 朝は、食べてない。
気温が下がったので、上着を着た。
ワサ小屋跡とあった。 帰りは、ここから右に下りていく。
最後の登り。 道がはっきりしないので、岩に印があった。
頂上が見えた。
熊野岳の頂上。 蔵王山の頂上でもある。 12時30分。 2時間40分かかった。
頂上には、神社と避難小屋があった。
岩陰で食事をした。
おかずに生ハムを食べた。 袋の絵に、ワインがあった。
この次の登山では、生ハムとワインを持ってくることに決めた。
雲の中を、お釜に向かった。
道が、左右に別れる標識。 目の前に、お釜があるはず。
馬の背と呼ばれる、右の方。
ここへ来る間、雲は一度も消えなかった。
晴れるのを、20分は待つ、と決めた。
その心がけが、よかった。
上の2枚の写真は、13時02分に撮影。
下の写真は、13時03分に撮影。 1分後だった。 急に見えた。
雲の動きが速い。 すぐに、消えた。
少し待ったら、再び見えた。 はっきり見え始めた。
※ とにかく風が強い。 背中の方から吹いてくる。 お釜に落ちたら助からない。
大きな石の後ろで、風の方向に足を開いて撮影。 それでも、突風が怖い。
休みなく、写真は撮り続けた。
数分間に60枚撮った。 同じような写真にならないように工夫して。
強い光が差し、薄く雲が残っていた時の、この写真が一番良かった。 水の色がいい。
大きくなります。
お釜の水は、沸騰するくらい高温になることがあるそう。
また、お釜は五色沼とも呼ばれ、水の色は変化するそうだ。 今日は緑。
左の方。 仙台の方向かな。
満足して、熊野岳に戻った。 頂上の少し下に、コマクサが咲いていることを、登山者から聞いた。
これが、コマクサ。 私は、この花が、山で咲く花の女王に思う。
時期が10日ほど過ぎているので、傷んでいる花が多かった。
南斜面に咲いていた。
戻る方向の雲も晴れた。 黄色の○を来た。 戻りは、途中からオレンジの○。
ワレモコウの一種と思うんだが。
1枚目を撮った時、大きく揺れていた。 花は気付いたのか、2枚目の時、ピタッと止まった。
右の方は、山形市。 左は上山市でいいと思う。
米沢の方の山並。
分岐点に来た。 向こうに行く。
道は、山の斜面に。
こんな道は、いい気分。
さっきまでいた、熊野岳。 石の祠や石碑が時々ある。
左に行ったら、ロープウェー乗り場に。 右に行った。 道が良くない。
初め、葉っぱかと思った。 生き物のようだ。 ひっくり返した。 ナメクジかな。 大きさは、10㌢ほど。
道は、色々に変化した。 森の中は、歩きやすい。
小さな滝と、姥神の像が。
※ 姥神とは、民間信仰の呼び方で、元々は三途の川のほとりで死者の衣をはぐ鬼女のことだそう。(ある説明で)
50㌢くらいの蛇がいた。 カエルか何かを飲み込んだよう。 シマヘビの子どもと思う。
やっと着いた。 下りは、3時間半かかった。
少しフラフラ。 でも、吾妻山の下りよりは、楽だったでしょうか。
珍しい花はほとんどなかったが、コマクサがあったので、十分。
お釜の人気の秘密が、行ってみて分かった。
火山性の成分を含んだ水は、独特の色になりますね。 ※ 美瑛の青い池の写真。 硫黄が溶けている。
雲は、舞台の幕が開くように消えた。
お釜の美しさは、それによって、さらに大きくなった。
あの美しさは、雲のおかげだった。
【停泊場所】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 北上。 再度山寺か、それとも銀山温泉か。 どこかでお祭りをやってないかな。
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その美しさには、驚いた。
蔵王連峰があって、その中の最高峰は、熊野岳。 熊野岳の辺りの山を蔵王山と言っている。
目標は、熊野岳の頂上(1841㍍)だが、最終目標は、その向こうにある、お釜になる。
一般的なコースは、帰りもロープウェイを使うが、一応帰りは歩く予定。
温泉駅から鳥兜駅までの、ロープウェイに乗った。

下の地図の、行く時は黄色。 帰りは、途中からオレンジ。

鳥兜駅出発、9時50分。

初め、車道を歩いた。 途中で、脇道に入って、片貝沼を見た。


スキーコースをしばらく歩いた。 団体さんが、下山して行った。
写真で分かるが、高い所に雲がある。

11時20分、別のロープウェイの、地蔵山頂駅に着いた。 1時間半かかった。
多くの人は、ここから登山していた。

地蔵山に向かう、上りの道。 この山に登らないで、行く道もある。

1736㍍の、地蔵山山頂。 雲の中に近づいてきた。 11時37分。

一旦なだらかに下って、蔵王山の頂上である、熊野岳の頂上を目指す。

途中で少し休んで、おにぎりを一つ食べた。 朝は、食べてない。
気温が下がったので、上着を着た。

ワサ小屋跡とあった。 帰りは、ここから右に下りていく。

最後の登り。 道がはっきりしないので、岩に印があった。

頂上が見えた。

熊野岳の頂上。 蔵王山の頂上でもある。 12時30分。 2時間40分かかった。


頂上には、神社と避難小屋があった。

岩陰で食事をした。
おかずに生ハムを食べた。 袋の絵に、ワインがあった。
この次の登山では、生ハムとワインを持ってくることに決めた。
雲の中を、お釜に向かった。

道が、左右に別れる標識。 目の前に、お釜があるはず。

馬の背と呼ばれる、右の方。

ここへ来る間、雲は一度も消えなかった。
晴れるのを、20分は待つ、と決めた。
その心がけが、よかった。
上の2枚の写真は、13時02分に撮影。
下の写真は、13時03分に撮影。 1分後だった。 急に見えた。

雲の動きが速い。 すぐに、消えた。

少し待ったら、再び見えた。 はっきり見え始めた。
※ とにかく風が強い。 背中の方から吹いてくる。 お釜に落ちたら助からない。
大きな石の後ろで、風の方向に足を開いて撮影。 それでも、突風が怖い。
休みなく、写真は撮り続けた。
数分間に60枚撮った。 同じような写真にならないように工夫して。

強い光が差し、薄く雲が残っていた時の、この写真が一番良かった。 水の色がいい。

大きくなります。

お釜の水は、沸騰するくらい高温になることがあるそう。
また、お釜は五色沼とも呼ばれ、水の色は変化するそうだ。 今日は緑。

左の方。 仙台の方向かな。

満足して、熊野岳に戻った。 頂上の少し下に、コマクサが咲いていることを、登山者から聞いた。
これが、コマクサ。 私は、この花が、山で咲く花の女王に思う。
時期が10日ほど過ぎているので、傷んでいる花が多かった。

南斜面に咲いていた。

戻る方向の雲も晴れた。 黄色の○を来た。 戻りは、途中からオレンジの○。

ワレモコウの一種と思うんだが。
1枚目を撮った時、大きく揺れていた。 花は気付いたのか、2枚目の時、ピタッと止まった。

右の方は、山形市。 左は上山市でいいと思う。

米沢の方の山並。

分岐点に来た。 向こうに行く。

道は、山の斜面に。

こんな道は、いい気分。

さっきまでいた、熊野岳。 石の祠や石碑が時々ある。


左に行ったら、ロープウェー乗り場に。 右に行った。 道が良くない。


初め、葉っぱかと思った。 生き物のようだ。 ひっくり返した。 ナメクジかな。 大きさは、10㌢ほど。


道は、色々に変化した。 森の中は、歩きやすい。

小さな滝と、姥神の像が。
※ 姥神とは、民間信仰の呼び方で、元々は三途の川のほとりで死者の衣をはぐ鬼女のことだそう。(ある説明で)


50㌢くらいの蛇がいた。 カエルか何かを飲み込んだよう。 シマヘビの子どもと思う。


やっと着いた。 下りは、3時間半かかった。
少しフラフラ。 でも、吾妻山の下りよりは、楽だったでしょうか。


珍しい花はほとんどなかったが、コマクサがあったので、十分。
お釜の人気の秘密が、行ってみて分かった。
火山性の成分を含んだ水は、独特の色になりますね。 ※ 美瑛の青い池の写真。 硫黄が溶けている。
雲は、舞台の幕が開くように消えた。
お釜の美しさは、それによって、さらに大きくなった。
あの美しさは、雲のおかげだった。
【停泊場所】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 北上。 再度山寺か、それとも銀山温泉か。 どこかでお祭りをやってないかな。
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小野川温泉に、小町の、どんな伝説が残っているのか探した。
また、黒川温泉に何を学んだのかも。
温泉街の川をはさんだ向こうに、小町山公園があった。
橋を渡って、坂を登っている。
草木塔がありそうな感じ。 ここには、無かった。 ※ 一つ、文字の読めない小さな石碑があったが。
小町由縁の宿とある。 ※ 由縁は、ゆかりのこと。
木の下に、こんなことが書いてあった。
これは、草木塔の考えですよ。
この建物は、甲子大黒天本山。
案内看板に、こう書いてあった。
小野小町は「われ此処にて眞善美の心を得た」と、絶世の美人が心眼を開いた場所でもある。
このことが、何に書いてあるとか、根拠は書いていなかった。
※ 後で調べて分かったことだが、この建物の中に、草木塔はあった。
温泉街の風景。 小さな温泉。
右に、小町居所跡とあった。 左は、小町の宮か。(標示はなかったが、あることになっている)
温泉街の北側の入り口に、足湯があった。 霊泉 小野小町とある。
※ この場所で出前を頼むと、どこの食堂も運んでくれる。
温泉街は、こんな感じ。 黒川温泉に学んだはずだが、お店は普通だ。
観光案内所 兼 休憩所。 足湯もあった。 人はいなく、案内地図も無かったが。
足湯などのサービスは、学んだ結果でしょうね。
この感じは、少しいいですね。
水が飲める。 いいデザイン。 歩いていて、寄ってみたくなるのは、この雰囲気。
小町観音。 山の上から、移築したとあった。
せっかく作ったのに、ここに自転車を置いたら、ダメですね。 横の、ホースも。
小野川温泉の中心街。 共同浴場、尼湯がある。
尼湯。 200円で入ることができる。
童話作家 浜田廣介の句碑があった。
「旅の芭蕉さま 世が二度あらば ござれ小野川湯の宿に」
面白い句ですね。 芭蕉は、米沢まできたが、ここは通らなかった。
※ 浜田廣介の作品に、「泣いた赤鬼」がありますね。 ※ 関連ブログ 泣いた赤鬼
尼湯の、左奥。 この辺りが、一番雰囲気が良かった。 黒川温泉から学んだと感じる。
小野小町休み石があった。 こんな伝説が。
京の都より父をたづねて、幾山河。 小町は慣れね旅路に疲れ果て、病に伏しこの石にて休む。
三州峰の薬師のお告げの通り、ふと辺りを見渡せば、立ち上る湯煙を見たり。
近くに、こんこんと湧き出る、湯の川を見る。
小町、これに浴(あみ)すること、7日ばかり。
疲れは取れ、病は癒え、元の美人に立ちかえり、また、父と再会することも得たり。
爾来(じらい)誰言うともなく、この石を「小町の休み石」と言う。
この石に座れば、美人になると相言う。
こんな感じ。
ここの坂を登っていたら、若い女性の方が、挨拶をしてくれた。
この町に、図書館はありますか、と聞いた。
合併して、今は、米沢市に行かないとないと言った。
小町について知りたいと、私は言った。
家の人に聞いてみると言って戻った。
女性の方は、この旅館の娘さんだった。
資料とかないか探してくれたが、なかった。
黒川温泉から学んだことは、形だけでないことを感じた。
学ぶ前から、あったかもしれないとも、思った。
坂を登って上から。
別な場所。 足湯があった。
さっき行った、小町山の甲子大黒天本山。
らっきょうかな。 干すことあるのか。
詳しくは分からなかったが、上山に向かった。 郵便局で、局留めの郵便を受け取った。
かみのやま温泉駅。
駅前商店街。
※ 以前ブログに、坂井泉水の目のことを書いたことがある。
その中で、息子さんの目のことで苦労していた、同僚(お母さん)のことを書いた。
その人の出身地が、この上山市。 ※ 上山~かみのやま ※ 関連ブログ 坂井泉水の澄んだ瞳について
蔵王山のリフトに向かうことにした。
近くに、野草園があったので寄った。 花の勉強。
オゼコウホウネ。 ネムロコウホネを、以前見た。
ベニバナ。
カワラナデシコ。
コスモス。
じょうずに蜜を吸っている。
キキョウ。
マタタビ。
園内の地図。
これも、コスモス。(そう見えた)
小町の伝説については、ネットで調べたが、上に書いた以上のことは分からなかった。
地元でも、まだ整理できてないようだ。
黒川温泉に学び、温泉の活性化については、まだ道半ばに感じた。
「人が、一つにまとまる」
これが一番難しく、ここを学ぶ必要がある。
貧しかった時代でも、温泉旅館は裕福だった。
地域住民と温泉旅館が一体となるのは、むずかしいことかな。
地域全体が豊かになる、を基本に据えた時、道が開けそう。
【停泊場所】 蔵王温泉街の近く。 この辺りに。
【明日の予定】 蔵王山へ。
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また、黒川温泉に何を学んだのかも。
温泉街の川をはさんだ向こうに、小町山公園があった。
橋を渡って、坂を登っている。
草木塔がありそうな感じ。 ここには、無かった。 ※ 一つ、文字の読めない小さな石碑があったが。

小町由縁の宿とある。 ※ 由縁は、ゆかりのこと。

木の下に、こんなことが書いてあった。
これは、草木塔の考えですよ。

この建物は、甲子大黒天本山。
案内看板に、こう書いてあった。
小野小町は「われ此処にて眞善美の心を得た」と、絶世の美人が心眼を開いた場所でもある。
このことが、何に書いてあるとか、根拠は書いていなかった。
※ 後で調べて分かったことだが、この建物の中に、草木塔はあった。

温泉街の風景。 小さな温泉。

右に、小町居所跡とあった。 左は、小町の宮か。(標示はなかったが、あることになっている)

温泉街の北側の入り口に、足湯があった。 霊泉 小野小町とある。
※ この場所で出前を頼むと、どこの食堂も運んでくれる。

温泉街は、こんな感じ。 黒川温泉に学んだはずだが、お店は普通だ。

観光案内所 兼 休憩所。 足湯もあった。 人はいなく、案内地図も無かったが。
足湯などのサービスは、学んだ結果でしょうね。

この感じは、少しいいですね。

水が飲める。 いいデザイン。 歩いていて、寄ってみたくなるのは、この雰囲気。

小町観音。 山の上から、移築したとあった。
せっかく作ったのに、ここに自転車を置いたら、ダメですね。 横の、ホースも。

小野川温泉の中心街。 共同浴場、尼湯がある。

尼湯。 200円で入ることができる。

童話作家 浜田廣介の句碑があった。
「旅の芭蕉さま 世が二度あらば ござれ小野川湯の宿に」
面白い句ですね。 芭蕉は、米沢まできたが、ここは通らなかった。
※ 浜田廣介の作品に、「泣いた赤鬼」がありますね。 ※ 関連ブログ 泣いた赤鬼

尼湯の、左奥。 この辺りが、一番雰囲気が良かった。 黒川温泉から学んだと感じる。

小野小町休み石があった。 こんな伝説が。
京の都より父をたづねて、幾山河。 小町は慣れね旅路に疲れ果て、病に伏しこの石にて休む。
三州峰の薬師のお告げの通り、ふと辺りを見渡せば、立ち上る湯煙を見たり。
近くに、こんこんと湧き出る、湯の川を見る。
小町、これに浴(あみ)すること、7日ばかり。
疲れは取れ、病は癒え、元の美人に立ちかえり、また、父と再会することも得たり。
爾来(じらい)誰言うともなく、この石を「小町の休み石」と言う。
この石に座れば、美人になると相言う。

こんな感じ。
ここの坂を登っていたら、若い女性の方が、挨拶をしてくれた。
この町に、図書館はありますか、と聞いた。
合併して、今は、米沢市に行かないとないと言った。
小町について知りたいと、私は言った。
家の人に聞いてみると言って戻った。
女性の方は、この旅館の娘さんだった。
資料とかないか探してくれたが、なかった。
黒川温泉から学んだことは、形だけでないことを感じた。
学ぶ前から、あったかもしれないとも、思った。

坂を登って上から。

別な場所。 足湯があった。



さっき行った、小町山の甲子大黒天本山。

らっきょうかな。 干すことあるのか。

詳しくは分からなかったが、上山に向かった。 郵便局で、局留めの郵便を受け取った。
かみのやま温泉駅。

駅前商店街。
※ 以前ブログに、坂井泉水の目のことを書いたことがある。
その中で、息子さんの目のことで苦労していた、同僚(お母さん)のことを書いた。
その人の出身地が、この上山市。 ※ 上山~かみのやま ※ 関連ブログ 坂井泉水の澄んだ瞳について

蔵王山のリフトに向かうことにした。
近くに、野草園があったので寄った。 花の勉強。

オゼコウホウネ。 ネムロコウホネを、以前見た。


ベニバナ。

カワラナデシコ。

コスモス。

じょうずに蜜を吸っている。

キキョウ。

マタタビ。

園内の地図。

これも、コスモス。(そう見えた)

小町の伝説については、ネットで調べたが、上に書いた以上のことは分からなかった。
地元でも、まだ整理できてないようだ。
黒川温泉に学び、温泉の活性化については、まだ道半ばに感じた。
「人が、一つにまとまる」
これが一番難しく、ここを学ぶ必要がある。
貧しかった時代でも、温泉旅館は裕福だった。
地域住民と温泉旅館が一体となるのは、むずかしいことかな。
地域全体が豊かになる、を基本に据えた時、道が開けそう。
【停泊場所】 蔵王温泉街の近く。 この辺りに。
【明日の予定】 蔵王山へ。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で10位です。
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山で、こんなに花を見たのは、いつ以来でしょう。
もしかして、初めてかもしれない。
「福島と山形にまたがる大きな山群で、人はよく吾妻山に行って来たというが、それはたいていこの山群のほんの一部にすぎない」
これは、百名山を書いた、深田久弥のことば。
ロープウェイと3つのリフトを使って、高度1820㍍まで上がる。 (標高差900㍍)
下の赤○から、黄色の○に行く。
天気はいいし、涼しいし、気分は最高。 ここは、冬はスキー場。
※ リフトに乗ってる人たちと、下山でいっしょになる。 花の名前を教えていただく。
米沢市。
高度差900㍍を、一気に上る。 55分かかった。 下山の時は、ここを歩くことにしている。
石の多い山だった。
25分歩いた11時に、かもしか展望台についた。 吾妻山には、時々、こんな石の場所があった。
米沢市。
花は多かった。 ※ ブログに全部は載せてない。
ミヤマリンドウ(深山竜胆) ? ウラジロヨウラク(裏白瓔珞) ※ 瓔珞は仏具の一種。
ツツジだけど。
名前を聞いて、メモしなかった。
向こうの山の上に人がいた。 梵天岩が見えている。
湿原です。 楽しみにしていた。 どこかで、福島県に入る。
チングルマ(珍車)の種。 秋には、これが紅葉するという。
木道は歩きやすい。 さっのにリフトの人達。(花に詳しかった。花について、楽しく話してくれた)
さっきのチングルマ。 高層湿原の小さな池(沼)
ウラジロヨウラクでいいかな。 ガクがある。 隣は?
小さな湿原が、あちこちにあった。 ワタスゲ。
上の黄色の花。
きれいな花だ。
イワカガミ。 となりは、?
松の枝の先っぽ。
アカモノ。 ツツジの仲間。
梵天岩。 岩の上を渡り歩いていたら、転んだ。 少し痛い思いを。
ここは、15分ほど歩いて、天狗岩。 頂上手前の最後の広場。 みんなここで食事。
米沢市内。 地元の人が見たら、あそこは何だとか、分かるんだろうな。
頂上は向こうの山に。 ここから、20分。
向かった。
ミヤマリンドウが、いっぱい。
森の中に頂上が。 これなら、ヤッホーとか叫べない。 この時、12時50分。 2時間と少しかかった。 ここです。
※ 吾妻山は、全体の総称。 最高峰は、ここ西吾妻山。
近くからの風景。
天狗岩で食事。 今日はおにぎりを2つ持ってきた。 朝作った。
※ 筑波山も那須岳も、おにぎりを持たなかった。 楽しみが減っていたので。
足に、「どうだい」って聞いた。
そうしたら、「帰りが不安」と言った。
※ ロープウェイとリフトは、55分かかった。
そこを歩いて降りる。 きっと、倍以上時間はかかる。
ここは、梵天岩。 この後、4人の方と、一緒に下山。
遠くに見える道の、左側を来た。 その道を戻る。
湿原があると、そこに花はいっぱい。
チングルマの花。 この花は、北海道の旭岳にもあった。 キバナノコマノツメ。 ワタスゲ。
花の名前を教えていただきながら歩いた。
雪が遅くまであったので、チングルマが満開。 イワイチョウ。 ?。
県境。 向こうは山形。 こっちは福島。
かもしか展望台で一休み。
遠くに、鳥海山が見えた。 ここから、150㌔ほど。
※ 関連ブログ 鳥海山 月山(一緒に下山している人が、近々登るそう)
ギンリョウソウ。 ここにあるよと、教えてくれた。
4人の方は、いわき市から来ていた。
私は、フラガールの町だね、と言った。 そして、踊ったんでないかいと。
一人の女性の方が、「私たちは、フラフラガールだね」と言った。
4人の方とは、ここでお別れ。 私は、この道を下る。
さっきの方が、リフトで通った。 またお話ししてお別れ。
ここから、左のスキーのコースを下った。
リフトは3つあって、1つ分下りた。 この頃から、足が痛くなってきた。
珍しい花は、ない。
ロープウェイ乗場は、左に見える。 この風景で、疲れは小さく。
だいぶ下りた。
最後は、こんな道。 下りは、4時間半かかった。 久しぶりに疲れた。
吾妻山は、湿原があって花が豊かなこと。 見晴らしがいいこと。
そんなのが、百名山に選ばれた理由でしょうか。
高山植物の花は、どこかが違う。 小さかったり。 少し質素だったり。
花の季節は短いから、今とばかりに、咲いていた。
【停泊場所】 小野川温泉の近く。 川のそばの、砂利の広場。 この辺り。
【明日の予定】 小野川温泉を歩きます。
その後、上山郵便局で、局留めの郵便物を受け取る。
蔵王に近づくことになりそう。
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もしかして、初めてかもしれない。
「福島と山形にまたがる大きな山群で、人はよく吾妻山に行って来たというが、それはたいていこの山群のほんの一部にすぎない」
これは、百名山を書いた、深田久弥のことば。
ロープウェイと3つのリフトを使って、高度1820㍍まで上がる。 (標高差900㍍)

下の赤○から、黄色の○に行く。

天気はいいし、涼しいし、気分は最高。 ここは、冬はスキー場。
※ リフトに乗ってる人たちと、下山でいっしょになる。 花の名前を教えていただく。

米沢市。

高度差900㍍を、一気に上る。 55分かかった。 下山の時は、ここを歩くことにしている。

石の多い山だった。

25分歩いた11時に、かもしか展望台についた。 吾妻山には、時々、こんな石の場所があった。

米沢市。


花は多かった。 ※ ブログに全部は載せてない。
ミヤマリンドウ(深山竜胆) ? ウラジロヨウラク(裏白瓔珞) ※ 瓔珞は仏具の一種。



ツツジだけど。

名前を聞いて、メモしなかった。

向こうの山の上に人がいた。 梵天岩が見えている。


湿原です。 楽しみにしていた。 どこかで、福島県に入る。

チングルマ(珍車)の種。 秋には、これが紅葉するという。

木道は歩きやすい。 さっのにリフトの人達。(花に詳しかった。花について、楽しく話してくれた)

さっきのチングルマ。 高層湿原の小さな池(沼)



ウラジロヨウラクでいいかな。 ガクがある。 隣は?



