もし木村緑平さんがいなかったら、山頭火はどうなっていたんだろう。
今の山頭火は、無かったかも知れない。
そんなことを考えながら、糸田の町を歩いた。
また、井上陽水は、この町で音楽に対する感性を磨いた。
陽水の家は、歯科医だった。
昔、そこで働いていた人に、たまたま出会った。 話を聞くことができた。
※ 写真の掲載は、12時頃には終わる。
最近は、その後、ネットで調べ物をしている。 それが面白い。
早ければ、1時頃まで。 遅ければ、4時頃まで。
昨夜は、陽水の音楽を聞いたり、山頭火について調べた。
2時頃から酒を飲みながら。 3時過ぎに寝た。
いつもは、何時に寝ても7時頃起きるが、今日は気づいたら9時半。
今日は、午後から、門司に向かう。 九州最後かな。 九州に4カ月いた。
私の知らない魅力がありそう。 夜景も綺麗という。 (この部分、削除の予定だったが、そのまま)
糸田町は、田川市の北西にある、小さな町。 香春から、10分ほどで着いた。
車は、皆添橋の近くの空き地に停めた。
ここが、皆添橋。 欄干に、レリーフがあった。 地図。 ※ 皆添橋は、かいぞえばし、と読む。
こんな句が。 この町での代表作でないかな。
この町には、生涯の恩人である、木村緑平がいた。 句で、緑平に逢いたいとは表現できない。
下の地図を歩く。
橋を渡らないで、線路を渡って、貴船神社に向かった。 木村緑平旧居がある。
石垣に、ツツジが。
貴船神社が見えてきた。 神社の向こうは高台で、炭坑の管理職が住んだ職員住宅があった。
緑平は、炭坑の医者だから、ここに住んだ。
神社の右に、坑長坂があった。 坑長は、炭坑長の意味。 上は、管理職の住宅だから。
この道の上に、句碑がある。 後でこの坂を下りてくる。
神社の右を行った。 ゆるい坂。 写真の真ん中辺りに、句碑が見えてきた。
「聴診器 耳からはづし 風の音きいてゐる」 緑平。
反対側に、「逢うて別れて さくらのつぼみ」。 これは、山頭火。
好きなように、読み取ってくださいという感じかな。
今年も逢えたとか、あと何回逢えるだろうとか、いい季節がくるとか。
上の句碑は、旧居の下にあった。 登り口にこんなのが。
これが、木村緑平旧居。 昭和2年から13年まで住んだ。
山頭火の、昭和4、5年の九州の旅も、この期間に入る。
ここから見える、南の風景。 「逢いたいボタ山」と詠んだボタ山があった。
山頭火は、頼れる人もなく、放浪の果てに、ここに来た。
二人の関係や、山頭火の気持ちは、下の文で読み取れる。
※ 皆添橋のたもとにあった。 写真を撮った時、全部は読まなかった。
別の方から。
坑長坂を下りている。 句碑が見えた。
上の文で、枝は緑平の手だって、山頭火自身が言っている。
この坂を下りてきた。 この坂を山頭火が歩いたことは、きっと分かっていますね。
戻って、橋を渡って、小学校に行った。 そばに、句碑があった。
これは、緑平。
最後の所は、ふりしきる、ですね。
緑平さんがいなかったら、山頭火の旅は、どうなったんだろう。
放浪の旅は、無理だったでしょうね。
山頭火の才能も、表に出ないで、埋もれた可能性があった。
考えてみたら、埋もれてしまった人って、いっぱいいるんでしょうね。
私も埋もれてる。 いや、埋もれるものが無いか。 何言ってんだってね。
次は、陽水だ。 そっちに向かった。
いい道だ。
伯林寺境内。 ここにも、句碑があった。 ※ なぜここにあるかは、分からない。
橋にあったのと、同じ句だ。
この空き地に、昔、糸田町の役場があった。
道を少し行った所に、陽水の家はあった。 歯科医院だった。
