清水寺は、人、人、人、人でいっぱいだった。
今日は、写真を多く、コメント少なめ。
東山を、清水寺から、北に上がって行くことにした。
東山には、タテに太い道がある。 東大路通。
駅からバスで行って、この道のどこかで、下りた。
山への道を上って行ったら、この道に出た。
ここは、茶わん坂。 清水坂の、1本南。 ここを通る人も多い。
舞妓さんが来た。 左の人がカメラ目線。 この後、撮影をやめて、お礼を言う。
※ 明日か、明後日、祇園に行く。
後ろ姿の、首筋下の化粧が独特。
ここは、仁王門。 清水寺は、ここから始まる。
この寺は、奈良時代に始まっている。 音羽の滝に関わる伝説がある。
何宗かというと、北法相宗。 あまり聞かない。
この寺に来る人は、ここが何宗かなんて、考えることはない。
清水坂を上がってきたら、ここに来る。
三重塔。 30.1㍍。 江戸時代初期の物。 どこからも、全体が撮影できない。 美しさは、ふつう。
修学旅行生がとにかく多い。 小学生から、高校生まで。
京都観光は、一時下火になった。 でも、人々の努力で復活した。 今は、年間5000万人になろうとしている。
見えたのは本堂。 国宝。 徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの。
「清水の舞台」とも呼ばれる。
年末に、世相を漢字一字で表現する「今年の漢字」が清水寺で発表される。
奥に、本尊がある。
ここが清水の舞台。 飛び降りた時の死亡率は15%。 ただし、60歳以上は、全員死亡とある。
4年前に飛び降りた人は、助からなかった。
高さ、13㍍。 もし飛び降りて、怪我がなかったら、願いがかなうそう。
カメラマンが、女の子に、指差してるポーズを取れと、言っていた。 何をやってる事やら。
音羽の滝の付近。
手を伸ばして、やっと届く。
奥の院の前あたり。 普通は、向こうからこっちを撮影する。
本堂前。 清水の舞台。
縁結びの神とかあるので、子供らみんな行く。
途中まで行って、下を撮影。
阿弥陀堂。 音羽の滝は、右下少し向こう。
こんな感じ。
調子のいい流れだ。
これが、ぬれて観世音。 この時から、1句、考え始めた。 濡れて~~を使って。
さっき、こっちを撮った。
阿弥陀堂の中かな。 ※ 隣が、奥ノ院。
今のデジカメは、暗くたって撮影できる。
※ 暗くて何も写ってないと思っても、パソコンで加工したら、浮き出てくることがあるんですよ。
羅臼の熊の湯の写真がそうだった。
こういう風に、見える所がある。 ちょっとした所に登る。
音羽の滝の近くから。
向こうから来た。 間もなく出口。
ここは、茶屋。 茶店は、他にも1軒。
ここの茶屋は、こんな名前。 調べてみた。 すごい話だった。
昔、清水寺の寺侍に月照・信海兄弟がいた。
2人は若いころの西郷隆盛と共に勤王の活動家だった。
時は、大老井伊直弼による大粛清の時代。
西郷と月照は追われ、行き詰まり、入水自殺を図った。(安政の大獄)
月照は死んだ。 西郷は助かった。
この時、月照に最後まで付き従った大槻重助、拷問に耐えて月照を守った近藤正慎という2人の従僕がいた。
拷問を受けた近藤正慎は、最後は舌を噛み切って自害した。
大槻重助と、近藤正慎の遺族は、清水寺のはからいで、境内に茶店を営業することを許された。
それぞれ「忠僕茶屋」「舌切茶屋」として、今も営業している。
どちらも、今は、4代目。
舌を噛み切ったから、舌切茶屋だった。 驚き。
※ 追記 さらに、宙太さんから情報が。
俳優の近藤正臣は、上の近藤正慎のひ孫だった。
三重塔。
清水坂。 清水寺への、メインストリート。
途中で、右に曲がって、三年坂(産寧坂)
石段。
途中から、下を。
下から。
※ 三年坂の写真を撮ったが、少し不満。
撮影スポットが悪いのか。 三年坂が大したことはないのか。 腕か。
二年坂に、向かっている。
この石段を下りて、二年坂。
こんな感じ。 いいですね。 電信柱もない。
二年坂は、写真の右まで。
坂の上の方。 いい感じ。
雨は止まないので、戻ることにした。
ここで、適当に1句つくった。 遊びですよ。
「小ぬか雨 濡れて私も 二年坂」 ※ 二年目の旅に入った。 そんな意味も。
この電車で、亀岡へ。
100円のバス。 みんな降りてしまった。 座席は、14。
今日、舌切茶屋の提灯を、気になって写真に撮った。
撮ってよかった。
面白いというか、哀しい歴史が、隠れていた。
【道の駅】 同じ
【明日の予定】 明日こそ、高台寺。 そして、八坂神社、知恩院、祇園。 全部は無理かな。
龍馬の墓は、行けるでしょう。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で11位です。
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今日は、写真を多く、コメント少なめ。
東山を、清水寺から、北に上がって行くことにした。
東山には、タテに太い道がある。 東大路通。
駅からバスで行って、この道のどこかで、下りた。
山への道を上って行ったら、この道に出た。
ここは、茶わん坂。 清水坂の、1本南。 ここを通る人も多い。

