熊野古道は、山の中の普通の道だと思っていた。 違った。
道は、山の頂上に向かって進んだ。
それは、街道ではなく、修験の道だった。
18㌔を歩くのに、8時間40分かかった。(写真を撮りながらだけど)
普通の登山より、つかれた。
※ 熊野本宮大社まで、残りは、22㌔。
これを歩くと、熊野古道のメインルートの、山の中の部分を、全部走破したことになる。
明日歩くか、今、検討中。(今とは、7日の夜のこと)
バスの関係は、調べた。
明朝、7時過ぎのバスに乗って、今日のゴール地点に行かなければならない。
起きれるか。
雨は降らいないと、思っていた。
降るなら、昨日の6月6日のはずだった。 理由は、ここに。
滝尻王子のバス停で、バスを下りたところ。 7時半過ぎ。
熊野古道には、ポイントポイントに、神社がある。 神社を王子と呼んでいた。
ここは、滝尻王子。
京都から熊野本宮に行く道は、この道。 だから、この道は熊野へのメインルート。
そして、昔から、ここからが霊域とされ、熊野古道は山の中に入る。
胎内くぐりの岩。 狭かったので、通らなかった。
上の写真の右上に、乳岩が見える。 藤原秀衡の話が伝わっていた。 義経を助けた秀衡。
※ 泰衡が、バカだったから、義経は死んだ。
こんな伝説。
昔、平泉の、藤原秀衡が夫人同伴で熊野参りに来た。
ここで夫人が産気づき、この岩屋で出産した。
夫妻は赤子をここに残して熊野に向かった。
ここに残された赤子は岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だった。
秀衡は、この子を奥州へつれて帰った。
その子供が成長し、秀衡の三男和泉三郎忠衡になったととも。
ここは、不寝王子。 王子という所には、昔神社があった。
雨は止まない。 ずっと、しとしとぴっちゃん。
一気に山に登って、この風景。 登山だった。 何百㍍か登った。
ここまでの距離は、1.6㌔。 たったこれだけに、1時間15分かかった。
バスの運転手さんは言った。 最初が大変だと。 掌を反らせて、斜め上に向けた。
ここに着いた時、雨は止んだ。
こんな祠(ほこら)も、たまにある。
高原熊野神社。
こんな花。
この写真は、高原霧の里休憩所の広場から。 上の神社のそば。
今月14日、NHKの番組、街道てくてく旅の生放送が、この場所から始まる。 10日から、熊野古道を歩く。
上の場所に、人家があった。 昔、ほとんどの家が、宿だった。 ここを過ぎたら、近露まで家は無い。
今日歩くルート。
高原池。 11時8分。
昔、この辺りに、大きな鳥居があったそう。
とにかく、よく登った。 天空の城に行くのかと思った。
疲れたら、しゃべりたくなくなる。
道は、はるか下。
山の尾根を歩いている。 杉林の中は、森林浴ではない。 動物の気配もない。
休憩所で、蟻地獄を発見。 久しぶりに見る。
蟻を入れて遊んだ。 下の虫が、蟻の足を、砂の中から挟んだ。
お地蔵さん。
小判地蔵とあった。 昔、小判をくわえたまま、ここで倒れた人がいた。
嘉永7年(1854)のことで、熊野の参詣を終えて、紀三井寺に向かっていた。 ※ 紀三井寺球場のあった所。
このような、一里塚が時々。 昔もここにあった。 和歌山から、25里と書いてある。
この場所で、月が3つ見られたという。(三体月伝説) 11月23日の晩のこと。
※ それは、二三夜待ちの夜だ。 モチモチの木の話が生まれた晩だ。 ※ 関連ブログ。
大坂本王子跡。 近くに、逢阪峠があるので、この名前のよう。
ここまで、約11㌔。 2時少し前。 この距離に、6時間以上かかった。
右に行ったら、道の駅。 車を置いてある。 2時16分。
牛馬童子像のある所。 昨日行ったので、通過。
ここを下りたら、近露。
北野橋。 日置川で、アユ釣りの人が。
近露王子跡。
昔、花山法皇が、少し手前の箸折峠で食事をした。
箸がなかったので、カヤの木の枝を折って箸にした。 その箸の赤い部分に、露が滴った。
それを見て、「これは、血か露か」と言ったという。
それで、ここの地名が、近露になった。 笑い話のような話。
皇族が、熊野詣でに熱心だったため、盛んになった。
畑に婦人の方がいた。 挨拶したら、この山を紹介してくれた。
一番遠くの山の姿。 それは、おとめの寝顔だそう。
私は見たことないから、こんなんなんだ、と思った。
おっぱいが小さいことも、教えてくれた。
これについては、話したいこともあったが、話が可笑しい方に行きそうなので、黙っていた。
いい色だ。 バラでいいですね。
左の道を行く。 古道が、生活道路になっている所もある。
継桜王子。 やっと着いた。 4時半過ぎ。
大きな杉の木。 気付かなかったが、ここの杉は、一方杉と言って、片側にしか枝がないそう。
「中辺路は 峡深き里 暮早し」 ※峡は、山峡の峡ですね。
作者は、汀子とあった。 初めて見る名前ではないんだが・・・。 この人の祖父は、高浜虚子だそう。
とがの木茶屋。
上の右となり。
少し下に行ったら、「野中の清水」があった。 水の湧いてる池。
20分ほど歩いて、山を下りた。 ここからバスに乗って、戻る。
今日は、山をいくつも登った。 たいへんな道だった。
昔の人は、ここを、草鞋(わらじ)をはいて、歩いた。
※ 私は、トレッキング用の、歩きやすい靴。
きっと、想像できない苦労があった。
【道の駅】 同じです。
【明日の予定】 継桜王子から熊野本宮まで。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で5位です。
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道は、山の頂上に向かって進んだ。
それは、街道ではなく、修験の道だった。
18㌔を歩くのに、8時間40分かかった。(写真を撮りながらだけど)
普通の登山より、つかれた。
※ 熊野本宮大社まで、残りは、22㌔。
これを歩くと、熊野古道のメインルートの、山の中の部分を、全部走破したことになる。
明日歩くか、今、検討中。(今とは、7日の夜のこと)
バスの関係は、調べた。
明朝、7時過ぎのバスに乗って、今日のゴール地点に行かなければならない。
起きれるか。
雨は降らいないと、思っていた。
降るなら、昨日の6月6日のはずだった。 理由は、ここに。
滝尻王子のバス停で、バスを下りたところ。 7時半過ぎ。