上の写真の、左手前に、小さな公園があった。 (昔の公民館の跡地)
陽水の歌碑があった。
夏祭りの、自筆の歌碑。 夏まつり(YouTube)
上の歌碑を見ようとした時、二人の女性の方に会った。 私より年上。
一人は、若い時、陽水の家で働いていたという。 昔のことを教えてくれた。
○ 陽水は、「あきみ」と読む。 だから、みんな、あきみちゃんと呼んでいた。
○ 高校卒業まで、ここで暮らす。 高校は田川市で、通う。
○ 高校生になると、ギターを抱えていることがあった。 家には、ピアノが。
○ お父さんは、歌の上手な人だった。
○ 陽水は、子供のころから、優しい子だった。 少し、てれ屋さん。 3人兄弟。 男は、陽水だけ。
○ 去年60歳になった。 12月に福岡でコンサートがあった。 行って来たという。
○ 昭和30年過ぎには、陽水の家にはテレビがあった。
他に家にはないので、いつも誰かが、陽水の家にはいた。 ※ 台所で、食べ物を作る人もいたそう。
陽水の家は、このような雰囲気だった。
○ 陽水の父は、子供会などの世話もし、地域のためにも動いた。 悪く言う人は、いなかった。
○ 糸田町は、夕方5時になったら、スピーカーから、「少年時代」が流れる。 少年時代(YouTube)
他にも、たくさん、話してくれた。
陽水は、温かい家庭・地域に恵まれ、そこで育った。
そのことが、音楽に対する優れた感性を作りだすのに、大きく影響したと思う。
煉瓦(れんが)の家の所に、陽水の家はあった。
もう一か所句碑があるので、行ってみた。
「ボタ山ならんでゐる 陽がぬくい 」
歩いていたら、店から出てきた。 遊んでほしいって、鳴いた。
山頭火については、最近、こう思っている。
この人の評価は、100年後、芭蕉と並んでいるかもしれない、と。
陽水という人は、年をとっても、歌が上手。
タモリとのおしゃべりが、YouTubeにあったが、じつに面白い。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 門司
【今日の歌】 リバーサイドホテル(YouTube)
能古島の片思い(YouTube)
心もよう(YouTube)
井上陽水・タモリ、ギター漫才、コーヒールンバ(YouTube)
八月の濡れた砂(YouTybe) 石川セリ(奥様) 出だしが好き。 忘れられない歌。
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今の山頭火は、無かったかも知れない。
そんなことを考えながら、糸田の町を歩いた。
また、井上陽水は、この町で音楽に対する感性を磨いた。
陽水の家は、歯科医だった。
昔、そこで働いていた人に、たまたま出会った。 話を聞くことができた。
※ 写真の掲載は、12時頃には終わる。
最近は、その後、ネットで調べ物をしている。 それが面白い。
早ければ、1時頃まで。 遅ければ、4時頃まで。
昨夜は、陽水の音楽を聞いたり、山頭火について調べた。
2時頃から酒を飲みながら。 3時過ぎに寝た。
いつもは、何時に寝ても7時頃起きるが、今日は気づいたら9時半。
今日は、午後から、門司に向かう。 九州最後かな。 九州に4カ月いた。
私の知らない魅力がありそう。 夜景も綺麗という。 (この部分、削除の予定だったが、そのまま)
糸田町は、田川市の北西にある、小さな町。 香春から、10分ほどで着いた。
車は、皆添橋の近くの空き地に停めた。
ここが、皆添橋。 欄干に、レリーフがあった。 地図。 ※ 皆添橋は、かいぞえばし、と読む。