小さな湿原が、あちこちにあった。 ワタスゲ。

上の黄色の花。

きれいな花だ。

イワカガミ。 となりは、?


松の枝の先っぽ。

アカモノ。 ツツジの仲間。

梵天岩。 岩の上を渡り歩いていたら、転んだ。 少し痛い思いを。

ここは、15分ほど歩いて、天狗岩。 頂上手前の最後の広場。 みんなここで食事。

米沢市内。 地元の人が見たら、あそこは何だとか、分かるんだろうな。

頂上は向こうの山に。 ここから、20分。

向かった。

ミヤマリンドウが、いっぱい。

森の中に頂上が。 これなら、ヤッホーとか叫べない。 この時、12時50分。 2時間と少しかかった。 ここです。
※ 吾妻山は、全体の総称。 最高峰は、ここ西吾妻山。

近くからの風景。

天狗岩で食事。 今日はおにぎりを2つ持ってきた。 朝作った。
※ 筑波山も那須岳も、おにぎりを持たなかった。 楽しみが減っていたので。
足に、「どうだい」って聞いた。
そうしたら、「帰りが不安」と言った。
※ ロープウェイとリフトは、55分かかった。
そこを歩いて降りる。 きっと、倍以上時間はかかる。

ここは、梵天岩。 この後、4人の方と、一緒に下山。

遠くに見える道の、左側を来た。 その道を戻る。

湿原があると、そこに花はいっぱい。

チングルマの花。 この花は、北海道の旭岳にもあった。 キバナノコマノツメ。 ワタスゲ。



花の名前を教えていただきながら歩いた。
雪が遅くまであったので、チングルマが満開。 イワイチョウ。 ?。



県境。 向こうは山形。 こっちは福島。

かもしか展望台で一休み。

遠くに、鳥海山が見えた。 ここから、150㌔ほど。
※ 関連ブログ 鳥海山 月山(一緒に下山している人が、近々登るそう)

ギンリョウソウ。 ここにあるよと、教えてくれた。
4人の方は、いわき市から来ていた。
私は、フラガールの町だね、と言った。 そして、踊ったんでないかいと。
一人の女性の方が、「私たちは、フラフラガールだね」と言った。


4人の方とは、ここでお別れ。 私は、この道を下る。


さっきの方が、リフトで通った。 またお話ししてお別れ。



ここから、左のスキーのコースを下った。

リフトは3つあって、1つ分下りた。 この頃から、足が痛くなってきた。
珍しい花は、ない。

ロープウェイ乗場は、左に見える。 この風景で、疲れは小さく。

だいぶ下りた。

最後は、こんな道。 下りは、4時間半かかった。 久しぶりに疲れた。



吾妻山は、湿原があって花が豊かなこと。 見晴らしがいいこと。
そんなのが、百名山に選ばれた理由でしょうか。
高山植物の花は、どこかが違う。 小さかったり。 少し質素だったり。
花の季節は短いから、今とばかりに、咲いていた。
【停泊場所】 小野川温泉の近く。 川のそばの、砂利の広場。 この辺り。
【明日の予定】 小野川温泉を歩きます。
その後、上山郵便局で、局留めの郵便物を受け取る。
蔵王に近づくことになりそう。
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暑いです。 夏本番。
せっかく会津若松にいるから、鶴ヶ城を見ることに。
この城は、戊辰戦争の時、幕府軍と明治政府軍とが戦った。 丈夫な城だった。
石垣の隙間に、薄い石がある。
太鼓門から入った。
石垣に変わった階段があった。 武者走りとあった。 太鼓門に登る。
鶴ヶ城稲荷神社。 この城の守護神。
瓦を、新しいのにしていた。 ここの城は、1965年に復元されたものだった。
石垣は、昔のまま。 ここは、塩蔵。 会津に海は無いから、塩は貴重。
城の中は、資料館。 鉄筋コンクリート。
少し前に、あったのかな。
鉄砲を持つことができた。 重い。 日本刀は、鉄砲よりは大分軽い。
昔の城と、今の城。
寺の建物を復元する時、鉄筋コンクリートにはならない。 城は、どうしてかな。
熊本城は、木造での復元に切り替えましたね。
本丸御殿は、素晴らしいものだった。 新しいけど、見応えがあった。
熊本城の人気の秘密は、この辺にあるように思う。
結論を言うと、鶴ヶ城は、何かが足りない。 見所が見つからない。
外を歩いた。
茶室麟閣を見た。 千利休の子の、少庵が作ったとあった。
ここが、茶室。
茶と言うのを、ちゃんと飲んだことはない。
感じのいい庭だった。
荒城の月の碑。
「荒城の月」の詩は、土井晩翠が、取り壊された鶴ヶ城をモデルに書いたと言われている。 ※ 他に、青葉城も。
瀧廉太郎がイメージしたのは、岡城址。 ※ 関連ブログ 岡城址
飯盛山。 打ち水をしていた。
ちょっとの石段なのに、エスカレーターがあった。 250円。 高い。
山を人巡りすることに。
上の写真の、左の像。 重そう。
山にトンネルがあって、水が来ていた。
今から400年前に、掘った。 長さ150㍍。 1日平均50人働いて、3年かかった。
猪苗代湖の水を引いた。 白虎隊も通ったとあった。
この上に、さざえ堂が。
雰囲気が違う。
拝観料400円。 入ってみた。
時計回りで、スロープ。
頂上。 反対回りで下りる。
こう。
真中は、このように。
出口。 同じ道を通っていない。 不思議な建物。
一番下は、上り。 その上は、下り。 その上は、上り。 その上は、下り。
こんな建物。 江戸時代に建てられ、明治に入って修理。
当時日本に伝わっていた、このような図。 ※ 2重螺旋(らせん)と言うそう。
宇賀神堂。
白虎隊の像があった。 服装は洋服。
会津若松の町並み。
少し歩いたら、白虎隊の墓があった。
1868年、この山で自刃した。 19人。 16歳から17歳の若者。
向こうに下りる。
小さな広場が、自刃した場所。
像と碑があった。
真ん中辺りに、鶴ヶ城が。
鶴ヶ城を見ている。 この表情は、どういう意味だろう。
登山口に向かった。 高い所なので、涼しいだろうと期待も。
途中に会った、小野川温泉。 ここも、小町と関係がある。 近々歩いてみようと思う。
ここの温泉は、黒川温泉を学び、再開発を行っている。 ※ 黒川温泉。
ロープウェー乗場が見える。
近くに白布観音があったので見た。 古い。
ここは、ネットの繋がりが悪かったので、この後、100㍍程下に動く。
この場所は、直江兼続が、鉄砲を作った場所とあった。
さざえ堂が、面白い建物だったでしょうか。
ここへ来る時、草木塔の古里を通って来た。 去年取材した。
【停泊場所】 白布温泉の、ロープウェーの近く。 ここです。
【明日の予定】 吾妻山へ
【今日の歌】 愛しき日々(YouTube)
白虎隊(YouTube) 流れる曲は、荒川静香がメダルを取った時の、エキシビションの曲。
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せっかく会津若松にいるから、鶴ヶ城を見ることに。



この城は、戊辰戦争の時、幕府軍と明治政府軍とが戦った。 丈夫な城だった。
石垣の隙間に、薄い石がある。

太鼓門から入った。

石垣に変わった階段があった。 武者走りとあった。 太鼓門に登る。

鶴ヶ城稲荷神社。 この城の守護神。

瓦を、新しいのにしていた。 ここの城は、1965年に復元されたものだった。

石垣は、昔のまま。 ここは、塩蔵。 会津に海は無いから、塩は貴重。

城の中は、資料館。 鉄筋コンクリート。
少し前に、あったのかな。


鉄砲を持つことができた。 重い。 日本刀は、鉄砲よりは大分軽い。

昔の城と、今の城。


寺の建物を復元する時、鉄筋コンクリートにはならない。 城は、どうしてかな。
熊本城は、木造での復元に切り替えましたね。
本丸御殿は、素晴らしいものだった。 新しいけど、見応えがあった。
熊本城の人気の秘密は、この辺にあるように思う。
結論を言うと、鶴ヶ城は、何かが足りない。 見所が見つからない。
外を歩いた。


茶室麟閣を見た。 千利休の子の、少庵が作ったとあった。


ここが、茶室。

茶と言うのを、ちゃんと飲んだことはない。


感じのいい庭だった。

荒城の月の碑。

「荒城の月」の詩は、土井晩翠が、取り壊された鶴ヶ城をモデルに書いたと言われている。 ※ 他に、青葉城も。
瀧廉太郎がイメージしたのは、岡城址。 ※ 関連ブログ 岡城址

飯盛山。 打ち水をしていた。

ちょっとの石段なのに、エスカレーターがあった。 250円。 高い。

山を人巡りすることに。

上の写真の、左の像。 重そう。

山にトンネルがあって、水が来ていた。
今から400年前に、掘った。 長さ150㍍。 1日平均50人働いて、3年かかった。
猪苗代湖の水を引いた。 白虎隊も通ったとあった。

この上に、さざえ堂が。

雰囲気が違う。

拝観料400円。 入ってみた。

時計回りで、スロープ。

頂上。 反対回りで下りる。

こう。

真中は、このように。

出口。 同じ道を通っていない。 不思議な建物。

一番下は、上り。 その上は、下り。 その上は、上り。 その上は、下り。

こんな建物。 江戸時代に建てられ、明治に入って修理。

当時日本に伝わっていた、このような図。 ※ 2重螺旋(らせん)と言うそう。

宇賀神堂。


白虎隊の像があった。 服装は洋服。

会津若松の町並み。

少し歩いたら、白虎隊の墓があった。

1868年、この山で自刃した。 19人。 16歳から17歳の若者。

向こうに下りる。

小さな広場が、自刃した場所。

像と碑があった。

真ん中辺りに、鶴ヶ城が。

鶴ヶ城を見ている。 この表情は、どういう意味だろう。

登山口に向かった。 高い所なので、涼しいだろうと期待も。
途中に会った、小野川温泉。 ここも、小町と関係がある。 近々歩いてみようと思う。
ここの温泉は、黒川温泉を学び、再開発を行っている。 ※ 黒川温泉。

ロープウェー乗場が見える。

近くに白布観音があったので見た。 古い。


ここは、ネットの繋がりが悪かったので、この後、100㍍程下に動く。
この場所は、直江兼続が、鉄砲を作った場所とあった。

さざえ堂が、面白い建物だったでしょうか。
ここへ来る時、草木塔の古里を通って来た。 去年取材した。
【停泊場所】 白布温泉の、ロープウェーの近く。 ここです。
【明日の予定】 吾妻山へ
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白虎隊(YouTube) 流れる曲は、荒川静香がメダルを取った時の、エキシビションの曲。
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小野町は、雄勝のように熱心ではなかった。
でも、他とは違う伝説だった。 墓に、菊の紋が入っていた。
あぶくま洞は、感動ものだった。
鍾乳石、石筍が、山ほどあり、地底に広がる幻想世界だった。
道の駅ばんだいに、フリースッポトがあり、ネットが使えるとあったので来た。
でも、パソコンの設定がうまくいかず、諦めた。(方法は、ネットで調べたが)
※ 使用する場所が、道の駅の中だったので、車が離れすぎていたかも。
どうしようもなくて、10㌔ほど走って、会津若松のネットカフェへ。
4日分あるので、記事は簡単に。 (19日夕方)
【追記】 20日の朝です。 FC2と繋がりました。 一安心です。
昨夜書けなかった所は、書いていきます。
この滝は、乙字ヶ滝。
滝の形が、乙の字だという。 幅100㍍。 落差6㍍。 川は、阿武隈川。
芭蕉の句碑が。 1689年6月16日に来ている。
五月雨の 滝降りうずむ 水かさなり ※ うずむ~うずめる
橋から。
小野町の通り。 小町の生誕の地としての伝説がある。
都から来た小野篁(たけむら)と、地元の愛子(めずらこ)の間に、小町は生まれたという。
鬼石を見に行った。
途中で会った人が、愛子の墓を教えてくれた。 五輪塔が墓。
墓に、菊の紋があるのは、珍しいといった。
鬼石は山の上の方。
小野篁は、子供の小町を連れて、都に行った。
愛子神社。
鬼石。 この石の上に立って、見送った。 また、帰りを待った。
小野篁の館跡。 駅のそばに。
伝説については、ここに。
おのにいまち(小野新町)駅。
小町温泉。
ここで生まれたとあった。 ※ もちろん、すべて伝説。 資料は無い。
小野町から10㌔ほどの所に、あぶくま洞はあった。 昔、石灰岩を掘った。 洞窟が見つかって、掘るのはお終い。
夏休みに入っているので、観光客が多い。
ここから入る。
人で、渋滞した。
ストロボをたくと、こうなる。 こんなには、明るくない。
広い空間に出た。
こんなの見たことあったろうか。
圧倒される量の、鍾乳石。
ストロボ使用。
こうですからね。
軽く、ライトアップしている。 写真より、少し薄い。
ここの鍾乳洞の長さは、600m。(人がはいれる部分)
何かに、見えてくる。
別の場所。
満足して、道の駅ばんだいに。 遠い。 郡山市内。 以前の職場に、この町から来た人がいた。
磐梯山。 昨年の秋に登った。 ※ 関連ブログ 磐梯山
※ ネットカフェの狭い所で、こんな感じで作業。 私のパソコンは、FC2以外は繋がる。

【停泊場所】 ネットカフェの駐車場になると思う。
【明日の予定】 鶴ヶ城かな。 去年通ったけど、寄らなかったから。
近々、吾妻山に登る予定。
※ 次回の記事の更新は、3日後くらいでしょうか。 もっと、北の町で。
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でも、他とは違う伝説だった。 墓に、菊の紋が入っていた。
あぶくま洞は、感動ものだった。
鍾乳石、石筍が、山ほどあり、地底に広がる幻想世界だった。
道の駅ばんだいに、フリースッポトがあり、ネットが使えるとあったので来た。
でも、パソコンの設定がうまくいかず、諦めた。(方法は、ネットで調べたが)
※ 使用する場所が、道の駅の中だったので、車が離れすぎていたかも。
どうしようもなくて、10㌔ほど走って、会津若松のネットカフェへ。
4日分あるので、記事は簡単に。 (19日夕方)
【追記】 20日の朝です。 FC2と繋がりました。 一安心です。
昨夜書けなかった所は、書いていきます。
この滝は、乙字ヶ滝。

滝の形が、乙の字だという。 幅100㍍。 落差6㍍。 川は、阿武隈川。

芭蕉の句碑が。 1689年6月16日に来ている。
五月雨の 滝降りうずむ 水かさなり ※ うずむ~うずめる

橋から。

小野町の通り。 小町の生誕の地としての伝説がある。

都から来た小野篁(たけむら)と、地元の愛子(めずらこ)の間に、小町は生まれたという。
鬼石を見に行った。

途中で会った人が、愛子の墓を教えてくれた。 五輪塔が墓。

墓に、菊の紋があるのは、珍しいといった。

鬼石は山の上の方。

小野篁は、子供の小町を連れて、都に行った。
愛子神社。

鬼石。 この石の上に立って、見送った。 また、帰りを待った。

小野篁の館跡。 駅のそばに。

伝説については、ここに。
おのにいまち(小野新町)駅。

小町温泉。

ここで生まれたとあった。 ※ もちろん、すべて伝説。 資料は無い。

小野町から10㌔ほどの所に、あぶくま洞はあった。 昔、石灰岩を掘った。 洞窟が見つかって、掘るのはお終い。

夏休みに入っているので、観光客が多い。

ここから入る。

人で、渋滞した。

ストロボをたくと、こうなる。 こんなには、明るくない。

広い空間に出た。

こんなの見たことあったろうか。

圧倒される量の、鍾乳石。

ストロボ使用。

こうですからね。

軽く、ライトアップしている。 写真より、少し薄い。

ここの鍾乳洞の長さは、600m。(人がはいれる部分)

何かに、見えてくる。

別の場所。

満足して、道の駅ばんだいに。 遠い。 郡山市内。 以前の職場に、この町から来た人がいた。

磐梯山。 昨年の秋に登った。 ※ 関連ブログ 磐梯山

※ ネットカフェの狭い所で、こんな感じで作業。 私のパソコンは、FC2以外は繋がる。

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梅雨が終わり、いい天気になった。
駐車場から。 那須岳には、山がいっぱいある。
一番高いのは、茶臼岳。 1915㍍。 正面の山の少し向こうに。
こんな道。 歩きやすい。
コメツツジ。 白くて小さくて、かわいい。
向こうから来た。
峰の茶屋非難小屋。 向こうに行ったら茶臼岳。 最初、向こうに。
向こうは、朝日岳。 1896㍍。 頂上が見える。
頂上。 人がいる。
山の下。 登ってきた、反対側。
小屋が見える。 どこにも、人がいる。
亜硫酸ガスが出ている。
斜面を、巻くように登る。
低い雲が。
頂上は、向こう。 右の方から行く。
あそこが頂上。
着いた。 2時間ほどかかった。
見える道を通ってきた。
山が続く。
頂上は人でいっぱい。 理由は、ロープウェーがあるから。 これに乗ったら、1時間かからない。
わたしの車も見える。
下っている。
小屋が見えてきた。
休まないで、朝日岳に向かった。
実かな。 ※ 調べていない。 ガンコウランかも。
こんなの。
小さい。
そろそろ、急になる。
握りこぶし。
そんなに危険ではない。
頂上の少し下で休憩。
頂上。
向こうから来た。
登山道は、新しい山にも。
左上は、茶臼岳頂上。 小屋も見える。(道の分岐点に)
尾根に道が。
頂上の印。
ウラジロタデ。
下山開始。
見たのは、1回だけ。
これは、ときどき。
小屋まで来た。
木の中に入ったら、近い。
着いた。
これで、今年百名山は、7つ目。 10は、登れそう。
【道の駅】 たまかわ 福島空港の近く。
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駐車場から。 那須岳には、山がいっぱいある。

一番高いのは、茶臼岳。 1915㍍。 正面の山の少し向こうに。

こんな道。 歩きやすい。

コメツツジ。 白くて小さくて、かわいい。

向こうから来た。

峰の茶屋非難小屋。 向こうに行ったら茶臼岳。 最初、向こうに。

向こうは、朝日岳。 1896㍍。 頂上が見える。

頂上。 人がいる。

山の下。 登ってきた、反対側。

小屋が見える。 どこにも、人がいる。

亜硫酸ガスが出ている。

斜面を、巻くように登る。

低い雲が。

頂上は、向こう。 右の方から行く。

あそこが頂上。

着いた。 2時間ほどかかった。

見える道を通ってきた。

山が続く。

頂上は人でいっぱい。 理由は、ロープウェーがあるから。 これに乗ったら、1時間かからない。

わたしの車も見える。

下っている。

小屋が見えてきた。

休まないで、朝日岳に向かった。

実かな。 ※ 調べていない。 ガンコウランかも。

こんなの。

小さい。

そろそろ、急になる。

握りこぶし。

そんなに危険ではない。

頂上の少し下で休憩。

頂上。

向こうから来た。

登山道は、新しい山にも。

左上は、茶臼岳頂上。 小屋も見える。(道の分岐点に)

尾根に道が。

頂上の印。

ウラジロタデ。

下山開始。

見たのは、1回だけ。

これは、ときどき。


小屋まで来た。

木の中に入ったら、近い。

着いた。

これで、今年百名山は、7つ目。 10は、登れそう。
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困りました。 この記事は、那須塩原市にある、ネットカフェで書いている。(17日昼過ぎ)
夕べ10時過ぎから、おかしくなった。
ネットは、FC2だけが見られない。 ブログも、書けない。
夕べから、私と同じ症状になった人がいるので、FC2側の問題と思う。
少し待ってみる。
17日は、那須岳に上る予定だった。 沼ッ原湿原の近くに、17日の朝までいた。
16日は、花畑や、殺生石を見た。
写真は整理してあるので、つながるようになったら、載せます。
見通しは立っていないので、何日かかるか分からない。
少し、待ってくださいね。
ここからの記事は、会津若松のネットカフェで書いています。 19日の19時から。
3日目になるが、解決していいない。
私と同じ人がいっぱい。 ネットで調べた。
通信カードを、ドコモからAUに変えれば、解決するが。
待つのは、あと1週間が限界かな。
慣れないパソコンは、仕事がはかどらない。
花の配置のデザインが、プロではなかった。
でも、きれい。 見える山は、那須岳 18日に、登る。
殺生石というところは、亜硫酸ガスが出る。 生き物が死ぬ。
とりあえず写真を載せて、17日のをします。




































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夕べ10時過ぎから、おかしくなった。
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少し待ってみる。
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待つのは、あと1週間が限界かな。
慣れないパソコンは、仕事がはかどらない。
花の配置のデザインが、プロではなかった。
でも、きれい。 見える山は、那須岳 18日に、登る。
殺生石というところは、亜硫酸ガスが出る。 生き物が死ぬ。
とりあえず写真を載せて、17日のをします。




































