蚶満寺(かんまんじ)に行ってきました。 場所はここ。
ねむの花が、どうして西施なのかが分かりました。
下の地図は、昔の象潟。 赤い丸の中が蚶満寺。 黄色の所に、今、道の駅がある。
1804年の地震で2.4㍍程隆起した。 そのため、水が無くなった。
芭蕉が訪れたのは、そのずっと前の、1689年。
中尊寺、山刀伐峠、尾花沢、そして最上川を下り、少し北に上ってここ象潟に来た。
元禄2年(1689年)の、今の暦で、8月1日。
ここ蚶満寺に寄ったのは、2日目の8月2日の午前中。 (証拠はこの後)
芭蕉像。 古い物ではないようだ。
芭蕉の顔は、どこの像も面長。
西施像。 新しい。 (ある人が、ここに寄付したそう)
表情は、ねむの丘のよりはいい。 ただ、仏像の顔ですね。
※ 芸術家が作ったのを見たいかな。
西施については、先日のブログでもふれましたが、簡単にまとめるとこうですね。
昔中国に、呉という国と越という国があった。
二つの国が戦って、越は負けた。
越の王は、西施を呉に献上した。
目的は、呉王の心を乱し、政治を怠らせるためだった。
それが実を結び、越は呉を滅ぼすことが出来た。
以後、越国では西施を、愛国精神を具えた天下一の美女として讃え、現在まで広く伝えられている。
また、敵国に身を捧げたことで、悲劇的な女性とも見られている。
中国四大美女の一人。 紀元前502年~470年頃まで生きた人。
こんな感じでしょうか。
芭蕉は、このことを知っていた。
芭蕉の句碑。 これは古い。 芭蕉70年忌を記念して作られた。
芭蕉は、ここに来た5年後に亡くなる。 200年以上前の物。
「象潟の雨や西施がねぶの花」と書いてある。
最初は、こうだったんですね。 奥の細道の中のと違う。
※ 最上川のも、「あつめて早し」が、最初は「あつめて涼し」だった。
ねむの花は見たことが無いと、受付の人に言ったら、下のハガキをくれた。
普通の花とは、違う。
ここから、本題にはいりますね。
上にも書いたが、最上川を下り、ここ象潟に入った。
元禄2年(1689年)、8月1日(新暦)の昼頃だった。 雨の中だった。
そして、次の日の、8月2日の午前中に蚶満寺に寄った。
その時のことが、奥の細道に、下のようにある。 (昔は干満珠寺と言った)
寺を干満珠寺といふ。~~~
この寺の方丈に座して簾(すだれ)を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天をささへ、その影映りて江にあり。~~~
江の縦横一里ばかり、俤(おもかげ)松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾(うら)むがごとし。寂しさに悲し
みを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。
象潟や雨に西施がねぶの花
どういう意味かを、文献を参考に、まとめてみると。
この寺の座敷に坐って、すだれを巻き上げると、象潟の風景は一望のうちに見わたされた。南には鳥海山が天を支えるようにそびえ立ち、
その影が映って水上にある。~~~
入江の縦横は各一里ばかり、そのおもかげは松島に似通っていているが、また違ったところがある。松島は笑っているような明るさがあり
象潟は憂いに沈んでいるかのようだ。 象潟は寂しさの上に悲しみの感を加えて、そのたたずまいは傷心の美女のおもかげに似ている。
(最後の文は、俳句との兼ね合いでこうなる。 ある文献にあった)
芭蕉は、象潟の風景(たたずまい)が、西施のおもかげに似ていると感じた。
じゃあ、ねむの花は何なのだということです。
ねむの花は、象潟の風景の象徴だったと思います。
雨にそぼ濡れたねむの花の姿は、傷心の西施と重なった。
この花は、ナデシコと同じように繊細で色が鮮やかだ。
美女に例えても、おかしくない。
また、蚶満寺の受付の人が、こう言った。
ねむの花は、女性のまつ毛に似ている。
芭蕉も、きっとそう見えた、という説もあるんですよ、って。
これで、何とか分かったかなと思います。
芭蕉が見た雨にうちけぶる象潟の風景は、西施を思い出させるものであり、
そこに咲いていたねむの花は、傷心の西施のように濡れて咲いていた。
こんな感じでまとめてみましたが、どうでしょう。
芭蕉です。 初めて見ました。
大きな葉っぱです。
昔の島。 春、田んぼに水が張られると、昔がよみがえるそうだ。
芭蕉は、ここが風光明媚な地であることは知っていた。
でも、西行がここに来ていたことも、芭蕉がここに寄った大きな理由。
昔、笛をつないだ石。 芭蕉もここに船で来た。
本堂。
1804年の象潟地震で、多くの人が死んだ。 その人達をここに埋めて供養した。
彼岸花が咲いていた。 地面に咲いてるのは初めて見る。
真っ赤な感じがした。
ここの受付の人にお世話になった。 説明していただき、沢山資料もいただいた。
この俳句について、やっと分かりました。
今までより、好きになったでしょうか。
【道の駅】 昨日と同じ。 温泉も同じ。
ねむの花が、どうして西施なのかが分かりました。
下の地図は、昔の象潟。 赤い丸の中が蚶満寺。 黄色の所に、今、道の駅がある。
1804年の地震で2.4㍍程隆起した。 そのため、水が無くなった。
芭蕉が訪れたのは、そのずっと前の、1689年。

