天草で、最後に行くと決めていたのが、富岡城。
天草四郎が、もしこの城を落とせていたら、その後の展開は違った。
激戦だった。
こっちの方では、五足の靴という言葉が、よく目につく。
下田温泉には、五足の湯という足湯があった。
天草の西海岸は、今道路の整備が続いている。
両側1車線のトンネルが、2つあった。
それは、岩をただ掘っただけの、洞窟のようなものだった。
知らない町に寄ってみたかった。 下田は、小さな温泉の街だった。 ここです。
向こうの海の方から入ってきた。 右手裏にも道があり、そこにも旅館があった。
ここには、十軒と少しの、温泉旅館やホテルがある。
お土産屋が並ぶほど、大きくはない。 静かな温泉街。
下は、温泉センター白鷺館。 白鷺のおかげで、下田温泉は生まれた。(?)
日帰り入浴500円。
※ 食事とセットなら1000円。 それにした。
その食事は、それだけなら850円の定食で、平アジのあんかけ。 骨や皮が美味しかった。
少し散歩した。 ここは、温泉神社。
ずっと昔(建武2年)、ここの川で水浴びしている白鷺がいた。
毎日来るので見てみたら、そこには温泉が湧いており、自分の傷を治していた。
白鷺のおかげで、温泉は見つかった。
よくある話だが、文句言うほどのことではない。
※ このお話を、内容のある美しい文で、完成させたらいいと思う。 専門家に頼んで。
観光案内に載っているのは、文が不十分で、ぎこちない内容のものが多い。
白鷺の口から水が出ていた。
温泉街の入り口にある、五足の湯。 足湯。 ※ 駐車場が狭く、車の中から撮影。
1907年の夏、与謝野寛(鉄幹)が、まだ学生だった太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を連れて、この天草にやってきた。
その旅の記録は、「五足の靴」という題で、その年の秋に発表された。
遠くに見えるのが、富岡半島。 ※ 島が、砂嘴(さし)で繋がっている。
ここに、復元した富岡城がある。
この辺りは、奇岩が多い。
温泉に入って、切支丹の歴史(哀史)に触れるのが、観光コースになっている。
苓北町に向かった。
九州電力苓北発電所を過ぎ、富岡半島に入ると、山の上に城は見えてきた。
富岡城は、石垣の他に、本丸など、いくつかの建物が復元されていた。 ここです。
城は大きく破壊されていたため、石垣の石は、新しいのがほとんど。 ※ 黒っぽいのが、昔のか。
復元前は、こうだった。 石垣が、三層に。 ※ 黒っぽいところは、島原の乱の時の傷だそう。
説明。
石垣が高く堅牢だったからか、天草四郎はこの城を落とせなかった。
途中で、島原に向かう。
富岡城は、攻撃を受けた側だから、戦いは幕府側から見ていた。
※ 町で作製したパンフレットには、こう書いてあった。
寛永14年(1637年)、「天草・島原の乱」で、富岡城は幕府側の拠点として一揆軍から攻撃を受けました。
必死の守りで落城を免れたことが、乱の早期終結と後の徳川幕府の安定をもたらしたと言われています。
いろんな見方があると、感じましたね。
立っている所を含めて、全体が、富岡城。 勝海舟たちの像がある。
左の方は、島原半島。
この砂嘴は、この半島の左の方から、伸びている。 ※ 天橋立も砂嘴ですね。 ここは、それのミニ版。
苓北町、市街地。
勝海舟。 この地を2度訪れている。 ※ それ以上に、何かがあったのかは、分からない。 勝海舟(Wikipedia)
復元した建物は、資料館になっていた。
下が、観光丸。(津天主堂のブログ書いた) 昔の、富岡城。
本丸に向かう。 右に見える。
苓北町の地図があった。 ここは、左上。
この文は面白い。 命をかけて戦った者に、冷たくはなかった。
勝海舟は、この地域の寺に、落書きをした。 それが、苓北町の宝になった。
この門を越えて、本丸。 ビジターセンターになっていた。(県立)
見晴らしがいい。
苓北町は天草市に入っていない。裕福だから、のよう。 向こうと、砂嘴で繋がっている。
こっちの砂嘴には、明日、行かなければならない。
熊本県富岡ビジターセンターは、2005年にオープン。
雲仙天草国立公園の内容を紹介し、天草地方の様々な情報の発信していた。
ここを管理している人に、たくさんの情報をいただいた。
地域の人の作品も展示していた。
いいですよ。
城から戻る途中に、アダム荒川殉教の地があった。 ※ 詳しくは、ここに。
今日の停泊場所は、ビジターセンタで教えていただいた。 そこからの風景。
明日、島から出る予定だった。
ビジターセンターで、苓北町の魅力を聞き、それを知った。
もう一日、いることになった。 林芙美子も、ここに来ていた。
【停泊場所】 海中公園展望台 駐車場 ここです。
【明日の予定】 もう一日、ここです。
【今日の歌】 天草四郎(YouTube) わらび座です。 再度。 短い方。 いいですよ。
【ブログランキング】 7位です。 感謝。
天草四郎が、もしこの城を落とせていたら、その後の展開は違った。
激戦だった。
こっちの方では、五足の靴という言葉が、よく目につく。
下田温泉には、五足の湯という足湯があった。
天草の西海岸は、今道路の整備が続いている。
両側1車線のトンネルが、2つあった。
それは、岩をただ掘っただけの、洞窟のようなものだった。


知らない町に寄ってみたかった。 下田は、小さな温泉の街だった。 ここです。
向こうの海の方から入ってきた。 右手裏にも道があり、そこにも旅館があった。
ここには、十軒と少しの、温泉旅館やホテルがある。
お土産屋が並ぶほど、大きくはない。 静かな温泉街。

下は、温泉センター白鷺館。 白鷺のおかげで、下田温泉は生まれた。(?)

