九十九里浜は、どこまでも砂浜だった。
それも、港がなく、家並みは海から離れていた。
天気が悪かったので、想い出の九十九里浜の感じでは、なかったけど。
来年の大河ドラマに、森3兄弟が登場します。
2番目は、森坊丸。 すこし、面白い話しがある。
九十九里浜に何があるわけではないが、見ることに。
途中「やすらぎの森」という施設に寄ったが、閉園中だった。 その向かいにあった、レンコン畑。 山は低くなった。
花が少しだけ。
海まで数㌔。 小さな山もなくなった。 道は広い。
海岸沿いに有料道路があるので、走ってみた。
九十九里浜は、ここの数㌔右から始まっている。 全長66㎞。
※ 源頼朝の命で6町を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるそう。
昔の1町は、109㍍。 1里は、654㍍。 99里だと、64.7㎞になる。 66㎞に近い。
どこまで行っても、この風景。
海は見えるが、海に行く道がない。 有料道路から出た。
白子海岸。 南白亀川の河口。 投網をしている人がいる。 ここです。
こんな感じで獲れる。
投網は難しいのか、ほとんど獲れない人もいる。 この人は、いっぱい。
小さいのは、せいご。 大きいのは、ふっこ。 どっちも、スズキの小さい時の名前だと教えてくれた。
これは、シタビラメって言ってた。 教えてくれた人が、舌を指差したので、漢字では舌平目かな。
北方面。 日本で最初に地曳網が行われたのは、こことあった。 イワシを獲った。
南はこう。 広い砂浜。 海水浴はこれからなのか、お店などの準備をしていた。
夏に、多くの若者がこの浜で楽しむ。 「想い出の九十九里浜」の歌の雰囲気になるのか。
※ クリックしたら流れます。
この歌の作詞は、長門大幸。 音楽プロデューサーの仕事もしている。
坂井泉水をZARDとしてデビューさせたのは、この人。 大黒摩季や倉木麻衣も。
作曲は、織田哲郎。
坂井泉水の、「眠れない夜を抱いて」「負けないで」「揺れる想い」は、この人の作曲。
たくさんの人で賑わっている風景を想像して、しばらく、遠く続く砂浜を見ていた。
投網を撮影させてもらった。
上手な人は、このように、大きな円が出来る。
引っ張り上げたら、魚が逃げられない仕組みになっている。 理解するのがむずかしい。
この後、東金市に向かった。 ※ 東金~とうがね
「北の岬」にコメントをくれた、Kさんの家に。
Kさんは、秋田県庁を退職されて、この町に一人で住んでいた。
大学に入る前、雄武町で少し働いたことがあった。 興浜南線を作る仕事。 測量。
※ 雄武町・・・私もいたことがあった。 「北の岬」の舞台の日ノ出岬がある。 ここです。
夜、外で食事をごちそうになり、秋田、歌、雄武のことなどを話した。
森坊丸についても、聞いた。
Kさんは、森坊丸の子孫だという。
家系図が、直系の方の家にあるそう。 ※ 直系の方は、信州大医学部に。 19代目。
森坊丸は、森蘭丸の弟で、本能寺の変で討ち死にしたと言われている。
どうして子孫がいるかだが、当時は、若くして結婚することもあった。
また、森坊丸には、生存説がある。 森坊丸(Wikipedia)
歌手の小柳ルミ子も、子孫。 15代目で、別れている。 直系と同じ苗字。
Kさんは秋田にいたが、ルミ子の両親も秋田にいた。(県の北部)
父親がいなくなった。 母親は、父親を探して福岡に行った。 ルミ子は、そこで生まれた。
下の絵は、兄の森蘭丸のもの。 坊丸のが見つからない。
来年の大河ドラマは、江〜姫たちの戦国〜。
その中で、森三兄弟が登場する。 後一人は、弟の力丸。
坊丸を演じるのは、染谷将太(そめたにしょうた)。
来年の大河物語は楽しみ。 きっと見るでしょうね。
※ 森一族は、初め、美濃の斉藤道三に仕えていた。 その後信長に。
もし、詳しく知りたい方は、ここに載っています。
遅くまで楽しく話した。
いつかKさんと、オホーツクを、車で走りたいと思った。
九十九里浜は、長く、広い砂浜だった。
月の沙漠には、ならないが。
【停泊場所】 Kさんの敷地内に。 電気を借りている。 東金市。
【明日の予定】 東金市の見晴らしのいい所に。 Kさんが案内してくれる。
その後、銚子の方に。
【ブログランキング】 国内旅行2位、旅行全体で4位です。
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それも、港がなく、家並みは海から離れていた。
天気が悪かったので、想い出の九十九里浜の感じでは、なかったけど。
来年の大河ドラマに、森3兄弟が登場します。
2番目は、森坊丸。 すこし、面白い話しがある。
九十九里浜に何があるわけではないが、見ることに。
途中「やすらぎの森」という施設に寄ったが、閉園中だった。 その向かいにあった、レンコン畑。 山は低くなった。

