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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

小野小町は実在の人物だから、どこかで生まれている。
それはどこだということだが、伝説の残っている町のどこか。
そう考えていいと思う。

今日、明日と小町の伝説が多く残っている雄勝を歩くが、ここは昔、小野村
(その後、他と合併して、雄勝町になり、さらに合併して、今は湯沢市に)
1日目の今日は、国道の西半分を歩いた。
国道沿いには、こんなのが見られる。

9年9月30日 (8)

最初に行ったのは、向野寺(こうやじ)。
ここは小町の菩提寺と言われ、昔は別の場所にあって小野寺と呼ばれていた。
小町が自分で彫ったという木彫りの像が安置されている。

道の駅の案内所で聞くと、そこに人はいなく、管理は近くの院内にあるお寺がしていた。
電話番号を教えていただいた。
※ また、小町の詳しい資料もお借りすることができた。

院内のお寺に電話すると、開けてくれるという。
ありがたいと思った。

道の駅から10分ほど歩いたら着いた。
ここが向野寺。 入り口には、石碑と案内板があった。
若いお坊さんが、開けて待っていてくれた。

9年9月30日 (9)

入った、本尊の右手に、小町像は安置されていた。
古い物だったが、昔は鮮やかな色をしていたことが分かる。
そばを歩いたとき、振動で首が少し動いた。
この後行く、岩屋堂で彫ったと言われている。
(専門家の鑑定を受けているのかを知りたいが、まだ分からない)

9年9月30日 (10)

小野小町は平安時代の女流歌人。 1200年前の人だ。
有名な、この歌をつくった人。
   花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに
※ この歌は晩年に作り、今に残ってる。 ということは、ここに来ても、中央とつながりがあったと考えていいのか。 この辺も分からない。
(何せ、伝説として残っているだけだから) 

小町像の正面に、額に入った小町の絵があった。

9年9月30日 (12)no8

近くに、熊野神社があった。 ここは、小町が願をかけによく訪れたという。

9年9月30日 (13)no8

小町が晩年過ごしたという、岩屋堂に向かった。 30分程歩く。
向こうの白い橋を渡り、左の川沿いの道を少し歩いたら、山に入った。

9年9月30日 (14)

こんな道を歩いた。 途中から細くなる。

9年9月30日 (15)

石碑があった。 滴りや 小町籠もりし 岩屋堂 と書いてある。

9年9月30日 (16)

キノコを採ってるおじいさんに会った。 もうすぐだと教えてくれた。
ここで、10分ほどおしゃべりした。 

9年9月30日 (17)

こんなおじいさん。 昔若い頃、札幌にいたと言った。
この後、偶然にまた会うことになる。

9年9月30日 (18)

5分ほど歩いたら、見えてきた。 赤い丸の中。

9年9月30日 (19)

岩に、大きな口があった。 そんな感じ。

9年9月30日 (20)

思ってたより大きい。 貸していただいた資料には、広さ約20畳とあった。
人は、20人でも30人でも入れる。

9年9月30日 (21)

中はこんな感じ。 奥に、像が二つ。 手前に花が。
※ ついでに、ヒカリゴケがないか探したがなかった。土は乾いていた。

9年9月30日 (22)

横から見た。 
私は資料をちゃんと読んでいなかったから気づかなかったが、天井に敷居・鴨居を取り付けたような跡があるそうだ。

9年9月30日 (23)

像が二つ。

9年9月30日 (24)

お花のところは、こんな感じ。 
左の青い食器にお賽銭が入っていた。 私も少し入れた。

9年9月30日 (25)

中から外を撮影。 小町が住んでいたとすれば、外はこんな風に見えた。

9年9月30日 (26)

小町は本当にここで暮らせたのかなと、少し思った。
ここに籠もることもあった。そう言うことかも知れないと思った。(この町にいたとして)

山を下りたら、こんな風景。 もし住んでいたら、ここの人達と関わりがあったと思った。

9年9月30日 (27)no8

野の花は少なくなったが、どこの家の庭にもが咲いていた。

9年9月30日

元来た道を戻った。 旧国道に出て歩いていた。 途中で曲がるのを忘れて、そのまま歩いていた。
さっきのおじいさんがキノコを洗っていた。
おじいちゃんの家はここだったのかい、とか言いながら、また話した。

