アウトドア商品の店を探した。
新京極通りにあった。 この前行った、祇園の近く。
小さな神社のお祭りを見て、幕末スポットを歩いた。
時間がなくなったので、東寺の五重塔は、別の日に行くことに。
4条通りを、東山に向かって歩いている。 鴨川の橋を渡ったら祇園。
高島屋の手前で、左に曲がった。 新京極通り。 観光客が多く来る通り。
目指す、アウトドアの店は見つかったが、一つのブランドだけの店だった。
戻る時、太鼓の音がするので覗いたら、舞が始まっていた。
錦天満宮。 今日はお祭り。
場所はここ。 錦天満宮の西に、錦小路がのびている。
おごそかに、事は、進んでいた。 ※ 円いのは、レンズフードと言うのかな。 それが写った。
水が出ていた。 こんな街の中なのに。 みんな飲んでいた。
菅原道真の父が住んでいた所に、寺が出来た。 それを守る鎮守社として、この神社はスタートした。
秀吉の時代に、この場所に移った。 学問と商売の神様。
神楽の踊りと思うが、意味は分からない。
私は気付かなかったが、ここの神社のおみくじ自販機が面白いそうだ。
神楽を踊るそう。 この動画は、獅子舞。 お金を入れたら、踊りだす。 ゆかいなおみくじ自販機(YouTube)
笙(しょう)という楽器ですね。 生で初めて聞いた。 うなりを上げてる感じの音かな。
観光客と、地元の人の、両方。
別のお面になった。
軽やかに舞った。
出る時に、入り口を撮影。 入る時は、何気なく入ったので、撮らなかった。
庶民に親しまれている神社。そんな感じだった。
上の神社の、少し祇園寄り。 下から。上に上がって行く。
ここが、坂本龍馬と中岡慎太郎の遭難の地。
この場所に、醤油商を営む、近江屋があった。
大政奉還の1ヶ月後の、1867年11月15日のこと。
その近江屋の2階で、午後8時頃、坂本龍馬と中岡慎太郎が話していた。
そこへ、十津川郷士と名乗る男達数人が来訪し、面会を求めて来た。
有無を言わず、2階に押し入ってきた。
龍馬は、額を深く切られた。 床の間の刀を取りに行こうとしたが、そこで、2の太刀を受けた。
反撃は出来なかった。 とどめを刺され、直ぐに死んだと言われている。
中岡は、2日後まで生きていたので、その時のことを証言している。
小さな神社が見えてきた。
土佐稲荷・岬神社。 昔は、近くにある、土佐藩邸の中にあったいう。
この辺りに土佐藩邸があった。 もし龍馬たちが、ここにいたら、殺されることはなかったと書いてあった。
酢屋。 龍馬が隠れ住んだ所。 海援隊の本部もここに置かれた。
ここは、池田屋騒動の跡。
池田屋騒動は、幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、ここで起きた。
新撰組が、潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃した事件。
この事件の後、新撰組の名前は轟き渡るのだが、事件の記録は、新撰組の証言によって書かれたものが多い。
だから、事実は、違う可能性がある。
ホテルオークラの敷地内に、桂小五郎の像があった。 ここに、長州藩邸があった。
新しい時代を作ってくれたことに、感謝すると書いてあった。(そんな内容)
この人は、明治に入っても活躍した。
池田屋騒動では、どういう形かで、避難できたようだ。
久しぶりの都会なので、デパートに入った。 高島屋と、阪急。
夏物のシャツで、これはいい、と思うのがあった。 値段を見たら、16000円だった。 ラルフローレンだった。
買わなくても、見て歩くのは楽しい。
道の駅の、夜のバラの花。
新撰組は、なぜ人気があるのだろう。
何か夢を持って生きていたのだろうか。
幕府を守るために集まった、ただの武士の集まりにしか、見えないのだが。
何なんでしょうね。
今日調べていて分かったのですが、日本刀の威力は、すごい。
龍馬も即死に近い。
池田屋騒動の中でも、即死と言う言葉が、たくさん出てきた。
それから、「小手」を受けて、手の指などを怪我したら、それは致命傷で、戦えないんですね。
幕末のこの時代、熱い気持ちの人間がいて、日本の将来を動かしていた。
そんな感じがします。
【道の駅】 おなじです。
【明日の予定】 京都市内です。 息子と食事します。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で11位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
新京極通りにあった。 この前行った、祇園の近く。
小さな神社のお祭りを見て、幕末スポットを歩いた。
時間がなくなったので、東寺の五重塔は、別の日に行くことに。
4条通りを、東山に向かって歩いている。 鴨川の橋を渡ったら祇園。

