箱根関所は、箱根駅伝の往路のゴール地点。
建物は復元されていた。 昔の場所に、昔の通り。
だから、昔の箱根関所を、イメージしやすかった。
パラグアイの選手の中に、勝負が決まった後、喜ぶ前に、PKに失敗した駒野を慰めに来た選手がいた。
箱根に行けば何かありそうと、道の駅箱根峠に向かった。
右に行ったら、田子の浦港。 山部赤人が下の歌を詠んだ場所。
「田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」
国道1号線を走っているが、渋滞。
少し前に、うっかり1号線を下りてしまった。 戻るのに、10分かかった。
道の駅箱根峠に着いたら、芦ノ湖が見えた。 ここです。
箱根峠は天下の険とうたわれた。 ※ 険(けん)は、険(けわ)しい、という意味ですね。 難所。
関所は、右の方に。 箱根神社の鳥居が見える。
旗が、駅伝のゴール地点。 右上に、お玉ヶ池が見える。 これについては、後で。
関所に向かった。 ここが駐車場。 関所は、建物の向こうに。
箱根駅伝のゴールは、少し左の駐車場。
これが、関所の図。
関所は江戸時代の末期に、解体修理が行われた。 その記録が発見されたため、忠実な復元が可能になった。
こっちは、京都側。 門は、京口御門と言う。 向こうは、江戸口御門。
門と門の間が、関所。
ここに関所が出来たのは、江戸時代の初め。 重要な関所と押さえられていた。(ベスト4に)
関所の役割は、「入り鉄砲に出女」の取り締まりだったが、鉄砲の検査は行っていなかったそう。
調べる場所の他に、このような厩(うまや)や、台所、トイレなどがあった。
ここで検査をする。 調度品なども、忠実に置かれているとあった。
江戸時代は大名の妻を、人質として江戸に住まわせた。
その妻が、藩に逃げ帰るのを防ぐのが、関所の大きな役割になっていた。
こういうのを展示して、通行人を威圧した。
通行手形があれば、通れた。 手形を発行するのは、農民なら庄屋、お店ならその店主。 つまり、組織の長。
違反した者は、刑の確定まで、ここに入る。
ここにいるのは、足軽で、門番などの雑用をした。
足軽は、こんな仕事も。
関所破りは、厳罰だった。 基本的に死刑。 実際にこんな話があった。
元禄15(1702)年2月10日の夜のこと。
関所の裏山を越えようとしたひとりの娘が捕まった。
娘の名はお玉。 南伊豆の百姓、太郎兵衛の娘。
その年の正月から、江戸に奉公に出ていた。
お玉は、我が家恋しさのあまり、奉公先を抜け出し、故郷を目指した。
通行手形はない。
お玉は、関所破りという重罪を犯してしまった。
お玉は捕まった。 獄門に処された。 首をはねられた。
そのお玉の首は、ナズナが池で洗った。 村人は、お玉を憐(あわ)れんだ。
ナズナが池は、それ以来、お玉ヶ池と呼ばれるようになった。
遠見番所のある丘の上から。
遊覧船がある。
向こうは江戸。 箱根には、旧街道が残っている。
箱根関所資料館への道。
感じのいい道。
地蔵さん。
中の撮影は出来なかった。
外にあった、関所の説明。
箱根は小田原藩だったので、役人はそこから来ていた。
関所破りに対しては厳しかったが、賄賂(わいろ)を渡せば通してくれるとか、結構適当だったそうだ。
パラグアイのバルデスという選手が駒野の所にやってきた。
勝負が決まったすぐ後ですね。
何かを言った。 駒野はきっと意味は分からなかった。 でも、頷いていたという。
何を言ったか調べたが、分からなかった。
「きみのサッカー人生はこれからだ」とか、きっと前向きなことを言ったと思う。
いいものを見ましたね。
【道の駅】 箱根峠
【明日の予定】 旧街道を歩いてみます。
【今日の歌】 箱根八里(YouTube)
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建物は復元されていた。 昔の場所に、昔の通り。
だから、昔の箱根関所を、イメージしやすかった。
パラグアイの選手の中に、勝負が決まった後、喜ぶ前に、PKに失敗した駒野を慰めに来た選手がいた。
箱根に行けば何かありそうと、道の駅箱根峠に向かった。
右に行ったら、田子の浦港。 山部赤人が下の歌を詠んだ場所。
「田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」