中尊寺、山刀伐峠、尾花沢、そして最上川を下り、少し北に上ってここ象潟に来た。
元禄2年(1689年)の、今の暦で、8月1日。
ここ蚶満寺に寄ったのは、2日目の8月2日の午前中。 (証拠はこの後)

芭蕉像。 古い物ではないようだ。

芭蕉の顔は、どこの像も面長。

西施像。 新しい。 (ある人が、ここに寄付したそう)

表情は、ねむの丘のよりはいい。 ただ、仏像の顔ですね。
※ 芸術家が作ったのを見たいかな。

西施については、先日のブログでもふれましたが、簡単にまとめるとこうですね。
昔中国に、呉という国と越という国があった。
二つの国が戦って、越は負けた。
越の王は、西施を呉に献上した。
目的は、呉王の心を乱し、政治を怠らせるためだった。
それが実を結び、越は呉を滅ぼすことが出来た。


以後、越国では西施を、愛国精神を具えた天下一の美女として讃え、現在まで広く伝えられている。
また、敵国に身を捧げたことで、悲劇的な女性とも見られている。
中国四大美女の一人。 紀元前502年~470年頃まで生きた人。
こんな感じでしょうか。
芭蕉は、このことを知っていた。
芭蕉の句碑。 これは古い。 芭蕉70年忌を記念して作られた。
芭蕉は、ここに来た5年後に亡くなる。 200年以上前の物。

「象潟の雨や西施がねぶの花」と書いてある。
最初は、こうだったんですね。 奥の細道の中のと違う。
※ 最上川のも、「あつめて早し」が、最初は「あつめて涼し」だった。

ねむの花は見たことが無いと、受付の人に言ったら、下のハガキをくれた。
普通の花とは、違う。

ここから、本題にはいりますね。
上にも書いたが、最上川を下り、ここ象潟に入った。
元禄2年(1689年)、8月1日(新暦)の昼頃だった。 雨の中だった。
そして、次の日の、8月2日の午前中に蚶満寺に寄った。
その時のことが、奥の細道に、下のようにある。 (昔は干満珠寺と言った)
寺を干満珠寺といふ。~~~
この寺の方丈に座して簾(すだれ)を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海、天をささへ、その影映りて江にあり。~~~
江の縦横一里ばかり、俤(おもかげ)松島に通ひて、また異なり。松島は笑ふがごとく、象潟は憾(うら)むがごとし。寂しさに悲し
みを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。
象潟や雨に西施がねぶの花
どういう意味かを、文献を参考に、まとめてみると。
この寺の座敷に坐って、すだれを巻き上げると、象潟の風景は一望のうちに見わたされた。南には鳥海山が天を支えるようにそびえ立ち、
その影が映って水上にある。~~~
入江の縦横は各一里ばかり、そのおもかげは松島に似通っていているが、また違ったところがある。松島は笑っているような明るさがあり
象潟は憂いに沈んでいるかのようだ。 象潟は寂しさの上に悲しみの感を加えて、そのたたずまいは傷心の美女のおもかげに似ている。
(最後の文は、俳句との兼ね合いでこうなる。 ある文献にあった)
芭蕉は、象潟の風景(たたずまい)が、西施のおもかげに似ていると感じた。
じゃあ、ねむの花は何なのだということです。
ねむの花は、象潟の風景の象徴だったと思います。
雨にそぼ濡れたねむの花の姿は、傷心の西施と重なった。
この花は、ナデシコと同じように繊細で色が鮮やかだ。
美女に例えても、おかしくない。
また、蚶満寺の受付の人が、こう言った。
ねむの花は、女性のまつ毛に似ている。
芭蕉も、きっとそう見えた、という説もあるんですよ、って。
これで、何とか分かったかなと思います。
芭蕉が見た雨にうちけぶる象潟の風景は、西施を思い出させるものであり、
そこに咲いていたねむの花は、傷心の西施のように濡れて咲いていた。
こんな感じでまとめてみましたが、どうでしょう。
芭蕉です。 初めて見ました。

大きな葉っぱです。

昔の島。 春、田んぼに水が張られると、昔がよみがえるそうだ。

芭蕉は、ここが風光明媚な地であることは知っていた。
でも、西行がここに来ていたことも、芭蕉がここに寄った大きな理由。

昔、笛をつないだ石。 芭蕉もここに船で来た。

本堂。

1804年の象潟地震で、多くの人が死んだ。 その人達をここに埋めて供養した。

彼岸花が咲いていた。 地面に咲いてるのは初めて見る。
真っ赤な感じがした。

ここの受付の人にお世話になった。 説明していただき、沢山資料もいただいた。

この俳句について、やっと分かりました。
今までより、好きになったでしょうか。
【道の駅】 昨日と同じ。 温泉も同じ。
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