日帰り入浴500円。
※ 食事とセットなら1000円。 それにした。
その食事は、それだけなら850円の定食で、平アジのあんかけ。 骨や皮が美味しかった。

少し散歩した。 ここは、温泉神社。

ずっと昔(建武2年)、ここの川で水浴びしている白鷺がいた。
毎日来るので見てみたら、そこには温泉が湧いており、自分の傷を治していた。
白鷺のおかげで、温泉は見つかった。
よくある話だが、文句言うほどのことではない。
※ このお話を、内容のある美しい文で、完成させたらいいと思う。 専門家に頼んで。
観光案内に載っているのは、文が不十分で、ぎこちない内容のものが多い。
白鷺の口から水が出ていた。

温泉街の入り口にある、五足の湯。 足湯。 ※ 駐車場が狭く、車の中から撮影。

1907年の夏、与謝野寛(鉄幹)が、まだ学生だった太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を連れて、この天草にやってきた。
その旅の記録は、「五足の靴」という題で、その年の秋に発表された。

遠くに見えるのが、富岡半島。 ※ 島が、砂嘴(さし)で繋がっている。
ここに、復元した富岡城がある。


この辺りは、奇岩が多い。
温泉に入って、切支丹の歴史(哀史)に触れるのが、観光コースになっている。

苓北町に向かった。
九州電力苓北発電所を過ぎ、富岡半島に入ると、山の上に城は見えてきた。

富岡城は、石垣の他に、本丸など、いくつかの建物が復元されていた。 ここです。

城は大きく破壊されていたため、石垣の石は、新しいのがほとんど。 ※ 黒っぽいのが、昔のか。

復元前は、こうだった。 石垣が、三層に。 ※ 黒っぽいところは、島原の乱の時の傷だそう。

説明。

石垣が高く堅牢だったからか、天草四郎はこの城を落とせなかった。
途中で、島原に向かう。

富岡城は、攻撃を受けた側だから、戦いは幕府側から見ていた。
※ 町で作製したパンフレットには、こう書いてあった。
寛永14年(1637年)、「天草・島原の乱」で、富岡城は幕府側の拠点として一揆軍から攻撃を受けました。
必死の守りで落城を免れたことが、乱の早期終結と後の徳川幕府の安定をもたらしたと言われています。
いろんな見方があると、感じましたね。
立っている所を含めて、全体が、富岡城。 勝海舟たちの像がある。

左の方は、島原半島。

この砂嘴は、この半島の左の方から、伸びている。 ※ 天橋立も砂嘴ですね。 ここは、それのミニ版。

苓北町、市街地。


勝海舟。 この地を2度訪れている。 ※ それ以上に、何かがあったのかは、分からない。 勝海舟(Wikipedia)

復元した建物は、資料館になっていた。
下が、観光丸。(津天主堂のブログ書いた) 昔の、富岡城。


本丸に向かう。 右に見える。

苓北町の地図があった。 ここは、左上。

この文は面白い。 命をかけて戦った者に、冷たくはなかった。

勝海舟は、この地域の寺に、落書きをした。 それが、苓北町の宝になった。

この門を越えて、本丸。 ビジターセンターになっていた。(県立)

見晴らしがいい。
苓北町は天草市に入っていない。裕福だから、のよう。 向こうと、砂嘴で繋がっている。

こっちの砂嘴には、明日、行かなければならない。

熊本県富岡ビジターセンターは、2005年にオープン。
雲仙天草国立公園の内容を紹介し、天草地方の様々な情報の発信していた。
ここを管理している人に、たくさんの情報をいただいた。
地域の人の作品も展示していた。

いいですよ。

城から戻る途中に、アダム荒川殉教の地があった。 ※ 詳しくは、ここに。

今日の停泊場所は、ビジターセンタで教えていただいた。 そこからの風景。


明日、島から出る予定だった。
ビジターセンターで、苓北町の魅力を聞き、それを知った。
もう一日、いることになった。 林芙美子も、ここに来ていた。
【停泊場所】 海中公園展望台 駐車場 ここです。
【明日の予定】 もう一日、ここです。
【今日の歌】 天草四郎(YouTube) わらび座です。 再度。 短い方。 いいですよ。
【ブログランキング】 7位です。 感謝。

スポンサーサイト
コメント
富岡城
富岡城は最近復元されたんでしょうか。石垣がきれい過ぎて違和感があります。景色はいいですけど。
Re: 富岡城
石垣含めての復元です。
江戸時代に、城は必要なくなって、破城になっています。
石垣は、かなり破壊された状態で残っていました。
江戸時代に、城は必要なくなって、破城になっています。
石垣は、かなり破壊された状態で残っていました。
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui21.blog.fc2.com/tb.php/835-3a44503d