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袋田の滝は、大きな滝だった。
月待の滝は、裏側から見ることができた。
どうして袋田の滝と言うんだろう、と思っていた。
何てことはない、大子町の袋田にあった。 ※ 大子町は、だいごまち、と読む。 むずかしい。
観光地だった。 ※ 駐車料は500円。 でも、500円分の金券をくれた。 後で、それで食事。
トンネルを抜けたら、滝だった。 そのために作ったから、当然か。
日本三名瀑の一つ。 ※ 他は、華厳の滝、那智の滝。
雨で水量が多いという。 トンネルを歩いている時から、轟くような音が聞こえた。
高さ120㍍。 幅73㍍。 高さより、大きさを感じた。
少し横の、吊橋から撮影。
ここを出たら、第一観瀑台。
滝は、4段に別れていた。 大きくて、カメラに全部入らない。
雨で、少し濁っている。
西行もここに来て、絶賛したとあった。
さっきは、あの吊橋にいた。 トンネルだ出来る前は、左の方から、吊橋を渡ってきた。
トンネルの中に、神社が。
ここは、第2観瀑台。 エレベーターで上がった。
木が育っているので、下は見えない。 どうして、そのままにするのかな。
この滝の水は、落ちたり、滑り落ちたり、いろいろ。
こんな風に撮ってみた。
大きくなる。
このエレベーターで、下に下りた。
滝だけで観光地と言うのは、他にあるだろうか。
大きな滝でしたね。
食事をして、月待の滝に向かった。 ※ 500円安くなるので、少し贅沢。
滝は、間もなく。
久慈川という川。 アユを釣ってる人がいた。
もうすぐ。
裏見の滝とある。 やさしいって、どういう意味だろう。
雰囲気がいい。
見えた。 小さな滝。
横から見たら、こう。 入って行けそう。
これが、裏見の滝。 やっと、見ることが出来た。
この滝は、裏見の滝では、日本で5本の指に、入るようですね。
どんなに暑い日でも、ここは、涼しい。
水がきれい。 ヤマメも泳いでいる。
滝の上には、食事の出来る店がある。
月待の滝は、小さな谷にあった。 そこは、箱庭のように、環境が整えられていた。
いい所だった。
次に向かった。
芭蕉が寄ったという、雲巌寺。
いい雰囲気ですよ。
1689年5月23日、芭蕉は、この門をくぐった。 この山門は、その時の門。
上から。 大きな杉の木。
仏殿。 芭蕉が見たのは、これの前の建物。 大正時代に、昔の手法で立て直した。
中はこう。 このように、あっさりしたのを、たまに見ますね。
山門。 鎌倉時代の物。
秀吉が小田原を攻めた時、烏山城も攻めた。(小田原に城主がやってこなかったから)
その時、この寺に多くの者が逃げてきた。 秀吉、それを聞いて寺を焼いた。
でも、この山門は、焼け残った。
左に、芭蕉の句碑が。
芭蕉は、江戸の深川にいた時、この寺で修行をした、仏頂禅師に会っていた。 芭蕉37歳。 仏頂38歳。
芭蕉は、禅をこの人から学んだ。 人間的な深みを増したと思った芭蕉は、仏頂を尊敬することになる。
それで、仏頂が禅をした小さな建物(庵)の跡を見に来た。
啄木鳥も 庵は破らず 夏木立
啄木鳥(キツツキ)は、寺の建物をつついて、傷める。
でも、啄木鳥は庵をつつかなかった。
このように、芭蕉は、仏頂の威光を表現した。
芭蕉は、「降り残してや ひかり堂」のように、「特別」を表現するのが、とても上手。
建物は、仏殿の上にも。
道の駅、那須与一の郷。 像があった。
壇ノ浦での弓。
那須神社。
芭蕉は、ここに寄って、雲巌寺に行った。
袋田の滝は、立派な滝だった。
日本3名瀑と言っても、恥ずかしくないと感じた。
裏見の滝はいい。 他のも見てみたい。
雲巌寺もよかった。 でも、残念なことがあった。
境内の石段は、すべて新しかった。 石とコンクリートを使って。
もったいない。 魅力半減。
※ 関連ブログ 華厳の滝 那智の滝 暗門の滝(大きくないけど、この滝が好き。津軽に)
羽衣の滝(高さ270㍍ 日本で2位。北海道天人峡に) 奈曽の白滝 他(小さいけどいい) 吹割の滝(変わった滝)
【道の駅】 那須与一の郷
【明日の予定】 この近くです。
【動画】 袋田の滝 (YouTube 月待の滝(YouTube)
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月待の滝は、裏側から見ることができた。
どうして袋田の滝と言うんだろう、と思っていた。
何てことはない、大子町の袋田にあった。 ※ 大子町は、だいごまち、と読む。 むずかしい。
観光地だった。 ※ 駐車料は500円。 でも、500円分の金券をくれた。 後で、それで食事。



トンネルを抜けたら、滝だった。 そのために作ったから、当然か。



日本三名瀑の一つ。 ※ 他は、華厳の滝、那智の滝。
雨で水量が多いという。 トンネルを歩いている時から、轟くような音が聞こえた。

高さ120㍍。 幅73㍍。 高さより、大きさを感じた。

少し横の、吊橋から撮影。

ここを出たら、第一観瀑台。

滝は、4段に別れていた。 大きくて、カメラに全部入らない。

雨で、少し濁っている。

西行もここに来て、絶賛したとあった。

さっきは、あの吊橋にいた。 トンネルだ出来る前は、左の方から、吊橋を渡ってきた。

トンネルの中に、神社が。

ここは、第2観瀑台。 エレベーターで上がった。

木が育っているので、下は見えない。 どうして、そのままにするのかな。

この滝の水は、落ちたり、滑り落ちたり、いろいろ。

こんな風に撮ってみた。

大きくなる。

このエレベーターで、下に下りた。

滝だけで観光地と言うのは、他にあるだろうか。
大きな滝でしたね。
食事をして、月待の滝に向かった。 ※ 500円安くなるので、少し贅沢。

滝は、間もなく。

久慈川という川。 アユを釣ってる人がいた。

もうすぐ。

裏見の滝とある。 やさしいって、どういう意味だろう。

雰囲気がいい。

見えた。 小さな滝。

横から見たら、こう。 入って行けそう。

これが、裏見の滝。 やっと、見ることが出来た。

この滝は、裏見の滝では、日本で5本の指に、入るようですね。
どんなに暑い日でも、ここは、涼しい。

水がきれい。 ヤマメも泳いでいる。

滝の上には、食事の出来る店がある。

月待の滝は、小さな谷にあった。 そこは、箱庭のように、環境が整えられていた。
いい所だった。
次に向かった。
芭蕉が寄ったという、雲巌寺。

いい雰囲気ですよ。

1689年5月23日、芭蕉は、この門をくぐった。 この山門は、その時の門。

上から。 大きな杉の木。

仏殿。 芭蕉が見たのは、これの前の建物。 大正時代に、昔の手法で立て直した。

中はこう。 このように、あっさりしたのを、たまに見ますね。

山門。 鎌倉時代の物。
秀吉が小田原を攻めた時、烏山城も攻めた。(小田原に城主がやってこなかったから)
その時、この寺に多くの者が逃げてきた。 秀吉、それを聞いて寺を焼いた。
でも、この山門は、焼け残った。

左に、芭蕉の句碑が。

芭蕉は、江戸の深川にいた時、この寺で修行をした、仏頂禅師に会っていた。 芭蕉37歳。 仏頂38歳。
芭蕉は、禅をこの人から学んだ。 人間的な深みを増したと思った芭蕉は、仏頂を尊敬することになる。
それで、仏頂が禅をした小さな建物(庵)の跡を見に来た。
啄木鳥も 庵は破らず 夏木立
啄木鳥(キツツキ)は、寺の建物をつついて、傷める。
でも、啄木鳥は庵をつつかなかった。
このように、芭蕉は、仏頂の威光を表現した。
芭蕉は、「降り残してや ひかり堂」のように、「特別」を表現するのが、とても上手。

建物は、仏殿の上にも。



道の駅、那須与一の郷。 像があった。

壇ノ浦での弓。

那須神社。

芭蕉は、ここに寄って、雲巌寺に行った。

袋田の滝は、立派な滝だった。
日本3名瀑と言っても、恥ずかしくないと感じた。
裏見の滝はいい。 他のも見てみたい。
雲巌寺もよかった。 でも、残念なことがあった。
境内の石段は、すべて新しかった。 石とコンクリートを使って。
もったいない。 魅力半減。
※ 関連ブログ 華厳の滝 那智の滝 暗門の滝(大きくないけど、この滝が好き。津軽に)
羽衣の滝(高さ270㍍ 日本で2位。北海道天人峡に) 奈曽の白滝 他(小さいけどいい) 吹割の滝(変わった滝)
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Kさんのお父さんに、午前中、大金を含む那須烏山市を案内していただいた。
この町には、山あげ祭という大きな祭があった。
他に、滝、伝説、和紙と、話題に事欠かない町だった。
大金(おおがね)までは、ここから10分ほどで着く。
里山の感じの所を走る。 ※ 谷は広くないので、田園地帯というよりは、里山。
Kさんの自宅は、荒川小の近く。 ここまで来て、自宅に電話をした。
この場所から、100㍍程向こうだった。 お父さんが、外で待っててくれた。 ※ この写真の場所はここです。
上の地図にもあるが、駅が近くにあった。 私は、気付かなかった。
宇都宮から、烏山線が出ており、大金駅は、終点烏山駅の3つ手前。(写真は、Wikipedeiaから)
大金という名前は、縁起がいい。 ※ 昔、ここで金が採れたので、この名前だそう。(確認できていないが)
宇都宮寄りに、宝積寺という駅もある。 宝積寺から大金まで乗れば、金持ちになれそう。
お父さんの車で、烏山市内を案内していただいた。
烏山市は、東京にも烏山があるため、那須烏山市と言う。
ここは、太平寺。 古くからのお寺。 建物は、江戸時代。
蛇姫様の墓。
昔、大久保家がこの土地を治めていた時、於志賀姫(おしかひめ)と言う姫がいた。 ※ 民話の中では琴姫。
姫に危急があったら、1匹の蛇が姫を助けた。 いつしか、蛇姫様と呼ばれるようになった。
下の写真をクリックしたら、詳しいお話しが。
※ この姫が、川口松太郎の小説、「蛇姫様」のモデルとなった人物だそう。
川口松太郎は、若い頃、隣町の祖母井(うばがい)郵便局に勤めていた。
烏山の蛇姫様の話は、聞いて知っていた。
※ 川口松太郎は、川口浩探検隊、川口浩の父。
次は、龍門の滝に。
雨の日が続いているので、水量が多い。 豪快に流れて落ちていた。 幅65㍍。 高さ20㍍。
川は江川と言い、那珂川の支流。 ※ 烏山市は、那珂川の流域。 那珂川は大きな川。
滝の途中に大きな穴があるそう。 そこに大蛇(龍)が住むというので、龍門の滝。
滝の上を線路が通っている。 近くに駅があり、名前は、滝駅。 名前の付け方が、手抜きでは。(?)
ここは、烏山の山あげ会館。 この町には、大きな祭りがあった。 16日の金曜日から始まる。
大きな仕掛けで、人形が動いた。
説明は、勘助じいさん。 ※ 山本勘助と名前が同じ。
この祭りは、道路で歌舞伎を演じる。
舞台の後ろに、このように山が立ちあがる。 それで、山あげ祭という。
将門の字が読める。
将門が登場する歌舞伎って、どんなのなんだろう。
将門の娘に、滝夜叉姫がいた。 その姫かな。(伝説上の人物?)
滝夜叉姫については、下をクリック。
祭りで、実際に使われるもの。
山あげ祭の映画を見た。
※ 写真の撮影は、基本的には出来ないが、許可をいただいた。
Kさんのお父さんがいたためと思う。
お父さんは、昔、この地域で校長先生だった。 どこに行っても、みんな父さんの知っている。
祭りの期間中、人の数は、この町の人口の何倍にも膨れ上がる。
交通規制のため、県警の1個中隊が配備されるそう。(数十名か)
舞台の仕組みも、大がかり。
山あげの、山を作っている。 祭りに燃える人間がいないとできない。
この通りで、祭は行われる。
和紙会館に寄った。
島崎酒造。
洞窟で、酒を熟成している。 洞窟は、戦争の時に掘ったもの。
日本酒を、いただいた。 ※ 関連ブログ 薩摩金山蔵
アユを獲るヤナを見に行ったが、増水のため、作られていなかった。 ※ ヤナ(Wikipedia)
こんな道を通って、あるお寺へ。
芳朝寺。 江戸時代、ここを治めた大田原氏の菩提寺。
秀吉の時代まで、烏山は、那須与一の兄弟の、一番上の兄が治めていた。
秀吉が小田原を攻めた時、向こうに着くのが遅れたという。 それで、改易になった。 秀吉は厳しい。
※ 源平の合戦で、平氏の船に掲げられた、扇の的を射落としたのが、那須与一。
那須与一の出身は、那珂川町と言われている。
それは、今私がいる所。 そこの道の駅にいる。
大田原氏先祖代々の墓。
蕎麦を御馳走していただいた。 お店は、里山に。
この後、戻って、お父さんとお別れした。 市内の見所を、ほとんど案内していただいた。
近くにある、こぶしが丘温泉を教えていただき、そっちに向かった。
クモの巣の雨。
小さな温泉。 昼間の温泉は、久しぶり。
時間があったから、大金の駅の近くとか、散歩すればよかったと後で後悔。
花が大きくて、重い。
島崎酒造は、大きな会社。 酒は、北海道までも来ている。
自分で飲むのが、もったいないような酒。
冷蔵庫で保存するように、書いてあった。
車の冷蔵庫は狭いので、仕方ないから、1本飲み始めた。
最近、酒を控えていたが、そのことは、すぐに忘れた。
あとの2本は、酒の好きな人に出会ったら、御馳走することにする。
※ 烏山の烏ですが、これは、熊野の烏のことだった。
※ 熊野本宮大社のヤタガラス(写真の中央に) ※ 地名の由来は、ここの中に。
Kさんの故郷、大金そして烏山は、聞いていた通り、里山の雰囲気だった。
自然豊かで、歴史のロマンあふれる、静かなところだった。
お父さんには、お世話になり、感謝です。
【道の駅】 ばとう ここです。
【明日の予定】 袋田の滝に行きます。 日本三名瀑の一つです。
近くに、月待の滝もあります。
ここは、滝を裏から見ることだ出来る。
裏見の滝です。 増水とかで見られなかったら、恨みの滝。
それと、芭蕉にゆかりの雲巌寺。
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この町には、山あげ祭という大きな祭があった。
他に、滝、伝説、和紙と、話題に事欠かない町だった。
大金(おおがね)までは、ここから10分ほどで着く。
里山の感じの所を走る。 ※ 谷は広くないので、田園地帯というよりは、里山。


Kさんの自宅は、荒川小の近く。 ここまで来て、自宅に電話をした。
この場所から、100㍍程向こうだった。 お父さんが、外で待っててくれた。 ※ この写真の場所はここです。

上の地図にもあるが、駅が近くにあった。 私は、気付かなかった。
宇都宮から、烏山線が出ており、大金駅は、終点烏山駅の3つ手前。(写真は、Wikipedeiaから)

大金という名前は、縁起がいい。 ※ 昔、ここで金が採れたので、この名前だそう。(確認できていないが)
宇都宮寄りに、宝積寺という駅もある。 宝積寺から大金まで乗れば、金持ちになれそう。
お父さんの車で、烏山市内を案内していただいた。
烏山市は、東京にも烏山があるため、那須烏山市と言う。
ここは、太平寺。 古くからのお寺。 建物は、江戸時代。

蛇姫様の墓。
昔、大久保家がこの土地を治めていた時、於志賀姫(おしかひめ)と言う姫がいた。 ※ 民話の中では琴姫。
姫に危急があったら、1匹の蛇が姫を助けた。 いつしか、蛇姫様と呼ばれるようになった。

下の写真をクリックしたら、詳しいお話しが。

※ この姫が、川口松太郎の小説、「蛇姫様」のモデルとなった人物だそう。
川口松太郎は、若い頃、隣町の祖母井(うばがい)郵便局に勤めていた。
烏山の蛇姫様の話は、聞いて知っていた。
※ 川口松太郎は、川口浩探検隊、川口浩の父。
次は、龍門の滝に。

雨の日が続いているので、水量が多い。 豪快に流れて落ちていた。 幅65㍍。 高さ20㍍。
川は江川と言い、那珂川の支流。 ※ 烏山市は、那珂川の流域。 那珂川は大きな川。

滝の途中に大きな穴があるそう。 そこに大蛇(龍)が住むというので、龍門の滝。

滝の上を線路が通っている。 近くに駅があり、名前は、滝駅。 名前の付け方が、手抜きでは。(?)
ここは、烏山の山あげ会館。 この町には、大きな祭りがあった。 16日の金曜日から始まる。
大きな仕掛けで、人形が動いた。

説明は、勘助じいさん。 ※ 山本勘助と名前が同じ。

この祭りは、道路で歌舞伎を演じる。
舞台の後ろに、このように山が立ちあがる。 それで、山あげ祭という。
将門の字が読める。


将門が登場する歌舞伎って、どんなのなんだろう。

将門の娘に、滝夜叉姫がいた。 その姫かな。(伝説上の人物?)

滝夜叉姫については、下をクリック。

祭りで、実際に使われるもの。

山あげ祭の映画を見た。
※ 写真の撮影は、基本的には出来ないが、許可をいただいた。
Kさんのお父さんがいたためと思う。
お父さんは、昔、この地域で校長先生だった。 どこに行っても、みんな父さんの知っている。


祭りの期間中、人の数は、この町の人口の何倍にも膨れ上がる。
交通規制のため、県警の1個中隊が配備されるそう。(数十名か)
舞台の仕組みも、大がかり。


山あげの、山を作っている。 祭りに燃える人間がいないとできない。

この通りで、祭は行われる。

和紙会館に寄った。

島崎酒造。


洞窟で、酒を熟成している。 洞窟は、戦争の時に掘ったもの。
日本酒を、いただいた。 ※ 関連ブログ 薩摩金山蔵

アユを獲るヤナを見に行ったが、増水のため、作られていなかった。 ※ ヤナ(Wikipedia)

こんな道を通って、あるお寺へ。

芳朝寺。 江戸時代、ここを治めた大田原氏の菩提寺。

秀吉の時代まで、烏山は、那須与一の兄弟の、一番上の兄が治めていた。
秀吉が小田原を攻めた時、向こうに着くのが遅れたという。 それで、改易になった。 秀吉は厳しい。
※ 源平の合戦で、平氏の船に掲げられた、扇の的を射落としたのが、那須与一。
那須与一の出身は、那珂川町と言われている。
それは、今私がいる所。 そこの道の駅にいる。

大田原氏先祖代々の墓。

蕎麦を御馳走していただいた。 お店は、里山に。

この後、戻って、お父さんとお別れした。 市内の見所を、ほとんど案内していただいた。
近くにある、こぶしが丘温泉を教えていただき、そっちに向かった。

クモの巣の雨。

小さな温泉。 昼間の温泉は、久しぶり。
時間があったから、大金の駅の近くとか、散歩すればよかったと後で後悔。

花が大きくて、重い。

島崎酒造は、大きな会社。 酒は、北海道までも来ている。


自分で飲むのが、もったいないような酒。
冷蔵庫で保存するように、書いてあった。
車の冷蔵庫は狭いので、仕方ないから、1本飲み始めた。
最近、酒を控えていたが、そのことは、すぐに忘れた。
あとの2本は、酒の好きな人に出会ったら、御馳走することにする。

※ 烏山の烏ですが、これは、熊野の烏のことだった。
※ 熊野本宮大社のヤタガラス(写真の中央に) ※ 地名の由来は、ここの中に。
Kさんの故郷、大金そして烏山は、聞いていた通り、里山の雰囲気だった。
自然豊かで、歴史のロマンあふれる、静かなところだった。
お父さんには、お世話になり、感謝です。
【道の駅】 ばとう ここです。
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近くに、月待の滝もあります。
ここは、滝を裏から見ることだ出来る。
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それと、芭蕉にゆかりの雲巌寺。
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一日雨のため、外の見学は出来なかった。
小さな資料館で、武者絵のぼりを見た。
その資料館は、益子町の北の市貝町にあった。
益子町は昔から知っている。 私が以前いた、オホーツクの雄武町と姉妹都市。
焼き物の町なので、お店が集まっている所に、少しだけ寄った。
大きな甕(かめ)には、100万円以上の値が付いていた。
大畑家は、里山の静かな所にあった。 ここです。
敷地の中に、作業場、自宅、お店、そして資料館があった。
資料館は、自由に見ることが出来た。 照明も自分で点けて。
武者絵って、武将や合戦の場面を描いていて、調べたら、浮世絵の一種とありますね。
下の二つは、江戸時代の物。 中国の三国時代の英雄とあった。
武者絵は、どこで見るかと言えば、子どもの日の「のぼり」とかでしょうか。
青森の「ねぶた」や、弘前の「ねぷた」の絵も、武者絵ですね。 ※ ねぷたの絵は、ここに。
上杉謙信と武田信玄。
大畑家は、元々、紺屋をしていたとあった。 ※ 紺屋~こんや。 染物屋のこと。
約300年の歴史があり、武者絵を描き始めて、今は3代目。
外部の評価として、面相が勇ましく気品ある、とあった。
また、ひげの部分の刷毛(はけ)つかいは見事であるとも。
武者絵のぼりの第一人者であることは、確かなよう。
ただ、日本の中で、どう評価されてるかは、調べられなかった。
大畑家は、初代から耕雲を名乗り、特に2代目の時から名声を博すようになった。
これは、屏風。
焼き物の絵も描いた。
3代目耕雲とありますね。 いい表情です。
この表情の、奥の深さはどのくらいなのか、それで質の高さは決まるのでしょうか。
髭は、刷毛で描くのですが、こうです。
ビデオで描いてる姿を見たのですが、迷わず一気に描いていた。 速い。
これは、義経。 のぼりではない。
これも、髭が特徴。
大きな壺にも。
これがもし演技なら、迫真の演技と言われますね。
いいですね。
真剣さが伝わってくる。
武者絵は、どうだったら質が高いのかが、すぐに分からない。
自分の目が、肥えていない。
今日見た武者絵は、ずっと残したい日本の伝統文化として、以前より大事にされる時代になってきた、と思う。
【道の駅】 はが ここです。
【明日の予定】 実は、私のブログにたまに登場する、伊達のKさんの出身地は、ここから少し北の大金(おおがね)です。
Kさんとは、雄武で職場が一緒でした。
明日午前中、Kさんのお父さんが、いろいろ案内してくれます。
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小さな資料館で、武者絵のぼりを見た。
その資料館は、益子町の北の市貝町にあった。
益子町は昔から知っている。 私が以前いた、オホーツクの雄武町と姉妹都市。
焼き物の町なので、お店が集まっている所に、少しだけ寄った。
大きな甕(かめ)には、100万円以上の値が付いていた。



大畑家は、里山の静かな所にあった。 ここです。

敷地の中に、作業場、自宅、お店、そして資料館があった。

資料館は、自由に見ることが出来た。 照明も自分で点けて。

武者絵って、武将や合戦の場面を描いていて、調べたら、浮世絵の一種とありますね。
下の二つは、江戸時代の物。 中国の三国時代の英雄とあった。


武者絵は、どこで見るかと言えば、子どもの日の「のぼり」とかでしょうか。
青森の「ねぶた」や、弘前の「ねぷた」の絵も、武者絵ですね。 ※ ねぷたの絵は、ここに。
上杉謙信と武田信玄。


大畑家は、元々、紺屋をしていたとあった。 ※ 紺屋~こんや。 染物屋のこと。
約300年の歴史があり、武者絵を描き始めて、今は3代目。
外部の評価として、面相が勇ましく気品ある、とあった。
また、ひげの部分の刷毛(はけ)つかいは見事であるとも。