舞妓さんが来た。 左の人がカメラ目線。 この後、撮影をやめて、お礼を言う。
※ 明日か、明後日、祇園に行く。

後ろ姿の、首筋下の化粧が独特。

ここは、仁王門。 清水寺は、ここから始まる。

この寺は、奈良時代に始まっている。 音羽の滝に関わる伝説がある。
何宗かというと、北法相宗。 あまり聞かない。
この寺に来る人は、ここが何宗かなんて、考えることはない。

清水坂を上がってきたら、ここに来る。

三重塔。 30.1㍍。 江戸時代初期の物。 どこからも、全体が撮影できない。 美しさは、ふつう。

修学旅行生がとにかく多い。 小学生から、高校生まで。

京都観光は、一時下火になった。 でも、人々の努力で復活した。 今は、年間5000万人になろうとしている。

見えたのは本堂。 国宝。 徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの。
「清水の舞台」とも呼ばれる。

年末に、世相を漢字一字で表現する「今年の漢字」が清水寺で発表される。
奥に、本尊がある。

ここが清水の舞台。 飛び降りた時の死亡率は15%。 ただし、60歳以上は、全員死亡とある。
4年前に飛び降りた人は、助からなかった。
高さ、13㍍。 もし飛び降りて、怪我がなかったら、願いがかなうそう。
カメラマンが、女の子に、指差してるポーズを取れと、言っていた。 何をやってる事やら。

音羽の滝の付近。

手を伸ばして、やっと届く。

奥の院の前あたり。 普通は、向こうからこっちを撮影する。

本堂前。 清水の舞台。

縁結びの神とかあるので、子供らみんな行く。

途中まで行って、下を撮影。

阿弥陀堂。 音羽の滝は、右下少し向こう。

こんな感じ。

調子のいい流れだ。

これが、ぬれて観世音。 この時から、1句、考え始めた。 濡れて~~を使って。

さっき、こっちを撮った。

阿弥陀堂の中かな。 ※ 隣が、奥ノ院。

今のデジカメは、暗くたって撮影できる。
※ 暗くて何も写ってないと思っても、パソコンで加工したら、浮き出てくることがあるんですよ。
羅臼の熊の湯の写真がそうだった。

こういう風に、見える所がある。 ちょっとした所に登る。

音羽の滝の近くから。


向こうから来た。 間もなく出口。

ここは、茶屋。 茶店は、他にも1軒。

ここの茶屋は、こんな名前。 調べてみた。 すごい話だった。

昔、清水寺の寺侍に月照・信海兄弟がいた。
2人は若いころの西郷隆盛と共に勤王の活動家だった。
時は、大老井伊直弼による大粛清の時代。
西郷と月照は追われ、行き詰まり、入水自殺を図った。(安政の大獄)
月照は死んだ。 西郷は助かった。
この時、月照に最後まで付き従った大槻重助、拷問に耐えて月照を守った近藤正慎という2人の従僕がいた。
拷問を受けた近藤正慎は、最後は舌を噛み切って自害した。
大槻重助と、近藤正慎の遺族は、清水寺のはからいで、境内に茶店を営業することを許された。
それぞれ「忠僕茶屋」「舌切茶屋」として、今も営業している。
どちらも、今は、4代目。
舌を噛み切ったから、舌切茶屋だった。 驚き。
※ 追記 さらに、宙太さんから情報が。
俳優の近藤正臣は、上の近藤正慎のひ孫だった。
三重塔。