こんな句が。 この町での代表作でないかな。
この町には、生涯の恩人である、木村緑平がいた。 句で、緑平に逢いたいとは表現できない。

下の地図を歩く。

橋を渡らないで、線路を渡って、貴船神社に向かった。 木村緑平旧居がある。
石垣に、ツツジが。

貴船神社が見えてきた。 神社の向こうは高台で、炭坑の管理職が住んだ職員住宅があった。
緑平は、炭坑の医者だから、ここに住んだ。

神社の右に、坑長坂があった。 坑長は、炭坑長の意味。 上は、管理職の住宅だから。
この道の上に、句碑がある。 後でこの坂を下りてくる。

神社の右を行った。 ゆるい坂。 写真の真ん中辺りに、句碑が見えてきた。

「聴診器 耳からはづし 風の音きいてゐる」 緑平。

反対側に、「逢うて別れて さくらのつぼみ」。 これは、山頭火。
好きなように、読み取ってくださいという感じかな。
今年も逢えたとか、あと何回逢えるだろうとか、いい季節がくるとか。

上の句碑は、旧居の下にあった。 登り口にこんなのが。

これが、木村緑平旧居。 昭和2年から13年まで住んだ。
山頭火の、昭和4、5年の九州の旅も、この期間に入る。

ここから見える、南の風景。 「逢いたいボタ山」と詠んだボタ山があった。

山頭火は、頼れる人もなく、放浪の果てに、ここに来た。
二人の関係や、山頭火の気持ちは、下の文で読み取れる。
※ 皆添橋のたもとにあった。 写真を撮った時、全部は読まなかった。


別の方から。

坑長坂を下りている。 句碑が見えた。

上の文で、枝は緑平の手だって、山頭火自身が言っている。

この坂を下りてきた。 この坂を山頭火が歩いたことは、きっと分かっていますね。

戻って、橋を渡って、小学校に行った。 そばに、句碑があった。

これは、緑平。

最後の所は、ふりしきる、ですね。

緑平さんがいなかったら、山頭火の旅は、どうなったんだろう。
放浪の旅は、無理だったでしょうね。
山頭火の才能も、表に出ないで、埋もれた可能性があった。
考えてみたら、埋もれてしまった人って、いっぱいいるんでしょうね。
私も埋もれてる。 いや、埋もれるものが無いか。 何言ってんだってね。
次は、陽水だ。 そっちに向かった。

いい道だ。

伯林寺境内。 ここにも、句碑があった。 ※ なぜここにあるかは、分からない。

橋にあったのと、同じ句だ。

この空き地に、昔、糸田町の役場があった。
道を少し行った所に、陽水の家はあった。 歯科医院だった。

上の写真の、左手前に、小さな公園があった。 (昔の公民館の跡地)
陽水の歌碑があった。

夏祭りの、自筆の歌碑。 夏まつり(YouTube)

上の歌碑を見ようとした時、二人の女性の方に会った。 私より年上。
一人は、若い時、陽水の家で働いていたという。 昔のことを教えてくれた。
○ 陽水は、「あきみ」と読む。 だから、みんな、あきみちゃんと呼んでいた。
○ 高校卒業まで、ここで暮らす。 高校は田川市で、通う。
○ 高校生になると、ギターを抱えていることがあった。 家には、ピアノが。
○ お父さんは、歌の上手な人だった。
○ 陽水は、子供のころから、優しい子だった。 少し、てれ屋さん。 3人兄弟。 男は、陽水だけ。
○ 去年60歳になった。 12月に福岡でコンサートがあった。 行って来たという。
○ 昭和30年過ぎには、陽水の家にはテレビがあった。
他に家にはないので、いつも誰かが、陽水の家にはいた。 ※ 台所で、食べ物を作る人もいたそう。
陽水の家は、このような雰囲気だった。
○ 陽水の父は、子供会などの世話もし、地域のためにも動いた。 悪く言う人は、いなかった。
○ 糸田町は、夕方5時になったら、スピーカーから、「少年時代」が流れる。 少年時代(YouTube)
他にも、たくさん、話してくれた。
陽水は、温かい家庭・地域に恵まれ、そこで育った。
そのことが、音楽に対する優れた感性を作りだすのに、大きく影響したと思う。
煉瓦(れんが)の家の所に、陽水の家はあった。

