飛び立って、戻ってきた人はいるのか。
このことが、最後に知りたかったことだった。
一昨日、平和記念館では、分からなかった。
それが、今日、2件知ることが出来た。 歴史に埋もれていると思っていたが。
色々調べていたら、このことについて、NHKで番組を作っていた。 2007年に。
知覧の街の中。 少し行った左手に、富屋食堂。 少し見える。 ※ 武家屋敷は、後方左に。
この辺り、いろいろ。
こんな鳥が。 水面に、時々何かを捕りに行く。
麓川。
見えました。 右隣は、富屋旅館。 昭和27年に、遺族を泊めるために建てられた。
富屋食堂は、特攻の母と慕われた、鳥濱トメさんの食堂。
当時の場所に、資料館として復元した。(名前は、ホタル館)
映画「ホタル」の舞台にもなっている。
これについては、右を読んでください。 映画「ホタル」については、ここに。
昔の富屋旅館。
中の展示は、こんな感じ。(パンフレットから)
トメさんは、特攻の母と呼ばれた。
戻ってきた話し①
昭和20年4月29日、安部正也(21)が知覧飛行場を飛び立った。
ところが、エンジンの調子が悪い。(珍しいことではなかった)
黒島に不時着した。 場所は、ここ。
そうしたら、その島には、もう一人不時着していた者がいた。
名前は、柴田信也。 柴田は、大やけどを負っていた。
安部は、このままでは柴田は助からないと考え、島の若者(安永克己)に船を頼み、開聞岳目指して30時間漕いだ。
二人は、富屋食堂に来た。 安部は、長い髭を生やしていた。
トメさんは、床屋を呼んでやった。
それが終わると、安部は、
「ありがとう、おばちゃん。 明日、福岡まで飛行機を取りに行かなければならない」
って飛び出していった。
そうして、5月4日。
黒島の上空を、何回も旋回する飛行機があった。 低空で。
落下傘で、火傷の薬や、医薬品を落とした。
それが終わったら、真っ直ぐ沖縄に向かって飛んで行った。
黒島で助かった、柴田と言う人は、戦後何回も黒島や富屋食堂を訪れた。
(S.63年に68歳でなくなっている)
戻ってきた話②
川上勉という男がいた。 彼女がいた。布施綾子。知覧にも来ている。
川上は、知覧を飛び立って、2度戻った。(最初は、5月11日)
卑怯者と言われ、知覧の街でも噂になった。いろんな制裁も受けた。
試験飛行をさせられた。(訓練のようなものか)
5月30日だった。
彼は、故郷の隼人に向かった。
そして、上空を何回も旋回して、近くの畑に墜落して死んだ。
当然、特攻の名簿にはない。
この話で何が分かるかと言うと、
・普通の人たちも一緒になって殺していたということ。
・決意は固まっていなかったこと。
※ 希望した段階で、決意は固まっていたと思っていたが、どうもこの希望自体があやしいものだった。
半強制的だったことが、調べたら分かった。
もちろん、形は希望ですよ。
トメさんは、こう言ったそうだ。
「二度と繰り返してはならない」と。
もし特攻を賛美していたら、上の言葉は、ウソになる。
でも、この資料館は、戻って来た人のも展示してあった。
このことで、トメさんの言葉は、トメさんの本心だと言うことが分かった。
下の写真は、全員名前が分かっている。 2名だけ書くと、
子犬を抱いてるのは、荒木幸雄(17歳) その右は、高橋峯好(17歳)
どこの浜でしょう。 無理して死ぬなって思う人は、いたのでしょうか。
戦後の、トメさん。 祈りの日々を送った。
帰還した人の話があります。 ここに。
そこに、何を展示しているかで、そこの施設の考えが、そっと分かってきます。
知覧の最後に、ホタル館に行って、よかったでしょうか。
【道の駅】 喜入 ここです。
【明日の予定】 鹿児島かなと思っています。
夏のように、動けないのがこまる。 拠点が必要か。 隼人のAZにするとか。
【今日の歌】 白い花・心の花(YouTube) 山崎ハコです。
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