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義経の500年後が、芭蕉。 芭蕉の300年後が、私たち。
私たちは、芭蕉が面白いと思うし、影響される。
同じことが、芭蕉にも義経に対してありました。
それを知ったのが、今日の収穫です。
尾花沢と奥の細道について知ってたことは、松尾芭蕉が山刀伐(なたぎり)峠を越えて尾花沢に来たことだけ。
奥の細道を読んだのも、ずっと昔。
知らないことが、分かるかと思って、芭蕉・清風歴史資料館に行ってみた。
まず、清風って誰だ、っていうことです。
芭蕉と曾良は、尾花沢に10泊した。
一カ所に留まった中で、最長。
その世話をしたのが、この地域の豪商、清風。
10柏のうち、3泊が清風の家。 7泊が近くの養泉寺。
下の写真は、清風の家を、近くに再現したもの。 今は、資料館。
上の写真にも小さくあるが、芭蕉像。
表情は、何を参考にして作っているか分からないが、芭蕉像は様々だ。
いい表情かどうかは、分からない。
人間性が読み取れるようなのが、いいのかな。
そう言う面では、この像は完璧でない。
私も、芭蕉像は持ってますが、いいですよ。
上渚滑の家にいるときは、ステレオの上に置いていました。
音楽をかけると、私と一緒に耳を澄まして聞いている、そんな表情でもありました。
中の撮影は禁止。
資料を読んだだけでは、覚えきれない。
本を買った。
事務所の人に、山刀伐峠に行く道の状況を聞いた。
大丈夫、行けると分かった。
芭蕉に関わっての、たくさんの資料をいただいた。
芭蕉は、中尊寺に行った。
どうして行ったかは、考えたことがなかった。
義経に会いに行っていた。
そこで作った俳句は、これですね。
夏草や 兵どもが 夢の後
資料館から養泉寺まで歩いた。 500㍍。
資料館の近くに、清風邸跡があった。
芭蕉が義経に関心があったというのは、元々かも知れないが、この地方に住む人達が慕っていると言うことがあって、強くなったようだ。
小さなお寺。 神社の雰囲気もする。
お参りするときは手をたたかないように、という標示があった。
建物は、火事で再建されている。
芭蕉が、中尊寺から尾花沢に来る道は、変更になった。
義経が通った道 にした。 中山峠、山刀伐峠を抜けた。
※ 500年前は、正確には、山刀伐峠については、近くを。
下の写真は、お寺にあった、涼塚。
中に、芭蕉の句碑が。
話しはそれるが、芭蕉は山寺に行く予定はなかった。
清風らの勧めで、行くことになった。
山寺に行った。 朝出て夕方着いた。
閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 と歌った。
どうして、蝉が登場するかと言うことですが。
今日、分かりました。
芭蕉にも、師と言われる人がいました。
その人の名前に、蝉の字がありました。 (蝉吟)
今日買った本に、「閑かさや・・・」の句は、師である蝉吟への追悼の句であると、ありました。
中尊寺でも、山寺でも、思いつきで作ったのではないことを知りました。
句碑には、「涼しさを 我が宿にして ねまる也」、とありました。
今日、大石田というとこにある温泉に入った。
芭蕉は、ここから最上川を下った。
どうして、最上川か。 義経が、ここを上って来たからです。
船に乗る前、尾花沢で作ったのが、
「五月雨を あつめて涼し 最上川」
船に乗ったら、前日の雨で、水かさが増し、流れが急だった。
だから
「五月雨を あつめて早し 最上川」 に直した。
資料館の写真は撮れなかったので、本にあったのを。
山刀伐峠を通るときの様子。
尾花沢では、山寺に行く途中、次の句も作っています。
「 まゆはきを 俤にして 紅粉の花 」
※ 俤はおもかげ。 紅粉は、べに。
紅の花が、まゆはき のように見えたんですね。
※ まゆはき は、化粧したときに、まゆに付いた粉を掃くもそのだそう。
この句、好きですね。
今日、温泉に行く途中、大きなスーパーがありました。
コインランドリーもありました。
買い物の後、洗濯をしました。
待っている間、今日買った本を読みました。 洗濯の店で。
すぐ寝てしまいました。
夕べは、朝の3時半まで起きていました。
夜は涼しいから快適です。
義経の大きさを、今日再び知りました。
【今日の道の駅】 尾花沢 ここ。
【温泉】 大石田温泉 あったまりランド 深堀 350円。 ここ。
【明日の予定】 山刀伐峠です。 その後、東に。
※ 追記(30日朝) 今日は雨。 どうしようか・・。
《今日の歌》 白い花(YouTube) 紅花の歌を探したが、見つけれなかった。 紅い紅花で始まる歌があるんだが。 こんなのなら、あるけど。(YouTube)
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