国道1号線を走っているが、渋滞。
少し前に、うっかり1号線を下りてしまった。 戻るのに、10分かかった。

道の駅箱根峠に着いたら、芦ノ湖が見えた。 ここです。

箱根峠は天下の険とうたわれた。 ※ 険(けん)は、険(けわ)しい、という意味ですね。 難所。

関所は、右の方に。 箱根神社の鳥居が見える。

旗が、駅伝のゴール地点。 右上に、お玉ヶ池が見える。 これについては、後で。

関所に向かった。 ここが駐車場。 関所は、建物の向こうに。
箱根駅伝のゴールは、少し左の駐車場。

これが、関所の図。
関所は江戸時代の末期に、解体修理が行われた。 その記録が発見されたため、忠実な復元が可能になった。

こっちは、京都側。 門は、京口御門と言う。 向こうは、江戸口御門。
門と門の間が、関所。

ここに関所が出来たのは、江戸時代の初め。 重要な関所と押さえられていた。(ベスト4に)

関所の役割は、「入り鉄砲に出女」の取り締まりだったが、鉄砲の検査は行っていなかったそう。

調べる場所の他に、このような厩(うまや)や、台所、トイレなどがあった。

ここで検査をする。 調度品なども、忠実に置かれているとあった。
江戸時代は大名の妻を、人質として江戸に住まわせた。
その妻が、藩に逃げ帰るのを防ぐのが、関所の大きな役割になっていた。

こういうのを展示して、通行人を威圧した。

通行手形があれば、通れた。 手形を発行するのは、農民なら庄屋、お店ならその店主。 つまり、組織の長。
違反した者は、刑の確定まで、ここに入る。

ここにいるのは、足軽で、門番などの雑用をした。

足軽は、こんな仕事も。

関所破りは、厳罰だった。 基本的に死刑。 実際にこんな話があった。
元禄15(1702)年2月10日の夜のこと。
関所の裏山を越えようとしたひとりの娘が捕まった。
娘の名はお玉。 南伊豆の百姓、太郎兵衛の娘。
その年の正月から、江戸に奉公に出ていた。
お玉は、我が家恋しさのあまり、奉公先を抜け出し、故郷を目指した。
通行手形はない。
お玉は、関所破りという重罪を犯してしまった。
お玉は捕まった。 獄門に処された。 首をはねられた。
そのお玉の首は、ナズナが池で洗った。 村人は、お玉を憐(あわ)れんだ。
ナズナが池は、それ以来、お玉ヶ池と呼ばれるようになった。

遠見番所のある丘の上から。

遊覧船がある。

向こうは江戸。 箱根には、旧街道が残っている。

箱根関所資料館への道。

感じのいい道。

地蔵さん。

中の撮影は出来なかった。

外にあった、関所の説明。

箱根は小田原藩だったので、役人はそこから来ていた。
関所破りに対しては厳しかったが、賄賂(わいろ)を渡せば通してくれるとか、結構適当だったそうだ。
パラグアイのバルデスという選手が駒野の所にやってきた。
勝負が決まったすぐ後ですね。

何かを言った。 駒野はきっと意味は分からなかった。 でも、頷いていたという。

何を言ったか調べたが、分からなかった。
「きみのサッカー人生はこれからだ」とか、きっと前向きなことを言ったと思う。
いいものを見ましたね。
【道の駅】 箱根峠
【明日の予定】 旧街道を歩いてみます。
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コメント
箱根
箱根は見所が多いですが彫刻の森美術館や大涌谷が良かったです。黒玉子は美味でした。
Re: 箱根
ありがとうございます。
検討してみます。
明日鎌倉を見て、土曜日には千葉に渡ろうと考えています。
土日は、千葉の田舎に。
駒野とバルデス
駒野とバルデスのシーンは、感動のシーンでしたね。何と話したのか、私も気になっています。判明したら、ブログに載せてください。本当に日本代表は頑張りました。日本の若い人に、夢と勇気を与えました。南仏で練習のとき掲げていた「絆」の幕がよかった。
箱根は懐かしいです。新宿から、小田急でロマンスカーに乗り、関所見学に行きました。もうずっと昔のことです。
箱根は懐かしいです。新宿から、小田急でロマンスカーに乗り、関所見学に行きました。もうずっと昔のことです。
Re: 駒野とバルデス
何を話したか。 探しています。
方法としては、見つけた人間を探しています。
少し分かってきました。
パラグアイの国の放送局で、内容を放送したようです。
駒野の心を動かせることをきっと言っている。
ありきたりの内容ではない。
もう少し調べます。
方法としては、見つけた人間を探しています。
少し分かってきました。
パラグアイの国の放送局で、内容を放送したようです。
駒野の心を動かせることをきっと言っている。
ありきたりの内容ではない。
もう少し調べます。
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