※
銀閣寺は、解体修理をしていました。
それを見ることは、できました。
良かったのか、悪かったのか。
哲学の道を通って、琵琶湖疎水に行きました。
今日も、いっぱい歩きました。
20㎞はある。 いい運動を越えた。
続きは明日です。 (12時7分)
※
東山は、京都の右の方。
昨日11日は、その下(南)半分を、動き回りました。
今日12日は、上の方です。
上の端に銀閣時があるので、そこを最初に見て、降りてきました。
着いたのは、2時過ぎ。
銀閣時の名前で呼ばれているが、ほんとうは慈照寺って言うんですね。 場所は、ここ。
解体修理をしていた。
来年の3月完成を目指している。
大がかりなものですよ。
前回は大正3年で、100年ぶりだそうです。
滅多に見られない、いいものを見たかも知れない。
金閣寺は国宝でないけど、銀閣時は国宝。
覆堂(おおいどう)のような屋根をかけないでいいのかな。
これを作ったのは、室町幕府8代将軍義政。
義政の戒名に、慈照って言葉があるので、慈照寺だそうです。(寺の人の説明)
なぜ銀閣寺というかも聞いてみた。
江戸時代のころから、呼ばれたそうだ。
3代将軍義満が作ったのが、金閣寺と呼ばれていたので、義政は孫なので、銀閣でいいんでないか、って感じだそうです。(予想)
一休さんのマンガに出てくるのは、金閣寺の義満ですね。
金閣寺は、昭和25年に焼けてしまった。
ある僧が、金閣寺の美しさに嫉妬して、火を付けたって聞いたことあるかな。
今のは、新しいために、国宝になっていない。
焼ける前のを見たかったですね。
枯山水というのか、砂でつくった庭。
砂の山は、山砂なので、崩れないという。
※ 砂の粒に、角があるので。
砂の像のように、スプレー糊をかけてるんでないの、と寺の人に言ったら、砂だけですと言った。
昔からあるから、そんなことしてないか。
下の写真は、工事前。 ホームページから借りました。
金閣寺のような、きらびやかさはないが、銀閣寺は人気が高いんですよ。
下の写真も、ホームページから。
左の建物は、東求堂(とうぐどう)と言って、これも国宝。
散策路を歩いていたら、こんな標識。
楽しみが出てきました。
この後は、庭を見ないで、下を見て歩いた。
銀閣は、東山の北の方の、少し高いところにありました。
庭の手入れ。 やさしくコケの上の枯れ葉を、小さなほうきで掃いていた。
手を休めたときに、何してるんですかと聞いた。
左の人が、答えてくれた。
剥離(はくり)したところを、元に戻していると。
※ 木工ボンドなどは使いませんね。 「にかわ」だそう。
それが終わったら、漆を塗る。
反対側では、その作業をしていた。
国の文化財保護の担当者が、毎日のように来るという。
進み具合を見て、修理方法が変わることもあるという。
哲学の道を歩いた。 ただの道
南禅寺に着いたときは、5時を過ぎた。 閉まっていた。
いつか、ゆっくりと。
水路閣という。 煉瓦造り。 日本最初の煉瓦だそう。
琵琶湖疎水の水の一分を、向こうに流している。
人気スポットと言うのが分かります。 いいです。
インクライン。 インクは傾斜。 ラインは鉄道。
ここには、船が通る運河は造れなかった。
船を台車に乗せて、運んだ。
緒琵琶湖と大阪は、船で行き来できた。 明治時代のこと。
琵琶湖疎水の水の多くは、ここに集まる。 建物は記念館。
手前は、こんな感じ。
サギが魚を食べていた。
釣りをした人があげた。
その人が、下の建物が珍しいと指さした。
無燐庵。 山県有朋の別荘。
日ロ戦争前、ここに、伊藤博文たちも集まって、会議を開いたという。
平安神宮も閉まっていた。
ここから京都御所の右上角辺りまで、歩いた。
息子のアパートがあるので。
たくさん歩いて、足の裏が疲れました。
だれか、思いっ切り踏んでくれないかな。
こんどは、京都の寺でないとこを見たいと思います。
※ 記事が消えて、大きく変わってしまった。
【道の駅】 同じ。
【お風呂】 同じ。
【13日の予定】 嵐山を考えています。
銀閣寺は、解体修理をしていました。
それを見ることは、できました。
良かったのか、悪かったのか。
哲学の道を通って、琵琶湖疎水に行きました。
今日も、いっぱい歩きました。
20㎞はある。 いい運動を越えた。
続きは明日です。 (12時7分)
※
東山は、京都の右の方。
昨日11日は、その下(南)半分を、動き回りました。
今日12日は、上の方です。
上の端に銀閣時があるので、そこを最初に見て、降りてきました。
着いたのは、2時過ぎ。
銀閣時の名前で呼ばれているが、ほんとうは慈照寺って言うんですね。 場所は、ここ。
解体修理をしていた。