武者絵のぼりの第一人者であることは、確かなよう。
ただ、日本の中で、どう評価されてるかは、調べられなかった。


大畑家は、初代から耕雲を名乗り、特に2代目の時から名声を博すようになった。

これは、屏風。

焼き物の絵も描いた。

3代目耕雲とありますね。 いい表情です。
この表情の、奥の深さはどのくらいなのか、それで質の高さは決まるのでしょうか。

髭は、刷毛で描くのですが、こうです。
ビデオで描いてる姿を見たのですが、迷わず一気に描いていた。 速い。

これは、義経。 のぼりではない。

これも、髭が特徴。

大きな壺にも。

これがもし演技なら、迫真の演技と言われますね。


いいですね。


真剣さが伝わってくる。


武者絵は、どうだったら質が高いのかが、すぐに分からない。
自分の目が、肥えていない。
今日見た武者絵は、ずっと残したい日本の伝統文化として、以前より大事にされる時代になってきた、と思う。
【道の駅】 はが ここです。
【明日の予定】 実は、私のブログにたまに登場する、伊達のKさんの出身地は、ここから少し北の大金(おおがね)です。
Kさんとは、雄武で職場が一緒でした。
明日午前中、Kさんのお父さんが、いろいろ案内してくれます。
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今後のコースが決まらなかったため、大きく動けなかった。
近くにある、真壁の町と、雨引観音に行ってきた。
1つは良くて、1つは残念だった。
茨城県の、伝建地区は、桜川市の真壁町だけ。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
駐車場は有料なので、離れた所に置いて、200㍍程歩いた。
町の通りは、どこもこんな感じ。 この地図の真ん中辺り。
所々に、昔の建物がある。 寺かと思ったら、違った。
情報誌には、昔の町並みが残る、とある。
でも、いろいろ歩いたが、昔の町並みは、なかった。 あるのは、今の町並みの中にある、古い建物。
ここは、休憩所。
赤い点の数だけ、登録文化財がある。
※ 登録文化財は、重要文化財の指定以外で、残した方がいいという物に、広く網をかけた感じ。
真壁の町には、古い建物は確かにあったが、線でなく、点で残っていた。
この町が、伝建地区に指定されたのは、今年の6月29日。
余りにも、遅すぎた。 この町は、町並みの重要性に気付くのに、少なくとも20年は遅れた。
※ 三年坂や妻籠宿の指定は、1976年。 大内宿は、1981年。
少し前のブログで、10年遅れたと書いた美濃町は、1999年。
数日前の、佐原は1996年。 ここは、町並みとして残った。 間に合った。
真壁の町は、どんな見通しを持って、取り組んでいるんだろう。
(※ 雛人形の取り組みは、成果を上げていると聞くが。)
難しい取り組みに、感じたかな。
この家は、昔の門を残していた。 となりに今の門。 上にカエルがいた。
真壁の町は、筑波山の裏にある。
※ 土地の人は、つくば市の方が裏、と言うそう。
近くに、雨引観音(あまびきかんのん)があった。 下の駐車場に停めた。
お寺は、この石段の上。 ここです。
いい石段だ。 コンクリートが、どこにもない。 アジサイが咲いている。 しかも、赤いのがある。
初めて見るような気がするが。
散策路。
ここを上がってきた。 見てください、この石段。 左は、鐘楼。 この寺には、期待が持てると思った。
見事な仁王門。 彫刻が目立つ。 1628年の建物。
仁王像。 鎌倉時代の物。 彫ったのは、康慶。 この人は、運慶の父。 なかなかの物なのかな。
この上に、本堂とかがある。 城の石垣と同じ。
スダジイ(宿椎)という巨木。 花が咲いた翌年の秋に、ドングリがなるそう。 2年がかりか。
仁王門から、ここを上がってきた。
本堂が見えた。
右は、お店。 左奥の石段に、孔雀がいる。 放し飼いだった。
逃げない。
本堂。 1682年の建物。 私もお参り。
本堂の彫りもの。 地獄の絵か。
舌を抜かれているのかな。
これも、本堂の彫りもの。 左甚五郎の弟子の、無関堂円哲が彫った。 この人は、日光の東照宮も彫っている。
多宝塔。
建物はいろいろあり、全体は、こんな感じ。 (雨引観音HPより)
山の上に見晴らし台があるので、行ってみることに。
こんな道。
不動明王は、いつも怒った顔をしている。
不動明王は大日如来の化身だそう。
煩悩を抱える人間を、力ずくで救うために、怒った姿をしているという。
下界が見えた。
池に、大きなコイがいた。 70㌢くらいか。 太ったサケの大きさ。
※ 巨大コイ。 114㌢。 琵琶湖。 日本最大は、118㌢。
また、孔雀にあった。 優しい目。 こっちの写真は、熊本の動植物園で撮影。 厳しい目。
こんなふうに、散歩。
奥ノ院。
別の所から、下の風景。
石垣。
また会った。 黙っていたら、通り過ぎて行った。
どんな悪人でも、この孔雀を、棒でたたくことはできない。
めんこい。
真壁町については、一つの通りでいいから、完璧にすることが出来るかどうかですね。
今のままなら、誰も来ない。
今、伝建地区として栄えている町は、経済発展の時代に、乗り遅れたか、じっとしていた町。
その時代に、昔を壊した町は、伝建地区としの発展は難しい。
残っているものが、点になったら、取り戻せない感じもする。
雨引観音はよかったですね。 田舎のお寺でよかったのは、久しぶり。
※ 最近よかったのは、国東半島の、両子寺(ふたごじ)でしょうか。
※ 雨引観音について詳しくは、ここに。 お寺のHPはここに。
【停泊場所】 栃木県に入りました。 益子町の少し南。 この辺りの駐車場。
【明日の予定】 益子町か、その近辺。
※ 今後の大きなコースは、袋田の滝を見て、那須岳に向かう。 やっと決まった。
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近くにある、真壁の町と、雨引観音に行ってきた。
1つは良くて、1つは残念だった。
茨城県の、伝建地区は、桜川市の真壁町だけ。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
駐車場は有料なので、離れた所に置いて、200㍍程歩いた。
町の通りは、どこもこんな感じ。 この地図の真ん中辺り。

所々に、昔の建物がある。 寺かと思ったら、違った。


情報誌には、昔の町並みが残る、とある。
でも、いろいろ歩いたが、昔の町並みは、なかった。 あるのは、今の町並みの中にある、古い建物。

ここは、休憩所。

赤い点の数だけ、登録文化財がある。
※ 登録文化財は、重要文化財の指定以外で、残した方がいいという物に、広く網をかけた感じ。

真壁の町には、古い建物は確かにあったが、線でなく、点で残っていた。
この町が、伝建地区に指定されたのは、今年の6月29日。
余りにも、遅すぎた。 この町は、町並みの重要性に気付くのに、少なくとも20年は遅れた。
※ 三年坂や妻籠宿の指定は、1976年。 大内宿は、1981年。
少し前のブログで、10年遅れたと書いた美濃町は、1999年。
数日前の、佐原は1996年。 ここは、町並みとして残った。 間に合った。
真壁の町は、どんな見通しを持って、取り組んでいるんだろう。
(※ 雛人形の取り組みは、成果を上げていると聞くが。)
難しい取り組みに、感じたかな。
この家は、昔の門を残していた。 となりに今の門。 上にカエルがいた。
真壁の町は、筑波山の裏にある。
※ 土地の人は、つくば市の方が裏、と言うそう。

近くに、雨引観音(あまびきかんのん)があった。 下の駐車場に停めた。

お寺は、この石段の上。 ここです。

いい石段だ。 コンクリートが、どこにもない。 アジサイが咲いている。 しかも、赤いのがある。

初めて見るような気がするが。

散策路。

ここを上がってきた。 見てください、この石段。 左は、鐘楼。 この寺には、期待が持てると思った。

見事な仁王門。 彫刻が目立つ。 1628年の建物。

仁王像。 鎌倉時代の物。 彫ったのは、康慶。 この人は、運慶の父。 なかなかの物なのかな。

この上に、本堂とかがある。 城の石垣と同じ。

スダジイ(宿椎)という巨木。 花が咲いた翌年の秋に、ドングリがなるそう。 2年がかりか。

仁王門から、ここを上がってきた。

本堂が見えた。

右は、お店。 左奥の石段に、孔雀がいる。 放し飼いだった。

逃げない。

本堂。 1682年の建物。 私もお参り。

本堂の彫りもの。 地獄の絵か。

舌を抜かれているのかな。

これも、本堂の彫りもの。 左甚五郎の弟子の、無関堂円哲が彫った。 この人は、日光の東照宮も彫っている。

多宝塔。

建物はいろいろあり、全体は、こんな感じ。 (雨引観音HPより)

山の上に見晴らし台があるので、行ってみることに。

こんな道。

不動明王は、いつも怒った顔をしている。
不動明王は大日如来の化身だそう。
煩悩を抱える人間を、力ずくで救うために、怒った姿をしているという。

下界が見えた。


池に、大きなコイがいた。 70㌢くらいか。 太ったサケの大きさ。

※ 巨大コイ。 114㌢。 琵琶湖。 日本最大は、118㌢。

また、孔雀にあった。 優しい目。 こっちの写真は、熊本の動植物園で撮影。 厳しい目。

こんなふうに、散歩。

奥ノ院。

別の所から、下の風景。


石垣。

また会った。 黙っていたら、通り過ぎて行った。
どんな悪人でも、この孔雀を、棒でたたくことはできない。

めんこい。

真壁町については、一つの通りでいいから、完璧にすることが出来るかどうかですね。
今のままなら、誰も来ない。
今、伝建地区として栄えている町は、経済発展の時代に、乗り遅れたか、じっとしていた町。
その時代に、昔を壊した町は、伝建地区としの発展は難しい。
残っているものが、点になったら、取り戻せない感じもする。
雨引観音はよかったですね。 田舎のお寺でよかったのは、久しぶり。
※ 最近よかったのは、国東半島の、両子寺(ふたごじ)でしょうか。
※ 雨引観音について詳しくは、ここに。 お寺のHPはここに。
【停泊場所】 栃木県に入りました。 益子町の少し南。 この辺りの駐車場。
【明日の予定】 益子町か、その近辺。
※ 今後の大きなコースは、袋田の滝を見て、那須岳に向かう。 やっと決まった。
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筑波山は、ブナの林があったり、奇岩が連続したりと、退屈しない山だった。
また、たまたま、筑波神社で、ガマの油売りの口上を聞くことが出来た。
8時50分、登山口の筑波山神社に向かった。 大きな鳥居が見えた。 もうすぐ。
ホテルがある。 山があって、神社があって、ここは観光地なのか。
ここが、筑波山神社。 筑波山の中腹にあり、山全体が、神社の境内。
大きな楼門(ろうもん)。 ここから、筑波神社の境内。 ※ 楼門は、県内1の大きさ。
いい感じですね。 石段と建物の調和がいいのか。 上った所に、拝殿。
拝殿の左手を行くと、登山口がある。 ロープウェイの乗り口も向こう。
大きなユリの花が。
登山道は、上りも下りも、石が多かった。
写真中央の女性の方と、一緒になった。 地元の人で、この山に毎週来ているという。 いろいろ、教えていただいた。 ※ 女性の方は、筑波の人なので、この後、ブログではTさんにします。
登るペース(速さ)が似ている時、話しかけやすいし、そうすることがある。
※ 話しかけられることもある。 話しても、少し話して終わることも。
この山は、杉の木もあるが、ブナ林が多かった。 だから、緑が豊かで、鳥も多い。 大きな魅力。
このように人が多い。 ロープウェーで上がる人もおり、ここは観光地だった。
百名山を書いた、深田久弥はこう言った。
「~~。 わが国では、宗教登山が最初のように言われるが、筑波山のような大衆の遊楽登山も、早くから行われていたのである」
百名山に選ばれた理由の一部が、山の少ない関東平野にあり、多くの人に好かれ、登山者が多いことだった。
山自体の魅力は、この後も知ることになる。
男体山頂のかなり手前から、山は急になり、階段が続いた。 このことは、事前にTさんから聞いていた。
頂上が見えた。 871㍍。 筑波山には頂上が2つあり、もう一つの女体山頂は、877㍍。
ここは神社の境内だから、頂上にも神社があった。
この時、10時50分頃。 2時間かかった。 そんなに暑いわけではないが、汗が止まらない。
遠くは、霞んでいた。
向こうの山が、女体山。 向こうには、ロープウェーがある。
人が見える。 神社も。 頂上は、急な岩場だ。 こっちより、6㍍高い。
※ 筑波山は、山頂が耳のように2つあるので、双耳峰と呼ばれる。
毛虫。 触れない。 子どもの頃から。
頂上の下は、このように広場。 御幸ヶ原。 この山は、手ぶらで上っても何とかなる。
この山は、サンダルとかでも頂上に行けると、Tさんが言った。
そうしたら、本当に、そういう人がいた。
セキレイ茶屋。
Tさんの知り合いに、この山の上に住んでいた人がいたそう。
その人は、ケーブルカーの定期を買って、毎日学校に通った。 島から通うのは聞くが、山の上からと言うのは・・・。
ガマ岩。 口に石が入っている。 口は分かるが、どう見ればいいのか。
Tさんは、体全体があって、頭をひねっているのでは、と言った。 なるほどと、思った。
地図があった。 時計回りに歩いている。 Tさんは、いつも、3時間で一回りするという。 黙々と歩いている感じだ。
字が読める。
女体山頂の神社。
となりに、百名山と書いた山頂の標識が。
頂上は、岩場。 あんな所に座って、大丈夫なのか。
ロープウェーの下の駅が見える。 ※ つつじヶ丘駅。 上の女体山駅は、ここのすぐ近くに。
富士山は見えないが、いい景色だ。
頂上から神社を。 人でいっぱい。 中央に、Tさん。 山の経験は私より、ずっとある。
下山開始。 ここは、母の胎内くぐり。 ※ 山では、通りぬける所は、全部胎内くぐり。 どうしてだろう。
弁慶七戻りの岩。
※ 弁慶は、通ろうかと思っては戻り、それを7回繰り返した。
そうでないかいって、Tさんが。 私はすぐに、七戻りの意味が分からなかった。
大きな岩が、今にも、こっちに落ちて来そう。 急いで通った。 地震が来たら大変だ。
白い葉が、3枚・4枚・5枚のがあった。 これも教えていただいた。
※ 本当は葉でなく、ガクだそう。 こんなのはガクアジサイという。
以前聞いたことがあったが、私は忘れていた。
私は、山では滅多にころばない。 ※ 雪や氷の道でも。
でも、今日は2回転んだ。 地面が濡れてるので、滑る。 石も、土も、木の根も、階段の木も、みんな滑る。
カメラもぶつけた。 ※ カメラのレンズの前に、ゴム製のフードを付けている。 これが守ってくれた。
写真のように、下を向いて歩かないと、直ぐに滑る。
この辺に白蛇が出ると言う。 見たら御利益があると。
この花は何だろうって、私は言った。
Tさんは、名前は仏教に関係あるんだけど・・と言った。 その時、思い出した。 ギボウシ(擬宝珠)だった。

戻ってきた。 1時を少し過ぎていた。
Tさんが、この時間、ガマの油売りの口上がきっとやってると、写真の左下に案内してくれた。
やっていた。
ここで、Tさんとは別れた。 いろいろ教えていただき、また、地図を見ないで歩くこともできた。
こんな感じ。
四六のガマの説明。 前足の指が、4本だと。
保存会があって、ボランティアでやっているようだ。 調子よくしゃべるので、退屈しない。
この刀で、腕を切った。 血が出た。 ガマの油を付けたら、すぐに治った。
でも、これを見ていた隣の子どもは、腕の傷をいつまでも心配していた。 ※ 小学校低学年の女の子。
全部終わって、大丈夫だからねって、その子に説明した。
筑波道を歩いた。 昔からの古い道。
カマキリがいた。 緑色でない。
30分ほど歩いた。 人は誰もいない。
別の道を通って、駐車場に戻った。 今年初めての、ヒマワリ。 夏。
両端のは、二十三夜塔。 近くのバス停の名前は、二十三夜前。
どうしてそうなのか調べたが、分からなかった。
駐車場の近くに。
この地は、連歌発祥の地、とあった。 このことは、間違いなかった。 詳しくはここに。
道の駅で、納豆を買った。 水戸に近いから、こんなのが。 道の駅で作っている。
筑波山は、登山道を歩くと、風景が変化する。 道の様子も変わる。 奇岩も現れる。
退屈しない山だった。
頂上からの風景もいいので、たくさんの人が来ていた。
低くても、多くの人が住む関東平野では、一番の山。
百名山として恥ずかしくないだけの、十分な魅力を備えた山だった。
Tさんのおけげで、いい一日になりました。
いい筑波山でした。
【道の駅】 しもつま ここです。
【明日の予定】 雨の予報。 雨の合間に、真壁の町かな。
道路の案内で、雨引観音がさかんに出る。 魅力は何なのか。
【今日の歌】 ガマの口上(YouTube) 今日見た人とは違いますが。 言ってることも少し違う。 場所は同じ。
Hasta Siempre(YouTube) カストロ元議長が、引退して、初めて表に出たとニュースが。 現在84歳。
チェ・ゲバラは、この人より、2歳若い。 一緒に戦った。
別の、ハスタ・シエンプレ(YouTube) 歌詞の意味があります。
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また、たまたま、筑波神社で、ガマの油売りの口上を聞くことが出来た。
8時50分、登山口の筑波山神社に向かった。 大きな鳥居が見えた。 もうすぐ。
ホテルがある。 山があって、神社があって、ここは観光地なのか。

ここが、筑波山神社。 筑波山の中腹にあり、山全体が、神社の境内。

大きな楼門(ろうもん)。 ここから、筑波神社の境内。 ※ 楼門は、県内1の大きさ。

いい感じですね。 石段と建物の調和がいいのか。 上った所に、拝殿。

拝殿の左手を行くと、登山口がある。 ロープウェイの乗り口も向こう。

大きなユリの花が。

登山道は、上りも下りも、石が多かった。
写真中央の女性の方と、一緒になった。 地元の人で、この山に毎週来ているという。 いろいろ、教えていただいた。 ※ 女性の方は、筑波の人なので、この後、ブログではTさんにします。
登るペース(速さ)が似ている時、話しかけやすいし、そうすることがある。
※ 話しかけられることもある。 話しても、少し話して終わることも。

この山は、杉の木もあるが、ブナ林が多かった。 だから、緑が豊かで、鳥も多い。 大きな魅力。
このように人が多い。 ロープウェーで上がる人もおり、ここは観光地だった。
百名山を書いた、深田久弥はこう言った。
「~~。 わが国では、宗教登山が最初のように言われるが、筑波山のような大衆の遊楽登山も、早くから行われていたのである」
百名山に選ばれた理由の一部が、山の少ない関東平野にあり、多くの人に好かれ、登山者が多いことだった。
山自体の魅力は、この後も知ることになる。
男体山頂のかなり手前から、山は急になり、階段が続いた。 このことは、事前にTさんから聞いていた。

頂上が見えた。 871㍍。 筑波山には頂上が2つあり、もう一つの女体山頂は、877㍍。
ここは神社の境内だから、頂上にも神社があった。

この時、10時50分頃。 2時間かかった。 そんなに暑いわけではないが、汗が止まらない。
遠くは、霞んでいた。

向こうの山が、女体山。 向こうには、ロープウェーがある。

人が見える。 神社も。 頂上は、急な岩場だ。 こっちより、6㍍高い。
※ 筑波山は、山頂が耳のように2つあるので、双耳峰と呼ばれる。

毛虫。 触れない。 子どもの頃から。

頂上の下は、このように広場。 御幸ヶ原。 この山は、手ぶらで上っても何とかなる。

この山は、サンダルとかでも頂上に行けると、Tさんが言った。
そうしたら、本当に、そういう人がいた。
セキレイ茶屋。

Tさんの知り合いに、この山の上に住んでいた人がいたそう。
その人は、ケーブルカーの定期を買って、毎日学校に通った。 島から通うのは聞くが、山の上からと言うのは・・・。
ガマ岩。 口に石が入っている。 口は分かるが、どう見ればいいのか。
Tさんは、体全体があって、頭をひねっているのでは、と言った。 なるほどと、思った。

地図があった。 時計回りに歩いている。 Tさんは、いつも、3時間で一回りするという。 黙々と歩いている感じだ。

字が読める。

女体山頂の神社。

となりに、百名山と書いた山頂の標識が。

頂上は、岩場。 あんな所に座って、大丈夫なのか。

ロープウェーの下の駅が見える。 ※ つつじヶ丘駅。 上の女体山駅は、ここのすぐ近くに。
富士山は見えないが、いい景色だ。

頂上から神社を。 人でいっぱい。 中央に、Tさん。 山の経験は私より、ずっとある。

下山開始。 ここは、母の胎内くぐり。 ※ 山では、通りぬける所は、全部胎内くぐり。 どうしてだろう。

弁慶七戻りの岩。
※ 弁慶は、通ろうかと思っては戻り、それを7回繰り返した。
そうでないかいって、Tさんが。 私はすぐに、七戻りの意味が分からなかった。
大きな岩が、今にも、こっちに落ちて来そう。 急いで通った。 地震が来たら大変だ。

白い葉が、3枚・4枚・5枚のがあった。 これも教えていただいた。
※ 本当は葉でなく、ガクだそう。 こんなのはガクアジサイという。
以前聞いたことがあったが、私は忘れていた。

私は、山では滅多にころばない。 ※ 雪や氷の道でも。
でも、今日は2回転んだ。 地面が濡れてるので、滑る。 石も、土も、木の根も、階段の木も、みんな滑る。
カメラもぶつけた。 ※ カメラのレンズの前に、ゴム製のフードを付けている。 これが守ってくれた。
写真のように、下を向いて歩かないと、直ぐに滑る。

この辺に白蛇が出ると言う。 見たら御利益があると。

この花は何だろうって、私は言った。
Tさんは、名前は仏教に関係あるんだけど・・と言った。 その時、思い出した。 ギボウシ(擬宝珠)だった。

戻ってきた。 1時を少し過ぎていた。
Tさんが、この時間、ガマの油売りの口上がきっとやってると、写真の左下に案内してくれた。

やっていた。
ここで、Tさんとは別れた。 いろいろ教えていただき、また、地図を見ないで歩くこともできた。
こんな感じ。

四六のガマの説明。 前足の指が、4本だと。

保存会があって、ボランティアでやっているようだ。 調子よくしゃべるので、退屈しない。

この刀で、腕を切った。 血が出た。 ガマの油を付けたら、すぐに治った。
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筑波道を歩いた。 昔からの古い道。