もう一か所句碑があるので、行ってみた。

「ボタ山ならんでゐる 陽がぬくい 」

歩いていたら、店から出てきた。 遊んでほしいって、鳴いた。

山頭火については、最近、こう思っている。
この人の評価は、100年後、芭蕉と並んでいるかもしれない、と。
陽水という人は、年をとっても、歌が上手。
タモリとのおしゃべりが、YouTubeにあったが、じつに面白い。
【道の駅】 香春
【明日の予定】 門司
【今日の歌】 リバーサイドホテル(YouTube)
能古島の片思い(YouTube)
心もよう(YouTube)
井上陽水・タモリ、ギター漫才、コーヒールンバ(YouTube)
八月の濡れた砂(YouTybe) 石川セリ(奥様) 出だしが好き。 忘れられない歌。
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コメント
九州の旅路、4ヶ月なり
Re: 九州の旅路、4ヶ月なり
12月24日に、四国から九州に渡った。
その日、臼杵で、山頭火の句碑を見た。
九州の旅の最後は、締めくくるように山頭火になった。
情報を頂いたおかげで、いい旅になった。
一番うれしいのは、江口章子を知ったこと。
はっきりと、見直される日が来てほしい。 誰かが、動かないとダメだけど。
代表的な作品を、いくつか選ぶ必要がある。
それを決めて売り出す。
童謡を作る力は、白秋より上だった。
そのことも、別れた原因の一つでないかなと、思っている。
柳川に行った時も、お世話になった。
感謝です。
また、12月に戻ってきます。
これからも、遠くから、色々アドバイスを。
その日、臼杵で、山頭火の句碑を見た。
九州の旅の最後は、締めくくるように山頭火になった。
情報を頂いたおかげで、いい旅になった。
一番うれしいのは、江口章子を知ったこと。
はっきりと、見直される日が来てほしい。 誰かが、動かないとダメだけど。
代表的な作品を、いくつか選ぶ必要がある。
それを決めて売り出す。
童謡を作る力は、白秋より上だった。
そのことも、別れた原因の一つでないかなと、思っている。
柳川に行った時も、お世話になった。
感謝です。
また、12月に戻ってきます。
これからも、遠くから、色々アドバイスを。
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https://akkamui21.blog.fc2.com/tb.php/912-598c4dc8
その彼と4年ほど前、揚水中心の糸田町探訪をしました。その時以来、今こうして、アッカムイ21さんのブログで糸田の町並みや、山頭火・緑平の句碑、そして揚水の歌碑を再び眺めることが出来ました。ありがとうございました。私にとてっも、思い出多き町になりつつあります、糸田町は。
4ヶ月間九州に居られたのですね。ともにいい勉強ができました。軍艦島、江口章子のふるさと・香々地、香春町、糸田町。それぞれも町にそれぞれの人々が住み、それぞれの人情があり、そして喜怒哀楽の人間模様が浮かび出ています。ここ数ヶ月アッカムイ21さんのブログで、心が洗われました。旅は魂の回復の場かもしれません。西行、芭蕉、山頭火ら幾久しい先人たちが好んだように――。
九州の旅路、ご苦労さまでした。
これから山陽道の方でしょうか、それとも山陰道でしょうか。山口県の長府市とか、東行庵(高杉晋作や奇兵隊の墓地のあるところ)なども見所です。この二つは以前行きましたが、山口県光市の「伊藤公資料館」には行ったことがありません。以前から興味あるところです。
今年は伊藤博文没後100年かな? NHKが先週特集を組んでいました。伊藤と、安重根を比較し、国の捉え方も違う点を放送していました。これからも1月に一回ずつ流すようです。