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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

小野小町は、小野吉子でないか、という考えに出会った。
これで3回目。
 ※ 最初は、昔、山村美紗が言った。(ブログに書いた)

随心院の地には、晩年住んだという。 
この寺は、客観的に、小野小町を見ていた。

全国各地にある、小町伝説は、随心院のが広まったのではと、以前書いた。
どうして、そう考えたのか、思い出せないでいる。

地下鉄東西線の小野駅で降りて、歩いて7~8分。

ここが、小町ゆかりの寺、随心院。    場所はここ。    ※ 下のほうに、醍醐寺が見える。

10年5月23日 (1)

すぐに、小町の歌碑が見えた。 下の歌があった。

 「花の色は移りにけりな いたづらに我が身世にふる ながめせし間に」

10年5月23日 (2)

小町が住んでいたところに、随心院が建った。 それで、ゆかりの寺。

寺に入ったら、小町の絵があった。 いい表情でしょうか。

10年5月23日 (3)

小町は、828年~898年頃の人。 この寺は、100年後の、991年創建。

木の実があるが、榧 (かや) の実。 
深草少将に、百夜ここに来たら、望みをかなえると言った。
少将は、くる度に、かやの実を1個置いていった。
小町は、実に穴を開けて、糸を通した。 何回来たか分かるようにした。
実には、穴が開いていた。

※ 上の文書は、小町ゆかりのかやの木の数を調べたもの。(どんなゆかりかは?)
※ 石は、小町とは関係ない。

10年5月23日 (4)

堂内は広い。 撮影できない部分もあったが、基本的には大丈夫。

10年5月23日 (5)

小町が種を蒔いた言われる、小町榧の切り株。(伝説)

10年5月23日 (6)

この大玄関と門、そして後ろの表書院の建物は、天真院尼の寄進。
※ この人は、徳川2代将軍秀忠の夫人、お江(ごう)の娘。
  名前は、豊臣完子で、秀吉の姉の子との間に生まれている。 秀忠に嫁ぐ前のこと。
  完子は、九条家に嫁ぐ。

  お江は、お江与とも言われる。 信長の妹のお市の娘。淀君は姉。
  浅井長政が滅ぼされたとき、3姉妹は、炎の中から助け出される。 その一番下。

10年5月23日 (7)

上に書いた、表書院を通って、本道へ。

10年5月23日 (8)

雨が見える。 いつまでたっても止まない。

10年5月23日 (10)

雨のおかげで、緑が綺麗。 

10年5月23日 (11)

小町の名前は、本名でない。 だから歴史に残らない。
天皇に仕える人を、更衣と言った。
その更衣は、町とも言われた。 小町の姉も仕えていたので、小町のほうは、町に「小」がついた。

10年5月23日 (12)

この寺に伝わる内容は、おおまかにこう。

小町は、小野良実の娘として、出羽の国に生まれた。(雄勝は出羽)
その後宮中に仕え、仁明天皇の更衣となる。
天皇が亡くなった後、ここ、小野の里で暮らす。
亡くなった地は、ここではない。

後の世に作られた像。 どうしてこんな表情になるのか。
※ 一部に、怨霊説があった。 そのためか。 
  一般的に美しいとなれば、その反対が、必ず生まれる。

10年5月23日 (16)

10年5月23日 (18)

随心院は、自分の寺に伝説はあるが、それは、歴史的事実から考えられる小町とは違うと考えていた。

では、随身院は、どう考えていたかというと、小町は、小野吉子だという。
雄勝の生まれではない。

この像は、小町に寄せられた文を、下張りにしていると言われる。
文張地蔵尊像 伝小野小町 作。

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史実として、ほぼ確認できるのは、小町は文徳天皇の更衣でであること。
それと、小野氏の娘であること。
そして、時代を重ねて検索すると、小野吉子が浮かぶという。

10年5月23日 (19)

小町は、伝説と違って、17歳から、最後の歌を作った73歳までは、京都にいたと考えるのが自然だそう。
理由は、京都にいなければ作れない歌を、作っているからという。

この寺に伝わる、はねず踊りという、踊り。

10年5月23日 (20)

もし、小町が小野吉子なら、母親は、藤原冬嗣の娘。  ※ 藤原冬嗣(775~826)(Wikipedia)
冬嗣は、空海(弘法大師)との交友が深い人だったという。
小町が生まれた頃、冬嗣は、余命幾ばくもない状態だった。
きっと、空海は、見舞いに来ている。
そうしたら、空海は、小町を見ている。 これは、歴史のロマン。

以上が、随心院の考え。(住職さんの考えと思う)

この辺りに、小町の住んだ家があったそう。

10年5月23日 (13)

これが、化粧井戸。 鏡としても使ったから、こう呼ぶのか。
この井戸は、「都名所図会」にも示されている。  ※ 都名所図会~江戸時代の物。

10年5月23日 (14)

小町がもらった恋文とかが、ここに埋めたそう。 文塚。

10年5月23日 (15) 


小野吉子説を支持するのは、山村美里と、今日の随心院。
もう一人いる。 それは、
《小説 小野小町「吉子の恋」》を書いた、三枝和子と言う人。
 この人は、小野小町の本名が小野吉子であり、文徳天皇の更衣であったとする説を採用して、その一生を描いている。

雄勝の残る伝説より、こっちの方が、はるかに可能性が高いんだろうなと、思えてきた。

最後に歌を。

「思ひつつ寝ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」

小町がいたら、こう言うかな、私は。
もう一度寝て、続きを見ればいいでしょ、って。

※ 小町の所に、100回通うのが、深草少将。
  小町もなかなかの女性だが、この伝説の深草少将は強(したた)かだった。
  面白いですよ。 このブログに。    小町は美しさをどのように。   
※ 小町に関するブログは、たくさんあります。 小野小町でブログ内検索すると出てきます。(左下の方に)


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Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
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