カマキリがいた。 緑色でない。

30分ほど歩いた。 人は誰もいない。

別の道を通って、駐車場に戻った。 今年初めての、ヒマワリ。 夏。

両端のは、二十三夜塔。 近くのバス停の名前は、二十三夜前。
どうしてそうなのか調べたが、分からなかった。

駐車場の近くに。

この地は、連歌発祥の地、とあった。 このことは、間違いなかった。 詳しくはここに。

道の駅で、納豆を買った。 水戸に近いから、こんなのが。 道の駅で作っている。

筑波山は、登山道を歩くと、風景が変化する。 道の様子も変わる。 奇岩も現れる。
退屈しない山だった。
頂上からの風景もいいので、たくさんの人が来ていた。
低くても、多くの人が住む関東平野では、一番の山。
百名山として恥ずかしくないだけの、十分な魅力を備えた山だった。
Tさんのおけげで、いい一日になりました。
いい筑波山でした。
【道の駅】 しもつま ここです。
【明日の予定】 雨の予報。 雨の合間に、真壁の町かな。
道路の案内で、雨引観音がさかんに出る。 魅力は何なのか。
【今日の歌】 ガマの口上(YouTube) 今日見た人とは違いますが。 言ってることも少し違う。 場所は同じ。
Hasta Siempre(YouTube) カストロ元議長が、引退して、初めて表に出たとニュースが。 現在84歳。
チェ・ゲバラは、この人より、2歳若い。 一緒に戦った。
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高さ120㍍。 とにかく、大きい。
※ 高さは、世界一と言っているが、正確には、2番目。 2年前ミャンマーの釈迦の像に抜かれた。 これは、ギネス未登録。
この像は、1993年に東本願寺が、世界一を目指して建てた。
京都の東本願寺は、大きいのが好き。 御影堂は、世界一の木造建築物。
駐車場で、ドアを閉めて、振り向いたらこの姿。 「オッ」って声が出た。
大きさの基本情報。 奈良の大仏が小さくなってしまう。 像だけなら、100㍍。
世界一は15年間だった。 他から狙われる。
※ 世界一でなくなっても、パンフレットには、世界一とあった。 文句言われたら、当時は世界一だったとか、言い訳出来る。
正面から。 遠くにある。
像は、東本願寺の本尊を拡大している。
東本願寺の本尊は、同じ形の物が、商品として売られている。 手や顔が同じ。
庭園に入ると、このように。 大きさには慣れてくる。 いつまでも、感動はしない。
銅板のつなぎ目が分かる。 銅板は、厚さ6㍉ほど。 薄いけど、全体では、1000㌧。
銅板は、中の支柱にくっ付いているだけで、全体の重さを支えてはいない。 奈良の大仏と違う。
※ 現代の高層建築と同じつくり。 カーテンウォール工法と言うそう。
大仏の胸の辺りまで、エレベーターで上れる。 高さ約80㍍。
初め、この部屋に入った。 電気が消えて、瞑想の世界。
上の部屋の隣。 1階部分は、光の世界。
浄土の世界を思い描く空間だそう。
仏教と、大仏の作り方について、説明があった。
こうやって作った。 完成まで、4年かかった。
足の親指の先。
この大仏の骨組みは鉄。 いつかは錆びる。 何年持つんだろう。
ダメになったら、解体して、また作るのだろうか。
エレベーター入り口。 胸のあたりまで行く。 そこは、こんな感じ。
明日登る、筑波山。
霞ヶ浦。
ここに、御釈迦様の骨がある、とあった。 本当かなあ。
胸にあった、スリットのような窓から。
窓は四方にあった。 空気が霞んでいるため、富士山とかは見えなかった。 霞ヶ浦も、霞む。
釈迦の一生を描いた絵が、並んでいた。
最上階から、階段で下りると、仏の世界があった。
御金を出せば、自分の物になるようだ。
仏教も経営が大事。
有難いと思ってもらい、進んでお金を出してもらう。 ここが、経営のこつのように思う。
※ たまに、お金を集めることだけに夢中になる宗教が現れる。
外には、小動物園があり、リスがいた。 エゾリスとは顔が違った。 少し華奢な感じ。
最後にもう一度見た。 何度見ても大きい。 木は、いくら大きくても、かなわない。
筑波山に近づいた。 外に、水の蛇口があった。 車の水を満タンにした。
山の下は、市街地になっている。
大きな仏像を見るたび、牛久大仏が引き合いに出される。 一度見てみるかとなった。
大きさだけで人を感動させようとしても、その感動は長くは続かない。
美しさに対する感動とは違う。
牛久大仏が出来たからと言って、奈良の大仏の価値は、少しも目減りしない。
どこかに、驚く美しさの、大きな仏像が出来ないだろうか。
美しさがあれば、何度見てもいい。
ああだこうだ言っても、驚く大きさだったかな。
【停泊場所】 筑波山神社の少し下。 無料の駐車場。 ここです。
【明日の予定】 筑波山の登山。 一番低い百名山。 ここの駐車場からでも、2時間かからないと思う。
見所は色々あって、きっと退屈はしない。
登山口から、山の下への道がある。 筑波道。 昔からの道。
午後、雨が降らなかったら、そこも歩く。
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※ 高さは、世界一と言っているが、正確には、2番目。 2年前ミャンマーの釈迦の像に抜かれた。 これは、ギネス未登録。
この像は、1993年に東本願寺が、世界一を目指して建てた。
京都の東本願寺は、大きいのが好き。 御影堂は、世界一の木造建築物。
駐車場で、ドアを閉めて、振り向いたらこの姿。 「オッ」って声が出た。

大きさの基本情報。 奈良の大仏が小さくなってしまう。 像だけなら、100㍍。

世界一は15年間だった。 他から狙われる。
※ 世界一でなくなっても、パンフレットには、世界一とあった。 文句言われたら、当時は世界一だったとか、言い訳出来る。


正面から。 遠くにある。

像は、東本願寺の本尊を拡大している。

東本願寺の本尊は、同じ形の物が、商品として売られている。 手や顔が同じ。

庭園に入ると、このように。 大きさには慣れてくる。 いつまでも、感動はしない。


銅板のつなぎ目が分かる。 銅板は、厚さ6㍉ほど。 薄いけど、全体では、1000㌧。

銅板は、中の支柱にくっ付いているだけで、全体の重さを支えてはいない。 奈良の大仏と違う。
※ 現代の高層建築と同じつくり。 カーテンウォール工法と言うそう。
大仏の胸の辺りまで、エレベーターで上れる。 高さ約80㍍。
初め、この部屋に入った。 電気が消えて、瞑想の世界。

上の部屋の隣。 1階部分は、光の世界。


浄土の世界を思い描く空間だそう。

仏教と、大仏の作り方について、説明があった。

こうやって作った。 完成まで、4年かかった。

足の親指の先。

この大仏の骨組みは鉄。 いつかは錆びる。 何年持つんだろう。
ダメになったら、解体して、また作るのだろうか。

エレベーター入り口。 胸のあたりまで行く。 そこは、こんな感じ。


明日登る、筑波山。

霞ヶ浦。

ここに、御釈迦様の骨がある、とあった。 本当かなあ。

胸にあった、スリットのような窓から。

窓は四方にあった。 空気が霞んでいるため、富士山とかは見えなかった。 霞ヶ浦も、霞む。

釈迦の一生を描いた絵が、並んでいた。

最上階から、階段で下りると、仏の世界があった。

御金を出せば、自分の物になるようだ。

仏教も経営が大事。
有難いと思ってもらい、進んでお金を出してもらう。 ここが、経営のこつのように思う。
※ たまに、お金を集めることだけに夢中になる宗教が現れる。

外には、小動物園があり、リスがいた。 エゾリスとは顔が違った。 少し華奢な感じ。

最後にもう一度見た。 何度見ても大きい。 木は、いくら大きくても、かなわない。

筑波山に近づいた。 外に、水の蛇口があった。 車の水を満タンにした。

山の下は、市街地になっている。

大きな仏像を見るたび、牛久大仏が引き合いに出される。 一度見てみるかとなった。
大きさだけで人を感動させようとしても、その感動は長くは続かない。
美しさに対する感動とは違う。
牛久大仏が出来たからと言って、奈良の大仏の価値は、少しも目減りしない。
どこかに、驚く美しさの、大きな仏像が出来ないだろうか。
美しさがあれば、何度見てもいい。
ああだこうだ言っても、驚く大きさだったかな。
【停泊場所】 筑波山神社の少し下。 無料の駐車場。 ここです。
【明日の予定】 筑波山の登山。 一番低い百名山。 ここの駐車場からでも、2時間かからないと思う。
見所は色々あって、きっと退屈はしない。
登山口から、山の下への道がある。 筑波道。 昔からの道。
午後、雨が降らなかったら、そこも歩く。
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佐原に、新しい道の駅が出来ていた。
再び、千葉に戻ってきた。
佐原には、関東地区には珍しい、伝建地区があった。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
また、この町は、大人形山車が競演する、佐原の大祭で知られた町だった。
街の中のどこに駐車場があるかは、道の駅で教えてもらっていた。
山車会館があったので、見ることに。
八坂神社の境内にあった。
大人形山車のお祭りは、祇園祭と呼んでいる。 京都と一緒だ。
※ 京都の祇園祭は、八坂神社のお祭り。 八坂神社の下に、祇園がある。
今年のお祭りは、1週間後。 見てみたいが・・。
どこの山車会館も、面白い。 たいてい撮影もできる。 資料館は、面白い所は少ない。
※ 関連ブログ 弘前ねぷたの館 山鹿灯籠民芸館
こんな祭り。 切り絵だろうか。 いいですね。 祭りの感じが良く分かる。 この雰囲気は、写真では無理。
山車会館の中。
山車人形の上半身。 これは、楠木正成ですね。 人形の身の丈は、4~5㍍。
人形は、神話や歴史上の人物。
その場で、山車を回している。 棒を持ってる人がいる。 高い技術が必要なそうだ。
山車展示室。 人形を除いた高さは、4㍍。 見上げる高さ。
人形の表情。 大楠公の方が、表情はいいなか。
山車のこだわりの一つに、彫刻がある。
お話しの世界の、一場面でしょうね。
関東彫りと呼ばれ、専門の人が彫るそうだ。 迫力がありますよ。
木で丈夫な車輪は、どうやって作るのか。 不思議だ。 江戸中期の神輿。 この町で、一番古いそう。
夏祭りは、山車は10台。 小野川の東側。
秋祭りもあって、山車は15台。 秋祭りは、小野川の西のお祭り。 神社は、諏訪神社。
※ 下の写真には、山車が25台くらい見える。 全部集まることはあるのだろうか。
見終わって、車は、ここの駐車場に。
※ 受付の方が、置かせてくれた。 町並みについても、見所など説明していただいた。
右の方に、八坂神社が。 古い町並みは、ピンクのところ。
字が読めます。
歩いていたら、傘を売ってる店が。
子どもの頃から、傘をさして歩くのは好きだった。 傘の下は、自分だけの世界に感じた。
地図の、下の方の右の町並みを歩いている。 この町は、伊能忠敬の出身地。
写真の左に、旧宅。
樋橋(とよはし)。 ※ 樋は「とい」と読み、水を流すもの。 「とい」が「とよ」に変化した。
この橋は、町並みの中で、大きな存在感を示していた。 大事な橋。
見える橋は、樋橋。 小野川は、ゆるく曲がっている。
樋橋は、さっきまで、このように水が流れていた。 向こうから撮影。 この橋は、水を通す橋。
※ ゴミを流すために、こうしたのかな。 ?。 熊本の通潤橋も、こうしている。
川と木と家並み。 いい。 木は、この風景に似合うように、伸びてきたら、剪定(せんてい)が必要ですね。
常夜灯でしょうか。 それと階段。 そして橋。 いいですね。
下はお店ですが、昔は蔵だったのかな。
食器を売ってるお店。 明治15年から、ここで店をやってるとあった。
町並みでない、中通りを歩いた。 だんごやさんがあった。
串だんごとどら焼きを、1つずつ買った。 その後、食べながら・・・。
地図の上の方に来た。
古い旅館。 2階の窓から、川と町並みを眺めたら、どんな気分だろう。
一句浮かぶかな。 「小野川の 川面に映る 柳が揺れた」とか。 何かが足りないか。
交通量が少し多いですね。
子どもたちも安心して歩ける道がいい。 下校時は、あっちでおしゃべり、こっちで一休みして帰る。
この風景も、何とも言えない。 撮影ポイントはすぐに見つかる。
再度舗装する時は、茶っぽい色にするのかな。
こう見ると、曲線はいい。
町並みに、今の時代のアイディアをプラスするんですね。 その時、古いだけの魅力を越えたものになる。
※ 高いレベルにあるので、参考になる伝建地区はそうないが、大内宿と黒川温泉からは学べますね。
どこの建物も、格子がきれいです。
町並みの真ん中にある、忠敬橋に戻ってきた。
佐原は、都心に近いから、環境面で恵まれている。
お祭りもあり、道の駅も出来、ここを訪れる人は増えるように思います。
※ 今後の発展のためには、「知恵」を大事にしたらいいですね。 プロジェクトXのように。
雨の中の見学でしたが、良かったです。
出会った子どもたちや、土地の人の雰囲気が、やわらかい。 そんな印象を持ちました。
【道の駅】 水の郷 さわら
【明日の予定】 決まっていない。
【今日の歌】 佐原の大祭の紹介(YouTube)
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再び、千葉に戻ってきた。
佐原には、関東地区には珍しい、伝建地区があった。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区。
また、この町は、大人形山車が競演する、佐原の大祭で知られた町だった。
街の中のどこに駐車場があるかは、道の駅で教えてもらっていた。
山車会館があったので、見ることに。
八坂神社の境内にあった。
大人形山車のお祭りは、祇園祭と呼んでいる。 京都と一緒だ。
※ 京都の祇園祭は、八坂神社のお祭り。 八坂神社の下に、祇園がある。

今年のお祭りは、1週間後。 見てみたいが・・。

どこの山車会館も、面白い。 たいてい撮影もできる。 資料館は、面白い所は少ない。
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こんな祭り。 切り絵だろうか。 いいですね。 祭りの感じが良く分かる。 この雰囲気は、写真では無理。

山車会館の中。

山車人形の上半身。 これは、楠木正成ですね。 人形の身の丈は、4~5㍍。

人形は、神話や歴史上の人物。



その場で、山車を回している。 棒を持ってる人がいる。 高い技術が必要なそうだ。

山車展示室。 人形を除いた高さは、4㍍。 見上げる高さ。


人形の表情。 大楠公の方が、表情はいいなか。

山車のこだわりの一つに、彫刻がある。

お話しの世界の、一場面でしょうね。


関東彫りと呼ばれ、専門の人が彫るそうだ。 迫力がありますよ。

木で丈夫な車輪は、どうやって作るのか。 不思議だ。 江戸中期の神輿。 この町で、一番古いそう。


夏祭りは、山車は10台。 小野川の東側。
秋祭りもあって、山車は15台。 秋祭りは、小野川の西のお祭り。 神社は、諏訪神社。
※ 下の写真には、山車が25台くらい見える。 全部集まることはあるのだろうか。

見終わって、車は、ここの駐車場に。
※ 受付の方が、置かせてくれた。 町並みについても、見所など説明していただいた。
右の方に、八坂神社が。 古い町並みは、ピンクのところ。

字が読めます。

歩いていたら、傘を売ってる店が。
子どもの頃から、傘をさして歩くのは好きだった。 傘の下は、自分だけの世界に感じた。

地図の、下の方の右の町並みを歩いている。 この町は、伊能忠敬の出身地。
写真の左に、旧宅。



樋橋(とよはし)。 ※ 樋は「とい」と読み、水を流すもの。 「とい」が「とよ」に変化した。
この橋は、町並みの中で、大きな存在感を示していた。 大事な橋。

見える橋は、樋橋。 小野川は、ゆるく曲がっている。

樋橋は、さっきまで、このように水が流れていた。 向こうから撮影。 この橋は、水を通す橋。
※ ゴミを流すために、こうしたのかな。 ?。 熊本の通潤橋も、こうしている。


川と木と家並み。 いい。 木は、この風景に似合うように、伸びてきたら、剪定(せんてい)が必要ですね。

常夜灯でしょうか。 それと階段。 そして橋。 いいですね。

下はお店ですが、昔は蔵だったのかな。

食器を売ってるお店。 明治15年から、ここで店をやってるとあった。


町並みでない、中通りを歩いた。 だんごやさんがあった。
串だんごとどら焼きを、1つずつ買った。 その後、食べながら・・・。

地図の上の方に来た。

古い旅館。 2階の窓から、川と町並みを眺めたら、どんな気分だろう。
一句浮かぶかな。 「小野川の 川面に映る 柳が揺れた」とか。 何かが足りないか。

交通量が少し多いですね。
子どもたちも安心して歩ける道がいい。 下校時は、あっちでおしゃべり、こっちで一休みして帰る。
この風景も、何とも言えない。 撮影ポイントはすぐに見つかる。


再度舗装する時は、茶っぽい色にするのかな。


こう見ると、曲線はいい。

町並みに、今の時代のアイディアをプラスするんですね。 その時、古いだけの魅力を越えたものになる。
※ 高いレベルにあるので、参考になる伝建地区はそうないが、大内宿と黒川温泉からは学べますね。

どこの建物も、格子がきれいです。

町並みの真ん中にある、忠敬橋に戻ってきた。

佐原は、都心に近いから、環境面で恵まれている。
お祭りもあり、道の駅も出来、ここを訪れる人は増えるように思います。
※ 今後の発展のためには、「知恵」を大事にしたらいいですね。 プロジェクトXのように。
雨の中の見学でしたが、良かったです。
出会った子どもたちや、土地の人の雰囲気が、やわらかい。 そんな印象を持ちました。
【道の駅】 水の郷 さわら
【明日の予定】 決まっていない。
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犬吠埼。 これほど、凄みのある岬の名前は、他にあるだろうか。
また、犬が吠えたという。
誰に吠えたのか。 これには、伝説があった。
伝説と聞いたら、誰かは決まってしまう。
昨日からお世話になってる、Kさんが、東金の町を案内してくれた。
東金ダム。
※ カメラのカードを忘れた。(久しぶり)
同じ場所から撮影した写真を、ネットで探した。 あった。 お借りした。
低い山しかないのに、よく水を貯めたねと、Kさんと話した。
海の近くの料理店で、「イワシづくし」をごちそうになった。
生のイワシを、漬けた物もあった。
私は、青魚が好き。(寿司なら、秋刀魚・アジ・イワシ・サバがあれば、他はなくてもいい。 みんな安い)
塩焼のはらわたは美味しい。 ※ 秋刀魚のはらわたも、苦くて美味しい。
昨日の場所より、少し北。 砂浜がきれい。 泳いでいる人がいた。
Kさんと別れて、犬吠埼に向かった。 ※ 犬吠埼~いぬぼうさき
あと少しの所で、こんな電車に出会った。
犬吠埼。 ここから、景色を眺める。 ここです。
どこの岬もそうだが、観光地として発展するのは難しい。 閉めたお店が目立つ。
犬吠埼は、いぬぼうさき、と読むが、迫力満点。 知られた岬の中では、一番でないだろうか。
また、「さき」は「埼」と書く。 これも珍しい。
※ 「さき」には、色んなのがある。
宗谷岬(そうやみさき) 石廊崎(いろうざき) 日御碕(ひのみさき)
遊歩道があった。 波で壊れてる部分もあった。
このように、ホテルも。 遊歩道まで、波は来た。
硬い所と、軟い所があるので、デコボコに。
穴の中に砂がある。 海水が入ったら、砂が岩を削る。
こんな花。
スカシユリ。 短い茎で、へばりつくように咲いていた。 ※ エゾスカシユリに似ている。
茎が見えない。
犬吠埼で、犬は誰に吠えたかだが、「義経」だった。
義経がここを通って、犬を置いて行った。 犬は何日も吠えた。(鳴いた) そして、石になった。
また、下の場所に矢を立てたら、水が出てきた。
こんな伝説が残っていた。
調べてみたが、この伝説には、無理があると指摘されていた。 私もそう思う。
義経は、頼朝がいる鎌倉に、近づくはずがない。 平泉には、北陸を通って行った。
※ 地名の研究者がいて、こんな説明があった。(長い)
犬吠埼湧水と呼ばれる。 水を飲んでみた。
この水は、灯台守の人達にも、重宝された。
※ 余談 「喜びも悲しみも幾年月」の原作者は、田中きよ子。
この人は灯台守の妻。 犬吠埼灯台にも来ていると、説明にあった。
高浜虚子の句碑があった。 「犬吠の 今宵の朧 待つとせん」
※ この月は、「月の沙漠」の月ですね。
佐藤春夫の詩碑。
難しいですよ。 何となくしか、分からない。 「をみな」は、女郎花(おみなえし)のことかな。
灯台の裏の道を歩いた。 そこからの海。
犬が石になったという石を探した。 どこにあるかが、説明にない。
これが犬に見えたが、どっちかと言うと、トドかな。
いい花。 名前は?
銚子電鉄に乗る。 全長6.4㌔のローカル線。 駅が、10個もある。
犬吠駅。
電車が来た。 2両が走っていて、こっちには、車両に絵がない。
電車のガラスが汚れてるので、写真がかすむ。
出発したら、次の駅がすぐに来る。
「次の駅は~~です」のボタンを、運転手は押し忘れた。 駅に着いてから、流れた。
途中の駅で、この電車とすれ違った。
線路が真っ直ぐでない。 だから、揺れる。 それがいい。
銚子駅。 JRの銚子駅構内にある。
銚子駅。
駅
銚子駅前。 次の発車まで、10分間。
電車は、昭和25年のものだった。 私と同じ。
ヤマサ醤油の工場が見えた。
ヒゲタ醤油も、銚子にある。 初代の社長は、ヤマサ醤油の初代の兄だそう。 同族。
銚子は、近くで大豆が獲れ、利根川の水運が使えたので、栄えた。
「稲村の火」の話は、ヤマサ醤油の7代目の話。 ※ 関連ブログ 稲村の火
※ 昆布つゆのCM(YouTube) 面白いですよ。
いい雰囲気。
木のトンネル。
車輪止め、かな。
終点、外川駅。
レトロな感じ。 ほんとうを言えば、ただ古いだけ。
こんな撮影があった。
駅舎。
外川の街は、坂道で知られているようだが、写真に撮れる所はなかった。
坂道は舗装で、家は新しかった。 昔とは違うって、土地の人が言った。
駅から見た、線路の風景。 のんびりしている。
出発したら、犬がいた。 スピードを落とした。 プーって鳴らしたら、犬はどけてくれた。
犬吠の駅に着いた。 620円の、1日乗車券を買っていた。
遅くなったが、道の駅いたこ に向かった。 利根川を渡る。 渡ったら茨城県。 この時6時42分。
後で知ったが、竹久夢二もここに来ていた。 犬吠埼のちょっと北にある、あしか(海鹿)島に。
明治43年、27歳と時だった。 別れた元の妻と子供と一緒に。 ここに来て、別の人に出会う。
その時作った歌が、あの有名な歌だった。
「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」
宵街草(YouTube) 高峰三枝子です。 ※ 宵街草(Wikipedia)
知らない町には、いろんな話がある。 そう思った。
【道の駅】 いたこ 茨城県です。 ここです。
【明日の予定】 この近くかな。
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また、犬が吠えたという。
誰に吠えたのか。 これには、伝説があった。
伝説と聞いたら、誰かは決まってしまう。
昨日からお世話になってる、Kさんが、東金の町を案内してくれた。
東金ダム。
※ カメラのカードを忘れた。(久しぶり)
同じ場所から撮影した写真を、ネットで探した。 あった。 お借りした。
低い山しかないのに、よく水を貯めたねと、Kさんと話した。

海の近くの料理店で、「イワシづくし」をごちそうになった。

生のイワシを、漬けた物もあった。
私は、青魚が好き。(寿司なら、秋刀魚・アジ・イワシ・サバがあれば、他はなくてもいい。 みんな安い)

塩焼のはらわたは美味しい。 ※ 秋刀魚のはらわたも、苦くて美味しい。

昨日の場所より、少し北。 砂浜がきれい。 泳いでいる人がいた。


Kさんと別れて、犬吠埼に向かった。 ※ 犬吠埼~いぬぼうさき
あと少しの所で、こんな電車に出会った。

犬吠埼。 ここから、景色を眺める。 ここです。
どこの岬もそうだが、観光地として発展するのは難しい。 閉めたお店が目立つ。

犬吠埼は、いぬぼうさき、と読むが、迫力満点。 知られた岬の中では、一番でないだろうか。
また、「さき」は「埼」と書く。 これも珍しい。
※ 「さき」には、色んなのがある。
宗谷岬(そうやみさき) 石廊崎(いろうざき) 日御碕(ひのみさき)

遊歩道があった。 波で壊れてる部分もあった。

このように、ホテルも。 遊歩道まで、波は来た。

硬い所と、軟い所があるので、デコボコに。

穴の中に砂がある。 海水が入ったら、砂が岩を削る。

こんな花。

スカシユリ。 短い茎で、へばりつくように咲いていた。 ※ エゾスカシユリに似ている。

茎が見えない。

犬吠埼で、犬は誰に吠えたかだが、「義経」だった。
義経がここを通って、犬を置いて行った。 犬は何日も吠えた。(鳴いた) そして、石になった。
また、下の場所に矢を立てたら、水が出てきた。
こんな伝説が残っていた。
調べてみたが、この伝説には、無理があると指摘されていた。 私もそう思う。
義経は、頼朝がいる鎌倉に、近づくはずがない。 平泉には、北陸を通って行った。
※ 地名の研究者がいて、こんな説明があった。(長い)
犬吠埼湧水と呼ばれる。 水を飲んでみた。
この水は、灯台守の人達にも、重宝された。
※ 余談 「喜びも悲しみも幾年月」の原作者は、田中きよ子。
この人は灯台守の妻。 犬吠埼灯台にも来ていると、説明にあった。

高浜虚子の句碑があった。 「犬吠の 今宵の朧 待つとせん」
※ この月は、「月の沙漠」の月ですね。

佐藤春夫の詩碑。

難しいですよ。 何となくしか、分からない。 「をみな」は、女郎花(おみなえし)のことかな。

灯台の裏の道を歩いた。 そこからの海。
犬が石になったという石を探した。 どこにあるかが、説明にない。

これが犬に見えたが、どっちかと言うと、トドかな。

いい花。 名前は?

