私の車の右隣に、ワゴン車が停まっている。 札幌の人。(私より、年上)
夕方、誘われて、車の中でお酒を飲み始めた。
旅のビデオを見た。 クマが登場するのも。
食べ物がなかったので、私は、近くの店に行った。 刺身とお寿司(海苔巻き等)を買った。
それを持って戻った。
ワゴン車のドアを開けたら、その父さん寝てた。 私に気づき起きたが、
「あんた、だあれ。 どこの人」って、やさしく言う。 寝ぼけている。
こりゃダメだ、と思って、車に戻り一人で食べてた。
少しして、さっきの父さんがやってきた。 ごめん、ごめんって。
そんなことがあって、9時頃まで飲んだ。
日本酒ばかり。 飲み過ぎて、ブログどころではなくなった。
喜入の昔の中心地を歩いた。
そこは、少し山に入るが、土地の歴史に詳しい人が案内してくれた。
その人には、偶然出会った。
磨崖仏と滝があるので探した。 昼なお暗いとあったので、それが魅力。
昔、街道だったと感じる道に出た。 家並みの雰囲気もいい。
土手の向こうに、花がのぞいていた。
私は、ここには、山の上の方から、入ってきた。
墓地があった。
こんな説明板が。 江戸時代の初め頃までは、この辺りが、喜入の中心地。
場所は、この辺り。 地名は、旧麓(もとふもと)。
梅の花でいいでしょうか。
家の庭が立派だ。 知覧の武家屋敷の庭に似ている。 ここは、知覧に近い。
塀があったら、住んでて安心するのでしょうか。
この辺りで、交通整理をしている人に会った。
磨崖仏はどこなのか、聞いた。 こう言った。
この道を下りて行ったら、看板があって、その向かいに詳しいお爺さんがいると。
ぶら下がっている黒いのは、何でしょうね。
ヘラと、すりこぎを持ってますね。 どうしてだろう。
池田湖の地蔵さんも、頭の上はこうだった。
上の写真を撮って歩いていたら、自動販売機があった。
何かを買おうとしている、お年寄りがいた。
磨崖仏について聞いてみた。 この集落についても。
今会ったばかりなのに、案内してやるという。
磨崖仏ではなく、この地域の珍しい所のようだ。
歴史に詳しいので、交通整理の人が言ったのは、この人だと思った。
明治の前まで、向こうに寺があったそうだ。
薄い大根が干してあった。 漬物にする。
山の斜面を20㍍ほど登ったら、ここに着いた。
下の寺から、ここに運ばれたそうだ。
明治の初め、廃仏毀釈で、仏像は粗末にされた。
このように、首のつながってるのは、珍しいと言った。
寶暦十年と書いてある。
お爺さんは、ずっと説明しながら、歩いた。
私が言った磨崖仏のことは、忘れているようだった。
それでもいいかなと思って、説明を聞いていた。
あの山の上に、城があった。 薩摩には、外城と言われるものが、たくさんあった。(30位か)
知覧の武家屋敷の通りに、少し似ている。
こんな飾りがあっちこっちに。
これは、水を引いてつくった川。 きれいな水が流れていた。
黒いのは、カワニナ。 ホタルの幼虫の餌。
お爺ちゃんは、鯉を飼ったら、カワニナを食べるので、飼ったらダメだといった。
家においでって言うので、少しだけ、お邪魔した。
武家屋敷の庭だ。
※ 実は、おじいちゃんの家は、知覧のブログで、最後に出てきた西郷家と親戚だった。
珍しいものも、いっぱいあった。
お爺ちゃんは、歴史も詳しいし、木彫りもやってた。
お爺ちゃんの祖父は、西南戦争の生き残った一人だった。
磨崖仏を見に行こうと思ったら、雨が降ってきた。
車の所まで、傘をさして送ってくれた。
お爺ちゃんにとって、私はちょうどいいい話相手だったようだ。
お爺ちゃんのペースではあったが、面白かった。 聞き取れない部分も多かったが。
通りがかった人は、みんな挨拶してくれる。 子供も。
お店で会う人たちも、やわらかい。
九州の良さを、人に会うたびに感じますね。
【道の駅】 同じです。 喜入。
【明日の予定】 車の排気の警告灯がつきました。 指宿の鹿児島トヨタに行ってきます。
ウイルスゼロを入れたのに、更新ができない。 ケーズデンキにも。
【ブログランキング】 7位です。
夕方、誘われて、車の中でお酒を飲み始めた。
旅のビデオを見た。 クマが登場するのも。
食べ物がなかったので、私は、近くの店に行った。 刺身とお寿司(海苔巻き等)を買った。
それを持って戻った。
ワゴン車のドアを開けたら、その父さん寝てた。 私に気づき起きたが、
「あんた、だあれ。 どこの人」って、やさしく言う。 寝ぼけている。
こりゃダメだ、と思って、車に戻り一人で食べてた。
少しして、さっきの父さんがやってきた。 ごめん、ごめんって。
そんなことがあって、9時頃まで飲んだ。
日本酒ばかり。 飲み過ぎて、ブログどころではなくなった。
喜入の昔の中心地を歩いた。
そこは、少し山に入るが、土地の歴史に詳しい人が案内してくれた。
その人には、偶然出会った。
磨崖仏と滝があるので探した。 昼なお暗いとあったので、それが魅力。
昔、街道だったと感じる道に出た。 家並みの雰囲気もいい。
土手の向こうに、花がのぞいていた。