9年9月30日 (2)

おじいさんと別れて、小町堂に向かった。 歩いて3分ほど。
小町堂に着く頃、おじいさんが自転車で追いかけてきた。
いろいろ教えてくれた。

ここには、昔古い小町堂があった。
今は国道の方を向いているが、昔は、反対側の旧国道の方を向いていた。
そっちから撮ったのがこの写真。 
※ 桜の木か、柳なのかは、確認していない。 (分かったら後で。琵琶湖の近くでこんな桜を見たが)

9年9月30日 (3)

立派なお堂だ。 何を参考にしてこのデザインを考えたのか。 
平等院の鳳凰堂のようだ。
ここで毎年、6月に小町まつりが開かれる。

9年9月30日 (4)no3

お堂にはがあった。 地域の人が輪番であげてるそうだ。

9年9月30日 (5)

菅江真澄が、ここに来ていた。 (手這坂となまはげのブログに登場している)
これを読むと、ここの伝説は古くからのものだと分かる。

9年9月30日 (6)

小町堂を見ていたら、雄勝中学校の女生徒達が、校外学習でやってきた。
女の子達から、あいさつをしてきた。
楽しそうに動き回って、案内板の説明とかを読んでいた。

4人のグループが、私に、向野寺はどこですかと聞いてきた。
持っていた案内の地図で場所を伝えた。
鍵がかかっているので、もし行くなら電話してあげるよ、と言った。
でも、時間がなかったからか、遠慮した。 
そこまでしてもらわなくても、と考えたようでもあった。

子供達は、小町堂に来る前、自転車で岩屋堂にも行っていた。
少しの差で、会ってはいなかった。

子供達の会話は、ずっと聞こえていた。
その内容から、雑な考えをしていないことを感じた。
また、この授業を楽しんでいるようにも見えた。
別れるとき、何度も挨拶をしてくれた。 その後、別の場所で会ったときも。

家庭と学校がどうであれば、あんな子供達が育つんだろう。 そう思った。
私は教育に関わっていたから、すぐにこういう考えをする。
でも、これだと、子供達に少し失礼かなと思った。
自分で考え、自分の力で、今の自分に成長させた。
それを支えたのが、家庭と学校。
そう、考え直した。

4人とも、いい目つきをしてましたよ。 
以前職場で、雄勝出身の人の教育実習を引き受けたことがあったのですが、目の感じに、共通のもの
を感じました。
それは、視線がはっきりしている、ということでしょうか。

今日は、すてきな中学生に出会いました。
おじいちゃんにも出会って、いい一日になりました。


これは、道の駅のそばにある、二つ森
小町と、小町を追ってやってきた深草少将の墳墓と言われている。

9年9月30日 (7)

明日は、東半分を歩きます。
まとめは、そこで書きます。


【道の駅】    おがち  同じです。  温泉は、院内にある、ほっと館。 春にも行った。

時間がないので、歌はなし。 1日に載せる歌は、決めてますよ。


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コメント

義経、西行、芭蕉、西施、そして小野小町。いっぱい歴史上の人物が登場してきて、心がワクワクしています。
芭蕉は、義経がたどった道を歩いたのですね。これは初めて知ることでした。もう一度、真剣に「奥の細道」を
読んでみたいと思いました。「奥の細道」は本当に奥が深いですね。
「象潟」(きさがた)の名前や、そこが名勝地だったことも全く知りませんでした。いいところであるようですね。遠野に行かれるようですが、手前の花巻に寄る予定はありませんか? 宮沢賢治ゆかりの地ー花巻を、akkamui21さんのカメラで見、akkamui21さんが感じたままの文章を読んでみたいです。

いい旅を続けてください。
このブログに出会い、「夢」や「生きがい」について
再認識しました。また書きます。
            2009,10.1  銀河宙太

Re: タイトルなし

浅い知識で、好きなことを書いているんですよ。
深くは書けないから、何にでも首を突っ込む。
そんな感じです。

花巻で賢治の何かを探してみます。
夏に行った他に。

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Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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