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トムラウシ山で遭難事故がありました。
夕方から、遭難の時刻と場所、走行ルートを調べてみました。
だいたい分かりました。
情報源の中心は、読売新聞のネットの記事です。
※毎日新聞からも。
ヤフーの地図を、直接貼り付ける方法が分からないので、写真に撮りました。
これから、それの整理です。
今日は、遅くなっても、事故の経過や問題点をまとめてみたいと思います。
今は、東大沼のキャンプ場の駐車場にいます。
山の好きな人の年賀状に、よく、トムラウシ山の頂上での写真がある。
北海道で一番高いのは旭岳なのに、トムラウシ山です。
旭岳は、ロープウェーを使うと、誰でも登れます。
しかし、トムラウシ山は、トムラウシ温泉の方から、5・6時間かかる。
この山を目指す人は、ほんとうに山の好きな人だ。
今回のツアーは、18人。 客15人。ガイド3人。
名古屋や広島の人達。
このパーティーで亡くなったのは、8人。
※ トムラウシ山で単独の人が一人と、美瑛岳で一人亡くなった。
※ 全体では、10名。
18人のパーティの日程は、14日の朝に旭岳温泉を出発して旭岳に登り、16日にトムラウシ山に登って、トムラウシ温泉に着く予定だった。2泊3日。
※追記 白雲岳、忠別岳にも登って。
トムラウシ山の北に、16日の朝スタートする、ヒサゴ沼がある。
14日の朝、ロープウェーに乗って、旭岳・トムラウシ山の縦走はスタートした。
旭岳には、ロープウェーの終点から、姿見の池の側を通って行く。
点線が、登山道。
若い頃、登ったことがある。3回。
次の日の15日には、予定通り、ヒサゴ沼に着いていた。
見づらいが、点線の登山道が見える。
18名は、下の地図の避難小屋に泊まる。
ヒサゴ沼。
16日朝、出発予定は5時だった。
強風が止むのを待っていたが、ガイドの判断で、5時半頃スタート。
※追記 この日の、行動日程は11時間。悪天でなくても、大変なコース。
上の方の写真の点線を歩く。
ここでのガイドの判断が、全てを左右することになる。
※ ガイドの判断の材料は何だったのか、については後ほど。
スタートした後、強風は止まない。20メートル以上。
※この風は、大人でも立っているのがやっと。
3年程前の台風で経験した。校舎の周りの木が、何本も倒れた。
雨も降っていた。 横殴りになる。
気温は、10度以下っだたと予想されている。
服装が十分ではない人がいた。(報道で言ってる)
ということは、雨を通さないカッパなどは、全員着ていなかったと予想される。
出発して、2・3時間後には、体温を奪われて歩みが遅くなる人が続出する。
体を濡らした人から、先に体温を奪われていく。
出発して約5時間後の、午前11時前には、下の写真の北沼の近くまで来た。
この時、一人の女性が低体温症で動けなくなった。さらに1時間後には、別の女性が意識不明になった。
参加者の中から、救助要請を求める声があがった。
でも、実際に救助要請する最初の電話は、午後4時前だった。
4時間以上後だ。
ここでの判断も重要だった。
上の写真の北沼の近くにテントを張った。
3人のガイドのうち2人と、男女5人の計7人が、ここでビバークすることにした。
残りの11人は、トムラウシ山の山頂は目指さないで、山を迂回するように、上の写真の左の点線を通って下山するコースを歩き始めた。(そう見られている。間違いないと思う)
この時、12時頃と予想される。
※追記 トムラウシ山の近くは、四つん這いで歩いたと言う。(男性の証言)
この11人の中にも、体力を消耗する人が出てくる。
男性1人が、上の写真の、トムラウシ山の左下の分岐点で、動けなくなった。
距離から考えて、午後1時頃か。
さらに、そこから2㎞先の、前トム平で、女性4人が動けなくなった。
一番下の地図に、この場所が載っている。
下山を始めた11人のうち、5人が動けなくなった。
さらに下山を続けることが出来たのは、6人。
6人は下山を続け、午後4時前に、五合目付近にたどり着いた。
下の地図では、前トム平の下の方で、川を渡って少し下っている辺りか。
この頃には、6人のうち、ガイドを含めた3人が衰弱していたという。
道警への最初の電話は、この頃だった。
ガイドが電話した。 上にも書いた4時前。
誰もが体力の消耗が激しかったから、最後は、みんな散り散りになってしまう。
上の少し後の4時半頃、北沼近くのテントでビバークしていた7人の中のガイドから、メールで、「7人下山できない」と救助要請が道警にあった。
さらに、30分後の5時頃に、「4人くらいダメかもしれない」と連絡が。
道警側からも、この後連絡を取っているが、午後11時18分には、電話に応答しなくなったと言う。
救急車は、上の写真の登山口で待機していた。
真夜中の午後11時30分頃、最初の1人が下山してきた。
6人のうちの1人だ。やっと、たどり着いた。
※ この人は、男性。
※追記 18時間歩き続けた。
その1時間半後の、午前1時頃に2人。 これで、3人が下山。
※追記 同時にかは分からないが、女性と男性。19時間以上歩いた。
6人のうち、自力下山したのは5人。
5人目の人(男性)が下山したときには、午前4時45分。
夜が明けていた。
※追記 この人は、23時間以上かかった。
この時は、もうヘリコプターでの救助は始まっており、最初の犠牲者は、ヘリで収容されていた。
※ この頃、単独で登山していた男性の遺体が、南沼の近くで見つかっている。南沼は、分岐点辺りか。
読売の記事に、こんなのがあった。
仲間とはぐれ、1人で下山したという女性は、「途中で座り込む人もいた。途中から2人で行動していたが、相手が歩けなくなった」と振り返った。