銚子電鉄に乗る。 全長6.4㌔のローカル線。 駅が、10個もある。

犬吠駅。

電車が来た。 2両が走っていて、こっちには、車両に絵がない。



電車のガラスが汚れてるので、写真がかすむ。
出発したら、次の駅がすぐに来る。
「次の駅は~~です」のボタンを、運転手は押し忘れた。 駅に着いてから、流れた。

途中の駅で、この電車とすれ違った。

線路が真っ直ぐでない。 だから、揺れる。 それがいい。

銚子駅。 JRの銚子駅構内にある。

銚子駅。

駅

銚子駅前。 次の発車まで、10分間。

電車は、昭和25年のものだった。 私と同じ。

ヤマサ醤油の工場が見えた。

ヒゲタ醤油も、銚子にある。 初代の社長は、ヤマサ醤油の初代の兄だそう。 同族。
銚子は、近くで大豆が獲れ、利根川の水運が使えたので、栄えた。
「稲村の火」の話は、ヤマサ醤油の7代目の話。 ※ 関連ブログ 稲村の火
※ 昆布つゆのCM(YouTube) 面白いですよ。
いい雰囲気。


木のトンネル。

車輪止め、かな。

終点、外川駅。

レトロな感じ。 ほんとうを言えば、ただ古いだけ。

こんな撮影があった。

駅舎。
外川の街は、坂道で知られているようだが、写真に撮れる所はなかった。
坂道は舗装で、家は新しかった。 昔とは違うって、土地の人が言った。

駅から見た、線路の風景。 のんびりしている。

出発したら、犬がいた。 スピードを落とした。 プーって鳴らしたら、犬はどけてくれた。

犬吠の駅に着いた。 620円の、1日乗車券を買っていた。

遅くなったが、道の駅いたこ に向かった。 利根川を渡る。 渡ったら茨城県。 この時6時42分。

後で知ったが、竹久夢二もここに来ていた。 犬吠埼のちょっと北にある、あしか(海鹿)島に。
明治43年、27歳と時だった。 別れた元の妻と子供と一緒に。 ここに来て、別の人に出会う。
その時作った歌が、あの有名な歌だった。
「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな」
宵街草(YouTube) 高峰三枝子です。 ※ 宵街草(Wikipedia)
知らない町には、いろんな話がある。 そう思った。
【道の駅】 いたこ 茨城県です。 ここです。
【明日の予定】 この近くかな。
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九十九里浜は、どこまでも砂浜だった。
それも、港がなく、家並みは海から離れていた。
天気が悪かったので、想い出の九十九里浜の感じでは、なかったけど。
来年の大河ドラマに、森3兄弟が登場します。
2番目は、森坊丸。 すこし、面白い話しがある。
九十九里浜に何があるわけではないが、見ることに。
途中「やすらぎの森」という施設に寄ったが、閉園中だった。 その向かいにあった、レンコン畑。 山は低くなった。
花が少しだけ。
海まで数㌔。 小さな山もなくなった。 道は広い。
海岸沿いに有料道路があるので、走ってみた。
九十九里浜は、ここの数㌔右から始まっている。 全長66㎞。
※ 源頼朝の命で6町を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるそう。
昔の1町は、109㍍。 1里は、654㍍。 99里だと、64.7㎞になる。 66㎞に近い。
どこまで行っても、この風景。
海は見えるが、海に行く道がない。 有料道路から出た。
白子海岸。 南白亀川の河口。 投網をしている人がいる。 ここです。
こんな感じで獲れる。
投網は難しいのか、ほとんど獲れない人もいる。 この人は、いっぱい。
小さいのは、せいご。 大きいのは、ふっこ。 どっちも、スズキの小さい時の名前だと教えてくれた。
これは、シタビラメって言ってた。 教えてくれた人が、舌を指差したので、漢字では舌平目かな。
北方面。 日本で最初に地曳網が行われたのは、こことあった。 イワシを獲った。
南はこう。 広い砂浜。 海水浴はこれからなのか、お店などの準備をしていた。
夏に、多くの若者がこの浜で楽しむ。 「想い出の九十九里浜」の歌の雰囲気になるのか。
※ クリックしたら流れます。
この歌の作詞は、長門大幸。 音楽プロデューサーの仕事もしている。
坂井泉水をZARDとしてデビューさせたのは、この人。 大黒摩季や倉木麻衣も。
作曲は、織田哲郎。
坂井泉水の、「眠れない夜を抱いて」「負けないで」「揺れる想い」は、この人の作曲。
たくさんの人で賑わっている風景を想像して、しばらく、遠く続く砂浜を見ていた。
投網を撮影させてもらった。
上手な人は、このように、大きな円が出来る。
引っ張り上げたら、魚が逃げられない仕組みになっている。 理解するのがむずかしい。
この後、東金市に向かった。 ※ 東金~とうがね
「北の岬」にコメントをくれた、Kさんの家に。
Kさんは、秋田県庁を退職されて、この町に一人で住んでいた。
大学に入る前、雄武町で少し働いたことがあった。 興浜南線を作る仕事。 測量。
※ 雄武町・・・私もいたことがあった。 「北の岬」の舞台の日ノ出岬がある。 ここです。
夜、外で食事をごちそうになり、秋田、歌、雄武のことなどを話した。
森坊丸についても、聞いた。
Kさんは、森坊丸の子孫だという。
家系図が、直系の方の家にあるそう。 ※ 直系の方は、信州大医学部に。 19代目。
森坊丸は、森蘭丸の弟で、本能寺の変で討ち死にしたと言われている。
どうして子孫がいるかだが、当時は、若くして結婚することもあった。
また、森坊丸には、生存説がある。 森坊丸(Wikipedia)
歌手の小柳ルミ子も、子孫。 15代目で、別れている。 直系と同じ苗字。
Kさんは秋田にいたが、ルミ子の両親も秋田にいた。(県の北部)
父親がいなくなった。 母親は、父親を探して福岡に行った。 ルミ子は、そこで生まれた。
下の絵は、兄の森蘭丸のもの。 坊丸のが見つからない。
来年の大河ドラマは、江〜姫たちの戦国〜。
その中で、森三兄弟が登場する。 後一人は、弟の力丸。
坊丸を演じるのは、染谷将太(そめたにしょうた)。
来年の大河物語は楽しみ。 きっと見るでしょうね。
※ 森一族は、初め、美濃の斉藤道三に仕えていた。 その後信長に。
もし、詳しく知りたい方は、ここに載っています。
遅くまで楽しく話した。
いつかKさんと、オホーツクを、車で走りたいと思った。
九十九里浜は、長く、広い砂浜だった。
月の沙漠には、ならないが。
【停泊場所】 Kさんの敷地内に。 電気を借りている。 東金市。
【明日の予定】 東金市の見晴らしのいい所に。 Kさんが案内してくれる。
その後、銚子の方に。
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それも、港がなく、家並みは海から離れていた。
天気が悪かったので、想い出の九十九里浜の感じでは、なかったけど。
来年の大河ドラマに、森3兄弟が登場します。
2番目は、森坊丸。 すこし、面白い話しがある。
九十九里浜に何があるわけではないが、見ることに。
途中「やすらぎの森」という施設に寄ったが、閉園中だった。 その向かいにあった、レンコン畑。 山は低くなった。

花が少しだけ。

海まで数㌔。 小さな山もなくなった。 道は広い。

海岸沿いに有料道路があるので、走ってみた。

九十九里浜は、ここの数㌔右から始まっている。 全長66㎞。

※ 源頼朝の命で6町を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるそう。
昔の1町は、109㍍。 1里は、654㍍。 99里だと、64.7㎞になる。 66㎞に近い。
どこまで行っても、この風景。

海は見えるが、海に行く道がない。 有料道路から出た。

白子海岸。 南白亀川の河口。 投網をしている人がいる。 ここです。

こんな感じで獲れる。

投網は難しいのか、ほとんど獲れない人もいる。 この人は、いっぱい。
小さいのは、せいご。 大きいのは、ふっこ。 どっちも、スズキの小さい時の名前だと教えてくれた。

これは、シタビラメって言ってた。 教えてくれた人が、舌を指差したので、漢字では舌平目かな。

北方面。 日本で最初に地曳網が行われたのは、こことあった。 イワシを獲った。

南はこう。 広い砂浜。 海水浴はこれからなのか、お店などの準備をしていた。

夏に、多くの若者がこの浜で楽しむ。 「想い出の九十九里浜」の歌の雰囲気になるのか。
※ クリックしたら流れます。

この歌の作詞は、長門大幸。 音楽プロデューサーの仕事もしている。
坂井泉水をZARDとしてデビューさせたのは、この人。 大黒摩季や倉木麻衣も。
作曲は、織田哲郎。
坂井泉水の、「眠れない夜を抱いて」「負けないで」「揺れる想い」は、この人の作曲。
たくさんの人で賑わっている風景を想像して、しばらく、遠く続く砂浜を見ていた。
投網を撮影させてもらった。





上手な人は、このように、大きな円が出来る。

引っ張り上げたら、魚が逃げられない仕組みになっている。 理解するのがむずかしい。
この後、東金市に向かった。 ※ 東金~とうがね
「北の岬」にコメントをくれた、Kさんの家に。
Kさんは、秋田県庁を退職されて、この町に一人で住んでいた。
大学に入る前、雄武町で少し働いたことがあった。 興浜南線を作る仕事。 測量。
※ 雄武町・・・私もいたことがあった。 「北の岬」の舞台の日ノ出岬がある。 ここです。
夜、外で食事をごちそうになり、秋田、歌、雄武のことなどを話した。
森坊丸についても、聞いた。
Kさんは、森坊丸の子孫だという。
家系図が、直系の方の家にあるそう。 ※ 直系の方は、信州大医学部に。 19代目。
森坊丸は、森蘭丸の弟で、本能寺の変で討ち死にしたと言われている。
どうして子孫がいるかだが、当時は、若くして結婚することもあった。
また、森坊丸には、生存説がある。 森坊丸(Wikipedia)
歌手の小柳ルミ子も、子孫。 15代目で、別れている。 直系と同じ苗字。
Kさんは秋田にいたが、ルミ子の両親も秋田にいた。(県の北部)
父親がいなくなった。 母親は、父親を探して福岡に行った。 ルミ子は、そこで生まれた。
下の絵は、兄の森蘭丸のもの。 坊丸のが見つからない。

来年の大河ドラマは、江〜姫たちの戦国〜。
その中で、森三兄弟が登場する。 後一人は、弟の力丸。
坊丸を演じるのは、染谷将太(そめたにしょうた)。

来年の大河物語は楽しみ。 きっと見るでしょうね。
※ 森一族は、初め、美濃の斉藤道三に仕えていた。 その後信長に。
もし、詳しく知りたい方は、ここに載っています。
遅くまで楽しく話した。
いつかKさんと、オホーツクを、車で走りたいと思った。
九十九里浜は、長く、広い砂浜だった。
月の沙漠には、ならないが。
【停泊場所】 Kさんの敷地内に。 電気を借りている。 東金市。
【明日の予定】 東金市の見晴らしのいい所に。 Kさんが案内してくれる。
その後、銚子の方に。
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月の沙漠の作詞者は、加藤まさを。
詩は、御宿の砂浜の風景から発想して、書いた。
ただ、正確には、発想の中心が、御宿の砂浜という感じ。
※ 生まれ故郷の藤枝市にも、砂浜はある。
御宿町が、月の沙漠記念館を作ってくれたので、歌の舞台はここでいいでしょう、となった。
まとめると、そういうところ。 ※ 御宿町~おんじゅくまち
御宿町の海岸は、広い砂浜だった。 海までが遠く感じた。
少し高くした所に、旅のラクダの像があった。 場所はここ。
綺麗な砂浜だ。 月の沙漠なので、月のモニュメントも。
鞍(くら)は金と銀。 ※ 男が金の鞍。
金の鞍には、金の甕(かめ)が、紐で結んである。
いい像だなって感じた。 何がいいのか。
1 月の沙漠をはるばると
旅の駱駝(らくだ)がゆきました
金と銀との鞍(くら)置いて
二つならんでゆきました
2 金の鞍には銀の甕(かめ)
銀の鞍には金の甕
二つの甕はそれぞれに
紐(ひも)で結んでありました
3 さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人はおそろいの
白い上衣(うわぎ)を着てました
4 広い沙漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる月の夜を
対(つい)の駱駝はとぼとぼと
砂丘を越えてゆきました
黙って越えてゆきました
海岸の砂浜なので、「砂漠」でな、「沙漠」にしたそう。
※ 沙には砂浜の意味があるという。 沙は水と関係がありそう。 乾ききっていない。
いい表情ですね。 遠くを見ている。 口元に、何かの決意を感じる。
像の作者は、「月の沙漠」の詩を何回も読んで、自分なりの理解をした。
作者の加藤まさをとも、解釈について、きっと話した。
その結果、この二人の表情が生まれた。 ※ 野麦峠の像も、こうやって作ってくれたら、よかった。
二人の表情から、心の中が、色々想像できる。 だから、いい像だと思う。
黄色の花が咲いていた。 月見草(オオマツヨイグサ)と思う。 ※ 太宰の月見草については、ここに。
月の沙漠記念館が、川と道をはさんで、あった。 ※ 3枚目の写真に小さく写っている。
この絵は、作詞者の加藤まさをが、月の沙漠のイメージを描いたもの。
加藤まさをは、画家でもあった。 竹久夢二の絵に似ている。 大正ロマンというか。
この人の詩や絵の中に、月と砂丘が、しょっちゅう出てくる。
頭の中には、いつもその風景があった。
だから、月の沙漠の歌詞も、その風景の中から生まれた。
下の文の花も、絵の花も、月見草だと思う。 月草、夕月色とある。
加藤まさをは、学生時代に結核を患った。 保養のために訪れたのが、ここ御宿海岸。
作詞した頃、とありますね。 美女に囲まれている。 ※ 月の沙漠姫かな。 募集して。
詩人画家と紹介している。
下の方に、童謡画集「合歓(ねむ)の揺藍」とある。 ※ 揺藍(ようらん)は、ゆりかごのことですね。
※ 今日、この後、合歓の花を、初めて見ることになる。
晩年、御宿町に移り住んだ。 記念館を作ってくれたことは、うれしかったのかな。
ただ、次の年に亡くなる。(1977年)
漁村の砂浜という題。 こんな絵が多い。
この絵は、下の詩とセット。
頭の中は、いつも、月の沙漠だった。 そんな感じがする。
こんな絵も。 夢二のような、強烈な個性はない。
最初に発売したレコード。 ジャケットの原画も。
この音源を探したが、見つからない。 歌っているのは、松島詩子。
作曲者の、佐々木すぐる。 このメロディを考えた功績は大きい。
こんなことを思うかな。
詩がどれだけ良くても、メロディがダメなら、ヒットはしない。
でも、詩がダメでも、メロディが良ければ、ヒットの可能性がある。
山の中にある、養老渓谷を見に行った。 そこは、深い谷底だった。 この辺り。
栗又の滝が見えた。
遊歩道でない道で、谷に下りた。 道が荒れてて、大変だった。 笹につかまったりして。
ここに下りた。
遊歩道は、川の向こう。 浅い所を渡った。 ※ トレッキングシューズに、水は入らなかった。
こんな感じ。
小さな滝があったり。 川底は、岩。 凝灰岩だから硬くない。
魚はいっぱい。 水はきれいでない。 だから、ヤマメとかはいない。
30分ほど歩いても、風景が変わらないので、ここで戻った。
帰りは、何かを探しながら歩いた。
普通のカエルか。
初めて見る。 モリアオガエルの卵。 下の水がある。 これが、特徴。
泡の中に卵が。
悪いけど、見させてもらった。 オタマジャクシになったら、ポチョンと、下に落ちる。
カニさん。 そして、アマガエル。 ※ 目の近くに黒い模様がある。 これが特徴。 モリアオガエルにはない。
モリアオガエル。(Wikipediaより)
栗又の滝。 岩肌を滑るように流れてる。
滝を見て、谷の上に出たら、ホテルとかがある。 駐車場が有料なので、離れた場所に停めた。
何の花かと思って、車を停めた。
合歓の花だった。 いい花だ。 ※ 関連ブログ 「象潟や 雨に西施が ねぶの花」
御宿町は、像と記念館を作った。 このことは、大きかった。
今は、御宿海岸がの砂浜が、月の沙漠の発祥の地と認められている。
ラクダに乗った二人は、どこに行くのでしょうね。
きっと、山の向こうに、幸せをつかみに行く。
二人の表情から、そう思うでしょうか。
【道の駅】 たけゆらの里おおたき ここです。
【明日の予定】 九十九里浜に行きます。 晩に、東金市で人に会います。
【今日の歌】 月の沙漠(YouTube) 何曲か載せます。
小鳩くるみ 山崎ハコ 井上陽水 ※ 月の沙漠異聞(お遊び)
演奏だけ(二木紘三のうた物語) 解説と感想があります。
月見草の花(YouTube) 山崎ハコ 月の滴で咲くと言ってる。
月見草の花(エムズの片割れ) 土居裕子 澄み切った声。
月見層の花(二木紘三のうた物語) 演奏です。
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詩は、御宿の砂浜の風景から発想して、書いた。
ただ、正確には、発想の中心が、御宿の砂浜という感じ。
※ 生まれ故郷の藤枝市にも、砂浜はある。
御宿町が、月の沙漠記念館を作ってくれたので、歌の舞台はここでいいでしょう、となった。
まとめると、そういうところ。 ※ 御宿町~おんじゅくまち
御宿町の海岸は、広い砂浜だった。 海までが遠く感じた。
少し高くした所に、旅のラクダの像があった。 場所はここ。

綺麗な砂浜だ。 月の沙漠なので、月のモニュメントも。


鞍(くら)は金と銀。 ※ 男が金の鞍。
金の鞍には、金の甕(かめ)が、紐で結んである。
いい像だなって感じた。 何がいいのか。

1 月の沙漠をはるばると
旅の駱駝(らくだ)がゆきました
金と銀との鞍(くら)置いて
二つならんでゆきました
2 金の鞍には銀の甕(かめ)
銀の鞍には金の甕
二つの甕はそれぞれに
紐(ひも)で結んでありました
3 さきの鞍には王子様
あとの鞍にはお姫様
乗った二人はおそろいの
白い上衣(うわぎ)を着てました
4 広い沙漠をひとすじに
二人はどこへゆくのでしょう
朧(おぼろ)にけぶる月の夜を
対(つい)の駱駝はとぼとぼと
砂丘を越えてゆきました
黙って越えてゆきました

海岸の砂浜なので、「砂漠」でな、「沙漠」にしたそう。
※ 沙には砂浜の意味があるという。 沙は水と関係がありそう。 乾ききっていない。
いい表情ですね。 遠くを見ている。 口元に、何かの決意を感じる。

像の作者は、「月の沙漠」の詩を何回も読んで、自分なりの理解をした。
作者の加藤まさをとも、解釈について、きっと話した。
その結果、この二人の表情が生まれた。 ※ 野麦峠の像も、こうやって作ってくれたら、よかった。

二人の表情から、心の中が、色々想像できる。 だから、いい像だと思う。
黄色の花が咲いていた。 月見草(オオマツヨイグサ)と思う。 ※ 太宰の月見草については、ここに。

月の沙漠記念館が、川と道をはさんで、あった。 ※ 3枚目の写真に小さく写っている。



この絵は、作詞者の加藤まさをが、月の沙漠のイメージを描いたもの。

加藤まさをは、画家でもあった。 竹久夢二の絵に似ている。 大正ロマンというか。

この人の詩や絵の中に、月と砂丘が、しょっちゅう出てくる。
頭の中には、いつもその風景があった。
だから、月の沙漠の歌詞も、その風景の中から生まれた。

下の文の花も、絵の花も、月見草だと思う。 月草、夕月色とある。

加藤まさをは、学生時代に結核を患った。 保養のために訪れたのが、ここ御宿海岸。

作詞した頃、とありますね。 美女に囲まれている。 ※ 月の沙漠姫かな。 募集して。

詩人画家と紹介している。
下の方に、童謡画集「合歓(ねむ)の揺藍」とある。 ※ 揺藍(ようらん)は、ゆりかごのことですね。
※ 今日、この後、合歓の花を、初めて見ることになる。

晩年、御宿町に移り住んだ。 記念館を作ってくれたことは、うれしかったのかな。
ただ、次の年に亡くなる。(1977年)

漁村の砂浜という題。 こんな絵が多い。

この絵は、下の詩とセット。

頭の中は、いつも、月の沙漠だった。 そんな感じがする。

こんな絵も。 夢二のような、強烈な個性はない。


最初に発売したレコード。 ジャケットの原画も。
この音源を探したが、見つからない。 歌っているのは、松島詩子。

作曲者の、佐々木すぐる。 このメロディを考えた功績は大きい。
こんなことを思うかな。
詩がどれだけ良くても、メロディがダメなら、ヒットはしない。
でも、詩がダメでも、メロディが良ければ、ヒットの可能性がある。

山の中にある、養老渓谷を見に行った。 そこは、深い谷底だった。 この辺り。

栗又の滝が見えた。

遊歩道でない道で、谷に下りた。 道が荒れてて、大変だった。 笹につかまったりして。
ここに下りた。
遊歩道は、川の向こう。 浅い所を渡った。 ※ トレッキングシューズに、水は入らなかった。

こんな感じ。

小さな滝があったり。 川底は、岩。 凝灰岩だから硬くない。


魚はいっぱい。 水はきれいでない。 だから、ヤマメとかはいない。

30分ほど歩いても、風景が変わらないので、ここで戻った。

帰りは、何かを探しながら歩いた。

普通のカエルか。

初めて見る。 モリアオガエルの卵。 下の水がある。 これが、特徴。

泡の中に卵が。

悪いけど、見させてもらった。 オタマジャクシになったら、ポチョンと、下に落ちる。

カニさん。 そして、アマガエル。 ※ 目の近くに黒い模様がある。 これが特徴。 モリアオガエルにはない。


モリアオガエル。(Wikipediaより)