私は、ここには、山の上の方から、入ってきた。
墓地があった。

こんな説明板が。 江戸時代の初め頃までは、この辺りが、喜入の中心地。

場所は、この辺り。 地名は、旧麓(もとふもと)。

梅の花でいいでしょうか。

家の庭が立派だ。 知覧の武家屋敷の庭に似ている。 ここは、知覧に近い。

塀があったら、住んでて安心するのでしょうか。
この辺りで、交通整理をしている人に会った。
磨崖仏はどこなのか、聞いた。 こう言った。
この道を下りて行ったら、看板があって、その向かいに詳しいお爺さんがいると。

ぶら下がっている黒いのは、何でしょうね。

ヘラと、すりこぎを持ってますね。 どうしてだろう。
池田湖の地蔵さんも、頭の上はこうだった。

上の写真を撮って歩いていたら、自動販売機があった。
何かを買おうとしている、お年寄りがいた。
磨崖仏について聞いてみた。 この集落についても。
今会ったばかりなのに、案内してやるという。
磨崖仏ではなく、この地域の珍しい所のようだ。
歴史に詳しいので、交通整理の人が言ったのは、この人だと思った。
明治の前まで、向こうに寺があったそうだ。

薄い大根が干してあった。 漬物にする。

山の斜面を20㍍ほど登ったら、ここに着いた。
下の寺から、ここに運ばれたそうだ。

明治の初め、廃仏毀釈で、仏像は粗末にされた。

このように、首のつながってるのは、珍しいと言った。

寶暦十年と書いてある。

お爺さんは、ずっと説明しながら、歩いた。
私が言った磨崖仏のことは、忘れているようだった。
それでもいいかなと思って、説明を聞いていた。
あの山の上に、城があった。 薩摩には、外城と言われるものが、たくさんあった。(30位か)

知覧の武家屋敷の通りに、少し似ている。

こんな飾りがあっちこっちに。

これは、水を引いてつくった川。 きれいな水が流れていた。

黒いのは、カワニナ。 ホタルの幼虫の餌。
お爺ちゃんは、鯉を飼ったら、カワニナを食べるので、飼ったらダメだといった。

家においでって言うので、少しだけ、お邪魔した。
武家屋敷の庭だ。
※ 実は、おじいちゃんの家は、知覧のブログで、最後に出てきた西郷家と親戚だった。

珍しいものも、いっぱいあった。
お爺ちゃんは、歴史も詳しいし、木彫りもやってた。
お爺ちゃんの祖父は、西南戦争の生き残った一人だった。

磨崖仏を見に行こうと思ったら、雨が降ってきた。
車の所まで、傘をさして送ってくれた。
お爺ちゃんにとって、私はちょうどいいい話相手だったようだ。
お爺ちゃんのペースではあったが、面白かった。 聞き取れない部分も多かったが。
通りがかった人は、みんな挨拶してくれる。 子供も。
お店で会う人たちも、やわらかい。
九州の良さを、人に会うたびに感じますね。
【道の駅】 同じです。 喜入。
【明日の予定】 車の排気の警告灯がつきました。 指宿の鹿児島トヨタに行ってきます。
ウイルスゼロを入れたのに、更新ができない。 ケーズデンキにも。
【ブログランキング】 7位です。

スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui21.blog.fc2.com/tb.php/808-966cdf47