三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)には、仏像がいっぱいあった。
それは、1000を越える数だった。
車は、道の駅、ガレリアかめおか に。
息子が京都にいるので、しばらくここにいるのかな。
※ お風呂もコインランドリーもあるので、便利。
※ 亀岡の駅まで、歩いて20分ほど。 バスもあり、100円で乗れる。
今日は、京都駅から割と近い、三十三間堂にした。
駅前を東に向かって歩いている。 ずっと行くと、東山に着く。 7条通り。 清水寺は、左の方に。
ここが、三十三間堂。 柱と柱の間が、33ある。 それで、こう呼ばれる。
正式な名称は、蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
建物の長さは、118.2㍍。
堂の真ん中辺り。
平清盛が、1164年に最初に立てたが、焼けた。
1266年(文永3に)、後嵯峨(ごさが)上皇によって復原されたのが、今の建物。
700年以上経っている。 国宝。
三十三間堂は、仏道が多いことや、弓矢のことや、武蔵が戦ったことで知られている。
ここから堂内に入るが、撮影はできない。
修学旅行生がたくさんおり、おしゃべりして、注意されていた。
※ 生徒の中には、仏像について話してる子もいたが、寺側は、静寂を求めていた。
ここに参拝に来た生徒たちに、寺側は何を求めているのか、それは見えない。
※ 今の子どもたちはダメだと、批判する声は多い。
寺側の姿勢として望ましいのは、どんな子どもたちにも来てもらって、仏像を見ることによって、
生きる上での何かを考えてもらうこと、また、それを願うことかなと思う。
ここからの写真は、買った、寺の説明にあったもの。
ずらっと並んでいるので、壮観と言うのかな。 像は全部で、1032。
後ろに並んでいるのが、千手観音立像。 1001体。 重要文化財。
前に、風神・雷神と、28部衆の像。 国宝。
中央に、千手観音坐像。 これが本尊。 国宝。
雷神像。 この後に作られる、他の寺の雷神像は、これに似る。
28部衆の一人。 鳥っぽい。
婆藪仙人(ばすせんにん)像。 何とも言えない表情。 説明には、名作とあった。
1000体ある、千手観音は、大体こんな感じ。 (正確には、1001体)
この寺は、1164年に創建され、1249年に焼失した。
救い出された仏像は、124体。
足りなくなった876体は、1254年までに作られた。
たった、5年間で、876体。 これについては、こうだったよう。
仏師のグループがいくつかあった。
そのグループで、分担した。 一つのグループは、80とか100とかの数になる。
どの仏像も、寄木造りだった。 仏像が、部品ごとに、バラバラにできた。
ここにポイントがある。
グループの中心人物は、頭とかを作る。
経験の浅い者は、やさしい所を作る。
この方法が採れたので、集団での大量生産が可能になった。
グループが違うと、仏像の表情とかも、微妙に違ってきた。
だから、1000体の像は、似てるようで、どこか違った。
全てが、一流の仏師が作ったわけでないから、まあまあの質の物もあるそうだ。
だから、1000体は、国宝にはならない。
建物の裏の、この場所で、通し矢は行われた。
和服の人に出会った。 藤の花の色だった。 新緑に生えた。
爽やかな何かを残して、通り過ぎて行った。
通し矢の的は、向こうに。 距離、118㍍。
一晩で、何本当てるかの勝負。 (他もあるよう)
最高記録は、18歳の青年。 江戸時代のこと。 13053本発射して、8133本、的に当てたという。
1分間に、9本の割合。 ※ 的に当てるのを、通すという。
強靭な体力が必要だそう。
今は行われていなく、代わりに弓道大会。
昔の様子。
なお、上の場所で、宮本武蔵と吉岡一門の決闘があった。 蓮華王院の決闘と言われる。
武蔵が縁側を走る。 1612年頃のこと。
建物の前から、左方向を撮影。
秀吉は、見える塀の向こうに、大仏殿方広寺を作った。 1789年の落雷で焼失した。
その建物の塀が、この塀。 大仏は、奈良の大仏より大きい、18㍍あったそう。
方広寺を見に行った。 ここは、大仏殿方広寺の跡。
方広寺の鐘。
字が書いてある。
この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が、徳川家康を怒らせた。
家と康を分断し、豊臣を君主としていると。 大坂の役による、豊臣家滅亡を招いたとされる。
※ でも、家康は、これがなかったら、何か別のをきっと見つけた。
※ 鐘の文は、南禅寺の禅僧、文英清韓の作。
そばに、豊国時があった。 秀吉を祀っている。
30分ほど歩いて、東福寺へ行ったが、5時半で閉まった。
公家の九条家を祀っている寺。
近くに、天徳院と言う建物が。
開いたのは、鐘の文を考えた、文英清韓。
雪舟時。 庭園があるとあったが、入らなかった。
疲れたので、東福寺駅から、電車に乗った。 駅の近くの商店街。
京都駅。 設計は、こうだった。(Wikipedia)
設計者には、原広司、安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、ベルナール・チュミ、ペーター・ブスマンの
7名の複数の建築家が指名された。
審査の結果、先ず原広司案、安藤案、スターリング案の3案に絞り込まれた。
更なる協議を結果、原広司案が最終案として採用された
今回は、下から撮影。 京都タワー。
この後、息子と食事をして戻った。 遅くなった。
三十三間堂は、仏像が整然と並んでいた。
不思議に思ったのは、人が通る通路がなかった。
聞いてみた。 しゃがんだら、通りぬけることが出来ると。 ジグザグに。
年に2回掃除をすると、教えてくれた。
修復が、ずっと続いていることも。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 ねねの高台寺か、知恩院か、あの辺り。
【今日の歌】 歌でなく、三十三間堂の動画(YouTube) 決闘は、無かった。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で13位です。
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それは、1000を越える数だった。
車は、道の駅、ガレリアかめおか に。
息子が京都にいるので、しばらくここにいるのかな。
※ お風呂もコインランドリーもあるので、便利。
※ 亀岡の駅まで、歩いて20分ほど。 バスもあり、100円で乗れる。
今日は、京都駅から割と近い、三十三間堂にした。
駅前を東に向かって歩いている。 ずっと行くと、東山に着く。 7条通り。 清水寺は、左の方に。

