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姫路城の美しさの理由。
誰の発想なのか、設計はだれなのか。
そんなことが知れたらいいなと思って、見てきました。
千姫が住んでいたことは、行ってから知りました。
ネットの調子が良くない(電波が弱い)ので、作業に時間がかかります。
姫路市と神戸市の真ん中辺りの、三木市に来ました。(7時52分)
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9時20分のフェリーで、小豆島を出た。
100分で、姫路港に。
城の駐車場での料金は、バスと同じだったみたいだ。 2000円。
高さが、260㎝以上だから。
バスのところに停めても、文句言われなかったのかな。
まあいい。
下の写真は、駐車場から。
これで満足して帰ってもいいくらいだ。
どうして美しいのか。
いろんな方向から、写真を撮った。
天守閣だけが目立たないのも、いいのかな。
安定感がある。
外から見たら、5階(層)に見える。
中は、地上6階、地下1階。
ここから、入っていく。
この城は、変遷を経るが、今のになったのは、1609年。
美しさの理由を探して、パンフレットや、説明板を読んだ。
分からない。
天守閣の最上階で、やっと分かった。
書いてあった。
計算されて、作られている。
① 直線と曲線の配置。
② 計算された空間。 一目見て、さびしいと思われる空間はない。
③ 1階と5階の比率は、2割1分だという。
これは、根拠のある数字のようだ。
④ 石垣の勾配の形は、扇を開いたときの形だという。
周りでなく、手元の方の形かな。
桃山時代の建築美が基本とあった。
詳しくは、下の写真に。
下の写真は、西の丸と言って、天守閣を守るための、細長い建物の中。
左側に、鉄砲を撃つ窓や、石を落とす穴がある。
右に、控えるための部屋。
※ 今日みたいなときは、記事が消える。 いい方法ないのかな。
千姫って、誰なんだということだが。
信長の妹に、お市の方という人がいた。
浅井長政に嫁いだ。
娘が3人いた。
浅井長政は、戦に負けるが、この3人は助け出される。
歴史ドラマで、よくある場面かな。
一番上が、茶々(淀君) 豊臣秀頼の母。
二番目は、お初。 京極高次の正室。
三番目が、お江(おごう)。 2代将軍秀忠の正室。
このお江が千姫を生む。
千姫は、上に書いた、秀頼の正室になる。
美貌と聡明さは、祖母のお市の方の血を受け継いだ
夏の陣では、家康の命で、助け出される。
家康に可愛がられていたから。
その後、この当時、ここの城主だった、本多忠刻の正室となる。
そういうことで、この姫路城で暮らす。
今の形の城の発想は、1600年過ぎの城主、池田輝政。
設計は、伊木忠繁。 この人については、ここ。
頭領は、桜井源兵衛。 この人については、ここ。 面白いですよ。
※ 城は、少し傾いてた。 上の説明にあります。 床に、ゴルフボールをある人が置いたら、転がった。 全体が傾いているのではなく、東西が下がっている感じ。 この次の修復で直すようだ。
天守閣を出て、説明する人がいたので聞いた。
設計と、頭領は殺されなかった。 (頭領は、死んだが)
他の作業に関わった多くは殺された。
城の内部の秘密を守るため。
天気が良かったこともあり、城は輝いていた。
下から、天守閣と上の窓を撮影。
こっから、私もののぞいた。
この城は、石垣の石のには、何でも利用した。
これは、石臼。
姫路城は、世界遺産。
何階か忘れたが、昔のものを展示している。
太い木は、遠くから運ばれてきた。
見下ろした、風景。
最上階は、こんな感じ。
千姫の住んだ、化粧櫓。
下界の風景。
石垣の草は、自衛隊のレンジャー部隊が取るそうだ。
棺桶の石も、石垣に使われた。
石は、領内から調達された。
だから、小豆島の石は、ここには来ていない。
日本には、他にもいっぱいお城がある。
他の城は、この城の前では、自分が日本一だとは言えなくなる。
姫路城は、そんな城でした。
城を見るとき、美しさだけでなく、この城に人がどう関わったかなど、そんなことが面白いのかなと感じました。 この城は、千姫。
【道の駅】 みき 兵庫県三木市 場所は、ここ。 大きい。
【温泉】 加古川温泉みとろ荘 500円 場所は、ここ。
【明日の予定】 東に行きます。
《今日の歌》 手仕事屋きち兵衛のコンサート(YouTube)
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