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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

今いるところは、天草四郎の母の古里です。
四郎は、ここで生まれたかもしれない。 可能性はありますよ。

場所は、上天草市にある、維和島(いわじま)の蔵々(ぞうぞう)です。 港の駐車場にいます。 地図ではここ
 
夕方、ポンカンの差し入れがありました。
昼間、子供をおぶっていたおばあちゃんからです。


朝、三角港を散歩していたら、釣りをしている船があった。
この船もそうだが、屋根のついてる船が多い。 のんびりしている感じだ。
オホーツクの船には、ない。 北に海の船は、波を蹴散らして、沖にまっしぐらだ。

10年1月31日 (1)

天草最初の島、大矢野島に向かった。 天草四郎メモリアルホールがある。

天草五橋の最初の橋(1郷橋)、天門橋。 工事中だった。 隣は、昨年5月に撮影。 逆方向から。

10年1月31日 (26)   天門橋KKK  10年1月31日 (27)

大矢野島は、上天草市。 メモリアルホールに着いた。

天草四郎の像。 下の建物の、すぐそばに。 
※ 原城の像の方が、いいですね。 それはここに。 明日を信じた人々の戦い「島原の乱」。

IMG_7293ccdf.jpg

宗教色が、強いのかな。

10年1月31日 (4)

天草四郎の墓。 何が入っているんだろう。        キリシタンの墓。

10年1月31日 (5)  10年1月31日 (3)

この辺り全体が、上天草市の中心街。 また、観光の中心。 海は、有明海。

10年1月31日 (7)

10年1月31日 (6)  10年1月31日 (8)

満開の梅の花。

10年1月31日 (10)

天草四郎メモリアルホール。  ※ 塗装工事中だった。 これは、入り口にあった写真。

IMG_7307sswr.jpg

中は、展示と映像ホール。 写真の撮影は出来なかった。

10年1月31日 (23)  10年1月31日 (24)

ここは、個人でなく、市の建物。

「自由と平等の戦い」と、島原の乱を、押さえていた。 
こんな表現でも。
「日本で初めて、民衆が、自由と平等を求めて戦った」

戦いでは、「殉教の炎が燃え」、人々は、「天草・島原の誇りとなった」、とあった。

ここは、島原の乱を、宗教色の強い押さえ方をしていた。

※ 島原半島の原城では、圧政やキリシタンへの迫害に対しての、一揆という押さえ方。

10年1月31日 (22)

天草は、小西行長の所領だった。
小西行長は、キリシタン大名だったが、関ヶ原では西軍に付いた。 負けて、首を切られた。
キリシタンに対する状況は一変し、江戸時代に入って、迫害は強まっていった。

反乱がおきるようになった。
年貢の取りすぎが原因だったが、領主は、反抗的なキリシタンの暴動と幕府に説明した。
つまり、キリシタンが、領主の失政の言い訳に利用された。

それから、小西行長や島原の有馬晴信の残党が、天草四郎を担ぎ出した。
島原の乱で戦った者たちは、すべて民衆ではなく、昔武士だったものもいた。
全員素人なら、戦いにならない。

※ メモリアルホールの考えをメモしてきたので、下に載せます。
        (島原の乱を正確に押さえていないという、感じがするが)

《 自由と平等の戦い 》
青く澄み切った空があった。透き通った藍色の海があった。美しい自然があった。
しかし、人々の自由は奪われ、平等はなかった。
今から400年前、小さな島に、「自由・平等」の息吹が芽生えたことを知る人は少ない。
古い制度に、敢然と立ち向かう、勇気ある人々がいた。
苦難に耐え、不屈の闘志にあふれる人々がいた。
自由を求め、平等を叫び、壮絶な戦いに臨んだ37000の御霊は、今静かにパラゾイに眠る。 ※パラゾイ~楽園・天国
天草四郎はまさに、「自由・平等・博愛」の象徴だった。

以下、省略。

江戸時代は、すべてが圧政。
天草の人達も、周りと同じ程度の圧政や、また苦しみなら一揆は起こさなかった。
高い目標で戦ったのではなく、このままなら、死が待っていると思って、戦った。
そう思いますね。

キリシタン大名の、小西行長は、寺や神社は焼いた。
先日登った、釈迦院も、小西行長に焼かれていた。
今日、この後行く神社も、その時焼かれていた。
他を認めての自由平等には、なっていない面もある。むずかしい。


知らない島に向かった。 何があるかは分からない。  

10年1月31日 (28)

名前は、維和島。

10年1月31日 (29)

反対側にある港に向かった。

10年1月31日 (11)

蔵々(ぞうぞう)という地域。 そこの港。

10年1月31日 (12)

上の写真の近くに、下のような標示が、数枚あった。 色んなことが分かった。

IMG_7375vvbc

このような井戸が、そばの家の敷地内にある。
昔は、この島唯一の井戸。(写真は、説明にあったもの)
この井戸が掘られたのと、天草四郎が生まれたのは、同じ年。 1622年。

10年1月31日 (21)

こんなことが分かった。

① 天草四郎は、大矢野町の出身。 (大矢野島)
② 四郎の母は、維和島の蔵々の人。 つまり、ここの人。
③ 母親は実家のあるここに戻って、四郎を生んだ可能性がある。(島の人達は、そう考えている)
④ 島原の乱の作戦を立てるなどの本拠地は、大矢野島の宮津にあった教会。 メモリアルホールのあった所が、宮津。

私は、たまたまここに来たが、天草四郎の母親、また四郎のゆかりの地だった。

蔵々を散歩した。

10年1月31日 (13)

最初に書いたおばあちゃんも散歩していた。 3度会った。

10年1月31日 (14)  10年1月31日 (15)  10年1月31日 (16)

車が通れない道も多い。

10年1月31日 (17)

10年1月31日 (18)

この地域の神社。 この神社も、焼かれていた。

10年1月31日 (19)

ただの田舎道だが、面白い標示が。

IMG_7371vvbd

こんなの。

10年1月31日 (20)

港に戻って、気付いた。 今朝までいた、三角の港が見えた。 海のピラミッドも。

IMG_7379cczv

夕方、ポンカンが届いた。 川がむきやすく、食べやすい。 甘い。

10年1月31日 (25)

偶然でしたが、いいところに来たと思った。
島原の乱については、複雑な面があるが、少し分かってきたように思うでしょうか。


【停泊場所】   蔵々の港。  地図は、上に。

【明日の予定】  天気がぱっとしない。 見晴らしのいいところに行きたい。

【今日の歌】   ハンガリー舞曲 第5番(YouTube)  ギターです。



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akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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