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野球をラジオで聞いてます。
阪神戦しか、入りません。
応援実況。
阪神の選手の名前しか、出てきません。
初めて聞く、三木市を自転車で散歩しました。
この町の何かと、関わりがあったのか。
歴史的建造物群に指定されていない、古い街道がありました。
指定されてないと、どんな状態なのか。
そんなのを見てみました。 (7時20分)
※
「知らない町を歩いてみたい」って歌で言うので、歩いて見た。
道の駅で、地図をもらった。
情報は、街道があることと、城の跡があることの二つ。
車は、観光協会の駐車場に。
少し行くと、こうだ。 アーケード。
街道の雰囲気はない。
見えてきた。
どこも、こうではないが、半分くらいこんな感じ。
ここは、湯の山街道。 ここ。
16世紀に、秀吉が、三木市から神戸市にある有馬温泉へ、戦傷者の治療のために整備したとあった。
保存地区でないからか、電柱が残っている。
江戸時代には、大きな陣屋が置かれ、参勤交代の通り道として利用されたほか、各地からの湯治客の往来で賑わった。
何で秀吉なんだ、と思った。
後で、分かった。
この建物(左側)では、藍染めが展示してあった。
誰もいなかったが、見てきた。
この蕎麦屋で、昔の雰囲気は、おしまい。
街道は、広い道になっていた。
ここまで、2㎞くらいかな。
雰囲気がよかったので、入った。
蕎麦屋の横にに、こんなトイレが。
お地蔵さん。
建物の中は、古民家風になっていた。
全部、新しく作ったという。
細い。 美味しかった。 上品な感じ。
日本酒の好きな人なら知っていると思うが、ここは、酒米の山田錦の産地だった。
日本では、ここが中心。
ここは、稲見酒造といって、有名なようだ。
試飲が出来るが、入らなかった。
丸い玉があるが、杉玉といって、新酒が出来たときに、下げるそうだ。
三木城址があるというので、行って見た。
街道のそば。
小高い丘の上。
上って、説明を読んでるうちに、思い出した。
秀吉が兵糧攻めにした城があることを。
でも、これ以上は、何も知らなかった。
ここの城主に、別所長治とう城主がいた。
13歳でなった。 5代目当主。
22歳の時、信長・秀吉側に味方しなかったため、攻められた。
毛利氏に味方した。
2年間、この城にとどまって戦ったが、兵糧攻めで負けた。
誰も、助けには来なかった。
原城といっしょだ。
長治は、家臣と領民の命を救うことを条件に、自害することを秀吉に申し入れた。
1580年1月17日、一族と共に自害した。 23歳。
一族と共にだから、子供も家族もみんなだ。
最後は、原城とは違うが、悲惨な結末。
山の上には、城の跡は何もない。
辞世のの石碑があった。
「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば」
〈追記〉 うらみというのは、毛利へのうらみだろうか。
自分の、見通しや戦略の甘さに、気づいたのかな。
天草四郎も別所長治も、若い。 天草四郎のブログは、ここ。
何が足りなかったんだろう。
風林火山の武田信玄も若かった。
でも、軍師の山本勘助や、優秀な重臣がいた。
その辺が、違うのか。
テレビドラマの内容だが、勘助の考えた戦略は、生半可のものではなかった。
歴史的建造物群保存地区でない場合は、他の所も、三木市に近いと思う。
この三木市の湯の山街道にも、街道の標示が、いたるところにあった。
街道に思いを寄せている人が、この町にいることが、分かったかな。
でも、今の状態から、指定を受けることは、もう不可能でしょうか。
指定されてないと、保存のための補助とかを受けられない。
今日見た、三木市の街道に残ってた古い家は、個人の力で残して来たんでしょうね。
その人達の思いは、深いですよ。
【今日の道の駅】 いながわ 兵庫県猪名川町 場所は、ここ。
大阪に近い。
【温泉】 有馬富士温泉 山花乃湯 600円 ここ。
【明日の予定】 京都に近づきます。
《今日の歌》 生きている悲しみ(エムズの片割れ)
コメント
ようこそ
Re: ようこそ
出会った人、みな親切でしたよ。
道の駅の規模がすごい。
今度寄ったら、鍛冶屋カレーを食べます。
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旅頑張ってください!!