栗又の滝。 岩肌を滑るように流れてる。

滝を見て、谷の上に出たら、ホテルとかがある。 駐車場が有料なので、離れた場所に停めた。



何の花かと思って、車を停めた。

合歓の花だった。 いい花だ。 ※ 関連ブログ 「象潟や 雨に西施が ねぶの花」

御宿町は、像と記念館を作った。 このことは、大きかった。
今は、御宿海岸がの砂浜が、月の沙漠の発祥の地と認められている。
ラクダに乗った二人は、どこに行くのでしょうね。
きっと、山の向こうに、幸せをつかみに行く。
二人の表情から、そう思うでしょうか。
【道の駅】 たけゆらの里おおたき ここです。
【明日の予定】 九十九里浜に行きます。 晩に、東金市で人に会います。
【今日の歌】 月の沙漠(YouTube) 何曲か載せます。
小鳩くるみ 山崎ハコ 井上陽水 ※ 月の沙漠異聞(お遊び)
演奏だけ(二木紘三のうた物語) 解説と感想があります。
月見草の花(YouTube) 山崎ハコ 月の滴で咲くと言ってる。
月見草の花(エムズの片割れ) 土居裕子 澄み切った声。
月見層の花(二木紘三のうた物語) 演奏です。
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1180年、頼朝は伊豆の近くの石橋山の戦いで負けた。
逃げる時、まとまっていたら見つかりやすいので、小さなグループに分かれて逃げた。
伊豆から、安房の地に渡った。
そして、一晩、身を隠した場所が、仁右衛門島の洞窟と言われている。
(信ぴょう性は、どのくらいあるのか、確認が必要ですね)
海岸沿いの道は、房総フラワーラインとなっている。 その道を北上。
花は、どこにもない。
ここは、道の駅ちくら・潮風王国。 隣が花畑なので、寄った。
花は見つからない。 こんな、岩場の海岸が多い。
道の駅で、魚が売っていた。
干したのを7枚くらい買った。 アジとサンマともう一つ。 少し傷があったので、まとめて、350円。
※ 晩に、フライパンで焼いて、酢醤油に浸けて食べた。 サンマは骨も食べられた。
※ 車の中で火を使う時は、エンジンをかけて、エアコンを使わないと、暑い。
ローズマリー公園。 花があったのは、ここだけ。 ヨーロッパ風の庭園だった。
道の駅、鴨川オーシャンパーク。 変わった建物。 今は、ここの駐車場に。
仁右衛門島に向かって歩いている。
車は、この後行く、太海(ふとみ)フラワーセンターに。
※ 両方見ても、値段がたいして変わらないので、両方にした。
鰹節に見えた。 干している。 ネコやカラスに食べられないのか。
仁右衛門島には、この船で渡る。 二人で漕ぐ。 島と言っても、目の前だった。 小さい。
源頼朝が、戦いに負けてこの地に逃げてきた。 この地でも襲われた。
島の住人 平野仁右衛門は、頼朝を島に案内した。 頼朝は洞窟に一晩身を隠した。 助かった。
こんな話があったので、この島に来た。
この話について調べてみたら、信ぴょう性が高いことが分かったので、簡単に書いていきますね。
1180年、頼朝は伊豆の近くの石橋山で、平氏方と戦った。 負けて逃げることになる。
兵がまとまっていると目立つので、小さなグループに分かれて逃げる。
頼朝は、熱海の少し北の真鶴崎から海を渡って、房総半島の鋸南町竜島に上陸する。 (今の住所で) ※ 上陸地点はここ。
※ 地図の左の方に、真鶴が見える。
5分ほどで、着く。
頼朝は伊豆で逃げてる時、こんなことがあった。
平家方に、梶原景時という武士がいた。 この人は、頼朝の居場所を知っていた。
でも、これを隠し、向こうの山が怪しいと、味方の軍を頼朝から遠ざけた。
※ 義経も、敵から情けをもらったことがある。 似ている。 人間的な魅力があったのか。
※ 梶原景時は、義経のことを悪く頼朝に伝えた人間だ。 思い出した。 それがなかったら、義経は死ななかった。
島の周囲は、4㎞。 昔から、平野家しか住んでいない。
島の上の方に道はあった。 花は植えたもの。(調べて分かった)
芭蕉の句碑があった。 「海暮て 鴨の声 ほの可尓 白し」 ※ ほの可尓~ほのかに
この句は、1684年の12月に、名古屋の熱田で作られたものだった。
野ざらし紀行にある。 どうしてここにあるかは、?
芭蕉でなく、者世越(はせを)とあった。 芭蕉のことだそう。
真っ直ぐ行ったら、海に出そう。
小さな神社があった。 島に1軒しか家はないのに。
蓬(よもぎ)島弁財天とあった。 昔、この島は蓬島と呼ばれていた。
この港を、右の方から渡ってきた。
※ 平野家の子どもたちは、海が荒れたら、学校は休み。 皆勤賞はもらえなかったそう。
岩が亀に見えたので、パンフレットを見た。 そうしたら、亀岩となっていた。
山の頂上に、平野仁右衛門さんの家はあった。 風が強いから、このように。
家は、1704年に建てなおした。 その前は、山の下にあったが、津波で流された。
奥の庭。 推定樹齢600年だという、蘇鉄の木があった。
池に水があった。 山の上なのに水はどうして? 聞けばよかった。
正面に戻って、中はこう。 今も、住んでいる。
津波で壊れた家の材料も使った。 それで、こんな継足しが。
説明してくれたのは、この方。 平野家の奥様。
何でも知っていた。 聡明な方だった。
お礼を言って、別の門から出る時、北海道から来たんですよと、最後に言った。
そうしたら、「紋別郡は知らないだろうか」と言った。
そこは、私の守備範囲だ。
奥様のお姉さまの旦那さんが、鴻之舞(こうのまい) 金山で働いていたという。 ※ 金山は、1973年に閉山。
私がいた上渚滑から、車で30分かからない。
また戻って、しばらく話した。
※「銀色の道」という懐かしい歌があるが、この歌の舞台は、鴻之舞。
銀色の道(YouTube) 関連ブログ 銀色の道 初期の頃のブログは、こんなの。
山を下りた。
この先の所で、日蓮が旭を拝したとあった。 ※ 旭は、朝日というより太陽のことか。
そこからの風景。
下の右の方に、頼朝が隠れた洞窟がある。
頼朝は、房総半島に上陸して、この島の近くにやってきた。
それは、鴨川近くの貝渚(かいすか)という所。 ここです。 下に島が見える。
そこに、止宿しているところを、長狭六郎常伴(ながさろくろうつねとも)の兵が、夜襲をかけてきた。
その時、平野仁右衛門が頼朝を、この島にかくまった。
こんな内容。 その後頼朝は、再起し鎌倉へ進軍し、12年後鎌倉幕府を開く。
奥の赤い扉の向こうに、穴がある。 そこに身を潜めた。
馬蹄石。 馬の蹄の跡が残っているという。 こんなのは色んな土地にあって、もちろん伝説。 石は硬すぎる。
船を漕(こ)ぐ人と話した。
いい仕事だねと言ったら、大変なんだよ、と言った。
ちょっと漕いだら、向こうに着くでしょ、と言った。
知らない人は、これだもな、って顔をして、手を見せてくれた。
失礼なことを言った。 手は、豆だらけだった。
カメラを向けたから、この顔ではない。 元々。 いい顔だ。 この道40年だったかな。
この道を戻った。 これが、こっちの港の雰囲気。
中央の人に話しかけた。 とうさん、何を見てるの、って。
霧が濃いんだよね、って言った。 梅雨に入って、毎日これだ。
太海(ふとみ)フラワー磯釣りセンター。
こんな感じと、温室が。
バラが咲いていた。 ここは、花を育てて売っている。
カーネーションの赤は、独特。 いい。
ハイビスカスもあった。
いいですね。
サボテンも。
何とも言えない色。
細いサボテン。
ここで魚を釣って遊んだ。 釣ったら放す。 ※ 持ち帰ることも出来る。
ウマヅラハギかな。 「イテテテテ!」って、顔をした。
ここを通って戻った。
この島の、頼朝に関わることは、いろんな資料に出てきた。 ※ この島で作った資料以外で。
頼朝がこの島で助けられた可能性は、十分にありますね。
こんな話が残っている。 平野仁右衛門氏の文より。 少し出来過ぎと、本人も。
頼朝は、助けてもらったお礼を考えた。
褒美は「安房一国」でどうか、と頼朝は言った。
だが、仁右衛門は、「粟一石」と勘違いし、それよりも漁業権が欲しい、と言った。
結果、漁業権が与えられた。
頼朝にとっては、人生最大のピンチの一つ、だったのでしょうね。
※ 関連ブログ 家康の危機一髪
【道の駅】 鴨川オーシャンパーク
【明日の予定】 「月の沙漠」の舞台になった地がある。 そこを見て、内陸に入るか。
【今日の歌】 J(YouTube) 韓国で俳優が亡くなりましたね。 二人の歌手が歌っている。 どっちもいい。
この曲は平成15年のもの。 上手に歌う人に出会ったことがある。 忘れられない。
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逃げる時、まとまっていたら見つかりやすいので、小さなグループに分かれて逃げた。
伊豆から、安房の地に渡った。
そして、一晩、身を隠した場所が、仁右衛門島の洞窟と言われている。
(信ぴょう性は、どのくらいあるのか、確認が必要ですね)
海岸沿いの道は、房総フラワーラインとなっている。 その道を北上。
花は、どこにもない。
ここは、道の駅ちくら・潮風王国。 隣が花畑なので、寄った。

花は見つからない。 こんな、岩場の海岸が多い。
道の駅で、魚が売っていた。
干したのを7枚くらい買った。 アジとサンマともう一つ。 少し傷があったので、まとめて、350円。
※ 晩に、フライパンで焼いて、酢醤油に浸けて食べた。 サンマは骨も食べられた。
※ 車の中で火を使う時は、エンジンをかけて、エアコンを使わないと、暑い。

ローズマリー公園。 花があったのは、ここだけ。 ヨーロッパ風の庭園だった。

道の駅、鴨川オーシャンパーク。 変わった建物。 今は、ここの駐車場に。

仁右衛門島に向かって歩いている。
車は、この後行く、太海(ふとみ)フラワーセンターに。
※ 両方見ても、値段がたいして変わらないので、両方にした。

鰹節に見えた。 干している。 ネコやカラスに食べられないのか。


仁右衛門島には、この船で渡る。 二人で漕ぐ。 島と言っても、目の前だった。 小さい。

源頼朝が、戦いに負けてこの地に逃げてきた。 この地でも襲われた。
島の住人 平野仁右衛門は、頼朝を島に案内した。 頼朝は洞窟に一晩身を隠した。 助かった。
こんな話があったので、この島に来た。

この話について調べてみたら、信ぴょう性が高いことが分かったので、簡単に書いていきますね。
1180年、頼朝は伊豆の近くの石橋山で、平氏方と戦った。 負けて逃げることになる。
兵がまとまっていると目立つので、小さなグループに分かれて逃げる。
頼朝は、熱海の少し北の真鶴崎から海を渡って、房総半島の鋸南町竜島に上陸する。 (今の住所で) ※ 上陸地点はここ。
※ 地図の左の方に、真鶴が見える。
5分ほどで、着く。

頼朝は伊豆で逃げてる時、こんなことがあった。
平家方に、梶原景時という武士がいた。 この人は、頼朝の居場所を知っていた。
でも、これを隠し、向こうの山が怪しいと、味方の軍を頼朝から遠ざけた。
※ 義経も、敵から情けをもらったことがある。 似ている。 人間的な魅力があったのか。
※ 梶原景時は、義経のことを悪く頼朝に伝えた人間だ。 思い出した。 それがなかったら、義経は死ななかった。
島の周囲は、4㎞。 昔から、平野家しか住んでいない。


島の上の方に道はあった。 花は植えたもの。(調べて分かった)

芭蕉の句碑があった。 「海暮て 鴨の声 ほの可尓 白し」 ※ ほの可尓~ほのかに
この句は、1684年の12月に、名古屋の熱田で作られたものだった。
野ざらし紀行にある。 どうしてここにあるかは、?
芭蕉でなく、者世越(はせを)とあった。 芭蕉のことだそう。

真っ直ぐ行ったら、海に出そう。

小さな神社があった。 島に1軒しか家はないのに。
蓬(よもぎ)島弁財天とあった。 昔、この島は蓬島と呼ばれていた。

この港を、右の方から渡ってきた。
※ 平野家の子どもたちは、海が荒れたら、学校は休み。 皆勤賞はもらえなかったそう。

岩が亀に見えたので、パンフレットを見た。 そうしたら、亀岩となっていた。

山の頂上に、平野仁右衛門さんの家はあった。 風が強いから、このように。

家は、1704年に建てなおした。 その前は、山の下にあったが、津波で流された。

奥の庭。 推定樹齢600年だという、蘇鉄の木があった。
池に水があった。 山の上なのに水はどうして? 聞けばよかった。

正面に戻って、中はこう。 今も、住んでいる。

津波で壊れた家の材料も使った。 それで、こんな継足しが。

説明してくれたのは、この方。 平野家の奥様。
何でも知っていた。 聡明な方だった。

お礼を言って、別の門から出る時、北海道から来たんですよと、最後に言った。
そうしたら、「紋別郡は知らないだろうか」と言った。
そこは、私の守備範囲だ。
奥様のお姉さまの旦那さんが、鴻之舞(こうのまい) 金山で働いていたという。 ※ 金山は、1973年に閉山。
私がいた上渚滑から、車で30分かからない。
また戻って、しばらく話した。
※「銀色の道」という懐かしい歌があるが、この歌の舞台は、鴻之舞。
銀色の道(YouTube) 関連ブログ 銀色の道 初期の頃のブログは、こんなの。
山を下りた。

この先の所で、日蓮が旭を拝したとあった。 ※ 旭は、朝日というより太陽のことか。

そこからの風景。

下の右の方に、頼朝が隠れた洞窟がある。

頼朝は、房総半島に上陸して、この島の近くにやってきた。
それは、鴨川近くの貝渚(かいすか)という所。 ここです。 下に島が見える。
そこに、止宿しているところを、長狭六郎常伴(ながさろくろうつねとも)の兵が、夜襲をかけてきた。
その時、平野仁右衛門が頼朝を、この島にかくまった。
こんな内容。 その後頼朝は、再起し鎌倉へ進軍し、12年後鎌倉幕府を開く。

奥の赤い扉の向こうに、穴がある。 そこに身を潜めた。

馬蹄石。 馬の蹄の跡が残っているという。 こんなのは色んな土地にあって、もちろん伝説。 石は硬すぎる。


船を漕(こ)ぐ人と話した。
いい仕事だねと言ったら、大変なんだよ、と言った。
ちょっと漕いだら、向こうに着くでしょ、と言った。
知らない人は、これだもな、って顔をして、手を見せてくれた。
失礼なことを言った。 手は、豆だらけだった。

カメラを向けたから、この顔ではない。 元々。 いい顔だ。 この道40年だったかな。

この道を戻った。 これが、こっちの港の雰囲気。
中央の人に話しかけた。 とうさん、何を見てるの、って。
霧が濃いんだよね、って言った。 梅雨に入って、毎日これだ。

太海(ふとみ)フラワー磯釣りセンター。

こんな感じと、温室が。

バラが咲いていた。 ここは、花を育てて売っている。


カーネーションの赤は、独特。 いい。

ハイビスカスもあった。


いいですね。

サボテンも。

何とも言えない色。

細いサボテン。

ここで魚を釣って遊んだ。 釣ったら放す。 ※ 持ち帰ることも出来る。


ウマヅラハギかな。 「イテテテテ!」って、顔をした。

ここを通って戻った。

この島の、頼朝に関わることは、いろんな資料に出てきた。 ※ この島で作った資料以外で。
頼朝がこの島で助けられた可能性は、十分にありますね。
こんな話が残っている。 平野仁右衛門氏の文より。 少し出来過ぎと、本人も。
頼朝は、助けてもらったお礼を考えた。
褒美は「安房一国」でどうか、と頼朝は言った。
だが、仁右衛門は、「粟一石」と勘違いし、それよりも漁業権が欲しい、と言った。
結果、漁業権が与えられた。
頼朝にとっては、人生最大のピンチの一つ、だったのでしょうね。
※ 関連ブログ 家康の危機一髪
【道の駅】 鴨川オーシャンパーク
【明日の予定】 「月の沙漠」の舞台になった地がある。 そこを見て、内陸に入るか。
【今日の歌】 J(YouTube) 韓国で俳優が亡くなりましたね。 二人の歌手が歌っている。 どっちもいい。
この曲は平成15年のもの。 上手に歌う人に出会ったことがある。 忘れられない。
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南房パラダイスは、道の駅にあるので、一日のんびりできた。
退屈しない所ではあったが、圧倒される美しさは無かった。
房総半島の南部には、花の公園が多い。 ※ 私の情報誌に7ヶ所。
特徴は、冬にも花が多いこと。
南房パラダイスは、入場料が高かったので、他よりいいのかなと思った。
入り口の建物と、中の様子。
何か問題があるのかと聞かれれば、ある。 大きな問題が。
見学者がいない(少ない)。 今日は日曜日なのに。
花がないので、写真を大きく出来ない。 花を見つけて、花だけ撮るしかない。
温室は、たくさんあった。 ハイビスカスが、いい状態で咲いていた。
ハイビスカスの園芸種は、種類が多い。
名前は、記録しなかった。
真中から、めしべとかが飛び出しているのが、この花の特徴でしょうか。
あと1カ所よかったのは、ブーゲンビリア。 この温室。 たくさん咲いていた。
ただ、全体はデザインされているが、雑然とした感じ。
葉っぱが見えてるのですが、いい花ですね。
この花には、冬に九州で楽しませてもらった。 最初に見た時の写真は、これかな。 感動した。 日南海岸で。
大きな温室。 瀧が流れていた。 花は少ない時期なのか、ほとんどない。 工夫は無く、そのまま。
探すと何かがあるから、少しは楽しめる。
バナナの先っぽは、花?
小さな花だったでしょうか。
温室の中に、鳥がいた。
頭の羽も、赤い目も、魅力的。
北海道の上富良野や美瑛の花畑は、裏切られることはない。 夏の間は、大きな観光地になる。
今回のような、フラワーパークでいい所は、滅多にない。
10か所以上見てきたが、良かったのは、2か所だけ。 紹介しますね。
ベスト1は、伊豆の「らんの里」。 文句なしです。
その次に良かったのは、フラワーパーク、鹿児島。 正月に行った。 ここは、県立。
チョウを飼ってる温室があった。
ツマベニチョウ。 シロチョウの仲間で、一番大きいとあった。
寿命は、14日間。 こんなに短いとは、知らなかった。
オオムラサキ。 国蝶になっているんですね。
羽を閉じたらこう。 紫色は、表側だけですね。 きれいです。
モンシロチョウが、さなぎから出ようとしている。 ゆっくり。
これは、出たばかり。 羽が少しずつ開いている。
これは、オオゴマダラ。 フラワーパーク鹿児島で見た。 ※ 上の方でリンクしてある。
さなぎは黄金。 これが特徴。
ランの温室。 ちゃんと咲いてない。
このランだけは、良かったかな。
外に、こんな花が。
上の写真の小さい花。
花のアップの写真は、マクロレンズで撮った。 実は、練習していた。
カメラの設定を変えて撮ったので、失敗した写真も多かった。
「絞り」の意味が、何となく分かってきた。 失敗を少なくするコツも。
カメラを2台ぶら下げてるから、少し大変。
でも、山に登る時のリュックはもっと重いから、それに比べたら楽。
エミューって言う鳥ですね。 ダチョウよりは小さい。
寄ってきた。 この顔だけど、人なつっこい。
インコが腕にのった。 手に持ってるのは、エサ。 甘い汁。
この人が世話係り。 大きなインコは、45年くらい生きるそう。 小さくなると、数年。
※ 動物は、一生の間に動かせる心臓の回数は、決まってるそうですね。
小さな動物は速いから、寿命が短い。
大きな動物は、心臓がゆっくり動くので、長生きする。
どっかで聞いた話なので、信ぴょう性は?
見晴らし台から眺めた。
こっちが、入り口。
海を見に行った。 サーフィンをしていた。
波に乗った。
こうです。 どのくらい練習したら、乗れるのでしょう。
花の状態は良くなかったが、まあまあ楽しく過ごせた。
その理由は、働いている人たちの感じがとても良かったこと。
みんな親切で、明るかった。
【道の駅】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 太平洋側を北上します。
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退屈しない所ではあったが、圧倒される美しさは無かった。
房総半島の南部には、花の公園が多い。 ※ 私の情報誌に7ヶ所。
特徴は、冬にも花が多いこと。
南房パラダイスは、入場料が高かったので、他よりいいのかなと思った。
入り口の建物と、中の様子。
何か問題があるのかと聞かれれば、ある。 大きな問題が。
見学者がいない(少ない)。 今日は日曜日なのに。



花がないので、写真を大きく出来ない。 花を見つけて、花だけ撮るしかない。



温室は、たくさんあった。 ハイビスカスが、いい状態で咲いていた。

ハイビスカスの園芸種は、種類が多い。


名前は、記録しなかった。

真中から、めしべとかが飛び出しているのが、この花の特徴でしょうか。

あと1カ所よかったのは、ブーゲンビリア。 この温室。 たくさん咲いていた。
ただ、全体はデザインされているが、雑然とした感じ。

葉っぱが見えてるのですが、いい花ですね。

この花には、冬に九州で楽しませてもらった。 最初に見た時の写真は、これかな。 感動した。 日南海岸で。


大きな温室。 瀧が流れていた。 花は少ない時期なのか、ほとんどない。 工夫は無く、そのまま。

探すと何かがあるから、少しは楽しめる。



バナナの先っぽは、花?