花が少しだけ。

海まで数㌔。 小さな山もなくなった。 道は広い。

海岸沿いに有料道路があるので、走ってみた。

九十九里浜は、ここの数㌔右から始まっている。 全長66㎞。

※ 源頼朝の命で6町を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるそう。
昔の1町は、109㍍。 1里は、654㍍。 99里だと、64.7㎞になる。 66㎞に近い。
どこまで行っても、この風景。

海は見えるが、海に行く道がない。 有料道路から出た。

白子海岸。 南白亀川の河口。 投網をしている人がいる。 ここです。

こんな感じで獲れる。

投網は難しいのか、ほとんど獲れない人もいる。 この人は、いっぱい。
小さいのは、せいご。 大きいのは、ふっこ。 どっちも、スズキの小さい時の名前だと教えてくれた。

これは、シタビラメって言ってた。 教えてくれた人が、舌を指差したので、漢字では舌平目かな。

北方面。 日本で最初に地曳網が行われたのは、こことあった。 イワシを獲った。

南はこう。 広い砂浜。 海水浴はこれからなのか、お店などの準備をしていた。

夏に、多くの若者がこの浜で楽しむ。 「想い出の九十九里浜」の歌の雰囲気になるのか。
※ クリックしたら流れます。

この歌の作詞は、長門大幸。 音楽プロデューサーの仕事もしている。
坂井泉水をZARDとしてデビューさせたのは、この人。 大黒摩季や倉木麻衣も。
作曲は、織田哲郎。
坂井泉水の、「眠れない夜を抱いて」「負けないで」「揺れる想い」は、この人の作曲。
たくさんの人で賑わっている風景を想像して、しばらく、遠く続く砂浜を見ていた。
投網を撮影させてもらった。





上手な人は、このように、大きな円が出来る。

引っ張り上げたら、魚が逃げられない仕組みになっている。 理解するのがむずかしい。
この後、東金市に向かった。 ※ 東金~とうがね
「北の岬」にコメントをくれた、Kさんの家に。
Kさんは、秋田県庁を退職されて、この町に一人で住んでいた。
大学に入る前、雄武町で少し働いたことがあった。 興浜南線を作る仕事。 測量。
※ 雄武町・・・私もいたことがあった。 「北の岬」の舞台の日ノ出岬がある。 ここです。
夜、外で食事をごちそうになり、秋田、歌、雄武のことなどを話した。
森坊丸についても、聞いた。
Kさんは、森坊丸の子孫だという。
家系図が、直系の方の家にあるそう。 ※ 直系の方は、信州大医学部に。 19代目。
森坊丸は、森蘭丸の弟で、本能寺の変で討ち死にしたと言われている。
どうして子孫がいるかだが、当時は、若くして結婚することもあった。
また、森坊丸には、生存説がある。 森坊丸(Wikipedia)
歌手の小柳ルミ子も、子孫。 15代目で、別れている。 直系と同じ苗字。
Kさんは秋田にいたが、ルミ子の両親も秋田にいた。(県の北部)
父親がいなくなった。 母親は、父親を探して福岡に行った。 ルミ子は、そこで生まれた。
下の絵は、兄の森蘭丸のもの。 坊丸のが見つからない。

来年の大河ドラマは、江〜姫たちの戦国〜。
その中で、森三兄弟が登場する。 後一人は、弟の力丸。
坊丸を演じるのは、染谷将太(そめたにしょうた)。

来年の大河物語は楽しみ。 きっと見るでしょうね。
※ 森一族は、初め、美濃の斉藤道三に仕えていた。 その後信長に。
もし、詳しく知りたい方は、ここに載っています。
遅くまで楽しく話した。
いつかKさんと、オホーツクを、車で走りたいと思った。
九十九里浜は、長く、広い砂浜だった。
月の沙漠には、ならないが。
【停泊場所】 Kさんの敷地内に。 電気を借りている。 東金市。
【明日の予定】 東金市の見晴らしのいい所に。 Kさんが案内してくれる。
その後、銚子の方に。
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