熊野古道には、ポイントポイントに、神社がある。 神社を王子と呼んでいた。
ここは、滝尻王子。
京都から熊野本宮に行く道は、この道。 だから、この道は熊野へのメインルート。
そして、昔から、ここからが霊域とされ、熊野古道は山の中に入る。

胎内くぐりの岩。 狭かったので、通らなかった。

上の写真の右上に、乳岩が見える。 藤原秀衡の話が伝わっていた。 義経を助けた秀衡。
※ 泰衡が、バカだったから、義経は死んだ。
こんな伝説。
昔、平泉の、藤原秀衡が夫人同伴で熊野参りに来た。
ここで夫人が産気づき、この岩屋で出産した。
夫妻は赤子をここに残して熊野に向かった。
ここに残された赤子は岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だった。
秀衡は、この子を奥州へつれて帰った。
その子供が成長し、秀衡の三男和泉三郎忠衡になったととも。
ここは、不寝王子。 王子という所には、昔神社があった。

雨は止まない。 ずっと、しとしとぴっちゃん。

一気に山に登って、この風景。 登山だった。 何百㍍か登った。
ここまでの距離は、1.6㌔。 たったこれだけに、1時間15分かかった。
バスの運転手さんは言った。 最初が大変だと。 掌を反らせて、斜め上に向けた。
ここに着いた時、雨は止んだ。