来年の3月完成を目指している。
大がかりなものですよ。
前回は大正3年で、100年ぶりだそうです。
滅多に見られない、いいものを見たかも知れない。
金閣寺は国宝でないけど、銀閣時は国宝。
覆堂(おおいどう)のような屋根をかけないでいいのかな。

これを作ったのは、室町幕府8代将軍義政。
義政の戒名に、慈照って言葉があるので、慈照寺だそうです。(寺の人の説明)
なぜ銀閣寺というかも聞いてみた。
江戸時代のころから、呼ばれたそうだ。
3代将軍義満が作ったのが、金閣寺と呼ばれていたので、義政は孫なので、銀閣でいいんでないか、って感じだそうです。(予想)

一休さんのマンガに出てくるのは、金閣寺の義満ですね。
金閣寺は、昭和25年に焼けてしまった。
ある僧が、金閣寺の美しさに嫉妬して、火を付けたって聞いたことあるかな。
今のは、新しいために、国宝になっていない。
焼ける前のを見たかったですね。
枯山水というのか、砂でつくった庭。
砂の山は、山砂なので、崩れないという。
※ 砂の粒に、角があるので。
砂の像のように、スプレー糊をかけてるんでないの、と寺の人に言ったら、砂だけですと言った。
昔からあるから、そんなことしてないか。
下の写真は、工事前。 ホームページから借りました。

金閣寺のような、きらびやかさはないが、銀閣寺は人気が高いんですよ。
下の写真も、ホームページから。

左の建物は、東求堂(とうぐどう)と言って、これも国宝。

散策路を歩いていたら、こんな標識。
楽しみが出てきました。
この後は、庭を見ないで、下を見て歩いた。

銀閣は、東山の北の方の、少し高いところにありました。

庭の手入れ。 やさしくコケの上の枯れ葉を、小さなほうきで掃いていた。

手を休めたときに、何してるんですかと聞いた。
左の人が、答えてくれた。
剥離(はくり)したところを、元に戻していると。
※ 木工ボンドなどは使いませんね。 「にかわ」だそう。
それが終わったら、漆を塗る。
反対側では、その作業をしていた。

国の文化財保護の担当者が、毎日のように来るという。
進み具合を見て、修理方法が変わることもあるという。
哲学の道を歩いた。 ただの道

南禅寺に着いたときは、5時を過ぎた。 閉まっていた。
いつか、ゆっくりと。

水路閣という。 煉瓦造り。 日本最初の煉瓦だそう。
琵琶湖疎水の水の一分を、向こうに流している。
人気スポットと言うのが分かります。 いいです。

インクライン。 インクは傾斜。 ラインは鉄道。
ここには、船が通る運河は造れなかった。
船を台車に乗せて、運んだ。
緒琵琶湖と大阪は、船で行き来できた。 明治時代のこと。

琵琶湖疎水の水の多くは、ここに集まる。 建物は記念館。

手前は、こんな感じ。

サギが魚を食べていた。
釣りをした人があげた。

その人が、下の建物が珍しいと指さした。
無燐庵。 山県有朋の別荘。
日ロ戦争前、ここに、伊藤博文たちも集まって、会議を開いたという。

平安神宮も閉まっていた。

ここから京都御所の右上角辺りまで、歩いた。
息子のアパートがあるので。
たくさん歩いて、足の裏が疲れました。
だれか、思いっ切り踏んでくれないかな。
こんどは、京都の寺でないとこを見たいと思います。
※ 記事が消えて、大きく変わってしまった。
【道の駅】 同じ。
【お風呂】 同じ。
【13日の予定】 嵐山を考えています。
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