ここが、三十三間堂。 柱と柱の間が、33ある。 それで、こう呼ばれる。
正式な名称は、蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
建物の長さは、118.2㍍。

堂の真ん中辺り。
平清盛が、1164年に最初に立てたが、焼けた。
1266年(文永3に)、後嵯峨(ごさが)上皇によって復原されたのが、今の建物。
700年以上経っている。 国宝。

三十三間堂は、仏道が多いことや、弓矢のことや、武蔵が戦ったことで知られている。

ここから堂内に入るが、撮影はできない。
修学旅行生がたくさんおり、おしゃべりして、注意されていた。
※ 生徒の中には、仏像について話してる子もいたが、寺側は、静寂を求めていた。
ここに参拝に来た生徒たちに、寺側は何を求めているのか、それは見えない。
※ 今の子どもたちはダメだと、批判する声は多い。
寺側の姿勢として望ましいのは、どんな子どもたちにも来てもらって、仏像を見ることによって、
生きる上での何かを考えてもらうこと、また、それを願うことかなと思う。

ここからの写真は、買った、寺の説明にあったもの。
ずらっと並んでいるので、壮観と言うのかな。 像は全部で、1032。

後ろに並んでいるのが、千手観音立像。 1001体。 重要文化財。
前に、風神・雷神と、28部衆の像。 国宝。

中央に、千手観音坐像。 これが本尊。 国宝。

雷神像。 この後に作られる、他の寺の雷神像は、これに似る。

28部衆の一人。 鳥っぽい。

婆藪仙人(ばすせんにん)像。 何とも言えない表情。 説明には、名作とあった。

1000体ある、千手観音は、大体こんな感じ。 (正確には、1001体)

この寺は、1164年に創建され、1249年に焼失した。
救い出された仏像は、124体。
足りなくなった876体は、1254年までに作られた。
たった、5年間で、876体。 これについては、こうだったよう。
仏師のグループがいくつかあった。
そのグループで、分担した。 一つのグループは、80とか100とかの数になる。
どの仏像も、寄木造りだった。 仏像が、部品ごとに、バラバラにできた。
ここにポイントがある。
グループの中心人物は、頭とかを作る。
経験の浅い者は、やさしい所を作る。
この方法が採れたので、集団での大量生産が可能になった。
グループが違うと、仏像の表情とかも、微妙に違ってきた。
だから、1000体の像は、似てるようで、どこか違った。
全てが、一流の仏師が作ったわけでないから、まあまあの質の物もあるそうだ。
だから、1000体は、国宝にはならない。
建物の裏の、この場所で、通し矢は行われた。