こんな祠(ほこら)も、たまにある。

高原熊野神社。

こんな花。

この写真は、高原霧の里休憩所の広場から。 上の神社のそば。
今月14日、NHKの番組、街道てくてく旅の生放送が、この場所から始まる。 10日から、熊野古道を歩く。

上の場所に、人家があった。 昔、ほとんどの家が、宿だった。 ここを過ぎたら、近露まで家は無い。
今日歩くルート。

高原池。 11時8分。

昔、この辺りに、大きな鳥居があったそう。

とにかく、よく登った。 天空の城に行くのかと思った。
疲れたら、しゃべりたくなくなる。

道は、はるか下。

山の尾根を歩いている。 杉林の中は、森林浴ではない。 動物の気配もない。

休憩所で、蟻地獄を発見。 久しぶりに見る。

蟻を入れて遊んだ。 下の虫が、蟻の足を、砂の中から挟んだ。

お地蔵さん。

小判地蔵とあった。 昔、小判をくわえたまま、ここで倒れた人がいた。
嘉永7年(1854)のことで、熊野の参詣を終えて、紀三井寺に向かっていた。 ※ 紀三井寺球場のあった所。

このような、一里塚が時々。 昔もここにあった。 和歌山から、25里と書いてある。

この場所で、月が3つ見られたという。(三体月伝説) 11月23日の晩のこと。
※ それは、二三夜待ちの夜だ。 モチモチの木の話が生まれた晩だ。 ※ 関連ブログ。

大坂本王子跡。 近くに、逢阪峠があるので、この名前のよう。
ここまで、約11㌔。 2時少し前。 この距離に、6時間以上かかった。

右に行ったら、道の駅。 車を置いてある。 2時16分。

牛馬童子像のある所。 昨日行ったので、通過。

ここを下りたら、近露。

北野橋。 日置川で、アユ釣りの人が。

近露王子跡。
昔、花山法皇が、少し手前の箸折峠で食事をした。
箸がなかったので、カヤの木の枝を折って箸にした。 その箸の赤い部分に、露が滴った。
それを見て、「これは、血か露か」と言ったという。
それで、ここの地名が、近露になった。 笑い話のような話。

皇族が、熊野詣でに熱心だったため、盛んになった。

畑に婦人の方がいた。 挨拶したら、この山を紹介してくれた。
一番遠くの山の姿。 それは、おとめの寝顔だそう。
私は見たことないから、こんなんなんだ、と思った。
おっぱいが小さいことも、教えてくれた。
これについては、話したいこともあったが、話が可笑しい方に行きそうなので、黙っていた。

いい色だ。 バラでいいですね。

左の道を行く。 古道が、生活道路になっている所もある。

継桜王子。 やっと着いた。 4時半過ぎ。

大きな杉の木。 気付かなかったが、ここの杉は、一方杉と言って、片側にしか枝がないそう。

「中辺路は 峡深き里 暮早し」 ※峡は、山峡の峡ですね。
作者は、汀子とあった。 初めて見る名前ではないんだが・・・。 この人の祖父は、高浜虚子だそう。

とがの木茶屋。

上の右となり。

少し下に行ったら、「野中の清水」があった。 水の湧いてる池。

20分ほど歩いて、山を下りた。 ここからバスに乗って、戻る。

今日は、山をいくつも登った。 たいへんな道だった。
昔の人は、ここを、草鞋(わらじ)をはいて、歩いた。
※ 私は、トレッキング用の、歩きやすい靴。
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コメント
熊野古道
Re: 熊野古道
いろいろと、ありがとうございます。
天気が、はっきりしません。
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自分もよく山に行きますがこれだけの長さはまだ未経験ですね。
明日も今日と同じで過ごしやすい一日になりそうですが無理はしないで下さい。
もし熊野本宮に行ったら向かいにある大斎原にも足を運んで下さい。パワースポットですよ。