萩のまちは、二つの顔を持っていた。
一つは、昔の家並みが広く残っていること。
もう一つは、江戸時代の終わり、このまちの松下村塾が、日本を動かしていたこと。
また、萩市は、この街を訪れる人に、とても優しいまちだった。
駐車場は、市が管理しており、1回300円。 何カ所かある。 これがいい。
※ 昨日、仙崎で、海岸を見る時、駐車料金400円を取られた。 個人の駐車場。 驚いた。
九州では、ほんわりした気持ちで過ごしていた。
これからは、したたかにならなければと、反省していた。
古い町並みの入り口は、ここ。 道は、四方に。
※ 地図は、ここに。 萩城跡にかけて全体が、昔の町並み。 右の方に、松陰神社が見える。
高杉晋作誕生地とあった。
この人のことは、Wikipediaでは、こう書いている。
幕末の長州藩の尊王倒幕志士として活躍。 奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕に方向付けた。
倒幕(大政奉還)は、1867年11月。
でも、その前の5月に、27歳で亡くなった。 結核。
いい雰囲気の所を、さがしながら歩いている。
石垣、白壁、垣根、通りは色んな顔を見せた。
この辺は、武家屋敷かなって感じる。 城跡に向かっている。
今日は、天気がいい。
この川を過ぎたら、城跡に入って行く。 城は、海と川に、囲まれていた。
茶室があった。 大きな茶会があるのか、この辺り一帯で、準備していた。
こういう所や、ツツジが咲いてる池もあった。 指月公園。(萩城は指月城とも呼ばれたので)
神社も。
城跡。 明治に入っての廃城令により、破壊された。
萩市は、天守閣を復元したい。 でも、すごい予算がいるそうだ。
別の道を歩いて戻っている。
長屋門が、左に見えた。
長屋門の中を初めて見た。
旧安田家の物見矢倉。 萩藩の家老。 禁門の変の責任をとって、切腹させられたとあった。
※ 禁門の変は、蛤御門(はまぐりごもん)の変とも呼ばれる。
倒幕の3年前の1864年、京都の御所の辺りで、長州藩士の一部が戦っている。 負けた。
蛤御門は、京都御所にある門。 去年の秋、御所の中を歩いた。
道が、真っ直ぐでない。
昔の町並みの中心辺りに、戻ってきた。 右に夏ミカンが。 このように、どこにでもなってた。
梅でいいのかな。 こんなに大きい。
木戸孝允旧宅に入った。 こういう人。
桂小五郎(かつら こごろう)として知られていた、尊王攘夷派の中心人物。
薩摩の西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」として並び称せられる。(Wikipedia)
妻の錦絵とあった。 ※ 複写
部屋の中。 この人の生きた時代は、仲間であっても、権力闘争がはげしかったから、大変だったようだ。
明治に入って、庶民の暮らしは、どのくらい変わったのでしょうね。
農民は、小作というのがあったから、直ぐには楽にならなかった。
良くなるのは、農地解放の後なのか。
神社と寺が、一緒にあった。 伊藤博文と高杉晋作が、子供の頃ここで学んだと。
格子戸も、いいものです。
車で移動した。 松下村塾に向かった。
駐車場は混んでて、入れなかった。 ヤマダ電機の駐車場から、10分ほど歩いた。
ここが、松下村塾。
この部屋で学んだ。
これだけの人が、学んでいた。 そうそうたるメンバーですね。
松陰神社。 連休中、みなさん事故がないようにと、目の前のことをお願いした。
松陰の旧居。 この建物の一部屋に、幽閉されたこともある。
吉田松陰。
この人は、一般的に、明治維新の精神的指導者・理論者とされている。
萩は萩。 小京都と言わなくても、十分な存在感。
駐車場やお店の人達も、感じがよかった。
萩のまちは、観光客をどのように迎えるかの、基本的な考え方が、整理されてるように感じた。
一度訪れても、そんはないですね。
よかったです。
【道の駅】 津和野温泉なごみの里 ここです。
【明日の予定】 津和野です。
【今日の歌】 案山子(YouTube) この歌の舞台は、津和野です。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で5位です。
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一つは、昔の家並みが広く残っていること。
もう一つは、江戸時代の終わり、このまちの松下村塾が、日本を動かしていたこと。
また、萩市は、この街を訪れる人に、とても優しいまちだった。
駐車場は、市が管理しており、1回300円。 何カ所かある。 これがいい。
※ 昨日、仙崎で、海岸を見る時、駐車料金400円を取られた。 個人の駐車場。 驚いた。
九州では、ほんわりした気持ちで過ごしていた。
これからは、したたかにならなければと、反省していた。
古い町並みの入り口は、ここ。 道は、四方に。
※ 地図は、ここに。 萩城跡にかけて全体が、昔の町並み。 右の方に、松陰神社が見える。