上の文から考えると、この女性の後には、あと2人います。
午後11時半頃に1人、午前1時に2人ですから、この人は4番目に下山した人ですね。
※追記 4番目です。
ここで、亡くなった人は、どこにいた人かと言うことだが、上に6人のうち自力下山できたのは5人という表現をしているから、後の1人は助かっていますね。
※追記 助かりました。女性です。(ヘリで救助の写真がありました)
と言うことは、命の危険にさらされていたのは、
北沼でビバークしていた7人の中の4人と、分岐点で動けなくなった男性1人。それと、前トム平で動けなくなった女性4人。 計9人です。
犠牲者は8人ですから、この中で、1人助かっています。
テントに残った人が、助かる可能性が高いように思う。
テントから出て動けなくなったら、体は一気に冷えていくと思うから。
男女の人数が分からなかったが、亡くなった方と助かった方の名前が発表されているので、それで分かった。
参加者は、男性8名(3名はガイド)と女性10名。 計18名。
亡くなった方は、男性2名(ガイド1名)と女性6名。
ガイドの男性が1人亡くなっているが、この人は61歳。
ガイド3人のうち、二人は30代。
今回のコースを経験しているのは、1人だと言う。
その1人が、下山に付き添ったと考えていい。
それは、61歳の方だ。
「ガイドを含めた3人が衰弱した」とあった。(上にも書いた)
今回の遭難事故について、いろんな声があるので、いくつか紹介します。
☆ヒサゴ沼を出発するとき、風が強いと感じた。ガイドは出発すると言ったが、無謀だと思った。(朝の4時半過ぎ、5番目に下山した男性。自力で最後に下山した人)
☆参加者の技術や体力に差があって、隊列が長くなって、はぐれそうになったことがある。(このよう な企画に参加したことのある女性。70歳)
☆このような企画は、見知らぬ人ばかりのため「きつくて歩けない」と言い出しにくい雰囲気になる。(登山家 田部井淳子 69歳)
☆帰りの飛行機の時間が決まっており、天候が急変しても、日程を変更しにくい面がある。(男性)
☆ひと夏に、2・3回あるかないかの、ひどい暴風雨だった。(山岳ガイド この人も、今回ツアー客を連れて、トムラウシを目指していた。事故のあった前日の15日に引き返した)
☆中高年の人は、体熱をつくる能力や体内の異変を察知する力が、若い人より衰えている。(登山医学界理事の方)
まとめ
ガイドが、ヒサゴ沼の山小屋を出発するときの判断材料の中に、上にも指摘があった、帰りの飛行機の時間があったのは確か。それをどれだけ気にするかの大きさは、社長の日常の姿勢によると思う。社長はインタビューで、そういうことはないと言っているが、それは嘘。
なぜ、もっと早く電話をしなかったのか。客がガイドに要請しているのに。客が勝手に電話してもよかったと思う。意識不明の人が出ているんだから。
救助要請したら、遭難とみなされ、山小屋を出発するときの判断の誤りは当然指摘される。でも、今となっては、全員の命を守ることの方が大事だと判断することは、そんなに難しいことではなかったように思う。この時点でパニックになっていたのか。
最初の異変があった午前中に電話していれば、その日に救助は始まった。そうしたら、亡くなった8名のうちの多くは助かったと思われる。
※追記 スタートして2・3時間後か少なくても北沼辺りで、ヒサゴ沼の避難小屋に戻るという判断がありましたね。それなら、みんなで助け合って全員戻れた。火を焚いて体を温めることができた。体力のある人が、まだ残っていたし。救助隊にとっても、まとまっていてくれた方が助けやすい。
疑問が一つ。
救助の最初の電話は、午後4時前。
ヘリはすぐに出せなかったのか。
風速20㍍を越えたら、飛ぶのは無理か。
ヘリが飛んだのは、次の日の未明からのようだ。
責任者の判断が、人の生死を左右した。
残念な事故です。
亡くなった方のご冥福を祈って、ここまでにします。
今日は、この事故がなぜ起きたか、それを詳しく知りたかったので書きました。
東大沼の写真は、明日載せます。
北海道の夜は、平地でも寒いです。
もうすこしで、5人目の人が下山した時刻になります。
夜は、寒くて長いです。
【今日の道の駅】 道の駅でなく、東大沼のキャンプ場。 この辺り。
【明日の予定】 決まっていません。
※追記 先日のブログに、私が通ったコースを追いかけてきいきてるKameさんのことを書きました。そのKameさんは、20日の14時に、大間から函館に渡ります。16時前に函館に着きます。そのあと、今私がいる東大沼のキャンプ場に来ます。今晩(20日)は外で焼き肉です。必要な物は積んでます。
《今日の歌》 無しにしましょう。
コメント
この事故は、天災ではなく人災ですね。
今回のことを教訓にと、すぐ次に行かないで、責任の所在をとにかくはっきりさせるべきです。今回のことは、勿論、裁判に持ち込まれますね。
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高体連に向けての夏休み合宿でしたが、装備は冬と変わらない装備をしてました。
(高校の部活では、ロッククライミングや冬山登山は禁止されてます)
高校生であっても、装備やルート、出発の決断などはかなり慎重にしてました。
報道を見る限り、山登りに対する心がけや決定の甘さが命取りになったと感じました。
高齢者の登山やハイキングが、ブームになっているようですが2度と今回のような事故は起こって欲しくないものです。
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。