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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

1180年、頼朝は伊豆の近くの石橋山の戦いで負けた。
逃げる時、まとまっていたら見つかりやすいので、小さなグループに分かれて逃げた。
伊豆から、安房の地に渡った。 
そして、一晩、身を隠した場所が、仁右衛門島の洞窟と言われている。
                  (信ぴょう性は、どのくらいあるのか、確認が必要ですね)

海岸沿いの道は、房総フラワーラインとなっている。 その道を北上。
花は、どこにもない。
ここは、道の駅ちくら・潮風王国。 隣が花畑なので、寄った。 

10年7月5日 (1)

花は見つからない。 こんな、岩場の海岸が多い。
道の駅で、魚が売っていた。 
干したのを7枚くらい買った。 アジとサンマともう一つ。 少し傷があったので、まとめて、350円。
※ 晩に、フライパンで焼いて、酢醤油に浸けて食べた。 サンマは骨も食べられた。
※ 車の中で火を使う時は、エンジンをかけて、エアコンを使わないと、暑い。

10年7月5日 (2)

ローズマリー公園。 花があったのは、ここだけ。 ヨーロッパ風の庭園だった。

10年7月5日 (3)

道の駅、鴨川オーシャンパーク。 変わった建物。 今は、ここの駐車場に。

10年7月5日 (4)

仁右衛門島に向かって歩いている。
車は、この後行く、太海(ふとみ)フラワーセンターに。 
※ 両方見ても、値段がたいして変わらないので、両方にした。

10年7月5日 (6)

鰹節に見えた。 干している。 ネコやカラスに食べられないのか。

10年7月5日 (5)   10年7月5日 (7)

仁右衛門島には、この船で渡る。 二人で漕ぐ。 島と言っても、目の前だった。 小さい。

10年7月5日 (8)

源頼朝が、戦いに負けてこの地に逃げてきた。 この地でも襲われた。
島の住人 平野仁右衛門は、頼朝を島に案内した。 頼朝は洞窟に一晩身を隠した。 助かった。

こんな話があったので、この島に来た。

10年7月5日 (9)

この話について調べてみたら、信ぴょう性が高いことが分かったので、簡単に書いていきますね。

1180年、頼朝は伊豆の近くの石橋山で、平氏方と戦った。 負けて逃げることになる。
兵がまとまっていると目立つので、小さなグループに分かれて逃げる。
頼朝は、熱海の少し北の真鶴崎から海を渡って、房総半島の鋸南町竜島に上陸する。 (今の住所で) ※ 上陸地点はここ
※ 地図の左の方に、真鶴が見える。

5分ほどで、着く。

10年7月5日 (10)

頼朝は伊豆で逃げてる時、こんなことがあった。
平家方に、梶原景時という武士がいた。 この人は、頼朝の居場所を知っていた。
でも、これを隠し、向こうの山が怪しいと、味方の軍を頼朝から遠ざけた。
※ 義経も、敵から情けをもらったことがある。 似ている。 人間的な魅力があったのか。

※ 梶原景時は、義経のことを悪く頼朝に伝えた人間だ。 思い出した。 それがなかったら、義経は死ななかった。
  
島の周囲は、4㎞。 昔から、平野家しか住んでいない。

10年7月5日 (31)

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島の上の方に道はあった。 花は植えたもの。(調べて分かった)

10年7月5日 (11)

芭蕉の句碑があった。 「海暮て 鴨の声 ほの可尓 白し」  ※ ほの可尓~ほのかに
この句は、1684年の12月に、名古屋の熱田で作られたものだった。 
野ざらし紀行にある。 どうしてここにあるかは、?

芭蕉でなく、者世越(はせを)とあった。 芭蕉のことだそう。

10年7月5日 (12)

真っ直ぐ行ったら、海に出そう。

10年7月5日 (13)

小さな神社があった。 島に1軒しか家はないのに。
蓬(よもぎ)島弁財天とあった。 昔、この島は蓬島と呼ばれていた。

10年7月5日 (14)

この港を、右の方から渡ってきた。
 ※ 平野家の子どもたちは、海が荒れたら、学校は休み。 皆勤賞はもらえなかったそう。

10年7月5日 (15)

岩が亀に見えたので、パンフレットを見た。 そうしたら、亀岩となっていた。

10年7月5日 (16)

山の頂上に、平野仁右衛門さんの家はあった。 風が強いから、このように。

10年7月5日 (17)

家は、1704年に建てなおした。 その前は、山の下にあったが、津波で流された。

10年7月5日 (18)

奥の庭。 推定樹齢600年だという、蘇鉄の木があった。 
池に水があった。 山の上なのに水はどうして?  聞けばよかった。

10年7月5日 (19)

正面に戻って、中はこう。 今も、住んでいる。

10年7月5日 (20)

津波で壊れた家の材料も使った。 それで、こんな継足しが。

10年7月5日 (21)

説明してくれたのは、この方。 平野家の奥様。
何でも知っていた。 聡明な方だった。

10年7月5日 (22)

お礼を言って、別の門から出る時、北海道から来たんですよと、最後に言った。
そうしたら、「紋別郡は知らないだろうか」と言った。 
そこは、私の守備範囲だ。

奥様のお姉さまの旦那さんが、鴻之舞(こうのまい) 金山で働いていたという。  ※ 金山は、1973年に閉山。
私がいた上渚滑から、車で30分かからない。
また戻って、しばらく話した。

  ※「銀色の道」という懐かしい歌があるが、この歌の舞台は、鴻之舞。
           銀色の道(YouTube)     関連ブログ 銀色の道  初期の頃のブログは、こんなの。