高杉晋作誕生地とあった。
この人のことは、Wikipediaでは、こう書いている。
幕末の長州藩の尊王倒幕志士として活躍。 奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕に方向付けた。
倒幕(大政奉還)は、1867年11月。
でも、その前の5月に、27歳で亡くなった。 結核。

いい雰囲気の所を、さがしながら歩いている。

石垣、白壁、垣根、通りは色んな顔を見せた。

この辺は、武家屋敷かなって感じる。 城跡に向かっている。

今日は、天気がいい。

この川を過ぎたら、城跡に入って行く。 城は、海と川に、囲まれていた。

茶室があった。 大きな茶会があるのか、この辺り一帯で、準備していた。

こういう所や、ツツジが咲いてる池もあった。 指月公園。(萩城は指月城とも呼ばれたので)

神社も。

城跡。 明治に入っての廃城令により、破壊された。
萩市は、天守閣を復元したい。 でも、すごい予算がいるそうだ。

別の道を歩いて戻っている。

長屋門が、左に見えた。

長屋門の中を初めて見た。

旧安田家の物見矢倉。 萩藩の家老。 禁門の変の責任をとって、切腹させられたとあった。
※ 禁門の変は、蛤御門(はまぐりごもん)の変とも呼ばれる。
倒幕の3年前の1864年、京都の御所の辺りで、長州藩士の一部が戦っている。 負けた。
蛤御門は、京都御所にある門。 去年の秋、御所の中を歩いた。

道が、真っ直ぐでない。

昔の町並みの中心辺りに、戻ってきた。 右に夏ミカンが。 このように、どこにでもなってた。

梅でいいのかな。 こんなに大きい。

木戸孝允旧宅に入った。 こういう人。
桂小五郎(かつら こごろう)として知られていた、尊王攘夷派の中心人物。
薩摩の西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」として並び称せられる。(Wikipedia)

妻の錦絵とあった。 ※ 複写

部屋の中。 この人の生きた時代は、仲間であっても、権力闘争がはげしかったから、大変だったようだ。

明治に入って、庶民の暮らしは、どのくらい変わったのでしょうね。
農民は、小作というのがあったから、直ぐには楽にならなかった。
良くなるのは、農地解放の後なのか。
神社と寺が、一緒にあった。 伊藤博文と高杉晋作が、子供の頃ここで学んだと。

格子戸も、いいものです。

車で移動した。 松下村塾に向かった。
駐車場は混んでて、入れなかった。 ヤマダ電機の駐車場から、10分ほど歩いた。

ここが、松下村塾。

この部屋で学んだ。

これだけの人が、学んでいた。 そうそうたるメンバーですね。

松陰神社。 連休中、みなさん事故がないようにと、目の前のことをお願いした。

松陰の旧居。 この建物の一部屋に、幽閉されたこともある。

吉田松陰。
この人は、一般的に、明治維新の精神的指導者・理論者とされている。

萩は萩。 小京都と言わなくても、十分な存在感。
駐車場やお店の人達も、感じがよかった。
萩のまちは、観光客をどのように迎えるかの、基本的な考え方が、整理されてるように感じた。
一度訪れても、そんはないですね。
よかったです。
【道の駅】 津和野温泉なごみの里 ここです。
【明日の予定】 津和野です。
【今日の歌】 案山子(YouTube) この歌の舞台は、津和野です。
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コメント
夏みかんの町・萩
Re: 夏みかんの町・萩
夏ミカンは、酸っぱそうなので、買わなかった。
お店の外で、売っている。 1個、100円か、50円。
そういえば、九州で桜を見たのは、1ヶ月以上前だ。
なつかしい。
萩は、行ってよかった。
お店の外で、売っている。 1個、100円か、50円。
そういえば、九州で桜を見たのは、1ヶ月以上前だ。
なつかしい。
萩は、行ってよかった。
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テレビでは、弘前の桜まつりを報道しています。今、桜が満開だそうです。