高島屋の手前で、左に曲がった。 新京極通り。 観光客が多く来る通り。
目指す、アウトドアの店は見つかったが、一つのブランドだけの店だった。

戻る時、太鼓の音がするので覗いたら、舞が始まっていた。

錦天満宮。 今日はお祭り。
場所はここ。 錦天満宮の西に、錦小路がのびている。
おごそかに、事は、進んでいた。 ※ 円いのは、レンズフードと言うのかな。 それが写った。
水が出ていた。 こんな街の中なのに。 みんな飲んでいた。

菅原道真の父が住んでいた所に、寺が出来た。 それを守る鎮守社として、この神社はスタートした。
秀吉の時代に、この場所に移った。 学問と商売の神様。
神楽の踊りと思うが、意味は分からない。

私は気付かなかったが、ここの神社のおみくじ自販機が面白いそうだ。
神楽を踊るそう。 この動画は、獅子舞。 お金を入れたら、踊りだす。 ゆかいなおみくじ自販機(YouTube)
笙(しょう)という楽器ですね。 生で初めて聞いた。 うなりを上げてる感じの音かな。

観光客と、地元の人の、両方。


別のお面になった。

軽やかに舞った。


出る時に、入り口を撮影。 入る時は、何気なく入ったので、撮らなかった。
庶民に親しまれている神社。そんな感じだった。

上の神社の、少し祇園寄り。 下から。上に上がって行く。

ここが、坂本龍馬と中岡慎太郎の遭難の地。

この場所に、醤油商を営む、近江屋があった。
大政奉還の1ヶ月後の、1867年11月15日のこと。
その近江屋の2階で、午後8時頃、坂本龍馬と中岡慎太郎が話していた。
そこへ、十津川郷士と名乗る男達数人が来訪し、面会を求めて来た。
有無を言わず、2階に押し入ってきた。
龍馬は、額を深く切られた。 床の間の刀を取りに行こうとしたが、そこで、2の太刀を受けた。
反撃は出来なかった。 とどめを刺され、直ぐに死んだと言われている。
中岡は、2日後まで生きていたので、その時のことを証言している。

小さな神社が見えてきた。

土佐稲荷・岬神社。 昔は、近くにある、土佐藩邸の中にあったいう。

この辺りに土佐藩邸があった。 もし龍馬たちが、ここにいたら、殺されることはなかったと書いてあった。

酢屋。 龍馬が隠れ住んだ所。 海援隊の本部もここに置かれた。

ここは、池田屋騒動の跡。

池田屋騒動は、幕末の元治元年6月5日(1864年7月8日)に、ここで起きた。
新撰組が、潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃した事件。
この事件の後、新撰組の名前は轟き渡るのだが、事件の記録は、新撰組の証言によって書かれたものが多い。
だから、事実は、違う可能性がある。

ホテルオークラの敷地内に、桂小五郎の像があった。 ここに、長州藩邸があった。

新しい時代を作ってくれたことに、感謝すると書いてあった。(そんな内容)
この人は、明治に入っても活躍した。
池田屋騒動では、どういう形かで、避難できたようだ。

久しぶりの都会なので、デパートに入った。 高島屋と、阪急。
夏物のシャツで、これはいい、と思うのがあった。 値段を見たら、16000円だった。 ラルフローレンだった。
買わなくても、見て歩くのは楽しい。
道の駅の、夜のバラの花。

新撰組は、なぜ人気があるのだろう。
何か夢を持って生きていたのだろうか。
幕府を守るために集まった、ただの武士の集まりにしか、見えないのだが。
何なんでしょうね。
今日調べていて分かったのですが、日本刀の威力は、すごい。
龍馬も即死に近い。
池田屋騒動の中でも、即死と言う言葉が、たくさん出てきた。
それから、「小手」を受けて、手の指などを怪我したら、それは致命傷で、戦えないんですね。
幕末のこの時代、熱い気持ちの人間がいて、日本の将来を動かしていた。
そんな感じがします。
【道の駅】 おなじです。
【明日の予定】 京都市内です。 息子と食事します。
【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で11位です。
クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
スポンサーサイト
コメント
桂小五郎
そんなに古くない歴史の舞台ー幕末の京都。今年は「龍馬伝」が放送中なので、観光客で多いでしょう。龍馬や桂、武市らが活動した場所は、町のど真ん中なんですね。天下国家論を交わしながら、街角を歩いていたことでしょう。桂小五郎の銅像があるんですね。高知にあるのは当然ですが、京都のど真ん中にあるのには驚かされました。
Re: 桂小五郎
どこに行ってもいましたよ。
みんな、そっと見に来ている。
長い歴史で考えたら、ほんの少し前のことですね。
龍馬たちは、日本が進んでいる方向の、舵を切った。
別の方向に向けた。
そこに価値があるのでしょうか。
みんな、そっと見に来ている。
長い歴史で考えたら、ほんの少し前のことですね。
龍馬たちは、日本が進んでいる方向の、舵を切った。
別の方向に向けた。
そこに価値があるのでしょうか。
コメントの投稿
トラックバック
https://akkamui21.blog.fc2.com/tb.php/943-43e9c058