清水坂。 清水寺への、メインストリート。

途中で、右に曲がって、三年坂(産寧坂)

石段。

途中から、下を。

下から。

※ 三年坂の写真を撮ったが、少し不満。
撮影スポットが悪いのか。 三年坂が大したことはないのか。 腕か。
二年坂に、向かっている。

この石段を下りて、二年坂。

こんな感じ。 いいですね。 電信柱もない。

二年坂は、写真の右まで。

坂の上の方。 いい感じ。

雨は止まないので、戻ることにした。
ここで、適当に1句つくった。 遊びですよ。
「小ぬか雨 濡れて私も 二年坂」 ※ 二年目の旅に入った。 そんな意味も。
この電車で、亀岡へ。

100円のバス。 みんな降りてしまった。 座席は、14。

今日、舌切茶屋の提灯を、気になって写真に撮った。
撮ってよかった。
面白いというか、哀しい歴史が、隠れていた。
【道の駅】 同じ
【明日の予定】 明日こそ、高台寺。 そして、八坂神社、知恩院、祇園。 全部は無理かな。
龍馬の墓は、行けるでしょう。
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コメント
祇園
Re: 祇園
舌切茶屋の名前が気になっていたので、調べてみました。
分かりました。
宙太さん知っていたんだ。 すごい。
おどろく話でした。
清水寺のはからいもいい。
面白い話って、ありますね。
※ 先斗町は、分かりません。
分かりました。
宙太さん知っていたんだ。 すごい。
おどろく話でした。
清水寺のはからいもいい。
面白い話って、ありますね。
※ 先斗町は、分かりません。
清水寺
清水寺へは数年前に会社の旅行で行きました。
その時、元奥さんと地主神社へ行きましたが見事に離婚してしまいました・・・
その時、元奥さんと地主神社へ行きましたが見事に離婚してしまいました・・・
Re: 清水寺
そんなこと、言ってしまっていいんですか。
私が神社でまじめに祈るのは、困った時くらい。
普通は、お祈りしない。
だから、不謹慎だと言われそう。
建物が好き。 雰囲気も好き。 歴史を感じるからかな。
真剣に祈る人がいてもいい。
そうでない人がいてもいい。
信教の自由が認められているから、お互いがお互いの立場を認める必要がある。
でも、現実は、そうはなってないですね。
清水寺のように、平和や人々の幸福に強い関心を持ち、それを行動に移す神社は、少数派のように感じています。
私が神社でまじめに祈るのは、困った時くらい。
普通は、お祈りしない。
だから、不謹慎だと言われそう。
建物が好き。 雰囲気も好き。 歴史を感じるからかな。
真剣に祈る人がいてもいい。
そうでない人がいてもいい。
信教の自由が認められているから、お互いがお互いの立場を認める必要がある。
でも、現実は、そうはなってないですね。
清水寺のように、平和や人々の幸福に強い関心を持ち、それを行動に移す神社は、少数派のように感じています。
Re: 清水寺
コメントの訂正。
清水寺は寺なのに、神社になった。
清水寺は寺なのに、神社になった。
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もう永い間行っていません。境内に舌切茶屋って、あるそうですね。幕末の志士・近藤正慎の子孫の店だそうです。新鮮組かなんかに捕まり、牢屋に入り、舌を切って自白を防止したそうです。清水寺のためにも貢献していて、その恩義に報いるため、子孫の近藤家に境内の店舗営業権を与えているそうです。別のお寺に近藤正慎の碑が建っています。俳優の近藤正臣さんもその一門です。
京都はやはり魅力があります。祇園は楽しみですね。web報告を楽しみにしておきます。大いに飲んでください。祇園と先斗町は、どう違いますか。