山を下りた。

10年7月5日 (23)

この先の所で、日蓮が旭を拝したとあった。  ※ 旭は、朝日というより太陽のことか。

10年7月5日 (24)

そこからの風景。

10年7月5日 (25)

下の右の方に、頼朝が隠れた洞窟がある。

10年7月5日 (26)

頼朝は、房総半島に上陸して、この島の近くにやってきた。
それは、鴨川近くの貝渚(かいすか)という所。  ここです。   下に島が見える。
そこに、止宿しているところを、長狭六郎常伴(ながさろくろうつねとも)の兵が、夜襲をかけてきた。
その時、平野仁右衛門が頼朝を、この島にかくまった。

こんな内容。 その後頼朝は、再起し鎌倉へ進軍し、12年後鎌倉幕府を開く。

10年7月5日 (27)

奥の赤い扉の向こうに、穴がある。 そこに身を潜めた。

10年7月5日 (28)

馬蹄石。 馬の蹄の跡が残っているという。 こんなのは色んな土地にあって、もちろん伝説。 石は硬すぎる。

10年7月5日 (29)

10年7月5日 (30)

船を漕(こ)ぐ人と話した。 
いい仕事だねと言ったら、大変なんだよ、と言った。
ちょっと漕いだら、向こうに着くでしょ、と言った。

知らない人は、これだもな、って顔をして、手を見せてくれた。
失礼なことを言った。 手は、豆だらけだった。

10年7月5日 (32)

カメラを向けたから、この顔ではない。 元々。 いい顔だ。 この道40年だったかな。

10年7月5日 (33)

この道を戻った。 これが、こっちの港の雰囲気。
中央の人に話しかけた。 とうさん、何を見てるの、って。
霧が濃いんだよね、って言った。 梅雨に入って、毎日これだ。 

10年7月5日 (34)

太海(ふとみ)フラワー磯釣りセンター。

10年7月5日 (35)

こんな感じと、温室が。

10年7月5日 (36)ppp

バラが咲いていた。 ここは、花を育てて売っている。

10年7月5日 (37)  10年7月5日 (38)

カーネーションの赤は、独特。 いい。

10年7月5日 (39)

ハイビスカスもあった。

10年7月5日 (42)

10年7月5日 (40)

いいですね。

10年7月5日 (41)

サボテンも。

10年7月5日 (43)

何とも言えない色。

10年7月5日 (44)

細いサボテン。

10年7月5日 (45)

ここで魚を釣って遊んだ。 釣ったら放す。 ※ 持ち帰ることも出来る。

10年7月5日 (46)  10年7月5日 (47)

ウマヅラハギかな。   「イテテテテ!」って、顔をした。

10年7月5日 (48)

ここを通って戻った。

10年7月5日 (49)


この島の、頼朝に関わることは、いろんな資料に出てきた。 ※ この島で作った資料以外で。
頼朝がこの島で助けられた可能性は、十分にありますね。

こんな話が残っている。 平野仁右衛門氏の文より。 少し出来過ぎと、本人も。

 頼朝は、助けてもらったお礼を考えた。
 褒美は「安房一国」でどうか、と頼朝は言った。
 だが、仁右衛門は、「粟一石」と勘違いし、それよりも漁業権が欲しい、と言った。
 結果、漁業権が与えられた。

頼朝にとっては、人生最大のピンチの一つ、だったのでしょうね。
                            ※ 関連ブログ 家康の危機一髪


【道の駅】     鴨川オーシャンパーク

【明日の予定】   「月の沙漠」の舞台になった地がある。 そこを見て、内陸に入るか。

【今日の歌】    J(YouTube)   韓国で俳優が亡くなりましたね。  二人の歌手が歌っている。 どっちもいい。
                       この曲は平成15年のもの。 上手に歌う人に出会ったことがある。 忘れられない。


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コメント

頼朝伝説

九州も雨ばかりで、うんざりしています。
頼朝伝説はいい話ですね。人生の危機を、ここで一時回避したのですね。平野家には、頼朝の寄贈品はなかったのでしょうか。
 「月の砂漠」の舞台が次の訪問先ですか。楽しみです。これは童謡では横綱級の歌ですね。私も好きで、三木露風の「赤とんぼ」と「月の砂漠」は名曲中の名曲と思っています。「月の砂漠」の砂漠の作者は、加藤まさを。挿絵画家でした。昔の画家は文才もありますね。蕗谷虹児、竹下夢二など、彼らもすてきな童謡をもっています。加藤まさをの絵も好きです。千葉の御宿海岸に、「月の砂漠」の碑があります。資料館はどうだったかな?蕗谷虹児の資料館は新潟にあります。

Re: 頼朝伝説

月の沙漠の舞台は御宿で、まあ、いいのかなと思います。
こういうのは、先に名乗りを上げて、本人の了解をもらえば、決まりですね。

この人の砂浜と月のイメージは、いろんな砂浜のイメージが合わさったように思います。
ただ、その中心は、御宿かもしれない。
若い時にここに来て、どのくらいの期間か、毎日眺めていたから。

資料館がありました。
証拠固めの資料館。 そんな感じもしました。
観光に活かしたいという、願いがあるからですね。 仕方ない。

観光というのは、本人の願いとは少しズレがあるようです。
ネットで色んなものを読んだ中に、書いてありました。

一般的には、御宿で認められる状況です。

九州は、狙い撃ちのように、雨が降りましたね。
こっちは大したことありません。

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Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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