小さな花だったでしょうか。

温室の中に、鳥がいた。

頭の羽も、赤い目も、魅力的。

北海道の上富良野や美瑛の花畑は、裏切られることはない。 夏の間は、大きな観光地になる。
今回のような、フラワーパークでいい所は、滅多にない。
10か所以上見てきたが、良かったのは、2か所だけ。 紹介しますね。
ベスト1は、伊豆の「らんの里」。 文句なしです。
その次に良かったのは、フラワーパーク、鹿児島。 正月に行った。 ここは、県立。
チョウを飼ってる温室があった。
ツマベニチョウ。 シロチョウの仲間で、一番大きいとあった。
寿命は、14日間。 こんなに短いとは、知らなかった。

オオムラサキ。 国蝶になっているんですね。

羽を閉じたらこう。 紫色は、表側だけですね。 きれいです。

モンシロチョウが、さなぎから出ようとしている。 ゆっくり。

これは、出たばかり。 羽が少しずつ開いている。

これは、オオゴマダラ。 フラワーパーク鹿児島で見た。 ※ 上の方でリンクしてある。

さなぎは黄金。 これが特徴。

ランの温室。 ちゃんと咲いてない。

このランだけは、良かったかな。

外に、こんな花が。

上の写真の小さい花。

花のアップの写真は、マクロレンズで撮った。 実は、練習していた。
カメラの設定を変えて撮ったので、失敗した写真も多かった。
「絞り」の意味が、何となく分かってきた。 失敗を少なくするコツも。
カメラを2台ぶら下げてるから、少し大変。
でも、山に登る時のリュックはもっと重いから、それに比べたら楽。
エミューって言う鳥ですね。 ダチョウよりは小さい。

寄ってきた。 この顔だけど、人なつっこい。

インコが腕にのった。 手に持ってるのは、エサ。 甘い汁。

この人が世話係り。 大きなインコは、45年くらい生きるそう。 小さくなると、数年。

※ 動物は、一生の間に動かせる心臓の回数は、決まってるそうですね。
小さな動物は速いから、寿命が短い。
大きな動物は、心臓がゆっくり動くので、長生きする。
どっかで聞いた話なので、信ぴょう性は?
見晴らし台から眺めた。

こっちが、入り口。

海を見に行った。 サーフィンをしていた。

波に乗った。

こうです。 どのくらい練習したら、乗れるのでしょう。

花の状態は良くなかったが、まあまあ楽しく過ごせた。
その理由は、働いている人たちの感じがとても良かったこと。
みんな親切で、明るかった。
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南総里見八犬伝の「南総」は、南房総の意味だった。
読んだことがなかったので、知らなかった。
この話は、フィクションなんだが、舞台となる場所があった。
話は、伏姫と八房という犬が登場して始まる。 ※ 伏姫~ふせひめ 八房~はちふさ
その話しの舞台は、富山(とみさん)にある伏姫籠穴。 そこに行くことにした。 ※ 伏姫籠穴~ふせひめ ろうけつ
この道を歩きだしたが、あと1.6㌔の標示があったので、戻って車で行った。 富山は写真の左の方に。
道が不安なので、車を置いて歩いた。 山道を上った。 遠い。
中尊寺の金色堂のように、急に建物が見えた。
駐車場もあった。 伏姫籠穴は、この上のようだ。
架空のお話しの舞台が、どうしてあるのだろう。 不思議。
このむこうに、ある。 地図では、この辺り。
白い玉が見える。 かがめば入れるが、写真は入り口から。
中はこう。 黒い球が、8つある。 誰がいつ作ったかの説明がない。 分からないようだ。
白い玉に、お札がある。 このお札は、熊野の那智の、青岸渡寺のものだった。 ※ 青岸渡寺の写真。 そのブログ。
南総里見八犬伝の話のスタートと、概略は、こうですね。
※ 長いので、斜め読みか、知っていたら読まないで。
※ 戦国サバイバルより。 平凡社「日本架空伝承人名辞典」から引用している。
安房の領土をめぐる安西景連との戦いで、飢饉のために里見城が落城せんとするとき、里見義実は戯れ
に愛犬八房に向かい、敵将を喰い殺せば伏姫を妻にさせるという。八房は景連の首をくわえて戻り、里見
軍は勝利をおさめる。
その後、義実は約束を反古にしようといろいろなだめすかすが、八房はあくまでも姫を求める。姫は父
をさとし、八房とともに山中に入る。伏姫とは人として犬に従がうの意を表す名前であり、八房には、義
実がいったん助命を口ににしつつ斬り捨てた美女玉梓(たまずさ)の怨霊がついていたのだった。
山中の洞窟に住み、日々「法華経」を読む伏姫に、八房も耳を傾け、心を澄ませているようであった。
しかし、その霊的な結合により、伏姫は身重になる。姫を捜しにきた金碗大輔孝徳(かなまりだいすけたか
のり)は、八房を鉄砲で撃つが、一弾が姫に命中する。
その場へ義実も来あわせ、いったんは数珠の威徳で蘇生した姫は、八房の胤を受けたものではないことを
証明するために、みずからの腹を割く。すると白気が立ち上り、姫の身につけた、「仁・義・礼・智・忠・
信・孝・悌」の八字を彫った水晶の数珠を包むと、八個の珠は光を発して八方に飛び散っていく。
そして数年後、聖玉を持ち、身体に牡丹形のあざのある八犬士が出現する。おのおのの知勇に秀でた彼ら
は、悪との戦いの中でめぐり会い、ついにはみずからの出自を知って八犬士が会同し、里見家を助けるよう
になる。
上の文の山中の洞窟が、伏姫籠穴。
下の方に、こんな場所が。 ここに説明があった。
伏姫籠穴は、いったい何なのかですが、
① この洞窟は、元々あって、滝沢馬琴が江戸末期に八犬伝を書いた後に、伏姫籠穴とした。
② 滝沢馬琴は、この洞窟を知っていたので、話の中に入れた。
※ ここは、富山(とみさん)の中腹。
伏姫の父としている、里見義実の城は、この近くの滝田城。 今は、城跡。
滝沢馬琴は、話は、里見義実で書くと決めた。
城は、富山の近くあったから、この一帯を調べた。
そうしたら、洞窟があることを知った。 ※ 洞窟に、伝説があったわけではない。
こんな流れでしょうか。
あと気になるのは、伏姫は架空の人物だが、モデルになった人物はいたのかですね。
中は、何とか人が立てる高さ。
調べてみた。 ※ 深みにはまった感じで、夜中ずっと。
伏姫は、里見義堯の娘の種姫でないかと。 ※ 里見義堯は、義実の4代目。
根拠は、八犬伝は、義堯で書いているという考えが、あるため。
詳しくは分からないが、種姫が、伏姫のモデルの可能性がある。 そんな感じでしょうか。
八房公園。 お話しの中で、八房生誕の地。 八房の像と狸。 八房は、狸に育ててもらった。 場所はここ。
春日神社。
犬掛と呼ばれる地域。 左に少し離れて、富山。
八犬伝ではなく、赤山地下壕跡を見に行った。 戦争遺跡。
豊津ホールで受付して、無料で。
全長は、1.6㎞。 昭和17年以降に作られた。
主に、館山海軍航空隊の防空壕として使われた。 いろんな施設もあった。
涼しい。 閉じ込められてる感じで、不安。
地層の模様が見える。
手彫りの跡。
ここも、鋸山と同じで、凝灰岩。 爪で、表面が削れた。
館山城に、八犬伝の資料があると言うので行った。
中は、資料館。
中の撮影は出来ない。 八犬伝のビデオを見た。
海ホタルが見られる時期のようだ。 夜、雨になったが。
正面に富士山が見える。 晴れていたら。
浅間神社。 本宮は、富士宮市の富士山本宮浅間大社。
ここから、富士山がよく見えるので、昔からある。
祭神は、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ) この人は、九州が出身地。
※ 道の駅、きんぽう木花(このはな)館に、像があった。 神武天皇は、この姫の孫とされている。
キキヨウ。
江戸時代の初め、里見氏の8名の家臣が、ある戦いで殉死している。 その墓。
この墓は、八犬伝より先に出来ていたので、八犬伝のモデルになったとされる。
山の麓の道を通って戻った。
そうしたら、こんな居酒屋があった。 寂しい感じの通りだったので、びっくり。
もし、狐が化けたような女の人がいたら、完璧だと思った。
その時は、当然だまされる。
近くに車が停泊できる場所があったら、行っていた。
こんな花。
南総里見八犬伝は、史実と空想が、入り混じっていた。
作家は、小さな何かをヒントに、また、それを膨らませて書く。
滝沢馬琴は、あの洞窟を知っていた。 そして、伏姫のモデルも、きっといた。 そんなふうに思うかな。
【道の駅】 南総パラダイス ここです。
【明日の予定】 南総パラダイスを見ます。 こっちの方には、花が見られる所が、いっぱいある。
【今日の歌】 恋のバカンス(YouTube) 暑い夏が来ています。
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読んだことがなかったので、知らなかった。
この話は、フィクションなんだが、舞台となる場所があった。
話は、伏姫と八房という犬が登場して始まる。 ※ 伏姫~ふせひめ 八房~はちふさ
その話しの舞台は、富山(とみさん)にある伏姫籠穴。 そこに行くことにした。 ※ 伏姫籠穴~ふせひめ ろうけつ
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道が不安なので、車を置いて歩いた。 山道を上った。 遠い。

中尊寺の金色堂のように、急に建物が見えた。

駐車場もあった。 伏姫籠穴は、この上のようだ。

架空のお話しの舞台が、どうしてあるのだろう。 不思議。

このむこうに、ある。 地図では、この辺り。

白い玉が見える。 かがめば入れるが、写真は入り口から。

中はこう。 黒い球が、8つある。 誰がいつ作ったかの説明がない。 分からないようだ。
白い玉に、お札がある。 このお札は、熊野の那智の、青岸渡寺のものだった。 ※ 青岸渡寺の写真。 そのブログ。

南総里見八犬伝の話のスタートと、概略は、こうですね。
※ 長いので、斜め読みか、知っていたら読まないで。
※ 戦国サバイバルより。 平凡社「日本架空伝承人名辞典」から引用している。
安房の領土をめぐる安西景連との戦いで、飢饉のために里見城が落城せんとするとき、里見義実は戯れ
に愛犬八房に向かい、敵将を喰い殺せば伏姫を妻にさせるという。八房は景連の首をくわえて戻り、里見
軍は勝利をおさめる。
その後、義実は約束を反古にしようといろいろなだめすかすが、八房はあくまでも姫を求める。姫は父
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実がいったん助命を口ににしつつ斬り捨てた美女玉梓(たまずさ)の怨霊がついていたのだった。
山中の洞窟に住み、日々「法華経」を読む伏姫に、八房も耳を傾け、心を澄ませているようであった。
しかし、その霊的な結合により、伏姫は身重になる。姫を捜しにきた金碗大輔孝徳(かなまりだいすけたか
のり)は、八房を鉄砲で撃つが、一弾が姫に命中する。
その場へ義実も来あわせ、いったんは数珠の威徳で蘇生した姫は、八房の胤を受けたものではないことを
証明するために、みずからの腹を割く。すると白気が立ち上り、姫の身につけた、「仁・義・礼・智・忠・
信・孝・悌」の八字を彫った水晶の数珠を包むと、八個の珠は光を発して八方に飛び散っていく。
そして数年後、聖玉を持ち、身体に牡丹形のあざのある八犬士が出現する。おのおのの知勇に秀でた彼ら
は、悪との戦いの中でめぐり会い、ついにはみずからの出自を知って八犬士が会同し、里見家を助けるよう
になる。
上の文の山中の洞窟が、伏姫籠穴。
下の方に、こんな場所が。 ここに説明があった。

伏姫籠穴は、いったい何なのかですが、
① この洞窟は、元々あって、滝沢馬琴が江戸末期に八犬伝を書いた後に、伏姫籠穴とした。
② 滝沢馬琴は、この洞窟を知っていたので、話の中に入れた。
※ ここは、富山(とみさん)の中腹。
伏姫の父としている、里見義実の城は、この近くの滝田城。 今は、城跡。
滝沢馬琴は、話は、里見義実で書くと決めた。
城は、富山の近くあったから、この一帯を調べた。
そうしたら、洞窟があることを知った。 ※ 洞窟に、伝説があったわけではない。
こんな流れでしょうか。
あと気になるのは、伏姫は架空の人物だが、モデルになった人物はいたのかですね。
中は、何とか人が立てる高さ。

調べてみた。 ※ 深みにはまった感じで、夜中ずっと。
伏姫は、里見義堯の娘の種姫でないかと。 ※ 里見義堯は、義実の4代目。
根拠は、八犬伝は、義堯で書いているという考えが、あるため。
詳しくは分からないが、種姫が、伏姫のモデルの可能性がある。 そんな感じでしょうか。
八房公園。 お話しの中で、八房生誕の地。 八房の像と狸。 八房は、狸に育ててもらった。 場所はここ。

春日神社。

犬掛と呼ばれる地域。 左に少し離れて、富山。

八犬伝ではなく、赤山地下壕跡を見に行った。 戦争遺跡。
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全長は、1.6㎞。 昭和17年以降に作られた。

主に、館山海軍航空隊の防空壕として使われた。 いろんな施設もあった。

涼しい。 閉じ込められてる感じで、不安。


地層の模様が見える。

手彫りの跡。

ここも、鋸山と同じで、凝灰岩。 爪で、表面が削れた。

館山城に、八犬伝の資料があると言うので行った。

中は、資料館。

中の撮影は出来ない。 八犬伝のビデオを見た。
海ホタルが見られる時期のようだ。 夜、雨になったが。

正面に富士山が見える。 晴れていたら。

浅間神社。 本宮は、富士宮市の富士山本宮浅間大社。
ここから、富士山がよく見えるので、昔からある。
祭神は、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ) この人は、九州が出身地。
※ 道の駅、きんぽう木花(このはな)館に、像があった。 神武天皇は、この姫の孫とされている。

キキヨウ。

江戸時代の初め、里見氏の8名の家臣が、ある戦いで殉死している。 その墓。
この墓は、八犬伝より先に出来ていたので、八犬伝のモデルになったとされる。

山の麓の道を通って戻った。
そうしたら、こんな居酒屋があった。 寂しい感じの通りだったので、びっくり。
もし、狐が化けたような女の人がいたら、完璧だと思った。
その時は、当然だまされる。
近くに車が停泊できる場所があったら、行っていた。

こんな花。

南総里見八犬伝は、史実と空想が、入り混じっていた。
作家は、小さな何かをヒントに、また、それを膨らませて書く。
滝沢馬琴は、あの洞窟を知っていた。 そして、伏姫のモデルも、きっといた。 そんなふうに思うかな。
【道の駅】 南総パラダイス ここです。
【明日の予定】 南総パラダイスを見ます。 こっちの方には、花が見られる所が、いっぱいある。
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朝、天気がぱっとしなかったので、別な所の見学を考えていた。
ekさんの情報と、道の駅の方の熱心な勧めもあって、鋸山に行ってみた。 ※ 鋸山~のこぎりやま
昨晩は、○の辺りに路上駐車。 大丈夫なことは、コンビニのお兄さんに教えてもらった。
朝の6時前に、フェリーの案内の放送で目を覚ました。 6時20分のに乗った。
東京湾は、出入りする船が、優先だそう。 他のお客さんが教えてくれた。
だから、このフェリーは、他の船の邪魔ができない。
船同士は、会話ができる。 全ての船の管理は海上保安庁。
スピードを出すと、「コラコラ」って注意されるそう。 制限速度は12ノット。(時速約22㌔)
下の船は、護衛艦「いかづち」。 みんな教えてくれた。
昨日のブログの続きを書くため、道の駅「きょなん」に向かった。 ※ 鋸南(きょなん)町にあるから、きょなん。
ここが、道に駅の案内所。
カメラを持っていたので、お店の人が話しかけてきた。
鋸山がいいと言った。 道もていねいに教えてくれた。 行くことにした。
写真は、ブログに載せてることを話したら、これを宣伝してねと言った。
鶴べえが来たのかな。
寺は、そんなに楽しみにしている訳ではないが、ここは山に登れる。 ここです。
山全体が、日本寺(にほんじ)の境内。
駐車場に車を停めて、受付を通ってここに。 大黒堂。 秘仏があるそう。 そう言われたら、見たくなる。
受付の人が、歩くコースを教えてくれた。
これは、薬師本殿。 この寺の本尊が祀ってある。
この寺の目玉、日本寺大仏。 高さ31㍍。
寺の説明では、日本一の大仏様とあるが、これは、正確ではない。
正しくは「座像および石仏としては、日本一の大きさ」ですね。 ※ 調べてみた。
江戸時代に作られたが、風化が激しく、昭和40年代に復元工事をした。
日本寺は、寺全体を昔の姿に戻そうとしている。
大きな蜂の巣だ。 ※ こぶとりじいさんの、こぶではない。
ネジバナ。 ラン科。
ラン科の花だけあって、可愛い花。 ちゃんと見ないと、雑草とまちがう。
山全体に、網目のように道はある。 ※ 通れない所もある。
階段の数は、2639段。 日本一と書いてるサイトがあるが、間違い。
日本一は、大行寺山の3333段。 ※ 関連ブログ 日本一の石段。
標高329㍍の山の頂上まで石段。 長い石段。 登山の感覚に近い。
※ 大きさとか数の日本一には、大きな価値はない。 そう思うかな。
羽黒山の石段の美しさに、大行寺山の石段は、足元にも及ばない。
どんなに大きな五重塔も、美しさで、室生寺や瑠璃光寺には、かなわない。
羅漢像が、道沿いの至る所にあった。
羅漢像の表情は、何を意味しているのだろう。 苦しそうだ。 仏像より表情は豊か。
ここの石は凝灰岩で、軟らかいそうだ。 それでも、よく彫った。 手彫りですからね。
不動の滝。 水が見えない。
少しの水で、修行していた。
石段は、どこまでも続いた。
百尺観音が見えた。 文字通りなら、高さ30㍍。 一目ありそう。
この地は昔、石切り場だった。 だから、こんな風景になった。
イワタバコという花。 湿った岩に生えている。 珍しいだけでなく、人気があるようだ。
これを見るために、この山に登る人もいるそう。
※ 珍しい花と、後で知った。 もっとたくさん、ちゃんと撮れば良かった。
高い所に上がった。 鋸山の頂上。
さっきいた場所は、あそこ。
上の写真の、出っ張った所から撮影。 根元から折れたらお終い。 怖くて行けなかった人もいた。
向こうにも、見晴らし台が。
港が見える。 金谷港。 今朝、あそこに着いた。
フェリーが見える。
鋸南町の市街地。 道の駅は、○の辺りかな。
別の道を下った。
この山には、1700年代の終わり頃、1553体の羅漢像が作られたという。
明治に入って、廃仏毀釈で捨てられ、首が折れたりした。
今は、その修復をしている。
仁王さんがいた。
昔はきっと、柵がなかった。 今の時代だからいるのか。
羅漢像の材質に、問題がありそう。 雨とかで、風化が激しい。 彫りやすい石だから、たくさん彫れたのか。
あせかき不動。
いいですね。 こんなのが見られたら、退屈しない。 羅漢像をつくったのは、プロの集団。
大きな宝篋印塔。 江戸時代の物のよう。 ※ 宝篋印塔(Wikipedia)
五百羅漢ではなく、千五百羅漢。 たくさんある。
聖徳太子像。
羅漢像を、一つ一つ見ていたら、1日では見切れない。
頭が、転がっていた。
たくさんのアジサイが咲いていた。
山全体が広いので、管理は大変なようだった。
現在は、復興に向けての道半ば、という所でしょうか。
羅漢像と絶景が見たく、また、怖い場所に行きたかったら、鋸山がいいですね。
【道の駅】 きょなん ここです。
【明日の予定】 半島の先に移動します。 何かがありそう。
【今日の歌】 Andre Rieu - Shostakovich' Second Waltz(YouTube) いいですよ。
北の岬(YouTube) もう、ハマナスが咲いてますね。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で3位です。
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ekさんの情報と、道の駅の方の熱心な勧めもあって、鋸山に行ってみた。 ※ 鋸山~のこぎりやま
昨晩は、○の辺りに路上駐車。 大丈夫なことは、コンビニのお兄さんに教えてもらった。

朝の6時前に、フェリーの案内の放送で目を覚ました。 6時20分のに乗った。

東京湾は、出入りする船が、優先だそう。 他のお客さんが教えてくれた。
だから、このフェリーは、他の船の邪魔ができない。
船同士は、会話ができる。 全ての船の管理は海上保安庁。
スピードを出すと、「コラコラ」って注意されるそう。 制限速度は12ノット。(時速約22㌔)
下の船は、護衛艦「いかづち」。 みんな教えてくれた。

昨日のブログの続きを書くため、道の駅「きょなん」に向かった。 ※ 鋸南(きょなん)町にあるから、きょなん。
ここが、道に駅の案内所。

カメラを持っていたので、お店の人が話しかけてきた。
鋸山がいいと言った。 道もていねいに教えてくれた。 行くことにした。
写真は、ブログに載せてることを話したら、これを宣伝してねと言った。
鶴べえが来たのかな。

寺は、そんなに楽しみにしている訳ではないが、ここは山に登れる。 ここです。
山全体が、日本寺(にほんじ)の境内。
駐車場に車を停めて、受付を通ってここに。 大黒堂。 秘仏があるそう。 そう言われたら、見たくなる。

受付の人が、歩くコースを教えてくれた。
これは、薬師本殿。 この寺の本尊が祀ってある。


この寺の目玉、日本寺大仏。 高さ31㍍。
寺の説明では、日本一の大仏様とあるが、これは、正確ではない。
正しくは「座像および石仏としては、日本一の大きさ」ですね。 ※ 調べてみた。

江戸時代に作られたが、風化が激しく、昭和40年代に復元工事をした。
日本寺は、寺全体を昔の姿に戻そうとしている。


大きな蜂の巣だ。 ※ こぶとりじいさんの、こぶではない。

ネジバナ。 ラン科。

ラン科の花だけあって、可愛い花。 ちゃんと見ないと、雑草とまちがう。

山全体に、網目のように道はある。 ※ 通れない所もある。
階段の数は、2639段。 日本一と書いてるサイトがあるが、間違い。
日本一は、大行寺山の3333段。 ※ 関連ブログ 日本一の石段。
標高329㍍の山の頂上まで石段。 長い石段。 登山の感覚に近い。


※ 大きさとか数の日本一には、大きな価値はない。 そう思うかな。
羽黒山の石段の美しさに、大行寺山の石段は、足元にも及ばない。
どんなに大きな五重塔も、美しさで、室生寺や瑠璃光寺には、かなわない。
羅漢像が、道沿いの至る所にあった。

羅漢像の表情は、何を意味しているのだろう。 苦しそうだ。 仏像より表情は豊か。

ここの石は凝灰岩で、軟らかいそうだ。 それでも、よく彫った。 手彫りですからね。


不動の滝。 水が見えない。

少しの水で、修行していた。


石段は、どこまでも続いた。

百尺観音が見えた。 文字通りなら、高さ30㍍。 一目ありそう。

この地は昔、石切り場だった。 だから、こんな風景になった。

イワタバコという花。 湿った岩に生えている。 珍しいだけでなく、人気があるようだ。
これを見るために、この山に登る人もいるそう。
※ 珍しい花と、後で知った。 もっとたくさん、ちゃんと撮れば良かった。

高い所に上がった。 鋸山の頂上。

さっきいた場所は、あそこ。
上の写真の、出っ張った所から撮影。 根元から折れたらお終い。 怖くて行けなかった人もいた。


向こうにも、見晴らし台が。

港が見える。 金谷港。 今朝、あそこに着いた。

フェリーが見える。

鋸南町の市街地。 道の駅は、○の辺りかな。

別の道を下った。



この山には、1700年代の終わり頃、1553体の羅漢像が作られたという。
明治に入って、廃仏毀釈で捨てられ、首が折れたりした。
今は、その修復をしている。

仁王さんがいた。

昔はきっと、柵がなかった。 今の時代だからいるのか。

羅漢像の材質に、問題がありそう。 雨とかで、風化が激しい。 彫りやすい石だから、たくさん彫れたのか。

あせかき不動。

いいですね。 こんなのが見られたら、退屈しない。 羅漢像をつくったのは、プロの集団。

大きな宝篋印塔。 江戸時代の物のよう。 ※ 宝篋印塔(Wikipedia)

五百羅漢ではなく、千五百羅漢。 たくさんある。

聖徳太子像。


羅漢像を、一つ一つ見ていたら、1日では見切れない。

頭が、転がっていた。

たくさんのアジサイが咲いていた。

山全体が広いので、管理は大変なようだった。
現在は、復興に向けての道半ば、という所でしょうか。
羅漢像と絶景が見たく、また、怖い場所に行きたかったら、鋸山がいいですね。
【道の駅】 きょなん ここです。
【明日の予定】 半島の先に移動します。 何かがありそう。
【今日の歌】 Andre Rieu - Shostakovich' Second Waltz(YouTube) いいですよ。
北の岬(YouTube) もう、ハマナスが咲いてますね。
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