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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

大隅半島の山の中に来ました。
曽於市大隅町にある道の駅です。

7時を過ぎたら、やっと涼しくなってきました。
今、急に暗くなっていくところです。
北海道よりだいぶ遅い。


今朝いた道の駅、川辺やすらぎの郷の近くに、
清水麿崖仏群」(きよみずまがいぶつぐん)があったので行ってみた。
      場所は、ここ。

麿崖仏とは、自然の崖の面に彫った仏像のことだそう。
それが、清水川のほとりに、いっぱいあるので、清水麿崖仏群という。

清水川の左の崖にあった。 崖の高さは、20㍍。 写真は、橋の上から。

 _MG_0089.jpg

道沿いの左に、次から次と、いっぱいあった。 全部で、約200

  _MG_0040.jpg

これは、供養塔の一種で、五輪塔という。
ここにある、麿崖仏の中で、一番古く、一番大きい。
高さ11㍍。 日本一だそう。

この五輪塔は、平安時代の終わり頃のもの。
線で彫られているが鎌倉時代までは、線彫りだったそうだ。

  _MG_0050.jpg

下のは、少し立体的。(浮き彫り)
室町時代のもの。
仏像に見えるのもあるが、ほとんどは、五輪塔

  _MG_0059.jpg

五輪塔の意味は、辞書では、こうなっている。

地・水・火・風・空の五大をそれぞれ方形・円形・三角形・半月形・宝珠形に石などでかたどり、順に積み上げた塔。平安中期ごろ密教で創始され、大日如来を意味したが、のちには供養塔・墓標などとされた。(大辞泉)

上の写真の真ん中辺りに、3つ並んだ五輪塔があるが、これには、戒名が書かれている。
下の写真は、それを拡大してみた。 書かれているのが、分かった。

  _MG_0059no2.jpg

何のために作ったか、と言うことだが、供養塔だから、基本的には、死んだ人を供養するため。
ところが、室町時代には、生きてる間に、何時か死ぬ自分の供養塔(五輪塔)を作ることもあったそうだ。 生きているうちに、自分のお墓を作るのに、似ているかな。

下のは、ふたたび、線彫りだ
これは、鎌倉時代の後期、永仁4年(1296年)3月13日に、彫られたもの。
写真を拡大したら、読み取れる所があった。
上の写真の、真ん中の五輪塔の、右側。 縦に何か書いてある。
それを、拡大したのが、下のその下の写真。

   永仁四年三月十三日 が読める。

  _MG_0063.jpg

  _MG_0063の2

上の五輪塔は、こち地域を治めていた河辺という領主の母親か妻ではないかと考えられている。

下のは、浮き彫りだから、室町時代のですね。

  _MG_0064.jpg

これも同じか。 浮き彫りが多い。 先の尖った、札のようなのが見える。

  _MG_0070.jpg

二つ並んだのは、夫婦の五輪塔。

  _MG_0071.jpg

札のようなのは、板碑(いたび)と言う。
作る目的は、分かっていない。
中に、梵字が書かれているが、風化して読めないそうだ。

でも、下の写真のは読めそうだ。
一番上は、。  という字もある。

  _MG_0072.jpg

下のは、明治時代に作られたもの。 立体的になってきた。

  76no3.jpg

全部見て、来た方向を撮した。
所々に、説明があった。 それで、いろいろ分かった。

  _MG_0080.jpg

これを作るとき、高い所は、どうやったのか。
梯子でも立てかけたのか。 それとも、足場を組んだのか。

金持ちが石工に作らせたのか。
素人っぽいのもあったから、自分で作ったのもあるかな。

どのくらいの身分なら作れたのか。
庶民が作ることは無かったんでないかな。
いや、あの素人っぽいのは、庶民(農民)かも知れない。

こういうのを見るのは、初めてだったから、面白かったですよ。

桜の花が散って、しばらく経った。 こんながなっていた。

  _MG_0088.jpg

昨日は暑かった。
冷たい飲み物が美味しかった。 いくらでも、いつでも飲めた。
お腹をこわした。 久しぶりに、胃痛と腹痛の経験をした。
今は、治った。
それから、コインランドリーで、洗濯もした。 2週間ぶり。


【今日の温泉】   重富温泉  360円  姶良町   場所は、ここ。
   
            少し、しょっぱかったかな。  


「今日の歌」は      二人の銀座(YouTube)  和泉雅子は黒木瞳に似てないかな。

                  ドレミの歌(YouTube)

              太陽がいっぱい(YouTube)


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コメント

おはようございます。
高校時代は歴史部でした。理系コースで何で来たの?と先輩には冷やかされ続けましたが、でも歴史好きだったんです。
で、その時に五輪等の『火』の部分なで肩で丸いものを中心の高い所に置いたらそのまま下まで一直線、というのは平安時代。
端に変化をつけてつんと上を向かせたものは鎌倉時代と聞いた覚えがあります。
九州は、臼杵にも石仏群があり、わが地元箱根にも少ないですが石仏群があります。箱根はみな鎌倉以降で『火』はつんと上向きになっています。
ではお気をつけて今日一日お楽しみください。

たしかに、そうでした。

こんにちは。
写真と説明をもう一度見たら、たしかにそうでした。
少しずつ、レベルが高くなる感じがしますね。
またひとつ、勉強になりました。
また見つけたら、見たいと思います。

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akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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