和服の人に出会った。 藤の花の色だった。 新緑に生えた。
爽やかな何かを残して、通り過ぎて行った。

通し矢の的は、向こうに。 距離、118㍍。
一晩で、何本当てるかの勝負。 (他もあるよう)
最高記録は、18歳の青年。 江戸時代のこと。 13053本発射して、8133本、的に当てたという。
1分間に、9本の割合。 ※ 的に当てるのを、通すという。
強靭な体力が必要だそう。
今は行われていなく、代わりに弓道大会。

昔の様子。

なお、上の場所で、宮本武蔵と吉岡一門の決闘があった。 蓮華王院の決闘と言われる。
武蔵が縁側を走る。 1612年頃のこと。
建物の前から、左方向を撮影。
秀吉は、見える塀の向こうに、大仏殿方広寺を作った。 1789年の落雷で焼失した。
その建物の塀が、この塀。 大仏は、奈良の大仏より大きい、18㍍あったそう。

方広寺を見に行った。 ここは、大仏殿方広寺の跡。

方広寺の鐘。

字が書いてある。

この鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が、徳川家康を怒らせた。
家と康を分断し、豊臣を君主としていると。 大坂の役による、豊臣家滅亡を招いたとされる。
※ でも、家康は、これがなかったら、何か別のをきっと見つけた。
※ 鐘の文は、南禅寺の禅僧、文英清韓の作。

そばに、豊国時があった。 秀吉を祀っている。

30分ほど歩いて、東福寺へ行ったが、5時半で閉まった。
公家の九条家を祀っている寺。

近くに、天徳院と言う建物が。
開いたのは、鐘の文を考えた、文英清韓。

雪舟時。 庭園があるとあったが、入らなかった。

疲れたので、東福寺駅から、電車に乗った。 駅の近くの商店街。

京都駅。 設計は、こうだった。(Wikipedia)
設計者には、原広司、安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、ベルナール・チュミ、ペーター・ブスマンの
7名の複数の建築家が指名された。
審査の結果、先ず原広司案、安藤案、スターリング案の3案に絞り込まれた。
更なる協議を結果、原広司案が最終案として採用された

今回は、下から撮影。 京都タワー。

この後、息子と食事をして戻った。 遅くなった。
三十三間堂は、仏像が整然と並んでいた。
不思議に思ったのは、人が通る通路がなかった。
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コメント
京都
京都には何回も行っていますが三十三間堂が京都で始めて入ったお寺です。あの仏像の数は圧巻ですね。今日は高台寺ですか?前回、京都に行った時に円山公園からねねの道を通って高台寺、清水寺と歩きました。この辺りは京都らしい風景が続いていいですね。
京都の三十三間堂の本堂内部に立並ぶ、観音像は本当に凄く圧巻です。
初めて訪れた時は、感動してしまいました。
ただ、撮影禁止だったことが、残念でした。記念に撮りたかったのですがね。外国人の方が、日本は、撮影禁止の場所が多すぎると、行ってましたね。
初めて訪れた時は、感動してしまいました。
ただ、撮影禁止だったことが、残念でした。記念に撮りたかったのですがね。外国人の方が、日本は、撮影禁止の場所が多すぎると、行ってましたね。
Re: 京都
東山を清水寺から、北に上がって行くことにしました。
今日は、雨が降ったので、2年坂でお終い。
明日、続きです。 のんびり。
今日は、雨が降ったので、2年坂でお終い。
明日、続きです。 のんびり。
Re: タイトルなし
三十三間堂、いいですね。
写真のことでは、いつもイライラしている。
例えば、ルーブル美術館は、基本的に撮影は大丈夫ですね。
著作権のこととかあると思うのですが、何があるんでしょうね。
撮影を許可した方が、宣伝になると思うんですけど。
絵ハガキが売れなくなるのは、関係ないと思うかな。
秘宝のようなものと考え、出し惜しみしているのか。
最近撮影できたのは、広島の原爆資料館だけかな。
本尊とかは、撮影するものではないって、そんな標示を、どこかで見た。
でも、絵ハガキとかで売っている。
とにかく、外国の人は、日本は違うなって感じるでしょうね。
写真のことでは、いつもイライラしている。
例えば、ルーブル美術館は、基本的に撮影は大丈夫ですね。
著作権のこととかあると思うのですが、何があるんでしょうね。
撮影を許可した方が、宣伝になると思うんですけど。
絵ハガキが売れなくなるのは、関係ないと思うかな。
秘宝のようなものと考え、出し惜しみしているのか。
最近撮影できたのは、広島の原爆資料館だけかな。
本尊とかは、撮影するものではないって、そんな標示を、どこかで見た。
でも、絵ハガキとかで売っている。
とにかく、外国の人は、日本は違うなって感じるでしょうね。
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